超高齢の両親から学ぶことは多いです。いつまでも健康に
うちは96歳の父(要支援2・慢性腎不全)と89歳の母(介護度1・アルツハイマー型認知症)の両親と家内の4人暮らしです。子供たちは巣立ち結婚はしていません。生計は別にしています。
日本は高齢化社会と言われていますが、両親は超高齢者であり、在宅ケアをしています。
2008年に父が脳血管障害で倒れ、救急搬送され、同時期に母がアルツハイマー型認知症と診断され、人生観が変わりました。市民活動や諸団体を、地域町内会活動以外はすべて退会し、会社の仕事と両親のケアと地域活動(防災を中心に)をしています。
超高齢の両親の生存記録や地域活動の様子などは、個人ブログ(電子日誌)である「けんちゃんの吠えるウッチングーどこでもコミュニティ双方向サイト」に書いています。
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/cat7773146/index.html(健康・体の問題)
また「フェイスブック」などもやっていますので、のぞいてみてください。
今後ともよろしくお願い申し上げます。母が認知症になってから、いろいろと学ぶことも多くあります。7年間も一緒にいますと気が付くことも多くあります。認知量に関する著作も読みました。
「痴呆を生きると言うこと」を読んで
「痴呆を生きると言うこと」(小澤勲・著・岩波新書・2003年刊)を読みました。今でこそ「認知症」という表現になってはいますが、ほんの10年前までは「痴呆」という言葉が普通のようでした。
筆者は大学卒業後、病院や老人保健施設に勤務し、管理者としてじかに認知症の人や家族と接してきた体験をもとに、この本を執筆されていることが理解できました。
「痴呆は、いくつかの症状のあつまりに対して名づけられるので、正確に言えば、症候群である」(P5)
認知症(以前は痴呆と呼ばれていた)は、多様な形態があり、一概にこんあものであるとくくれない病気なのでしょう。
「アルツハイマーと言う病名は、ドイツの精神科医アルツハイマーが、記憶障害を中核とした様々な精神症状や行動障害を示し、深い痴呆に陥って死亡した51歳の女性を、脳病理初見とともにはじめて報告したことによる。その報告がなされたのが、1906年、いまからほぼ100年前のことである。」(P2)
今年は2014年ですから、108年も前に症状(症候群)が「発見」されたようですね。
「痴呆の経過と予後」という項目(P19)には、初期段階では「健忘期」と言われ記憶障害が中心になっています。母(89歳)の認知症の段階はこのレベルではないかと推定されます。
中期になりますと「混乱期」と言われ、記憶障害に加え、見当障害がはっきりすると言います。行動障害が中心になってくる。徘徊や、失禁、失便、など家族や周囲を悩ませる行動障害がこの時期らしい。
末期になりますと、歩行や座ることも困難になる。要介護度は5になるのでしょうか。日常生活全般のケアが必要で在宅介護はほぼ不可能ではないでしょうか。
小澤氏の当時定義した「痴呆」(認知症)の段階は以上のとうりです。読んでいて印象に残った記述を書きだしてみます。
「痴呆を病む者は自らのつまずきに、一見活淡としており、それがいっそう周囲のいらだちを招くと書いた。だが決して誤解してはならないのだが、彼らは感情を失ってしまっているのではない。
(中略)
痴呆を病む人たちは、1つ1つのエピソードは記憶に残っていないらしいのに、そのエピソードにまつわる感情は蓄積されていくように思える。
叱責され続けると、そのこと自体は忘れているようでも、自分がどのような立場にあるのか、どのように周囲に扱われているのか、という漠然とした感覚は確実に彼らのものになる。」
「逆に、せっかく苦労して、一緒に行った旅行から帰ってきた直後の井、旅行に出たことさえ忘れてしまい、がっかりさせられることがある。だが、そのような心遣いは必ず彼らのこころに届き、蓄積され、彼らを支える。」(「不如意の感覚」P32)
記憶障害や行動障害を引き起こす認知症の人達には「感情」がある。それが大事なことであると思いました。例え言葉のコミュにてケーションが出来なくても、ラポールというのか、心の交流は必要であると思いました。
「物盗られ妄想」をなぜ認知症の人達は抱いてしまうのか?それは「老い」が関係あるのではなかと筆者は述べている。
「もの盗られ妄想を抱く人たちは、老いを生きている。これは、言うまでもないことのように思える。しかし、高齢者の治療、ケア一般のに言えることだが、治療やケアにかかわる者は、この自明の事実を常にこころに留めて行く必要がある。
大半の治療者やケアスタッフあるいは介護者は、ケアの対象となる彼等より年下であり、老いることの重みを身にしみてわかっていないことが多い。」
「そのために、この自明のことを治療やケアにあたる者ですら、ときに忘れ、ときに軽視し、時に意識から外してしまう。その結果、老いを生きるもののペースを超えた所作を強い、あるいは自分たちの間では日常化している言葉が、彼らのこころを傷つける。
というようなことが起きる。老いるということが老年期にみられる様々な病態の地あるいは背景として常に存在している。このことは、いくら強調しても強調しすぎることはない。」
「さて、老いると言うことは喪失体験を重ねることである。このことは多く論者によって繰り返し語られてきた。老年期には、社会的、家庭的役割の喪失があり、人の面倒をみてきた人が一方的に面倒を見られる側に回る。
心身の衰えが生じ、病が襲い、死が現実の事としてせまってくる。そして親しかった人と死別あるいは離別し、なじみの人間関係が喪われる。」
「しかも。これらの喪失体験は若い人たちと違って、取り返しのつかないことと実感される。客観的にみても、抱え込むことになって病や障害の多くは不可避的であり、徐々に進行することが多い。そのための彼らの喪失体験は深く、持続する。そして彼らを危機に導き、ときに混乱と絶望を生む。」(「老いを生きる」P90)
長々と引用しましたが、「認知症」の人の心象風景を記述されているのではないでしょうか。「もの盗られ言動」も、言ってしまえば、家庭内の勢力分野が、主婦の役目が息子の嫁に取って代わられた喪失体験から来ているのかもしれないですね。
中高年の域になっている私でも「老い」の自覚は正直あまりありません。身体的な機能の低下と、社会的役割の喪失感が大きいことが少し理解できました。
オーストラリア人で生化学者の女性は46歳でアルツハイマーを発症。詳細なレポートを書き残していました。発症前まではてきぱきと同時進行で仕事も家事もできていたが、発症後は」1つのことをやることで精一杯。でもそれは当たり前と認識し、あえて同時並行の作業をしないようにして自分を観察したそうです。「小刻みな死」を受け入れざるを得ない恐怖を書いていました。
根本的な解決は「ぼけても安心して暮らせる社会を」と筆者は言います。
「痴呆についても、まったく同じである。痴呆という病を受容すべきなのは痴呆を抱えた本人だけではない。彼等とかかわる人たちが、さらに彼らの住む地域が、そして社会全体が、彼らを受容できるようになれば、あるいは痴呆と言う事態を,生き、老い、病を得、そして死に至る自然な家庭の1つとして見ることが出来るようになれば、周辺症状は必ず治まり、彼らは痴呆という難病を抱えても生き生きと暮らせるようになるはずである。」
「ぼけても心は生きている。」「ぼけても安心して暮らせる社会を」(P218)筆者が1番主張したかったことでした。
2014年7月8日から「認知症重度化予防実践塾」(高知市高齢者支援課主催)の講座を受講しました。専門家ばかりでしろうとはわたし1人でしょう。アルツハイマー型認知症と判明して7年になる母(89歳)。終生対話ができる関係でありたいと思う。
90歳以上の85%は認知症とも言われています。父(96歳)だっていつどうなるかわからない。そのために「認知症」の正しい知識や、対処法を学ぶことは、無益なことではないと思います。頑張ってみます。
身体能力の衰えが認知症をより促進させるようです。
認知症重度化防止化予防実践塾で学んだことは、高齢者の「運動不足」が、日常生活に使う筋力の低下となり、日常生活が出来なくなり、介護状態になってしまう。とくに両親のような超高齢者(85歳以上)の場合は注意が必要ですね。2週間程度の入院で、完全介護されているうちに、「寝たきり」になってしまう可能性が高いからです。
うちの母(88歳)も日曜日はべたべたし、外へ出なくて1日が終わることが多い。わたしも休日は海で遊ばないといけない(セーリング)から忙しい。「散歩せんといかん」と言いましても「腰が痛いから行きたくない!」と母は叫んでいる有様。これでは去年と同じパターンではないか。それではいけないと思います。
認知もあるので「本人の自覚」なんてことはありえない。運動機能を低下させない工夫はしないといけないと思いました。母の場合は現在月曜、水曜、土曜は1日ディサービス。火曜と木曜は父と一緒に午後からは介護予防通所リハビリ施設に行っています。介護のプロの人達に誘導していただきながら体を動かしています。
毎週金曜日は、はりまや橋商店街へ午後から私が連れて行き、広場での活き活き100歳体操(介護予防体操)に参加しています。その折金曜露店市で買い物をすることが、母の楽しみとなっています。
父の慢性腎不全も小康状態になっています。超高齢者ゆえ無理は出来ませんが、食事も排泄も着替えも、入浴も自分で出来るので健康であると言えるでしょう。主治医の指示に従いながら、減タンパク食と適度な運動、適切な水分補給で健康を維持しています。
超高齢の両親は「生きよう」という意欲が強い人たちです。両親とも80歳ぐらいまでは全くの健康体でした。85歳を過ぎますと、いろんな症状が出て来るものです。病気と共存しながら生き抜いていくことは必要であると思います。
私たち夫婦も還暦を過ぎ、商売の方も地域活動もせわしい。身体的にきついと思う時期も時にあります。でも両親のように超高齢者になっても、自分らしく元気に生きようとすることはとても大事なことであると思いました。
うちは1階が会社の事務所。2階が台所と茶の間と浴室。3階が両親や私たちの寝室です。階段生活と和室の茶の間で、「バリヤアリー」の生活です。足腰が強くないと同居生活は出来ません。両親を叱咤激励して、運動をしてもらい、一緒に時間があれば歩きます。
もし歩けなくなれば自宅での生活は出来ません。住居が狭いので、住宅改造は出来ません。施設へ入居となれば、「今生の別れ」になると思っています。施設側は多忙であり、何かと我儘な両親の介護ケアが行き届くとは到底思えないからです。
そうならないために日常的に「介護予防ケア」を介護通所施設の人達やケアマネージャーの方たちのご協力を得て、超高齢者の両親の現在の健康状態を維持して行くことが現在の私の最大の願いです。
私と同年齢の友人たちは、両親が揃って健在という事例はありません。家内のご両親も他界しています。超高齢者の両親と暮らすことは大変ではありますが、学ぶことも多いです。何より両親の長寿に感謝する毎日です。
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