« 2015年9月 | トップページ | 2015年11月 »

2015年10月

2015.10.31

晩秋の夜須の海


_r

 先週1週間はストレスまみれでしたので、今日は朝9時から海へ出ました。
_r_2


_r_3

 明日はYASU海の駅クラブ主催でシーカヤック・マラソンです。業務多忙なので、明日のお手伝いは免除させていただきました。


先週はまさに「最後の夏」でした。ブラジル代表Tシャツに短パンで1日海の散帆ができましたから。海水温も暖かでした。
_r_4

 今日はそうではありません。先週雨の日があったためかハーバー付近の海水温が低い。予報では海上では「北の風がやや強い」とのことでしたので、ウェットスーツを着込みました。夏のダイエットに失敗したので、「ややきつい」状態ですね。
_r_5

 海へ出ました。ジュニア・ヨットクラブは練習休みで、明日のシーカヤック・マラソンの準備のお手伝いをされていました。海の駅クラブのカヌー全艇と室戸青少年の家からレンタルしたカヌーも含め、会場となるヤッシー・パークへ海からカヌーを運びます。
_r_6


_r_7


_r_8


_r_9

 さて今日の海の散帆。自分が想定したより風が強い。しかも冷たい。午前中はなんとか乗れましたが、昼食を挟んで午後からは風が強くなり、長く海上におれませんでした。理由はマリンブーツでは足元が冷たく、戦闘意欲が低下しました。
_r_10


_r_11

 要するに体が夏仕様のままですから、環境にうまく適合していません。徐々に慣らして行きます。足元はウエット・ソックスが必要であると思いました。そうしたら大丈夫ですね。沈(転覆)してもへこたれない精神力がこれからの季節は必要ですから。
_r_12

11月3日が憲法記念日なので「憲法9条トレーナー」を着用していきました。
 山本宏幸さんが別室から「変装用」の被り物を持って来ていただきました。昨夜から若者たちが変装して騒いでいるようです。正直その乗りはわかりません。
_r_13


_r_14

 憲法9条の文言も添付します。
9zixyou_2kou

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

秋になって父は元気です


1023_new_r

暑い夏を乗り越え涼しくなって父は元気です。10月26日に行った植田医院でも「クレアチリンの数値は横ばいで、いいと思います。」と植田一穂先生。午後からも元気で介護予防通所リハビリへ行きました。

 私が運動を指導する方に「7月測定時に比敝、9月の体力測定は父の数字が音ています。なにか問題はありますか?」と聞きました。
 「ありません。測定時の体調や気分で測定数値は変動します。心配することはありません。」とのことでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.10.30

下知コミュニティ・センター運営委員会」・役員会

Cm1_r


 2015年10月21日は、下知コミュニティ・センター役員会(会長坂本茂雄氏)がありました。中間活動報告と中間決算報告が事務局から行われました。
Cm2_r


Cm3_r

 また広報紙「下知コミュニティセンター便り」は、高知市役所広報紙「あかるいまちと一緒に下知地域の9400世帯に全戸配布されています。
Cc_new_r

 私の担当する防災部会の「受援力向上セミナー」(講師は西田政雄さん・支援を上手に受けて地域をより早く復興する)や、避難所運営訓練の告知がされました。11月3日の「昭和秋の感謝祭」の告知もされております。
Cc2_new_r


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.10.29

五台山1・5次避難訓練をしました

 午前8時半に二葉町を出発。下知減災連絡会五台山1・5次避難訓練を五台山鹿野段駐車場で開催しました。二葉町の担当はLPガス機器一式と鍋釜の運搬係と設営の手伝いです。荒木副会長と荷物を積んで車で行きました。
51_r

 一通り降ろして肝心のLPガスボンベを忘れていました。森会長の送迎もありますので、一度自宅へ戻り、森会長宅へ向かい、同乗していただき会場へ向かいました。

 午前10時になり森宏下知減災連絡会会長の挨拶で合同訓練が始まりました。続いて今回の訓練の企画立案者である横田政道若松町自主防災会会長から、訓練の流れと狙いの説明がありました。
_r


_r_2

「五台山は下知からも近い。また下知地域の被災後の様子も眺めることができる。草木もたくさん生えているし、湧水もあります。まずツバメガスさんにLPガスの取り扱いをご指導いただき、持ち寄ったお米やアルファ米。缶詰、などをお湯をガスで沸かして昼食を食べたいと思います。」
_r_3


2015102517060000

「また五台山展望台屋上には、国際信号旗を3種類掲揚しました。訓練中である。避難場所である。水が欲しいの意味の国際信号旗です。高知市水道局と高知市安心センター屋上から確認していただくことになっています。」

 今回持参した二葉町自主防災会のLPガス機器。青柳公園の自主防災会倉庫に入れっぱなしで、ろくに使用していません。ツバメガスさんに点検をいただきながら指導していただきました。
_r_4


_r_5

 ガスの説明が一段落して後に、日赤のポリ袋にお米を100g入れ、水を80g付け足して空気を抜き、上部を輪ゴムで縛ります。皆が出来た頃を見計らい熱湯に一斉投入しました。目安は約30分熱湯につけ、あげてから20分蒸らします。’発泡スチロールの箱に入れて蒸します。

_r_6


_r_7


_r_8

 昨年の下知コミュニティ・センターでの炊き出し訓練では、皆がばらばらに投入したので、出来具合が同じになりませんでしたから。今回はその教訓で時間も図りながら熱湯に入れて、蒸らしました。

 その合間にLPガスの発電機も説明いただきました。
S_r

「コンパクトなガス発電機は灯りや、携帯電話やパソコンの電源になります。少しおおきなLPガス発電機はワット数の大きな電子レンジを使用することができます。赤ちゃんのミルクを沸かすことも可能です。」

 お昼は美味しくいただきました。

 西田政雄さんからLPガス以外の炊き出しの方法ややりかた、衛生管理についての説明がありました。下知消防分団の皆様には、消火器の取り扱い方法のご指導を受けました。
Nisiyan_r

 国際信号旗の効用については、元海上自衛隊の方に説明いただきました。

「同じ配色の旗は1枚もないし、意味は万国共通。下知は海にも近いので自衛艦艇からも国際信号旗は良く見えます。」
2015102517070001

 13時前に無事訓練は終了しました。主体に準備された若松町自主防災会の皆様ありがとうございました。下知消防分団やツバメガス、高知県警の皆様、視察に来られた高知市地域防災推進課の皆様もご苦労様でした。一般社団法人マンションライフ継続支援協会の皆様もご参加ありがとうございました。

 
 参加された若松町、二葉町、中宝永町、南宝永町、丸池町、弥生日ノ出町、サーパス知寄町自主防災会、南金田町、五台山地区、つきのせ町の自主防災会のご参加ありがとうございました。

 帰り際に五台山展望台に掲揚している国際信号旗を参加者各位で確認。展望台から改めて下知地域は海に近く囲まれている低地の市街地であることを参加者一同再認識しました。
2015102517060001


2015102517050000


2015102517070000

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.10.28

震災遺構としての大川小学校


_new_r

 高知新聞2015年10月20日の夕刊記事によると、村井宮城県知事は、84人の児童と教職員が亡くなった石巻市大川小学校の校舎の保存を積極的にしないと表明しました。南三陸町の防災庁舎は例外的に保存するとのことです。
1_r

 現地を訪れた時に驚いたのは北上川の護岸堤防より低い位置に大川小学校があり、北上川を超えてきた津波は校舎の2階屋上まで到達していました。校舎の100M先には整備はされてはいませんが、山林がありました。そこへ逃げれば多くの人達は助かったことでしょう。事実そこへ逃げた人たちは助かっています。
_r

_r_2

「広島の原爆ドームでも当初解体の意見が強かった。石巻市の検討会では、大川小と門脇小を震災遺構として残そうという意見と解体すべきだという意見の両論が出ています。

_r_3


_r_4


 広島の原爆ドームは20年経ってから保存が決まりました。石巻市もそれぐらいかかると思います。」と現地を訪問した時に聞きました。
_r_5
(門脇小学校跡。前には震災慰霊公園をつくる計画があるようです。)


 今年1月17日に阪神大震災で大被害を受けた神戸市長田区鷹取東地区の震災20年慰霊祭へ行きました。現地は全く震災の痕跡はありません。でも街の人達の気持ちは再興途中であることがわかりました。とても難しい問題です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.10.27

夜須で津波避難訓練をしました。

 2015年10月24日に夜須へセーリングに行きました。

 朝は父のリハビリ・ゴルフの付添いをしていました。自宅へ戻りヨットの荷物を積み来んd夜須へ行きました。到着したら午前11時過ぎになっていました。車中で言むすびを食べていましたので、皆が昼食時にセーリングをする予定でした。
1_r

 YASU海の駅クラブの事務局の井土さんが、「今日はセーリング関係者の津波避難訓練を11時45分からします。」とのこと。ぎ装して出艇したらすぐにすでに海に出ていた高知大学ヨット部やジュニア・ヨットクラブが戻って来ています。


 私も出艇を中止し、津波避難訓練に参加するために着艇し、ヨットを引き上げました。学生たちも次々と着艇しています。手際よく着艇して、ヨットを陸置きしますと避難訓練の説明がありました。
_r


 「ビーチに集合して、国道55号線を登坂し、津波避難場所まで避難します」とのことでした。

_r_2


_r_3

大学生と中学生のヨット部員たちは一斉に走り出しました。わたしは年寄りなので歩きました。
_r_4


_r_5

 自転車で避難場所へ向かう学生もいました。ビーチから15分かかって避難場所へ到着しますと、すでに学生たちが避難場所に集合しています。
_r_6


2_r

 海抜13.5メートルの表示がありました。国道の表示は「ここから津波浸水予想地区」の外へ脱出したわけです。
6_r

 しかし高齢者や走れない人たちの避難はどうするのでしょうか?
_r_7


_r_8


_r_9

 ヨットをしている時の避難行動に参加して良かったです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.10.26

朝日新聞高知版で防災授業が掲載されました

朝日新聞高知版(10月18日)に、2015年10月17日に昭和小学校で行われた防災授業。坂本茂雄さんと国見俊介さんと山本美咲さんと私が防災アドバイサーとして登壇して授業に参加しました。その様子を堀内記者が記事にしていただきました。

Asahisinbun_1018_r

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.10.25

小学校での防災授業

M_r

 2015年10月16日は長距離バスで大阪へ行き、会合へ出てから、夜行バスにて翌朝の6時に戻りました。そしたら珍しく通販の注文が多くあり、しかも熱心な人からの電話もありました。結局「予習」をすることなく、いきなり防災授業となりました。地域防災推進課の防災ガールズの山本美咲さんと一緒でした。

 小学校の授業参観へ行ったのは下の娘が小学生時代ですから16年ぶりでした。私が担当したのは6年2組でした。なかには先月雨の中「津波避難ビル」めぐりを一緒にした子供たちもいました。

 担任の先生が「昭和小校区はどんな地形で特色がありますか?」との質問をなげかけました。

「海抜が低い地域です。」

「海が近い地域です。」

「川に囲まれた地域です。」と的確な回答を子供たちはします。
1_r_3


2_new_r

 次に先生がクロスワードの質問をしました。1問目は「自宅で親がいないときに地震が発生。どうしますか?携帯もつながらない」
3_new_r

 「自宅に留まる」が4割。「すぐに近くの津波避難ビル」に逃げるが6割。理由は「自宅がマンションで津波避難ビルになっている。」というものでした。低層住宅のの子供たちは率先避難です。

 2問目は「公園で地震が起こりました。大きな揺れでした。大人たちは避難しなくても大丈夫と言います。あなたはそうしますか?

 なんと全員が「率先避難する」との回答でした。

 理由は「地震に詳しい大人は少ない。」

 「ラジオで確かめてみる。」
4_r_2

 「揺れが1分以上続いたら南海地震ですから。すぐに逃げます。」という回答。いあやはや恐れ入りました。きっちり学習しています。

 あとは「津波が来ます。すぐに津波避難ビルに駆け上がってください!!。」と勇気を振り絞って大声を張り上げ自分が率先避難することで、大勢の人達が後に続き助かるからですね。

 教室の後ろでは修学旅行に行った神戸市の人防災未来館の訪問した感想文が掲示してありました。熱心に見学された様子が文面から伝わりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.10.24

夏の名残の夜須の海


1_r_2

 夜須での津波避難訓練に参加した後に、出艇しました。予想外に波はなく快適なセーリングが出来ました。風は程よく吹きました。しかも暖かいし、海水温も暖かい。ブラジル代表Tシャツと、短パンで帆走が出来ました。
_r_10


_r_11


1_r_3


7_r

 ジュニア・ヨットクラブも参加者全員が、シーホッパーSRに乗船し、井土コーチの号令で「クローズ・ホールドで上れ」「タックしろ」「アビームで走れ」とか基本帆走の練習を繰り返していました。
Jyc1_r


Jych_r


Jyc3_r


Jyc1_r_2

 高知大学ヨット部も出艇し、社会人も加わり15艇のヨットが海へ出ていました。気持ちよく海の散帆をさせていただきました。充電させていただきました海と家族に感謝です。

Jyc_r


| | コメント (0) | トラックバック (0)

夜須での津波避難訓練に参加しました。

 

 朝は父のリハビリ・ゴルフの付添いをしていました。自宅へ戻りヨットの荷物を積み来んd夜須へ行きました。到着したら午前11時過ぎになっていました。車中で言むすびを食べていましたので、皆が昼食時にセーリングをする予定でした。
1_r

 YASU海の駅クラブの事務局の井土さんが、「今日はセーリング関係者の津波避難訓練を11時45分からします。」とのこと。ぎ装して出艇したらすぐにすでに海に出ていた高知大学ヨット部やジュニア・ヨットクラブが戻って来ています。


 私も出艇を中止し、津波避難訓練に参加するために着艇し、ヨットを引き上げました。学生たちも次々と着艇しています。手際よく着艇して、ヨットを陸置きしますと避難訓練の説明がありました。
_r


 「ビーチに集合して、国道55号線を登坂し、津波避難場所まで避難します」とのことでした。

_r_2


_r_3

大学生と中学生のヨット部員たちは一斉に走り出しました。わたしは年寄りなので歩きました。
_r_4


_r_5

 自転車で避難場所へ向かう学生もいました。ビーチから15分かかって避難場所へ到着しますと、すでに学生たちが避難場所に集合しています。
_r_6


2_r

 海抜13.5メートルの表示がありました。国道の表示は「ここから津波浸水予想地区」の外へ脱出したわけです。
6_r

 しかし高齢者や走れない人たちの避難はどうするのでしょうか?
_r_7


_r_8


_r_9

 ヨットをしている時の避難行動に参加して良かったです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

父のゴルフ・リハビリです

 今日も朝は父(96歳)のゴルフ・リハビリに付き添いました。朝食を摂ってから体調を整え、打ち放し場へ行きます。ゴルフの道具一式と、飲み物BOXは私が担いで打席まで持って行きます。父が球を打つ間は、貴重な読書タイムです。

 往路の気温は17度。復路は20度でした。気温はお昼は上がるでしょう。
Pa240004_r


Pa240005_r

 いつものように入念に自己流の体操を行い、OS-1(経口補水液)で水分補給をしながら、ゴルフ球を打ちます。大きな番手のクラブから球を打っているようです。
Pa240011_r


Pa240006_r


Pa240007_r


Pa240008_r


Pa240009_r


Pa240010_r

Pa240012_r


 自宅へ連れて戻りますと、わたしは夜須の海へ出掛けます。朝1番ではないので、昼食は海の上で食べる段取りで行く予定です。おむすびはコンビニで調達します。ライブカメラで見ますと夜須のうねりは結構あり、SUPの人達が出てますね。ジュニア・ヨットクラブが出艇準備をしているようです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

父・吉正の血液検査と体力測定表


_new_r_2

 植田一穂先生からいただきました2015年10月16日に実施した3項目の父(96歳)の血液検査。クレアチリンの値は2.16で小康状態。ヘモグロビン値も10・5で腎性貧血を脱しています。週に1度の貧血予防注射が効いています。

 一方10月12日の体力測定ですが、前回7月に比べ測定値が悪くなっています。体重が2キロ落ちています。その影響なのかどうかはわかりません。

 2年前は腹回りが大きくなっていて実弟の葬儀の喪服が着れない有様でしたが、最近は腹回りが少しスリムになったと思います。家内によれば「食べる量は変わらない」とのこと。病気でやせた訳ではありません。

 良好な健康状態を維持している父ですが、なにせ「超高齢者」の96歳です。いつどうなるやらわかりませんので。
2_r


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.10.23

母と一緒にはりまや橋商店街へ行きました


 午後からは母(89歳)と一緒にはりまや橋商店街へ行きました。午前中に美容院へ行き髪をカットしましたのでご機嫌でした。超高齢者であろうが身なりは構わないといけないですね。私自身お洒落ではないので、そういうこと言うのはおこがましいですが、つくづくそう思います。
Haha_r

 さて今日もお天気でした。歩行補助車を積んで行きました。最初に魚の棚商店街のコロッケ・ひろっちゃんで夕飯用のコロッケを買いました。
_r_5

 次の谷ひろ子さんのお店で焼き菓子を買いました。ガラスケースのなかに入っているロールケーキが欲しいと言いますので買いました。(戻ってから皆で食べました。美味しかったです。)
_r_6


_r_7

 活き活き100歳体操まで時間がありましたので、母と一緒に谷ひろ子さんとこでコーヒーを注文し一緒に飲みました。焼き菓子も食べました。
_r_8

 ぼつぼつ体操の参加者が来られたので、椅子を並べたり100歳体操の会場の設営をしました。私が行けば準備はします。片付けは参加者がやります。
_r_9

 今日の活き活き100歳体操は15人ぐらいの参加者でした。
_r_10


_r_11


4_r_2


叔母は手足がしびれるというので電話があり欠席しました。体操終了後様子見にお店の水谷龍文堂へ行きました。リュウマチの症状はなく、過労から来ているようでした。少しペーズダウンして休養すれば大丈夫でしょう。

 若松町の横田政道さんも通りががりましたので、一緒にコーヒーを飲んで雑談しました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

快晴の高知市 両親とも元気です


1_r

 超高齢者の両親ですが、元気で暮らしております。今日は午前中は父(96歳)の植田医院への通院へ付き添いました。「とくに医学的にどうということはありません。健康状態は良好です。」と植田一穂先生。点滴と腎性貧血予防の注射をしました。
_r


3_r

 2本足で直立歩行が父は出来ますし、車へも1人で乗り込みます。ただ古い車(15年目)です。ドアの部位にゴムのカバー(今の車は皆ついています)がなく金属部分が「むき出しで」怖いのでドアの開閉時には私が立ち会って開閉することにしました。
4_r

 超高齢者の健康保持には細心の注意は必要ですね。
1_r_2

 戻りますと母(89歳)が待ち構えていました。仲良く手を繋いでご近所のシンボル美容室へ行きました。久しぶりの髪のカットをしました。美容師の荒木さんは「以前から言えば髪の毛が少なくなりましたね。でもまだまだたくさんあるので上等です。」といわれました。
1_r_3


_r_2


_r_3

 帰りに森食料品店でお弁当を購入しました。昼食後ははりまや橋商店街へ連れて行きます。活き活き100歳体操と買い物リハビリです。先週は大阪出張で行けなかったので今週は連れて行きます。
_r_4


| | コメント (0) | トラックバック (0)

今野清喜さん講演会・レジュメ

Resize2729


2015年10月11日の今野清喜さん(石巻市湊東地区まちづくり協議会代表世話役)の講演会当日のレジュメです。

 そのなかで「自助とは、

*自分で歩いて避難できるようにしておくこと。

*普段の暮らしで、防災、減災のことを少しは考え生活すること」と書かれています。
 全くそのとうりであると講演を聞きながら思いました。

4_new_r


_new_r


2_new_r


3_new_r


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.10.22

「東北被災地に学ぶ交流の旅」報告書

 「南海トラフ地震未災地の私たちが 東北被災地に学ぶ交流の旅」報告書は、坂本茂雄さんと西田政雄さんが編集し紙媒体として作成されました。参加者各位は原稿や感想文を書きました。
 
 6月20日から23日までの間に、石巻市を中心に、東松島市、名取市の被災地を訪ね、奮闘し復興事業に取り組まれている住民組織や支援組織の人達に面談し、意見交換してきました。

 紙媒体の報告書を辛気にスキャナーで取り込み、電子媒体で保存することにしました。

_r_3


2_r


3_r


4_r


5_r


6_r


7_r


8_r


9_r


10_r


11_r


12_r


13_r


14_r


15_r


16_r


17_r


18_r


19_r


20_r


21_new_r


22_r


23_r


24_r


25_r


26_r


27_r


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.10.21

今野清喜さん講演会

Photo_2


Pa110019_r

 2015年10月11日に、下知コミュニティ・センターにて今野清喜さん(石巻市湊東地区まちづくり協議会代表世話役)の講演会が開催されました。
Pa110023_r


Pa110026_r

 森宏下知減災連絡会会長から歓迎の挨拶がされました。坂本茂雄事務局長からは、6月に下知減災連絡会有志で6月に実施した「南海トラフ地震未災地の私たちが、東北被災地に学ぶ交流の旅」の報告書を今野清喜さんのご紹介かたがた説明されました。
Pa110029_r

 そして今野清喜さんの講演が始まりました。詳細については後日西田政雄さん(防災寺小屋主宰)が当日ビデオ撮影されておられます。後日動画としてネットに上がると思われます。参考にしてください。」
Pa110032_r


Pa110038_r


Pa110030_r

 講演のなかで印象に残った語句を列挙します。

「3月末に県職員を退職する予定でした。2年前から町内会長もしていました。東日本大震災当日は、休暇を取り家内と定年後のことについて話していました。2011年3月11日午後14時46分に大きな地震がありました。

 とにかく長い地震でした。家内は庭に出ていて、私は転倒防止策をしていないピアノを抑えていました。過去に宮城県沖地震も体験していますので、家具の固定など地震対策はきちんとしていました。」

「しかし津波に対してはほとんど無防備でした。大津波警報も出ました。しかし前年ン2010年のチリ地震遠地津波も予報は3Mでしたが、実際には数十センチに津波でした。今回もその程度でしょうとたかをくくっていました。」

「町内会長をしていて自宅にいました。家内は民生委員をしていて町内に2人とも顔見知りが多かったです。揺れが長かったので津波の恐れもあるので、ご近所に声をかけ、地域の避難場所になっている葬祭会館のホタルへ避難しました。」

「大津波が見えたので急いでホタルの2階へ避難しました。蛍の前は幹線道路。車に乗ったまま流されている人たちを多く見ましたが、どうしようもありませんでした。」

 「蛍には250人ぐらいが避難していました。学校のように指定避難所ではないので、水も食料も施設に備蓄していません。ろうそくだけは豊富にありました。」

「震災当日は晴れていましたが、津波が納まると余震が多くありました。施設の職員もいましたので、避難所のためにカーテンを剥がして利用させてもらいました。」

「避難していた人たちも町内会の行事や防災訓練、盆踊り大会などで顔見知りが多く心強かったです。ローソクの灯りの範囲で班をつくりグループをこしらえました。水や食料は用意の良いひとは玄関先に防災グッズのリックなどで非常食と水を持って来ていましたが、1割もいませんでした。」

「顔見知りが多くてパニックにはなりませんでしたが、水も食料も不足するので、3日目あたりから話合いをして、決死隊をつくり館の外へ調達に行きました。流れている缶詰や袋入りの飴などを調達し、皆で分け合いました。水は別の集会所に置いてありました。」

「情報はラジオが頼りでした。電気も携帯電話も使えません。3月14日に自衛隊が来てくれておむすびをくれました。皆が満足できる量は供給されません。服薬している人が多くて薬の不足に困りました。」

「避難所には看護士さんが2人いました。丹念に薬の種類を聞き取りをしてくれました。食料を食べる場合は爪を切って清潔にしましょう。トイレを綺麗に使いましょう。掃除しましょうと言って下さり、避難所の雰囲気が明るくなりました。

 子供たち、高齢者、女性、の順に優先するルールをつくり、6時半にはラジオ体操もしました。また7時、11時、16時半位に連絡タイムをつくり、情報を共有化しました。」

 「避難5日目になると湊第2中学からヘリで広域避難所へ移送するという情報が入り、避難者の半分が移動し、半数は自宅などが気になる人が多く、残留しました。」

「県北部にいる親戚が仕出し屋をやっていました。なんとか連絡して300食のおむすびとから揚げを避難所へ届けてもらいました。皆が元気になりました。常日頃から被害を受けていない地域との交流は大事である。支援はありがたいと思いました。」

「10日間の蛍での避難所生活でした。教訓を上げてみます。

1)役割分担を決めること。各分野の責任者を決めること。施設内で飲酒は禁止にしました。

2)要援護者の早期の移設を心がけました。

3)服薬の薬は大事。看護士さんが2人おられて助かりました。普段から自分の服薬する薬は持参するか、薬手帳などを携帯するようにしないといけない、携帯電話の画僧に記録することも大事です。

4)、夜間の見回り警備も大事です。

5)情報を施設内で共有化するために、連絡を7時、11時半、16時と行いました。

6)トイレの掃除と清潔化が大事です。

7)自分たちでやれることは自分でやること。

8)ペットの問題で苦労しました。」

「地域で多くの人が亡くなりました。常日頃の繋がりがとても大事です。盆踊りの時に炊き出し訓練をしていて、参加されている町民は防災意識が高く、皆助かりました。亡くなった人たちは、行事へも防災訓練へも参加しない人たちでした。」

「要援護者や高齢者の皆さんも「助けて下さい」と周りの人に遠慮なく言う事です。それにより地域の人達が結果的に早く避難できます。よくあるのは私は高齢だから逃げないとか言おう人がいます。放置して逃げることが出来ず説得中に津波に巻き込まれ命を落とした人もおられました。」

「自分がどんな地域に住んでいるのか。地域の特性と特長、危険個所を知ることです。

 参考図書として「石巻赤十字病院の100日間」石巻赤十字病院+由井りょう子著・小学館2011年9月刊)です。」

 講演をノートに聞き取りながらですので、今野清喜さんの講話を時系列的に正しく聞き取りできたかどうかは正直自信はありません。印象に残った事柄を記述してみました。

 送迎の間や、地域の見学をされている間に今野清喜さんと話をしました。事前に下知地域の事情も独自に検索されていました。事前にいろいろとやっていることや、他の地域との交流(今治市や仁淀川町)などは有益であるとも言われました。

 ご指摘されたのは市街地ゆえの火災対策をすべきではないかと言われました。自宅からの失火や津波で自動車が流されての火災(石巻市門脇小学校付近)や、石油施設での火災(気仙沼)なども起きたからです。

 正直懸念はしていますが、事前の対策まではしていません。

 訴訟が起きている事例として、高台にあり安全な場所に保育所はありましたが、保護者宅へ送迎しようとして送迎車を出して津波に遭い亡くなった事例。

 近くに高台があるのに業務を続け銀行の支店職員の多くが死亡した事例。裏山が隣にあるのに、そこへ逃げずに運動場に待機して教員と児童の多くが亡くなった小学校。犠牲者が出ますと復興の足かせになります。

 とにかく下知地区の危険性を熟知し、地域の特性を住民皆が把握し、実際に南海地震が起きた場合、素早く津波避難施設(市指定や地区防災会指定のビル)に垂直避難することです。

 避難所運営や受援力(支援を受ける力)を意識してつけることでしょう。

 南海地震はいつ起きるかわかりませんが、70%の確立で起きることはまちがいありません。災害大国日本で生きのびる知恵と工夫は国民1人1人が考え、実行することでしょう。
Photo


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.10.20

五台山からの眺望と若松町の耐震護岸工事

 2015年10月11日は、宮城県石巻市湊東地区まちづくり協議会代表世話役の今野清喜さんと、坂本茂雄下知減災連絡会事務局長と、横田政道若松町自主防災会会長とで、南国市大湊地区の津波避難タワーを視察後、五台山へ行きました。

 五台山は横田政道さんが、「1・5次避難場所」と定義し、週に1回か2回山中を散策しています。湧水や四季折々の樹木や草木があり、秋は栗が落ちています。春はぜんまいやわらび、初夏はたけのこなど。
Pa110011_r


Pa110014_r


Pa110012_r

 横田さんに解説いただきながら頂上の展望台へ行きました。こちらからは高知市街地が一望でき、下知や潮江の市街地がいかに海に近く低地であることを今野清喜さんに説明しました。

「わたしは30年ほど前に高知市へ来たことがあります。その頃はこれほど高いマンションは建っていませんでした。驚きました。確かに下知地区には高台はなく、こうした高層マンションを津波避難ビルにして逃げ込まないといけないですね。」と言われました。

 車中で坂本茂雄さんが「昭和南海地震時の下知地区の浸水状況の写真と現在の市街地を対比した写真」を今野清喜さんに見せておられました。
Godaisannsantyou

 五台山から青柳橋を渡り、若松町の耐震護岸工事現場を見ました。1期工事は終わったとの事です。1・3Mの直径の鋼管を油圧で23M地中に埋め込み、そのうえに堤防を建設し、地震や津波で引き倒されない堤防づくりです。
Pa110016_r

 今野清喜さんは元宮城県庁の土木技師。河川や港湾や道路の部署におられたそうです。専門家の観点で見ていただきました。

 高知市下知地域では、河川の堤防道路が1番海抜が高く(1・5Mから2M前後)、市街地は下がっている事。電車通りの国道32号線は海抜0メートルであることを説明しました。

 ホテルにチェックインされ、車で下知地域を巡回し、講演会場の下知コミュニティ・センターへ向かいました。そちらで有光センター長に施設の説明(防災倉庫・LPガスユニット・貯水タンクなど)をしていただきました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.10.19

下町ロケットは面白い

 普段はTVドラマなど全く見ません。昨日は偶然家内も一緒に「下町ロケット」というドラマを見ました。

 7年前に国産ロケット制作スタッフだった主人公は打ち上げ失敗の責任をとらされて解雇されました。その後は実家の精密機械会社の社長にまい進。ものづくりに優れた中小企業です。

 先進的な特許をいくつも有する中小企業ですが、なかなかその特許技術は実用化されない。そこへその技術がほしい大手企業から悪辣な買収工作が仕掛けられます。

 それを跳ね返すことができるのか。次回が楽しみです。東芝日曜劇場ですが、見たのは20年ぶりぐらいです。

 なんか現実味があるドラマで見入ってしましました。

http://www.tbs.co.jp/shitamachi_rocket/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

南国市の津波避難タワーを視察しました

 2015年10月11日は、高知空港へ坂本茂雄さんと、横田政道さんと3人で、防災講演会の講師である今野清喜さん(石巻市湊東地区まちづくり協議会代表世話役)を出迎えに行きました。
_r

 到着の飛行機が30分程度遅れました。高知の状況を理解いただくために、空港近くの南国市大湊地区にある津波避難タワーを見ていただきました。大湊保育園と大湊小学校の狭間に津波避難タワーはあります。
Pa110004_r


Pa110007_r

 飛行場に近いので、高い建物は建設できません。海が近く、平地なので、各集落ごとにこうした津波避難タワーが南国市には14基あり、昨年建設されました。
Pa110009_r

 津波避難タワーは堅牢に造られており、震度6強の地震に耐えられ、低層住宅にお住いの住民や園児や児童を収納できる広さです。斜路もあり、乳母車や車いすでも昇降できるようになっています。
 Pa110008_r

「仙台空港近くに地形は似ていますね。」と今野さん。「こういう施設ができると安心ですね。でも常に訓練する必要はあります。」とも

 降りて来ますと寄贈されたとは思いますが、まんぼうという津波避難救命艇も置かれていました。井戸のポンプもありました。ただ、地表部にあるので、実際に役にたつのかどうかは不明です。
_r_2


Pa110005_r

 当日は風が強く吹いていました。冬場とか夜間とか雨の日とかにでも避難訓練していつでも逃げ込める練習する必要はありますね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.10.18

夏の名残の夜須の海


Yasu1_r

 海へ出る前にYASU海の駅クラブの事務局の横山さんと、高知大学ヨット部の皆さんと一緒に、斜路の青のりの除去作業を10分程度やりました。随分除去出来て綺麗になりました。

Ainoritoro_r


Aonorotori2_r

手早くぎ装(ヨットの組みたて)をしました。
Gisou1_r
Tenkizi101815zi

 予報では3Mのうねりとか。確かに300M幅のうねりは来ていましたが、それほど気にならない。最初は風が弱く苦労しましたが、その後南からの風がそこそこ入り、海の散帆を楽しみました。
Umiz1_r


Umiz4704_r


Akaoka_r


Umikuy5_r


 今日は海へ出たのは470の高知大学ヨットクラブと、シニアは私と船木さん、あとYさんとTさんがレーザー艇で出艇しました。
4709_r

 午前中は9時過ぎから11時半まで帆走しました。昼食を手早く食べてすぐに出艇しました。午後からは風がそこそこ強くなりました。ただ残念なのは南西の風邪でしたので、変な波が立ちローリングして苦労しました。

 それで時々波のないヤッシー・パークへ入りタックとジャイブの練習をしたりしました。午後は3時ちかくまで帆走しました。午後は風が強くなりましたんで写真はありません。

 海と太陽からエネルギーをいただきました。いろいろと面白くないこともありましたが、へこたれず前向きに克服したいと思います。海で散帆していますと陸の上の出来事などとらわれなくなります。また海へ来ます。

 高知の海は10月半ばまで夏。と言われています。まさに今日はそうでした。風こそ涼しいが日差しはきつく痛いほど。夏仕様のブラジル代表Tシャツに短パンで帆走出来ましたから。

 終わってから夜須駅前で清掃活動をされている山本宏幸さんとおっさん2ショットを自撮りしました。やすにんぎょちゃんというやなせたかしさんのキャラクターの前です。
2_r


| | コメント (0) | トラックバック (0)

昭和南海地震の記録映像動画

  昭和21年の昭和南海地震の記録映像があります。

動画:昭和南海地震の記録

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.10.17

長距離バスで大阪へ行きました

Soutyou__r

 昨日朝6時48分にはりまや橋バス停を出る長距離バスで午後1時からの会合に出席するために行きました。例によって「待合室」は開かず、乗客は結構寒い中外で出発を待っています。
_r_5

 上天気の中橋は途中2度トイレ休憩しながら走行。PAで昼食用のパンをかじりながら景色を見ます。大鳴門橋下の海では渦潮が見えました。
 明石海峡大橋では亜鉛メッキ製の欄干に錆が目立ちます。架橋後20数年以上経過しますと亜鉛メッキでは持たないですね。
1_r


2_r

 バスは予定より20分程度早く到着。地下鉄で淀屋橋へ行きました。最初に勤務した会社のビルがまだありました。懐かしい。もう38年も前の事ですね。
_r_6


2_r_2

 中之島という川に挟まれた低地に大阪市役所はあります。海抜は大阪市街地全体が低い。しかも川だらけ。南海トラフ巨大地震となれば大阪市街地は壊滅的な被害が想定されます。
_r_7


_r_8

 大阪維新の会とやらは防災対策よりも「大阪都構想」など軟弱地盤の低地に大阪市街地があることを忘れているような言辞を繰り返しています。
 市長も知事も市民の命と安全を守ることが第1ではありませんか。戯言も橋下氏もいい加減にしてもらいたいものです。
_r_9

 高知城下町が大阪をモデルにし400年前に山内一豊がこしらえた意味があらためてわかりましたね。
 長距離バスは振動があり、やかましくなかんか安眠は出来ませんでした。けれど知らない間に3時間は熟睡したようです。今日は快調。

 今から父(96歳)の付き添いでリハビリ・ゴルフに行きます。午後からは地元小学校で防災参観日を見学に行きます。最後のコメンターの役目もあるようです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「権利の上に眠る者」を読んで

_r
 「権利の上に眠る者」(丸山真男・著「日本の思想」P154)をあらためて読みました。この一項は高校生時代の現代国語の教科書にも載っていました。「秘密保持法」や「戦争法案」が強行採択された後、今1度読みかえしますと、今更ながらに54年前に発言していた丸山真男氏の先見に驚きます。

 以下長くなりますが引用します。

「学生時代に末広(巌太郎)先生から民法の講義を聞いた時「時効」という制度について次のように説明されたのを覚えています。

 金を借りて催促されないことを言いことにして、ネコババをきめこむ不心得者がトクをして、気の弱い善人の貸し手が結局損をするという結果になるのは随分不人情な話のように思われるけれども、この規定の根拠には、権利の上の長くねむっている者は民法の保護に値しないという趣旨も含まれている、というお話だったのです。

 この説明にわたしはなるほどと思うと同時に。「権利の上にねむる者」という言葉が妙に強く印象に残りました。

 いま考えてみると、請求する行為によって時効を中断しない限り、たんに自分は債権者であるという位置に安住していると、ついには債権を喪失するというロジックの中には、1民法の法理にとどまらないきわめて重大な意味がひそんでいるように思われます。」

「たとえば、日本国憲法の第12条を開いてみましょう。そこには「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない」と記されてあります。

 この規定は基本人権が、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」であるという憲法97条の宣言と対応しておりまして、自由獲得のプロセスを、いわば将来に向かって投射したものだといえるのですが、そきに先ほどの「時効」についてみたものと、いちじるしく共通する精神を読みとることは、それほど無理でも困難でもないでしょう。

 つまり、この憲法の規定を若干読み替えてみますと、「国民はいまや主権者になった、しかし主権者であることに安住して、その権利の行使を怠っていると、ある朝目ざめてみると、もはや主権者でなくなっていることが起こるぞ」という警告になっているわけなのです。

 これは大げさな威嚇でもなければ教科書風の空疎な説教でもありません。それこそナポレオン3世のクーデターからヒットラーの権力掌握に至るまで、最近100年の西欧民主主義の血塗られた道程が指示している歴史的教訓にほかならないのです。
Fasisuto_2

 アメリカのある社会学者が「自由を祝福することはやさしい。それに比べて自由を擁護することは困難である。しかし自由を擁護することは困難である。しかし自由を擁護することに比べて、自由を市民が日々行使することは更に困難である」といっておりますが、ここにも基本的に同じ発想かあるのです。

 私たちの社会が自由だ自由だといって、自由であることを祝福している間に、いつの間にかその自由の実質はカラッポになっていないとも限らない。自由は置物のようにそこにあるのではなく、現実の行使によってだけ守られる、いいかえれば日々自由になろうとすることによって、はじめて自由でありえるということなのです。

 その意味では近代社会の自由とか権利というものは、どうやら生活の惰性を好む者、毎日の生活さえ何とか安全に過ごせたら。物事の判断などはひとにあずけてもいいと思っている人、あるいはアームチェアから立ち上がるよりもそれに深々とよりかかっていたい気性の持ち主などにとってははなはだ厄介なしろ物だといえましょう。」(P156 であることとすること 権利の上にねむる者」

 今日の日本の現実社会は1961年に丸山真男氏が警告したとうりの社会になりました。しの原因は「国民が主権者としての権利を行使しなかった」ことでしょう。その1つが選挙での投票です。

 「政治は誰がやっても同じ」とか訳知りに言って、投票を多くの国民が棄権した結果が、「戦争法案の成立」や「特定秘密法」の成立になりました。

 選挙での投票だけが唯一の権利の行使ではありません。街頭へ出るとか、集会を開くとか、広報宣伝をするとか。多様な「主権者としての権利の行使の手段」があるはずです。
S12_r

 日本を窮屈な全体主義国家にしないためにも、国民1人1人が知恵を絞り、主権者としても権利の行使をめいめいの方法でやり続けることです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.10.16

香南市夜須町坪井の津波避難タワー

  先日ヤッシー・パークへ行っておりました。道(55号線)の対岸を見ると建設中の津波雛タワーが足場が外れていたので見に行きました。
_r_7


2_r_2


_r_8


 海抜14・8Mの表示がありました。夜須町は髙い建物がありません。津波避難タワーはこの町では命を守る砦です。
_r_9


_r_10


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.10.15

減タンパク食の在庫は自己責任でするしかない

  慢性腎不全の父(96歳)は、穀類(米・餅・パン・麺類)のタンパク質摂取が駄目で、加工食品としての「減タンパク」の穀類(米・餅・パン・麺類)を通販でヘルシー・ネットワークで購入しています。

 たんぱく質30グラム以下のレシピ

http://www.healthynetwork.co.jp/top/recipe/asp/list.asp?s_cate1=1&s_keyword=%8c%a3%97%a7

Pan_quiche_main


Attaka_tamagotoji_udon_main


 行政が関与する非常食(アルファ米など)は、普通食に限られます。所詮は最大公約数的なことしかできないでしょう。アレルギー体質の人も同じで、自己責任で在庫しないといけない。

 最低1か月分の減タンパク食を備蓄しないといけない。健康を保持しているのに、何の補助支援制度もない。それが釈然としませんね。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.10.14

紙媒体の二葉町防災新聞

_new_r


 紙媒体の「二葉町防災新聞 2015年10月号」を作成しました。記事の内容は、8月22日に実施した仁淀川町泉川地区との交流会の様子です。町内に回覧していただきます。

 あとはお知らせです。

 WEBの時代とは言え、FBやブログだけでは伝達できないことはあります。紙媒体を作成することは手間暇はかかりますが、必要性があります。発刊が不定期です。定期発刊すればいいことはわかりますが、時間的な余力がありません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.10.13

超高齢の両親の健康状態は良好です


Yosimasa_new_r

 慢性腎不全の父(96歳)も涼しくなると脱水症状が治まってきたようで、lクレアチリン値も2.07になり、ヘモグロビンも11.0で腎性貧血も納まって来ました。
Pa130003_r


Pa130007_r


Pa130009_r

 午後からは母(89歳)と一緒に、介護予防通所リハビリへ行きました。
Pa130011_r


Pa130012_r


Pa130013_r


Pa130014_r

 先週は早めにインフルエンザの予防接種もおこない、横田哲夫先生の健康診断もしていただきました。「医学的な所見は特にない」とのことです。何よりですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

受援力(じゅえんりょく)向上セミナーを開催します

 受援力(じゅえんりょく)という言葉はまだ世の中になじんではいません。

 受援力の言葉の意味を解説します。

受援力 読み方:じゅえんりょく

ボランティアの援助を受け入れる能力のこと。特に、災害の被災地における、住民個人のレベルから行政レベルまでの、災害ボランティアの受け入れ能力を指すことが多い。

内閣府は、災害が起こった際に、ボランティアやボランティア活動に対する地域住民の理解が不十分であると、ボランティアの力が有効に活用されない場合があることを指摘している。また、被災地に国内外から大勢の人員が駆けつけたり、大量の救援物質が送られたりした場合、十分な対応ができずに混乱が生じ、「第二の災害」と称されるような事態に陥る例もある。そこで、受け入れ側の被災地に対しても、ボランティアへの理解や、ボランティア活動をコーディネートする能力、すなわち受援力が求められるようになった。コーディネートの業務には、例えばボランティアの名簿管理、機材の分配、保険への加入などがある。

地域の受援力を高めるためには、平時からボランティアやボランティア活動に対する理解を深めることが重要だとされている。地域によっては、防災訓練において災害ボランティアセンターを設置し、ボランティアの受け入れを想定した内容の訓練を行う取り組みもある。

また、地域住民レベルの受援力だけでなく、行政の受援力向上も課題とされており、平時から災害時の業務を想定し、応援人員の配置計画や復興計画の事前策定などを行うことが求められている。阪神・淡路大震災を経験した兵庫県神戸市は、2013年に全国の自治体に先駆けて「災害受援計画」を作成し、災害時の受援の総合窓口として「応援受入本部」を設置する方針を発表した。

それで今回「受援力向上セミナー」を企画いたしました。講師は西田政雄さん(防災寺小屋・主宰)です。

_r


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.10.12

長者の棚田の稲刈りの様子です。

 去る2015年5月30日(日曜)に、仁淀川町長者地区のだんだんクラブの皆様に大変お世話になり二葉町関係者有志は田植え体験をさせていただきました。その植えた稲が生育し、10月6日(火曜)に稲刈りが行われました。
Photo

 当日長者小学校の児童と一緒に稲刈りが行われ、二葉町自主防災会荒木三芳副会長が参加いただきました。写真はお世話をされましただんだんクラブの副会長である岡崎信守さんより送っていただきました。
Photo_2

 長者のだんだんクラブの皆様は、11月3日(火曜・祝日)に開催されます「第5回昭和秋の感謝祭」にご参加いただくことになっています。いつも仁淀川町の食材は大人気です。
Taue3_r


Syugousyasinn

 写真は稲刈りの様子と、田植えの様子です。昭和秋の感謝祭の様子もです。

Niyododengakuamego_r


Futabaniyodoc_r


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.10.11

父(96歳)のゴルフ・リハビリに付き添いました

 随分涼しくなった高知市です。父のゴルフリハビリの付添で車を運転しますが、途中大橋通りのラビータの温度表示は18度。爽やかな気候となりました。
Pa110002_r

 いつものように自己流の入念な体操をして、OS-1(経口補水液)で水分補給して125発を打ちました。終了後の階段昇降も息切れをしなくなりました。何よりです。
Pa110009_r


Pa110003_r


Pa110005_r


Pa110006_r

 これからは家人の命令でスーパーへ買い出しに。昼食後は今夕の防災講演会の講師の方のお迎えに行きます。

Pa110010_r


| | コメント (0) | トラックバック (0)

素晴らしい日本人の宗教観

 素晴らしい考え方を動画で見つけました。とても素晴らしい。

 日本人は、クリスマスで大騒ぎし、除夜の鐘を聞きながら、初詣に神社に行きます。結婚式は教会で行い、葬式は仏式。なんだか実にいい加減な民族のように言われていますが、その「寛容性」が世界の心ある宗教家に期待されているということです。
 若い僧侶ですが、素晴らしいプレゼンテーションです。聖徳太子が生みだした「神仏習合」の寛容な考え方が日本をまさに形成してきました。最近の兆候は「排他主義」や「異論を攻撃する」「民族蔑視」が声が大きいですが、それらは日本人の本性でも本質でも全くありません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.10.10

リハビリ・セーリングをしました

 天気予報を確認すると晴れ間は午前中のみ。午後から雨は降らないもののどん曇りの予報。原則午前中のセーリングを意識して朝7時過ぎには自宅を出ました。
Yasu1_r

しかし予報に反し、朝からどん曇り。しかも風もなさそう。
_r

 手早くぎ装して海へ出ました。やはり海の散帆は気持がいいですね。波がないので、少しの風でもヨットは進みます。2週間ぶりの海は気持が良いですね。Tシャツと短パンの夏仕様で海へ出ました。寒いかなと思いましたが、海水温が高いので寒くはありません。
Yasuumi1_r


Yasu2_r


_r_2


_r_3

 2週間ぶりの海です。リハビリ・セーリングでしたので風が弱くて良かったです。ヤッシー・パークの離岸堤を2週しました。2週目になると風が止まりました。仕方がないので備え付きの小さなパドルで漕いでいました。
12096114_1015660085120809_118295354
(山本宏幸さんが撮影していただきました。)

_r_4

 9時に出て着艇したのは12時でした。1ラウンドだし、風も弱かったのが残念でした。
_r_5

 ヨットでの散帆は自分を取り戻すことが出来ます。ヨットをはじめて今年で30年。技量の進歩はないものの、私にと言って「癒し」なので続いています。海は最高です。
_r_6

 リハビリ・セーリングの後に道の駅やすへ寄りました。山本宏幸さんといつもの「おっさん2ショット写真」を撮影しました。
1_r


2_r


| | コメント (0) | トラックバック (0)

二葉町町内会資源・不燃物ステーション

  

秋本番となりました
_r_6


_r_7

 ご近所の喫茶店もゴーヤが片付けられ、ハロウウインの大きなカボチャが登場しています。うちはまだしつこくゴーヤさんがおります。随分枯れてきました。

 今日は二葉町町内会の資源・不燃物ステーションの日です。荒木三芳副会長の指揮のもと各班の当番の町民が手際よく「仕分け」をしています。
_r_8


_r_9


_r_10


_r_11

 今回はうちの家庭は多くはありません。高知方式の仕分けのシステムは、町内会に支えられて実施されています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.10.09

せわしい1日が終わりました

 超高齢者(父96歳・母89歳)と同居していますと、通院などがありますと仕事の合間に付添しないといけないので、今日はせわしい1日でした。
_new_r

 朝は植田医院へ父の付添い。血液検査は「クレアチリン値は2・07で安定し出しました。夏の脱水状態を脱したので数値は安定してきました。ヘモグロビン値も11.0なので安定しています。言うことはありません。」と植田一穂先生。昨日は母と一緒にインフルエンザの予防接種もしました。
Hahaaruki_r

 昼食後は母を連れてはりまや橋商店街へ行きました。コロッケ屋さんで夕飯のおかずを購入し、10円饅頭も買いました。
Hahkorxtuke_r


10ennmanzixyu_r

 谷ひろ子さんのお店で焼き菓子を購入しました。
Hahatanisann_r

 活き活き100歳体操(介護予防体操)まで時間がありましたので、母と一緒に冷やしぜんざいを食べました。朝夕は涼しい高知市ですが、昼間は暑いますので。
Hahaoyatu_r

 今日の活き活き100歳体操は15人が参加していました。参加者のなかで母が1番の高齢者(89歳)ですが、重りをつけて元気にやっています。
Ikiki1_r


_r_12


1008_r


1008_r_2

 戻ると父と合流して主治医の横田胃腸科内科へ行きました。父の血圧は140-72(15時25分)でした。植田医院では、114-56(9時5分)でしたので変動がありますね。
Yokota1_r

 母は132-66でした。2人とも「医学的な所見はありません」(横田哲夫先生)でした。1か月分の薬を調剤薬局でいただきました。両親とも健康で何よりでした。
Hahaaruki_r_2


Yokota2_r


| | コメント (0) | トラックバック (0)

日本・シリアに勝ちましたが

 2018年W杯アジア2次予選であるシリアVS日本が、中立国オマーンで開催されました。シリアは激しい内戦で国内はサッカーが出来る環境ではなく、オマーンでシリアのホーム扱いで試合が行われました。

 前半は奮闘する姿を国民各位に見せたいという気概がシリアの選手にあり,中盤でのパス回しが日本は殆ど出来ず、前線で香川や原口、岡崎に良いパスが出ませんでした。重苦しい雰囲気で前半を0-0で終わりました。

 後半は前半と打って変り日本の選手が動きが良くなりました。前半はボールを持ちすぎ、パス相手を探す場面がありましたが、後半はボールを持たない選手の動きが良くなり、パスをだしすぐにスペースに走る、「キック&ゴー」が徹底され、パスが回るようになりシリアの守備を翻弄し始めました。
_r


Pk_r

 後半に岡崎が倒されPKを獲得。本田が落ち着いて決めました。2点目は香川の頑張りから岡崎が受け、泥臭く決め2点目。3点目は本田が懸命に走りスルーパス。受けた宇佐美が落ち着いて決めて駄目押しの3点目をきめました。
_r_2


_r_3

 後半の試合運びを前半からやれば良いのになと思いました。前半危ない場面がありシリアが得点しておればわからない試合でした。
_r_4


_r_5


| | コメント (0) | トラックバック (0)

血液検査の結果はまあ良好でした

10月3日に血液検査で「誕生日献血」(94回目)をしました。検査結果が送られてきました。今のところまあまあ健康なようです。

_new_r

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.10.08

両親は揃って介護予防通所リハビリへ行きました。

 午前中にインフルエンザの予防接種を行った両親ですが、午後からはいつものように揃って介護予防通所リハビリへ行きました。
_r


_r_2

 超高齢者でも元気でなければいけませんから。

Jrh1_r


Jrh2_r


| | コメント (0) | トラックバック (0)

インフルエンザの予防接種をしました。

Titihaha_r


 今年はちと早いですが、両親を連れて植田医院で、インフルエンザの予防接種をしました。植田先生に聞きますと早くも宇都宮で感染者が出ているとか。
Titisextusyu_r

 超高齢者は流行前に季節に寒くなると風邪を引いたりします。そうすると流行期を迎え病院で罹患する可能性が高まります。それで両親の体調が良い時に予防接種をしました。
Hahasextusyu_r

 ついでに両親と接する機会も一緒に病院へ行く機会の多い私も予防接種しました。両親は公的補助があり1000円の自己負担ですが、私のほうは昨年より500円あがり3500円でした。効果は半年かなるので、とりあえずは安心です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

頑張れ「だんだんの里」

 高知新聞2015年9月28日朝刊での連載記事「2015高知県知事選 第1部里に生きる 点検・県の中山間対策」のなかで、仁淀川町長者にある集落活動センター「だんだんの里」のことが記事になっていました。

 私たち二葉町も今年も5月30日に田植え体験に行きました。また仁淀川町の泉川地区の皆様との交流事業の時にも昼食は「だんだんの里」から出前弁当をお願いしました。

 しかしなかなか運営状態は厳しいとの記事でした。現地の素材をふんだんに活用した美味しい料理を出していただけるので、頑張っていただきたいです。

928_r

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.10.07

避難所とペットの扱いについて

Shimozishinsui1

 地震を何とかやり過ごし、浸水が始まる前に、下知地域の指定避難所である下知コミュニティ・センターへ住民各位がたどり着きました。浸水解消には、最短で50日はかかるとのこと。「あり得ない」と思います。長期浸水状態になるでしょう。

 水に囲まれ籠城が強いられます。その場合、犬や猫をペットとして飼い家族同様に暮らされている人たちが、避難所へ来られた場合はどうすればいいのか?大変難しい問題です。
Bdhinansho_r

 現在のところは、「ペットは部屋の中へは入れない。」「屋上で独自のスペースをこしらえる」程度のことしか判断できません。この問題も事前に検討しないといけないと思います。

 週刊現代9月19日号は「ペットを飼ったら胃がんになる」「そのキスが命取り」「家族にもうつる」「子供は特に菌に弱い」とあります。記事の中にもこう記述されたいました。
_new_r


2_new_r

「3・11のように、震災や災害があった場合、避難所にはペットを連れてはいけません。それは動物が苦手な人やアレルギーがある人がいるからです。ただ、これまではマナーを守って、ある程度の節度があれば、一緒に連れて行ってもいいのではないかと思っていました。

 でも感染するとなるとなると、話は別ですね。他人にもし感染させたら大変なことになってしまいます。そういう意味では普段からもう少し慎重にならないとおけないのかもそれません」(P170)とあります。
Kasetuj6

 狭い建物にひしめいての避難所では、ペットを連れての避難は無理ではないでしょうか。下知地域が想定している近隣の五台山では、屋外の小山ですのでペットとの同伴避難は可能でしょう。
Godaisann2

 五台山の横田政道さんにより散策の記事です。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/post-d4f6.html

 下知地域では避難所のあり方も再検討しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.10.06

下流老人が増えているとか

P9160001_r

 長寿社会とか、高齢化社会と言われる日本。一方で貧しい生活を強いられる高齢者が増加しているらしい。週刊誌などは「下流老人」と呼ぶ。

 ご自身も健康で、年金で生活が営める人は幸せであると思う。少ない年金額でも健康であれば健やかな生活が営める。しかし病気になったり、介護状態になれば生活は一変し、年金支給額では、医療費も介護費用も支払えない状態になってしまう。

 週刊誌記事の事例は他人事であるとは思えない。安倍自民党政権は大金持ち優先政策を追行し、社会保障費用を削減し続け、医療も介護も自己負担額を上げました。

 これで消費税もあげられるとますます下流老人は増加するでしょう。イいい加減に金持ち優遇の新自由主義政策を辞めないと日本国は破たんします。
P9160002_r


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.10.05

避難行動と避難所運営の実際を聞く講演会


 
 私は6月に4年3か月経過した宮城県石巻市・女川町、東松島市、名取市の現地を訪れ、被災者や支援者の皆様と意見交換をしました。大震災後の厳しい現実に立ち向かい、復興する住民の皆様の力強い意志に動かされました。

 今後30年に必ず来ると言われている南海トラフ巨大地震。被災地を訪れ交流してつくづく思いましたのは、「災害対策は事前対策がすべて」であると言う事です。自宅の家具転倒予防や耐震補強や、地震保険や資金対策、企業の継続計画など、事前にきちんと対策をしないと、大地震が起きれば簡単には復興・復旧が出来ない現実も見せていただきました。
Konnosann

 10月11日には、住民リーダーとして活躍されている石巻市湊東地区まちづくり協議会代表世話役の今野清喜さんを講師として招聘し「避難行動と避難所運営の実際」を講話いただく予定です。午後6時から下知コミュニティ・センターで行います。
Photo

「避難訓練に日ごろ参加している人は殆ど助かりました。訓練に参加しない人の多くは亡くなっていました。」今野さんの貴重な体験談、教訓を傾聴いたしましょう。


下知減災連絡会主催防災講演会

「避難行動と被災地での避難所運営の実際」

(講師) 今野清喜さん(石巻市湊東地区まちづくり協議会代表世話役)

(日時) 2015年10月11日(日曜日)午後6時より

(場所) 下知コミュニティ・センター 4階多目的ホール

 *会場には駐車場がありません。公共交通機関をご利用ください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.10.04

異端の人間学を讀んで

_new_r

 「異端の人間学」(五木寛之・佐藤優・共著・幻冬舎・2015年刊)を新刊本で金高堂書店で購入し、読みました。本当に異色の対談ですが、共通項は「ロシア」との関わりが2人とも深いです。

 この本の副題が「ドストエフスキーからプーチンまで。ロシア的とはなにか 味方ではないが敵でもない 不思議な隣国」とあります。佐藤優氏は外務省の役人としては異例で、7年8か月モスクワに滞在されていました。日本随一のロシア通。

 一方五木寛之氏は「さらばモスクワ愚連隊」や「蒼ざめた馬を見よ」というロシアを題材とした小説で時代を射抜きました。異色の対談です。

 読んでいてあまりに浅薄な今の安倍政権や閣僚、稚拙な日本外交を眺めていまして、この2人のような視点と教養と経験が今の日本の政治や外交分野にまさに必要ではないかと思いました。

 大事な隣国であるにもかかわらず、政府自体がまじめに外交努力をしていません。佐藤優氏や鈴木宗男氏のようなロシア外交の専門家の復帰が1日も早く望まれますね。
_new_r_2

 五木寛之氏は身を以て日本の敗戦を朝鮮半島の平壌で体験されています。

「ソ連兵にとって怖いのは2つあって、敵兵が1つと、それからもう1つはスメルシュ。彼等に比べれば、日本の憲兵とかソ連の秘密警察も大したことはない。スメルシュはその場で射殺する。街頭で殺しっぱなしで死体も片づけない。

 中略

 敗戦後、平壌にソ連軍が入ってきたときは、1週間か10日ぐらいの間、チンギス・ハン(1162~1227)の軍勢がヨーロッパを襲ったときのようなありさまでした。でもそれが1週間ほどたつとぴたっと止まった。なぜかというと、スメルシュがやってきて、街頭で片っ端から無頼の兵士連中を処刑したからです。

 乱暴狼藉を働いたのは、最前線の危険な部署に常に行かされる囚人部隊。ろくに食事も与えられない。ドイツ軍の捕虜になって逃げてきたもの、政治犯、囚人たちで編成され「戦争ではスターリンから1歩も後ろに引くなと命令を受けている。もし下がったら後ろに控えている正規部隊から撃ち殺される。こういう囚人部隊がスターリンの秘密命令でつくられました。」(佐藤 P21)

 囚人部隊はソ連史のなかでは「存在しないもの」とされてきましたが、敗戦直後の満州や朝鮮半島でのソ連軍の乱暴狼藉の諸原因はなるほどこうした囚人部隊の存在なのかと納得しました。」

 ソ連が政治的に崩壊した時にロシア人は大丈夫かと言われていましたが、意外にしたたかに生活をされていました。それは国や体制だけに依存せず、自分なりの生活防衛策にたけていると思います。
_new_r_4


2_new_r

目次を眺めていましても、2人の個性は際立っていますね。

五木「崩壊直後の1992年に行きました。もう年金生活者たちが餓死するんじゃないか。内戦が明日でも起きるんじゃないかといわれているような混乱の最中でしたが、言ってみると、サンクトペテルブルグの公園で優雅に立派な犬を連れて散歩しているカップルがいるわけです。

 そこでこの犬に何を食べさせているんですか?と聞いたら、肉だと言うわけね。どこからその肉を手に入れるんですかと尋ねると、至極当然のように、帝政時代から愛犬連合とかそういう組織がある。その組織に自分たちの家は昔から属しているから、組織のほうでちゃんと肉が配給されるんだと、言うんです。」

佐藤「中間団体があるわけですね。愛犬組合もそうだし、切手収集愛好家協会みたいな団体もありました。そういう団体は社会団体と言って、幹部はだいたい軍人なんです。だからけっこうな政治的な力を持っています。」

五木「そういう職能組合のようなものが、いくつもあるんですね。だから工場で働いている人の月給は少なくても、現物や非合格品で使えるものをもらったり、いろんな形で副収入がいっぱいあるんです。

 そういうメンバーに入っていれば、実際に国営商店に何にも食物がなくたって、犬の餌はちゃんとまわってくる。そういうところを経済学者やジャーナリストは全然見ていませんよね。労働者の平均給与は、なんていっている。

 実際には、表の賃金じゃないところでやっているんだ。」

佐藤「職場に付随した注文販売というのもあるんです。ハムやソーセージ、卵、牛乳も会社を通じて手に入れることができます。だから、みんな、仕事をろくにしなくても会社へは行くんですね。」(P41 人間を見よ)

 表の統計経済だけでははかりしれないロシア社会の奥の深さですね。統計上は国や地方政府の財政は破たんしている場合でも、庶民大衆はしたたかに生活しています。

 そういえば都市部のロシアの市民は週末は郊外の市民農園でジャガイモなどを栽培し、収穫して自宅の地下室などへたくさん保存しているやにも聞きました。何度も戦災や内乱があったロシア市民の知恵だし、組合や互助会組織のお蔭で皆したたかに生活されていることが理解出来ました。

 日本社会は共同体が崩壊して、孤独死などが増えているようです。最近も高校時代の後輩が人知れず息絶えていたことを知らされました。高知市のような田舎町でもあるのです。わたしは地域の減災対策で、コミュニティの再構築をテーマにしていますが、ロシア社会が先を行っているなと感心しました。

 賄賂の分配ももらったその日に幹部が関係者に分けるとか。カルチャーや伝統になっているそうです。国や行政に依存しないロシアの人達の逞しさ、したたかさを感じました。見習わないといけないと思いました。

 

五木「そういう非公式の贈与だったり分配があるから、ロシアの労働者の平均給与を数字で出しても、実際の生活をまったく反映していない。」(P42)

副題にあるようにロシアと言う国は「味方ではないが敵でもない。不思議な隣国」です。

 この著作の目次の項目を眺めても、多様な観点、視点からロシアが語られています。アメリカ従属一辺倒の安倍政権では、ロシアとの善隣友好関係は構築できそうもないことがよくわかります。
_new_r_3

 著作の中にある写真は32歳の頃の五木寛之氏。ハンサムですね。以前ある生命保険会社の講演会が県民文化ホールでありました。満員のホールの聴衆の大半は女性。80歳近い五木氏でしたが女性たちの人気は凄いのがわかりますね。

 ウクライナ問題でも独特の見識がご両人にある。地域特有の宗教問題もあるとか。ウクライナ西部のガリツィア地方は、二次大戦時にソ連赤軍が進出するまで一度もロシア領になったことのない歴史があります。18世紀後半からはオーストリア・ハンガリー帝国の1部でした。そのあたりを初めてこの著作で知りました。

 またロシアでは作家や詩人が人々に人気があり、トルストイやドストエスキーの講演時には街頭に人々が溢れかえったと言います。

 先日安倍政権の岸田外相が、1年半ぶりにロシアを訪問し、外相会談をされましたですが、はかばかしい外交成果を上げるに致りませんでした。 

 「異端の人間学」は推薦図書の1つです。                                           

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.10.03

94回目の献血です。


94_new_r


 2015年の献血は終わりです。来年3月以降です。400ML献血は年間3回です。健康を維持しないと献血できませんから。病気しないように頑張ります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

誕生日献血に来ました


_r


_r_2

 2015年最後の400CC献血です。年寄りになるといくらRHマイナス型でも成分献血はできないようですね。400CC献血。休日なので結構混んでいます。普段なら混んでいたら別の日に仕切り直ししますが、今日は誕生日献血なので我慢して献血しました。

 看護士さんに依頼して写真を撮影していただきました。これも記念ですから。69歳までしか献血できません。あと7年ですね。今回で94回目になりました。
_r_3

 献血風景の写真は担当の看護士さんに撮影していただきました。

「年寄りになったので、最近成分献血のお呼びがないですが。やはり成分献血は若い人が多いんですか?」と看護士さんに聞きました。

「それはないとは思いますよ。やはりマイナス型の血液は絶対量が少ないので、400MLのお願いをしていると思います。」

「私も年寄りなので、あと献血できるのも僅かですね。」

「7年間まだできますよ。健康でいてください。その昔は65歳まででした。それが延長になりました。そのうちに75歳になるかもしれません。

 服薬すれば駄目でしたのが、薬の種類によってはOKになりましたから。」

 今日はさすがに祝日なので、たくさんの献血者が来られていましたね。
_r_4

 終わった後に近くの叔母の店(水谷龍文堂」へ寄りました。昔リブロードだった場所は掘り返されていました。ホテルが建設されるようです。
_r_5

中央公園でもイベントしていました。

_r_6


| | コメント (0) | トラックバック (0)

父はゴルフ・リハビリへ行きました。

 本来なら海の散帆に行っている私ですが、先週の散帆の後の着艇補助で肋骨が亀裂骨折。養生することにしました。来週からは大丈夫でしょう。
Titikaidann1_r


Titizixyunbi_r


Tititaisou_r

 父(96歳)はゴルフ・リハビリに来ています。涼しくなりましたので父の調子もいいようですね。健康であることは何物にも代えがたいものです。
Titisuibun_r


Tititaisou_r_2

 自己流の体操をして、水分補給も抜かりなく(OS-1を飲んでいます)、マイペースで125発打ちました。健康で好きな趣味ができる人生も悪くはないですね。
Titi1_r


Titi2_r


Titi3_r


Titi4_r


Titikaidann2_r_2


| | コメント (0) | トラックバック (0)

 津波・洪水シェルターなるもの?

Syarutar1_r


 津波・洪水シェルターなるものが高知市あんしんセンター前にありました。どこかの企業の売り込みでしょう。

津波避難救命船(通称ノアの方舟)の一種なんでしょうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

いつのまにか62歳になりました


Kenichi62sai_r

 本来なら週末は海へ散帆に行く予定でした。上天気ですから。しかし先週ジュニア・ヨットクラブの着艇作業をお手伝いしていた時に、斜路で滑り、右肋骨を亀裂骨折してしましました。それで養生するはめになっています。

 いつのまにか還暦も過ぎ去り、62歳になってしまいました。
本当に何かを「成し遂げた」訳ではなく、経済的にも社会的にも成功はせず、平凡な小市民として生活をしています。

 そんな私を心配しているのか父(96歳)も母(89歳)も介護認定こそ受けてはいますが、持病を持ちながらも健康を維持していただいています。家内もなんとか見放さずに一緒に生活をしていただいています。

 息子は別世帯ですし、娘もお絵かき職人で出稼ぎ中です。世間的には「適齢期」ですが、結婚しそうもありませんね。

 こうしたありきたりの生活が繰り返されている日常こそ、「常民」であり、「生活者」であり、「大衆」そのものであると思います。何かの組織で活動しているとか、給与をいただいている存在では全くありません。

 わたしの経歴や生い立ちから、サヨクではないかと思われる人もいるでしょう。わたしはサヨクでも右翼でもありません。政治には関心はあります。昔からそうでした特定の政党やセクトに属したことはありませんし、今もそうです。

今上天皇を強い平和の祈願の心とずっと戦争慰霊と被災地訪問を継続されておられる真摯さに、敬服しています。
 
 先日「戦争法案」が強引に国会で採択されました。安倍内閣は私のような平凡な国民大衆から全く遊離した政策ばかり熱心に実行しています。戦争法案と原発の再稼働です。

 わたしは小さな会社の経営と超高齢の両親の介護ケアの傍ら、300M四方の地域の防災活動をやっているのにすぎない人間です。

 災害対策知ればしるほど、日本は世界有数の「災害大国」であることがわかりました。地震・噴火・台風・大雨・大雪災害は毎年どこかで日本は起きています。掲載活動や社会活動を維持しながら、災害に遭遇し克服してきたのが日本人の歴史です。

 「戦争法案」と「原発再稼働」は、災害大国日本に、更なる「災害」を引き起こすものです。日本にふさわしいものではありません。ただちにやめるべきであると思います。

 ここ4年ぐらいのテーマである「連合赤軍と新自由主義の総括」につきましても、そろそろできそうな気がしてきました。

 体制側があまりに国民大衆に冷淡であり、強権的に抑え込む(沖縄県に対して行っている)体質が露骨になりました。では打倒するために何をどう行動すればいいのかは、わかりませんが、このまま無関心と言う訳にはいけないでしょう。

 たいしたことは今後も出来ないでしょうが、政府の動きには「異論」を言いつつづけていきたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.10.02

谷ひろ子さんに誕生ケーキを作成いただきました


 毎週金曜日に、母(89歳)とわたしははりまや橋商店街へ来ています。母の目的は金曜露店市での買い物と活き活き100歳体操(介護予防体操)への参加です。頭と体を使うために連れて来ています

 いつも谷ひろ子さんのお店「ま・み・う・と」にて焼き菓子を母は購入しています。体操まで時間があるときは母と谷さんのお店からコーヒーとケーキを出前していただいています。

 わたしは10月3日が誕生日です。市販のケーキより谷ひろこさんのケーキが食べたいと思いました。それでチーズケーキを注文させていただきました。
Tanisantc1_r

 メッセージも描かれてありました。62歳を表すろうそくもありました。谷ひろ子さん大変お手数をおかけいたしました。
Tanisantc2_r


Tanisanntc4_r

 週末で息子が明日は出てこないので、2日の夕方に急遽ケーキを家内に切ってもらい、コーヒーを点てていただいて、皆で美味しくいただきました。美味しかったです。谷ひろこさんありがとうございました。
Tanisantc5_r


| | コメント (0) | トラックバック (0)

母とはりまや橋商店街へ行きました


Hahaaruki_r

 10月になりました。高知市は朝晩は涼しいですが、日中は夏日であり、午後1時半過ぎになると暑いですね。母(89歳)と一緒にはりまや橋商店街へ行きました。
Haahkorocke_r

 歩行補助車で商店街を母は歩きます。まずは魚の棚商店街で、コロッケひろっちゃんで夕飯用のコロッケを買いました。
Hahatanisann1_r

 次に谷ひろこさんのお店で焼き菓子を買いました。
Hahatanisann3_r

 母と一緒に冷やしぜんざいを食べました。昼間の高知市はまだまだ暑いです。
Hahazenzai_r

 今日の活き活き100歳体操は、18人の参加がありました。
Ikiiki1_r


Ikiiki2_r


Ikiiki10_r


Ikiiki12_r

 また大型客船が高知新港に接岸しているらしく、高知市に1600人の外国の人達が来ているようです。はりまや橋商店街を通過し、京町・帯屋町筋と徒歩で移動されていました。
Gaikokuzin_r


Hahaoba_r

叔母(85歳)も体操に参加しました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

久々にヤクルトの優勝のようですね。

Yakuruto

 うちは父が阪神、家内が広島、息子が横浜、娘がヤクルト・ファン。
群雄割拠」しています。今年は黒田が大リーグから広島に復帰し優勝と言われていましたが、思わぬ打線の不調で浮上せず。
Hirosima

 前半戦は横浜がぶっちぎりでしたが、交流戦あたりから地金が出て急降下。
Bay

 阪神も調子がいいかと思いきや終盤に失速。結局3位狙いになり和田監督が退任。後継は金本氏とか。もうストーブ・リーグです。
Hansinn

 当初全く優勝の下馬評になかったヤクルトが強い。投打がかみ合っている。故障でリタイヤしていたかつての本塁打王(60本打ちました)バレンティン(?)までもが復活してきましたから。強い筈。

 東京在住の娘は仕事の合間に神宮球場に行っておるようです。子供のころからヤクルト・ファンで本気で「ヤクルト・おばさんになる」とか、ヤクルトへ就職も本気で考えていました。

 ヤクルトのマスコットのつばくろうの絵は描いていました。探しましたがどこにあるのかわかりません。M1ですから今日あたりヤクルトのリーグ優勝は決まるでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

両親の介護サービス計画が届きました

 先日両親のケアマネージャーをやっていただいている下村恵子さんが来られ、介護サービス利用計画票を作成され、持参されました。お話もしました。
_new_r_3

 父(96歳)は要支援2です。2008年9月に脳血管障害で倒れ、緊急搬送され、頭部の手術をしました。手術は成功し身体麻痺もなく社会復帰ができました。しかし精密な画像撮影のための造影剤がきつく父は慢性腎不全になりました。

 主治医の横田哲夫先生のご紹介で、植田一穂先生の指導を受けることになり、減タンパク食、水分補給(週に2回の点滴による補助)と適度な運動(週3回の介護予防リハビリ通所施設)のおかげで、クリアチリン値も安定し、超高齢者ながら健康を維持しています。
Titigolf_2

 国が要支援者を介護保険制度から切り離す事になり、市町村任せにすることが「決まりました。そうなると父は介護予防通所リハビリ施設を利用できなくなります。また介護予防通所リハビリ施設の存在意義は「これ以上要介護者を増やさない」ためにつくられたのですが、国の制度から切り捨てられたら存続できず廃業してしまうこともありえます。
Ziisannt01_r_2

 母(89歳)は、要介護2です。1日ディサービスに週3回、介護予防通所サービスへ、父と一緒に週2回行っています。金曜日は私が午後から、はりまや橋商店街へ連れて行き、買い物と活き活き100歳体操(介護予防体操)をしています。
_new_r_4

 超高齢の両親は介護保険制度を活用して、介護士、看護士、理学療法士などの専門家の指導や見守りを受け、健康状態を保持できています。関係者の皆さんには感謝しています。
Hahakaimono_2


Baasanfuxtukin02_r_2

 財政上だけの理由だけで、国に社会に貢献してきた高齢者を切り捨てるような政策はとつてはいけないと思います。国の扶持や品性が問われます。偉そうにアメリカに追随して「積極的平和主義」などでお金を外国にばらまくことよりも、日本国の高齢者に手厚いケアをすることのほうが大事なのではないかと思いますね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.10.01

自主防災組織リーダー研修会

自主防災組織リーダー研修会 座学
Kensyuu1_r_2

 2015年9月27日(日曜日)は午後1時から、高知市春野町の南消防署南部分署にて、高知市自主防災組織連絡協議会(久武邦雄会長)の「自主防災組織リーダー研修」がおこなわれました。

 下知地区減災連絡会(森宏会長)は、代理で副会長の私と、若松町自主防災会会長の横田政道さんと2人で参加しました。午後1時から5時までの濃密な内容の研修でした。

  久武会長や消防局長の挨拶があり、座学の研修が始まりました。講師は警防課の和田氏です。

「高知市の消防職員は354人であり、市民1000人に1人の割合。sどうしも大災害時にはすぐに駆けつけられません。どうしても自助と共助がとても大事です。地域住民同士の助け合い気持ちと行動(共助)が大切です。」

 「地域にある多様な組織が信頼関係に基づいて対等の関係で連携すること=パートナー・シップが大事です。地域を知り、防災を知ったリーダーが率先して地区防災に取り組む=リーダーシップが必要です。」

 その実例が新潟県の北条地区コミュニティの事例でした。
_r_8

「平成16年新潟中越地震時には、地区内の情報伝達機能が整備されておらず、地域の被災状況を把握することができなかった。安否確認に多大な労力を費やしました。備蓄品の情報が住民に伝達してなかったので、保有省機材が十分に活用されませんでした。」

 その後北条地区コミュニティは苦い経験を踏まえた取り組みをされました。

「地区内の全21町内会で自主防災組織を結成し、活動を活発にしました。コミュニティ振興協議会が、北条災害対策本部を住民が設置するようになりました。全町内会、小中学校が参加する防災訓練も実施しました。」

 その対策が具体的に稼働したのは平成19年の新潟中越沖地震でした。

「地震発生後1時間後にコミュニティ振興協議会に北条災害対策本部を設置し、各自主防災組織が地域の被害状況を確認し、直ちに各地の被害状況を把握、行政側に連絡しました。」と地域ぐるみで取り組んでいる姿に感銘を受けました。

 とにかく「事前の備えが大切であり、たとえ大きな被害が想定されている地区(下知地区9であっても、必ず対策はある。事前に備えておれば、被害は必ず減らすことができます。」

 やはり消防部署の皆様は、365日市民の安心・安全を担っているアンカーマンなので、実践の裏付けがあるので大変わかりやすい講話でありました。

 続いて住宅火災防止のための煙や熱を感知し警報音が鳴る「住宅用火災警報器」と、電気火災を防止する(地震の揺れで自動的にブレーカーが落ち漏電を防止)「感電ブレーカー」の説明がありました。
_r_9


_r_10

 消火器の説明もありました。住宅用消火器は取り扱いが簡単。天ぷら油火災など、初期消火には有効であるとの説明がありました。ただし自分の背丈以上の火災は初期消火は出来ません。即座に119番通報してくださいとのお話でした。
_r_11

自主防災組織リーダー研修会 実技訓練

 2015年9月27日の「自主防災組織リーダー研修会」の実技訓練も内容が濃かったです。
P9270038_r

 まずは消火器の消火訓練。水の入った消火器訓練が今まで主体でした。実際粉末消火器を扱いますと勝手が違うことを体が覚えました。
 
 次に消火BOXから消火用ホースとノズルを取り出し、専用の工具で消火栓の蓋を開けます。先端の接続を再確認し、消火栓を工具で回しますと、勢いよく水が噴出します。初めて体験しました。相当の圧力です。
 Box_r

_r_12


_r_13


 ホースの先端と、手元と、消火栓に最低3人は居て、チームワークで消火活動をする必要があることがわかりました。ご一緒した横田政道さん(若松町自主防災会会長)も真剣に取り組まれていました。

 煙体験は人体に無害な煙でしたが、視界が遮られる恐怖は独特の物でした。やはり口元をタオルなどで塞ぎ、体を低くして進むしかありません。
_r_14

 週刊誌や紐や風呂敷などを活用した応急手当法。腕が折れた人の固定化方法を学びました。
_r_15

 最後にジャッキ・アップして人を救助する訓練。こちらもジャッキの手元、当て板などを探す人、周りを警戒する人など3人1組で行動することが大事と教わりました。

 なかなか実のある訓練でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2015年9月 | トップページ | 2015年11月 »