11月5日長者キャンドルナイトのスケジュール
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私事で恐縮ですが、うちの家庭は現在97歳の父と90歳の母と同居した生活です。
南海トラフ地震の発生も予想されています。しかし現在の両親の歩行速度では、すみやかに自宅から300M離れている下知コミュニティ・センターへの避難はまず無理です。
平常時に歩いて20分はかかります。最近は足腰が弱ってきているのでより厳しい状況です。
高齢者になると似たり寄ったりではないかと思います。ではどうすればいいのか。
1つは浸水被害のない山間部との交流事業。民間人同士の交流で5年継続しています。それに対する行政側の支援は皆無。どうして支援してくれないのか、不思議でたまりません。税金を納めているのに。
もう1つは浮体式の人工地盤。こちらでは水平避難で浸水から逃れることができます。こちらも4年前から提唱していますが、行政は何の支援もしませんね。
社会福祉関係者は日常業務にさわしく(介護保険の改悪もあり)、防災対策する余裕がないのが現実ですね。
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今は田舎暮らしの生活ですが、かつては大阪や東京で生活し、通学し、通勤していました。毎日が刺激的で忙しく、せわしい毎日でした。地域社会とのつながりは希薄。会社員時代はアパートと会社の往復だけの市がない生活でした。
今年も台風災害や地震災害、噴火災害もありました。でもいつも被害をうけるのは地方ばかりです。東京・大阪・名古屋などの巨大都市は無縁の出来事と思い込んでいる人が多いと思います。
しかし1923年の関東大震災では東京・横浜の市街地で甚大な被害が出て10万人を超える人が亡くなりました。敗戦後も1959年の伊勢湾台風で名古屋圏が甚大な儀害を受けています。
大都市部の市民の感度の鈍さはどうしたことか?心配になります。官公庁も大企業も大都市圏に集中しています。ネットワーク社会であるべきなのに、大都市部に機能が集中しています。危機管理上日本は危険であると言えますね。
やはり都市部の市民が危機感を共有しないと事態は動きません。つくづくそう思います。
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先日ある町内会の幹部の自宅で懇談する機会がありました。その幹部の人は真摯に町内会活動をされていますが、高齢のためになかなか活動が難しいと言われていました。若い世代の人達は仕事が忙しく、町内の役員も班長も受けてくれないと嘆いていました。
[高知方式」の資源・不燃物の町内会での細かい分別作業も、町内会の役員と班長が頑張ればこその話。役員の欠員が目立つ町内会では[高知方式」は難しいとも聞きます。
防災活動も同様です。大事なことはわかってはいるが、なかなか参加者が増えないのが現実です。
「お互いさま」の気持ちに自然になるしかないとは思いますね。
(写真は二葉町町内会の資源・不燃物仕分けステーション。毎月第2金曜日の午前6時から8時まで
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2016年9月27日の下知地区防災計画(事前復興まちづくり計画)でのf第6回意見交換会の折、講師でありアドバイサーの鍵屋一さん(跡見女子学園大学教授)かたいただきました。
「わが家の防災スタートブック」は項目別に分けられています。まずは1)「持ち出し品」です。最優先されていますのは、「携帯系グッズ」です。携帯電話、スマートフォン、パソコンは必需品。それの充電器とバッテリー、予備の電池は家族分が必要です。
手帳や筆記用具、家族情報シート(印刷した写真も必要)です。次に1次持ち出し品は33品目。最初の1日目の目安(大人2人分)となっています。女性用品、高齢者用品、赤ちゃん用品など、個別に必要な人も念頭に準備が必要です。
次に「2次持ち出し品」は「安全を確保し落ち着いてから、自宅に戻って避難所や自宅外で必要となるもの。3日分以上を用意する。」とあります。阪神・淡路大震災記念館である人と防災未来センターの非常品持ち出し品チェックリストが参考になっています。
そして「重要情報」も大事です。各自の写真や血液型、服薬情報・介護情報・健康保険証、住所やメールアドレス、電話番号など個人情報も大事です。
3)として「減災編」として、事前に対策できる家具転倒防止策やガラスの飛散防止、家屋の耐震補強などが必要であると記述されています。
そして4)として「その時」編があります。地震はいつ発生するかわかりません。その時慌てないように事態を想定して、訓練するしかありません。事例を紹介しています。
脱出し、自分が無事ならすぐに救援支援活動と情報の収集を始めることです。そして「支援力」と「受援力」(支援を受ける力)が大事です。
鍵屋一さんによれば、「わが家の防災スタートブック」も2016年4月の熊本地震の経験も踏まえ、こしらえられたものであると。
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(1000年前の高知市。今度南海地震が起きたら、二葉町は海底に沈みます。)
高知県と高知市の防災担当に聞きたい。浸水予定地域の市民12万人の避難場所を明確にしていただきたい。東日本大震災からもう5年半経過しています。未だに該当の低地に住む高知市への回答がありません。
2016年10月13日に、二葉町が地域交流している仁淀川長者へ稲刈り体験に行きました。当日は木曜日で平日。仕事の都合をつけなんとか行くことができました。そこで「広域避難をテーマにしている」高知新聞の記者に会うことが出来ました。色々と意見交換し、10月21日に「高知地震新聞」の記事の中で記事にしていただきました。
「長期広域避難に備え」「沿岸部の後方支援模索」と記事の見出しにありますが。県担当b局への取材では、未だに具体的になっていないようです。
「だれが、どこへ行くのかなど、広域避難のプランは立てられていない。」というのが今の高知県の「南海地震対策の現実」なんです。
高知市街地の海抜0メートルから海抜2メートルの海や川に隣接している低地に現在12万人の市民が住み生活しています。住居だけでなく、事業所や商店街も、学校も、病院もあります。幹線道路も縦横に低地の市街地を貫いています。
もし学者の予報どうりの南海トラフ地震が起きたら、とりあえずは地域やや市役所が決めた津波避難ビルや、津波一時退避場所に駆け上がるにしても、いつどこのドライエリアの避難所へいけるのか、全く情報がありません。町内のコミュニティを壊すことなく移動できるのかも全くわかりません。
これは明らかに「行政機関(県庁・市町村)の怠慢ではないかと私は思います。県政―高知市政でも何をおいてもしなければならない最優先事業ではないのでしょうか?
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2016年11月3日は「昭和秋の感謝祭」(下知地域内連携協議会・国見俊介会長)が、ちより街テラスで開催されます。そこへ二葉町が地域間交流しています仁淀川町長者だんだんくらぶ(西森勇幸会長)が、仁淀川町の産品を持って来てくれます。
(2015年11月3日の昭和秋の感謝祭)
2日後の11月5日は、長者キャンドル・ナイトが開催されます。長者の原風景である石積みのだんだん畑にキャンドルが灯され、夜店も出店。ステージではコンサートも開催される予定です。
2012年12月2日に行きました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-4816.html
今度はこちらが仁淀川町長者を訪問する番です。多くの人達が長者キャンドルナイトへ参加されるように願います。当日わたしは運転手になることに決定しています。
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二葉町自主防災会 会長 森宏
昨年より下知地区減災連絡会では、各地域の自主防災会役員を中心に、下知地区防災計画を検討してきました。
想定どうりの南海地震が発生すれば、二葉町は大きな揺れ(最大震度7)に襲われ、地盤は最大2M沈下し、地震発生から数分以内に浸水が始まります。津波はその30分後に襲来します。ただちに二葉町内の指定津波避難ビル。地区指定津波一時退避場所(二葉町防災マップに表示)されています。また長期浸水状態も予想されています。
甚大な被害を受けた後で、復興・復旧計画を議論しても十分なことができません。地震災害に弱い下知地域をどう防災の観点から強くするのか。どうやって下知地域(二葉町)を再建するのか。事前に復興まちづくり計画を下知地区減災連絡会では、昨年より6回の意見交換会を実施してきました。
今回はその報告と、町民各位の意見交換会を開催したいと思いますので、二葉町防災会の防災リーダーの皆様、役員の皆様、二葉町町内会の役員の皆様、関心のある町民の皆様のご参加をお願いします。
(日時) 2016年11月12日 午後6時より
(場所) 下知コミュニティ・センター4階多目的室
(議題) 下知地区防災計画=下知事前復興まづくり計画についての報告・意見交換会
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2016年10月23日(日曜)は、父(97歳)のリハビリ・ゴルフの付添です。気温は秋になり適温となりました。出発直後の気温は、大橋通りラビータ前で20度です。
いつものように入念に自己流の体操をして、水分補給(経口補水液・OS-1)をして球を打ちます。1発1発ゆっくりと打ちます。涼しくなりましたので、休憩を頻繁にとらなくてもよくなりました。
その間ガラケー携帯に長文のメールが来ていました。その返事を書いていました。調子よく打ちました。帰りにラビータ前で見ても気温は21度でした。1年で1番快適な気温帯ですね。
戻ると家の用事が待っているようです。ふろの掃除とトイレの掃除を言いつけられています。お蔭様で体調は良くなりました。そのかわり奥歯が違和感が。河瀬先生の「口腔ケアの重要性」を聞いていますので、歯科医院に行かないといけないですね。
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2016年10月21日の朝日新聞高知版に、10月13日に下知コミュニティ・センターでの河瀬聡一郎さん(宮城県石巻市雄勝診療所所長・歯科医師)の講演会の様子が記事になっています。「口腔ケアで命を守ろう」と長田豊記者が書かれています。
昨年下知地区を中心とする「被災地交流ツアー」(坂本茂雄・団長以下8名参加)にて、2015年6月22日に石巻市雄勝診療所をお訪ねしました。当時は河瀬さんとスタッフの皆さんとの意見交換会は正味30分程度しかできませんでした。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/33-0bb5.html
その時河瀬さんのお話で印象に残ったことがありました。
「災害時であっても口腔ケアをきちんとしないといけないですね。災害支援食品のおむすびや菓子パンなどが食べられず栄養不良になったり、誤嚥して肺炎になる人が続出しました。せっかく津波から助かっても避難生活で命を落とす人が当時続出しました。」という話でした。
今回は記事にありますように、口腔ケアも緊急対応が必要であること。「特に抵抗力が低い障害者や難病患者は口腔疾患が全身疾患に移行しやすく、優先的に支援が必要」世報告されました。
「次の災害で社会的弱者を災害弱者にしないため、日頃の情報把握や関係機関の連携などの準備が重要」とも述べられました。口腔ケア。とても大事な医療・介護対策であると思いました。
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山本宏幸さんとのおっさん2ショット
2016年10月22日(土曜日)は朝から雨。体調も良くなく父が通院している植田医院へ。「喉風邪ですね。」との診察。漢方薬の風邪薬を処方いただきました。来週末は東京出張なので、体調を整えないといけないです。
17時からYASU海の駅クラブで役員会があるので、サッカーのJリーグの新潟VS浦和戦を見終わった後に雨の中夜須へ車で出掛けました。
昨日はりまや橋商店街で、久しぶりに路上詩人はまじこと濱崎一途さんに会いました。そしたら「山本さんとのおっさん2ショットが面白い」とか言われました。アートな人に褒められたら辞めるわけにはいけないですね。
http://yes-we-can.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_355d.html
(8年前の対談です。)
ということで今日のおっさん2ショットは、自撮りです。山本宏幸さんが「早いけどクリスマス」バージョンを持ってこられました。
YASU海の駅クラブ理事会と英国遠征報告会
先月の理事会は、下知地区防災計画意見交換会と被りましたので欠席。今回の2016年10月22日の理事会は事業報告が主体ですぐに終わりました。特別ゲストとして高校生が2人来られていました。
町田丈一郎さんと間城大賀さん。中学時代からジュニア・ヨットクラブで活動されています。今年の7月に英国の北アイルランドに世界トッパー選手権に日本代表として参加されました。その報告会です。
「ロンドン・ヒースロー空港から北アイルランドに乗り継ぎました。日本からは僕ら2人だけでした。中国が多くエントリーしていました。」
「レースは強風やうねりがあり結構寒かったです。ホストファミリーは親切で応援に来てくれました。滞在先からハーバーまでは徒歩で行ける距離でした。世界中から160艇がエントリーしていました。」
2人の感想は頼もしい。
「不安でしたが、現地で友人も出来ました。行ってよかったと思います。」
「今後の帆走に活かせる経験が出来ました」
丸岡理事長がYASU海の駅クラブから旅費の1部を助成すると言うことで、目録を2人に渡しておられました。
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2016年10月3日に誕生日献血をしました。ようやく97回目の献血です。400ミリ献血なので、年間に3回までしか出来ません。私の場合はA型のRHマイナス型。日本人やアジア人全体に少ないRHマイナスです。
A型は日本人の30%はいる血液型。しかし大半はRH+です。RHマイナス型のA型は200人に1人しかいません。0・5%です。70万人の高知県民で30%がA型の血液型としますと21万人A型です。うち0.5%ですから1万人はいるはずですが、赤ちゃんや献血のできない高齢者(70歳以上)や服薬している人などがおられ、献血できる人はごくわずかでしょう。
ですので怪我したり、病気にならないように心掛けしています。
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2016年10月21日の高知新聞20面は[高知地震新聞」。筆者は佐川支局の吉川博之記者。10月14日に、荒木さんと吉川さんと3人で、仁淀川町長者での稲刈り体験に参加したところ取材されました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/…/…/10/post-1ec1.html
田植えや稲刈り作業でお世話になっています「だんだんクラブ」の岡崎信守副会長(農業担当)からは、「長者小の児童と一緒に二葉町の人が一緒に稲刈りする風景を取材に来ます。」とだけしか聞いていませんでした。
当日の取材対応と、後から仁淀川町の皆さんと二葉町との交流の経緯を説明しました。東日本大震災直後の2011年4月から事前協議はスタートし、6月から実際の交流事業は始まりました。
経緯につきましては、ブログ二葉町防災新聞のカテゴリー「仁淀川町ー二葉町の交流事業」を読んでください。さまざまな試みをしてきています。交流地区も変化してきています。2012年から長者地区のだんだんくらぶの皆様との交流が始まりました。
高知地震新聞下段の写真は昨年訪れた仁淀川町泉川地区との交流の様子です。集会所や空き家も見せていただきました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/…/…/08/post-dfa5.html
長者のイベントにこちらも参加しますが、だんだんクラブの皆様も3年前から下知地区の秋のイベント「昭和秋の感謝祭」へ仁淀川町の食材を販売しに来てくれています。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/…/2015/11/5-4294.html
(2015年の様子です)
ただ記事にあるように「行政側の支援、具体策」は、東日本大震災から5年半経過するのに県庁も市町村も全くなにもされていません。
真剣さと危機感が行政部署には全く足りないと思います。「南海地震では4万人の死者が想定される」という数字の遊びだけをしています。
[死者」にカウントされる海抜0メートルの高知市二葉町の住民とすれば、県庁や市町村の災害対策部署の対応はもどかしいし、なまぬるい。
これでは実際に大地震が起きたら何の対策もないまま、私たち下知住民は「難民」になることでしょう。
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2016年10月21日は、昼食後母(90歳)を連れて、はりまや橋商店街へいきました。お天気でしたので歩行補助車を積んで行きました。
まずはコロッケ屋さんで夕食用のコロッケを買いました。続いて光の村の露店市でせんべいを購入しました。
谷ひろ子さんのお店で焼き菓子を買いました。そしてホットコーヒーと焼き菓子で活き活き100歳体操の準備作業をする傍ら、お茶をしました。
今日の活き活き100歳体操(介護予防体操)は11人のお元気な高齢者の皆さんが参加されていました。来られていた76歳の人も「脳梗塞の後遺症で手足が動きにくかったが、随分体操のお蔭で改善されました。」とのことです。
母も腕に重りをつけて体操をしていました。秋になると元気になる母です。
母が体操をしている間に鳥取で震度6弱の地震があったようですね。高知市でも震度3でした。
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2016年10月20日に、下知コミュニティ・センターにて、下知コミュニティ・センター運営委員会(会長・坂本茂雄氏)が開催されました。役員定数は7人ですが5人が出席し役員会は成立しました。来賓として地域コミュニティ推進課からも2人出席されています。
坂本会長の挨拶の後に、議事が審議されました。「平成28年度前期事業報告及び後期の事業計画」「平成28年度予算執行状況」「平成28年度前期利用状況」などです。特に異論はなく承認されました。
「その他」のところで、防災部会として、10月19日の防災部会で審議したことを報告しました。
1)夜間避難を安全に行うための津波避難誘導灯の件
「高知ホタル・プロジェクト」の一環で、下知コミュニティ・センター前の街路に太陽光ソーラー街灯2基の設置を高知市地域防災推進課に要望していました。その現地調査に9月27日に市役所が下知SSに来ました。
「北側面ですが、下知CCの建物の陰に冬場はなり、太陽光が遮光されます。現状では設置は不可能」との回答がありました。
しかし地域の避難誘導灯は拠点避難収容施設なので、必要です。運営委員会での賛同がえられ、下知コミュニティ・センター運営委員会として市役所に再度要望することになりました。
その際地域防災推進課に対して「冬場の現地調査、日照調査もお願いしたい。」との意見も賛同が得られました。
2)国際信号旗の掲揚ポールの常設の件
下知コミュニティ・センターの施設管理者である高知市地域コミュニティ推進課によう「掲揚ポールを屋上5階部に固定させ、必要に応じて掲揚できるようにしたい。」との要望を出しました。
目的は「避難所である下知コミュニティ・センターに国際信号旗を非常時に掲揚することで、地域住民に情報伝達をすみやかにする。」ことです。
施設管理者である地域コミュニティ推進課の方からは、「施設完成後に新たな施設を工作する場合は慎重さが求められます。公共建築科とも協議します。どのような方法で固定するのか、素材や固定方法を図面なので表示していただきたい。」との意見が出されました。
3)下知コミュニティ・センターに携帯無線とトランシーバーの設置
坂本会長より下知コミュニティ・センターにも免許が不要な無線通信機1台と、簡易型トランシーバー1台を購入してはどうかとの提案があり、役員の賛同が得られ採択されました。
11月3日の昭和秋の感謝祭(下知地域内連携協議会主催)への参加依頼もされました。
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下知コミュニティ・センター運営委員会防災部会が、2016年10月19日に午後6時半から開催されました。議題と審議での意見は以下の通りです。
1)夜間避難を安全に行うための津波避難誘導灯の件
「高知ホタル・プロジェクト」の一環で、下知コミュニティ・センター前の街路に太陽光ソーラー街灯2基の設置を高知市地域防災推進課に要望していました。その現地調査に9月27日に市役所が下知SSに来ました。
「北側面ですが、下知CCの建物の陰に冬場はなり、太陽光が遮光されます。現状では設置は不可能」との回答がありました。
しかし地域の避難誘導灯は拠点避難収容施設なので、必要です。防災部会として市役所へ要望します。
出された意見は、「もう一度冬場に実際に日照時間と太陽光蓄電パネルの適性が現地であるかどうか市役所に検証いただく。」「下知CC西側のガソリンスタンド付近はどうか?」四国電力の電柱に接続できないのか」が出されました。
運営委員会での検討・要望課題にしていただくようにします。
2)国際信号旗の掲揚ポールの常設の件
下知コミュニティ・センターの施設管理者である高知市地域コミュニティ推進課によう「掲揚ポールを屋上5階部に固定させ、必要に応じて掲揚できるようにしたい。」との要望を出しました。
目的は「避難所である下知コミュニティ・センターに国際信号旗を非常時に掲揚することで、地域住民に情報伝達をすみやかにする。」ことです。
開所当初予定になかった施設の追加は、施設管理者としては慎重になるのは当然。運営委員会としても協議し「どうすれば設置が可能なのか」ろ市役所側に要求していきます。
3)避難所運営マニュアルの作成と常備、鍵の引き渡し要求について
避難所運営マニュアルは下知地区減災連絡会と協力して近日作成します。それを「防災BOX]にして、防災部会部員が非常時に下知コミュニティ・センターへ駆けつけても、避難所運営を指揮できるようにする。
また施設管理者である高知市地域コミュニティ推進課と、地域防災推進課を、交えセンターのカギの管理などを協議します。
出された意見は「避難所運営マニュアルは本年度から本格検討課題であり、即出来るものではない。」「センターのカギを複数持つよりも、別の方法で開錠する方法を検討する。」「市役所側と協議する。」ことになりました。
4)下知地区一斉防災訓練(12月18日)の件
昭和南海地震70年です。下知地区減災連絡会と協力して下知コミュニティ・センターを活用して訓練を行います。
(報告事項)
1)JICA研修生との意見交換会(9月22日)
大好評であったことを報告しました。
2)防災部会事業変更の件(西田政雄氏防災講演会の中止)
バングラ・ディシュ経由ネパール震災支援を計画していますが、現地の情勢が不安定で予定がたちませんので、「防災部会連続セミナー」は本年度は中止しました。
3)下知SSの本年度防災備品調達の件
西田政雄さんの講師謝礼を活用して防災備品(紙コップ・サランラップ。ちり袋)などを購入しました。屋上で流し台に使用する排水ホースと、地域連携協議会新聞を全戸配布する費用の1部を拠出しました。
4)下知地区防災計画(事前復興まちづくり計画)意見交換会(9月27日)
各地域の支援をしていきます。
5)スマホDEリレーについて(高知市議会で採択・来年下期に下知で実施予定
下知地域で実証実験をするように聞いています。
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両親が5年前から通所している介護予防通所リハビリ施設から、利用回数削減の通知が遂に来ました。現在父(97歳)は要支援2、母(90歳)は要介護3です。
父は慢性腎不全。ステージ4であり透析1歩手前で懸命に踏ん張っています。植田医院への週3回の通院での点滴と、適度な運動(通所リハビリへの週3回利用)と水分補給で、腎機能は悪化せず助かっていました。
ところがこのたびの介護保険制度の改悪で、父の場合は週3回の利用が週2回の利用に制限されます。理学療法士などの専門家による歩行始動が受けられなくなりますね。では市町村の総合事業に移行した要支援の1・2の人はどうなるかといえば、具体的な市町村の施策は何も見えず「切り捨てられる」ことになります。
父などは介護予防通所リハビリ施設のお蔭で運動機能が維持され、狭い自宅での2階3階での生活が維持されています。それは週3回の通所がぎりぎりであり、1回減らされるだけでも大きな影響を受けます。在宅介護ケアしている家族には大変です。
現在の社会保障審議会では更なる社会保障の改悪を目指した検討がされているようですね。
「介護保険料の自己負担を現在の1割から2割負担にする。介護報酬を全般的に切り下げる。要介護1と要介護2も要支援同様に介護保険制度から切り捨てる。それを平成30年から実施する。」とか大変な国民生活の負担増加でありますね。
超高齢の両親を何とか在宅で生活の維持をするべきと、家内と2人で懸命に頑張って来ました。しかし現在の厚生労働省のやろうとしていおることは自分たちがこしらえた介護保険制度の破壊です。
年金も切り下げられ、更に削減される。介護保険制度は縮小され、介護予防は切り捨てられる。新自由主義のは人間を大事にしない。「得手勝手資本主義」を信仰している連中が政権を担うので国民生活はどんどん貧しくなり切り捨てられています。
危険極まりない原子力発電所を再稼働させ、税金を湯水のごとく投入しようとしています。利益を得るのは原発関連企業と原発周りの自治体だけ。でも福島の現実はすべてを壊してしましました。ちゃんと5年前にわかってること。それを何事もなかったように原発を再稼働することは、地震対策の立場からも危険すぎますね。
社会保障の費用はどんどん削減しながら、大企業や大金持ちは減税しています。危険な原子力発電に費用をどんどん投下しています。近隣諸国(中国)との緊張を煽り、軍事支出を増大させています。
沖縄県民の民意を全く無視して、米軍のための軍事基地を強行してこしらえています。そして「解散風が吹いてきた」とか煽り立て解散総選挙をしようとしています。
国民負担をどんどん増加させながら、「個人消費が振るわないから景気が回復しない。」ことは当たり前なんですよ。いい加減に安倍内閣は退陣していただきたいものです。
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2016年10月16日(土曜日)下知コミュニティ・センターにて18時から河瀬聡一郎氏(石巻市雄勝歯科診療所所長)防災講演会が開催されました。主催は下知地区減災連絡会です。
河瀬聡一郎さんには、五台山展望台から、高知市下知地域の海に隣接した海抜0メートルの市街地を講演前に見ていただきました。
講演内容は「東日本大震災の被災地で歯科医師が体験したことー避難所生活・被災時の口腔衛生」です。
昨年下知地区の有志や防災活動の関係者8人で、「東北被災地交流ツアー」を実施しました。その折雄勝診療所も訪問し、河瀬さんやスタッフの人達と意見交換をしました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/33-0bb5.html
(2015年6月22日に雄勝診療所にお邪魔しました。)
歯科医師と言えば、遺体の確認作業で大きな役割をされている。ということは知っていましたが、避難所生活での歯の手入れや衛生に確保がとても大事であることを言われました。気が付かなかった観点でした。
講演では震災関連死と言われるせっかく大災害で生きのびた人たちが、避難所生活で亡くなってしまう。その多くは誤嚥性の肺炎が多く、歯が悪いために食べものが食べらなかったり、誤嚥してしまう事例がおおいことをご指摘されていました。
また障害を持たれた人たちや高齢者の人達は、混乱した最中での避難収容所生活が難しく生きることが大変難しいとも言われました。
「一般の人は命があれば生きることができる。障害者や高齢者は、災害から生存してからが戦いなんです。」と。
河瀬聡一郎さんは「私は中学や高校時代にインクルーシブな教育環境(障害のある子も無い子も共に学び、共に育つことができるようにしよう、最初から分けずに包みこもう」という概念です。つまり、どんな障害や病気(あるいは他の事情)をもつ子どもでも学校から排除されず、共に学びあえるような学校を権利として保障しようとするものです。)で学んで来られました。
普通の学生生活のなかに学友として障害をもたれた人がいたので、それが当たり前の社会なのであると思いました。東日本大震災でも、避難所に行くことが出来ず、在宅で避難生活をされていた障害者や高齢者が多くおられました。
支援が行き届かずその声は行政にも届かない。専門領域の歯科の口腔衛生でも歯科医院が多く罹災したがために、口腔の衛生環境がなかなか確保できない状態でした。それで体の抵抗力・免疫力が低下して、深刻な病気になる人も多くおられました。
「口の菌が心臓へ行き、脳へ行って深刻な症状を起こした人もいました。幸い緊急治療で延命しました。それは「災害対応ハンドブック」があり、患者さんの情報を言えよう関係者や地域社会が共有していたので、緊急時対応が出来たのです。」
話を聞いていまして、難病の人、高齢者、障害者の人達は「事前の準備」や「地域社会のなかでの情報共有」が必要であると思いました。
口腔ケアが十分でないと、支援食料である菓子パンやおにぎり、コンビニ弁当などが食べられません。栄養補給が出来ず深刻な問題になります。
「災害時には社会的弱者を災害弱者にしないことです。それは平時から地域で障害児・者との繋がりをもつことであり、学会、歯科医師会、行政、地域と連携し災害時の対策マニュアル作りを行うことです。」
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7月に北海道在住の叔母田村好子が94歳で他界しました。うちの母(90歳)の姉です。キャラクターが全く異なります。母と違い自分の子供時代のルーツを覚えていて、高知へ来れば、丹念にゆかりの人達を訪問していました。
その叔母の意志を継ぎ従兄弟夫婦が叔母の遺影と家族葬のアルバムを持って訪問しました。わたしは運転手です。母は叔母の実妹(4歳違いの)ですが、子供時代のことなど話をしない人でした。
「記憶は上書き保存」されてしまうので、昔のことに拘らないあっからかんの性格は母。叔母はとことんこだわる。世界観がまるで異なるので話を聞くだけで面白い。
叔父夫婦にも久しぶりに会いました。祖父母の仏壇に祈祷しました。
帰りにいの町の紙の博物館へ寄りました。従兄弟夫妻の2ショット写真も撮りました。
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急に涼しくなり夜明けも遅くなります。目覚めが遅くなり2016年10月15日(土曜日)の起床は5時20分過ぎ。朝食を食べ、トイレを済ませて横田政道さんところへ着いたら6時を過ぎていました。遅刻です。
大崎修二さんも来ていまして3人で、弘化台の横田さんの倉庫に在庫してある培養土を2個ずつ自転車に積み五台山市民農園へ向かいました。買い物かごがある家内の自転車で行きましたが、タイヤの空気が少なくふらふらして進めません。新青柳橋は歩道の幅が狭いので、押して渡る羽目に、またもリタイヤ組でした。
五台山農協婦人部の良心市で2人は待っていてくれていて、集合して階段を上ることになりました。背負子に2個ずつ培養土を積んで運搬。横田政道さんは肩に背負って2個運びます。我々と体力が違いますね。
早速土を畑にまいてウネをつくりました。わたしは雑草引きをしました。なにやら朝からへばりました。これから父(97歳)のリハビリ・ゴルフの付添です。
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2016年10月15日(土曜日)は爽やかな晴天。朝9時前の大橋通りラビータの温度表示は16度。随分涼しくなったものです。途中道路沿いの高知商業高校では体育祭をやっているようでした。
父(97歳)はいつものよう自己流の体操をして、水分補給(OS-1.経口補水液)を飲んでいます。1発1発打っています。涼しいので休みの時間が短くなりました。その間今日発売の週刊現代を読んでいました。
ただ打ち放し終了後、歩くとしんどそうでした。歩行スピードも遅い。階段昇降は苦しそうで息切れをしていました。腎機能は低下していません。足腰の衰えは想像以上です。対策をしないと2階・3階の生活ができなくなるので真摯にしないといけないですね。
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2016年10月14日(金)は、高知市二葉町の資源・不燃物スターション開設の日です。毎月第2金曜日に午前6時から8時までの間、下知コミュニティ・センター前の道路で開設されています。
二葉町町内会副会長の荒木三芳さんの指示のもと次々と持ち込まれる町民持参の資源・不燃物を各班の班長に指示して的確に仕分けしています。
瓶は透明・青黒・茶の3種類に分別。段ボールも雑紙(印刷ダンボール)と無地段ボールに仕分けされています。[高知方式]と言われる町内での細かい仕分けをしているので、高知市は過大な中間処理施設の必要がなくなったとも聞いています。
そうであるならば高知市町内会連合会への交付金を市役所は増額させるべきでしょう。市民自治と言いながら、そのあたりは実態がないようです。
大事な地域コミュニティの行事です。市役所は市民の要望を傾聴すべきでしょう。
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仁淀川町長者地区のまちづくりグループだんだんくらぶ(西森勇幸会長)にお世話になり、田植え体験に参加したのは4年前。植えた以上は稲刈り体験もしたい、と願望していましたが、いつもその時期は雨にたたられ行くことが出来ませんでした。
今年はようやく晴れ間が続き、平日でしたがお声がかりました。長者小学校の農業体験授業で稲刈り体験をするとか。なんとか仕事の都合をつけ、在宅介護ケアしている超高齢者の両親も体調が良い。朝はインフルエンザの予防接種もしました。それで5月29日の雨の中での田植え体験を一緒にした二葉町自主防災会の荒木三芳副会長と、家内の友人の吉川真由美さんと3人で高知市から参加しました。
長者小学校の子供たちは5年生・6年生の9人が体験に参加しました。だんだんクラブの人達から鎌の使い方を教わりました。右手で鎌を持つのであれば、稲穂を持つ左手は逆手で持つこと。その方がスムーズに稲穂が刈り取れます。いつもの癖で順手ですると作業が滞ります。
子供たちは力こそないが手際が良い。手分けして刈り取っています。手に一杯になるほど稲穂を刈取り、3束づつ交互に積み重ねます。茎や藁縄で縛ります。縛れば稲帆干し場まで運搬します。
小型コンバインが登場。前進すれば稲穂が刈り取られ、束ねられています。実に優れものですね。岡﨑信守だんだんくらぶ副会長(農業担当)が、子供たちにコンバインの操作の仕方を教えていました。子どもたちはどんどんコンバインを操作します。
先生方もやって、吉川真由美さんも、荒木三芳さんも操作しました。1時間ほどで作業は完了しました
。お手伝いしたのは「水田ブルー」という長者小の子供たちが、しろかき段階から田んぼをこしらえ、田植えをした棚田でした。
刈取りが終わりますと、だんだんの里の広場前まで運搬します。そして束ねた稲穂を干します。干し場も昔ならではのやり方で干し場が建てられています。
稲穂も干しやすいように交互に交差して束ねられています。そうすることで、稲穂の束が干し場にきちんとかかります。長者小の子供たちも屈託がない。地域の人達と自然に交流が出来てとてもいいなと思いました。
作業がおわりますと農村レストランだんだんの里で「反省会」です。長者のだんだんクラブの皆さんと荒木三芳さんは美味しそうにビールを飲み、長者の大野さんがつってきた鮎とあめごの天ぷらや、チャーテーの炒めものやおでんでくつろがれています。わたしは運転手なので、眺めていました。
11月3日の「昭和秋の感謝祭」には、。長者のだんだんくらぶの皆さんが来てくれます。11月5日(土曜日)の長者キャンドルナイトはこちらからも参加しないといけないですね。
自然体で地域間交流を続けていくことが大事です。それが「もしも」の災害時にお互いの地域で「励み」になりますので。
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2016年10月15日(土曜日)に、宮城県石巻市雄勝地区から、河瀬聡一郎氏(石巻市雄勝歯科診療所所長)をお招きし、防災講演会を開催します。概要は以下です。
(日時) 2016年10月15日(土曜日) 午後18時より
(場所) 高知市下知コミュニティ・センター4階多目的室(駐車場はありません。)
(講師) 河瀬聡一郎氏(石巻市雄勝歯科診療所所長)
講演内容は「東日本大震災の被災地で歯科医師が体験したことー避難所生活・被災時の口腔衛生」です。
昨年下知地区の有志や防災活動の関係者8人で、「東北被災地交流ツアー」を実施しました。その折雄勝診療所も訪問し、河瀬さんやスタッフの人達と意見交換をしました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/33-0bb5.html
歯科医師と言えば、遺体の確認作業で大きな役割をされている。ということは知っていましたが、避難所生活での歯の手入れや衛生に確保がとても大事であることを言われました。気が付かなかった観点でした。
是非多くの市民が参加され、情報を共有しましょう。
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下知地域内連携協議会(国見俊介・会長)の下知地区限定のコミュニティ紙「bonds(ボンズ)創刊号がこのたび発刊されます。下知地域の真ん中にある藁工ミュージアムとシアター蛸蔵の編集によるものです。下知地域9000世帯に配布される予定です。
bonds(ボンズ)というコミュニティ紙の名前ですが、国見俊介会長が言われるように「くっつきたい、くっつきたいという私たちの願いが込められています。
」。「下知地域の人と人が知り合いの繋がりのキッカケをつくりそのつかがりをくっつけてコミュニティを作ることをめざしています。」
ボンドという接着剤があります。ボンズはその複数形であり、地域内の人間関係を密にしようと言う意図がそこには含まれています。コンセプトの1つのなかに「防災は文化、地域のたしなみ」ということがあります。
1面は地域の行事の報告記事や告知記事です。「わらこう夏祭り」や「わくわく減災力」「高知の森林鉄道」「スマイルしもじ」「昭和秋の感謝祭」などが掲載されています。
裏面の「下知地区をご存知ですか?」というテーマの記事です。
「もともとここは海でした」「9400世帯、16000人」「ご自宅や職場に1番近い津波避難ビルをご存しですか?」「ほんの少しの手間が、きっとあなたの大切な人の命を守ります。」
QRコードは高知市ホームページ「津浪避難ビル」を表示しています。
ドライエリアの便利な市街地である下知地区。でもそこは1000年前は海の底でした。海抜は0メートルですので、地震が起きればすぐに浸水します。
「これを読んでいるあなたはまさに「下知地区」の住民です。bonds(ボンズ)創刊号は、10月下旬に高知市の広報紙「あかるいまち」に、下知コミュニティ・センター便りと一緒に下知地域住民各位に全戸配布される予定です。
ということで防災活動や地域活動に無関心な下知地区の住民や勤務者に防災・減災に関心を持っていただくことがまずは肝要ですから。
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世代交代に失敗した日本代表。特に守備力が弱い。屈強な豪州相手に通用するのか。負ければ予選で敗退します。さてどうなるのか、見るのが辛い。先に失点すれば100%負けですから。
と言いつつ見ていましたが、日本の動きが良い、特に本田と香川がプライドを捨ててつぶれ役になっている。前半5分に本田が前線でキープし原口に、落ち着いて決めて先制点。
豪州の猛攻もしのぎう、高い位置で奪いカウンターを仕掛ける、イエローは豪州が多い。1-0で前半は終了。しかし安心は出来ませんね。2006年のドイツW杯は前半は1-0でリード、後半に3点取られ豪州に惨敗してますから。後半ももう一点取らないと危ない。選手交代が鍵。だらだら指示をしないことだ。監督は。あれでリズムが狂う。
後半になると豪州は一気に前がかりになりました。早いパス交換とドリブルで日本は押し込まれる。守備が遅れがちに。後半7分に原口が後ろから倒したと言う判定でPKに。微妙な判定でしたが、PKを決められ1-1に。
豪州はかさにかかって攻める。日本はきちんと守る。でもセカンドボールを拾われ危ない場面も何度もありました。2回ほど日本も決定機がありましたが決められません。
結果は1-1の引き分け。まあそんなものでしょう。それにしても後半は豪州ボールが多すぎる。もっと攻撃をしなければ勝てないですね。順位は変わらず3位のまま。ま会負けないからよしとしましょう。
日本代表98年W杯のころのクラッシック代表ユニフォームがまた着用できます。また女性サポーターが多かったです。日本のサッカーは健全に発展してますよ。原口は次世代のエースにならないといけないですね。
ドイツのフィンケ監督が見抜いただけの才能はありますから。
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昨日は父(97歳)は介護予防リハビリへ行ったようです。送迎の対応を家内にお任せして海で遊んでいて私自身は癒されました。
さて10月10日の体力測定ですが、全般的に身体機能はなんとか維持し、2本足直立歩行を維持しているものの、コメントして「足の動作が遅くなっているように思われる。」とあります。やはり歩行スピードが遅くなっています。
歩幅も小さくなり足も上がっていませんすり足で歩いているので転倒のリスクは高いです。細心の注意を払わないといけないです。
休み明けに植田医院へ行きました。10月6日の血液検査の結果がでました。
「クレアチリン値が2.13になりいいですね。尿素窒素とカリウムもいいですね。やはり夏場の週3回の点滴が良かったですね。」と植田一穂先生。尿酸値やコレステロール値などは、わたしより数字に良い父です。腎機能だけが悪いだけですから。
午後からは母(90歳)と一緒に介護予防通所リハビリに行きました。
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2016年10月9日午前10時前に、藁工ミュージアムにある蛸蔵へ行きました。そこでは、昨日から昭和と江陽の小学生(3年生から6年生まで)が20人が蛸蔵スタッフと泊り込み、防災キャンプ(ワクワク減災力ダンボールハウス・キャンプ&防災クイズ)をされていました。
参加された20人の子供たちは、昨夜は蛸蔵へ泊り込み。段ボールを加工して自分の寝室を作成し宿泊。朝は6時にラジオ体操をしたそうです。昨夜は防災・減災についていろいろ議論をしたそうです。
その発表会がありました。1から4までの班に分かれそれぞれの課題についての発表でした。
1グループは「家具の固定の大事さ」についてです。家具を固定しないと怪我したり、出口を塞いだりして、次の避難行動が出来ない事を寸劇で表現していました。
2番目のグループは「率先避難の大事さ」です。地震発生後何をするのか。携帯を見るのか、避難袋を探すのか。下知地区では真っ先に高い建物へ避難することです。
3番目のグループは「避難所思いやりチーム」です。津波避難ビルからようやくドライエリアの避難所へ到着。そこはやかましいし、臭いし、いろんな人がいます。高齢者、障害者、外国人、ペット連れのひと。そのなかで「子供として何が出来るのか」を発表しました。
4番目のグループは「事前の備えで何が大事かを調査するチームです」。家族の落ち合う場所や、町内会の防災訓練に参加することなどが提案されていました。「町内会の防災訓練にも参加する」という言葉に入っていました。
子供たちも頑張っていました。ご父兄も40人くらい来ていました。藁工のスタッフも頑張っていました。
地域には頼もしい存在です。子供たちから親へ波及し、下知地域全体が、「防災は文化であり、たしなみである」ように思い込んでいただいたら幸いです。
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10月10日は52年前の東京五輪の開催日。当時昭和小5年生でした。授業中でしたが先生が「聖火リレーがやって来るのでみんなで電車道まで行って見ましょう。」と言われ見に行ったものの、既に沿道はびっしりと人の波。背の低い小学生は聖火の煙しか見えませんでした。
今日は正真正銘の秋晴れ。こうでなければならない。2020年の東京五輪も10月に開催すればいいのにと思う。アメリカのTV局の意向で8月開催になりましたが、商業主義にに捻じ曲げられていますね。
10月のスタート週は、2人の父方の叔母が相次いで亡くなったためお通夜と葬式の連続でした。超高齢者の両親を連れて行くだけで正直疲れ果てました。超高齢者は1時間の儀式がなかなか耐えられませんから。
家内の許可を得て久しぶりに夜須の海へ来ました。今日は秋晴れ。ようやく爽やかな秋の空になりました。台風18号で避難していた自分のヨットをハーバーへ持って行きぎ装(ヨットの組み立て)をしました。予報では9Mから10Mの北風が吹くと言うことです。合羽やウエットスーツまで持ってきました。
ぎ装してましたら、Hさんに久しぶりに会いました。海を見た生活がしたいということで、近くにセカンドハウスを借りているそうです。どうでもいい雑談をしました。「下手でも年とっても海へ出ることはえいことよ。頑張りや。」と励まされました。
海へ出ますと結構な強風。寒くはないのでTシャツに短パンの夏仕様で海へ出ました。海での写真は午前中は撮れませんでした。夏仕様は今日で最後でしょうね。来週末は河瀬さんの防災講演会や、北海道の従兄弟が来ますので夜須へは来れないでしょうから。
昼食は訪のおむすびと卵焼きを食べました。少し休んで午後も海へ出ました。
午前中より風が少し弱まりました。押岡大樹さんが、高知大学ヨット部の新入部員とジュニア・ヨットクラブの女子部員を海上で自ら手本を示しながら熱血指導をされていました。高知大学の470艇も出ています。
結構強風でしたので緊張感もあり、このところの精神的な疲れが癒されました。やはり海はどん曇りではなく晴れた方がいいですね。
山本さんとおっさん2ショット
海の散帆の後、道の駅やすへ行きました。アイスバーの店のマナマナは絶好調だそうです。9月からパスタ料理や喫茶メニューもアイスバー以外に始めたので、好調であるとか。いろんな世代の人達が来店しているようです。
それで店舗の応援に女性スタッフが出払いました。自撮りで撮影しました。明日は「運命のオーストラリア戦」なので、98年の日本代表Tシャツ着用ですね。負けたら終わりなので今後着用出来ませんから。
山本宏之さんも「自撮り棒」を自宅へ忘れたそうです。
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2016年10月7日に開催されました下知地区減災連絡会・役員会。ゲストで高知市役所地域防災推進課の職員2名が出席していました
。その折、高知地方気象台の作成した「平成28年10月5日に発生した高知県高知市及び南国市で発生した突風について」(気象庁機動調査班による現地調査の報告)がありました。愚直にスキャナーし、ご報告させていただきます。
報告書によりますと現地調査の結果「竜巻とみとめられる」ということになりました。強さは風速60M/Sで、JEF2であり、6段階の強さで3段階目でした。
この竜巻は2016年10月5日午後14時過ぎに、二葉町付近で発生。青柳公園―昭和小―丸池町―卸団地―布師田と吹き付けて行きました。写真で見ても局所的には物凄い突風であることが理解できます。
風速60Mというのも被害写真で納得です。車が横転し、屋根が吹っ飛んでいますから。うちの近くでは20M位の強風が、北上するにつれ強くなったようですね。「念のために」植木鉢をすべて倉庫に入れて大正解。警報が出れば即対策したことが良かったんです。
さすが気象庁。竜巻などの突風の対処法も表記いただいています。皆さん情報を共有し、そういう場合は慌てず冷静に素早く行動し、危機を回避いたしましょう。
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2016年10月9日は正午からの葬祭会館での告別式。超高齢の両親(父97歳・母90歳)も参列を決めました。早めの食事を軽めに10時半過ぎからとりました。11時過ぎからトイレへ行ったり、喪服に着替える時間です。どうしても手際よく行かないので、出発は11時40分過ぎになりました。遅刻覚悟です。
昨夜のお通夜は夕方でしたので道路が渋滞。早めに出ましたが時間がかかりました。今日は休日で空いていたので、告別式が始まる前になんとか遅刻せずに到着しました。
告別式は無宗教、家族葬ということで、ごく近しい親戚筋だけでした。喪主の意向で勤務先や近所にも告知しないのでこじんまりとしたほのぼのとしたお通夜であり、告別式でした。
無宗教葬なので僧侶の読経はありません。その代り叔母の人生のメモリアルDVDが上映され、式場の係りの人がナレーションをされていました。焼香はありました。」
喪主の山崎義和さんが挨拶されました。
「身近な人たちに見送られ旅立つことが母の望みです。本日は皆様ありがとうございました。」と・
出棺時にはお花を棺に入れました。最後の霊柩車の見送りと言う段になり、父(97歳)がトイレに行きたいと言い出しました。一緒に行きました。喪服を着ているので用足しするまでに時間がかかりました。無事に終了。出て見ると霊柩車は既に出発していました。母が見送りましたのでよしとしましょう。
週初めは叔母益猪(100歳没)の通夜と告別式。水曜は母の友人のご主人のご逝去。(仕事と重なり式には出れず、香典を事図家ました。)。週末は仲猪叔母(90歳)の通夜と告別式。お見送りをすることは切なく辛いものですね。なんだか疲れました。
こじんまりした家族葬でも葬儀のコストは一般葬と変わらないでしょう。 なにを言っているのかわからない僧侶のお経を聞かなかったので、「無駄な時間」はなかったように感じました。(ちゃんとお経の意味はあるんでしょうが、不勉強ですので)
「義理を果たす」ことはエネルギーはいりますね。超高齢の両親も頑張りました。今日のお勤めは終わりです。
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今週は3日・4日と100歳で逝去した叔母の田植益猪の通夜式と告別式がありました。週末の今日は叔母の山崎仲猪のお通夜に行きました。ご家族の意向で新聞広告も出さず、いわゆる葬祭会館での「家族葬」でした。
来ているのは近しい親類一党のみ。うちの超高齢者の両親も連れて来るべきですが、母(90歳)の便失禁が酷く、父(97歳)も無理させてはいけないので欠席させていただきました。
普段めったに会わない従兄弟連中と話をするのもいいものです。話しこみました。
叔母仲猪は、父の6つ違いの妹です。大正14年生まれですので、母と同年です。嫁に行って農家の仕事と子育てで大変でした。自分が進学できなかったので、3人の子供たちには教育をつけ立派に育て上げました。
2年前の本家の叔父(父の6つ下の弟)の初盆の時は、100歳で逝去した叔母も、今日お通夜の叔母(91歳)も皆来ていました。今日のお通夜に来ていたのは、本家の叔母(90歳)だけでした。超高齢者はどうしても義理を欠くようになりますね。
叔母の写真も微笑んでいい表情をしています。また従兄弟たちが共同で書いた追悼文もなかなかいいと思いました。自分の言葉できちんとした母親への追悼になってますから。家族葬もいいものですね。
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2016年10月8日は、朝からどん曇り。気温が23度ぐらいで、湿度が59%でした。・湿度が低いので雨は降らんだろうと思い込んでいたら結構強い雨が降りました。でもゴルフ練習場へ到着したら雨は止んでいました。
いつものように父(97歳)は自己流の体操をして、水分補給(経口補水液)を飲んでいます。気温が低いので球を打っても楽そうです。快調に球を打っています。
40発打ったところで、突然球が出なくなりました。このゴルフ打ち放し練習場は、カードを入れますと、打席の床下からゴルフボールが1球・1球と供給される仕組み。それが供給されない。係員に連絡し、修繕していただきました。
修理に10分くらい経過したので、「いられ」(短気な)な父は、修繕後、球打ちを再開にしましたが、あらぬ方向へ飛ぶ球が増えました。97歳にして「落ち着く」ことはありません。
125発無事に今日も打てました。よちよちと歩きます。階段昇降も時間をかけて登ります。帰り際は雨が止んでいました。予報では日中はどん曇りですが、夕方は雨の予報が出ています。雨なら叔母の通夜での超高齢の両親の参列は無理ですね。
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3日の私の誕生日は、100歳で逝去した叔母のお通夜。4日は告別式でした。超高齢者の両親(父97歳・母90歳)の付添で葬儀に参列することは、それはそれで結構大変でした。
5日は台風18号の影響で竜巻が発生しました。警報を信じ、植木鉢などもすべて倉庫に入れていたので幸い被害はありませんでした。6日・7日はメーカーの人が来社。2日に渡り懇談し、同行訪問しました。その後両親を主治医である横田胃腸科内科へ連れて行き診察していただきました。
父の血圧は134-72、母は124-62でした。2人とも「医学的所見はない・」とのことでした。最近父の物忘れや言動がおかしいと感じることがあるので、横田哲夫先生と相談し、近くに近森病院で認知症の判定をしていただくことにしました。
やれやれと言うところですが、10月7日の夕方は下知地区減災連絡会の役員会があります。地域の活動は公共性があるので、気が抜けません。週末は海の上でのんびりしたいところですが、悪天候の予報になっています。
父の妹の叔母が亡くなったとの連絡が従兄弟からありました。母と同じ年の91歳でした。
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サッカーW杯アジア最終予選のホームでのイラク戦。イラクはアウエーに関わらず守備ラインが高い。引いて守ってカウンターという中東特有の作戦ではありません。イラクは上手いしずるがしこい。難敵です。
お互いチャンスがありましたが、なかなか決めきれない。そうしたなか前半26分なんとか分、森重からスルーパスが前線の本田へ、本田の外側を清武が回り込みパスを受け、原口にパス。原口は後ろ向きのシュートが決まり日本が1-0と先制点。
しかしイラクは全然へこたれない。セットプレーの対応が悪い日本。心配ですね。日本はダイレクトパスで上手く繋ぐが、両サイドのクロスが精度がなさすぎますね。
なんとか1-0で前半を終えました。
イラク戦後半
さてこのまま日本がイラクに勝ちきれるのか?そうはいかないと思います。何故かと言いますとイラクの選手は背負っているものが違います。サッカーが国民の希望だからです。戦乱がいまだに続くイラク。モチベーションは最後まで衰えないでしょう。
後半の立ち上がりと、終了間際がポイントです。でも今日の日本代表は攻守の切り替えが早い。ボールを奪われたら奪われた選手が奪いに行くコンセプトに徹しているが最後まで崩れなければ日本は3-0ぐらいで勝てるでしょう。
最後まで集中力を切らさず、疲れた選手を交代させ、最後まで走り切れたら勝つでしょう。後半立ちからガンガンイラクが来ます。イラクの攻撃力は侮りがたい。」
しかし今日日本は清武、原口、柏木、岡崎がいいようです。ワンタッチパスが通るうちは日本は大丈夫です。イラクはしぶとい。危ない場面がおおくなって来てますね。
選手交代が鍵ですね。最初の交代は山口蛍ですね。交代でだらだらと監督が指示をしているときに、イラクのクロスから綺麗に決められ1-1の同点。これは監督の完全なチョンボ。変えるなら指示を短く、手早くすることど。長谷部、清武を変えるべき。
疫病神は監督。もし負ければ監督解任ですね。酒井は下手くそ。両サイドが日本は駄目。長友、内田の復帰が待たれます。酒井はファールが多すぎる。イエローをもらい次戦は出場停止。なにをやつている!!
原口は攻守に頑張っている。次は浅野が投入されるらしい。監督は愚だ愚だ言わず早く交代させろ!!29分に浅野が投入。イラクは前がかりなのでスペースがあるのでチャンスですね。柏木を下げてから日本がリズムが悪い。監督の交代ミスですね。
浅野は居るがパスを出す人がいない日本。引き分けなら御の字。しかし監督の采配ミスなので、UAE戦の二の舞になりる可能性も50%。引き分けは40%。勝つのは10%。
でしょう。柏木の交代がミスです。
後半39分。イラクは明らかに引き分け狙い。日本も足がとまっています。ホームで勝ちきれない日本は情けない。監督は解任すべきでしょう。へぼです。
ロスタイムにゴール前のこぼれ球を山口蛍がゴールを決めて2-1に。そのまま日本が勝ちました。監督のミスを選手がカバーしました。
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昨夜は「ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK ‐ The Touring Years」をいう記録映像の映画を、大嫌いな禿鷹イオンにあるシネコンへ家内と一緒に見に行きました。
https://hlo.tohotheater.jp/net/movie/TNPI3060J01.do?sakuhin_cd=013682
家内が地元紙の読者投稿欄を見て「行こう」ということになりました。映像は1961年のリバプールでのデビューの時代から。1969年の解散直前のロンドンのビルの屋上での最後のライブまでの映像が出て来ました。
わたしは当時からビートルズのファンではありませんでした。日本へ初来日し武道館ライブはテレビで見ていました。当時は田舎の中学生でしたが真似をする級友がいましたから物凄い影響力がありました。
友人のY君が父親が買い揃えていた分厚い高価そうな「レーニン全集」を何冊か古本屋に売り飛ばしビートルズのレコードを購入し、聞かせてもらいました。当時のわたしはアホな毛沢東主義者だったので、さほど共感はしなかったようです。
休日にとでん百貨店の屋上のゲームコーナーで遊ぶためにいの町から自転車で来ていました。その屋上で「イエローーサブマリン」などのビートルズの曲が流れていたことを思いだします。
家内もジャクソン・ファイブのファンでさほど共感はしなかったそうですが、転校生がアビーロードのLPを持っていて聞いたときはいいなと思ったそうです。
映画はコンサートの様子や楽屋裏やスタジオでの収録風景が丹念に撮られています。人種差別の激しいアメリカ南部のコンサート会場で、人種隔離をするならコンサートはやらないと言いはり、当局にコンサート会場での人種隔離を辞めさせた場面は凄いと思いました。単なる人気アイドルではありませんでした。
社会現象として「ビートルズ」の存在は大きく、ビートルズ以前と以後では社会風景が変わりましたから。西洋史では「紀元前(BC)]とか「紀元後(AC)とか言い方をしますが、まさにそうでした。
映画の最後のほうで、1965年のアメリカ・NYのシェルスタジアムと言う野球場での5万6千人の観客の前での野外コンサートはただただ凄いとしか言いようがない。PAや音響機器も貧弱な時代で5万人を相手のコンサート。
ドラムのリンゴスターが「観客の絶叫で音が全然聞こえず、ポールやジョンの尻の動きを見てドラムを叩いた」とか。今の野外コンサートのように巨大な映像スクリーンや巨大なPもない時代でしたから。
野外興業に嫌気画さし、解散するもの自然の成り行きであると思いました。映画の中で「ビートルズはモーツアルトのようだ。多くの作品を残したが名曲ばかりだ。」と。確かに50年経過しても古さを感じないし、未だに彼らを超えるグループは現れませんから。
私のようにビートルズマニアでない者が観賞しても見ごたえのある映画でした。最初はプロジューサーの言うとうりアイドルバンドとして振る舞い成功しました。場面を重ねるうちに彼等は自信を持ち、自分たちの自己主張も曲に入れるようになり成長して行きました。歴史のドキュメンタリーでした。
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2016年9月29日は、昨日に引き続きWEBセミナー2日目です。6時間の講習でした。「ウェブマスターの役割と日々の仕事」」「徹底的コンテンツマーケティング SEM:SEO]についての講演でした。
相変わらず言葉の断片と、キーワードを書きとるだけで精一杯でした。
「コンテンツマーケティングとは、適切で価値ある一貫したコンテンツをつくり、それを伝達することにフォーカスした、戦略的な考え方である。」
「見込み客として明確に定義された読者を引き寄せ、関係性を維持し、最終的には利益に結び付く行動を促すことである。」
そのための有力な方法手段は、サイト内部に組み込んだブログをテーマブログとして活用して、1つにテーマで1つのページを作成すること。適切で価値のあるテーマできちんとテキストで書くことである。専門用語を使用して書くことも良い事である。
よくある質問(Q&A)や事例(制作事例)集などはこしらえるべき。
ページが増えれば、サイトの入り口が1つ増えることになる。文章が短すぎると検索エンジンの評価が下がってしまう。
「ウェーブマスターはサイトの運営・管理人です。サイトからの情報を全社に的確に伝達しなければならない。」
5つの項目があります。
1・コンセプト
「問題解決力」・「独自の価値」
2・売るもの
「製品」・「技術サービス」
3・裏付け
「問題解決事例」「完結」
4・おみやげ
「Q&A]「テーマブログ」
サイトを訪問いただいた人に「お得な情報」の提供
「SEOはサイトを最適化するだけのことしかしてはいけない。」
「よく見られているランディング・ページはきちんと作成しないと訪問者もフ増えないし、お客からの信頼も得られない。」
「WEBで新規訪問者を増やす方法は3つしかない①。検索エンジンからの訪問者を増やすこと。②広告(リスティング広告・検索エンジンに有料で広告を出す)によって訪問者を増やすこと。③「紹介(口コミ)によって訪問者を増やす。(SNSの活用など)である。
また大事なことは「ボールになったお客様の声を無視するのではなく、新たな市場の可能性ととらえ対処すること」です。アクセスログ解析などが大事である。
断片的な書き出しにすぎませんが、すぐに出来るところから自分の会社のサイトの改良に手を付けたいと思いました。
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昨日と同じ会場のいの町波川の葬儀所で、100歳で逝去した叔母田植益猪の告別式が行われました。午前11時半からの式ですが、うちの超高齢者の両親(父97歳・母90歳)は午前10時前からトイレへ行ったり、喪服に着替えたり準備をしていました。
それで10時半過ぎに出発しました。高速経由で行きました。告別式には、うちら親戚筋だけでなく、田植光男・慧子夫妻の交流関係者やご近所の人達も参列されていました。
土佐市の浄土真宗西本願寺系の僧侶の読経。梵語に振り仮名をふっているお経を朗々たる美声で読んでいますが聞く方は何のことわからない。僅かに最後のほうで日本語での解説文の朗読はわかりました。
続いて喪主と親戚筋の焼香。僧侶によれば浄土真宗は、御香は一度だけ鉢にくべるだけとか。後は念仏らしい。喪主の田植光男が一般参列者の焼香時に横に座ってお礼を言っていました。
叔母は100歳まで生き、天授を全うしたので、葬儀自体もほのぼのとしていました。出棺時にが生花を葬儀会社の人がちぎり、参列者に渡しました。みるみる棺は花で埋まり埋まりました。
「母は若い頃は働きづめでした。7年ぐらい父の仕事で関西にいました。戻ってからは農作業に紙すきにと働いていました。年取ってからはゲートボールや旅行へいって人生を楽しんでいました。
私たちが実家へ戻ってきて今年で10年目になります。母は晩年介護が必要となっても手がそれほどかかりませんでした。お仕事へ行くと言って喜んでディ・サービスへ行っていました。2年ほど前に完全看護の今の施設へ入所してからも、にこにことしていました。
9月2日に満100歳になり、内閣総理大臣安倍晋三から表彰状と銀杯をいただきました。23日に見せますと、銀杯よりお金をくれたらいいのにと軽口を母は言っていました。
30日も午後4時半まで一緒にいましたが、元気でした。午後6時半頃巡回の看護士さんが母が息をしていないことに気付き、救命措置をしましたが、午後7時58分位に亡くなりました。老衰であるとの事でした。苦しんだ様子はありませんでした。
2年前に私の2人の兄たちが相次いで亡くなりました。田植の家は私と慧子で守っていきます。皆さま末永くよろしくお願いします。」と淡々と話しました。
出棺時にまず親戚筋の男として担ぎ、ご近所の男衆に引き渡し、霊きゅう車に入れてくれました。出棺をお見送りし、叔母の告別式は終わりました。
やはり超高齢者の両親には告別式出席は心労であったようでした。通夜と同じく告別式前に、トイレへ行きたいと叫ぶので連れて行きました。無事に小水をすましました。告別式が終わり高速経由で30分ほどで事務所へ帰り着きましたが、父は今度は便意がありトイレに間に合いませんでした。礼服はセーフでしたが、下着は便まみれに。
服を脱がして浴室へ誘導。温水シャワーで流し石鹸で体を洗い、頭も洗いました。シャワーすると父もすっきりし落ち着いたようです。今日は月に1度の老師の整体の日。昼食で体をほぐしていただきました。なんだかんだと1日が終わりました。
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2016年9月28日は村上肇さん((株)創代表)のWEBセミナ-を受講しました。高知では連続8年目になるそうです。不肖の受講生ですが、原点に戻り、ホームページを作成する意義目的について聴講しました。
大事な言葉がたくさんあります。記述してみました。
「人は困ったらネットで探してくる」
20年前からそうでした。インターネット環境が格段に整備されましたので、余計にそういうじだいになりました。
「問題解決型のサイトにして、困ったら探してくれるサイトにすべき」
「売りこんだら売れない」「市場の細分化」「見えない市場の増大」
「独自の価値で顧客を創造する。」
「BtoBで大事なことは、相手企業が儲かること」
「大公開時代。発信しないと情報もお金も入って来ない。」
「スモール・イズ・スマート(小さいことがラッキー)」
「インターネットは神様の贈り物。」「ネットでお客さんが教えてくれる」
聞き取りしたキーワードは1日目はこんなところでしょうか。聞き逃した言葉もあります。復習用に村上肇さんの著作「中小製造業のための 儲かるWEBブランディングの教科書」を購入しました。じっくり精読します。
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2016年10月3日は、叔母である田植益猪(享年100歳)のお通夜にいの町波川にある葬儀所へ両親と一緒に行きました。父(97歳は)介護予防通所リハビリへ行っておりました。母(90歳)は1日ディ・サービスの日。2人とも午後4時過ぎに戻り、おやつを食べて一服。ほどなく喪服に着替えることに。
それがなかなか難航。母の方が家内がサポートして着替えました。父は私がしましたが、ズボンがややきつめ。最近はスーツなども着用しないので、黒のネクタイを結ぶことも忘れています。なんとかかんとか着替えさせました。
午後6時からが通夜式なので、5時過ぎに事務所を出ましたが生憎の渋滞。遠回りですが高速道路経由でいのインターから西バイパスを走行し、なんとか時間前に着きました。
田植家は喪主の田植光男さんの兄2人が2年前に相次いで亡くなり親戚が少ない。叔母の兄弟姉妹は父を含め3人生存していますが、2人は入院中で出て来れないとか。90歳代の参列はうちの両親だけでした。
これから僧侶の読経が始まる直前に、父が会場に響き渡る大声で「トイレへ行きたい!!」と叫びました。父をともないトイレへ。それが意外に遠い。なんとかもらさずに間に合いました。
僧侶の読経が20分ほど続きました。浄土真宗西本願寺のお経だそうですが、何を言われているのかは不明。やがて焼香の時間です。父も足元がふら付くので一緒に昇降しました。母は何故か「焼香をしたくない」とごねるので強引にひっぱり焼香させました。
「母は大正5年生まれです。今年の9月2日に100歳になりました。15日付で内閣総理大臣安倍晋三名の表彰状と銀杯を23日に頂き喜んでいました。30日にも午後4時まで一緒に病室で話していました。また明日ということで別れ、それから眠りにつき、午後8時に永眠しました。苦しむ様子もなく眠るような最後でした。
若い頃は苦労し、父の仕事で大阪へ行ったりしていました。戻って来てからも農業仕事以外に紙漉きへ行ったりしていました。ゲートボールに打ち込んだりもしていました。みなさんにお世話になり100歳まで生きることが出来ました。母の人生はいろいろあったんでしょうが幸せであったと思います。」
父の兄弟姉妹は8人で、叔母は2番目で父は3番目です。
叔母の嫁ぎ先は、戦前ブラジルへ渡り、うまくいかなくて引き揚げ借金だらけでした。叔父と叔母は懸命に働きすべて返済し、田畑もすべてとりかえしたそうです。
叔母には3人の男の子がいましたが、1人は兵庫県の教員、1人は県庁職員、1人は東京で福祉事業所に勤務していました。元気な人でご近所のゲートボールチームで活躍していました。叔父が亡くなった頃から弱っていました。
でも末っ子夫婦である従兄弟の田植光男・慧子さんたちが戻ってきて、各段に元気になりました。光男さんご夫婦は東京時代のマンションを売却し、実家の田植えの古家を大改造してバリヤフリー住宅にして叔母の介護をしておられました。
慧子さんが在宅介護の無理もあり、叔母は2年前から通所していた施設へ入所していました。超高齢者ですが認知もなく元気な人でした。ただ最近は口から食べれなくなり弱っていたと聞いていました。
叔母は柔らかな表情で写真に写っています。100歳の表彰状と銀杯も撮影しました。
光男さんの奥さんの慧子さんとうちの両親の3ショット写真を撮りました。
明日も葬儀に連れてこようかなと思います。やはり元気とは言え超高齢者2人のケアはしんどいものです。今日はわたしの誕生日でしたが、100歳の叔母がお祝いしていただきました。苦労していても苦労していることを表情に表さないタフなおばでした。
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午後に少し時間的な余裕がありましたので、車で中央公園地下駐車場へ。すぐ近くにハートピアやまももという日赤の献血ルームがあります。そこで97回目の誕生日献血に行きました。
血圧は140-80とやや高め。でも医師は何も言いません。検査のため少量の血液採取。異常はないということで献血しました。いつもの400ML採血です。看護士さんに写真を撮影していただきました。
平日ですのでがらがら。記念品をいただいてきました。最近は400ML献血ばかりなので、年間3回。健康であれば来年の誕生日献血すれば、ようやく100回目ですね。わたしはA型のRHマイナス型の希少血液なので、献血は義務であると思っています。
閉店した老舗水谷龍文堂
80年以上の歴史のある老舗の水谷龍文堂。8月31日に閉店―廃業になりました。叔母も体を悪くし施設へ入居しています。
子供の時から当たり前にあった店だけにいつも閉まっている光景には違和感がありますね。従業員の人が近くに屋号を継承して開店すると聞いています。頑張っていただきたいですね。
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今朝は朝1番に父(97歳)の付添で植田医院へ行きました。血圧は86-48と低い。血中濃度は97と良好でした。
「気圧も変化し、残暑がありますので体調維持が難しい季節です。点滴すれば血圧は上がりますから心配はいりません。」とのこと。
「インフルエンザは10月にされて、可能なら12月にもしてください。その方が予防効果がありますので。」と植田先生。早くもその季節になりました。昨年も10月の半ばにしています。
点滴もいつもなら腕にしますが、父の場合は血管が細く、硬い傾向があるので、今日は指の付け根の位置に点滴をしました。
雨の1日のようです。父は自分の足でなんとか歩いて車にも1人で乗りこめます。それは助かっています。いつまでも元気でいてほしい。
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偉くもなれず、経済的にも全然成功せず、市井の1市民として地方都市で生活する平凡な生活を送っています。世の中想いどうりに行かないことが多く、年だけは毎年重ねています。
私は「大衆」とか「常民」と知識人が「おだてる」存在に過ぎませんが、制約だらけの生活の中で「見える」ことは、案外的が外れてはいないのでないかと最近は思うようになりました。
日本は災害大国。地震や津波は常に起きるし、火山も噴火する。台風も大雨も大雪も襲来する。火事も起きる。これほど自然災害の多い国で、先進国であることは日本国の先輩たちに敬意を表します。
しかしながら最近の日本国はなんだかおかしい。災害大国日本なのに、原子力発電所を再稼働させようとする。福島第1原子力発電所の廃炉のロードマップは確立していないのに。何故「目先の経済」しか考えないのか。おかしいと思わないのでしょうか?
日本社会は高齢化して少子化しています。それは2000年に発足して介護保険制度のスタート時点からわかっていたこと。要支援や要介護1や2の人達を切り捨てた政策をしています。高齢者を大事にしない国を守れとか、愛国心とか一部の政府閣僚はの賜っていますが、戯言です。毎日超高齢の両親を在宅介護している立場からすれば、今の社会保障の在り方はおかしい。
自分の不平や不満を形にすることができません。市政の市民としてぶつぶつ言いながら、平凡な生活の繰り返しです。でもそれが嫌だとも悪いとも思いません。
人はいつかこの世から亡くなります。自分もいつか順番が来るでしょう。その時には悔いのない人生を送りたいと思います。
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今日の父(97歳)はスタートが早い。午前8時半過ぎにはゴルフ打ち放し練習場へ到着していました。気温は28度で晴れてはいますが、なんせ湿度が高く(81%)です。
入念に自己流の体操をして、OS-1(経口補水液)で水分補給。ゴルフ・クラブを杖替わりにして打席に向かい、1球1球、ゆっくりと球を打ちます。20発ぐらい打ちますと小休止をして水分補給。また再開と、1カード125発を打ちます。
歩く速度は遅くなりました。猛暑で外出を控えて散歩してないからでしょう。足の筋力が衰えています。階段登りもしんどそうですが、なんとかこなしました。
超高齢者でもゴルフ練習することで、父の健康が保たれていると思います。やはり目標があるからです。
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第6回高知市下知地区防災計画検討会は、2016年9月27日(火曜日)午後6時半から下知コミュニティ・センターで開催されました。今回の検討会には、昭和小の教員が5人参加、津波避難ビルの所有者や管理人、地域内の企業、事業者なども参加、高知市地域コミュニティ推進課から3人、県議の加藤漠氏も見学に来られました。
初参加の人も多く、60人の参加がありました。坂本茂雄下知地区減災連絡会事務局長から西沢雅道さん(内閣府大臣官房付・福岡大学法学部准教授)の紹介がありました。内閣府時代に平成23年に策定された地区防災計画の「生みの親」の方です。
初参加の人も10数人おられるので、昨年よりのアドバーサーである鍵屋一さん(跡見学園女子大学教授)から、昨年度の経過と振り返り、下知地区がとりくんでいる「事前復興計画」の意義についてわかりやすく解説いただきました。
「大災害の直後に、地域の再建、再興について落ち着いて話し合いが出来るのかと言えば難しい。災害が来る前から地域の事を立場の異なる人が集まり、意見交換し、あるべき姿をまとめることはとても大事なことです。」
鍵屋一さんから東日本大震災の地震の揺れの記録も見せていただきました。震度5強から6弱の揺れだそうですが、軟弱地盤の沿岸部の揺れは強烈。南海トラフ地震は、6強か7と言う揺れはそれ以上であると言う説明がなされました。
「これからの防災は、損失を減らす防災(応急対策)から、「魅力増進型」の防災へ。(事前復興により)日常から人や地域の魅力づくりを進めながら、災害時にも安全安心な取り組みができます、」
「事前復興計画のコンセプト。いのちが助かるだけでは十分ではない。生き続けたくなるまちづくり重要。南海トラフ後のまちづくりを見据えた事前復興計画でなければならない。昨年平成27年の検討委員会で得られたコンセプトは、「こどもたちが伸び伸びと遊べるどこか懐かしいまち、下知(仮置き)であります。」
ひととうりの説明とふりかえりのあと、各テーブル(6グループ)に着いた参加者(今回は近隣の町同士の組み合わせ)で、「子供たち」「高齢者・障害者」「産業の振興’生活再建)のテーマで、意見交換が行われました。
そして1人だけ残して、すべて他のグループに移動、そこでの意見交換をおこなう。また元のグループへ戻って意見交換をします。「ワードカフェ」という独特のやりかたです。
最後に他のグループの意見で賛同の考え方にシールを貼る作業をおこないました。「民意を集める」やりかたとしたら優れものです。各グループも活性化して盛り上がりました。初参加の人達も違和感はなく溶け込んで議論に参加されていました。
今後の日程は10月7日に下知減災連絡会の役員会を行い、次回の検討会(来年1月)までに、各町内で意見交換会を開催していくことです。なかなか大変な作業ですが、いいトレーニングになると思います。
参加者各位もっと議論をしたい盛り上がりでしたが、午後9時前に意見交換会は終了しました。これからが正念場であると思います。内容のまとめは後日頭の整理ができれば行います。
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今日は珍しく仕事がせわしく、夜須のハーバーへ着いたら12時半過ぎ。急いでぎ装(ヨットの組み立て)をしましたが、出艇できたのは1時半近くになっていました。
海へ出ますと台風18号のうねりはありませんでしたが、気圧配置の関係か風の方向が定まらず、時に突風が吹く状況でした。
安定したセーリングが出来ず「海の散帆」になりませんでしたので、操船にせわしく海の上での写真はありません。時折ゴーと突風が吹きました。年寄りはずるいので、その時はシートを緩め風を逃がしますが、高知大学生は生真面目なので、そのまま沈(転覆)していました。ヨットは沈しながら上手になります。
1時間ほどの帆走で力付きハーバーへ上がりました。入れ違いに大崎修二さんのシーホッパーが颯爽と出艇していきました。
ハーバーへ上がってトレーラーにヨットを載せて搬送中にも思わぬ突風でヨットがひっくり返りました。短い時間でしたが堪能しました。怖かったです。
片付けして、YASU海の駅クラブの事務局千波さんが「台風18号は水曜頃に高知直撃コースです、ヨットを堤防の中の藤棚に移動されたらどうでしょう。」と言われました。大崎さんと私の2艇は早速移動しました。
帰り際に道の駅やすの直営店のアイスバー・ストアのマナマナへ大崎さんと一緒に行きました。それぞれアイスを注文しました。私は、ポンカン・イチゴを食べました。暑さで発汗している体にアイスはいいですね。
大崎修二さんも美味しいと言われ、県外の親戚2軒にマナマナ・アイスギフトを送るようにしておられました。
今日帆走できたのは幸運でした。
山本宏之さんとおっさん2ショットです。
マナマナの帰りに道の駅やすへ寄りました。いつものおっさん2ショット。タオルを頭に巻き、「ハリマオー」を意識していますが、今の若い人は知らないでしょう.。
帰りは夜須の海の駅クラブ理事長であり、ヤッシーの社長でもある丸岡克典さんが高知市で高校時代の同窓会があると言うので、わたしの車で送迎しました。一部ですが高速道路があるので、ずいぶん夜須の高知市は近くなりました。夕方になると雨になりました。
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今年もまた悪天候の予定。5月29日に田植えをした仁淀川町長者の棚田。雨の中11人の二葉町・下知関係者が掛けつけ行いました。
(写真は2016年5月29日の田植え体験でず。)
だんだんくらぶ 岡崎農業担当副会長から連絡が来ました。
こんにちは、いろいろと、 投稿 拝見しています。
今年の夏は、非常に暑い夏でした。
お陰様で お米は台風が来なければ、豊作です、もうすぐ米刈、
したい 所ありますが、なにせ 天気が雨ばかり、困っています。
申し訳ないですが、土曜、日曜日は行事で、埋まり 日にち決めることが
出来ません今回は、天気マチですので、そちらに連絡とれませんので、
よろしくお願いします。 岡﨑信守
ということで残念です。お天気だけはどうにもなりません。
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