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2015.10.17

「権利の上に眠る者」を読んで

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 「権利の上に眠る者」(丸山真男・著「日本の思想」P154)をあらためて読みました。この一項は高校生時代の現代国語の教科書にも載っていました。「秘密保持法」や「戦争法案」が強行採択された後、今1度読みかえしますと、今更ながらに54年前に発言していた丸山真男氏の先見に驚きます。

 以下長くなりますが引用します。

「学生時代に末広(巌太郎)先生から民法の講義を聞いた時「時効」という制度について次のように説明されたのを覚えています。

 金を借りて催促されないことを言いことにして、ネコババをきめこむ不心得者がトクをして、気の弱い善人の貸し手が結局損をするという結果になるのは随分不人情な話のように思われるけれども、この規定の根拠には、権利の上の長くねむっている者は民法の保護に値しないという趣旨も含まれている、というお話だったのです。

 この説明にわたしはなるほどと思うと同時に。「権利の上にねむる者」という言葉が妙に強く印象に残りました。

 いま考えてみると、請求する行為によって時効を中断しない限り、たんに自分は債権者であるという位置に安住していると、ついには債権を喪失するというロジックの中には、1民法の法理にとどまらないきわめて重大な意味がひそんでいるように思われます。」

「たとえば、日本国憲法の第12条を開いてみましょう。そこには「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない」と記されてあります。

 この規定は基本人権が、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」であるという憲法97条の宣言と対応しておりまして、自由獲得のプロセスを、いわば将来に向かって投射したものだといえるのですが、そきに先ほどの「時効」についてみたものと、いちじるしく共通する精神を読みとることは、それほど無理でも困難でもないでしょう。

 つまり、この憲法の規定を若干読み替えてみますと、「国民はいまや主権者になった、しかし主権者であることに安住して、その権利の行使を怠っていると、ある朝目ざめてみると、もはや主権者でなくなっていることが起こるぞ」という警告になっているわけなのです。

 これは大げさな威嚇でもなければ教科書風の空疎な説教でもありません。それこそナポレオン3世のクーデターからヒットラーの権力掌握に至るまで、最近100年の西欧民主主義の血塗られた道程が指示している歴史的教訓にほかならないのです。
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 アメリカのある社会学者が「自由を祝福することはやさしい。それに比べて自由を擁護することは困難である。しかし自由を擁護することは困難である。しかし自由を擁護することに比べて、自由を市民が日々行使することは更に困難である」といっておりますが、ここにも基本的に同じ発想かあるのです。

 私たちの社会が自由だ自由だといって、自由であることを祝福している間に、いつの間にかその自由の実質はカラッポになっていないとも限らない。自由は置物のようにそこにあるのではなく、現実の行使によってだけ守られる、いいかえれば日々自由になろうとすることによって、はじめて自由でありえるということなのです。

 その意味では近代社会の自由とか権利というものは、どうやら生活の惰性を好む者、毎日の生活さえ何とか安全に過ごせたら。物事の判断などはひとにあずけてもいいと思っている人、あるいはアームチェアから立ち上がるよりもそれに深々とよりかかっていたい気性の持ち主などにとってははなはだ厄介なしろ物だといえましょう。」(P156 であることとすること 権利の上にねむる者」

 今日の日本の現実社会は1961年に丸山真男氏が警告したとうりの社会になりました。しの原因は「国民が主権者としての権利を行使しなかった」ことでしょう。その1つが選挙での投票です。

 「政治は誰がやっても同じ」とか訳知りに言って、投票を多くの国民が棄権した結果が、「戦争法案の成立」や「特定秘密法」の成立になりました。

 選挙での投票だけが唯一の権利の行使ではありません。街頭へ出るとか、集会を開くとか、広報宣伝をするとか。多様な「主権者としての権利の行使の手段」があるはずです。
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 日本を窮屈な全体主義国家にしないためにも、国民1人1人が知恵を絞り、主権者としても権利の行使をめいめいの方法でやり続けることです。

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