父(96歳)の健康状態は良好です。
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昨年6月23日に訪問させていただきました宮城県名取市閖上地区。
大津波で跡形もなくなり流失した地域が再生されていく様子を「閖上(ゆりあげ)復興だより」(格井直光・編集長)で知ることができます。
送付していただきました。餅つきや寺小屋教室、高校生との交流など地域コミュニティの活動も報告されています。震災直後の2011年から閖上復興だよりは発刊され、地域の様子がよくわかります。37号発刊されています。凄いです。
昨年訪れました閖上のシンボル日和山で格井さんから震災当時の様子の話を聞きました。
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下知市民図書館で日本文学全集(集英社・刊)「坂口安吾」を借りて読みました。その中に345Pに「堕落論」があります。日本が世界大戦に無残に敗北した敗戦直後の1946年4月に、40歳の坂口安吾が書いて雑誌新潮に発表し、直後から大きな反響をあった評論でした。
「昔,四十七士の助命を排して処刑を断行した理由の1つは、彼らが生きながらえて生き恥をさらしせっかくの名を汚す者が現れてはいけないという老婆心であったような。
現代の法律にこんな人情は存在しない。けれども人の心情には多分にこの傾向が残っており、美しいものを美しいままで終わらせたいということは一般的な心情の1つのようだ。」(P345)
そういう書き出しから「堕落論」は始まります。70年前の文章とは思えない「現代性」を読んでいて感じました。
「武士は仇討のために草の根を分けて乞食になっても足跡を追いまくらなければならないと言うのであるが、真に復讐の情熱をもって仇敵の足跡を追い詰めた忠臣孝子があっただろうか。
彼らの知っていたのは仇討の法則と法則に規定された名誉だけで、元来日本人は最も憎悪心の少ないまた永続しない国民であり、昨日の敵は今日の友と言う楽天性が実際の偽らぬ心情であろう。
昨日の敵と妥協否肝胆相照らすのは日常茶飯事であり、仇敵なるがゆえにいっそう肝胆相照らし、たちまち二君に仕えたがるし、昨日の敵にも仕えたがる。生きて捕虜の恥を受けるべからず、というが、こういう規定がないと日本人を戦闘にかりたてるのは不可能でなので、我々は規約に従順であるが、我々の偽らぬ心情は規約と逆なものである。
日本戦史は武士道の戦史よりも権謀術数の戦史であり、歴史の証明をまつよりも自我の本心を見つめることによって歴史のカラクリを知りうるであろう。」
「今日の軍人政治家が未亡人の恋愛について執筆を禁じた如く、古の武人は武士道によってみずからのまた部下たちの弱点を抑える必要がある。」(P346)
坂口安吾は70年前に物凄くラジカルなことを「ひょうひょうと」こと無げに言い放っています。このあたりの坂口安吾の素養の凄さと本質をずばり言い放つ文章の凄さですね。
「私は天皇制についても、きわめて日本的な(したがってあるいは独創的な)政治的作品を見るのである。天皇制は天皇によって生み出されたものではない。
天皇は時に自ら陰謀を起こしたこともあるけれども、概して何もしておらず、その陰謀はつねに成功したためしはなく、島流しになったり、山奥へ逃げたり、そして結局つねに政治的な理由によってその存立を認められてきた。
社会的に忘れれた時にすら政治的に担ぎ出されてくるものであって、その存立の政治的理由はいわば政治家の嗅覚によるもので、彼らも日本人の性癖を洞察し、その性癖の中に天皇制を発見していた。
それは天皇家に限るものではない。代わりうるものならば、孔子家でも釈迦家でもレーニン家でもかまわなかった。ただ代わりえなかっただけである。」(P347)
日本史における天皇制を正しく坂口安吾は記述していますね。それが天皇制の本質ですね。となりますと明治維新以来明治政府によって、「西欧化した」天皇制は、日本的なものではなく、「異物」であったということがよくわかります。
とにかく坂口安吾の独自に世界観はとどまることを知らない。少し長いですが著作から引用させていただきます。
「終戦後、我々はあらゆる自由を許されたが、ひとはあらゆる自由を許された時、自らの不可解な限定とその不自由さに気付くであろう。自らの不可解な限定とその不自由さに気付くであろう。人間は永遠に自由ではありえない。なぜなら人間は生きており、また死なねばならず、そして人間は考えるからだ。
政治上の改革は1日にして行われるが、人間の変化はそうは行かない。遠くギリシャに発見された確立の一歩を踏み出した人性が、今日どれほどの変化をしているであろうか。」
「人間。戦争がどんなすさまじい破壊と運命をもって向うにしても人間自体をどうなしうるものではない。戦争は終わった。特攻隊の勇士は既に闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。
人間は変わりやしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことは出来ないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は墜ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。」
「戦争に負けたから墜ちるのではないのだ。人間だから墜ちるのであり、生きているから墜ちるだけだ。だが人間は永遠に墜ちぬくことは出来ないだろう。なぜなら人間の心は苦難い対して鋼鉄のごとくではありえない。
人間は可憐であり脆弱であり、それゆえ愚かなものであるが、墜ちぬくためには弱すぎる。人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみだすにはいられず、天皇を担ぎ出さずにはいられなくなるであろう。
だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちることが必要なのだ。そして人のごとく日本もまた堕ち切ることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。
政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。」(P352)
なんとも見事な日本の歴史と社会の鳥瞰であり、巧みに「矮小化して」一刀両断しています。ここまで小気味よい社会評論を読んだことはありませんでした。70年前の文章とは思えない時代を超えたところがありますね。
新たな立ち位置を坂口安吾は日本国民に示したと思います。いやはや感服いたしました。恐れ入りましたとしか言えません。
また巻末の奥野武男氏の評論も興味深いものがありました。
「今まで罪の意識を抱きながら闇屋をやっていた元特攻隊員もはじめて生きるための自己の行為に自信を持つことが出来た。今まで自分を縛りつけていた道徳の虚妄性を知り、自分のやりたいことをやるのがほんとうの人生なのだと気づく。
はじめて戦後という時代の自由さ、自我の主体性と実感的にめざめたのだ。よし世間がどう批判しようとも、自分は自分の道を進もう、それを堕落というなら堕ちるところまで堕ちてやろう、どうせ戦争で死ぬはずだった身だ。今まで人がやれなかった生き方をしてやろう。
人々は安吾の「堕落論」を読み、きゅうに目っからうつぱりがとれ、戦争の呪縛から自由になり、自分の人生の自由さ、自分の力というものに気がついたのだ。ここからぼくたちの戦後がはじまったのだ。」(P413「作家と作品」)
当たり前のことを自然体であたりまえに言い切る坂口安吾は、敗戦後のあの時期に「堕落論」を出したことで、人々に勇気を与え、人生の糧を与えた先駆者でありました。「無頼派」と言われた文学者であり太宰治、石川淳、織田作之助、伊藤整、三好十郎、檀一雄、田中英光らに影響を与えた巨大な存在だったそうです。
しかし朝鮮戦争後の相対安定期にはいるや、「戦後派」と言われた作家が台頭し、坂口安吾は「ドンキホーテ的」とまで言われるようになり、」昭和30年(1955年)に50歳で亡くなってしましました。奥野氏は「自爆のごとき死をとげた。」と言いました。
「坂口安吾は、典型的な日本人の精神構造の原像であり、かつその可能性を日本人ばなれした大きさにおいて表現しようとした文学者であるのだ。」(P413「作家と人生」)
この坂口安吾作品集のなかでは、黒田如水を描いた「二流の人」と豊臣秀吉の晩年を描いた「狂人遺書」を読みました。2つの作品とも2014年のNHKの大河ドラマ「軍事官兵衛」を真面目に見ていましたので興味深く読みました。
坂口安吾は黒田如水を「能力はあるが、所詮は2流の人。晩年の関ヶ原の折の九州での決起は見苦しい。」と切り捨てていますね。秀吉の晩年の朝鮮侵略は、領土獲得ではなく明帝国との対等貿易をして、富を独占するための無謀な戦争であったとの独自の解釈で興味がありました。
あの日本人が自信を失っていた敗戦直後に坂口安吾の存在は、建前に縛られるな、戦争で生き抜いた命は精一杯自分のために使え。はばかるな。自分らしくせよ。と皆を励ましたのです。今読んでも古さは全く感じません。
安倍内閣は「歴史解釈を捻じ曲げ」、古き良き軍国時代の日本に先祖返りすることが素晴らしいことであるとマスコミを大々的に活用し、国民各位に刷り込みをしています。
でもその「帰ろうとする日本の時代」が、窮屈であり、退屈であり、本来の日本人の気質には合わないものなのだ。と坂口安吾は「堕落論」で言い切っています。
アメリカに追随し、原発を稼働させ、新自由主義経済で格差社会をこしらえ、全体主義国家をこしらえ、憲法を破壊し、基本的人権を制約する「窮屈で。面白おかしくない社会」なんぞまゅぴらご免ですね。坂口安吾は戦前・戦中の日本社会の異常さ、不自然さを見事に批判していて讀んでいて爽快でした。現代の日本人は坂口安吾のの批判精神学び、活用しないといけないと思いました。
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草村礼子さんの映画「ベトナムの風に吹かれて」を観賞するのは来週にしました。早起きしてカレーを食べ、チョコレートケーキも食べました。アンパンも1個食べて夜須へ行きました。
まずは斜路の青のり除去作業です。
天気が不順であったり、荒天などで久しぶりに海の散帆で、夜須のハーバーへ来ました。起床時は寒かったですが、だんだんと暖かい日でした。風は弱いです。
ぎ装(ヨットを組み立て)し、着替えて海へ出ました。今日はウエット・スーツに合羽を着用しました。
午前中も午後も今日は風が弱く、散帆するのに苦労しました。朝から晩まで夜須にいました。
いつものおっさん2ショットは、山本宏幸さんが、被り物を用意されていました。「アメリカ大統領選挙を意識した。」とのことです。
相変わらず阿呆なおっさん2人です。
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塗料組合青年部主催の年に1度のボーリング大会。近くのランドワンで開催されました。昨年最下位だったので、今年はと「張り切りませんでした。」。明日は休みをいただき、天気予報も温厚。海の散帆の予定。
となると真面目にボーリングをすると筋力が疲弊する。ということで第1投目はすべて左。2投目は右手で投げました。2ゲームでストライクは3つぐらいありましたが、スペアが1回も取れず、92-90ぐらいのスコアでまたまたダントツの最下位になりました。息子は4位とか。息子はホットプレートで、わたしはミキサーでした。
帰り際に鏡川大橋付近で消防署が集結しています。情報によりますと、高知市中の島 鏡川大橋北詰信号交差点南90メートル付近の賃貸マンション・レジデンス栄光のようです。ボーリングが終わったのが8時前。煙は出ていましたね。
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2016年2月24日は珍しくスーツ姿で出かけました。
会場は城西館でした。路面電車に乗って来ました。そしたら私の白髪頭をみて席を譲られました。これも体験です。年寄りの世界にも慣れないといけないですね。
23年前に「卒業」(40歳が定年)である高知青年会議所「JC」の「昭和31年生まれの還暦祝い」へ行きました。JCのユニフォームがスーツなので、2016年度4回目のスーツ着用です。スーツ姿を披露してくれとのリクエストもありました。恥ずかしながらお披露目します。
ふだんFBの上でしか交流のない皆さんにリアルな場でお会いすることができました。たまには刺激があっていいですね。
思い出してみれば。JC時代は定例会などには、JCソングを歌い、若いわれらも参加者全員で斉唱しました。最近は1年に1回この還暦祝いだけは出席しております。23年前の昔が蘇りますね。
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下知地域内連携協議会(国見俊介会長)平成27年度第4回役員会が、2016年2月16日午後7時から下知コミュニティ・センターで開催されました。役員16人中13人が出席、委任状出席が3人で全員出席でした。
年明け初めての役員会。役員それぞれに多忙な人たちだけに、「全員出席ということは快挙であり。今年はいいことがありますね。」と組会長の挨拶から会議は始まりました。
議題は、当初映画会上映で予定していた事業計画を変更し、地域の皆が使用する調理用流し台や、排水ホースの購入としたい。と提案しました。市役所地域コミュニティ推進課と協議することになりました。
事務局業務を関係者皆が関心を持ち、取り組んで行こうということになりました。
また地域内怜景況への提案事項として、「下知地区防災計画をより下知地域で浸透させるために、連携協内に部会をこしらえたい。」という案が提案されました。
それに対して役員各位から多様な意見が出されました。
「防災に特化した部会があってもいいし、人を集めるイベントに特化した部会があってもいい。」
「それそれの家庭でつくるトン汁を味噌を入れずにダシでこしらえ200人食を中学校で調理しました。予想以上の人が集まりました。人をたくさん集めませんとまちづくりも防災もできません。」
「下知地域のなかでも地域内連携協議会はまだまだ浸透していません。地域にアナウンスできりうような存在になるべきです。」
「町内会も弱体化してきて、高齢者の集まりになり行動力がなくなってきましたね。」
「地域の行事もお子さんが学校へ通学しているときはPTA活動を通じて一生懸命しますが、卒業しますと一切地域の事をしない人が多い。」
「自助・近助。共助、公助。と最近はいいます。防災も福祉も隣3軒両隣ですね。」
多様な意見が出されました。
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2016年2月21日(日曜日)は、NPO法人YASU海の駅クラブ主催の「海辺の学校・ウォーキング学科」です。コースはYASU海の駅クラブを出発。
昨年12月に完成したばかりの夜須町坪井の津波避難タワーを見学し、香南市防災対策課の吉村氏の説明を聞き、避難タワーへ登りました。見晴らしはいいです。
その後は坪井の集落から夜須川沿いに歩き、ハウス群を抜けて、高規格道路わきの坂道を登坂。香南市市営住宅から、運動公園を通り、月見山こどもの国へ入り、森林浴をして、海の展望を楽しんだ後に、岸本海岸を歩きました。
ヤッシーパークのボード・ウォークを散策し、出発地のYASU海の駅クラブへ戻りました。戻るとあめ湯とコーヒーを飲み、手結山の餅を食べました。爽やかな気分になりました。
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徳島県三好市池田町の脇幹人さんとは、1989年の野外コンサート以来の交流の歴史があります。2013年からは武川修士さんとの繋がりも出来ました。「もしもの災害の時の疎開を前提とした交流」も含め、2016年2月19日は、横田政道さん、吉本豊道さん、荒木三芳さん、矢野さん(土佐市・宇佐町)と西村健一の5人で、うだつマルシェへ車で来ました。
南岸低気圧の影響で朝から四国地方は雨。時折強く降ります。池田ICを降りて三好市総合体育館駐車場に車を置き、無料送迎バスにてJR阿波池田駅まで送迎いただきました。
駅前通りのアーケードを歩いていますと、若い女性たちの踊り子グループがダンスをしておりました。阿波銀行池田支店からの本町通りは、うだつマルシェが開催されている道路です。昔ながらの古い家屋の前に、軒先でユニークな店が出店しています。
たばこ資料館前で、「たばこせんべい」を買いました。また吉本豊道さんは、キセルで煙草を吸う体験をされておられました。
辛いこんにゃく加工品を横田政道さんが購入されていました。政海旅館前にカフェ・ピッコロの小谷鐡穂さんが香川県まんのう町から出店されていました。予約していた燻製チーズと自家製ジャムを購入しました。横田政道さんが、浮体構造物について考案者の小谷さんと意見交換をされていました。皆がカフェピッコロの燻製とジャムを購入し、取り置いていただいて、近くの柳生貸衣裳店の三階で上映される「蔦監督―高校野球を変えた男の真実」(蔦哲一郎監督作品)を皆で観賞しました。
既に満席で立ち見で見ました。監督で蔦文也監督の孫の蔦哲一郎氏が挨拶されました。「皆さんがイメージされている蔦監督の印象とは異なる姿が見れると思います。祖母の姿が多く写されています。」とのこと。
映画は2時間と立ち見で見るのは辛いものがありましたが、蔦文也監督は、「教育者」だったんだということがよくわかりました。学生野球から学徒出陣。特攻隊で終戦。社会人野球からプロ野球へ行くも1年でとん挫。池田高校の教員になり野球部に関わります。蔦文也氏にしても甲子園大会へ出場するのに20年はかかったといいます。
爽やかイレブンで準優勝。そして畠山―水野という超高校級の投手を擁して甲子園2連覇して池田高校の野球を全国に知らしめました。1992年に引退され、2002年に逝去されました。生涯は良いも悪いも教育者だったと思いました。清原選手がもし池田高校に在学しており蔦監督の指導を受けていたら、今のようにはならなかったでしょうね。映画を見ていてそう思いました。
映画を終わったらお昼時に。雨が生憎強く降っており、屋外の飲食ブースは屋根がないので、飲食が出来ません。アーケード街の飲食店は何処も満席で入店できずじまい。
四国酒祭り会場でお酒は試飲だけで販売されないと言うことで、酒店で父と息子のために地酒を購入しました。運転手なので試飲は出来ません。
泣く泣く池田本町を後にして、昼食は池田町の国造沿いのレストラン・ウエノで食べました。牛丼定食は880円でしたが美味しかったです。ウエノは精肉店でもあるんですね。蔦監督も良く食べていたとか聞きました。
午後2時半位に撤収。高知へ戻ると雨が上がっていました。「震災5年目のまちびらき」のシンポジウムに行かれていました、大崎修二さんと井若和久さん(美波町)が来訪いただきました。大変いい講演会であったと聞きました。
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「学会へ事例報告しますが、お父さんの事例は特筆ものですよ。最初横田哲夫先生からの紹介で来られた頃(2010年9月頃)は、腎臓の状態は悪くて、クレアチリン値は4・0を超え、尿素窒素値も80台でした。
年齢的なことを考慮しても半年後には人工透析になる傾向でした。
主食(ご飯・パン・お餅・麺類)を減タンパク食にし、週に2回の点滴と服薬、運動療法(介護予防通所リハビリ)と適度な水分補給)で腎機能がある程度改善し、クレアチリン値は2・0台、尿素窒素は20台に改善されました。これは実は大変なことですよ。」と父の主治医の植田一穂先生は行ってくださいました。家族としては嬉しいことです。
この先どこまで、父(96歳)の健康寿命が維持できるのかわかりませんが、家族として精一杯ケアしたいと思っています。
来週歯医者へ行くので、あらかじめ植田先生に腎臓に負担をかけない薬をいただきました。
今日の高知市は移動性高気圧に覆われ、温暖な気候になりました。風も弱く暖かいです。母(90歳)を連れて、はりまや橋商店街へ、頭と体のリハビリできました。
晴天なので歩行補助車を使用しては母は歩行しています。まずは、魚の棚商店街のコロッケ・ひろっちゃんで夕飯のコロッケを購入しました。
次にはりまや橋金曜露店市に出店している光の村のブースでせんべいを買いました。
谷ひろ子さんお店で、焼き菓子を買いました。活き活き100歳体操まで少し時間がありましたので、谷さんのお店でホットコーヒーとロールケーキを購入。母と一緒に食べました。
その後活き活き100歳体操の会場づくりをしました。今日の活き活き100歳体操は16人のお元気な高齢者の皆さん方が参加していました。その間ご無沙汰していましたので、「占い師」のパフォーマンスをされている島本茂雄さんと話していました。
すると谷ひろ子さんが駈け込んでこられ「けんちゃんのお母さんがおらんなった!!」と言うので慌てて探しました。すると10円饅頭を販売されている若い女性が、西の方面へ行きましたよ。うちでも買ってくれましたから。というので走って行きました。
そしたら西の端の八百屋さんで苺を買っているのを発見しました。帽子を被っているのですぐにわかりました。徘徊が始まったか。と焦りましたが大丈夫でした。やはり目を離したらいけないですね。超高齢者の場合は。目離しをすることは、出来ないですね。
お礼にまた10円饅頭を買いました。良かったです。
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ケアマネージャーの下村恵子さんが、「無動力の歩行支援機」のチラシを持って来てくれました。以前TBSの「夢の扉」で実験をされていた場面をテレビで見たことがありました。
フランスベットが販売とレンタルをするそうです。買取なら税込で194400円。レンタルは10800円/月とか。いいお値段です。注意書きとして「ご使用にあたっては、医師やリハビリの専門家にご相談の上、ご検討をおすすめします。」とあります。
リハビリ機器も進歩されていますね。
http://www.francebed.co.jp/medical/news/detail.php?id=287
多少歩行が不自由な人には、サポート機械としてはいいのではないかと思いました。
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土日の週末がまたまた2日ともに朝からイベントへの参加に。それで父t(96歳)のゴルフ・リハビリが出来ません。それで急遽午後から仕事の段取りを調整して、父のリハビリに付き添いました。
途中大橋通りのラビータの温度表示は午後2時前で8度。晴れてはいますが風が吹けば寒い条件でした。幸い冷たい風は強くはなく、また打ち放し練習場の建物で遮られていましたので、父の打席では寒さは感じませんでした。
いつものように自己流の体操をし、水分補給は暖かいお茶を自販機で購入しました。ゆっくりと125発打ちました。帰り際にラビータの温度表示は15時で9度。やはり寒い1日でした。
いつもの時間帯でないので「調子が悪い」と嘆いていました。まあ健康で運動が出来るのでよしとしましょう。
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2016年2月13日(土曜日)に、下知地区人権啓発推進委員会(前田長司会長)主催の講演会が、下知コミュニティ・センターにて開催されました。
まず主催者の前田長司会長が「つい先日も1500万円騙し取られてと言う高齢者の方がおられました。騙す方は手を変え品を変えやってきます。悪質商法について学ぶことが大事です。また地域福祉に関しましては、在宅介護で家内をしています。都市化している市街地ではご近所での助け合いも必要だと感じる毎日です。地域が変われば時代も変わります。」と挨拶されました。」
高知市消費生活センターの上岡志乃さんが「ご近所アップで悪質商法撃退」と言う演題で講演されました。
「今だけ、あなただけ、今日だけ、ここだけサービスします」という、キーワードに注意をしましょう。」
「悪質商法にもさまざまなパターンがあります。まず点検商法。水道水が塩素が原因のトリ春メタンが発生、発がん性物資が形成され毎日飲んでいますと癌になります。とか言い、塩素に反応する薬剤をコップに汲んだ水に添加すると黄色になり驚きます。」
「でも水道水に塩素が含まれているは当たり前なんです。高額な浄水器を売るための方便なんですね。」
「子供さんの家庭教師の長期契約などを言ってくる場合もあります。また電話回線の売り込みも多いです。NTTだけでなく、ドコモやヤフー。ソフトバンクなど様々なところがあります。
「クーリングオフは1週間以内に出来ます。おかしいなと思われたら、高知市消費生活センター 電話088-823-9433にお電話ください。」と言われました。」
「くらしの豆知識2015 消費者トラブルSOS]という小冊子をいただきました。そこにはいろんな悪徳商法の手口の紹介と、解決策が掲載されています。
続いて高知市社会福祉協議会の中西弘行さんから「高齢者支援のために地域福祉が何故重要なのか」を講演されました。
中西さんは日本社会のこのところの社会構造と年齢構成の急激な変化により、少子高齢化が進展し、劇的な変化に晒されていると指摘されました。
「日本では65歳の高齢者比率が7%から14%になるにに24年。14%から21%になるのに13年と言う短期間です。14%から21%になる諸外国ではドイツは44年、イギリスは54年、スウェーデンは48年、アメリカは35年もかかっています。日本の急激化がわkります。」
社会の激変に地域社会が対応できていないのが現実です。
「厚生労働省のトップ官僚である村木さんの講演を聞く機会がありました。
「これからは福祉や介護は地域社会を中心に支えていただかないと政府だけっではどうしようもなくなります。」と言われました。衝撃を受けたと中西さんは言われます。
「3世代同居の家族が少なくなり、高齢者2人暮らしや1人暮らしが増え、市街化の進展で地域との関係も薄くなり、孤立化して困っている事例が多く見られます。無縁社会という現象が現れています。」
「日本人の多くの習性として困っている時に周囲に助けを求めることが出来る人は5%と少ない。また目の前に困っている人がいた場合は、頼まれなくても助けると言う人が23%。頼まれたら助ける人が72%。頼まれたら助けると言う習性があります。日頃からお互い様の関係づくりが大事です。」
地域活動やボランティア活動に参加してみたいと回答する人は多い(65%)ですが、参加する人は実は少ないのが現実ですね。
高知市社会福祉協議会では「ほうっちょけん宣言」を行い。キャラクターもこしらえ地域に働きかけをしています。
1・わたしは地域のアンテナ役。ほうちょけん気持ちを持ちます。
2・困りごとをひとりでかかえこみません。
3・誰がひとりにしんどいことをまかせっきりにしません。
高知市内の地域内のサロンでの事例の紹介もありました。参考になりました。
結局は「受援力」(支援を受ける力)を個人も家族も地域ももたないといけないということですね。このあたりは地域防災も高齢者支援も同じことでありますね。
1)高齢者が安心して暮らせる地域は、近隣の助け合いがある地域です。
2)困っている人が、「助けて」と言えるように、日ごろからの関係性を作りましょう。
3)困っている人がいたら「ほおっちょけん」という思いのあるひとを増やしましょう。
4)高齢者のこまっていることを解決できるいように話し合いましょう。
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2016年2月14日(日曜日)の高知市は高知龍馬マラソン。午前9時に県庁前をスタートとか。国見俊介さん(下知地域内連携協議会会長)が、1人で県立岡豊(おこう)高校の校長他関係者と交渉。吹奏楽部の先生と生徒たちが、知寄町1丁目の図南病院駐車場に駆けつけていました。
演奏時に必要な椅子はレンタル。演奏用の楽器や式台などの資材はトラックをチャーターし実現しました。坂本茂雄さん(県議)の力添えがありました。
心配されたお天気は曇り、一時晴れ。9時前からリハーサルの音出しをして、本番です。ご近所の皆さん方や吹奏楽部のご父兄の皆さんも駆けつけ賑やかになりました。また県外ランナーの人達の多くは、山本隆心さんのホテルに宿泊されておられたとか。
そして9時10分ごろに先頭集団が通過し、その後20数分間おびただしい数のランナーが道路一杯に走ります。生徒たちの演奏が力になったのか、手を振りながら走る人。写真を撮る人。生徒たちに感謝される人。ランなーの皆さんも演奏が励みになったことでしょう。聞いている私らもげんきになりましたから。
宮地さんや横山さんもランナーで頑張っておられましたね。走られる人は偉い。わたしなんぞ到底無理ですね。
高齢者の人達や、車椅子の人も一緒に演奏を聞きながら声援をしていました。アンパンマンのマーチや春1番などが演奏されていました。ひととおりランナーが駆け抜けた後、アンコールの声も高齢者の方から上がり、大いに盛り上がりました。
段取りいただきました国見俊介さん。ご支援をいただいた坂本茂雄さん。岡豊高校の関係者の皆様ありがとうございました。楽しませていただきました。
国見俊介さんの動画をシェアさせていただきました。高知龍馬マラソンを声援するために国見さんが県立岡豊(おこう)高校へ働きかけ実現しました。吹奏楽部顧問の先生もファンキーなのりで、ランナーの皆様へ波動を送られていました。ランナーの皆さんも声援に応えてノリノリでしたね。
とってもいいことです。生徒さんたちも励みになったと思います。国見俊介さんの動画をシェアさせていただきました。高知龍馬マラソンを声援するために国見さんが県立岡豊(おこう)高校へ働きかけ実現しました。吹奏楽部顧問の先生もファンキーなのりで、ランナーの皆様へ波動を送られていました。ランナーの皆さんも声援に応えてノリノリでしたね。
とってもいいことです。生徒さんたちも励みになったと思います。
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2016年2月20日(土曜)は、半日ぐらいまったりして徳島県三好市へ行ってみたいものです。
先日週刊現代特別号の蔦監督j特集を、三好市の武川修士さんに送信したところ、当日池田で開催される3つのイベントのご案内がありました。
蔦監督のお孫さんが制作されたというドキュメンタリー映画が上映されます。
またうだつマルシェというハイセンスなイベントがレトロな街並みの中で開催されます。
2013年に行ったことがありました。
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-8b06.html
同時開催で「四国酒祭り」があります。
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今日は雨のスタート。雨は夜半まで降る続くとの予報。「春の嵐」の予感もあります。なんせ生暖かい。朝のNHKニュースでいの町在住の従兄弟の田植光男が写っていました。
最初に古い実家の百姓家屋(築120年)を大改造した自宅が映し出され、居間にある薪ストーブがでていました。これ1つで2階の隅々まで暖かいとか。活動領域の土佐ノ森救援隊の薪割作業の様子や光男が軽トラで仁淀川町の民家へ薪を配達する様子が写っていました。
東京から奥さんといの町へUターンして10年ぐらいになりますね。すっかり田舎暮らし、ロハスな生活にもなじんでいます。電話をして様子伺いすると「撮影は大変だった。」とNHKの意向に振り回されたとか。入院している99歳の叔母の様子も聞きました。「元気だよ。頭もはっきりしているし。9月の100歳の誕生日を楽しみにしている。」とか
3つ下の弟がうちの父(96歳)です。父も元気です。生存している兄弟姉妹で1番下の叔母(85歳)は、昨日は腰が痛いとはりまや橋商店街での活き活き100歳体操は欠席しました。
父のゴルフ・リハビリの付添で途中大橋通りのラビータの気温表示は12度。先週は7度でしたから随分違いますます。雨ですと風がないですから楽です。
いつものように父(96歳)は入念に自己流の体操をして、水分補給(経口補水液・OS-1)を飲みます。1球・1球打ちます。その間は私は読書タイム。「自分をあきらめない20の人生物語」(日本経済新聞社・刊・2013年刊)を読んでいました。
雨のせいなのか、シニア・レディス打席はがらがらでした。でも道路は車両が多いことです。安全運転で戻りました。
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2016年2月12日(金)に下知コミュニティ・センターでの「第4回受援力向上セミナー」(講師・西田政雄氏・防災寺小屋主宰)が終了いたしました。今回のテーマは「生活復興に向けての受援力」です。国や行政の生活復興支援に関して話していただきました。
そもそも「受援力」(じゅえんりょく・支援を受ける力)はとても大事です。大災害が起きると直後から全国から多くの支援者が被災地に駆けつけてくれます。何が地域的に困っているのか、何が1番必要としているのかを日頃から検証し、すぐに提唱していく力がないと、地域の復興・復旧は遅々として進みません。
個人として、地域として事前にどこまで準備するのか。またどこまで行政側に要望するのか。それも「受援力」であると西田政雄さんは3回の講演の中でも言われました。
今回のテーマは「生活復興に関する受援力」でした。西田さんの結論は「生活復興に関しても、行政を過度に当てにせず、期待せず、原則は自助・共助ですよ。」でした。
「1995年の阪神大震災の時は全国から莫大な義捐金が寄せられえました。しかし神戸市は被災者に一律に10万円の見舞金をくれただけ。震災後に10年経過して半分の義捐金を本来被災者に配布すべき分を一般会計に繰り入れました。」(でどうしたかと言いますと復興事業と称して神戸空港の建設費やそこへ行く地下鉄の建設資金に流用しました。)
「東日本大震災はその反省から国の支援が手厚くなしました。でもその分被災者の要求が過度になり、行政は調整に追われ、かえって復興・復旧が遅れ気味になりました。」
「復興支援も義捐金は僅か。期間限定の低利の貸し出し資金はあるようです。でも失業したり、倒産したり、廃業したりの現状では、借りても返済できないですね。」
西田政雄さんは、経営者側のすれば、解雇するのもありかなといいます。
「解雇すれば8日後に失業保険の手続きが開始され、最長330日に渡り、貰っていた給与の7割程度の収入は確保できます。経営者は再建後また再雇用するからと約束すべきでしょう。」
「また収入が亡くなる。(解雇・倒産などで)の場合は、生活保護申請をしましょう。すれば医療費は無料になります。それは大きいです。」と言われました。
下知地域の現状や被災後の大変さは西田政雄さんはよく理解されておられます。
「下知地域は、何かと頑張っておられます。また下知地区防災計画のなかで、事前復興計画も立てようとされています。それはとても大事であり重要なことです。
地元地域の合意形成が、都市計画でも、区画整理事業でも、復興・復旧事業でも大事です。行政任せでは復興にはとてつもない時間がかかります。
昨年東北を視察したおりに行った東松島市のある地域では、住民の合意形成が早く自分たちで移転先を探し、仕事場もこしらえ収入を確保し、うまく行政の支援を受けることに成功しています。既に自宅も移転先で完成し、市の支援で農業ハウスも再建しています。
そういう気構えですべきでしょう。」と言われました。
本当に「受援力」の大事さをセミナーから学びました。西田政雄さんどうも4回ありがとうございました。
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今にも雨が降りそうなどん曇りの高知市。午前中は父(96歳)を連れて植田医院へ行きました。植田医院の看護士さんに聞きますと、3人ばかりインフルエンザとおぼしき患者が来ていて待合室も溢れかえっていました。
変な咳を父がするので植田一穂先生に診察いただきましたが、「特に喉の見える範囲では炎症はありません。念のため風邪薬と弱い抗生剤のバナンを出します。と1週間分の薬をいただきました。なんせ超高齢者ですからね。用心にこしたことはありません。
昼食を終えて今度は母(90歳)を連れてはりまや橋商店街へ。雨が心配なので歩行補助車は持って行きませんでした。
まずは魚の棚のコロッケ屋さんで夕飯のコロッケを購入。続いて10円饅頭をおやつに買いました。またパン屋さんでクッキーを購入しています。
今日の活き活き100歳体操では、18人の高齢者の人達が来ていました。寒いのでテントの囲いを広げました。準備はだいたい私1人でします。片付けは参加者もします。
ふくねこでお菓子を買いました
母(90歳)が活き活き100歳体操をしている合間に、電車道を横断。京町商店街のふくねこへいきました。代表の笹岡和泉さんと情報交換をしました。開設して3月末で1年になるそうです。県と市が折半で予算を出して家賃負担をしていただいてはいますが、再来年まではその体制がいくらしいとのこと。
「現状は木曜から日曜まで開けるのが精一杯。毎日開所したいといところですが、ボランティア・スタッフの数が足りない。本来なら常勤スタッフがおられて日当が出る体制にはしたいのですが・・・」と笹岡さんは言われました。
ラヴィエールのお菓子を久しぶりに購入しました。奥では手話カフェをやっているようでした。
観光案内もふくねこはやっています。市や県も「ユニバーサル・観光ガイド拠点」としてきちんとふくねこに委託費用を払い、障害者の人達の雇用支援をしたらどうか。真剣にまじめにやるべきであると思いました。
「あったか高知」とやらのキャンパーンをするのであれば、実態を伴った形ですべきでしょう。
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下知コミュニティ・センター防災部会の4回シリーズの「受援力向上セミナー」(講師西田政雄氏・防災寺小屋主宰)は、2016年2月12日(金)に最終講演です。
今回のテーマは「生活復興への受援力 国や行政の生活復興支援に関して」です。30年以内に70%の確立で起きるであろう南海トラフ巨大地震。高知市市街地は低地であり、軟弱地盤であるので甚大な被害が想定されています。
どういう支援があるのか。ないのか。西田政雄さんには、関わりのある阪神大震災の被災地である長田区鷹取東の事例や、新潟中越地震の旧山古志村、東日本大震災後の復興・復旧事業や」生活支援についてお話をいただきます。
「受援力」(支援を受ける力もとても大事です。多数の皆様のご参加を訴えます。
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1月16日以来26日ぶりに夜須の海へ行きました。悪天候と防災関係の行事が重なり海での散帆が出来ない状態でした。2月9日に老師の整体でも「首と肩へ歪みが来ている」とのご指摘。長距離運転とそれなりのストレスで体が歪んでいました。
今日は休日になりました。家内に留守番をお願い(午後から両親の介護予防通所リハビリがありますので)朝1番から夜須の海へ来ました。
ところがハーバーには誰もいません。ジュニア・ヨットクラブはお休みとFBにて町田紅子さんから連絡いただきました。高知大学ヨット部もいません。結局私1人でのセーリングとなりました。
ハーバーは暖かく氷も水たまりに張っていません。隣のヤッシー・パークのヤシの木もたわんでいないので強風は吹かないでしょう天気図も移動性高気圧に覆われていますので、どん吹き(強風)はないとシニアは判断。ウェット・スーツに合羽姿で出艇することにしました。
1カ月近く海へ来ていないので、海へ出てからぎ装の間違いに気が付きました。ラダーのロープが切れていまして、降りません。1度ハーバーへ戻り再出艇しました。
そしたらシニア・ヨットクラブのKさんがレーザーで出て来られました。午前中はやたら沖合に漁船が多くいました。正午のサイレンで赤岡港へ入って行きました。どろめ漁でもしていたのでしょうか?
13時に一度上がりおむすびを食べました。すぐに出艇し、結局3時近くまで海に居ました。半日海に浮かんでいました。今日は年寄り仕様。風も程よく海水温もそれほど冷たくはない。赤岡までも行けました。
海でエネルギーをいただきました。癒されました。
片付けしてからヤッシーへ寄りました。
またまた山本宏幸さんが「かぶりもの」を用意されていました。いつものおっさん2ショットをしました。今週末は悪天候の予想ですので来ませんので。
バイクのグループもツーリングに来ています。東方面へ行く場合はヤッシー道の駅が休憩地点だそうです。
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日本国では「建国記念日」と言う祝日。「紀元節」と称しお祝いされる人たちがいると思えば、「紀元節反対集会」を開催する人たちもおられる。きっと全国各地で各種の集会が開催されていることでしょう。
うちでは息子の誕生日。とくにお祝いはありません。休日にしたので隣町に住んでいる息子は出てこないでしょう。34歳になりますが伴侶をもらう兆候はなく、正直心配してしています。
男の子なので、私は個人的には、ゼロ戦隼人の「隼人」とか、大和尊の尊(たける)とか名前を考えていました。家内は、マルクスの経済学・哲学草稿のなかにある「疎外された労働」にある「類」という名前をつけました。
「類的存在とは、人間が動物とは違い労働を通じて自己を表現することが出来る生き物であるということ。にも関わらず、現在の我々の労働はただただ苦しいだけ。これは私たちが類として疎外されているからなのである。」という概念。人類の類ということしかわかりませんが、そういう意味です。
研究者のコメントをWEBで見ました。
「人間を「類的存在」(「類的本質」をもった存在)としてとらえるとらえ方は、ヘーゲル
から始まったとされている(3)。しかし、この言葉を特別に重要な意味をもつものとして使ったのはフォイエルバッハであった(4)。フォイエルバッハによれば、人間は本質的に動物とは区別された存在であり、そういう動物とは区別される人間の特別な性格(本性)を、彼は、「人間の類的本質」と呼んだのであった。その人間の類的本質の具体的内容は、「理性・意志・心情(愛)」であった。
しかし、マルクスは、「類的本質」という言葉をフォイエルバッハから受けついだけれども、この言葉の意味を、(「動物と区別される人間の特別な性格」という意味の点ではフォイエルバッハと同じであったが)、フォイエルバッハとは少しちがう内容のものに変えた。
そのマルクスの考え方による「人間の類的本質」とは、①人間が(動物と異なって)意識〔理性・意志・心情等〕をもって実践活動〔生活・生産等を含む生命活動〕をおこなう存在であるということ(5)と、②人間が(個人だけでではなく)社会的に〔共同して〕生産や生活等の活動をおこなう存在である、ということ(6)と、の、2つの内容〔意味〕をもつものになっていた。
このうちの②の意味が、「新しい社会主義」をめぐる諸問題を考える時に、きわめて重要である、と思うので、以下では、「人間の類的本質」をこの②の意味(の面)でとらえて、それらの諸問題について考えたい。」
とありますが、良く理解できません。哲学的な思考がないので、言葉や語彙になじんでいないことがあるでしょう。研究者のコメントをWEBで見ました。
「人間を「類的存在」(「類的本質」をもった存在)としてとらえるとらえ方は、ヘーゲル
から始まったとされている(3)。しかし、この言葉を特別に重要な意味をもつものとして使ったのはフォイエルバッハであった(4)。フォイエルバッハによれば、人間は本質的に動物とは区別された存在であり、そういう動物とは区別される人間の特別な性格(本性)を、彼は、「人間の類的本質」と呼んだのであった。その人間の類的本質の具体的内容は、「理性・意志・心情(愛)」であった。
しかし、マルクスは、「類的本質」という言葉をフォイエルバッハから受けついだけれども、この言葉の意味を、(「動物と区別される人間の特別な性格」という意味の点ではフォイエルバッハと同じであったが)、フォイエルバッハとは少しちがう内容のものに変えた。
そのマルクスの考え方による「人間の類的本質」とは、①人間が(動物と異なって)意識〔理性・意志・心情等〕をもって実践活動〔生活・生産等を含む生命活動〕をおこなう存在であるということ(5)と、②人間が(個人だけでではなく)社会的に〔共同して〕生産や生活等の活動をおこなう存在である、ということ(6)と、の、2つの内容〔意味〕をもつものになっていた。
このうちの②の意味が、「新しい社会主義」をめぐる諸問題を考える時に、きわめて重要である、と思うので、以下では、「人間の類的本質」をこの②の意味(の面)でとらえて、それらの諸問題について考えたい。」
とありますが、良く理解できません。哲学的な思考がないので、言葉や語彙になじんでいないことがあるでしょう。
1度聞いたら忘れない名前だし、本人も嫌がっていないのでよしとしましょう。さて今日は日本国は移動性高気圧に覆われ、「温厚な天気」になりそうですね。久しぶりに「海の散帆」に出掛けます。
年明けからなんだかせわしく、1月24日から2月7日間まで休日はすべて防災関係の行事でつぶれました。のんびり海に浮かんでおれば最高です。
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週刊ポスト2月19日号は面白い記事がありました。
「飲みに行くのはいつも同じ人 変化や挑戦をさける 人脈硬化とNO梗塞という病」という記事です。
いつも同じ人と群れている。変化を嫌い話題も狭い。定年後は一層人づきあいが悪くなり、話相手もごく少数。という人が増えているらしい。社会参加に乏しいと病気や寝たきりになったり、認知症が進行してる傾向が出るとも言います。社会福祉学で問題になっているとか。
わたしは両親の介護ケアが8年前から始まり、結果市民活動や団体活動をいくつか辞めました。小さな商いと、両親の介護ケア、300M四方の地域防災活動の日々です。
かえって多くの人の話をよく聞けるようになりました。今まで縁が薄かった介護福祉関係の人達と知り合いになりました。また地域防災活動は、「絶望的な地域」ゆえに、異論ンな地域の人達や、躊躇なく話しかけ、人間関係をネットワークしようと日々努力はしています。
災害がおきれば避難所生活が強いられ、知らない人たち同士が不自由な生活が長期間強いられます。人間関係を自然体でこしらえる能力があれば、乗り切ることが出来ます。
両親の介護ケアにより、高齢者の気持ちが少しわかるようになりました。また体の不自由な人の気持ちが少しわかるようになりました。自然体でサポートしようと体がうごくようになりました。
最近は異質な人、自分と考え方の違い人、境遇の異なる人と話すことがとても楽しいです。人からいろんことが学べますし、いろんな世界がありことを学べます。
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2016年2月9日の朝日新聞高知版に「防災 独自の計画を 長期浸水懸念の高知・下知地区」「住民同士話し合い続く」「知恵集め良さ実感できるように」と内閣府の地区防災計画の特集記事が掲載されています。
朝日新聞記者の長田豊さんが取材いただき、詳細な記事を書いていただきました。ありがとうございました。この内閣府の「地区防災計画」。まだ歴史が浅く始まったのは3年前。1年目は12カ所のモデル地区。2年目は22地区。高知市下知地区もその1つです。
自治体が策定する地域防災計画が、地域地域の特性を十分に生かし切れていないという反省から内閣府の若手職員の着想からはじまったと聞いています。ただ「モデル事業」とありますから、たいした成果が上がらなかれば打ち切りになる可能性もあります。
高知市下知地域は海抜0メートル地帯の島、いくら行政側に避難施設や疎開を前提とした他地域との交流への支援を呼びかけても殆どO回答でした。ですので具体的な成果を下知地区で上げて、モデル事業は外し、国の施策して地区防災計画=事前復興計画が認知され、実際に予算措置が国からなされることも1つの目標です。
そうなれば高知県庁や高知市役所も目の色が変わり「ひがちに」(必死に)なることでしょう。私たちはそれを目指しています。
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月に1度の老師の整体の日でした。
「よく仕事してるね。首から肩が凝りまくり。腰もきてますね。」と手力でほぐしていただきました。ほぐれるとリンパの流れが良くなるのか軽い疲労感が出ます。
「この地で整体をはじめたのは昭和35年(1960年)のこと。今年は昭和91年(2016年)だから56年目ですね。はやいものです。」
「君も空気からエネルギーを取り入れる方法を会得したらいいよ。エネルギーは無限だし、しかも無料です。」
無料と言うことは魅力ですね。エネルギーは食物だけではない。空気中から取り入れよ。それには丹田呼吸法ができないといけないと老師は言います。
爽やかな気分になれました。老師の治療所の地殻は愛宕商店街。古い店舗は取り壊され、駐車場ばかりが増えていますね。
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先週1月31日の今治遠征に続いて、香川県まんのう町へ行きました。メンバーは高木妙、吉本豊道、大崎修二、西田政雄、横田政道、西村健一の6人。先週は今治市防災士会自主研究大会へも行きました。
昨夜から冬型の気圧配置で雪道が怖いので、時折国道32号線の猪鼻峠のライブ画像を見てチェックしました。明け方に降雪がありましたが、日の出で太陽が出ると道路から雪は消えていました。でも道路わきには雪が残り、三好市や香川県財田町ではちらついていました。
8時半に出て、途中馬立PAでトイレ休憩して10時半過ぎにはまんのう町のカフェ・ピッコロへ無事到着しました。チェーンを積んで走りましたが、道はドライで必要なかったのでやれやれです。
カフェ・ピッコロで食事会をしました。
高知市からトイレ休憩を挟んで2時間で、まんのう町のカフェ・ピッコロに到着しました。完全予約制になっています。オーナーの小谷鐡穂さんの自作の料理をいただきました。
まずは自家製パンと自家製ヨーグルトに、燻製チーズに、燻製たまご。ジャムは4種類の自家製ジャム。コーヒーと一緒に頂きました。遅いモーニング・サービスのような感じ。
チーズが苦手であるという吉本豊道さんが、「これは美味しい」と燻製チーズを食べました。(チーズはお土産に帰りに2個購入させていただきました。)
自家製のチーズ・ピザ、めんたいこピザ、りんごピザなども出て来ました。小谷鐡穂さんの料理は素材や調理方法にも工夫とこだわりがあります。一味も二味も違います。美味しくてコーヒーを2杯おかわりをしました。
確かシーズンにはミツバチも飼われておられます。燻製工房もあります。参加者一同大満足でした。小谷鐡穂さんありがとうございました。
カフェピッコロについて 完全予約制です。
香川県仲多度郡まんのう町造田2993-25
携帯 090-2100-7054 です。
http://wwwe.pikara.ne.jp/piccolo/
高知市下知地区は浮体構造物で救われます。
お食事は大満足でしたが、訪問の目的はそれだけではありません。
カフェ・ピッコロのオーナーの小谷鐡穂さんは元は橋梁技術者。橋梁建設現場の監督も歴任されておられます。
高密度発泡体による浮体構造物を小谷鐡穂さんは、4年前に提唱いただきました。3年前の2013年12月6日には下知コミュニティ・センターで講演もいただきました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-ce44.html
しかし悔しいことに未だに「海抜0メートルの島」である高知市下知地域では実現していません。
今回は「高密度発泡体による浮体構造物での下知地区での救命・救護方法」を実現できるための作戦会議でした。考案者の小谷鐡穂さんを交え、高知から参加した高木妙、大崎修二、吉本豊道、西田政雄、横田政道、西村健一(敬称略)で、小谷鐡穂さん作成のプレゼンテーション用資料を確認しながら意見交換しました。
より実現性の高い提案を各人が、それぞれの得意分野や領域で活動していくことを確認しました。詳細な報告は後日行います。
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夜須のハーバーは誰もいませんでした。海の散帆は日和見しました。明日の準備のために。
お昼前に470艇が1艇セーリングしていました。ハーバーへ寄ったときは既に着艇し片付けが終わったようでした。
海は白波はたっていませんが、ヤッシー・パークのヤシの木はしなっていますから、結構強風ですね。冬場の風はパワーがあり重たいですから。重装備(ドライスーツなど)を着用しませんと、年寄りには無理ですね。
山本宏幸さんとおっさん2ショットです。
今日は明日の香川遠征の準備があるので、夜須での海の散帆はしませんでした。とても寒くて風も強かったので年寄りには無理でしたね。
いつものおっさん2ショットです。山本さんはさすがライダーで格好がえい。わたしは建設労働者の赤ヘルですから。
2月2日にヤッシー・パーク内にオープンした「メンハウス・つなぎ、夜須製麺所」へ山本宏幸さんと一緒に行きました。
夜須出身の人が店主で都会でラーメンの修業をされ、帰京し開店されたとか。普段は「メンハウス・つなぎ」でラーメンを提供し、土曜日だけは「夜須製麺所」でラーメンを提供するそうです。
たまたま今日は土曜日。それで「夜須製麺所」のラーメン。塩ラーメンを注文しました。麺は手打ちだそうで、店内に手打ち工房が厨房とは別にあります。平たい面で、沖縄そばのような麺でした。那覇の家内の実家の近くの平松という食堂の沖縄そばを義母が鍋を持参し購入してきた頂いたことを思いだしました。
美味しくいただきました。味にこだわる店主のやる気を感じました。今度はメンハウス・つなぎのラーメンを食べないといけないですね。
帰りに前浜と浜改田で閉店しているコンビニ跡の前を通過しました。確かローソンとサークルKでありました。商売は厳しい時代ですね。
雛人形と対面しました。
今日の夜須への訪問の目的は、展示いただきましたうちの雛人形との対面もありました。他所様の雛人形と一緒にのびのびとおりました。
展示していただきましたヤッシーの女性スタッフのT木さんとT田さんには感謝です。ご無理を言いまして記念撮影をしていただきました。撮影者は山本宏幸さんです。
このヤッシーパーク道の駅での雛人形の展示は6年ほど前からとか。わたしは3年前から参加させていただいています。狭いうちの家の納戸にしまいこまれている雛人形。広い展示室でのびのびといるようで良かったです。広い大きな家に住みたいと思いますが、夢のまた夢ですね。
ヤッシー・パーク道の駅のホールでの雛人形の展示は。、3月末までの予定です。多彩な雛人形が展示されています。それぞれに個性があり良いですね。見飽きません。
狭い家の事を忘れて段飾りの雛人形を母が購入してしまいました。自宅で展示したのは記憶にない期間でした。出せば寝る場所がない有様でしたから。娘が保育園時代に組み立てて、娘が雛祭りの歌を歌っているビデオがありました。ほとんど記憶にありません。
自分が子供の時には、女の子のうちへ遊びに行って、お菓子や甘酒を御馳走になった記憶がありますが、うちは狭いので。そういう「接待」はできずじまいだったようでした。
今広いヤッシーのホールで雛人形はくつろいでいますので、よしとしましょう。女性スタッフの皆様にはお世話になっております。
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今日は薄曇りで風が朝からあり寒い1日となりそうです。父(96歳)のリハビリ・ゴルフに付き添いました。途中大橋通りのラビータ前の気温表示は7度。5度の時もありましたがその時は風はなかったんですが。今日は風があり体感温度は寒い。
シニア・レディス専用打席を利用しているのは父以外は1人だけ。やはり寒いんですね。それでも父はいつものように自己流の体操をして、水分補強(今日は自販機で暖かいお茶を購入)しました。
わたしは読書タイム。文藝春秋を読んでいます。こういう総合誌も面白いですね。
無事に125発打ち終えました。階段昇降も行きも切らさず登りました。
今から夜須へ行きます。海の散帆は日和見しました。明日の準備のため。うちの雛人形に対面してきます。
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2016年1月24日はとても寒い日でした。近所のマンションが津波避難訓練を夜間にするので、近所の有志10名が避難民となり、マンションの6階へ避難することに。
二葉町自主防災会の赤ヘルを被り避難したところNHKの取材陣がいていろいろ聞かれた映像が、さきほど流れていました。化繊の帽子の上からヘルメットを被りました。今更ながらにかっこ悪いですが、とにかく寒い日でした。
この日は朝は南宝永町の消化・避難訓練へ参加。昼は防災講演会。に,横田政道さん、吉本豊道さん、大崎修二さんらとともに>
夜はサーパス知寄町1自主防災会の夜間避難訓練
「低地に住む避難者」として参加させていただきました。マンション側の避難誘導は適切でした。無事6階の退避所へ着きました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/…/…/01/post-bfa7.html
画像は2016年2月3日にNHK高知放送局のニュース枠で放映されました。エキストラ要員が、写っていましたので正直驚いています。
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久しぶりに関西からのお客さんを空港まで送り、戻りがけにヤングプラザビルの喫茶店のアルテックへ寄りました。そしたら入り口付近に張り紙が。
「ヤングプラザビルが10月末に閉館しますので、当アルテックも10月末に閉店することなりました。42年間お世話になりました。」と書いてあるのではありませんか。店主の青山清水さんに聞きました。
「けんちゃんがこの間夕刊(高知新聞の)大きく出ていたし、地震津波対策もあるよ。何せ古い建物だし。土地・建物は弟の所有だし、後はどうするのはわからんよ。42年頑張ってきたので、少しゆっくりする。」とのことでした。
豹のマークのヤングプラザビル。郊外型の飲食店の複合ビルの先駆けとして誕生しました。青山清水さんのアルテックは外国からもビックなジャズ・アーティストが来られ演奏されたことが何度もありました。
12年ほど前に当時私はコミュニティFMの番組をやっていましたので、アルテックの歴史について青山さんに聞いたことがありました。アルテックで公開生放送もしましたね。
http://www.nc-21.co.jp/dokodemo/whatnew1/aoyama/aoyama2.html
42年前と言えば1974年ですね。わたしは当時は東京で学生生活していました。いきさつは12年前に聞いて知りました。高知のライブハウスの先駆けでもありました。閉店は本当に残念です。
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今日は商談があったので、母(90歳)と一緒にはりまや橋商店街へはいけませんでした。午後3時ごろに戻り、父(96歳)と母と一緒に主治医である横田哲夫先生(横田胃腸科内科)へ行きました。
ちょうどの合間で患者がいなく受付するとすぐに診察していただきました。父は血圧は142-84でやや高め。母は134-76で適正でした。
「お2人ともお元気で、とくに医学的な所見はありません。うちの病院でもインフルエンザのB型が出ました。手洗いやうがいを励行してください。熱が出れば(A型でもB型両方とも高熱が出る)すぐに来院いただければ特効薬がありますので。」とのことです。3月までは油断ができません。
父がインフルエンザに2年前罹患したのは3月になったからでしたので。1か月分の薬を近くの調剤薬局でいただきました。超高齢者でも元気であることは何物にも代えがたいことですね。
母と一緒に近くの調剤薬局へ行きました。
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今年は、昭和南海地震から70年目の年です。
今後30年以内に70%の確立で起きるとされる南海トラフ巨大地震。下知地域の地震は揺れは震度7、地盤は沈下し、地域全体の浸水が始まります。30分後に津波が下知地域へ到達します。
自宅から安全に避難して、地震発生後5分以内に、自宅近くの津波避難ビルに駆け上がらないと命は助かりません。
また二葉町では、ここ4年で2件の大きな火事がありました。二葉町町内会と連携して、消火栓ホース1式を1セットと、消火器収納BOXを4つ購入し、町内の中西邸に消火栓BOXと消火器BOX,前田邸と荒木邸と島内邸に消火器BOXを配置いたしました。
本年度は津波・浸水避難訓練と、消火訓練を実施する予定です。
1)消火栓使用訓練。消火器消火訓練の実施。
青柳公園にて実施。同時に炊き出し訓練も行います。
消火栓に繋いで消火放水訓練。火を消火器で鎮火する訓練をします。
高知東消防署・下知消防分団に協力要請します。
実施については、青柳公園の使用許可。高知東消防署への協力依頼が必要。
日程調整中です。
2)津波避難訓練の実施。
下知地区、一斉津波避難訓練と同時に行い予定。(日程調整中)
想定では市の防災行政無線で「津波発生・ただちに避難」を放送。
二葉町町民各位は、自宅近くの津波避難ビルへ避難。
防災リーダーは、携帯トランシーバーで、会長。副会長へ連絡。
安否確認訓練を行います。
下知コミュニティ・センターでは、炊き出しを行う。
各地区防災会も集まり、昭和南海地震の体験者の皆さんのお話と、
昭和南海地震の記録DVDを観賞する。
3)防災リーダーは各自、携帯トランシーバーを忘れず持ってきて下さい。
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南国土佐の冬は結構寒い。12月―1月の暖冬と雨が多くて下火になっていたインフルエンザがこのところ流行の兆しが出て来ています。父が週に2回通院している植田医院でもA型とB型の患者が出たそうです。
「お父さんは今のところ絶好調です。少しでも調子が悪いなと思われたら、すぐに病院へ連れてきて下さい。インフルエンザは高齢者の場合は手遅れが命取りになりますから。」と植田一穂先生に言われました。
2年前の3月に父はA型のインフルエンザになりました。丁度植田医院の通院日でしたので、すぐに鼻のなかに綿棒を入れて検査。即インフルエンザと判定。そのまま点滴室で鼻から吸うタイプのインフルエンザ特効薬を吸引。熱は半日で治まり、寝付くことはなく1週間で完治しました。超高齢者でも処置が早ければ特効薬が今はあるので完治も早いです。
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-0e80.html
同じ医院に通院されてた女性(88歳)は、同じ月曜日に発症したらしいですが、その日に医院に行かず翌日に来院。でも特効薬が期限をすぎていたので、即救急車で近森病院に救急搬送され、2週間入院したように聞きました。
仕事があるとか、用事があるとか、とにかく38度以上の熱があればインフルエンザを疑い即病院へ行ってください。1日おけば特効薬は効きませんので。
父はヘモグロピン値も11・1で貧血状態を脱していて、今は体調良好です。96歳の超高齢者が自分の足で歩行していただくことは本当にありがたいと思います。
明日は母(90歳)を連れて、横田胃腸科内科へ行きます。診察と1カ月分の薬を貰いに行きます。どこの病院もインフルエンザが蔓延し始めましたので、正直今の時期は行きたくありませんね。
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高知市下知地域は、「海抜0メートルの島」なんですね。東は久万川(浦戸湾)、西は新堀川、北は江ノ口川、南は堀川・鏡川に囲まれた低地の島です。堤防に囲まれているので、ドライエリアになっているだけです。
大地震や津波で堤防が決壊すれば、1946年の昭和南海地震同様に地域全体は水没します。70年前の荒れ地や沼地、畑や池は埋め立てられ、市街地になっています。土地が耐震地盤になっているわけでも、5M隆起したわけでもありません。
県港湾課が国の補助を受け、インプラント工法とか言って、堤防に2枚に矢板を油圧で地面に押し込んで、今の高潮堤防を強化する工事をやっています。液状化防止対策で、堤防が地震で倒壊しない、仮に津波が来てオーバーフローされても、引き波で倒壊しない堤防らしいです。果たしてどれくらいの効果があるのかどうかはわかりません。
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2016年1月31日に今治市防災士会が主催する「第5回自主防災研究大会」に下知から8人で参加しました。午前中は「市民トリアージと応急手当」の分科会に出席。昼食を挟んで全体会となり、「命にかかわる排泄ケアとトイレの問題」と言う演題で、吉川羊子さん(愛知県小牧市民病院排尿ケアセンター部長)の講演を聴講しました。
「排尿はとても大事な体の機能、尿量は1日1・2Lから1・5L位。1回に200CCから300CCが排尿されます。残さず出すのが正常です。排尿が順調に出来なくなりますと、QOL(生活の質)が著しく低下します。」
確かにそうですね、現在90歳の母が、2年ほど前に外出中に一緒に入った喫茶店で突然尿失禁しました。しかも大量に。床一面の尿でした。5分おきにトイレに行く母でしたが、当時から尿のコントロールが出来なくなっていました。
泌尿器科の診察を受けますと「切迫性膀胱炎」(?病名は忘れました)とか言われました。尿失禁後に紙パンツ式のおむつを常時履いてもらっていますが、トイレへ行きたいと思った時には既に遅しで漏らしています。昼間は2回用。夜間は6回用の紙おむつを着用しています。
最近は便失禁も酷くなり、着替えの時とかに便が床に転がるときがあります。便意を感じた時は既に便は出ている状態に。コントロールは難しくなりました。母は認知症でもあります。介護度は3の判定。でも普通に歩けます。自分で着替えも出来、食事も一般食を食べれます。尿失禁と便失禁さえなければと思う毎日です。
災害時にトイレ環境が劣悪になり、トイレを我慢するために、水分摂取を控える人が多くなり、脱水症状から健康を害する人がたくさん出ました。エコノミー症候群になる人が多かったと思います。母のように尿失禁、便失禁がありますと、避難収容所のトイレの利用は極めて難しいと思いました。
「災害時の健康管理は、排尿管理もしっかりやらないといけないです。日常生活のなかで、ご自身の排尿日記ををつけられたらいいです。何時何分に尿が何CCでたのかを記録します。それで排尿パターンを把握します。生活上の注意事項を工夫し、セルフコントロールをします。」
「仮設トイレも、一般の人達と、排尿障害のある人とが同じトイレでいのかということも考慮すべきであります。」
父(96歳)は慢性腎不全です。透析1歩手前ですが、週2回の腎臓専門医師の診察と点滴、毎日の服薬と適度な水分補給。米・パン。餅。麺類などの主食をすべて減タンパク食とし、週3回の介護予防リハビりの運動療法と、毎日の散歩でかろうじて健康を維持しています。
主治医は「脱水症状になってはいけません。脱水になりますと腎機能が弱ります。水分を多くとって、尿を出してください。決してトイレに行くのが嫌だから水分を控えることはしないでください。脱水になりますと腎臓が弱りますから。」と言われます。多分薬には利尿剤も入っていると思います。ですので尿の頻度は多い。
父は「しょっちゅうおしっこに行かんといかんから何故やろうと思う。」と嘆きます。「それは毒素を体外をおしっこにして出しているので、腎臓がげんきになるがよ。ええことなんや。」と言いましてもなかなか納得しない頑固者の父です。
普段から家族の排尿パターンを把握し、対策を事前に打たないといけないと吉川さんの講演を聴講して思いました。
「災害時にも排泄ケアへの配慮を避難所ではしてください。なかなか言い出せないことでもあります。」とも言われました。異性には言いずらいでしょう。排泄は「人間の尊厳」でもあると思います。
「携帯用のトイレも災害用のものが必要であると思います。簡易トイレも種類があります。どういう利用するのかも事前に対策をする必要があります。防災にからめた排尿障害対策をすべきでしょう。トイレの交通整理をする人も避難所に必要になります。」
「なかなか自分では口にして言えないことですので、みえない障害バッチやゴールデン・バッチの着用で排泄障害をまわりの人達に適切に伝達することも大事です。」
2年前受講した「認知症重度化予防講座」のなかでも、母の1日の尿の回数と量を測定する必要があり、通所施設にも協力していただき、水分摂取量を測定したこともありました。
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-2e17.html
排泄やトイレの重要性が良く理解出来ました。ただ具体的に何をどうするのかは、もっと学習しないといけないでしょう。母の尿失禁・便失禁について質問をしました。
「現在90歳の介護3の母と同居しています。認知症で尿失禁・便失禁があります。紙パンツ式のおむつをしています。日常生活で便失禁をした場合は、トイレのウッシュレットでお尻を洗浄したり、酷い場合は浴室で洗います。
災害時に水がふんだんに使用できない環境の場合は、感染症を防ぐためにどうすればいいのでしょうか?」と聞きました。
「自分もポリ手袋をして、石鹸を泡立たせてお尻を洗い清潔にします。拭き取ります。排尿。排便の後も清潔に心がけませんと、菌が入り膀胱炎になったり、各種の感染症になったりします。石鹸を泡立たせて、少量の水で洗浄し拭き取ることでしょう。」と回答いただきました。
吉川さんは、災害時のトイレを研究すべきであると言われます。災害時トイレの便座の素材はどうあるべきか。便気が汚れた場合に除去できるタイプでなければいけない。座面の高さはどうするのか。大柄な人、小柄な人もいますから。レスキュートイレというものもあるそうです。
便座からもノロウィルスは感染する場合があるので、衛生管理(塩素消毒)が必要であるとも言われました。
確かに食事は不自由さを我慢できましても、排泄は1時間も我慢できません。我慢した挙句に体調を崩すことになりかねません。災害時には治療を受ける病院も罹災しているので診察すら受けられません。
衛生管理や感染症防止の観点からもトイレ問題は重要であると思いました。吉川羊子先生の講演は、普段考えない、防災対策のなかでも「手抜かりになる」部分であり、多くの対策が必要な重要性に気付かせていただきました。
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