ジャニス・リトル・ガール・ブルーを観賞しました。
27歳で夭折した悲劇の女性ロック歌手ジャニス・ジョップリンの生前の映像を繋いだドキュメンタリー映画。2017年1月21日に家内と一緒に、高知市大橋通りのメフィストフェレス2Fシアターへ行きました。
http://janis-movie.com/index.html(公式サイト)
米国南部のテキサス州の田舎町で生まれ、生真面目な両親に育てられ、地元高校で音楽活動に目覚めるも、保守的な土地柄で虐めにも遭い、だんだんと独自の生き方を求めるようになっていたようです。テキサス大学に進学し、音楽活動に没頭し、休学してサンフランシスコへ行きました。
当時西海岸のサンフランシスコは米国のカウンター。カルチャーのメッカ。従来の米国式価値観を否定する文化が育っていました。ジャニスは、黒人音楽やブルースに傾倒し、独自の音楽性を発揮していきます。
1967年のモントレー・ポップ・フェスティバルに参加。シャウトする圧倒的な歌唱力で関係者各位に衝撃を与え、メジャー・デビューに繋がりました。「サマー・タイム」や「クライ・ベイビー」や「コズミック・ブルース」などが印象に残っています。
レコートは遠い昔の学生時代から聞いていました。家内がファンだったこともあり、一緒に新宿のロック喫茶でレコードを聞いたりしていましたね。パールというアルバムはLPもCDも持っています。活動期間は僅か4年余りですが、印象的な曲を残しています。
映画を見て思ったのは、両親はジャニスを最後まで理解しようとしなかった感じを受けました。何人か交際していた男友達も「ジャニスは魅力的だったが、母性が成長することはなかった。」と言っていました。
10年ぶりにスターになったジャニスが高校の同窓会に出席しても、1人浮いていたそうです。保守的な土地柄からでしょう。時代を先駆ける大変さ。保守的な土地柄。女性ロック・シンガーの大変さ。「バンドのメンバーは帰るべき家庭がある。私にはなにもない。」と1人で煮詰まり、しばらく辞めていたヘロインをお酒と一緒に寝る前に服用してそのまま帰らぬ人になりました。27歳でした。夭折です。居場所がなかったんですね。
ジャニス・ジョプリンが先駆者でいたから、マドンナとかビヨンセなど女性ロック歌手も世に出ることが出来ました。今生きておれば74歳。ローリング・ストーズやポール・マッカートニーと同世代ですね。未だに彼女を超える女性ロック歌手はいません。
1960年代後半で楽器やPAなどは今の時代から比べれば貧弱ですが、ジャニス・ジョプリンの歌声は時代を貫いています。会場で松田雅子さんにもお会いしました。
今日も寒いので、「海の散帆」を諦めました。「文化活動」の映画鑑賞が2週連続で続いています。たまにはいいものです。
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