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2015年6月

2015.06.30

下知地域内連携協議会役員会


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 下知地域内連携協議会(2015年度)第1回役員会が、知寄町の下知消防分団会議室で行われました。16人定数のうち12人が出席していますので、役員会は成立しました。

 国見俊介代表の挨拶の後、議題の審議にはいりました。
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1)「高知市長との意見交換会」について

 7月17日に午後5時から8時までの間で実施予定。あらかじめこちらから出した質問や意見井を踏まえ、30分程度市長が発言。その後意見交換会を行います。
 懇親会も実施します。
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2)SMIL FESしもじ について

 ちより街テラスの道路側の屋外部を利用して下知地域の交流イベントを開催します。現在10程度の地域にゆかりのある店舗やグループのブースが出店予定。

 可能であればちより街テラスは、地域の津波避難ビルにもなっています。時間を決めて、参加者の津波避難ビル施設見学ツアーも検討中。国見俊介代表が、ちより街テラス側と折衝中です。
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3)ラジオ体操の件

 7月27日から8月7日の平日の10日間限定で、朝6時半から青柳公園集合でラジオ体操を行います。子供たちだけではなく地域の大人たちも参加しましょう。すぐ近くの坂本茂雄さんがラジオなどの段取りをすることになりました。

4)着衣水泳の件

 8月まではプールを使用との事。具体的には提案者の池田文七さんと相談することになりました。

5)地域に笑顔の花を咲かす交流会の件

 11月以降に持ち寄りで忘年会をやってはどうか。
  専門業者からテイクアウトの食品を購入し、1人2000円程度会費で下知コミュニティ・センターでやればどうか。若い世代との交流もしたいので、バンドをやっている地域の人に出演をしていただいたらどうでしょう。という意見も出ました。

6)藁工ミュージアム夏祭りの件

 8月15日午後4時から8時半の予定で、蛸蔵を活用し、怪談風の演劇を披露したい。ついては盆踊りも行い、出店も5店舗ぐらい出店していただきたい。地域と繋がりたいので、ご協力をお願いしたい。とのことでした。

7)今治市連合自治会防災部会・防災士連合会の皆様と下知地域の自主防災会有志との合同防災訓練について。下知コミュニティ・センター防災部会の主催行事です。

 7月5日午前11時より、下知コミュニティ・センター全館を使用して、合同訓練を行います。メニューは「ミニHUG]「市民医療トリアージ」「災害時に自宅のトイレの使用方法」「支援力と受援力の意見交換会」「合同炊き出し訓練」です。

 その他藁工ミュージアムより7月12日から開催されます「TURN/陸から海へ:の展覧会の説明がありました。

 

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2015.06.29

空家特措法の効用は?

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 日本は人口がどんどん減少しています。それ故人が住まない「空き家」増加しています。廃屋になり、災害時に倒壊する可能性が高く、地域で決めた避難道路を塞ぐ危険性もあります。

 そこで政府はようやく重い腰を上げ、廃屋空き家の撤去が出来る法律改正をしました。2015年5月25日の朝日新聞に記事が掲載されていました。解体費用の一部補てんや、罰則規定もこしらえているようです。

 今後の推移に注目ですね。

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2015.06.28

梅雨の晴れ間のセーリング

 早朝のなでしこさんたちはオーストラリアに1-0で勝利。準決勝へ進出しました。いい試合での勝利でしたので、気分よく夜須の海へ出掛けました。
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 ハーバーでは蝉の鳴き声が聞こえます。近所の紫陽花も枯れて来ていますので、梅雨明けは近いのかもしれません。日が出ますと暑いです。

 今日のハーバーは賑やかでした。いつもの高知大学ヨット部や、香南ジュニア・ヨットクラブの中学・高校生に加え、シニア・ヨットクラブが3艇、社会人が2艇でていました。

 またビーチでは、シーカヤックとシュノーケルの体験が行われていました。カヌーの実践的な漕ぎ方講習がされていました。
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 午前中は1番に海へ出ました。予想以上に風が強く、三角波が立ち、ローリングします。実にセーリングしにくい環境でした。しばらく頑張っていましたが、ジュニアと高知大学が出艇したのと入れ違いに1時間ほどでハーバーに上がりました。
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 お昼は訪のおむすびとたまご焼きです。30分ぐらい昼食タイムをして、ぎ装して午後からも海へ出ました。風は程よく強く、風の方向が北西に変ったので(午前は南西の風・波が立ちます)波が少なくなりセーリングしやすい海面になりました。
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  ハイクアウトの連続でした。大学のジュニアの練習用にブイを打っていましたので回航したりしました。接近してセーリングの様子の写真も撮りました。3時間半のセーリングでしたが、くたくたになりました。久々のいい運動でした。
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  片付けが終わりヤッシー・パークの道の駅へ。駅長の山本宏幸さんといつものおっさん2ショット写真を撮りました。今日は義弟のお下がりのアロハ着用です。下の黄色のTシャツはブラジル代表です。
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なでしこ1-0で豪を撃破


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 いつかは点が入るだろうと思っていました。前半から攻守の切り替えが早く、パス回しで相手を走らすサッカーをなでしこはしていました。オーストラリアは暑さを考慮し、それほど前からのプレスはなかったですね。

 それでも常になでしこさんたちは左右に揺さぶり、縦への突破を意識した攻撃を繰り返していましたから、いつかはゴールになるだろうと思っていました。

 いい動きで相手DFを翻弄した大野に変り投入された岩淵。またリズムの変わるドリブルで相手DFを翻弄。後半43分にはその岩淵が獲得したコーナーキックからの相手ゴール前の混戦で岩淵が蹴りこんで決勝点。
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 なでしこさんたちは見事にベスト4になりました。今日の試合はミスが少なく、本来のなでしこさんの姿です。次戦も期待できますね。
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 気持ちよく海へ行けそうです。

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単線型災害復旧のありかたの変革を


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 大災害時には、日本の場合「災害救助法」とかの法律があります。それによりますと、災害で自宅など住居を失った被災者は、避難所へ収容され、それから応急仮設住宅へ収容されます。おおむね2年で、自宅の再建か、出来なければ復興住宅へ移ります。
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1995年の阪神大震災時ではごく1部でしたが、被災者が自ら借用した民間賃貸アパートの家賃を行政側が補償する「みなし仮設住宅」も東日本大震災では多く見られたそうです。

 しかしながら現在の行政側のルールでは、応急仮設住宅の床面積は9坪弱となっています。大半がプレハブの住宅です。


応急仮設住宅の面積

  単 身 用 : 19.8 ㎡程度(6型:6坪相当)
  小家族用(2~3人) : 29.7 ㎡程度(9型:9坪相当)
  大家族用(4人以上) : 39.6 ㎡程度(12型:12坪相当)
  応急仮設住宅の1戸当たりの規模は、平均 29.7 ㎡(9坪相当)を基準とします。

 「応急仮設住宅」の名称からして、あくまで短期間の被災者の収容施設(最長2年)とされていますが、東日本大震災のように、土地そのものが大津波で流出したりしています。高台を造成したり、元の地域をかさ上げし造成した後に住宅を建設する段取りになるので、早くて数年後、時間がかかれもより長期間仮設住宅に居住せざるを得ません。

 阪神大震災で全半壊家屋は24万戸。東日本大震災で40万戸。南海トラフ大地震での予想では164万戸とされています。到底応急仮設住宅建設は、災害罹災後2か月後の入居など不可能でしょう。

 まして高知県は県土の84%が山間森林部であり、居住可能な平野が低地で高知市下知地域のような海抜0メートル地帯に、15万人が居住しています。地震で地盤が沈下したら、地盤そのものをかさ上げし、耐震補強してその上に住宅を建築するとなると一体何年先になるのか見当もつきません。

 そこで4年前から二葉町が行っている仁淀川町との「災害時に疎開を前提とした交流」の意義目的は、「空き家や休眠施設などの有効活用できないか」と言うことです。お互いの地域が顔見知りになり、コミュニティの維持をしながらの長期避難対策(3次避難9を想定しています。

 県や高知市の反応は冷淡であり、「いいね」とは言いますが何の支援もしません。従来型の発想の行政主導の災害復旧対策は、この事例からもわかるように「地域コミュニティを維持する活動への支援」には極めて冷淡です。これでは南海地震が起きた後に、住民が奮起して自力再建は極めて難しい状況となるでしょう。

 私たちの主張には根拠があります。高知県は県人口が毎年5000人減少しています。空き家率が全国でも高率です。であるならば「空き家」を事前に有効活用して、被災者対策に出来ないか。そう思います。

 その構想についてはおいおいに記述したいと思います。

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2015.06.27

96歳のリハビリ・ゴルフ

 24日に96歳になった父ですが、このところ調子が良いようです。今朝も午前7時過ぎに降りてきて朝食を済ませ、8時半位には出掛けることに。ゴルフ練習場へ行きました。

 途中のラビータ温度表示板は26度。蒸し暑いので水分補給をたくさんしないといけないです。自己流の体操をして球を打ち始めました。知り合いがいたので私は話しこんでいました。 
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 水分補給はOS-1(経口補水液)でしています。
 
 高齢者の運動としては悪くはないと思います。今日も125発をきっちり打ちました。わたしの方が眠いです。午_r_2


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後から家内が映画会に行くそうなのでお留守番です。母(89歳)は1日ディに行っております。

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丸池町の皆さんと連携します

 2015年6月10日は梅雨の晴れ間の天気でした。午後から自転車で集金業務に。その途中で高知市丸池町界隈を通過しました。
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 こちらの町内も海抜0メートルの下知地域。ただ状況は二葉町や若松町よりもシビアであるようです。町内で海抜が1番高い場所が江ノ口川の護岸。それから町内は堤防の下に形成されています。
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 市営住宅は2階建てで堤防の下。広域公園の丸池公園もあります。丸池公民館もある丸池町は低層住宅がたくさんあります。江ノ口川護岸をきちんと耐震護岸にしないといけないと思いました。
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 条件的に厳しいと言いますのは、津波避難ビルと呼ばれる鉄筋4階建て以上の建物が丸池町にはありません。公共施設もありません。まさに津波避難困難地区と言えます。
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 吉本豊道さんや樋口公男さんたちが中心になって丸池町防災会の再建を推進されています。防災マップの作製も必要事項です。高齢者の歩行速度で安全に自宅から30分以内に避難が出来る場所の確保が何より大事ですね。

 私案ですが丸池公園全体を、高密度発泡浮力構造物を埋め込み、浸水時に浮上するようにすれば、問題は解決するでしょう。

 高密度発泡体を活用した浮体構造物での浸水対策

 南海地震発生と同時に液状化が始まり、地盤が沈下し、浸水が始まります。津波一時避難(退避)場所や、津波避難ビルは階段で垂直避難しなければならない。歩けない人たちは介助が必要。高齢化している地域ではとても難しい課題です。

 元橋梁技術者である小谷鐡穂さんに「高密度発泡体を活用した浮体構造物」を考案していただきました。「高密度発泡体を活用した浮体構造物」は船ではありません。筏のようなものです。低地の被害者は水平移動で「高密度発泡体を活用した浮体構造物」が埋め込まれている公園や空き地へ急ぎます。安全に退避できます。浸水が始まれば浮き上がります。定員の制限はありません。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-ce44.html

(高強度発泡樹脂を用いた浮体構造物による南海地震対策)

 丸池公園を「高密度発泡体を活用した浮体構造物」を埋め込んだサッカー公園にします。普段は子供たちや社会人のサッカーチームの練習場にします。サッカーくじの支援は可能ではないでしょうか?」
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 観客席を津波避難します。現在低層の市営住宅は高層化し、地域の津波避難施設を前提とした住宅として建て替えする必要はあると思います。

 下知減災連絡会や下知地域内連携協議会は、丸池町町内会や防災会と連携して、問題解決に動きましょう。また地域代表の市議の高木妙さんや、県議の坂本茂雄さんも一緒になって問題解決に動きましょう。

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2015.06.26

今治市防災士会との下知減災との合同訓練事前打ち合わせ


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 2015年6月25日に、下知コミュ二ティ・センターにて、今治市防災士会の伊藤雅章さんと、砂田ひとみさんが、事前打ち合わせに来られました。今治市の防災会関係者とは2009年10月11日に青柳公園にて合同防災訓練を実施しました。それ以来です。
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 「支援力・受援力向上ミーティング」「市民トリアージと応急手当」「宮城県被災地域視察報告」」「ミニHUG(避難所運営ゲーム)」「防災合同炊き出し訓練」など盛りだくさんの内容でした。下知減災連絡会のメンバーや、高知市地域防災推進課、NPO法人高知減災ネットワーク、高知大学大槻准教授、HUG推進委員(高知大学防災すけっと隊関係者)などが参加しました。
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 7月5日(日曜)に、下知コミュニティ・センターを主会場に事業を行うことになりました。

 それでだいたいの概要が決まりました。

1)今治から支援に来られるメンバーは、70人前後。下知減災役員主体では30人程度。高知大学が4人程度です。

2)タイムスケジュールと役割分担です

午前10時30分   南国市道の駅(高知市地域防災推進課)バスへ乗り込み

         高知市の想定被害状況と高知市の防災対策の概要説明。

午前11時     下知コミュニティ・センター到着
         全体オリエンテーション・開会式(4階多目的室)
         今治側挨拶 下知減災側挨拶

         「東北被災地交流ツアーの報告」
         下知減災連絡会事務局長 坂本茂雄氏

午前11時半   分科会スタート・防災合同炊き出しスタート

         (分科会会場は。会議室C・会議室A・会議室Bを使用)。

         ミニHUG  市民トリアージ・支援力・受援力ミーティング
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         (炊き出し班は、屋上LPガス災害用ユニット使用)
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午後1時     炊き出し食材で、食事をしながら全体意見交換会

午後2時     意見交換会終了。

         今治側は、若松町耐震護岸工事を見学。五台山展望台見学帰路へ

         下知側は 会場撤収作業に。

 というスケジュールになりました。梅雨時です。大雨にならないことを祈るばかりです。

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2015.06.25

夜須での理事会に出席


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 NPO法人YASU海の駅クラブの、平成27年度第2回理事会へ出席しました。委任状と遅れて参加する理事もおられるので、理事会は定数をクリアし成立しました。前回の第1回理事会(5月19日開催)は、地元高知市の下知地域内連携協議会の役員会と重なったので欠席していました。

 議題は計画状況の進捗について。ローボートの導入について。カヤックマラソンの実行員会のありかた、海上で目視で避難をする方法についての議論を行いました。
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 次回理事会は、7月・8月が夏の事業が立て込むので、9月29日になりました。午後8時20分に理事会はすべての審議を終え終了しました。

 高知市へ戻ると夕飯は9時を過ぎますね。少し辛いところもありますね。海で休日には遊ばしていただいているので、それは仕方がありません。

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雨漏り対策も減災対策です


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 2015年6月20日から23日まで、「東北被災地交流ツアー」に行っておりました。多くの成果が得られました。情報を整理する時間が必要です。
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 その間に事務所と自宅の雨漏り対策と言うことで、総足場が組まれていました。雨漏りが怪しい個所を建築業者さんたちが点検し、コーキングをされています。
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 明日から3日間高知市は雨の予報。コーキング処理で雨漏りが止まれば儲けものですが・・

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2015.06.24

父が96歳になりました


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 父(吉正)は、2015年6月24日に満96歳になりました。大正8年(1919年)6月24日に、現在の吾川郡いの町大内に生を受け、兵役や結核療養、南海地震などのリスクを回避し、最近では7年前の脳血管障害(硬膜動静脈ろう)や、4年前の慢性腎不全の危機を乗り越え、元気で生活しております。
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 このたび東北被災地交流ツアー(6月20日から23日まで)に行っておりました。うっかり父の誕生日が24日であることを旅行中に失念、高知で宮城県産の日本酒を販売している酒販店(仁井田の清水酒販店)を西田政雄さんに紹介いただき購入し、父に誕生日プレゼントさせていただきました。
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 父は日本酒が大好きで、夏でもカンをして飲みます。日曜と月曜日は禁酒しますが、それ以外の日は毎日飲酒しています。飲む量は昔と異なり少なくなり、1合弱ですね。
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 健康であることは家族として喜ばしいことです。今晩は笹かまぼこをおかずにして日本酒を飲むことでしょう。
 うちの家は敷地が狭いので、急な階段を歩いて登り、バリア・アリーの生活をしています。あと数年は健康を維持していただきたいと思います。

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高知市中之島工区の鏡川耐震護岸工事

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 高知市の中之島地区。鏡川と堀川(運河)に挟まれた洲であり小さな半島です。こちらの鏡川の護岸を「インプラント工法?」で護岸強化工事をされています。
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 鏡川に工事用の台船が浮かんでいます。埋め込む鉄製の矢板が船に積み込まれていて、クレーンでつり上げ、堤防の埋め込み箇所まで運びます。堤防の上で作業員が受け取り、消音型杭打ち機械で、堤防の内部に埋め込んでいきます。
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 高潮護岸堤防を矢板でサンドイッチをして、堤防の強化をしています。堀川沿いの若松町ー二葉町工区は、直径1・3Mの丸鋼管を25Mまで打ち込み、その上に新たに護岸堤防を作成する方法とは、少し趣が異なっています

 どちらが想定される津波に強いのでしょうか?

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2015.06.23

6月23日は沖縄の終戦記念日です。

1945年4月1日に沖縄本島に上陸した米軍は、圧倒的な陸海空の兵力と物量を投入しました。日本軍守備隊は満足な武器も兵力もなく、戦闘経験のない沖縄県民を巻き込み、時に盾しながら、本土進攻への「時間稼ぎ」の戦いをしました。生活領域を巻き込んだ戦闘になったがために、米軍も無差別攻撃に近い戦闘行為になり、多数の沖縄県民が巻き込まれ死亡しました。

なかには壕の中で「集団自決」をする痛ましい事例も多く見られました。


 6月23日に日本軍守備隊長の牛島中将が自決し、ようやく沖縄での地上戦が終わりました。糸満市の平和の礎(いしじ)には、日米両軍兵士の戦没者と沖縄県民、民間人、朝鮮。台湾の人達の死亡者の名前も刻まれています。
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 軍隊が国民を守る存在ではなかった。ことは沖縄での戦闘が示しています。

 いま日本政府は歴史の痛ましい教訓をきちんと総括せようとせず、安全保障法制と言う「戦争法案」の制定を急いでいます。一体どの国が日本を軍事的に侵略しようとしているのか?国会審議では全く見えません。

 「世界の警察」を自称する米軍の手先として、自衛隊を海外へ派兵して日本国の平和が維持され、守られるのでしょうか?

 もし日本の安全保障が脅かされる兆候があれば、まずは外交的な努力で災いを取り除くことが第1です。それが上手くいかないときは、「専守防衛です」。決して海外に自衛隊を米軍の手先で派兵することが、日本の安全保障につながるとは到底思えません。

 馬鹿げた議論よりも日本列島は、現在地震と火山の活動領域に入りました。災害に対する危機管理を疎かにして、米軍のために自衛隊を海外へ派兵するなどとんでもないことです。 日本国民は沖縄戦の現実を見つめ、戦争の愚かさと、軍隊は決して国民を守らないことを銘記すべきです。

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2015.06.22

ゴミステーションは町内会が管理しています

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 高知市二葉町にあるゴミステーション。設置場所は町内会と高知市清掃局で決めるようです。
ゴミ回収車の周遊のルート設定もあるので、大事なことです。

 たまに他の地域からの不法投棄や、持ち込みなどの不法行為もある場合があります。その場合は町内会が抑止するように動きます。所構わず設置している訳ではありません。

 ゴミ収集の回収車がゴミを回収し、通過後、少しのゴミがあれば周辺住民が清掃しませんとすぐに道路が汚くなります。こまめなゴミ拾いも大事です。

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2015.06.21

ナチス映画「意志の勝利」を見ました。

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 ある量販店で安売りしていたDVDを随分前に購入していました。「意志の勝利」(レニー・リーフェンシュタール監督作品ようやく最近視聴することが出来ました。記録映画と言うことですが、ナチスの集団主義、分列行進、大衆扇動の在り方がとてもよく描かれています。

 ニュールンベルクで1934年に開催された第6回ナチス全国党大会の様子の記録映像ですが、後に粛清される突撃隊の様子も詳細に写っています。ヒトラー・ユーゲント(ナチス青少年団)のキャンプの様子や無邪気な姿や、全体主義的な集団主義で、かくも人間は統率されるものなのか。と呆れて見ていました。
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現在ドイツでは法律で『意志の勝利』の一般上映は禁じられているそうです。授業などで青少年に観せる必要がある場合には、事前に入念な説明と警告を行う必要があるとのことでした。

 「たった7人の同志たちから歴史は始まったのだ。」というヒトラーの演説は集まったナチス党員たちを熱狂させる様が淡々と記録されています。レニー・リーフェンシュタール監督は当時は若い女性監督。ナチス党員でもなく記録映画として後にベルリン五輪も撮影しています。

 「映像に写っていない幹部も出してくれ」というナチス党幹部の要請や、ヒトラーからの要請すら撥ね付けて淡々と撮影した記録映画だそうです。しかしファシズムの迫力、おぞましさを学習するには適切な記録映画でした。
 
 1次大戦の敗戦と多額の賠償金と世界恐慌の経済破たんを、ドイツは一時的にしろ、ナチスの経済政策で自力で経済復興し、1936年のベルリン五輪開催までこぎ付けましたから。都市建設とアウトバーン建設(高速道路網建設)と大衆車(ファルクス・ワーゲン)の普及で、仕事とマイホームと車を手に入れ、塗炭の経済不況の苦しみから脱出したドイツ国民はヒトラーのナチス党を熱狂的に支持しました。

 やがてそのことが全欧州を巻き込んだ大量虐殺(ホロコースト)と凄惨な世界大戦になろうとは、1934年の熱狂では、誰も予想しなかったことでしょう。

 家内が安倍晋三は、ヒトラーに似てきた。と不気味な事を言います。経済的な成功や圧倒的国民的な支持のない「対米従属のネオ・ファシスト」ですね。視聴していて参考にはならないと思いました。
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 大衆の中から這い上がったヒトラーと3代目の首相に過ぎない人物を比較すること自体がおこがましいと私は思いますね。

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2015.06.20

忙中閑ありですが・・・

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「忙中閑(かん)あり」を辞書で調べますと、「忙しい時でも,わずかな暇はあるものだ。]とあります。昨日は正直水を飲む暇もとくにないせわしさでした。今日は午後からは、一段落の時間帯がありました。

 一段落すると、事務所の自分の机の上がぐしゃぐしゃ。応接机の上もぐしゃ。隣の倉庫の作業机の上もぐしゃぐしゃ。
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 片付けようと言う意欲が湧きません。同様に少しでも暇があれば筋トレなど運動をしたいと思いません。冬から春の間、いろいろとせわしく常にプレーシャーがあったので、気力が削がれ机の上と同じように頭の中もぐしゃぐしゃでした。
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 これは一種の「鬱(うつ)」なのでしょうか?前向きな気力が起こりませんね。ここは焦っても仕方がありません。「気力が充実するまで」気長に待つしかありません。

 春先にも同じような文章を書きました。なかなか気力は充実してきません。

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2015.06.19

蒸し暑いはりまや橋サロン

 気温は26度ぐらいで、湿度は90%を超えている高知市。蒸し暑いです。曇り空ですが、小雨はいつ降るのかわかりません。

 それで今日の母(89歳)を連れてのはりまや橋商店街行は、いつもの歩行補助車を積載せず、傘を持参し、母と手を繋いで商店街へ繰り出しました。
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 まずは夕飯のおかずを魚の棚のコロッケ店で購入しました。
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 露店市では光の村のせんべいを買いました。
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 谷ひろ子さんのお店では焼き菓子とチーズケーキを購入しました。
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 活き活き100歳体操開始まで時間がありましたので、冷やしぜんざいを山岡さんのお店で。谷さんのお店でホット・コーヒーと焼き菓子を購入し母と一緒にお茶しました。

 今日の活き活き100歳体操(介護予防体操)は、18人の参加者がありました。新しく参加された人たちもいます。
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 明日(20日)からの東北被災地交流ツアーのテキストを「被災弱者」(岡田広行・著・岩波新書)と突き合わせ、坂本茂雄さんがこしらえた資料集と突き合わせて読んでいます。大変なボリュームです。Touhokutbenkyou_r


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水分補給が体調維持の要でしょう。


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 蚊が発生し、ゴーヤさんが成長する暑い季節になりました。6月、7月8月は季節は夏です。汗を掻く季節になりました。そうなると1番気を付けないといけないのは脱水症状です。

 わたしは500MLのペットボトルに水道水を入れ、毎日4本飲むことを目標にしています。お酒を飲んだ日は、飲んだお酒の量と同じ量の水を飲みます。そうすれば脱水症状を防ぐことが出来ます。

 超高齢者の両親(父95歳・母89歳)は、通所施設側にも協力いただいてペットボトル3本(1500ML)を目標に水分摂取をしています。

 水を的確に毎日摂取してますと脱水症状になりません。血液もドロドロにならないようで、脳梗塞の予防にもなりますね。

 災害時の救命救助でよく「72時間以内に救助」が言われています。それは水を摂取しないで人間が正常に生きておられるのは72時間が限界であると言われています。

 食物やその他の飲料で3L程度は毎日水分を取り込んでいると思います。人間の体の50か~60%は水で出来ているとも言われていますから。

 ですので1日2Lの水本補給です。エアコンかけるより水分補給です。

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2015.06.18

陸上自衛隊の水難救助訓練

なんかはっきりしないお天気ですね。いつもは休日に海で散帆やお手伝いにいく香南市夜須の海の駅クラブのハーバー。仕事の途中で寄りました。
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 陸上自衛隊の人達が、手漕ぎボートで海上で、水難救助訓練をされていました。心強い存在ですね。高知市下知地域が南海地震で水没した折には、救助をお願いしました。
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巨大津波にどう備えるのか

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 2015年5月24日の朝日新聞高知版は、「2000年前に巨大津波 三重で痕跡確認」「国想定南海トラフ級の可能性も」「高知大 堆積物 高知・徳島でも」との記事が掲載されていました。

 高知大学岡村眞特任教授への取材記事でした。岡村教授は20年ほど前から海に近くの淡水池の水底の堆積物調査をされてこられました。

 淡水池に筏を浮かべ、金属製のパイプ(長さ10M)を池の底に突き刺し、堆積物を取り込み分析されます。海の堆積層の厚みで津波の規模が想定されるそうです。

 今回の三重県南伊勢町の調査では、2000年前に巨大津波の痕跡が発生されたとのことです。岡村教授は地球学会で発表されると記事にありました。

 2015年5月25日の新聞各紙では、福島第1原子力発電所が津波想定を低くし、すべき安全対策を怠り、非常用電源の確保すらしていないという不作為が厳しくIAEAが批判しています。

http://www.47news.jp/CN/201505/CN2015052401001632.html(47ニュース)

 2007年の新潟中越沖地震にて東京電力新潟柏崎刈羽原子力発電所が罹災しました。幸い大事故にはなりませんでした。当時から原子力関係者から福島第1原子力発電所の、津波に対する対策が不十分との指摘がされていました。

 東北地方は貞観地震の大津波で過去に大きな被害が出ていました。ただ福島は300年間大きな地震が起きていなかったため、原子力関係者に慢心があったと思われます。
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(震災から4年が経過しても福島原発の廃炉のロードマップは確立していません。)
 南海地震対策は、過去最大と思われていた宝永地震(1707年)を想定した防災対策を行政は推進してきました。

 今回の岡村眞教授の発見は、2000年前に宝永地震をはるかに上回る巨大地震が起き、大津波が三重県を襲っていたことを実証しました。

 防災対策の根本からの見直しも必要になりました。沿岸に立地する日本の原子力発電所は、より危険性が増したと思います。
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2015.06.17

暑い中父は元気にゴルフ・リハビリしました

週末の土日は、いつもなら父(95歳)のリハビリ・ゴルフに付き添うのですが、生憎東北への「被災地に学ぶ研修の旅」へ行きます。
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 午後からなんとか仕事の段取りをし、父を連れてゴルフリハビリへ行きました。午後1時半のラビータの温度表示は27度。冷やしたOS-18(経口補水液)を2本持参しました。
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 暑い中も球を打っていました。元気で何よりです。
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なでしこさんたちは頑張っていますね


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 昨夜の男子サッカーの不甲斐なさがありました。本当に情けない。それで今朝はなでしこさんたちのエクアドル戦。結果は1-0の辛勝。大儀見が前半5分にゴールを決めました。

 思い通りいかない時間帯や、相手にリズムが行く時間帯もありましたが、集中して守り抜きました。前半5分の大儀見の得点を守り抜きました。

 永里も出場。大儀見との姉妹出場もあり、岩淵の出場は攻撃にアクセントが出ました。メンバー全員が出場し、佐々木監督の狙いも当たりましたね。
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 男子では大儀見のような存在感のあるFWが不在。澤のようなケアが出来る選手も不在。もっと自分たちのサッカーをしないと世界で戦えない。やはり遠藤は復帰しないといけないでしょう。リズムが悪い時の打開策を男子は持ってませんね。
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 苦戦しながらも3連勝でリーグ戦を首位で通過したなでしこさん。決勝トーナメントが楽しみです。どこが相手でも見逃せません。

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国道上の海抜表示を考える

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 国道33号ー32号線の高知市の市街地の電車通りや、二葉町に隣接する国道56号線。約1キロごとに国土交通省の標識ポールの柱の部位に、海抜表示がされています。
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 5メートル表示は二葉町や宝永町では見上げる高さ。それはこの地域が海抜0メートルであるからです。はりまや橋付近で海抜2Mですから、少し低くなり、旭地区へいきますと地面と同じ高さになります。旭は海抜5Mあります。

 土佐湾に面する沿岸部の地域では海抜10メートル表示がされていても、もし南海トラフ巨大地震で大津波が来ればオーバーフローするだろうと言われています。
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 市街地は何故か「5M」表示が目立ちます。未だに表示した国土交通省の意図が良くわかりません。

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2015.06.16

負けに等しい引き分け。

 日本VSシンガポールを見ました。

 やはり先週のイラク戦のようなスパーリングとは違いますね。W杯アジア2次予選。日本VSシンガポール戦。べた引きのシンガポールですが、1戦目に4-0で勝って日本へ来ています。随分リラックスした雰囲気です。引き分けが勝利、0-1でもいいかという戦い方。

 特にGKがシンガポーのって来ているので、なかなか点が奪えない。ミスが多い日本。「勝って当然」「ホームでの試合」はどうしても緊張します。宇佐美は2度も肝心なところで滑って転倒。後半はどうなるのか?得点の予感がしない日本代表ですね。
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 後半も圧倒的に攻めながらも、肝心な時にパスミスが出たり(パススピードが遅い)、カットされたりしてました。球際はシンガポールの方が厳しく行っていた。

 特に今回の殊勲者はシンガポールのGKでしょう。6点ぐらい防ぎましたから。それだけのっていました。
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 解説者が指摘していたように、「縦へ行く」という意識でやれと監督に言われていたらしいが、ワンパターンでそればかりやっていて、ミスもすれば点なんか取れません。
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 とにかく情けない。「負けに等しい引き分けでした。」
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南国市と香南市の津波避難タワーに想う事

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 南国市と香南市の海の近くの沿岸部に「津波避難タワー」。都市部の皆様は案外知らないと思います。
 大津波が押し寄せてきたときに、近くに自然の高台(山や丘)がない場合に、建設されています。鉄骨とコンクリートで建設され、吹きぬけの建物です。とりあえずの人工の高台施設です。
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 国も国土強靱化法や南海地震特別措置法などで、津波から「とりあえず住民の命を守る」施設づくりは進展はしているようです。
 静岡県吉田町では、巨大な横断歩道橋が津波避難施設(1200人収容)なども完成しています。
 住民の命を守る方策としては有効であります。しかし低地で沿岸部という根本的な問題解決にはなりません。
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 どういうことかと言いますと、津波避難タワーが建設される地域は、役所が「ここは大津波が来る可能性がある地域です」と宣言しているようなもの。

 今の住民は自宅が売却できないのでその居住地に住み続けるでしょうが、子供たちや孫たちは、低地の津波が来る可能性が高い地域に自宅を建て住むのでしょうか?そうはならないと思います。

 つまり人口流出をより加速させるのではないでしょうか?根本的な解決は、同じ自治体であれば、津波の脅威のない地域へ集団移転すべきです。「立体換地」と言う都市計画の手法もありますから。研究し事前移転も考慮すべきではないでしょうか。

 そちらに公共投資をすることのほうが大事ではないかと、道路の両側に建っている津波避難タワーを眺めてそう思いました。

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2015.06.15

父(95歳)が元気で過しています


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 今朝は朝1番には植田医院で診察と点滴を父はします。

「血液検査ですが。クレアチリンは2・2前後をキープされています。これは減タンパク食と水分補給と適度な運動の賜物ですね。」植田一穂先生に褒められました。家族としては最高の言葉です。
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 ちゃんと2本足直立歩行で歩き、自動車へも1人で乗り込み、シートベルトも自分で出来ます。最近は息切れもしなくなりました。
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 昼食後は介護予防通所リハビリの送迎車でリハビリ・トレーニングへ行きました。月曜と火曜と木曜日は通所しています。超高齢者でもちゃんとトレーニングの効果があるんですね。
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 母(89歳)は朝から1日ディ・サービスへいきました・ディでは「よい子」でいるようです。先週両親は主治医の横田哲夫先生の診察も受けました。なんとか暑さも乗り越えつつありますね。

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間違いなく日本列島は地震・火山の活動期に入りました。


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 最近の日本の地震や火山活動の多発は、いよいよ活動期に日本列島が入ったと思われます。それで以前ブログにも書いた記事に少し加筆し再投稿しました。

 地震学者や火山学者も「この50年ぐらいは、日本は珍しく火山活動が平穏でした。でも2011年の東日本大震災から、連動して活動期にはいりました。20世紀は平穏な世紀。21世紀は活動期に入ったと言えます。」との見解。

 「歴史のなかの大地動乱 奈良・平安の地震と天皇」(保立道久・著・岩波新書・2012年刊)を読みかえしました。

 日本の歴史は文字で記録されているのは、たかだか3000年に満たない。著作を読みますと奈良・平安時代(奈良時代は710年から794年。平安時代は794年から」「1185年まで)に時代にも、日本列島は地震・津波・噴火・異常気象・疫病の流行に見舞われています。

 著作の中に掲載されている年表を見ても、日本国はつくづく天変地異が多い国であることが理解できます。
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 筆者は2011年3月11日の東日本大震災の後、8・9世紀の地震・噴火の検証が、今日の地震学、地球科学の研究に必要であるとの思いから執筆されたようでした。

「奈良・平安の世を襲った大地の動乱。それは、地震活動期にある現在の日本列島を彷彿させる。貞観地震津波、富士山噴火、南海・東海地震、阿蘇残噴火・・・。相次ぐ自然の災厄に、時の天皇たちは何を見たか。

 未曾有の危機を、人々はどう乗り越えようとしたか。地震・噴火と日本人の関わりを考える。歴史学の新しい試み。」(カバー但し書き)

 筆者によれば、日本の地震学の創始者である今村明恒が、歴史上の地震を研究し、1649年の地震、1707年の宝永地震、1855年の安政地震の間隔からして、東京での地震発生の可能性を危惧し覚悟しなけらならないと1905年に発表したそうです。しかし「社会不安を煽る浮説をふりまくもの」とされ、長らく不遇でした。
 
 しかし今村の予測どうり、相模湾海底を震源とする関東大震災が1923年にJ発生し、汚名はそそがれました。それで私財まで投じて観測体制の整備をしましたが、戦争のお蔭で十分なことが出来ませんでした。それをご本人は悔やんでいたと言います。

 奈良の大仏も聖武天皇が国家の安定のための1大国家プロジェクトとして建立したといいます。
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「そもそも聖武は対新羅戦争計画には消極的であった。聖武の重視した華厳の思想は平和思想という側面を持っており、聖武が戦争計画に賛同しなかったのは十分な理由があったのである。

 しかも大仏造営は国家の大事業であって、対新羅戦争を同時に遂行することは、実際上も無理な話だった。

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 少なくとも史料による限り、この8世紀の美濃地震では死者が出ていない。この地震が、結局、紫香楽宮、恭仁京をはなれ、平城京に遷都することになった重要な理由であった。

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 聖武ー称徳が、戦争の道を選ぶことなく、仏教事業を推進し、日本を1種の仏教国家にしたことは、後々の国制にまで根本的な影響をあたえたのである。」(P39「大地動乱の開始」)

 聖武天皇は、奈良の大仏を建立し、全国各地に国分寺を建て、その元締めが東大寺であったようです。それは天変地異の大災害を自分の政治の力が劣っているからと反省し、自己責任を自覚していたからでしょう。今の政治家よりも遥かに潔い指導者でした。

 またこの著作は日本の古代史や、神話の世界まで記述していますので、浅薄な無教養な私には理解不能なところもありました。わからないところはすっ飛ばして読みました。

「かぐや姫は火山の女神であり、竹取物語は、より古い時代の火山神話を物語風に書き直したものだはないか。」(はじめに)
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 白鳳南海地震(684年)は南海トラフ全域が動いた海溝型の大地震であったようです。

「大潮高く騰がりて、海水ただよう」日本史において初めて津波を描いた文章である。当時の土佐(高知)も大変な被害が出たと言われています。

 「今村明恒によれば、これは江戸時代1704年(宝永地震、1854年(安政地震)の2つの津波で高知市の東方平地(現在の高知市下知・高須など)が津波に襲われた時の様子に良く似ており、震源となった海底断層の位置も、陸側の沈降して海となった地域もほぼ同じであったと言う。」(P13)

 つまり貞観地震は東北の大地震ですが、その痕跡や記録をたどり現代地震対策をきちんとしておれば、少なくとも福島第1原発の被害は回避できた可能性は大きい。しかし当時の原子力関係者は、一部の地震関係者の提言を無視し続け、全く津波対策をしませんでした。その結果が大事故に繋がりました。
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 この本を読んでいて日本は有史以来「災害大国」であるとつくづく思います。地震と津波、噴火だけでも大変なのに、大雨災害や台風や大雪もあり、人災として火災も日常的に発生しています。
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 そういった歴史的な観点に立ったならば原子力発電は日本の国土や風土にはそぐわない危険極まりない施設であることが誰にでも理解できると思います。

 国防の観点からも原子力発電の再稼働をやめ、ただちに廃炉の工程をとるべきなんです。

 教養のない私がこの著作から読み取ったことは以上です。

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2015.06.14

田植え体験では大変お世話になりました。

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 2015年6月1日(土曜日)は、二葉町の関係者は、仁淀川町長者の住民グループだんだんくらぶの皆様には大変お世話になりました。

 このたび西森勇幸会長から、樹齢1200年と言われる銀杏の木の前で撮影した集合写真を送っていただきました。

 長者の皆さまとの交流も4年目となりました。今後とも末永くの交流をよろしくお願いします。
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2015.06.13

梅雨の晴れ間の海での散帆


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 2015年6月13日は、貴重な梅雨の晴れ間の休日。午後からは曇ると言う予報だし、午後3時半には所属防災NPO法人の総会もあります。午前中限定で朝1番に自宅を飛び出し、夜須へは8時過ぎに到着し、手早くぎ装(ヨットの組み立て)をしました。

 風が吹こうが吹くまいが、今日はそういう「制約」があるので、午前中限定のセーリングです。でも堪能させていただきました。

 朝は7時半過ぎに自宅を出発。8時過ぎに夜須に到着。8時半位のは海へ出ました。晴れてはいましたが、風が弱く、安定しません。梅雨の晴れ間なので贅沢は言えません。
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 風が弱いとヨットも暑い。積み込んである冷やした水(500CC)を3本飲みました。
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 シーカヤックの1団は、香南市の新入職員だとか。18人が海へ出ていました。
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 ジュニア・ヨットクラブも出艇しました。風が弱いです。
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 午前11時半まで3時間海に浮かんでいました。すっきりしましたが暑かったです。午後からどん雲になりました。貴重な晴れ間を堪能させていただきました。家族(家内)には感謝です。
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今治市連合自治会防災部会と防災士会との交流会

 7月5日(日曜日)に愛媛県今治市から連合自治会防災部会と市防災士会の人達80人がバス2台とトラック1台で、午前10時頃に下知コミュニティ・センターへ来られます。

 今治側の目的は南海地震後を想定した「被災地支援活動ー炊き出し支援」と、「防災スキルアップ」です。下知側の目的は「受援力の向上」(支援を受ける側の体制整備)です。「支援魂と受援魂」の交流で、いざ南海に備えて平時に仲良くなっておくことです。心強い限りです。

(日時)2015年7月5日(日曜日)午前10時より15時まで

(場所)下知コミュニティ・センター 屋上・4階多目的室・3階会議室

 合同炊き出し訓練や、地域の課題などの意見交換会、避難所運営ゲームなどを実施予定。雨天決行です。

(主催)下知コミュニティ・センター防災部会。(共催)・下知減災連絡会

 *お手伝いできる人は、7月5日午前9時に下知コミュ二ティセンタへ来てください。会場準備、炊き出し準備、片付けなどの作業があります。

 *防災活動の先進地区との交流では得られるものが多いでしょう。多数ご参加ください。

2009年10月11日に高知市青柳公園にて、二葉町自主防災会は、今治市立花校区自主防災会連合会の皆さまと合同炊き出し訓練をいたしました。それ以来の交流事業となります。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-aab1.html


 その間に下知地域は、下知地区減災連絡会(2012年10月に15の下知地域の自主防災会の連合組織)や、下知コミュニティ・センターも開所(2013年4月)、また地域の交流をより深めるために下知地域内連携協議会も発足(2014年10月8日)しました。

 両者にとってよき交流会になれば幸いです。

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2015.06.12

せわしい1日でした。

 午前中は父(95歳)の植田内科への通院の付添い。何故かやたら混んでいました。このところの暑さに慣れず体調不良を起こす人が多いとか。くれぐれも水分補給は大事です。父の体調は良好です。
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 昼食後は今度は母を連れて、はりまや橋商店街へ行きました。歩行補助車を出しました。まずはコロッケ屋にて、夕飯用のコロッケを購入しました。
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 露店では、母の好きなドーナツを買いました。
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 谷ひろ子さんのお店では、チョコレートケーキと焼き菓子を購入しました。
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 活き活き100歳体操が始まるまでは、母と冷やしぜんざいを一緒に食べました。
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 今日の活き活き100歳体操(介護予防体操)は初参加の人もおられ、18人の参加でした。母を待っている間も仕事関係や地域関係の電話があり落ち着きませんでした。
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 終わった後は叔母と一緒にホットコーヒーを飲みました。一段落しますと、自宅へ戻り、父を連れて横田胃腸科内科へ行きました。両親とも診察ではとくに異常はなく健康でした。超高齢者は健康が何よりです。
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 母の認知について横田先生に聞きました。「7年前に認知症と判定されてからも、生活能力があるからましですよ。お母さんより後から認知と判定された方で、自分の名前も書けなくなった人もおられます。人格破壊になっていないので大丈夫ですよ。」とか。

 認知症も個性があるものですね。

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二葉町町内会・資源・不燃物ステーション

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 二葉町町内会の資源・不燃物収集日は毎月第2金曜日の午前6時から8時までの時間帯です。場所は下知コミュニティ・センター前です。
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 2015年6月12日は早朝から荒木三芳副会長は、資源・不燃物ステーションを準備をされています。[仕訳」を円滑にするために、ビン類なら「透明」「青」「黒・茶」と仕訳した札をだし、コンテナーで回収します。
 幸い雨は上がりました。仕分け作業を指示する当番は、二葉町内の16の班から交代で出てこられ運営しています。
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 月に1度二葉町の町民各位が顔合わせするコミュニケーションの場でもあります。高知方式という細かい資源・不燃物の仕分けの仕組みは、町内会の協力なしにはあり得ません。
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 防災や介護福祉の分野においても地域コミュニティの重要性は都市部においても大事ですね。
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 やはり資源・不燃物回収仕分けステーションの管理が町内会でしっかり出来ないと、ほかの地域活動もしっかり出来ません。

 二葉町町内会は先人の努力でそのあたりがきちんとしているといつも感心しています。

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国際信号旗をフルに活用しよう

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 南海トラフ巨大地震が、発生しますと、低地(海抜0メートル地帯)の高知市下知地域は地盤が最大2メートル沈下します。地域は水没し、長期浸水状態になります。強い揺れと家屋の倒壊からなんとか逃げのびた住民各位は、津波避難ビルや津波一時避難(退避)場所で、孤立しながらひたすら救助と支援を待つことになります。

→1000年前の高知市と同じことになり、二葉町も水没します。
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 携帯電話など通じない可能性もあり、罹災状況を高知市災害対策本部に伝達出来ないと想定されます。電気・ガス・水道などの社会インフラが遮断された状況において、的確に罹災状況を情報伝達する方法手段として「国際信号旗」があります。

 国際信号旗(こくさいしんごうき、international maritime signal flags)は、海上において船舶間での通信に利用される世界共通の旗であります。国際信号旗は1858年に英国で制定された国際通信書によって世界的に統一されています。

国際信号旗は船舶装備品で(和対英訳:国際信号書解説を船舶に保管しています)
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 国際信号旗を情報伝達備品と認知していただきたい理由を記述します。

1)防災備品で備えている免許不要の特定小電力トランシーンバーで、昨年7月に下知減災連絡会では、各自主防災会と情報伝達訓練をしました。下知コミュニティ・センター屋上からの通信では、電車通り南側の通信はほぼ可能でしたが、北側はビルなどで「遮蔽され」通信不能でした。直線距離で500Mが限界です。

2)それ以上の能力を有する無線機は、アマティア無線士の資格を持たないと相互通信は出来ません。有資格者に協力依頼を進めていますが、すべての津波避難ビルや津波一時避難(退避)場所との交信は不可能です。

3)そこで「海上において船舶間での通信に利用される世界共通の旗」である国際信号旗を津波避難ビルや津波一時避難(退避)場所に備え、掲揚することで、避難している人たちの現状を正確に救援支援者に伝達することが可能です。

4)例えばV旗を掲揚すれば「援助を求む」になり、その建物に避難者がいることを伝達します。またW旗を掲揚すれば「医療を求む」になり、急病人や怪我人がいることを正確に、偵察ヘリや、救命ボートに的確に状況を正確に伝達できます。

5)国際信号機は、2つ、3つの旗の同時掲揚によって、より複雑な現地の状況を伝達することが可能です。例えばC旗、D旗、数字O旗の掲揚は「水がほしい」となり、C旗、D旗、数字I旗の掲揚は、「食料品が欲しい」となります。
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6)電源がなくても正確に避難場所の状況を伝達することが出来ます。また国際信号旗を揃えるのは、それほどコストはかかりません。

7)万国共通の伝達手段なので、外国の救助隊が来られても、避難場所の状況を正確に伝えることが出来ます。

8)ユニバーサルな通信手段として、国際信号旗が流布すれば、障害を持たれておられる方や外国人も自分たちの置かれている被害状況を救援支援者に正確に伝達できます。小学生でも正確に情報伝達が可能です。

8)8月25日に下知地域に来訪され、意見交換する予定のJICAの留学生たちにも、地域コミュニティから考案された簡便で万国共通の情報伝達方法として、紹介する予定です。(視察のテーマが地域コミュニティ防災となっています。)

 長期浸水地域や中山間部での孤立した集落でも、情報伝達方法として活用が出来ます。

 要望事項は以下です。

1)国際信号旗を情報伝達手段の防災備品として認定をいただきたい。

2)危機管理や防災部署でも国際信号旗を購入し、情報伝達訓練を行っていただきたい。

3)学校関係者にも広めていただきたい。

4)陸上自衛隊(海上自衛隊は理解できます。)、警察、消防に周知徹底をお願いしたい。

5)報道各社にも周知徹底していただきたい
                                      以上  

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2015.06.11

被災弱者を読んで

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「被災弱者」(岡田広行・著・岩波新書・2015年2月刊)を高知市の金高堂書店で4月に新刊本で購入しました。大災害の場合は、復旧・復興がむしろ大変。以前「復興災害 阪神淡路大震災と東日本大震災」」(塩崎賢明・著・岩波書店・2014年12月・刊)を読んでいまして、2015年1月17日に神戸市長田区鷹取東地区へ行きました。

 地元のチョ・ホンリさんと話をし、まち歩きをして鷹取の20年の歩みを話していただきました。復興・復旧はとても難しい。簡単ではないことを思い知りました。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/cat60291529/index.html

 神戸市長田区鷹取東地区との交流

 やはり報道や行政や学識経験者のお話だけでは、地域の実態はわからない。そう思いました。未曾有の大被害の東日本大震災。映画監督や現地のボランティア組織の人の話も聞きました。

 常に思いますのは、2011年以来高知市下知地域に取材に来られるTV局の人達や全国紙の記者の人達は「下知は石巻に良く似てますね。」「気仙沼に似てます」と言われ続けて来ました。でも東北は遠く、介護認定を受けている超高齢者の両親がいますので、なかなか東北を訪ねることは出来ませんでした。

 昨年9月7日に、NHK仙台放送局の要請で、ラジオ番組に出演する機会があり、宮城県仙台市を訪ねました。しかし滞在したのは収録時と、夕食時のみ、翌朝は戻りました。少しだけ東北が身近になりました。

 http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-27c3.html

 いま災害を生き抜くための言葉 NHK仙台放送局制作に出演しました。

 音声での地元の人達の語りを聞きました。まさに「津波てんでんこ」を実践して多くの人達が生きのびた岩手県洋野町の漁師町の人達。洋野町の消防団員は「率先して逃げる」ことをルール化していて住民も熟知している。)桂島では若手住民が高齢者を優先的に車を活用して高台に避難させ、避難が完了した後、津波が押し寄せましたが皆が助かりました。

 そうしたお話を事前に聞き、また南海トラフ巨大地震について知れば知るほど、焦る気持ちが高くなりました。東北地方の罹災地には、地域代表の坂本茂雄さんが震災後10回現地を訪問されています。

 坂本茂雄さんは「被災弱者」の著者の岡田広行氏とも直接の交流がありました。著書の中で出て来られる地元の住民組織の人や、ボランティア組織の人達を紹介していただいたそうです。坂本茂雄さんが、打診をし、高知から2015年6月20日から23日の予定で現地訪問し、意見交換することになりました。

 それだけにどうしても読んでおかねばならない著作でした。

 前置きが長くなりました。岡田氏は「はじめに」よりこう書かれていました。

「仮設住宅では高齢者の認知症が進み、世話役を務める住民が右往左往していた。津波浸水地区では、資金がないために住宅の修理が終わらない高齢者、復興事業のために住み慣れた我が家の立ち退きを迫られた在宅被災者がいた。

 みなし仮設住宅では、震災前のような安定した仕事に就けず、転居の見通しが立たない働き盛りの男性にもであった。・・・・・・いずれも震災から四年がたとうとする現在のことである。」(はじめに)

「東日本大震災の集中復興期間終了を目前に、復興から取り残された人々がいる。くらしの再生に必要なものは、巨大プロジェクトの加速ではない。

「いつまでも被災者なのか」と弱者を切り捨てるのなら、社会はその負債を将来にわたって抱え込むだろう。被災は、誰にとってもひとごとではない。

 災害多発国日本のあやうさを現場から問う。」(カバー表紙の言葉)

 「2,014年の4月時点でも避難者数は23万9000人ですが、コミュニティ機能を失った津波浸水区域に残り、避難生活同様に劣悪な環境におかれている在宅の被災者は含まれていません。

 津波に襲われた地域では、雑草の生い茂った空き地が目立つ荒涼とした風景の中に、ビニールシートやベニヤ板で覆われた家屋が点在している。多くは主を失った空き家だが、ところところに明かりがともっている家屋がある。

 こうした家屋に住む被災者の多くは資金に事欠き、必要な住宅修繕もできないでいる。高齢ゆえに銀行から融資を受けることも出来ず、新たな土地での住宅再建もままならない。」(はじめに)

 「国や地方自治体は住宅再建についての十分な手立てを持たない。そのため現在も津波浸水区域で暮らす人は、新たな津波被害の危険性が高いとされる災害危険区域からの移転で住宅困窮者向けの災害公営住宅(復興公営住宅ともいう)に転居または、防災集団移転促進事業(高台移転)等に参加する人を除き、今以上の支援を得られない。

 このことは、被災地の復興が進んでも、暮らしぶりが改善しない人々が相当数に上ることを意味する。」(P2)

 いきなりの深刻な事態の報告に、身につまされました。他人事ではない、明日の自分たちの現実であると思いました。
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 今回の下知地区被災地交流ツアーでは、宮城県石巻市を中心に回り、現地で奮闘されている住民団体やボランティア支援団体との意見交換会も予定されています。

 そのなかの1人である支援団体の「一般社団法人チーム王冠」の伊藤健哉代表との意見交換も予定されています。著作の中では在宅被災者を巡回し、地域コミュニティづくりと維持をめざす「お茶っこバス」を運営されておあっれます。(P5)

 「自治体は住いを失った住民を避難所から、仮設住宅へ移行させることが手一杯で、在宅被災者に手をさしのべる余裕はなかった。」(P6)であるからでした。

 チーム王冠は北は女川町から、南は山元町までの広範な地域の在宅避難の5000世帯に及んでいます。支援の内容は、食料や物資の提供、住宅の修理、草むしり、農業や漁業の手伝い、スポーツ教室、子供のケアに至っています。

 罹災地の学校が元の地域の場所で再建されることは、地域復興のシンボルになります。湊東地区まちづくり協議会代表世話役の今野清喜さんとも意見交換の予定です。

 今野さんと一緒に活動されてこられた千葉眞良さん(石巻市議)には、旅行1日目に石巻駅前にバスに同乗いただき、震災時の様子やその後の復興・復旧の動きをお話していただくいことになっているようです。

 「土地区画整理事業に期待する今野さんは、迷路のように狭かった道や行き止まりをなくし、子供が安心して学べるまちを取り戻したい。すべてを子供優先になるように、行政に要望をあげていった。」

「湊小と統合された湊2小の跡地は、TOTO(サッカーくじ)の助成金を活用して人工芝のスポーツ公園にしてほしい。太陽光発電を用いて街路灯を整備できないか」とまちづくり協議会ではこんな要望を石巻市役所に提出しています。(P126)

 高知でようやく始まった「蛍プロジェクト」の実例も見学する予定です。

 「湊小に二女を通わせている斎藤建彦さんは、「震災対応減災ファイル」をPTAで提案・作成した。消防士である斎藤さんは学校区内をすみずみまで歩いて危険のある個所を点検したうえで、学校の外にいるときに災害に遭ったときの心構えや避難の仕方、避難経路を一冊の冊子にまとめた。」(P126)

 「今回の災害では、情報がなかった人がずいぶん被害に遭った。こどもたちには幼いうちからきちんと情報を入手して自分で行動できるようになってほしい。そうした思いからPTAの資金をもちいて作りました」(P126)

 「震災対応防災減災ファイル」を作成された斎藤建彦さんとも意見交換する予定です。

 津波のリスクをゼロにしようと高台移転計画を押しすすめた結果、住民の多くは雄勝町以外に移転してしまう誤算も起きています。

「リアス式海岸の入り江ごとに小さな漁業集落が点在する石巻市雄勝町は、明治時代には15浜村の村名を称した。その名のとうり、1つ1つの集落が固有の歴史と文化を持つ雄勝町にあって「町中」(まちなか)と呼ばれる中心地区は大きな口を開けた形の雄勝湾の喉元に位置する。

 水深が深く、天然の良港として知られる雄勝湾はかつて、遠洋漁業の船舶も出入りし,町中は発展をとげていた。

 しかし、200海里規制と石油ショックでを契機とした漁業の長期低落過程の末に大震災は雄勝町からすべてを奪った。中心地区では96%の家屋が全壊となり、総合支所、公民館、駐在所、消防署、郵便局、小中学校すべての公共施設が失われた。雄勝町全体でも,全壊の家屋は80%近くに達し、震災直前に4300人いた住民は4分の1強にまで減ったとされている。

 雄勝町の悲劇が色濃いのは、復興計画での選択肢が、津波浸水エリアからの高台移転しか示されなかったことに原因がある。」(P175)

 雄勝地区復興まちづくり協議会の阿部晃成事務局長さんとも意見交換する予定です。阿部さんは高台ありきの復興の道筋に異議を唱えられています。

「行政を巻き込んで復興のあるべき姿を提言するのが、本来のまちづくり協議会の役目だったはず。しかし実際には行政主導でまちづくりの青写真が描かれ、協議会は行政が決めた方針を追認する組織になった。」(P175)

 阿部さんは「このままでは中心部は成り立たなくなる」との危機感から「雄勝町の雄勝地区を考える会」をこしらえ活動されています。高台移転んと浸水地域のかさ上げを提唱した中心部の復興案を提示しても行政側は対応しませんでした。

 事業を行政側が急ぐゆえに、町中心部の住民の意向を十分に汲み取らなかった帰結が、人口流出加速の原因ではなかっただろうか。」(P184)

 筆者の岡田広行氏は問題を掘り下げて行きます。

「政府によれば、東日本大震災からの復旧復興に用意された予算は、「集中復興期間」とされた2011年度からの5年間に26・2兆円に達している。

 これだけの予算がありながら、被災者の多くは復興を実感することができないのはなぜだろうか。」(P202)

 その原因は予算配分に問題があるのではないかと著者の岡田広行氏は指摘しています。

「政府による「東日本大震災からの復興の基本方針」や東日本大震災復興基本法」に基づくとして、」実は被災地の復興とは関係ない事業が全国各地で実施されてきた。

  中略

 阪神淡路大震災や新潟中越地震時と比べた時に、大きく異なるのが、復興の取り組みへの住民参加の度合いだ。

 住民の生活上のニーズにきめ細かく対応するために「復興基金」が創設された点では共通しているものの、今回の震災復興の過程ではその資金の使い道に関して住民やボランティアの意見反映の場が欲しい。」(P203)

 1995年の阪神大震災の折も、地域が丸焼けになり地域の人々が懸命に自宅まわりの方づけに追われいる最中に、神戸市は長田駅前の巨大な再開発の青写真を持ってきたとか。

 その時も故石井弘利さんやチョ・ホンリさんから「神戸市はあらかじめ考えていた長田復興プランをいきなり出してきました。見れば長田のコミュニティや寄合の破壊につながる行政主導の復興・復旧プランだそうです。

 鷹取に人たちが凄いのは決してあきらめず、腐らず他の地震被害者との意見交換会などを前向きにしておられるところでしょう。

 読後感は、到底他人事と思えません。現時点で大地震に遭遇した場合、落ち着いて対応できるのでしょうか?「その時」慌てない肝を持たないといけないですね。

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2015.06.10

ゴーヤさんを事務所前に移設しました


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 ゴーヤさんを「遂に」と言いますか、日当たりのよい空き地から、日当たりの悪い事務所前に今日移設しました。
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 明日から梅雨空で、むしむしジメジメな日が続くからです。ここはゴーヤさんにも頑張っていただいて緑のカーテンを形成していただきたいです。P6100035_r


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国際信号旗とソーラー・ライト

 夕飯を食べてまったりしていますと、隣町の若松町防災会の横田政道さんから電話がありました。

 「工事関係者に譲渡していただいたソーラー・ライトを国際信号旗に掲揚するマストに取り付けたので、Hさん宅へ来てほしい。」との事でした。自宅から100Mほどの距離などで歩いて行きました。

 Hさんところは花が咲き乱れています。横田さんが来るまでしばし懇談。
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横田さんは、わたしが以前YASU海の駅クラブでいただいてきた、ウインド・サーフィンのマストを上手に繋ぎ、先端にソーラー・ライトを取り付け、国際信号旗のV旗(意味は、私たちは避難しています。避難所であることを示す。)が取り付けられています。
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 暗闇でもソーラー・ライト(昼間は充電。夜は点滅)でわかります。創意工夫で若松町自主防災会は頑張っていますね。

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2015.06.09

両親は元気に介護予防通所リハビリへ行きました


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 さてお昼前は、女子W杯初戦のなでしこVSスイス戦が気になります。仕事をしながらラジオを聞いています。出足が悪く押し込まれる展開が多いようです。安藤と大儀見の2トップもマークを交わしながら相手ゴールに迫るが得点できない。前半安藤とGKが激突。PKに。安藤は負傷交代。宮間が落ち着いて決めて先制点。

 後半も押し込まれる展開ですが、なんとか持ちこたえました。その途中で両親が、今日は揃って介護予防通所リハビリの日です。後半25分ごろに送迎車が来ました。
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 事務所で留守番しながら聞いていました。1-0で日本は辛勝。でも勝ちは勝ちですから。まずはよしとしましょう。

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梅雨ですがせわしいことになりました。

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 今朝6時の事務所の温度は24度で湿度は92%です。梅雨本番。紫陽花とゴーヤさんはお元気ですね。
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 暑さには慣れて来ました。水分補給が大事です。今日も1日頑張りましょう。

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雨漏りで家が壊れました。
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 狭い敷地の3階建ての自宅ですが、いつの頃か階段部の壁面から雨漏りが酷くなりました。これは家が腐ると危機感を持ち、業者さんに壁面修理を依頼しようとおもいました。
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 今日は特に酷くて、息子が天井に上がり調査をしていたところ、突然ドンと言う音がして、天井から息子が落下しました。石膏ボードの天井が破れてしましました。つり天井だったようです。幸いけがはありません。
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 壁面はサイディング・ボードです。築28年ですからあちこち家もガタが来るようです。明日の朝業者さんが急遽修理に来てくれます。出費は痛いです。

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マーケティングエッセイ―泣き落とし作戦?

【泣き落としで売れたチラシ】

マーケティングコンサルタントの藤村正宏さんのメールマガジンの記事。引用自由なので、転載させていただきました。

以前見た、郊外型紳士服ショップのチラシがすごかった。

社員と思われる人間のイラストがあり、その彼が吹き出しで、
「スーツを仕入れすぎてしまいました。私のミスです。お願いです。安くしますから買ってください!」
と叫んでいるのです。

チラシから漂ってくる、『もう、これが最後の手段、こうなったら、なりふりかまわず』という雰囲気には、唖然としたものの、ユーモラスに内情を告白するという手法には、感心した。
しかも、結果が何とも気になって、後でそのショップに聞いたところ、このチラシのおかげで、前月に比べて売り上げが25%もアップしたというからビックリ。

消費者がこれをジョークととらえて面白がったとは思うけど、マジでその社員に同情して買ってあげた人もいたかもしれないな、ちょっとそんなことも思った。
とにかく、実際にふだんよりも売れたことだけは間違いないわけです。

「仕入れすぎて~」という以外にも、この手なら「作りすぎて~」「揚げすぎて~」「獲りすぎて~」「できすぎて~」など、いろいろなところでどのようにでも使えるだろうなって思った。
その意味では便利だけど、ただ、やっぱりこういうのはセンスがいる。
遊び心の加減が大事です。

でも遊び心は、今の時代独自性になります。
それぞれの遊び心がちがうからね。

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2015.06.08

医療機関の受診で半日がつぶれました。


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今朝は植田医院での父(95歳)は、診察と点滴を受けました。調子は悪くはありません。それで植田一穂先生に紹介いただき、ある眼科で父の目の検査を行いました。ありきたりの双眼鏡型の眼圧測定器や視力検査。医師の診察と精密検査をしました。診断結果は白内障。7月27日に手術をすることに。

 そうなると運転免許の更新は7月24日までなので失効になります。あらたに手続するには本籍表示の住民票と父の写真と8000円程度の手続き料が必要とか。
 更新手続きの延長は認めないとか。釈然とはしませんが、何せ強権的な運転免許行政なので逆らっても仕方がありません。

 結果的に免許センター(5月27日)での視力検査で不合格になり、眼科の精密検査で白内障とわかりました。運転免許うんぬんより、白内障の治療が優先。逆に運転免許センターには感謝しないといけないかもしれませんね。

 朝8時50分から午後2時まで2軒の病院にいました。雨ですし今日は気分がめいりましたね。しかし医師と言うお仕事は激務ですね。凄いスーパーな能力者であると感心しました。眼科の医師は患者を診察しながら7つのPC画面とタブレットを見てますから。

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漫画で理解する商売の原則

 毎週木曜日に発売されるコミック雑誌モーニング。こちらに「インベスターZ](三田紀房・著)の漫画が連載されています。中学生高校生が、投資を行う漫画です。女子中学生3人がお小遣いで株式相場や投資信託をやったりしています。
 
 その仲良し3人組の1人の母親が、上品な老夫婦が経営している喫茶店を譲渡されることになり、母親が跡継ぎになると言う話がありました。喫茶のご主人は、600円のコーヒーの原価は10円。1日に2万円売り上げがあれば御の字だと。
 
  常にお店のなかに3人お客がおる店であればいいんだとご主人はいいました。1人に33人来店すればいいということですね。
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 また個人営業の商売と、大資本の商売とは別物である。個人商店は個人商店に徹し、規模の拡大などやってはいけないとも言います。

 女子中学生の祖父も友人の母親が喫茶店を経営することに賛同しました。日本は1960年代50%あった個人商店が激減し、いまや10%に。3代続いてサラリーマンなんてこともありうる時代になりました。そうなると日本の産業の未来は暗いと祖父は言います。

 個人商店が商店街を形成し、自治体や国が制度融資をして商店街の改装や規模拡大を手助けしてきました。しかし大半は失敗し、商店街はシャッター通りになってしまいました。
やはり個人商店と大規模商業資本とは異なるものです。個人商店は身の丈以上の規模拡大をしてはいけないのです。
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 このままでは日本の経済もお終いかと思われましたが、個性的な個人商店の喫茶店などがむしろこれから繁盛する時代が来るかもしれない。そういう観点で祖父は賛同したのです。

 その理由は「スマホが個人商店を復活させる」とのことでした。ほんまかいなかいなということですが、どうやら本当の話もいくつかあるようですね。

 情報を手軽に得られないからとりあえずみんな目についたチェーン店に入っていた。値段が安くそこそこ美味しく、サービスも均一化している。大きく外れはない。誰でも安心して飲食ができるお店として定着した。

 外食産業は大商圏に狙いを定め集中的にシェアを拡大急成長しました。日本国中が同じようなチェーン店だらけになりました。ジャンク・フード店や回転寿司店等が田舎町にも出来ました。

 漫画ではこのように具体例をあげてわかりやすく説明をしていきます。
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「スマホ時代の到来によってお店の評判から、なかなかわからなかった細かい情報まで,可視化され共有されるようになった。

 すると均一的なチェーン店は一気にただの没個性で魅力のないお店へかわってしまった。

 逆に消費者は検索で自分好みのお店を探すことになり価値を見出すようになる。そしてSNSを使って自ら情報発信することでさらに充実感を得る。

 こうなると店主1人で切り盛りする個人経営のお店でも商圏内の大勢の客を相手にできたも同然。今まで世の中にほとんど存在を知られることがなかったのが、日本全国、さらには世界の人々にまでお店の情報を拡散して知ってもらえるようになりました。」

 とあります。確かにそれは言えるでしょう。しかし「食ログ」でしたか、アルバイトを大領動員してSNSに大量の書き込みをしたり、時に「作為」のやらせも「出て来るでしょう。
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 市民各位には見抜く目もまた必要となります。いやはや漫画から得られる情報も多いことを思い知りました。

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2015.06.07

梅雨の晴れ間に海の散帆


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 朝1番は二葉町町内会の一斉消毒日。わたしは噴霧車の前後の道路のゴミ拾いをしました。7時半過ぎに終了。母がたててくれたコーヒーを飲んで夜須へ出発しました。
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 到着したら9時過ぎに。既に海はB&G海洋クラブの子供たちや高知大学ヨット部、ジュニア・ヨットクラブの中学・高校生がハーバーにいました。シニアヨットクラブは私しかいません。ぎ装をして海へ出ました。
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 午前中は波もなく程よい風ですいすいと帆走できました。赤岡まで行けました。土佐湾の上をしきりに大型ヘリ(回転用のペラが前後2つある)が上空を飛んでいました。今日は高知新港で高知県庁主催の防災訓練があるとか。(われわれ下々の自主防災会なんぞは関係ないらしい。県民は不在ですが、自衛隊や米軍も参加したそうです。)
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 日差しがあれば暑いので、夏仕様の服装に。ブラジル代表Tシャツ(安部卓彦さんにいただきました)に短パンです。氷結したポカリをがぶ飲みしながら帆走しました。
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 15艇海へ出ると爽快ですね。11時半には一度上がり、訪でおむすびと卵焼きを購入し、海の駅クラブのデッキで食べました。ハーバーを見下ろしながらのランチもいいものです。
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  午後からも海へ出ました。しかし曇って来て風が出ました。ハイクアウトして帆走するので海の写真はありません。波も出てきてローリングしました。午前・午後で今日は4時間ぐらい海の上にいました。太陽と海からエネルギーをいただきました。
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 6月は梅雨なので今回のセーリングは貴重です。

 帰り際に道の駅やすへ寄りました。駅長の山本宏幸さんとおっさん2人の2ショット写真を撮りました。
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二葉町町内会消毒作業をしました


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 梅雨の晴れ間の6月7日(日曜)は、午前6時に下知コミュニティ・センター前に集合し、6台の噴霧器で町内を手分けして消毒します。わたしは後をついての助手とゴミ拾いです。結構町内回ればゴミも落ちています。
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 今日は最高のお天気ですね。廻ればやはりゴミも落ちています。7月と8月の第1の日曜日は消毒作業をするそうです。15人の参加者がありました。早朝から一汗掻きました。
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次回の消毒日は7月5日。消毒終了後は下知コミュニティ・センターを会場に。、今治市の自主防災会連合会と防災士会の皆さんとの合同炊き出し訓練と、意見交換会を行う予定です。

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下知連携協議会27年度総会・懇親会


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 高知市の下知地域の広域連携コミュニティ組織である下知地域内連係協議会の27年度総会・懇親会が、2015年6月5日午後6時半から、高知プりンス・ホテルで開催されました。
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 まず総会ですが、国見俊介会長が挨拶しました。来賓代表で高知市地域コミュニティ推進課藤原わか係長がスピーチしました。そして平成26年度事業報告と、決算報告がされました。
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 昨年度は結成総会を10月8日に執り行い、11月3日に地域内連係協議会主催で「昭和秋の感謝祭」が行われました。1000人近くの住民が参加いただきました。3月には映画「燦燦(さんさん)」が上映され、雨の中多くの住民が参加いただきました。

 27年度の事業計画も予算案もおおむね昨年度と同じです。審議の結果、承認されました。また役員人事では、副会長に高木妙さん{高知市議)が選出され承認されました。
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 総会は無事に終了し、引き継いて懇親会へ入りました。立場も年齢も異なる参加者が皆よく話し、議論をし、懇親されていました。こういう姿が地域のコミュニティの証です。
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 懇親会は散々各自議論をし、午後10時前に散会しました。

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2015.06.06

6月最初の父のリハビリ・ゴルフ

 梅雨にお晴れ間となった高知市です。湿度こそ高いものの、今朝の大橋通りラビータの温度計表示は21度。先週はスタートが1時間遅かった(五台山散歩にて)でしたが、26度もありましたから、今日は快適な気候ですね。
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 父(95歳)は、自己流の体操を入念に行い、OS-1(経口補水液)をがぶ飲みします。そしてゴルフボールを1発1発打ちます。
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 10数発打てば休憩し、水分補給して打ちます。1時間ほどで125発を打ちました。終わった後の階段昇降も息切れすることなく、元気です。
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 晴れて風も出て絶好のセーリング日和です。しかし回復度は80%程度なので、こういう時は海の遊びはしてはいけません。例え風が弱くても120%の体力の余裕がないとやってはいけないのですから。

 課題図書の「被災弱者」(岡田広行・著・岩波新書)を読んでいました。

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石井弘利さんの想いを継承します。

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 2015年6月2日にご逝去されました神戸市長田区鷹取東地区の石井弘利さん。1995年1月17日の阪神大震災以来、鷹取東地区の地域コミュニティの再建に尽力されました。

 私たちは石井弘利さんの想いを継承し、高知市の市も地域の街づくりをしていくことを、ライフワークにします。

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2015.06.05

石井弘利さんのご逝去を悼む


 神戸市長田区鷹取東地区で、阪神大震災以降、地域の住民主体の松づくりや住民本位の復興・復旧の先頭に立たれておられた石井弘利さんが、ご逝去されました。心よりお悔やみ申し上げます。

 想えば2008年8月24日の事前調査、10月5日の二葉町自主防災会メンバーと鷹取地区住民との意見交換会で、石井さんにはお世話になりました。
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「行政側を全面的にあてにしたらとんでもないことになる。住民で団結して行政と交渉しないと。そのためには住民同士の助け合いと連携がなにより大事です。」

「震災後の区画整理で住民は平均9%減歩されている。地元住民側として地蔵盆をやる場所を要求した。」

「全国からの震災義捐金を神戸市は半分しか住民に交付していない。住民側には1世帯15万程度しか支給されていない。震災後10年間ちびちび交付し、残り半分は一般会計に神戸市は繰り入れた。だから行政は常に住民が厳しく監視しないといけない。」

http://futaba-t.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_2076.html

神戸市長田鷹取地域を事前訪問しました

 「わしらはまさか神戸に地震が来るなど思ったことはなかった。だから軍手1つ持っていなかった。地震の後は3日間というもの救援物資も来なかった。本当に着の身着のまま放り出されたようだった。」
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http://futaba-t.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-cbe7.html

http://futaba-t.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-c8a4.html

 また2013年11月8日には、高知市下知コミュニティ・センターへ講演に石井弘利さんは駆けつけていただきました。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/2-4326.html
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「高知市下知地域。海抜0メートル。すぐに水が来る。津波が来る。そのことが話題の中心になっているようですが、家の中からまず安全に避難することも皆が真剣に考えないといけないのではないでしょうか。」

「地震当日は5時46分に地震があり、6時にはもう火事になっていました。神戸市のコンピューターシステムが誤作動し、消火栓にホースをつないでも水が出ませんでした。おかげて地域は全焼。100人以上が犠牲になりました。」

「犠牲者の大半は高齢者と子供です。避難計画を立てる場合は、その高齢者と子供の安全をどう確保するのかも検討しないといけないと思います。」

「地震当時もそうでしたが、地域の中学生・高校生たちが大活躍しました。日頃から地域との交流を深めていくことは大事であると思います。」

「さて地域の再建・復興の話ですが、当初区画整理事業というもにが皆理解できませんでした。神戸市が一方的に「平均9%の減歩」を言って来ました。我々は勉強して神戸市と交渉し「上限9%の減歩」にさせました。

 とにかく区画整理事業や都市計画事業を懸命に勉強し、神戸市当局と掛け合い、国とも掛け合いをして少しでも地域の要望や要求を実現させていきました。

 当時の建設省へも乗り込み、長田の窮状を訴えました。そうすると翌日から神戸市の態度が急変しました。行政の言いなりになるのではなく、住民側も言うべきことは言うべきです。」

「行政は例外がないから出来んと言う。それもしつこく言い続けるとそれは実現する。役所と対抗するには勉強しないといけない。まちづくり協議会などの住民の広範な組織で議論して、勉強して行政側と対峙しないといけない。」
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「長田では市役所主導の再開発ビルが建ちました。家賃や管理費が高いので店舗が埋まりません。震災後住民とくに借家人が地域から多く出て行き人口も減りました。住民側の意向と市役所の再開発プランとの隔たりが大きいのです。」

石井弘利さんは、自転車販売業の傍ら、鷹取商店街振興組合理事長や、地域の連合意町内会長も歴任され、地域コミュニティの復興に尽力された人でした。

 今年1月17日に西田政雄さんのお誘いで、阪神大震災20年の追悼式に参列し、意見交換会へ参加したのが最後にお会いしたお姿でした。
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http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/cat60291529/index.html

 石井弘利さんと一緒に活動されていたチョ・ホンリさんの追悼文を掲載させていただきます。

 長田鷹取東地区の自治会長であった石井弘利氏(74歳)が昨日死去した。
阪神大震災で街が消失し、多くの犠牲者を出したこの地区で生まれ、育った石井さん。仕事は自転車屋さん。
 被災した地域をもう一度復興させ、再び元の街に甦らせるとの20年の闘いであり、いつもの口癖は「行政はなにもしない、地域住民が声をあげ提案すること」。が復興の基本であると、当時の神戸市の復興計画に対して多くの矛盾点を追及したひとであった。
 また、この地域の区画整理事業、街づくりに積極的にかかわり、地域のコミュニティの復活を強く呼びかけ、町内の人たちのきずなを取り戻す活動に終始することを生涯の目標であり、亡くなった人たちの追悼を継承させていきたいとの強い思いが、かなり厳しい病状でありながらも、約2年近く、病気と闘いながら、「阪神20年までは」。との強い思いで本年を迎えた。

 これまで地域のまちづくりとともに全国の地震被災地へ支援にも駆けつけ、阪神の被災体験を無駄にさせないとのことで、講演を行うなど積極的に「阪神の失敗をさせない」。との思いがそこにあったように思える。

 亡くなる3日前に自宅に訪問したときに、石井さんは言った。
「復旧は急いでいいが、復興は急ぎ過ぎるとよくない」。と言ったのが今も心に残る。石井さんの半生はまさに地域の復興にかけたといえる。
 20年の大きな節目を確かめて、旅立ったような思いがする。やり残したことはないでしょう大変お疲れ様でしたと言いたい。
ご冥福をお祈りいたします。

  6月3日 午後6時 通夜
  6月4日 午前10時30分 告別式
  於 長田区若松町10丁目 旭若松公会堂

 心よりご冥福をお祈り申し上げます。石井さんやチョ・ホンリさんたち長田区鷹取の人達が素晴らしいのは、自分たちが被災者であるにもかかわらず、9年後の新潟県中越地震の時には山古志村を訪問し、激励し支援をされました。16年後の東日本大震災時には、南相馬市を訪ね激励し、支援されました。

 私たち高知市の下知地域は、市民本位のまちづくり、地域コミュニティの再興に障害をかけられた石井弘利さんの意志を継承し、下知地域の事前復興プランや地区防災計画の策定をめざしていきたいと思います。

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2015.06.04

天安門事件から26年目


 1989年6月4日。天安門前に集まっていた学生たちを「暴乱」と決めつけ、戦車でで民主化の要求を押しつぶしました。当時の中国は文化大革命の大混乱を収拾し、経済重視の改革開放政策を推進し、外国資本による経済発展を目指していました。
 
  ベルリンの壁の崩壊や東欧社会主義国の崩壊やソ連邦の崩壊に続く、民主化の波は中国でも起きました。しかし当時の独裁者鄧小平は力で抑えつけました。そしてあれから26年。中国は経済大国となり、新しい帝国主義国となり、今やアメリカと覇権争いをするまでになりました。

 ベトナム戦争当時は、民族解放戦争支援の祖国を自認していた中国は、天安門事件を契機に、「赤い帝国主義国」として歩み出しました。

 国内での言論統制や政治的な自由のなさは、より酷くなっているようです。近隣国として独善的な価値観を押し付ける帝国主義国の台頭は不愉快ですね。70年前の敗戦国日本のことをあげつらいより、中国は南沙諸島や尖閣への挑発と脅しは辞めていただきたいですね。
 
 台湾と言う先進事例があります。アジアの安定のためにも中国は天安門事件を反省し、民主化をなしとげていただきたいです。

チベットや新疆ウイグル地域での残忍な弾圧。民主化活動家への監視や圧力は、到底世界2位の経済大国であり、国連安全保障常任理事国としてふさわしくありません。
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 写真は1986年5月の天安門広場。当時日本青年会議所の研修委員会にて、天津と北京を訪問しました。人民大会堂で食事会をしました。革命記念碑も行きました。今は白髪のですが、当時は黒髪でしたね。(若かった!!)

その3年後天安門広場で集会している非武装の青年・学生たちに、あろうことか人民解放軍の戦車が突入、発砲し多数の市民学生が死亡し、負傷しました。

 かつては毛沢東主義者であった私は、この事件で完全にそれが間違った思想を進行していたことを思い知らされました。40年前の1972年におきた「連合赤軍事件」も衝撃でしたが、本家の騒乱だけに衝撃はより大きなものでした。

 その後の中国は民主化を棚上げし、外資を導入し経済発展に明け暮れました。1部の人たちは豊かになりましたが、多数の人民大衆は必ずしもそうではないようです。北京五輪(2008年)と上海万博(2010年)で経済成長に弾みをつけましたが、いまやそのカーブも落ち着いてきました。

 自国の矛盾を対外的緊張を煽り、排外主義という帝国主義政策をとりだした中国。南沙諸島や尖閣で露骨な挑発行為繰り返しています。今後中国は民主化されることがあるのでしょうか?

 ようやく最近文化大革命の関係者が口を開き始めました。でも未だに天安門事件は、中国国内では、現在進行形なのですね。

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2015.06.03

坂本事務所前交差点の注意表示


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 高知市二葉町にある坂本茂雄さんの事務所前は交通事故多発地帯。交通量の多い国道32号線のすぐ南側にあり並行していて信号がありません。西端は国道56号線に連結しています、

 二葉町他住民各位には生活道路。近くの昭和小学校への通学路でもあります。そこへ「抜け道」としか考えない身勝手なドラーバーが交差点で徐行しないので、衝突事故が多発。坂本茂雄さんの事務所には昨年2回も車がぶつかりました。
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 年度末に横断歩道が道路に表示されました。そして今度は「とまれ」の表示が、よりくっきり大きく道路に書かれていました。200M先の交差点にも同様に道路表示がされています。
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 これで少しは交通事故の抑止効果になると思います。

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2015.06.02

クロネコヤマト自転車部隊 エコとは言いますが・・・

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商店街では良く見かけますが、うちの事務所の前では初めて見かけました。クロネコヤマト自転車隊のようです。年度末で取扱い荷物が多く、トラックがたりなくなっているのかもしれません。

 42年前東京の学校へ行くときは、宅配便などなく物凄く不便でした。クロネコヤマトが時代を切り開きました。

「親書がいかん」とかいってクロネコメール便が政府の圧力で廃止されるのは残念です。「規制緩和して自由競争で経済活性化」を政府はするのではないのか?特定企業の権益を守ることは国民のためにはなりません。

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2015.06.01

3回目の五台山散策をしました

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 2015年5月31日は、心配していた雨が上がっていました。毎日五台山散策をしている若松町自主防災会の横田政道さん、一緒に散策するのは2回目の丸池町自主防災会の吉本豊道さん、今日が防災散策は初めての高知市議会議員の高木妙さんと4人で散策をしました。
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 まずは、伊達兵部の墓の案内から歩道を上がり、湧水の独鈷水(どっこすい)を辿りながら4人で散策しました。解説は「五台山・ナビゲーター」に既になっている横田政道さんです。
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 横田さんによれば、五台山の自動車道路の登り口付近や、吸江寺付近の山間の歩道などは災害時に土砂崩れが起きる確率が高い道が多くあるとのことでした。高知市の土砂崩れMAPを参考にされておられます。
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 たけのこや、季節の山菜、例えばフキなども道端に生えております。野草の知識があれば、食料の確保の手助けになるでしょう。湧水と山菜が豊富であることを改めて思いました。
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 また高木妙さんも感心しておられましたが、五台山は山ですが、平らな土地、なだらかな傾斜地も多くあることでした。横田政道さんの構想では、「五台山は2次避難所として低地の下知。高須、五台山地区の住民の二次避難場所になる。湧水と山菜が豊富。敗戦直後には畑もあったに聞きます。各近隣町内ごとに借地し、野菜などを植えてもよいのではないでしょうか。」
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「季節の花々もたくさんあり、四季の変化が楽しめ、避難生活が長期化しても、ストレスはたまらない。人工的な空間の避難所より、人間的な避難生活が出来るでしょうから。」
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 頂上の展望台からの見晴らしは素晴らしい。津波の状況や、下知や潮江や高須の被害状況が確認できます。五台山に災害対策本部や、災害支援本部をこしらえるべきであると思いますね。牧野植物園の駐車場は、そのままヘリポートにもなるでしょう。
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 頂上の1階部分は、避難してきた下知や高須や五台山の各町内の代表が議論する「会議室」になるでしょう。
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 また下へ下った通称「鹿の段」(その昔は鹿を飼育し,ミニ動物園になっていました。20数年年ほど前に口蹄疫で鹿は全滅しました。以後こちらは活用されていません。
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 高知県土木事務所の管理事務所跡と倉庫(荒れている)と、公衆トイレ、駐車場と公衆電話もあります。横田政道さんは、こちらをキャンプ場のようにし、飯盒炊爨ができるような設備を施設管理者(県)が整備すればいいのではないか。
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 荒れている高知土木事務所管理地に、下知の各自主防災会の防災備品や非常用食品を在庫する置き場を整備いただきたいものです。そしたらテントやブルーシート,蚊やや、非常用食料や、鍋釜などを在庫します。
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 水没する市街地に隣接して五台山がある地理的条件を、最大限に活用して、下知地域住民の復興・復旧を促進するために五台山の有効活用が今後求められます。
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 高木妙さんは、「五台山の管理している窓口はどこなのか。政策課題を持ち込んで相談する行政の窓口探しからやりましょう。」と言われました。なかなか有意義な五台山散策となりました。
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