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2017年1月

2017.01.31

岡本正弁護士の防災講演会


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 2017年1月29日に下知コミュ二ティ・センターにて岡本正弁護士の講演会が開催されました。主催はサーパス知寄町1防災会でした。
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「防災活動と言えば、一般的にはご自身が助かるための避難準備や避難対策が主体です。水や食料などは狭い日本ですから3日もすれば避難所へは届きます。問題はそこではないと思います。」
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「ご自身が罹災して、動けなくなった。連絡が取れない状態になった。その場合、家族や会社が困らないようにする対策がBCP(事業継承計画)の肝であります。
 ご自身が(その場)にいない場合にどう動くのか。残された人が不自由しないことが大事です。」

 「自分が亡くなることを前提で残された家族と会社をどうするのかを考える。そういう視点で物事を整理することが大事です。当面の生活をどうするのか。子供が進学するのに資金はどうするのか?
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 夫が震災で亡くなったが見舞金は出来るか?銀行やリース会社の塩払い猶予は出来るのか?どう言う手続きをすればいいのか?電氣・ガス・水道・電話料金などの公共料金の支払い猶予は可能なのか?などの切実な問題が多いとの事です。

「一切の支払い猶予をする方法として破産があります。個人事業主としては破産になると以後の銀行融資は出来なくなります。そこで「個人的私的整理ガイドライン」なども検討すべきでしょう。」
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 岡本さんは災害対策として重要な点を3つ上げていただきました。

1)罹災証明書を必ず役所でもらうこと

 見舞金や弔慰金など頂けるものの申請や、支払猶予の手続きなどには、絶対に必要な手続きです。これをもらわないと先へ進めません。

2)被災者生活再建支援金があります。

 
3)災害弔慰金もあります。

 世帯主に500万円。その他の家族に250万円支給されます。

 ただし大災害直後は役所も大混乱しています。被災者支援の措置や、法律や制度は国から都道府県へ、市町村へ上位下竜されます。しかし基礎自治体が超多忙状態ですので、被災者の1人1人へ情報は届きません。

 平時からそういう制度や仕組みがあることを調査し、災害時に役場や金融機関の窓口を訪ねて下さい。わからなければ弁護士に相談してください。とのことでした。

 窓口担当者も知らない場合が多く、冷静に対応することです。また義捐金や見舞金は差し押さえを免れることも出来ます。罹災証明書を持って行って支払いを止める処置も出来ると言う事です。

 「知識の備え」が「防災減災になります。」ということを岡本正弁護士から学びました。大変有意義な講演会でした。参考になりました。サーパス知寄町1防災会の皆様だんどりなどありがとうございました。

 こちらも資料もいただきましたので、後日整理してみたいと思います。

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2017.01.30

父は植田医院へ行きました

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 週初めの月曜日と、水曜日、金曜日の週3回は、父(97歳)の主治医である植田医院へ行きます。診察と点滴を行い、月に1度は腎性貧血予防の注射をしています。

「貧血は随分解消されてきました。もう1歩です。クレアチリン値は2.18で小康状態です。この調子で冬場を乗り切りましょう。」と植田一穂先生。
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 超高齢者の冬は3月までです。インフルエンザも学童を中心に流行期のピークになってきています。3年前には父は3月にインフルエンザになりました。ノロウィルスなど冬場は超高齢者にとっては怖い時期ですので。

 なんとか自分の足でゆっくりと歩いています。ゆっくりですが自力で車へも乗りこんでいます。午後からは父は介護予防通所リハビリへ行きます。
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第6回自主防災研究大会に参加しました


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 2017年1月29日は今治市防災士会が主催する「第6回自主防災研究大会」へ高知から参加しました。午前中は分科会方式。第2分科会の「災害時要援護者登録と日常支援」というテーマに参加しました。分科会のコーディネーターを西田政雄さん(防災寺小屋・塾頭)がやっていました。
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 第2分科会には、高知から大崎修二さん、楠瀬ともえさん、山本美咲さんと4人で参加しました。社会福祉関係者や民生委員、行政関係者などが参加していました。
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 西田政雄さんが「一概に福祉避難所設置と行政側は言いますが、実態は指定しただけで、マンパワーの支援策がない。そうでなくても介護施設や日常業務で目いっぱい状態。外部から要支援者を受け入れる余力などないのが現実。」
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「要支援者名簿作成が基礎自治体に義務付けられました。これも民生委員さんたちに多大な精神的な負担を強いています。ここは例示した「防災世帯調査」と「SOSカード」などを地域であらかじめ作成し、対応すれば負担が軽くなります。

 また名簿作りを地域で行うことで、地域の全体像がつかめます。」と言われました。

 実際に防災世帯調査とSOSカードを実施した事例として、高知市下知地区二葉町の状況を報告させていただきました。
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 参加者を4つの班に分け、意見交換しました。今治市の山間部や島から来られた参加者は「地域コミュニティはしっかりしています。住民の実態はつかんでいますが、防災世帯調査にあるような、取得されている資格の有無や、自宅で所有している機材の調査はいいことです。早速実施しましょう。」と言われました。
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 とにかく実践力のある今治市防災士会の皆さんであることがわかりました。
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 昼食を挟んで午後からは全体講演会があり、講師は天野和彦福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任准教授でした。テーマは「南海トラフ大地震、避難所準備・被災地支援をどうする」というテーマでした。
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 とにかく地元福島での避難所運営の実践を踏まえ、熊本地震での被災者支援を踏まえた講演でしたので、含蓄に含んだ内容でした。
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「避難所運営は住民自治が原則です。東日本大震災や熊本地震における教訓は、住民間の繋がりが深い地域ほど災害に強いということです。

 その地域が普段より準備している以上の事は災害時にはできません。災害はそれまでの地域の課題をより顕在化します。」

「大事なのは、イコールパートナーシップ、です立場が違っても、地域を良くしたいと言うも言う者同士が、対等に意見交換して、行動をともにすること

 市民×行政=協働

 「協働」の取り組みを行う際に最も肝心なことは、「対等な意見交換」を行える場と機会を設定すること」

 有名な避難所運営の心得も言われました。「さすけなふる」です。


「(さ)りげなく

 (す)ばやく

 (け)むたがらず

 (な)いものねだりをやめて

 (ふる)さとのような 避難所運営を心けます。
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 大変得られるものが大きな研究大会でした。今治市防災士会の伊藤さんや砂田さんを始め、今治市防災士会の皆様ありがとうございました。多くの提言を地域にもとかえり、今後も地域活動に活かしていきたいと思います。

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広報下知減災・1月号

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 下知地区減災連絡会の広報紙「広報下知減災」2017年1月号が、発刊されました。事務局長の坂本茂雄さんが編集・発行されています。年に3回程度不定期に発刊され、高知市下知地区の各自主防災会や準備会に配布されています。

 2017年1月号は、現在下知地区で、2015年から取り組んでいます「下知地区防災計画」の特集です。下知地区全体での意見検討会の様子や、下知地区を8つのブロックにわけ、2~3の町内ごとに意見交換会を昨年10月から11月にかけて実施しました。その様子がレポートされています。
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 下知地区防災計画は、「事前復興計画」を意識して意見交換されてきました。罹災後どうやって安心・安全な街下知をこしらえるのはどうすればいいのか。それには下知の街が魅力的でなければいけない。それはどういうことなのかをずっと議論をしてきました。

 その意見交換会の地域での広がりと、深堀をしていったのが、2年目の下知地区防災計画でした。昭和小学校でも6年生たちが、事前復興まちづくりへの提案もしていただきました。各町内でも多様意見が出ました。
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 2年前に下知地区有志が現地(石巻市)を訪問し、大変お世話になった川瀬総一郎さん(雄勝歯科診療所所長)口腔ケアの重要性を講演でお話いただきました。3面に記事を掲載しています。

 昨年12月18日に実施した下知地区総合防災訓練には、早朝各防災会での地区避難訓練、午前中は昭和小での避難所体験訓練、午後からは下知コミュニティ・センターにて「要配慮者支援訓練」をしました。

 超高齢者である父(97歳)と母(91歳)も訓練に参加させていただきました。10名ほど80歳以上の高齢者や障害を持たれている人達も参加しました。昭和小でも下知コミュニティ・センターでも課題がいくつも見つかりました。
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 2月1日は午後6時から、「地区防災計画第7回検討会」が午後6時から下知コミュニティ・センターで開催されます。冒頭に昭和小6年生の防災学習の成果発表がされます。
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2017.01.29

高知市都市計画(コンパクト・シティ)について


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 高知新聞1月24日夕刊記事に「高知市 都市機能を3駅周辺に移動」とあります。記事によりますと、今後の「少子高齢化」により人口減少と人口構成の高齢化に対応するために「コンパクト・シティ」を目指すようです。

http://www.city.kochi.kochi.jp/soshiki/52/rittekipubcome.html

(高知市都市計画課ホームページ・高知市立地適正化計画(案)に係るパブリック・コメントの実施について)

 それゆえ、都市機能をJR高知駅周辺を「中心機能」、JR旭駅・JR朝倉駅にも都市機能を集約し、高知市を今までのように経済原理にゆだねた広域分散型の非効率な都市形成に歯止めをかけ、商業施設、行政機能、医療・介護士施設を狭い場所に集約で、効率的な都市経営を目指すと言うものでしょう。

 海抜0メートルの高知市下知地域で毎日生活し、仕事している立場の者としては、「高知市立地適正化計画(案)」のP38にある記述に注目しました。


「本計画において市街化区域の約 4 割を占める津波浸水想定区域を除外して居住誘導区域を設定することは、現実的には困難です。

 たとえ被災したとしても、人命が失われないことを最重要視し、災害時の被害を最小化する「減災」の考えに基づき、「逃げることを前提としたまちづくり」を基本とします。

なお、これら考え方については、国・県及び関係課等で作成する計画に準拠しながら、本計画との連携を図っていきます。」(P38)

 あまりに簡素化した記述ではないか。「高知市立地適正化計画」(案)なるものを読んでみてください。低地の市街地の市民は見殺し計画ですね。
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 コンパクトシティを標榜しながら、自らも認めているように「本計画において市街化区域の約 4 割を占める津波浸水想定区域を除外して居住誘導区域を設定することは、現実的には困難です。」と言いながら、その対策は「たとえ被災したとしても、人命が失われないことを最重要視し、災害時の被害を最小化する「減災」の考えに基づき、「逃げることを前提としたまちづくり」を基本とします。」とあります。

 想定される南海トラフ地震では、高知市の人口の14万人が居住している中央部。江ノ口、下知、潮江、高須、大津、五台山、などの地域は低地(海抜0から2M)であり、軟弱地盤であります。
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(1000年前は高知市の市街地はすべて海のなかです。)

 規模の小さめの昭和南海地震時には、下知と潮江地区は地盤沈下により水没、長期浸水状態になりました。「たとえ被災したとしても、人命が失われないことを最重要視し、災害時の被害を最小化する「減災」の考えに基づき、「逃げることを前提としたまちづくり」を基本とします。」とありますが、「どこへ逃げるのか」「どこのドライエリアの避難所へ行くのか」「生活復旧のめどはどうなるのか」が、東日本大震災から6年、阪神大震災から22年経過しますのに、未だに具体化されていません。
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(昭和南海地震では下知地区は、長期浸水しました。)

 「コンパクト・シティ」を標榜するのであれば、14万人の低地の市街地に居住する市民や、立地している企業や商業施設や学校や医療・介護施設の「安心・安全」が大前提ではないのか。

 「命を守った後は、御勝手に」と言われているようで、実に不愉快です。

 低地の下知地区を盛り土し、立体換地して耐震高層住宅を建て、浸水に負けないまちづくりを下知地区防災計画では目指したいと個人的には考えていますが、高知市都市計画の中には、そのような観点は全くない事が判明し、愕然としています。」

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2017.01.28

1月最後の海の散帆

 今日は早朝は五台山市民農園(下知愛のふるさと農園)へ行きました。戻ると父(97歳)のリハビリ・ゴルフの付添に行きました。思いのほか時間がかかり、自宅へ戻ると午前11時を過ぎていました。

 移動性高気圧に覆われた「温厚なお天気」。こういう日は下手くそな年寄りは見逃してはいけません。家内の許可を得て「海の散帆」へ出掛けました。途中のコンビニでおむすびを買いました。食べながら夜須へ行きました。
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 到着すると12時前でした。ジュニア・ヨットクラブが午前中の練習を終えて着艇していました。こちらはぎ装を慎重にしました。なんせ1月2日以来ですから慎重に時間をかけてやりました。

 暖かいのでウエットスーツにしました。ドラースーツも用意していましたが、ウェットでかまわないお天気でした。

 風は程よく波がなく最高でした。ジュニア・ヨットクラブはレースの練習をしているようでした。午後からでしたが2時間ほど堪能しました。やはり海の散帆は最高です。精神的な癒しになります。
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 ヤッシーパークの砂浜で自転車が走っていました。明日は自転車のレースがヤッシーパークであるようです。

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 海の散帆が終わり、片付けが済んでから道の駅やすへ寄りました。いつもの「おっさん2ショット」です。ゴルフの帽子を被っています。トランプのおっさんのようですね。
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 明日はヤッシーパークでシクロクロス自転車レースがあるいとか。なるほどそれで今日は練習でヤッシーの砂浜を自転車が走っていたんですね。納得しました。
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父のリハビリ・ゴルフ


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 今朝は寒気が緩んだ感じですね。年末・年始のような穏やかな冬の天気のようです。父(97歳)の付添でゴルフ練習場へ行きました。
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 レンタルで杖を借りました。こちらも歩行練習を兼ねています。会d難昇降も試しています。
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 いつものように自己流の体操をして、水分補給して、球を1発・1発ゆっくりと打っています。その間は私は読書タイムです。
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今日は階段昇降がしんどそうでした。足がなかなか上がらず時間がかかりました。杖は一定の効果はあるようです。
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 終われば温厚そうなお天気なので夜須での「海の散帆」へ出掛けます。

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五台山市民農園へ行きました


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 2017年1月28日には五台山市民農園(下知愛のふるさと農園。横田政道農園主)に行きました。寒気は緩んではいますが、早朝はやはり寒いです。横田邸へ行きましたが、真っ暗です。外気温は1度台ですから。
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 自転車で行きますが、途中五台山三石地区にある五台山農協婦人部が主催す朝市で野菜を調達します。ホウレンソウとトマト、沢庵を購入しました。
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 農園では植えているネギを収穫しました。玉ねぎも育っています。P1010062_r


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下の果樹園の片付けやゴミ拾いをしました。随分綺麗になりました。
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 今日は横田政道さん他、黒岩さんや福谷さんも参加され4人でした。

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「昭和小減災対策新聞」は素晴らしい!!


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 2017年1月23日付の高知新聞地域面に、昭和小が2016年度学校新聞コンクールにて最優秀賞(教育長賞)を受賞したと掲載記事がありました。コンクールは4回目ですが、小学校が受賞したのは昭和小が初めてです。
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 「昭和小減災対策新聞」ですが、内容も素晴らしい。1面の見出しは@災害に弱い学校から強い学校へ」とあります。「大丈夫か昭和小!!」と言う記事では、校舎の2階まで津波浸水するとあります。どうすればいいのか?

 記事では483世帯にアンケート。自宅での備蓄品と災害時の持ち出し品を詳細に調査し、集計し、グラフにして「見える化」しています。

 的確な分析がされています。

「家での備蓄状況は高まっている。去年の6年生の取り組みの成果と、テレビや新聞報道が広がっているからと考える。アンケート結果から昭和小校区の特徴が見えた。
 
 昭和小校区は津波のため、必ず4階以上に避難しなければならない。家に備蓄するより持ち出せるように、家の事情を考えて準備しているのがわかった。」。

 修学旅行で訪れた神戸市の「人と防災未来センター」でもしっかり減災学習をしたようです。教訓としてこう書いています。

1)あらかじめ予想し、備えておくこと!

2)しっかりした訓練をすること!

3)自分の命は自分で守ること!

4)自分たちの経験を次に伝えること!

5)地震が起きたら、その後の行動を自分で判断して動くこと!!

 素晴らしいですね。100%正しいです。地域の大人たちが、この5つの教訓がわかっていない人たちが多いです。昭和小は素晴らしいです。
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 2面の記事では「BestよりBetterを目指す!!」「O円防災」の見出しが目立ちました。それもちゃんと昭和小の備蓄の実態を調べ上げ、「生徒と地域の人があわせて1600人避難してくる!!」その場合どうなるのか?を生徒たちで仮想シュミレーションをしています。

 トイレの問題と停電時の明かりの問題を新聞で指摘しています。空き缶でキャンドルをこしらえたり。レジ袋と新聞紙を集めてトイレをつくる工夫もされ、「0円防災」と名付けています。

 まさに「減災を下知の文化に!」を実践されていますね。大変素晴らしいことです。

 昭和小の児童の皆さんとご指導されました教職員の皆様に感謝です。
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 南海地震か来ても1人の犠牲者を出さな下知地域にしないといけないと、子供たちに啓発されました。

2月1日は、下知コミュニティ・センターにて、昭和小の生徒たちによる「防災プレゼンテーション」が18時より行われます。多数の市民の皆様のご参加をお願いします。

 その後に下知地区防災計画・意見交換会が開催されます。是非ご来場ください。
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2017.01.27

超高齢の両親は元気です


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 今朝は寒気の緩んだ高知市です。北日本は大荒れのようですが、四国は今日は穏やかな1日でした。父(97歳)は朝1番に植田医院へ。貧血予防の注射もし、点滴(週に3回)しました。なんとか自力でゆっくりですが歩いてはいます。
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「腎機能は小康状態ですね。まだまだ寒いので感染症にならないようにしてください。」と植田一穂先生。この時期正直医療機関へ行きたくはないですね。
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 昼食後は母(91歳)の付添ではりまや橋商店街へ行きました。先週の厳しい寒さから言えば緩んではいますが、午後から日差しが亡くなったので、暖かくはありませんでした。
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 今日は私も息子もそれぞれが別の新年会。夕飯用のコロッケは買いませんでした。直接谷ひろ子さんの焼き菓子を母は買いました。
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 10円饅頭をおやつに買いました。ぜんざいも食べました。
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 今日の活き活き100歳体操(介護予防体操)は、12人の参加者がありました。母は当初寒いので「帰りたい」と言っておりましたが、体操仲間が来られるとニコニコして話しをしていました。

 元気に体操をしていました。
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途中横田政道さんが立ち寄られ、谷ひろ子さんのお店でコーヒーとお菓子を飲んで食べて、下知地域の将来を懇談しました。

もう少しすると今年2回目の背広に着替えて新年会へ行きます。お酒を飲むと太るから困ります。明日は早朝は五台山農園へ。父のゴルフ・リハビリに付添い、お天気が温厚なら久々の「海の散帆」を少々。無理ならインドアのトレーニングする予定です。でもお酒を飲んだら、それを1日では消費できませんね。

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父は歩行の自主トレしました。


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 2017年1月25日(水)ですが、午後から少し時間が取れましたので、父(97歳)の歩行練習の自主トレに付き添いました。ここ3日ぐらいの寒気が緩み,風も弱くなりましたので。
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 24日にお試しで借りた杖を2種類持って行きました。最初の物は安定性はありますが、使い勝手が悪いとの事。早々に使用を辞めました。
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 ユニバーサル・ジョイントが杖の下部についているタイプは、今まで杖替わりに使用してきたウォーキング・ポールタイプなので使い勝手が良いようです。
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 自宅から400M先まで歩きました。行きはは1度の休憩、帰りは2度の休憩で往復できました。

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2017.01.26

介護担当者会議・2017


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 2017年1月24日、両親が各種介護ケアでお世話になっている施設やサービスの事業所担当者が集合し、事務所にて介護担当者会議が行われました。ケアマネージャーの下村恵子さんの呼びかけで、事務所にて両親と家内も出席して行われました。

 昨年役所の担当者の「介護認定調査」がありました。その後「介護認定審査会」があり、1月13日付で判定が出ました。
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 父の要介護は1。母は要介護3でした。父は今までは要支援2でしたが、加齢から来るADL(Activities of Daily Living)「日常生活動作」または「日常生活能力」とも言い、歩行・起立・トイレ動作・入浴・食事・着替え・身だしなみなど、日常生活を営むために最低限必要な能力のこと」が随分低下したからです。

 母は要介護3。アルツハイマー型認知症で、最近では排尿・排便の感覚すらなくなってきています。なんとかこれ以上悪化しないように、人格破壊にならないように、歯止めをかけたいと思います。要介護3が在宅介護の限界でしょうね。

 家族も施設も努力しましたが、両親とも身体能力の低下(とくに歩行能力、下半身の身体能力)の衰えは顕著になり、見守らないと常に転倒する恐れが日常化してきました。

 今回の介護者担当者会議では、両親の身体能力の低下防止、尿失禁・便失禁の抑止するための体操や措置をお願いしました。
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 母が通所するデイサービスの担当の方がこう言われました。

「食事の後、10分ぐらいは職員が付き添って排便をトイレでするように仕向けています。うまくいったときはみんなで喜んでいます。」というお話には感動しました。「排泄は人間の尊厳である。」と思うからです。

 おむつで排尿、排便すれば簡単ですが、やはり尿意や便意を感じ、トイレに行き用を足すことは人間としてとても大事な行為であると思うからです。両親とも消化器系の疾患はなにもない健康体なので、超高齢者とは言え、排尿と排便を自分で用を足すことができれば言うことはないからです。’(父は慢性腎不全ですが、他の内臓は健康体です。)

 リハビリ系の施設に担当者も「便秘気味の利用者さんもいるので、運動の時も排便体操のようなことも取り入れて行きます。」と言ってくれました。福祉機器レンタル会社の人は「おくだけ手摺」や「突っ張り棒」などのレンタルもしていて、動作の補助をしてくれています。今日はお試しで歩行を補助する4点つえをお試しで借りました。

 2011年に両親は介護保険の認定を受け、今年で6年目になります。在宅介護では限界ぎりぎりではないかと思っています。なんせ超高齢者(父97歳・母91歳)ですから。

 両親の在宅介護が始まってから、人生観が変わりました。「見えないもの」が見えるようになりました。両親から学ぶことも多いです。介護関係者の皆様、ありがとうございました。良い人生勉強をさせていただいています。

 人間の命は限りがあります。いつまで超高齢者の両親の在宅介護が出来るのかわかりません。私も家内もともに還暦を過ぎました。「老・老介護」になりつつあります。

 両親の在宅介護ケアをする以上は、自分たちが元気でないといけないし、風邪をひくこともいけないのです。健康に気遣うようになりました。かえって健康になったような気がします。性格的にも「気が長くなりました。」

 また街中で、高齢者や身体のハンディを持たれている人などが転倒しそうな姿を見たり、車に乗り込むのに苦労されている姿を見ますと、とっさに駆けつけサポートが出来るようになりました。毎日・日にち両親の在宅介護ケアをしているからでしょう。

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2017.01.25

[青春の門」が23年ぶりに連載再開


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 週刊現代2月4日号。作家五木寛之氏の小説「新・青春の門・第9部漂流編」の連載が23年ぶりに再開されました。舞台はシベリア。怪我した主人公の伊吹信介は、旧ソ連に密航しシベリアの荒野をさまよっている。時代は1960年代初めのソ連が舞台です。どういう展開になるのか楽しみですね。
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 84歳になった五木寛之氏。骨太の作風は健在のようです。「作家として最後の力を振り絞っての今回の挑戦に、どうか青年の気分でおつきあいください。」と言われています。
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 現在の日本の時代状況に一石を投じる作品になることを期待しています。

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2017.01.24

まちづくり条例見守り委員会


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 2017年1月16日の高知市は寒かったです。就労後午後7時からの「高知市市民と行政のパートナーシップのまちづくり見守り委員会」の第3回検討委員会が、たかじょう庁舎で開催されました。高知市地域コミュニティ推進課が事務局をしています。

 今回のテーマは「公益信託まちづくりファンドのあり方」について、制度面,広報面、事後・事前のとりくみについて意見交換をしました。
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 全体議論の後で、2つの班に分かれての意見交換。松づくりに関しては「一騎当千」の人達ばかりなので、議論はつきません。時間内で出た意見を大雑把にまとめて今日のところは終わりました。

「3年間の助成期間が終了後は、エントリーした事業はどうなったのか?」

「もっと支援を受けやすい審査にすべきではないか」

「応募段階で動画で応募したらどうか」

「まちづくりファンドを説明するDVDを制作すべき」

「もっと資金額を増やす努力をすべき」

「備品購入は駄目だと言うのではなく、活動資金を生み出せるものであればもい認めるべきです」との意見などが出されました。

  次回は3月に開催予定です。

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2017.01.23

雛人形を道の駅やすへ持って行きました。


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 お昼休みの時間帯を利用して、狭い自宅の3回と4階の屋根裏に収納してある雛人形を香南市やすの道の駅やすへ持って行きました。2月から3月にかけて道の駅やすのホールにて他の雛人形と一緒に展示していただいています。
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 道の駅やすの女性スタッフの皆様が慈しんで丁寧に展示していただいています。うちの狭い家では出すこともなく箱の中で収納されているだけですが、のびのびとしています。大きな広い家を建てれば飾ることも出来るでしょうが、今年もまた実現しませんでした。ふがいない限りです。

 今日は突然時間が出来ましたので、箱バンへ積み込んでヤッシーへ持って行きました。高速道路が五台山から高知空港まで繋がったので早く夜須へ行けるので時間的なロスはなくなりました。
お昼はマサラのカレーを出前していただき山本宏幸さんにごちそうになりました。とても美味しかったです。
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 お昼やマサラのカレーを食べました。出前をしてくれるのですね。ヤッシー内は。美味しかったです。雛人形は2月3日からヤッシー・パーク道の駅やすのホールにて展示されるようです。海の散帆の後にうちの雛人形にも会いに行こうと思っています。
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(昨年の展示の様子です。)

山本宏幸さんとまじめにおっさん2ショット

 雛人形の配達後に、山本宏幸さんと「おっさん2ショット」をしました。事務服着用で面白くないとの事で、山本さんが「かぶりもの」をロッカーから持ってこられました。やはり2人とも表情が硬めですね。
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 ハーバーも見に行きました。
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まちづくりファンド中間発表会


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 2017年1月22日(日曜日)は、高知市の公益信託「まちづくりファンド」の中間発表会があり、午後13時半から16時半まで、高知市鷹匠庁舎6階会議室で見学しておりました。
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 下知愛のふるさと農園(代表・横田政道さん)の中間発表がありました。黒岩博さんがサポートされています。発表の後の会場での意見交換会では、好意的な意見が多かったです。」

「活動内容が具体的でわかりやすい。」

「苦労されている様子に感動を覚える。」などでした。

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 9団体が中間発表に。学生まちづくりコースが1団体、まちづくりはじめの一歩前コースは「下知愛のふるさと農園」を含む3団体。最大5万円の交付金コース。

 まちづくり一歩前へコースは、30万円交付金コース。岩崎諄江さんの「大津子供会連合会」や、坂下直美さんの「シアターTACOGURA」など5団体が発表しました。運営委員に宮地貴嗣さんもおられ、結構会場は顔見知りの人がいました。
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 いろんな考えかた、いろんな活動があるもんだと感心しながら聞いていました。

 

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2017.01.22

オープン・ハートの日々の記録展


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 1月14日(金)のはりまや橋商店街での金曜市で、オープンハード代表の宇賀恵子さんから「はあと33番地に集う、日々の記録」という案内パンフをいただきました。

 案内によりますと「はあと33番地に集う、日々の記録」の展示会を以下の日程で、高知市藁工ミュージアムにて行います。

(日時)2017年2月3日(金)から3月20日(月・祝日)まで

    午前10時から午後18時まで(入館は17時30分まで)

(場所)藁工(わらこう)ミュージアム

(観覧料)無料

 2016年11月から12月にかけて、NPO法人オープンハートが運営する「はあと33番地」にて日々の出来事を写真に記録するワークショプを開催されえちました。

 写真家宮下裕史さんを講師に、日々の出来事をカメラで皆が撮影、プリントアウトし、撮った時の想い等を書き加えたブックを1人が1冊作成されました。

 展示会を開催します。
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*NPO法人オープンハート はあと33番地

 多機能型障害者福祉サービス事業所(生活介護・放課後等デイサービス)慈雨。重度重複の障害のある人たちが、学校卒業後も住み慣れた地域で暮らし、地域の中で生きていく場を実現するために、医療・教育・福祉と連携し、1人1人の個性に応じた日中活動を提供する拠点として設立されました。

 〒780-0803 高知市弥生町3-16 
  電話・FAX 088-882-1226

*オープンハートさんにつきましては、2004年にお話ししたことがありました。もう13年も前の事ですね。

 http://www.nc-21.co.jp/dokodemo/gesuto6/uga.htm

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2017.01.21

五台山市民農園・新年会

 五台山市民農園(農園主・横田政道氏)の2017年度の新年会が、高知市知寄町のびっくり鳥で行われました。
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 農園関係者(横田・黒岩・福谷・吉本・島内・西村)と加盟希望者の楠瀬さんが参加しました。楽しく懇親させていただきました。自撮りの写真を撮りましただ、黒岩さんと横田さんが写っておりません。すみません。

 明日は午後1時半から、高知市鷹匠庁舎で、農園も補助を受けたまちづくりファンドの中間発表会があります。
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五台山市民農園・新年会


 五台山市民農園(農園主・横田政道氏)の2017年度の新年会が、高知市知寄町のびっくり鳥で行われました。
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 農園関係者(横田・黒岩・福谷・吉本・島内・西村)と加盟希望者の楠瀬さんが参加しました。楽しく懇親させていただきました。自撮りの写真を撮りましただ、黒岩さんと横田さんが写っておりません。すみません。

 明日は午後1時半から、高知市鷹匠庁舎で、農園も補助を受けたまちづくりファンドの中間発表会があります。
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ジャニス・リトル・ガール・ブルーを観賞しました。


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 27歳で夭折した悲劇の女性ロック歌手ジャニス・ジョップリンの生前の映像を繋いだドキュメンタリー映画。2017年1月21日に家内と一緒に、高知市大橋通りのメフィストフェレス2Fシアターへ行きました。

http://janis-movie.com/index.html(公式サイト)

 米国南部のテキサス州の田舎町で生まれ、生真面目な両親に育てられ、地元高校で音楽活動に目覚めるも、保守的な土地柄で虐めにも遭い、だんだんと独自の生き方を求めるようになっていたようです。テキサス大学に進学し、音楽活動に没頭し、休学してサンフランシスコへ行きました。
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 当時西海岸のサンフランシスコは米国のカウンター。カルチャーのメッカ。従来の米国式価値観を否定する文化が育っていました。ジャニスは、黒人音楽やブルースに傾倒し、独自の音楽性を発揮していきます。

 1967年のモントレー・ポップ・フェスティバルに参加。シャウトする圧倒的な歌唱力で関係者各位に衝撃を与え、メジャー・デビューに繋がりました。「サマー・タイム」や「クライ・ベイビー」や「コズミック・ブルース」などが印象に残っています。

 レコートは遠い昔の学生時代から聞いていました。家内がファンだったこともあり、一緒に新宿のロック喫茶でレコードを聞いたりしていましたね。パールというアルバムはLPもCDも持っています。活動期間は僅か4年余りですが、印象的な曲を残しています。
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 映画を見て思ったのは、両親はジャニスを最後まで理解しようとしなかった感じを受けました。何人か交際していた男友達も「ジャニスは魅力的だったが、母性が成長することはなかった。」と言っていました。

 10年ぶりにスターになったジャニスが高校の同窓会に出席しても、1人浮いていたそうです。保守的な土地柄からでしょう。時代を先駆ける大変さ。保守的な土地柄。女性ロック・シンガーの大変さ。「バンドのメンバーは帰るべき家庭がある。私にはなにもない。」と1人で煮詰まり、しばらく辞めていたヘロインをお酒と一緒に寝る前に服用してそのまま帰らぬ人になりました。27歳でした。夭折です。居場所がなかったんですね。

 ジャニス・ジョプリンが先駆者でいたから、マドンナとかビヨンセなど女性ロック歌手も世に出ることが出来ました。今生きておれば74歳。ローリング・ストーズやポール・マッカートニーと同世代ですね。未だに彼女を超える女性ロック歌手はいません。

 1960年代後半で楽器やPAなどは今の時代から比べれば貧弱ですが、ジャニス・ジョプリンの歌声は時代を貫いています。会場で松田雅子さんにもお会いしました。

 今日も寒いので、「海の散帆」を諦めました。「文化活動」の映画鑑賞が2週連続で続いています。たまにはいいものです。

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父はゴルフ・リハビリに行きました


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 今朝は西高東低の気圧配置。午前中は風が弱いので、父(97歳)のリハビリ。ゴルフにつき合いました。

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このゴルフ練習場は、建物が北西方面の風を防ぐ構造になっています。気温は6度でしたが、風がなければ日差しは暖かいです。
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 いつものように自己流の体操をして、水分補給をOS-1でしながら球を打ちました。先週余りの寒さで行きませんでした。ブランクがあると父は言います。前半はまともに球が当たらず怒っていました。後半はまともに当たるようんびなりました。
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 戻ると運動して腸が活発になったのか、トイレが間に合わず便失禁しました。全部脱がしてシャワーをしました。やれやれです。

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アクセルは右足、ブレーキは左足で

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 最近よく耳にするニュースは「車のアクセルとブレーキを踏み間違え。、車が暴走し事故を起こしてしまった。」ということ。オートマチック操作の自動車特有の事故のようです。

 高齢者に多いとされている「アクセルとブレーキの踏み間違い」。それを完全に防止するためには、2つの方法しかないでしょう。

1)オートマチックの車を辞めて、昔ながらのマニュアル車にします。
  クラッチを手動で切り替える(手の操作と足での操作が同時に必要)
  操作を間違えばエンストするので暴走はしませんから。

2)右足はアクセル専門。左足はブレーキ専門。両足を使い、役割を
  わけで運転すれば間違いません。

 ただ1)ですが、最近乗用車に関しては、軽四までオート車になっていますね。軽トラはメニュアル車が多いので、軽トラに乗るべきでしょう。

 2)ですが、皆自動車学校で、右足1本で車を操作することを指導され、覚えています。「右足はアクセルだけ」「左足はブレーキだけ」にすればいいんです。まず間違いはおこりません。

 自動車学校の指導もそうすればいいと思います。

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2017.01.20

大寒のはりまや橋サロン

 今日1月20日は「大寒」とか。1年で1番寒いと言われています。今朝は曇っていて、早朝コンビニに、ビックコミック・オリジナルを買いに行った時も、父(97歳)の付添で植田医院へ行った時もそれほど寒さは感じませんでした。

 むしろ午後から母(91歳)とはりまや橋サロンへ行ったときは晴れ間が出て冷たい風が吹き始めましたので寒く感じました。時折しぐれもありました。寒いはず。山間部は降雪があったと思います。
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 歩行補助車を出しました。いつものコロッケ屋さんで夕飯のコロッケを買いました。揚げたてですた。露店で光の村のせんべいを買いました。谷ひろ子さんのお店で焼き菓子を買いました。
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 寒いので母と暖かいぜんざいを食べました。今日は母も私もうっかりお金を多く持って来ていませんので、買い物が多くできませんでした。出る時にばたばたしていたからです。谷さんとの写真が撮れませんでした。
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 寒い中でしたが、活き活き100歳体操(介護予防体操)には、12人の高齢者が来ていました。母も腕に重りをつけて体操をしていました。皆さん寒い中お元気でした。
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 屋外の体操教室は珍しいと思いますね。

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不当要求防止責任者講習会


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 2017年1月17日は、高知県暴力追放センターと高知県警主催の「不当要求防止責任者講習会」が、午後1時半より4時半まで、ふくし交流プラザでありました。シビアな3時間講習会でした。
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 たくさんの暴力団の動向に関する資料や、パンフレット。講師の高知県暴力追放センターと高知県警の話。暴力団対策のわかりやすいDVDなどを視聴しました。
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「全国の暴力団の動向ですが、最大組織山口組が分裂、神戸山口組を標榜しています。暴力団構成員数などは10年前に比べ半減している。しかし油断はできません。
 暴力団は資金獲得方法を多様化し、より狂暴化しているからです。」

「企業活動において暴力団につけこまれないように、事例を参考にしていただき、おかしいなと思ったらすぐに暴力追放センターや警察にご相談ください。」
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「人材派遣業や公共工事にも暴力団が関与しています。対策をなさってください。有効な方法は契約書や取引約款に「暴力団排除条項」を盛り込むことです。」

 など話は具体的で理解できました。よい社会勉強になりました。修了書をいただきました。
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2017.01.19

明治憲法の理不尽さを読み解く

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 教本は「日本の思想」(丸山真男・著・岩波新書)です。P29からの記述が面白い。今更ながらの古典社会思想学ですが、明治帝国憲法の意義と目的、思想的な欠陥について簡潔明瞭に分析し、記述しています。

1)近代日本機軸としての「國體」の創出

 江戸幕府時代末期に長らく続けていた鎖国政策を転換し、開国した日本。幕藩体制から明治新政府が成立し、一気に近代化した日本。国会を設立させ、憲法も制定し、近代国家の体裁を整えなければなりませんでした。それは幕末期に締結した不平等条約の改正のためにも必要であったからです。

 明治初期に2年位欧米歴訪をした伊藤博文。明治憲法を制定する場合の意義目的を丸山真男の解説で観察してみます。(ほとんど全文引用です。)

「明治21年6月、枢密院の帝国憲法草案審議が天皇臨御の下に厳か開始された日の冒頭に、議長伊藤博文は憲法制定の根本精神について所信を披瀝し、次のようにのべたー。

「憲法政治ハ東洋諸国ニ於テ会テ歴史ニ微証スヘキモノナキ所ニシテ,ソレヲ我日本ニ施行スル事ハ全ク新創タルヲ免カレス。故二実施ノ後、其結果国家ノ為ニ有益ナル、或ハ反対二出ツル、予メ期スへカラス。

 然リトも二十年前既二封建政治ヲ廃シ各国ト交通ヲ開キタル以上ハ、其結果トシテ国家ノ進歩ヲ謀ル二此レヲ捨テ、他ニ経理ノ良途ナキヲ奈何セン・・・

 欧州ニ於イテハ当世紀ニ及ンデ憲法政治ヲ行ハサルヲモノアラスト、是レ即チ歴史上ノ沿革ニ成立スルモノニシテ、其萌芽遠ク往昔ニ発セサルハナシ。

 反之我国ニ在テハ機軸ハ何ナリヤト云ッテ事ヲ確定セサルヘカラス。機軸ナクシテ政治ヲ人民ノ安泰ニ任ス時ハ、政其統紀ヲ失ヒ、国家、堕テ廃亡ス。

 抑、欧州ニ於テハ、憲法政治ノ萌芽セル事千余年、独リ人民ノ此制度ニ習熟セルノミナラス、又宗教ナル者アリテ之カ機軸ヲ為シ、深ク人心ニ浸潤シテ、人心此ニ帰一セリ。然ルニ我国ニ在テハ宗教ナル者其力微弱ニシテ、一モ国家ノ機軸タルヘキモノナシ。

 仏教ハ一タヒ興盛ノ勢イヲ張リ、上下ノ人心ヲ繋キタルモ、今日ニ至テハ己ニ衰替ニ傾キタリ。神道ハ祖宗ノ遺訓ニ基キ之ヲ祖述スト、宗教トシテ人心ヲ帰向セシムルノ力ニ乏シ。」(清水伸「帝国憲法制定会議」88P)

「つまり、伊藤は日本の近代国家としての本建築を開始するに当たって、まずわが国のこれまでの「伝統的」宗教がその内面的「機軸」として作用するような意味の伝統を形成していないと言う現実をはっきりと承認してかかったのである。」

 日本においては儒教は影響力を既に失っていました。「個別的な日常徳目として生き残っていた。」(P90)でした。後に「教育勅語に」形を変えて活用はされますが・・。

 封建体制を明治以降廃棄したものの、西欧列強諸国に対抗する国家機軸を作成しないと、亡国になる危機感を伊藤博文以下明治政府は持っていたんでしょう。

「自由民権運動との陰惨な闘争の歴史がまだ生々しい藩閥政府にとって、「機軸」のない憲法政治の姿は想像をこえたおそるべきものと映ったであろう。」(P30)

 そして明治政府のより、新しい「意味づけ」と「近代化」した明治天皇制が「機軸」として大日本帝国憲法制定にて登場してきます。それは伊藤博文ら明治政府主要閣僚が、新政府成立間もない頃に、2年間も日本を留守にし、欧米諸国を歴訪し、史実を彼らなりに調べ、解釈し、作リ上げたものでした。

「こうして「我国ニ在テ機軸トスベキハ、独リ皇室アルノミ。是ヲ以テ此憲法草案ニ於テハ専ラ意ヲ此点ニ用ヒ君権ヲ尊重シテ成ルヘタ之ヲ束縛セサラン事ヲ勉メリ。

 草案ニ於テハ君権ヲ機軸トシ、偏ニ之ヲ毀損セサランコトヲ期シ、勇エ彼ノ欧州ノ主権分割ノ精神ニ拠ラス。固ヨリ欧州数国ノ制度ニ於テ君権民権共同スルト其揆ヲ異ニセリ。是起案ノ大綱トス。」(清水伸「帝国憲法制定会議」89P)

 「先の述べた「開国」の直接的結果として生じた、国家生活の秩序化と、ヨーロッパ思想の「無秩序」な流入との対照は、ここに至って、国家秩序の中核主体を同時に精神的機軸とする方向において収拾されることになった。

 新しい国家体制には、「将来如何の事変に遭遇するも・・上元首の位を保ち、決して主権の民衆に移らざるための政治的保障に加えて、ヨーロッパ文化千年にわたる「機軸」をなして来たキリスト教の精神的代用品をも兼ねると言う巨大な使命が託されたわけである。」(P30)

 つまり明治憲法では国家元首は天皇であり、権力の源泉であり、人民には西欧諸国のように分権はしない。同時に西洋諸国に強い影響力を行使してきたローマカトリック教会的な機能も明治以降の天皇制度に担わせました。

 国民は国家への抵抗権も有する西欧的な「市民」ではなく、国の機軸である天皇に無条件に服従する「臣民」として位置付けられました。

 天皇に政治的な権力も、国民の精神的な支柱も担わせました。西洋諸国は数百年の宗教戦争の教訓から「政教分離」を国家理念にしていますが、伊藤博文らは「利便性」だけで「輸入し」、政教分離には無関心だったように思います。

 急いで近代化し、欧米列強に対抗すべく、「尊王攘夷」で担ぎ上げた天皇を政治利用し、国民統制に使いました。戦前の日本社会の不幸が明治憲法制定当時から仕込まれていました。

2)「國體」における臣民の無限責任

  丸山真男氏は、さらにモデルとした西欧社会にはない「危険性」を精神面、社会面から鋭く分析しています。

「「國體」と呼ばれた非宗教的宗教がどのように魔術的な力をふるったかという痛切な感覚は、純粋な戦後の世代にはもはやないし、又その「魔術」にすっぽりはまってそのなかで「思想の自由」を享受していた古い世代にももともとない。

 しかしその魔術はけっして「思想問題」という抽象的な名称が日本の朝野を震撼した昭和以後に、いわんや日本ファシズムが狂暴化して以後に、突如として地下から呼び出されたのではなかった。

 日本のリベラリズムあるいは「大正デモクラッシー」の波が思想界に最高潮に達した時代においても、それは「限界状況」において直ちに恐るべき力を露わしたのである。」(P21)

「かつて東大で教鞭をとっていたE・レーデラーは、その著「日本ヨーロッパ」の中で在日中に見聞していてショックを受けた2つの事件を語っている。

 1つは大正12年末に起こった難波大助の摂政宮狙撃事件(虎ノ門事件)である。彼がショックを受けたのは、この狂熱主義者の行為そのものよりも、むしろ「その後に来るもの」であった。

 内閣は辞職し、警視総監から道すじの警固に当たった警官にいたる一連の「責任者」(とうていその凶行を防止得る位置にいなかったことを筆者は強調している)の系列が懲戒免官になっただけではない。

 犯人の父はただちに衆議院議員の職を辞し、門前に竹矢来を張って1歩も戸外に出ず、郷里の全村はあげて正月の祝いを廃して「喪」に入り、大助の卒業した小学校の校長ならびに彼のクラスを担当した訓導も、こうした不逞のの徒をかつて教育した責を負って辞職したのである。」(P32)

「このようなバク(?)として果てしない責任の負い方、それをむしろ当然とする無形の社会的圧力は、このドイツ人教授の眼には全く異様な光景として映ったようである。

 もう1つ、彼があげているのは(おそらく大震災の時のことであろう)。「御真影」を燃えさかる炎の中から取り出そうとして多くの学校長が命を失ったことである。「進歩的なサークルからはこのような危険な御真影は学校から遠ざけた方がといという提議が起こった。校長を焼死させるよりはむしろ写真を焼いた方がよいというようなことは全く問題にならなかった。」とレーデラーは誌している。

 日本の天皇制はたしかにツァーリズムほど権力に無慈悲ではなかったかもしれない。しかし西欧君主制はもとより、正統教会と結合した帝政ロシアにおいても、社会的責任のこのようなありかたは到底考えられなかったであろう。

 どちらがましかというのではない。ここに伏在する問題は近代日本の「精神」にも「機構」にも決して無縁ではなく、また例外的でないというのである。」(32(

 ずっと丸山真男しの記述をそのまま写しましたが、なんとも「おぞましい」怖さがありますね。物凄い「同調圧力」なんでしょう。西欧人にはまったく想定外の世界であったことでしょう。


3)「國體」の精神内面への浸透性

かくも恐ろしい「同調圧力」をもっていました。それも明治以降短時間にこしらえたものだけに、末恐ろしさを感じます。古代天皇制とも、中世・近世の天皇制とも異なっています。

 そのあたり丸山真男氏は的確に分析されています。

「しかもこれほど臣民の無限責任によって支えられた「國體」はイデオロギー的にはあの「固有信仰」以来の無限定的な抱擁性を継承していた。國體を特定の「学説」や「定義」で論理化することは、ただちにイデオロギー的に限定し、相対化する意味を持つからして、慎重に避けられた。」

「それは否定面においてはーつまりひとたび反國體として断ぜられた内外の敵に対してはーきわめて明確峻烈な権力体として作用するが、積極面は茫洋とした厚い雲層に幾重にも包まれ、容易にその核心を露わさない。

 治安維持法の「國體ヲ変革シ」という著名な第1条の規定においてはじめて國體は法律上の用語として登場し、したがって否応なくその「核心」を規定する必要が生じた。

 大審院の判例は、「万世一系ノ天皇君臨シ統治権ヲ総纜シ給フ」国柄、すなわち帝国憲法第1条第4条の規定をもってこれを「定義」(昭4・521判決)した。しかしいうまでもなく、國體はそうした散文的な規定につきるものではない。」

「過激社会運動取締法案が治安維持法及びその改正を経て、思想犯保護監察法へと「進化」していく過程は、まさに國體が、「思想」問題にたいして外部的行動の規制ー市民的法治国家の法の本質をこえて、精神的「機軸」としての無制限な内面的同質化の機能を露呈してゆく過程でもあった。」(P33)

 なんともおぞましいほどのすさまじい社会的な同調圧力体ではないか。安倍内閣閣僚や復古主義的な政治家が、「理想の国家像」という現実は、国民の基本的人権も言論の自由も、政治活動の自由も何もない「奴隷制国家」ではないのか。

 宗教的な背景は異なりますが、中世のイスラム社会を復元しようと言うイスラム国並みの極端な国家原理主義ではないかと思います。

「それは世界史的にも、国家権力が近代自由主義の前提であった内部と外部、私的自治と国家的機構の二元論をふみこえて、正統的イデオロギー経の「忠誠」を積極的に要請する傾向が露骨になりはじめた時期と一致していた。

 日本の「國體」はもともと徹底的に内なるものでもなければ、徹底的に外面的なものでもなかったので、、こうした「世界的」段階にそのまま適合した。

 日本の「全体主義」は権力的統合の面ではむしろ「抱擁主義」的で[翼賛体制の過程や経済体制を見よ)は、はなはだ非効率であったが、少なくもイデオロギー的同質化にはヒットラーを羨望させただけの「素地」は見えていた。ここでも超近代と前近代は見事に結合したのである。」(P34)

 結局この項目は、すべて丸山真男氏の記述項目をすべて書き写し、引用しました。納得がいくからでした。二次大戦中も降伏するしかありえない状況の中でも支配層の最大の関心事は「國體」の擁護と維持であり、国民の命と財産の保全など全く眼中になく、決断できない間に、全国の都市は空爆で焦土となり、沖縄で凄惨な地上戦が行われ、広島・長崎に原子爆弾が投下されました。

 国民各位に無限に責任を押し付ける「國體」の体制でしたが、支配層は極めて無責任・無能でありました。その原因を丸山真男氏は、西欧諸国の制度や国家と比較して明確に述べています。

4)天皇制における無責任の体系

「近世の認識論の構造と近代国家の政治構造との密接な関連はすでにE・カッシラーやC・シュミットなどによって思想史的に解明されているが、こうした関係は、類似した政治理念がそれぞれの国民によって個性的な組織化の様式をまとう点にも現れている。

 例えばヨーロッパにおいて大陸の合理主義が絶対君主による政治的集中(官僚制の形成)を前提とした法治国家(Rechtsstaat)の形成と相即しているとすれば、イギリスの経験論には地方自治の基盤の上に自主的集団の論理として培養された「法の支配」(rule of law)の伝統が照応している。

 同じ儒教の自然法思想が中国の場合には規範的・契約的性格が比較的つよく現れ、日本ではむしろ権威(恩情)と報恩の契機が表面に出るのも、たんに学者の解釈の差ではなく、封建制あるいは家産的官僚制の内面に浸透してその現実的な作用連関を構成している「精神」なのである。」

「「天下は、天下の天下なり」と言う幕藩制に内在した「民政」観念が幕末尊攘思想において「天下は1人の天下なり」という一君万民理念に転換したことが、維新の絶対王政的集中の思想的準備になったにもかかわらず、こうして出現した明治絶対主義は、当初から中江兆民によって「多頭一身の怪物」と評されたような多元的政治構造に悩まねばならなかった。

 これもむろん直後には維新の革命勢力が、激派公卿と西南雄藩出身の「新官僚」との連立のまま、ついに一元化に組織化されなかった社会的事情の継続であるが、そこにも世界認識を合理的に整除せずに「道」を多元的に併存させる思想的「伝統」との関連を見いだすに難くない。」

 明治政府時代が、岩倉具視らの公卿衆と薩摩・長州の出身者の連立政権でしたが、実に危うい統治形態でした。維新の三傑(西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允)の死後、かつて吉田松陰に「斡旋屋に向いている」と呼ばれた伊藤博文と、「棒のような男」と言われた山形有朋が「元老」として権勢を振るったことも影響は大きかったと思いますね。

「明治憲法において、「ほとんど他の諸国の憲法には類例をみない」大権中心主義(美濃部達吉の言葉)や皇室自律主義をとりながら、というよりも、まさにそれゆえに、元老・重臣など超憲法的存在の媒介によらないでは国家意思が一元化されないような体制がつくられたことも、決断主体(責任の帰属)を明確化することを避け、「もちつもたれつ」の曖昧な行為連関(神輿担ぎに象徴される!)を好む行動形式が作用している。

 つまるところ、統治の唯一の正統性の源泉である天皇の意思を推しはかると同時に天皇への助言を通じてその意思に具体内容を与えることにほかならない。さきに述べた無限責任のきびしい倫理は、このメカニズムにおいては巨大な無責任への転落の可能性をつねに内包している。」(P39)

 国民各位には無限の国への忠誠心を強いるのに、統治する支配層が分裂し、統治能力が不足していて「無能」であったいうことなんでしょう。次に丸山真男氏は明治憲法体制の問題点を指摘しています。

5)明治憲法体制における最終的判定権の問題

大日本帝国憲法の「設計者」の思惑と狙いを以下の文章で丸山真男氏は的確に述べています。

「政治構造の内部において主体的決断の登場が極力回避される反面、さきの伊藤の言に表されているように、この「一大器械」に外から始動を与える主体を絶対的に明確にし、憲法制定権力について、いささかの紛議の余地を亡くしたのが、天皇制の製作者たちの苦心の存するところであった。

 明治憲法が欽定憲法でなければならぬ所似は、けっして単に憲法制定までの手続きの問題ではなく、君権を機軸とする全国家機構の活動を今後に渡って規定する不動の建前であったのである。

 この「近代」国家において憲法制定権力の所在が誰にあるかという問題は、これ以後もはや学問的にも実際的にも「問われる」余地がなかった。」(P39)

 個人の自由や、市民自治の概念が帝国憲法には殆ど盛り込まれていない。国民は「臣民」として、ひたすら天皇大権に奉仕する存在であるからです。

「しかしながらこの憲法によって、「保護」された良心と思想の自由は,「國體」が自在に内面性に浸透した人民を「保護監察」しうる精神としての側面を持つ限り、容認の範囲の問題であってもついには原理的な保障ではありえないのである。(中略)・・

 ただ多くの民権論者にも、いわんや伊藤にも等しく欠けていたのは、私的=日常的な自由を権力の侵害から防衛するためにこそ全権力体系の正当性を判定する根拠を国民自らの手に確保しなければならないという発想だった。」(P42)
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 例えば、日本国憲法では明確に「基本的人権の保障」を定めています。

第十一条

「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」

 大日本帝国憲法は、こうした明確な規定はないと丸山真男氏は言っています。「臣民」の義務ばかりの強調。条文ではあえてしてはいないでしょうが、社会の「雰囲気」や「同調圧力」は現代社会では全く考えられない力があったと思われます。

 権力の源泉が国民ではなく、天皇であるから、1人1人の国民の基本的人権の保障が限定的であり、国が個人の人権を守る形にはなってはいませんね。

6)「権利の上のねむる者」

 国民の基本的人権をきちんと認めた日本国憲法ですが、次の12条には、読むとこう書かれています。

第十二条  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

 丸山真男氏は、厳しいことを書かれています。 借金もお金を貸した方が請求しないと「民法では時効」があり、請求権が無効になるという事例を説明しています。その後にこの文章が続いています。

「国民はいまや主権者になった。しかし主権者であることに安住して、その権利の行使を怠っていると、ある朝めざめてみると、もはや主権者ではなくなっているといった事態が起こるぞ」という警告になっているわけです。

 これは大げさな威嚇でもなければ教科書風の空疎な説教でもありません。それこそナポレオン3世のクーデターからヒットラーの権力掌握に至るまで、最近100年の西欧民主主義の血塗られた道程がさし示している歴史的教訓にほかならないのです。」(P155)

 なんとも今の日本の社会風土を分析して言われているようではありませんか。またこうも言われています。

「アメリカの社会学者が「自由を祝福することはやさしい。それに比べて自由を擁護することは困難である。しかし自由を擁護することと比べて、自由を市民が日々行使することはさらに困難である」といっておりますが、ここにも基本的に同じ発想があるのです。」

「私たちの社会が自由だ自由だといって、自由であることを祝福している間に、いつの間にかその自由の実質はカラッポになっていないとも限らない。自由は置物のようにそこにあるのではなく、現実の行使によってだけ守られる、。いいかえれば日々自由になろうとすることによって、はじめて自由でありうるということなのです。」

「その意味では近代社会の自由とか権利とか言うものは、どうやら生活の惰性を好む者、毎日の生活さえ何とか安全に過ごせたら、物事の判断などはひとにあずけてもいいと思っている人、あるいはアームチェアから立ち上がるよりもそれに深々と寄りかかっていたいと言う気性の持主などにとっては、はなはだ持って荷厄介なしろ物だといえましょう。」(P156)

 日本国民は代議民主制度の選挙への投票率がとても低い。若い人にすれば投票率が3割以下と言う場合もあります。まさに「権利の上で惰眠をむさぼぼっています」

 そしてよく考えることもなく国民の基本的人権。個人の自由を保障した日本国憲法を「制定して70年も経過し、時代にあっていないので改憲すべき」という意見に多くの国民が自分で深く検討せずに「なんとなく」賛成してしまう傾向がありますね。

 とても危険です。体制側が憲法改正に反対を主張する人たちを「サヨク」だとか、「変わり者」「少数派」だとの猛烈なキャンパーンを硬軟両方で執拗に毎日していますね。それに「騙される」人も多いと思います。

 ネットの無料配信のニュースの多くは憲法改正論者の産経新聞系ですから。SNSやネットの論調も圧倒的に「憲法改正論者」の主張が目立ちます。きっと莫大なお金を安倍内閣は電通などを使って毎日日にち広報宣伝をしていると思います。良く事情が分かっていない人たちが右派的な主張をネット上で吐いているんでしょう。

 今回丸山真男氏の「日本の思想」をテキストに、読書ノートを作成してみました。日本会議の主張である「日本国憲法を廃止して、大日本帝国憲法を復活させる」という企ては、いかに国民の基本的人権を無視したものであることが良く理解できました。

 日本の歴史の近代化で、西欧1000年の歴史と伝統に「急ごしらえの明治天皇制度」で追いつき、追い越そうとしましたが、所詮は矛盾が出て破綻しました。特に支配階級の無責任さ、無能さには呆れるばかりです。

 臣民(国民)に無限に忠誠と服従を強要するのに、支配階級は無責任極まりない存在でしかなかった現実が大日本帝国の実態でした。今更亡霊のように復活してほしくはありません。

 今一度足元の地域社会から社会全体を俯瞰し、民主主義国家・日本を市井の市民の立場で再生すべきではないかとわたしは思います。

 日本国憲法の改正論が、大震災やテロでの混乱収拾を名目に「緊急事態要項」として政府側から提案されようとしています。日々自宅まわりの地域防災に関わる市井の市民とすれば、「国の役目も重要ではあるが、後方支援として重要なんです。市民と基礎自治体の信頼感と協働で地域防災活動は展開されるべきです。」と私は思います。地域の事は地域住民と基礎自治体の職員が1番わかっているからです。

 「粗雑な緊急事態要項」なるもので、南海トラフ巨大地震の抑止や復興の主体になるものではなく、民意を無視した国家権力の暴走に繋がるのではないかと懸念しています。「民意を無視せず地域住民と一緒になって地区防災計画をつくる」ということで、内閣府は平成215年災害対策基本法を改正し、「地区防災計画」制度をこしらえました。

 国家官僚も事態をきちんと理解されている人がいます。防災対策1つでも国が「上から目線で」地域防災を仕切り、陣頭指揮が出来る筈がありません。地域住民と基礎自治体で、地区防系計画を作り上げ、国が後方支援をきちんとやることこそが大事なことなんです。

 「災害大国日本」では、地域住民と基礎自治体の協働で、各地で地区防災計画が策定され、国はきちんと後方支援することこそが、一番肝要なんです。「国民の命と財産を守る」ことが、政府や基礎自治体の行政の役目です。

 戦前の帝国憲法では、そのあたりの概念が弱く、支配階級の無責任さ、無能さを助長してしましました。ですので、日本国憲法を廃棄し、帝国憲法を復元するというのは」、国民生活のためにはなりません。

日本会議についてもレポート本を読みました。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-a851.html

 個人の基本的人権が無視されるようでは、日本国が日本国でなくなりますから。

 

 

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2017.01.18

父の歩行訓練をしました。

 最近足腰が弱ったと思われる父(97歳)です。午後から少し時間的な余力が出来たので、近所を歩行訓練しました。
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 杖と言うか、ウォーキング・ポールを父は杖替わりに使用して歩きました。転倒の不安が亡くなったのか、結構な速度で歩くことが出来ました。やはり杖なしですと転倒の危険を感じ、歩幅が小さくなっているようです。
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 自宅から若松町まで片道400M位の歩行訓練でした。始めたことは片道で6回も休憩しないといけない状態でした。今日は1回の休憩で往路は行きました。休憩時には、歩行補助車を椅子にして、経口補水液を飲みました。
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 体にあった杖を使用したら、転倒防止になるのではないかと思いました。私の方も歩行補助車をもって、ずっと後ろ歩きをしていました。結構いい運動になりました。

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讀賣新聞・高知版に活動が掲載されました

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 昨日早朝午前5時半過ぎから、高知市青柳公園で、阪神大震災22年慰霊の集いを、下知地区減災連絡会有志でおこないました。 2017年1月18日の読売新聞高知版に、記事が掲載されています。

 僅か8人の参加でした。私たち以外に高知県内で、追悼の動きはなかったようです。見出しにありますように、参加した各人は「自主防災の強化を誓い。」ました。

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寒いと動きが悪いようです。


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 最近父(97歳)の動きが緩慢になり、歩行時に足が前に出ません。歩幅も小さくなり転倒する危険性が高くなりました。

 今朝も植田医院へ行きました。

「寒いので体が動かないと思いますよ。今日も何故か患者さんが少ないのは動きが悪いからでしょう。お父さんの場合もそうでしょう。内臓的な問題ではないと思います。」

「今年は今の所感染症は少ないです。でも松山市でインフルエンザで3人高齢者が亡くなりました。インフルエンザは、インフルエンザ肺炎という独特な肺炎を引き起こします。突然呼吸が止まり亡くなります。予防に力を入れましょう。」と植田一穂先生に言われました。

 両親は植田医院で昨年10月と12月にインフルエンザの予防接種を2回しました。肺炎球菌ワクチンもしています。なんせ超高齢者なので油断は禁物です。
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今年最初の資源・不燃物ステーション


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 2017年1月13日(金)は、高知市二葉町町内会による資源・不燃物ステーションが午前6
時より8時までの間、下知コミュニティ・センター前で行われます。荒木三芳二葉町町内
会副会長(衛生委員)の指揮の下、各班の当番が仕分け指導に来られています。
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 まだ夜が明けない午前6時過ぎに自宅の資源・不燃物を持参しました頭にヘッドランプ
をつけて行きました。足元が明るく両手が使えます。。雑紙(印刷ダンボール)と瓶類
(透明・青・茶黒)を出しました。
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 高知方式の町内会単位の仕分けステーションが運営されています。月に一度町内の人達
が顔合わせする機会ですが、今朝は寒く真っ暗でしたので出足は遅いようでした。

 高知方式の仕分け

 https://kotobank.jp/word/%E9%AB%98%E7%9F%A5%E6%96%B9%E5%BC%8F-887612

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2017.01.17

高知新聞夕刊に「追悼式」が掲載されました

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 2017年1月17日午前5時46分。22年前の阪神大震災が起きた時刻に、参加した下知地区減災連絡会(森宏会長)の有志8人が、青柳公園で黙とうしました。高知新聞夕刊に掲載(早崎康之・記者)されていることは坂本茂雄さんのFBで知りました。

 震災当時兵庫県在住で金融機関に勤務されていた皆本隆章さん(青柳末広町防災会長・下知地区減災連絡会副会長〉が、当時の体験を参加者皆に話していただきました。「どうすることもできませんでした。」と言われていました。

 2年前の2015年1月17日に有志が集まり始まりました。昨年は岡﨑修一さん(南金田自主防災会会長〉が、竹を加工しろうそくをセットしたキャンドルを作成していただきました。

 今回は細々した追悼式でした。かつては中央公園でも大きな追悼式が開催されyていました。追悼はイベントではありません。規模の大小ではなく「追悼する気持ち」「命がけで伝えていただいた神戸の想い」を共有する場でもあります。高知でも追悼式をしたのは私たちだけでした。

 今年は昭和南海地震から71年目です。両親の世代は体験者です。高知もいつ南海地震が起きるのかわかりません。事前の準備と対策をまず自分たちが行い、生きのびることが大事です。

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阪神大震災から22年目の追悼


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 2017年1月17日は、午前5時10分過ぎから、高知市青柳公園へ行きました。岡﨑修一さんが制作していただいた竹製のキャンドルとろうそくを持って行きました。坂本茂雄さんの呼びかけで2年前から追悼の集いを始めました。

 「1・17」とろうそくを立て、下知地区減災連絡会の有志8人が集まり阪神大震災から22年目の慰霊をしました。未災地の高知ですが、71年前の昭和南海地震では下知地域は壊滅的な地震による被害を受け、堤防決壊で海水が地域に流れ込み、長期浸水状態となりました。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-7f5a.html

 岡村眞高知大学特任教授によれば、過去6500年の間に大きな南海地震は16回も起きています。100年に1度の規模の地震。300年に1度の地震、1000年に1度の地震が起きていました。
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 災害に備えることにはきりがありません。まだまだやりつくしてはいません。今年は少しでも個人的に、地域的にも減災になるような活動をしていきたいと思います。.
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 高知県内には追悼の行事はないようです。報道関係ではテレビ高知・読売新聞・高知新聞など寒い中取材に来られていました。参加者の中で22年前に阪神大震災を体験された皆本さんが個別取材をされておられました。

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両親の介護判定結果の通知が来ました。


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 西村吉正と春子の「介護保険・要介護認定・要支援認定結果報告書」が自治体のほけん福祉課から来ました。

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 西村春子 要介護3     です。

 父(97歳)はこの1年で身体能力(歩行能力)が格段に衰え、前年の要支援2から介護1になりました。母(91歳)は、要介護3のままです。

 両親ともトイレの失敗、尿失禁、便失禁が多くなりました。正直仕事しながらの在宅介護の限界近くまで来ています。社会福祉事業の関係者の皆様のご支援とサポートを受けて、今後も、健康に自宅で暮らしていけるようにしたいと思います。

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2017.01.16

父(97歳)の血液検査


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 今朝の高知市は寒いです。午前10時過ぎでも外気温は5度です。南国土佐人は寒さにはとても弱いです。

 週明けの月曜は、父の植田医院での診察と点滴です。

「血液検査の結果ですが、尿素窒素の値が上昇していますが、おおむね許容範囲です。クレアチリン値も2・14で小康状態を維持できていますね。

 ヘモグロビン値は9・5までに回復してきました。もう1歩です。」とのことです。

 週末は寒かったので、父はゴルフ・リハビリしませんでした。自分から辞退しました。引きこもっていましたので、足腰が少し弱くなっているようです。歩行時の転倒防止にはも見守りと介助が常時必要となりました。

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1月17日阪神大震災・22年目の追悼

 下知地区減災連絡会事務局長の坂本茂雄さんの呼びかけで、今年(2017年)1月17日も、高知市青柳公園集合で、「阪神大震災22年目の追悼」を有志で行います。

(日時) 2017年1月17日 午前5時半集合

(場所) 高知市青柳公園北詰

*追悼のろうそくと竹筒は岡﨑修一さんが作成していたきました。昨年よりわたしが保管していました。

*着火マンがないので、各自持参ください。

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 昨年の様子です。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-1afc.html

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 1昨年の2015年には、西田政雄さんと一緒に交流のある神戸市長田区鷹取東地区へ「20年慰霊祭」に出席しておりました。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-ed22.html

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2017.01.15

2007年・体育始め

 天気図見てもガチンコの西高東低であり、「風雪・波浪注意報」も香南市には出ていまして、最高気温も7度でしたので、あっさりと「海の散帆」は諦めました。後で山本宏幸さんのFBを見ると強風の中10艇のヨットが出艇しています。若いことは素晴らしいですね。
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 ということで今日はインドアでトレーニングをすることに。自宅から徒歩で40分歩いて行きました。冷たい強風が吹いていました。最近体重が増加気味で、お腹周りに贅肉が付着しています。体の状態を測定することにしました。

 で結果は、「体重は6Kgオーバーでした。内蔵型肥満型の傾向が出ています。脂肪量が2Kgオーバーですね。」との指摘を受けました。

 それでトレーナーの人にアドバイスを求めました。
「具体的に言いますと、1日に今より300キロカロリーを消費しますと、2カ月で脂肪量が2キロ減ります。筋肉量は多いので、それは落とさず、脂肪量は落としましょう。」とのこと。

 一口に300キロカロリーを運動を落とすとなると大変。エアロバイクを懸命に負荷をかけて40分しても160カロリー程度。その前に40分歩いたから100カロリー。20分程度水泳したから80カロリーは消費しただろうか。それでようやく300カロリー程度。それを毎日しないといけない。到底無理ですね。

 その消費カロリーは缶ビール1本飲めば元の黙阿弥。牛乳にココアを入れて温めて、ミレービスケット食べたらあっという間にカロリー・オーバーになってしまいます。

 還暦すぎた親父がダイエットすることが大変であることを思い知りました。運動はせいぜい週に1回程度。やはり食べる量を減らすしかないですね。

 それで今年の目標。「体重を2キロ減量。脂肪量を2キロ減らす。」ことにしました。適正体重は70キロで6キロ減量するのは無理ですから。
 間食を辞めたらいいんです。3回の所を1回にします。お酒も家飲みは極力しないようにします。
 それで醜い肉体が少しはましになることでしょう。
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しばらくは強い冬型が続くようです

 今日も明日も、明後日も気圧配置は強い冬型で西高東低ですね。冷たい北西風が強く吹き、北国と日本海側は雪。太平洋側は晴天が続きそうです。年末年始が暖かかったために、南国土佐人は寒さが堪えますね。
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 おかげで「海の散帆」は諦めました。強い冬型が治まらないと年寄りは海に出ないほうが無難です。それで読書を久しぶりにすることにしました。

 古典ですが「日本の思想」(丸山真男・著・岩波新書・1961年初版・2012年92版)を読んでいて読書ノートを作成しています。終われば公開する予定です。

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あたご劇場で映画三昧しました。

 2017年1月14日の高知市は寒かったです。朝1番に五台山市民農園(農園主・横田政道さん)へ行きました。風がなかったので寒さをあまり感じませんでした。昼過ぎから冷たい北西風が吹き出して寒くなりました。
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 家内に誘われあたご劇場へ行きました。なんと2本も映画を見ました。1本目は「シング・ストリート」(2016年・英国映画)でした。アイルランドのダブリンの高校へ通学する冴えない高校生たちがバンドを結成し、音楽で元気になっていく青春ドラマでした。

http://gaga.ne.jp/singstreet/

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 アイルランドの庶民の暮らしぶりや風俗が良く描かれています。田舎町の息苦しさ。家庭の崩壊。高圧的な教員などが出て来ます。音楽が階級や人種や偏見の壁を超えて行く、「突破力」を感じました。挿入されるロック音楽も良かったです。
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 もう一つは「帰ってきたヒットラー」(2015年・ドイツ映画でした。ヒトラーが現代にタイムスリップし、テレビ芸人として活躍するコメディでした。例えパロディでも「ヒトラー」はドイツではタブーであったはず。昨今の移民問題やらテロや格差社会などで、政治不信が高まる状態にドイツ社会がなっていっているんでしょうか?

http://gaga.ne.jp/hitlerisback/
 
 現実味があり空恐ろしい映画でした。休日は「海の散帆」主体の体育活動の多い私でしたが、家内に付き合いして文化活動もたまにはいいもんですね。

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2017.01.14

強風の中で海へ出艇されております

 年寄りは「日和見」しました。この寒さと強風では「海の散帆」は諦めています。YASU海の駅クラブのライブカメラでは高知大学生やジュニア・ヨットクラブが果敢に出艇していきました。
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寒いさなかの五台山市民農園


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 2017年1月14日。今年2回目の市民農園訪問です。今朝の高知市の寒い事。今までの暖冬は何だったのか!!。氷河期になったのではないでしょうか?朝6時過ぎに「農園主の」横田政道さん宅へ集合しました。今日は横田さんと私の2人だけとか。

 6時半前に出発しました。今日明日のセンター試験の受験生の皆さんも寒さに負けないように。頑張ってきたことを寒さ程度で挫けないように。対策すれば克服できますから。

 さて年寄りは着ぶくれするぐらいに着込み、アンダーウエアを着用し、ホッカイロを背中に張り付けて行きましたが、寒い事でした。弘化台の横田さんとことでゴザを自転車に積み込みました。
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 青柳橋を渡るころには夜が明けて来ました。五台山農協婦人部の良心市(早朝の6時頃から水曜日と土曜日に開催)へ行きました。野菜を買うためです。今日はトマトとミカンを購入しました。
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 最初に土地のオーナーのSさんの元自宅へ登坂。急な勾配の階段を横田さんがゴザを抱えて登ります。雑草が生えないように地面に敷き詰めます。
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 竹林寺と月の「2ショット」が見えました。
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 続いていつもの市民農園へ。今日の作業は主に文旦の木の根元まわりの養生。ござを敷きつめました。強風で飛ばないようにブロックを置きました。
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 上の農園の野菜の生育状況ですが、玉ねぎもブロッコリーも、エンドウも、ネギもタイモも順調ですね。横田さんお話では玉ねぎを2月に収穫し、大根を植える計画であるとの事でした。
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 帰りに北と西の山々を見ると雪雲が張りついています。これから明日にかけて高知は寒くなりそうですね。

 今日明日は南国(?)高知も寒そうです。天気図は西高東低の冬型。この気象配置が暫く続くとか。冷たい風が強く吹きます。ゴルフリハビリを予定していた父(97歳)もさすがに「行きたくない」ということで、中止にしました。
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 北や西の山を見ますと上空に雪雲がおります。冷たい北西の風は昼前から吹くことでしょう。

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JICA研修・下知まち歩き下見


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 2017年1月9日は、3月2日にJICA研修生(コミュニティ防災研修)の皆様が、下知地区の「街歩き」をされるので、該当地区の二葉町・若松町・稲荷町界隈を下見しました。

いかに当該地区が海抜が低く、海が近く、市街地であるのか。また自助・共助の「お手本」である若松マンションでの若松町自主防災会の活動を体感していただきます。
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 下知コミュニティ・センター出発(0分)→隣のガソリンスタンド(海抜0.2M表示)→二葉町交差点(電線同士も交差点)→二葉町自主防災会・消火栓・消火器収納BOX(3分)→二葉町木造低層住宅街→二葉町元火災現場→国道56号線海抜シール・5M表示(7分)→国道56号線街路→岡村ビル前(市認定津波避難ビル)→二葉町歩道橋(高さ5・3M)(9分)→二葉町の地区指定避難ビルの説明→鏡川大橋落橋防止対策(12分)→堀川浮桟橋・ハーバー→堀川水門説明・耐震護岸工事(17分)-二葉町での説明終了
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 二葉町―若松町へ。若松町行政防災無線(22分)-若松町消火器BOX・海抜表示(24分)→若松町交差点→若松マンション(25分)-自助・共助活動の説明・事例紹介・(10分間程度)→(35分)→稲荷町方面→青柳公園地下耐震貯水槽(40分)-下知コミュ二ティ・センター帰着(45分)
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 おおよそ45分コースです。

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2017.01.13

横田胃腸科内科へ行きました

 母(91歳)がはりまや橋商店街から戻りますと、父(97歳)と合流して横田胃腸科内科(横田哲夫先生)ところへ行きました。
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 午後3時過ぎに行きましたので空いていてすぐに診察していただきました。」2人とも身体的な異常はとくにありませんでした。なによりです。
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 寒いので少し血圧は高め。父は146-80で、母は140-70でした。横田先生は「寒いので血圧が上がってはいますが、心配はありません。」とのことでした。
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 この寒さで風邪やインフルエンザ、ノロなどに罹患しないように細心の注意が超高齢者には必要ですね。そのためには自分も風邪をひくことなどできませんから。

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母は寒い中はりまや橋商店街へ行きました。

 年末年始の暖冬はなんだったんだ!というぐらい寒い今日の高知市。これだけ寒いと南国土佐ではない。高知は常夏のハワイではない。
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 母(91歳)と一緒にはりまや橋商店街へ行きました。お天気なので歩行補助車を持参しました。ますはコロッケ屋さんで夕飯用のコロッケを調達しました。
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 次にパン屋さんでクッキーを買いました。
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 谷ひろ子さんのお店では焼き菓子を買いました。
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 寒いので山岡さんのお店でぜんざいを注文。温まりました。
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 寒いせいか今日の活き活き100歳体操は参加者は少なめで8人の参加でした。でも母を始めコアなメンバーはしっかり参加しています。
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 戻ると父と合流して横田胃腸科内科へ行きました。

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父の週3回の通院と点滴


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 原則毎週月曜・水曜・金曜は、慢性腎不全の父(97歳)は植田医院へ通院しています。なんせ超高齢者ですので、診察と点滴を行っています。2週間に1度の金曜日は、腎性貧血防止の注射をしています。
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「腎性貧血ですが、効力の強い注射を昨年末からしだしてから数値がよくなりました。もうすこしで10台の正常値へ戻れます。」とのことです。

 適度な水分補給と適度な運動。減タンパク食の摂取。腎性貧血防止の注射で健康を維持しています。何よりの事です。歩く速度も格段に遅くなりました。今後の課題は転倒防止対策ですね。椅子からの立ち上がり、歩行練習が重点テーマになります。
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 待合室で昔ゴルフ場でキャディをされていたご婦人に会いました。父の事を覚えていてくれました。「紳士的でやさしい人でした。お元気そうで何よりですね。」と言われました。20年前の事を覚えておられたようです。父に言ってももはやわかりませんが。やはり他人様には「偉そうに」したらいけないと思いました。謙虚に親切にしないといけないと思いました。

 午後からは母(91歳)を連れてはりまや橋商店街へ体操と買い物に行きます。午後3時に戻り、今度は横田胃腸科内科へ父と一緒に行く予定です。

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「歴史地震の話」を読んで


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 「歴史地震の話 -語り継がれた南海地震」(都司嘉宣・著・高知新聞社・2012年刊)を下知市民図書館で借りて読みました。

「防災の概念を覆した東日本大震災。宝永地震を記録した土佐の資料と同じような「黒い津波」の記述が出てくる」。その記述は当時種崎(高知市種崎地区)に住んでいた土佐藩士が詳細に記述している。宮古の津波と同じ黒い津波が人々の住む集落を襲い、記述者は奇跡的に助かりました。

 都司嘉宣氏の講演は、以前高知市の主催する「防災人づくり塾」で聞いたことがあります。古い記録に残る古文書を分析し、過去の地震記録から、現在の減災対策を説いています。

「東日本大震災は、貞観地震(869年)以来の大地震と言われる。」

 中略・・

「今回の地震でも、津波被害は東北地方だけでなく、関東地方の茨城県や千葉県にも及んだ。これに対し、明治三陸地震(1896年)の津波も、昭和三陸地震(1933年)の津波も被害は三陸海岸に限定されており、宮城県石巻市より南の海岸ではほとんど被害が出なかった。」

「今回の地震の津波で重大被害が出た範囲は、。明治、昭和より大きく、貞観地震に津波にほぼ一致する。」

 東京電力福島第1原子力発電所の大被害も、地震学者が「貞観地震並みの津波が来る恐れがある」ことを東京電力も原子力規制委員会も全く無視し、何の対策も打たなかったゆえの大被害であったのです。彼等の不作為が地域に大きなダメージを与え、それはいまも続いています。
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 津波の対する備えている東北沿岸部。それもも大きな被害が出たのは、東日本大震災が1000年に1度の大地震」であったからでした。
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 岡村眞高知大学特任教授によれば、「土佐市宇佐町の蟹ヶ池では、歴史記録に残る南海トラフ地震の中で最大の宝永地震(1707年)に匹敵する巨大津波が、過去6500年間に少なくとも16回以上起きていたことを確認。

 その間隔は300~350年で、特に2150年から2300年前には宝永地震を大きく上回る規模の地震が起こった痕跡も見つかっている。」(高知新聞・2017年1月4日「高新大賞に岡村特任教授(高知大)過去の巨大津波判明」)とあります。

 高知で記録に残る地震で最大規模は宝永地震(1707年)。揺れも高知城下では強かったと記録されています。
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「図を見て一目で分かることは、農人町から東、国分川にかけての地域で、震度7の強い地震被害を生じた場所が現れていることである。現在の城見町、宝永町、知寄町、稲荷町等の地域に相当する。」(P203)。二葉町も該当します。

 都司氏は宝永地震のような「千年地震」対策として、具体的に「家屋・財産は守りきれないとあきらめ。せめて人の命だけは守りきることを考えること。そのために次の(A)から(C)を考慮すること。」(P305)とあります。

(A)沿岸集落に4階建て以上の鉄筋コンクリート住宅がある場合には、その所有者と契約を結んで津波警報が発令された場合に、4階以上を、一般市民への避難場所として開放すること。4階以上には津波非常用に、非常食、飲料水、長靴、懐中電灯、ラジオなどを用意しておくことだ。

(B)背後の丘陵に上がる斜面が居住地から近い場合には、幅広で緩やかな避難路をもうけ、途中に夜間でも見えるようにソーラーバッテリーによる照明を設置すること。避難先は20M以上の標高があること。

(C)4階以上の鉄筋コンクリートのビルがなく、集落の背後に避難に適した丘陵に上がる斜面もない場合は、一定間隔に「津波避難タワー」を設置すること。その避難場所の標高は宝永地震の津波を参考にして、おおむね15M以上とすること。

 と都司氏は提言されています。高知市の指定避難ビルの下知コミュニティ・センターでは食料備蓄は行われていません。市の配備計画も未定です。

 下知地区には、4階建て以上の建物すらない地域もあり、海抜も低く、低層木造住宅が多く、高齢者が多く居住しています。AからCの基準を未だに満たしていません。

 二葉町自主防災会は、地区指定避難ビルとして11カ所のビルを所有者の協力を得て指定しています。そのビルには飲料水や食料、非常用トイレの備蓄は未だに行われていません。

 都司氏はこうも言われている。なお、今までの津波避難の対策の中に考慮されていないことも実行されたこともあないが、次の(D),(E),(F)、(G)も検討したい。。(306)とあります。

(D)津波警報が出た時、漁船などは、いち早く港外に移動させる。この時その船に手早く乗せることの出来る住民も積極的に便乗させることはできないであろうか?

(E)2011年東日本大震災の時、例えば宮城県女川町では、4階建てのビルの屋上に緊急避難した人がいたが、津波は更に高い所まで水位が上昇し、そこに避難した人も津波に巻き込まれた。この場合、その4階建てのビルの屋上に、ゴムボートとふいごがあれば、ゴムボートを膨らませて脱出できたのではないか?

(F)寝たきり老人など、津波警報発令時に機敏に移動できない人は、標高15M以上の所に住居を移す「隠居部屋」の考えを取り入れられないか?

(G)どうしても沿岸に住居を持たざるを得ない漁師は、今後はそこに7階以上のマンションを建てて住むという居住様式を取り入れる。この場合は、ふだん、1階から3階に住んでいる人は津波警報発令時には4階以上に移動することを、そのマンションの住民全体が協力する。
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 というアイデアを都司氏は出されています。(D)の津波発生時の港から沖への船での避難は津波に向かっていくことになるので、どうでしょうか?

 (E)の構想は、私たちは高密度発泡体による浮体構造物を屋上に設置することを検討しています。研究会や講演会も開催しました。

  高知市下知メガフロート(浮体人工地盤)構想を実現したい。

 http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/post-06a8.html
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 (F)につきましては、二葉町は6年前から仁淀川町の住民の皆様との「疎開を前提とした」地域間交流をしています。一向に高知県庁も高知市役所も動こうとしないのは「不作為」であると思います。
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 (G)は現実的な対処法であると思います。そして都司氏は「おわりに」のなかでこう言われています。

「多くの犠牲者を出した東北地方の被災地に目を背けることなく、そこにいて、命を失うことなく切り抜けた人の証言や、写真やビデオ映像に目を背けることなく、冷静に観察すれば、千年震災の津波にあっても命を全うすることが出来るのであろう。

 そうしてそれを、実践的な津波防災対策に生かしていくべきであろう。そのさい、従来の常識にはとらわれない方法を採用するという、ある程度の「思い切りの良さ」が必要となるであろう。」(P307)

 二葉町全世帯と対象とした「防災世帯調査の実施」。それに基づいた「50Mに1つの地区津波一時避難ビルの指定」「疎開を前提とした仁淀川町との地域間交流」「避難所に国際信号旗を掲揚する」(海からの支援要請)、を実践してきました。

 更に下知地域として有志ですが「五台山市民農園」の実施(食料確保)と2次避難場所の確保、さらには「災害時相互避難協定の地域同士の締結」などが今後の方向性です。

 千年地震を迎えてやる過ごす段階にまだ達していません。個人や家族のレベルでなんとか今年は近づいてみたいと思っています。支援を受ける側から、支援する側になりたいと思うからです。

 

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2017.01.12

山田伝津館(でんしんかん)の写真本


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 岩手県山田町の山田伝津館の震災語り部の菅野和夫さんから送付されてきました山田町の写真集を見ました。

「岩手県山田町 海と街と祭」「しかし山田に住む人々は 海を恨むことはなく 明日に向かって歩み出す 岩手県山田町」(いずれも山田伝津館・発刊)を見ました。

 宮古市の隣町の山田町。風光明媚な海岸線があり、漁業の盛んな街でした。写真集には震災前の海での営み、海水浴場、海での祭りの風景や、山田町の日常が写真に残されています。
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 2011年3月11日の東日本大震災での津波はその美しい海辺の風景を破壊し、街の営みを跡形もなく破壊しつくしました。
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 でもメッセージにあるように[海を恨むことなく海と共存していく」決意表明が感じられる写真集でした。

 下知市民図書館に寄贈する予定です。来月あたりには貸し出しが可能になると思います。

 大震災にへこたれない山田町の人々の気概を感じました。

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2017.01.11

新書版を買い込んでみました


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 この間の3連休(2日目は雨)に家内が音楽関係のCDを買いたいと言うので、一緒に歩いて、ブックオフへ行きました。家内がCDやDVDを見ている間、新書版の書籍を8冊買いました。

 池上彰・内橋克人・小林よしのり・五木寛之・辰濃和男・中沢新一・倉山満・小出裕章の著作本。文学者・宗教者・漫画家・報道関係者・学者など、右も左も関係なし。面白そうな書籍を購入しました。

 新書版ですとウエスト・ポーチに2冊程度入ります。父の点滴の時間とか、少しの時間に読むことができます。くだけた本ばかりで、教養や素養が身に着くものではありませんが・・。電子書籍よりは、紙媒体の新書版が手軽でいいと思います。

 アナログ人間ですから。この8冊を袋に入れて、父(97歳)の植田医院での点滴中の時間を間、読書三昧ですね。

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2017.01.10

老師の整体で首の凝りは治りました

 正月の休暇と3連休を利用して「情報の整理作業」をしていました。PCとにらめっこしていたので、肩や首が凝っていて、時おり「めまい」まで引き起こしていました。2日以降、海へも行っていませんから。

 今日の午後は月に1度の老師(90歳)の整体へいきました。整体歴70年の「神の手」で凝りがほぐれました。

「触ればすぐに柔らかくなる。それも大事なことですよ。」と老師はいいます。今年は体の使い方を工夫しましょう。

(100歳まで整体はやるからね。」と老師。その間に、疲れをためない体の使い方を会得したいものです。

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2017年初の五台山市民農園

 2017年1月7日は夜明け前の午前6時に若松町の横田政道さん宅に集合。既に黒岩博さんが来ていました。自転車で出発しました。途中五台山農協婦人部の良心市へ寄りました。こちらも今年初市とか。
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 大根やホウレンソウや春の七草を購入しました。今週は井上正雄さんの有機野菜の配達がなかったので家内に喜ばれました。
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 夜明け前の五台山市民農園。85段の階段は適度な運動です。
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 白菜や玉ねぎエンドウも育っています。ネギも元気でした。
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 下の果樹園で雑草取りと竹の間引き作業。横田さんはタイモを掘っていました。1時間ほどの作業でした。タイモをわけていただきました。
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2017.01.09

春野から長浜の海岸堤防は凄い


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 仁淀川河口大橋から桂浜にかけての県道は太平洋に面しています。こちらへ津波が押し寄せれば背後地の人家は危険です。万里の長城のような巨大な堤防がつくられていました。
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 技研製作所の「インプラント工法」による堤防のようですね。

https://www.giken.com/ja/implant/solutions/implant_levee/

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 見上げるような堤防ですが、頼もしく思いました。途中高知市がこしらえた津波避難タワーも見ましたが、高さが低く感じました。
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2017.01.08

岡村眞さんの功績ははかりしれません

 2016年1月4日の高知新聞では「岡村眞氏が高新大賞を受賞されたと大きく掲載されていました。本当に岡村眞さんには啓発されました。
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(写真は高知新聞電子版より)

 岡村眞さんの功績は計り知れないです。それまで私は下知地域に住みながら南海地震対策には関心がありませんでした。岡村さんの講演を町内の人達と聴講し、10年前にようやく二葉町自主防災会を立ち上げたのですから。

 記事にありますね。

「 土佐市宇佐町の蟹ケ池では、歴史記録に残っている南海トラフ地震の中で最大の宝永地震(1707年)に匹敵する巨大津波が、過去6500年間に少なくとも16回以上起きていたことを確認。その間隔はおよそ300~350年で、特に2150~2300年前には宝永地震を大きく上回る規模の地震が起こった痕跡も見つかっている。」とか。

 6500年の間に巨大地震が土佐では15回も起きています。南海地震は高知の人間にとってはもやは「宿命」。なんとか3分間をやり過ごし、津波から逃れ、浸水対策をして生きのびたい。

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2017.01.07

今年2回目の父のゴルフ・リハビリ

 2017年度2回目の父(97歳)のリハビリ・ゴルフです。今朝は今までより寒いですね。往路のラビータ前の外気温表示は7度でした。
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 いつものように自己流の体操をして、水分補給(OS-1・経口補水液)を飲みながら球を打ちます。アイアンを杖替わりにして打席に向かう父ですが、構えて打つと球は真っ直ぐに飛んで行きます。飛距離はありませんが。
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 休み休みして125発を打ちました。その間は読書タイム。「歴史地震の話 語り継がれた南海地震」(都司嘉平宣・著・高知新聞社・2012年刊)を読んでいます。
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 やはり歩行スピードが遅くなり、階段昇降も苦しそういです。でも1歩一歩懸命に昇降しています。駐車場との段差は手すりがなく転倒防止のために手を貸しました。
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ネットTVも多様化

どういう「しくみ」であるのか今一つ理解できませんが、「登録不要」「無料で番組が見られます。」とあります。インターネットのテレビ局なのか?

https://abema.tv/ アベマTV

 今までもギャオ・チャンネルだとか、ニコニコ動画なんかありました。めんどくさい登録作業が必要で、登録したら下で、売り込みのメールが殺到する有様でした・

 全部の番組が満足するわけではないですが、地上波やケーブルTVの番組も見るべき番組が少ないので、時折見ています。家内などはこのネット番組でONE ON ROCKを視聴し毎日「走って」おります。

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2017.01.06

2017年最初のはりまや橋サロン


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 今年最初のはりまや橋金曜露店市に、母(91歳)の付添で行きました。今日は移動性の高気圧に覆われ、風も弱いので寒くは感じませんでした。お天気なので歩行補助車を持って行きました。
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 まずはコロッケ屋さんで夕飯のコロッケを買いました。
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 そして10円饅頭も買いました。

 今日は谷ひろ子さんのお店と山岡さんお店はお休みです。

 今日の活き活き100歳体操(介護予防体操)は、寒い中14人の高齢者が参加していました。はりまや橋商店街の方も2名参加されました。初参加のOさんは「なかなか気持ちが良かった」と言われました。久々の参加のAさんは「やはり体操はえいきに参加するぞね。」ということでした。
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 露店の人達に「よくお母さんの面倒を見ゆうね。」と言われました。私は「買い物したり、街中へ出てくるのがリハビリになりますので、認知症の進行を遅らせているとは思います。」と言いました。

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「3・11大震災私記」を読んで


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 「3・11大震災私記」(田村剛一・著・山田伝津館・2014年刊)を読みました。2016年12月20日に、岩手県宮古市在住の「震災語り部」である菅野和夫さんから「3・11東日本大震災 風化させないために これが巨大津波だ。」(山田伝津館)のDVDをいただき、何度も視聴した後だけに、田村剛一さんの体験記は、一読してとても重たいものでした。

 私記では田村剛一さん宅は、山田町で、津波に襲わましたが、1階部が1・3メートルの浸水があり半壊で家屋は残りました。在宅避難者の厳しい生活も綴られていました。長期浸水状態が南海地震が起きれば予想される高知市下知地区。他人事とは思えません。

 震災当時は救援避難物資は山田町役場にたくさんありました。支給されるのは町指定の避難所だけであり、田村さんのような在宅避難者には全く支給されませんでした。

 半壊の在宅避難者には電気関係も自己負担だったそうです。

「それからが大変、一階の電気製品、ガス製品は全て新しく買い替えなければならなかった。ガスメーターも給湯器も海水をかぶり使用不能だ。それがなかなか手に入らない。仮設住宅建設が優先され、半壊家屋には廻ってこなかったからだ。」

「それだけでは済まなかった。ガスコンロ、風呂釜、便器、冷蔵庫、炊飯器、テレビ、茶箪笥、食器棚・・・・。すべて使えなかった。そうしたものの中に、支援物資として、役場に届いているものがたくさなると聞き、役場に出向いて、

「半壊家屋も被災者だ。いくらか、半壊者にも分配したらどうか」と係りに申し入れた。とことが返ってきた言葉を聞いて愕然とした。

「支援物資が欲しかったら、仮設住宅に入ってください」といわれたからだ。」

「これから自立しようとするのに、物が欲しかったら仮設住宅に入れとは何事か。」私は席をたって部屋を出た、そういわれた人は私だけではない。

 役場は半壊家屋には冷たかった。同時にこんな考えでは町の復興は難しいように思えた。」(「半壊被災者の嘆き」P100)
 
 田村さんは実体験なさっているので、書かれていることに説得力があります。この文章を読んで、南海地震の後を想像しました。うちは鉄骨3階建て。揺れと浸水でも運よく耐えられ半壊状態で残るかもしれない。でも半壊は半壊で今のままの行政システムでは大変な労苦が必要であることがあらためて理解できました。

 2015年6月に訪れました宮城県石巻市沢渡地区。半壊の家に住まざるを得ない人たちの苛酷な生活を思いだしました。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/22-8d88.html

 津波被害をより大きくした原因の1つに気象庁の津波警報の第1報が「予想される津波の高さは3メートルです」との発表が大きいと田村さんは言われます。

「3メートルの津波であれば堤防を超えない。海をわざわざ見に行った人たちもいました。」その人たちは実際は10メートルを超える津波がやってきたので皆犠牲になったそうです。

 昨年講演に来られた宮城県石巻市の今野清喜さんも同じことを言われました。

「3メートルの津波と聞いて逃げない人が多かったです。前の年にチリからの津波の予測が3メートルと言われて実際は50センチでした。皆それを覚えていたので逃げなかった。後から気象庁は10メートルに変更しました。でもその時は停電で情報は伝わりまでした。」

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-5f70.html

 また田村さんの私記の中で、驚いたのは津波火災でした。津波に耐えた家屋から出火し、残っていた家屋に燃え移り地域全体が全焼しました。地震と津波で消防も出動できませんでので、余計恐ろしさを感じました。

その他印象に残る、ずしんとした記述が多くありました。一読しましたので、下知市民図書館に寄贈します。登録されてから後でまた借りてじっくり再読します。
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2017.01.05

珍しく背広で挨拶回り


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 今日から仕事始めです。年に数回程度(昨年は10回ぐらいか)しか着ない背広姿(挨拶回りと冠婚葬祭・祝賀会・総会など)なので、写真を下知コミュニティ・センターで氏原さんに撮っていただきました。

 高知の場合は昨日から始業の会社と、今日からのところ、明日からのところがありますね。途中高須の南国道路の工事現場を見ました。高知インターから分岐し、布師田―高須ー五台山を通り高知空港までの高速道路です。平成30年までに五台山まで出来るとか。
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 また潮江の竹島公園の命山も盛り土が高く積みあがっています。午後からも挨拶回りに背広姿で巡回します。窮屈で肩が凝ります。少し正月太りしましたね。
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高須地区の高速道路は「避難タワー」になるでしょう。潮江地区の「命山」もです。下知地区の「高台」については公共投資は一切ありませんね。酷いものです。

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高知市防災意識調査を見ましたが・・・・


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 昨年末に地元市議の高木妙さんに、「平成28年度 高知市防災意識調査 調査結果報告書」(高知市防災政策課作成・パシフィックコンサルタンツ(株)・調査分析)をいただきました。昨年5月に。高知市の下知地区。江ノ口地区、潮江地区、高須地区の4カ所地域で5000人の市民を無作為抽出し、自宅へアンケートを郵送し回収し、分析したものです。

 調査項目は「①南海トラフ地震について」「②南海トラフ地震の長期浸水被害について」「③災害に対する備えについて」「④地域の自主防災活動について」というものです。

 一読して、自分たちの地域防災活動が、いかに地域に浸透せず、無関心な市民が多い事実に唖然としました。特に30代・40代・50代の若い世代。まるで他人事。

 さすがに4地区は「浸水エリア内である」と回答した人たちが9割近くいましたが、自分が備えをしているのか?食料備蓄はしているのか。どこへ避難するのか?自主防災会の訓練に参加したことがあるか。の設問には極めて低い参加率であり実施率でした。

 災害時にスマホやネットやLINEで情報を集めると言う呆れた回答する人も複数いました。ネットは平時には便利ですが、震災のような非常時にはほとんど役に立たないということが理解されていません。

 行政任せ、他人任せの市民がいかに多いか思い知りました。

 町内会にも自主防災会にも加入していない市民については、広報の方法すらありません。この数年報道機関の取材依頼にはすべてに対応していますが、それでも下知地域についても浸透しきれていません。

 一読しただけですが、厳しい現実を思い知らされました。

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高知市役所新庁舎・建築現場

 所用で高知市役所仮庁舎へ行っておりました。昔のJA高知ビルを全部市役所が借りているようです。(JA高知は弥右衛門地区へ移転しております。

 昨年ががりで旧庁舎を解体し、現在基礎のための掘削をしているようですね。元高知市役所跡地は、穴掘っても遺跡は出てこないようですね。完成予定は平成31年6月30日(2019年)だそうです。
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 6階建てで免震構造であるとか。隣接する高知県庁は3年ほど前に耐震補強工事を数年がかりでやりました。高知県庁・高知市役所という大きな行政機関がいずれも南海地震が起きると「水没地域内」になるので、「海抜0メートルの下知地域住民には心強い」限りです。
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 安全対策や災害対策の行政職員は、災害発災時には「100%」出勤しないと南海トラフ巨大地震の初動対応はできないでしょう。5年ほど前に県庁の危機管理部の管理職がTVで、「出勤できない職員も水没すればより出て来るので、4割の職員で出来ることをやる。」とか言われていました。

 BCP(災害時の企業再構築計画)を高知県庁の危機管理部署でも採用するなどと言われていました。これは絶対におかしい。外部からの支援や、市町村の支援にあたる部署が4割の職員で災害時対応など出来る訳がない。

 職員住宅と併用する形で、危機管理部門職員は、24時間体制、100%出勤を確保しないといけない。それは高知市役所も同じです。

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2017.01.04

今日から仕事始めの事業所は多い

今日から仕事始めの事業所は多い。
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 官公庁や大企業は今日から2017年の仕事始めです。
零細企業は今日までお休みです。明日から仕事始めです。

 早速町内のゴミステーションには、プラステックゴミが出されております。

 父(97歳)の付添で植田医院へ行っておりました。お正月明けで物凄い患者でした。
「お正月も乗り切られましたね。お元気でおられます。」と植田先生。暖かいせいかインフルエンザや感染症もそれほど罹患されていないとか。

 母(91歳)は1日ディサービスへ出掛けました。実質2017年のスタートしていますね。

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二葉町工区耐震護岸工事

 2016年12月30日にようやく仕事治めをしました。すぐ近くの堀川で行われている二葉町工区の耐震護岸工事を見に行きました。
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 工事名は「高知港海岸(若松町地区)高潮対策工事」と看板にも表記されています。先日施工業者の現場担当者が「近隣の皆様へのお知らせ」ということで、工事の概要を知らせるチラシを配布して来ておりました。

 現場担当者によりますと、現在は「鋼管パイラーによる鋼管矢板の圧入」をしている最中であるとか。若松町工区では主に陸上でやっていますが、二葉町は人家が堤防のすぐ近くにありますので、海側に鋼管を押し込んで堤防をこしらえる工事をしています。
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 工事現場全体を養生シートで覆っていますので全景を見ることができません、わずかに堀川水門越しに鋼管が見えました。

 それより心配なのが中ノ島の石油基地のタンクやタンクローリー。頻繁に出入りしています。
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鏡川の堤防は矢板を2か所堤防の中に圧入し、鉄筋で固めています。堤防に高さは5M程度です。もし津波の高さが5Mより大きいと堤防を乗り越え、石油タンクやローリー車を堀川を挟んだ対岸の二葉町や若松町に流れ込んで来ることでしょう。
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 東日本大震災で気仙沼は石油タンクが破壊され、津波火災が発生しました。中ノ島の石油施設は陸上部へ移転していただきたい。

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2017.01.03

母と新年初買いに行きました。

 2016年1月3日。今日も温厚で暖かいお天気です。風も弱く温暖。外出日和です。お正月は運動不足になり勝ち。父(97歳)は午前中に新年初打ちのゴルフ・リハビリに付き添いました。午後からは母(91歳)の初買いにつき合いました。
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 自宅から徒歩で隣町のお菓子屋さんまで母と手を繋いで行きました。脊椎間狭窄症とすべり症を併発していては母腰痛を訴えます。しかし超高齢者なので治療法はありません。安静にすれば腰痛は治まりますが、歩かなければ、歩けなくなります。なだめすかして歩きました。
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 お菓子屋さんで買い物をしました。店主がお茶の接待をしていただきました。母の好きなどら焼きや饅頭を買いました。歩いて戻りました。お茶の時間に父と一緒にお菓子を食べました。

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父(97歳)の2017年の初打ち


 今年のお正月は暖かく、超高齢者もしのぎやすかったです。2007年の父のゴルフ・リハビリ(初打ち)に付き添いました。3か日は運動不足気味で足腰も弱っているので、サポートは油断できません。転倒の危険性があるからです。
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往路の大橋通りラビータ前の温度計は6度、復路は11度になっていました。気圧配置は西高東低ですが午前中は風がなく、暖かいですね。

 お正月ですが暖かいこともあり、打ち放し練習場は結構来場者がありました。知り合いに2人会いました。
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 父は「初打ち」ですが、へばり気味。10発打つと休みという状態。休み時間が多い。正月休みで年末から介護予防通所リハビリがお休みなので、体力が落ちているのかもしれません。
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 それでも休み休みでなんとか1カード分の125発打ち終えました。階段登りも懸命にしています。歩く速度も遅い。駐車場への段差は転倒しそうなので、サポートしました。今日は全般的にへばり気味。
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 年齢とともに身体機能は落ちます。父の場合は足腰の衰えが顕著。今年はきちんと対策しないといけないと思いました。ともかく温厚なお天気で、2017年の父(97歳)の初打ちは無事に終了しました。

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高木妙さんの市政活動報告

 2016年12月30日の留守中に高知市下知地域代表の市議会議員の高木妙さんが、来られていたようです。市政活動報告「高木妙のご報告下知編」と「平成28年度高知市防災意識調査 調査結果報告書 高知市」を持って来ていただきました。

 市政活動報告のなかで、「丸池橋南岸の歩道整備」は下知地域住民の悲願でした。四国ガス前から以前はなんと歩道が階段になっており、高齢者などは難儀しておちました。自転車通行もできません。7年越しの市政への要望が実現しました。

 また「昭和小のトイレ改修、さらに前進」とあります。昨年(2015年)の下知地域内連携協議会での高知市長との意見交換会の席上、当時の昭和小PTA会長から「昭和小のトイレの改修」の要望がありました。席上市長は検討するとの回答。

 高木市議が現地調査し、教育委員会とも折衝され、洋式トイレ化するめどを12月市議会の議案に盛り込み実現化のめどがたったようです。大きな前進です。

 2016年12月18日に、昭和小にて下知地区総合防災訓練が、児童。教員、保護者、地域住民約1000人が参加して行われました。昭和小は地域の津波避難ビルでもあり、収容避難所にもなっています。その場合の」トイレ問題が悩みでした。高齢者は和式トイレでは用を足すことが困難であるからです。

 今後も下知地域の代表として高木妙市議にはご活躍されることを期待します。
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2017.01.02

1月2日の夜須の海


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 天気図と気象情報を何度も確認。温厚そうなお天気で、ウエットスーツで海の散帆が出来そうと確認し、夜須へ来ました。明日は西高東低になりそうですので、今日にしました。
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 初詣はヤッシー・パーク入口にある恵比寿堂です。海の神様です。サンゴのご神体があります。海での安全、海の駅クラブ関係者の海での安全、家族の健康を祈願しました。今年も大丈夫です。
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 ハーバーには誰もいません。お正月ですから。完全なワンマン・セーリングで自己責任の世界です。施設も開いていないのでシャワーも何も使えません。慎重にぎ装しました。そして駐車場に段ボールを敷いてウエットスーツを着用しました。
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 海へ出ました。どん曇りで風が弱い温厚な海でした。もう少し風があればとは思いましたが、贅沢は言えません。
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1時間半ほど頑張りましたが、風が一向に強くなりそうもないので、断念し、2017年の「初乗り・海の散帆」は終わりました。
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 ハーバーに着艇しますとヨット業界の大御所の畑山幸助さんに会いました。

「西村 冷い(ひやい)に乗りゆうかよ。偉いのう。わしはディンギーはよう乗らんき。」

「下手の横好きだけです。正月休みもなにかと多忙なので今日来ただけです。風が弱くて下手くそには丁度でした。」と話をしました。
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 ヨットを水洗いして、着替えました。からだもハーバーの水道で洗いました。寒くはありませんでした。地上は暖かい。今年は温厚なお正月です。

 2017年も頑張ります。皆様今年もよろしくお願いします。

 戻ると「買い物へいかないかん」と家内に言われ、近くのスーパーへ買い出しに行きました。年明け早々こちらも大勢の人でした。

 2017年のおっさん2ショットです。

 昨日も出勤されていたと言う山本宏幸さん。今日は新年初のフルタイム勤務だそうです。今年もよろしくお願いします。露木さんも出勤されていました。
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 昨年開店していた道の駅やす直営店MANA・MAMAも今日から営業で繁盛されているようでした。道の駅やすの駐車場も一杯でした。

 2017年最初の「おっさん2ショット」です。何故かAEDとヘルメット姿です。安全・安心が今年の目標です。AEDはヤッシー・パークに3台あり、YASU海の駅クラブにも1台あります。
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 今年もよろしくお願いします。

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超高齢者は従来型の避難施設での生活は無理です

 大災害になれば、「当たり前に」、学校の体育館のような場所で避難所になります。硬く冷たい床で、高齢者やb病気のある人や障害のある人たちが生活ができるのでしょうか?
 先進国の日本というのなら、もう少しなんとかならないものでしょうか?

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 よくHUG(避難所運営ゲーム)などと大学の関係者はやりたがりますが、日本社会の現実から言えば、遊離した手法ではないかと思います。

 わざわざ更地にプレハブ式の応急仮設住宅を建設する。これも無駄のl極みではないでしょうか?これも良く自治体がやるように「抽選」でやれば、地域コミュニティは崩壊し、後の復興・復旧など「夢のまた夢」になる可能性が高いです。
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 -2004年の新潟中越地震の時の山古志村(現在長岡市に合併)では、地域コミュニティごとに、避難所生活も、応急仮設住宅も暮らすように地域住民が要求し、自治体が対応しました。

 一歩進んで日本全国で増加しつつある空き家にすぐに「疎開」できないものだろうか?そう思い5年半前から、仁淀川町の地域と地域間交流に真摯に取り組んできました。しかし高知市役所も高知県庁も未だに何の支援もしていただけません。
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 (仁淀川町長者地区では空き家などを見せていただきました。)

 未だに「下知地区の二葉町は、どこのドライ・エリアの避難所に何人が行けるのか?どこの住宅へその後住めるのか?という問いかけにも高知県庁も高知市役所も「0」回答です。東日本大震災から5年9か月が過ぎましたが、いまだに「見えない」でいます。


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(超高齢者の両親(97歳・91歳)では、到底「従来型」の避難所での生活維持は難しいと思います。

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2017.01.01

お正月は運動不足になりがちですね

 いい加減最近ストレスで太り気味なんですが、だらだらしたお正月で食って飲酒することばかりなので、余計にやばい状態に。遠い昔のことですが家内の沖縄のご両親がお元気だったころは、家族で正月は沖縄でした。それは今は昔。引きこもりの寝正月です。
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 両親に昼食後DVDで、100歳体操をやってもらうことにしました。その間に家内が高知駅前のブック・オフで特売をしているので行きたいと言います。徒歩で行くことにしました。
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 途中はりまや橋商店街もはりまや橋も静かなこと。高知駅前でなにやらイベントをしていました。
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 家内のお目当ては最近頭角を現してきたONE OFF ROCKのCDを購入すつ事でした。目的のCDがあったようです。私も聞いていてレベルの高い伸び盛りのロック・バンドであると思います。


ONE OFF ROCK  http://www.oneokrock.com/jp/


 アルテック跡は更地になっていました。
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 2016年10月末に惜しまれつつ閉店したジャズ文化の伝統アルテック。駅前のブックオフへ行く途中前を通りました。建物や看板も駐車場の路面もすべて撤去され更地になっていました。
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 あの数千枚になるという店舗裏の部屋に収納されていた青山清水さんの収集されたジャスのレコードやCDは東京の音楽店がトラックで引き取られたとか。高知の文化の殿堂がなくなりました。
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 看板を見ますと1階建ての貸店舗が大和ハウスで建てられるようです。敷地からしてコンビニが出来るんでしょうか?しかし隣接してローソンとファミリーマートがあるのですが。なにが出来るのかは不明です。

 ブログ記事「ショックアルテックが10月末に閉店」


http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/10-1219.html

天皇杯は鹿島が優勝

 ウオーキングから戻り、TVでサッカー天皇杯決勝の鹿島VS川崎戦を観戦しました。鹿島はJリーグチャンピオンになりました。また昨年12月のクラブW杯で準決勝で南米のチームを破り、決勝で欧州王者リアル・マドリードに大善戦しました。苛酷な試合日程で勝ち上がって来ました。

 一方の川崎は、今まで何度もJリーグの制覇に挑戦するものの、あと1歩で戴冠できていません。ことごとく鹿島によって阻止されてきただけに気合が入っていました。

 試合は川崎が押し気味に進め、ゴールを脅かすが得点できません。鹿島は前半42分位にコーナーキックを山本が押し込んで先取点。前半が終わります。
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 後半川崎は猛然と反撃に行きます。パスが面白いように決まります。特にU-19三好の投入からリズムが出来、後半8分位流れるようなパス回いから小林が鮮やかな同点ゴール。ゲームは振り出しになりました。そして90分で決着がつかず延長戦に。
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 またも延長前半5分位にコーナーキックから小笠原と交代したファブリシオがこぼれ球をゴールにけり込み2-1に。川崎毛猛反撃を押さえ、勝利し、優勝しました。
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 鹿島は9度目の戴冠だとか。過密日程にもめげず頑張りました。見ごたえのある試合でした。両チームとも日本人監督。そろそろフル代表監督も日本人監督にすべきでしょう。いい試合ができるようになりましたから。

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今年もよろしくお願いします

 穏やかな晴天のお正月です。昨夜は珍しく夜更かしをしましたので、初日の出は見ておりません。皆様あけましておめでとうございます。
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 父(97歳)も母(91歳)も2人とも元気でお正月を迎えることができました。健康で長寿であることはなにより家族として嬉しい事であります。土佐風のお雑煮は家内がこしらえていただきました。年末業務と事務所と自宅の掃除、と料理と獅子奮迅の大活躍です。頭が下がります。
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 おせちもお餅も無事に両親は完食しました。食欲もあり元気です。元気であれば父は今年98歳に、母は92歳になります。
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父(97歳)が慢性腎不全なんで質素なおせちです。お餅も父用は減タンパクのお餅です。
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 娘は帰省せず、息子はひょっこり来るかもしれません。高齢化家族(4人の平均年齢は78・5歳です!!)のお正月です。2017年も健康でありたいものです。帰省しない娘は「鳥の絵」にて参加しました。
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 テレビは芸能人がスタジオへ集まり内輪の話で盛り上がる安直な制作。見る気がしません。ニュー・イヤー駅伝と天皇杯サッカーを見て、ぐだぐた酒飲んで元旦はだらだらとして過ごします。たまにはいいでしょう。ぐだぐだも

 皆様今年もよろしくお願いします。

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下知地区総合防災訓練総括会議

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 2016年12月27日18時半から、下知コミュニティ・センターにて、高知市地域防災推進課職員3人、高知市社会福祉協議会職員2人も含め、訓練当日各担当部署でリーダーを担当した下知地区減災連絡会メンバーら17人が出席し開催されました。

 さすがに暮れの果ての開催期日故、やむなく欠席者もいましたが、自分の部署での気づきをレポート提出いただいた人もおられました。

1)情報伝達訓練

 サーパス知寄町1、セルビ21、青柳町、青柳末広町、二葉町、若松町など下知コミュニティ・センター屋上から坂本事務局長が交信し、情報伝達が確認されました。

2)国際信号旗 避難旗・訓練旗の掲揚
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 避難訓練開始前に、若松町自主防災会会長の横田政道さんと西村健一下知CC防災部長により、避難旗(V旗)と、訓練旗(U旗・Y旗)を掲揚ポールを仮設し掲揚しました。

3)昭和小学校での避難訓練

 地域住民は100人以上の参加がありました。訓練は学校側の想定メニューどうり順調に行われました。
 「避難時の混雑を体験する」ということで南校舎屋上に、児童・教員・保護者・地域住民全員が上がりました。座ることすらできない体験をしました。
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 地域住民はその後北校舎の待機所へ移動しました。途中体調を崩された参加者が出ました。「参加された保護者のなかに医療関係者はいますか」と坂本事務局長の呼びかけで、医師と看護師が駆けつけていただき適切な処置ができました。連係で救急車も呼ばれ、搬送されました。
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 学校に血圧計がないことが判明。連絡不備で防災倉庫から毛布などを調達することが出来ませんでした。
 地域住民の階段昇降には、PTA役員も誘導していただきました。

参加した住民からは、「はじめて小学校の施設へ入れ、階段の位置や避難場所の屋上や部屋を確認できて良かった。」との感想があったとのことです。
 意見としては、「救護班をつくるべきであった。」「地域と学校との合同訓練は初めてなので、今後も協議をすすめていく」ことになりました。

4)下知コミュニティ・センターでの避難訓練
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 参加者は80人程度。うち要配慮者は12人(超高齢者・持病・障害者・乳児)が参加しました。
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 当日その場で役目を参加者から指名し、各部署のリーダー、サブリーダーをやってもらいました。

「役割担当者が一目でわかる腕章やバンダナ、ユニフォーム着用が必要ではないか」


「まずは施設の安全点検をきちんと行わないといけない。」
「受付方法は改善の余地あり。避難してきた人に座っていただいて避難者カードを書いていただくようにすればいい。」

「避難後水分補給があれば、精神的な落ち着きや血圧上昇予防にいい。」
「常に介護の必要な方については、すぐにわかる目印があれば避難移動時や避難所でも優先的に見守りや介助やしやすい。」

「最初から住民に避難者カードを配布し、それに記入していただいて持参するようにすればいいのではないか。」

「トイレの設置は数名でやりましたが、使用法の説明や後始末には、もっと多くの人員が必要です。」

「トイレに中に説明文も書きました。高齢者や介助の必要な人は手助け要員が必要です。」

「総合リーダーへの報告が必要でした。」

「途中経過をボートに貼りつける必要がありました。」

「チェックリストもこしらえ報告する必要もありました。」

「救護班と情報班、記録班は必要です。」

「トイレには蓋つきのバケツが必要です。」

「どの部署でも避難者の中から支援者を増やす必要があります。」

 市役所側からのコメントがありました。

「下知方式の避難所運営マニアルを他の避難収容所でもこしらえる必要はあります。」

「浸水エリアであり、救援が来るまでの籠城を想定した下知独自の避難所運営マニュアルとカードの作成の必要はあります。現在のものを改良していきたい。」

「下知地域内の津波避難ビルですが、中宝永町のラウンドワンと南宝永町のベストプライスホテル高知がなりました。」

 活発な議論が行われました。とりあえずのまとめです。もっと意見が出ていましたが、とりあえずはここまで。

 今回はわたし(西村健一)は「超高齢者の両親の付添避難訓練」をしていたので、全体像がわかりませんでした。総括会で他の部署の苦労もわかりました。来年は下知コミセンの防災部会で独自の避難所運営BOXと防災備品の整備を行います。
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