市井の市民は淡々とやれる範囲のことをするしかありません
体調も下り坂になっていたこともあり、最近「弱音」を吐き続け、「後ろ向きな発言」を繰り返しておりました。うちのまちの自主防災会も結成10年になるのに、手伝ってくれることを期待した人は手伝ってくれず、企画から段取りや、後片付け、決算報告まで殆ど1人でやっていました。今後も恐らくそうでしょう。
超高齢の両親の在宅介護もだんだんと大変になって来ていて、「これ以上の地域活動は無理だな」という限界点まで来てしまった。」と感じる毎日でした。両親の在宅介護も6年目になり、両親とも90歳を超えました。結構なにかと大変です。
介護ケアも地域減災活動も同じですが、「いくらやってもこれでお終い」ということはありません。自分で「限界」を作り、「適当にやる」ことをしないと心身ともに正常状態を保てないことが最近良くわかりました。
地域で出会う他の地域の町内会の幹部の皆様や、他地域の防災会の幹部の皆様は、高齢になっておられ、今までも懸命に奮闘されてこられましたが、後継者は現れず、「自分の代で地域活動はお終いだ。」と覚悟されている方が多かったです。
わたしはまだ高齢者の年代ではありませんが、「わが町の減災活動は自分の代でお終いだ。」と最近思うようになりました。ついてきてくれない人を恨んでも仕方がありません。それぞれ人には事情があるんでしょうから。
後継者が現れないのは、私自身の責任であります。多分私に人徳がないからでしょう。またそれは「地域の選択」でもあります。「減災活動を我ことにしない人たちが多い町」だということです。それも「地域の選択」として受け入れるしかありません。
わたしのやれることはなにか。情報発信力はとても微弱です。今後は「自分のやれる範囲で、適当に地域減災活動をやる。」ことにします。それでだれも手伝ってくれなければ、それは地域の選択として受け入れることにしました。腹をたてることを辞めました。エネルギーの無駄遣いはしません。
所詮自主防災会は何の権限も強制力もありません。プロは行政職員です。消防、警察、基礎自治体職員はプロです。24時間災害に向き合うことができます。市民はそうではありません。出来ません、限界があります。生活が仕事が、介護があるからです。
プロの真似事はしません。ここ2~3年、得られる情報のレベルが上がり、プロと対等にやり取りが出来るようになり私は「勘違い」していました。「市井の市民は所詮は市民でしかありません」。己の領分を自覚し、その範囲内で今後は活動することにします。市民はそれで充分ですから。
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