« 2016年8月 | トップページ | 2016年10月 »

2016年9月

2016.09.30

叔母が100歳で亡くなりました。

さきほど従兄弟からの連絡がありました。

「母が午後8時に息を引き取った。まだ暖かい。苦しまず眠っている中で逝ったようだ。午後6時に元気でにこにこと挨拶していた。」

「2日に100歳の誕生会を一族で行った。23日に町から銀杯と表彰状をもらったばかり。ほっとしたこともあっただろう。」

 まさに大往生と言えますね。月曜あたりが通夜式で、告別式は火曜だろうか?台風18号が心配です。

 3歳下が父(97歳)です。人はいつかは亡くなります。北海道の叔母も先月亡くなりました。94歳でした。うちは父(97歳)と母(90歳)が元気でいるだけで感謝しないといけないと思う。合掌です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

母とはりまや橋サロンへ行きました


Hahaaruki_r

 なんだかすっきりしない高知市でした。蒸し暑くどん曇りでしたので、歩行補助車を持って行きませんでした。ですので、母(90歳)とは仲良く手を繋いではりまや橋商店街、魚の棚商店街で買い物をしました。
_r

 まずはコロッケ・ひろっちゃんで夕飯用のコロッケを購入しました。次に谷ひろ子さんのお店で、焼き菓子とチョコケーキを買いました。少し時間がありましたので、コーヒーと焼き菓子も頼みました。
_r_2


_r_3

 10円饅頭も購入しています。
_r_4

 今日の活き活き100歳体操(介護予防体操)は、12人の参加者があったようでした。母も一緒に頑張って体操をしていました。先週は会社からの急用で体操をせず急遽帰りましたので、2週ぶりの体操でした。
_r_5


_r_6


_r_7


_r_8


_r_9


| | コメント (0) | トラックバック (0)

ソーラー街路灯設置は日照不足で断念。国際信号旗は掲揚します。


_r


_r_2

 2016年9月27日(火曜日)、高知市地域防災推進課職員たちが、津波避難ビルに設置すべく太陽光ソーラー街路灯の現地調査に、下知コミュニティ・センターへ来ました。下知地区減災連絡会からは西村副会長と横田政道若松町自主防災会会長が立会しました。

 結論は「下知コミュニティ・センターの出入り口は北を向いており、市道を隔てた歩道に街路灯を設置しても冬場は影になり日照時間が確保できない。高知ホタル・プロジェクト仕様の太陽光蓄電ソーラー街灯は設置できません。」ということになりました。

 下知コミュニティ・センターは、単なる津波避難ビルではなく、国道32号線より南地区では唯一の避難収容所施設でもあります。地域防災拠点として重要な施設です。他の手段で停電時の照明の確保を検討しなければならないです。

 屋上部の国際信号旗掲揚のためのポールの固定化について、施設管理者である高知市地域コミュニティ推進課に打診をし、5階屋上部に仮設してある様子も現地確認いただきました。
_r_3


_r_4

 こちらは市側の直接費用負担はなく、ポールも国際信号旗もロープも滑車も防災部会などが、負担して用意しています。屋上金具への固定化の申請です。金具などで倒れないように設置し、避難準備情報が発令したら、近所に居住する二葉町防災会部員が、ただちにV旗を屋上ポールに掲揚します。
_r_5

 またポールの最上部には、ソーラー式蓄電式点滅灯が付いていて、夜間は点滅するようになっています。許可が出ましたら直ちに設置します。
_r_6


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.29

減災・防災にLPガスは優れものです

_r_5


2_r


_r

 災害時のリスク分散の考えかたで個人の住宅も都市ガスからLPガスに変更しました。それは下知コミュニティ・センター屋上に災害時対応のLPガス災害時ユニットを設置する高知市への働きかけの中でそう強く思いました。
_r_2

 ガスですので都市ガスもLPガスも調整すれば、ガス機器はそのまま使えます。ガスコンロも給湯器もです。LPガスは独立した熱源ですので災害時でもボンベがあればすぐに使用できます。
_r_3


_r_4

 またLPガスの発電機は優れものです。2016年9月22日のJICA研修生との意見交換会の中で、下知コミュニティ・センター屋上でLPガスで熱湯を沸かし、当日の昼食はアルファ米のチキンピラフやエビピラフを食べました。袋にそのまま熱湯を入れて15分で出来あがりです。

 LPガス発電機も稼働させて投光器も点けました。900Vまでの電源です。インバーターなのでパソコンも使用できます。

 うちも個人的にLPガス発電機が欲しいですね。900W仕様で20万円程度だそうです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.28

自主防災会組織リーダー研修会

 2016年9月25日(日曜日)は、午後1時半から、高知市春野町にある高知南消防署南部分署にて、「自主防災会組織リーダー研修」(主催・高知市自主防災組織連絡協議会)の研修に参加しました。下知地区減災連絡会では、西村健一副会長(二葉町自主防災会)と横田政道若松町防災会会長、大崎修二弥生・日の出自主防災会準備会役員が参加しました。初月連合防災会の松下会長も参加されていました。

 高知市地域防災推進課からは、島内、中山の2人の女性職員が参加されていました。
_r_11


_r_12

 最初に4つのグル―プに分けられました。各自自己紹介をして、各地域の現状を説明しました。高知市警防課の和田氏がオリエンテーションと地域防災リーダーの育成研修をしました。

 各グループで「お困りごとや課題」をそれぞれ出しあいました。共通するのは、「いつも参加するのは年配者ばかりで、固定化する。」「若い世代の参加が極めて少ない。」「住民の災害への関心が薄い」「リーダー層と住民各位の情報格差」などが出されました。
_r_13

 また「各地域で紹介したいこと」は、さまざまでした。「小学校の参観日で防災訓練として地域で関心を高めた。」「防災士と連合町内会との連携に努めた。」「孤立化地区にヘリポートと衛星携帯電話設置を要望」「地域同士の交流の継続」「災害時の相互支援協定の提案」「早朝避難訓練を実施」「防災運動会の実施」など様々でした。
_r_14

 続いて座学になりました。講義で印象に残ったことを記述します。


「世界の発生する大地震の2割は日本で起きている。日本人は地震とうまく付き合わないといけない。」

「災害は変わらない。変わらなければいけないのは人の方です。」

「まず揺れから守ることが大前提、家具の固定と耐震補強をすれば大幅に死者は減少するはずです。」

「公助には限界があります。高知市消防職員は354人です。3交代勤務ですので、現場へすぐ出れる職員は50人足らずです。119番されても大災害時には対応できません。」
_r_15
「一般の人は自分だけは災害には合わない。もし災害になっても自分だけは救助が来ると思い込んでいます。そうではないことを阪神大震災や東日本大震災、熊本地震から学びましょう。」

「共助が自助を引っ張り上げます。」
_r_16

 続いて重量物からの救出訓練をしました。車を重量物と想定し、車に装着しているジャッキを使用して、救助する訓練を人形を使って行いました。

 普段使いをしている車用のジャッキで重量物を持ち上げ、救助する場合の注意点をいくつか言われました。

1)数人を集め、救助活動を開始する。その場合リーダーを即決める。リーダーは指揮を取り指示をし続けること。

2)ジャッキを重量物に当てる場合は、硬い平らな場所を確認し、当て板などをすること。

3)見張り役を決め、履行すること。周りの人達に連絡役を頼むこと。

4)重量物が万が1倒れ掛かってもすぐに脱出できる姿勢を意識すること。
_r_17


_r_18


_r_19


_r_20


_r_21

 後はクラッシュ症候群を防止するためには、今治市防災士会から学んだことは、励ましながら水分補給をさせることでしょう。感想文とアンケート用紙に記入して、訓練研修は終了しました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.27

午前中は、父(97歳)の付添で植田医院で診察と点滴を昨日に続いてしました。


23_new_r

「血液検査の結果はおおむね良好です。クレアチリン値も2.15と良い数字です。ただヘモグロピン値が9.4と腎性貧血です。でもそれは鉄分欠乏ではありません。脱水から来ていると思います。」と植田一穂先生。

 9月も終わりに近いと言うのにこれほど蒸し暑ければ体調管理は難しい。植田医院も点滴に来院される人の多い事。
Titimatiai_r

 父が点滴の間、最近できたと言うセブン・イレブンへ。元ルイビトン・高知店跡に入居。通常のコンビの倍のスペースであるが、コンビニ仕様の商品で埋め尽くすことが出来ず、空いた空間が多くなんだか空しい。文化の象徴がコンビニとは高知市の現実が悲しすぎますね。
Sebunirebun_r


| | コメント (0) | トラックバック (0)

下知地域の津波避難ビルには国際信号旗を掲揚しよう

 国際信号旗(こくさいしんごうき、international maritime signal flags)は、海上において船舶間での通信に利用される世界共通の旗である。その使い方は国際信号書(こくさいしんごうしょ、International Code of Signals、INTERCO)によって定められており、国際信号旗による信号を旗旒信号(きりゅうしんごう、Flag Signalling)と呼ぶ。

中世ヨーロッパでは、船舶間の通信に旗を用いることが行われてきていた。18世紀にはイギリスのリチャード・ハウが主に数字を意味する複数の信号旗を用い、その数字を符号として単語に置き換え、旗の掲揚を繰り返すことで、文章も含めた通信を行なう方法を考案した。これはホーム・リッグス・ポップハムによって改良され、トラファルガーの海戦でも通信に使用された。これらが発展し、1857年に国際信号書として、国際信号旗が定められた。

(ウィキペディアの記述から引用しました。)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E4%BF%A1%E5%8F%B7%E6%97%97

 1857年に世界の海を当時支配していた大英帝国が国際信号旗を。船舶間の通信手段として整備し、確率したようです。

 AからZまで26の旗があります。1つ1つに意味がります。また2つの旗の組み合わせ、3つの旗の組み合わせで、相互の通信と対話が出来ます。

 最近でこそ、大地震後の浸水時に孤立した津波避難ビルの住民同士がスマートフォンのWIFI機能を活用した「スマホDEリレー」という仕組みも東北大学で開発されてはいます。

 下知地域での国際信号旗の活用の提唱は、若松町自主防災会会長の横田政道さんです。津波避難ビル同士の通信は、携帯型ポータブル・トランシーバーでやっていました。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-ba99.html

 2年前に二葉町自主防災会と下知地区減災連絡会で津波避難ビル同士の情報伝達の確認をしました。下知コミュニティ・センター屋上からは、目視できるビル同士の交信は出来ますが、電車通りを超えると電波が届きません。

 当時横田さんがいろいろ無線機を購入して試験しました。届く無線機は「違法」になります。電波法に抵触するほど電波が強い。消防などが使用する無線での伝達を地域の防災会で情報を共有するというテーマでしたが、現行法の壁が分厚く実現しませんでした。

 そこで、元海上自衛官であった横田政道さんが考案したのが国際信号旗でした。若松町自主防災会は実際に避難訓練を国際信号旗を使用して実施しています。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-3a5d.html

Kokusaisingouhata_r

 下知コミュニティ・センター防災部会でも、横田さんに習い、国際信号旗を下知コミュニティ・センターに必要最小限購入し、防災倉庫に保管しています。JICAの研修生の皆様との意見交換会時には、屋上に横田政道さんが国際信号旗を掲揚していただきました。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/jica-634b.html

 今後の課題は、避難所開設時に「日常化」することです。掲揚するポールも仮設していますが、施設管理者の許可を得て、常設化したいと考えています。
_r_9


_r_10

 下知地区の津波避難ビルや、地区防災会指定の津波一時退避場所にも国際信号旗がビル屋上に掲揚されることを目指したいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.26

高知市下知地区でJICA研修生との意見交換会が開催されました。

 2016年9月22日(秋分の日)は、JICA(日本の政府開発援助(ODA)を一元的に行う実施機関として、開発途上国への国際協力を行っている。)の研修生14人が朝9時半に下知コミュニティ・センターへ来られました。

 高知大学大槻准教授が窓口になり、バングラデッシュ、チリ、フィディー、グレナダ、ガイアナ、ジャマイカ、ナウル、パラオ、フィリッピン、ソロモンからの来訪者の皆様で、お国では防災担当の責任者です。

 下知減災連絡会スタッフ各位は、午前8時半集合で準備作業をしました。屋上へ国際信号旗の掲揚を横田政道さんがされました。訓練旗のU・Y旗とV旗(避難者がいます)。W旗(医療支援が必要)を掲揚しました。
_r


_r_2

 9時半から研修が始まりました。まずは大槻知史准教授が「学校教育・市民教育・コミュニティ防災」について講演をされました。すべて英語による説明なので理解度は数%でした。
_r_3

 続いて高知市地域防災推進課山中晶一係長が「高知市におけるコミュニティ防災」という表題で講演されました。「高知市における自主防災組織の特徴」「高知市における防災計画」「下知地区と高知市地域防災推進課との連携」について話をされました。
_r_4


_r_5

 終了後全員で屋上へ集合しました。そこでは下知コミュニティ・センターの施設であるLPガス災害時・ユニットを使用して。非常食(アルファ米)に熱湯を注ぐために、お湯を沸かしています。システムの説明をLPガス協会(ツバメガス)の小吉さんがされました。LPガス発電機で投光器の電氣の確保の実例も示されました。
2_r


_r_6


_r_7

 沸騰したお湯をアルファ米(今回はチキン・ピラフ)に注ぎ、15分封をします。坂本茂雄さんが実演しました。屋上に掲揚してある国際信号旗の説明をして、3階へ移動しました。
_r_8

 そこで皆で食事をしました。アルファ米としては、チキン・ピラフ、エビピラフ、白米と缶詰パンがありました。飲料水は5年保存のものを使用しました。
_r_9


_r_10

 昼食後は3つの班にJICA研修生の皆さんも別れ下知まち歩きをしました。目的は下知地区がいかに低地なのか。また川や海に近いか。津波避難ビルはどうなのかを歩いて体験していただくことです。下知地域の現状がJICA研修生の皆さんも体感できたと思います。
_r_11


_r_12


_r_13

 C班は、二葉町―若松町の下知地区南岸コースです。下知コミュニティ・センターから、二葉町の古い低層木造住宅密集地区へ向かいます。途中二葉町自主防災会の消火栓ホース・セットと消火器セットの格納箱を見ていただきました。

 高知で自動車交通量が1番多い国道56号線沿いを歩きました。途中民間賃貸マンションで市指定の津波避難ビルの岡村ビルを確認しました。続いて二葉町歩道橋に上りました。
_r_14

 海抜5・3M程度の高さがあるので、地域の中での津波避難タワーの機能は果たすと思います。
_r_15

 続いて地区指定の「津波一時退避場所」(二葉町では11カ所あります。5階建てですが、昭和56年以前に建築された新耐震以前のビル。高知市の津波避難ビルにはなっていません。)屋上まで階段を昇降しました。

 続いて鏡川大橋の落橋防止・チェーンを見学し、堀川浮桟橋を歩きましたb。いかに市街と海が近いか、隣接している現実を体験いただきました。堀川水門を横目に見て、二葉町の耐震護岸工事の現場を歩いて、若松町へ向かいました。
_r_17

_r_18

 若松町では町内会の橋本副会長が、低地の住宅街である若松町の現状説明をしました。

 50分ほどまち歩きをして下知コミュニティ・センターへ戻りました。

 午後の講演は、下知地区減災連絡会西村副会長が、「下知地区のこれまでの防災への独自の取り組みと、今後のビジョン(地区防災計画=事前復興まちづくり計画」について説明をしました。

 続いて下知地区減災連絡会坂本事務局長から「マンション自主防災会の取り組みと昭和小との防災教育での連携」が述べられました。
_r_19


_r_20

 講演終了後、JICA研修生たちは下知まち歩きの班ごとに集まり、下知地区スタッフと意見交換会をしました。

 JICA研修生の皆さんから多様な意見を聞くことができました。
_r_21


_r_22


_r_23

「歩くと本当に低地でたくさんの人が住んでいる市街地であることがわかりました。家も古い低層の家が多く心配です。」

「歩道橋は髙さ5・3Mあり、津波による浸水を避けられる。であるならば、下知地区にいくつか横断歩道橋型避難タワーをこしらえるべきだ。」と言われました。

 高木妙さんが、静岡県吉田町の大規模な横断歩道橋型津波避難施設の紹介がありました。

「下知地区には、高知市指定の津波避難ビルが少ない。地区住民が賃貸マンションの所有者と独自の協定を結んで、「地区津波一時退避場所」が二葉町は11カ所、7か所あります。)。地区津波一時避難場所を市指定の津波避難施設にしないと多くの人が津波から逃げ切れないだろう。」

「下知コミュニティの皆様の真摯さや真剣な取り組みに感激しました。地震災害。津波災害に脆弱な地域にお住まいであることを理解することができました。」

「海と川の耐震護岸工事はいいことで理解できます。下知地域は低地で海沿いなので、液状化が心配です。なにか対策はあるんでしょうか?」

 それに対しては「液状化対策はやれないことはないと思います。まずは「命を守る」ことが第1歩。続いて「命をつなぐ」ことです。事前に可能な限りの対策は、個人でも地域でも企業でも行政でもしないといけないです。

 JICA研修生を代表して、感謝の言葉をいただきました。JICA研修生の皆様も大変熱心に受講いただきました。下知のローカルな発想や実践例が、褒められました。本当に真摯な皆さんでした。有意義な1日を過ごすことができました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.25

父(97歳)のリハビリ・ゴルフ

 今朝は雨模様でしたが涼しい。朝8時半過ぎの大橋通りのラビータの温度表示計は23度でした。同時刻に30度を記録していた時期から言えば随分涼しくはなりました。

 いつものように父(97歳)は、自己流の体操と水分補給(OS-1・経口補水液)をして球をゆっくりと打ちます。
_r


_r_2


_r_8

 今日は先週よりペースが早い。調子がいいのでしょう。10時前に打ち終えました。
_r_3


_r_4


_r_5


_r_6

歩きも階段昇降も歩みは遅いですが、なんとか自分の足で歩いてはいます。超高齢者の父のとりましては、趣味のゴルフの練習をすることが、何よりの生きがいのようですね。
_r_7


2_r

 戻ると家内が待ち構えていて、近くのスーパーへ買い出しに。8倍だそうです。今日は午後1時過ぎから消防の指導で「重量物からの救出訓練」があります。重労働ポイので、年寄りは実践ではなく見学になるかもしれませんね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

入ってくる情報をいかに地域に伝達すればいいのか

  2016年9月22日(木・祝日)は、昨年に続いて高知大学の養成で、JICA研修生(途上国の防災担当者)の下知地域での意見交換会の受け入れをすることになりました。地域コミュニティ防災のありかたの報告や、下知のまち歩きなどを予定しています。

_0001_new_r


Jica_new_r


_new_r

 9月25日(日)は、午後から、高知市自主防災組織連絡協議会主催で、高知市南消防署南部分署(春野)にて、下知地区減災連絡会では、副会長の西村と、若松町自主防災会会長の横田政道さんと、弥生町自主防災会準備会の大崎修二さんの3人で参加することにしています。

 実技項目は「重量物からの救出研修」です。手動の油圧ウインチやチルホールなどを使用すすのでしょうか?参加してみないと内容はわかりません。

 9月27日は「第5回下知地区防災計画検討会」が下知コミュニティ・センターで開催されます。下知地区の事前復興計画のイメージづくりや、地域の合意形成課題を出す重要な意見交換会です。

 1市政の市民にすぎませんが、学識者や行政関係者や、報道関係者と意見交換するたびに知識が増えて行くのがわかります。それを地元の地域住民各位に正確に伝達することが、とても難しい。

 とくに町内会や自主防災会の活動に一切参加しない人たちへの伝達に関してはお手上げ状態です。予算的にも町内会へ入会していない住民への情報伝達の方法はありません。

 このブログなどを見ていただくより方法はありません。ブログは自分から情報を取りに行かないといけない媒体です。市民各位も防災や減災の情報を積極的に自分から取りに行くことをしていただきたいです。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.24

朝から晩まで夜須の海でした

 早朝は五台山市民農園での雑草引き作業でした。戻りまして両親のケア(おむつ替え)をしまして、一緒に朝食を食べ「とと姉ちゃん」を見てから夜須のハーバーへ向かいました。

_r_10

Jyc_r

 ヤッシー・パークへ着きますと駅裏の訪にて、おむすびと卵焼きを買いました。保冷箱に入れて昼食時まで保冷しました。ヨットをぎ装(組み立て)して海へ出ました。今日はジュニア・ヨットクラブが10艇出ています。
_r_11

 ところが午前中は風が弱く,ヨットは進みません。40分ほどで諦め着艇しました。ハーバーへ上がりますと、徳島県美波町から船木さんが来られていました。昼食を食べたらすぐに出艇しますとお伝えしました。手早く昼食を食べ、ぎ装し、海へ出ました。
_r_12

 午前中よりは風がありました。赤岡目指して一緒に帆走しました。向かっているうちに良い風になりました。ジュニア・ヨットクラブも井土コーチが海面にブイを打ち、スタートとマーク回航の練習をしていました。
_r_13


_r_14


_r_15


_r_16

 午後2時半になりましたので、私は上がりました。今日はこれで終りの予定でした。ハーバーで懸命にぎ装をされている人がおられました。清久さんでした。聞けば1年ぶりとか。「ぎ装を忘れました」と言われるので、一緒にぎ装しました。

 ぎ装の間に風が強くなりました。せっかくぎ装したのに海に出ないのはもったいない。ブランクが清久さんにあるようですので、私がバラスト代わりに乗り込み清久さんのヨットに2人で乗りました。

 海面へですと結構風が強く吹いています。セールとテルテールの形と位置で良く帆走出来る場合と、そうでない場合を覚えていただきました。アビーム、クローズ・ホールド、ランニングと帆走を2人で楽しみました。

 午後4時過ぎに着艇しました。わたしのぎ装も解除していませんでしたので、それから後にぎ装解除し、片付けをしました。体を洗い着替えて、ヨットにカバーをかけてロープで縛ると午後5時を過ぎていました。丸1日海で遊びました。

 キューバ仕様でおっさん2ショット

 すっかりいつもより遅くなり道の駅やす事務所へ。山本宏之さんとの「おっさん2ショット」は、わたしの方は、何故か安倍晋三首相が、キューバを訪問。手厚い経済支援をするとか。」

 キューバと言えば、チェ・ゲバラさんですよ。学生時代に娘がプリントしたTシャツを着て行きました。やまもとさんは、救命胴衣を着用されました。
_r_17

 マナマナ・アイスバーを御馳走になりました。ブドウ味に、パインがはいっている果実アイスバーでした。「グレープ・パイン」というそうです。とても美味しかったです。まだまだ高知は夏です。
_r_18


_r_19

 とは言え5時半を過ぎますと早くも夕暮れに。車も渋滞していました。自宅へ戻りますと真っ黒になっていました。秋は日暮れが早いですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

9月24日の五台山市民農園作業

 土曜日の朝6時は横田政道さん宅へ集合。そこから自転車で10数分かけて下知愛のふるさと農園へ行きます。途中五台山農協の良心市が開かれています。そこで野菜などを物色して農園へ向かいます。
_r


_r_2

 農園は急傾斜の高台。83段の階段の上にあります。自分の足で登るだけでも大変。横田政道さんは大道具の引き上げと、土の運搬を企画しています。すべて人力で上げるしかありません。還暦廻った年寄りには重労働です。下知コミュニティ・センターの防災倉庫から「しょいこ」を借りて来ました。背中に背負って運びます。果たして年寄りでも出来るのか?近日中に実行予定です。
_r_3


_r_4


_r_5

 作業前にまずは五台山農協婦人部の良心市(水曜・土曜の早朝開場)にて、今日はオクラ(1袋100円)を購入しました。市民農園は津波避難誘導灯が近くに立っています。83段の階段を昇降して作業を始めます。

今日の作業は雑草引きをしました。横田政道さん、大崎修二さん西村の3人での作業です。雨が降ると雑草も勢いが出ます。僅かの面積ですが手間暇がかかるものですね。ゴーヤは小ぶりですが7個収穫しました。ゴーヤさんもそろそろお終いですね。
_r_6


_r_7


_r_8


_r_9

 今後は本格的な畑の手入れが必要であると横田農場長は言われています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「完本・情況への発言」を読んで

_r_8

 ようやく5年間かかって読み終えました。分厚くて、知らない人たちを罵倒する文章が多くて、正直しんどい所がありますした。読後感は「今は爽やかな」気分です。


 学生時代に入っていたサークル関係者にご縁が深かった吉本隆明さん。4年前の2012年3月16日にご逝去されました。大正13年生まれですので、うちの母より1つ上で、父より5歳年下の人でした。

当時個人ブログに「追悼文」を書いていました。

「吉本隆明氏の逝去を悼む」(2012年3月16日)

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-8f43.html

 5年前に大枚3240円で「完本 情況への発言 吉本隆明」(洋泉社・2011年・刊)を高知市の本屋(金高堂)で見つけ購入していました。当時は吉本隆明氏の死期が近いと思い購入していました。

 購入したものの700Pもあり、1962年から1997年まで発刊されていた「試行」という雑誌に吉本隆明氏が寄稿したものすべてをまとめてありました。

 読むと、今となってはわたしも知らない論敵を罵倒し、こきおろす文章が大半。もはや古典の世界です。この種の文章はリアルタイムでないとわかりません。吉本隆明さんはずっと存在し続けましたが、吉本さんが当時罵倒した相手の人達は、「消えて」いるからです。
_r_9

 そのなかに「切れ切れの観想」(1976年9月)に書かれた文章がありました。
「三上治に依頼されて6月18日に「情況の根源から」と題する講演に出掛けた。  

 中略・・・。

 ところで、事は、三上治の属していた政治党派の内部で、十分な決着がついてなかったらしく、講演会は叛旗派の面々の妨害により中断せざるを得ない混乱に終始した。
 わたしは、あまりに馬鹿馬鹿しいので、檀上に駆け上がって騒いでいる連中には懇談してもらって、じぶんの喋りたい思って用意してきた情況論は、しゃべることにした。

 なぜならば集会の主人公は、身銭を切って講演を聞きに来た公衆であり、それ以外の何物でもないという原則をもっていたからである。」(P257)
_r_10

 私の記憶が正しければ、吉本さんの講演は、1976年6月18日に東京・品川公会堂で行われた共産同叛旗派解体集会でした。三上治と、神津陽の一党が対立し、罵倒しあっていました。吉本さんがなだめたという記憶はありました。私は「いくばくかの参加費を支払い」見学に行っておりました。

 それは40年前の出来事。その後共産同叛旗派は解体し、再興されることもなく40年経過しました。あのことの清新な政治理念はどうなったことだろうか?40年経過して現れないものは、今後も未来永劫現れないでしょう。

 今「情況への発言」を読み返しても、「古典」を讀んでいる感じですね。
_r_11


_r_12

 災害列島日本で「何事もなかったかのように」原発を再稼働し、沖縄の声を全く無視し軍事基地づくりを政府は強行しています。

 ヘイトなファシストの声が大きくなるが、きちんとした政治党派は影も形も見えません。やはり40年前に滅んだものは、再興されないまま、風化したんでしょうか?そのことを思いだすたびに、情けない気分になるのはわたしだけでしょうか?
11742698_865113316896726_1873377449

 巻末に松岡祥男さんが「解説」を書かれています。高校時代の社会運動でご一緒したことがあります。高校生時代の私はアホな毛沢東主義者でしたが。松岡さんは「吉本隆明という人は凄い」とか言われていました。先見性がある人でした。

「試行」という雑誌は、60年安保闘争敗北後の1962年に発刊されています。同人に村上一郎や谷川雁らがいたようです。そのあたりの時代背景を松岡さんは記述されています。

「ブントは分裂し、全学連幹部は日和見と組織エゴに凝り固まった小日共さながらの革共同に屈服転身するものが続出した。
 吉本は、権力の側からも、共産党をはじめとする対立党派やその同伴知識人からも、また行動を共にした転身メンバーからも、標的として集中砲火を浴びることになった。この孤立の中から「試行」は生まれたのだ。」(「試行とはなにか」P688)

 なるほど「孤立無援」ななかで「試行」は創刊されたのですね。だから相手を罵倒する文章が多いわけですね。多くは歴史上消え去った人たちだけに思想的にも社会運動的にも今思えば大したことはないようですが、当時としては幅をきかせていたんでしょう。「事情」は松岡祥男さんの解説で理解できました。

「「情況への発言」は1970年10月(試行第31号)から、論敵たちの言説(批判や攻撃)を引用し、それに反批判を加えるコメント方式をとっている。時代の急激な変容に即応するために、このスタイルが選ばれているといえる。

 吉本隆明は、この時期、「心的現象論」「最後の親鸞」「初期歌謡論」といった体系的な思索と古典に打ち込んでおり、思想的主題の深さに比例して、それは心身の動きを重くする作用が伴うものと思われる。

 吉本にとって、この即興的なスタイルは、寸暇をみつけて身を起こし、その時々の情況に対応しようとするものだ。たとえ、それらが時事的な泡沫で、すぐ時の流れの上に消えてしまうものであったとしても、そのアブクにしか見えない現象の中に、実は永続的な課題が内在していることもありえる。

 生々しい関心の持続、それ自体が思想の生命線の1つなのだ。しかし、このスタイルは、さらなる即時的な反発や憎悪を呼び起こし、荷立たしい様相を呈することも否めない。」(「根源的な志向性」 P691)

 分厚い書籍に中で、論争相手への罵倒と罵詈雑言の類も多くのページに記述されています。当時はワープロなんぞもなく、手書きで原稿を書いていたんでしょう。わたしなどは文章書くことで、相手への怒りは昇華され、案外冷静になりますが、吉本隆明さんの怒りは収まらず、とめどなく記述される理由が判明されましたね。それにしてもしつこいキャラクターですね。

「吉本はこの時期、埴谷雄高らの内ゲバの停止を求める「声明」の呼びかけ人への参加の要請を拒否している。これら知識人や自称オルガナイザーの無原則的な、ろくでもない妥協と密通を否定するとともに、腐敗した新左翼党派の延命に手を貸すことを拒絶したのである。

 これが同時にデマゴギーや匿名攻撃を粉砕する実践的態度であり、「情況への発言」に一貫するリアリティなのだ。」(「根源的な志向性」 P693)

 1973年の大学へ入学した当時は、70年安保闘争敗北後の党派闘争の時代でした。なぜささいな違いで殺し合いまでするのか。その刃は国家権力に向かうことなく対立党派の構成員に向けられていました。

 事実、教科書を譲っていただいた別のサークルの先輩学生が、下宿で対立党派に襲われ頭を鉄パイプでかち割られ亡くなりました。所属サークル主催の学生集会の最中に、あるセクトの人達が血相を変えて向かって来ます。「来たぞ来たぞ!!」と叫びながら。見ると鉄パイプをもった数人が後追いしてこちらへ向かってきます。とっさに横へ逃げました。襲う別のセクトの人達は、ちゃんと対象のセクトの人達の人相がわかっているようでした。真底怖かったですね。誤爆されて殺されたら嫌ですから。

 1970年中期から本格化した陰惨な内ゲバは、1972年の連合赤軍事件ともども一時期盛り上がった新左翼運動の衰退要因でした。埴谷雄高たちが「内ゲバ停止宣言」に、吉本隆明氏が拒絶した理由が、今更ながらに理解できました。

 やはり潰えるものは潰えるということですね。当時新旧左翼一般を吉本隆明は批判しています。少し引用が長くなりますが、松岡祥男さんの記述です。

「吉本はこの末期的な症状にとどめを刺すために、対馬忠行の追悼文を入り口にして「アジア的ということ」の連載を開始している。この「アジア的ということ」は圧倒的な意義をもつものだ。

 吉本は、マルクスの「インドにおけるイギリスの支配」の概念から、<コミューン型国家>や<プロレタリア独裁>の概念を厳密に再措定してゆく。そして、そこからレーニンら(ボルシェビキ)に主導されたロシア革命とその権力がいかにマルクスの思想的原理から乖離したものであっいたか。

 レーニンらは、コミューン型国家即ち国家廃絶の原則を現実的に放棄し、<プロレタリア独裁>の概念を「プロレタリア前衛党の独裁」に、<生産手段の社会化>を「生産手段の国有化」に矮小化したことを明らかにする。

 これはロシア。マルクス主義の限界と転倒を指し示すとともに、国内的にいえば、日本共産党から新左翼にいたる全党派の理論的な支柱を完全に打ち砕くものだ。

 この吉本の根源的な指摘を左翼であろうとする限り、誰も回避することはできないといっていい。」(「根源的な志向性」 P694)

 わたしは、知識人でもなく、田舎町の市井の市民にすぎません。

 吉本隆明さんは「市井の片隅に生まれ、そだち、子を生み、生活し、老いて死ぬといった生涯をくりかえした無数の人物は、千年に一度しかこの世にあらわれない人物の価値とまったくおなじである。」(吉本隆明著「カール・マルクス」)と書いています。

 市井の大衆を「おだてて」はくれますが、それによってどうなるものではない。市井の大衆は愚かで刹那的で、物事を深く考えす、今の政権を支持し、原子力発電所の再稼働を支持し、自衛隊を海外へ派兵することにも賛同しています。わたしも愚かな大衆の1人です。

 時折学生時代や若い頃に購入していた「試行」。1962年から1997年まで巻頭に書かれていた「情況への発言」を毒気に当たられながらようやくすべて読むことができました。

 正直吉本隆明氏の著作は、買い揃えてはいますが、難解でわかりにくい。晩年の高齢者になったから病床で書いた文章は同じ「戦中派」である両親のことを思い浮かべるとわかりやすい。それだけです。
Oinikoufukuronyoshimotohon

 「老いの幸福論を読んで」

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-8bfc.html

 亡くなる1年ほど前に出版されていたようでした。

「「いい医者、悪い医者の問題で言うと、医者が場合によっては相手を病気にさせちゃうことがあります。患者のほうも自分で気に入らないことに出くわすと、自分で病気をつくってしまう。自分の都合のいいように病気になるんです、」(「老いの幸福論」P178)

「足腰が痛くなろうとも、歩けなくなろうと、それを防ぐ唯一の方法は、要は医者が言うのと反対によく動かせばいいんです。」

「身体にとってはじめはきつくても「、無理して動かす。そうすると精神的なほうが治ってくるんですよ。これは近代医学の先生が言っているのとはるいかに違う。格段に違って精神が美味い具合になれば、身体の悪いところは改善に向かいます。」(P178)

「老いについて言えば、生と死に分かれ目に近づいては言えると思います。でもこれが幸福なのか不幸なのかわかりません。幸福とは言えないだろうけれども。そんなに不幸だという感じもしない。

 頭の中では、もっと生きていたいとか、まだやりたいことがあるとか、心残りはあるんだろうけれども、だからといって、それはそんなに不幸なことだろうか。

 僕はじゅうぶんに生きたということもありますし、生きていても、いいことも嫌なことも数限りなくある。だから、生きている苦労や不幸と比べてみて、死ぬことが不幸とばかりは言えないと思うんです。」(あとがき)

 日本社会を「どうするこうする」の大きな志はありませんが、小さな高知市下知地域の住民として、南海地震が来れば、人生も生活も即終りのような、絶望的な状況をなんとかしたい想いだけは、強烈に持ってはいます。

 零細企業の経営と超高齢の両親の在宅介護の合間に少しできる高知市下知地域の地域防災活動。それは日本社会のあらゆる問題点と矛盾が凝縮しています。そのことを考えることは、例えとしてはおこがましいが、かつて吉田松陰が、安政の大獄後、萩の牢獄から世界を見ていたようなものではないでしょうか。

 案外高知の田舎の市井の1市民が、世界の事を考えていることもありかなと思います。物事を考える「トレーニング資材」として、吉本隆明氏の「情況への発言 完本」(洋泉社・2011年刊)は、役に立ちました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.23

母とはりまや橋商店街へ行きましたが・・・。

_r_14

 午後からははりまや橋商店街へ母(90歳)と一緒に行きました。今にも雨が降りそうな空模様でしたので、歩行補助車は持って行きませんでした。
_r_15

 いつものようにコロッケ屋さんで夕飯用を買いました。
_r_16


_r_17

 谷ひろ子さんのお店で焼き菓子とチョコケーキと芋ケーキを買いました。10円饅頭も買いました。
_r_19

 山岡さんのお店で冷やし御膳を買い、母と一緒に食べました。その折会社からの急用の電話がありました。急遽帰社することになりました。
_r_18

 それで活き活き100歳体操(介護予防体操)は母は参加しませんでした。
 自宅で父と一緒にビデオで100歳体操をしています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

父も何とか歩いてはいます

 2016年9月23日の朝1番は父(97歳)の通院で植田医院へ行きました。宗に3回の点滴と診察をしています。何せ超高齢者ですので、少しでも体調のバランスが崩れますと大事になりますので。
_r

 腎性貧血予防の注射をしました。貧血は足元がふら付くので、高齢者には危険です。やはり転倒が1番怖いですから。父はこのところ以前にもまして歩幅が小さくなり歩く速度が遅くなりました。足も上がりません。
_r_2


_r_3

 少しの坂道や段差は見守りが必要です。車への乗りこみと、シートベルトも自分で出来ますから、助かっています。2本足で歩いてくれませんと、狭い自宅は2階。3階の生活ですので、自宅では即暮らせませんから。
_r_4


34_r


_r_5

 午後からは母(90歳)と一緒にはりまや橋商店街へ行きます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「こち亀」少年ジャンプ連載最終号を購入しました。

_r_3


  時流に随分乗り遅れていますが、少年ジャンプ「こち亀最終号」をコンビニで散歩のついでに購入してきました。ビックコミック・オリジナルと一緒に購入しました。
_r_4

 「こち亀」が連載が始まったのは1976年。大学4年時でした。最初はそれほど印象に残っていません。当時は「こまわりくん」という山上氏のギャク漫画が有名。そのまがいもののような印象でした。

 連載が続いて絶好調になってくるのは、80年代90年代からでしょうか?周辺のキャラクターも個性的であり充実してきます。また「こち亀」が凄いのは、当時の「はやりもの」を取り入れ、徹底的に解析し、取り入れていることです。物凄い取材力です。
_r_5

 うちにも「こち亀」単行本が21冊ありました。小学生時代の長男が購入したんでしょう。同時代の「ドラゴン・ボール」や「ジョジョの大冒険」などと一緒くたに並んでますから。
_r_6


_r_7

 ドラマ化もされていましたが、漫画を超えることはなかったようですね。荒唐無稽の世界は作者独特のものですから。1つの時代が終わったと言うことでしょうが、近くにまた復活しそうな気がします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.22

国際信号旗掲揚ポールをセットしました。


_r


_r_2

 JICA研修生(防災担当官)との意見交換会前の準備作業をしました。
Simozi_r

Nisimurajica


 そのなかの1つであります「国際信号旗」を使用した情報伝達手段を可視化するために、2016年9月21日に、下知コミュニティ・センター屋上部に、横田政道さんが国際信号旗を掲揚するためにポールを仮設・設置しました。

 ポールはウィンド・サーフィン用のマストです。FRP製で軽くて丈夫です。訓練旗などを掲揚します。
J2_r

 下知まち歩きの際に見えるようにします。下知地域ではデジタルな通信手段に過度に依存することなく、150年前の船舶間の通信手段である国際信号旗を活用して、自分たちの置かれている状況を、支援者に正確に伝達する考え方を実践しています。
Kokusaisingouki_r

 国際信号旗とは

 http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-f73b.html

Photo


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.21

JICA受け入れ準備会


Jica_r

 2016年9月16日は、JICA(日本の政府開発援助(ODA)を一元的に行う実施機関として、開発途上国への国際協力を行っている。)の研修生14人が、9月22日に下知地区を訪れます。

 バングラデッシュ、チリ、フィディー、グレナダ、ガイアナ、ジャマイカ、ナウル、パラオ、フィリッピン、ソロモンからの来訪者の皆様で、お国では防災担当の責任者です。8月初めから来日し、休日を除き、東北の各地や神戸などを巡回し、高知県へは9月13日から入って各地を巡回されています。

 昨年も高知大学大槻准教授が窓口になり、下知住民と交流をしました。今回は休日でもあり、午前9時半から午後17時までのみっちりの研修です。
Sakunenjica


http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/jica-a5db.html

 予定では午前中は大槻准教授と高知市役所地域防災推進課の山中係長の講義があります。昼食は下知コミュニティ・センターのLPガス・災害時ユニットを利用しお湯を沸かして、非常食を食べます。

 午後からは3つの班で、下知地区のまち歩き。私は横田政道さんとのコンビで、二葉町。若松町ゾーンを歩いていただいて、低地の下知地域の実態を感じていただきます。
Tadasii

 下知地区のこれまでの活動については、坂本下知減災連絡会事務局長と、西村下知減災副会長が説明します。そして総括の意見交換ワークショップをします。丸1日のみっちり研修となります。

 今日の準備会は詳細に、準備の確認をしました。研修生の皆さんは、「海抜0メートルの島」である下知地域の現状をどう思われるのでしょうか?

Sima


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.20

台風16号は高知市沖を通過しました。

 2016年9月20日正午過ぎ。台風16号は予想より早く高知市沖を東へ通過したようです。風が午前中の北東から、北西の風に変りました。時折突風が吹きますが、10Mから15M程度の風が断続的に吹いています。
_r

 午前7時と同じコースで巡回しました。堀川水門付近は満潮を過ぎましたので、引き潮になりました。堀川水門も既に開門されていました。
_r_2

 鏡川大橋は通行量もいつもより全然少なめでした。鏡川の水位も目立って増えてはいませんでした。西の空は空いてきました。天気は急激に回復するでしょうから、今後北西の強風がしばらく続くでしょう。
 _r_3

_r_4


 強風で鏡川大橋北詰に植えてある桜の古木の枝が何本か折れて、道路の上に散乱していました。古い街路樹は危険ですね。結構大きな径の枝も落ちていました。
_r_5


_r_6


_r_7


 下知コミュニティ・センターへも行きました。避難者も5人一時期おられたようですが、2人帰宅され3人がおられるようです。一番雨風が強い時の午前10時過ぎに避難されて来られたひともおられたそうです。
_r_8


_r_9

 市役所の待機する職員の人達も夜間・早朝は男性職員2人でしたが、日中は女性職員2人になっていました。

 下知地域は、各所で報告がFBにもありましたが、特に被害などは出ていないようです。何よりでした。
_r_10


| | コメント (0) | トラックバック (0)

大雨の中父は植田医院へ行きました。

_new_r


3日間病院が休みでしたので、雨の中父(97歳)を連れて植田医院へ行きました。市内の学校は休校ですが、病院はやっています。父は慢性腎不全なので週に3日点滴しないといけないですので。

 暴風雨が予想されたので慎重に運転しました。それほど風が強くはなかったので、父の車の乗り降りも大丈夫でした。

「血液検査の結果は良くなってますね。クレアチリン値も2・44から2.25になってます。ただヘモグロビン値が9.5(前回は9.4)ですので、次回から貧血予防の注射を少し強いタイプにします。」と植田一穂先生。

 植田医院は大雨でしたが混雑していました。自宅へ戻りますと、父の乗降をしていますと駐車場へ息子が迎えに来てくれました。「こんな暴風雨の時に出掛けることはないのに!」と怒られました。突風が来て息子の傘が壊れました。

 植田医院付近はビル街ですが風が強くはありませんでした。突風が時折吹くようです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

長期浸水時の孤立者支援事業

長期浸水時の孤立者支援事業

 高知市の災害対策部が、南海トラフ巨大地震時に、長期浸水対策の1つとして「高知市内300ある津波避難ビルへ避難した人たちの情報伝達、状況把握のために、スマートフォンのWIFI機能を活用した「スマフォDFリレー」のシステムを試験導入したい。」との提案がされています。

 スマフォDFリレー(東北大学資料)

http://www.it.is.tohoku.ac.jp/innovation/01/

http://www.kke.co.jp/solution/pdf/RelayBySmartphone_WTP2016.pdf
 動画もあるようです。

 2016年9月16日の高知市議会にて、その提案を寺内憲資市議(公明党)と、浜口卓也市議(新こうち未来)が質疑を個人質問するという情報がありました。それで10時半過ぎに高知市議会へ傍聴に行きました。

 既に寺内市議のその事案の質疑は終了していました。浜口市議の質疑を傍聴しました。

 浜口市議は、「高知工科大学でも類似のシステムの開発中と聞いている。市長は県内の大学と連携していくと過去に市議会で答弁いただいている。

 東北大学が開発したシステムの運用のための予算を申請している理由はなにか?」と聞かれました。

「現在開発されているのは東北大学のみである。平成25年時から実験し、2.5キロの距離をメールで通信。平成27年では3キロの距離でのデータ通信に成功しました。

 無人飛行機にスマホを搭載し、より遠距離の通信を試験している。長期浸水で来津波避難ビルに孤立している市民への情報伝達と、情報収集のために導入を検討しているとのこと。それにともなう関連機器などの導入は不要。普段使いのスマートホンで、アプリをダウンロードさえすれば即導入が可能です。」

「周知徹底はできるのか?試験は高知市内でするのか?」

「高知市内で実証実験を行います。地理的特性で無理なら導入はしません。今回の予算措置は実験のためのものです。」とのことでした。

 わたしはスマートホーンを携帯していませんので、効果のほどはわかりません。若い現役世代がスマホを日々活用しています。またその世代は何かとせわしく地域の防災訓練にも参加しません。

 導入することになれば、その世代が地域で活動的になれば幸いですが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.19

台風16号対策をしました。


Tenkizu919

今日は台風対策が必要ですね。

 日本列島を横断するように秋雨前線が張り付いています。それに向かって台風16号から暖かい湿った空気が吹き込まれ、長崎や熊本方面から四国に台風は進むようですね。

 この台風16号、発達して945HPになっていて、コンパクトですが非常に強い台風ですね。進路がだんだん南九州から四国付近に変って来ています。
Taifuu16gou

 台風の進路にあたる地方は、台風対策をする必要があります。暴風雨が強くなって慌てて対策するのは危険ですから。

 気象庁台風情報

 http://www.jma.go.jp/jp/typh/

 鉢植えを倉庫に入れたり、シャッターをブロックで固定したりすることはしないといけないでしょう。今日の平穏なうちに事前対策は必要です。
_r


_r_2

 たとえ「空振り」に終わっても今日しないといけない作業だからです。
 明日の午後は台風らしい天気になるのではないかと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

スマホ DE リレー は災害時に役立つのか?

 東北大学が開発した「スマホ DE リレー」というシステムは、災害時だけでなくふだん使いも出来そうな面白そうなシステムです。

http://www.it.is.tohoku.ac.jp/innovation/01/

 わたしはスマホを愛用していないので、今一つわからないところがありますが、スマホに内蔵しているWIFI機能を活用し、小型携帯無線のように情報を伝達し、リレーして行けるとのこと。

 活用できれば「災害時伝言」として有力ではないでしょうか?ただ飛ぶ範囲が何メートルなのか。ビルなどの障害物はどうなのか?下知地域で使用できるのかどうかは、実験しないとわかりませんね。

 動画にもその様子がアップされているようです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.18

二葉町・若松町JICAまち歩き下見


 2016年9月22日の午後からは、下知コミュニティ・センターを起点に下知地域を3カ所に分かれまち歩きをする予定です。JICA(日本の政府開発援助(ODA)を一元的に行う実施機関として、開発途上国への国際協力を行っている。)の研修生の一行がまち歩きをする予定です。

 バングラデッシュ、チリ、フィディー、グレナダ、ガイアナ、ジャマイカ、ナウル、パラオ、フィリッピン、ソロモンからの来訪者の皆様で、お国では防災担当の責任者です。8月初めから来日し、休日を除き、東北の各地や神戸などを巡回し、高知県へは9月13日から入って各地を巡回されています。22日は朝から晩まで高知市下知地域に滞在されます。

 下知まち歩きとしては、二葉町・若松町ですので、二葉町の西村と若松町の横田政道さんが案内することになっています。
_0001_new_r

 コースは下知コミュニティ・センターを出発します。隣のガソリン・スタンドに海抜表示があります。「海抜0・2M」と表示されてます。交差点では市街地と海の距離の近さを感じていただきます。
_r_8


_r_9
 交差点を右折し、二葉町の木造低層密集住宅地域を通過します。通過しますと高知県でも交通量が1番多い国道56号線(宝永町で国道32号線と交差し、北は高知インター。南は土佐道路)に出ます。5Mの高さ確認をします。
_r_10


_r_11


_r_12


_r_13

 電柱と電話線が地中にあり、CABを確認します。南進し二葉町歩道橋から周辺を確認。交通の要であることを確認していただきます。
_r_14


_r_15


_r_16


_r_17


 松村コーポ(地区指定津波一時退避所)の屋上へ徒歩で昇降します。
_r_18

 次に南進して堀川へ出ます。鏡川大橋の落橋防止対策を見ます。堀川水門を見学。海と市街地の隣接を再確認いただきます。二葉町から若松町へ入ります。防災行政無線の設置場所があります。
_r_19


_r_20


_r_21

 堀川沿いの県道と、市道との標高差は1・4Mあります。若松町も二葉町同様に低層の木造の古い家屋が多くあります。若松町にも7カ所の地区防災会指定の津波一時退避場所(二葉町には11カ所)がありますが、高知市指定の津波避難ビルは1か所しかありません。そのビル前を通過します。
_r_22


_r_23


_r_24


_r_25


_r_26


_r_27

 隣町の稲荷町も同じような状況です。海抜0メートルの表示を眺めながら下知コミュニティ・センターへ戻ります。約40分の徒歩でのまち歩きコースです。
_r_28


_r_29


| | コメント (0) | トラックバック (0)

父はゴルフ・リハビリに行きました。

 2016年9月18日は、父(97歳)は、ゴルフ・リハビリに行きました。時折台風16号の影響で強い雨が降る高知市。打ち放し場へ到着時には降りやんでいました。
_r


Titi_suibun_r

 いつものように自己流の体操をして、経口補水液(OS-1)で水分補給をしています。ゴルフクラブを杖替わりにして打席に向かいます。
_r_2


_r_3


_r_4


_r_5

 ゆっくりと125発の球を休み休み打ちます。待機中わたしは読書タイム。」「石橋湛山評論集」(岩波文庫・青本「1984年初版)を読んでいました。
_r_6

 階段昇降も大変時間をかけています。頑張っていると思います。帰りも雨に降られずに車に乗りこめました。
_r_7


| | コメント (0) | トラックバック (0)

低地の市街地での避難は難しい


 2016年9月15日は下知地区減災連絡会の事務局長である坂本茂雄さんから連絡があり、午前10時半と午後1時半に実施された社会福祉法人すずめ共同作業所(高知市丸池町)での津波浸水避難訓練を見学しました。
_r


_r_2

 すずめ共同作業所の西村昇所長と支援スタッフの山下祐一郎さんが、今回の避難訓練の責任者です。お話を聞きました。

 すすめ共同作業所 ホームページ

http://suzume-works.com/

「通所者が60人ぐらいいます。職員・スタッフが20人。80人の世帯です。施設は築40年を過ぎた1階建て。地震の揺れをやりすごしたら、避難場所にしていされているちより街テラスへ徒歩で避難する訓練をします。」

「歩行困難な車椅子の通所者や、常に酸素吸入が必要な通所者もいます。なんとか介助なしで避難行動が出来る人と、介助が必ず必要な人がいます。」とのことでした。

 訓練は大きな地震が発生。緊急地震速報が出ます。安全退避姿勢を取ります。職員と通所者の安否確認と点呼をされていました。すぐに避難場所のちより街テラスを目指しました。観察しますと比較的障害の軽い人で約15分。障害の重い人では20分かかりました。
 _r_3

_r_4


 道路も平坦で瓦礫もなにもない状態での避難に要する時間は15分から20分ほどでした。実際には瓦礫があったり、電柱が倒壊し、行く手を塞ぐこともあるでしょう。また道路が液状化し、通行できない可能性だってあるかもしれません。
_r_5


_r_6

 実際には整然とした避難行動は難しいでしょうし、怪我されている人もおられると思います。早急に施設の建て替えと、高層化(5階以上)の建物は必要であると今日の避難訓練を観察していまして真底思いました。近隣施設へ安全に退避出来るためには、その施設の外回りに斜路が必要です。
_r_7

 丸池町は本当に4階建て以上の丈夫で高い建物は半径200M以内に皆無です。

施設の建て替え計画はあるようです。ただ早くて平成30年度末とか。地域としても声をあげないといけないですね。低地の市街地である下知地区全体の問題の1つとして、地域としても取り組む必要がある大事な問題であります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.17

夜須へ行っておりました


_r


_r_2


 天気が案外よさそうだったので、プライベートに夜須へ行っておりました。台風16号の影響はさほどなさそうな感じでした。

 夜須へ着くとどん曇りで、かすかに晴れ間があります。サーファーの人達が既にいました。うねりは確かにありますね。

 ぎ装して海へ出ました。出艇時は、波が高く、風が弱かったので、苦労しました。沖へ出ますと波はさほどありません。
_r_3

_r_4


_r_5

 しかしだんだんと波が出る様子でしたので、午前中中心の2時間の海の散帆で今日は終えました。出来ないと思っていた海の散帆が出来ましたので、得した気分です。

 着艇してランチは朝購入していた訪のおむすびと卵焼き。保冷箱に入れておりました。高知大学ヨット部もお昼休みにて着艇していますが、波が高いので苦労していました。
_r_6


_r_7

 山本さんとまたまたおっさん2ショット

 片付けして隣にあるヤッシー・パークの道の駅やすへいきました。山本宏之さんといつものおっさん2ショットです。

 ベトナム風の美濃傘を持って来ていただきました。
_r_8

 自撮り棒を通販で購入されたようです。
_r_9

 昨日本格オープンしたアースバーの店「MANA・MANA」。なかなかの盛況のようです。
_r_10


| | コメント (0) | トラックバック (0)

五台山市民農園へ行きました


Ja_r

 2016年9月17日は横田政道さん宅へ午前6時集合で、自転車で五台山下知愛のふるさと農園へ行きました。目的は雑草引きです。雨が降るとすぐに雑草が生えますから。
Kaidann_r


Yokota_r

 梅雨前に植えたタイモとねぎの様子も確認しました。ねぎは栄養不足で大きくなりませんね。ゴーヤなどはそろそろ終末を迎えつつありますね。実に虫が入り込みだしますから。
Negi_r


Taimo_r


Nouenn_r


Goya_r

 横田さんがホームセンターで土を20袋〈重さは約20キロとか)を購入し、市民農園まで運ぶことを言われています。階段登りがあり、老体には重労働ですね。明日あたり実行しようかとか言われておりますが・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「南海トラフ巨大地震被災想定地域の社会構造と防災対策に関する社会的考察」を読んで

_new_r


 「南海トラフ巨大地震被災想定地域の社会構造と防災対策に関する社会的考察」(室井研二・著・名古屋大学大学院環境学研究科・准教授)を読みました。室井研二さんは2013年頃から2015年までの3か年間、高知市下知地域へ名古屋から通われ、多くの市民有志から聞き取り調査をされました。また高知市役所や高知県庁も訪問し、裏付け資料も調査をされていました。

 2016年3月に発刊され、贈呈いただきました。何度も読み返しましたが、内容が重たいので、なかなか読書ノートをとる事ができませんでした。

 地震・津波災害となると、理工系の地震工学の学識者や、土木工学の学識者の声が大きいようです。おおむね被災後の復旧・復興工事も土木建設が主体であり、行政の上意下達式のやりかたが復興工事においてもまかりとうり、いろんなトラブルを引き起こしています。

 1995年の阪神大震災後の神戸市の復興工事が1つの例ですが、莫大な公共投資の割には、まちが復興し発展したとは到底言えない現実を見て来ました。2011年の東日本大震災の被災地を2015年に巡回する機会がありました。そこでも復興工事が遅々として進まない地域と、手早く集団移転事業が完了していた地域がありました。

 高台造成工事や、盛り土による低地のかさ上げ工事も工事期間は最低5年はかかると言われ、人のライフサイクルと、復興のサイクルとのずれが指摘されています。「復興災害」という言葉もあります。

 室井研二さんは学識者ですが、フットワークが軽く、広範な聞き取りと調査活動をされ、独自の視点で著作を書かれました。2012年から2015年までの3年間高知市下知地区をフィールドワークされ、行政、大学、住民などに聞き取り調査もされました。時に一緒に懇親会にも参加いただきました。2015年の下知地区有志が主体の「東北被災地交流ツアー」にも現地集合で参加されました。
Isinomoririmangakan

 社会学的な観点での被災予定地域の調査活動には、わたしは大変興味がありました。必要性を常に考えていました。
1000nenmaefutabacxhoi

下知は干拓地であり、長らく農地や荒れ地でした。明治以降も海運業が盛んな時代は、ウォーターフロントの街として、農人町、南宝永町、二葉町、若松町の堀川沿いは港湾町として発展していました。

 路面電車の伸長や、道路の伸長により、中心街にほど近い地の利もあり、零細鐵工所や商業、住居混合型の街として発展してきました。

 高知市の都市計画事業が、東京五輪前後(1964年)に下知地区でも区画整理事業が行われました。人口の急増で、賃貸や分譲のマンションが「地の利」を活用して建設されました。

 戸建て住宅に住む古くから住む住民と、分譲や賃貸マンションに移入してきた住民との融和は子弟が小学校へ通学している間の繋がりしかなく、地域コミュニティとしては、きわめて弱い結びつきしかありませんでした。

 市内の他の地区では開催されている地区運動会も、90年代前後に「世話役不足」で休止され、以後開催されていません。室井研二さんは、そのあたりも詳細に観察されておられます。

「もともと遊水地として利活用が図られていた土地で急激に市街地化がすすんだことで、0M地帯では水害が頻発するようになった。そうした開発と災害の矛盾を決定的に印象づけたのが、1970年に発生した高知水害(台風10号)である。」(高知市の開発と災害履歴 P69)

「高知市0M地帯の災害脆弱性は開発に関連した土地利用の変化によって地用されてきた。市長局もそのことを自覚し、防災の観点から開発規制の必要性が強調されてきたが、他方では都市化に伴う住宅需要への対応や、工業開発に関連した土地利用対策に追われ、実際の防災は土木工学的な対策に終始する経緯をたどってきた。

 その結果、市街地では先進的な排水対策が進んだ一方で、想定浸水域でスプロール的に都市化が進み、災害ポテンシャルがこれまでになく拡大するという皮肉な状況が生み出されている。」(高知市の開発と災害履歴 P70) 
Saisin_zisin_hzmap_new_r

 室井研二さんは、高知市下知地域の地理的特性、歴史的な背景や、高知市政の都市政策の観点から独特の表現で記述されています。大変重要な観点ですので、長文になりますが、引用させていただきます。

「第1に、高知市の0M地帯では、工学的な防災対策がこれまでになく進展する一方で、社会経済的な災害脆弱性がこれまでになく深刻化していることである。
 こうした矛盾はいうまでもなくこれまでの開発政策や都市化の歴史的帰結として現出しているものであり、工学的な防災対策と開発(規制)政策の整合性の欠如に起因するものである。

 この点に関する真摯な歴史的反省とともに、行政には防災対策の前提として充て対策地区のコミュニティが置かれている社会経済的現状に対する政策的な配慮が求められよう。」

「第2に、南海トラフ地震被害想定の見直しが住民生活に逆説的な影響をもたらせていることである。いうまでもなく被害想定の見直しは災害への危機意識を高め、防災対策を拡充する狙いを持つものであるが、逆にそのことが地価の下落を招き、階層的低位層の土地への緊縛を帰結している面がある。

 これは災害・防災に関する「科学」的な想定やそれに依拠した工学的対策と、そうした想定の社会経済的な受容や生活面での対策のギャップともいえる問題である。そうしたギャップをどう埋めるのかが、防災の課題としてとわれるべきであろう。」

「第3にコミュニティの「放置」と「再生」ともいうべき動向がみられることである。これまでの分析が示すのは、災害脆弱性が開発の歪みの帰結として立ち現れ、そのしわ寄せが階層的周辺層に集中していることである。

 そして、その地を離れることが叶わない人たちの間で、最後の依り場として地域的結束が再生され、同様の困難を抱えた地域との連帯のもと地域の生き残りが模索されると言う現実である。それが「下からの」防災の現実的な姿なのである。
_r

 確かに、下知減災連絡会の取組にはコミュニティ防災の範例として評価されるべきものも多いが、それは見方を変えれば「放置」されたが故の強いられた共同なのであって、住民だけの対応には自ずと限界があることは明らかである。

 このような現実に自治体がどう向き合い、どのように応えることができるのか。地区防災計画の真価や防災パラダイムの転換の内実も、こうした意味での自治や分権の行方を追うことからも明らかになろう。」(まとめにかえて P77)

 室井研二さんの3点に指摘は的確です。南海トラフ地震に関しては、常に「地震学者」による科学的な知見が披露され、自治体や報道機関の広報もおおむね、それに沿っている。

 多くはしゃらっと「高知市下知地域は全域が海抜0メートルの市街地。高台はなく軟弱地盤で海に隣接している。想定される震度は6強から7。地盤は最大2メートルは沈下する。津波は地震発生後30分で到達するが、その前に地域は浸水が始まり、長期浸水する可能性があり、復興、復旧はとても難しい。」と言われている。
91_new_r

 国や県や高知市の対応の多くは、「国に浦戸湾3重防護の耐震堤防を認めていただいた。16年後に完成すれば下知の浸水は想定より早く解消される見込みだ。」

 と県土木部は言う。しかし未だに長期浸水時に、「どこのドライエリアに避難するのか?」「応急仮設住宅の建設など可能なのか?」「長期浸水は解消されても地盤沈下したままで市街地の再生は可能なのか?」の疑問に対して、高知市も高知県もなんの回答も未だに(東日本大震災から5年半経過した現在でも)持ち合わしていない。

 要は高知県庁の下知地区など高知市の低地(海抜0メートル)の減災対策は、河川と海岸の護岸工事のみに特化しています。避難計画や支援計画は高知市の領分として関与しようとしません。

 一方高知市ですが、浸水からの一時避難対策に過ぎない「津波避難ビル」の指定に追われているのが現実。その多くは民間所有のマンションなどであり、所有者の「良心」にすがっているのが現実。(ある民間賃貸マンションの津波避難ビル。屋上を入れれば150人が避難可能。しかし屋上には鍵がかけられている。理由は飲料水タンクがあり、異物を混入されることは嫌だから。)という理由。もっともです。その津波避難ビルは実際には、階段部と廊下で30人程度しか避難できません。)

 低地の下知地区でも、民間の5階建て程度のマンションすらなく、津波避難ビルが地域の町内に皆無な地区も未だに存在しています。そうした地域であれば市役所が津波避難ビルや津波避難タワーを建設すべきであるが、その兆しは全くないようです。
_new_r_3

 まして被災後の復興計画や、生活再建のめどなど、現状では「想像の世界」のなかです。具体的な「ロード・マップ」「工程表」は全くありません。

 下知地区防災計画=下知事前復興まちづくり計画をこしらえていくなかで、そのあたりの個別課題も具体的なものにしていきたいと思います。

 つくづく防災・減災活動にも室井研二さんがご指摘された「社会学的な視点」と「都市計画の視点」は必要であると思います。

 室井研二さんの著作「南海トラフ巨大地震被災想定地域の社会構造と防災対策に関する社会的考察」を参考にし、熟読して、下知地区防災計画=下知事前復興まちづくり計画に反映し、市民自治の原則で「下知が幸せになる物語」をみんなの力で作り上げたいと思います。
_new_r_2

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.16

母とはりまや橋サロンへ行きました

 2016年9月16日は午後から、はりまや橋商店街へ、母(90歳)と一緒に行きました。もうすぐお彼岸であるというのに残暑厳しく、30度はありました。湿度が高いので蒸し暑いこと。
_r

 雨が降りそうもないので、歩行補助車を持参しました。いつものように魚の棚のコロッケ屋さんで夕飯のコロッケを購入しました。
_r_2

 はりまや橋金曜露店市で、せんべいを購入しました。またパン屋さんでクッキーを購入しました。10円饅頭も買いました。
_r_3


_r_4


_r_5

 谷ひろ子さんのお店では焼き菓子と、チョコケーキと芋のケーキを買いました。冷やしぜんざいを母と一緒に食べました。
_r_6


_r_7


_r_8

 今日の活き活き100歳体操(介護予防体操)は、13人の参加者がありました。猛暑の頃は1ケタの参加者でしたが、じわじわと参加者が増えてきています。
 _r_9

_r_10


_r_11


_r_12


_r_13


_r_14


 母は体操参加者のなかでは古株になり(11年目)で、おそらく最高齢ではないかと思います。「若い」高齢者達とそん色なく体操をしました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

下知地域内連携協議会役員会


Renkeikyou1_r

 2016年9月13日(火曜)は、下知地域内連携協議会(国見俊介会長)の役員会が開催されました。事業変更についての提案が国見会長よりなされました。

「当初予定していました文化事業(映画会開催など)は、予算などが折り合わず断念しました。そのかわり下知地域内のアート集団である藁工ミュージアムにお願いし、地域連携協議会の活動をお知らせする新聞をこしらえることにしました。」

 という提案がなされ、役員会で承認されました。

 また新聞の題名は「BONDS」(ボンズ)となり、意味は「人と人をくっつける」という意味でした。9月末に発行予定で、下知地区全世帯に全戸配布される予定でdす。

 「昭和秋の感謝祭」(11月3日にちより街テラスにて開催)は、「下知地域の町内会やグループや企業に出店をより促したい」という報告がされました。

Renkeikyou2_r


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.15

情報を地域に伝えることの難しさ

  一般論でいきますが、地域の防災活動の世話役をやっていますと、そんどん情報が各方面から入って来ます。個人的な事情で思うように動けない立場ではありますが、学識者や報道関係者、行政関係者や、各防災のネットワークから多様な防災に関する情報が「流入」してきます。

 しかしその「貴重な」情報を、的確に、丁寧に地域に伝達しきれているかと、問われましたら「不十分」としか言えません。その都度、得られた情報は、ブログ「二葉町防災新聞」や、フェイスブックなどに投稿しています。でも熱心な防災関係の役員各位は、WEB環境になじみのない世界におられます。

 紙媒体の「二葉町防災新聞」も不定期で発刊はしていますが、なかなか町内すべてに伝達できていません。特に町内会へも防災会へも入っていない賃貸マンションの人達への伝達はうまく行ってはいません。連絡手段がないからです。

 予算不足で紙媒体の広報を作成し、配布することなど到底出来ません。報道機関がたまに取り上げてくれますので、そのことに期待はしますが、若い人たちはテレビも新聞も見ない人たちが多いので、お手上げです。

 「自分から」情報を取りに来る姿勢を見せていただきたい。問われたら、得られた情報はすべて出しますから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.14

階段昇降を補助するロープ

 自宅は狭小です。1階が会社の事務所。2階が茶の間と台所、3階が寝室です。階段も敷地に余裕がないので急こう配であり、1段の高さが23センチあります。(ちなみに下知コミュニティ・センターの階段の1段の高さは11センチ。うちの半分以下です。)

 超高齢者の両親にも毎日の生活で階段昇降を当たり前にしていただきませんと在宅での生活はできません。当然寝室も和室でベットではありません。
Kaidann1_r

 2階から3階の階段に、金具とロープで昇降補助ロープを設置しました。階段の幅が狭く、手摺を取り付けることができません。所詮はしろうとの工夫に過ぎませんが、不器用な私でも簡単に取り付けが出来、ローコストで施工も簡単です。
Kaidann2_r


Kaidann3_r


Kaidann4_r

 ロープを抑えて昇降する限りは、両親は階段での転落事故は今までもなかったし、これからもないと思います。

 5枚目の写真は1階部から2階への昇降階段です。
Ltesuri1_r


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.13

広報下知減災 2016年8月号が発刊されています

1

 高知市下知地域17ある自主防災会に配布されています広報下知減災。
「広報下知減災 2016年8月号 第13号」が、坂本茂雄事務局長のご尽力で発刊されています。
Photo

 今回の紙面全体を貫くテーマは、今後下知地区住民各位で議論を広く深めなければいけない下知地区防災計画=「事前復興まちづくり計画」に関する関連情報です。宮城県気仙沼市のあるべき未来を描いたイラスト地図。今後の方向性が記述されています。

 10月15日は、歯科医師であり東日本大震災時に口腔治療を避難所などで実践されておられた河瀬総一郎氏を招聘し、被災時の口腔衛生についてお話していただきます。
Photo_2

 最終ページの下知地区減災カレンダーは、予定満載です。9月27日には、「下知地区防災計画」の第5回検討会が開催されます。

4


 二葉町自主防災会は、すでに今年の事業は、仁淀川町長者の田植え体験ー交流事業青柳公園での消火・放水・防災炊き出し訓練を実施しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.12

やや父の血液検査は良くないようです


_new_r

 週明けの月曜日の朝1番は、父(97歳)の付添で植田医院へ行きます。6月からは、週3回の通院になっています。月曜・水曜・金曜の午前中です。今日は先週9日に採血した血液検査の結果が出ます。

「少し血液検査の結果はよろしくないですが、許容範囲です。水分補給をこれまでどうり心がけ下さい。」と植田一穂先生です。確かに9月2日の数値より、今回はよろしくない。

 尿素窒素は20.0が25.7に、クレアチリン値は2.16が、2.44に、カリウムが4.5が5.1になっています。ヘモグロビン値も9・5で、10以下になっており腎性貧血気味です。

 腎性貧血予防のための注射は、毎週金曜日にしていますので、心配はいらないと思います。また血液検査の結果も「許容範囲」内で治まっているので安心です。

 今日は父は午後から介護予防通所リハビリ施設へ行く予定です。今のところ歩くスピードは極めて遅いですが、1人で車に乗り込み、シートベルトも1人で着用出来ます。身体能力は維持してもらいたいと思いますね。
Kuruma1_r


Kluruma2_r


| | コメント (0) | トラックバック (0)

二葉町資源・不燃物ステーションは地域コミュニティ


_r

 2016年9月9日(金曜日)。毎月第2週目の金曜日は、二葉町町内会の「資源・不燃物」ステーションの日です。下知コミュニティ・センター前の道路が場所です。
_r_2

 荒木三芳二葉町町内会副会長の指導の下、町内の当番班長がてきぱきと、仕分けの指導をしています。今日は普段より遅めに行きましたので、多くの資源・不燃物が集まっていました。
_r_3

 町内の普段合わない人たちとも挨拶が出来ますし、地域コミュニティの大事な場所ですね。相変わらず[高知方式」の細かい仕分け(瓶類は透明・茶黒・青の3種類)、段ボールは雑紙と2種類がきちんと行われています。
_r_4

 先日高知市町内会連合会会長とお話ししました。全体の予算が年間500万円ほどとか。不燃物・資源ステーションの管理を高知市内の全町内会がやっています。
_r_5

 そのことで高知市は大規模な、中間処理施設を建設する必要性はないのですから。町内会への支援額も1ケタ少ないと思いますね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.11

母(90歳)は美容室へ行きました。


_r_5


_r_6

 猛暑の間は美容室へ行っていませんでした。ようやく涼しくなりましたので、ご近所のシンボル美容室へ行きました。「歩くと腰が痛い」と歩きたがらない母ですが、仲良く手を繋いで行きました。
_r_7


_r_8

 しばらくぶりなので、髪(白髪頭)ですが伸びています。シャンプーをしていただき、カットしていただきました。母は気持ちよさそうにしていました。
_r_9

 仕上がるとすっきりした顔になりました。超高齢者でありましても、身なりは構わないといけないと思いますね。身なりを構うと認知症も抑止効果があると言われています。
_r_10


| | コメント (0) | トラックバック (0)

父も張りきりリハビリ・ゴルフ

 今朝は父(97歳)の始動が早い。いつもより1時間早く、下へ降りてきて朝食の段取りをしています。家内はまだ起きて居ないのに。
_r

 それで打ち放し場へ一緒に行きました。往路のラビータの温度表示は25度。ひところは30度でしたから随分涼しい。いつものように自己流の体操をして、OS-1で水分補給して、休み休み125発の球を打ちました。
_r_2

 今日は風がないので暑いと父は言いました。
_r_3


1_r


_r_4


3_r

 戻りますと、今度は母(90歳)を連れて、近所の美容室へ行きます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

五台山市民農園

 2016年9月10日は朝6時に横田政道さん宅に集合。大崎修二さんと3人で自転車で五台山市民農園へ向かいました。
_r

 途中五台山農協婦人部の良心市(水曜・土曜の早朝開店)で、オクラ(1袋100円)を購入しました。
_r_2

 階段を85段上り、市民農園の雑草を刈りました。横田さんがござを敷いているので、雑草はかなり抑制されています。
_r_3

 彼岸花が、たいもところに咲いていました。朝晩は涼しくなりました。ねぎは大きくなりません。ゴーヤはそろそろ終わりですね。
_r_4


_r_5


3__r


3_2__r

 明後日から雨模様なので、水の心配は必要なくなりました。僅かな面積の市民農園ですが、手入れは大変ですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.10

広島25年ぶりの優勝 おめでとう

 東京ドームでの巨人VS広島。広島は先発はベテラン黒田。6回までリードしてマウンドを降りました。後は継投策。今村―ジャクソンと広島はつなぎます。9回表まで6-4の僅差で推移。さて9回裏です。
H1_r
 広島はストッパーの中崎が登場しました。2点差では広島が勝つでしょう。でも野球は最後までわからないものです。昔からの広島ファンの家内ですが、今年テレビの試合は始めてだとか。普段プロ野球を見ない私も付き合って見ています。
H2_r

 ツーアウトまで来ました。そしてついに広島優勝。緒方監督や黒田投手、新井選手が胴上げされていました。広島ファンも涙ぐんでいました。市民球団広島の優勝は素晴らしいことですね。


Yuusyou_r


Y1_r


Y4_r


Ynamida_r


| | コメント (0) | トラックバック (0)

夏の最後の名残の夜須の海

 2016年9月10日は、家内の許しが出て、超高齢者の両親も元気なので、夜須の海へ来ました。海の駅クラブの会員Yさんの職場の同僚たちが、シーカヤックの体験をされていました。
Yasu1_r


Yasu2_r

 高知大学ヨット部が早々と来ていましてぎ装出艇していきました。わたしもぎ装し海へ出ました。
Yasu3_r

先週とは打って変わって快晴で波は殆どなく程よい風が吹きました。赤岡まで海の散帆ができました。気持ちよく午前中は2時間ほどの帆走でした。
Umiz1_r


Umi1_r


Akaoka1_r


Akaoka2_r

 昼食は訪にておむすびと卵焼きを食べました。休憩なしですぐにぎ装(ヨットの組み立て)をして、海へ出ました。ジュニア・ヨットクラブが出ていました。少し風があり快適な海の散帆をしばらく楽しんでいました。
Ranchi_r


Jyc1_r


Jyc2_r

 1時半ほどして赤岡手前でジャイブ(方向転換)しましたが、あろうことか、セール(帆)の先が破れたのか、マストが半分むき出しになり、セールが半分の大きさに垂れ下がりました。トラブルです。これはどうしようもありません。
T1_r


T2_r

 風を後ろに受けながらヤッシー・パークを目指しました、セール面積が小さくなりましたのでなかなかヨットは進みませんが、波の力も借りてなんとかヤッシーの海面へはいりました。そこは風が弱いので、備え付けの小さなパドルで右手でかきました。そしてハーバーへ着艇しました。
T30_r

 あらためて見ますとよくぞ戻れたと思います、慌てず風が良かったので自力でなんとか戻れました。トラブルは残念でしたが、夏の名残の海を楽しみました。家族に感謝です。
T41_r

 ハロウィーン・シリーズ その2

 戻り際に道の駅やすへ寄りました。ヤッシーパークで足場や金属の鏡が設置され、大勢の人達がイベント広場に居られ、テントも建っていました。なんだろうと聞きました。

「和(かのう)建設が、社員やお客さんを招待し、テレビCM撮影をしておられました。テンとは撮影終了後懇親会をされたので、設置されていました。」とのことでした。
 Yibento1_r

Yobento3_r


 よれよれのヨットでヤッシー・パークの海を通過するときに足場を解体するのが見えましたので。納得です。

 今日のおっさん2ショットは、ハロウィン・シリーズその2とか。だんだんと「壊れて」来ているように思います。
Yamamoto1_r

帰り際の西の空はどん曇りに。明日から雨模様のお天気なようですね。
_r_6


| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知県東部にも善意のソーラー街路灯が設置されます。

 昨年は高知市に太陽光ソーラー街路灯が70基寄贈されました。3社の企業の真摯なる資金提供のおかげです。

 今年は3社の意向は[高知県東部の沿岸自治体に寄贈したい」とのことでした。香南市に関しましては、休日に[海の散帆](セーリング)に来ていると言うだけのご縁に過ぎませんが、香南市の防災対策課を訪問し、寄贈企業と先日香南市側とのマッティングをさせていただきました。

 それで現時点で香南市側から11基の設置希望があり、手際よく一覧表にされていました。企業側は快諾されましたので、おそらく香南市に初めて高知ホタルプロジェクトによる太陽光ソーラー街路灯が設置されるでしょう。

_new_r


 室戸市や南国市におきましても設置希望があったそうです。高知県東部の沿岸部は、高知ホタルプロジェクトのおかげさまで、避難路が明るくなりました。とても県民としてはありがたいことです。

Photo


 民間企業の善意が活用され、事前の防災対策になっていくことは素晴らしいことです。(写真は香南市市庁舎)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.09

母とはりまや橋サロンへ行きました。


_r_6


2_r

 午後からは母(90歳)の付添で、はりまや橋商店街へ行きました。気温も30度を超えて残暑厳しい高知市です。お天気なので歩行補助車を持参しました。
_r_7


2_r_2

 いつものように魚の棚商店街のコロッケ・ひろっちゃんで、夕飯用のコロッケを購入しました。金曜はりまや露店市へ行きました。
3_r


10_r

10円饅頭を母は買いました。谷ひろ子さんのお店で、いつもの焼き菓子とロールケーキを買いました。うっかり写真を撮るのを忘れました。母と冷やしぜんざいを食べました。
_r_8

 活き活き100歳体操も9月になり、参加者が増えました。今日は14人の高齢者が参加しています。母が1番の高齢者で古株になっています。
_r_9


2_r_3


_r_10


5_r

 横田政道さんが訪ねてきてくれました。一緒にコーヒーを飲みました。街へ行き、買い物をし、体操をすることで、母の身体機能の維持と、認知症の抑止にはなっているとは思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

閖上復興だより40号です

_new_r_2

 宮城県名取市の格井直光さんたちから「閖上復興だより」が送られてきました。東日本大震災直後から発行され、第40号になっています。

 記事は閖上の慰霊碑の前で白鳳と日馬富士の横綱が来られ、献花をされ、四股を踏まれ、土俵入りを披露されたそうです。閖上復興のための支援を大相撲協会がされました。

 熊本地震応援メッセージも披露され、小中高の活動が紙面で紹介されています。読んでいくと地域の復興は、何より地域コミュニティがあってのものということが、つくづく理解できます。

 2_new_r

 復興工事の様子も伝達されています。今年の3月11日に閖上に行きますと、閖上小学校と、閖上中学校の解体工事の真っ最中でした。小中一貫校として再建されるようですね。起工式の様子が掲載されていました。

 広告も地元企業のものばかり。地域コミュニティの様子がこちらでもわかります。復興の象徴である日和山にある賽銭箱が壊され、賽銭が盗まれたとの記事がありました。そういう行為は是非辞めていただきたいものです。
3_new_r

 いつも讀んで復興・復旧は地域コミュニティあればこそを紙面から感じます。

4_new_r


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.08

長者だんだん通信9月号が送られてきました。


_new_r_3

 仁淀川町の地域おこし協力隊の小原紀子さんから、「長者だんだんつうしん9月号」が送られてきました。

 長者地区のだんだんくらぶの活動が詳細に掲載されています。8月7日の長者七夕祭りの様子が載っています。何度か過去に行きましたが、賑やかなお祭りです。

 まただんだんの里のレストランであめごや鮎の料理がありますが、大野さんが採ってきたものです。二葉町の荒木さんが大好きで長者へ行かれるたびにたくさん購入していますから。

 今年は11月3日の「昭和秋の感謝祭」に、だんだんクラブの皆様が気来ていただき、仁淀川町の食材を提供いただきます。
2_r


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.07

老師の整体と叔母の店の廃業


_r


_r_2

 2016年9月6日は、月に1度の老師(90歳)の整体の日。超人と言うか、仙人というのか、整体を受けながら老師の言葉を聞くのが、とても異質で面白い。待合室には45年前に取得した免状が掲げておられます。足の指のツボの絵図もあります。病院系の待合室とは異なりますね。

「いかに宇宙から来る無尽蔵のエネルギーを取り込むか。朝日にはエネルギーがある。意識して取り込まないといけない。」

「整体の仲間や、お茶の同人、警察時代の仲間たちが、最近相次いで亡くなった。皆、自分の体の手入れ(メンテナンス)をしないからだ。悪くなる前に「手当」(自分でも出来るし、他人の手を借りて凝りなどを解します。)をすれば皆元気になるのに。」と言われる。

 私の場合も月に1度老師にメンテナンスをしていただいて、凝りを解してもらっています。伝え聞いて自分でもようやく最近ストレッチを再開するようにしました。海の散帆へも極力出掛け、スポーツクラブへもなななか行けませんが行くようにしています。

 とは言え贅肉はなかなか落とせませんが、少し体が柔らかくなったように思います。
_r_3


_r_4

 整体の後高知駅前を通りました。相変わらず見苦しい3体の大きなプタスチック像が居座り駅前は閑散としています。唯一故大橋巨泉さんのダジァレ・コピーの「リョウマの休日」だけは面白い。

 堀詰にある叔母の店の前も通りました。8月末で廃業したとの張り紙がありました。すぐ近くの旧リブロード跡地にはホテルが建設されています。今日は蒸し暑くいつでも雨が降りそうな天気でした。自転車で行かず路面電車と徒歩でしたので、大汗掻きました。
_r_5


_r_6


_r_7


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.06

タイVS日本戦をTV観戦

 とにかく「弱い」日本代表など見たくはない。今日タイに負けるようなことがあれば、監督の解任は当然としても、サッカーの魅力は下落するんでスポンサーが離れ、日本のサッカーは「暗黒時代」になるでしょう。世代交代に失敗した漬けが来ました。

 タイもFUFAランクこそ低いですが、身体能力はあり、ボール扱いも上手い。何よりホームでは強い。監督と選手の信頼関係が崩壊している日本に勝機はあるのでしょうか?暗黒時代は見たくはないのですが・・・

 前半は,最初はタイが攻勢に出る。日本が押し返す。日本もタイも同じようなパスワークのチーム。タイは攻勢は控えめになる。日本は小気味よくパスが回りです。相手陣でボールを取られても前線の選手が取り返し、日本が攻勢に。

 前半18分に本田がおとりになり右からのクロスを原口が、ヘッドで決めて先制。
H1_r


Haragiuti_r

その後タイが攻勢になるが、意識的にペーズダウン。ボランチの長谷部がまたしても軽率なプレーでタイにボールを奪われるが、相手のミスに助けられえました。
P1010003_r

 1-0で前半は終了。しかしタイの監督は余裕な表情。タイは省エネプレーをしてました。後半は攻勢をかける。日本の選手は足が止まる。それを狙っているしか思えない。

 さて後半はどうなる?タイは前半は明らかに手を抜いていましたね。大攻勢をかけてくると思います。かけてこなければ弱いだけですから。

 後半早々はタイが攻勢に。体格の良いフォワードが突進する形で攻勢をかけて来ました。日本の守備陣は慌てず対応し、処理しました。何度も惜しいチャンスがありましたが、例によって決められない。

 後半30分に長谷部が前線に蹴りだしたボールに浅野が追い付き、DFをGKを交わして貴重な追加点を決めました。2-0になりました。
Asanotokutenn_r


Asanotokuytenn2_r

 その後タイの攻勢をしのいで、なんとか2-0で勝ちました。監督の首が繋がりました。そのことが日本サッカーに良い事なのか悪い事なのかはわかりません。
Kantoku_r


Haraguchi_r


Asano_2_r


Honda_r

 サイドバックの両酒井は、ポカが多いし、クロスも上手くない。1点目は酒井濠のクロスに原口のヘッドで決めましたが、めったにありません。

 長友と内田の復帰がのぞまれますね。ボランチの山口も良かった。長谷部が不安定ですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

母の腕の怪我も半分回復

 服の着替えで金具で腕をひっかいた母(90歳)。意外に重症で皮膚がえぐれていました。先週しろくま皮膚科で治療、内服薬と塗り薬をいただいていました。

 今日の診察では「随分良くなっています。内服薬をもう1週間分だします。傷は大きさが半分になっています。もう少し頑張って治療しましょう。」とのこと。

 看護士さんが治療室で腕の消毒とガーゼに治療用の軟膏を塗り、治療していただきました。母の水虫と巻爪のカットもしてくれました。

 内服薬と水虫用、タコ用、カサカサ用の軟膏を薬としていただきました。高齢者の治療は時間がかかりますね。
Haruko_kururi_r

 先ほど両親は昼食をすませ、介護予防通所リハビリへ行きました。午後からは私は老師の整体へ行く予定です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

平成の「治安維持法」が準備されています。


_new_r

 「共謀罪」は廃案になりましたが、安倍内閣は「テロ準備罪法」なる「平成の・治安維持法」を9月の臨時国会に提出するとの記事が、朝日新聞2016年8月26日号1面に掲載されていました。

 あんまり猛暑が続くので、当日あたりは見出しを見過ごしていました。朝日新聞の1面に掲載されていたのに。

 戦前の治安維持法は、言論・結社の自由を極端に制約しました。特高警察と言う政治思想を専門に取り締まり、拷問する秘密警察もつくられました。日本国を無謀な世界大戦に巻き込み、国民を塗炭の苦しみに導いた悪法でした。

 テロ対策を名目に、また平成の治安維持法である「テロ等準備罪」が登場しようとしています。国民を分断し、暗黒日本国をつくらせることには反対します。

 現行法ではなにが不足しているのか。何ゆえに国民生活を束縛する法律を政府は性急につくろうとするのか。災害対策や地元での地域防災活動を全く無視する「緊急事態法」といい、日本国は民主主義国を放棄し、全体主義国家になりつつあります。

 全体主義国家に日本国が変質すれば、災害にも緊急事態にも全く対応できない危機管理の崩壊した国に成り下がることでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.05

父(97歳)の付添で植田医院へいきました。


_r

「やはり水分補給対策をしましたので、腎機能も悪化していません。クレアチリン値と尿素窒素、カリウムもいいですね。ヘモグロビン値も10・6で腎性貧血にはなっていません。」
_r_2

 6月からの週3回の点滴と、水分補給の徹底が、父の健康を維持しているんでしょう。なんとか猛暑を乗り切りました。油断せずに夏の疲れが出ないようにしないといけないですね。

_r_3


| | コメント (0) | トラックバック (0)

五台山市民農園へ行きました。


P1010001_r

 2016年9月3日(土曜日)は先週に続いて五台山市民農園へ行くことが出来ました。午前6時前に横田政道さんの自宅へ行き、一緒に自転車で五台山地区へ。約10数分の道のり。途中五台山農協婦人部の良心市があるので、のぞきました。しかし、なすとしきびがあるだけ。今回は寂しい。
P1010020_r

 今回は前回と異なり、台風12号の影響で雨が降るだろうから水分散布作業はなし。代わりに雑草を引きました。油断するとすぐに生えます。
P1010002_r


P1010003_r


P1010004_r


P1010006_r

 蚊取り線香は必需品です。
P1010007_r

P1010008_r


P1010019_r


P1010015_r


 往復自転車30分。85段の階段昇降。朝1番のいい運動ではありますね。まだまだ暑いので大汗を掻きました。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.04

ハンドINハンド高知大会のサポートに行きました。

2016年9月4日は早朝7時過ぎに自宅を出発。途中南国市付近で前が見えないほどの土砂降りに。これで予定どうり開催するというので、いぶかりながら香南市夜須のYASU海の駅クラブへ向かいました。
_r


 夜須でも雨は止みません。8時集合なので、スタッフが集合して打ち合わせをしました。運営側の見解では、レースがスタートする午前10時頃には雨は降りやむ。午前中は満潮なので波が大きくはならない。という見解。予定どうりハンザをぎ装し、ビーチへ並べました。」
_r_2


_r_3

 参加者も今日の雨で10人ほどキャンセルが出たようです。それでも雨の中来られている人たちがいました。開会式が始まりました。香南市野中副市長が「悪天候ですが参加者の皆様の熱意で良い天候にいたしましょう。」と言われました。
 _r_4

_r_5


  主催者側からは「雷が鳴ったり、危険を感じたらレースは即中止します。不参加者がおられたり、午後になると風が強くなるので、レースは短縮して行います。」とのことでした。

_r_9

_r_6

_r_18


 ハンザは、ヨット経験のない人でもすぐにセーリングが楽しめるヨットです。片手が動けば操j)船は可能。センターボードが20キロから30キロの重さがあるので、沈(転覆)はしません。参加者にはハンディのある人(身体障害・知的障害)もおられました。より慎重に対応しました。怪我をしたら楽しくありませんから。
_r_7


_r_8

 ただ砂浜出艇の場合は、スタッフがサポートして海へ出て、底が深くなってからセンターボードを下へ降ろします。今日は波の影響があるので、特に慎重に出艇しました。

 レースは沖合でしていましたが、結構風がありきれいに帆走していました。風が初心者には危険と判断したので、短縮され、12時に終了しました。着艇も慎重に行い陸揚げし、艇を水で水洗します。
_r_10


_r_11

 レースの間に陸上スタッフが昼食をこしらえてくれていました。野菜タップりのカレーと香南市名物のニラ(ニラの生産量は日本①とか)焼きそば、みつまめやスイカもありました。海の中での肉体労働でしたので、おかわりして食べました。
_r_12


_r_13

 表彰式も和気あいあいとやりました。閉会の言葉で丸岡YASU海の駅クラブ理事長が「今日の天候で、屋外イベントを実施したのは、おそらく県下ではうちだけです。天候を読み切り、スタッフの皆様の尽力で無事にけが人もなく楽しく出来ました。」と言われました。
 _r_14

_r_15


 夜須は確かに10時過ぎから雨は降りませんでした。高知市はかなり振ったと家内は言っていました。
_r_16


ハロー・ウィン仕様でおっさん2ショット

 YASU海の駅クラブの行事の片付けを終わらせて、帰り際に道の駅やすへ寄りました。さすがに台風モードなのか、普段は一杯の駐車場が空いていました。
_r_17

 女性スタッフの皆様も店舗の片付けに行かれているとか。山本宏之さんが。ハロー・ウィンの被り物を用意していましたので、自撮りしました。私は先週に続きブラジル代表Tシャツです。日本代表Tシャツはあまりに日本が弱いので着用する気にはなりません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

南国道路の工事が本格化

_r_13


高速道路の高知インターチェンジから、高知市高須ー五台山を経由し、高知空港ー香南市ー安芸市へ抜ける高規格道路(通行量は無料の自動車専用道路)である南国道路が、ようやく本格的に工事が始まっています。

 上の写真は高知市布師田付近の高架工事です。高知インターから布師田ー高須までの道路は幅広で、中央に幅広の分離帯がありました。そこを掘り返し、順次高架道路の橋げたを工事しています。

 それこそ20年ほど前の1997年。当時の建設省(現在の国土交通省)の「南国道路景観検討委員会」に民間委員として呼ばれたことがありまた。ほかの民間委員は高須の高知県立美術館の当時の館長と、五台山竹林寺の和尚でした。彼らは博識があり、景観にも一言ある「有識者」でしょう。

 建設省の人にわたしはなぜ選ばれたの?と聞きますと「まあドライバーの立場で気軽に発言して下さい。」とのことでした。阪神大震災直後で、高速道路の高架橋は強い揺れでへし折れ、倒壊するという事態がありました。

「美術館や五台山の景観に配慮しながらも、安全・安心な南国道路にする。」というのが当時の建設省の説明。地盤の悪い高須地区などは、硬い岩盤のある100M掘るそうです。」とのことでした。

_r_14

 下の写真はその南国道路の夜須インターを降りて見上げた高架道路です。高須付近の高架道路は景観に配慮されていることでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.03

高齢者の皮膚の擦り傷はなかなか治りません

 1週間前に料高齢者である母(90歳)が、着替え中に衣服の金具(ファスナー)が腕に引っかかり、左腕から出血しました。応急手当として消毒液で消毒し、絆創膏を貼りました。しかしすぐには治りません。

 8月30日(火曜日)に、しろくま皮膚科に行き診察していただきました。
Hahakizuato_r_2

「傷口が腫れています。飲み薬(抗生物質・朝夕食後服用)が1週間分出します。傷口は水洗し、ガーゼの側に軟膏を塗り、傷口に当ててください。絆創膏も接着力の弱いタイプにしてください。症状が酷くなるようなら、すぐに来てください。」とのこと。

 昔は傷口を乾かして治療と聞かされていましたが、今は乾かさず、その乾かない状態で治療したほうが、はやく完治するそうです。
Sirokumahifukla_r_2

 入浴は湯船につかることは避けるようにと言われました。傷口が治るまでは、シャワーのみにしてくださいと言われました。

 災害時での応急手当として、知識として知る必要はありますね。高齢者はいろいろ持病があり、服薬しているので傷はなかなか治りません。1月くらいかかると思います。
Haha08301_r_2


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.02

横田胃腸科内科へ行きました。

 はりまや橋サロンから戻りますと、事務所で父(97歳)と合流して、主治医である横田胃腸科内科(横田哲夫先生)のところへ診察を受けに行きました。バイタル・チェックをしました。
_r_10

 血圧は父は、136-72、母は120-64で上等です。
「特にお2人とも医学的な所見はありません。」とのことです。超高齢者ですが、まずは健康であるとのことでした。
_r_11

 なんとか超高齢者の両親ですが、猛暑を乗りきったようです。でも油断はできません。夏の疲れが出てくる時期ですし、父が8年前倒れ緊急搬送されたのも9月8日でしたから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

母と一緒にはりまや橋サロンへ行きました。

 2016年9月2日(金曜日)は、母(90歳)と一緒に昼食後はりまや橋商店街の金曜露店市と活き活き100歳体操(介護予防体操)へ行きました。

 9月に入りさすがに朝晩は涼しくなりました。しかし日中はまだまだ暑いです。特に台風12号が沖縄大東島付近にあり、週末にかけて北上し、九州を伺っています。その関係もあり蒸し暑くなりました。
_r_4

 歩行補助車を出して母も歩きました。最初にコロッケ屋さんで夕飯のコロッケを買いました。
 _r_5

 谷ひろ子さんのお店で母は焼き菓子を買いました。冷やしぜんざいを母と一緒に食べました。
_r_6

 今日の活き活き100歳体操は、涼しめになったので、14人の参加がありました。
_r_7


_r_8


_r_9

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日本VSUAE戦・日本はW杯は絶望

 初戦のホームで日本は負けたら最終予選はアウト。それは監督も選手もよく理解しています。日本は攻守に良く動いてていました。しかしUAEもより動きがいい。

 前半11分位に清武のクロスに本田が頭で合わせて先制点。
_r


P1010005_r


P1010008_r


_r_2

 しかしUAEは落ち込む様子を見せず攻め込む。大島の緩慢なパスをカットされ、攻勢をかけられるとゴール前でファール。フリーキックを叩きこまれ同点に。
_r_3

 見る限りどちらが勝つのかわからない。日本は勝つしかない。負ければ終わり。引き分けでも同じことですから。

 日本守備陣の緩慢さ、ミスにつけこみUAEがゴール前につっこみ、UAEがPKを獲得。決めて1-2と逆転されました。これは苦しい。
P1010013_r


P1010017_r


P1010015_r

 やはり調整の差。日本はアジア最終予選を勝ち抜くことは限りなく難しい。やはり男子代表もなでしこさんたちと同じ。世代交代に失敗しました。それと監督とあまりに上手くいかないですね。

 全く情けない。ロシアW杯での出場は限りなく難しくなりました。監督と選手の意思疎通も悪い。2018年大会に出場できなければ、2022年大会はカタールで開催されるので、中東勢は気合が入るので、今回以上に出場は難しい。

 プロ野球の阪神球団と同じで、日本サッカー界の暗黒時代が始まりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知危機管理展2016へ行きました

_r

 2016年8月26日午後2時過ぎに、高知危機管理展に行きました。最初にお仕事で頑張っておられる吉本豊道さんに会いました。「休憩時間にも展示を見る時間がなかった。」と言われました。
_r_2

 会場入り口前には、高知県LPガス協会のブースがありました。公文秀明さんに会いました。
「熊本市から来訪の市役所の人も来られました。復旧にはLPガスが大活躍している。と言われました。災害を通じてLPガスの安全性と利便性が再認識されつつありますね。」とのこと。「エアコンまでLPガス発電機で稼動させることが可能です。」真摯な取り組みには感心しました。
_r_3


_r_4


_r_5

 会場でフタガミの楠瀬さんに会いました。昨日は今治市防災士会の伊藤さんや砂田さんにお会いしたとか。
「昨年より来場者はやや少なめ。高知県民も2分化してますね。来場される人たちは何度も来られた人たちですが、来ない人は全然関心がない。今年はトイレ問題に力をいれています。」とも
_r_6


_r_7


_r_8

 保険業者のブースが増えたようですね。行政のブースや建築業者のブースも多いようでした。非常食のローリング・ストックを啓発するエースワンのブースもありました。
_r_9


_r_10


_r_11


_r_12

 高知県消火栓標識(株)の甲藤雄司さんにもお会いしました。
_r_13


 屋外展示では起震車や、煙体験、洪水体験のコーナーがありました。飲食ブースもありました。
_r_14


_r_15


_r_16


_r_17


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.01

「防災の日」に想うこと

 今日から9月です
 9月のスタートとなりました。今朝の事務所の気温は25度。湿度は53%です。朝の水撒きをしなくても涼しいです。
 台風10号は東北
・北海道地方に大雨災害をもたらせました。大雨の洪水で平屋のグループ・ホームの高齢者が9人亡くなったことは痛ましい。なんとかならなかったのでしょうか?

 今日は「防災の日」。1923年9月1日に関東大震災が起きました。家屋の倒壊、津波、大火災で多くの人達がなくなりました。
Ryounkaku


Photo


Temporary_houses_in_yasukuni_shrine

 首都圏地震の危険性も言われています。2020年に東京五輪であるとはしゃいでいますが、関東大震災から100年になるころですから、地震のリスクも考えないといけない。
Kantoudaisinsaiyamasitakouen

 関東大震災で被害が1番大きかったのは神奈川県でした。横浜市の山下公園は震災がれきを埋めてこしらえたと聞いています。
Kantoudaisinsaikamakura

 津波は湘南地方の沿岸を襲いました。あるペイントメーカーの営業で湘南地域の担当で巡回していました。東北・北海道とともに神奈川県はトタン用ペイントの売り上げが多い地域でした。
 ペンキ屋さんに聞きますと「そりゃあ関東大震災の影響ですよ。日本瓦は屋根が重く、地震で多くが倒壊しましたから。トタン屋根は軽く、倒れんからね。」と教えてもらいました。

 隣町にある父の古家は雨漏り修理の折に、トタン屋根にしました。耐震性は向上したと思います。
 我が家の耐震対策もまだまだです。少しずつ進んでいますが・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

危険物取扱者保安講習会

K1_r

2016年8月25日は、3年に一度の「危険物取扱者保安講習会」でした。午後1時から4時まで、3時間の密度の濃い保安講習会でした。

 消防関係者が力を入れるのも理解できました。危険物取扱事業所は、減少しているのに、危険物を伴う事故や火事は逆に増えているとのこと。原因の1つに「団塊の世代の退職により、リスク感性による事故防止力」が衰退したとの説明がありました。

 長年の経験と対策でベテラン職員は身に着けている危険物の安全管理が、若手に十分に継承されていないのが原因であるとか。原因探求に消防関係者が力を入れていることを感じました。

 また中国天津市での危険物倉庫の大爆発についての説明もありました。こちらはそもそも危険物倉庫と登録してある倉庫意外に大量に危険物を保管していたこと。それゆえ消防当局も正確に危険物の種類や量を把握していなかったようです。
Ktenshin3_r


Ktenssim2_r

 最初にかけつけた消防部隊が、水をかけてはいけない危険物に水をかけたために大爆発が起き、甚大な被害が出ました。不法で大量の危険物の存在と、その種類を行政側が正確に把握してなあかったことによる参事でした。
Kfukutiyama2_r


K3fukutiyama_r

 また福知山市の花火大会でのガソリン発電機に引火して爆発した事故については、ガソリン携行管が昼間の日差しで高熱になっていたこと。ガソリン発電機を停止せずに給油しようとしたこと。消火器なども携帯していなかったことなどの人為ミスが重なった惨事でした。今後は安心・安全で取り扱いが簡便なLPガス発電機が露天商にも普及することでしょう。
Kzisintaisaku1_r


Kzisintaisaku2_r

 南海地震対策も話されました。こちらは施設管理者や行政当局と協議し対応をけんとうしているとのことでした。免許保持者には3年に1度の保安講習会は正直辛いですが、実務と防災対策のためになりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年8月 | トップページ | 2016年10月 »