「伊丹十三記念館ガイドブック」を読んで
「伊丹十三記念館ガイドブック」(企画制作伊丹十三記念館・2007年刊)を4月23日に、松山へ仕事で行った折、時間調整で伊丹十三記念館を訪問、展示品の豊富さ、多彩さに驚愕し、売店で購入しました。小さな記念館ですが、内容が凄い。記念館をじっくり堪能するには、まる1日かかりますね。それだけ内容が濃いし、写真の1枚1枚が面白く、見ていてわくわくしました。
通常記念館などのガイドブックは、カラー刷りのA4版のチラシが普通。しかし伊丹十三記念館は1冊の書籍になっていました。1404円支払い、十三饅頭756円とともに購入しました。
記念館の展示にある説明ガイドですが、これがとても内容があります。とにかく伊丹十三さんは、文化人そのもの。それも多様で多彩です。ただただ驚くばかりの才能を発露しています。468ページもあります。写真も多く貴重な書籍です。
小学生時代の理科の昆虫観察の蝶の描写など図鑑並みの詳細さです。驚きました。
ガイドブックによれば、伊丹十三は、13の顔があるという。本名は池内岳彦。父親は映画監督伊丹万作。病気がちで十三が中学1年時に46歳で他界。その後父親の出身地の松山で暮らします。後に作家大江健三郎は十三の妹と結婚しています。高校が一緒だったようです。
都会暮らしで、背が高く文化的な雰囲気が強い転校生だったようです。16歳で京都の高校へ入学。松山の高校へ転校,休学したりして21歳で高校を卒業とあるので5年間高校へ行っていたらしい。(私は4年間高校へ行きましたが・・)
大学受験には失敗したものの、上京し商業デザイナーになり、欧州旅行したりしたようです。13の顔は以下のとうりです。
「池内岳彦」「音楽愛好家」「商業デザイナー」「俳優」「エッセイスト」「イラストレーター」「料理通」「乗り物マニア」「テレビマン」「猫好き」「精神分析啓蒙家」「CM作家」、そして「映画監督」です。
「1984年、51歳になった伊丹十三は、映画「お葬式」を発表します。(同年のキネマ旬報第1位)。映画公開の後に行われたインタビューでは、これまで自分が様々に取り組んできたことは、すべて、映画監督になるための準備、用意だったのだ、と答えています。」
「以後、日本人とは何か、日本人社会を支えている構造とはどういうものか、といった重たいテーマを、周到で緻密な取材、練り上げられた脚本、つねに映画的であろうとする大胆な画面構成、考え抜かれたキャスティング、ゆるがせにしない細心の演出にyよって、誰にでも楽しめ、見終わったあと少し賢くなった気分にもさせてくれる特別な物語につくりあげたのです。」
「日本映画ではかつてなかったタイプの知的エンターティメント映画は、毎回驚くほどの動員を記録し、伊丹映画の公開は、その都度社会現象となっていきました。数々の名優を送りだし、流行語にもなった伊丹映画は、伊丹十三の人生のすべてが詰まっています。」(P405)
伊丹十三記念館の屋外展示に車庫にはいった高級車ベントレーが置いてあります。」ロータス・エラン、ルノー16、シトロエン2CV、MGとかを愛好し最後に、ベントレーでした。
確か白洲二郎も乗っていたそうですが、あれは1930年代のことで時代が違いますね。伊丹十三とは20年ぐらい時代が前ですね。
十三饅頭もパッケージも自分でデザインしたのでしょうか?お菓子はCMを制作した地元菓子店の一六本舗がこしらえてますから、美味しかった。お菓子と言うのもやはり文化があってこその製品であると思いました。
1997年12月20日に64歳で逝去されました。もう18年になりますか。惜しい才能の人を日本国は失いました。
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