スギハラチウネを見ました
2015年1月3日午後21時30分上映の映画「杉原千畝 スギハラチウネ」を家内と一緒に観賞しました。遅い時間帯での観賞ですが、超高齢者の両親を寝かしつけて行くのにはこの時間帯でないと行けないのです。ようやく観賞することができました。
http://www.sugihara-chiune.jp/(映画スギハラチウネ)
青木美佳さんのご推薦もあり、お正月休みに見たいと思っていました。
外交官杉原千畝は、「日本のシンドラー」とか言われ、ナチスドイツから迫害されたユダヤ人6000人余りに職をかけて「命のビザ」を発行した人物でした。名前は知ってはいましたが、人物像はよくわかりませんでした。
独自の人脈で対象国(ソ連)の情報を詳細に収集し、正確に分析していました。しかしその情報を活用できる指導者は当時の日本にはいませんでした。満州での関東軍は杉原の情報を悪用し、ソ連兵将兵を虐殺しました。協力したロシア人も虐殺したのです。
杉原の情報収集能力を恐れたソ連はモスクワへの赴任を拒みビザを発給しませんでした。杉原は北欧のリトアニア大使として赴任します。
時代は第2次世界大戦直前の欧州。独ソ不可侵条約が締結され、独ソによりポーランドが分割され、その先は独ソによる東欧分割であると杉原は推測します。欧州の日本大使館を統括するドイツ大使にそのことを報告するも、日独同盟に固執する大使にせっかくの杉原の情報は無視されます。
赴任したリトアニア大使館の運転手はポーランド人。国を滅ぼしたドイツとソ連を恨んでいる。彼から抵抗組織からの独自の情報も杉原は入手する。それはドイツが独ソ不可侵条約を破りソ連へ侵攻する第一級の情報でした。
車を飛ばしベルリンの日本大使館に駆け込み報告する杉原。「今なら間に合います。本国にアメリカと戦うなど無謀だと言って下さい!!」と報告する杉原。独ソ不可侵条約をドイツが破ると「想定外」の事態にドイツ大使館ほか外務省もなずすべもない。せっかくの第1級の情報を活用せずに不作為を繰り返し、日本は太平洋戦争に突入しました。
「戦時日本のインテリジェンス機能の麻痺と、「空気」で最高指導政策が決定されてしまう恐るべきガバナンスの欠如を物語っている。出先には優秀な諜報要員を配置しながら、中央に適切な分析官を用意できなかったため、命がけで入手された情報も活かされなかった。」
「ハルビン学院で千畝の二期後輩であったウラジオストク総領事代理・根井三郎は、難民たちの窮状に同乗し、通過ビザを発行しました。一度はシベリアの凍土に潰えるかに見えた難民たちの命は、二人のハルビン学院卒業生の勇気ある行為によって救われた。後藤新平が制定した同校のモットー「自治三訣」は、「人のお世話にならぬよう、人のお世話をするよう、そして報いを求めぬよう」というものであった。」
「 」の引用の出展はウキペディアからです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%8E%9F%E5%8D%83%E7%95%9D
歴史においては、戦争犯罪のような悪事も末永く記憶されます。同時に杉原千畝の行為もまた、国境と時間を超え末永く伝えられます。つくづく映画を見てそう思いました。
道徳教育がやかましく言われていますが、杉原千畝は、間違いなく日本が誇る第1級の人物として末永く顕彰し、語り続けなければならない人です。
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