「堕落論」を読んで
下知市民図書館で日本文学全集(集英社・刊)「坂口安吾」を借りて読みました。その中に345Pに「堕落論」があります。日本が世界大戦に無残に敗北した敗戦直後の1946年4月に、40歳の坂口安吾が書いて雑誌新潮に発表し、直後から大きな反響をあった評論でした。
「昔,四十七士の助命を排して処刑を断行した理由の1つは、彼らが生きながらえて生き恥をさらしせっかくの名を汚す者が現れてはいけないという老婆心であったような。
現代の法律にこんな人情は存在しない。けれども人の心情には多分にこの傾向が残っており、美しいものを美しいままで終わらせたいということは一般的な心情の1つのようだ。」(P345)
そういう書き出しから「堕落論」は始まります。70年前の文章とは思えない「現代性」を読んでいて感じました。
「武士は仇討のために草の根を分けて乞食になっても足跡を追いまくらなければならないと言うのであるが、真に復讐の情熱をもって仇敵の足跡を追い詰めた忠臣孝子があっただろうか。
彼らの知っていたのは仇討の法則と法則に規定された名誉だけで、元来日本人は最も憎悪心の少ないまた永続しない国民であり、昨日の敵は今日の友と言う楽天性が実際の偽らぬ心情であろう。
昨日の敵と妥協否肝胆相照らすのは日常茶飯事であり、仇敵なるがゆえにいっそう肝胆相照らし、たちまち二君に仕えたがるし、昨日の敵にも仕えたがる。生きて捕虜の恥を受けるべからず、というが、こういう規定がないと日本人を戦闘にかりたてるのは不可能でなので、我々は規約に従順であるが、我々の偽らぬ心情は規約と逆なものである。
日本戦史は武士道の戦史よりも権謀術数の戦史であり、歴史の証明をまつよりも自我の本心を見つめることによって歴史のカラクリを知りうるであろう。」
「今日の軍人政治家が未亡人の恋愛について執筆を禁じた如く、古の武人は武士道によってみずからのまた部下たちの弱点を抑える必要がある。」(P346)
坂口安吾は70年前に物凄くラジカルなことを「ひょうひょうと」こと無げに言い放っています。このあたりの坂口安吾の素養の凄さと本質をずばり言い放つ文章の凄さですね。
「私は天皇制についても、きわめて日本的な(したがってあるいは独創的な)政治的作品を見るのである。天皇制は天皇によって生み出されたものではない。
天皇は時に自ら陰謀を起こしたこともあるけれども、概して何もしておらず、その陰謀はつねに成功したためしはなく、島流しになったり、山奥へ逃げたり、そして結局つねに政治的な理由によってその存立を認められてきた。
社会的に忘れれた時にすら政治的に担ぎ出されてくるものであって、その存立の政治的理由はいわば政治家の嗅覚によるもので、彼らも日本人の性癖を洞察し、その性癖の中に天皇制を発見していた。
それは天皇家に限るものではない。代わりうるものならば、孔子家でも釈迦家でもレーニン家でもかまわなかった。ただ代わりえなかっただけである。」(P347)
日本史における天皇制を正しく坂口安吾は記述していますね。それが天皇制の本質ですね。となりますと明治維新以来明治政府によって、「西欧化した」天皇制は、日本的なものではなく、「異物」であったということがよくわかります。
とにかく坂口安吾の独自に世界観はとどまることを知らない。少し長いですが著作から引用させていただきます。
「終戦後、我々はあらゆる自由を許されたが、ひとはあらゆる自由を許された時、自らの不可解な限定とその不自由さに気付くであろう。自らの不可解な限定とその不自由さに気付くであろう。人間は永遠に自由ではありえない。なぜなら人間は生きており、また死なねばならず、そして人間は考えるからだ。
政治上の改革は1日にして行われるが、人間の変化はそうは行かない。遠くギリシャに発見された確立の一歩を踏み出した人性が、今日どれほどの変化をしているであろうか。」
「人間。戦争がどんなすさまじい破壊と運命をもって向うにしても人間自体をどうなしうるものではない。戦争は終わった。特攻隊の勇士は既に闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。
人間は変わりやしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことは出来ないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は墜ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。」
「戦争に負けたから墜ちるのではないのだ。人間だから墜ちるのであり、生きているから墜ちるだけだ。だが人間は永遠に墜ちぬくことは出来ないだろう。なぜなら人間の心は苦難い対して鋼鉄のごとくではありえない。
人間は可憐であり脆弱であり、それゆえ愚かなものであるが、墜ちぬくためには弱すぎる。人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみだすにはいられず、天皇を担ぎ出さずにはいられなくなるであろう。
だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちることが必要なのだ。そして人のごとく日本もまた堕ち切ることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。
政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。」(P352)
なんとも見事な日本の歴史と社会の鳥瞰であり、巧みに「矮小化して」一刀両断しています。ここまで小気味よい社会評論を読んだことはありませんでした。70年前の文章とは思えない時代を超えたところがありますね。
新たな立ち位置を坂口安吾は日本国民に示したと思います。いやはや感服いたしました。恐れ入りましたとしか言えません。
また巻末の奥野武男氏の評論も興味深いものがありました。
「今まで罪の意識を抱きながら闇屋をやっていた元特攻隊員もはじめて生きるための自己の行為に自信を持つことが出来た。今まで自分を縛りつけていた道徳の虚妄性を知り、自分のやりたいことをやるのがほんとうの人生なのだと気づく。
はじめて戦後という時代の自由さ、自我の主体性と実感的にめざめたのだ。よし世間がどう批判しようとも、自分は自分の道を進もう、それを堕落というなら堕ちるところまで堕ちてやろう、どうせ戦争で死ぬはずだった身だ。今まで人がやれなかった生き方をしてやろう。
人々は安吾の「堕落論」を読み、きゅうに目っからうつぱりがとれ、戦争の呪縛から自由になり、自分の人生の自由さ、自分の力というものに気がついたのだ。ここからぼくたちの戦後がはじまったのだ。」(P413「作家と作品」)
当たり前のことを自然体であたりまえに言い切る坂口安吾は、敗戦後のあの時期に「堕落論」を出したことで、人々に勇気を与え、人生の糧を与えた先駆者でありました。「無頼派」と言われた文学者であり太宰治、石川淳、織田作之助、伊藤整、三好十郎、檀一雄、田中英光らに影響を与えた巨大な存在だったそうです。
しかし朝鮮戦争後の相対安定期にはいるや、「戦後派」と言われた作家が台頭し、坂口安吾は「ドンキホーテ的」とまで言われるようになり、」昭和30年(1955年)に50歳で亡くなってしましました。奥野氏は「自爆のごとき死をとげた。」と言いました。
「坂口安吾は、典型的な日本人の精神構造の原像であり、かつその可能性を日本人ばなれした大きさにおいて表現しようとした文学者であるのだ。」(P413「作家と人生」)
この坂口安吾作品集のなかでは、黒田如水を描いた「二流の人」と豊臣秀吉の晩年を描いた「狂人遺書」を読みました。2つの作品とも2014年のNHKの大河ドラマ「軍事官兵衛」を真面目に見ていましたので興味深く読みました。
坂口安吾は黒田如水を「能力はあるが、所詮は2流の人。晩年の関ヶ原の折の九州での決起は見苦しい。」と切り捨てていますね。秀吉の晩年の朝鮮侵略は、領土獲得ではなく明帝国との対等貿易をして、富を独占するための無謀な戦争であったとの独自の解釈で興味がありました。
あの日本人が自信を失っていた敗戦直後に坂口安吾の存在は、建前に縛られるな、戦争で生き抜いた命は精一杯自分のために使え。はばかるな。自分らしくせよ。と皆を励ましたのです。今読んでも古さは全く感じません。
安倍内閣は「歴史解釈を捻じ曲げ」、古き良き軍国時代の日本に先祖返りすることが素晴らしいことであるとマスコミを大々的に活用し、国民各位に刷り込みをしています。
でもその「帰ろうとする日本の時代」が、窮屈であり、退屈であり、本来の日本人の気質には合わないものなのだ。と坂口安吾は「堕落論」で言い切っています。
アメリカに追随し、原発を稼働させ、新自由主義経済で格差社会をこしらえ、全体主義国家をこしらえ、憲法を破壊し、基本的人権を制約する「窮屈で。面白おかしくない社会」なんぞまゅぴらご免ですね。坂口安吾は戦前・戦中の日本社会の異常さ、不自然さを見事に批判していて讀んでいて爽快でした。現代の日本人は坂口安吾のの批判精神学び、活用しないといけないと思いました。
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