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2017.03.05

伊藤若冲の凄さ


 恥ずかしながら最近まで江戸中期の絵師、伊藤若冲(じゃくちゅう)という人を知りませんでした。1716年から1800年までの84歳の生涯でしたが、その画力の凄さ、色使いの凄さ、デザイン力の凄さには、実物を見たことはありませんが、雑誌の写真でも感じました。

 3月1日は父(97歳)の付添で植田医院に、「サライ」という雑誌が待合室にあり、父が点滴治療をしている間病室で読んでいました。確かに只者ではない。京都の青物問屋の息子として生を受け家業に専念し、40歳で家督を弟に譲り、独学で絵を描いたそうです。
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 当時の京都は政治的な中心ではなくなりましたが、工芸が盛んでした。また明国の文化人が滞在していましたが、滅亡で帰国できなくなり京都にいたそうです。若沖は、明国の絵や仏画の多くを見、観察し、模写し画力を磨いたとか。

 また青物問屋は、今でいう総合商社のようなもので、多大な経済力があったそうです。引退しても世間から隔絶していたわけではなく、商売上のもめ事もちゃんと解決していたようです。

 今日から日本経済新聞の最終紙面に連載されている「私の履歴書」の筆者はジョー・プライス氏(米国美術収集家)。若冲作品に出合ったのは64年前であるといいます。日本では忘れられていた存在の天才絵師が、米国人美術収集家のコレクションにより、再び注目され、昨年の「生誕300年記念 若沖展」(東京美術館)では。44万人の来場者があったそうです。
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 うちは子供の1人が芸大へ進学し、アート関係の仕事をしていますが、うかつにも天才絵師の存在をつい最近まで知りませんでした。偶然サライの記事で見、日本経済新聞の記事で読みました。江戸時代の日本社会に世界を突き抜ける存在の天才絵師がいたことにただただ驚くばかりです。

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