ほのぼのとした100歳叔母の告別式
昨日と同じ会場のいの町波川の葬儀所で、100歳で逝去した叔母田植益猪の告別式が行われました。午前11時半からの式ですが、うちの超高齢者の両親(父97歳・母90歳)は午前10時前からトイレへ行ったり、喪服に着替えたり準備をしていました。
それで10時半過ぎに出発しました。高速経由で行きました。告別式には、うちら親戚筋だけでなく、田植光男・慧子夫妻の交流関係者やご近所の人達も参列されていました。
土佐市の浄土真宗西本願寺系の僧侶の読経。梵語に振り仮名をふっているお経を朗々たる美声で読んでいますが聞く方は何のことわからない。僅かに最後のほうで日本語での解説文の朗読はわかりました。
続いて喪主と親戚筋の焼香。僧侶によれば浄土真宗は、御香は一度だけ鉢にくべるだけとか。後は念仏らしい。喪主の田植光男が一般参列者の焼香時に横に座ってお礼を言っていました。
叔母は100歳まで生き、天授を全うしたので、葬儀自体もほのぼのとしていました。出棺時にが生花を葬儀会社の人がちぎり、参列者に渡しました。みるみる棺は花で埋まり埋まりました。
「母は若い頃は働きづめでした。7年ぐらい父の仕事で関西にいました。戻ってからは農作業に紙すきにと働いていました。年取ってからはゲートボールや旅行へいって人生を楽しんでいました。
私たちが実家へ戻ってきて今年で10年目になります。母は晩年介護が必要となっても手がそれほどかかりませんでした。お仕事へ行くと言って喜んでディ・サービスへ行っていました。2年ほど前に完全看護の今の施設へ入所してからも、にこにことしていました。
9月2日に満100歳になり、内閣総理大臣安倍晋三から表彰状と銀杯をいただきました。23日に見せますと、銀杯よりお金をくれたらいいのにと軽口を母は言っていました。
30日も午後4時半まで一緒にいましたが、元気でした。午後6時半頃巡回の看護士さんが母が息をしていないことに気付き、救命措置をしましたが、午後7時58分位に亡くなりました。老衰であるとの事でした。苦しんだ様子はありませんでした。
2年前に私の2人の兄たちが相次いで亡くなりました。田植の家は私と慧子で守っていきます。皆さま末永くよろしくお願いします。」と淡々と話しました。
出棺時にまず親戚筋の男として担ぎ、ご近所の男衆に引き渡し、霊きゅう車に入れてくれました。出棺をお見送りし、叔母の告別式は終わりました。
やはり超高齢者の両親には告別式出席は心労であったようでした。通夜と同じく告別式前に、トイレへ行きたいと叫ぶので連れて行きました。無事に小水をすましました。告別式が終わり高速経由で30分ほどで事務所へ帰り着きましたが、父は今度は便意がありトイレに間に合いませんでした。礼服はセーフでしたが、下着は便まみれに。
服を脱がして浴室へ誘導。温水シャワーで流し石鹸で体を洗い、頭も洗いました。シャワーすると父もすっきりし落ち着いたようです。今日は月に1度の老師の整体の日。昼食で体をほぐしていただきました。なんだかんだと1日が終わりました。
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