「すべての道はローマに通ず」を読んで
「ローマ人の物語 X すべての道はローマに通ず」(塩野七生・著)を読みました。この書籍につきましては3度目の読書です。1回目、2回目とは「ローマ人の物語」全15巻(文庫本ですと43巻〉ある超大作です。1巻からずっと読んでいて通読したのでした。
筆者自身が「特別な想い」で調査して1冊にまとめたそうです。古代ローマ帝国の社会基盤整備である道路・水道・橋・公会堂・浴場・神殿などが、数百年以上保全され、本国のみならず軍事征服した属州となった地方にもこの種の公共施設は分け隔てなくありました。
今,日本国では高度成長期の1970年代に建設された橋梁やトンネル、道路などの公共財が耐用年数が来てしまい、修繕もままならぬ状態で放置され、大きな問題になっています。しかるにローマ帝国時代においては、帝国が健在であった800年間は道路など社会基盤は維持されていました。
古代国家が可能であったのは何故なのか。現代国家は財政破たんにあえいでいる。ローマ帝国は何故巨大な公共施設(道路・橋・水道など)の建設が帝国の隅々まで可能であり、維持管理が可能であったのか?そこを知りたかったのです。
なにせ大長編であり、筆者のライフワークの1つの著作だけに調査活動も半端ではない。読む方も覚悟がいります。とは言え精神的にはタフではないので、印象に残った文言を気の付いたことをあげていく程度にします。
「常に複数の選択肢を持つべきだとするローマ人の考え方は、ごく自然に、街道のネットワーク化に向かったであろう。全線舗装の街道は、ローマ人の発明ではない。
前5世紀のペルシャ帝国にすでに、歴史家ヘロドトスを驚愕させた、ペルシャ湾から地中海に抜ける街道があった。しかし、道とはネットワーク化してこそ飛躍的な効果をもたらすことに気付き、それを実現したのはローマ人である。
ローマ街道は、街道網として考えない限り、その真の偉大さは理解できない。」(P35)
ローマ帝国の特色は、関所や城壁に拘り、外敵を防ぐと言う考え方は基本的にはしないようです。今の時代なら複線の高速道路網を帝国の隅々まで建設・維持していました。それはネットワーク化されていました。
建設は維持管理作業は軍隊がやっていました。車道は舗装され4M幅がありました。軍隊の馬車がすれ違いが出来る幅でした。その両横には幅3Mの歩道が必ず設置され舗装されていました。道路幅はあわせて10Mはありました。街路樹も道路と離されて植えられていました。
この仕様の幹線道路網は帝国の隅々まで敷設され総延長は8万キロとか、砂利道の支線はを合わせると15万キロの道路網がローマ帝国内に整備されていました。
「インフラストラクチャーという英語自体が。ローマ人の言語であったラテン語の下部ないし基礎を意味する「インフラ」と構造とか建造を意味する「ストウォールトゥーラ」を現代になって合成した言葉なのである。
中略
いずれにしても、語源がラテン語にあるということ自体が、ローマ人が「インフラの父」であった何よりの証明であり、このテーマだけに独立した1巻を捧げる理由は充分にあると思ったのであった。」(P15)
「ローマ人の考えていたインフラには、街道、橋、港、神殿、公会堂、広場、円形闘技馬、競技場、公共浴場、水道等のすべてが入ってくる。
ただしこれはハードとしてもよいインフラで、ソフトなインフラになると、安全保障、治安、税制に加え、医療、教育、郵便、通貨のシステムまで入ってくるのだ。これらすべてをとりあげない限り、ローマ人のインフラを論じたことにはならない。」(P16)
「-今や、わたしのようなギリシャ人にとって、いや他のどの民族にとっても、行きたいと思う地方に旅することは、身分を証明する申請さえ必要としないで実行に移せる、自由で安全で容易なものになっている。
ローマ市民権の所有者であるだけで、いや、ローマ市民である必要さえもない。ローマの覇権の許でともに暮らす人であるだけで、自由と安全は保証されるのだ。」(P133)
「ローマ帝国は、彼らにしてみれば一大家族なのであった。こう考えていたからこそ本国も属州も区別なく街路網をめぐらせていったのであろうし、また人間生活に最も大切な要素である水も、どこにでも十分にいきわたることを目的にしたシステムの確立に、務めたのではないだろうか。」(P134)
大きな理念ですね。英国がEUから離脱するなどと現代社会では大騒ぎ。移民問題で国内外の対立が深まっています。でも古代ローマ帝国の版図は欧州だけではなく地中海全体でした。北アフリカやトルコや中東地域も属州であり、その地域にも本国ローマと同様インフラ各種が整備されていました。街路や水道はむろんのこと。
古代エジプトのように1人の権力者の死後の墓のために人民大衆を動員してピラミッドを建設する発想とは根底から異なっていたよいうですね。
とにかくローマ帝国の版図と8万キロと言われる街路のネットワーク。本国だけではなく属州にもある公共施設や公共建築物。今や遺跡としても数多く残り、1分の水道は今でも活用されています。
日本国では公共事業が何かと悪者扱いされますが、それは工事の在り方や、何をもって公共と言うのかの議論が十分にされず、一部の政治家と権益者が好き勝手にやっているという悪評があるからですね。それでは公共建築物の長期の維持管理など出来る筈はありません。
書籍に添付されている遺跡となったローマ帝国時代の公共建築物を眺めるだけでも壮大な帝国の理念の壮大さには心を奪われます。
「紀元前3世紀とは、偶然にしろ地球の東と西とで大規模な土木工事がはじまった時代である。東方では、万里の長城―前3世紀の秦の始皇帝時代に建設された長城だけではなく、16世紀の明の時代の建設の長城まで加えると、その全長は5千キロに及ぶ。
西方では、ローマ街路網―前3世紀から後2世紀までの500年間にローマ人が敷設した道の全長は幹線だけでも8万キロ、支線まで加えれば15万キロに達した。
なぜ、支那とローマは、国家規模の大土木事業をはじめるのに際し、一方は長城の建設を、他の一方は街道の建設を選択したのだろうか。もちろん古代のに街道がなかったわけではなく、同時代のローマに防壁がなかったわけではない。重点がおかれていたのが、長城か街道かの相違である。」(P14)
引用がながくなりますが、筆者の核心が記述されている部分ではないかと思いますので・・。
「パクス・ロマーナの確立以前、時代にすれば紀元前になる共和制時代のローマ人は、戦争ばかりしていたのである。それでいながら防壁の建設よりも街道の建設のほうを優先したのだった。
こうなると長城を建設した支那人と街道網を張り巡らせたローマ人のちがいは、国家規模の大事業とは何であるべきか、という一時に対する、考え方のちがいにあったのではないかと思えてくる。防壁は人の往来を絶つが、街道は人の往来を促進する。自国の防衛と言う最も重要な目的を、異民族の往来を絶つことによって実現するか、それとも自国内の人々の往来を促進することによって実現するか。
両民族のこの面での考え方の相違は、支那とローマという古代の2大強国にとって、国家のありようまでも決めることになるのである。」(P24)
2016年の米国大統領選挙の予備選挙で、共和党のトランプ候補は「不法移民をシャットアウトするためにメキシコとの国境にチョイ長城をこしらえる。」「テロを起こす可能性があるイスラム教徒は入国させない。」とまくしたてました。まさに「世界国家」アメリカの終焉を体現した言葉ですね。
「彼等は道路とは、国家にとっての動脈である、と考えていたように思われる。だからこそ、1本や2本の街道を通したぐらいでは十分と思わず、街道網を張りめぐらていったのではないか。血管の中を通って体の隅々まで血液が送られてこそ、人間は生きていけるのだから、国家が健康に生きていくのにも、血管網は不可欠だ。
道路自体はローマ人の発明ではない。しかしそのネットワーク化は、しかも常にメンテナンスを忘れないようにしてのネットワーク化は、まったくのローマ人の独創である。そして、ネットワーク化による機能の飛躍的な向上に着目したこと自体が、ローマ人が現実的で合理的な民族に育てていくことにもなった。
インフラとは膨大な経費をかけ多くの人々が参加し長い歳月を要して現実化するものであるだけに、ハードな分野の成果では終わらずにソフトな分野、つまりは精神の分野まで影響をもたらずにはすまないものなのだ。言い換えられ馬、インフラがどう成されるのか、その民族のこれから進む道まで決めてしまうのである。(P26)
水道事業を民営化するなど、公は効率が悪いから民営化すればインフラが安く維持できると称して、メンテナンス費用を削減したあげく、トンネル内の天井が劣化し落下。多くの死者を出した事件も日本ではありました。古代のローマの方が考え方も立派です。
「人間がローマ街道を行く速度を上回る速さで目的地に到達できるようになったのは、19世紀半ばからはじまった鉄道の普及によってである。そして水道。20世紀には、どの家でも蛇口をひねれば水が出てくるという進歩を、われわれに恵んだ。ただし、水道料金を張らxるて。だが、この文明の進歩に浴しているのは、世界の住む人々のすべてではない。水不足に苦しむ膨大な数の人々の問題は、21世紀からの最大課題の1つとされているのである。
ローマ人はしばしば、人間が人間らしい生活を送ることを、文明という一語で表現していた。」(P30)
公共事業の在り方。維持管理の在り方を先駆的事例としてローマ帝国から学びました。勉強になりました。同時のいかに現代社会がちゃちで、公共財の維持管理もろくに出来ない脆弱な社会であることを思い知りました。
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