
教本は「日本の思想」(丸山真男・著・岩波新書)です。P29からの記述が面白い。今更ながらの古典社会思想学ですが、明治帝国憲法の意義と目的、思想的な欠陥について簡潔明瞭に分析し、記述しています。
1)近代日本機軸としての「國體」の創出
江戸幕府時代末期に長らく続けていた鎖国政策を転換し、開国した日本。幕藩体制から明治新政府が成立し、一気に近代化した日本。国会を設立させ、憲法も制定し、近代国家の体裁を整えなければなりませんでした。それは幕末期に締結した不平等条約の改正のためにも必要であったからです。
明治初期に2年位欧米歴訪をした伊藤博文。明治憲法を制定する場合の意義目的を丸山真男の解説で観察してみます。(ほとんど全文引用です。)
「明治21年6月、枢密院の帝国憲法草案審議が天皇臨御の下に厳か開始された日の冒頭に、議長伊藤博文は憲法制定の根本精神について所信を披瀝し、次のようにのべたー。
「憲法政治ハ東洋諸国ニ於テ会テ歴史ニ微証スヘキモノナキ所ニシテ,ソレヲ我日本ニ施行スル事ハ全ク新創タルヲ免カレス。故二実施ノ後、其結果国家ノ為ニ有益ナル、或ハ反対二出ツル、予メ期スへカラス。
然リトも二十年前既二封建政治ヲ廃シ各国ト交通ヲ開キタル以上ハ、其結果トシテ国家ノ進歩ヲ謀ル二此レヲ捨テ、他ニ経理ノ良途ナキヲ奈何セン・・・
欧州ニ於イテハ当世紀ニ及ンデ憲法政治ヲ行ハサルヲモノアラスト、是レ即チ歴史上ノ沿革ニ成立スルモノニシテ、其萌芽遠ク往昔ニ発セサルハナシ。
反之我国ニ在テハ機軸ハ何ナリヤト云ッテ事ヲ確定セサルヘカラス。機軸ナクシテ政治ヲ人民ノ安泰ニ任ス時ハ、政其統紀ヲ失ヒ、国家、堕テ廃亡ス。
抑、欧州ニ於テハ、憲法政治ノ萌芽セル事千余年、独リ人民ノ此制度ニ習熟セルノミナラス、又宗教ナル者アリテ之カ機軸ヲ為シ、深ク人心ニ浸潤シテ、人心此ニ帰一セリ。然ルニ我国ニ在テハ宗教ナル者其力微弱ニシテ、一モ国家ノ機軸タルヘキモノナシ。
仏教ハ一タヒ興盛ノ勢イヲ張リ、上下ノ人心ヲ繋キタルモ、今日ニ至テハ己ニ衰替ニ傾キタリ。神道ハ祖宗ノ遺訓ニ基キ之ヲ祖述スト、宗教トシテ人心ヲ帰向セシムルノ力ニ乏シ。」(清水伸「帝国憲法制定会議」88P)
「つまり、伊藤は日本の近代国家としての本建築を開始するに当たって、まずわが国のこれまでの「伝統的」宗教がその内面的「機軸」として作用するような意味の伝統を形成していないと言う現実をはっきりと承認してかかったのである。」
日本においては儒教は影響力を既に失っていました。「個別的な日常徳目として生き残っていた。」(P90)でした。後に「教育勅語に」形を変えて活用はされますが・・。
封建体制を明治以降廃棄したものの、西欧列強諸国に対抗する国家機軸を作成しないと、亡国になる危機感を伊藤博文以下明治政府は持っていたんでしょう。
「自由民権運動との陰惨な闘争の歴史がまだ生々しい藩閥政府にとって、「機軸」のない憲法政治の姿は想像をこえたおそるべきものと映ったであろう。」(P30)
そして明治政府のより、新しい「意味づけ」と「近代化」した明治天皇制が「機軸」として大日本帝国憲法制定にて登場してきます。それは伊藤博文ら明治政府主要閣僚が、新政府成立間もない頃に、2年間も日本を留守にし、欧米諸国を歴訪し、史実を彼らなりに調べ、解釈し、作リ上げたものでした。
「こうして「我国ニ在テ機軸トスベキハ、独リ皇室アルノミ。是ヲ以テ此憲法草案ニ於テハ専ラ意ヲ此点ニ用ヒ君権ヲ尊重シテ成ルヘタ之ヲ束縛セサラン事ヲ勉メリ。
草案ニ於テハ君権ヲ機軸トシ、偏ニ之ヲ毀損セサランコトヲ期シ、勇エ彼ノ欧州ノ主権分割ノ精神ニ拠ラス。固ヨリ欧州数国ノ制度ニ於テ君権民権共同スルト其揆ヲ異ニセリ。是起案ノ大綱トス。」(清水伸「帝国憲法制定会議」89P)
「先の述べた「開国」の直接的結果として生じた、国家生活の秩序化と、ヨーロッパ思想の「無秩序」な流入との対照は、ここに至って、国家秩序の中核主体を同時に精神的機軸とする方向において収拾されることになった。
新しい国家体制には、「将来如何の事変に遭遇するも・・上元首の位を保ち、決して主権の民衆に移らざるための政治的保障に加えて、ヨーロッパ文化千年にわたる「機軸」をなして来たキリスト教の精神的代用品をも兼ねると言う巨大な使命が託されたわけである。」(P30)
つまり明治憲法では国家元首は天皇であり、権力の源泉であり、人民には西欧諸国のように分権はしない。同時に西洋諸国に強い影響力を行使してきたローマカトリック教会的な機能も明治以降の天皇制度に担わせました。
国民は国家への抵抗権も有する西欧的な「市民」ではなく、国の機軸である天皇に無条件に服従する「臣民」として位置付けられました。
天皇に政治的な権力も、国民の精神的な支柱も担わせました。西洋諸国は数百年の宗教戦争の教訓から「政教分離」を国家理念にしていますが、伊藤博文らは「利便性」だけで「輸入し」、政教分離には無関心だったように思います。
急いで近代化し、欧米列強に対抗すべく、「尊王攘夷」で担ぎ上げた天皇を政治利用し、国民統制に使いました。戦前の日本社会の不幸が明治憲法制定当時から仕込まれていました。
2)「國體」における臣民の無限責任
丸山真男氏は、さらにモデルとした西欧社会にはない「危険性」を精神面、社会面から鋭く分析しています。
「「國體」と呼ばれた非宗教的宗教がどのように魔術的な力をふるったかという痛切な感覚は、純粋な戦後の世代にはもはやないし、又その「魔術」にすっぽりはまってそのなかで「思想の自由」を享受していた古い世代にももともとない。
しかしその魔術はけっして「思想問題」という抽象的な名称が日本の朝野を震撼した昭和以後に、いわんや日本ファシズムが狂暴化して以後に、突如として地下から呼び出されたのではなかった。
日本のリベラリズムあるいは「大正デモクラッシー」の波が思想界に最高潮に達した時代においても、それは「限界状況」において直ちに恐るべき力を露わしたのである。」(P21)
「かつて東大で教鞭をとっていたE・レーデラーは、その著「日本ヨーロッパ」の中で在日中に見聞していてショックを受けた2つの事件を語っている。
1つは大正12年末に起こった難波大助の摂政宮狙撃事件(虎ノ門事件)である。彼がショックを受けたのは、この狂熱主義者の行為そのものよりも、むしろ「その後に来るもの」であった。
内閣は辞職し、警視総監から道すじの警固に当たった警官にいたる一連の「責任者」(とうていその凶行を防止得る位置にいなかったことを筆者は強調している)の系列が懲戒免官になっただけではない。
犯人の父はただちに衆議院議員の職を辞し、門前に竹矢来を張って1歩も戸外に出ず、郷里の全村はあげて正月の祝いを廃して「喪」に入り、大助の卒業した小学校の校長ならびに彼のクラスを担当した訓導も、こうした不逞のの徒をかつて教育した責を負って辞職したのである。」(P32)
「このようなバク(?)として果てしない責任の負い方、それをむしろ当然とする無形の社会的圧力は、このドイツ人教授の眼には全く異様な光景として映ったようである。
もう1つ、彼があげているのは(おそらく大震災の時のことであろう)。「御真影」を燃えさかる炎の中から取り出そうとして多くの学校長が命を失ったことである。「進歩的なサークルからはこのような危険な御真影は学校から遠ざけた方がといという提議が起こった。校長を焼死させるよりはむしろ写真を焼いた方がよいというようなことは全く問題にならなかった。」とレーデラーは誌している。
日本の天皇制はたしかにツァーリズムほど権力に無慈悲ではなかったかもしれない。しかし西欧君主制はもとより、正統教会と結合した帝政ロシアにおいても、社会的責任のこのようなありかたは到底考えられなかったであろう。
どちらがましかというのではない。ここに伏在する問題は近代日本の「精神」にも「機構」にも決して無縁ではなく、また例外的でないというのである。」(32(
ずっと丸山真男しの記述をそのまま写しましたが、なんとも「おぞましい」怖さがありますね。物凄い「同調圧力」なんでしょう。西欧人にはまったく想定外の世界であったことでしょう。
3)「國體」の精神内面への浸透性
かくも恐ろしい「同調圧力」をもっていました。それも明治以降短時間にこしらえたものだけに、末恐ろしさを感じます。古代天皇制とも、中世・近世の天皇制とも異なっています。
そのあたり丸山真男氏は的確に分析されています。
「しかもこれほど臣民の無限責任によって支えられた「國體」はイデオロギー的にはあの「固有信仰」以来の無限定的な抱擁性を継承していた。國體を特定の「学説」や「定義」で論理化することは、ただちにイデオロギー的に限定し、相対化する意味を持つからして、慎重に避けられた。」
「それは否定面においてはーつまりひとたび反國體として断ぜられた内外の敵に対してはーきわめて明確峻烈な権力体として作用するが、積極面は茫洋とした厚い雲層に幾重にも包まれ、容易にその核心を露わさない。
治安維持法の「國體ヲ変革シ」という著名な第1条の規定においてはじめて國體は法律上の用語として登場し、したがって否応なくその「核心」を規定する必要が生じた。
大審院の判例は、「万世一系ノ天皇君臨シ統治権ヲ総纜シ給フ」国柄、すなわち帝国憲法第1条第4条の規定をもってこれを「定義」(昭4・521判決)した。しかしいうまでもなく、國體はそうした散文的な規定につきるものではない。」
「過激社会運動取締法案が治安維持法及びその改正を経て、思想犯保護監察法へと「進化」していく過程は、まさに國體が、「思想」問題にたいして外部的行動の規制ー市民的法治国家の法の本質をこえて、精神的「機軸」としての無制限な内面的同質化の機能を露呈してゆく過程でもあった。」(P33)
なんともおぞましいほどのすさまじい社会的な同調圧力体ではないか。安倍内閣閣僚や復古主義的な政治家が、「理想の国家像」という現実は、国民の基本的人権も言論の自由も、政治活動の自由も何もない「奴隷制国家」ではないのか。
宗教的な背景は異なりますが、中世のイスラム社会を復元しようと言うイスラム国並みの極端な国家原理主義ではないかと思います。
「それは世界史的にも、国家権力が近代自由主義の前提であった内部と外部、私的自治と国家的機構の二元論をふみこえて、正統的イデオロギー経の「忠誠」を積極的に要請する傾向が露骨になりはじめた時期と一致していた。
日本の「國體」はもともと徹底的に内なるものでもなければ、徹底的に外面的なものでもなかったので、、こうした「世界的」段階にそのまま適合した。
日本の「全体主義」は権力的統合の面ではむしろ「抱擁主義」的で[翼賛体制の過程や経済体制を見よ)は、はなはだ非効率であったが、少なくもイデオロギー的同質化にはヒットラーを羨望させただけの「素地」は見えていた。ここでも超近代と前近代は見事に結合したのである。」(P34)
結局この項目は、すべて丸山真男氏の記述項目をすべて書き写し、引用しました。納得がいくからでした。二次大戦中も降伏するしかありえない状況の中でも支配層の最大の関心事は「國體」の擁護と維持であり、国民の命と財産の保全など全く眼中になく、決断できない間に、全国の都市は空爆で焦土となり、沖縄で凄惨な地上戦が行われ、広島・長崎に原子爆弾が投下されました。
国民各位に無限に責任を押し付ける「國體」の体制でしたが、支配層は極めて無責任・無能でありました。その原因を丸山真男氏は、西欧諸国の制度や国家と比較して明確に述べています。
4)天皇制における無責任の体系
「近世の認識論の構造と近代国家の政治構造との密接な関連はすでにE・カッシラーやC・シュミットなどによって思想史的に解明されているが、こうした関係は、類似した政治理念がそれぞれの国民によって個性的な組織化の様式をまとう点にも現れている。
例えばヨーロッパにおいて大陸の合理主義が絶対君主による政治的集中(官僚制の形成)を前提とした法治国家(Rechtsstaat)の形成と相即しているとすれば、イギリスの経験論には地方自治の基盤の上に自主的集団の論理として培養された「法の支配」(rule of law)の伝統が照応している。
同じ儒教の自然法思想が中国の場合には規範的・契約的性格が比較的つよく現れ、日本ではむしろ権威(恩情)と報恩の契機が表面に出るのも、たんに学者の解釈の差ではなく、封建制あるいは家産的官僚制の内面に浸透してその現実的な作用連関を構成している「精神」なのである。」
「「天下は、天下の天下なり」と言う幕藩制に内在した「民政」観念が幕末尊攘思想において「天下は1人の天下なり」という一君万民理念に転換したことが、維新の絶対王政的集中の思想的準備になったにもかかわらず、こうして出現した明治絶対主義は、当初から中江兆民によって「多頭一身の怪物」と評されたような多元的政治構造に悩まねばならなかった。
これもむろん直後には維新の革命勢力が、激派公卿と西南雄藩出身の「新官僚」との連立のまま、ついに一元化に組織化されなかった社会的事情の継続であるが、そこにも世界認識を合理的に整除せずに「道」を多元的に併存させる思想的「伝統」との関連を見いだすに難くない。」
明治政府時代が、岩倉具視らの公卿衆と薩摩・長州の出身者の連立政権でしたが、実に危うい統治形態でした。維新の三傑(西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允)の死後、かつて吉田松陰に「斡旋屋に向いている」と呼ばれた伊藤博文と、「棒のような男」と言われた山形有朋が「元老」として権勢を振るったことも影響は大きかったと思いますね。
「明治憲法において、「ほとんど他の諸国の憲法には類例をみない」大権中心主義(美濃部達吉の言葉)や皇室自律主義をとりながら、というよりも、まさにそれゆえに、元老・重臣など超憲法的存在の媒介によらないでは国家意思が一元化されないような体制がつくられたことも、決断主体(責任の帰属)を明確化することを避け、「もちつもたれつ」の曖昧な行為連関(神輿担ぎに象徴される!)を好む行動形式が作用している。
つまるところ、統治の唯一の正統性の源泉である天皇の意思を推しはかると同時に天皇への助言を通じてその意思に具体内容を与えることにほかならない。さきに述べた無限責任のきびしい倫理は、このメカニズムにおいては巨大な無責任への転落の可能性をつねに内包している。」(P39)
国民各位には無限の国への忠誠心を強いるのに、統治する支配層が分裂し、統治能力が不足していて「無能」であったいうことなんでしょう。次に丸山真男氏は明治憲法体制の問題点を指摘しています。
5)明治憲法体制における最終的判定権の問題
大日本帝国憲法の「設計者」の思惑と狙いを以下の文章で丸山真男氏は的確に述べています。
「政治構造の内部において主体的決断の登場が極力回避される反面、さきの伊藤の言に表されているように、この「一大器械」に外から始動を与える主体を絶対的に明確にし、憲法制定権力について、いささかの紛議の余地を亡くしたのが、天皇制の製作者たちの苦心の存するところであった。
明治憲法が欽定憲法でなければならぬ所似は、けっして単に憲法制定までの手続きの問題ではなく、君権を機軸とする全国家機構の活動を今後に渡って規定する不動の建前であったのである。
この「近代」国家において憲法制定権力の所在が誰にあるかという問題は、これ以後もはや学問的にも実際的にも「問われる」余地がなかった。」(P39)
個人の自由や、市民自治の概念が帝国憲法には殆ど盛り込まれていない。国民は「臣民」として、ひたすら天皇大権に奉仕する存在であるからです。
「しかしながらこの憲法によって、「保護」された良心と思想の自由は,「國體」が自在に内面性に浸透した人民を「保護監察」しうる精神としての側面を持つ限り、容認の範囲の問題であってもついには原理的な保障ではありえないのである。(中略)・・
ただ多くの民権論者にも、いわんや伊藤にも等しく欠けていたのは、私的=日常的な自由を権力の侵害から防衛するためにこそ全権力体系の正当性を判定する根拠を国民自らの手に確保しなければならないという発想だった。」(P42)

例えば、日本国憲法では明確に「基本的人権の保障」を定めています。
第十一条
「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」
大日本帝国憲法は、こうした明確な規定はないと丸山真男氏は言っています。「臣民」の義務ばかりの強調。条文ではあえてしてはいないでしょうが、社会の「雰囲気」や「同調圧力」は現代社会では全く考えられない力があったと思われます。
権力の源泉が国民ではなく、天皇であるから、1人1人の国民の基本的人権の保障が限定的であり、国が個人の人権を守る形にはなってはいませんね。
6)「権利の上のねむる者」
国民の基本的人権をきちんと認めた日本国憲法ですが、次の12条には、読むとこう書かれています。
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
丸山真男氏は、厳しいことを書かれています。 借金もお金を貸した方が請求しないと「民法では時効」があり、請求権が無効になるという事例を説明しています。その後にこの文章が続いています。
「国民はいまや主権者になった。しかし主権者であることに安住して、その権利の行使を怠っていると、ある朝めざめてみると、もはや主権者ではなくなっているといった事態が起こるぞ」という警告になっているわけです。
これは大げさな威嚇でもなければ教科書風の空疎な説教でもありません。それこそナポレオン3世のクーデターからヒットラーの権力掌握に至るまで、最近100年の西欧民主主義の血塗られた道程がさし示している歴史的教訓にほかならないのです。」(P155)
なんとも今の日本の社会風土を分析して言われているようではありませんか。またこうも言われています。
「アメリカの社会学者が「自由を祝福することはやさしい。それに比べて自由を擁護することは困難である。しかし自由を擁護することと比べて、自由を市民が日々行使することはさらに困難である」といっておりますが、ここにも基本的に同じ発想があるのです。」
「私たちの社会が自由だ自由だといって、自由であることを祝福している間に、いつの間にかその自由の実質はカラッポになっていないとも限らない。自由は置物のようにそこにあるのではなく、現実の行使によってだけ守られる、。いいかえれば日々自由になろうとすることによって、はじめて自由でありうるということなのです。」
「その意味では近代社会の自由とか権利とか言うものは、どうやら生活の惰性を好む者、毎日の生活さえ何とか安全に過ごせたら、物事の判断などはひとにあずけてもいいと思っている人、あるいはアームチェアから立ち上がるよりもそれに深々と寄りかかっていたいと言う気性の持主などにとっては、はなはだ持って荷厄介なしろ物だといえましょう。」(P156)
日本国民は代議民主制度の選挙への投票率がとても低い。若い人にすれば投票率が3割以下と言う場合もあります。まさに「権利の上で惰眠をむさぼぼっています」
そしてよく考えることもなく国民の基本的人権。個人の自由を保障した日本国憲法を「制定して70年も経過し、時代にあっていないので改憲すべき」という意見に多くの国民が自分で深く検討せずに「なんとなく」賛成してしまう傾向がありますね。
とても危険です。体制側が憲法改正に反対を主張する人たちを「サヨク」だとか、「変わり者」「少数派」だとの猛烈なキャンパーンを硬軟両方で執拗に毎日していますね。それに「騙される」人も多いと思います。
ネットの無料配信のニュースの多くは憲法改正論者の産経新聞系ですから。SNSやネットの論調も圧倒的に「憲法改正論者」の主張が目立ちます。きっと莫大なお金を安倍内閣は電通などを使って毎日日にち広報宣伝をしていると思います。良く事情が分かっていない人たちが右派的な主張をネット上で吐いているんでしょう。
今回丸山真男氏の「日本の思想」をテキストに、読書ノートを作成してみました。日本会議の主張である「日本国憲法を廃止して、大日本帝国憲法を復活させる」という企ては、いかに国民の基本的人権を無視したものであることが良く理解できました。
日本の歴史の近代化で、西欧1000年の歴史と伝統に「急ごしらえの明治天皇制度」で追いつき、追い越そうとしましたが、所詮は矛盾が出て破綻しました。特に支配階級の無責任さ、無能さには呆れるばかりです。
臣民(国民)に無限に忠誠と服従を強要するのに、支配階級は無責任極まりない存在でしかなかった現実が大日本帝国の実態でした。今更亡霊のように復活してほしくはありません。
今一度足元の地域社会から社会全体を俯瞰し、民主主義国家・日本を市井の市民の立場で再生すべきではないかとわたしは思います。
日本国憲法の改正論が、大震災やテロでの混乱収拾を名目に「緊急事態要項」として政府側から提案されようとしています。日々自宅まわりの地域防災に関わる市井の市民とすれば、「国の役目も重要ではあるが、後方支援として重要なんです。市民と基礎自治体の信頼感と協働で地域防災活動は展開されるべきです。」と私は思います。地域の事は地域住民と基礎自治体の職員が1番わかっているからです。
「粗雑な緊急事態要項」なるもので、南海トラフ巨大地震の抑止や復興の主体になるものではなく、民意を無視した国家権力の暴走に繋がるのではないかと懸念しています。「民意を無視せず地域住民と一緒になって地区防災計画をつくる」ということで、内閣府は平成215年災害対策基本法を改正し、「地区防災計画」制度をこしらえました。
国家官僚も事態をきちんと理解されている人がいます。防災対策1つでも国が「上から目線で」地域防災を仕切り、陣頭指揮が出来る筈がありません。地域住民と基礎自治体で、地区防系計画を作り上げ、国が後方支援をきちんとやることこそが大事なことなんです。
「災害大国日本」では、地域住民と基礎自治体の協働で、各地で地区防災計画が策定され、国はきちんと後方支援することこそが、一番肝要なんです。「国民の命と財産を守る」ことが、政府や基礎自治体の行政の役目です。
戦前の帝国憲法では、そのあたりの概念が弱く、支配階級の無責任さ、無能さを助長してしましました。ですので、日本国憲法を廃棄し、帝国憲法を復元するというのは」、国民生活のためにはなりません。
日本会議についてもレポート本を読みました。
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-a851.html
個人の基本的人権が無視されるようでは、日本国が日本国でなくなりますから。
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