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2015.06.04

天安門事件から26年目


 1989年6月4日。天安門前に集まっていた学生たちを「暴乱」と決めつけ、戦車でで民主化の要求を押しつぶしました。当時の中国は文化大革命の大混乱を収拾し、経済重視の改革開放政策を推進し、外国資本による経済発展を目指していました。
 
  ベルリンの壁の崩壊や東欧社会主義国の崩壊やソ連邦の崩壊に続く、民主化の波は中国でも起きました。しかし当時の独裁者鄧小平は力で抑えつけました。そしてあれから26年。中国は経済大国となり、新しい帝国主義国となり、今やアメリカと覇権争いをするまでになりました。

 ベトナム戦争当時は、民族解放戦争支援の祖国を自認していた中国は、天安門事件を契機に、「赤い帝国主義国」として歩み出しました。

 国内での言論統制や政治的な自由のなさは、より酷くなっているようです。近隣国として独善的な価値観を押し付ける帝国主義国の台頭は不愉快ですね。70年前の敗戦国日本のことをあげつらいより、中国は南沙諸島や尖閣への挑発と脅しは辞めていただきたいですね。
 
 台湾と言う先進事例があります。アジアの安定のためにも中国は天安門事件を反省し、民主化をなしとげていただきたいです。

チベットや新疆ウイグル地域での残忍な弾圧。民主化活動家への監視や圧力は、到底世界2位の経済大国であり、国連安全保障常任理事国としてふさわしくありません。
Tenanmon

 写真は1986年5月の天安門広場。当時日本青年会議所の研修委員会にて、天津と北京を訪問しました。人民大会堂で食事会をしました。革命記念碑も行きました。今は白髪のですが、当時は黒髪でしたね。(若かった!!)

その3年後天安門広場で集会している非武装の青年・学生たちに、あろうことか人民解放軍の戦車が突入、発砲し多数の市民学生が死亡し、負傷しました。

 かつては毛沢東主義者であった私は、この事件で完全にそれが間違った思想を進行していたことを思い知らされました。40年前の1972年におきた「連合赤軍事件」も衝撃でしたが、本家の騒乱だけに衝撃はより大きなものでした。

 その後の中国は民主化を棚上げし、外資を導入し経済発展に明け暮れました。1部の人たちは豊かになりましたが、多数の人民大衆は必ずしもそうではないようです。北京五輪(2008年)と上海万博(2010年)で経済成長に弾みをつけましたが、いまやそのカーブも落ち着いてきました。

 自国の矛盾を対外的緊張を煽り、排外主義という帝国主義政策をとりだした中国。南沙諸島や尖閣で露骨な挑発行為繰り返しています。今後中国は民主化されることがあるのでしょうか?

 ようやく最近文化大革命の関係者が口を開き始めました。でも未だに天安門事件は、中国国内では、現在進行形なのですね。

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