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2015年9月

2015.09.30

閖上復興だより 35号をいただきました。


 2011年3月11日の東日本大震災で大きな津波被害を受けました宮城県名取市閖上閖上(ゆりあげ)地区。このたび「閖上復興だより35号」をいただきました。

 6月23日に現地を訪れた時に日和山で語り部をしていただきました格井直光さんが編集長をされています。

 東北被災地に学ぶ交流の旅(その4)4日目

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/44-b965.html

 今回の紙面では閖上地区の復興工事が進展し、2つの水門が解体され、土地のかさ上げ工事も最終局面が近くなり、今秋には閖上小学校、中学校も解体が予定されているようです。

 閖上まちづくり協議会の様子も丁寧に紙面で説明されています。地域活動の様子も丹念に掲載され、10月18日の日和山で開催される閖上復興祈願祭の告知もされています。

 この「閖上復興だより」は、個人・企業の寄付で発行費用を賄われています。広告も地元にゆかりのある企業が出していて、地域の事情がよりわかりますね。

 「事前復興」を念頭に内閣府の「地区防災計画」を始めた高知市下知地区。こうしたコミュニティの広報紙の必要性はありますね。
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2015.09.29

両親は介護予防通所リハビリへ行きました

 火曜日と木曜日の午後12時過ぎには、父(96歳)と母(89歳)は2人そろって介護予防通所リハビリ施設へ行っております。
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 父は月曜日は自分1人で通所し、週3回利用させていただいています。
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 父は要支援2ですが、安倍政権の社会福祉切り捨て政策の履行により、要支援が介護保険制度から切り離されることになるようです。後は市町村で勝手にやれと言う具合になるようです。

 介護保険料の国の負担を軽減するために「高齢者の切り捨て」が実施されています。すでに96歳の父(戦争に2回も招集され、働き続けて来ました)は、僅かな年金支給者ですが、介護負担が2割になり、施設利用額が倍額になりました。

 要支援が介護保険から切り離されれば、今通所している介護予防通所リハビリ施設は経営が成り立たなくなり(利用者の多くは要支援者)最悪廃業も考えられます。

 市町村がその代行をやるという計画を聞きますと、無資格の地域の住民が、体操のサポートしたり、高齢者の買い物の付添をしたり軽度の介助をすることで、費用を削減しようと言うものです。

 でもそれは経費削減だけが目的であり、結局高齢者福祉の切り捨てになります。父のようにお国のために兵役に行き、敗戦後懸命に働いてきた高齢者を国が捨て去る全く無責任な政策です。話を聞くと父は今通所している介護予防通所施設が利用できなくなる可能性が高いです。
 
  父は慢性腎不全です。植田一穂先生の指導で減タンパク食を食べ、水分補給を注意し、保管するために週に2回植田医院で点滴しています。適度な運動が良いと植田先生は言われるので、週に3回介護予防リハビリ施設でスロートレーニングをしています。

 その施設が使用できなくなれば、父の健康不安は増します。せっかく、医師とケアマネ―ジャー。介護施設が連携して良好な健康状態を維持し、人工透析をしなくて良い状態をキープしているのに、それが崩壊する可能性もあります。

 高齢者の介護2割負担で安倍政権は800億円高齢者から収奪しましたが、新国立競技場問題や、マークの白紙化で3000億円の税金を無駄遣いし、関係者は誰1人責任を取りません。釈然としない社会ですね。
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ゴーヤさんも今年はお終いですね


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 大多数の皆様は既にゴーヤを撤去されていると思います。うちは、6月下旬から8月上旬まで雨漏り防止工事と外壁防水工事が続いたため、ゴーヤさんを空き地で放置しておりました。

 そのせいかツルも伸びず緑のカーテンを形成することもなく、シーズンが終わってしまうことになりました。
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 今の時期せっかくなったゴーヤさんの実も蛾の幼虫が食い荒らしているようです。今週末か来週にゴーヤさんを撤去しようと思います。今年げんきだったのは、ブーゲンビリアでした。
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災害に備える食品備蓄と非常食の作り方

 2015年9月13日には、高知市若松町自主防災会主催で、下知コミュニティ・センターにて「防災炊き出し訓練」が行われ、隣町の二葉町住民として見学参加していました。もうずいぶん前の事です。

 若松町防災炊き出し訓練

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/post-1707.html

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 防災炊き出し訓練は小林智子さん(高知大学農学部修士課程)とヘルスメイトさんたちのご指導で的確にされていました。
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 ポリ袋を2枚にしてお米80gに水120gを入れ、下知コミュニティ・センター屋上でお湯を沸かした大釜に入れて30分つけておくとおいしく炊き上がりました。
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 その時いただいた食品備蓄の考え方や、買い置きしたい食品の例のチラシなどは全国どの地域でも参考になると思いました。
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 災害大国日本です。この資料を参考にされ、食品備蓄をしましょう。いざと言う時に慌てないことが大事です。
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 こうした資料もスキャナーで取り込んでWEBに掲載しておかないと、整理・整頓ができないわたしなので散逸していまいます。WEBに上げることで「情報の共有化」(それが目的ではありませんが)が「結果的」にできれば幸いです。

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2015.09.28

肋骨は”亀裂骨折”とか

 9月26日に香南市夜須のYASU海の駅クラブの斜路でジュニア・ヨットクラブの艇を引き上げる最中に、滑って右肋骨を斜面で強打しました。あざも出来ました。

 息をするとき痛いとか、寝返りを打つと痛いとか、そういうのはないですが、ラジオ体操をすると、飛び上がる動作をした時に痛みは出ます。

 てなことで午後から整形外科にて診断を受けました。
医師曰く「レントゲンを見ましても明確な骨折は見られません。痛いと言う部位の近くが、画像を拡大しますと、ひびが入っているようにも見えますね。亀裂骨折といいます。別に安静が必要ではなく、運動も構いません。」とのことです。
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 肋骨の骨折についての」サイトでの説明

http://kotoseikeigeka.life.coocan.jp/11rokkotu.htm
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イラストは左胸になっていますが、わたしは右胸ですね。

 ひびは入っているでしょうが,痛みを感じる運動は避け、そのほかの運動はかまわないそうです。

 前回2008年12月23日にも同じように斜路にへばりついている青のりで滑り肋骨を強打し骨折しました。7年前のことでした。

 あのときよりは軽傷のようです。28日は久しぶりにスポーツジムへ行きました。

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父(96歳)は元気です。


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 午前中に植田医院へ父は行きました。「クレアチリンの値は小康状態です。健康状態も良好です。」と植田一穂先生。家族としては何よりです。
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 診察が終わった後、近くの駐車場までは徒歩で歩きます。ちゃんと2歩足で歩行できるうちは大丈夫です。午後からは介護予防通所リハビリへ行きました。母(89歳)は、朝から1日ディサービスへ通所しています。

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2015.09.27

元気に父はゴルフ・リハビリしました


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 街中を走行していますと高知市の中心市街ですが屋上の看板広告が少なくなり、ビルも空室が増えたようです。安倍首相は盛んにアベノミクスの経済効果を述べていますが(選挙対策用にだけ)実際の街角景気は良くありません。現実を見るべきでしょう。
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 どん雲の高知市です。父(96歳)の付添でゴルフ・リハビリに。途中のラビータの温度表示板は23度(午前8時45分ごろ)随分涼しくなりました。
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 父は入念に自己流の体操をして、OS-1(経口補水液)で水分補給して、球を打ちます。大きな番手のクラブから打っているようで、9番。8番、7番とアイアンを打ちます。6番も打つようです。
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 時折休憩を挟んで125発打ちました。階段昇降も苦痛なく出来るようになりました。私は右の肋骨が痛いので今日は左手でクラブを持ち運びしました。

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どうなる新堀川


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 先日新堀川の生態に詳しいMさんからメールが送信されてきました。

「添付のファイルは小生の知人による高新の記事です.内容ははりま
や一宮線の新堀川沿いの道路拡幅計画の環境アセスに関連したもので
す.

実は昨年の10月にこのアセスの結論が出鱈目であることに気づき
ました(県のHP はりまや一宮線 で検索できます).

.委員長は過去に新堀川のシオマネキの移植を可とした人です.移植先のシオマ
ネキはとっくに姿を消しています.明らかに失敗です.私は門外漢が
何をほざくか! という事で,県の意向に背く悪者になりましたが,
生物学的根拠で失敗すると判断しており,その通りになりました.も
う皆さん忘れたかもしれません.

 これはさておき,これまで2度にわたり都市計画課にアセスの結論
を見直すよう「陳情」しましたが,その後,何の反応もありません.」

 との内容でした。

 高知県庁土木部都市計画課

 県道はりまやー一宮線工区について

http://www.pref.kochi.lg.jp/soshiki/171701/harimayacyouikkusennnituite.html

 都市河川である新堀川ですが、シオマネキとかアカメが散見されます。現在県道はりまや―一宮線ははりまや小学校手前まで4車線化されています。その先は2車線のまま。
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 県のほうは無理やり長距離バスなどもわざわざこの道路に通過させ、県民に「「不便さ」を強いるやり方をして、道路の4車線化をもくろんでいるようです。
 
  しかしながら20数年前に道路計画された頃は、とでん西武百貨店があり、中心商店街もお元気でした。今はとでん西武百貨店は撤退し、商店街も衰退し、高知市の中心街は秦南町のイオンモールになってしまいました。
 
 計画当初の都市の状況が明らかに変化しています。また追う手前小学校を廃校にし、新堀小学校と統合してはりまや橋小学校に改組しました。そのすぐ横を交通量の多い道路に整備することは、今となってはおかしなことです。

 都市の真ん中にシオマネキなど珍しい水生動物がいる河川の方が面白いと思います。韓国ソウルの清渓川(チョンゲチョン)や米国サンアントニア市のリバーウォークなど、都市と河川とが調和した都市づくりがあっても良いとは思います。

 ソウルの親水空間「清渓川復元事業」と新堀川


http://www.nc-21.co.jp/dokodemo/whatnew1/shinborikawa/shinborikawa4.html

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2015.09.26

9月最後の夜須の海


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 朝はどん曇り。朝の天気図見ても高気圧の張り出しが弱く、昨日の低気圧の影響と、南海上から沖縄県八重山地方を伺っている台風21号の影響なんでしょう。
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 夜須へ着くと意外にも晴れていました。ぎ装しようとしますとYASU海の駅クラブのシーカヤックがすべて出払い状態になっていました。香川県高松市子供会の31人(大人9人・子供22人)が、朝7時に高松駅前を出発し、9時前に夜須へ到着していました。
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 今日は高知大学ヨット部もジュニア・ヨットクラブも出艇するとのこと。手早くぎ装して私も出艇しました。午前中は心配していた波も小さいので1人で楽に海へ出ました。
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 風も良かったので赤岡沖まで行きました。
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 聞くとことに寄りますと、高松市子供会のご一行は、シーカヤックで漕いで太手の浜へ行きそこでシュノーケル体験。お昼御飯も大手の浜で食べるとか。子供たちは元気です。

 生憎デジカメの調子が悪く写真は少ししか撮影出来ませんでした。残念でした。
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 お昼は訪にておむすびと卵焼きを購入し、YASU海の駅クラブのデッキで食べました。J風が良いので、食事後すぐに午後の部も出艇しました。うねりが出て来ましたが、風もそこそこあるので良いセーリングが出来ました。
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 午後3時前まで海の散帆を楽しみました。ぎ装(ヨットの組み立て)を解除していますと、ほどなくジュニア・ヨットクラブのヨットが戻って来ています。高波で着艇が難しいのでサポートに行きました。

 10艇のジュニア・ヨットクラブのヨットが戻ってきます。高波なのでヨットを抑え、陸揚げ時には斜路を押してあげました。その時です、斜路の青のりで滑って右胸を強打しました。

 私なりに今日もセーリングの合間に斜路の青のりと昆布をデッキブラシでこすり除去作業をしました。しかし私1人ではすべて除去できません。除去していない箇所で滑ってこけてしまいました。

 この海で帆走する利用者は皆デッキブラシで斜路の青のりを除去していただきたい。特に高知大学ヨット部とジュニア・ヨットクラブは除去作業は義務であります。
 
 野球やテニスは練習前と練習後にグランドの手入れをします。ヨットのグランドは斜路です。競技を目指す者たちは斜路の青のりの除去作業をすべきです。
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 いつもの道の駅やすの駅長の山本宏幸さんとのおっさん2ショット写真です。今日は片付けに時間がかかりました。また斜路で滑り右胸を強打しました。肋骨が折れたかもしれません。ディカメの電池切れに。ガラケー携帯の内蔵カメラにて露木さんに撮影していただきました。

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地区防災計画を説明した動画です

 今年高知市下知地区は、内閣府の「地区防災計画」を検討することになりました。関西情報センターの坊農豊彦さら、紹介していただきました。

http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg12201.html

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地区防災経過も昨年からはじまったばかり。まだまだ浸透していません。「当事者」である私たちも良く理解していませんので。

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2015.09.25

9月最後のはりまや橋サロン

 昨日の大雨が嘘のように朝は晴れた高知市。午後からはどん曇りになり、蒸し暑くなりました。事務所の温度は30度で、湿度は90%あります。
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 母(89歳)に付添いはりまや橋商店街へ行きました。歩行補助車で歩きます。まずは夕飯のおかずを魚の棚のコロッケひろっちゃんで買いました。
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 次に10円饅頭を買いました。おやつです。
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 谷ひろ子さんのお店ではいつもの焼き菓子を買いました。ちゃんと金額が丁度になるように小銭も集めてお支払しています。少しは頭の体操になると思われます。
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 今日は若松町の横田政道さんが訪ねて来ていただきました。はりまや橋の後に五台山自主防災会連合会の役員の人と一緒に面談する予定でしたが、先方の都合が悪いとか。日曜日(27日)に横田さんと一緒に消防の施設で訓練をしに行きますのでその時に面談することになりました。
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 アイスコーヒーとチョコレートケーキを食べました。おっさん2人も意外に甘党です。
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 体操が終わった後は叔母も含めてお茶をし、魚の棚商店街の岡本海産物店で叔母は干物を購入されていました。
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昭和小津波避難ビル巡りを昭和小6年生と一緒にしました。


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 2015年9月24日(木曜)は、午後1時に高知市立昭和小学校(伊藤浩昭校長)の要請で、6年生を対象にした校区内津波避難ビルめぐりを実施することになりました。
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 私の担当はAコースです。昭和小ー知寄町1丁目―宝永町ーセントラル宝永店津波避難ビル見学ー二葉町西森酒店前ー二葉町歩道橋ー鏡川大橋落橋防止対策ー堀川水門―若松町防災行政無線鉄塔―青柳公園耐震貯水槽―下知コミュニティセンターというコースでした。

 引率の先生が1人と同行いただく父兄の方が2人。Aコース周辺の児童が18人が参加しました。
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(下見の時の写真です。) ↑


 まずは知寄町の国見印章堂前歩道。海抜0メートルの表示。電車通りの国道32号線の幹線道路が下知地区では低いことを説明しました。次にCAB(電線共同溝整備事業)が整備されていることを説明しました。地域が水没している状態では電氣や電話の復旧は遅くなる可能性があることを説明しました。
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 宝永町にある海抜5メートル表示ポール。昨今の地震学者の方や、地震対策の行政部署の方に聞きますと、高知市内・市街地への浸水は5m程度になるだろうと言われています。
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http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-af33.html

(国道の海抜表示を普段から意識しましょう。)

 それは、南海地震が発生すれば、高知市の市街地は1M~2M程度地盤が沈下するだろうということ。そのうえに30分後あたりに津波が来襲し、「合わせて5M」程度浸水するということが言われています。

 横断歩道を渡り津波避難ビルになっているセントラル宝永店の階段を昇降しました。6階まで昇り、場所を確認しました。
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 次に横断歩道を渡り二葉町へ。こちらも海抜0メートルということが良くわかります。西森酒店前で説明。西森さんのビルも地区の避難ビルになっていることを説明。近くの津波避難ビルである岡村ビルを説明しました。
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 次に二葉町歩道橋へ登りました。歩道橋も高さが5・3M程度あり、3階建ての建物に相当する高さはあります。歩道橋も1種の津波避難施設であることを説明しました。
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 続いて鏡川大橋の落橋防止対策の説明をしました。P9240022_r

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(下見の時の写真です。) ↑
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(下見の時の写真です。 ↑)
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堀川水門へ移動しました。海が市街地といかに近いのかを生徒たちに確認していただきました。
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 堤防沿いを歩き、今は高潮堤防が耐震堤防になることを説明しました。

 若松町耐震護岸工事について

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/cat52413196/index.html

 若松町にある防災行政無線の鉄塔を確認しました。

 青柳公園の東南角のバスケットボール・コートの地下に耐震貯水槽が埋設されていることを説明。地域全体が浸水しなければ、6000人の3日分の飲料水が確保されることを説明しました。
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  耐震貯水槽の活用問題について

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-7e14.html

 激しい雨になりました。下知コミュニティ・センターは非常階段を利用して屋上へ昇ることを断念し、室内階段を利用し、4階の多目的室へ行きました。
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 下知コミュニティ・センター有光館長が,館内の防災用品の説明と、防災設備の説明をしていだきました。防災の心得と「南海地震は君たちが大人になり働き始める頃に起きるでしょう。下知地域は海抜が低く、災害が起きやすい地域です。それだけに普段から意識して、浸水・津波が起きたら「垂直避難」を心がけ下さい。」とわかりやすい説明をしていただきました。
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 私のほうからは「今回Aコースを巡回して皆さんに感じていただきたいのは、昭和小校区の下知地区は、海がとても近くにあること。全域が海抜0メートル地帯であることです。とにかく地震が南海地震であれば、地域は浸水し、津波も来ます。とにかく有光館長さんが言われたように、率先して垂直避難をしてください。それが津波避難ビルであり、地域防災会指定津波避難ビルであり、歩道橋もそうです。」
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(1000年前は下知地域は海の底でした。)

「今日皆さんに1つの津波避難ビルに登っていただきました。そこにはなにもありません。水も食料もありません。津波警報が発令されましたら24時間は解除されません。わたしはいつも水とカロリーメイトを持ち歩いています。皆さんも準備をしておいてください。」と申し上げました。

 今日参加した昭和小の6年生はこの後の修学旅行で神戸市の人と防災・未来センターへ行くそうです。阪神大震災の記録を追体験する施設へ行くようです。

 地域の防災学習とすれば第1歩でした。今後の方向性を決めるためには教員の皆様との協議やまち歩き、意見交換会の必要性を感じました。

 巡回の途中大雨に。高知県の須崎市や佐川町などが大雨洪水警報が発令されていました。防災体験が終わった直後にエリアメールが携帯へ来ました。高知市春野町に避難準備情報が出たとのこと。
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 。なんとか防災学習体験はできました。他の班も順調に行ったと思います。

 

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2015.09.24

高知市自主防災組織連絡協議会北ブロック会


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 2015年9月16日午後6時半から、高知市自主防災組織連絡協議会北ブロック会が、高知市安心センター会議室で開催されました。下知地区減災連絡会の森会長の代理として出席いたしました。

 今年3月末に高知市災害対策部地域防災推進課は、「無理こむっちゃく」に自主防災組織連合会をこしらえました。主にこの会合は会長が出席されてきました。森会長が体調不良であると言うことで、今回は副会長の私が代理出席しました。

 高知市を東西南北4つの区域に分割、下知地域は「北ブロック」とか。土佐山地区の自主防災連合会の人が北ブロック会会長。全体会合の副会長でもあります。

 メンバーは布師田地区自主防災会連合会、一宮小学校区町内会防災協議会、秦自主防災組織連絡協議会と下知地区減災連絡会の5つの連合自主防災会の集まりでした。

 最初の事務局側の市役所側から「自主防災組織の運営などで抱えている問題点」の説明がありました。話を聞いていますと、コミュニティがしっかりしている地域は活動層が高齢化して若い担い手がいない。市街化している地域は、若い人たちが町内会へも防災会へも入らなくて無関心という地域の悩みが吐露されました。

 続いて各地域の意見交換もしました。

「浸水する地域と安全な地域があります。意識の差はとても大きいです。」

「校区をまたぐとよそ者扱いされることもある。」

「地域が広すぎてなかなか情報がいきとどかない。」

「お祭りや地域のイベントと絡めて防災意識の向上をはかりたい。」

「防災会は頑張ってもなかなか住民の防災意識は向上しない。家具転倒防止の申し込みもわずか3人だけでした。」
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 すぐには出来ないとは思いますが、比較的災害の少ない地域は、甚大な被害をうけるであろうという地域の住民を受け入れていただきたいと思いますね。問題は簡単ではないですが、事前にやるべきことは(地震が来る前に)やっておこないと駄目でしょうから

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2015.09.23

父はゴルフ・リハビリに行きました

 今朝は昨日の夜須での「ヨット&カヤック体験試乗会」の準備とサポートと片付けが少人数のスタッフで苛酷でしたので年寄りには堪えています。今でも筋肉痛。それで朝は父(96歳)のゴルフ・リハビリに付き添いました。
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 経口補水液OS-1で水分補給をし、自己流の体操で入念に体を解します。それから球を1発1発打ちます。
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 観察していますと最初の9番アイアン。次に8番アイアン、7番アイアンと打ちます。20発ぐらい打つと休憩し、水分補給をしてまた打ちます。体がほぐれると6番アイアンと7番ウッド(番手は不明)を打ちます。
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 仕上げは9番アイアンで125発の球を打ちます。今週は連休で植田医院もお休み。それで日曜日と今日(水曜日)の2回連休中には付き添いました。月曜と火曜は介護予防通所リハビリへにも父は行きましたから。
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 適度な運動で、ゴルフ練習終了後の階段昇降も苦痛ではないようです。超高齢者も元気が1番です。昼食の段取りをし、片付け作業をしておりますが、家人から午後から買い出しの命が出ました。母(89歳)は1日ディに行っています。

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「疲れすぎて眠れぬ夜のために」を読んで

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 「疲れすぎて眠れぬ夜のために」(内田樹(うちだたつる)著・角川文庫・・2007年刊)を読みました。古本で高知駅前のブックオフで108円で購入しました。

 精神的に疲れているので、題名に魅かれて購入しました。

 内田樹氏独特の価値観が表現されていて、面白い。
見出しを羅列するだけで、筆者の思想が垣間見えるからです。

「ワンランク下の自分に」

「サクセスモデルの幻想」

「ビジネスとレイバーの違い」

「勝ち組、負け組ということばはさもしい」

「交換は楽しい」とあります。

 「ワンランク下の自分に」という項目ではこう述べています。

「欲望の充足ラインを低めに設定しておけば、すぐに「ああ、なんという幸せ」という気分になれるでしょう。「小さくはあるが確固とした幸せ」(@村上春樹)を1つ1つ積み重ねてゆくこと、それが結局「幸せ」になるための最良の道だと思います。」

 程よい目標で達成感を味わうことは、悪いことではない。それでいいのだ。がむしゃらに高い目標設定して自分を追い込むことだけが人生ではない。そんなことで苦しむのはもったいないと内田氏は言います。

「人間と言うのは、強いけれど弱い。がんばれるけれど、がんばればその分だけ疲れる。無理して先払いしたエネルギーは、必ず後で帳尻合わせるために回収される。この当たり前のことを分かっていない人が多すぎると思います。」(P14) 

内田樹氏は、単なる知識人ではありません。武芸家としての側面もあります。

「どうして、武道のような殺傷技術において、「身体の内側を見つめる」というような観想的な稽古が重視されるかと言うと、それが身体感受性を高めるために最良の訓練だからです。」(P134)

「危険感知能力や気の感応力は人間が生物として生きのびて行くために必須の身体能力ですが、現在の学校体育にはこのような能力を開発するためのプログラムはありません。」

 内田氏は学生時代は体育は苦手だったとか。しかし武道はやりたかったとか。

 「子供の頃、ぼく自身ものくの廻りの誰1人、ぼくのなかに未開発の能力が豊かに蔵されていることに気づかなかったのです。

 だからぼくが世界中の「運動神経の鈍い子」に言いたいのは、もし、君の肉体が何だかわからないが、ある動きを求めてうずくことがあれば、それは未開発の身体能力が呼び起されることを求めているのだ、と考えてみるといいよ、ということですね。」(P148)

 なるほどと思いますね。わたしも運動神経の鈍い子供でした。自転車も水泳もできるいようになったのは小学生高学年。幼少時にやるべきであった運動や遊びを父の都合で小学校を5回も転校したことも影響はあったことでしょう。

 でも32歳の時にヨットに魅かれ、全然技量は上達しませんが(たまにレースへ出ると最下位)30年も継続し、冬場にもセーリングするのはやはり、体のどこかが讀んでいるからでしょう。危機管理能力はアップしたように思いますから。

 また今の世相を予言したようなことを言われていますね。

「左翼の理論は戦前の政治的、文化的運動をほとんど切り捨てますし、右翼の理論は戦後の達成をほとんど評価しません。それぞれの政治理論としてすっきりはしていますが、説明原理にはなってはいません。

 だって説明できない事例が多すぎるからです。そんな偏った理説では、次の世代に対する指針を示すことだってできません。」(P196)

 そしてめざすべきことも内田樹氏なりにまとめています。

「日本人の歴史的経験の中に蓄積されているもののうち、できるだけ多くをカバーし、かつ「すっきりした」日本人像を描けるような物語。

 封建時代も明治維新も大正デモクラッシーも昭和モダニズムも軍国主義も戦後民主主義も極左の学生運動もフェミニズムも、左翼から右翼まで、都市文化も地方文化も。

 メインストリームもサブカルチャーも、全部の政治的、社会的、文化的な思潮を包括的に説明出来しえて、日本社会の「個性」を網羅的に包括することができれば、それは日本についての「うまく妥当する」社会理論であると思います。

 でも、今の社会理論の中に、そこまで包括的なスケールのものはありませんね。そういうスケールを持っていないだけでなく、そういうスケールの大きさを持たなければならないという使命感を感じている「確信犯的」な社会理論はめざされていないような気がします。」(P195)

 わたしがこの4年来こだわり続けている「連合赤軍と新自由主義の総括」なるものは、多分その程度のスケールで考えないと総括できないということがわかりました。

 108円できちんと読書できたことに感謝です。

 

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2015.09.22

ヨット&カヌー体験教室のお世話役をしました。


1日上天気でした。

 今朝は午前7時過ぎに自宅を出ました。8時過ぎにはYASU海の駅クラブへ着きました。 NPO法人YASU、「ヨット&カヌー体験」のお手伝いに来たのです。
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 午前6時から練習をしていると言うジュニア・ヨットクラブが着艇してきました。一休みしてまた帆走練習をするとか。昨日からヨット合宿をしているようです。
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 さてハンザというヨット初心者でもすぐに帆走できるヨットのぎ装と、カヌーをビーチにだし、テントを建てる作業をしました。準備作業が終わるとすぐに体験者が来られました。
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 なかでもお元気でしたのはご自身で「大阪のおばちゃん」と自称する女性4人組。日焼け対策は万全でまずカヌー体験です。小松さんが丁寧にカヤックの漕ぎ方を指導されていました。すぐ海へ出ました。
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 ハンザも出艇しカヌーも何艇も出ました。わたしも巡視のためカヌーを漕いで海へ出ました。海上ではジュニア・ヨットクラブが練習を再開しています。
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 今日は波がなく程よい風が吹き絶好のヨット&カヌー体験日でした。今日も準備―体験指導ー片付けと1日海にいました。自分が遊んだわけでなくお世話役をしただけですが、気持ちの良い1日でした。

 さすがに連休でスタッフが少なく後片づけが大変。貸し出したヨットやカヌーの水洗。救命胴衣の水洗作業。救命艇2隻の引き上げと水洗。艇庫への収納と体験が終わって後片付けが1時間かかり、くたくたになりました。

 相変わらず車は渋滞していました。腕が筋肉痛で上がりません。

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宝永町セントラルの津波避難ビル

 高知市中宝永町にあるパーラー・セントラル宝永店。6階建ての自走式の立体駐車場が店舗に併設されており、電車道側の階段に「津波避難ビル」の表示があります。
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 階段は狭いですが、別に自動車用の斜路もあり、浸水時は自動車が出入りしないので、車椅子や乳母車でも避難は可能でしょう。
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 3階まで上がりますと、相当高いです。低地の下知地区にとりましては、ありがたい津波避難ビルの1つです。
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中宝永町自主防災会の尽力と高知市地域防災推進課のご協力と、セントラルグループのご理解で実現した津波避難ビルです。

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2015.09.21

大渋滞の鏡川大橋付近

シルバー・ウィーク3日目。今日は1日自宅に引きもりです。さきほどようやく浴室の掃除(湯垢落とし)を終えました。耐水ペーパー(番手の大きい細かい目)でこすると水垢は良く落ちます。

 散歩で鏡川大橋方面へ。東西南北車が大渋滞しているではありませんか。そういえば昼前に来られた父が通所する介護予防リハビリ施設の職員の人が、桂浜方面は大渋滞で参りました。とのコメントが・・。
 シルバー・ウィークは近場で行楽と言うのりで皆お出かけではないでしょうか?二葉町歩道橋から見ると大渋滞。久しぶりの光景です。
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 どうやら今年の5連休のシルバー・ウィークは県も市も桂浜方面への対策は何もしていないようです。5月の連休時には、高知新港に臨時駐車場を設置、シャトルバスで観光客を送迎していましたのに。今回は全くなしで交通がマヒしていましたね。素晴らしい県庁・市役所公務員の「事なかれ主義」「前例主義」ですね。役所は不滅です。ビジターのことなどおかまいなしですから。

 鏡川大橋南から橋を渡り1番手前の信号のところの道路を右折せられません。標識が真っ直ぐと左折の矢印しかなくわかりません。うっかり右折しますと御用となります。高知県警が待ち構えておりますのでご注意。
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頑張っているゴーヤさん

 今年は、雨もり修繕工事のためにゴーヤさんに関しましては、4月の末に種を植えましたが、6月20日から8月7日までかまってあげられませんでした。
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 そのため発育が十分ではありません。お彼岸なり涼しくなりましたが、枯れていると思えば、青々とした部位もあり、また発芽したものもあります。9月一杯は置いておきます。

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2015.09.20

ヨット&カヌー体験試乗会

シルバー・ウイークに突入いたしました。連休中は上天気のようです。高知県香南市夜須のYASU海の駅クラブでは、9月22日にヨット&カヤックの体験試乗会が開催されます。
 太平洋を体験されてください。わたしもお手伝いに行く予定です。

お問い合わせはNPO法人YASU海の駅クラブまで

電話0887-57-1855 です。

 濡れてもかまわない服装で体験されてください。

http://yasu-uminoeki.com/

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父も元気にゴルフ・リハビリしました。

 今朝は涼しい朝でした。8時半過ぎに自宅を出ました。大橋通りのラビータの温度表示計は21度でした。
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 父(96歳)は自己流の体操で入念に体を解します。そして球を一発・一発打ちます。20発ぐらい打ちますと休憩し、水分補給でOS-1(経口補水液)を飲んでいます。

 今日は昨日と異なり風がない。しかも快晴で雲がないので、暑くなりました。父は暑いと言いますので、天井にある扇風機を回しました。
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 暑い暑いと言いながら125発打ち終えました。階段昇降も順調にしていました。
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 確かに戻って夜須の様子をライブカメラで見ましたが、夜須も風が弱く、ヨットが殆ど動いていません。昨日は幸運でした、風が程よくありましたから。
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戦争法案が引き寄せる危険性について

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 昨日(2015年9月19日)深夜2時過ぎに、強引に戦争法案が国会で採択されました。朝日・日経・産経・高知の4紙を比べて読みました。

 それぞれの新聞の立場が伺えて比較しながら読むと多少状況が見えてきますね。よく「新聞など買って読まないし、定期購読もしない。ネットで読めば無料だし、それで十分」という人がいます。

 でもyahooニュースの大半は産経系メデァのリンクが張られています。当然偏った主張にしらず知らずのうちに染まりますね。

 ビックコミック・オリジナル(10月5日号)に連載されている「今そこにある戦争 第33話後方支援」(原作テーラー平良・作画稲井雄人・脚色あまゆうき)は、ものすごくリアイティがありますね。
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 漫画では官邸での重要会議が行われている。北朝鮮に中国軍の1部が進出。朝鮮半島に緊張が走る。
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 日本は先の朝鮮戦争の時のように、「後方支援」に徹する。金もうけが出来て、国防軍人のリスクは増大しないと若手国防官僚が発言。
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 それに対し軍司令官は「妄言だ。現代の戦争に前線も後方もない。第1前回、我が国の後方支援に煮え湯を飲まされた相手が、性懲りもなく同じ轍を踏んでくれるなどようもかんがえたものじゃな!!

 今回間違いなく最初に狙われるのは補給路と兵站。すなわち我が国の港湾施設と工業地帯だ。」と言います。

 中国軍司令官も「日本の対ミサイル防衛システムは基地周辺のみ。港湾施設や工業地帯は裸同然だ。
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 前回は日本からの武器弾薬の大量供給にやられましたからね。後方からの補給が断たれば米軍も恐るるに足らず。」とうそぶく。

 首相官邸での重要国防会議では、「すでに在韓米軍は動きだし、我が国に後方支援の要請があった。集団的自衛権の行使を容認してしまった以上、我が国にはこれを拒否するという選択肢はないんですよ。」と。

 なんだか新聞よりも漫画のほうがわかりやすい。現実になりそうな気がする。本当に戦争法案は危険。

 原子力発電所がミサイルや工作員に狙われたら日本は滅亡しますね。戦争法案のおかげで日本は滅亡するでしょう。

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完成まじかな香南市夜須町の津波避難タワー

  

 2015年9月19日に夜須へセーリングに行っておりました。お昼を訪に買い出しに行きますと、国道55号線北側すぐに、香南市夜須の津波避難タワーが完成まじかでした。
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2015.09.19

海は最高でした

 途中高知空港の吹き流しを見ると真横に。物部川付近は8M強の風が吹いていました。野市の風力発電の風車はフル回転状態。この時期にすれば風が強い。
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 夜須のハーバーへは8時半過ぎに到着。夜須は風が弱いです。強く吹く前にぎ装(ヨットの組み立て)をしました。今日はジュニア・ヨットクラブはお休み。高知大学ヨット部は明日開催予定の「ハンドINハンド」と言う障害者もヨット初心者も簡単に安全にセーリングが可能なハンザの世話役。体験者の世話をするとか。
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 結局午前中出艇したのは、私と楠瀬さんのシニア・ヨットクラブだけでした。絶好のセーリング日和なのにもったいない。

 遠い海上の大型台風20号の影響で、結構波が高い。観察すると連続して波が立つ場合と、静かな海面が交互に来るようです。見極めてなんとか出艇しました。

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 風が振れて不安定、右手の石積み護岸堤は、釣りが禁止なはず。数人のおっさんたちが釣りをしている。風の関係で石積み護岸堤から20Mのところを帆走していると。「もっとむこうに行け!釣り糸が引っ掛かる。」と偉そうに言います。

 「ヨットは風向きによって走れない角度がある。第1あんたらは釣りをしたらいかんとことで釣りをしよる。偉そうに言うな!!”」と言い返しました。

 海面で出ると波もなく快適なセーリングです。ほどなくして楠瀬さんが出出艇されたので、ツーリング風の帆走。風が強くフルハイクの連続。ヨットが飛んでいく感覚です。フルハイクしますとセンターボードは海面下に見えます。その状態でヒールを抑え込んで帆走。
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 おかげで腹筋、背筋、両腕、両足が筋肉痛でパンパンになりました。海の上での写真は少しか撮れませんでした。
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 9時半過ぎから正午まで帆走。訪でお昼はおむすびとたまご焼きを購入しました。風が良いので午後も出艇しました。ただ波が高くうねりもより強くなりました。赤岡の手前で引き返しました。ヤッシー・パーク前の海は離岸堤の関係で波が立ちません。そこでしばらく帆走して、午後3時前に着艇しました。結構海で遊びました。
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夜須の津波避難タワー。完成まじかですね。
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 これから秋から冬の強風体験を前触れでしたようなものです。良かったです。キーボードを打ち手が震えています。
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  片付けをして道の駅やすへ行きました。久しぶりのおっさん2ショット写真です。思えば、昨年の2014年サッカー・ワールドカップの頃から始まりました「おっさん2ショット写真」
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 飽きもせず続いております。今日は1998年のサッカー日本代表のTシャツで。一昨日でしたか、日本サッカーの大恩人であるドイツのクラマーさんがご逝去されました。御冥福をお祈り申し上げます。 

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2015年の特筆すべき減災活動について


1月17日   

7年前から二葉町と交流している神戸市長田区鷹取東地区へ、震災20年慰霊祭へ参加していました。毎日新聞全国版が震災特集で、長田と高知市下知地区との交流、下知地区と仁淀川町との交流の記事を1面掲載してくれました。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/cat60291529/index.html
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3月10日  

高知大学岡村眞特任教授のご紹介で、NHKスペシャル取材班が大挙来られ、2月は5回取材対応。3ッ月10日にその様子が全国放映されました。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-a017.html

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5月30日  

仁淀川町長者地区にて、二葉町有志が田植え体験

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-e0a6.html

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6月20日から23日 


有志8人と「東北被災地交流ツアー」を実施。石巻市、東松島し、名取市の被災者団体や支援者団体の人達と交流しました。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/cat62058099/index.html

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7月5日 

今治市防災士連合会50人が、下知コミュニティ・センターにて、下知減災絵連絡会100人と合同防災訓練を実施しました。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-799a.html

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7月17日 

ちより街テラスにて、「すまいる・フェス・しもじ」を初開催。津波避難ビル見学も2回実施し大好評でした。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-7147.html

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8月21日 

下知地域内連携協議会と高知市長との意見交換会の実施

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/post-7719.html

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8月22日  

仁淀川町泉川地区と二葉町有志との交流会の実施

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/post-dfa5.html

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8月25日  

高知大学の要請で、JICA留学生とのコミュニティ防災意見交換会の実施

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/jica-a5db.html

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9月3日   

内閣府地区防災計画第1回検討会ワークショップの実施。
下知地区の事前復興計画を議論しました。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/post-41b9.html

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2015年のこれからの重要な行事予定

9月24日   

昭和小学校校区内津波避難ビル巡り

10月11日  

「避難行動と被災地での避難所運営の実際」
 今野清喜石巻市湊東地区まちづくり協議会代表
 下知コミュニティ・センター午後18時~

10月25日   

五台山2に次避難訓練の実施

11月3日    

昭和秋の感謝祭 あそぼうさい・下知地域内連携協議会主催

11月7日    

第2回地区防災計画検討会・ワークショップ・事前復興計画


11月28日   

下知地区総合防災訓練・避難所運営訓練の実施

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2015.09.18

母とはりまや橋商店街へ行きました


 今朝は父(96歳)の診察と点滴に。植田一穂先生の診察は「絶好調ですね。」ということです。涼しくなって父も調子が上がって来ました。

 戻って来て法務局へ行き、法人登記を済ませました。2年1度のことですが、毎回苦労します。(いろいろと忘れることが多いですから。

 それから母(89歳)を連れてはりまや橋商店街へ行きました。出掛けようとすると用事があり対応していますと出遅れました。やはり5連休前ですから雑用が多いです。
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 コインパーキングに車を駐車させ、持参した歩行補助車を母は使用しました。まずは魚の棚商店街で夕飯用のコロッケを購入します。
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 それから露店でせんべいを買いました。
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 谷ひろ子さんのお店で焼き菓子を買いました。
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 今日の活き活き100歳体操は結構参加者が多くいました。19人参加されていましたね。季節がよくなるともっと参加者は増えることでしょうね。
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ゴーヤさんはまだ頑張れるはずとか


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 さすがに朝夕が涼しくなり、畳の上で眠らんと眠れない事態はなくなりました。敷布団の上で熟睡しています。
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 そうなると熱帯産と思われるゴーヤさんは弱って来ますね。うちのプランターに植えてあるゴーヤさんも2つは枯れてしまいました。しかし青々とした葉っぱをつけているゴーヤさんもあります。小さいながらも実がなっています。虫にはやられていません。
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ゴーヤ・チャンプルーでいただきました。
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 いつも無農薬の有機野菜をいただいている井上正雄さんは、

「ゴーヤは10月頃まで大丈夫。どうも今年不作なのは肥料を不足でしょうね。肥料も牛糞とかではなく、落ち葉や枯れ枝をたい肥にしておいたらよく育つよ。と言われました。来年の教訓にします。

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2015.09.17

両親は介護予防リハビリへ行きました。


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 今日は午後からは父(96歳)と母(89歳)は揃って、介護予防通所リハビリへ行きました。11時頃からお天気になり、陽が出ると高知はまだまだ暑いです。
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 体幹トレーニングをきちんとして、身体能力の低下を食い止めていただきたいと思います。成果は確かにありますので。
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今日は自転車で各所を巡回


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 早朝は雨でしたが、お天気になりましたまず法務局へ。法人登記の更新(2年ごと)。それから銀行2つを巡回しました。
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 市役所では個人の印鑑証明の取得です。なんでも娘たちが借りているアパートの更新時期が来たので、親父の個人の印鑑証明が必要とか。ルームシェアしている相方の人は新潟なので、うちが送付したら、新潟へ送付の事だそうです。市役所ロビーには防災避難ビルが展示されていました。
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 高知市役所前では戦争法案に反対する座り込みがされていました。知り合いにお会いしました。
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戦争保安反対の座り込みに少しだけ参加しました。

 高知市役所前の歩道で、戦争法案に反対する座り込みがなされていました。市役所への用事を済ませますと知り合いの折田さんがおられましたので、立ち寄りました。
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 せっかくなので折田さんとおっさん2ショット写真を撮影しました。
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 十分審議したと言えない戦争法案。ただちに廃案にし、きちんとした国民的な議論をしてもらいたいと思いますね。


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今日は大事な所用が2件あり、雨の中の外出は辛い。

朝から1日雨模様

 天気図を見ると前線が日本列島にへばりついていて、東海上には台風20号が日本へ寄りつこうとしています。19にちから秋の連休であると言うのに、お天気が心配です。

 また高知新聞の死亡広告で知り合いの逝去を知りました。今日がお通夜なので出かけないといけない。少し年上の人ですが、長寿時代の日本では急逝とも言えます。

 雨の中ですが事務所でラジオ体操しました。やはり健康でなければと思います。
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父(96歳)の健康状態も良好です

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父の血液検査(9月4日)です。主治医の植田一穂先生はこう言われました。

「クレアチリン値がやや上昇していますが、許容範囲であります。減タンパク食も続けられておられ、適度な運動と、水分補給で体調を維持され、猛暑を乗り切りました。大丈夫ですよ。」とのこと。

 植田医院へは、横田哲夫先生(横田胃腸科内科)のご紹介で通院し出して5年になります。慢性腎不全が悪化せず、好転するようになっているのは家族にとって何よりです。

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2015.09.16

安倍内閣は何故「戦争法案」の採択を急ぐのか?


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 今回で成立させると安倍首相は興奮気味に話している。しかし各社の世論調査でも圧倒的多数の国民各位は「国会審議は不十分」「審議は尽くされていない。」「自衛隊を海外派兵するのであれば、国民的議論を尽くして憲法改正をすべきです。」と多数の日本国民は思っています。

 事実従来のサヨク勢力以外に、「憲法改正」を主張していた右翼勢力の1部も「戦争法案」に反対しています。一体「誰のために戦争法案制定を安倍首相は十分な日本国民の理解も得られず制定しようとしているのか?」「それは何故なのか?」の説明は政府から全くなされていません。

 うちの子供の漫画のように戦争法案は完全な違憲であります。
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 安倍首相を代弁して産経系メディアが提灯記事を掲載はしています。

【日本を守る】「9条」だけで平和は守れない 中国は「戦争の準備を進めよ」と公言している (1/2ページ)(ZAKZAK)

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150915/dms1509151550003-n1.htm

「中国の習近平国家主席は「5000年の偉大な中華文明の復興」を「中国の夢(チュングオモン)」として煽って、しばしば公的な場において、「戦争の準備を進めよ」と命じている。

 中国の発表によっても、毎年、国防支出を世界のどの国よりも大きく増している。一体、日本政府と中国政府のどちらが、戦争熱に憑(つか)れているのだろうか。

 162年前にペリーが黒船を率いて江戸湾にやってきたときに、もし、浦賀の海岸に「日本は戦争をしないと誓った国」というのぼりを立てて迎えたとしたら、米国によってたちまち侵略されて、後に米国がフィリピンを奪ったときのように、抵抗した数十万人か、数百万人の国民が虐殺されていただろう。

 120年前の日清戦争、110年前の日露戦争にあたって、「戦争反対」といっていたとしたら、日本が中国のチベット、ウイグルになったか、ロシアによる支配を受けていたはずだ。

 反対を叫ぶ人々は怠惰だから、日本の幕末からの苦難の歴史を、まったく学んでいないのではないか」

 20世紀初頭は帝国主義時代であり、その時代と「憲法9条」を同列に愚論をすると言うのは、論理の飛躍だし、無理と言うもの。実に浅薄な歴史観と言えます。

 現在において日本の仮想敵国は、北朝鮮と中国とロシアでしょうか。日本が1番大変で弱っていたのは2011年の3月11日の東日本大震災の直後です。自衛隊の動員兵力の半数以上を被災地に投入していました。

 「敵国」であるはずの北朝鮮は、義捐金を送って来ました。中国は義捐金と救援隊の派遣をしてきました。ZAKZAKの記事にあるように、「敵国」であれば、その時に侵略してくるでしょうに。それを北朝鮮も中国もしませんでした。

 では一体どこの国が、日本を標的に侵略してくるのでしょうか?そのあたりは、国会でも「戦争法案審議」を聞いたり、記事を読んでもわかりません。

またメールマガジンを送信してくるまぐまぐですが、以下のような記事も掲載しています。論者は保守系ですが、「北朝鮮は日本を攻撃する理由がない。あるとすれば米国が北朝鮮を攻撃した場合に限られる。」と断言しています。

http://www.mag2.com/p/news/29926?utm_medium=email&utm_source=mag_news_0916&utm_campaign=mag_news_0916

 結局アメリカのためにだけの戦争法案ではないですか。なぜ日本がアメリカの侵略戦争に加担しなければならないのでしょうか?自民党も公明党もきちんと説明していただきたい。

 今でこそ熱心に「戦争法案」のことばかり安倍首相は言っていますが、2012年の総選挙でも、2013年の参議院選挙でも「戦争法案」については全く国民の前で自民党は話していません。

 わたしは2013年7月の参議院選挙で安倍首相の高知市での街頭演説を聞きに行きました。ご当地ネタと経済政策の自慢ばかりで、戦争法案については一言も安倍首相は話をしていません。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-4770.html
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 当時の私のコメントです。

「安倍晋三氏は、持論の「憲法改正」や「集団的自衛権行使での国際貢献活動」や、「原発再稼働による成長戦略」には、全く言及しませんでした。ひたすら地元候補者の「応援演説」に徹したスピーチでした。地方の聴衆向けのスピーチでした。」

 ということは「詐欺行為」ではないですか。国民を「国民政党自民党」と騙して、まんまと多数の議席を安倍政権は獲得しました。ですので「戦争法案」を採択するのは「今しかない。」と強気なんです。おかしいですね。


 国民各位も「安倍自民党はファシスト政権であり、かつての国民政党自民党ではない。」ことを自覚し検証すべきです。安倍政権はおおらかで自由闊達な自民党では全然ありません。一種の「大政翼賛会」になっています。
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 国民各位は「海外派兵」も「原発再稼働」も求めてはいません。求めているのは国民生活向上の政策と、地震・噴火・水害などの災害対策です。

 それは「教訓」があります。10年前のアメリカです。ニューオーリンズ市を超大型ハリケーン・カトリーナが襲いました。本来市民の救援と支援すべき州兵が、ブッシュ政権の政策でイラク戦争へ派兵されており、自国民を救えませんでした。

 今回の「戦争法案」はまさにその状態を日本を10年前のアメリカの迷走状態に追い込む悪法です。日本は地震への不安、噴火、大水害が常に起きる災害大国です。
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 髙い災害支援活動で実績のある自衛隊が、アメリカ軍とともに戦争に加担するなど、「あってはならない」ことです。

 政府の役目はただ1つ。「国民の命と財産を守ること」だけです。それを戦争法案で放棄した安倍首相はただちに退陣し、戦争法案は廃案にすべきです。憲法9条は遵守すべきです。
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無意味な横穴式地下シェルター

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 2015年9月5日の高知新聞1面記事には驚きました。
「津波「横穴」避難模索続く」「室戸年度内に完成」「扉閉鎖いつ判断?入れなかった人は?」という見出しがでています。

 記事に寄りますと、この施設の対象人口は32世帯で56人。事業費は3億1千万円であるとか。対象人口が少なくても、この施設で対象集落の人達が全員生存し、「命を守る手段」として機能するのであれば、私は異論は言いません。

 しかしながら「足が悪うてシェルターまでよう歩かん。家の裏にある避難路に逃げることにしちゅう・」(79歳の女性)。という疑問の声も。

 一方で「すねが悪いき、山へ上がるよりは(横穴へいる方が気が楽や。」(87歳男性)の賛同する声もあるようです。しかし地元自主防災会のリーダーは困惑気味ではないか。

「対象住民が全員避難できるとも限らん。入口を閉める人を決めちょっても、その人がその場におらんン場合もある。難しいですよ。何度も訓練して、みんなが納得できる運用を話し合っていかないといかん」

 記事の内容から推論するに全く「地元要望」でこしらえている県事業ではないようです。地元要望なら自主防災会のリーダーの発言はありえないからです。と言うことは、全く尾﨑正直高知県知事の独断と思い付きからの南海地震対策ではないですか。

 3年ほど前は「地下室シェルター」方式への執着でした。どうやらそちらは諦めたようですが、執拗に「横穴ー立坑シェルター」に執着しているようです。

 この地域は南海地震の震源に近く、地震発生後数分で津波の第1波が来ると言われています。それだけにこうした方法も検討の余地はあるでしょう。住民の意向も県庁は聞くべきでしょう。

 さて2万人が海抜0メートル地帯で暮らしている高知市下知地域。県庁は僅かに耐震護岸工事をやっているだけ。

「ドライエリアへいつ移動できるのか?」「それは一体どこなのか?」「いつ下知地域はドライエリアになるのか?」「応急仮設住宅へいつ入れるのか?」と県庁や高知市役所の防災部署へ問い合わせしても、未だにきちんとした回答は得られません。

 高知市街地は低地で、15万人が居住しています。その地域には商工業も集積しています。15万人が1人の死者も出さない南海地震対策を、尾﨑正直高知県知事は真剣に検討したらどうだろう。

 高知市下知地域へ来られ、現地を歩き、住民と対話をしていただきたい。「机上」の南海地震対策では住民は救われないし、地域も再建できないからです。

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2015.09.15

一応40年間無事故・無違反です。


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 今朝は自動車運転免許更新に行ってきました。一応「優良」運転手だそうなので5年ぶりの更新。講習も30分程度で終わりました。

 昭和50年の学生時代に運転免許を取得しました。それから早40年。地方都市なので毎日運転はしています。

臆病者なので、法令順守する小市民です。40年間無事故・無違反です。次回更新は45年目になります。
 今後5年間は無事故・無違反に徹します。
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黄昏のゴーヤさん

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 今年はゴーヤさんはことさら元気がありません。5月に種まきして育ってきたと思いきや、雨漏り修繕工事で、6月20日から8月7日までは、前の空き地で置かれていました。
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 有機肥料の投下も遅かったです。遅い分だけ頑張ってもらいます。9月末までは頑張っていただきますから。

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2015.09.14

若松町自主防災会・防災訓練


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 若松町自主防災会(横田政道会長)の防災訓練が、2015年9月13日に下知コミュニティ・センターで開催されていました。屋上に国際信号旗が掲揚されています。自宅からも近隣からも良く見えています。

 意味は「避難所である」(赤いクロスの旗)と「訓練中である」(2枚の旗)」で意味は国際的に通用します。
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 3階A会議室では、ヘルスメイトさんたちの指導の下、非常用の炊き出し食が調理されていました。頻繁に手洗いが出来ない避難収容所の状況で、栄養価の高い食物を提供することは、大変なことでありますから。
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 屋上では災害時LPガスユニットを使用して、大きなお鍋でお湯が沸かされています。こちらへ、ビニール袋を二重にし、ひじきとお米を入れ、水を入れて口をくくりました。そして30分煮込むと炊きあがっていました。
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 昼食のひじきご飯ときゅうりのたたきは美味しくいただきました。お蔭で昼食になりました。
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 西田政雄さん(防災寺小屋塾頭)の「家具転倒防止策・ガラス窓の飛散防止対策」の講演も行われました。

「ホームセンターなどへ行くと結構高い家具転倒防止が置いてありますが、日常品で取り付ければ、家具が倒れる時間稼ぎができます。」

「タンスと天井の迄に隙間があれば、段ボール箱のなかに衣類を詰め込んだりした隙間を埋めれば倒れにくくなります。」

「家具の上部を固定し、動かなくすれば転倒は防止できます。」
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「ガラス飛散は、皆で講習会を行い、練習をしてその場で張れば経費も安くできます・。」との提案もありました。

 西田政雄さんの講習会は常に実践的です。

 今回の若松町の防災訓練は、炊き出し訓練、家具転倒防止講習会、国際信号旗のヒ避難施設への掲揚と盛りだくさんの事業を手際よく実施しておりました。

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2015.09.13

朝から晩まで海で遊びました。


 2015年9月12日は最近FBで繋がった船木紘さんをお誘いしてヨットとシーカヤック体験をしていただくことにしました。朝9時前にはYASU海の駅クラブ事務局に到着。所定手続きをしてハンザ(旧名アクセス・ディンギー)とシーカヤックをお借りしました。

 午前中は船木紘さんには、ハンザに乗っていただきました。シニア・ヨットクラブの楠瀬さんに併走していただくようにお願いしました。
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 海へは出たものの風が弱く、暑くて大変でした。B&G海洋クラブの子供たちのシーカヤックが早い有様でした。正午前に一旦ハーバーに上がり昼食を摂りました。

 午後からは私のディンギーに船木さんに乗っていただき、福留さんに併走しセーリングにの指導をしていただきました。わたしはジュニア・ヨットクラブの町田丈一郎さんの到着を待ち、2人でハンザに乗り帆走しました。
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 午前中と異なり午後からはそこそこ風が吹き、帆走は面白かったです。船木さんもジャイブなどで危ない場面(沈する可能性)もありましたが、上手にバランスを取り乗りこなしていました。
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 結局風が良いので4時近くまで帆走していました。片付けしながら、船木紘さんと町田丈一郎さんと双方をご紹介しました。船木さんは高知大学農学部でプランクトンなどの研究をされておられ、来春から大学院へ行くことが確定されています。

 町田さんは高校1年生で、将来は海洋生物研究者になりたいという夢をもたれておられます。2人とも海の生物が好きで、海のスポーツが好きなので、お互い初対面でしたが、話が弾んでいるようでした。
 
 片付けして夜須を出たのが午後5時過ぎていました。事務局の横山さんのお奨めもあり、10月から船木紘さんにYASU海の駅クラブの会員になっていただきました。逗子の海で子供時代は遊ばれていましたので、夜須の海やヨットにも高い親和性がありました。

午前中はシーカヤックにも乗るべきでしたね。風がないと早い。結局シーカヤックには乗らずじまいでした。
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 1日海で遊ばせていただきました。たっぷり充電させていただきました。

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2015.09.12

高知県看護協会での意見交換会へ参加しました

 2015年9月7日は、公益社団法人高知県看護協会(宮井千恵会長)主催の「災害支援ナース育成研修 実務編 継続研修・公開講座プログラム」に、参加させていただきました。

 午後からの参加しました。安芸市市民課課長補佐(保健師)の国藤美紀子さん、四万十市地震防災課主査有光浩さんと内川防災会会長松田久義さんとともに、下知減災連絡会として意見発表者として登壇しました。
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 国藤さんは、安芸市での保健師としての実践の取り組みの中から、「住民の宅に立つ保健師をめざして」のタイトルどうりに活動をされておられます。

「災害時の対応は、平時にすべてやれることはやること。訓練すること。体に覚えさせること。平時にやれないことは、非常時には絶対に出来ません。」
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「まず怪我をしないこと。減災に全力を上げます。」

「在宅要医療者等、災害時にも医療を中断しない事前の備えをすること。」

「日常の健康管理を徹底して、救急患者を減らします。」

 そして住民との防災訓練を通じて、応急手当などを指導されています。

 災害医療救護活動として以下を強調されました。

1・日頃から備える(医薬品・健康手帳等)

2・怪我をしない。(家具転倒予防対策は万全に)

3・応急手当てが出来る住民を増やす。

4・地域の医療従事者が全員参加の総力戦。
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 四万十市地震防災課の有光浩さんからは、四万十市の現状と防災対策、自主防災会の現状を報告がありました。

 四万十市は合併10年目。人口は3・5万人。沿岸部や四万十川流域部、中山間部と広域にわたり、現在169の自主防災会があり、組織率は99.3%になってはいますが、現実には半数以上の自主防災会の活動は停滞しています。

 自主防災会の抱える問題として、「若い人が集まらない」「住民の防災意識が低い(特に中山間部)」「何をしたらいいのかわからない」というものです。

 とは言え四万十市で土砂災害警戒区域はしないで1600か所あります。沿岸部は津波の脅威。四万十川流域部は、洪水の脅威があります。

 比較的防災の関心が薄いとされる山間部の内川自主防災会会長の松田久義さんからも「内川自主防災会の活動」として意見が発表されました。

「内川地区独自の防災計画をつくりました。家具の転倒防止対策と家屋の耐震補強を行動しながら考えました。」

「家具を固定した家については、防災カルテを作成しました。それは地区内の各世帯の状況や危険個所、危険要因の把握するためです。地域住民とじっくりと話し合いが出来て良かったです。」とのことでした。」

 最初こそ無関心だったそうですが、松田久義さんの熱意が地域の防災意識を向上させた実践事例を体現していただいたと思いました。

 下知減災連絡会西村副会長からは、

「看護師さんは10人以上の命を救います。絶対に亡くなってはいけません。」

「30年以内に南海地震は70%の確率で起こります。交通事故に遭う確率は24%。いかに高率か慄然としました。」

「とにかく自分の地域で自分たちでやれることは事前にすべてやることです。防災世帯調査で地域の高齢化比率が髙いことが判明しました。地域指定津波避難ビルをたくさんこしらえました。低地で地盤が沈下し、長期浸水する地域で自宅へすぐには戻れません。

 災害の軽微な地域(仁淀川町今治市三好市)等との交流を促進してきました。もしものときには集会所に滞在し、空き家を探し疎開をする段取りをしています。

 「市民目線での減災対策(高知市下知地域)」を話しました。

 各人の意見発表の後、高知赤十字病院看護部長の大西須美子さんの司会進行で、質疑応答や座談会が行われました。大西さんは看護協会では災害看護委員会委員長のお立場です。

 大西さんからの質問で「下知地域では医療関係者との連携は、地域防災会として出来ていますか?」と言われました。

「まさに地域の課題です。地域内には病院はたくさんありますが、防災時への共同訓練や情報交換はされていません。今後の課題です。」と回答するのが精一杯でした。

 その点安芸市などは地元医師会などと連携し、年に1度防災医療の訓練をされておられるとか。進んでいます。四万十市も役所と市民との距離が近いように思いました。

 他の地域の皆さんの話は参考になりました。

 こういう貴重な機会を与えていただきました高知県看護協会の皆様に感謝です。ありがとうございました。

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2015.09.11

9月第2週目のはりまや橋サロン

 今日の高知市は爽やかな秋晴れ。朝は気持のよい温度でしたが、昼過ぎから温度が上がり残暑が厳しくなりました。

 いつも私が乗っている車は父(96歳)が15年前に購入したサニー。車検に出しましたので、息子の車に母を乗せて来ました。それで歩行補助車は積載しませんでした。仲良く母(89歳)と手を繋いで駐車場から歩きました。
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 今日は夕食時期におりますので(このところ偶然1カ月近く金曜日の夕方は不在でしたから)、夕飯のコロッケを魚の棚商店街のコロッケひろっちゃんで購入しました。
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 母はめざとく10円饅頭の露店を見つけ早速購入しました。1パック220円ですが、財布から小銭も出して購入しました。
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 谷ひろ子さんのお店でいつもの焼き菓子を4個購入しました。

 活き活き100歳体操(介護予防体操)迄、時間がありました。山岡さんのお店で水羊羹を購入し、母と一緒に食べました。
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 また母が谷さん所のチョコレート・ケーキを食べたそうにしていましたので購入し、コーヒーも注文して母と一緒にお茶しました。
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 今日の活き活き100歳体操には、後から叔母(83歳)も来ました。17人の元気な高齢者の皆様が参加しました。
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 戻りますと父も合流し、月に一度の主治医である横田哲夫先生の診察を受けました。父は血圧は136-70、母は140-72でした。医学的な所見は両親ともないということです。1か月分のお薬をいただきました。今日はせわしい1日でした。
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地域コミュニティを大事にしましょう

 栃木県や茨城県は大雨災害には無縁ではないかと思っていました。しかし大きな河川の堤防が決壊すれば甚大な被害が出ることを思い知らされました。
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 天気図を見ますと台風18号崩れの低気圧と台風17号に東北地方は挟まれています。これからの大雨に厳重に警戒し、早めの避難が必要です。

 私たち高知市下知地区に住む住民は他人事として画像を見れませんでした。昭和の南海地震では、護岸堤防が決壊し、海水が勢いよく低地の地域に流れ込んできたからです。

 揺れている最中に地盤沈下は始まり、浸水も始めるだろうと地震関係者は言います。もよりの高いビルへ、自主防災会が選定した地区指定避難ビルや市役所認定の津波避難ビルへ駆け込まないと低層住宅の住民は命はない。そんなことを考えていました。

 やはり言われるように「ご近所力」であると思います。今日は二葉町の「不燃物・資源ステーション」の日です。下知コミュニティ・センター前が集積所で、仕分けを荒木三芳副会長の指揮のもと、当番の班長がされています。
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 炊飯器も出しましたがすでに2台出されていました。


 地域コミュニティがしっかりして、お互いが声掛けし、いちはやく避難することです。

 地震であれ、災害であれ二葉町からは1人の犠牲者がでないようにありたい。強くそう思いました。

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下知地域内連携協役員会が開催されました。


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 下知地域内連携協議会(国見俊介・代表)の役員会が、2015年9月10日に、下知コミュニティ・センターで開催されました。委任状を含め役員定数を満たしていますので、役員会は成立しました。

 今回の議題は2つです。11月3日(火曜・祝日)の「昭和秋の感謝祭」と、11月14日(土曜)予定の「下知関係者忘年会」です。

 「昭和秋の感謝祭」については、国見代表の方から「従来は運動場主体で開催してきましたが、今回は、中庭、体育館、東庭を主体に開催したい。雨対策も考慮した。」との説明がありました。

 起震車や煙体験、はしご車体験や下知消防分団の放水訓練など「体験型」が主体になるようです。
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 「下知関係者忘年会」につきましては、ちより街テラス内のレストラン・ソレイユを貸しきりで盛大にやりましょうということになりました。

 8月21日に開催した高知市長との意見交換会の報告や、情報交換を行い、午後8時半に閉会しました。

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2015.09.10

栃木県と茨城県の大洪水には驚きです。

TVと動画の同時中継。栃木県と茨城県の水害は尋常ではない。

40年前の昭和50年。前日からの1000ミリの大雨で浸水したいの町。大洪水でしたが、内水面の洪水に過ぎませんでした。
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 今回のように大きな河川の堤防が決壊する事態は、洪水慣れしている私でも経験がありません。伊勢湾台風以来の被害ではないでしょうか。
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 被災者の皆様は慌てず救助を待っていただきたいです。幸い日中なので、救助は迅速でした。

 やはり国際信号旗はこういう場合は必要ですね。
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 V旗は「救助を求む」です。

自衛隊がヘリで懸命の救助活動をしていただいています。「戦争法案」が採択されたら、自衛隊は米軍の戦争に参加し、被災地支援は手薄になるでしょう。

 今回は大雨災害でしたが、日本は災害大国。噴火もあれば、地震や津波もあります。

 前例があります。10年前アメリカ・ニューオーリンズ市に、ハリケーン・カトリーナが直撃しました。大洪水が起きました。救助支援に来るべき諏兵は、ブッシュ政権によりイラク戦争へ派兵されていました。多数の市民が溺死しました。

 戦争法案で自衛隊の災害救助支援活動は手薄になるのは間違いないでしょうから。

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相次ぐ自爆に落ち込みました

 さきほど、ウエスト・ポーチの中からくちゃくちゃの血液検査表が出て来ました。日付を見ますと9月4日の0時42分とあります。

 そういえば3日の夜9時過ぎから飲み始め、居酒屋で寝込んでいたら心配した県外の人が救急車を呼んでいただき愛宕病院へ。脳のCTやら全部検査いただき、血液検査もしていただきました。特に異常なしと。

 血糖値がやや高いのは運動不足からでしょう。夜中に家内に迎えに来ていただきましたが、8月14日のボヤ騒ぎと言い相次ぐ自爆に落ち込んでいます。
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2015.09.09

女性雑誌は頑張ってますね

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 金融機関で手続きを待つ間に、女性週刊誌がありました。
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 「日本が壊れて行く」特集を組んでいます。美智子妃殿下がいかに平和を愛し、「「私は戦争の芽を摘み取っています。」という記事は凄い。
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 内田樹氏のインタビュー記事など、腰抜けの全国紙より遥かに本質をついていますね。女性たちは「戦争法案」に反対運動を起こす兆しがあるやに思います。犠牲になるのは兵士として息子が戦地へとられますから。それもアメリカのために。戦争法案に反対するのは「社会常識」になりつつありますね。

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2015.09.08

だんだん通信9月号をいただきました。


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 仁淀川町の地域おこし協力隊の小原紀子さんより、「長者だんだん通信9月号」をいただきました。活発な地域活動を展開されている長者地区のだんだんクラブ。今年は5月30日には、田植え体験で二葉町関係者は大変お世話になりました。
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 七夕祭りの様子がレポートされています。田植え体験でも大変お世話になっただんだんクラブの中越義栄さんが特集されていました。

 記事の中に「宇宙メダカ」のことが書かれていました。2013年の7月4日に、二葉町が取り次ぎをして宇宙めだか保存会の前田正雄さんをご紹介し、長者小学校に贈呈したのが始まりでした。

 http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-03ae.html

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 その後、今年の5月に「宇宙メダカ保存会全国大会」が高知市であり、そのおりにも宇宙メダカを保存会から長者地区の皆様が頂いたと聞いています。

 仁淀川町長者は「宇宙メダカと宇宙大豆の郷」として発展していくと確信しています。

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2015.09.07

下知地域内連携協VS高知市長との意見交換会

 7月17日に予定されていました下知地域内連携協議会(国見俊介会長)と高知市長との意見懇談会が、台風で順延になり、2015年8月21日に高知プリンスホテルにて開催されました。
 意見交換会は国見俊介下知地域内連携協議会長が挨拶し、岡崎高知市長の挨拶と高知市政全般の説明と事前に下知連携協議会からの質問に市長及び担当部署が回答していただきました。

 その後会場からの質問もありました。そして市長や市の担当部署も交えた懇親会も開催しました。最初でこじんまりとした会合でしたが、参加者からはまんべんなく意見や要望が出され、市役所側の真摯な回答も得られました。
 高知市長が出席するとなると説明用資料が参加者分はすべてカラーコピーです。違いますね。高知市下知地域の住民だけでなく、高知市民や高知市の動向に関心のある皆様に、当日配布された資料をすべて画像に取り込みましたので、公開します。

 全部画像を読んでいくと現在の高知市市政の全貌が理解できると思います。

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2015.09.06

9月最初のゴルフ・リハビリ

 断続的に雨が降る続く高知市です。父(96歳)の週に1度のゴルフ・リハビリに付き添いました。途中大橋通りのラビータの温度表示板は20度。先週は27度でしたから随分涼しい朝ですね。
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 いつものように自己流の体操を入念にして、水分補給(OS-1/経口補水液)をがぶ飲みしています。1発1発ゴルフボールを打ちます。遠くへは飛びませんが、丁寧に打っています。
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 その間先日坂本茂雄さんにいただいた「平成26年度マンション管理適正化・再生推進事業 報告書 対象マンションA・サーパス知寄町1 一般社団法人マンションライフ継続支援協会」を読んでいました。

 結構な雨の中、ゴルフ練習に来られる人たちも多くおられるようですね。もうすぐすると両親の昼食の段取りをします。午後からは家内がファンキー末吉のトークライブに行くと言うので、おとなしくお留守番の日です。苦手な片付け作業を少しします。

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防災拠点としての「道の駅」の役割


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 随分前に海の散帆(セーリング)の帰りに立ち寄った香南市夜須のヤッシー・パーク内にある道の駅やす。駅長の山本宏幸さんに「道21世紀新聞」という道の駅の業界紙をいただいていました。
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 「道の駅」は、22年前の1993年からスタートし、現在日本全国に1059駅あるといいます。確かに地元の産品を販売する拠点商業施設であり、地元から物品を殆ど仕入れないコンビニとは異なります。「地域自慢」の産品を訪問客に販売し地域経済に貢献しています。
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 2015年5月号では、宮城県石巻市の道の駅「上品の郷」が、東日本大震災の時に被害を受けたものの地元の強い要望で、罹災後1か月半で営業を再開したこと。
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 道の駅発足当時は「防災の概念はなかったが、今や全国の駅のうち631か所で、簡易トイレをはじめ、なんらかの防災機能を持つようになりました。東日本大震災でも道の駅の防災面での活躍が評価されました。

 食品はスーパーにはなくても地元農家にはあり、すぐに食品を地元の人達に提供し役だった。」と報告されました。

 津波で壊滅した高田松原の道の駅については「震災遺構として残す」ことにして、新しい道の駅をこしらえるとのことです。

 道の駅は、スーパーなどとは異なり「地産地消」の拠点施設であり、地元経済を潤す「装置」であるだけでなく、防災拠点施設としての役目がこれからますます高まることでしょう。
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2015.09.05

9月最初の夜須の海


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 今年は夜須の海でセーリングを初めて30年目。当初何も施設がなかった夜須海岸は、ヤッシー・パークになり。手結の海水浴場は、2002年高知国体セーリング会場を経て、2004年にNPO法人YASU海の駅クラブになりました。立派な施設になりました。

 先週は悪天候で来れませんでした。なんだか久しぶりのハーバーのように感じます。朝は8時半過ぎにはハーバーに着きました。午後から天気が下り坂になると言う予報でしたから。
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 ぎ装(ヨットの組立)をしていますと、まだセミの鳴き声が夜須ではしています。今日はジュニア・ヨットクラブの活動日。また障害者スポーツセンターの人達が30人ぐらい来ると言うので、ヨット仲間のTさんとFさんがお手伝いに来られていました。
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 私は今回はお手伝いは免除していただき、まったりとセーリングをしました。出艇しますと波がないので、割合すいすいとヨットは帆走しました。やはり海へ出ますと落ち着きますね。風を受けて赤岡港を目指しました。
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 やはり海はいいですね。可能であれば、今後も週に1度は海で癒され、充電じたいものです。この海面ではサメ騒ぎもありましたが、全く見かけませんでした。わたしは30年間に恐らく1500回程度夜須の海へ出ていますが、サメを見かけたことはありません。
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 ジュニア・ヨットクラブと、障害者ヨット教室用のハンザ(旧名称アクセス・ディンギー]と私とシニア・ヨットクラブのKさんも出艇されましたので、20艇が海で帆走しました。いいもんですね。帆走の写真を撮影しました。
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 お昼はいつもの訪れでおむすびと、たまご焼きです。夜須の街にも津波避難タワーが建設されております。出来あがれば命は助かりますね。
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 午後からも帆走しました。片付けしてから、帰りに道の駅やすへ立ち寄りました。レディスの皆様とひとしきりお喋りしていました。17時過ぎまで夜須におりました。1日海で遊んでいました。
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床も壁も原状回復が出来ました


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 壁の塗装に続いて、床面のPタイルを焼けた部位を張り替えていただきました。みぐるしくなくなりました。
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 火災保険で充填しましたが、見舞金も出ましたので、消火器を購入しました。反省をしております。

ボヤの出た直後の様子です。  ↓

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下知地区防災計画第1回検討会

 下知地区防災計画第1回検討会が、2015年9月3日に、下知コミュニティ・センターにて開催されました。内閣府の提唱する「住民参加型の地区防災計画」です。事前復興計画の策定を掲げて、参加者でワークショップを行う予定です。
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 検討会の前に、地域にある昭和小学校の高石教頭先生から「昭和小学校6年生の防災学習会への協力依頼」がなされました。具体的には津波避難ビル巡りをするので、地域の防災会に案内していただきたいと言うものです。また人権参観日と言うのがあり、保護者も交えて、防災に関する意見交換会をやってみたいとの提案でした。
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 下知減災連絡会の連絡事項を伝達した後に、下知地区防災計画第1回検討会が始まりました。
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 アドバイザーは鍵屋一さん(跡見学園女子大学観光コミュニティ学部教授)です。最初に「事前復興計画の意義、概要と展望」と言うテーマで講演をいただきました。

 「大災害は忘れないことにやってくる」と鍵屋さんは言われました。西暦800年代は、25年の間に各地で大地震が起き、富士山と阿蘇山が噴火していました。秀吉。家康時代の天正・慶長の時代は31年、江戸時代の元禄・放映の時代は15年間に噴火と大地震がありました。

 大正昭和の時代は、1923年に関東大震災があり、1946年の昭和南海地震があり、1948年に福井地震が起きました。平成の時代は1995年の阪神大震災、2011年の東日本大震災が起きています。30年後なら2025年に南海トラフ巨大地震は起きます。」と言われました。

 つまり各地で地震や噴火があれば、過去4回の時代には、必ず南海地震は起きています。平成の時代もそれは起きるだろう。

 「大地震の発生確率は、首都直下型地震は、今後30年間で70%、南海トラフ地震は60~80%と言われています。30年間の危険率で言えば。火災で死傷する確率は0.2%。交通事故で負傷する確率は24%。死亡する確率は0.2%です。
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 ジャンボ宝くじを年4回20枚ずつ購入して、100万円以上当たる確率は、0.7%だそうです。いかに南海トラフ地震が起きる確率が高いと言う事です。」

 鍵屋さんは、大災害後のフェーズ(フェーズとは、段階、位相、相、側面などの意味を持つ英単語。電気や無線などの分野では、電気信号や電波などの位相のこと。
システム開発やプロジェクトマネジメントにおいて、プロジェクトの各段階や工程のことをフェーズということがある。)には、段階があるといいます。

1)フェーズ0(先見当期 災害発生~10時間

  突然の出来事に誰もが、自分の周囲で何が起きているいのかを客観的に判断できなくなってしまう状態に陥る。10時間以内に次の段階へ移行します。

2)フェーズ1(被災地社会の成立期 災害発生から10時間~100時間

  安否確認や救助、避難行動などを行っているうちに、徐々に客観性を取り戻しています。周囲の人々とも情報交換を重ね、非常事態になったことを理解し、当分の間不自由な生活が続くことを受け止めるようになるため、被災地独自の秩序が構築されると言われています。

3)フェーズ2(災害ユートピア期 災害発生から100時間~1000時間

 被災地社会が成立し、災害発生から数日が経った頃になると、被災者同士が協力し合いながら日々を乗り越えていく段階になります。

 年齢・性別。肩書きの区別なく強い絆で結ばれる善意に満ちた状態は「災害ユートピア期」と呼ばれています。

 鍵屋さんはこの時期が、「復興・復旧を早期に立ち上げることに大事な時期である」と言われます。

4)フェーズ3(復旧・復興期 1000時間~)

 災害発生から数カ月が経つと、ライフラインが復旧し、家屋の被害程度が軽小の被災者から自宅に戻り始め、仮設住宅の建設も進むため、「協働生活」から「個人生活」に戻って行きます。

 ある種のユートピア状態から脱するこの時期を(復旧・復興期)と呼び、被災地に日常性が戻り、復興に向けた長い活動が本格化する時期です。

 東日本大震災から4年3か月経過した時期に、東北被災地交流ツアーを実施しました。石巻市、東松島市、名取市で意見交換した被災者の皆様の段階は「フェーズ3」の段階でした。この時期がとても長いのです。

 地域防災計画が、多々現状に適応できない硬直性があるという指摘が東日本大震災後にあり、内閣府が地区住民が最初から参画した地区防災計画を検討し、自治体の地域防災計画に反映させることが可能であれば、「自助」「公助」をつなぐ「共助」「ご近所力」になるのではないか。そう鍵屋さんは言われました。

 地区防災計画=ご近所力強化計画でもあります。住民が良い地区防災計画を提案し、市区長村が認めれば「公的な」ものになります。

 また「事前の復興計画検討は、高知市下知地区が全国初」であるとのご指摘も受けました。
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 地区住民各位と市役所の情報の共有(地域価値・被災状況・復興知識)が必要であり、将来像への共感、復興への住民の参加・参画、共創(コミュニティ創り、未来創り)がとても大事であるとも言われました。
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 しかし「最重要は災害で地域で人が死なないこと」です。人が死ななかったら人々は前向きな気持ちになれます。「ご近所力がある地域や、人が死ななかった地域は、復興も早いです。」
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 事前の減災対策や避難訓練もとても大事であると思いました。地域から災害で亡くなる人を出さない減災対策を確立し、住民各位が助け合いとにかく無事に避難する。すべてはそこからであることが鍵屋さんの講演で改めて確認することが出来ました。

事前復興のワークショップが行われました。
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 鍵屋一さんの講演が終了しますと、「事前復興計画を想定したワークショップ」が開催されました。

 テーマは「被災後の下知地区を、どのようなまちに復興するのか」で各テーブルで意見交換をしました。ルールは「どんな意見も批判をしない。」「面白い意見を取り上げる」というものでした。
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 各テーブルで自己紹介してから、意見交換。うちのテープルでは,低層住宅に住んでいる人が2人。マンションの住民は2人いました。
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「うちのマンション避難ビルになっていますが、屋上なんかを利用すれば多くの人を受け入れられますが、手摺がなく難しい状況ですね。」

「うちの地区は髙い建物がないので、高齢者は避難場所がありません。」

 それで解決策はといいますと「耐震高層住宅を地区内に立てる。震災後震災公営住宅を建てますが、事前に立てると言う構想」です。

 ほかのグループの構想はと言いますと、

「五台山に貸別荘をこしらえ、観光客に貸す。災害時には避難者住宅にする・ロープウエーを復活させ、すぐに下知から輸送させる。」というユニークな構想もありました。

 「結論ありき」の誘導型ワークショップ=「形式機会参加増大・まやかしの市民参加:ではなく、参加者皆が意見を言い、まとめていく手法は素晴らしい。事前復興のワークショップが行われました。

 鍵屋一さんの講演が終了しますと、「事前復興計画を想定したワークショップ」が開催されました。

 テーマは「被災後の下知地区を、どのようなまちに復興するのか」で各テーブルで意見交換をしました。ルールは「どんな意見も批判をしない。」「面白い意見を取り上げる」というものでした。

 各テーブルで自己紹介してから、意見交換。うちのテープルでは,低層住宅に住んでいる人が2人。マンションの住民は2人いました。

「うちのマンション避難ビルになっていますが、屋上なんかを利用すれば多くの人を受け入れられますが、手摺がなく難しい状況ですね。」

「うちの地区は髙い建物がないので、高齢者は避難場所がありません。」

 それで解決策はといいますと「耐震高層住宅を地区内に立てる。震災後震災公営住宅を建てますが、事前に立てると言う構想」です。

 ほかのグループの構想はと言いますと、

「五台山に貸別荘をこしらえ、観光客に貸す。災害時には避難者住宅にする・ロープウエーを復活させ、すぐに下知から輸送させる。」というユニークな構想もありました。

 「結論ありき」の誘導型ワークショップ=「形式機会参加増大・まやかしの市民参加:ではなく、参加者皆が意見を言い、まとめていく手法は素晴らしい。

 参加s各位は、もっと議論をしたかったに違いないと思いました。

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2015.09.04

9月最初のはりまや橋サロン


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 朝夕は涼しくなりましたが、日中は残暑が厳しい高知市です。腰が痛いと口癖に言う母(89歳)を連れて、はりまや橋商店街へ行きました。今日は所用があり、ぎりぎりの時間帯に行きましたので、母とお茶する時間はありませんでした。
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 谷ひろ子さんのお店で焼き菓子を買いました。チョコレート・ケーキとベルギー・ワッフルも買いました。
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 今日の活き活き100歳体操は、最初は13人ぐらいでしていましたが、途中から参加者が増え、20人になっていました。健康志向の高齢者も多いようですね。
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猛暑にエアコンを使用されない明仁天皇陛下は素晴らしい

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「記録的な暑さが続く今夏の東京において、両陛下は極力エアコンを使用されない生活を続けられています。両陛下はこの厳しい暑さのなか、扇風機のわずかな涼をとって生活されているのです。

 きっかけは東日本大震災でした。両陛下は千代田区の計画停電の時間に合わせ、1日約2時間、照明や空調を使用しない“自主停電”を実践されていました。それから4年経った今でも、冬場の暖房はもちろん、夏場のエアコンの使用も控えていらっしゃるのです」(宮内庁関係者)

 周囲を緑に囲まれ、比較的風通しがいい御所にお住まいとはいえ、近年の酷暑は美智子さまのお体には大変堪えるだろう。
※女性セブン2015年8月20・27日号

 素晴らしいことですね。わたしも節電のためエアコンは原則使用しません。ただうちは96歳の父と89歳の母がいます。2人とも超高齢者なので、あまりに暑い場合はエアコンもかけます。

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2015.09.03

母の通所介護計画書です

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要介護度2で、アルツハイマー型認知症の母(89歳)です。週3回通所しているディサービスから「通所介護計画書」をいただきました。
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母は脊椎間狭窄症で腰痛です。歩くと痛みが出るめんどうな症状です。安静にしておれば痛みは出ませんが、それだと足腰の筋力が落ちます。

 7年前に判明したアルツハイマー型認知症も進行が止まっていますが、通所施設の皆様のご尽力も大きいと思います。先日の通所施設の通い帳に「やや足腰が弱っています。」との指摘がありました。
 これから涼しくなるので、母を連れ出して歩くことをさせなければなりません。

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超高齢の両親から学ぶことは多いです。いつまでも健康に

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 うちは96歳の父(要支援2・慢性腎不全)と89歳の母(介護度1・アルツハイマー型認知症)の両親と家内の4人暮らしです。子供たちは巣立ち結婚はしていません。生計は別にしています。

 日本は高齢化社会と言われていますが、両親は超高齢者であり、在宅ケアをしています。

 2008年に父が脳血管障害で倒れ、救急搬送され、同時期に母がアルツハイマー型認知症と診断され、人生観が変わりました。市民活動や諸団体を、地域町内会活動以外はすべて退会し、会社の仕事と両親のケアと地域活動(防災を中心に)をしています。

 超高齢の両親の生存記録や地域活動の様子などは、個人ブログ(電子日誌)である「けんちゃんの吠えるウッチングーどこでもコミュニティ双方向サイト」に書いています。

 http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/cat7773146/index.html(健康・体の問題)

 また「フェイスブック」などもやっていますので、のぞいてみてください。
 今後ともよろしくお願い申し上げます。母が認知症になってから、いろいろと学ぶことも多くあります。7年間も一緒にいますと気が付くことも多くあります。認知量に関する著作も読みました。

「痴呆を生きると言うこと」を読んで

 「痴呆を生きると言うこと」(小澤勲・著・岩波新書・2003年刊)を読みました。今でこそ「認知症」という表現になってはいますが、ほんの10年前までは「痴呆」という言葉が普通のようでした。

筆者は大学卒業後、病院や老人保健施設に勤務し、管理者としてじかに認知症の人や家族と接してきた体験をもとに、この本を執筆されていることが理解できました。

「痴呆は、いくつかの症状のあつまりに対して名づけられるので、正確に言えば、症候群である」(P5)

 認知症(以前は痴呆と呼ばれていた)は、多様な形態があり、一概にこんあものであるとくくれない病気なのでしょう。

 「アルツハイマーと言う病名は、ドイツの精神科医アルツハイマーが、記憶障害を中核とした様々な精神症状や行動障害を示し、深い痴呆に陥って死亡した51歳の女性を、脳病理初見とともにはじめて報告したことによる。その報告がなされたのが、1906年、いまからほぼ100年前のことである。」(P2)

 今年は2014年ですから、108年も前に症状(症候群)が「発見」されたようですね。

 「痴呆の経過と予後」という項目(P19)には、初期段階では「健忘期」と言われ記憶障害が中心になっています。母(89歳)の認知症の段階はこのレベルではないかと推定されます。

 中期になりますと「混乱期」と言われ、記憶障害に加え、見当障害がはっきりすると言います。行動障害が中心になってくる。徘徊や、失禁、失便、など家族や周囲を悩ませる行動障害がこの時期らしい。

 末期になりますと、歩行や座ることも困難になる。要介護度は5になるのでしょうか。日常生活全般のケアが必要で在宅介護はほぼ不可能ではないでしょうか。

 小澤氏の当時定義した「痴呆」(認知症)の段階は以上のとうりです。読んでいて印象に残った記述を書きだしてみます。

「痴呆を病む者は自らのつまずきに、一見活淡としており、それがいっそう周囲のいらだちを招くと書いた。だが決して誤解してはならないのだが、彼らは感情を失ってしまっているのではない。

   (中略)

 痴呆を病む人たちは、1つ1つのエピソードは記憶に残っていないらしいのに、そのエピソードにまつわる感情は蓄積されていくように思える。

 叱責され続けると、そのこと自体は忘れているようでも、自分がどのような立場にあるのか、どのように周囲に扱われているのか、という漠然とした感覚は確実に彼らのものになる。」

「逆に、せっかく苦労して、一緒に行った旅行から帰ってきた直後の井、旅行に出たことさえ忘れてしまい、がっかりさせられることがある。だが、そのような心遣いは必ず彼らのこころに届き、蓄積され、彼らを支える。」(「不如意の感覚」P32)

 記憶障害や行動障害を引き起こす認知症の人達には「感情」がある。それが大事なことであると思いました。例え言葉のコミュにてケーションが出来なくても、ラポールというのか、心の交流は必要であると思いました。

 「物盗られ妄想」をなぜ認知症の人達は抱いてしまうのか?それは「老い」が関係あるのではなかと筆者は述べている。

「もの盗られ妄想を抱く人たちは、老いを生きている。これは、言うまでもないことのように思える。しかし、高齢者の治療、ケア一般のに言えることだが、治療やケアにかかわる者は、この自明の事実を常にこころに留めて行く必要がある。

 大半の治療者やケアスタッフあるいは介護者は、ケアの対象となる彼等より年下であり、老いることの重みを身にしみてわかっていないことが多い。」

「そのために、この自明のことを治療やケアにあたる者ですら、ときに忘れ、ときに軽視し、時に意識から外してしまう。その結果、老いを生きるもののペースを超えた所作を強い、あるいは自分たちの間では日常化している言葉が、彼らのこころを傷つける。

 というようなことが起きる。老いるということが老年期にみられる様々な病態の地あるいは背景として常に存在している。このことは、いくら強調しても強調しすぎることはない。」

「さて、老いると言うことは喪失体験を重ねることである。このことは多く論者によって繰り返し語られてきた。老年期には、社会的、家庭的役割の喪失があり、人の面倒をみてきた人が一方的に面倒を見られる側に回る。

 心身の衰えが生じ、病が襲い、死が現実の事としてせまってくる。そして親しかった人と死別あるいは離別し、なじみの人間関係が喪われる。」

「しかも。これらの喪失体験は若い人たちと違って、取り返しのつかないことと実感される。客観的にみても、抱え込むことになって病や障害の多くは不可避的であり、徐々に進行することが多い。そのための彼らの喪失体験は深く、持続する。そして彼らを危機に導き、ときに混乱と絶望を生む。」(「老いを生きる」P90)

 長々と引用しましたが、「認知症」の人の心象風景を記述されているのではないでしょうか。「もの盗られ言動」も、言ってしまえば、家庭内の勢力分野が、主婦の役目が息子の嫁に取って代わられた喪失体験から来ているのかもしれないですね。

 中高年の域になっている私でも「老い」の自覚は正直あまりありません。身体的な機能の低下と、社会的役割の喪失感が大きいことが少し理解できました。

 オーストラリア人で生化学者の女性は46歳でアルツハイマーを発症。詳細なレポートを書き残していました。発症前まではてきぱきと同時進行で仕事も家事もできていたが、発症後は」1つのことをやることで精一杯。でもそれは当たり前と認識し、あえて同時並行の作業をしないようにして自分を観察したそうです。「小刻みな死」を受け入れざるを得ない恐怖を書いていました。

 根本的な解決は「ぼけても安心して暮らせる社会を」と筆者は言います。

「痴呆についても、まったく同じである。痴呆という病を受容すべきなのは痴呆を抱えた本人だけではない。彼等とかかわる人たちが、さらに彼らの住む地域が、そして社会全体が、彼らを受容できるようになれば、あるいは痴呆と言う事態を,生き、老い、病を得、そして死に至る自然な家庭の1つとして見ることが出来るようになれば、周辺症状は必ず治まり、彼らは痴呆という難病を抱えても生き生きと暮らせるようになるはずである。」

 「ぼけても心は生きている。」「ぼけても安心して暮らせる社会を」(P218)筆者が1番主張したかったことでした。

 2014年7月8日から「認知症重度化予防実践塾」(高知市高齢者支援課主催)の講座を受講しました。専門家ばかりでしろうとはわたし1人でしょう。アルツハイマー型認知症と判明して7年になる母(89歳)。終生対話ができる関係でありたいと思う。

 90歳以上の85%は認知症とも言われています。父(96歳)だっていつどうなるかわからない。そのために「認知症」の正しい知識や、対処法を学ぶことは、無益なことではないと思います。頑張ってみます。

 身体能力の衰えが認知症をより促進させるようです。

認知症重度化防止化予防実践塾で学んだことは、高齢者の「運動不足」が、日常生活に使う筋力の低下となり、日常生活が出来なくなり、介護状態になってしまう。とくに両親のような超高齢者(85歳以上)の場合は注意が必要ですね。2週間程度の入院で、完全介護されているうちに、「寝たきり」になってしまう可能性が高いからです。

 うちの母(88歳)も日曜日はべたべたし、外へ出なくて1日が終わることが多い。わたしも休日は海で遊ばないといけない(セーリング)から忙しい。「散歩せんといかん」と言いましても「腰が痛いから行きたくない!」と母は叫んでいる有様。これでは去年と同じパターンではないか。それではいけないと思います。

 認知もあるので「本人の自覚」なんてことはありえない。運動機能を低下させない工夫はしないといけないと思いました。母の場合は現在月曜、水曜、土曜は1日ディサービス。火曜と木曜は父と一緒に午後からは介護予防通所リハビリ施設に行っています。介護のプロの人達に誘導していただきながら体を動かしています。

 毎週金曜日は、はりまや橋商店街へ午後から私が連れて行き、広場での活き活き100歳体操(介護予防体操)に参加しています。その折金曜露店市で買い物をすることが、母の楽しみとなっています。

 父の慢性腎不全も小康状態になっています。超高齢者ゆえ無理は出来ませんが、食事も排泄も着替えも、入浴も自分で出来るので健康であると言えるでしょう。主治医の指示に従いながら、減タンパク食と適度な運動、適切な水分補給で健康を維持しています。

 超高齢の両親は「生きよう」という意欲が強い人たちです。両親とも80歳ぐらいまでは全くの健康体でした。85歳を過ぎますと、いろんな症状が出て来るものです。病気と共存しながら生き抜いていくことは必要であると思います。

 私たち夫婦も還暦を過ぎ、商売の方も地域活動もせわしい。身体的にきついと思う時期も時にあります。でも両親のように超高齢者になっても、自分らしく元気に生きようとすることはとても大事なことであると思いました。

 うちは1階が会社の事務所。2階が台所と茶の間と浴室。3階が両親や私たちの寝室です。階段生活と和室の茶の間で、「バリヤアリー」の生活です。足腰が強くないと同居生活は出来ません。両親を叱咤激励して、運動をしてもらい、一緒に時間があれば歩きます。

 もし歩けなくなれば自宅での生活は出来ません。住居が狭いので、住宅改造は出来ません。施設へ入居となれば、「今生の別れ」になると思っています。施設側は多忙であり、何かと我儘な両親の介護ケアが行き届くとは到底思えないからです。

 そうならないために日常的に「介護予防ケア」を介護通所施設の人達やケアマネージャーの方たちのご協力を得て、超高齢者の両親の現在の健康状態を維持して行くことが現在の私の最大の願いです。

 私と同年齢の友人たちは、両親が揃って健在という事例はありません。家内のご両親も他界しています。超高齢者の両親と暮らすことは大変ではありますが、学ぶことも多いです。何より両親の長寿に感謝する毎日です。

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2015.09.02

BtoBセミナー2日目 


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 セミナー2日目は、[探してもらえること」と「紹介(シェア)してもらえること」の説明です。[困ったときの検索エンジン」で、サイトへの訪問者は来ますが、最近はSNSの興隆で、[紹介(シェアする)」ことの効用も言われるようになりました。

 時代は「マスからソーシャル」へ。マスメディアが取り上げる場合は「ニュース性」「新規性」「社会性」「話題性」があることです。要素があればマスメディアを活用しましょう。


 SNSと言えば個人ではフェイスブックをやっていますが、現在仕事関係で活用したことはありません。他人が善意でシェアしてもらうことが、零細企業の経営者にもチャンスが増え、逆に今まで調子の良かったマクドナルドやワタミなどの大手飲食業が苦戦しているのもSNSの影響であると言われています。

 漫画にも詳しく解説してありましたね。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-e78b.html

 (漫画で理解する商売の原則)
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 確実にネット社会の蔓延で社会は変化しています。

9月1日の講座にて村上肇先生に「ネット上の誹謗中傷に対してどう対応すればいいのか」という実例で、デザイナーの佐野研二郎氏の実例があります。本人の情報の出し方にも問題があるのではないか。誹謗中傷に対しては、無視するしか方法はないとのことでした。

 午前中はワークもありました。無い知恵を絞り、書き出す作業もしました。村上肇さんの講座の良いところは、「自社の特色・強みを探し出し」「それをホームページにてどう表現するのか」の基本設計を考える習慣をつけていただけることです。


 サイトの設計についてのキーワードがいくつかありました。

「お客の範囲が広げれば広げるほど、トンガリと、特色がなければ、いけない。」

「コンテンツ設計がしっかりしておれば、きっちりしたサイトはできます。」

「自社できちんとコンセプトと、コンテンツ設計を固めておれば間違いない。」

「あとは見せ方(デザイン)ですが、他の先行しているサイトをいくつか見て、デザインの感じをつかんでから、プロのサイト制作者に依頼すればうまく作成できるでしょう。」とのことでした。
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 ほかにもいくつかありましたが、ここら辺で午前中は終わりです。

 BtoB講座2日目午後の部です。

 昼食後は午後の講座が続きます。

 WEBで新規訪問者を蓋す方法は3つあります。

1)検索エンジンからの訪問者を増やす。

2)広告によって訪問者を増やす。

3)紹介(口コミ)によって訪問者を増やす。

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 検索エンジンからのお客様の引き込み。SEM(サーチエンジン・マーケティング)と言われています。検索エンジンはグーグルが主体です。ヤフーも中身はグーグルです。

*SEOとは、「検索エンジンから自社への訪問者を増やすこと。WEBサイトの目的にあったユーザーだけを検索エンジンから適切に集めること。」です。

 SEOの本質は「優れた検索エンジンは私たちの味方です。」「すべてのページが検索対象になります。」「WEBサイトの目的にあったユーザーだけを、検索エンジンから適切に集まること。」

 「ホームページは、1ページ項目にする。」「ヘッターにキーワードや屋号を常に表示する。」「検索エンジンはテキストできちんと文章で書くことです。」「タイトルは大事です。」

 「ページ内できちんとキーワードを含んだテキスト(文字)でリンクを張ることも大事です。」

 繰り返しますが、「1ページ、1テーマで文章を書くことです。」
 
 「質の高いコンテンツを増やす。それをCMS(コンテンツ・マネジメント・システム)をサーバー内に取り込む。ムーバルタイプやワードプレスのようなブログを内蔵し、常に文章や関連記事を書いて更新することです。」
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「専門分野での情報発信が大事です。」

「サイトの内部に組み込まれたブログ「ムーバル]などで書けば、資産をためることになります。」

 [サイトコロン・ドメイン」で調べますと、弊社の「防錆屋」は3300ページあります。3300ページの入口があります。
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  防錆屋ホームページ

*広告について

 グーグルやヤフーの有料広告があります。出せば検索エンジンの上位に確実に出せます。検索エンジン連動型広告です。[キーワード]選びによって、広告の値段が決まります。

「キーワードで広告を出す。そのキーワードがあるページが表記される、そのページがランディング・ページと言います。」

 ソーシャルメディアの特色(シェア・マーケティング)

 繋がりっぱなしという状態(情報インフラは、とても大きい。

 市場が細分化されたので、ソーシャル・メディアが最適。

「人が主役。人と人とのつながりが大事です。」「顔出して本名で情報発信すること。」[自分を公開すること。」

「信頼関係の中で、広がっている。」

「人と人とのつながり」「紹介(シェア)」「信頼される人間」が基本です。」

「顔の見える人間同士が、信頼関係の中でのシェア・マーケティングができます。」

シェア・マーケティングの手だけ

「実名・顔写真で情報発信すること。」

「笑いや、お役立ち、感謝」

「ネタを提供できるのか」

「みんなに見られる中でのコミュニュ・ケーション力」

「友人に喜ばれる存在であること。」

 今回の村上肇さんのセミナーの結論です。

「共存共栄の考えの方」

「棲み分ける共存によって、争わない利益を享受すること。共に栄えるという思想。奪い合いより全体の利益の拡大を重視する。」


「三方よしの考えから。売り手より、買い手よし、世間よし」

 SNSには共存共栄・三方よしの考え方で取り組むべきです。」

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両親の介護サービス計画が届きました


 先日両親のケアマネージャーをやっていただいている下村恵子さんが来られ、介護サービス利用計画票を作成され、持参されました。お話もしました。
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 父(96歳)は要支援2です。2008年9月に脳血管障害で倒れ、緊急搬送され、頭部の手術をしました。手術は成功し身体麻痺もなく社会復帰ができました。しかし精密な画像撮影のための造影剤がきつく父は慢性腎不全になりました。
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 主治医の横田哲夫先生のご紹介で、植田一穂先生の指導を受けることになり、減タンパク食、水分補給(週に2回の点滴による補助)と適度な運動(週3回の介護予防リハビリ通所施設)のおかげで、クリアチリン値も安定し、超高齢者ながら健康を維持しています。
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 国が要支援者を介護保険制度から切り離す事になり、市町村任せにすることが「決まりました。そうなると父は介護予防通所リハビリ施設を利用できなくなります。また介護予防通所リハビリ施設の存在意義は「これ以上要介護者を増やさない」ためにつくられたのですが、国の制度から切り捨てられたら存続できず廃業してしまうこともありえます。
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 母(89歳)は、要介護2です。1日ディサービスに週3回、介護予防通所サービスへ、父と一緒に週2回行っています。金曜日は私が午後から、はりまや橋商店街へ連れて行き、買い物と活き活き100歳体操(介護予防体操)をしています。
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 超高齢の両親は介護保険制度を活用して、介護士、看護士、理学療法士などの専門家の指導や見守りを受け、健康状態を保持できています。関係者の皆さんには感謝しています。
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 財政上だけの理由だけで、国に社会に貢献してきた高齢者を切り捨てるような政策はとつてはいけないと思います。国の扶持や品性が問われます。偉そうにアメリカに追随して「積極的平和主義」などでお金を外国にばらまくことよりも、日本国の高齢者に手厚いケアをすることのほうが大事なのではないかと思いますね。

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それぞれの企業のBCP

 俗にBCP(大災害時の企業の事業再構築計画)の話は何度か聞きました。でもそれらは、電力会社や。情報通信会社や銀行など、大きな企業のお話であって、われわれレベルの中小零細企業には参考事例とはなりません。

 その点高知市若松町の米穀店店主の横田政道さんは、かねてより「保米」を常温で1年保存する方法を考案されていました。それはガスバリヤーの袋に脱酸素剤を入れ、お米を入れて密封する。これだけでお米が1年から2年保存できるようになりました。
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 今回は南海トラフ巨大地震で浸水が存廃される横田さんのお客様が使用するお米を保存米を上記の方法で作成し、高台の安全な場所に保存することが正式に決定されたようです。
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 前向きな提案にお客さんも喜んでいます。横田さんの信頼が増加したことは言うまでもありません。

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2015.09.01

BtoBセミナーに参加しています(1日目)


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 高知県産業センターにて、BtoBセミナーに参加しました。講師は村上肇さん(株式会社創代表)です。村上さんはこうした講習会は全国各地でなされ、今月で1000回を超えるそうです。高知での今回の講習会は995回目とか。
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 参加者は農業者や漁業者や、商業者、サイトの製作者やシステム・エンジニアや製造業の人たちなど多様。18人が参加しています。独自ドメインのWEBサイトでどう販売していくのか。それがテーマです。
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 今一度原点に戻り、ホームページや通販のありかたを考えたいと思っています。言ってしまえば、精神の[健康診断」[人間ドック」のようなものですね。問題解決の手法を学ぶセミナーです。
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「もともとある自社の強み、製品をきちんと正確に伝える。」

「地域ブランドをこしらえる。買いやすいパッケージをつくる。」

「ホームページはお客様目線でつくること。伝える顧客が異なれば、ホームページも対応すること。」

「自分の考えをホームページで正確に伝えることができる。」

「専門性がある範囲を独立させる。」

「困りごとに対応する専門であることを強調する。」

「1ページに1テーマできちんとホームページをつくる。」

「狭いターゲットに対してきちんとした専門性を活用する」

「困ったら探してもらうコンテンツでホームページをこしらえる。」

「専門家として”とんがった”情報を発信する。お客様に選ばれる情報発信をする。」

午後からは実践編になりました。

 班をこしらえて、ディスカッション。私の班は食品メーカー、通販で食材を販売している人、NPO法人就労継続支援B型事業所と防錆屋の私。皆で評論する。
 昔はスーパースターがいましたが、いまはAKBのように、だれがだれだかわからない事例が多い。
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 技術論ではなく、ホームページを作成する場合に、自社の強みを強調し、組み立てて、設計していくことですね。昔と違って多様な社会になりました。
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 SNSが登場してネット社会も大きく変貌しました。明日はその活用に仕方、注意点などをじっくり学びます。

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関東大震災から92年目


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 1923年9月1日に関東大震災は発生しました。神奈川県相模湾北西沖80km(北緯35.1度、東経139.5度)を震源として発生したマグニチュード7.9の大正関東地震による地震災害である。
神奈川県・東京府を中心に千葉県・茨城県から静岡県東部までの内陸と沿岸に広い範囲に甚大な被害をもたらし、日本災害史上最大級の被害を与えました。
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 190万人が被災、10万5千人余が死亡あるいは行方不明になったとされる(犠牲者のほとんどは東京府と神奈川県が占めています)

 建物被害においては全壊が10万9千余棟、全焼が21万2000余棟である。東京の火災被害が中心に報じられているが、被害の中心は震源断層のある神奈川県内で、振動による建物の倒壊のほか、液状化による地盤沈下、崖崩れ、沿岸部では津波による被害が発生しました。


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東京の倒壊した風景の写真や大火災の写真などは見たことがありますが、実は1番被害が大きかったのは神奈川県です。鎌倉の鶴岡八幡宮の本殿も倒壊し、横浜市市街地は瓦礫になりました。瓦礫を埋め立ててこしらえたのが山下公園であると言われています。
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 多くの観光客でにぎわう湘南海岸沿いも大津波に襲われ、大きな被害がでていました。古くから神奈川県の沿岸部の住宅は瓦屋ではなくトタン屋根でした。それは関東大震災の影響があったと、地元の塗装屋さんは言っていましたから。

 過去の震災を詳細に研究し、事前対策を立てることが何より重要です。
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当時靖国神社の境内に仮設住宅も建設されていました。

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