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2015年7月

2015.07.31

暑い中母(89歳)は頑張りました

 暑い中のはりまや橋サロン
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 今日も猛暑の高知市。暑い中母(89歳)を連れて、はりまや橋商店街へ行きました。まずは魚の棚商店街コロッケ屋ひろっちゃんで夕飯用のコロッケを購入しました。
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 次に谷ひろ子さんのお店で、焼き菓子とケーキを買いました。
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 猛暑で参加者は少ないと思っていた活き活き100歳体操(介護予防体操)ですが、20人も参加者がいました。皆さん頑張っておりました。
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ふくねこへ行きました。

 母(89歳)が、活き活き100歳体操(介護予防体操)をしている合間に、電車道を渡って行きました。
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 久しぶりに京町商店街にあるタウンモビリティ・ステーションふくねこへ行きました。店頭販売されているお菓子を購入しました。
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 笹岡さんや前田さん、仙頭さんにお会いしました。なにかと雑用がありましたので、ゆっくりできませんでした。


 美容室で母もすっきりしました。
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 はりまや橋商店街から戻ると、母を連れてご近所の美容室であるシンボル美容室へ行きました。しばらくカットもしていませんので、山姥のようになっていました。
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 カットしていただきましたので、すっきりしたようです。頭が大きくと髪の毛も多い人なので、美容室へはさいさい(時々)来ないと行けないですね。
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5日目のラジオ体操


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 今日で10日間限定の高知市青柳公園でのラジオ体操は、中日(なかび)で、折り返し点です。朝の6時半前は涼しいのですが、昨日の高知市は日中は36度、うちの事務所でも33度もありました。今朝は既に30度あります。
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 自宅からの前の道路のゴミ拾いをしながら青柳公園へ向かいます。結構ゴミはあるものです。以下に馬鹿どもが多いかということですね。

今朝のラジオ体操の参加者は21人でした。毎日来られる子供たちもおれば、途切れ途切れに参加する大人の皆さんもおられます。自由参加ですから。
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 今日も晴天で暑そうです。朝は父(96歳)を連れて植田医院へ付き添いに行きます。昼食後は母(89歳)を連れてはりまや橋商店街へ行きます。

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東北被災地ツアー(3日目)

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3日目は東松島の宿舎を出て、石巻市にある石ノ森章太郎漫画館へ行きました。北上川の中州にありました。震災時は館の1階には津波が押し寄せたそうです。幸い石ノ森章太郎氏の原画や貴重な資料は2階や3階に保管されていたので無事でした。(石ノ森漫画館は2001年に開所)。

漫画館のなかは親父世代には懐かしい石ノ森ワールドのキャラクターたちで溢れていました。
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 本郷由華さん(まちづくりまんぼう)に震災当時のお話を聞くことが出来ました。
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「地震当時は開館中でした。津波は押し寄せて来ましたので、来館者も含め2階部へ避難しました。一段落して、皆が無事に脱出することができました。」
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「水が引きますと1階部はヘドロに覆われていました。当時は諸般事情で職員は3月末で一旦解雇されました。でもボランティアで館の片付けに皆来ていました。」

「石ノ森章太郎さんは石巻市出身(正確には宮城県登米郡石森町出身)の漫画家です。街のシンボルとして中心街の道路には多くのキャラクターが置いてあります。漫画館を早く復興させることが石巻市の復興になるという想いで、皆頑張ったと思います。」

「石ノ森章太郎さんゆかりの漫画家や編集者の方もご支援をしていただきました。そして復興し、多くの来館者が来ていただきようになりました。」
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 懐かしいキャラクターが館内には満ち溢れています。
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 旅行団全員の集合写真を撮影していただきました。
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 また本郷さんお奨めで、最近できた石巻市の復興まちづくり交流館を訪ねました。最近できたそうです。
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 そこでは2人の女性たちが「語り部」として震災当時の様子や今後の石巻市の復興のありかたについて模型や、画像を見ながら解説いただきました。
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 東北3県で突出して石巻市が甚大な被害が出ていることが理解できました。
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 石巻市中心市街地も復興・復旧の途上です。
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 石巻市の復興・復旧計画の資料もいただきました。
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 石巻市の市街地をバスで走行し、女川町へ向かいました。
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女川町へ入りました。高台にある女川町立病院駐車場から市街地をを見下ろします。津波は街区を総なめにし、病院駐車場までせり上がりました。多くの人達が亡くなられたそうです。
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 女川町では街区のかさ上げ工事が延々とされています。15M嵩上げされるとか。いつまで工事は続くのでしょうか?その後街路整備やインフラ整備をして、住民が家屋を建築するのは何年先になるのでしょうか?
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 女川から雄勝にかけての海岸線は美しい。訪問当日(2015年6月22日)は晴天でしたので、特にそう思いました。
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 雄勝へ着いて、昼ごはんは海鮮丼を食べました。その場所で土佐ノ森救援隊の人に会いました。偶然もあるものです。昼食後阿部晃成さんとお話しすることが出来ました。雄勝町の未来を考える会事務局という名刺をいただきました。
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 雄勝の津波は勢いがあり高かったようです。河北新報の当時の写真です。
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 津波は何もかにも流してしまいました。
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  阿部晃成さんのお話を聞きました。

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「雄勝は津波が高く押し寄せて来ました。自分達は高台の親戚の家に逃げましたが。家ごと津波に流され、雄勝湾へ流されました。偶然空船に乗り換え、奇跡的に助かりました。」

「電気商を父の代から営んでいました。雄勝復興協議会のなかにも入っていました。しかし高台移転ありき。の方針はおかしいのでは、と意見を言いますと、メンバーから外されてしましました。以後地元紙の河北新報も私の意見を取り上げてくれません。」

 「海に面した雄勝の中心地の再生は復興の議論の中では認められられませんでした。高台移転もいいですが、現地での再建も認めていただきたかったのです。」

「高台移転しかないという意見になっていて、異論を言うことが出来ない状態です。かつての街の中心は「災害危険区域」に指定され、住宅は建設できなくなりました。近くの山を造成して高台を整地し、そこへ住宅を建てる。
 
 600世帯あった雄勝の集落で、高台移転を希望したのは当初は200世帯でしたが、議論しているうちに150世帯に減りました。負の連鎖になり、もっと減るかもしれません。公費をつぎ込むのですから、もっと慎重な議論が必要であると思います。」
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 お話を聞いていまして感じたのは「平成の大合併」で、雄勝町は石巻市と合併しました。その弊害が出ていると思いました。雄勝町単独の復旧・復興計画であれば、元の市街地も考慮したものになっていたのではないかと思いました。住民各位の合意形成が現在の計画で本当に出来ていたかどうかは正直わかりません。

 結果として時間が経過すればするほど、高台造成地に住もうという人は減少して行きます。莫大な税金を費やして、住む人が少ない集落ができてしまします。住民と市役所がどうして協働できなかったのか。何で行き違ってしまったのか。話を聞いていて身につまされました。

 続いて雄勝診療所の河瀬総一郎(歯学博士)さんとスタッフの方にお会いしました。曳家の岡本直也さんのご紹介でした。
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  河瀬総一郎さんの紹介のWEB情報

 https://bosaijapan.jp/people/%E6%B2%B3%E7%80%AC%E8%81%A1%E4%B8%80%E6%9C%97%EF%BC%88%E3%81%8B%E3%82%8F%E3%81%9B%E3%83%BB%E3%81%9D%E3%81%86%E3%81%84%E3%81%A1%E3%82%8D%E3%81%86%EF%BC%89/

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「震災関連死で高齢者の亡くなった方が多い原因の1つに震災後十分に歯の治療や入歯の手入れが出来ないところへ、おにぎりやコンビニ弁当、牛乳+パンなど高齢者にとって苦手な食事ばかりしばらく継続したことも一因です。炭水化物過多で、ビタミン不足になっていました。
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 誤飲して嚥下障害を起こし、肺炎になる人も多かったようです。多くの方が震災後に亡くなりました。障害者の方も抵抗力がなく、歯の治療も震災後なかなかできず困っておられていました。社会的弱者を災害弱者にしないことです。横のつながりを持っていくことから始めました。」
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「往診もするようにしました。自分で診療所に来ることが難しい、障害者や高齢者宅を訪問し、口腔ケアを実行して行きました。」
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「1人で孤立することなく地域の人同士が見守り声掛けをすることが大事です。雄勝地区の集会所機能を持たせるために、ここでは子育て支援事業も保健師さん協力で実施しています。」

 「私の災害時対応ハンドブック」もご紹介いただきました。

http://www.miyagi-nanbyou.jp/handbook.html

 宮城県神経難病医療連携センターと宮城県では、東日本大震災の体験から普段の療養から自助力を高めて災害にも対応できるようなハンドブックを作成されています。

 また「ハードバッチ」も紹介されました。「外見では、障害が在るかどうか分りにくい児童に対して、災害時をはじめとする困惑した場面で手を差し伸べてほしい」という想いでつくられました。宮城県立古川支援学級のPTAが中心になり2008年から開始された取り組みで、東日本大震災の経験により各支援学級でも取り入れるようになっている。」(河瀬総一郎さんに頂いた資料「災害時の歯科保健医療対策」より引用)

 また特定非営利活動法人まち・コミュニケーション代表理事の宮定章さんにもお会いしました。


 その後岡本直也さんが土台部分を修復し、元桑浜小学校跡を再生して宿泊・体験施設にし、山と海の体験ができる施設になったモリウミアス」を訪ねました。そちらで理事の油井元太郎さんに会いました。
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「都会の子供たちに山の体験、海での体験をしていただきます。」と言われました。施設はほぼ完成されています。今年の夏休みから活動されるようです。

 その後北上川沿いにある大川小学校跡へ行きました。バスを降りて歩きますと、低地にあることに驚きました。そしてすぐ目の前に山がありました。なぜ山へ逃げず校庭で整列している間に津波に流されたのか。
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 慰霊碑がつくられていました。大川小学校の海抜の低さには驚きました。

 その後一路仙台市へ向いました。ホテルでチェックインしてから、市内の飲食店へ繰り出しました。そこへ昨年9月にNHK仙台放送局での収録でお世話になりました塚原奏介さんと津田喜章さんにみんなでお会いし、情報交換し懇親を深めました。
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 昨年のNHK仙台放送局の全国放送のラジオ番組「いま災害を生き抜くためのことば」に出演させていただいていました。
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http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-27c3.html

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2015.07.30

ラジオ体操4日目


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 3日坊主なら昨日でお終いか?朝は涼しいので青柳公園でのラジオ体操に参加しています。4日連続です。
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 ラジオ体操は結構考えられていて、適度な運動になり、柔軟性も要求されますね。ラジオに合わせてやれば気分も変わります。いいことですね。
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 そのうちラジオ収録に来るぐらいの人達が参加すればいいんですか・・。

今日の青柳公園ラジオ体操は25人の参加者でした。坂本茂雄さんが「ラジオ体操の歌」をコピーしてくれました。「新しい朝が来た。希望の朝だ。・・・」で始まる歌です。
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 今日の高知市も猛暑の予定ですが、乗り切りましょう。

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東北被災地交流ツアー(2日目)

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2日目は東松島市の宿舎よりチャーターバスで、直接石巻市流留字二番囲いにある一般社団法人チーム王冠の事務所を訪問いたしました。そこで「被災弱者」(岩波新書)の著者である岡田広行氏に会いました。

「被災弱者」を読んで  http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-e94c.html

 チーム王冠のスタッフである清水昭良(住宅担当)や、大野さんにもお会いしました。そこで在宅被災者の一人である阿部悦子さんに被災当時の話を聞くことが出来ました。

 チーム王冠ホームページ  http://team-ohkan.net/

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 「勤務先は女川町。自宅は(チーム王冠事務所の近所)でした。津波は女川では地震発生後13分で襲来。石巻市では40分後に来ました。家族は全員無事でした。

 子供たちは自宅近くの避難所へ行きましたが、大勢の人たちが既に来られていて、入ることが出来なくて、自宅の2階で在宅避難生活を始めました。」

 「石巻市は水産加工業が盛ん。冷凍食材なども流れてきたので皆で食べました。笹かまのメーカーさんも被災者に笹かまを差し入れに来てくれたりしました。」

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(再建された石巻港付近の水産加工会社)
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(震災直後の石巻市中心街。浸水しています。河北新報写真集より)


「石巻市の自宅で水道が出たのは5月末。電気は月になったからでした。お風呂は2か月入っていませんでした。」

「自宅から避難所へ通ったわけですが、支援物資が届き始めても配布の方法が適当で、列に並んでいても後ろの人には配給が渡らないこともありました。

 トイレットペーパーなどは袋から出して1人1個にしました。3個ひとまとめの缶詰もバラして1人1個にしました。みんな大変ですからそうすることで、物資が行き渡るようになりました。」

 阿部悦子さんは、リーダーシップがあり、在宅避難者として地域のために交渉したりされたとか。当初市の指定した避難所には支援物資が山積みされるようになっても、在宅被災者には情報が届きませんでした。そこを支援して被災者と行政を繋ぎ役目をされたのが、「チーム王冠」でした。

 震災後の対応でも、避難所ー応急仮設住宅入居者と、在宅被災者では大きな支援物資の配給でも差があったそうです。例えば日赤が応急仮設住宅入居者には「家電6点セット」を無償で提供したそうです。テレビや冷蔵庫や洗濯機・電子レンジなどです。

 在宅避難者にはその恩恵はなかったとのことでした。

 チーム王冠の大野さんや伊藤さんに聞きますと、指定避難所―応急仮設住宅の「お役所指定ルート」から外れている、多くの在宅被災者や、「みなし仮設住宅」として民間賃貸住宅に居住した被災者にはなかな市役所からの情報が伝達されなかったようです。

 また阿部悦子さんは「全国各地から被災地の支援に役所の人達やボランティアの人達や学生たちが来てくれます。その場合被災者は何をどう支援してほしいか、はっきり言うことが大事です。」と言われました。まさに「受援力」(支援を受ける力)のことでした。

 地域の事情を正確に伝え、地域の再建のマンパワーになっていただくことが出来れば、結果として地域の再建もより速くなると言うものです。そのためには被災者の中から「動ける住民」が必要であるということです。

 教訓は「受援力」を日頃から意識し、まとめることと、在宅避難者の実態を地域が把握し、正確に市役所に伝えることです。全国から来られるボランティアが地域で何してわからずに、右往左往するのではなく、きちんと被災地域住民が指示する必要性も言われました。

 この場には東京から阿達雅志参議院議員(自民党)も駆けつけていました。支援の手が薄かった在宅被災者の調査に来たとの事。現役時代に被災者支援活動をされていた武内則男さん(元参議院議員・民主党)とも、党派を超えた情報交換をされていました。

 石巻市が甚大な被害を受けたこと。市役所の職員も多く亡くなったことなども、想像以上に被災者が苦労された原因の1つであることがわかりました。

 阿部悦子さんは、支援に来られた女子学生が「こちらは地域の繋がりがあるからいいんですが、東京で地震が起きたら何をしていいかわからない。」と言いますと、阿部う悦子さんは「そんな時は大きな声で、私お手伝いします!と言いなさい。大変な時は皆を元気付けないと駄目。若い人は若い人の役目があるのだから。」

 次にチーム王冠さんに連れて行っていただいたのは石巻市渡波・家の前地区。震災後地盤が沈下し、満潮時に自宅が浸水すると言う長期浸水地域になっていたところでした。チーム王冠の大野さんと、岡田さんの案内で行きました。小松和子さんと言う女性に会いました。
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「自宅は当初一部損壊との認定でした。これではわずかな見舞金しかいただけない。家の修繕は出来ません。チーム王冠の皆さんのご支援もあり、石巻市役所に何度も掛け合い半壊あつかいにしていただきました。」

「地域の繋がりも震災後崩壊。チーム王冠さんの「お茶っこバス」は大変良かったのですが、廃止になり、以後地域の繋がりはありません」と寂しく言われていました。

 お茶っこバス 自宅避難の被災者住民の交流場所として、チーム王冠がバスを借り上げ、石巻市からの委託事業として3年やっていましたが、最近委託が打ち切られたそうです。
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 お話を聞くと、避難している間に家屋損壊の認定をされたのではないかとのこと。外観調査だけではわからないところもあります。ましてこの地域は、地震後地盤が沈下し、満潮時には海水による浸水もあり、水はけも悪いので、家の鉄骨部位には腐食が進行しているようでした。

 観察すると他にも傾いた家屋がありました。修繕できないまま、他所へ行かれた人もあるようです。地域コミュニティが弱ると、災害復旧もなかなかできないという深刻な事例には、衝撃を受けました。

チーム王冠の皆様に、津波跡が残る地域と海岸を案内いただきました。かつて人家が密集していた住宅街は跡形もない状態には、息を呑まれました。
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 大街道地区の行方璋房さんの自宅も震災当時は2階の出窓まで津波で浸水しました。県道の拡張工事の予定地になりましたが、一向に工事が始まらないようです。買収になれば、その資金で別の場所に家屋を建設する予定ですが、一向に進展しません。
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 それで自力で自宅を応急処理して住んでいます。壁や天井は、避難所にあった厚めの段ボールで覆っています。断熱材も入っていないので、冬場は寒いようです。
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 災害支援の支援金を1度使用しますと、2度目が使えないという制度の制約があります。家の建て替え資金に使えないのです。ですので自力修繕して自宅に住んでいます。

 震災当時は石巻専修大学の避難所や仮設住宅にもおられましたが、場所が遠いので自宅を自力で修繕し住んでいるそうです。なんとかならないものかと思いました。周りも空き家が多いです。
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 海沿いの日本製紙石巻工場も震災当時津波で大きな被害を出しましたが、現在では復旧していました。
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 地域コミュニティの力で集団移転を成し遂げました。(東松島市)

 東松島市の大野哲郎さん。防災集団移転事業で、罹災した立沼地区から,矢木西地区へ地域ごと移転されていました。既に移転は大半は終了。大野さんの自宅も再建されていました。
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’震災直後の東松島市大曲地区。河北新報写真集より)

「ローンは息子との親子ローンで大変は大変。でも皆が安心して眠れるようになった安心感には代えがたい。なによりです。」とのことでした。
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 仕事の方も農業法人を仲間と組織し、補助を受けトマト栽培のハウスも建設していました。仕事も家屋も再建されています。
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 何よりも地域のまとめ役としての大野さんの指導力と仲間との信頼関係があり、東松島市役所との協働で、集団移転事業を仕上げたことが素晴らしいです。つくづく地域コミュニティの大事さを話しを聞いて思いました。

 話を伺いますと立沼地区へも過去に航空自衛隊松島基地の拡張などで、集団移転された経験も地域にあったそうです。それゆえ集団移転事業に対してノウハウが蓄積されたいたことも順調な集団移転に繋がったのでしょう。

 かさ上げや土地区画整理事業をされているところは、未だに底地が工事中。そのなかで既に家屋も新築されている東松島市の集団移転事業スピードは凄いと思いました。

 また大野哲郎さんに、東松島市の運動公園(かつて宮城国体でソフトボール球場として整備された)に、大規模な防災倉庫の存在には腰を抜かしました。東松島市の人口46000人の3日分の食料備蓄されています。高知市には全くありません。
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 高知市街地の低地に居住する15万人の高知市民に対する高知市役所の救援・支援体制は東松島市に比べとても貧弱でした。
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2015.07.29

無事に退院しました。


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 2015年7月29日に父(96歳)は、無事に白内障の手術を終え、2日半の入院生活で無事に退院できました。
 今朝8時過ぎに病室へ行きました。寝間着から「病院へ行く服」に既に着替えておりました。目が見えるらしく週刊現代の今週号も見ていました。
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 退院前の最後の視力検査と橋田先生の診察も受けました。
「手術前0・02の左目の視力が、今日現在で0.6まで回復しています。部屋の中での介護予防通所リハビリは構いませんが、屋外でのゴルフの打ち放し場での練習は、今週は控え、来週以降にしてください。」とのことでした。
 食事も(減タンパク食)でしたが、すべて完食していたようです。元気で退院しました。
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 帰りに植田医院により植田一穂先生の診察を受けました。
「元気で何よりでした。入院前の町田病院での血液検査で、クレアチリン値が2・62と高い値でした。その後入院直前のうちでの血液検査は2・11でしたから誤差もあるでしょう。
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 意外に水分補給が慢性腎不全でも必要であることが知られていません。今後も縫い分補給は万全にお願いします。」とのことでした。今日の高知市の最高気温は35度とか。暑さでうだっております。

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外壁塗装も本格化


 打ち放しコンクリート面の塗装と、サイディングボードの防錆塗装(カーボマスチック15)の塗装が、炎天下本格的におこなわれていました。

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ラジオ体操3日目

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高知市青柳公園でのラジオ体操3日目。少し参加者が増えて25人となりました。
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散歩したり、犬を連れている人などもおられるのでもっと参加者が増えればいいのにと思う。

「昔の小学生」も眠そうな顔の人や、「わしは5時からおきちょった」と年寄りぶりを自慢する人有で賑やかでした。明日も明後日も青柳公園で開催されます

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東北被災地交流ツアー(1日目)

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 2015年6月20日(土曜日)から23日(火曜日)にかけて、高知市から防災関係の有志8人が「東北被災地に学ぶ交流の旅」に参加しました。
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 高知空港―大阪空港(伊丹)経由―仙台空港。仙台空港からは地元松山観光バスをチャーター。運転手の佐藤さんも石巻市で津波で自宅が被災されたそうです。
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 仙台空港から一路石巻市役所へ。元地元百貨店跡が市庁舎。その前で石巻市市議会議員の千葉真良さんと、今野清喜湊東地区まちづくり協議会代表世話人の2人がバスに乗車。石巻市の高台である日和山へ向かいました。
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 確かに日和山からは石巻市の海岸部近くの市街地が一望できます。
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「みんな津波が来るとは思っていなかったんです。1年前のチリ地震津波は、3Mの予報が出て大津波警報まで出ましたが、大したことはありませんでした。今回も最初に3Mの予報が出ました。ほとんどの人達は大したことはないと思い。逃げませんでした。」と今野清喜さんは説明していただきました。

 確かに海岸部の堤防は低い。でも日和山という高台があり、津波が襲ってくる前に時間がありましたので、みんなが日和山に登れば、みんな助かった可能性はとても高かったと言えます。しかしそうしない人も多くいたそうです。

 海側と反対側は、北上川が流れています。津波は遡上してきて市街地を襲いました。千葉さんと今野さんは湊東地区でご近所とか。東日本大震災当時、千葉さんは石巻市市議会の真っ最中。市役所やその前の石巻駅も津波の侵入で水没。水が引くまで1週間近く市役所に籠城が強いられたと聞きました。石巻駅北側の街区は津波の勢いは弱く、1階部分に津波は来ましたが、家が流されることはなかったそうです。
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 湊東地区の自宅に今野さんは、地震当日は休暇を取られいたそうです。当時町内会長もされていたので、ご近所の人達に声掛けして避難行動をされました。近くの蛍(ほたる)いう葬祭会館にみんなで駆け上がり助かりました。
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 日和山から下りて、門脇小学校前へ来ました。震災当時流れてきた車に火引火して津波火災になり、校舎が火に包まれました。幸い生徒たちは、裏の日和山に逃げ無事であると聞きました。
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 現在「震災遺跡」にするかどうかで石巻市で議論をされているようです。賛否両論あるそうです。遺族は撤去してほしいと言うそうです。でも何もなくなれば震災の事が忘れるれるので残すべきであると言う意見も根強くあるそうです。
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 千葉さんは「広島の原爆ドームだって保存が決まったのは、被ばく20年後でした。この施設も大川小学校もそうでしょうが、1世代(30年)ぐらい経過してからどうするのか決めるべきでしょう。」と言われました。

 こちらの門脇地区は門脇小学校跡から50M先に高台道路が建設中。その道路から先の広大な区域は危険地区になり住居は建てられません。防災公園や震災記念公園にする構想もあるそうです。
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 高台道路から日和山までの区画は住居地として整備されるようです。
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 確かに私も「震災20年慰霊祭」に神戸市長田区鷹取東地区へ行きました。全く震災の痕跡はありませんでした。当時の事は写真で知るしかありません。長田駅前の高層マンション群や、建て替えられた3階建ての住宅街を歩いてみても、20年前に大震災があり、壊滅的な被害を受け、火事で焼失した地域である名残は全くありませんでした。

 http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/cat60291529/index.html(神戸市長田区鷹取東地区との交流)


 湊東地区の現状と当時の様子、こらからの地域の再建のための土地区画整理事業について説明を受けました。

 バスは湊中学前で降りました。「当時デイサービスのバスも3台ぐらい止まっていました。津波が来ても、車椅子では階段が登れない。それで多くの高齢者の人達はお亡くなりになりました。
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 隣に湊第2小学校があります。こちらは湊小学校に震災後統合されました。今野さんは、運動場を人工芝で覆いサッカーグランドにしたいとの構想をもっています。
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 また今野さんから避難所開設の折、葬祭会館でしたので、葬儀の参列者名簿が避難者名簿になったこと。」とっさでしたので、段ボールなどに必要事項を書いたとも言われていました。
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 湊東地区の土地区画整理事業の概要も聞きました。「家を失った方には、自力再建する人、できない人、転居される人がおられます。また危険地区に指定されれば、土地は行政が買い上げてくれるようになるが、住居はそこでは建てられない。
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 湊東地区では、土地を売りたい人から市が購入。そのことで減歩率を低めにすることが出来ました。嵩上げをせずに区画整理事業をするので、完成は早くなるとのことでした。
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 石巻市市役所の会議室へ移動し、意見交換をしました。
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 千葉さんは「震災後3か月間石巻市役所で寝泊まりしました。駅の北側は浸水していましたが、津波の勢いが弱かったので、家屋は壊れてはいません。日赤病院が拠点病院になり、専修大学石巻校舎は大規模避難所になり、ボランティア・センターになりました。]
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「石巻市は支援の手が伸びにくい地域です。地震発生直後の各機関の連携が特に必要です。生きのびるための作業をやることが大事です。」
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今野さんは「2011年3月21日で県庁を退職することになっていました。11日は休暇で自宅に居て被災しました。町内会長もしていましたので、町内の安否確認をして、近くの蛍葬祭会館へ避難しました。津波は地震後1時間後に押し寄せて来ました。

 石巻市で3000人、町内で40人が亡くなりました。避難訓練二日ごろ参加している人は殆ど逃げました。訓練に参加しない人の多くは亡くなっていました。

 携帯は使えません。電気は2か月後に復旧しました。お風呂は2月は入れませんでした。
 
 蛍の避難所に200人が逃げ込んだ。当初女性トイレが汚かったが看護師さんが「爪を切って手洗いをしましょう。(薬剤は豊富にあった)と講話されてから避難所が清潔になり活気が出て来ました。避難所にまとまりが出来ました。被災していない地域からの支援はありがたかったと今野さんは言われました。

 見回りと食料調達。3日間は自前でやっていました。4日目に自衛隊が来ました。

 区画整理事業が早く導入できたのは、町内がお祭りなので顔見知りになっていたことが大きい。

 今野さんの避難所体験談は、大変参考になりました。避難所にあらかじめ用意しておくもの、避難所名簿などは、防災BOXなどに入れておくなどすべきでしょう。

 あらかじめ可能なら「避難所のルール」をこしらえるべきでしょう。

 千葉さんと今野さんからは何としても自分たちの街を再生するんだという意気込みを強く感じることができました。また「普段のコミュニケーション、近所付き合いの大事さがわかりました。

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2015.07.28

父は元気です


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 昨日96歳にして左目の白内障の手術をした父ですが、今日の午後面談に行きました。元気にしております。
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「とにかく朝8時過ぎに先生の診察があるが、待たされ待たされ1時間はm、待たされる。」とか。食事も美味しいらしい。テレビは待合[ナースステーション前)にあるだけで、退屈極まりないらしい。
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 「今日帰れるかと思っていたら明日だと言われた。」と大きな声で言うております。水分補給もして退屈なのか院内を歩きまくっていました。4時間ごとの目薬の点鼻がテーマなようです。
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 明日朝8時過ぎに病院へ行き、一緒に治療結果を聞き、お昼前には退院できそうです。無事に生還できそうで何よりでした。「すっきり見える」と喜んでました。
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 今日は父の病院へ行く前に、金融機関へ行く用事があり、自転車で行きました。日陰が少ない街路なので暑いこと。大橋通りのラビータの温度計表示は34度でした。水をがぶ飲みしながら行きました。
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 暑さに慣れるためですが結構辛いものがありますね。

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家屋裏面の防錆塗装

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午前11時半の事務所の温度は32度。湿度は90%蒸し暑い。台風12号崩れの低気圧のもたらした熱風の影響でしょうか。たまらん暑さです。
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 そんななか、屋外作業をされておられます。3人の塗装技術者の皆さんが防錆塗装作業をされています。今日は裏面の防錆塗装のようです。
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 30度ですと塗料の可使時間(ポットライフ。塗料として使用できる可能な時間)は、基剤と硬化剤を混ぜ合わせて約1時間。32度ですからもっと効果は早いはず。
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 手際よさが求められます。

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ラジオ体操2日目

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青柳公園でのラジオ体操2日目。今日も20人が集まりました。CDではなく、ラジオでやろうということになりました。秋田県からの中継のラジオ体操でした。
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 第2体操はやったことはないというので、ためしにやろうということになりました。坂本さんは覚えていました。わたしは2か所間違えました。

 坂本茂雄さんがから第2体操のコピーをいただきました。見ると知らない動作もありました。
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事前対策をして安心したい

  2015年6月20日から23日に参加した「東北被災地交流ツアー」から、今日で1月経過しました。ようやく頭の中の整理が半分ぐらいつきました。少しづつツアーの報告とまとめをWEB上に出して行こうと思います。

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 とりわけ今年は阪神大震災から20年目。訪れた神戸市長田区鷹取東地区を訪問し、地域の人達とも交流しました。

 http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/cat60291529/index.html

 やはりz「事前の対策がすべて」であると思いました。

 地震が現在のところ、いつ起きるのか予知ができません。台風のように進路が予想できれば対策は容易にできます。地震がそれが出来ません。「来る祖」「来るぞ」と騒ぎだてれば、オオカミ少年のように思われてしまいます。

 
1)自分の家から安全に避難することの重要性 家具転倒防止対策。家屋の耐震補強対策は事前に出来ます。

2)浸水地区に家屋や社屋がある場合は、浸水しない地区に拠点をかまえること。
  個人的にも地域としても事前に出来るはずです。

  その象徴が「仁淀川町と二葉町の交流事業」です。

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3)地震保険や家財保険や車両保険などの活用も必要でしょう。

4)すぐに事業が再開できるように、金融機関との日頃からの話し合いも必要です。


5)商業者であれば、もしもの時には「代行納品契約」をする企業の確保が必要です。

6)資産形成をして、津波の恐れのない地域への移転をすべきでしょう。

 事前対策をしておけば、リスクはかなり低減はされます。

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2015.07.27

父は白内障の手術をしました。

 父(96歳)は5
月に高齢者免許書き換えの折、いの町の運転免許センターでの視力検査で左目の視力がほとんどないことが判明。主治医の植田一穂先生のご紹介で、町田病院の橋田先生を紹介いただき診察を受けました。やはり左目が酷い白内障。それで2015年7月27日に手術を受けました。
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 当日も朝8時半位は手術と入院手続きのために来ました。事前の検査があり、橋田先生は「簡単な手術ですので心配は要りません。」とのことでした。

 11時に事前検査が終わったので、一度事務所へ戻りました。そして手術が午後3時と予定されていましたので、2時半過ぎにもう一度町田病院へ来ました。しかし眼科の単独診療の病院ですが患者の多いのには驚きます。建物も新しくなっていました。
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病室へ行くと既に手術室へ移動に。家族待合室へ行きました。手術室の隣室です。手術は30分程度で終わりました。終わると手術された橋田先生がモニターで「無事に終わりました。少し本人が怖がっていましたので慎重にやりました。」とのことです。
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 手術した左眼には眼帯が。今日明日は、外せません。父に話をしますと「手術前の検査があり待たされた。手術は正直疲れた。」とのことでした。今日は午後6時に夕食を食べて終わりなので、戻って来ました。無事に終わって何よりでした。
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ラジオ体操が始まりました


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 下知地域内連携協議会の夏休み事業として、青柳公園でのラジオ体操が始まりました。集まるのは坂本さんや私や黒岩さんや福谷さんや大崎さんといったロートルばかりではないかと心配していました。
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 時間前に子供たちとお母さんたちも来られ20人が参集してラジオ体操を行いました。うろ覚えでしたが、ラジオ体操第1を2回やりました。第2は今の子供たちは知らないとの事でしたので。
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 終わると夏休みあいさつスタンプラリー33(のれん33番地)のスタンプをおしてもらいました。
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若松町耐震護岸工事 工法編

 高知市若松町の耐震護岸工事は、高知県土木部高知土木事務所の事業で現在行われています。

 その工法に関する資料です。説明ではこう書いています。

「ジャイロパイラーのジャイロプレス機構により、鋼管杭を回転切削圧入し、既存の構造物を残したまま、構造物の機能を強化・再生、新規構築を行います。」

 鋼管杭(直径1・3M)を27Mのシルト層に埋め込み、その上に新しくコンクリートで新しい堤防を建設します。

 「期待される効果」については、高知土木事務所の説明書であるそうです。

→高知土木事務所の説明

 http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-e1f6.html

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2015.07.26

若松町耐震護岸工事の資料

 現在高知市若松町で行われている耐震護岸工事。工事発注者の高知県土木部高知土木事務所に「県都・高知市の被害の最少化のために 浦戸湾及び流入河川の地震・津波対策について」の資料をいただきました。
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 県土木の計画では、浦戸湾内の堤防と河川堤防の耐震化工事を行い「三重防備」を国直轄事業の導入などで行うようです。昭和の南海地震(1946年12月21日)では、土盛り堤防が揺れと液状化で決壊し、下知地域は地盤が1メートル沈下していましたので、海水が地域へ流入、長期浸水状態となりました。
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 今回の工事で海岸と河川の堤防が壊れたり、倒れたりすることがほぼなくなります。堤防がしっかりしておれば、地域内の排水は早期に行うことが出来るとの事です。鋼管杭を23メートルの深さまで油圧で埋め込み、その上にコンクリート護岸を建設します。津波で倒れない堤防づくりをしています。
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 現在若松町工区を施工していますが、来年は堀川水門がある二葉町工区も施行する予定です。
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 但し高さは現在の防潮堤防と同じ5メートル程度の高さです。それ以上の高さの津波はオーバーフローするでしょう。地盤の液状化による堤防の沈下と倒壊の防止を目的に工事をしています。
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 当然「やらないよりは、やったほうがいい工事」であります。しかし地盤値中による浸水は防げないとは思います。他地域の支援がありさ

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2015.07.25

外壁の防錆塗装が始まりました


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 外壁のサイディング・ボードも28年経過しますとよたっていました。防錆塗装として下塗りにカーボマスチッ15メタリックグレーを塗装しています。屋外作業も梅雨が明けないと出来ませんから。
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 綺麗に丁寧に塗装業者は塗装されていました。

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1ヵ月ぶりの夜須の海


 とにかく7月は雨が多く、また地域の行事が週末に重なったこともあり夜須の海へ全く行けませんでした。昨日で高知県地方はようやく梅雨が明けました。しかし台風12号の影響で土用波が高く、24日から香南市夜須で開催予定の全国中学校ヨット選手権大会は中止になりました。
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 でも晴れているので、海へ行きたい。ということで、朝は父のゴルフリハビリに付添い、昼食をこしらえた後に夜須へ来ました。到着すると結構な高波。ヨットを藤棚のところへ避難していただいていましたので、元の自分の置き場所へ持って行き、さっそくぎ装(ヨットの組み立て)をしました。

 しばらく来ていませんでしたので、間違いがあれば困るので慎重に時間をかけて行いました。すでにジュニア・ヨットクラブや高知大学ヨット部は出艇し海へ出ています。
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 波が高いのでどうしようかしばらく悩んでいました。波を観察していますと不規則ですが高波が連続してくる場合と、納まり波が低い場合が交互にあります。低い時にヨットを波と垂直に押し出して、センターボードを入れ、シートを引き込んで風を受ければヨットは沖へ出る筈です。
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 ところが私が出ようとした時間帯は急に風(南風)が弱くなりました。センターボードを差し込んでシートを引き込みそこへ風が吹けば、大きなセールで風を受けるのでヨットは沖へ出る筈。風が弱いので失速し、大波を船首から被る状態。たちまち水船に。

 それでも波と垂直に船首を向け数回トライしましたが、風が弱いので沖へ出ることができません。

 断念し、陸へ戻る決断しました。その時予想外の大波が来てヨットはハーバーのコンクリートの斜路に打ちあがりました。そして横転しました。体制を立て直そうとしますが、センターボードが突き刺さっていますので抜けません。そうこうするとまた大波が来て自分も飛ばされました。
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 横転したヨットの底に飛び出しているセンターボートを足で蹴り、押し出しようやく抜きました。そしてヨットを起こしました。ラダー(舵)を抜いていなかったので、波と斜路のコンクリートで折れてしまいました。完全に撤退しましたが、ヨットは舵が駄目になしました。
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 暫く水抜き作業をしていますと、ジュニア・ヨットクラブが着艇するために戻って来ました。高波なので着艇を手伝いました。結構大変な作業でしたが、皆仲間同士で助け合い無事に着艇しました。聞きますと沖はうねりがあり、風も弱くて苦労したとか。
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 旅行で神奈川県の逗子開星中学のヨット部の生徒さんたちも一緒にセーリングを楽しんだとか。記念撮影されていました。相模湾とは違う海を満喫されたようですね。
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 片付けした後、ヤッシーに寄り、道の駅やすの駅長の山本宏幸さんといつもの「おっさん2ショット」写真を撮影しました。1月ぶり(前回は6月28日)でした。
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 今日のヤッシーパークの海水浴は大賑わいでした。

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父も元気にゴルフリハビリ

 朝からどん曇りの高知市。蒸し暑い朝から28度湿度は90%。父の付添で行きました。125発打ちました。
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 全中(全国中学生ヨット大会)は中止になりましたが、練習はしているようです、父の昼食をこしらえた後様子に見に、夜須へ行こうかなと思ってはいますが・・。

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無責任政治の際物ばかりだ

 2015年7月19日はは久しぶりにTBS系の「サンデー・モーニング」を見ました。いつもは、海へ行っているか、父のリハビリ・ゴルフの時間で最近はじっくり見たことはありませんでした。

 番組の中である学者の人がこう言いました。

「新国立競技場問題で、2年前安倍首相は、今まで見たこともないように施設を世界の皆さんにお見せする。という国際公約をいとも簡単に白紙にしました。

 白紙にするのであれば辺野古も安保法制も白紙にできるはずですよね。」という言葉が印象に残りました。

 国論を2分し、国の力を弱める辺野古や安保法制の強引な安倍内閣の進行。すべて白磁にすれば、国民支持率は上昇します。際物政治は、無責任政治。戦前の日本の戦争指導者のような無能で無責任な連中が日本国を動かすことはまかりなりませんから。

 姜尚中氏が「今の日本は軍事独裁時代の韓国に近づいている。いや強権政治の中国に似ていると言った方がいい。」と言う発言もとても気になりました。

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2015.07.24

梅雨明けのはりまや橋サロン


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 ようやく高知も梅雨が明けたようですね。とたんに暑いですね。母(89歳)を連れて、はりまや橋商店街へ行きました。

 今日は息子がウナギを買って来たので、夕飯はいつものコロッケは購入しませんでした。
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 せんべいを購入し、谷ひろ子さんのお店で焼き菓子を購入しました。
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 活き活き100歳体操は、なかなか熱い中13人が参加され元気にやっていました。
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 今日から開催する予定の夜須での全中(全国中学生ヨット選手権大会)は台風12号の影響で中止になりました。とても残念です。明日も晴天なので、朝は父のゴルフ・リハビリへ付き添った後、昼前に夜須へ行き、「暑さに慣れよう」と思います。セーリングの有無は現地で判断します。

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スマイル・ふぇす・しもじで良かったこと

 2015年7月18日に、高知市知寄町のちより街テラスで初めて開催された地域イベント「スマイル・ふぇす・下知」は大盛況のうちに終わりました。

 地域防災の立場からはこの行事を通じ良かったことがいくつかありました。

1)今まで防災事業や避難訓練に来なかった子育て現役世代との交流が出来ました。

2)ちより街テラスの津波避難施設見学ツアーは、100人が参加し大盛況でした。

3)企業と地域住民との新たな絆が生まれました。

4)下知地域の新しいお祭りになりました。

 反省点はいろいろあります。来年2回目が開催できればいいなと思います。

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2015.07.23

上手なある精肉店の販売戦略

 ある日隣町である若松町自主防災会の横田政道さんところへ歩いて行きました。


 途中にある精肉店の作業場があります。バーベキュー・セットを高圧洗浄して汚れを落とし、天日にてバーベキュー台とそれを収納するバックを乾かしておりました。
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 広い空地一杯に広げての作業です。食材を購入いただいたらバーベキュー台を無料で貸し出す商売のしくみだそうです。ヤッシーパークでも配達してくるそうです。
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 屋外でバーベキューは美味しいと思いますね。

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2015.07.22

血液検査も取りあえずは健康


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 93回目の献血を2015年7月7日にしました。献血をする際に、必ず血液検査も詳細にしていただきます。結果が判明しました。今回は医師の診断時にやや血圧が高いのが問題。他はすべて「基準値」内に収まっています。

 献血ができるうちは「健康な証拠」でありますね。加齢とともに難しくなりつつありますが、70歳まで頑張って献血するつもりで頑張ります。

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2015.07.21

第2回下知認知症カフェ

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 名称が「下知認知症カフェ」なのか定かではありませんが、2015年7月21日に、宝永町の介護ステーションしもじ楽舎へ出掛けました。ケアマネージャーの下村恵子さんからのご案内もありました。

 受付で、参加費用100円を支払うお茶会です。サロンと言ってもいいですね。会合は2時から始まりました。最初に高知市社会福祉協議会の人が挨拶されました。
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 続いてお仕事はケアマネージャーをされているという中内さんが、バイオリンを演奏されました。古い曲があったり、影を慕いてや、青い山脈、川の流れのようにや、南国土佐を後にしてなどの曲を演奏されました。
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 参加者は地域の人達が13人、介護福祉の関係者(市職員・ケアマネージャー・介護事業所職員・高知市社会福祉協議会)が18人でした。

 演奏後は参加者各位で、お茶を飲んで和気あいあいでした。

 雨が小雨になりましたので、知寄町1丁目から来られたと言うご高齢のご婦人と一緒に帰りました。膝が悪いとの事でしたが、「歩かないと歩けなくなるので、無理のない範囲で歩いています。」とのことでした。
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 演奏や話の合間に、高知市高齢者支援課から送付されてきました「平成26年度高知市認知症重度化予防実践塾 実践事例集.事業報告書」を読んでいました。地域でこうした寄合をこしらえることは、とても大事なことであると思います。

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雨ばかりの高知市です。


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 日本の南側の太平洋高気圧の勢力が意外に弱い関係で、四国と九州南部は悪天候で雨が降る続いています。気圧配置からして台風の「通路」に四国はなっています。

 週間天気予報では、23日あたりからお天気の予報(つまり梅雨明けになる)です。しかし「復活」した台風12号が、四国を伺う気配を見せていますので、お天気はわかりませんね。
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 今週末は高知県香南市夜須で、全中のセーリング選手権が開催予定ですが、気になるお天気です。
 
  今朝は施工業者さんが雨の中来られ、外壁を高圧水洗機械で洗浄して行きました。「お天気になれば来ます」ということですが、この気圧配置と台風の動向では、わかりませんね。全国的に梅雨明けして夏本番ですが、高知Arai1_r

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は「取り残されて」いますね。

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下知地区防災計画キックオフ会

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 既に坂本茂雄さんが報告されていますが、2015年7月10日に下知コミュニティ・センターにて、「下知地区防災計画・キックオフ会」が開催されました。
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 出席者は、アドバイサーである鍵屋一さん(跡見学園女子大学・観光コミュニティ学部教授)、内閣府からは政策統括官(防災担当)付参事官で主査の中丸琢弥さんと参事官補佐の長沼裕史さん。関西情報センターの坊野豊彦さん(地区防災計画学会事務局)、高知市役所からは地域防災推進課主査の山中晶一さんと山本美咲さん、防災政策課主査の守屋好英さん、下知減災連絡会事務局長の坂本茂雄さん。下知減災連絡会副会長の西村健一が出席しました。

 まず内閣府の方から「地区防災計画制度の概要」の説明がありました。
「東日本大震災で判明したことは公助が全く足りないことでした。災害対策基本法が平成26年4月に改正され、地域の特性を踏まえコミュニティレベルの防災活動を内容とする地区防災計画を市町村の地域防災計画に定めることができる地区防災計画制度を制定しました。
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 ボトムアップ型で地域の防災力を高める目的で制度がつくられました。」との説明がありました。平成27年度は、高知市下知地区を含む22地区が地区防災計画モデル地区に選定されました。
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 アドバイサーの鍵屋一さんは、「下知でやれることは日本全国沿岸部の都市部でやれること。オールジャパンの地区防災計画にする気概でやりましょう。」と言われました。

 高知市地域防災推進課からは「下知地区防災計画も各地域の防災計画も、高知市防災計画に提案されることになります。そこで審議され高知市地域防災計画の中に反映されることになります。」と従来の下知地区での「昭和小校区津波避難計画書」などをベースに説明がありました。
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 下知減災連絡会事務局長の坂本茂雄さんからは、「下知減災連絡会での役員会の中でも下知地区計画は重要課題であると確認しました。防災訓練や事業と並行しながら検討会を4回程度開催します。検討会メンバーは広く各地域の事情に精通している各地域の自主防災会から選出された役員メンバーです。」と説明がありました。
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 西村の方からは「市民目線での減災対策(高知市下知地域)が説明されました。独自で取り組んできた「防災世帯調査」や「仁淀川町や他地域との疎開を前提とした交流事業」や、「各世代を集合させた下知地域内連携協議会の発足(2014年10月)」などを説明しました。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-72a7.html

 多数の資料が提出され、議論をしました。鍵屋先生からは「真面目に細かい事項を議論をしても暗くなりますね。事前復興計画という言葉もでていました。どうすれば下知は救われるのか、災害に強いまちになれるのか。それを(理想)を議論しましょう。

 低地の丸池公園をサッカーグランドにする。Jリーグを目指すチームも練習するようになる。その公園が浸水時には避難場所になる。」とか。

 計画は大きい方がいいとのアドバイスをいただきました。「MAKE NO LITTLE PLANS]という米国の都市計画プランナーであるダニエル・H・バーナムさんの言葉を思い出しました。

「小さな計画など立ててはならない、それは人の血を騒がすような魔力を持たず、それ自体もおそらく実現しないだろう。

 壮大な計画をつくるのだ。気高く理にかなった図式は、ひとたび記憶されれば決して絶えることなく、常に成長し自己主張し続けていくものだということを忘れずに、希望を高く掲げ働こう。

 あなたの合言葉は秩序であり、道標となるものは美である。」

 下知減災連絡会としては、モデル事業は1年でしょうが、3か年ぐらいかけて地域で議論して下知地区計画をこしらえようということです。

 それで鍵屋先生と日程調整し、第1回目の下知地区計画検討会を9月3日に開催することにしました。

 たくさんの情報が飛び交う有益な会合でした。また内閣府と関西情報センターの皆様は、高知市の地域防災推進課の山中チームが下知地域を鳥瞰できる五台山山頂や、下知地域を車で下見をしていただきました。

 会合終了後は会場を市内の居酒屋に移動を、熱い議論は絶えませんでした。
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2015.07.20

福島高明さんのご逝去を悼む

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 かつて高知青年会議所時代に一緒に活動し、一級建築設計士であり一級造園施工管理技士でもあった福島高明さんが、2015年7月19日にご逝去されました。高知青年会議所からのFAXで19日の夕方知り、20日の高知新聞朝刊の死亡広告で知りました。62歳でした。

 私と同じ1953年生まれですが1月生まれですので、学年は1学年上。知り合った当時は実家の婦人服衣料販売店を経営されていました。建築にも興味があるのか、1987年10月に建てた私の事務所兼自宅を「見学」に来られていました。

 翌年単身アメリカへ行かれ、2年ぐらい遊学されていました。帰国後難関の一級建築士の資格を取得、建築設計士で活躍されていました。わたしは青年会議所時代は、夜須をテーマにした事業(海洋連続セミナー)や、野外ロックコンサート、都市再開発セミナーや浦戸湾花火大会などを企画し、「高知JCの資金を使いまくった」とも言われていました。当時福島高明さんは「けんちゃん面白いことしゆう。頑張りや。」と励ましてくれました。
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 また2004年に当時コミュニティFMで番組を制作していました。ゲストとして福島高明さんに出演いただいたことがあります。ランドスケープ・デザインと市民参加についても造詣が深く感心しました。そのやり取りの一部です。

私「もともと福島さんは服飾関係の店舗を経営していました。人が集まり、楽しく過ごす商いの原点はご存知であると思います。街が荒れないようにする工夫は商店街が元気になることであると思いますが。」

福島「これからは商店街の組織の中でも、デベロッパーをされている方、テナントの方も含めた本当の意味のコミュニティを形成するべきですね。
 組織の付き合いではなくて、テナントも積極的に関わりを持つべきだと思います。
 真剣にそのなかでまちづくりを考えるべきですね。」

私「郊外型大型量販店の発達の一方で、中心市街地が空洞化するという1970年代の米国のような状況の高知市です。しかし一方で少子高齢化が進んでいます。高齢者に大型量販店はなじみません。なにか商店街が元気になる方策はありますか?
 
福島「そうですね。商店主の努力も必要です。プロを養成しまして、ビジュアル・マーチャンダイジングも必要です。まだまだ学ぶ必要があります。
 消費者の観点からも使い分けが大事です。地域を安全にするためには地元の商店街で買い物することも大事です。地元ではこれを買う。食品スーパーではこれを買う、大型量販店ではこれを買う。と言う具合に使い分けをします。

私「障害者や高齢者に配慮したまちづくりはどうあるべきであると考えますか?建築家としてどう関わりを持たれますか?

福島「建築家が集まって考えるだけでなく、障害者や高齢者と交流して、意見交換するようなコミュニティを形成するべきでしょう。個々の障害に応じた対応を考えたらいいのです。」

 大変ノーマルな考え方をされていました。アメリカへ単身行ったり、中年間際で一級建築設計士になったり、一級造園施工管理技士になられたり、キャリアもこしらえました。
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 最近は耐震設計のみならず、耐震施工もされ。ご多忙と聞いていました。

 お通夜でお兄様の明さんに聞きますと、「間質性肺炎という難病で亡くなりました。仕事が忙しく、亡くなる1週間前まで仕事していましました。だれも亡くなるとは思っていませんでした。」とのことです。

 間質性肺炎は難病です。調べますと「その病態から、呼吸困難や呼吸不全が主体となる(息を吸っても吸った感じがせず、常に息苦しい)。また、肺の持続的な刺激により咳がみられ、それは痰を伴わない乾性咳嗽である(痰は気管支や肺胞の炎症で分泌されるため)。肺線維症に進行すると咳などによって肺が破れて呼吸困難や呼吸不全となり、それを引きがねとして心不全を起こし、やがて死に至ることもある。」とのことです。

 喪主の息子さんの挨拶で「父は2月頃から咳ををして、病院へいきましたが、2つの病院でインフルエンザという診断でした。7月8日により体調が悪くなりました。その時間質性肺炎と診断され、治療の甲斐なく19日に亡くなりました。」と言われました。

 。
 仕事も忙しく、さぞかし無念であったと思います。その想いは設計士で後を継がれる息子さんに継承されていかれることでしょう。

 福島高明さんは同年齢でユニークな人柄だっただけに、心よりご逝去を悼みます

 (写真は2004年当時の写真です。福島高明さんから提供いただいた写真です。)

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超高齢者は忙しい

 今日は母(89歳)は、1日デイの日。ディサービスのお迎えが、車で事務所で座っていつもの繰り言を言い続けています。
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「今日は何処へ行くがぞね。」

「結さんくよね。」

「お爺さんは行くがかね?」

「お爺さんは昼から別行動。」

 一時的に納得しますが、5分しますと同じことを聞き返します。

「どこへ行くがぞね。」
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 ようやくデイサービスのお迎えが来てくれました。元気に母は行きました。

 昼ご飯を食べて、父(96歳)は、介護予防通所リハビリへ出掛けます。運動機能も上昇したそうですので、本人も張り切っています。生憎の雨ですが、送迎車を来るのを待っています。水分補給はやかましく言っています。
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 元気で出掛けました。午後4時過ぎに戻りました。それまで一段落です。
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来月から介護保険料や医療費の自己負担額が増額になるとか。安倍内閣の社会保障の切り捨て政策はどんどん実行され家計負担が増える一方です。

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戦争法案反対集会に参加しました。


 今日は夜須でのマリンフェスティバルYASUが悪天候で順延。サポート予定のカヤック無料体験もなくなりました。主に家の用事をしました。風呂の掃除をし、昼過ぎは母を連れ大型量販店での買い物。散歩が目的です。そして午後3時半位は歩いて自宅をはないと一緒に出ました。

 手作りのプラカードをつくりました。「安倍政治を許さない」と娘が描いた「ファシスト安倍」です。
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 30分ほどで会場の丸の内緑地へ到着。知り合いのUさんに会いました。手作りの「安倍政治を許さない」プラカードを首から掛けていました。主催は「戦争させない!戦争に行かない!憲法アクション inこうち!!」です。超党派でこしらえられた団体のようです。
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 参加者が持参している桃太郎旗を見ますと、民主党系、社民党系、新社会党系、共産党系などがあり、労組の旗も多く見られました。わたしらのようにどこの組織にも属さない無党派市民も結構いました。若い学生たちの姿も見られました。

 最初に平和運動センター議長で自治労高知委員長の山崎秀一氏が演説されました。
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「安全法制関連法案は、戦争法案です。アメリカ軍につき従い地球の裏側まで行って戦争する法案です。234人の憲法学者と元内閣法制局職員が発言しているとうり、集団的自衛権は明白な憲法違反です。

 危険な戦争法案を廃案にするために、辺野古基地反対でオール沖縄で頑張っている行沖縄のように、安倍内閣を打倒し廃案にしましょう。」

 続いて弁護士の中西法貴氏が登壇されました。
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「みなさん戦争法案の中身の精査と、憲法の許容範囲内のものかどうか考えてください。」この法案は明らかに「違憲法案」です。

 このような憲法を破壊する法案や国会審議を許した責任は国民にあります。経済政策を支持した、投票に行かなかった。行為で与党に3分の2の議席を与えたことが原因です。

 本当に主権者であれば、今すぐ行動に移しましょう。」

 特定機密法案に反対する会の玉置さん。
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「私は中国で生まれました。先の大戦で日本は多くのアジアの人達を殺害し、日本人も多く亡くなりました。痛切な反省から憲法を作り、70年間戦争をしない国でした。

 尖閣や南シナ海での中国の脅威が安倍内閣は叫んでいますが、一方で日中事務レベル協議を頻繁に現在行っていまして、対立しないように両国はしています。戦争の脅威などありません。」

 9条を守る会事務局長の谷脇和仁さん(弁護士)は、
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「安倍内閣がやっていることは、憲法壊しのクーデターそのものです。ここで国民が声を大にして反対しなければ、国民生活は破壊されます。」

 学生グループを代表して、グループペダルの横川和音代表は。
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「学生の立場で戦争法案に反対します。政府は人文科学系の学部を国立大学で廃止しようともしています。わたしたち若者は声を大にして戦争法案に反対します。国家権力の横暴を認めることはできません。」

 中国残留孤児の麻田勇さんはこう言われました。
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「わたしは先の大戦の末期に西土佐村から中国吉林省へ開拓農民として入植しました。敗戦後3歳でわたしは残留孤児になりました。1989年に日本へ帰国が出来ました。子や孫に恵まれました。

 70年前の悲劇が繰り返されようとしています。日中両国国民に再び苦しみを与えることは歴史に背く大罪です。」

 主催者側発表で600人の参加とか。シュピレキコールは、大西正裕さんが歯切れ良いラップ調で行いました。
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「戦争法案絶対反対!」「9条守れ戦争反対」「安倍内閣は退陣しろ」「平和が大事、戦争はいらない」「自衛隊員の命を守れ!」。続いてデモ行進になりました。中央公園までデモし、夕食準備のためそこで隊列を離れ、帰路につきました。
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 途中タウンモビリティ・ステーションふくねこでは、高知大学生の研修が行われていたそうです。笹岡和泉さんを始めスタッフの皆さんはせわしかったと思います。
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2015.07.19

悪天候故自宅のふろ掃除と買い物へ行きました。


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今日はヤッシーパークのシーカヤック体験のサポートへ悪天候のため行けませんでした。天気図を見ますと九州の西に熱帯低気圧があり、それがポンプになり南海上の暖かく湿った空気を吸い上げていますので、お天気が悪いはず。

 関東。甲信越の梅雨明けは宣言されましたが、四国を含む西日本の梅雨明けはまだ先のようです。午前中は風呂の掃除。午後からは母(89歳)の散歩がてら近くの大型スーパーへ連れて行きました。買い物好きなので退屈はしません。
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大盛況だったスマイル・ふぇす・下知


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 昨日は第一回スマイル・ふぇす・下知が開催されました。予想以上の人達。学校がやすみになったこともあり、近隣の子供たちや若い親御さんたちが来ていました。
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 また地域の活動をされている町内会や防災会の人達も来られ懇親をしていました。よさこい踊りあり、二胡の演奏もあり、楽しめました。
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 企画した国見俊介さんやご支援いただいたサニーグループさんたちには感謝です。

 会場のちより街テラスは、津波避難ビルにもなっていますが、2回にわたり「見学ツアー」があり、それぞれ50人近い近隣の人達が参加していました。

 私は「荷物運搬役」と森会長の助手で1日棒立ち状態。午後1時過ぎから荷物運び。会場の設置。助手。そして撤収作業。終わったのが午後9時半。さすがに疲れました。
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 今日は悪天候で夜須でのマリンフェスティバルYASUが明日に順延。お手伝いする予定のシーカヤック無料体験が中止になりました。やれやれです。個人的には助かりました。

 下知地域の人達のスマイルがあふれとてもよい行事でしたね。
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  防災訓練にはなかなか参加しない若い現役世代の親御さんたちとのコラボが出来たことは大変有益でした。
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国土強靱化政策と原発再稼働は矛盾しています

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  岩波新書「復興災害 阪神淡路大震災と東日本大震災」(塩崎賢明・著)の184Pから185Pの記述においてこう述べています。

「大地震の回数[最近100年間に発生した死者1000人以上の地震)と原発の個数を、国土面積当たりで比較すれば、日本の(地震×原発の指数は38・09で世界のどの国(原発保有国)よりも数百倍ないし、無限大の危険性をかかえている。」

「狭い国土で地震の多いこの国では、国土を安全で強靭にするには原発をゼロにするしかないのである。」
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いつから日本人は「自分さえよければほかの事はしらない」というエゴ丸出しになっていまったのでしょうか?ニュースで鹿児島県の川内原発が近く再稼働するというニュースがありました。とても考えられないことです。国土強靱化と原発再稼働は矛盾するものです。地震大国、火山、大国日本では原発の再稼働はもはや無理です。
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 九州は活火山が多く、カルデラ大噴火した地域でもあります。原発を稼働させれば核廃棄物が出ます。それを地下に埋めるのでしょうか?10万年後の人類が宝物ではないかと掘り出すかもしれません。
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2015.07.18

父も元気にゴルフ・リハビリしました

 今朝は最初は曇っていて、大橋通りのラビータの温度表示板は24度。そんなわけで父(96歳9も張り切っています。
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 水分補給(OS-1)を十分に行い、自己流の体操をして、クラブを選択し、球を打ちました。距離は出ませんがだいたい真っ直ぐに飛んでいきます。
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 帰り際に見ると27度になっていました。日差しが出ると暑いですね。事務所の温度は28度で、湿度は90%です。
 休む休みですが、125発無事に打ちました。その間は読書タイム。今読んでいる本は「新・戦争論」(池上彰・佐藤優・著・岩波新書)です。濃い人たちの対談ですね。

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今日はスマイル・ふぇす・しもじへ


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 高知市は台風11号による被害はありませんでした。自宅も事務所も倉庫も被害はありませんでした。
 とはいえ台風の東側の地域の皆様や進路にあたっていた皆さんは大変な被害でした。あらためて大型台風の脅威を感じました。

 今年初めて高知市知寄町のちより街テラスで開催される「スマイル・ふぇす・しもじ」(国見俊介実行委員長)も予定どうり16時から20時までの予定で開催されます。
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 下知地域での楽しいイベントになるでしょう。わたしは今朝は父(96歳)のリハビリゴルフ。母は1日ディ・サービスの日。

 午後からスマイルふぇすに出店される町内のお店からフライヤーと椅子や資材運搬業務と撤収業務があります。
 多くの市民の皆様は是非ご参加を。

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SNS時代、ブログを運営するために大切な、5つの「意図」

「情報営業」のコンサルタントである藤村正宏氏の今回のメールマガジンのテーマはブログについての心構えを書かれていました。引用自由ということなので、貼り付けさせていただきます。


「SNS時代、ブログを運営するために大切な、5つの「意図」」


でも、ブログをただ単に書いていてはあまり意味がありません。
ブログを運営するためには以下の5つの意図を持ちましょう。

1・共感してくれるファンを増やす意図
2・セルフブランディングを意図
3・ソーシャルメディアで拡散する意図
4・ブログ記事を資産にする意図
5・キーワード(SEO対策)を意図


1・共感してくれるファンを増やす意図

継続的にあなたらしい記事を書き、ファンを作っていく。
そのためにも、一方的な発信ではなく、FacebookやTwitterでコミュニケーションすることが大事。
そして、あなたの「個」をだすこと。

2・セルフブランディングを意図

「個」を出す意図をもちましょう。
あなたがどんなことが好きで、どんな人柄なのかがわかるようにする。
趣味のことやどんな生活をしているのかをFacebookやTwitterで発信する。
ブログでもあなたらしさを出す意図を持ちましょう。


3・ソーシャルメディアで広げる意図

FacebookやTwitter、Instagram、はてなブックマークなどで広げる意図をもちましょう。
なるべくたくさんの人に見てもらえるように、必ずブログを更新したら、あなたのSNSでリンクすることです。
でもね、ブログを更新したら自動的にTwitterで投稿するのは禁止です。
必ず手動で投稿すること。
コメントを入れて。


4・ブログ記事を資産にする意図

ブログはあなたの資産になります。
3年前に書いた記事でも読んでもらえます。
だから毎日コンテンツの貯金をしているという意識で書きましょう。
Twitterは新聞、Facebookは雑誌、ブログは書籍。
そんなイメージです。


5・キーワード(SEO対策)を意図

ブログがあなたのウェブサイトにストックされると、コンテンツSEOとして力を発揮します。
たとえばあなたが、お酒屋さんをやっていて、毎日のようにワインのことを書いているとします。
そうすると、Googleは「このブログはワインの専門ブログ」だなというふうに認識して、ワイン関連キーワードで上位表示されるようになります。
Googleは専門家が大好きなんです。
そのためには、内容はもちろんですが、ブログのタイトルも工夫しましょう。
「バーベーキューに合うワイン―○○ワインが意外とバーベキューとの相性がよかった」などと検索されそうなキーワードを意識したタイトルを考えることも大切です。

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2015.07.17

台風11号高知を通過


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 大型台風11号は昨夜高知県室戸市付近へ上陸、その後北上し、香川県丸亀市付近を通過し、先ほど岡山県倉敷市付近へ再上陸したとのこと。
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 昨日午後から台風対策をして厳戒態勢で経過を見ていましたが、今回は何事もなく台風は過ぎ去りました。自宅も事務所も倉庫も特に被害はありません。ご近所の飲食店の看板が転倒しているぐらいでした。
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 赤ヘルを被り堀川を巡視。午前6時過ぎ大潮の満潮。そのせいか潮位が上がり、水面と岸辺が同じ程度の高さに。堀川水門も閉じられていました。
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 下知コミュニティ・センターへも行きました。宿泊待機の市職員2人に会いました。「昨夜は避難所は6人になっていました。午前5時過ぎに2人帰られ、現在は4人です。各種警報が解除になっていないので、このまま待機です。」とのこと。
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 施設も停電などにならずに一夜を過ごしたとの事です。何よりでした。避難者の方たちもお元気であるとの事です。何よりですね。
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 風は納まったようですね。雨はしつこく残るようです。台風一過と言う具合にはなりそうもありません。各種警報が解除になってから、活動を開始することにします。

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丸池町防災講習会

二葉町から丸池町まで歩いて行きました。丸池町の避難指定場所であるちより街テラスから、丸池公民館まで7分かかります。途中にコンビニやドラックストアもありますが、いずれも低層建築物であり、津波避難ビルにはなりません。
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 2015年7月12日は、二葉町の一斉町内消毒後、10時から丸池町公民館で開催される防災講習会を見学に行っておりました。30人の丸池町の住民が来られていました。隣町の弥生町の大崎修二さんも来られていました。

 今回の講師は、高知県内で400回を超える防災講習会をされている(株)フタガミホームセンター事業部出張DIY教室係の楠瀬さんでした。とてもわかりやすい地域特性を踏まえた講習会でした。
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 「津波や浸水の被害が怖いとか言われる人が多く言われます。また防災備品の購入をされている人が最近は多くおられます。飲料水や保存食品など。それは自宅から無事に避難され、避難生活の後の話です。今日の話は自宅からの安全な避難方法のお話です。」

「自宅からの安全な避難方法は4つあります。

①家屋の耐震補強。

②家具の転倒防止対策

③ガラスの飛散防止対策

④情報の確保と対策  です。」

 阪神大震災などでは、怪我をした人の46%は家具の転倒でした。2番目は窓ガラスなどの飛散による怪我が29%でした。あわせて85%の人が屋内で怪我をしています。」

「高知県人は地震保険の加入率は髙いですが、家具転倒防止策をきちんとやっている人がとても低いです。」

 確かに、勤労者でも「自宅60%、職場30%、その他10%」です。リタイヤされたひとなら自宅で90%はおられます。自宅とくに寝室の家具言転倒防止、ガラス飛散対策が、減災の「1丁目1番地」であることは間違いありません。

「100点満点の防災対策はなかなかありません。たとえば寝室の防災対策と言えば、1)家具を寝室へ置かない。事も対策です。2)ガラス窓には飛散防止フィルムを貼り、カーテンを閉める。3)運動靴を寝室に用意する。ことも大事です。」
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 家具の転倒防止や安全な避難行動をサポートする機材は、ホームセンターでお求めください。機材については使用方法を係員にお尋ねください。きちんと説明しています。」
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 家具・ガラス対策のチラシと夜間対策のチラシの情報は有益ですね。
 特に「充電式LEDホームライト」「LEDヘッドライトとヘルメット」「ソールバリヤ(足裏対策用)」と「カットレジスト手袋」は有益です。貴重な情報でした。

1人で無理なら「ご近所が普段から連携して助け合いをしてお互いの家の中の家具転倒防止対策をしましょう。」と言う提案も有益ですね。

 防災・減災の大原則は自宅からの安全な避難です。丸池町の樋口町内会長、防災部長の吉本豊道さんご苦労様でした。

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下知CCの避難所の点検に来ていました

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 事務所と自宅の台風対策が終わりますと、ご近所の避難所である下知コミュニティ・センターへ行きました。2015年7月16日18時現在4人が避難しているようです。

 風が強いので頭部を守るためヘルメットを着用しています。下知コミュニティ・センター運営委員会防災部長として施設避難所のチェックに来ています。

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2015.07.16

下知コミュニティ・センターに避難所が開設されました。


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 2015年7月16日の16時に、下知コミュニティ・センターが、避難所として開設されました。それまでは有光センター長と施設管理者である高知市地域コミュニティ推進課とのやりとりで、「自主避難者」を対象に対応をされていました。

 昨年の大雨での反省点があってか、今年は高知市役所の対応が格段にいいですね。下知地区は、下知コミュニティ・センター1か所のみの対応です。近隣市民から問い合わせがあり、4人の市民が避難しています。

 なかに電動車椅子で避難された方がおられました。有光センター長によれば「こちらの施設は清潔であり、しかも車椅子で利用できるトイレもあります。昨年は近くの小学校へ避難しましたが、暑いし、トイレもなく苦労しました。」とのことでした。70歳代のご夫婦で避難されています。

 二葉町から来られた80歳代の女性2人も、菓子パンと飲料水を持参して避難されておられました。
 
 センター長との雑談で、「傷害のある方や高齢者は下知コミュニティ・センターが避難所になったら、最優先しましょう。」と話し合っていました。1番ストレスのかからない部屋を利用してもらうことになったようです。

 障害者のご主人と奥様のご夫婦は、3階会議室B室に。高齢のご婦人2人は和室部屋に、有光センター長がご案内したようです。「災害時には、災害弱者を最優先しよう。」という考え方を早速実践していただきました。

 下知減災連絡会の構想では、避難所運営の基本やルールに「災害弱者最優先の原則」を規約化したり、皆で確認し合意形成する必要性を感じました。

 16時になりますと高知市役所職員が4人来られ、正式に避難所として開設されました。入口付近に「避難所開設」という張り紙を貼り付けていました。
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 また16時半ごろにフジTVの撮影クルー3人が到着。聞けば朝の番組「めざまし・テレビ」のスタッフとか。避難所の様子を撮りに、高知市役所の許可を得てきたそうです。市職員と一緒に避難者の人達に取材をされたようです。
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 朝5時半の「めざまし・テレビ」で明日(7月17日に放映されるのかもしれません。

 また一方で避難所開設しているのに一方で市民図書館が開館しているのはおかしいと思いました。それで防災政策課と、秘書広報課宛に以下のような内容の文章を送信しました。

 高知市長様

 いつもお世話になっております。
 下知コミュニティ・センター運営委員会防災部長の西村健一です。

 午後3時半現在下知コミュニティ・センターには4人の自主避難されている
人達が休養されています。有光館長の適切な対応で、避難された人たちは
喜んでいました。

 それはいいのですが、「大雨(浸水害),洪水,高潮警報 [継続]暴風,波浪警報 雷注意報 」が
高知市全域に発令されているのに、高知市民図書館が閉館されていません。

 一方で下知コミュニティ・センターは。自主避難者を受け入れている。
 一方で下知市民図書館は、来館者がいる。おかしいではありませんか。

 この先暴風雨が強くなる可能性もあります。市民図書館の本館も分室も
「大雨(浸水害),洪水,高潮警報 [継続]暴風,波浪警報 雷注意報 」が発令された場合は
閉館にするようにしてください。危険です。とくに明日は今日より危険です。

 図書館の職員の安全と、来館者の安全にご配慮下さい。

 閉館にしていただいたら、マスコミなどで広報もしてください。

 15時53分に送信しましたが、市役所からの返信はまだありません。高知市内も風雨が強くなりつつありますが、依然として市民図書館は閉館になっていません。おかしいと思います。

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父の通院・台風対策・介護予防通所リハビリ


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 台風11号が高知県直撃コースで不気味に北上しています。

 いやはや午前中の父の通院先の植田医院は普段の倍の患者で溢れていました。ようやく戻り、合羽を着用して、ゴーヤさんのプランターを倉庫へ入れました。そして倉庫の強風対策をしました。実も成っていますので、外へ放り出すのは可愛そうですから。
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 シャッターがバタバタ言わないように隙間に段ボールを詰め込み、下部にはブロックを置きました。
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 植え木も倉庫に入れました。午後からは開店休業状態にしました。どうやら暴風雨は夕方からになりそうですね。
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 こちらは台風対策を終え、開店休業状態にしました。後は停電に対する対策ですね。
 ですが介護予防通所リハビリはあるそうです。父(96歳)と母(89歳)は張り切って行きました。施設には電話し「大雨暴風雨警報が出る可能性があります。その場合は早めにリハビリ運動を打ち切り、送迎して下さい。」と依頼しました。
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 被害は何もないとは思いますが、危機管理の意識は持たないといけませんから。

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スマイル・ふぇす下知は7月18日開催です

 スマイル下知が、7月18日(土曜日)に、午後4時から午後8時までの予定で、知寄町の複合商業施設であるちより街テラス駐車場で開催されます。
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 地域のコミュニティの再構築が狙いのイベントです。多くの人達のご参加を期待します。

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2015.07.15

一応台風対策は完了です。

 気象庁の台風情報は、高知県直撃コース
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 米軍はやや東より。
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 うちの場合は工事中の足場の幌をすべて巻きました。植木も倉庫の中へ入れました。ゴーヤさんは外へ出しています。
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二葉町一斉消毒の日


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 7月10日は第2金曜日で、二葉町の資源・不燃物ステーションの日。7月12日は4日が雨で順延されていた町内一斉消毒の日です。
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 荒木三芳副会長がリーダーで、町内会の役員や班長が出てきて二葉町内の消毒と、ゴミ拾いを行います。わたしはゴミ拾いの補助員です。
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 1時間ほど二葉町内を巡回しました。ゴミは結構落ちているものです。やはり吸い殻が1番多い。馬鹿が多いです。
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 蒸し暑いので大汗を掻きました。終わって片付けが済んでから小雨になりました。実施出来て何よりでした。

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2015.07.14

台風対策をしています

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 大型台風11号が北上しています。「まとも」に四国直撃コースです。台風対策は今日中にしないといけないですね。明日は暴風雨になりますから。

 風が強くなり始めてからの台風対策は危険です。「その前」に対策をしておけないといけないです。

 植木を倉庫に入れたり、ラジオや乾電池を用意したり、停電対策もしないといけないです。

建築業者さんにお願いして、足場のメッシュ・シートですが、強風で煽られないように、巻き取って紐で束ねていただきました。

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「戦争をしない国 明仁天皇メッセージ」を読んで

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 「戦争をしない国 明仁天皇メッセージ」(矢部宏治・著・須田新太郎・写真・小学館・2015年7月・刊)を新刊で購入し読みました。週刊ポストに宣伝があったので金高童書店で購入しました。明仁天皇の実像が語られています。写真も効果的に使われています。見入ってしまいました。

 象徴的な写真に明仁天皇の言葉が載せられています。

「普通の日本人であった経験がないので、何になりたいと考えたことは1度もありません。皇室以外の道を選べると思ったことはありません。」と言う言葉は衝撃的でした。確かにそうですが、「当事者」の発言だけに重たいです。

 明仁天皇が生涯をかけて先の大戦の戦没者の慰霊をされている。その強い意志に驚きました。いったい今の安倍内閣は何をしているのだろうと思う。

 明仁天皇の平和への想いを平気で踏みに知る行為をしています。恥ずかしくはないのだろうかと真底思います。
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 11歳の時に日本の敗戦があり、疎開先の日光から東京へ戻って来られた時一面の焼け野原に衝撃があったと思います。15歳の時に職業選択の自由がないことを良く理解されていたのです。

25歳で美智子妃と結婚する直前には、

「ぼくは天皇職業制を何とか実現したい。(略)毎日朝10時から夕方の6時までは天皇としての事務を執る。(略)そのあとは家庭人としての幸福をつかむんだ」

「僕は皇居内に住みたくない。皇居はなるべく早く開放して、大衆向きの公園に使ってほしい。(略)天皇になっても、ぼくは街の中に住む」(P9)
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その願望は実現しませんでしたが、美智子妃殿下と一緒に、3人の子供たちを自分で育てることは貫徹しました。強い意志を感じます。

 昭和天皇の誕生日の4月29日(1946年)に東京裁判でA級戦犯が起訴され、明仁天皇の誕生日(15歳)の12月23日(1948年)に処刑されたのは偶然ではありません。

「この裁判と処刑が何を意味するのか、天皇とその後継者は、絶対に忘れてはならない。」(P17)の占領軍のメッセージがこめられています。

日本とは何か、敗戦とは何か、占領軍とは、憲法とは、戦争責任とは、新しい時代の天皇制とは・・・・。

 この15歳の誕生日に受けた衝撃が、明仁天皇の長い長い、まもなく70年におよぼうとする「思索の旅」の根底に、つねにあったのだと思います。

 そしてその思索にはもちろん、父である昭和天皇の戦争責任についての検証と、そうした問題を自分はいかにして克服し、過ちを繰り返さないようにするべきかと言う、大きな心の葛藤も含まれていたことでしょう。
 

 その心の旅が長い手探りの時代を終え、ひとつの形を取り始めるきっかけとなったのは、東京からはるか遠く離れた島、沖縄との衝撃的な出会いだったのです。
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 サイパンの慰霊にも出掛けられています。
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 そして今年(2015年)は、80歳を超えてパラオ諸島へも巡礼の旅に行かれました。
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 中国に対する想いと謝罪もされています。
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 韓国に対する想いと謝罪もされています。
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 象徴天皇制という制約だらけの立場の中で、巡礼の旅を続けられています。国内では大災害の被災者に常に寄り添い、福島第1原子力発電所からの避難生活を続かられている人々への想いを常にされておられます。
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 終戦から70年の年に、明仁天皇は平和への決意を一層、巡礼と言う形で表現されておられるようにこの著作から感じました。写真も効果的です。
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 安保法制と言う粗雑な「戦争法案」を安倍内閣は「数の力」で国会で採択しようと画策しています。2013年の参議院選挙でも、2014年の衆議院選挙でもこのような「戦争法案」の話は安倍首相は国民に対して一切していません。

 ひたすらご当地ネタか、アベノミクスという経済政策を誇らしげに語っていただけでした。選挙で戦争法案は信任されたわけではありません。そこを現在の自民党の幹部は理解していません。
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 あらためて明仁天皇の「平和への強い願望」を感じました。皆さんへも一読をお薦めします。

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2015.07.13

台風11号北上中

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 気象庁と米軍の台風11号の進路予想では、7月16日ごろが、四国地方は暴風雨の予想が出ています。高知市より西寄りにコースをとれば「最悪」になりますね。

 曇ってはいますが気温は30度。湿度は95%です。

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10年前の内閣府の下知地区調査

 丁度10年前の2005年(平成17年)に内閣府が高知市下知地域を調査していました。ほとんど当時の記録はありませんが、かろうじて探し出しました。

http://futaba-t.cocolog-nifty.com/blog/files/tunamihinan-biru.pdf

 PDFファイルしか痕跡はありません。

 2005年は、未だに二葉町自主防災会は設立されていません。当時は阪神大震災から10年目でした。前年に新潟中越地震がありました。内陸型の直下型地震が日本国内で起こり、2004年にスマトラ沖地震がインドネシアで起きました。

 スマトラ沖地震は巨大地震で大津波が沿岸地区を襲い、知人のご家族も亡くなりました。しかし当時今ほど南海地震については意識はしていませんでした。

 今年内閣府の地区防災計画モデル事業に高知市下知地域もエントリーし、採択されました。これから策定していく作業があります。

 内閣府地区防災計画  http://chikubousai.go.jp/

10年前の内閣府の「津波避難ビル等に係るガイドライン検討会」に資料を掲載します。

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2015.07.12

地域コミュニティの要


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 毎月第2金曜日の午前6時からは、高知市二葉町町内会の「資源・不燃物収集ステーション」が下知コミュニティ・センター前に設置されます。2015年7月10日(金曜)も実施されています。
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 荒木三芳副会長がリーダーで、当番の班長を指揮し、仕分け作業をされています。瓶類は透明・青・茶に仕分け、段ボールも印刷ダンボール(雑紙)と段ボールに仕分けされています。

 [高知方式」という各町内会で細かく仕分けすることで、高知市役所は大規模な中間処理施設の建設はしなくてすんでいるはずです。
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 月に1回町内の人達が顔合わせする貴重な「コミュニティ」になっています。

 戻ってからご近所の道路のゴミ拾いをしました。相変わらずタバコの吸い殻とコンビニのジャンクフードの包装紙を捨ててあるのが多い。飲料ペットボトルや缶、チラシ類もあります。
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 馬鹿な人たちが捨てるんでしょう。今朝は6時半で事務所の気温は28度、湿度は95%もあります。蒸し暑い1日のスタートですね。
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2015.07.11

父も元気にゴルフ・リハビリしました


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 大型台風2個の影響で朝から蒸し暑いですね。今日は海でのセーリングを諦め、父のゴルフ・リハビリにつき合いました。ラビータの温度表示は朝8時半過ぎで27度でした。
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 いつものゴルフ風景ですが、96歳にして球が打てると言うこともある意味凄いことなんでしょうね。自己流の体操で体をほぐし、OS-1(経口補水液)で水分補給しながら、125発を打ち終えました。
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 戻って事務所の温度計を見ますと29度で湿度は95%。温室にいるようです。

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7月19日はマリンフェスティバルYASUへ

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 2015年の、マリンフェスティバルYASUは、7月19日に高知県香南市夜須のヤッシーパークを会場に開催されます。芝生広場のステージと、ビーチを舞台に様々なイベントが開催されます。

 わたしは「無料シーカヤック体験」のサポートとして、朝から晩までビーチ東端の海でいることでしょう。毎年この時期が来ると夏本番であると思いますね。
 
  1人乗りカヌー、2人乗りカヌーもあります。濡れても構わない服装で、体験されてください。海が近く太平洋を肌で感じられます。

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2015.07.10

はりまやー横田医院へ


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 週末で集金日と支払日の10日はせわしいですね。午前中は父(96歳)の植田医院への通院だけですが、午後からは集金がありました。車が混んでいて、はりまや橋商店街へ来たときは、いつもの金曜日より遅め。すぐにでも活き活き100歳体操(介護予防体操)が始める直前でした。
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 それでも母(89歳)は、谷さんところで焼き菓子を買いました。ドーナツ屋さんで、ドーナツも母は買いました。
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 お天気が不順で活き活き100歳体操は、最初は10人ぐらいでしたが、終わるころには17人の参加者がありました。体操を続けることは良いことです。母も腰が痛いとか言いながらも、嫌がらずに体操してました。
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 今日は戻ると父を積んで、横田胃腸科内科へ行きました。父の血圧は横田先生が測定しますと、150-74(午後15時35分)でやや高め。朝植田医院で測定しますと(午前9時)では、98-40でした。血圧って変動がありますね。
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 母は横田先生の測定では134-74で、「いいですね。」と言われました。超高齢者の両親ですが今のところ健康を維持しています。何よりですね。

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入道雲・近森病院・父(96歳)


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 今朝は父(96歳)の植田医院への通院の日です。朝から蒸し暑い。南海上の3つの台風の影響なんでしょう。北の山には入道雲(積乱雲)が出ています。
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 元ボーリング場跡には近森リハビリ病院が建築中ですが、半分ぐらい足場を外し全容が出て来ました。大きな建物です。江ノ口川河畔の低地の軟弱地盤へ8階建てぐらいの病院を建築するので、基礎工事だけで1年ぐらいかかっていました。8月末か9月には完成しそうですね。
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 「蒸し暑いので脱水だけには気を付けてくださいね。それ以外の所見はありません。」と植田一穂先生の診察。健康であると言うことはありがたいことですね。父も暑さを乗り切ってくれるでしょう。
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 そういえば昨日通所した介護予防通所リハビリ施設の体力測定では、父歯数値がすべてよくなっていたように職員の人が言われていました。超高齢者でもトレーニングをすれば体力は増強するものですね。

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仁淀川町の広報紙にも掲載されました。

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仁淀川町仁淀川町地域おこし協力隊小原紀子さんからの情報で、仁淀川町の広報紙「広報によど7月号」にも、長者での田植え体験が、だんだんくらぶの皆さんと高知市二葉町関係者との交流の様子が記事になっていました。

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2015.07.09

内装工事は終了

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雨もり調査にために天井裏へ行き、つり天井を踏み抜き息子が落下した3階の天井の修理が ようやく完成しました。後はクロス屋さんが来られ貼り付ければ内装工事は終わりです。
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 後は外装の工事があります。お天気が安定しないのでなかなか終われませんね。南海上に3つも台風がおりますからお天気は不安定ですよ。
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長者だんだん通信 7月号

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 仁淀川町長者地区で活発な地域活動を展開されているだんだんくらぶ(西森勇幸会長)が「長者だんだんつうしん 7月号」を発行され送付していただきました。

 編集者は仁淀川町地域おこし協力隊の小原紀子さんです。5月30日の二葉町関係者の田植え体験にも取材に来ていただきました。北海道のご出身と聞きました。地域コミュニティの通信や新聞もいいですね。下知地域では「広報下知減災」(下知減災連絡会)があります。将来下知地域内連携協議会でも地域コミュニティ紙の発刊は検討課題ですね。
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2015.07.08

よさこいfactory同窓会


 よさこいfactoryというグループが高知県の製造業を営む若手経営者が参加して、高知県産業振興センターのなかで活動していました。

 2008年か9年頃まで在ったのでしょうか?工業会の製造業ポータルサイトが出来て、私らのような非製造業の零細企業は参加が出来なくなったこともあり、自然消滅の形をとりました。

 昨夜はその当時の中心メンバーの澤龍司さんの声掛けで8人の当時のメンバーが集まりました。場所は柳町のスペイン料理のバルムーチョというお洒落な店でした。

 最近はとんと夜の飲食街へ来ることもありませんので、アウエーの気分でしたが、ワインも料理も美味しく、業界の違う皆さんの話を聞いていると勉強になりました。

 デジカメを忘れましたで、ガラケー携帯で撮影した「自撮り」の1枚だけです。澤龍司さん段取りありがとうございました。
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今治との交流会の様子が新聞記事になっていました

交流の様子が、高知新聞と読売新聞高知版へ掲載されていました。読売新聞は昨日購入を忘れていました。ネットに掲載されていました。県域を超えた事前交流事業は関心が高いようです。
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2015.07.07

93回目の献血をしました

 7日は午後から老師(89歳)による月に一度の整体の日。雨が午後から上がりましたんで自転車で出掛けました。帰り際に堀詰にある叔母の店(水谷龍文堂)へw父より話をしました。近くの日赤の血液センター「はーとぴあ・ヤマモモ」へ寄りました。
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 400CCの献血しました。今年は3月17日していますので、2回目。10月3日以降が3回目の献血となり2015年はそれで献血は終わりですね。400CCは年に3回ですから回数は稼げません。
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 健康であれば目標の100回目は、再来年の2017年の3回目の献血でようやく達成できそうですね。それまで服薬することにないようにしないといけないです。
 
 わたしの血液型はA型のRHマイナス型で、日本人では少数派なのですから。健康を維持し、70歳になるまで献血が出来るように頑張ります。私の数少ない社会貢献ですから。
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 最近はストレスまみれで、運動不足なので、生活習慣病予備軍になっています。雨で運動する気がないというのがまずいですね。

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雨漏り修繕工事の記録

5月の雨で3階階段部が雨漏りは酷いので、専門建築業者にお願いして修繕してもらうことになりました。
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 丁度着工日が、「東北被災地交流ツアーの日 2015年6月20日」になっていました。それ故足場仮設工事風景の写真はありません。施工はいの町の父の家の修繕を2014年にしていただいた(株)タイヘイに依頼しました。
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 今回は 雨漏り対策工事として、屋根の覆いをする。(トタン屋根にする)。樋の補修。外壁のコーキング工事をしました。雨漏りにより傷んだ3階階段踊り場の補修とクロス張をすることになりました。
 
 現場監督より外壁のサイディング・ボートと打ち放しコンクリート面の防錆塗装と美装塗装の提案もありました。これらの工事は足場がないと出来ません。追加工事もお願いしました。

 足場に昇降し確認するとやはり傷んだり劣化箇所も多くあります。出費は痛いですが、メンテナンスですので仕方はありませんね。工事の記録としては足場がかかった状態でしかの写真しかありません。
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2015.07.06

雨の週初めのスタートです。


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 今日も明日も雨らしい。
 今朝6時半の事務所の温度は24度、湿度は92%。今週から来ますと言われていました屋外部の工事業者さんは来れませんね。
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 懸案の雨漏りは屋根と樋と外壁のコーキング処理で止まりました。それはやれやれですが、仕上げになりませんね。お天気は仕方がないですね。

 雨で元気なのはゴーヤさんだけですね。
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今朝は朝1番は父の通院への付き添いに。なでしこさんたちのW杯決勝戦は見ることは出来ません。ぜひ優勝していただきたいものです。
 3位決定戦はイングランドが勝ちました。気持ちが強いほうが試合には勝ちますね。なでしこさんは強い気持ちがありますから。勝ってほしいです。

 昨日の今治市連合自治会防災部会と防災士連合会と下知減災連絡会有志との意見交換会、交流会は大盛況で盛り上がり良かったです。

 下知コミュニティ・センター屋上のテントとブルーシートの乾燥と片付け作業がありますが、お天気でないと出来ません今週も慌ただしい1週間ですね。

 今朝は父(96歳)の植田医院での診察と点滴の日。朝8時試合開始のなでしこVSアメリカの試合をTVで父は見ていて「また入れられた!」とか叫んでいました。通院を促して車に乗せました。

 車のラジオで聞き、父の点滴の間もガラケー携帯のワンセグ画面で見ていましたが、戦況は芳しくなく2-5での大敗。最初から澤選手を投入すればあれほどの大差にならなかったでしょうに。悔やまれる惨敗ですね。
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 さて父ですが「貧血の値も14.2。クレアチリン値や尿素窒素も小康状態で安定しています。この調子で脱水に気を付けて夏を乗り切ってください。」と植田一穂先生。父は超高齢者ですが体調が良いことは家族にとりましても嬉しいことです。

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今治市連合自治会防災部会・防災士連合会との合同防災訓練

2015年7月5日は、下知コミュニティ・センターにて、今治市連合自治会防災部会・防災士連合会との合同防災訓練が行われました。今治側は午前8時半に今治市役所を出発し、10時半過ぎに南国市道の駅から、山中晶一高知市地域防災推進課主査がバスへ乗り込み、高知市の防災・減災対策を説明いただきました。
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 11時過ぎに今治の皆様は下知コミュニティ・センターに到着されました。そして全体会が始まりました。
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 歓迎の挨拶を下知減災連絡会会長森宏さんが行いました。今治市側は今治市連合会自治会副会長の田中弘さんが挨拶をしていただきました。引き続いて下知減災連絡会事務局長の坂本茂雄さんから「高知の南海トラフ地震未災地の私たちが被災地に学ぶ交流の旅報告」を行いました。
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 講演の中で坂本茂雄さんは、共有化しなければならない課題として4つを上げました。

1)過去の体験から来る備えと危機感の温度差。

2)在宅被災者の格差課題の克服。

3)防災力・復興力を後退させいぇいた市町村合併。地域で「顔の見えるコミュニティの再構築」の必要性。

4)事前復興の重要性。
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 などでした。今日の合同訓練には、「東北被災地交流ツアー」に参加したメンバーである坂本茂雄さん以下、西田政雄さん、中岡久幸さん、公文秀明さん、荒木三芳さん、横田政道さん、武内則男さん、西村健一など8人全員が出席していました。

 続いて分科会へ移りました。4階では「市民トリアージと応急手当」を今治市の防災士会の皆様が寸劇を交え行いました。小学校でも講演されているとのことで、とてもわかりやすい内容でした。
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 クラッシュ症候群の危険性。家具などに長時間挟まれた人には水分補給をすること。直接圧迫止血法や、単純骨折固定法や、災害時に水洗トイレを非常時に水を流さず使用する方法を伊藤雅章さんと、砂田ひとみさんを中心にわかりやすく説明をされていました。
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 またミニHUG(避難所HUGは、避難所運営を皆で考えるためのひとつのアプローチとして考案されました。避難者の年齢や性別、国籍やそれぞれが抱える事情が書かれたカードを、避難所の体育館や教室に見立てた平面図にどれだけ適切に配置できるか、また避難所で起こる様々な出来事にどう対応していくかを模擬体験するゲームです。プレイヤーは、このゲームを通して災害時要援護者への配慮をしながら部屋割りを考え、また炊き出し場や仮設トイレの配置などの生活空間の確保、視察や取材対応といった出来事に対して、思いのままに意見を出しあったり、話し合ったりしながらゲーム感覚で避難所の運営を学ぶことができます。

HUGは、H(hinanzyo避難所)、U(unei運営)、G(gameゲーム)
の頭文字を取ったもので、英語で「抱きしめる」という意味です。)

 高知大学にある「防災すけっと隊」のOBの人達が中心になって運営いただきました。こちらへは参加していないので、今回がどのような内容で、どういう集約をされたのかはわかりません。
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 「支援力・受援力ミーティング」には、今治側から(田中弘副会長や、瀬野智之さん(今治市防災危機管理課係長ら5人が参加。地元からは若松町横田自主防災会会長と、吉本丸池町防災部長、坂本茂雄下知減災連絡会事務局長、高木妙市議も参加し、意見交換をしました。

 合意した事項は「普段からの交流が大事であり、それが絆になり、将来は高知市と今治市が災害時に相互支援協定を締結すべきであろう。」ということになりました・そのためには両市の市民同士の交流が何よりであり、今度は今治へ来てくださいねということも言われました。

 一方その間に炊き出し班は、今治側は名物の焼き鳥を屋上の災害時LPガスユニットで焼き、お米の炊飯は4階のベランダにガスコンロをツバメガスさんのご配慮で設置し、炊飯しました。ナムル丼を調理いただきました。
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 下知側は森会長が鰹を調達し、刺身とたたきに調理して搬入しました。飲み物は西森酒店からお茶とノンアルコール・ビールを搬入しました。

 4階の多目的室で大勢で食事をして語り合いしました。参加者各位も大満足頂きました。
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 そして二葉町町内会長の楠瀬繁三さんが締めの挨拶をしました。今治市防災士会の副会長の田窪豊弘さんも挨拶され、全体会合は無事に終了しました。
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 その後今治の皆様方は若松町の堀川岸壁の耐震護岸工事を見学され、五台山の展望台から高知市下知地域を眺望され、帰路につかれました。

 下知関係者はセンターの清掃と後かたずけをしました。事故もなく無事に事業は終わりました。

 安芸市から自主防災組織の女性部会長の仙頭ゆかりさんや、災害用防災食を開発されている小林智子さん(高知大学大学院)も来られておられました。センターの防災部会長の雑務に追われ、ろくに対応できずに申し訳ございませんでした。お詫び申し上げます。

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2015.07.05

詐欺の文面でしょうか?プロが書いているのでしょうか?

これって詐欺なんでしょうね。

 さきほど得体の知れないところから、得体のしれない不気味な文面のメールが来ていました。内容はいかのとおりです。

「補助金受給者資格者800名の皆様にお振込させて頂きました。本日お引き出しの際は下記からお願い致します。」

 →なにやらアドレスをリンクしてあります。

 次のメールはこう書いてありました。

「申し訳ありません。これより個人情報をご登録させていただきます。」

 →個人情報登録に誘導するリンクが貼られていました。

 こういう文面もありました。

出来ればすぐにでも会いたいです!
すぐ会える人探してるって事は時間会ったりするかなぁって思ったんだけどどうかな?(*´ェ`*)  私も今は彼氏とかも居ないし、仲良くなったら会ってみたいなって思ってるしさ~(〃▽〃) ここに連絡先とか写メ貼ってるし時間ある時にでも連絡してよね?(*´I`*)

1人になっちゃったし~…
私も昨日フラれちゃって1人で寂しくてさ~φ(´ε`*)  それで掲示板見てたら書き込み見つけてすぐメールしちゃったぁ(笑) こっちだと連絡取りにくいし私の連絡先載せておくからよかったら直で連絡ちょうだい~♪

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2015.07.04

7月の父のゴルフ・リハビリ

 今朝は朝から小雨の降る高知市ですね。父(96歳)のいつものゴルフ・リハビリに付添しました。大橋通りのラビータの温度表示は22度でした。湿度は事務所の湿度計では92%ですが、蒸し暑くは感じません。
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 デジカメを充電していて忘れました。ガラケーのカメラで撮影しました。シャッターの押すタイミングがずれるので良い写真は撮れません。今日も125発をゆっくりと打ちました。調子は良いようです。
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雨模様ですね


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 ビックコミック・オリジナル誌の発売日なので、近くのコンビニまで散歩。生憎小雨が降っています。

 ご近所の紫陽花もすっかり「終わった」感じ。梅雨明けは近いでしょう。しかしまだ蝉羽化しませんからまだでしょうか?
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 事務所の温度計は25度で湿度は92%。天気図を見ても前線が日本列島に張り付いています。梅雨明けは前線が北上することですからまだまだですね。
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 屋根の工事は先週終わりました。おかげで雨漏りは止まりました。外壁の補修と塗装、内装工事があります。支払いが怖いです。
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東北の皆様の想いが詰まった資料を公開します

2015年6月20日から23日の予定で、高知の下知地域と防災支援活動を行っている人たち総勢8人(+現地集合1人)で、「東北被災地交流ツアー」を実施いたしました。事前資料として45ページの意見交換会用の資料を、団長の坂本茂雄さんにいただいていました。坂本さんから掲載の許しが出ましたので掲載させていただきます。何かの参考になれば幸いです。

坂本茂雄さんは、現地から送付された資料を拡大コピーしたり、切り貼りしたりして「加工」し、旅行参加者全員に事前に資料を配布していただきました。紙面に登場する人や現地に実際に行きましたので、大変参考になりました。うちのスキャナーの性能が今一つなので、細かい字は見えにくい。それでも各紙の見出しを見ていましても、震災後4年3か月経過するのに復旧・復興がままならない厳しい現実を思い知らされます。

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2015.07.03

7月最初のはりまや橋サロン

 どん曇りで今にも雨の降りそうなお天気。母(89歳)を連れてはりまや橋商店街へ行きました。先週は東北旅行の疲れと雨模様で休んでいました。
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 コロッケ屋さんで夕飯のおかずを購入。谷ひろ子さんのお店で焼き菓子を購入しました。活き活き100歳体操(介護予防体操)の準備をしている間に、ドーナツを母は購入していました。
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 今日の活き活き100歳体操は、17人が参加していおりました。曇天でしたので、屋外で体操をしました。
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何故復興・復旧が遅いのか?

 2015年6月20日から23日の間、高知からの有志8人と、現地集合した名古屋大学環境学研究社会学講座准教授の室井研二さんの合計9人で、「東北被災地交流ツアー」をしました。石巻市、東松島市、女川町、名取市の地域づくり組織の人達や、被災者の皆さん、被災者を支援されているNPO団体などと意見交換しました。

 現地で予約したバスで4日間廻りました。ある時室井先生がこう言われました。

「2004年に被災したインドネシアのアチェへ昨年行きました。市街地は家屋やビルで埋まっていました。復興していました。

スマトラ島沖地震から10年、めざましい復興が分かる比較写真

http://www.huffingtonpost.jp/2014/12/11/boxing-day-tsunami-pictures_n_6306600.html

 それに引き替え日本は震災から4年3か月経過しているのに、未だに工事中。あと年は工事にかかるところもあるとか。なぜ日本はこれほど復興に時間がかかるのか?」

「インドネシアも政府は津波危険地区を指定していたそうですが、住民は無視して家を建てました。その是非はどうなのか考えてみる必要はありますね。」と言われました。考えさせられました。
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2015.07.02

やはり外壁のサイディング・ボードも劣化が始まっていました

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  お昼休みに、事務所と自宅の兼用の建物の仮設してある足場に昇降してみました。さすがに上まで行くと髙い。うちの家は敷地が狭い場所に建てられたので高さがあります。
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 上から眺めると景色も違いますね。やはり年月で劣化している箇所もありました。

防錆塗料はうちが販売しているものを使用します。

 http://www.nc-21.co.jp/(防錆屋)

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下知地区減災連絡会役員会


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 下知地区減災連絡会役員会が、2015年6月30日に下知コミュニティ・センターで開催されました。役員定数の過半数を超える出席と委任状がありましたので、役員会は成立しました。
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 森宏会長は「いろいろと忙しい中下知減災は事業が多くて大変です。皆で力を合わせて頑張りましょう。」と挨拶されました。

 議案は坂本茂雄事務局長が説明されました。2014年度の事業報告と決算報告がされました。事業報告の中で「この間、高知市とともに取り組んできた昭和小校区津波避難計画策定段階の地区指定ビル(下知地域の自主防災会が所有者と協定を締結した建物)と、高知市の作成した昭和小学校校区津波避難マップにおける「地区指定の津波避難ビル」の扱いを巡って齟齬を生じることになり、今後に課題を残しました。」とありました。

 下知地区減災連絡会加盟の各自主防災会は活発な独自の活動をされています。決算報告の説明もされました。

 一方2015年度の事業計画(案)につきましては、下知コミュニティ・センター防災部会との連携事業も多くあります。なかでも内閣府の「地区防災計画モデル事業」に高知市下知地域は27年度に全国22地域のなかで選ばれました。

 地区防災計画(内閣府)http://chikubousai.go.jp/

 7月10日の関係者顔合わせ会をスタートに、行政、コンサルタント、などを交え下知減災連絡会の役員も交えた検討会で議論をしていくことになりました。
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 また来賓で来られていた高知市地域防災推進課の山中チームより「下知地区における防災の課題と対策」「津波避難ビル指定重点対策プロジェクト」の説明がなされました。市役所と住民各位が情報を共有化することを再度確認しました。
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 7月5日(日曜日)に下知コミュニティ・センターにて開催する「今治市連合自治会防災部会・今治市防災士会による高知市下知地域への災害時支援共同防災訓練」について、西村健一下知コミュニティ・センター防災部長から説明がありました。
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 国見俊介地域内連携協議会会長からは、7月18日(土曜日)にちより街テラスを会場に開催されます「スマイル・しもち」の概要説明と協力依頼がありました。
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  真摯な議論で、役員会は終了しました。

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2015.07.01

減災活動先進地今治市防災士会に学ぶ

 南海地震に備えについて

 基本中の基本をわかりやすくまとめていただいています。「大地震を乗り切る4つの基本」として、「1・家具の耐震補強」「2・速やかな避難。助け合い」「3・最低1週間分の備蓄」「4・災害時トイレの使用法について」です。

  家具の耐震補強は、家具の固定は、高知市下知地域では絶対にしておかないといけないことです。地震発生後地域では地盤が沈下する可能性があり、30分後に津波が襲来する恐れがあります。

 家具に挟まれたり、低層住宅からすばやく脱出できませんと、浸水が始まりますので、その時点で助かりません。

 またご近所同士顔見知りになり、声を掛け合って、近くの津波避難ビルや、津波一時避難(退避)場所へ駆け上がり、24時間は待機しましょう。
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 災害時のトイレ使用法について

 今治市の防災士会の優れているところは、自宅避難の場合の自宅トイレの安全な使用方法を懇切丁寧に書いていただいています。参考にしたいと思います。
 
  断水・停電を予想した対策が必要です。とても参考になります。

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 市民トリアージと応急手当

 医療機関などとも協議され、指導を受けながら「市民トリアージ」を実践されています。「病院に運ぶ重症者と、救護所での応急処置が必要な継承者を振り分ける」ことです。とても参考になります。。

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