超高齢者の健康管理は難しい
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高知市鏡川大橋北詰交差点は右折禁止
高知市鏡川大橋北詰交差点(高知市二葉町19番地)は、右折禁止です。その先の歩道橋のある県道宝永ー種崎線と西広角の一方通行路は右折はOKですが、鏡川大橋を渡ったすぐの県道は右折禁止なのです。
よく見ると道路標識では、真っ直ぐと左折可能の矢印は出ていますが、右折禁止の表示とは思えません。歩道橋付近の信号で右折表示が出ます。2列に並んでいる車は一斉に歩道橋付近を右折し始めます。後ろに着いた車は、我慢できずつい手前の交差点で右折する車がたまにいます。
そうすると「通行禁止違反」で反則切符を切られ、罰金を支払わないといけません。皆さんご注意ください。
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あらためて高知市二葉町のまち歩きをしますと古い木造の低層住宅が多いことに気が付きます。また家屋が古くなりますと解体され更地になり「売地」の看板が立ちます。しかし何年も売れない状態です。
やはり南海地震の予想図で「浸水地域」と行政側が認定し、ご丁寧に予想地図まで配布しましたから、二葉町の土地を購入する人はいません。
また町内会へ入らない分譲マンションや、賃貸マンション(いくつかは入会はしていますが、入っていないところもある。)も全世帯の半数はそうです。
二葉町自主防災会も町内会へ入会しておられない世帯への情報伝達はほとんど出来ていません。予算面や人手面で対応できていないのが現実です。ただ賃貸マンションでも、所有者のご好意で、市役所指定の津波避難ビルや、二葉町自主防災会と協定を締結して「地域指定避難ビル」になっている賃貸マンションの入居者に対しては、情報伝達をしないといけないですね。難しい課題ですね。
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今日は、午前中は父(96歳)のリハビリ・ゴルフへの付添の後でしたので、海へ出る時間帯はお昼を過ぎていました。案外予想より風が強い。ぎ装(ヨットの組み立て)に手間取りました。
ウエット・スーツ(ワンピース・つなぎ型)を着込みますが、このところの運動不足で太り気味。スーツがきつい。醜い肉体になっております。一部破れています。
風が強く南西の風で波もありました。それ故海の上での写真はありません。でも短い時間でしたが、タックやジャイブを繰り返し、時に沈(転覆)を誘うブロー(突風)もあり、緊張感あふれるセーリングでした。海の散帆というより筋力トレーニングをした感じでした。
シニアは2時間程度で十分です。午後2時には着艇し、備品をバラし、水洗いを入念にします。海の上で使用しますので帆走後の水洗作業はとても大事です。
片付けして、体を洗い、着替えてヨットを覆い、帰り際に道の駅やすへ寄りました。カシオ・オープンゴルフを黒潮C・Cで開催しているので、ゴルフファンの人達が大勢ヤッシー・パーク駐車場へ来ていたようです。
いつものおっさん2ショットを道の駅やすの駅長である山本宏幸さんとしました。先週があまりにも「壊れて」いましたので、今日はノーマルな親父編にしました。「筋トレ」をしすぎた感じで腕が痛いです。
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事務所の気温は10度。寒くなりました。父の週に1回のゴルフ・リハビリです。
大橋通りのラビータの温度表示板は8時半で7度でした。寒い筈です。
明日は朝から下知コミュニティ・センターでの避難所運営訓練があります。それで今日は父の付添が終われば、自宅へ戻り、夜須へ向かいます。
いつものように自己流の体操を行い、OS-1で水分補給して球を打ちます。納得のいく球もあれば、あらぬ方向へ飛んでいく球もあるようです。風がなければ日当たりが良いので、意外に暖かいです。
その間は読書タイム。今読んでいますのは佐藤優氏と池上彰氏の対談集です。「大世界史 現代を生き抜く最強の教科書」(文春新書)です。読んだらまた読書感想文を書きますので。
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10日前の17日に90歳になった母です。先週と異なり今日の高知市は日中でも寒い1日でした。雨上がりに高気圧が張り出すと冬型になり、山間部は雪で、その吹き下ろしの風はとても冷たいのです。
母は暑さに比べ寒さは平気。服装は着ぶくれするぐらいに着込んで冬仕様にすると大丈夫なようです。今日の頭のリハビリも兼ねてはりまや橋商店街へ午後から来ました。
まずは魚の棚商店街のコロッケ屋ひろっちゃんで、夕飯用のコロッケを買いました。次に谷ひろ子さんのお店で焼き菓子を購入しました。
活き活き100歳体操まで時間がありましたので、母とコーヒーを飲みました。準備を手伝いました。先週は暖かくテントの外で体操をしましたが、今日はテントの中でするようにしました。
寒い中今日の活き活き100歳体操(介護予防体操)には、15人の高齢者が参加しました。そのなかでも母は10年通っていますんで古株です。まあ元気なことはいいことです。
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今朝の事務所の温度は11度でした。10度以下になれば灯油ストーブの準備をします。体質上暑さは我慢が出来ますが、寒さは我慢が出来ませんので。蚊取り線香を炊かず、ストーブも炊かない快適な季節は本当に短いものですね。
ほぼ24時間で採尿した父の尿検査が出ました。前回のデータに尿素窒素値を加えたものです。植田一穂先生に総合判定していただきました。
「塩分の1日摂取量は6グラム以下に抑制されています。食べ物からのリスクがないことがわかりました。お父さんは腎機能だけが悪いので、ほかは悪くはありません。年齢から言えばパーフェクトに近い健康状態です。」と言われました。
植田一穂先生の指導による減タンパク食(主食のご飯・パン・餅と麺類)の摂取と、適度な運動(ゴルフ・リハビリ+散歩+週3回の介護予防通所リハビリ)の効果でしょう。2本足で歩き、普通食を食べ、お酒も適度に飲める超高齢者は幸福ではないかと思いますね。
昼食後午後からは、今度は母(90歳)を連れて、はりまや橋商店街へ行きます。こちらも屋外での介護予防体操(活き活き100歳体操)ですが、連れて行きます。買い物での頭のリハビリと体のリハビりを兼ねています。
几帳面な性格で努力家の父と異なり、我儘で努力をしない母ですが、社交的で外出好きの性格が良い方に働き、認知症の進行を食いとめているいのかも知れませんね。超高齢者のケアは気を抜くことは出来ませんが、学ぶことも多いです。
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文学的な教養のない私は、断片的な情報でしか知りません。かつて歌人の石川啄木が、テロロストの心情を詠んだ詩がありました
ココアのひと匙 石川啄木
われは知る、テロリストの
かなしき心を
言葉とおこなひとを分ちがたき
ただひとつの心を、
奪はれたる言葉のかはりに
おこなひをもて語らんとする心を、
われとわがからだを敵に擲げつくる心を
しかして、そは真面目にして熱心なる人の常に有つかなしみなり
はてしなき議論の後の
冷めたるココアのひと匙を啜りて、
そのうすにがき舌触りに
われは知る、テロリストの
かなしき、かなしき心を。
この詩が公表されたのが1911年頃だとのこと。前年の大逆事件や、ハルピン駅で朝鮮総督府長官伊藤博文を暗殺した実行犯安重来の処刑のニュースから、石川啄木が詠んだともされています。
大逆事件は天皇暗殺の準備段階での予防検束であり、全く実行犯グループとは関係のなかった社会思想家幸徳秋水も連座して処刑されました。
日本が日露戦争後、アジアとの共存共栄の精神を捨て、中国での辛亥革命にも冷淡で、以後朝鮮国の併合と、中国への侵略戦争に走っていく分岐点となる出来事でした。
国内外を息苦しい圧政政治が覆いました。思想統制を国民に強要する特高警察の暗躍や、軍部の暴走で、日本国の多様性や自由闊達さは喪失し、批判精神はなくなりました。その結果は燦燦たる敗北を喫した二次大戦へ転がっていく転換点でもありました。決して安倍政権の言う「栄光の歴史」なんぞではなく、惨めな歴史そのものでした。
フランスのテロをどう考えたらいいのでしょうか?
フランス・パリの繁華街での同時多発無差別テロ。ISの犯行であると言われています。シリアを拠点とするイスラム過激派組織への空爆への報復であるとか。
私はテロというものは、権力者を暗殺するものであると思い込んでいました。しかし今回のパリのテロは週末の夜、一般市民が勤務を終えて楽しんでいた集客装置で突然銃が乱射され、爆弾が破裂し、129人が死亡しました。
サッカー・スタジアムやコンサート会場、レストランなどでした。無差別テロでありました。人々が都市部で集まる楽しい場所が襲撃され、燦燦たる修羅場になりました。これはテロと言われるものでしょうか。
襲撃されたフランスの市民は権力者ではありません。直接イスラム国を攻撃したり、攻撃を命令する権力者でもなんでもない人たちです。なぜ勤労者をテロリストは攻撃し、自らも殺害され、自爆したのでしょうか?
実行犯とされた人たちも、多くは移民ですが、フランス国籍やベルギー国籍を持っている20代の青年たちです。欧州で育ちながら、何故欧州の市民社会を破壊し、自らの自爆しなければいけなかったのでしょうか?
有志連合とされるアメリカやフランス、トルコや、最近ではロシアによるIS支配地区への空爆も、多数のシリアの市民が犠牲になっていると言われています。
憎悪が憎悪を生み、より多くの人達が犠牲になるテロや報復軍事行動が行われることでしょう。これでは問題は永遠に解決しません。憎しみの連鎖は、より多くの報復を生むだけです。
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2015年11月25日は雨の中7時過ぎに出発し高松市へ行きました。昨日までと異なり寒い事。年寄りは寒がりなので、長袖化繊の下着と股引を着込みました。午前中に高松市内を走り回りました。
ガソリン価格は132円から134円程度。先週の愛媛の新居浜は122円でしたから四国内でも価格はまちまちですね。「支店都市」高松らしく大きめのビルが大通りは多いですね。
市内の用事は終わったので屋島の四国村のわら屋で昼食を食べました。ゆだめうどんです。異人館は改装中でしたが営業しており、コーヒーを飲みました。
郊外のお客さんと高松空港近くの現地調査をし、山越えしてまんのう町の小谷鐡穂さんをお訪ねしました。
カフェ・ピッコロさんは完全予約制だそうです。お留守なので帰ろうとしたら、小谷さんが帰宅され、少しお話が出来ました。高知新聞2015年11月21日の「高知地震新聞」に東大の目黒公郎教授が「自己浮上式の避難施設」を提唱されていました。
目黒さんのアイデアは「あくまでも船」ですが、小谷鐡穂さんの「高密度発泡体による浮体構造物」は、「筏」(いかだ)です。ローコストで破損に強く、地面に埋め込むためメンテナンスも不用です。絶望的な下知地域には絶対に必要な知見なので、今後のご支援もお願いしました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/…/…/12/post-ce44.html
香川はいたるところにため池があります。小谷さんところから広域農道を走行しましたが、道路は良いですね。香川県は高知と異なりがけ崩れ危険個所が少ないので、道路整備がきちんとしています。うらやましい限りです。
国道32号線へ出て、猪鼻峠を通過しました。午後2半時過ぎでしたが、温度表示は10度、9度、8度と下がります。
化繊の下着を着こんで大正解でした。やはり1日8時間も車の運転をするとやはり疲れますね。無事故・無違反で良かったです。
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固定電話のおまけに、NTT西日本が「防災タウンページ」が電話帳と一緒に配布されていました。良い取り組みであると思います。何年か前に高知県庁が「南海地震に備えチョキ」とかいう冊子を莫大な事業費用でこしらえ、全戸配布しましたが、いまとなっては「どこへ行ったのか」わかりません。
その点電話帳とセットであれば、一緒に電話帳と置いていけばいいし、分量も手ごろでいいなと思いました。
ハローページやタウンページ本体の電話帳の1部にも「防災コーナー」が設置されています。内容は通俗的、常識的ですが、基本的に大事なことが記述されています。
自主防災会や町内会などに参加されていない、また地域にない場合など、基本的な知識を仕入れることがありません。災害対策は「事前対策がすべて」です。備えておくことが、最大の災害対策です。
対策をされておられない人は、ただちに電話帳を見て実践されてください。
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主治医の植田一穂先生に指示され、先週の11月18日の午前中から夜間にかけて、父(96歳)の尿を採取しました。6回か7回排尿があり、640g採取したようです。
11月20日に植田医院に来院し、渡しました。今日来院し、診察の折植田一穂先生が判定していただきました。
「心配していました塩分がこの測定値であれば、1日6g以内をキープ出来ていると思います。食生活ではいう事ありません。」と言われました。点滴し戻りました。96歳にして入院せず、自分の足で歩けると言うのもいいことです。検査委表ですが父の年齢が82歳になっているのはご愛嬌でしょう。
戻って家内に聞きますと「以前は調理の際にお父さんの味付けはより薄めにと配慮してましたが、最近は忙しくて家族と同じ味付けにしています。それで数字が悪くないのなら尚更良いですね。」とのことでした。
出来る限り健康寿命を維持していただきたい。今日は午後からは母(90歳)と一緒に介護予防通所リハビリ施設へ行く予定です。
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2015年11月221日の高知市。朝1番は晴れていましたが、どん曇りになりました。風はなく、気温も17度です。最適の温度帯ですね。
いつものように自己流の体操をして、OS-1(経口補水液)にて水分補給。球を番手の大きいクラブから打っているようです。
その間ガラケー携帯のワンセグでサンデーモーニングを視聴しながら読書三昧。司馬遼太郎さんの「昭和という時代」を読み返しています。昭和史の対する卓見は読み返しても凄味がありますね。安倍内閣の閣僚は読まないといけない。アホな歴史観で日本国を再び誤った道へ引き込もうとしてますから。
125発打ちました。階段昇降でも息切れをしなくなりました。適度な運動が健康を維持してくれています。いいことです。
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11月29日(日曜日)に下知コミュニティ・センターを活用して実施する2015年度の下知減災連絡会の「避難所運営訓練」の打ち合わせを2015年11月19日の夕方行いました。
高知市役所地域防災推進課の山中さんと山本さん、下知からは坂本さんと横田さんと西村が出席しました。
まず「避難所運営訓練」と言っても、実際の話、低地の下知では地盤沈下と液状化と浸水が地震と同時に想定されるので、下知地域の多くの住民は避難収容場所である下知コミュニティ・センターへ来ることが出来ません。それでもこの場所で避難所運営訓練をするのは、他の場所と異なる意義目的があります。
1)下知地域の津波避難ビルや地区避難ビルにおいても、今回の避難所運営訓練の経験を参加者全員が「共有化」し、どこでも避難所機能の開設ができる人材の育成が目的です。
2)収容避難所と津波避難ビルとの情報伝達の開発と、情報の共用化が必要。下知コミュニティ・センターは災害時後の情報センターにならないといけない。市災害対策本部へ下知地域の被災状況を正確に伝達し、災害対策本部の情報を被災住民各位に正確に伝達する役割があります。
3)避難所運営マニュアルのたたき台を作成し、今回の訓練で練り上げます。そして次なる課題を見つけます。
4)参加者全員のスキルアップを狙います。
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今週は2回遠距離日帰り出張があり、2日とも8時間車を運転していましたのでヘロヘロに疲れていました。今日は上天気。「やや風が強い」という予報でしたので、強風仕様を想定したぎ装を考えながら夜須へ来ました。
ハーバーへ到着しますと、早くも高知大学ヨット部が出艇していました。私もぎ装をしました。陸から海へリズムを変換する貴重な作業です。風が強いか弱いか。暖かいか寒いか。波はあるのかないのか。をヨットを組み立てながら考えることが楽しいです。
暖かく風は弱い。Yさんはかつて国体へも出場されたベテラン・ヨットマン。「晴れて暖かくなると風が南風に変るので、強い風は吹かないね。わしは今日は帰る。」と言われ帰られました。
シニア・ヨットクラブは風が弱いのは歓迎。とにかく海へ浮かびたいのですから。ほどなく海へ出ました。
高知大学ヨット部の470とスナイプがスタート練習とマーク回航の練習をしていました。赤岡近くまで午前中は散帆しました。
お昼はいつもの訪でおむすびを買いました。午後からも海の散帆を楽しみました。いお蔭で長距離運転で頭の芯まで疲れていましたが癒えました。海からたくさんエネルギーを戴き充電しました。
飛行機雲が出ていました。お天気は崩れ気味ですね。帰り際は海はどん曇りでした。明日は曇りのようですね。
海の散帆の後道の駅やすへ寄りました。
いつもの山本宏幸さんと「おっさん2ショット」です。
先週は「やっしー秋祭り」でご多忙で2ショット写真はなかったので、山本さんも気合がはいっていました。
「楽屋裏」から怪しい被り物を用意されていました。憲法9条トレーナーも笑い飛ばされました。
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2015年11月12日は仕事で中村へ車で行きました。遅ればせながら高知県もようやく高速道路が四万十町(窪川)まで伸長したので、随分時間が短縮されました。でもやはり2時間以上はかかりますね。
高速道路は人工林がびっしり植えられた山々を抜けてこしらえられています。火曜日の本川や仁淀川町の山々のように紅葉も見られず、杉やヒノキの常緑樹の人工林。活用されることもなく植わっているだけですね。
黒潮町の旧佐賀町から大方町にかけては国道56号線は海岸線に沿っています。海の景色は綺麗ではありますが、南海地震で大津波が来れば国道56号線は通行不能となるでしょう。
高速道路も須崎市の新庄川付近は標高が低いので通行止めになる可能性はありますね。
四万十市(中村)の市街地も高知市下知以上に南海地震で被害が出る可能性があります。中村は四万十川水系に囲まれていますから。津波の遡上と軟弱地盤ですからね。
黒潮町役場も海に近いので将来移転するのでしょう。近くに大きな津波避難タワーを目撃しました。
上川口地区も浮津海岸地区も、事前に集団移転するのか、もしくは広くて大きな避難道路をこしらえるべきでしょう。車で避難すべきでしょう。都市部と違うので車を有効に活用すれば避難は可能でしょう。山も近くにあるんですから。
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先週は雨でした。先々週は北海道の叔母と行き違いになり、せわしく落ち着きませんでした。ゆったりと行き、活き活き100歳体操の前に買い物をして、ゆっくり母とお茶をしたのは久しぶりでした。お天気も最高でした。
歩行補助車を車に積み込んで行きました。そして最初はコロッケ屋さんで、夕飯のおかずを買いました。養護施設がせんべいを販売していました。
谷ひろ子さんのお店で母は焼き菓子を購入しました。今日は時間に余裕がありましたので、コーヒーを一緒に飲みました。
今日の活き活き100歳体操は、よい季節なのでテントの外の屋外で実施しました。開始前椅子の準備などはしました。16人の参加者がありました。
外出して買い物をして会話をして、体を動かすことで、母の認知症の悪化は食い止められているのではないかと個人的には思います。
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今日は年末恒例の四国巡業です。先週は高知県西部と山間部。今週も徳島巡業がありました。いずれも日帰りで車の運転を7~8時間する年寄りには結構ハードです。という訳で今日は新居浜と今治方面へ行っておりました。
高知と違い新居浜工業都市。中央通りの行き止まりの海沿いには大きな煙突があり、住友重機や住友化学、住友電工や住友金属鉱山の関連企業が海浜部に立地しています。協力会社の工場も立地していますので、新居浜市の1市の鉱工業生産額は高知県全体より大きいですから。
お昼は市役所前の萩ノ茶屋と言う蕎麦屋で食べました。本屋へ行きますと新居浜の太鼓のDVDが1万円+税で販売されていました。人気があるようですね。
今治市は、旧大西町へ現地調査。来島ドックの近くです。海岸には大きなドックがあり、高知では見られない風景でした。このあたりは30年前には現地立ち合いに来たものでした。
今年7月に今治市防災士会連合会の皆様50人が下知コミュニティ・センターへ「災害支援」と「医療トリアージ」のお披露目に大挙来ていただきました。今朝のNHKニュースで今治市防災士会の取り組みが紹介され砂田ひとみさんが説明されていました。
大西町からの帰路に地図で見ると今治バイパスからほど近いので、大変今年お世話になりました伊藤雅章さんが住職をされておられる常明寺をお訪ねしました。立派な寺院です。
夕方は下知減災連絡会の打ち合わせがあります。大豊と繁藤を巡回して戻りました。8時間も車を運転しますと正直疲れますね。
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「天災から日本史を読みなおす 先人に学ぶ防災」(磯田道史・著・中央公論新社・2014年・刊)を読みました。10月に0泊2日で出張で大阪へ行った折、梅田の長距離バスターミナル近くの阪急3番街にある紀伊国屋書店で購入した新刊本です。
筆者の磯田道史氏は、1970年生まれで45歳と若い歴史研究学者の人。「日本の歴史の中で地震、津波、火山噴火、異常気象と天災が歴史に与えてきた影響」を克明に調べています。
その前書きの中で磯田氏が強い影響を受けたというベネデット・クローチェというイタリアの哲学者であり歴史学者の人の事は、わたしはよく知りません。子供時代に、家族がイスキアでの休暇中、カサミッチョラの地震で家屋が倒壊し家族を失い兄と2人だけ生存し親戚に引き取られたクローチェの世界観に影響を受けたとの事です。
「すべての真の歴史は現代史である」との歴史哲学の言葉ですが、その観点から行きますと韓国や中国の主張する「歴史問題」なるものも「現代史」のなかで考えて行かないといけないですね。決して「過去の問題」ではありません。国際社会で「日本のイメージダウン」を狙う側面もあるので。まさに現代史なんですね。
「震災がおき、天災を目のあたりにして、我々の歴史の見方や価値観も変わりつつある。近代化以前の社会は自然環境の影響を大きく受けた。農業が中心の自然経済だから当然である。震災後の歴史学、いや科学全体は、自然に対する人間の小ささを謙虚に自覚せねばならぬだろう。
天災を勘定に入れて、日本史を読みなおす作業が必要とされているのではなかろうか。人間の力を過信せず、自然の力を考えに入れた時、我々の前に新しい視界がひらけてくる。あの震災で我々はあまりにも大きなものを失った。
喪失はつらい。しかし、失うつらさのいなかから未来の光を生み出さねばと思う。過去から我々が生きるための光をみいだしたい。クローチェのように。」(P4)
著作の中では,天下人となった豊臣秀吉が天正地震と伏見地震の影響を強く受けたと言います。
天正地震では、長浜城が崩壊し、山内一豊の娘が死去しました。同時にこの地震は、秀吉が、徳川家康を討伐するための大軍を編成し、まさに出撃しようとした矢先に、前線基地であった大垣城や長浜城や坂本城が地震で壊滅、秀吉は大阪へ撤退しました。」家康は滅亡を免れ、秀吉と和議を結びました。秀吉は10万の大軍を揃え、小牧・長久手の敗戦の汚名をそぐために家康追討を決意していました。一方の家康は3万人ぐらいしか動員できませんでした。
この当時家康の作戦参謀を長年続けてきた石川和正が秀吉側に寝返ったという事件まで家康にはありました。本当に危機が迫っていたのです。その矢先に伏見で地震が起きました。
伏見地震では、豪勢な京都の聚楽第が壊滅しました。美女400人も圧死したそうです。当時朝鮮へ遠征軍を派遣し、ようやく講和の兆しが出始めた矢先の地震でした。秀吉は聚楽第の再建を全国の大名に命じ、講和を破棄し朝鮮へ更なる派兵を命じました。
伏見地震で秀吉の天下に陰りが見え、人心が離れて行ったのです。この時、僅かな部下で、小屋に逃げ込んでいた秀吉を討つべしとの意見も敵対していた家康の部下から出ていました。しかしそれをすれば「明智光秀の二の舞になる」と家康は進言を退け、秀吉の和解案に乗り、力を蓄える作戦に切り替え、滅亡をまたしても免れました。そして家康は健康には自信があったこともあり、秀吉の死を待って、行動を起こし、天下を取りました。その分岐点がまさに伏見地震であったと磯田氏は言います。なるほどと思いました。
そして江戸時代初期に大きな地震が日本を襲いました。宝永地震(1707年)は、巨大地震でした。東海地方から中部、関西(大阪)、紀伊半島、四国まで広域に被害に遭いました。
高知に関する記述も著作にあります。当時種崎に住んでいた下級武士が9歳の時宝永地震に一家が遭遇。海の近くの家屋から津波に追われ脱出した体験の話もありました。そこには貴重な教訓もつづられています。
宝永地震の語り部となった柏井貞明は9歳の時に、高知市種崎で地震と大津波に遭遇しかろうじて一命をとりとめています。当時自宅は種崎の南の端にあり、門の外はすぐ海であったようです。現在の種崎の貴船神社付近らしい。家から一家がようやく脱出。茫然自失状態だっららしい。
「だかその時、この一家の運命を決める幸運な情報が耳に飛び込んできた。東の海辺の町の方から、こう呼ばわる声が聞こえてきた・「大浪が市中に入るぞ。みな、山に入れ」。その声で一家は津波の危険に気付いた。山へ向かって、逃げることにしたのである。」
「これは大切な歴史的教訓である。津波から逃げる時、率先避難者が大声で「津波が来るぞ、高台へ避難」と呼ばわると、その声で周囲も我に返り逃げ始める。声を出して逃げることで、地域の生存率が高くなる。
津波から逃げるときは、勇気をふるって声を出しながら逃げるようにしたいものである。」(P63「山に入れの声で高台へ避難」)
下知地域でも、防災教育を受けている小学生たちに是非とも「率先避難」を呼びかけたい。
「津波が来るぞ!ビルへ駆け上がれ!」と大声で叫びながら、最寄りの津波避難ビルや地区防災会指定の地区避難ビルへ逃げ込んでもらいたい。
子供たちは体が小さいので、大人を背負って助けるなんてことはできません。でも元気がよく大声で「津波が来るぞ!早くビルへ逃げろ!」と走って駆け上がることで、率先避難の実行と呼びかけで、多くの地域の人を救うことが出来ます。
また筆者の母親が徳島県牟岐町の出身で、昭和南海地震で津波からの避難を実体験されていました。当時満州からの引き揚げ者で知人を頼り牟岐町に滞在していた後に俳優になった森繁久彌は、隣町の海陽町で津波に遭遇し避難した体験をされていたそうです。
「津波は押し寄せてくる波よりも、引き波の方が遥かに恐ろしい。」と森繁久彌は証言されています。
「津浪というのは、最初2メートルほどの波が襲ってきて、あっという間に入口から窓から侵入する。そして畳や箪笥を浮かし,みるみるうちに鴨居近くまで上がってくる!
かと思うや、それより早い勢いですーっと引いて行くのである。この力が、来るときの何倍かで、四方の壁をついでに引っさらっていく。」(P176「ある満州帰りの男の被災」)
つくづく防災の歴史を先人に学ばないといけないと思いますね。
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2015年11月18日は「昭和校区安全交通教室」が下知コミュ二ティ・センターにて開催されました。普段交通安全指導をされている皆さんや、地域の人達が雨の中来られていました。
今回は「自転車の安全運転と交通ルール」がテーマでした。必ず左側を通行し、歩道を通行する場合は、必ず車道側を自転車は通行すること。知らない法令もありました。勉強になりました。
自動車同様に、一時停車表示の交差点は自転車も必ず一時停止すること。
交通安全規則を守らない自転車が、人身事故を起こすと多額の賠償も請求される事例も紹介されました。
ライトが当たると反射するシールやたすきもお土産にいただきました。
また自転車運転シュミレターもありました。やってみましたが、感覚が違うので難しいと思いました。
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2015年11月17日は、母の90歳の誕生日でした。今日通所リハビリ施設・ジョイリハ高須へ父(96歳)と一緒に母は行きました。
理学療法士さんや看護師さん、担当の介護士さんたちと「お誕生日記念写真」を撮っていただきました。腰が痛い(脊椎間狭窄症・すべり症)の母です。安静にしていたり、座っていると腰が痛くない。立ち上がって歩くと腰が痛いという厄介な症状です。
それで可能な限り外出をうながしています。ケアマネージャーさんとも相談し、火曜と木曜は父と一緒にこちらの通所リハビリ施設へ来ます。月水土の週3日は1日ディ・サービスへ通所しています。体を動かすこと。人と会話をすることで元気を維持しています。
社会の多くの皆さんが関わっていただいているので、母の健康は心身ともに維持されています。関係者の皆様に感謝です。おかげさまで認知症の悪化も防止されております。
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今日は母の90歳の誕生日でした。朝から雨の中徳島を目指しました。なんせスピードの出ない15年目の父がかつて乗っていたサニーです。馬力がないし雨の高速は慎重運転なので、軽四にも抜かれます。高速バスの早い事。あっというまに追い抜かれました。
徳島市は川の町。吉野川大橋を渡りますと徳島市街地。しかし中心市街地は助任川や新町川もあり、吉野川流域で高知市同様に低地。以前岡村眞高知大学特任教授にいただきました徳島市の標高図では、市街地は標高が低く、南海トラフ地震で津波が襲来すれば、県庁も市役所も機能しないでしょう。安全な場所は眉山ぐらいですよ。(青い場所は海抜2M以下です。
徳島市街地は車が多く、雨ですので一段と多い。通販部門でのお客様の問い合わせの電話がありましたので、コンビニに駐車して電話でやりとりしました。北陸と東北の人でした。皆「錆対策」には真剣でした。
徳島市を巡回しているうちにお昼の時間に。高速を上がり池田(三好市)に向かいました。途中のSAで電話をするために入り、そこで「徳島ラーメン」(750円)を食べました。味は可もなく不可もなくでした。
池田の町並みは好きですね。古い家屋も保存され、再活用されていますから。ここは災害が少ない街です。徳島県西部の拠点都市であり、保育園から小中学校、県立高校や、県立病院など社会基盤が整備されています。疎開するには良い街です。
1989年以来お付き合いしている脇さんのお店へ寄りました。接客でご多忙のご様子。お待ちしている間に以前訪問された漫画家のやくみつるさんのサインと自画像を見つけました。
久しぶりでしたので長居をしました。ゆるゆると高速を戻りました。途中のPAには「凍結防止剤」が置かれていました。やはり塩なんですね。
橋とトンネルが連続する高知自動車道路。南海トラフ巨大地震で無事であるかどうかは起きてみないとわからないようです。
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「聞く力 心をひらく35のヒント」(阿川佐和子・著・文藝春秋・2012年刊)を読みました。新刊本で出版された時購入しようかと思っていたら、忘れ、駅前のブックオフで、200円プラス消費税で購入しました。
阿川佐和子さんとは同世代。よくインタビュー番組をされておられ、「聞き上手だな」と感心していました。あれこれ質問することよりも「相手が言いたいことをうまく引き出せる力があるひとであると感心していました。そのなかの一節でとても感心したコーナーがありました。
ロック音楽に関するインタビューと言うことで対談相手は、聖飢魔Ⅱのデーモン閣下。阿川佐和子さんは「今更聞けない質問」を果敢にしています。
「あの 、ヘビメタってなんですか?」
すると、驚きましたよ。デーモン閣下は親切!しかも説明がお上手!わたしのようなロックシロウト相手に、それはわかりやすく教えてくださったのです。
「ハハハ、ロックというのは、わかりますね?」
最初に私に優しく断りを入れてから、こんなふうに話してくださいました。
「ロックがいろいろな枝葉に分かれて行く中で、速さと激しさを追求したものをハードロックというんですね。♪ガンガンガンガン、ガガーンガーン、タターンタンタ、バーンバーンバーンという感じ」
「ほうほう」
「じゃ、速くて激しければ全部ハードロックなのかというと、そうでもなくて。そこからまた枝葉が分かれていって。速くて激しいけれど、ドラマテックであったり、仰々しい決め事を取り入れる。
たとえばクラシック音楽のワンフレーズを持って来て、あるポイントに来たら全員がちゃんと、♪ダダダダーンみたいにベートーベンの「運命」のメロディをぴったり合わせる。そういう様式美というんですけどね。」
「はあ~」
「簡単に言うと、様式美の要素を入れないと、ヘビメタルとは認定されないんです。ハードロックに様式を持ち込むと、」それがヘビーメタルになるというわけ」
「そうかあ。ヘビメタって知的なんだ。もっとハチャメチャな音楽かと思ってた」
「ハチャメチャなのはパンク。速くて激しいけれど、♪うまく歌ってたってしょうがないじゃーん。上手に歌うことになんの意味があるんだ~、ってのがパンク。だけでヘビメタルは上手でないと駄目なの」
これは開眼でした。ロックにそういう区分けがされていたとは初耳です。確かにその前夜「聖飢魔Ⅱ」のCDうぃ聴いて、驚いたのです。閣下は歌がうまかった。その上手な歌を聴いているうちに、。もう1つ疑問に思ったことがありました。まるで優秀な家庭教師のように教え方が上手な閣下の優しさに漬けこんで、私はさらに質問します。
「CDを聴いていて思ったんですが、こうしてお話しているデーモン閣下はものすごく低音のダミ声なのに、歌っているときの閣下の声は、ボーイソプラノのように高くないですか?どうしてなの?」
するとこの質問にも明快な答えが返ってきたのです。
「それはね理由がありんです。あれだけの轟音で演奏している中で、低い声で歌うとぜんぜん聞こえないんですよ。高くないと声が通らないから、だからヘビメタのボーカルはみんな、必然的に高い声で歌うようになったんです。」(P125 17素朴な質問を大切に)
ロックを分類したホームページを見ますとなるほどそのとうりです。
http://rock-cd.info/contents/rockcategory.html(ロックのカテゴリー)
質問には「今更聞けない」ことも世の中たくさんありますね。
たとえば「戦争法案はなにがいけないのか?」や「マイナンバー制度はよくわからない。国民になにか特典があるのか?」「原子力発電はどうして是非がもんだいになるのか?」などですね。
1000人に面談し、それぞれの専門分野の異なる人と対談を続けることはなかなか出来ることではありませんね。
しろうとながら2003年4月から2006年3月まで「けんちゃんのどこでもコミュニティ」という超ローカル番組をコミュニティ放送局で企画し、実際に制作し、その対談結果を自分でホームページにもしましたから。私個人の拙い経験からも阿川佐和子さんの「会話力」「聞く力」の凄さが良く理解できました。
けんちゃんのどこでもコミュニティ(アーカイブ・サイト)
http://www.nc-21.co.jp/dokodemo/
全く無報酬でやってましたね。得られた教訓は「人にはいろんな立場と考え方がある。きちんと相手の意見や考え方を正確に聞いて、質問することでより相手の言い分を聞きだすこと」の訓練をさせていただきました。
多少多様な意見が聞けるのは、3年間の経験が私にあったからでしょう。今となっては小さな狭い300m四方の町内での減災活動やコミュニティ活動にとても役立っています。その実践からも阿川佐和子さんは凄いと思いました。
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昨日は夜中まで雨が降り、明け方まで残りました。明け方に宅配される新聞はビニール袋に入っていました。朝7時に高知市市長選挙の投票を済ませ、一路夜須へ行きました。
前日が雨で翌日朝から晴れの場合は、「どん吹き」になります。
ヨットのカバーを井土さんが作成していただきました。これで安心です。
ただ今日は暖かく、風が強く沈してもウェットスーツを着用し、足元はウェット・ソックスを履いて運動靴。防寒対策もしました。手袋も着用し強風対策しました。
ぎ装ではシートやブームバンクを強く引き込んでセールをフラットにしました。海へ出ましたが午前中は波があり、うねりもありローリングしました。強風なので海の上の写真はありません。操船がせわしかったです。
沖合は波があるのでヤッシーパークの中でセーリングの練習をしました。ヤッシーパークのイベント広場ではヤッシー秋祭りが開催されていて賑やかでした。ハワイアンの演奏が聞こえていました。ベリーダンスも行われていたようです。(写真はJYCです。)
昼前に着艇し、歩いてヤッシー・パークへ行きました。なかなかの人出でした。二胡の演奏があれていました。各ブースも賑わっていました。わたしは手結婦人会のしいらのお寿司を買いました。なかなか美味しかったです。地元産品はいいですね。
大根を100円で販売するイベントは終了した後でした。餅つきやフリマ出ていて賑やかでした。
午後からも出艇しました。波は納まりましたが風が強い。ひ弱なシニアは風を逃がしながら沈しないように浮かんでいました。常時6M程度吹いていました。ブローで10M位の風も入ります、なんとかやり過ごしていました。
家内が「スーパーが8倍の日」とか言うので、午後のセーリングは1時間ほどで切り上げましたがなかなかの運動量でへとへとになりました。斜路で滑って2回ほど転びましたが、しりもちだったので大事にはいたりませんでした。
JAふれあい市でミカンを購入しました。みかんもシーズンですから美味しくなりました。
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2015年11月15日は、高知市市長選挙の投票日です。投票所である下知コミュニティ・センターへ午前7時前に行きました。最近恒例になっていまして、投票所に1番乗りして、投票箱が空であることを確認するのが「恒例」になっています。
今回の高知市長選挙。著しく投票率は悪いのではないでしょうか。前回は28%でした。今回20%を超えるのか心配ですね。いずれにしても低地の下知地区住民としては、「南海地震対策」「事前の減災対策」を真剣に高知市長はやっていただきたいですね。
今日は坂本龍馬の誕生日(180年目)であり、命日です。坂本龍馬記念館では、記念館前のシェイクハンド龍馬像から、桂浜にあり昭和8年位に建立されました坂本龍馬像を手でつなぐイベントが行われるようです。多くの人達が参加されることでしょう。
お天気になりましたので、わたしは久しぶりに夜須へ行き、海の散帆に行きます。ヤッシー・パークでは「ヤッシー秋祭り」も開催されているので、お昼の買い出しはヤッシーへ行ってみるつもりです。
故森健志郎坂本龍馬記念館館長からは、「NO!原発」シールをたくさんいただきました。車やディンギーにも貼り付けています。海で森館長の偉業を偲びます。海で坂本龍馬と繋がります。
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4回連続で開催予定の「受援力向上セミナー」(講師・西田政雄さん)の1回目は11月6日に下知コミュニティ・センターで開催されました。
西田政雄さん(防災寺小屋・主宰者)の情報収集力は凄いですね。記憶に新しい2015年9月14日の鬼怒川大水害。国土交通省所轄の一級河川鬼怒川の堤防が増水で決壊。濁流が低地の市街地へ流入し、多数の人達が浸水エリアに取り残されました。
西田さんの資料は、当時ヘリコプターで何人が吊り上げられ救助されたのか。また地上から自衛隊、消防、自治体などの支援部隊が何人動員されたのかを示されました。
講演の中で西田さんはこう言われました。
「南海地震単独の地震でも、高知だけでなく徳島、和歌山、三重が被災地になります。それが宝永地震クラスの東海。東南海、南海の3連動型になりますと、愛知・静岡・大阪などが大被害が出るでしょう。
そうなると鬼怒川のレベルで救援体制救助隊が高知市へ来るとは到底思えません。」
「高知市の消防署員は400人しかいません。県警機動隊は28人です。香南市の自衛隊は600人いますが、香南市や安芸市、南国市、須崎市、中村でも被害が出ますから高知だけに集中投入はされないでしょう。」
「香川県善通寺の連隊がどれくらいで来てくれるのか。今の高知県の災害救援体制は高速道路が生きていることが大前提です。それだと4日で来るでしょうが、崩落や橋の落橋などがあればそうはいけません。」
「今の高知市の体制では、いつドライエリアに脱出できるのか、どこへいくのか、いつ仮設住宅へ行けるのか、その場所はどこなのかの情報が全くありません。いまのままでは、災害時になると地域コミュニティが壊れてしましますね。」
「受援力ですが、地域としてこうしてほしい。こうあってほしい。という提案を議員を通じて行政に働きかけることも受援力の1つです。それも考慮した地域防災をこころがけましょう。」とのことでした。
次回は12月11日「行政に求められる受援力」です。
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昨日のはりまや橋商店街での母(89歳)を連れての活き活き100歳体操(介護予防体操)も雨でした。今朝の父のゴルフ・リハビリも雨の中付添しました。
状況がどうであれ、父の「儀式」は変わりません。自己流の体操、OS-1(経口補水液)での水分補給。大きな番手のクラブでの球打ち。その間私は読書タイムです。
自分の好きな運動をすることで、結果的に健康が維持されています。超高齢者の健康維持の1つのモデルでしょう。えいとは思いますね。わたしはゴルフの趣味は全くなく自分がクラブを振りたいとは思いませんが、やっている人たちには面白いんでしょう。それはそれでいいんですよ。
戻って一段落したら、南金田自主防災会(岡崎修一会長)のところが防災訓練をするようなので、健康のために見学に歩いて見学に行こうと思います。
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2015年11月15日に投開票が行われる高知市長選挙。現職と新人の2人が立候補を行い選挙戦が行われているらしい。
「らしい」というのは、掲示板や選挙公報や地元新聞などで様子を伺うしかないからですね。身近な関係者もかかわりがないし、選挙カーの声も聞こえない。
1番の関心ごとは「南海地震対策」でしょう。候補者のなかには全く南海地震対策を記述していない人もいる。
海抜2M以下の市街地に12万人が居住している現実を無視しているようです。また南海地震対策を取り上げている候補者にしても、高知市下知地域では具体的な南海地震対策が「見えない」のですから。
土佐弁で言えば「わやにすな!」(馬鹿にするな!)という現実ですね。こうした現実を生み出した、こうした南海地震対策を本気でしない市長候補しか出せない私たちの力がない証拠。情けないと思います。
とは言え前を向いていくしかありません。情けない現実ですが、生きのびるための方法手段を確立しないといけない。
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今朝は二葉町町内会の資源・不燃物ステーション設置の日です。荒木三芳副会長の指導の下にまだ暗い午前6時から、下知コミュニティ・センター前で行われています。
段ボールも、段ボールと雑紙に分類され、瓶類も透明・青黒・茶と細かく分類されているので[高知方式]と言われています。
いくら行政が決めて町内会に号令をかけても町内会が実行力がないと出来ません。30年来高知市では履行できていることが凄いと思います。
二葉町ではそれが実行し続けていることが凄いと思います。世話役の荒木さんは大変であると思いました。
まさに地域コミュニティの要です。月に1度町民同士の顔合わせになるし、なにより町内が綺麗になりますから。
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先月高知市三里地域を2日間現地調査し、10月28日に三里にて講演会と意見交換会をされた村山和彦さん。
当日東日本大震災での応急仮設住宅の建設状況の画像を示されたそうです。5万戸こしらえるのに4か月かかりました。
いっぽうこうち男女共同参画センター「ソーレ」の南海地震に関する「啓発パンフレット」には、避難所から1か月後に応急仮設住宅へ転居と説明されています。一体その根拠はなになのか?公的機関であるこうち男女共同参画センター「ソーレ」の情報誤認、ミスリードではないかと思います。
28日の夕方、村山和彦さんに面談し、そのパンフを見せていただきましたが、呆れました。下欄の画像です。
村山さんのご指摘どうり、未だに高知県も高知市も地震発生後の復旧のロードマップを県民・市民に示していません。まず1カ月で応急仮設住宅へ入居など、県も市も公式に言っていません。
第一長期浸水エリアのなかの下知地域住民は、「いつドライエリアへ脱出できるのか?」「どこへ連れて行かれるのか?」に関し何も聞いていませんし、情報が県や市から提供すらされません。それが現実。応急仮設住宅の話も全く聞いていませんから。
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二葉町と交流をしている仁淀川町長者の住民まちおこしグループ「だんだんくらぶ(会長・西森勇幸さん)の活動風景を伝える「長者だんだんつうしん 11月号」が送られてきました。
仁淀川町役場地域おこし協力隊の小原紀子さんが取材し、編集し発行されたものです。
仁淀川町長者のだんだん倶楽部の皆様は、11月3日にちより街テラスで開催されました「昭和秋の感謝祭」(下知地域内連携協議会主催)に、参加していただきました。遠いところありがとうございました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/5-4294.html
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2015年8月22日に下知地域内連携協議会と高知市長とで行われました「意見交換会」このほど市役所からそのやり取りをまとめた資料を高知市コミュニティ推進課よりいただきました。
やはり24時間地震と津波の恐怖に苛まれている高知市下知地域住民の意識と、「仕事で防災対策」に取り組んでいる市役所幹部職員との意識の差がとても大きいと思うやりとりでした。
私たちは海抜0メートル地帯で毎日生活しています。1000年前は海底でした。地震が起きれば海へ沈みます。
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今日は郡部と山間部の行商に行きました。いの町から本川へ行ました。大橋ダム湖の水位も下がっています。さすがに紅葉は始まってはいますが、今日は本川でも午前11時で16度もありました。暖かい事。
それから吾北へ下り、仁淀川町へ山越えし、名野川と大渡へ行きました。
それで丁度お昼になりましたので、長者の農村レストランだんだんの里へ行きました。11月3日の「昭和秋の感謝祭」に来ていただいたお礼と、7日の長者の「キャンドル・ナイト」は、下知地区防災計画第2回ワークショップでしたので行けませんでしたので。
お昼の定食(チキンカツ定食・コーヒー付き)をいただきました。地元食材を使用していて美味しかったです。
越知町の仁淀川第3発電所(筏津ダム)は仁淀川水系であり、水量は豊富でした。
明後日から冷え込むそうです。今日は暖かく幸運でした。ただ窓を閉め切ると暑い。開けると落ち葉が吹きこんでくるという状態でした。
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内閣府の地区防災計画のモデル事業の推進に取り組んでいる高知市下知地区。「第2回下知地区地区防災計画ワークショップ」が2015年11月7日に、下知コミュニティ・センターにて開催されました。アドバーサーは鍵屋一さん(跡見学園大学観光コミュニティ学部)です
9月3日に開催されました1回目の検討会で出た意見「下知地区の事前復興計画」のワークショップのまとめが資料として配布されました。多く出た意見として「五台山にゆめアーチ。頂上に貸し別荘。観光・ロープウエイ」「世代間交流が盛んな街(花火大会をする!町全体を公園に!保育園や老人ホームを複合施設に)」がありました。
第2回地区防災計画ワークショップでは、第1回目の流れを意識して、参加者を高齢者・稼動世代・子供の班に分け、個別課題に挙げ、解決策も提唱するというもの。
「大地震の今後30年間に発生する確率は60-80%。交通事故の20%、火災で死傷する確率0.2%より遥かに高い。まずそれを今一度確認しましょう。」
また「復興の7要素」というものがあり、阪神大震災の時の調査で、復興の印象を実感したのは「すまい・人と人とのつながり・まち」が修復された時が上位でした。
前回第1回検討会で参加者各位が出し合った「住民の自助・共助を重視し、地域協働復興の手順を定める」「将来像(復興デザイン)」の検討をしました。
行政的には「建築制限から復興対象地区の指定」「仮設市街地づくりの推進」「復興計画の策定と都市復興事業の推進」が災害発生後になされる事業です。それを高知市下知地域では、災害前に想定し、議論を行い深め合うことを重視し「事前復興」を行っているのです。
ワークショップ(ワールド・カフェ)のルールは、「1人が話している時は、他の3人は批判なしに聞くこと」「話す時間はできるだけ平等にする」ことです。
まず初めに阪神大震災時の実話である「神戸市震災人材バンクのインタビュー「高齢者・障害者への対応」を10分間参加者全員で黙読しました。
災害後の高齢者、障害者の状況を理解したうえで、各テーブルごと(高齢者・子供・稼動世代)に自己紹介し、災害後の課題と解決の方向性やアイデアを話し合い、ポストイット紙に書いて、模造紙に張り付け、参加全員で問題を共有します。
参加したテーブルは、昭和小の教員の方が参加されていたので、「子供の課題」をだし、解決策を話し合いました。
「発達障害のこどもは見かけはわかりません。でも大きな災害後、皆が避難している避難所で、我慢して共同生活することが困難な子供もいます。まだまだ周囲の理解が足りないので、親も隠したり、孤立化する傾向があるので、より事態が深刻になることも多いようです。」との報告が先生たちから出されました。
にわか勉強で「発達障害について調べました。」
「発達障害は、脳機能の発達が関係する生まれつきの障害です。発達障害がある人は、コミュニケーションや対人関係をつくるのが苦手です。また、その行動や態度は「自分勝手」とか「変わった人」「困った人」と誤解され、敬遠されることも少なくありません。それが、親のしつけや教育の問題ではなく、脳機能の障害によるものだと理解すれば、周囲の人の接し方も変わってくるのではないでしょうか。
ここでは、発達障害のある人を理解するために、自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害など、主な発達障害の特徴を紹介します。なお、発達障害は、複数の障害が重なって現われることもありますし、障害の程度や年齢(発達段階)、生活環境などによっても症状は違ってきます。発達障害は多様であることをご理解ください。」(政府広報HP)
http://www.gov-online.go.jp/featured/201104/contents/rikai.html
高齢者に多い「認知症」とはまた異なる障害の特性があるようです。コミュニケーションの障害という点では同じようなところですが、皆が災害直後は心の余裕がない状態の中で、高齢者や障害者の問題も皆で「共有する」気持と心構えと準備もまた必要であるということです。
黙読した神戸の「高齢者・障害者への対応」も、結論は「世話される側、支援され続ける側から、世話する側、支援する側に、無理なくまわることが解決策である。」ということでした。
今回のテーマも「SOSを困っている側が上手に発信すること」「周囲も多様な状況を受け入れること」での地域コミュニティの信頼醸成があるのではと思います。
他のテーブルからも多様な問題点、多様な解決策が出ました。「狭い常識や偏見」で相手の意見やアイデアを批判しない。否定しないという手法はとても良いと思います。発言時間も平等にして多様な意見を出していただくことで、多くの問題を参加社各位で共有化し、解決策も多様な視点とアイデアでたくさん出すことが出来ました。
次回は「課題」と「対応する解決策」をそれぞれ突合せてみます。
そして「重要性( 点)×実現可能性( 点)で、下知地域の課題を抽出し、参加者各位で判定して解決策まで提示できれば、下知地区防災計画の「事前復興計画」の骨子はほぼ完成できるのではないかと思います。
それが「市民自治」であるのか現時点ではわかりませんが、私たちはそれをめざした地域復興、まちづくりを目指して行きたいと考えています。
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11月6日(金曜日)に北海道札幌市から叔母が車椅子で高知へ来ました。従兄弟の繁昌さんご夫婦と、東京から尚子さんが合流され3人のサポーター体制で来られました。
しかし私の方が2月前ぐらいに地域防災関係の講演会と検討会が夕方あり、主催者側でしたので夕方お付き合いできず不義理をしてしまいました。その間好子叔母さんは出身地の日高村を訪問したり、日曜市へ行かれたり、運よく雨を逃れ行動されたようでした。
そしてようやく夕食時にうちの両親と一緒にみんなでお会いすることが出来ました。皆お変わりなく元気でなによりでした。郷土料理店で懇親を深めました。従兄弟たちには逆に御馳走になってしまいました。申し訳ない限りです。
店舗の前で集合写真を店の人に撮っていただきました。親戚はいいですね。しばらく会っていなくても前置きなしで本題で話が出来ますから。
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FBにエアーボートの動画をドローンで西沢さんが空撮されていました。動画を掲載させていただきます。よくその性能と機能がわかります。
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先日発売されたビックコミック・オリジナルに連載している「テツぼん」(永松潔作画・高橋遠州・原作)は、今安倍政権が目玉政策の1つにしている「ふるさと創生」を射抜く描写がありました。
主人公の仙路鉄男は、代議士の父親の急逝で、立候補させられ当選した鉄道オタク。任期3期目で国土交通省政務官になっている。139話「招かざる客」のなかで、ふるさと創生政策の本質が描かれています。
北陸のブロック都市である金沢市。歴史と伝統を重んずる気概が市民各位にあります。最近「小京都」ということを自称することを辞められたとか。
地元経済人の重鎮が「北陸新幹線の開通で東京と金沢の交通が便利になったのはいいけど、東京の影響力が流れ込んできて金沢が小東京化するのは嫌ですね。」
と発言されています。
画像は首相側近の立場の政権与党の選挙担当責任者が金沢へ乗り込み、得意げに政権政党の地方政策を語っています。
「世界情勢が厳しくなっていく中でそれに対抗するため日本は中央集権を強化すべきで、そのために日本中に小東京と呼べるような従属都市をつくって、地方を厳しく統制するのがベストなんえすよ。」
するとある市民が反論しました。
「でも地方自治は憲法で保障されておりますよね?」
政権政党の首相側近の議員は居丈高にこう言います。
「まったく一般国民はすぐに憲法云々と言ってくるが、憲法なんてものは政府の解釈しだいでどうとでもなるんだよ!!
確かに憲法には[地方自治」の条文はあるが、「地方自治体」とは書いてなくて、[地方公共団体」と書いてあるんだ。つまり自治なんてどうとでも解釈できるということだ。」
最近安倍政権が唱えている「1億総活力社会」なんぞも中央集権的な全体主義国家の普及活動ではないのかとも思う。
かつて鉄の独裁国家であったスターリン・ロシアがスタハノフという「労働英雄」をでっち上げ大衆的労働生産性向上運動を彷彿させますね。サービス残業も休日返上で時間外手当も返上してひたすら働き続け、国家に納税することが日本人の国民総括力世界であると。
本当に戦争法案以来嫌な世の中になりつつありますね。
世界恐慌の時代、西欧の資本主義国が不況にあえいで入りう時に、ナチスドイツとスターリン・ロシアが不況関係なく経済成長していると言う幻想が世界を錯覚させました。
英国の文化人バーナード・ショーなども「騙された」1人です。日本の「革新官僚」と言われた若手官僚もナチスや旧ソ連の全体主義国家の社会システムを手本にして、日本国を「国家総動員法」などにより中央集権の全体主義国家に作り上げました。
東条英機と一緒にその中核にいたのが、現首相安倍晋三の祖父の岸信介でした。
マイナンバー制度や特定秘密法、戦争法案などと、ふるさと創生、国民総括力社会の提唱はすべてリンクしていて、新たな是dン亭主義国家日本の創生であると私は思います。
原発再稼働と武器輸出の解禁は、特定の大企業の救済策でしょう。すべては「中央政府が地方を統制する社会」「効率的に大都市の大企業が市民を統制する経済システム」こそがグローバルであり、世界標準なんだと幻想を振りまいています。
大阪維新の会の橋下などもこの種の「全体主義的な新自由主義=身勝手資本主義}の代弁者に過ぎません。
この中央集権的全体主義者が間違っていますのは、日本は「災害大国」であり、地震や火山活動の稼働時期にあると言う現実です大型台風や大雨災害、大雪と災害は耐えることはありません。
新型の疫病の心配もあります。あまりに無防備な中央集権体制の推進は、日本国の滅亡につながる愚行であると私は思いますね。世界恐慌の時代、西欧の資本主義国が不況にあえいで入りう時に、ナチスドイツとスターリン・ロシアが不況関係なく経済成長していると言う幻想が世界を錯覚させました。
英国の文化人バーナード・ショーなども「騙された」1人です。日本の「革新官僚」と言われた若手官僚もナチスや旧ソ連の全体主義国家の社会システムを手本にして、日本国を「国家総動員法」などにより中央集権の全体主義国家に作り上げました。
東条英機と一緒にその中核にいたのが、現首相安倍晋三の祖父の岸信介でした。
マイナンバー制度や特定秘密法、戦争法案などと、ふるさと創生、国民総括力社会の提唱はすべてリンクしていて、新たな是dン亭主義国家日本の創生であると私は思います。
原発再稼働と武器輸出の解禁は、特定の大企業の救済策でしょう。すべては「中央政府が地方を統制する社会」「効率的に大都市の大企業が市民を統制する経済システム」こそがグローバルであり、世界標準なんだと幻想を振りまいています。
大阪維新の会の橋下などもこの種の「全体主義的な新自由主義=身勝手資本主義}の代弁者に過ぎません。
この中央集権的全体主義者が間違っていますのは、日本は「災害大国」であり、地震や火山活動の稼働時期にあると言う現実です大型台風や大雨災害、大雪と災害は耐えることはありません。
新型の疫病の心配もあります。あまりに無防備な中央集権体制の推進は、日本国の滅亡につながる愚行であると私は思いますね。
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2015年11月6日は、故森健志郎さん(坂本龍馬記念館館長・享年73歳)の告別式に自転車で行きました。葬儀はベルモニー知寄町でした。予想どうり大勢の参列者でした。会場を埋め尽くす人達でした。森健志郎さんの人柄や人徳を示す多くの参列者でした。
義理での参列ではなく1人1人が故人を偲び、ご自身の意志で参列されたと思います。会場の片隅に、森健志郎さんを偲ぶコーナーがありました。関わられた著作や、坂本龍馬記念館の会報誌や、お元気な頃のシェイクハンドの龍馬像との2ショット写真もありました。
あまりの多くの生花ですべてを確認することはできませんでしたが、生前親交があったというソフトバンク会長の孫正義さんや作家山本一力さんの名前もありました。参列者の1人1人と熱い想いで繋がっておられたことでしょう。
会場で坂本茂雄さんと佐竹敏彦さんがたまたまお近くにいましたので、お話をしました。坂本茂雄さんはお亡くなりになる2日の朝に、森健志郎さんからメールをいただいておられただけに、急逝に驚かれたようでした。
坂本龍馬記念館学芸員の前田由紀恵さんが気丈に参列者の1人1人に挨拶をされておられました。「館長は名誉館長。皆が意志を継いで頑張っていますので是非ご支援ください。」と言われました。
仕事の関係でお見送りもせず中座させていただきました。奥様と息子さんの「お世話になった皆様へ、深く感謝申し上げます」の文章も心温まるものでした。ご家族にも深く愛されておられたと思いました。
心よりご冥福を申し上げます。
高知県は偉大な人を亡くされました。でも森健志郎さんの意志は多くの人が継承していくものと確信しています。
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2015年10月25日に午後2時頃、高知市鏡川でエアーボートを見ることが出来ました。西やんこと西田政雄さんが「長期浸水のが想定される下知地域で導入することがのぞましい」と言われていました。
百聞は一見にしかず。音こそ物凄い。水面も航行するし、最後は陸へそのまま上がってしまします。これはいい道具であると思います。
http://airboat.jp/ (エアーボートホームページ)
ふるさと鏡川祭りを横目に航行していました。
レスキュー・エアボートのデモンストレーションなう!(株)フレッシュエアーの佐々木社長が東京からユニックで持ち込み、高知市の鏡川で走行パフォーマンスを披露しました。金魚すくいの要領で人命救助をする「スクウパー」で実演!思わず拍手喝采!また中洲...
Posted by 浜田 英宏 on 2015年10月25日
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今日は「津波防災の日」です。1854年11月5日に安政の南海地震が起きました。和歌山や徳島や高知の沿岸部は津波で大きな被害を受けました。
その日を忘れず常に、津波や地震に備えようということで、東日本大震災後制定されたそうです。今日は高知県須崎市で避難訓練が行われます。
https://www.city.chiba.jp/somu/bosai/115tsunamibosai.html
高知県庁も高知市役所も、一応「仕事で」は「とりあえず防災対策」はやってはいます。しかし依然として県都高知市の東の市街地は「無防備都市」なのです。
海抜0メートルで生活する私たちの想いは、なかなか予算執行権をもっている自治体や国には伝わりません。もどかしい想いをしています。
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2015年9月14日に高知市長宛に、下知地域の3団体の会長名で意見書を提出していました。主旨は地域の「自主防災会指定の地区避難ビルを「みなし避難ビル(準津波避難ビル)にしていただきたい。」という要望書を出していました。
回答期限の10月10日を過ぎ、ようやく10月28日に回答が来ました。
やはり「予想どうり」全く地域事情に配慮したとは言えないものでした。低地の海抜0メートル地帯の低層住宅に住む高齢者や移動困難者は、浸水が始まったら溺死するしか現状ではありません。
後半の部分で津波浸水域の深さの見直し(何を根拠なのかが不明ですが)をすれば、3階建の建物も津波避難ビルに指定される可能性があるやのこと。一種の気休めですね。市長としてのリーダーシップはまるでなく、担当部局の書いた作文でした。
南海トラフ巨大地震が起きれば高知市街地の低地は海になります。69年前の昭和南海地震でも下知地域は水没した歴史がありますから。
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全然関連はありませんが、二葉町のご近所は最近ちょっとしたリフォームの建築ラッシュです。元建材店跡は、建設業者の事務所と自宅になるらしく「全館改装」になっています。
また同じ界隈の家屋は庭と塀を壊して、車用の駐車場をこしらえているようです。
また県道を挟んだ民家では瓦屋根を全部剥がして葺き替えるのか、トタン張りにするのかわかりませんが、改装工事をしています。
6月から8月は雨漏り修繕と外壁修繕工事をうちがやりました。最近は工事の音がしている二葉町です。
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今日は1日地元下知のイベント[昭和秋の感謝祭](下知地域内連係協議会主催)にて奔走していました。FBで初めて知りました。心よりお悔やみ申し上げます。
http://mainichi.jp/select/news/20151104k0000m060024000c.html
近年は坂本龍馬記念館館長として、獅子奮迅のご活躍でした。
16年前小学6年の娘が高知新聞学習招待旅行で、中国西安へ行った時に、団長を務めていただきました。中国事情に詳しかったからです。新疆ウイグルのウルムチへ長期滞在もされておられたからでした。
記念館の増築も決まり、これからというときの急逝は、森健志郎さんを知る皆の深い悲しみにつつまれたことでしょう。私もショックです。最後にお会いしたのは、県外からの来客を坂本龍馬記念館へ案内した時でした。昨年のことでした。
心よりお悔やみを申し上げます。
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2015年11月3日に、高知市下知地域の交流イベント「第5回昭和秋の感謝祭」が開催されました。朝の5時に起床。7時から関連資材の積み込みをし、8時前に森会長宅へフライヤーを取りに行きました。積み込みして会場のちより街テラス駐車場へ到着し荷下ろしして準備しました。
若松町は「愛のふるさと若松町」というスローガンを掲げ、バサーと輪投げコーナーを設置、多くの町民が関わり盛り上がっていました。
丸池町は、この日を防災避難訓練にしました。町民68人が参加。指定避難場所の昭和小学校正門前まで、25分かかったとの事でした。
ほどなく仁淀川町から長者地区のまちおこしグループ「だんだんクラブ」の皆様が到着しました。地元の食材を豊富に使用した寿司やスイーツ、名物のいろりの田楽が登場しました。
1946年11月3日に平和と文化を尊重する「日本国憲法」が公布されたことに由来する「文化の日」ということで「憲法9条トレーナー」を着用し、高木妙さん、大崎修二さん、坂本茂雄さんと会場で、記念撮影しました。
いつもの昭和小学校とは異なる雰囲気でした。起震車体験や、煙体験、防災かるた、災害に強いLPガス・コーナーなど防災体験コーナーも賑わっていました。
二胡の演奏や三味線の演奏やライブもあり、「文化の日」らしい行事でした。
大体の片付けを終えて、軽トラから餅とお菓子のばらまきをしました。大勢の参加者が居残り異様な盛り上げりでした。
自分たちの周辺と飲食ブース付近を掃除しました。会長宅へフライヤーの運搬があるので、撤収しました。会長宅へ荷物を降ろし、自宅へ戻り後片付け。イベントは午後3時に終わりましたが、片付けが終わると午後4時半になっていました。
サポータばかりの1日でした。二葉町の森会長のフライヤー備品の運搬と会場設営、仁淀川町の皆様の受け入れと会場づくりのお手伝い。起震車と煙体験の受け入れと、設営準備。周囲の清掃活動など。結構疲れました。
小さな地域のイベントではありましたが、それなりに来場者はあり、皆満足したのではないでしょうか。防災についての啓発にはなったことと思います。
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高知県庁産業振興推進部計画推進課の「高知県まち・ひと・しごと創生総合戦略」のパブリック・コメントをしました。その意見がどう処理されたのか気になっていました。
先日「珍しく」回答が来ていました。
ホーム―ページ
http://www.pref.kochi.lg.jp/soshiki/120801/sougousenryaku-ikenkoubo-kekka.html
(質問)
・高知市街地、特に高知県庁より東側の市街地はすべて海抜2メートル以下の低地。そこに15万人の住民が生活し、仕事している。現状で南海地震が起きれば、低地の市街地の市民は地盤が沈下し長期浸水状態になるので、ドライエリアに避難し、その避難は長期化し、元の地域へ戻れない可能性が高い。今の県庁の避難計画では避難所も応急仮設住宅も全く足りないので、15万人は高知県内に留まれず、県外に移住することが強いられることでしょう。推定では10万人ぐらいの県民は南海地震後高知県から流出するのではないか。
(意見)
・解決策は、低地の市街地の「立体換地」を推進し、防災都市づくりを行う事である。具体的には、低地の市街地である高知市下知、潮江、高知街、高須、大津などの地域に耐震高層住宅と共用空間を建築し、低地の住民と事業所、病院や保育園、介護所、学校などを収容し、高知市の低地地区を「地震災害に強いまち」に改造することである。 室戸のジオパークや足摺竜串海岸も「地震遺跡」の観光地。高知県全体を「南海地震観光地」にすることが、観光振興になる。地震列島日本では地震や津波は避けられない。県民に「安心安全」な住居と共用空間を提供することが、南海地震を克服した高知県となり、自然と歴史豊かな高知県として定住者も増加すると考える。
(県の意見)
県では、津波から「命を守る」対策を最優先に取り組みを進めているところであり、この中でも、高知市市街地の津波避難対策は、大きな課題であると考えています。被災した場合の復興の視点も取り入れながら施策を進めることは、地震対策として有効ではありますが、いただきましたご意見については、多くの住民の皆様との合意形成が必要となることや巨額の費用と時間がかかることから、現時点では難しいと考えます。
(意見)
・毎年7000人ぐらい人口が減少している高知県。県庁が危機感を持っていることも理解出来ないことはない。しかしながら沖縄県を除く地方の自治体は、3大都市圏付近を除きすべて人口減少になっている。少々宣伝しても効果は薄い。県庁が忘れ果てているのは高知県には今後30年以内に70%の確率で南海トラフ巨大地震が起きるとの予測が出ていることではないのか。
(県の意見)
これまでも高知県では、人口減少における負のスパイラルを断ち切るため、産業振興計画をはじめとする5つの基本政策とそれらに横断的に関わる2つの政策に全力で取り組んできました。総合戦略は、これらの政策群のうち産業振興計画や少子化対策、中山間対策などを総合的に組み合わせたものです。また、この総合戦略の取り組みを下支えするものが南海トラフ地震対策です。県勢浮揚を力強く果たしていくため、これらの政策のさらなる充実強化を図りながら、官民協働、市町村との連携協調により全力で取り組んでまいります。
(感想)
せっかく出した県民の意見に「真正面から向き合い」「きちんと回答しない」ようですね。これではわざわざパブリック・コメントを募集する必要など何もありませんね。がっかりですね。
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ビックコミック・オリジナルに連載されている「今そこにある戦争」(原作・テーラー平良、作画・稲井雄人、脚色・あまやゆうき)は、まるで戦争法案が成立し、全体主義国家が成立前夜の日本の現実からすれば、「近未来」ではないか。
国民各位は品川駅を通過する戦車が載った貨物列車に熱狂。一方内閣府には「戦時体制推進室」がつくられ、米軍基地を「誘致」しようとする自治体が押しかけている。
「天気予報は軍事情報扱いとなりますので、一般のかたへの提供は出来せん。」
「GPSは暗号化されています。」などとのやり取りも現実味が・・
酷いのはごますり高級官僚の六角が、国防軍へ日本在住の外国人子弟を入隊させるための忠誠確認書の提出を義務付けている。
「18歳から25歳までの在日外国人男子はそれに(忠誠確認書)にサインして国防軍に入隊しないと家族全員収容所送りだって言うんすよ。」とのくだり。
まるで二次大戦時に米国が米国在住の日系人を敵性外国人とみなし、家屋と財産を没収し強制収容所に送り込んだ歴史を彷彿させます。在日外国人の18歳から25歳までの男子に国防軍への志願を強制するために行う人種差別的な徴兵ではないか。
今の安倍政権なら「やりかねない」そう思いました。漫画は鋭いと思いました。画像を全部読んでみてください。肝が冷えますよ。
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自宅はLPガスです。3年前に都市ガスから災害に強いとされるLPガスに家庭の熱源を変更しました。使用方法は別に変りはありません。LPガスも都市ガスの機器各種も安全装置が強い揺れなどでは感知し、安全に作動し、暴走することはまずありえません。
2015年10月25日に、下知減災連絡会での合同防災訓練「五台山1・5次避難訓練」では、二葉町自主防災会の防災倉庫にあるLPガスボンベ、ホース、ごとく、鍋などを持ち込みました。青柳公園の防災倉庫に入れっぱなし、ガス機器は2009年10月の今治市の自主防災連合会との合同炊き出し訓練以来たぶん使用していません。
LPガスの使用方法についてツバメガスの皆さんに指導をいただきました。当たり前のことが出来ていないことに気づかされました。
1)ガスのホースを2叉で使用する場合は、現在は専用のガス取付機器を使用しないといけない。以前使用していた2叉差込口は現在は使用禁止になっています。初めて知りました。
2)ガスホースの手元の口も劣化している場合もあります。その場合はハサミなどで切り落としてください。
3)ガスコンロのホースの接続は慎重に落ち着いて行う事。元栓の部位コンロの取り付け部位は特に大事です。
4)ゴトクの場合、着火剤をコンロ前にあらかじめ当てておきます。左側のコックが1番外回り。右側のコックはより内側のコンロです。真ん中のコックがより内側のコンロです。着火の順番は左側、右側、真ん中です。
5)ゴトク・コンロの炎の出る穴は、古くなりますと埃などで、穴が詰まることもあります。ピンなどで穴に突き刺して詰りがあればなくしましょう。
6)熱源のコンロやホースやボンベは大事な熱源です。浸水しない高さに保存しましょう。
1)LPガス発電機は、安全に接続機器を差し込み、スロットルを引っ張りますとすぐに稼働します。
2)パソコンや携帯電話の充電も可能です。
3)より大きなLPガス発電機は、電気容量の大きな電子レンジも利用することが可能です。収容避難所などに大型のLPガス発電機があれば、冷蔵庫なども利用できます。
4)LPガス発電機の手軽さ、安全性が認められ、消防団でも採用されています。
基本に立ち返り、丁寧に説明いただきました。参加者各位ガス機器の取り扱いの指導をしていただきました。
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