福島高明さんのご逝去を悼む
かつて高知青年会議所時代に一緒に活動し、一級建築設計士であり一級造園施工管理技士でもあった福島高明さんが、2015年7月19日にご逝去されました。高知青年会議所からのFAXで19日の夕方知り、20日の高知新聞朝刊の死亡広告で知りました。62歳でした。
私と同じ1953年生まれですが1月生まれですので、学年は1学年上。知り合った当時は実家の婦人服衣料販売店を経営されていました。建築にも興味があるのか、1987年10月に建てた私の事務所兼自宅を「見学」に来られていました。
翌年単身アメリカへ行かれ、2年ぐらい遊学されていました。帰国後難関の一級建築士の資格を取得、建築設計士で活躍されていました。わたしは青年会議所時代は、夜須をテーマにした事業(海洋連続セミナー)や、野外ロックコンサート、都市再開発セミナーや浦戸湾花火大会などを企画し、「高知JCの資金を使いまくった」とも言われていました。当時福島高明さんは「けんちゃん面白いことしゆう。頑張りや。」と励ましてくれました。
また2004年に当時コミュニティFMで番組を制作していました。ゲストとして福島高明さんに出演いただいたことがあります。ランドスケープ・デザインと市民参加についても造詣が深く感心しました。そのやり取りの一部です。
私「もともと福島さんは服飾関係の店舗を経営していました。人が集まり、楽しく過ごす商いの原点はご存知であると思います。街が荒れないようにする工夫は商店街が元気になることであると思いますが。」
福島「これからは商店街の組織の中でも、デベロッパーをされている方、テナントの方も含めた本当の意味のコミュニティを形成するべきですね。
組織の付き合いではなくて、テナントも積極的に関わりを持つべきだと思います。
真剣にそのなかでまちづくりを考えるべきですね。」
私「郊外型大型量販店の発達の一方で、中心市街地が空洞化するという1970年代の米国のような状況の高知市です。しかし一方で少子高齢化が進んでいます。高齢者に大型量販店はなじみません。なにか商店街が元気になる方策はありますか?
福島「そうですね。商店主の努力も必要です。プロを養成しまして、ビジュアル・マーチャンダイジングも必要です。まだまだ学ぶ必要があります。
消費者の観点からも使い分けが大事です。地域を安全にするためには地元の商店街で買い物することも大事です。地元ではこれを買う。食品スーパーではこれを買う、大型量販店ではこれを買う。と言う具合に使い分けをします。
私「障害者や高齢者に配慮したまちづくりはどうあるべきであると考えますか?建築家としてどう関わりを持たれますか?
福島「建築家が集まって考えるだけでなく、障害者や高齢者と交流して、意見交換するようなコミュニティを形成するべきでしょう。個々の障害に応じた対応を考えたらいいのです。」
大変ノーマルな考え方をされていました。アメリカへ単身行ったり、中年間際で一級建築設計士になったり、一級造園施工管理技士になられたり、キャリアもこしらえました。
最近は耐震設計のみならず、耐震施工もされ。ご多忙と聞いていました。
お通夜でお兄様の明さんに聞きますと、「間質性肺炎という難病で亡くなりました。仕事が忙しく、亡くなる1週間前まで仕事していましました。だれも亡くなるとは思っていませんでした。」とのことです。
間質性肺炎は難病です。調べますと「その病態から、呼吸困難や呼吸不全が主体となる(息を吸っても吸った感じがせず、常に息苦しい)。また、肺の持続的な刺激により咳がみられ、それは痰を伴わない乾性咳嗽である(痰は気管支や肺胞の炎症で分泌されるため)。肺線維症に進行すると咳などによって肺が破れて呼吸困難や呼吸不全となり、それを引きがねとして心不全を起こし、やがて死に至ることもある。」とのことです。
喪主の息子さんの挨拶で「父は2月頃から咳ををして、病院へいきましたが、2つの病院でインフルエンザという診断でした。7月8日により体調が悪くなりました。その時間質性肺炎と診断され、治療の甲斐なく19日に亡くなりました。」と言われました。
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仕事も忙しく、さぞかし無念であったと思います。その想いは設計士で後を継がれる息子さんに継承されていかれることでしょう。
福島高明さんは同年齢でユニークな人柄だっただけに、心よりご逝去を悼みます
(写真は2004年当時の写真です。福島高明さんから提供いただいた写真です。)
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