若松町早朝避難訓練
昭和南海地震(1946年(昭和21年)12月21日午前4時19分過ぎに潮岬南方沖(南海トラフ沿いの領域)78 km(北緯32度56.1分、東経135度50.9分、深さ 24 kmを震源としたM8.0(Mw8.4)の地震である。1946年南海地震とも呼ばれ、単に南海地震といえばこの地震を指すことも多い[1]。南西日本一帯では地震動、津波による甚大な被害が発生した。)から、今年は69年目。
若松町自主防災会(横田政道会長)は、町内で午前6時から早朝避難訓練を実施しました。二葉町と若松町は隣接しています。1番近くの橋本さんの自宅前で待機。ほどなく福谷さん(若松町町内会会長)も来られ、橋本班の津波避難ビルである田部ビルまで、鐘を鳴らしながら行きました。
集合場所は若松マンション。6階建ての建物です。低層階は津波での浸水の恐れがありますので、マンションの住民を中心に、周辺住民も含め30人が集まりました。
避難集合場所は6階部。折りたたみ式の机をセット。その上で受付っをしていました。
一段落したところで、階段踊り場にて仮設の避難所を段ボールにて組み立てていました。仮設トイレのセットもしていました。
浸水がある程度引いたとして、2階共用部にて炊き出しをされています。防災カレーを調理する訓練です。水は非常用飲料水。食材は持ち寄り。熱源はカセットコンロです。
一段落したところで退散。若松町は大変熱心で感心しました。来年は昭和の南海地震から70年の年。二葉町でも何らかの動きをしなければならないのですが、まだ思いつきません。
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