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2017年4月

2017.04.30

朝から晩まで浮かんでいました。

 今日は家内の許しも出て、超高齢者の両親(父97歳・母91歳)の体調もいいので朝9時前に夜須に到着しました。今日は1日浮かぶ予定。それゆえ金曜日に購入した谷ひろ子さん制作の焼き菓子を道の駅やす事務局のTさんと山本宏幸さんところへ先に届けました。
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山本宏幸さんんとは久しぶりのおっさん2ショットを最初に撮影しました。
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 海水浴シーズンに登場すべ「浮島」を制作されていました。
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早速ぎ装(ヨットの組み立て)をしました。ロープのほつれや、器具の劣化があり、取り替えたり応急処置したりでぎ装に時間がかかりました。着替えて出艇しようとしたときには。ハーバーには誰もいませんでしたから。
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 高知大学ヨット部の新入生歓迎セーリングや、ジュニア・ヨットクラブや、社会人など20艇を超えるヨットが海へ出ました。今日は香南市赤岡でどろめ祭りがあります。
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 昨年は熊本地震直後。しかも開催直前に「日向灘沖で地震」という緊急地震速報も出ました。それは誤報でしたが、主催の香南市は開催の有無を検討し、昨年は開催を中止しました。

 それで2年ぶりの開催。関係者はさぞかし気合が入っていることでしょう。どろめ祭りの見学に行きました。海から見ても盛り上がりがわかります。上陸も検討しましたが、意外に赤岡は波が高く、風も弱くなりましたので上陸しませんでした。残念です。
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 ジュニア・ヨットクラブは今日は高知県セーリング連盟会長のBさん自らがゴムボートに乗り込み熱血指導をしていました。

 午後は風が弱くなりました。赤岡沖から夜須まで戻るのに1時間かかりました。帰宅してもまだ揺れているようです。精神の疲れを取るときは、体を酷使すればいいと思います。今日はいい運動になりました。

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父のリハビリ・ゴルフ

 五台山市民農園での作業の後は、父(97歳)の付添でゴルフ・リハビリへ行きました。往路の大橋通りラビータ前の気温表示は午前8時40分ごろで15度。復路は10時30分ごろで19度の表示でした。暑くもなく寒くもない快適です。
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 今日は大型連休のスタート日。しかも祝日。9時過ぎの打席はほぼ満席。父はいつもの打席と異なる場所を強いられました。隣に知人で放送局関係に勤務された人たちがいました。健康問題について雑談をしました。

 それでいつもの父の自己流体操の写真がありません。今日は調子が良いらしくおまり休まずに125発を打ちました。打ち損じも少なめでした。父の体調も良く何よりです。
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 階段の昇降や歩行もしんどそうですが、週に1度のゴルフ・リハビリがあるので、目的にしています。それゆえしんどい事にも耐えられるようです。
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 「ゴルフの趣味もないのに付添して偉いね。」とか言われます。それは父がやりたいこと(ゴルフの打ち放し)をして健康を維持していただいたら家族としていいんです。病気で寝付いてお見舞いも大事です。そうならないためのサポートも大事であると私は思います。
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 よく犬の散歩を熱心に朝晩されている人達がおられます。同居している老親の散歩への付き合いや運動への付添ももっとしてあげることが、介護度を悪化させない方策であると思います。

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4月最後の五台山市民農園


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 2017年4月29日(土曜)は朝5時45分に横田政道さんの自宅へ集合との事。夜明けが早くなったので集合時間も早いです。昨夜は「オアシス・スーパーソニック」を家内と観賞しましたのでいつもより就寝時間は遅かったので眠い朝です。
 
  途中三石の五台山農協婦人部の朝市へ寄りました。今日はトマトとねぎとスナックエンドウを買いました。いちごも新鮮で市価より格安の良品ばかりです。早起きは三文の得ですね。
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 今日の農園の作業はわたしは雑草引きです。1時間ぐらいしました。私以外の横田政道さんを主体としたメンバーが随分整備していただきました。
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 たけのこも出始めています。

 戻って今度は父(97歳)のゴルフ・リハビリの付添に出掛けます。

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2017.04.29

二葉町町内会・2017年度総会と連携協役員会


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 二葉町町内会の2017年度の総会が、2017年4月27日に下知コミュニティ・センターで開催されました。今年は13班の班長の立場と二葉町自主防災会の立場で出席させていただきました。
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 楠瀬町内会長の挨拶の後、平成28年度の事業報告、決算報告、平成29年度の事業報告と決算報告が行われ、すべて採択されました。また今年は役員改選期でした。会長以下役員は留任しました。会計だけが交代しました。

 「その他」の項目で意見が出ました。「5月3日(水)と5月5日(金)は、祝日でゴミは収集しません。はやめに告知の張り紙などをステーションに出しましょう。」ということになりました。

 二葉町自主防災会として今年の事業計画を説明させていただきました。

1)仁淀川町長者での田植え体験について

 先日岡﨑さんのご紹介の藤村さん宅にお電話しました。感じの良い人でした。田植えをご指導していただく方と協議をされているとか。

 長者小の田植えが5月24日(水)で、予備日が26日(金)。28日(日)に出来るようなら二葉町分とか。検討中です。

2)二葉町防災会の研修・学習と、資機材購入の概算です。

活動活性化の事業

1)ジャケット (20枚)訓練用  
     
2)訓練研修用ロープ(ロープワークの練習)
  8ミリ×200M  
              
3)防災研修会の実施  
           
4)防災スタートブック印刷費      (500部)  

                          
防災資機材再整備

1)液体消火器(8本)               

2)消火器収納箱(4箱)       です。

 「広報下知減災」と「二葉町防災新聞」を各班の世帯数分を出席された班長に持ち帰っていただきました。各世帯に配布していただきます。
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 下知地域内連携協議会・正副会長・事務局会

 同じ時間帯に同じ下知コミュニティ・センターで開催されていました。遅れて出席していましたので、内容については殆ど理解していません。後半の部で少しだけ傾聴しただけです。
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 6月の総会前に、役員会をやる予定です。

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2017.04.28

映画「オアシス・スーパーソニック」を見ました。

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 2017年4月28日(昔は4・28沖縄デーと言われていた日)に、沖縄出身のロック好きの家内に連れられ、午後19時から始めるのでカルポートへ行きました。運よく息子がいまして車で送ってくれました。そのため手早く超高齢の両親(父97歳・母91歳)の夕食を終え、就寝させました。
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 正直わたしはオアシスなるバンドはよく知りません。曲の2~3は聞いたことがありました。その程度です。それで少し調べてみました。

「オアシス(Oasis)は、イギリスのロックバンド。1991年結成。2009年解散。ビートルズ、ローリング・ストーンズなどから続く正統派ブリティッシュ・ロックを踏襲した、ブリットポップ・ムーブメントの代表格であり、近年のイギリスの国民的ロックバンド。世界的にも人気があり、全世界でのCDトータルセールスは7000万枚を超える(2009年時点)

 バンドの核となるギタリストのノエルとボーカルのリアムからなるギャラガー兄弟は、同じくアイルランド系・労働者階級出身であるビートルズを大変敬愛している。「アイ・アム・ザ・ウォルラス」や「ヘルター・スケルター」などを時折演奏する他、ファッションや自身の曲に於いてもその影響を見ることができる。また、そのスキャンダラスな言動は常に人々の注目を集めた。

ファッションにおいても多くの若者の注目を集めた。それまでエルヴィス・プレスリーがリーゼントで固めた頭に革ジャンを、パンク・ロックが切り裂かれたTシャツとロックバンドは得てして「反社会的」「非日常的」とされる出で立ちで身を固めていたが、オアシスはウインドブレーカーやジャージといった労働者階級の普段着を着てライブやインタビューに臨んでいたことは新鮮であった。」(出典・うぃきぺでぃあ)

 150人は入れるかるぽーと小ホール。以前ピーター・バルカンさんのトーク・ライブがあったところです。バラカンさんのオアシスに関する説明を聞いてみたいと思いました。もっともバラカンさんは著作でオアシスを取り上げていませんので、お好みではないのでしょう。
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 会場を見ますと30代・40代とおぼしき若い人たちばかり。還暦過ぎた年配者は私らだけでした。夫婦で「浮いて」いましたね。しかし観客もおとなしい。ハードなロックなのに立ち上がる人は1人もいないし、皆おとなしく椅子へすわって見ていましたね。
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 さて映画の感想はと言いますと「成り上がっても、大金持ちになっても、馬鹿であることを隠さないし、継続していることがある意味凄い連中。もし音楽の才能がなかったら、犯罪者になって一生刑務所暮らしの人達です。」

 「オアシスの音楽は本流のハード・ロックではないでしょうか。体にずんと来る音だし、乗りがいい。しかも思いにたけをわめいている。自分の不平不満を曲にし、歌にしてしています。」
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「ビートルズもデビュー当初は、オアシスのような不良だったんでしょうが、売れて来ると難しいことを言いだしてなんかインテリになったようですね。悪童のローリング・ストーンズも最近では好々爺ですよ。でもオアシスは最初から最後まで不良だし、馬鹿です。でも音楽の才能は天才でした。」

 家内のおかげでロックを久しぶりに楽しませていただきました。

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母(91歳)ははりまや橋商店街へ行きました

 やはり連休前の慌ただしさがあります。問い合わせメールは来ます。電話での問い合わせもあります。注文もあります。路線便の運転手に聞きますと、すでに積み残し荷物があり、いつもような配送は無理なようです。今日は納期の調整に1日追われました。
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 道路も混んでいました。ということではりまや橋商店街へ母(91歳)と当到着時はすでに、活き活き100歳体操が始まっていました。途中から母は参加しました。
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 終わりますと谷ひろ子さんのお店で焼き菓子を母は買いました。パン屋さんでもクッキーを買いました。慌ただしくゆっくりせず帰りました。帰社すると僅かな注文がありました。配達に息子と2人で行きました。私は運転手です。
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 また戻るとWEBの注文が北海道から。ようやく冬も終わりつつあります。しかし冬仕様の品物が在庫切れに。お待ちいただくしかありません。

 夕方は家内の企画で「オアシス」の映画をかるぽーとへ行くとか。ことらも慌ただしく両親の夕食の準備。早めししていただいて駆けつけることにしてはいますが・・。

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高知市防災士会総会へ出席していました


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 2017年4月24日(月曜)は雨の中、路面電車と徒歩で、高知市あんしんセンターで開催されました平成29年度高知市防災士会連絡協議会総会に出席していました。
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 303人の会員中、73人が出席し、委任状が87人。過半数の出席でしたので総会は成立しました。

 議題は1号議案が平成28年度事業報告。第2号議案が平成28年度収支決算報告でした。賛成多数で採択されました。第4号議案は平成29年度事業計画(案)と収支予算(案)でしたが、これも採択されました。

 問題は資料も何もない状態(会員への総会案内文にもなにも表記されていない9第5号議案として「会費について」が提案されました。
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 突然のことで会場からも意見が多数出ました。

「そもそも総会案内文にも会費の事はなにも書いていない。突然すぎる。」

「この場で賛否を問うことは間違っている。」

「重要議題だから会員にも検討する時間を与え、臨時総会で議論すべき。」という意見が出ました。役員側の説明も要領を得ず、今回は結論が出ませんでした。

 第6号議案の役員改選策は、承認されました。
 
 高知市防災対策部の新部長の黒田氏と、新防災政策課課長の西村課長より挨拶もあり、総会は閉会しました。
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 松下さんや大崎さん、山本さん達と近くにいました。なんだか釈然としない感じで総会は終了しました。

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2017.04.27

危うい米国の「砲艦外交」

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 米国の攻撃型空母が西太平洋を巡回しています。周りを6隻のイージス艦が取り囲んでいます。空母には戦闘機が80機搭載されています。イージス艦には先日シリアを攻撃した巡航ミサイルが搭載されています。アメリカは伝統的な「砲艦外交」を展開しています。

 シリアへの米軍の攻撃は遠い中東の出来事でした。しかし相手国が北朝鮮ということになると日本の隣国。万が1開戦となれば、米軍基地がある日本本土も真っ先に攻撃されますね。シリアはせいぜい化学兵器ぐらいしかありませんが、北朝鮮はミサイルやら化学兵器やら、核兵器まであるようですから危険極まりない隣国。

 おまけに反米・反日国家と来ています。日本人拉致問題も全く進展がありません。戦争事態になれば絶望的になりますね。キューバ危機の場合は、アメリカもソ連も直接対話していましたから。今回はそのチャネルすらもなさそうですんで怖いです。

 お互い「勇ましげな」人物がリーダーになっているので余計に怖い。

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2017.04.25

保険会社のリスク・マネジメント

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 車の保険(上乗せ)を契約している会社から、「今後30年以内の地震の発生確率」について資料をいただきました。対象地点は高知市知寄町2丁目。

「対象地点において今後30年以内に震度5強、6弱、6強以上の揺れに見舞われる確率は」ということで推測されています。

 震度5強以上の確立     76・9%

 震度6弱以上になる確率   68・8%

 震度6強以上になる確率   53.1%   です。

 自動車保険の対象となる自動車事故により、負傷する確率は24%に過ぎません。いかに下知地区は南海地震が起きる確率が高いと言えます。

 いつもこのことを「念頭に」生活しないといけない地域です。

3年ほど前の資料ですが、当時は熊本地震がおきる確率は「8%」でした。日本全国どこでも地震が起きる可能性があります。安全な場所などありません。
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2017.04.24

父(97歳)の血液検査の結果


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 2017年4月24日に父は植田医院へ行きました。診察をして点滴しました。

「血液検査の結果は良好です。クレアチリン値も2.02で小康状態。尿素窒素もカリウムも悪くはありません。ヘモグロビン値が9・4で10を下まわっているのが良くないだけです。」とのことです。

 他の数値、尿酸値は5・6で私の7・1より数値がいい。総コレステロール値はわたしは230でボーダーですが父は123と低めです。腎機能だけが悪くて他は良好な父です。

 一方体力測定ですが、総じて横ばいです。超高齢者はスロートレーニングをしたからと言ってすぐには身体機能は向上しません。衰えを抑止する効果はあります。

 今週から介護予防通所リハビリの父の回数が1回増加し、週に5回となりました。身体機能維持になれば幸いです。
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五台山地区の津波避難路を観察しました


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 2017年4月19日に、二葉町から五台山地区の津波避難対策を観察するために徒歩で出掛けました。経路は二葉町ー若松町ー青柳橋ー北吸江―南吸江ー三石ー五台山農協婦人部良心市でした。徒歩で32分かかりました。仮想「疎開訓練]
をしました。
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 五台山地区は下知地区同様に海に隣接しています。道路沿いの宅地のある場所の海抜も低く、おおむね海抜2M以下です。しかし五台山と言う山にも隣接していますので、どの地区も避難路があり、避難路表示も市役所によってされています。
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 北吸江地区の津波ハザードマップも掲示板に表示されていました。道路淵の集落は津波浸水の可能性があります。避難場所は五台山の高台です。
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 自然の高台が1つとしてない下知地区よりは五台山は恵まれています。ただし五台山は一部崩落危険個所があるようです。大きな揺れを体験しないと危険性はわかりませんが、自然の高台があることは断然有利です。
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一方で五台山は崩落危険個所もあるようです。それを差し引いても、自然地形の高台があることは、断然安心感が違います。下知地区は人工構造物の建物が避難施設としてあるだけですから。

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2017.04.23

叔母(86歳)と両親の懇談会


 昨年3月から特養に入所している叔母(86歳)と両親(父97歳)母(91歳)との懇談が実現しました。段取りいただきましたのは、従兄弟の田植光男・慧子さん夫婦です。

 田植さん達は朝9時過ぎに叔母を施設に迎えに行き、水谷龍文堂の後継店である龍文堂(店主西森慶二さん)ところで待ち合わせしました。私は両親を連れて行きました。超高齢者は時間的な余裕をみていても着替えて出掛ける直前にトイレへ行くようになるのでどうしても遅れ気味になります。
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 両親のケアマネージャーであり、最初は叔母のケアマネージャーでもあった下村恵子さんも来ていただきました。昨年2月まで叔母は杖をついて歩いていた状態でしたが。昨年3月までは要支援2。要支援は包括介護支援センターの管轄になり、下村さんの手を離れました。
 
 昨年3月半ばに自宅で転倒。隣人が気が付くまで3時間ぐらい起き上がれず、救急車で搬送されました。打ち所が悪かったのかその後歩けなくなり、車椅子生活になり一時は要介護5までなっていました。今は少し回復し要介護4になっていました。

 叔母と田植夫婦と、両親と私の写真を下村さんに撮っていただきました。
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 その後に昼食会をするので、ちより街テラスのレストラン・ソレイユへ行きました。世話役の従兄弟夫婦が予約していただいていました。休日でどんどんお客が来ていて、待っている人達もたくさんいました。予約していて大正解でした。

 田植光男・慧子さんすべての段取り(叔母の送迎、昼食会の予約)などありがとうございました。
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 車椅子と超高齢者2人のグループなので予約して大正解でした。ゆっくりランチしながら懇談が出来ました。両親も昼食は完食しました。

 後から叔母の孫娘になる弥生ちゃん(うちの息子と同年輩)が、2人の子供を引き連れソレイユに現れました。高知医大の出身なので、「暑くならないうちに高知へ来たかった。」。ひ孫たちの登場に叔母も喜んでいました。日曜市で買い物していたとか。
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 叔母も半年前より元気になっていました。リハビリすれば多分歩けるようになると思いました。うちの2人の子供たち一向に縁がなく結婚しませんね。元気な子供たちを見ていて羨ましく思いました。

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防災は事前対策がすべて。地震を災害にしない方法の実践を!!


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 高知新聞4月16日の記事では、高知大学名誉教授の岡村眞さん言葉が掲載されていました。「防災は事前対策がすべて」「地震から命守る心構えを」と言われています。

「知識があっても家屋の耐震化など事前の対策そしていなければ、被害を軽減することは難しい。」

「昭和南海地震から70年が過ぎた。多くの人々が海の近くに住む高知県で、防災は事前の対策が全てだ。揺れが始まると、私たちはほとんど何もできないことを熊本地震で再び学んだ。」

「次の大地震まで残り時間が少なくなる今、家族と夜を過ごす家は、できるなら津波の来ない高台に移転したい。数ある地震対策の1つとして選択肢に入れてほしい。」

「地震は自然現象であって、それを「災害」にしてしまうのは建物を建て、倒れるものを身の回りに置く人なのだ。たった3分の揺れに耐える、たった半日の津波をやり過ごす。高知で暮らす時間の中で、地震を「災害」にしない方法は、いくらでもある。」

 岡村眞先生の言われるとうりです。では私個人の家族防災で100%事前対策をしているかといえば、まだそうなっていません。二葉町ではどうなのか?と言われましても100%と言い難いものがあります。

 今年度は「揺れ対策」と「浸水対策」「命を繋ぐ対策」をより検証し、100%に近づく努力をすることにします。

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2017.04.22

夜須の海へ行っておりました。

 悪天候の予報も出ていました。父(97歳)のゴルフ・リハビリが意外に早く終わったので、急遽夜須での海の散帆へ行くことにしました。昼食はコンビニのおむすびとサンドイッチ。訪のおむすびと卵焼きでないと腹持ちしませんが、運転中に食べながら夜須へ行きました。
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 到着しますと日差しが出始めました。それとともに意外に強風になりました。沈すると嫌なのでウェットスーツを着込みました。ジュニア・ヨットクラブが午後から出艇するようです。
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 高知大学ヨット部は新入生歓迎行事らしく午前中はセーリング体験。午後はべーべキューをしているようです。横目に見ながらぎ装(ヨットの組み立て)をし、出艇しました。
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 この時期にすれば「意外な強風」。しかも風向きが45度くらい振れます。予測できないところから強風が吹いたりして乗りにくい。操船が忙しいので海の上の写真はありまっせん。
 
 押岡さんによれば、「風は4~5、6Mにもなり、突風は10Mを超えることもあった。」。風向きが一定方向ではないので乗りにくい。やはり「春の風」です。
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 1時間半ぐらい散帆しました。先週破れたセールは応急措置しましたが、強風でも今日は大丈夫でした。

 家人に「早く帰宅せよ」との電話がありましたので、ヤッシーへは寄らずに戻りました。半日でも癒されました。来週は地域活動がせわしいので、充電できましたので、乗り切れそうです。仕事も連休前でせわしくなりそうですから。

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父のリハビリゴルフ


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 暖かくなりました。そろしろ体を夏仕様にしないといけないですね。大橋通りラビータの気温表示は往路は18度、復路は20度ですから。超高齢者は熱中症や脱水に気をつけないといけないですね。
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 父はあいかわらず自己流の体操をして、水分補給をし、球を打ちます。休憩を多くして125発を打ちました。
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 階段をゆっくりおり、上がるのはゆっくり上がります。
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 今日はどん曇りで風があったので、父はしのげたようでした。

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五台山市民農園へ行きました


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 2017年4月22日は先週に続いて五台山市民農園へ行きました。6時に横田政道さんところへ集合。弘化台の横田さん所の倉庫で培養土を積み込みました。大崎さんと福谷さんも来られました。
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自転車で三石の五台山農協婦人部の良心市で野菜を買いました。今日はミニトマトとさやえんどう。ゴーヤの苗も買いました。
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 そして階段を培養土を担いで登りました。
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 今日の仕事は雑草引き。まめにやります。共同の畑ではジャガイモを植えました。ネギは下の果樹園の畑に大崎さんと黒岩さんが水曜日に移植していただいていました。
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 父(97歳)のリハビリ・ゴルフがあるので、7時20分過ぎに早退させていただきました。

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高知県は東洋町の皆様に救われました。


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 2007年4月22日に高知県東洋町で町長選挙がありました。新人候補で高レベル放射性廃棄物最終処分場の立地反対を掲げた沢山保太郎さんが、有効投票の7割を獲得し、立地推進を掲げる現職町長を大差で破り当選した記念すべき日です。
 
 http://www.nc-21.co.jp/dokodemo/bbs3/sawayama/toyo-senkyo.html

 NUMOによる高レベル放射性廃棄物最終処分場立地は白紙撤回されました。もし結果が逆であれば、南海トラフ巨大地震の震源地近くの東洋町に全国の原子力発電所から排出される高レベル放射性廃棄物(半減期になるのに10万年かかる物質が含まれている)が、押し寄せてくることになっていましたから。

 もしそうなっておれば、高知県観光や、高知家や、地産外商などのんびりしたことは一切できなくなっていました。高知県民は東洋町の皆様に感謝しなければなりません。

 当時現職候補者は、「高レベル放射性廃棄物最終処分場を受け入れれば、医療費も教育費も、光熱費もすべて無償になります。」との公約を掲げていました。

「放射能まみれのお金よりも、思い切り深呼吸の出来る東洋町の空気と自然を子々孫々に残したい。」という東洋町の町民の皆さんの想いが結実し、高知県は救われたのです。
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 そのことを忘れてはいけないと思います。

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2017.04.21

母ははりまや橋商店街へ行きました。


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 2017年4月21日ですが、雨の予想が覆りました。母(91歳)を連れてはりまや橋商店街へ行きました。歩行補助車も持参しました。歩行に使用しています。
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 まずはコロッケ屋さんへ行きました。夕飯用にかぼちゃコロッケを買いました。
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 次に谷ひろ子さんのお店へ行き、焼き菓子とチョコレートケーキを購入しました。パン屋さんでクッキーを買いました。
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コーヒーも注文し、母とお茶をしました。
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 そして活き活き100歳体操(介護予防体操)の準備をしました。
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 今日の体操は15人が参加していました。これから季節が良くなるので参加者は増えると思いますね。
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水泳選手の体型を目指して頑張ろう

 2017年4月13日の年に1度の健康診断は、ショックでした。ウエストがメタラインの85cmをオーバーしてしましました。やはり加齢で代謝が落ち、醜い贅肉が脇腹などについています。「間食が多すぎた」のでしょう。牛乳にココアをたっぷり入れ、レンジに温めて1日4杯飲んでました。
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 これではとても水着やTシャツ姿になれません。「見苦しい親父体型」になってしまいました。嫌ですね。4月5日の献血時の検査の結果が先日来ましたが、コレステロール値が235と跳ね上っていました。運動不足なんでしょうね。

 先日スポーツ・ニュースで見かけた水泳の萩野選手や瀬戸選手のようなスレンダーな体型を理想としています。あのような爽やかな体を目指したい。
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  しかし毎日ただただ「我慢をする」とか、ストイックに「1日8000歩は歩こう」というのも嫌ですね。面白くありません。

やはり週に1度の「海の散帆」と、週に1度のジムでのトレーニングだけでは、ダイエットになりませんね。あと1回ぐらい運動のメニューを加えないとダイエットは難しいですね。

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2017.04.20

両親は介護予防通所リハビリへ行きました。


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 なんだかどん曇りになっている高知市。今にも雨が降りそうです。市内は自転車で集金に廻る予定を変更。車で行きます。

 今日は介護予防通所リハビリへ行く日です。母(91歳)は、火曜と木曜、父(97歳)は月曜・火曜。木曜・土曜が通所日です。張り切っています。
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 お蔭様で身体機能の低下に歯止めがかかりました。向上とまでは行きませんが、相当頑張っています。施設の皆様のサポートのお蔭です。

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今週号の週刊現代の記事は強烈でした。

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 週刊現代4月29日号の52Pから57Pの特集記事は強烈でした。見出しもおどろおどろしい。

「急増する「死後離婚」義父母は捨てられた!」
 
 「息子が死んだら、嫁が財産持って遁走」

 「もう赤の他人ですから」

 「遺産と年金さえもらえば、ハイ、さよなら。舅姑の面倒なんか見たくな  いから籍を抜く」

 「死後離婚の手続き実はこんなに簡単だから」

 記事にはこう書かれていました。弁護士の話です。

「夫が先に死んだ場合、民法上はその妻を含む三親等の親族までは両親の扶養義務を負う場合があります。

 しかし実際に扶養義務を負うのは家庭裁判所が妻に「両親を扶養せよ」という審判を出した時の話です。それがない場合は、嫁が舅や姑の面倒を見たり、扶養したりする必要はありません。

 同居している嫁には扶養義務があると誤解している親や嫁が多いのも確かです。
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 もし家庭裁判所が妻に扶養義務があると審判を下したとしても、親族関係終了届を出して、死後離婚をしてしまえば、その審判は無効になります。

 ただし、亡くなった夫(仕事中に交通事故で死亡)との間に子が入れば、それは祖父母と親族関係がありますので、子供の方が扶養義務を負うことになります。」(P55)

 記事には実例も紹介してありました。

「弁護士に亡夫の親族と縁を切る相談に行き、息子も説得したうえで、夫の49日の朝役所に書類を提出した。それから集まった親族に、もう親戚ではないし扶養の義務もなくなったことを告げました。

 中略

 「お母さんを見捨てるつもり?」「身勝手すぎる」とハチの巣をつついたような騒ぎになりました。

 それでも、もうこの人たちと一生関わり合いにならなくて済むと思えば、どんな言葉を浴びせられても平気でしたね。

 相続も済んでいましたし、保険金も入った。年金も十分貰えるので不満も不安もありません」

 こうして津田さん(仮名)は、義理の老父母を「見捨て」新しい人生を歩むことになった。(P54)

 この数年で急速にこうした事例が多くなっているとの事です。

 昔,小津安二郎の映画「東京物語」がありました。夫が戦死し、未亡人となった原節子が、夫の両親が広島から上京してきて、かいがいしく面倒をみていました。そんな嫁さんの姿は、現代の日本では「あり得ない」お話のようですね。

http://eiga.com/movie/38069/(東京物語・1953年・小津安二郎監督作品)

 映画の原節子さんのような女性は、日本国では絶滅したのでしょうか。
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 うちも超高齢の両親(父97歳・母91歳)の在宅介護ケアをしています。家内の負担が70%、わたしが30%程度になっています。家内は本当によくやっていただいています。感謝しかありません。

 夫婦が生存中でも「介護離婚」が多くなっているように聞いています。家内に「見捨てられない」ように努力しないといけないと思いました。還暦すぎたら男は謙虚にならないといけないと思いました。

 

 

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2017.04.19

痔主のためのウォーキング

 健康診断での検便の潜血反応は「いぼ痔」との判定。18日に肛門科で診察を受けました。手術が必要なほどではないですが、要するに患部周りが血行不良になっていたからでしょう。

 仕事は基本的にデスクワークであり、毎日8時間はパソコンと向き合っているにで、運動不足になっていたと思います。それでメタ防止の効用も狙い、ウォーキングを早起きして挑戦することにしました。
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 午前5時半に自宅を徒歩で出発。土曜日に野菜を購入している五台山農協の婦人部の野菜良心市まで。そこで野菜を購入し、徒歩で戻ります。
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 若松町を抜けるのに10分ほどかかります。青柳橋を渡り歩くのに3分半かかりました。ようやく五台山登坂道入り口の交差点へ。渡って北吸江地区の集落を歩きます。
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 公民館には北吸江地区のハザードマップがあります。海に隣接し海抜も2M以下。避難場所は五台山になっています。いたるところに避難道路の表示がされています。自然の高台が全くない下知地域よりは恵まれています。
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 南吸江地区の集落を歩きました。五台山から降りてくる道路と交差します。
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その先は三石地区になります。五台山農協婦人部の良心市に到着しました。途中横田政道さんと黒岩博さんお会いしました。自宅から徒歩で32分かかりました。
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 良心市で福谷さんと大崎さんにも会いました。今日はトマトと沢庵を買いました。しばし懇談して折り返し徒歩で戻りました。戻りも32分かかりました。平日なので農園作業は出来ませんが、よろしくお願いします。

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 往復で1万歩ぐらいになるのでしょうか?継続できるのであれば散歩を日課に入れます。今朝は父(97歳)の通院の付添があります。
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破たんしたてるみくらぶの1面全面新聞広告

放漫経営で破綻した旅行会社のてるみくらぶ。ある全国紙1面広告がありました。かたづけをしていたら出て来ました。
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 「全額一括入金(決済)1%割引あり」とか海外旅行なのに「東京―高知」への旅行代金より安いツアーもたくさんあるようです。一括支払いされた8万人の人達が海外旅行先で大迷惑したとか。
なんだったろうと思います。

 海外旅行ももう25年も行ってませんね。家内の出身地沖縄も10年も行っていません。ご近所しか知らない田舎のおんちゃんに身の上では海外旅行なんてとりあえず関係ないお話ですね。
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2017.04.18

痔主になってしまいました。

 4月13日の健康診断で便から潜血反応が昨年に続いてありました。昨年は横田胃腸科内科で大腸内視鏡検査をしました。異常は全くありませんでした。横田哲夫先生に「いぼ痔の痕跡がある。ヨット乗りは痔になるから。(横田先生は学生時代はヨット部)」と言われていました。

 それで今日健診クリニックの紹介状をもっておの肛門科胃腸科外科に行きました。繁忙している病院で待つこと1時間半して診察していただきました。
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「言われるようにいぼ痔ですね。2か所出来ています。ただちに手術するようなものではありません。治療用の塗り薬を出しますから。」とのことでした。見ると浣腸のような容器に薬が入っています。市販の塗り薬とは形状が違いますね。
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 現在1か所歯茎も腫れていて歯科医院で治療中。体の入り口と出口で治療する事態になりました健診では。メタ気味判定も出ました。4月は年度初めで仕事も毎日せわしいこと。入口も出口も毎日使用する器官だから、きちんと治療しないといけないです。
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「共謀罪」の弊害を指摘している女性誌


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 2017年4月13日の午前中は絶食状態でした。健診クリニックから解放されたらもうお昼前の時間帯に。お腹がとても好きましたので、ご近所のカフェレスト・すみれへ行きました。お昼の定食を美味しくいただきました。

 その折手にした週刊女性。おおむね芸能・ファッション・料理・ダイエット主体かと勝手に思い込んでいましが、きちんと社会問題にも特集を組まれて切り込んでいます。
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 今回は安倍内閣が今国会で成立させようとしている「共謀罪」の危険性を具体的に記述されています。「取締側の裁量で、共謀範囲が認定される危険性がある。」「要するに共謀罪はテロは防げないが、国民各位の市民運動や社会運動を根絶する効果は絶大である。」とまで言い切っています。

 思わず「そのとうりだ!」と思いました。女性誌各誌は、原発再稼働問題や、戦争法案の危険性もきちんと指摘されていました。全国紙や全国TV局が「権力の番犬化」している今は、まともな社会意識を持っておられるメディアの1つが女性誌ですね。感心しました。
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2017.04.17

浮体構造物(浮体式人工地盤)が下知を救う


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 2017年4月10日。開花が遅れていた高知市堀川両岸の桜が満開となりました。当日は雨の予報でしたので曇り空の下早朝に鏡川大橋から、九反田、菜園場の大鋸橋から農人町、南宝永町とぐるりと散策しました。

 二葉町の堀川水門より上流の堀川は、県港湾当局によって浮桟橋がつくられ、たくさんのプレジャー・ボートや遊漁船が係留されています。浮桟橋と、プレジャーボート、水面と両岸の桜並木、周囲の建物が程よく調和しています。
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 その浮桟橋の理屈が低地(海抜0メートル)で海に隣接し、自然高台が皆無の高知市下知地域住民を救うと思う。つまりは「浮体式人工地盤」であります。
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 普段は公園などに「ふだんづかい」。一たび南海地震が起こり地域で避難が必要なときは、素早く人工地盤の公園へ水平移動で逃げ込みます。低地の地域が浸水し始めますと、「浮体式人工地盤」は浮き上がります。その上に避難した下知の住民は全員無事です。
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 実例はありません。しかし浮体構造物の高密度発泡体は既に開発されています。また「地球と握手する」インプラント工法も、堀川の耐震護岸工事で現在工事が進行しています。両者の技術を融合すれば、低地の下知全体を浮体式人工地盤にすることは可能であると思います。
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 「そんな前例はない」という社会的なバリヤーが実現を阻んでいるようです。現実に「浮桟橋」はあります。「浮体式人工地盤」をこしらえれば、下知

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2017.04.16

女優さんは年取らない(エージ・レス)ですね。

美容室で母(91歳)のカットするのを待っている時に女性週刊誌を眺めていました。

 グラビアページに浅丘るり子(1940年生まれ)、加賀まり子(1943年生まれ)、五月みどり〈1939年生まれ)の写真が掲載されていて仰天しました。
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浅丘さんは77歳、加賀さんは74歳、五月さんは78歳ではありませんか・・
 女優は年取らないと言われていますが、どうなっているんでしょう。

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母は美容室へ行きました

 父(97歳)のゴルフ・リハビリが終わりますと、今度は母(91歳)が待ち構えていました。ご近所のシンボル美容室へ、母と仲良く手を繋いで行きました。聞きますと昨年12月以来とか。
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 髪の毛が多い母ですが、以前(数年前)に比べますと髪の毛の伸びるスピードが遅くなったとか。カット前の写真とカット後の写真を撮りました。カット後はすっきりしていました。
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 超高齢者でも「身なりを構わないといけない。」と思います。お洒落をすることはいいことであると思いますから。

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父はゴルフ・リハビリへ行きました。


 2017年4月16日は、父(97歳)はゴルフリハビリへ行きました。往路のラビータの温度計は17度です。朝から暖かい。復路は21度(10時過ぎ)でした。

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 杖を使用し階段を下り、自己流の体操をして水分補給(経口補水液・OS-1)を飲んで、球を打ちます。風もなく日当たりも良いので少し暑かったと思います。

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 終わった後の階段登りもゆっくり登りました。車への乗りこみもなんとか自力でできます。でも見守りと介助は常に必要です。超高齢者でも2本足で歩けないといけないと思うからです。「転ばぬ先の介護」がとても大事です。


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 入れ違いにこれから母を美容室へ連れて行きます。

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「歩けなくなる人」その兆候と対策


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 今日(2017年4月11日)高知市で発売の週刊現代4月22日号の記事「50歳過ぎたら全員、必読 結局、これが「元気で長生き」の1番の敵です。歩けなくなるひとその兆候と対策」は、超高齢者の(父97歳・母91歳)の在宅介護ケアをしている立場ですので、よく理解できました。

 注意を喚起する見出しや書き出しが連続で続きます。

「2本の足で歩くこと、そんな当たり前のことがある日突然できなくなると、老いは想像を超えたスピードで進む。早い段階でその兆しを見つけて、車椅子生活を避けるためには、どうすればいいのか。」

「すり足で歩く人は危ない」

「薬でふらついて骨折」

「歩けるうちにとにかく歩く」

「知ってましたか?老人ホームに入ったせいで 歩けなくなる人が続出中」

「歩かせない施設がある」

「生活不活発病が怖い」

 見出しのとうりです。高齢者になりますと身体機能が、衰えます。事前い対策をしていませんと、2歩足歩行が出来なくなります。

 うちの両親は父が97歳、母が91歳です。敷地が狭く、階段生活の毎日です。敷地が狭いのでスペースが取れないので、階段の1段の高さは22センチもあります。下知コミュニティ・センターの内階段の倍の高さです。

 それで転落防止対策も兼ねて、金具を取り付け、丈夫なヨット用のナイロン・ロープを使用し、両親が階段の昇降時に使用しています。「バリヤ・アリー」の生活そのものです。
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バリヤ・アリーで介護予防対策

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-cea0.html

 身体機能回復の手立てとして、ケアマネージャーさんのお奨めで、2011年9月から、介護予防通所リハビリ施設へ通所しています。父は週に4回、母は週に2回行っています。」少しだけですが、歩ける距離が伸びたと思います。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post.html

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 運動習慣も大事です。父の場合は無類のゴルフ好き。今でも週に1度は「リハビリ・ゴルフ」と称してゴルフ練習場へ行き125発の球を打っています。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/post-575b.html

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 母は現在1日デイを3回と、父と一緒に介護予防通所リハビし施設へ行っています。金曜日ははりまや橋商店街へ連れ出して、買いものと、活き活き100歳体操教室へ参加しています。
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http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/post-dd7f.html

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 つくづく「転ばぬ先の介護ケア」が必要であると思います。両親が介護認定を受けて6年目。ディサービスや介護予防通所リハビリ施設のご協力で、超高齢者の身体機能の衰えは、防がれているようです。何よりです。

「高齢者の身体機能の維持」は、低地にある下知地区の避難計画を作成する場合もとても大事な要素です。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/post-575b.html

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2017.04.15

海の散帆を堪能させていただきました。


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 2017年4月15日(土曜)は、家内の許しが出ましたので、夜須へ行きました。ハーバーは晴天でしたが、「雷注意報」が出ています。以前局地的に夜須だけ雷雨があり,ひょうが降ったことがありましたから。YASU海の駅クラブは「オレンジ旗」(出艇注意)を出しています。
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 雷雲が接近して来れば、グリーン旗を掲揚し「出艇禁止」措置を取ると通知がありました。それ故遠出はせず、オレンジ旗が見える範囲、確認できる範囲で海の散帆をしました。

 今日は南西の風。うねりもありました。四国レーザー選手権が新居浜であるようで、多くのディンギーはそちらへ参加していて、ハーバーにはYさんと高知大学ヨット部が新入部員歓迎会のためにいるだけです。
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 先週の強風・高波があったので(波打ち際で10回も横転)、慎重にぎ装(ヨットの組み立て)をしました。海へ出ますと意外に風が強かったです。風が南西から南東でしたので、出艇して赤灯台沖まで出て、ジャイブして、ヤッシーの中へ入り、離岸堤を周回しました。
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 風が強かったので、海の上の写真は少ししかありません。午前中は2時間、午後からは2時間半海の散帆を楽しみました。セールが破れたり、舵が壊れたりしてトラブルがあり、応急処置に追われ、時間がかかりました。
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 雷注意報は解除になりませんでしたが、夜須は晴天でした。片付けして戻りますと南国市あたりから雨になりました。今日は幸運でした。みんなのお蔭です。

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2週ぶりの五台山市民農園

 先週は体調不良にて欠席しました。2週ぶりです。朝6時集合も苦にならなくなりました。年寄りは朝が早いからですね。寒くもなくなりましたし。4月15日に農園作業に参加しました
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 途中三石の五台山農協婦人部で、野菜を購入しました。今朝はミニトマトとほうれん草を購入しました。ソシテ「荷揚げ」作業。テーブルやござ、バケツなどを手分けして83段の階段を登り上げました。
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 そして今日の作業は農園の雑草引きです。2週間の間に雑草が増えています。まずはネギとタイモまわりの雑草を引きました。根元から引くようにしました。結構力が必要ですね。
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 超高齢の両親の動向が気になりますので、7時過ぎに早退させていただきました。帰りに共同栽培している玉ねぎを2個いただきました。
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今日から不燃物・資源ステーションの当番に


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 年度が替わりました。それで今日から毎月第2金曜日の午前6時から8時までの間、二葉町町内会の不燃物・資源ステーションの仕分け担当になりました。来年3月までの任期です。

 夜明けが早くなりました。日中は暖かい予報ですが、朝1番は寒いです。晴れると風が吹きますから。
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 透明と茶・クロ・緑の瓶の仕分け、段ボールと雑紙(印刷ダンボール)た缶類と金属類、その他の仕分けをしています。

 なかなかあかない瓶類の蓋。大量のエアゾールの缶類。持ち込まれる不燃・資源類は多い。今日は自転車が2台ありました。

 車で持ち込んでくる人も多いです。月に1度の二葉町町民同士の顔合わせ会にもなっていて、貴重なひとときです。

 わたしは両親のケアがあるので、午前7時半前には早退させていただきました。今日は荒木三芳二葉町町内会副会長の指揮のもと各班から10人の当番が出ていました。

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2017.04.14

母とはりまや橋商店街へ行きました。


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 今日は珍しくWEBの問い合わせや注文があり、出掛けるのが遅くなりました。はりまや橋商店街へ母(91歳)と一緒に行きましたが、コロッケ屋さんで夕飯用を購入。谷ひろ子さんところで焼き菓子を買いました。
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 コーヒーを飲む間もなく、すぐに活き活き100歳体操の準備をしました。今日は16人雄参加者がありました。暖かくなりますと参加者も多くなりますね。
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戦争も事前防災対策が必要

 先日アメリカ軍がシリアの軍事施設を標的に、巡航ミサイルを撃ち込みました。名目は「シリア政府が戦闘中に毒物入りの液体をばらまいているとか。子どもたちがぎせいになったのはそのせいであると。

 シリアと北朝鮮は仲良しであり、相互交流をしています。最近北朝鮮が盛んにミサイルを発射しているのは、ミサイルなども「商談」に使用している事と存じます。

 「火遊び」しているうちはまだいいいんです。アメリカが軍事的に挑発して「北朝鮮」への軍事行動を起こしたら、即日本各地にある在日米軍基地は北朝鮮に攻撃されることでしょう。原発施設も攻撃されると思います。

 もしも伊方原発が攻撃され、損害をうけたら、大きな原発災害になる可能性があります。それはプルトニウムという毒性の強い燃料を使用しているからです。隣県の高知県も影響は免れません。

 軍事独裁国家というものは、敵対している諸国が脅しをかけ、経済制裁をしても軟化することはありせん。むしろ戦意は上がり危険な暴発行為に走ります。

 もしもの原発災害に対処することも事前減災対策では必要と思います。

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2017.04.13

健康診断に行きました


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 2017年4月13日は1年に1回の健康診断です。朝8時45分前に高知健診クリニックへ行きました。昨日の21時以降は絶食状態。最近は早朝から活動していて、朝食も5時半前には食べているので、絶食は辛いです。

 各種検査をして、胃の透視の検査にバリウムを飲みます。空腹なので美味いと感じました。機械でお腹を押され気持ちが悪そうになりました。心配なのはメタ気味なことと、視力の低下傾向です。

結果は視力も眼鏡をかけて両目とも0.5でした。胃や食道、十二指腸などには異常はないとか。血液検査で判明する尿酸値や血糖値や悪玉コレステロール値は、正常値をややオーバー。医師は「ただちに薬を服薬する必要はないでしょう。」との診察でした。

 また昨年に続き便に潜血反応がありました。昨年は主治医の横田胃腸科内科にて大腸内視鏡検査をし、ポリープもないということで異常はありませんでした。その時も横田先生に「ヨットをすると痔になりやすいからね。」と言われていました。それで健診クリニックの医師に肛門科の紹介状を書いてもらいました。来週でも行くようにします。

 またウエストがメタ基準より太めになり85cmを超えました。それで保健師の指導を受けることにしました。やはり牛乳に森永ココアを入れ、1日に3杯飲んでました。また間食もしてました。菓子パンやミレービスケットが好きで頻繁にたべてましたから。お酒は自宅では飲まないようにしていました。それでも太り贅肉がつきました。
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 やはり加齢で「基礎代謝が低下」したのでしょう。保健師さんに「メタボリックシンドローム・マネジメントノート」や「メタボリックメジャー」をいただきました。保健師さんは「BMIは23で標準です。少しだけ頑張ればメメタボ予備軍から脱却出来ますから。」と言われました。

 週に1度の海の散帆(ヨット)やジムでの週に1度のトレーニングだけでは「贅肉を除去する」までにはなってはいませんね。結論は「運動量を増やし。間食の量を減らす」しかありません。

 近くの青柳公園の桜は満開を過ぎ、散る間際になっていました。
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 生活習慣の改善は、「言うは易し」で実行するのはとても難しいですね。

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高知市は原発災害にどう備えているのか?


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 2011年の東日本大震災、2016年の熊本地震。あいつぐ火山の噴火。日本は地震と火山活動の「活動期」に入ったと思われます。
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 現在日本には、福島第1原子力発電所の破壊された6基を含めますと54基の原子力発電所があります。大地震と火山活動が頻発する日本。原発が地震列島・日本に存在していて大丈夫なんでしょうか?

 グリーン市民ネットワーク高知と言う市民団体が、高知市に対して「原発事故にどう備えているのか」という問い合わせをしていたようです。それに対して高知市災害対策部防災政策課より回答があったようです。
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「高知市には原発事故の被害想定がないので、条例・規則に明文化していない。」

 というのが主たる回答ですね。

愛媛県伊方町に伊方原子力発電所があります。3号機が稼働しています。3号機はプルトニウムを再処理した燃料を燃やして発電しています。より危険性の高い燃料で稼動しています。
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 また伊方原子力発電所に近くには活断層もあるようです。1000年に1度動くと言う日本最大の活断層・中央構造線のまじかに立地しています。

 隣県のこととはいえ万が1伊方原発が爆発した場合、北西の強風に乗って高知県にも放射性物質が飛散してきます。県民市民の安全確保をどうするのか?「想定外にしない」事前対策が必要です。

 行政の仕事は「出たとこ勝負」ではありません。事前対策が重要です。原発事故を「想定外」にしない対策が必要ですね。

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2017.04.12

父は歯医者へ行きました。

 2017年4月10日(月曜)の昼食時に父(97歳)の歯の詰め物が外れてしましました。それで歯科医院を13日(水曜)に歯科医院を予約しました。その前日に主治医の植田一穂先生と相談し、父の腎機能に負担をかけない抗生物質をあらかじめ出していただきました。
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 歯の治療は結構ストレスがかかります。また歯科医院の痛みどめ、化膿止めの薬は、父のように慢性腎不全患者の腎機能に大きな負荷をかけるタイプの薬もあるようです。負荷をかけない薬をあらかじめ父は飲み、歯医者へ行きました。当然歯科医院にも父の薬手帳を見せました。
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 堀川の満開を過ぎた桜並木を通過して嶋本歯科医院へ行きました。診療室は2階ですが父は元気に階段を登りました。やはりバリヤ・アリーの階段生活をしていますから慣れています。

 ほどなく名前を呼ばれ診察室へ入りました。

「取れた歯ですが、基礎となる歯も虫歯ですので、うまく接着はできません。周囲の虫歯を除去し、セメントで穴を埋める形にします。それで今日の所は歯垢を除去し、歯磨きもして、表面にフッ素を塗ります。フッ素を塗りますと虫歯予防にもなります。子供にも使用している薬剤で無害です。呑みこんでも大丈夫です。」とのことでした。
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 30分ほどの治療でしたが父は我慢していました。それで「応急処置」の治療は今日で終了しました。97歳にして殆ど自分の歯があることは実は大変なことのようです。自分の歯で、自分の口で食べ物を食べられるから父は健康でもありますから。

 観察していて歯の治療と言うのは土木工事に似ています。小さな削岩機でや電動サンダーで悪い部位を除去し、虫歯予防の薬剤を塗ります。(ラストボンドSGのような患部に浸透して行きます。)。穴はセメント(ニ液混合型エポキシ樹脂)を塗ります。(カーボガード988。ニ液混合型エポキシパテ)を詰めます。

 歯垢を落とし、歯磨きをしたあとは、人体に無害なフッ素を歯に塗ります。フッ素樹脂塗料は耐候性に優れていますので上塗り塗装します。
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 何はともあれ、父の歯の治療が無事に終わって良かったです。私も右下奥の歯茎が炎症を起こしていますので、金曜日の夕方歯医者へ行く予定です。

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沿岸部国道55号線での津波表示

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 高知県香南市夜須の「道の駅やす」に「津波が発生!その時あなたは?」というチラシが置かれていました。発行元は国土交通省四国地方整備局土佐国道事務所です。

 チラシによりますと高知県香南市から東洋町までの国道55号線においては約4割(屋約43㎞)が「到達浸水予想区間」になっています。南海トラフ地震では、地震発生後約4分から13分で津波は到達します。

 「道路で確認できる津波関連情報」があります。
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「国土交通省では、津波発生時にすぐに避難できるように、津波による浸水予想区間に置いて、「津波注意標識」や。「津波避難標識」を国道55号線に設置しています。
 大きな揺れを感じた場合は、これらの標識に注意して、すぐに避難するよう心がけてください。」

 高知市内でも関係があります。高知市内には海抜0メートルから2M以下の地域に12万人が居住し、国道32号線や国道56号線、55号線などの幹線道路もあります。
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(高知市二葉町の国道56号線 海抜5M表示。このあたりは海抜0メートル)

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(高知市中宝永町の国道32号線の 海抜5M表示。こちらも海抜0メートル)

 市街地にも「海抜表示」があります。とくに0メートル地域では「海抜5M表示」があります。こちらの場合は強い揺れを感じましたら、すぐに5M以上の高さの丈夫な津波雛ビルへ退避してください。

 「津波避難場所」や、「津波避難ビル」の位置は常に走行時や、歩行時にも確認しておいてください。

 関連情報 「国道の海抜表示を普段から意識しましょう。」

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-af33.html

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2017.04.11

「南海トラフ地震に備えちょき」の全戸配布

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 高知県危機管理部南海トラフ地震対策課が制作した「生き抜くために 南海地震に備えちょき 家庭保存版」(平成29年3月改定版)」「が、高知市防災対策部防災政策課より送付されてきました。おそらく高知県下の全世帯に送付されたと思います。
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 今までも「南海トラフ地震に備えちょき」は何度か配布されていました。基本的な地震対策、事前対策が記述されています。今回はより内容が充実し、「情報の整理」「事前対策チェックリスト」や「被災後の生活支援の窓口や支援制度」についても書いてあります。
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 じっくり精読し、保存をしておけば、いざという時に役立ちます。「長期浸水」の記述や、「想定される被害と対策による減災効果」も記述されてはいます。現在の想定死者数が13000人。将来住宅の耐震化率を100%にし、津波早期避難率を100%、津波避難空間整備率を100%にすれば死者数は1800人になるとか。

 詳細に見ましたが、未だに「どこのドライエリアの避難所に町内単位で移動できるのか?」「広域避難体制は構築されているのか。」については未だに記述がありません。生活再建のロードマップも示されてはいません。
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 P58にようやく高知市下知地区で取り組んでいる「地区防災計画」は少しだけ掲載されました。これも高知市地域防災推進課の尽力です。「南海トラフ地震で高知県内の死者bを0にし、被害を低減化する」ことに関しては、完成度は30%程度です。
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2017.04.10

父は元気ですが貧血が心配です

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 2017年4月10日は父(97歳)は植田医院の診察日と点滴の日です。毎週月曜・水曜金曜の午前中は通院しています。今日は予想どうり雨となりました。堀川べりの満開の桜並木も見納めなので、回り道をして植田医院へ行きました。

「クレアチリン値や、カリウム。尿素窒素は上等です。ただ1つヘモグロビン値は9で低いです。(10以上が正常値)。鉄分補給の薬を1粒出します。夕食後に服用してください。」と植田一穂先生。

 食欲もあり父は元気です。今日は午後から介護予防通所リハビリの日です。父は月曜、火曜、木曜、土曜と通所し、身体機能をなんとか維持しています。

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堀川の桜も今日で見納め


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 多くの人達が既に堀川の桜については投稿されています。「出遅れ」ましたが、九州西の低気圧が前線を伴い発達しながら東進してきます。午後から高知は雨模様。満開の桜も見納めです。
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 もともとは堀川沿いの農人町は船着き場であり、高知市のウォーターフロントとして海運が盛んな時代は繁栄していました。
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 船舶相手の船具店が多く立地していて、海運会社の事務所もありました。かつて映画館だった建物(今は倉庫)もあります。
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 昭和21年の南海地震で堀川の水深が浅くなり大きな船が着岸できなくなりました。街が寂れるのを心配した農人町と九反田の町内会が桜を岸辺に植えたのが60年前と聞いています。役所が植えたのではありません。
 当時の町内会の皆さんのおかげで、高知市民は水辺の桜並木を楽しむことができます。
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 また堀川の浮桟橋。浮体式ですが、この人工地盤の原理で下知地区の「安心・安全」に繋がらないか。検討しています。
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「いかけしごむ」を観賞しました。


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 2017年4月7日は、午後8時から高知市のシアターTAcoguraにて演劇「いか消しゴム」(別役実・作、藤岡武洋・演出)を家内と2人で観賞しました。シアターTAcoguraにて演劇を見たのは「民衆の敵」(イプセン原作・藤岡武洋・演出)以来でした。

 女性1人と男性2人、合計3人しか登場しません。場面も変わらず、ひたすら一組の男女の掛け合いが果てしなく続くようでした。重苦しい、いらいらする展開でした。
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 世の中一体何が正しくて、何が間違っているのか。話の展開で逆転が相次ぎ、そうなんだなと思いました。「不条理劇」というらしいのですが、演出の藤岡さんが言われるように「ナンセンス!!」と笑い飛ばせないものを感じました。
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 最近は文化的な行事に参加することもなく、休日は海に浮かぶ体育会系親父になってしまっています。家内と2人で行きました。遠い昔、下北沢や新宿で何回か家内と一緒に演劇を見たことを思いだしました。(何を観賞したのか忘れましたが)

 演技に引き込まれ、それが現実だと思い込んでいると、それは虚構であったというどんでん返しもあります。お手軽に非日常の世界を体験させていただきました。

 仕込み作業などは大変であっあったと思います。藤岡さん、坂下さんありがとうございました。中岡寛典さんには会場でお会いしました。

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2017.04.09

4月9日の夜須の海

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 明日から実質新年度で地域活動もせわしくなります。充電するために夜須の海へ出掛けました。お天気であるとの予報でしたが高速を降り高知空港あたりは雨。夜須のハーバーへ到着したら小雨が降っています。

 30分ぐらい事務局で時間待ちをしていますと雨が降りやましましたので、。ぎ装(ヨットの組み立て作業)を慎重にしました。強風仕様にしました。雨が降っている時は風がなかったのに、お天気になると早速風が強くなりました.。
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雨上がりのお天気は海は強風になるので、下手くそな老人は海へ出るのか思案しました。強風対策を入念にしました。無理なら出ません。今日の夜須の海は風が強く吹くと、波も波打ち際で高くなります。しかも出艇時は干潮になっていました。
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 出艇しますと6Mから8M位の風です。突風は10Mを超え白波が立ちだしました。操船が忙しいので今日は海上の写真はありません。強風になりましたが、ずるい年寄りは風を逃がしながら帆走しました。

 ハイクアウトしないとヒールをつぶせませんので結構な運動量でした。沖へ行くと案外b波はありませんので、帆走しやすい条件でした。今日はフリート・レースとやらで10艇のヨットが出艇して行きました。

 帆走を楽しんでいましたが、お腹が空きましたので、着艇することに。しかし干潮の真っ最中でした。スロープの前が浅くなっているので、東の海面から迂回して着艇をめざしました。

 ところが岸が近くなると波が高いので、思うように近づけません。これは降りて艇を引っ張ったらましと思い、降りて艇を引っ張りながらスロープ方向へ移動しました。

 突然大波が来て、あっという間に艇は横転しました。センターボードをぬいていますので、マストを持ち上げ艇を起こしました。すぐに起きました。また引っ張ります。今度は強風でセールが煽られ、裏風が入りまたまた横転しました、すぐに起こさないとマストが折れる(砂浜へ突き刺さるとアウト)ので起こしました。

 3回程度トライしましたが、移動は無理と判断。スロープの隣の浜へ着艇することにしました。何とか着艇しましたが、後ろから波を被り、艇は水浸しに。重い事、砂浜にアンカーを打ち、トレーラーを持って来て移動させようとしましたが、重くてびくともしません。

 水をかきだして、ようやく艇をトレーラーに載せハーバーへ引き上げました。強風でレースをリタイヤした艇が2艇上がって来ました。そのサポートをしました。

 ようやくハーバーへ上がりますと、メンバーでELTの外国人講師の人達がぎ装で苦労されています。お手伝いしました。英語は話せませんが、ヨットの用語はすべて英語なので理解してくれました。そして出艇のお手伝いをしました。

 クラブのベランダで昼食を食べました。午後もやろうとぎ装しました。そしたら強風でセールが破れました。急遽ビニールテープで補修しました。そして1人で出ようとしますと、強風と高波で出られません。またまた波打ち際で」横転しました。3回トライしましたが、諦めました。
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 今日は2時間程度の海の散帆でしたが、波打ち際で高波による横転と沈起こしを繰り返しましたので、結構な運動量になりました。強風での帆走も楽しみましたので、頭はシャックルされました。


山本宏幸さんとおっさん2ショットです

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 久しぶりの「おっさん2ショット」です。3月はお互い多忙でタイミングがあいませんでした。晴天になりましたので、屋外のヤッシー・パークのソテツ前で自撮りで撮影しました。

 今まではインドアでしたが、今後はアウトドアでのおっさん2しょっとになります。ブランクがありましたので、表情は硬いですね。

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「親日派のための弁明」を読んで

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 「親日派のための弁明」(金 完燮・キムワンソプ・著・荒木和博・荒木信子・翻訳。草思社・2002年刊]を読みました。現在韓国では反日運動が高まり、大使館前や総領事館前の「慰安婦像」は撤去されず、5月実施の大統領選挙でも、野党の反日発言を繰り返す候補者が有力とか。

 かくも執拗に韓国社会は「反日」なのか?大戦前日本が統治した台湾ではむしろ親日的な人が多い。韓国では反日一色。何故なのかが正直わかりませんでした。

 筆者の金 完燮氏自身は、当初は反日観を強く持っていて日本に対して他の韓国人同様に憎悪を持っていたそうです。その対日観に変化を生じたのは、2年間のオーストラリアでの生活でした。同じように開発途上国として出発した韓国とオーストラリア。埋めがたい差は何か?

「オーストラリアと韓国を比較してみたとき、開発途上国として出発した国は一世代や二世代ぐらいの産業発展では、とうてい先進国になれないという事実を痛感しました。オーストリアと韓国にはそれほど大きな差があったのです。

 私は海外旅行を通して、国際社会における韓国と日本の位置をより客観的に認識できるようになり、朝鮮の開国期と日本統治について、一方的に歪曲された歴史認識から徐々に抜け出し、バランスのとれた認識がもてるようになったのだと思います。(P2 日本語版の序文)

 また金 完燮氏は、高校生時代に光州で命がけで武装闘争をした人物です。時の軍事独裁政権と対峙した人です。その後名門ソウル大学へ入学し、幅広い学問をされ、卒業後は雑誌記者を経て、作家、評論家になりました。

 20世紀初頭の日本と朝鮮との関わり、当時の日本の評価を客観的な視点からしています。

 「王と貴族による専制的な階級社会から抜け出し、法が支配する市民社会へと移行することは、朝鮮や日本だけでなく、世界のすべての国家にとってもっとも緊急の課題だった。」

「19世紀末、市民革命の潮流の中で変化を拒否した清国、ロシア、朝鮮の王朝が順に滅亡し、遅まきながら市民革命に成功したドイツと日本が国際社会の主役として堂々と参加できたという事実を見ればそれは容易に証明できる。

 すなわち19世紀末の朝鮮において体制をひっくり返す革命は、選択の問題ではなく生存の問題であった。」

「・・・この時期、朝鮮を経由して大陸に進出しなければならない日本の利害と、市民革命を通じて文明開化を成し遂げなければならない朝鮮の利害はかなりの部分で一致していた。

・・・当時の日本は国運をかけて朝鮮の独立と改革を推進し煽ろうとした。この時期に朝鮮の改革派はこぞって親日路線を選択したが、これは日本だけが唯一朝鮮の改革を後押しする勢力だったからだ。(P145「第2部相生の歴史」

 このあたりの記述は大変韓国では「勇気のある」発言ではないかと思いました。

「一世代や二世代ぐらいの産業発展では、とういて先進国になれない」という発見が「日本統治がなければ、李氏朝鮮の専制体制のままで、自力で近代化するなど到底できなかったのではないか」という問題意識に発展したのだろう。その一方では、アジアで唯一、近代化に成功した日本があった。

 歳月が流れ、最近「パール・ハーバー」という映画をみながら、私は日本軍を応援している自分を発見した。60年も前に大規模な空母艦隊を率い、地球の反対側まで出征して、アメリカの太平洋艦隊を叩きつぶした日本という国の偉大さに、私は感動し驚きを覚えた。(P19 ショービニズムの狂風のなかで)


「自らが中世いらいの専制政治に依存していた清国やロシアは、決して朝鮮の改革と近代化を望まなかったし、朝鮮の反動勢力を利用して朝鮮半島に対する支配権を維持することに血眼になっていた。」

「これにたいして、朝鮮と似た境遇にあり、すみやかに発展したがゆえに生き残ることができた日本は、朝鮮が一日も早く改革し近代国家へと移行して市場経済体制が定着することを望んだ。だからこそ日本は機会あるごとに、朝鮮の革命勢力を後援したのだった。かれらは自国の利益のためにも旧弊な腐りきった朝鮮王朝と手を結ぼうとはしなかった。これが日本と他の外国勢力との根本的なちがいであった。(P160・第2部相生の歴史)

 まるで日本の「右翼」の記述のようですが、さにあらず、高校生時代に独裁政権と戦った革命戦士の記述ですから。

 自国民を無慈悲に抑圧し、奴隷のような状態に据え置き、自らの権力維持のために清国と手を組み、時にロシアと手をくんで、朝鮮を近代化しようと言う自国民の声を李王朝は全く聞きませんでしたから。愚かでした。

 まるで日本軍が「革命軍」のように描かれています。

 二次大戦後の日本も似たようなところがあり、社会の民主化は、米国占領軍・GHQによるところが大きかったと言えます。農地解放、婦人参政権、労働運動の自由化、日本国憲法の制定による、社会の民主化の推進は、占領軍のおかげです。悪法の治安維持法も廃止しました。

 変化を嫌う頑迷な連中が政府を支配すると国民が塗炭の苦しみを味わうことは戦前15年戦争を繰り返した日本帝国と、20世紀初頭の朝鮮国も同じでした。外圧と外国の軍隊が、民主化と近代化を促進したことは共通しています。

 また筆者は世界史的な観点から、朝鮮の近代化は当時は自力では到底ないせなかったと説明しています。

「封建社会の伝統をもつヨーロッパと日本は順調に資本主義社会に移行し、産業革命と急速な生産力の発展を経験した。この過程で新しい生産構造にあう政治社会構造が導入され、近代社会が誕生することになった。

 しかし奴隷社会から封建社会へ発展することさえできなかったその他の世界では、自主的な資本主義が育たず、資本主義帝国の植民地に編入され、さまざまな形態のひずんだ社会発展を経験した。

 マルクスはこのような第3世界の停滞性を「アジア的生産様式」という概念を用いて説明しようとしたが、その原因を明確に説明することはできていない。じっさいマルクスの時代には、第3世界の停滞性という概念さえ存在しなかったのだから、問題意識も生まれないのだ。

 封建社会を経験できなかった台湾と朝鮮もその他の世界に属していたが、これらの地域は日本の統治によって市民革命をなしとげて近代資本主義社会に発展できた。

 日本の知識人は早くから朝鮮と日本は発展段階において大きな格差があることを認識し、みずから朝鮮の文明開化を先導する産婆役を買って出たのだ。」(P85 夜明けのアジア)

 まさしく「朝鮮の近代化は日韓併合から始まった。」のであります。中国の近代化はアヘン戦争からと同じく、外国の影響がありました。日本統治を筆者は客観的に見据えています。

 日本統治には「良い面もあった」という論の前提には、日韓併合を悪とする考え方があるが、金完燮氏はそもそも合邦自体が悪とは全く考えていません。むしろ「よりましな(ロシアや清国の支配下になるより)選択をしたと言いきっています。                                                           (中略)

 朝鮮人にとって、併合と総督府統治はおおむね広範囲な支持を受けたと考えられる。ポツリポツリと抵抗運動が発生したり、海外で独立運動する人びともいることはいたが、彼らが朝鮮社会の主流とはいえない。当時の朝鮮人は自らのアイデンティティーを、大日本帝国の臣民と規定して満足な生活を営んだと思われる。(P286 )

 司馬遼太郎氏がかつて言われたように、日本の朝鮮と台湾の植民地統治は、欧米諸国のように資源を奪い去り、自国の市場にするだけで、近代化投資はまるでしない収奪だけではなく、逆に地籍調査を行い、農地改革をし、学校を建設し、社会資本を整備し、両国の近代化の基礎をつくりました。

 今の韓国人の多くがヒステリックに叫んでいるように、「日本帝国が植民地支配で韓国から資源を収奪し尽した。」と言う訳ではありません。それは大正時代に経済雄評論家の石橋湛山氏が「朝鮮、台湾の植民地経営の収支は赤字。投資に見合う見返りは乏しい。独立させるべきだ。両国民に感謝されて、交流と交易で経済を発展させるべき。」と「小日本主義」で書いています。

 韓国は朴・クネ前大統領が逮捕・拘留され、来月にも次期大統領が決定します。有力候補は、誤った歴史観を有し、反日をわめきたてる野党の大統領候補が当選しそうです。

 それは日韓両国民には、良い事ではありません。

 2002年に「親日家のための弁明」は、韓国でも発刊されましたが、事実上発禁処分を受け、筆者は様々な妨害や脅迫を受け続けています。しかし筆者が海外体験を経て、独自の世界観を確立し、日韓の歴史を考察し、著作したのが本書です。

 自説を曲げずに堂々としている精神は、高校生時代に軍事政権に対抗し、全羅南道庁舎に立てこもった骨太の精神の持主であると思います。

 朝鮮の植民地支配が全面的に良かったとは私は思いません。父(97歳)も旧制の工業高校を卒業し、朝鮮総督府の鉄道技師としてソウルに勤務していたとか。

 待遇は良く、一軒家が社宅としてあてがわれ、朝鮮人の給仕もいたそうです。普段はかしづいていましたが、父が体調不良になりますと、呼んでも出てこなかったそうです。やはり日本人への反感はあったんでしょう。当時も。

 石橋湛山が主張するように、独立国を促し、友好国として経済発展していただいた方が、両国にとって良かったと思います。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-4775.html

(石橋湛山評論集を読んで(その1)

 「日本憎し」の感情だけで、慰安婦像を日本大使館や領事館前に建てたり、外国でも立てたり、やることなすことが理解できません。彼等は「植民地支配を謝罪しろ」と言いたてていますが、朝鮮近代化の産婆は日本であるという歴史の真実を見ようとしない愚か者たちです。

 慰安婦像の前で騒いでいる韓国の青少年たちは、金 完燮氏の著作「親日派のための弁明」を落ち着いて精読されることをお薦めします。

 なかなか韓国にもしっかりした骨太の社会思想家がおられることは、よろこばしいことと思いました。一読をお薦めします。

 

 

 

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2017.04.08

霧の中の父のゴルフ・リハビリ


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 今朝は朝から生暖かいです。父(97歳)のゴルフ・リハビリに付き添いました。大橋通りラビータの温度表示は往路は18度、復路は19度でした。朝から高知でへ珍しく霧が出ていました。ゴルフ練習場へ着いて、打席後方から見ても、視界は100M以下になっていました。
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 いつものように自己流の体操をして、経口補水液(OS-1)で水分補給しながら父は球を打ちました。急に暖かくなったので調子があまり良くないようです。途中トイレに行きたいと言いましたので付き添いました。結構距離が遠い。高齢者はトイレが近いので、近くにあればいいんですが・・。
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 高湿度で機械まで調子が狂ったのか、父の打席がボールが出なくなりました。係員の人が来られ修繕してもまた出ない。今日は3回も修繕しました。そんなことでロスタイムがたくさんありました。
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 帰り際に堀川べりの桜並木を通過しました。満開です。しかし雨模様です。今日は高湿度の1日ですね。
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清明と沖縄のお墓


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 4月4日が「清明」だったようですね。沖縄では親類が一族のお墓の前へあつまり、食事をしたりして、ご先祖を供養します。

 今年は沖縄の義父が亡くなってから30年、義母が亡くなってから20年になります。もう10年も沖縄へ行っていないので不義理をしています。お父さん、お母さん申し訳ありません。

 家内と結婚した年に沖縄へ行ったときには、義父が私を一族の墓(写真)へ連れて行ってくれました。家は平屋の古家でしたが、お墓は70坪もあり立派でした。
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「沖縄では男はまずお墓をつくる。それから家をつくる。先祖供養がなにより大事です。」と義父は話してくれました。9年前にわたしもいの町にお墓をつくりました。僅か1・5坪のお墓です。こしらえてから1週間後に父が脳血管障害で倒れましたが、救急搬送され命は救われ、。今(97歳)で元気に生活しています。生前にお墓をこしらえる効用があったのでしょう。

 先祖供養をしていないので、今年はなんとか沖縄のご両親のお墓参りに行きたいものです。

 ところで、安倍政権の強引な手法での米軍基地建設が沖縄で進められています。従来の米軍基地は敗戦直後に強引に米軍により接収されつくられたもの。他ならぬ日本政府が強引にこしらえているのが辺野古への基地建設です。観光が主要産業になっている沖縄では、基地建設は大きな痛手になります。
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 沖縄の「民意」を無視して強引に辺野古に米軍基地を建設する必要はありません。沖縄の自然と人間を冒涜することになります。

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2017.04.07

母とはりまや橋商店街サロンへ行きました。


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 2017年4月7日ですが午後1時20分過ぎにはりまや橋商店街へ行きました。商店街近くのコインパーキングですが、雨であることと、3カ所ありますが1か所が工事中で閉鎖中。それではりまや橋地下駐車場へ車を駐車しました。久しぶりに行きました。
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 いつものコロッケ屋さんで夕飯用に肉じゃがコロッケを買いました。谷ひろ子さん所のお店で焼き菓子とチョコケーキを買いました。うっかり写真撮影をしませんでした。

 パン屋さんでも母はクッキーを買いました。
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 松田雅子さんが、「文旦好きがこうじて」(アトリエよくばりリス・2012年4月刊)を出版されました。販売もなさっていましたので、1冊購入させていただきました。
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 谷ひろこさんが「文旦DEシュー」をこしらえていました。書籍購入者には頂けると言う事でした。美味しくいただきました。

 今日の活き活き100歳体操は、雨にもかかわらず15人の参加者がいました。
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 戻ってから父(97歳)と合流し、横田胃腸科内科へいきました。横田哲夫先生の問診を受けましたが、特に医学的な所見はないということです。調剤薬局で薬をいただいて帰りました。

「文旦好きがこうじて」の書籍を購入しました。

 雨の中母とはりまや橋商店街へ行きました。松田雅子さんにお会いしました。文旦の皮むきを時折されておられます。無類の文旦好きがこうじて、このたび出版されました。

 土佐文旦の栽培の事、販売の事、料理やスイーツなどを取材され、写真入りで紹介されておられます。なかなかユニークな書籍でしたので1冊購入しました。

 そしたら谷ひろ子さんのお店で「文旦DEシュー」というお菓子をいただきました。美味しくいただきました。

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雨の中 父の通院と堀川の桜並木


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 今週は水曜日から雨ですね。午前中は父(97歳)の付添で植田医院へ診察と点滴と注射(腎性貧血防止)に行きました。月曜・水曜・金曜と毎週植田医院へ行っています。今週は暖かくなったのか、点滴もすんなり腕に針が入りました。
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 帰り際に九反田と農人町の堀川の桜並木を車で通過しました。ようやく8分咲きのようです。見ごろ(満開)は月曜頃ですが、生憎の雨の予報がでています。
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 記録を調べていますと、2013年(4年前)は、3月25日に堀川の桜は満開になっていました。当時芝藤敏彦さんのご好意で、自作の和船に乗せていただき、川から両岸の桜見物しましたね。今年は特に開花が遅いことがわかりますね。
 
 http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-4ba8.html

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 2013年は3月25日に堀川の桜は満開でした。当時は高知城の桜は3月20日に開花し全国で1番でしたから。その当時より2週間も遅くなってますね。

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二葉町町内会の現状と課題

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 高知市役所の調査によりますと、2017年(平成29年)1月現在、高知市二葉町の人口は711人。世帯数は431です。65歳以上の人口は261人で37%。下知地区の中でも最も高齢化率が高くなっています。

 2017年4月現在二葉町町内会へ参加している世帯数は265世帯です。平均世帯人数が2.16人ですので、二葉町町内会が把握している人数は572人ということになります。
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 2014年(平成26年)に二葉町では、二葉町自主防災会により、「二葉町防災世帯調査」を実施しました。その時点で、調査に協力していただいた世帯数は223、人数は486人でした。」。

 高知市の調査では2010年時点での二葉町の人口は843人で、世帯数は458世帯でした。人口で132人、世帯数では27減少しています。
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 中心市街地へも近く、高知駅、高知インター、高知空港も近くにあり、国道56号線に隣接した立地条件ですが、人口減少になっています。

 14歳以下の人数は54人で8%の構成であり、「少子高齢化」の地域です。

 それでも2017年4月2日の二葉町町内会のお花見・交流会には100人の町民が参加していました。55年の伝統があるといいますので、地域コミュニティとしては頑張ってはいます。
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 二葉町自主防災会も、町内会の地域コミュニティ力、住民力のお蔭で比較的に活発に、先進的な活動も可能であったと言う事です。それを抑えておかないといけないのです。

 南海トラフ地震が起きれば現状では、2階建て以下の古い木造住宅(昭和56年以前の建物)や、80歳以上の要支援者を中心に、家屋の倒壊や浸水による溺死で100人以上の町民が、何の対策もしていなければ、二葉町で亡くなる可能性があります。

 「1人の犠牲者を出さない」活動を防災会としては、継続していかないといけないと思います。

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2017.04.06

98回目の献血に行きました。

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 2017年4月5日ですが、2017年最初の献血に、献血ルーム・ハートピアやまももに行きました。私はA型の血液型ですが、日本人(アジア人)には珍しいRHマイナス型なので、健康な限りは、唯一の小さな社会貢献として献血をしてきました。

 医師の問診も血液検査もOKでしたので、98回目の献血をしました。担当の看護士さんに写真を撮影していただきました。順調に行けば、今年はあと2回400MLの献血が出来ますので、100回目の献血にようやくなりますね。
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 昨年大学時代のサークルの学友に会いました。悪性腫瘍のキャリアや生活習慣病系、臓器の不調などの学友が多く、献血できるのはなんと私だけでした。たくさん皆薬を飲んでいましたね。
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 わたしは何のとりえもない小市民ですが、なんとか献血可能な70歳までは健康体を維持し、献血できるように精進したいと思います。帰り際に鉄人・マラソンマンの村場伸也さんにお会いしました。成分献血に来られたとか。わたしは最近は400MLばかりです。
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2017.04.05

今度は地域住民が頑張りますよ

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 高知市地域防災推進課の職員山本美咲さんが、4月の人事異動で、県庁への派遣となりました。入庁以来防災行政一筋の山本美咲さん。高知市内の自主防災会の面々は配転を皆悲しんでいます。本当によく頑張っていただきました。

 大きな組織体は配転は仕方がありません。後任者によく引き継ぎされてください。一方地域のほうは原則「配転」はありません。今度は地域住民の私たちが頑張らないといけないですね。

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2017.04.04

雛人形を回収してきました。


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 お天気は明日までしか持たないようです。しかも明日は何かと忙しい。それで思い立って今日の夕方に香南市夜須のヤッシー・パークへ行き、うちの雛人形を回収してきました。
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 1月に持って行きました。道の駅やすの女性スタッフの皆様が慈しんで丁寧に段も組み立て、飾っていただきました。普段は狭いうちの納戸に置かれている雛人形。広い展示スペースでのびのびさせていただきました。そして丁寧に収納していただきました。ありがとうございました。
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 山本宏幸さんとのおっさん2ショットや、3月10日には「プロギア・レディス」を父(97歳)と見学に来て一緒に雛人形と撮影したこともありました。
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 夜須から戻ってきて,3階と4階の納戸に箱に入れた雛人形を押し込みました。また来年の1月末に夜須へ持っていくことにします。

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新年度のスタートを感じますね。


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 サッカーのJリーグもプロ野球も、四国アイランド・リーグも次々と開幕しました。桜も開花し、新年度のスタートになりました。大学も入学式がされているようですね。

 気持ちがリセットする季節ではありますが、そのあたりは「出遅れ」気味ですね。「積み残し」課題がたくさんあるからですね。気をとりなして稼動しようと思います。

天気図を見ますと今日は安定した晴天。でも明日までの予報。明後日からは雨模様です。お天気の間に雛人形もヤッシーへ行って回収しに行かないといけない。明日当たり行こうと思います。

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2017.04.03

小市民として地域防災活動は継続します

 2017年の3月は多忙でした。地域活動や打ち合わせが14回もあり、正直ほとほと疲れています。また週末に天気時には地域活動があり、趣味である海の散帆ができる状態になれば、悪天候で出艇できず、なかなか、精神的なストレスが解消できません。

 昨日も背中のねじれが起き、ちょっとしたことで腹筋が攣り、また左目が疲れでおかしくなりました。下手すると眼精疲労から目の炎症が起きる可能性もあります。
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 それで週末の休日ははなんとか天気が回復して、海の散帆が出来れば幸いです。私にとって海の散帆はスポーツではありません。精神的な癒しなのです。

 ディンギーの場合、他のスポーツのように、現地へ駆けつけて準備体操すればすぐにプレーができるようなものではありません。ぎ装と言いまして帆をマストに差し込んだり、ロープで固定したりする作業が必要です。着替える時間を含めて1時間ぐらいかかります。片付けにも同様の時間がかかります。

 でもその時間は至福の時間でもあります。リズムを陸のリズムから海のリズムに変換する大事な工程です。風はどうなのか?波は出ているのか?と局地的な気象を懸命に読みます。それでぎ装のやり方も変更する場合があるからです。

 自然相手の遊びだけ自分の都合でどうなるものではありません。出来ればOKだし、駄目でも納得します。それが自然相手の遊びなんです。

 海へ出れば浮かんでいるだけ。潮風の香りや、海の波動を感じ、太陽からエネルギーを頂いて元気になります。

 つらつら考えました。10年やって地元で広がりがないから二葉町自主防災会を辞めようと思いました。でも両親が介護状態になってから、それしか地域活動をしていません。今は両親も元気であるし、自分が活動している時は、家内に留守番を頼んでいます。3年後もできるのかと言われたら、自信がありません。両親は超高齢者(父97歳・母91歳)だからです。
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(2017年3月2日。JICA研修生の皆様との交流会)

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(第8回地区防災計画意見交換会。2017年3月9日)

 リクエストがあるのも社会の要請だろうし、周りの町内会の人達が動かないのも私の力不足であるし、それは「地域の選択」ですので仕方がありません。

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(地域コミュニティ推進課主催の「市民条例見守り委員会」。2017年3月13日)

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(二葉町自主防災会 役員・リーダー会 2017年3月16日)

 今の時点で想定どうり南海トラフ地震が起きれば、800人の町民のうち100人は亡くなることでしょう。木造2階建て以下の住民は、近くの防災会が指定した津波一時退避場所のビルに素早く地震発生後5分以内に駆け上がらないと助かりません。

 それを今後も呼びかけ、1人でも率先避難者を増やしていく活動を続けます。所詮は呼びかけしか出来ません。小市民としてやり続けることをすることにしました。やれる状態なら、やれる状態の人が呼びかけを続けるしかありません。

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2017.04.02

二葉町町内会・大懇親会・片付け・二次会


 雨模様になりましたので。超高齢綾の両親を車で連れ帰りました。2階まで上げて着替えさせました。一段落して二葉町町内会宴会場へ行きました。

 大半の町民は帰ったようですが、踊りを皆が踊っています。私はその時点で缶ビールを1本貰いました。
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 その後手分けしてブルーシートを広げ拭き取り作業をして青柳公園内の二葉町町内会の防災倉庫へ収納しました。
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 下知コミュニティ・センターから延長コード等を借用していました。戻しました。ブルーシートは二葉町町内会の運営です。

 雨にはたたられました。宴会が始まって1時間後に、天気予報どうりに雨が降り出しまら。皆で後片付けしました皆頑張りました。

 今日の懇親会で反省すべき点があるとすれば、「全天候型の対応」をすべきでした。下知コミュニティ・センターから組み立て式テントを借用すべきでした。それとLPガス発電機。カラオケ・セットもOK出し、テレビも見ることができます。
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 二次会は余ったお酒と弁当を西森酒店さんへ持って行きそこで宴会。わたしにしては「こじゃんと」(大変多く)飲まされました。ビール4本と、酎ハイ1本と日本酒1本でした。大酔いでなんとか帰りました。
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二葉町町内会・お花見・大懇親会

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 二葉町町内会の恒例の「大懇親会」は55年の伝統があるとか。お弁当をこしらえた森二葉町自主防災会会長に聞きますと110個こしらえたそうです。朝は3時からの作業だったそうです。
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 坂本茂雄県議や、高木妙市議や、高知市地域防災推進課の山中係長、山本、中山課員も駆けつけていただきました。
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 宴会は和気あいあいでした。
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 途中に急に雨模様になりましたので。超高齢綾の両親を車で連れ帰りました。2階まで上げて着替えさせました。一段落して二葉町町内会宴会場へ行きました。
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父はゴルフ・リハビリに行きました。


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 今朝は絶好の晴天。二葉町町内会は青柳公園でのお花見・大懇親会(100人が参加予定)の開催予定です・午前11時がスタートなので、その前に父(97歳)のゴルフ・リハビリに行きました。

 いつものように自己流の体操をして、水分補給はOS-1でしました。自分のペーズでゆっくり休みながら125発打ちました。しんどくないそうです。
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 これから母と一緒に青柳公園のお花見・大懇親会へ車で連れて行きます。当然私はノン・アルコールです。

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「文書の書き方」を読んで

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「文書の書き方」(辰濃和男・著・岩波新書・1994年刊)を読みました。筆者は朝日新聞記者。1975年~1988年にかけて朝日新聞の1面のコラム「天声人語」を執筆されていたそうです。

 一応私も毎日日にち文章を書く仕事しています。メールで全国各地から錆対策に関する質問が来ます。私が解決できる防錆塗装のことを平易な文章で記述する毎日です。たまに感謝され、注文もいただくことがあります。参考になればと書籍を古本屋(ブック・オフ)で購入し読みました。

「異質のものに出あうには、たとえば雑談があります。違う分野の人と雑談をしているうちにひらめくものがあることを、みなさんも日常の暮らしで経験しているはずです。

 アメリカのある研究所では、所内のレストランの大テーブルにメモ用紙を入れた箱を置いてそうです。食事をしながら、専門を異にする人々が雑談をする。話をしながらひらめいたことがあれば、そのメモ用紙を利用する、というわけです。

 異なる分野の人とのとりとめもない雑談がいかに大切か、ということの1つの例です。」

 「雑踏も大切です。都会の雑踏にはさまざまな色があり、音があり、においがある。昔の朝日新聞社の社屋があった数寄屋橋には、街頭募金もあれば、右翼の演説もありました。流行の衣装がゆく。ソニービル前の装飾が季節を告げる。そういう雑踏を呼吸することが時代感覚を刺激します。

 「雑」と言うと、「雑兵」(ぞうひょう)、雑音、粗雑といった言葉を思い出しますが、一方では、雑記帳、雑木林、雑誌、雑炊(ぞうすい)などの言葉もあります。人が暮らしてゆくうえで、「雑」という文字を切り捨てるわけにはいきません。

 雑多な現実に出会えるのが現場です。」(P30 現場―見て、見て、見る)

 SNSというソーシャル・メディア(フェイス・ブックなど)がありますが、総じて観察していますと、自分と似たような境遇の人たちと交流している人達が殆どのようです。私の場合は、年齢や性別、立場や、考え方の違っている人達との交流を敢えて望んでいます。

 現在の私は、小さな商いと、超高齢者の両親(父97歳・母91歳)の在宅介護ケアと、自宅まわりの地域防災活動以外はほとんど出来ません。とても世間が狭く、社会的な制約だらけの生活ですので。「雑踏で観察する。味わう。」感覚は東京ならではですね。7年間居た東京ではそう感じていましたので、筆者の想いは理解できますね。田舎町ではそうはいかないものですから。

 「比喩がいかに人々を助ける」かという実例を作家丸谷才一氏の文章を引用されています。

「明治憲法の場合、現行憲法の前文にあたるものが告分や発布勅諭であると見立てて差し支えないならば、その告分や勅諭が荘厳にしてチンプンカンプン,勿体ぶって曖昧模糊、何を言っているのやらさっぱり見当もつかないことは、わざわざここに引用するまでもない。

 すなはちそれは虚飾に身をやつしながら、しかし文章基本の機能をあっさり忘れ果てている。

 さながら数年風呂に入るのを怠って白粉(おしろい)を塗りたくっているようなもので、醜悪極まりない。こうなれば現行憲法前文のほうが、数等ましなことは言うまでもないから、それはすくなくともときたま風呂にはいって、しかしかはいそうに紅白粉には手が届かない様子なのである。」

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「現行憲法の文章は、明治憲法に比べればはるかにましだけれども、決してほめそやすものではない。こめそやしほどのものではないけれども、伝統という文章の最低の条件にはかろうじてかなっているという複雑な思いが、この風呂の比喩で十分に説明されているのです。

 上等の比喩を生むのは、上質の遊び心でしょう。」(P143 平均遊具品の巻―遊び)

 具体性に欠けるお役所の文章の特長について、筆者は例をもちいて解説していただいています。

「議会答弁などを聞いていますと、政治家や役人の多くは、いかに具体性を取り去るかに腐心しています。「まことに傾聴に値するご意見を拝聴いたしました。出来るだけ前向きに検討いたしまして、善処したい所存でございます。」などという答弁があっても、これは結局、具体的なことはなにひとつ言っていません。

 篠崎俊夫の「議会答弁心得帖」にこんな答弁が並んでいます。

①おっしゃることはごもっともでございますので、前向きの姿勢で研究し、善処したいと考えております。いろいろお教え頂きましてありがとうございました。

②たいへん示唆に富んだご意見を頂戴いたしましたので、今後充分に研究し、積極的に対応してまいりたいと存じます。

③傾聴にあたいするご高説を賜りましたので、今後あらゆる角度から検討し、可能な限り善処してまいりたいと存じます、

④貴重なご意見を頂戴いたしましたので、今後極力、検討を重ね、慎重に努力をしてまいりたいと思います。本当にありがとうございました。

 饒舌なくせに、大事なことは何1つ述べられていません。こういう不思議な文章は、議会の傍聴に通うのが早道であると筆者はいいます。

「こういう言葉の使い方こそが、政治、行政をわかりにくくしているのです。ごまかしを助長しているのです。

 文章の具体性を大切にする訓練は、同時に「具」抜き文章のウソを見破る力を身につけるということにもなりましょうか。」(P163 平均遊具品の巻―具体性)

 ファシスト小学校「森友学園」の設立をめぐり、財務省や大阪府の過度の「親切ぶり」「えこひいきぶり」には驚く小市民です。国会に参考人として呼ばれた国家官僚幹部の答弁も上の文章と同じで、聞いていて「何を言っているのかわからない」ものでした。

 「愛国ビズネスマン」の籠池氏の証人としての発言は潔さに比べ、官僚の発言や安倍首相や稲田防錆大臣の答弁は、「はぐらかす」ものであり、何の真実性も感じられませんでした。

 この書籍を読んで思うことは、やはり文章を書くと言うことは「わかりやすく」「論点を明確に」「簡潔に書く」ことを心がけたいと思いました。

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2017.04.01

4月初めの夜須の海

 昨日は雨模様。夜半までしつこく雨が降り寒冷前線が通過した後故、朝は寒い。五台山市民農園でも寒く感じました。戻って一段落してから夜須へ車で行きました。両親の体調も良く、家内の許しも出ましたので、久々の海の散帆です。

風は6Mの予報が出ていました。。技量のない老人には海へ出るのが無理なのかも知れないので、心配しながら車で行きました。ところが、高知市はどん曇りでしたが、夜須は雨でした。なかなか降りやみません。1時間ほど待機しました。
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 ようやく止みましたのでぎ装(ヨットの組み立て)をしました。強風が予想されますので、慎重にしました。いつもより時間をかけ点検しながらしました。
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 また日差しがないので寒いと思い、ウェット・スーツの上から蛍光色の合羽の上下を着用しました。そして海へ出ました。どん曇りですが海の上は気持がいいです。
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 風の強弱があり、風の方向もぶれました。午前中はうねりがありました。ヤッシーの中へ入り、方向転換の練習をしました。

 一度ハーバーへ上がり、朝購入した訪のおむすびと卵焼きを食べました。すぐにぎ装し午後の海へ出ました。午後になるとお天気になり、風も強くなりました。フルハイクをしてヒールをつぶしながら帆走しました。いい運動になりました。


 なにより3月に「ストレスまみれ」になっていましたので、1日海に浮かんでいましたので、充電が出来ました。自己回復しました。良かったです。
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 結構風が強かったので、海の上での写真は多く撮影出来ませんでした。操船に多忙でした。ヤッシー・パーク内の建設中の津波避難タワー。海から見ても目立ちます。陸から見るとなかなか立派です。海開き前にはなんとか完成するようです。

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 今日は雛人形も見納めとか。3日に片づけられるとのこと。片付けしてから見に行きました。うちのお避難さんも2月から3月と2か月広い空間でのんびりしているようでした。ほっとします。眺めると。
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 来週頃合いを見て回収に行かないといけないですね。

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五台山市民農園に行きました


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 雨上がりの4月1日。春なんですが雨上がりの朝は寒いです。午前6時前に横田政道さんところへ集合しました。年度初めなので、農園の運営費用の年間会費の5000円を納入させていただきました。
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 ほどなく自転車で出発。夜明けが早くなっています。途中五台山農協婦人部の良心市で野菜を購入しました。今日はトマトとほうれん草とエンドウ豆を購入しました。
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 そして市民農園へ到着。83段の階段を登りました。「野菜」(といっても私の場合はネギだけ)の生育を確認し、今日は下段の果樹園の伐採した竹の仕分けと片付けをしました。
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 随分と果樹園も広くなりました。横田さんはそこへウネをつくり野菜を栽培したいと言われていますが、開墾し土を入れたりしてなかなかこの先労力がかるようですね。
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 今日は市場開放デーで皆さん、市場で朝食ということですが、わたしは両親が気になるので先に帰宅しました。元気でした。

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「国際信号旗」を何故下知地域で掲揚すべきなのか

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 元海上自衛官でありました横田政道さん(若松町防災会長)の発案です。どうして高知市下知地域の避難所(一時避難収容所)に国際信号旗を掲揚する必要性があるのか。その理由を明示します。

1)高知市下知地域は低地(海抜0メートル地帯)であり、海に隣接しています。想定される南海トラフ地震後には地域全体が水没し、長期浸水すると言われています。救援支援は、海から来るだろうと想定しています。
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(下知コミュニティ・センター屋上からの眺望。海が近いことがわかります。)

2)国際信号旗は、官庁(海上自衛隊・海上保安庁)だけでなく、民間船舶でも広く国際的にも利用されている。国際信号旗による情報通信の意味は,万国共通である。

3)国際信号旗(こくさいしんごうき、international maritime signal flags)は、海上において船舶間での通信に利用される世界共通の旗である。その使い方は国際信号書(こくさいしんごうしょ、International Code of Signals、INTERCO)によって定められており、国際信号旗による信号を旗旒信号(きりゅうしんごう、Flag Signalling)と呼ぶ。

中世ヨーロッパでは、船舶間の通信に旗を用いることが行われてきていた。18世紀にはイギリスのリチャード・ハウが主に数字を意味する複数の信号旗を用い、その数字を符号として単語に置き換え、旗の掲揚を繰り返すことで、文章も含めた通信を行なう方法を考案した。これはホーム・リッグス・ポップハムによって改良され、トラファルガーの海戦でも通信に使用された。これらが発展し、1857年に国際信号書として、国際信号旗が定められた。

(ウィキペディアの記述から引用しました。)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E4%BF%A1%E5%8F%B7%E6%97%97

 1857年に世界の海を当時支配していた大英帝国が国際信号旗を。船舶間の通信手段として整備し、確立したようです。

 AからZまで26の旗があります。1つ1つに意味がります。また2つの旗の組み合わせ、3つの旗の組み合わせで、相互の通信と対話が出来ます。

4)国際信号旗は、偵察ヘリからも発見されやすい。旗を掲揚することで避難所の事情が、正確に支援者側に伝達されます。電源喪失状態でも正確に支援者に伝達できます。

5)一部に「オレンジ旗」の使用も呼びかけられています。しかしそれは「ローカル・ルール」でしかありません。例えばオレンジ旗はヨットレース時には「出艇注意」の意味です。グリーン旗が出艇禁止になりますから。

 ローカル・ルールは支援者側に伝達されません。また海外の支援者には全く伝達されません。

6)国際信号旗はその名前が示すように、海外の支援者にも情報伝達が可能です。

 現在は若松マンションと下知コミュニティ・センターに臨時に訓練時に国際信号旗が掲揚されているだけです。避難勧告で避難所が開設される折には、すぐに国際信号旗を掲揚し、」情報伝達訓練をすべきです。

 将来は下知地域のすべての避難収容所に、いつでも必要時に国際信号旗を掲揚される様になれば、救援支援もより円滑になり、下知地域の「受援力」(支援を受ける力)がより増すことと思います。
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 公共避難所施設になっている下知コミュニティ・センターに常設掲揚ポールを設置すべく、施設管理者である高知市地域コミュニティ推進課と長い間協議をしてきました。

 このたびようやく設置許可が出ました。1つのモデルケースとして活用し、低地の高知市市街地へひろめて行きたいと思います。


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