「戦争をしない国 明仁天皇メッセージ」を読んで
「戦争をしない国 明仁天皇メッセージ」(矢部宏治・著・須田新太郎・写真・小学館・2015年7月・刊)を新刊で購入し読みました。週刊ポストに宣伝があったので金高童書店で購入しました。明仁天皇の実像が語られています。写真も効果的に使われています。見入ってしまいました。
象徴的な写真に明仁天皇の言葉が載せられています。
「普通の日本人であった経験がないので、何になりたいと考えたことは1度もありません。皇室以外の道を選べると思ったことはありません。」と言う言葉は衝撃的でした。確かにそうですが、「当事者」の発言だけに重たいです。
明仁天皇が生涯をかけて先の大戦の戦没者の慰霊をされている。その強い意志に驚きました。いったい今の安倍内閣は何をしているのだろうと思う。
明仁天皇の平和への想いを平気で踏みに知る行為をしています。恥ずかしくはないのだろうかと真底思います。
11歳の時に日本の敗戦があり、疎開先の日光から東京へ戻って来られた時一面の焼け野原に衝撃があったと思います。15歳の時に職業選択の自由がないことを良く理解されていたのです。
25歳で美智子妃と結婚する直前には、
「ぼくは天皇職業制を何とか実現したい。(略)毎日朝10時から夕方の6時までは天皇としての事務を執る。(略)そのあとは家庭人としての幸福をつかむんだ」
「僕は皇居内に住みたくない。皇居はなるべく早く開放して、大衆向きの公園に使ってほしい。(略)天皇になっても、ぼくは街の中に住む」(P9)
その願望は実現しませんでしたが、美智子妃殿下と一緒に、3人の子供たちを自分で育てることは貫徹しました。強い意志を感じます。
昭和天皇の誕生日の4月29日(1946年)に東京裁判でA級戦犯が起訴され、明仁天皇の誕生日(15歳)の12月23日(1948年)に処刑されたのは偶然ではありません。
「この裁判と処刑が何を意味するのか、天皇とその後継者は、絶対に忘れてはならない。」(P17)の占領軍のメッセージがこめられています。
「日本とは何か、敗戦とは何か、占領軍とは、憲法とは、戦争責任とは、新しい時代の天皇制とは・・・・。
この15歳の誕生日に受けた衝撃が、明仁天皇の長い長い、まもなく70年におよぼうとする「思索の旅」の根底に、つねにあったのだと思います。
そしてその思索にはもちろん、父である昭和天皇の戦争責任についての検証と、そうした問題を自分はいかにして克服し、過ちを繰り返さないようにするべきかと言う、大きな心の葛藤も含まれていたことでしょう。
その心の旅が長い手探りの時代を終え、ひとつの形を取り始めるきっかけとなったのは、東京からはるか遠く離れた島、沖縄との衝撃的な出会いだったのです。
そして今年(2015年)は、80歳を超えてパラオ諸島へも巡礼の旅に行かれました。
象徴天皇制という制約だらけの立場の中で、巡礼の旅を続けられています。国内では大災害の被災者に常に寄り添い、福島第1原子力発電所からの避難生活を続かられている人々への想いを常にされておられます。
終戦から70年の年に、明仁天皇は平和への決意を一層、巡礼と言う形で表現されておられるようにこの著作から感じました。写真も効果的です。
安保法制と言う粗雑な「戦争法案」を安倍内閣は「数の力」で国会で採択しようと画策しています。2013年の参議院選挙でも、2014年の衆議院選挙でもこのような「戦争法案」の話は安倍首相は国民に対して一切していません。
ひたすらご当地ネタか、アベノミクスという経済政策を誇らしげに語っていただけでした。選挙で戦争法案は信任されたわけではありません。そこを現在の自民党の幹部は理解していません。
あらためて明仁天皇の「平和への強い願望」を感じました。皆さんへも一読をお薦めします。
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