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2017年5月

2017.05.30

悔い残る日本の敗戦


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 U-20W杯決勝トーナメント。日本VSべネゼエラ戦。前後半で決着がつかず延長戦へ突入しました。延長後半押し込まれる展開の中で、コーナーキックからヘッドで押し込まれ失点し、それが決勝点となりました。惜敗です。
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 堂安のフリーキックがバーに当たるなどもう1歩でした。15歳の久保も途中出場しましたが、3人がかりで囲まれたりして本領を発揮できませんでした。
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 今日は守備陣が奮闘していました。ただ押し込まれる展開の場合は、守備でボールを奪うと何も考えず前へボールを蹴るだけとか、前線との連携が悪い。パスが駄目ならサイドに大きく蹴り出すべき。クリアも小さいから相手ボールになり攻め込まれる。

 後半べネゼエラの選手は動きが緩慢になっていただけに、そのしょうもないミスが残念ですね。監督・コーチはそのあたりの指導をすべき。フル代表でも日本が負けるパターンはすべてその展開ですから。
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地域に根づく高知市社会福祉協議会

 2017年5月26日は、高知市社会福祉協議会地域協働課の入木涼子さんと、山本麻由さんと、地域活動について情報交換をしました。私の方からは、「今年は下知地区防災計画の最終年度。高知市防災会議へも提案できる内容に高めたいです。それに向けて仕上げの年です。」と地区防災計画の概要を説明しました。

 入木さんや山本さんからは、高知市社会福祉協議会の活動について外洋の説明をされました。聞いていて、社会の「アンカーマン」のような役割をされておられることが良く理解できました。
 
 地域の人達の「よろず」相談に対応するために、高知市を東西南北4つの地域にわけ、「地域福祉コーディネーター」を配置されています。その担当エリアの広い事。下知地域は「東部エリア」に入りますが、南街、北街、下知、三里、五台山、高須、布師田、大津、け介良ですから。
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 自分の困りごとを「遠慮なく」相談することで、事態は解決できます。ある意味「支援され上手」になることも必要であるとも言われました。

 また「気配り」上手になり、地域で困っている人を速やかに発見し「ほおっちょけん」となるいうことで、「気配りさん」登録も募集をされておられるとか。
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 「ニュース ほおっちょけん」ではしない各地域の活動紹介がありました。「子供食堂」の報告もありました。毎週水曜日に子供食堂に通う子供たちと地域の大人たちが一緒に夕飯をつくる活動をされているとか。

 また種崎地区では「種崎見守り声掛け訓練」を行っています。地域で認知症について学習会をされた後に、声掛け訓練をされている様子がレポートされていました。
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 「これからあんしんサポート事業」のチラシもいただきました。

「頼れる親族がいない1人暮らしの方等を対象に、「入院した時」「施設入居した時」「お亡くなった後の事」などのいざというときに備えて、ご本人と高知市社会福祉協議会が契約し思いを実現させるお手伝いをするものです。」りあります。
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 利用できる人は「高知市内在住者で、生活保護を受けられていない。単身世帯の人。頼れる親戚が居ない人。預貯金が1000万円以下の人」ということです。

 利用料は年間6000円。「見守りサービス」や「安心サービス」が受けられると言う事です。「預託金」も予め預入するお金。契約者の判断応力低下に備えるようです。

 「成年後見人制度」を活用する仕組みのようです。
 
 社会福祉協議会は、地域のあらゆる相談事を受け止め、真摯に対応されていることがあらためて理解することができました。
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 あらためて調べていますと、「社会福祉協議会は、民間の社会福祉活動を推進することを目的とした営利を目的と しない民間組織です。昭和26年(1951年)に制定された社会福祉事業法(現在の「社会 福祉法」)に基づき、設置されています。」とあります。

 NPOなどが言われ出したのは、1995年の阪神大震災の後からでした。先行する地域のまちづくり推進のための組織であることがわかりました。

 高知市社会福祉協議会のみなさんの支援もいただきながら、下知地域の減災活動や、下知地区防災計画=事前復興まちづくり計画などを策定していけないと思いました。

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2017.05.29

ショック!!「疾風の勇人」が打ちきりか?


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 週刊モーニング連載の戦後政治史を描いた政治漫画「所得倍増伝説!!疾風の勇人」(大和田秀樹・作)が、来週第63話で打ち切りになるらしい。
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 無残な敗戦後、闇市から税の取り立てを行っていた大蔵官僚の池田勇人を吉田茂がスカウトし、政治家として育てあげました。佐藤栄作、田中角栄、宮沢喜一、大平正芳、鳩山一郎、河野一郎、三木部吉、岸信介、三木武夫、石橋湛山などが存在感が濃厚に登場しました。

 それが来週で打ち切りとか。やはり安倍内閣からの圧力でしょう。安倍晋三が尊敬するという祖父の岸信介は漫画でも「妖怪」であり、「悪魔的」に描かれています。
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 それに引き替え戦後日本をけん引し、惨めな敗戦国から経済大国に引きあげた「吉田学校」の生徒たちは、池田勇人、佐藤栄作、田中角栄、大平正芳、宮沢喜一もカッコよくいい男で描かれています。
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 おそらく「祖父をこけにした」と安倍晋三が激怒したんでしょう。なんともスケールの小さい奴だと思いますね。「この漫画は史実を基にしたフィクションです」と書いていますのに。なんとも小さい。
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 公職の政治家は「こけにされてなんぼ」の世界ですから。

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2017.05.28

海の散歩と総会・懇親会

 今日は夕方5時にYASU海の駅クラブの総会と懇親会があります。それで車で行けないので、電車と汽車を乗り継ぎ大きな荷物を背負い夜須へ来ました。
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出発は午前6時40分。知寄町3丁目電停まで徒歩で15分。7時10分発の後免行に乗りました。終点が後免。徒歩1分でごめんーなはり線の後免町駅。8時10分ごろに快速列車が来て夜須へは8時半過ぎに到着。訪でおむすびと卵焼きを買いました。
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 ハーバーへ行きますと既に高知大学ヨット部は来ていて出艇準備をしていました。わたしもぎ装をしました。風が強い予報ができましたので、慎重にぎ装をしました。

 ぎ装をして海へ出ました。予想以上に風が強かったので、海の上の写真は撮影できませんでした。ヨットを始めた頃、当時の先輩が「夜須は梅雨入り前に結構強い良い風が吹く」と聞いていました。真っ青な空と海。ヨットの白い帆が似合う景色です。
 
 ですが操船しているほうは余裕がありません。風向きも南方面で3方向に振れまくります。風波も起こり乗りにくい事。2時間ぐらい奮闘して午前の部は終わりました。

 午後はもっと風が出るとのことでしたので、デジタルカメラと携帯電話は事務局に預けました。出艇しようとしたところ波うち側で転覆しました。突風です。近くにいた高知大学ヨット部員に艇を起こしてもらいました。
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 それで出艇。波がどんどん起きてローリング状態。とても不安定。耐えられず、波の静かなヤッシーへ入りました。午後からは1時間半ぐらい海にいました。

 着艇して片付けしていますと、ヨットマンのMさんに会いました。仲間3人とクルーザー・ヨットで浦戸から2時間かけて夜須へ来たとか。マサラでカレーを食べたそうです。

 YASU海の駅クラブ総会
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 平成29年度通常総会が㎡2017年5月28日午後5時から、YASU海の駅クラブ2階会議室で開催されました。会員139名中103人の出席(うち委任状75.欠席35)にて総会は過半数の出席で成立しました。
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 丸岡克典理事長が挨拶し、顧問の清藤眞司香南市長が挨拶しました。
総会議長は丸岡理事長が務め、議事進行をしました。「平成28年度の事業報告と決算報告」「平成29年度の事業計画と事業予算」がすべて承認され枚s多。
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 役員改選も行われ、一部役員が交代しました。とどこうりなく総会は終了いたしました。

 YASU海の駅クラブ会員懇親会
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 総会終了後午後7時より、南国市のグレースはますし屋上ビアガーデンにて懇親会が開催されました。飲み放題、食べ放題でしたので、結果的に飲みすぎ、食べすぎました。
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 楽しい和気あいあいとした懇親会。ヨット、カヌー、SUPなどの愛好者が仲良く懇親しました。私は早朝から動いていましたので、8時には退散しました。

 ごめん駅まで徒歩で20分歩き、土佐電鉄の電車で26分で知寄町3丁目で下車。そこから15分歩いて自宅へ戻りました。交通費は往路が700円。復路は300円。合計1000円でした。これが土佐電鉄^JR高知駅―夜須+土佐電鉄知寄町1丁目ですと1470円です。470円歩いて節約しました。少しはカロリーを消費しました。

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津端修一さんについて

 超高齢者の両親(父97歳・母91歳)の健康状態が現在安定しています。それでようやくようやく2017年6月2日(金)に高知県立美術館ホール中庭で上映されます「人生フルーツ」という津端修一さんご夫妻を描いたドキュメンタリー映画を家内と一緒に観賞できることが出来るめどが立ちました。
 
 当日は美術館中庭での上映とか。スローライフの人生を全うした津端さんということで、食材販売のカフェなどが複数出店されるようですね。「文旦好きがこうじて」(の著者である松田雅子さんも今年最後の文旦で出店なさるようです。

 高名な建築家であり都市計画家であった津端修一さんですが、奥様を大事にされ、筋金入りスローライフな生活を実践された人です。FBでの知り合いの人の多く(高知在住の)が上映会に来られるようです。久しぶりに会える人もいるかもしれませんね。

 実は1992年に津端修一さんは高知市へ来てくれていました

 今から25年前の1992年に津端修一さんは高知へ来られ、講演をしていただきました。題目は「自由時間政策からみたこれからの都市再開発」でした。当時は三重大学地域共同研究センター客員教授という肩書でした。年齢は67歳ぐらいでした。

 当時私は高知青年会議所と言う団体に所属していまして、1990年から3年間「都市再開発セミナー」という連続セミナーを開催し、講演内容を「快適都市」という冊子にまとめることをしていました。

 津端修一さんについては、わたしは建築業界の人間ではないので全然当時知りませんでした。知り合いのNHK高知放送局の斉藤ディレクターが懇意にされていたというので、連絡していただき都市再開発セミナーで講演していただきました。

 今でも覚えていますが、津端さんは高知についてこういわれました。

「高知県は産業基盤が弱く所得も低い。経済格差があり、暴力団も暗躍している。共産党も根強い。なんかイタリアと似てますよ。

 イタリヤも経済は駄目だ駄目だと言われているが、実は市民は案外豊かに暮らしているイタリヤは日本のような学歴社会ではない。15歳で職人になり30歳ぐらいで親方になる。量産する製品ではなく、家具や革製品や靴や宝飾品などは高値で売れる。」

「それも生産者が直接・バイヤーに売る仕組みをこしらえているから、職人の手取りもいい。それを推進しているのが旧イタリヤ共産党。」

「イタリヤでは国民の家賃は政策で低く抑えられている。国民は2軒家を持っている人が居て、1軒を外国人に貸します。これは髙い家賃で貸せます。家賃が自分の給与より高いなんてこともある。」

「職人同士で融通し合い高値取引をするので、生活は優雅。家も貸して家賃収入もある。それでイタリアの市民は1カ月くらいの休暇も取れるようです。スモール・ファミリー・ビズネスが世界と取引しているんですよ。」と言われました。

 津端さんの発言は講演会で言われたのか、後のスタッフとの懇親会の時言われたのか25年も前の事ですから定かではありません。国はつぶれかけていても、国民各位は元気で案外豊かに暮らしているのがイタリアですよ。高知はイタリアに似ているんで、東京を目ざすのではなく、イタリアを目指すべきといわれました。

 「ヨーロッパは自由主義社会だが、公共が中心になって進める社会システムづくりに熱心だった。「快適都市」と言うのは、アクティブなシニアを育てられる社会システムを持つ都市環境、というのがヨーロッパ的な合意。

 あえて都市開発と言えば、社会的公平を目標にした社会システムをつくる開発だと考えている。

 毎日の平凡な暮らしにあらためてこだわって見ると、知らない間に豊かな生活ストックができてくる。それが大事だとしみじみと考えさせられた。

 まず、みなさんの身近なところから現代の都市づくり、快適環境を確かめることだ。やがては、1人1人の豊かな暮らしが高知をを変えていくだろう。

 高知県、高知市は、その僻地性のゆえに独自の構想力を持っているのだから」(快適都市3・1992年高知青年会議所・刊)

 当時1度しかお会いして話をしませんでしたが、25年も経過して覚えていますから強烈な印象を与えてくれたひとでした。

 半年ぐらいしてから自宅に津端修一さんから電話がありました。

「西村君 今度ニューカレドニアに一緒に行こう。カタマラン型の双頭ヨットで島々をクルージングするツアーがあるよ。料理はフランス人シェフが作る。ウィンドサーフィンも載せていくので楽しいセーリングが出来るから。」

 津端修一さんは趣味の1つがヨットでのセーリングでした。講演後の懇談では私も趣味が「海の散帆」ですので、セーリングの話ばかりしていたからです。当時はまだ長男は小学生であり、下の娘は保育園で、子育て真っ最中でした。行きたいがいけない立場でした。

 せっかくの優雅なセーリングのお誘いでしたが、泣く泣くお断りしました。後日ツアーへ行かれた津端さんから電話があり「良かったよ」と。そういう生活に今でも憧れはしますね。

 津端修一さんは大正14年生まれでした。母と同学年です。2年前に90歳でご逝去されたと。健康的な生活をなさっているんので100歳までは生きると思っていたので、ご逝去はとても残念です。
 
 そんな映画が興味心身です、当時のことを少しでも想い出すことができるのでしょうか?楽しみです。

また津端修一さんの「市民自治」を念頭においた都市づくりのありかたは、下知地区防災計画・事前復興まちづくり計画のなかで必要な視点ですから。

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2017.05.27

市民農園作業と父のリハビリ・ゴルフ

定例の五台山農園作業

 今朝は晴天。昼間は暑くなりそうですが、朝の空気は爽やかです。
 三石の五台山農協婦人部の良心市でミニトマトとさやえんどうを買いました。ニラは無料でいただきました。

 今日の作業はひたすら雑草引き。横田政道さん、大崎修二さんが参加しました。
 自宅へ戻ると今度は父(97歳)のゴルフリハビリの付き添いです。

父のリハビリゴルフ

 「農園」から戻りますと父(97歳)が待ち構えていました。早速リハビリゴルフへいきました。往路のラビータの気温は21度。風もあり爽やかなお天気です。

 いつものように自己流の体操をして、OS-1で水分補給して、マイペーズで球を打ちます。最近足元がふらつくと言うので、今日は球があらぬ方向へ飛ぶこともありました。

「おおの悔しい!!」とか突然大声で言うので驚きましたが、ようするに上手くいかないので自分を叱責しているのです。

 「今日は調子が悪い!」と言います。11時過ぎると昼食の準備にかかります。午後から父は介護予防通所リハビリへ行くからです。

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梅雨入りが近い高知市

 ご近所の紫陽花ですが、開花1歩前ということろでしょうか。紫陽花にもいろんな種類があるものです。先代から育てているとのことです。

 梅雨はすぐ近くまで来ています。体調維持が難しい季節です。暑さに体を慣らすべき季節ですね。
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2017.05.26

母ははりまや橋・サロンへ行きました。

 今日の高知市は晴天となり日差しがきつい。午後からは母(91歳)の付添ではりまや橋商店街へ行きました。
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 歩行補助車を出しました。最初にコロッケ屋さんで夕飯のコロッケを購入しました。
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 次にパン屋さんで母はクッキーを買いました。
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 谷ひろ子さんのお店で焼き菓子を買いました。100歳体操(介護予防体操)まで時間がありましたので、コーヒーを母と一緒に飲みました。
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 今日の活き活き100歳体操は、16人のお元気な高齢者の皆さんが参加していました。
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コロッケ・ひろっちゃんで母と3ショットしました。

 はりまや橋商店街で活き活き100歳体操(介護予防体操)が終わり、母と一緒に魚の棚商店街を通過していました。
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 そしたら細川洋伸さんとお母さんがおられました。全国賞を獲得した「子コロッケ大賞」の表彰状を見せてもらいました。
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 母と細川さんのお母様と3ショットを撮影していただきました。

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長者での田植え体験は26日に延期になりました。

 2017年5月24日(水曜)は、休暇を取り、仁淀川町長者地区での田植え体験事業に参加しました。主催のだんだんクラブさんのご都合で平日の開催となり、主体は長者小学校の児童たちです。

 今回は平日ゆえ4人の参加(荒木三芳さん・大崎修二さん、吉川真由美さんと私)となりました。朝8時に出発しました。お天気はどん曇りで雨も心配でしたが、朝はいの町までは曇天で雨は降っていません。

 もうすぐ仁淀川町へ入るというところで、だんだんクラブの世話役をなさっている藤村吉男さんから午前9時半位に電話がありました。

「すみません。長者は雨が降り出しています。温度も低く、予想ではかなり降るということです。長者小学校側の判断で、田植え体験は、同じ時間帯で26日(金曜)に順延となりました。」ということです。金曜日はまことに残念ですが、父(97歳)の通院日ですので、私は参加出来ないことになりました。
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 皆気を取り直して、池川にある439交流館で買い物をしました。わたしは仁淀川町名物の「いり餅」と味付けこんにゃくを買いました。他の同伴者は野菜やらお菓子やら、こんにゃくやらいろいろ購入しておりました。

 田植えが中止になりましたので、池川からほど近い(車で10数分くらい)の用居(もちい)地区の、奥さんの実家に里帰りをされている黒岩博さんにお電話し、あつかましくも4人でおしかけました。
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 茶摘みしたお茶を「加工」する場合に使用する機械を見せていただきました。
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 お隣にある故三浦良一邸の様子です。
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 しとしとと雨が降るお天気となりました。黒岩さんは、家屋周りの樹木の剪定をされていましたが、雨で作業をお辞めになっていました。5月の初めに家屋近くの茶畑で茶摘みしたお茶を奥さんがいれてくれました。

 大変美味しくいただきました。用居の集落も近所は2世帯だけとか。かつては小学校も中学校もありましたが、廃校になり、ディサービスなどの介護サービスも池川町のほうから送迎にきているようです。買い物も池川までいけないといけないそうです。
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 帰りに池川茶園へ行こうということになりました。そこで抹茶のソフトクルームを食べました。私は仁淀川ラスクを購入しましたが、他の人達は茶畑プランやら新茶を購入されていました。
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 雨で中止は残念ですが、自然相手ですので仕方がありません。

仁淀川町は雨が多い所ですね。とくに長者地区は。結構降ったようです。帰り際にいの町の中心街へ道が乾いていました、降ってはいません。高知市へ戻り西の空を見ますと暗がっていました。
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 夕方は下知コミュニティ・センター運営委員会の総会と懇親会です。帰宅したら背広(今年は4回目)で出掛けます。

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2017.05.25

高知市市民と行政のパートナーシップのまちづくり条例見守り委員会

 「高知市市民と行政のパートナーシップのまちづくり条例見守り委員会 第7期第5回検討会」[委員長山崎水紀夫氏)が、2017年5月22日に午後19時から高知市役所たかじょう庁舎でありました。主催は高知市市民協働部地域コミュニティ推進課です。

 前回検討会が3月だったので、予め送付されてきました討議資料を見ましても、思い出せない箇所がありました。
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年度初めの今年の第1回目の委員会です。最初に地域コミュニティ推進課から報告事項がありました。「久重まちづくり計画」の概要説明がありました。また「市民と行政の協働のための自己点検チェックシート]の説明がありました。
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 毎度思うのは、いままで高知市では「市民と行政とのパートナーシップ」ん段階にいたることは1度としてありません。定義も不明瞭。また「久重まちづくり計画」へ行政も関与しよくできてはいますが、地域外のコミュニティ(たとえば浸水地域の下知地区)などとの地域連携の議論は皆無。所詮は「閉ざされた中」での地域コミュニティ活動になっています。

 前回委員会での意見を事務局(市役所)と3役会(会長・副会長)にて集約し、委員会参加者がどの項目に共感を覚えるのかということで、共感すればシールを張り付ける作業をしました。
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 総括の意見交換が行われました。

「まちづくりファンドを活用した後の追跡調査が必要。自立して地域がより活性化したかどうかの調査も必要です。」

「今までは備品購入は駄目とされてきおましたが、より地域の活動が活発になると思われるための備品購入はありとしたい。」

「フェイスブックやツイッターも活用すべき。市職員や委員会メンバーもアカウントを取得し、まちづくりファンドの事を投稿し、シェアをすることは大事です。」

「メディア戦略も立てたらどうでしょうか?特に高知新聞など。」

 活発な議論が行われ、21時に過ぎに散会しました。

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 今日から「怒涛の地域活動」が会合主体が変りながら始まります。本命の地域防災価値道は来月から始動ですね。

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2017.05.24

共謀罪は平成の治安維持法ではないのか?


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2017年5月23日政府・与党は衆議院本会議で「共謀罪」を強行採択しました。民主主義の根幹に触れる「危険」な法律を国民的な理解が十分でない状態で採択するとは、おかしな国になったものです。

 共謀罪と戦前の悪法である「治安維持法」比較してみますと大変良く似ています。2つの悪法とも、政府に反対するデモや社会運動、市民運動を規制し、壊滅させるための悪法です。

 政治に関心のない一般市民は関係ないと戦前も言われていました。しかし些細なことで逮捕・拘留され、自白を強要される社会になり、戦争国家日本国は暴走し、全世界を相手に世界大戦を引き起こし無残な敗戦を迎えました。

 その反省から戦後日本は再出発しました。自衛隊は1人の外国人兵士を殺しませんでした。また1人の自衛隊員も外国の軍隊に殺されませんでした。自衛隊は「人殺し」の組織ではなく、「人を助ける立派な」組織として、国内外の災害支援や救援で大活躍してきました。

 それが安倍晋三の言うように「恥ずべき歴史」なんでしょうか?わたしは全くそうは思いません。「勇ましい事を」言い立てる人間は、絶対に兵士として徴用され前線へ行かない人間です。

 平成の治安維持法である「共謀罪」に私は反対します。

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「誰にも書けないアイドル論」を読みました。

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 いつぞや出張時の県外のホテルのTVで、やたら芸能界のアイドルに詳しく、オネエ言葉で喋る強烈な印象のある人でした。最近ではNHK総合TVの「シブ5時」にも登場しているクリス松村氏です。

 「誰にも書けないアイドル論」(クリス松村・著・小学館・2014年刊を読みました。

 父親は外交官。海外生活が長く、家庭ではクラッシック音楽しか聞くことが許されなかったとか。親に隠れてアイドルの曲をラジオで聞いたり、小遣いでアイドルのレコードやグッズを買いためていましたが、ある時両親にすべて捨てられたのを機会に、絶縁紙独自の人生を歩んで行きました。

「かつてのアイドルは、デビュー当時はまだまだ垢抜けないないイモねえちゃんでした。そんな普通の女の子を、ファンのみんなと磨いていくー。その過程を楽しむのが、アイドルを応援する醍醐味のひとつでした。

 そういう喜びを感じさせるアイドルが、近頃は本当に見当たりません。」(「アイドル時代」概論 P37)

 クリス松村氏は、彼自身の定義するアイドルの原点は、森昌子であると言います。「昔からあった歌謡曲のジャンルのなかに、新たに「アイドル」というジャンルができたのは1971年でした。」(P33)

そしてクリス松村氏好みの「いも姉ちゃん」アイドルと、ファンとの良好な関係が持続したのは1984年までとか。そして昭和が終わる(1989年)でアイドルらしいアイドルは終わってしまった。

 また松田聖子は、アイドル出身のある意味の「スーパー・スター」ですね。

「彼女は、売り上げが安定しないというアイドルの流れや、恋愛ネタや結婚ネタがマスコミで騒がれるとアイドル生命を絶たれると言うジンクスをなくしました。」(P63)

 私にとってのアイドルを意識してみたらどうなっているか思い出してみました。

 岡﨑由紀、岩崎宏美、太田ひろみ、キャンデーズ、アグネスラム、南沙織、あたりになるんでしょうか。学生時代の友人はアグネス・チャンと浅野ゆう子のファンで、実際にコンサートへ行っていましたから。わたしはそれほど熱心ではなく、耳に入っていたと言う程度です。

 2年前に高知市で講演された音楽評論家のピーター・バラカンさん。子供の時から聞いていたことと同じことであると思いました。

「ピーター・バラカンのわが青春のサウンド・トラック」を読んで

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/post-fbf5.html

 クリス松村氏は、ゲイであるそうです。そうでありながら女性アイドルの成り立ちから歴史について記述しているのは、「大河ドラマ」のようでした。「年表」がほしいですね。ほんとにクリス松本氏以外は「誰も書けない」と思いました。

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2017.05.23

災害大国日本には原発は稼働させてはいけない


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 2017年5月22日付けの高知新聞の記事は、あらためて原子力発電所が災害大国日本で稼働することの危険性を思い起こされました。島村秀紀氏(武蔵野学院大学特任教授)の主張です。

「原発に天変地異のリスク」

「静穏期への過信は危険」
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 島村氏はこう言われています。

「地震も同じだ。6400人以上が亡くなった1995年の阪神大震災までほぼ半世紀の間、250人を超える犠牲者を生んだ地震はひとつもなかった。

 つまり、たまたま地震や火山活動の静穏期が続いていた間に、日本は高度成長を成し遂げ、多くの原発を林立させたのである。

 理由は分かっていないが、この静穏期が一時的なものであることは確かだ。長い目で見ると、今までこそが日本列島にとって異常だったのである。日本史上、あるいは地質学上に分かっているそれ以前の時代を見ても、日本が大地震や大噴火に襲われたことが普通だった。」

「地球物理学者から見ると、日本列島では、大地震も火山の大噴火も「あって当たり前」のことだ。日本はたまたまその状態を未来永劫に続くものだと思い込んで静穏期を享受してきた。この思い込みはあまりに危険である。」

 東日本大震災で壊滅した福島第一原子力発電所の廃炉作業がまだまだ長期にわたつことは明白。危険性を除去できないでいます。にもかかわらず国策で原子力発電所を次々と再稼働させています。実に危険であると私も思います。

 国防上の理由からも、原子力発電の存在は大きなリスクになります。通常兵器で完全に破壊できるからです。戦時でなくても大地震や大噴火で各地の原発は「ただちに」危険な状態になります。

 イデオロギーの左右に関わらず、原発は災害大国日本には不要なものです。直ちに国策で廃炉にすべきです。

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素晴らしいビックコミック・オリジナル

20日発売のビックコミック・オリジナル(6月5日号)。なかなかヘビーな内容ではないか。
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 登場人物が昭和天皇やアメリカの「赤狩り」の様子や、政治家の裏側を見せるまんがや、太宰治原作の「人間失格」まで盛りだくさんです。
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2017.05.22

父の血液検査の指摘点


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 2017年5月22日(月)は父(97歳)の通院で植田院へ行きました。今週は月曜と木曜と金曜の週3回の通院です。その都度診察と点滴をします。

「クレアチリン値、尿素窒素、カリウムは安定して小康状態をキープされています。尿酸値も5・8で立派です。

 ただヘモグロビン値は8.9で低いです。10以上にならないといけないですね。エポジンの注射や服薬もしています。腎性貧血だけが気になるところです。」と植田一穂先生。今日はビタミンの薬を処方いただきました。
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 足腰の衰えもあるでしょうが、ふら付きが最近目立つ父です。目離しすると転倒する危険性もあるので、歩くときは手を繋いで歩くようにしています。重心がぐらぐらしているのがわかります。
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 今はなんとか2歩足歩行ができています。植田医院からの退出の際は怖いので、私が靴を履かせています。駐車場の椅子に腰かけて立ち上がることは何とかできます。自動車への乗り込みも出来ます。
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 ふらつきが止まれば足腰も丈夫になりつつあるので、健康をより維持できると思います。帰り際に、ゴルフ練習場の「プリペイトカード」を購入しました。1000円で125発のカードが、こちらでは950円で購入できますので。昼食後は父は介護予防通所リハビリへ行きました。
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[諸問題」がようやく解決のめどが・・・

 4月の半ば過ぎから「健康問題」がありました。健康診断で2年連続で指摘された便の潜血反応。昨年は大腸内視鏡検査で異常はなく、今年は痔ではないかと言うことで肛門科の診察をうけました。

 随分改善しましたが、いぼ痔はしつこくなかなか完治はしませんが、徹底して治療はしています。同時期右奥歯下の歯茎の腫れも市かで治療し、毎日の歯磨きと歯間ブラシの使用で腫れも引きました。

 毎日使用する入り口と出口の消化器官なので大事です。治る見込みが出来て何よりでした。

 情報通信関係でも「事故」や「劣化」のトラブル続きでした。強風でヨットが何度が沈(転覆)し起こしている間にガラケー携帯が海中に水没しました。

 同時期防水型デジカメも調子が悪くなり故障。通信回線もやたら遅く、FBの画像だけが見られない状態になりました。

 ガラケー携帯は保険の活用で同機種を獲得。コピーしてあった電話番号リストを携帯ショップで入れていただきました。カメラは新規に防水デジカメを購入しました。

 通信回線は先週NTTが対応し、調査し問題を解決していただきました。懸念・懸案事項はすべて解決しました。

 地域活動も今週からせわしくなります。今夕は地域コミュニティ関係の会合。水曜は仁淀川町長者での田植え体験。戻ると夕方は下知C・Cの運営委員会総会。木曜日は会社の所属組合の総会。日曜日はYASU海の駅クラブの総会と続きます。総会は懇親会があるのでまたまた太りますね。

 二葉町防災会の事業計画も立案し、稼働しないといけないですね。当然会社の仕事と両親の介護ケアはありますから、結構せわしくなるようです。

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浦戸湾三重防護・耐震護岸工事について


 2017年5月18日に、「浦戸湾3重防護」に関する工事担当者に面談を求め、資料をいただき少し話をしました。国側は国土交通省四国整備局・高知港湾空港整備事務所海岸課課。高知県高知土木事務所を訪問しました。突然の訪問にも関わらず真摯に応対いただきました。工事現場の視察や、事業概要説明会の可能性について聞きました。

 やりとりをまとめてみました。

1)国直轄の工事は、始まったばかりです。設計段階のものもあり今すぐ見れる状態にはない。来年あたりなら高知新港周辺(種崎外縁)は見学可能でしょう。

2)県管轄の工事は、高知土木担当の若松町工区の耐震護岸工事が佳境を迎えています。事前に申し込みをいただいたら見学や事業説明会は可能です。

3)堀川の堤防などは、当初計画より約1M程度高さを高くする設計変更を行っている。堤防が地震による地盤沈下や液状に耐えられる護岸であるそうです。

4)三重防護が完成するのは、平成46年(2034年)頃です。完成すれば、L1想定の地震(昭和南海地震程度)による低地市街地の浸水被害は相当低減化されるとのこと。

 南海トラフ地震も「30年以内に70%の確立で起きます。」と言われ出してもう5年ぐらい経過しています。また熊本地震が起き、発生が早くなるのではないかと言う地震の専門家で言う人もいます。となると「20年以内に」と言い直さないといけないと思います。

 南海地震が起きる前にすべての耐震護岸工事が終了していただきたいと思います。

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2017.05.21

超高齢者の両親ですが、運動をしてきました。


父(97歳)はゴルフ・リハビリへ行きました。
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 2017年5月21日(日曜)は、父はゴルフリハビりに行きました。晴れの予想ですが、どん曇り。往路のラビータの気温表示は20度。涼しいです。

 いつものように自己流の準備体操をして、水分補給(OS-1)の経口補水液を保冷箱で冷やして持って行きました。運動して汗を掻いて水分補給して、夏仕様の体に慣らしていかないと超高齢者は夏が乗り切れないのです。
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 ゆっくりと125発打ちました。階段登りもなんとか行きますが、足元はおぼつかない。
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 目離しは出来ません。復路の気温表示は25度。夏日になりました。

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 母(91歳)と一緒にお菓子屋さんまで散歩しました。
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 父のゴルフリハビリから戻りますと、母がお出かけする服装で待ち構えています。母の方も運動が必要なので、歩行補助車を出して一緒に散歩に出掛けました。
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 お菓子屋さんでは、まんじゅうやどら焼きを買いました。お店の人が、お茶と茶菓子を出してくれました。母と一緒にお茶しました。
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 買い物好きな母なので、気がまぎれるようです。常に努力して歩きませんと、歩けなくなりますから。

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浦戸湾3重防護の高知新聞記事

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 2017年5月14日に、高知市総合あんしんセンターにて「高知港海岸直轄保全施設整備事業着工式典」(主催・国土交通省四国整備局)がとりおこなわれました。
 下知地区減災連絡会も式典に招待され、西村副会長が出席しました。

 高知新聞記事によりますと、「三重防護」とは次の事業です。

1)高知新港沖の津波防波堤を延伸

2)仁井田など外面に面した堤防を補強し、浦戸湾口に防波堤を設置

3)湾内の堤防のかさ上げや液状化対策

 ということです。高知新港と仁井田の護岸は国の直轄事業で施工。他の浦戸湾周辺堤防は高知県の施工。総事業費は約600億円で(国350億円・県250億円)であり、すべての護岸工事の完成予定は2031年です。15年かかる大事業です。

 L1想定(昭和の南海地震規模)の「100年位に1度の地震」には、浸水被害の低減化にかなりなる可能性はあるようです。L2規模の地震(1000年に1度の東日本大震災規模)であれば、「浸水面積や浸水深の低減、津波到達時間の遅延させ、避難時間を稼ぐ減災になる」とのことです。

 下知地域全体の地盤はこの事業完成後も海抜0メートルであり、地震が起きると必ず地盤が1メートルは地盤沈下し、最大で2メートル沈下すると言われています。南海地震に対する脅威はこの堤防工事ですべて解消されるわけでもないようです。

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2017.05.20

1日夜須にいました。


 先週の夜須の海とうって変って、今日は波はなく、風も程よくあり、晴天でした。母(91歳)をデイ・サービスに送り出してからでしたので、ハーバーへ来たのは遅め。結局午前11時からの出艇でした。
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 先週から今週にかけてデジカメが壊れ、新しい防水仕様のデジカメにしました。紐を通す穴が小さく間に合いませんでした。海の上では撮影ができませんでした。ハーバーで撮影したガラケー携帯カメラの写真しかありません。

 15時過ぎまで海の上にいました。海の上は涼しく最高でした。片付けをしてゴミ拾いしながらヤッシー・道の駅やすへ行きました。Tさんとは月曜日のNHK総合TVでの「鶴瓶の家族に乾杯」(5月15日放映分)のその後の反響について聞きました。

http://www4.nhk.or.jp/kanpai/x/2017-05-15/21/7652/1847539/

「アイスバー・マナマナに年配のお客さんが増えました。また女性自身5月23日号にも掲載されました。じわじわお客さんが増えると思います。」とか。

 午後7時からYASU海の駅クラブの理事会でした。来週の総会の提出議題の意見交換をしました。全会一致で賛同しました。
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 今日は朝から晩まで夜須にいました。新しいデジカメは操作がわからず動画撮影を起動させていたので、電池切れになったようで誌。ガラケー携帯で撮影しました。

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五台山市民農園へ行きました。

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 2017年5月19日は2週ぶりの五台山市民農園での作業です。午前5時45分過ぎに横田政道さん所へ集合。それから自転車で弘化台の横田さんの倉庫で培養土を2袋自転車に積み込みました。
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三石地区の五台山農協婦人部の野菜良心市へいきました。。野菜は露地物で安くて新鮮です。今日はミニトマトとねぎを購入しました、
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 農園では専ら雑草抜きですね。これから先は雑草はいくらでも生えて来ます。真面目にしないといけないです。今日は30分ほど真面目にしました。
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 畑ではジャガイモなどが育っています。宗円さんにいただいたイタリア(?)かぼちゃを横田さんが植えました。
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 大崎修二さん、福谷さん、原池さんも合流して作業をしました。共同植え付けの玉ねぎを2玉いただきました。
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共謀罪反対集会に参加しました。


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 2017年5月19日の午後に衆院法務委員会での与党による共謀罪法案の強行採決は許し難い暴挙であると思いました。わたしは政党筋や労組などいわゆるサヨク系組織とは一切無縁なただの市井の市民です。坂本茂雄さんのFBの投稿を見て参加しました。主催は憲法アクション・高知です。

 午後6時からの集会。5時45分頃に中央公園北口に行きました。政党関係者や労組の関係者がおられました。何人かの知り合いの人に会いました。定刻の6時に集会は始まりました。
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 まずは高知大学人文学部准教授の岡田健一郎さん(専門は憲法)から話がありました。

「共謀罪は犯罪を起こす段階からの取締り当局が捜査していくことをより推進する法律です。例えば銀行強盗をするために、預金を降ろし、凶器となる刃物をホームセンターで購入する。その段階から監視し、犯罪抑止の名目で逮捕拘留することができます。」

「ネットでの書き込み、SNSでの呼びかけ、メールでの書き込みなどがすべて捜査・監視の対象になります。金田法務大臣は、悪用される恐れはない。裁判所がちゃんと規制をすると云いましたが、あてにはなりません。乱用の可能性は残ります。」

「また並行して憲法改正の考えを安倍首相は連休の最中に公表。憲法9条に「自衛隊を合法化する」一行を加え2020年の憲法を改正すると言われました。憲法を改正するためには国民投票が必要ですが、それには850億円の費用もかかります。

 そこまでして憲法を改正するにしては、憲法審査会で従来から自民党が主張してきた改憲草案との整合性もないものです。」

 続いて沖縄県の辺野古と高江へ行かれていた憲法アクションの役員の山﨑修一さんから沖縄の闘争の報告がありました。
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「皆さん辺野古の基地建設は、普天間基地の単なる移転先ではありません。普天間基地は米国海兵隊基地であり、ヘリコプター基地です。当初滑走路は1300メートルでしたが、今や2本の1800メートルの滑走路が建設予定になっています。

 更にイージス艦が着岸できる桟橋の建設まで行う予定になっているのです。単なる移転では全くありません。」

「高江のヘリパットも米軍に引き渡していますが、未だに工事中。ヘリパットが傾いていてヘリが着陸ができません。」

「辺野古は海中のボーリング調査では海底に鍾乳洞があることが判明してります。きちんと杭が打てるのかも怪しい。米軍仕様は耐用年数が200年です。基礎杭もろくに打たずして、採石を海に投入しています。高江もそうですが、強引に工事をすることを強行することで、反対している沖縄県民を諦めの境地に追い込むために政府はしています。」

「反対運動のリーダーの山城さんが些細な容疑で逮捕され、5か月間拘留されていました。山城さんの容疑は「工事用の有刺鉄線を切断した。」「機動隊員の腕をつかんだ。」「工事車両を妨害するために道路にブロックを積んだ。」というものです。いわば微罪。それだけで5か月間も拘留したのです。

「共謀罪が制定されますと、今日のような市民集会に参加しただけで、逮捕・拘留されます。沖縄県の辺野古や高江で起きていることが、日本全国に広まります。」

 政党関係者からは

「集会などにも参加しづらくなるし、ネットやホームページやメールなども常に権力側から監視されるようになります。」

「70年間日本の平和は守られてきました。安倍内閣のここ数年で、特定機密法、集団的自衛権の認定、戦争法案、そして今回の共謀罪と平和国家日本の破壊活動をしています。断じて許されません。」
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 続いてデモ行進をしました。仮面をかぶった人と太鼓が先導し、土佐弁でのシュプレキコール。「共謀罪はわやにすな!」「自由なおしゃべりが何故いかん!」「メールやラインの監視をやめや!!」「だまっちょったらいかんぜよ!!」「共謀罪は廃案に!」と言いながら、中央公園北口からアーケード商店街を抜け、丸の内緑地公園までデモ行進をしました。
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 150人の参加者がありました。1人での参加はやや心細い事でしたが、集会に参加し、デモ行進をしますと参加者同士で連帯感が生まれました。
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 今回の参加で私は国家権力の言う「一般市民」から「特定市民」になったようです。でもこんな悪法や、ファシズム国家を阻止するためには各市民は街頭へ出て声を張り上げないといけないと思います。戦いをするのは「今でしょ!!」と思うからです。

 

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2017.05.19

母とはりまや橋サロンへ行きました。

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 2017年5月19日ですが、昼食後母(91歳)と一緒にはりまや橋商店街へ繰り出しました。晴天なので歩行補助車を持って行きました。最初にコロッケ屋さんで、夕飯用のコロッケを購入しました。
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 次の露店のパン屋さんで、クッキーを母は買いました。
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 谷ひろ子さんのお店では、焼き菓子を購入しました。またコーヒーを頼みました。母とお茶しました。
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 活き活き100歳体操は、日差しがきついのでテントの下で行いました。今日も元気な高齢者の皆さん方が参加しています。
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 15時半からネット回線の接続の調査にNTTの人が来ることになっていますので、体操が終わりますと帰宅しました。

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下知地区減災連絡会役員会


 2017年5月17日(水)に下知コミュニティ・センターにて、午後6時半より下知地区減災連絡会役員会が開催されました。34人の定数に対し24名が出席(委任状3人)で開催用件を満たしています。また来賓として高知市地域防災推進課の山中係長、中山氏、橋村氏が出席しました。
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 最初に森宏下知地区減災連絡会会長が「今年も多くの事業があります。大変ですが、みんなの力を合わせて乗り切りましょう。」と挨拶されました。
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 役員会の前に山中晶一地域防災推進課係長より「平成29年度政策予算と主要事業概要」の説明がありました。

「下知地区の皆さんに今年特にお願いしたいのは、揺れから命を守ること。です。防災の1丁目1番地です。家具転倒防止と家屋の耐震補強に全力で取り組んでいただきたいです。自分の部屋や家屋から安全に避難できませんと、この下知地域では命を繋ぐことができません。
 
 また「長期浸水対策事業費」をより多く組んでいます。避難者情報伝達・収集システムを長期浸水が予想される地域(下知など)で実証実験を行い、データを集めシステムを構築します。

 また避難所運営事業費や津波防災対策事業費も重点的に配分しています。また「地区防災計画策定推進事業費」を昨年に続き計上しています。下知地域をモデル事業とし、全市的に広めて行く予定です。公助も頑張りますので、共助の下知地区もより頑張ってください。」
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 続いて坂本茂雄下知地区減災連絡会事務局長より、2017年総会議案書が提起されました。第1号議案は 2016年度事業報告。第2号議案は決算案及び監査報告です。内閣府の「防災白書」や県の防災関係書籍やホームページなどでも、下知地区防災計画の様子が掲載されています。
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 満場一致で採択されました。

 また第3号議案として2017年度事業計画案、第4号議案として2017年度事業予算案についてが提起され、意見交換が行われました。こちらも満場一致で採択されました。

 「地区防災計画学会」が来年3月に高知市で開催されます。2月までに3か年議論してきました下知地区防災計画(事前復興計画)をまとめることがタイムスケジュールで決まりました。

 役員会は午後8時半に終了しました。

 下知地区減災連絡会の役員会は無事終了しました。

 

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2017.05.18

いの町議選期日前投票に行きました。


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 うちの両親(父97歳・母91歳)は、いの町の住民です。それで16日告示、21日に投票が行われます町議会選挙の期日前投票に連れて行きました。会場のすこやかセンターにて入場券と投票用紙をひきかえて投票しました。
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 今日は爽やかな晴天。気温も23度前後で湿度も50%程度です。高齢者にも動きやすい。久しぶりにいの町の父の古家へ行きました。(現在は息子が住んでいます。)
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 ご近所のご夫婦に挨拶し、久しぶりの再会に話が弾みました。東隣の家屋が解体され更地になっていました。誰が来られるのか、家屋が建つのか詳細はわからないとのこと。

 80歳代夫婦とお話し、90歳代夫婦とも再開しました。超高齢者住宅街になっております。父が尿意をもよおしました。いのの家の鍵をもっていませんでした。(息子が住んでいるんで勝手に出入りはせられんので)。ご近所のご夫婦に無理を言いまして、音入れを借りました。段差があり難航しましたが無事にクリアしました。ご迷惑をかけてしまいました。

 2人の超高齢者の付添は大変です。我親とは言え案外大変でした。

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2017.05.17

早朝の散歩をしました。

 水曜日の午前6時から五台山小の西隣の三石地区にて五台山農協婦人部の良心市(野菜販売)が行われます。水曜と土曜の早朝開催です。水曜日も五台山愛の故郷農園(市民農園)の作業日ですが、作業日は私は平日は出来ないので、自宅から徒歩で行きました。。
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 片道35分です。若松町を抜けるのに12分かかります。私の足で12分かかります。若松町の東端の住民は西にある市役所の指定の津波避難ビルであるマイセル2や下知コミュ二ティ・センターへの徒歩での避難は不可能です。まして高齢者や足腰の障害がある人は無理であることがわかります。
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 青柳橋を渡り北吸江、南吸江の住宅街を通過し、三石の良心市へ到着。今日は小さなトマトとさやえんどうを購入しました。私1人でのお買い物。
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 すぐに引き返しました。帰路の途中、南吸江で福谷さんと連れ違いました。培養土を自転車の荷台に積まれて農園に向かっておられました。

 今朝は4時半に起床。朝食をとり排便も済ませて、午前5時半に自宅を出て帰宅したのは6時40分でした。往復1時間10分の散歩でした。岡内啓明さんや、芝藤倫朗さんや牛田美香さん、北代誠さんのような「アスリート・ウォーカー」ではありませんが、醜い贅肉を少しでも減らすためにとりあえず週に1度は1時間程度の散歩を始めました。

 季節がら早朝は気持がいいですね。空腹では動けないので、先に朝食を取るので出発より1時間前の起床が必要。そうなると結構大変です。いつまで続けることができるのでしょうか。
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 ご近所の紫陽花が、開花前の状態になっています。梅雨入りは近いということでしょう。

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浦戸湾3重防護対策で低地の高知市街地は救われるのだろうか?


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 2017年5月14日に、国土交通省四国整備局が主催する「高知港海岸直轄保全施設整備事業着工式典」に下知地区減災連絡会(会長・森宏さん)代理出席していました。尾﨑正直高知県知事の話や、国土交通省の僅かな時間の説明(5分)、簡便なA43ページ程度のパンフレット等は情報の断片にしかありません。国会議員の発言も含め、断片を拾い集めてみます。誰の発言なのかは敢えて記述はしません。
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「3重防護の第1ラインは、高知新港防波堤を「粘り強い構造への補強を実施します。第2ラインは、三里・種崎・御畳瀬・浦戸地区の堤防を耐震化し、地盤沈下対策と液状化対策をします。第3ラインは、浦戸湾内部の護岸を耐震化し、地盤沈下に対応した嵩上げ、液状化対策を実施する。」(国と交通省の説明。パンフにもあり)

「県人口の45%が集中する高知市。浸水市街地に居住する県民は15万人とされる。L!想定の地震(1946年当時の昭和南海地震程度)では、耐震護岸工事が完成する15年度からは浸水の脅威は劇的に減少する。
 東日本大震災のL2想定(1000年に1度)でも、減災(津波到達時間の遅延化、浸水エリアの面積の縮小)などが期待できる。」

「歴史上記録に残る南海地震は、687年、887年、1099年、1561年、1707年、1854年、1946年と100年から200年位に1回起きる周期的な大地震。」

「完成までに15年かかります。その間に明日を担う子供たちに釜石のように、正しく津波や地震を恐れる教育が必要である。」

「3重防護が完成すれば浸水する地域も排水が容易になり、比較的短時間に排水が可能になる。」

 低地の市街地(下知地区など)が、最大2メートル地盤が沈下した状態で、果たして排水が可能だろうか?地盤沈下した地域も過去の南海地震では数年で沈下した半分は隆起するようです。でもより地盤は下がることは間違いない。

 地震と浸水で破壊された社会基盤(水道・都市ガス・電気)や道路などの復旧をする前に、地盤沈下している地域の復興・復旧をどうするのかが大問題です。

 名取市の閖上や陸前高田や南三陸町のように盛り土をするのか?低地なので最低10年ぐらいは地域へ戻れないでしょうから。震災後の盛り土工事では「地域は滅びます」。誰も住まないし、住めなくなります。

 スーパー堤防構想を下知地域は真面目に検討すべきではないのか。

 過去の民主党政権時代に悪名高い「事業仕分け」で、予算が凍結・削減されたやに聞いています。堤防の高さと同じ地盤を、高さの100倍整備する事業。高さ5メートルの堤防なら500メートルまで地盤を5メートル嵩上げします。

 スーパー堤防とは(ことバンクより)


 耐震護岸堤防(インプラント工法)と浮体式人工地盤とスーパー堤防構想(国土交通省)の組み合わせは可能ではないでしょうか?それと立体換地も
下知地区を始め、低地の高知市の市街化地区では即検討し、今すぐ実施していただきたいと思います。

 立体換地について

下知地域では立体換地が必要であると思う

浮体構造物(浮体式人工地盤)が下知を救う

 耐震護岸堤防の着工は喜ばしいのですが、それだけでは地域の「悩み」や「苦悩」はなくなりません。

 今年度の下知地区防災計画で、より地域の「事前復興まちづくり計画」をb議論し、練り上げていきたいと思います。

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2017.05.16

母(91歳)は歯医者へ行きました。


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 2年ほど前に歯科医師へ行き、欠けた歯を付着させて以来ご無沙汰の歯医者です。認知症の進行で、まともに自分では歯も磨いていないようです。というか歯磨き習慣すら忘れています。さぞかし歯も傷んでいるのではないでしょうか。
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 検査と診断をしていただきました。父(97歳)同様に6本ぐらい駄目になっている歯があるうようですが、32ある歯のうち26本ぐらいは残存しているようです。「80-20」(80歳で20本の自分の歯を残す)ことにはなるでしょう。
 虫歯や欠けた歯があるようです。負担にならない治療と手入れをしていくことにしました。認知症対応の歯科医の研修も受講されておられる歯科医院のようです。
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しばらくお天気が続くようですね


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 事務所の気温は20度。湿度は45%。朝40分程度散歩しましたが、汗ばむこともなく爽やかな気分でした。

 灯油ストーブも蚊取り線香も炊かなくてよい季節はいいですね。蚊が出ると蚊取り線香が必要になりますから。

 天気図を見ますと梅雨前線は中国広東省あたりから台湾ー沖縄ー奄美付近に停滞しています。梅雨入りしたとか。1月後には四国も梅雨入りするので今の晴れ間は貴重です。
 
 毎日使用する入口と出口の消化器官のメンテナンスはほぼ終わりました。やはり専門医の治療は的確。ストレスはなくなりました。

 今朝は母(91歳)を歯医者に連れて行きます。認知症の関係でろくに歯磨きもしていないので、歯が痛んでいる可能性があるからです。

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高知港海岸直轄保全施設整備事業着工式典に代理出席

 2017年5月14日(日曜日)は午前10時から、高知市あんしんセンター3階で開催されました国土交通省四国整備局主催の「高知港海岸直轄保全施設整備事業着工式典に森宏下知地区減災連絡会会長の代理出席をしました。

 題名も仰々しい。「高知港海岸直轄保全施設整備事業着工式典」。市民感情からすれば、街中の公共施設ではなく、国の直轄事業の耐震護岸の建設現場である高知市仁井田でやるべきであると思います。どうも国のやることはよくわかりませんね。県市の幹部に聞きますと、「2日間使用できる会場がなかったために、ここになった。}ということです。

 普段着用しない背広(今年は4回目)で行きました。5月は総会シーズンなのであと3回ぐらいは着用します。田舎の親父なのでスーツにネクタイで行きます。クールビズと称して背広にノーネクタイ姿と言うのは、体型の悪い親父の姿では「見苦しく」「暑苦しい」だけ。やるなら沖縄のかりうしウエアにしてもらいたい。国のお役人も国会議員もそういう発想は皆無ですね。

 ほとんどの出席者は背広にノーネクタイに、シャツの上ボタンを外した「クールビズ・スタイル」ですが、「暑苦しく」「見苦しい」としか思えませんね。部屋には冷房を入れています。冷房を切り窓を開けるべき。やることなすことがちぐはぐではないか。

 まず田中良正国土交通省副大臣(衆議院議員)「昨日から高知に来ております。今年は大政奉還150年。来年は明治維新150年の年。高知は盛り上がっています。

 一方南海トラフ地震対策。とても大事です。3重防護と浦戸湾外縁部の強化する工事の着工式です。県知事や市長の地元の要望などが活かされました。」
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 尾﨑正直高知県知事「3重防護の工事は、県全体としてとても大事な工事です。県人口の45%が集中する高知市。大災害後の県全体の復旧復興のためにも大事な事業です。」

 山本有二農林大臣(衆議院議員)や、中谷元、福井照衆議院議員、高野光二郎参議院議員が挨拶されました。地元代表として岡﨑誠也高知市長が挨拶されました。
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 事業概要については国土交通省四国地方整備局・高知港湾・空港整備事務所が説明をしました。簡便なパンフとプロジェクターを使用した5分程度の概要説明でした。完成には15年かかるとか。L1(昭和南海地震程度)なら、浸水は0になるとか。L28東日本大震災規模)でも減災には役立つという説明。完成する15年以内に南海地震は来ないでいただきたいと思います。
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 その後、着工式の鍬入れが国土交通省、県知事、高知市長、県選出国会議員らによって行われました。高知市役所踊り子隊が正調よさこい踊りを披露し、着工式典は1時間で終了しました。
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 あんしんセンター前の公園で、餅まきも行われました。広く広報されていないし、住民がいない地域なので、「関係者」が拾っておりました。

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 デジカメが昨日壊れました。ガラケー携帯で撮影しましたので、写真は多く撮れませんでした。帰りにきたむらで新しいデジカメを買いました。痛い出費です。
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2017.05.15

父と自分の通院で1日が終わりました。


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 月曜日は、父(97歳)の植田医院への通院の日です。植田先生の診察は異常はありませんでした。点滴に普段より時間がかかりました。

事務所へ戻ると、私の通院です。2週間ぶりにおの肛門科へ。1時間待って診察を受けました。
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「いぼ痔はだいたい治っていますが再発することもあります。1か月分の塗り薬があります。また1か月後に来てください。」とのことです。

午後からは、嶋本歯科へ行きました。歯茎の腫れは引き、初期の虫歯の治療と、連休中に外れた金属の被せを接着していただきました。歯医者の治療は口の中で土木工事を施工しているようなものですね。機械を使用して削ると頭へ響きますね。
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 治療は今日で終わりました。帰りに歯科医師会の提唱している「80-20」運動に、父(97歳)がエントリーするので「高知県いい歯の表彰(熟年者の部】審査表」をいただきました。

 それに必要事項を記入し、高知県健康政策部健康長寿政策課歯科保健担当係へ送付します。ちなみに父ですが、32本の歯があるなかで27本が現存しています。現存率84.3%です。喪失した歯は5本ですが、健全な歯は7本あるようです。
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 97歳にして27本の歯があるから、歯のほうは健康であるのではないでしょうか。私も見習い今回徹底的に歯の治療をしました。

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義母の命日と沖縄返還45年目

 5月15日は義母の命日。もう20年になりました。うちの母と対照的で温厚で穏やかな人でした。義母が元気なころは沖縄へ家族で正月とお盆休みは、「帰省」したものでした。

 ご近所のグランドオリオン通りにある沖縄そばの店「平松」へ鍋をもっておそばを買ってきていただきました。沖縄そばをつまみにオリオンビールを飲むのが至福の時間でした。

 その義母がいつも言われていましたのは「沖縄は基地があるので、いつ攻撃されるのかもしれない。」ということでした。

 二次大戦中は上海におられ、大変な想いをされて敗戦後の混乱のなか帰国されたとか。米軍統治の沖縄に暮らしていました。

 家内も大学進学時には、パスポートを申請して東京へ来たとのことでした。

 沖縄返還から45年。今や基地経済の規模は沖縄経済の5・8%を占めるにすぎません。米軍兵士による婦女暴行や犯罪は相変わらず多く。犯罪を犯しても基地内に逃げ込めば、沖縄の警察はどうしようもありません。

 憲法より上位にある「日米地位協定」で米軍犯罪は野放し状態です。日本にある米軍基地の70%が沖縄に集中しています。

 沖縄の人達の民意を無視し、米軍基地に奔走している安倍政権。「本土並みの基地返還」が沖縄の人達の願望ですが、ひたすら無視しています。

 義母の冥福に手を合わせ、沖縄が基地のない平和な島になるように祈願します。

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 5月の二葉町資源。不燃物ステーション


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 2017年5月12日(金)は、二葉町町内会の資源・不燃物ステーションの開催日です。午前6時前より、班長なので、下知コミュニティ・センター前に集合です。
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 次々ともちこまれる瓶類。缶類、新聞。雑誌に段ボール。家電製品や金属類や布団や家具などもあります。当番になっている町民と一緒に汗を流します。
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 5時半前から荒木三芳二葉町町内会副会長は準備しています。町民同士の月に1度の交流の場でもあります。ステーションを維持するにも労力とエネルギーがいりますから。

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2017.05.14

父はゴルフ・リハビリに行きました。

 昨日とうって変って今日は絶好の晴天。夜須のヨットレースは絶好のセーリングが出来たことでしょう。うらめしい。午前中の高知港海岸直轄保全施設整備事業着工式典の終了後は、キタムラで新しいデジカメを購入。出費が痛い。昼食後父(97歳)のゴルフ・リハビリです。

 暑さ対策として冷えたOS-1(経口補水液)を2本持って行きました。新しいデジカメはフル充電が必要との事で、まだ使用していません。
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 いつものように自己流の体操をして、水分補給はOS-1。幸い日陰になり風も通りました。暑くないようで快適に125発を打ちました。写真はガラケーで撮影しましたので、たくさんは撮影できませんでした。

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今日は晴天の1日ですね

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 昨日明け方まで雨を降らした低気圧は過ぎ去り朝から晴天。今日も夜須ではヨットレースが開催されますが、最高のコンディションであると思います。

 昨日はうねりが3メートル、風が1メートルという条件。重たく水船である私のヨットは皆についていくことが出来ず完走できませんでした。

 うねりに耐えるために足を踏ん張っていましたので、両足の痛いこと。自宅は階段生活なので辛いです。

 今日は会長の代理で[高知港海岸 直轄海岸保全施設整備事業着工式典」(国土交通省四国整備局主催)に朝10時から参加します。

 1時間程度の式典で、国の官僚や、県選出の国会議員、県知事、高知市長らの挨拶が延々とあってそれでお終いの式典でしょう。

 着工式典であれば現在耐震護岸工事を実際やっている高知市若松町の現場付近でやればいいと地元住民は思いますね。

 1年前の昨年2016年5月28日(土曜)午前10時15分から11時過ぎまで、高知市ちより街テラホールにて「高知港海岸直轄海岸整備事業着手式」(主催国土交通省四国整備局・高知県)が開催されていました。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-e49e.html

 仰々しい式典でしたが、会場は地元のちより街テラスでした。今回は高知市役所の安心センターが会場。どうも国のやることはわかりません。

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 昨日デジカメも故障し撮影できなくなりました。この1週間というもの情報関連機器が紛失したり壊れたりしますね。


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「まちづくり私史」を読んで

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 「まちづくり私史」(大谷英人先生の退職をお祝いする会事務局・2017年・刊)を読みました。他ならぬ大谷英人さんから送付いただきました。建築学がご専門。遠い昔の高知青年会議所時代に、若竹まちづくり研究所所長の立場で交流が少しありました。

 最近では地域防災の立場で高知工科大学教授として少しアドバイスを頂いたこともありました。かすかなご縁でしたが、冊子を送付いただき、読ませていただきました。

大谷さんが学生時代の出来事も書かれていましたので、わたしも長らく仕舞い込んでいた学生時代の想いを総括していました。

 私の個人ブログでは「連合赤軍と新自由主義の総括」というカテゴリーで数年前から書いていますが、なかなか出来るものではありません。自分の意識より現実の社会の変化が早いからです。

私は文系の人間であり専門的に建築や土木、都市計画の学問を勉強したことはありません。ただ社会運動に関わっていましたので、パリ・コンミューンについては、市民各位が「まちづくり」の在り方を議論している最中に、反革命勢力に攻められ壊滅した姿に興味がありました。

 「規律正しい前衛党がなかったから負けたのだ。」というレーニンの党独裁主義的な総括は新旧左翼もしていますが、私には全くなじめません。連合赤軍事件や凄惨な内ゲバは、「偏狭で、他人の意見を聞こうとしない生真面目な人間が陥る落とし穴」のように思えます。

 「都市計画の計画策定段階からの市民参加が必要であるし、権限と責任を持たないと真の市民自治とは言えないのではないか。」とわたしは常に思います。


 そういう意識を底流に持っていて、JC(高知青年会議所)時代の都市再開発セミナーを3年間(1990年から1992年迄)やってきました。その後長いブランクがあって、現在地元下知で地域防災に取り組んでいますが、「まちづくり」の視点がなければ、防災・減災はできないと真底思っています。

 大谷さんご自身も大学時代の」全共闘運動のとん挫や、その後の内田雄造さんとの出会いや関わり、磯村英一さんとの関わりや、各地域での被差別地区環境整備計画策定の中で、独自に市民主体の「まちづくり」を実践なさっておられていました。「まちづくり私史」を読ませていただいて、理解することが出来ました。

 「ワークショップ手法等を取り入れた「まちづくり手法」及び市民参画」(P96)は、全くそのとうりであると思います。

「行政が、住民に対して開催する説明会は、参加者からの質問に行政が堪えると言う一方通行といった会が主になっており、説明会には、参加住民と行政との協働の作業は含まれていません。」

「また、住民同士が集まって「まちづくり」の会議を行う場合でも、通常は住民のなかのリーダー層が会を主導し、予め形式化した会議が多いと言えます。」

「まちワークは、地域住民の会議をこうした形式から開放し、全ての住民が協働作業を通じて、まちづくりに積極的に参加する機会を提供します。
 またワークの核心は、新しい社会的コミュニケーションの世界が開かれたところにあります。市民と行政の間の壁、市民相互の間の壁が、「まちワーク」によってあっけなく乗り越えられます。

 このことが、それぞれの主体の間にあったワダカマリや消極的な姿勢を見事に溶かし去り、自由で創造的な試みを誘い出すことがしばしばです。

 そして、行政にとっても、住民にとっても,両者の円滑なコミュニケーションを可能にすると共に、参加の成果が内容豊かなものとなりうることを実証してきました。」(2「まちワーク」が新しい社会的コミュニケーションの世界を開く」P98)

 1990年から92年まで高知青年会議所で継続した「都市再開発セミナー」の種本の1つは 「都市開発を考える アメリカと日本」(大野輝之・レイコ・ハべ・エバンス・著・岩波新書・1992年刊)です。

 そのなかで「市民参加の梯子段」というアメリカの社会学者の理論を解説していました。

「 そして「市民参加の梯子段」として私がよく引用する「参加の梯子」についての説明も改めて読みました。
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「住民参加という概念を「参加の梯子」によって明快に定義したシェリー・アーンステインは、この概念の持つ問題点を次のように表現している。

「住民参加」はほうれん草のようなものだ。皆これは自分にとって良いものだと知っており、誰も真っ向から反対はしない。(中略)だが、いったんこれが「持たざる者」を含めた人々への権力の再配分を意味することになると、ありとあらゆる見地から反対が唱えられる。」(P102「真の住民参加」)

「アーンスティンによると、住民の参加とは住民に権力を与えることだという。また権力のともなわない「参加」はなきに等しいともいう。

 住民が住みたいと思い、こうあるべきだと考え都市を創っていくという目標を実行する力が与えられている、ということが真に「住民参加」のある都市づくりだというわけである。このような住民の力(権力)の度合いを大雑把にいって8段階に分類して説明しようとしたのが、アーンステインの「参加の梯子」である。


 最も最上段の住民権力が最強で、住民がコントロールを握ってその目標を果たしえる状態である。反対に、最下段は住民は都市づくりに対する彼らの目標を果たすに必要な権力は何一つ与えられない状態である。

 権力者たちが世論捜査の部として、意味を曲解したまま「住民参加」とか、たとえば、すでに権力者側が決定した事項を黙認する役割しかない形だけの諮問委員会に、住民を任命することである。

 日本の都市を「参加の梯子」ではかれば、そこに位置するのだろうか?」(P194)

 引用が長くなりましたが、地方権力を掌握することこそが、真の住民参加なのです。そうした問題意識はこと高知市や高知県の役人も市民も皆無です。

 大谷さんの言われる「まちワーク」によるまちづくりの事例は高知にありますか?特に高知市の場合はいかがでしょう。今私たちの下知地域では「地区防災計画」を2年前からやっています。テーマは「事前復興計画」です。

 事前復興まちづくり について

 109Pに「事前復興まちづくり」の記述があります。高知卸団地に提案されたたそうですが、実現しそうでしょうか?人工地盤の再開発の計画ともあります。

 私どもも「浮体式人工地盤」を考案しました。地震後すぐに浸水が始まる下知地域では、高密度発泡体を使用した浮体式人工地盤を県と市に対案しましたが、全く検討していたけません。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/cat52378328/index.html

 また立体換地による低地に耐震高層住宅を建設する。自分の土地建物とマンションの1室を交換して地域の安全安心な再開発はできないものだろうかとも考えました。こちらも足踏み状態です。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2017/03/post-47ac.html

 国土交通省の「スーパー堤防」構想がまだ生きているのであれば、下知地域で導入は可能でしょうか?検討してみたいと思います。

https://kotobank.jp/word/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E5%A0%A4%E9%98%B2-170228

 5月14日に国土交通省の四国地方整備局主催の[高知港海岸直轄海岸保全施設整備事業着工式典」があります。地元下知住民の代表として出席予定です。

 耐震堤防つくることは反対しませんが、自分たちの住宅や職場は依然として海抜Omにあります。脅威が低減するわけではありません。

 また現在高知市は「4つのまちづくり」がばらばらに展開されています。

 現在高知市では縦割り的に「4つのまちづくり」が、展開されています。重なるところがあるのに何故一緒になってしないのでしょうか?


1)地域コミュニティ推進課の

  「コミュ二ィティ計画」があります。地域内連携協議会があります。


2)福祉の関係のまちづくり(福祉関係部署と社会福祉協議会)

「私たちが市と一体的に立てた地域福祉活動推進計画の中でうたっている「誰もが安心して暮らせる支えあいのあるまちづくり」があります。


3)コンパクト・シティ計画(都市計画課)

 都市機能の「立地適正化計画」がある。
 高知駅前・旭駅前・朝倉駅前に集約・集積するという考え方で都市計画。

4)下知地区防災計画(事前復興まちづくり計画)地域防災推進課と下知地域  住民との協働。

 それぞれが活動をしていますが、ばらばらです。一緒にやれないものでしょうか。

 地区防災計画という事だけですと「防災」のことだけに特化したように受け取られます。「事前復興まちづくり計画」としたいと私は思っていますが、少数派なので意見が通りません。


 本年度の下知地区防災計画第1回検討会は、6月22日午後6時半から、ちより街テラス3階会議室で開催されます。

 現在わたしは、小さな商いをする傍ら、超高齢の両親(父97歳・母91歳)を家内と2人で在宅介護しています。その合間に自宅まわりの地域防災活動をしているだけです。

 海抜0メートル地帯で毎日寝食し、生活し、働いています。海抜0から2M以下の低地の市街地に高知市では12万人が居住し、働いているのです。

 何をさておき最優先の課題であると思います。行政側は「勝手な計画」を上から押し付ける従来手法だけではなく、住民声や不安をきちんと聞き取り、活用していただきたいです。そのためには行政と市民との信頼関係の構築がなにより必要です。

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2017.05.13

龍馬杯2017に出場しました


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 2017年5月13日(土曜)は龍馬杯ヨットレース(主催YASU海の駅クラブ)にやおら出場しました。2日間のレースですが、明日は父のゴルフ・リハビリと用事があり1日限定の参加です。
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 遠くは大阪からの参加者もおられハーバーは賑わっていました。ぎ装し受付をすませ午前11時から開会式がありました。丸岡理事長や清藤香南市長の挨拶もありました。
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 その後は気象条件が安定せず待機の時間。デジカメも突然調子が悪くなりその後の写真はありません。原因は不明です。

 うねりは3メートル。風は1メートルという状態。午後2時過ぎにようやく出艇できる状態に。丁度引き潮ですんで海へ出るのに苦労しました。

 レースは2レースしました。残念ながら時間内に完走できませんでした。艇が重く、方向も間違ったりして上手く帆走出来ませんでした。

 レース後片付けをして体もハーバーで洗い、遅れて懇親会へ行きました。地元夜須町や、香南ジュニア・ヨットクラブの保護者の皆様や高知大学ヨット部の人達が調理をされ美味しい料理をこしらえていただきました。
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 夜須のトマトや野菜サラダやニラ焼きそば等をたくさん食べさせていただきました。海では情けなかったですが、お料理には大満足です。関係者の皆様ありがとうございました。
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 懇親会では五輪セーラーの人や、音楽も演奏されていました。波が高く踏ん張っていましたので両足が痛いです。

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坂本茂雄県議の「県政かわら版」

 2月定例県議会の坂本県議の代表質問を中心に、南海地震対策についての質疑が主な掲載内容です。中身の濃い記事でした。

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2017.05.12

母を連れてはりまや橋商店街へ


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 先週は5月の連休の5日(金曜)は、はりまや橋商店街での「活き活き100歳体操」はお休みでした。2週ぶりに母(91歳)を連れて来ました。
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 まずは夕飯用のコロッケを購入しました。次に谷ひろ子さんのお店で焼き菓子を購入しました。パン屋さんでクッキーを購入しました。
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 谷ひろ子さんのお店でコーヒーを依頼し、母とお茶しました。今日は100歳体操へ参加される人の参集時間が遅いようでした。
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 カメラの調子が悪く、100歳体操の写真が多く撮影できませんでした。
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 終わりますと事務所へいったん戻り父(97歳)を積んで横田胃腸科内科へ行きました。、待合室で奥内将之さんに会いました。久しぶりでした。
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 横田哲夫先生の診察は両親とも「医学的な所見はない。」ということでした。血圧は、父が136-60で、母が130-68で良好でした。

 処方された薬を受け取る調剤薬局に母と一緒に行きました。RKCテレビをやっていまして「文旦好きがこうじて」の著者である松田雅子さんがゲスト出演されていました。
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 だんだんお天気が悪くなりますね。明日は夜須でヨットレースがあります。土日2日間の予定。土曜日だけエントリーしていますが、お天気はどうなることでしょう。

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二葉町町内会加盟の世帯数と班分け

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 2017年4月時点の高知市二葉町町内会参加の世帯数は186世帯で15の班に分けられています。参加賃貸マンションの世帯数は79世帯で全部で265世帯です。高知市役所の調査での二葉町の世帯数は431世帯です。町内会加盟数は61%ということになります。
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 その加盟率が高いか、低いかはわかりません。町内会を通じた情報伝達が60%の町民にしか伝達できていないということです。町内会へ参加していない町民への告知方法はとりあえずはありませんね。

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2017.05.11

岡村眞先生の下知地区での講演会

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 岡村眞(高知大学名誉教授)の講演会が、5月21日(日曜日)に、ちより街テラスにて、午前11時と午後14時から2回開催されます。「近づく南海地震と津波に備える」というテーマです。

 ベスト電器高知本店が主催するようです。

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2017.05.10

高松へ行っておりました。

 今朝は早起きして仕事の段取りをして、WEBでの質問に回答し、注文を処理しました。あれこれやっているうちに早い時間帯の出発が無理となり、結局8時前の出発。高知市内も通勤・通学の時間帯であり交通量も多い。
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 山岳高速道路の高知自動車道路をひたすら走りました。途中豊浜SAにてホットコーヒーを飲んで休憩。待ち合わせ場所のJR高松駅へ行きました。高松中央インターを降りてうっかり国道11号線を走行。混んでました。
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 高松駅の周辺も様変わりしていました。メーカーの担当を迎え、早めの昼食を屋島の、四国村へ行きました。わら屋へ行くのも久しぶりでした。中ジャンボの釜揚げうどんを食べました。食後は異人館の建物を移設した喫茶店でコーヒーを飲んで打ち合わせをしました。
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 31年前にともに頑張ってこしらえた工事現場のその後を視察しました。現場は都市化して変化にあらためて驚きました。
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南国道路五台山地区の津波避難場所?を確認しました。

 2017年5月3日の午前中に両親をディサービスに送り出してから五台山地区へ出掛けました。五台山農園の南側の地域です。

 県道五台山道路(高知新港へ行く県道)と交差して無料高速道路の南国道路が高知空港近くまで昨年完成しています。盛り土して建設されています。最近五台山道路と万石道路の交差点南側に避難場所がつくられていました。

 最近の事のようです。先日夜須からの帰路で気が付きました。自転車で近くまで行き確認しました。確かにこちらの五台山地区は海抜が低いです。海が近く下田川も現在耐震護岸工事がされています。
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 タナスカ石油基地はすぐ近くにありますね。

 郷土の偉人であり「ライオン宰相」と言われた濱口雄幸総理大臣の出身地が五台山地区ですから。

 近くまで行って見ました。斜路と階段がこしらえられていました。非常時に入口のドアを蹴って破れとあります。施設は当然ふだんは鍵がかかっていますので、避難場所の上はどうなっているのかが確認できません。またその入り口付近位は照明がありません。停電時の対策として太陽光電池充電式の避難誘導灯も設置されていません。
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 たぶん高速道路に隣接されていていますので、高いフェンスが張られているはずです。出口はあるんでしょうか?と申しますのも人家のある地域の地盤は低い(たぶん海抜0以下)と思われます。南国道路の海抜表示でも海抜2Mとありました。
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 それより高い標高の大畑山や五台山に高架道路を通って逃げる必要もあります。昔からあり人家は山沿いにあるので駆け上がることが出来ますが、通過車両や農作業中に地震・津波時の高台への避難行動が課題ですね。
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2017.05.09

父の腎臓状態は小康状態です


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 2017年6月9日(火曜)は、前日に引き続いて植田医院へ行きました。5月6日にい行いました血液検査について植田一穂先生から説明がありました。

「クレアチリン値、尿素窒素・カリウムとも小康状態で安定しています。ただ貧血状態の目安であるヘモビロビン地が10を超えないのが心配です。」とのこと。

 最近足腰が弱った印象の父(97歳)。なんとか自力で車へ乗りこむことができました。
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携帯電話の電話帳を発見


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 5月7日に海中に没した私のガラケー携帯電話。その後事務所と倉庫を懸命に捜査しましたが見つかりませんでした。落ち込んでいました。家内が「ひょっとして大事なデータだから3階か4階の部屋にあるんでは。」との一言。

 全く記憶にありませんでしたが、探しますと、なんと3階の書棚ケースの中にありました。大事を取って、自分なりに保存していたのでした。昨年の7月までのデータで1100人の電話帳のうち993人分まで回復することが可能になりました、やれやれです。

 今日は今から父(97歳)の付添で植田医院へ行きます。本来は明日ですが、明日は日帰り出張です。雨ですが気持ちが晴れやかです。ご近所の紫陽花の花が開花しそうです。紫陽花が作始めますと梅雨の到来ですから。季節は確実に動いています。
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 FBは相変わらず画像が表示されません。こちらの「罰ゲーム」は続いています。投稿された画面を理解できないので、「いいね!」やコメントが出来ない事をご了承ください。

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お天気は下り坂

 天気図を見ると揚子江付近の前線を伴った低気圧が東進してくる関係で、今日は1日雨の予報が出ています。最近の天気予報は当たりますから。

 ネットが繋がらないのは昨日回復しました。ガラケー携帯が海に水没した「事故」は、今日の夕方保険で代替え品が到着予定に。電話帳をバックアップしたCDが未だ見つからない。

 「罰ゲーム」は続いていまして、FBですが、繋がりますが画像が見えません。文字だけの表示。画像も動画も見れない状態に、ネットが回復した状態からその現象が続いています。

 他のネット情報はすべて画像も動画も見えるのにFBだけがそうなっています。きっとFB側で何らかのトラブルなのか、誰かが意地悪しているのか不明です。

 画像情報がなければ、情報としては価値が著しく低下しますね。連休明けで公私ともにせわしいのでしばらくは、「画像の見れないFB]のままですね。

 今日は朝1番は父(97歳)の通院の付き添い。午後からは月に1度の老師の整体。携帯電話の引き取りがあります。明日は日帰り出張の予定。

 「罰ゲーム」が情報通信の分野で続いていますので、実生活でも自爆(事故などしないように)冷静に対応しないといけないですね。
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二葉町の町内会加盟マンションに配布しました。


 2017年5月3日は五台山下知愛のふるさと農園(横田政道・農場長)での作業が告知されていました。今朝は何故か自宅の階段の昇降時に足が痛いので欠席させていただだきました。水平移動は可能なのです。

 4月27日の二葉町町内会総会時に、「二葉町防災新聞」と「広報下知減災」を15の班の班長さんにお渡ししました。町内会には町内の6つの賃貸マンションも所有者が町内会に加盟しています。それで5月2日の夕方と3日の早朝にそれぞれのマンション1階の郵便受けに投函しました。
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 二葉町の世帯数は高知市役所の調査では431世帯です。二葉町町内会への参加世帯は15の班で186世帯、6つの賃貸マンションで79世帯で合計265世帯です。全世帯の61%の町内会組織率です。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2017/05/post-888c.html

(二葉町町内会加盟の世帯数と班分け)

 全勤労者の20%程度しか組織していないと言う労働組合よりは組織率は髙いものの町内の175世帯には、二葉町自主防災会の情報が届いていないということです。その中には、3回津波避難ビルにお願いに行って3回断られた分譲マンション(32世帯)があり、30年ほど前に二葉町から分裂した西二葉町町内会の20世帯があります。

 二葉町町内会には加盟はしていませんが、二葉町町内会と協定を締結、地域の「津波一時退避場所」になっている分譲マンションは53世帯、4カ所の「津波一時退避場所」になっている賃貸マンションに32世帯あります。

 古くても鉄筋や鉄骨の賃貸マンションならともかく、木造の平屋や2階建ての古い賃貸アパートや借家に居住している住民も30世帯ほどいます。高齢者が大半であり「避難困難者」になっています。
 
 賃貸マンションへ投函して思うことは、果たしてこの情報をきちんと呼んでくれるのだろうかと思います。「チラシお断り」と張り紙している」ポストも多いからです。

 それら町内会に参加していない世帯への情報伝達は現状では無理ですね。「事前対策」の困難さを思い知りました。町内会へ加盟していないマンションの住民の皆様は、すべて「自己責任」で災害対策を実施されてください。

 二葉町町内会や二葉町自主防災会も加入を拒絶しているわけではありません。町内会に申し込みをし、町内会会費を支払い(年間2400円)をいただければ、自主防災会の情報も提供できます。
 
 WEBではブログ「二葉町防災新聞」を見ていただければ、二葉町自主防災会の活動履歴をご理解いただけると思います。まずはご自身で動かれてください。

 二葉町防災新聞・ブログ http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/

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2017.05.08

夜須の海の散帆を堪能しました。携帯電話が水没しました。

昨日から今しがたまでインターネットが不通でした。NTTにFAX(電話はなかなか繋がらない)。そしたら繋がりました。その後NTTから電話がありました。機能などは0回電話しても繋がらない。FBにはつながりましたが、画像すべてが表示されません。なんだかおかしいですね。

 こういうインフラ的な事業者はコールセンターを設置して24時間メンテナンスをしてもらいたいと思う、未だにNTTは「殿様商売」をしてますね。ということで本来昨日投稿すべき記事を今アップします。ブログは正常。FBがおかしいだけ。

 2017年5月7日(日曜)、連休最後の日は、朝から夜須へ行きました。5日の「こどもの日は」「爺さん・婆さんの日」でした。6日は家内はコンサートに出掛けていて留守番をしていました。家人の許しも出ましたのでいそいそと出かけました。
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 まずヤッシー・パークに到着。近くの訪でおむすびと卵焼き(550円)を購入。保冷箱に入れます。そしてハーバーへ行き、ぎ装(ヨットの組み立て)をします。どん曇りですが風がそこそこ吹いています。
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 結構強い西風が吹いていました。バランスを取りながら海の散帆を堪能しました。上はTシャツで下はアンダーウエア―に合羽を着用しました。風が意外に強いので、ヤッシー・パークに一時的に着艇しました。ぎ装をやり直したりしました。
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 ステージではフラダンスをしていました。山本宏幸さんが撮影していました。自撮りで「おっさん2ショット」しました。
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ビーチへ降り、ヨットを出艇させようとしました。突然突風が吹き、ヨットは横転しました。センターボードを入れる前に横転ししたので、簡単にはヨットを起こせません。
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 マストを持ち上げてようやく起こした。乗り込もうとしたらまた突風が来ました。またしても横転しました。2回横転してようやく乗り込み、艇をコントロールして海の散帆を楽しみました。

 おなかも空いたので12時前にハーバーに着艇しました。ヨットを陸に上げて、マストを引き抜き、一部ぎ装を解除しました。そしたらあろうことか、大事なガラケー携帯電話が見当たりません。入れていた袋の口が開いていたようです。2回横転した時に落水し、そのまま海へ沈んだようです。紛失してしまいました。

 ヤッシーのビーチも歩いて見ました。打ちあがっているようにはありませんでした。諦めて管理人室に届け、お昼を食べました。午後から久しぶりにKさんが来られましたので、一緒に艇を出し帆走しました。

 風が南西に変り波が出ましたので乗りにくい。ヤッシーの中へ入り帆走練習をしばらくしました。午前・午後と帆走し、3回(あと1回は午後ハーバーで)横転し、起こしましたので、結構な運動量になりました。

自宅へ戻り携帯ショップへ走りました。

 家内と相談し、幾ばくかの現金を持って、契約している携帯ショップへ駆けつけました。「この際最初にスマホへの変更されたらいかがですか?」と言われました。スマホには興味がないので、従来型のガラケー希望と伝えました。
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 そしたら新規契約になると、ガラケー型スマホしかなく機種代も4・5万円するらしい。これはNG.スマホもNG。困っていますと店員さんが契約要件で携帯保障保険(?)に入っていることが判明。それを活用することに。それには警察の証明書が必要とか。

 それには警察の証明が必要。中央公園北口にある帯屋町交番へ携帯紛失届をだしました。証明書を出してくれました。それをもって携帯ショップで手続きをしていただきました。
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 結局同じような機種を2日後の9日の午後に携帯ショップへ到着になりました。それまでの2日間はガラケー携帯を台車ならぬ台携帯で借りることになりました。

 2日後の午後にガラケー携帯が届きます。しかし1000人を超える電話番号が喪失しました。途中までコピーした電話番号をCDにしている筈ですが見つかりません。焦っています。

 CDが見つかれば、携帯電話の半分の番号は復活出来ますので、懸命に探しています。やれやれです。

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閖上復興便り43号


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 6年前の東日本大震災直後から発刊されている「閖上(ゆりあげ)復興だより」(格井直光・編集長)。このたび43号を送付いただきました。

 記事には名取市追悼式が名取市文化会館にてとりおこなわれたのこと。昨年3月11日の5年の追悼式には参列していました。
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 嵩上げ地に住宅が建てられている様子の写真も掲載されていました。来年度は閖上小学校と閖上中学校の合同調査も完成します。地域の復興の様子が紙面からわあkります。

 地域住民各位との情報共有に「閖上復興だより」は大きな役割を果たしていることが良くわかります。
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2017.05.07

家内はコンサートへ行きました


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 2017年5月6日(土曜日)。朝は植田医院へ父(97歳)の通院の付添で行きました。連休明けで繁忙状態です。母(91歳)は朝から1日ディサービスへ行きました。午後から父は介護予防通所サービスへ行きました。
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 家内は16時半からMONKEY MAJIK のライブにX-PTへ行きました。

http://x-pt.jp/pc/schedule.html(X-PT)


 両親のディサービスからの送迎の引き取りと夕食の準備と後片付け、就寝の準備は私がすべてしないといけないでです。母のオムツ替えもしないといけないですから。普段は家内が主体にしていますから。その労力の大変さには思い知らされますね。なんせ「老いても子に従わない」我儘な両親ですので・・。

母が先に戻って来ました。「今日はうちではうんこしてませんから、おうちで出るかもしれません。」とのこと。排泄障害が酷くなってますからね。

 
 父が戻って来ました。調子はよいようでした。

 MONKEY MAJIKというロックバンドはよく知りません。知らないのでWEBで調べてみました。

「カナダ人兄弟がツイン・ボーカルおよびツイン・ギターを担当し、日本人2人がリズムセクションを担う4人組バンド。青森県・南部地方で結成された当初は現メンバーより多国籍な在留外国人のバンドであったが、宮城県・仙台都市圏への移住を経て日本・カナダ混成バンドに収束したため、両国の「ハイブリッド・バンド」と称されることもある[注 1]。

 メジャー・デビューした現在も全員が仙台都市圏在住[注 2][1][2]。
カナダ人兄弟が日本語と母国語の英語をミックスして歌う、J-POPと洋楽の要素を併せ持った楽曲が特徴で、その比重は日本語詞が大半を占めるものから全編英語詞のものまで様々である。ただし、曲中のラップはほぼ英語である。」(WIKIPEDIAより)

https://ja.wikipedia.org/wiki/MONKEY_MAJIK

 面白そうなバンドですね。

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2017.05.06

父の通院とカフェ・レストすみれ

 3連休でしたので、父(97歳)に付添植田医院へ行きました。朝1番は雨もようでしたので、出足が遅れていますが、混み始めていました。
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「腫れもなく腎機能は小康状態を保っています。」と植田一穂先生。
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 父はふら付いて診察椅子に座ろうとして転倒しましたが、大丈夫でした。身体のバランスが悪いので、転倒には細心の注意が必要です。

 戻って来てご近所のカフェレスト・スミレへ行きました。モーニングをいただきました。作り立てなので美味しいです。今日は土曜日のモーニングでした。日替わりモーニングですので凄いと思いました。
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 ご近所のYさんが「ある医院で1時間半待たされた。混んでるね。」と言われていました。かき氷を食べていました。もうそんな季節です。

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今日はせわしい1日

 朝1番は五台山市民農園での作業。その後に弘化台市場で朝食タイムですが早退しました。父(97歳)の植田医院へ通院があります。

 夕方は家内がMONKEY MAJIKのコンサートへ行くのでお留守番です。
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 朝5時50分に横田政道さんところへ行きました。「今は降雨はないが雨の予報が出ていますので、今日の農園での作業は中止します。」とのことでした。

 福谷さんも来られましたが、中止を確認しました。代わりに町内に貼っている「5月3日のプラゴミと5月5日の生ごみは収集しません」の張り紙を剥がして回収することにしました。ゴミ拾いもしました。
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 地面にも塀にも掲示板にも「ごみは収集しません」と書いていますのに、不法投棄のゴミが5日には、2袋出ていました。馬鹿は町内にもいますね。倉庫に置いてあります。すぐに回収しました。
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 アメリカに「割れ窓の理論」(?)かなんかがあり、窓ガラスが割れているビルがあれば、荒れている印象を人々に与えるのでより窓ガラスが割られ地域は荒廃します。すぐに修繕することで地域は荒れないようになります。不法投棄を見逃せば、「かまんだろう」という心理が働き、収集しないのにゴミステーションはゴミで埋まりますから。

  割れ窓理論  

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二葉町防災新聞(紙媒体)と広報下知減災を町内配付中


 今年度の活動計画を記述し、裏面には10年間の二葉町自主防災会の活動履歴を表記した二葉町防災新聞・2017年4月号。広報・下知減災は、2016年度の地区防災計画のまとめを記述しています。「概要版」も見開きページに掲載しています。
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 二葉町内の15の班は、4月27日の二葉町町内会総会で、班長さんに班の町民各位に配布していただくようにお願いしました。賃貸マンションで家主が町内会費を頂いているところへは、手配りでポストへ投函しています。

 勤務中での配布は難しいので、休日に配布する予定です。
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2017.05.05

5月5日は「爺・婆」の日

 5月5日の祝日は「こどもの日」です。うちの世帯は子供がいません。父97歳、母91歳で、63歳の私ら夫婦ですので世帯の平均年齢は78歳を超えております。

 今朝は父(97歳)の付添でリハビリ・ゴルフへ行きました。いつものように自己流の体操をし、水分補給(OS-1)をし、マイペースで球を打ちます。風がなかったので父は暑いようでした。高齢者は調整が難しい。
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 戻って来ますと母(91歳)が出掛ける格好で待ち構えています。月火水木土とディサービスへ行っていますし、金曜日は午後からはりまや橋商店街へ行っております。「お出かけ習慣」が母にはついているのです。
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 歩行補助車を出しました。2人でわいわい言いながら、ご近所のお菓子屋さん(西川屋老舗)へ歩いて行きました。お菓子屋さんには「柏餅」がありました。鯉のぼりを模したどら焼きもありましたので購入しました。
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 経営者の奥さんがお茶とお菓子を出していただきました。ベンチに座って母と2ショット写真を撮影していただきました。同じ町内の方にもお会いしました。あちらも母と息子のペアでした。
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 おやつに子供はいないですが「柏餅」を食べるようにします。家内が両親のオムツが少なくなったと言いますので、昼食後午後から買い出しに出掛けないといけないですね。

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夜須での「ヨット&カヌー体験試乗会」をサポートしました。


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 2017年5月4日は、夜須での体験乗船会でした。朝の準備、体験のサポート、片付けなど1日仕事でした。
どん雲でお天気が心配でしたが。、県内外から大勢の参加者がありました。特に午前中体験者が予想より多く、時間的な問題で体験を諦める参加者の方もおられたとか。今後はそういうことはないようにしないといけないですね。
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 受付で体験料をいただき、ご自分の体に合うライフジャケットを着用いただきます。そして砂浜の体験乗船場へ来ていただきます。カヌーやヨットの場合は簡単な操船方法を指導します。ごくごく簡便な指導です。
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 そしてすぐに海へ出艇いただきました。カヌーもヨットもローボートも、カナディアン・カヌーも皆楽しげに乗船されておられます。高知大学ヨット部や押岡さんや福留さんもヨットで海へ出艇されていました。
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 2回目からはカヌーの艇数を増やしました。参加者は昨年より多いと思いました。
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 ハーバーに近い海面は風が弱かったですが、沖合は結構吹いていましたね。正午に休憩し昼食時間に。訪のから揚げ弁当を食べました。
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 午後からは一層どん曇りになり今にも雨が降りそうなお天気に。昼食時の打ち合わせでは、室戸付近に強い雷雲があり、また県西部でも雨雲が発達しているとの気象情報が事務局から伝達されました。

 それで体験は大事を取って、3回目の体験を最後とし、受付を済まされた参加者から順次海での体験をしていただくことにしました。雷注意報が4段階目になったり、土砂降りが予想される場合は中止にする方針になりました。安全第一ですから。
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 参加者は皆土佐の海ー太平洋を満喫いただきました。参加者アンケートも皆さん「楽しかった。」と書かれています。満足度は大人も子供も高かったと思います。

 海が怖いと泣き叫んでいる子供もいました。また「うちの子はゲームばかりしているので連れて来ました。」というお元気なお母さんも居られました。3世代で来られた人や、親子ずれやカップルの人達もいました。

 反省点があるとすれば、体験の度にカヌーが水濡れしたり、細かい砂が座る部位に付着しています。タオルで拭き取りましたが枚数が少なく至らないところがありました。来年はきちんとやることを反省会で確認しました。
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 片付けしているうちに雨が降り出し、3回目で中止して正解でした。ヤッシー・パークは大勢の人が押しかけていました。やはり連休モードです。
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 戻ると4時過ぎでした。備品を片付けていますと、介護予防通所リハビリへ行っていた両親が戻って来ました。海の散帆とは違う肉体の酷使をして頭は爽やかですね。

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2017.05.04

メタボ予備軍脱出が目標


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 4月13日に受診した健康診断でした。メタボ判定こそなりませんでしたが、昨年より腹囲が2.9cm太りウエスト周りが86.9cmとなっていました。ショックでした。去年より体重は0.7㎏の減少、BMIは23.6から23.4に改善しているにもかかわらずです。

 でもコレステロール値と血糖値と尿酸値がボーダー・ラインです。数値は昨年より悪くなっています。
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 運動と言えば天気が良ければ休日の「海の散帆」。昨年11月より6年休会していたスポーツクラブに復帰しました。週に1回行くようになりました。それだけでは改善されていませんでした。ショックです。
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 今後は目標を高く掲げることにしました。「水泳選手のような贅肉のないスリムな体をめざし」ます。今はだらりんと贅肉がお腹周りについていて実に見苦しい限りでです。
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 大学生の時は、上京した母と三越百貨店の紳士服売り場へ一緒に行きました。売場のマネキン人形が来ていたブレザーを気に入り、着用させていただきました。自分の体にぴったり。そのまま購入して着用して帰りました。当時はYA体の体型でした。

 加齢で基礎代謝も落ちています。運動量も少ないですね。これでは到スリムな体は到底無理ですね。目標は髙く持ちましょう。ウォーキングや階段登りなどを運動に加えることにします。

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2017.05.03

没後20年司馬遼太郎展へ行きました。


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 2017年5月3日は、午後から父を介護予防通所サービスへ送り出してから家内と2人で徒歩で行きました。憲法記念日なので、「憲法施行70周年県民の集い」へ参加したかったのですが、終了時刻が16時半との事。16時には自宅にいませんと両親をデイサービスから引き取れませんので断念しました。

 それで高知県立文学館で5月25日まで開催中の「没後20年司馬遼太郎展 21世紀”未来の街角”で」を見学しに行きました。こちらは商店街の騒がしさとは無縁で、司馬遼太郎さんの世界を堪能できました。

 義母より1年前の1996年に司馬遼太郎さんはご逝去されています。多くの歴史小説を出筆されておられます。私も何冊か読みました。

 また晩年には「この国のかたち」という随筆や対談集を出されました。ご自身の戦争体験や、歴史から見た現代社会のあり方を鋭く問いかけています。

 個人ブログに「司馬遼太郎氏の帝国主義論」というカテゴリーにまとめて見ました。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/cat21875235/index.html

 展示の中にありました「この国のかたち」に印象に残る言葉を残されています。


「統帥権の無限性」

 これは4年前に愛媛県松山市の坂の上の雲ミュージアムの展示室で購入した評論「「昭和という国家」(司馬遼太郎・著・第1刷1999年第23刷2012年刊・NHK出版)を讀んだ感想を書きました。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-e9b9.html

「日本という国の森に、大正末年、昭和元年くらいから敗戦まで魔法使いが杖をポンとたたいてのではないでしょうか。

 その森全体を魔法の森にしてしまった。発想された政策、戦略あるいは国内の締め付け、これらは全部変な、いびつなものでした。

 魔法の森からノモンハンが現れ、中国侵略が現れ、太平洋戦争も現れた。」

 司馬遼太郎が、軍部官僚の「統帥権」という、正義の体形が充満して、国家や社会を振り回していた、”昭和という時代”を骨身に軋むように想いで「解剖」する。日本のあすをつくるために。」と書かれていました。

 また「雑貨屋の帝国主義」という表現も鋭く的確です。

”雑貨屋”の帝国主義


 「この国のかたち」にきちんと説明されています。

「「なぜ、日本は、勝利後、にわかにづくりの大海軍を半減して、みずからの防衛に適合した海軍にもどさなかったのか」ということである。

 日露戦争における海軍は、大規模な海軍たらざるをえなかったことは、「坂の上の雲」(文藝春秋刊)を書いた私としては、十分わかっているつもりである。
 ロシアのウラジオストックにおける艦隊を討ち、かつ欧露から回航されてくる大艦隊と戦うためには。やむなく大海軍であることを必要とした。その応急の必要にせまられて、日本は開戦前、7,8年のあいだに、世界有数の大海軍を建設した。

 ロシア海軍はこれによってほぼ壊滅し、再建には半世紀以上かかるだろうといわれた。」(P37)

「大海軍とはいうのは、地球上のさまざまな土地に植民を持つ国にしてはじめて必要なものとなる。

 帝国というのが収奪の機構であるとすれば、16世紀の黄金時代のスペインこそその典型だった。史上最大の海軍が作られ、大艦と巨砲による威圧と収奪、陸兵の輸送と各地からの収奪物の運搬のためにその艦船はあらゆる海に出没した。

 16世紀末、その無敵艦隊をイギリスが破って、スペイン的な世界機構の相続者になり、機構をみがきあげるのである。

 当然、イギリスは大海軍を必要とした。蒸気機関の軍艦になってから世界の各地に石炭集積所を置いたために、港湾維持のための支配や外交がいよいよ精密化した。

 しかし、日露戦争終了の時には、日本は世界中に植民地などもっていないのである。」(P38)

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「 しかしその当時の日本は朝鮮を奪ったところで、この段階の日本の産業界に過剰な商品など存在しないのである。朝鮮に対して売ったのは。タオル(それも英国製)とか、日本酒とか、その他の日用雑貨品がおもなものであった。タオルやマッチを売るがために他国を侵略する帝国主義がどこにあるのだろうか。」

「また、朝鮮を侵略するについても、そのことがソロバン勘定としてペイすることだったのか、ということをだれも考えなかった。

 その後の、”満州国”(昭和7年・1931年)をつくったときも、ペイの計算はなく、また結果としてペイしたわけでもなかった。」(P43)

「(中略)・・・・・・。

 日本からの商品が満州国に入る場合、無関税だった。この商品がこれ以後、華北に無関税で入るようになった。このため、上海あたりに芽を出していた中国の民族資本は総たおれになり、抗日への大合唱に参加するようになった。翌年、日本は泥沼の日中戦争に行ってします。

 ”満州”が儲かるようになったというのは、密輸の合法化という右のからくりのことをこのモノはいうのである。その商品たるやー昭和10年の段階でもなお人絹と砂糖と雑貨がおもだった。

 このちゃちな”帝国主義”のために国家そのものがほろぶことになる。1人のヒットラーもで出ずに、大勢でこんなばかな40年を持った国があるだろうか」(P46)

 司馬さんは「坂の上の雲」を書いたときに、戦争と言えるのは日露戦争ぐらいだろう。アメリカの仲裁があって辛勝した戦。日本海海戦は何故勝利したかの分析も何もない。無残な後日の敗戦は、その頃から準備されていたのですから。

 安倍晋三首相が「2020年に日本国憲法を破棄し、新しい憲法をこしらえる」と記者会見で吹聴しました。一体改憲論者は何を目指すのでしょうか?「雑貨屋の帝国主義」なのか「統帥権の復活」なのか?しかしそれはありえない。今上天皇陛下御自身が「平和国家建設」の強い意志で行動されています。少し考えたらわかることです。

 今回の文学館の展示では、16世紀、19世紀、21世紀と分けられ、作品の背景の解説がされていて、司馬文学の全貌がよくわかる展示になっていました。2時間近く展示を見ましたが、とても見ごたえがあり、感銘しました。
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 戻りに販売コーナーで「日本人への遺言」(朝日文庫・1999年刊)を購入しました。亡くなる直前までの対談集で貴重です。ゆっくり読んでみます。
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5月3日の高知市の元・中心商店街


 午後から父を介護予防通所リハビリ施設の送迎車に送り出し、家内と2人で県立文学館での「没後20年司馬遼太郎展」を見るために徒歩で出掛けました。

 途中のはりまや橋商店街ではショックでした。それこそわたしが学生時代からあった老舗喫茶店の十字路が、4月30日を持って閉店していました。張り紙が入口にされており、シャッターも閉まっていました。近くのお蕎麦屋の十一屋も同じ日に閉店していました。老舗が廃業するのは寂しい。
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 家内がX-POINTでのコンサートへ五月六日に行くので、現地の確認にいきました。その間はりまや橋にある「南国土佐を後にして」の歌碑があります。ペギー葉山さんもつい最近ご逝去されました。高知の大恩人の逝去も寂しい。
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 チケットはDUKEで購入することになりました。MONKEY MAJIKとかのライブが五月六日(土曜日)の午後四時過ぎからあるので、両親のケアはその日はわたしの担当になりました。地域活動や海の散帆で外出時には家内が両親のケアをしていただいています。息抜きも必要でしょうから。
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途中中央公園ではなにやらイベントが。ローカル3社のテレビ局の共同事業で集客イベントをしていました。アーケード商店街は人出が多く驚きました。「自転車」で走行する馬鹿がいませんでした。自転車降りて押しています。
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 すると大音響でチアガールの中高生の女子と女子ブラスバンドの集団が行進していました。これもイベントの関係らしい。商店街の中にある鰹料理の飲食店は大行列でした。ひろめ市場も大混雑のようでした。
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 久しぶりに高知市の元・中心商店街(今は大嫌いなイオン・モールが高知市の中心商店街ですから)は賑わっていましたね。でも京町・はりまや橋商店街は「いつもの静寂」で、シャッターが下りている店舗が目立ちました。

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祝日本国憲法・制定70年


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 今日は日本国憲法が公布・制定されて70年の憲法記念日です。惨めな二次大戦の敗戦後、廃墟からの道しるべとして日本国憲法は機能し、国民各位に定着しました。
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 「国民主権」「基本的人権の確立」「平和主義」の三大項目は日本国憲法の根幹をなすものです。日本国民は敗戦後72年間平和を維持し、国民生活が豊かになりました。

 ごく1部の人達が「アメリカから押し付けられえた憲法だ。」「破棄して明治憲法に戻そう」と言う復古主義の主張も散見します。欽定憲法として出発した明治憲法(大日本帝国憲法)は、国民主権や基本的人権の概念が希薄であり、「統帥権」という無責任な国家体制で、戦争国家を突き進み、世界大戦へ突き進み惨めに敗戦を迎えてしまいました。


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 敗戦後昭和天皇陛下ご自身が「平和国家実現」の強い意志を示され、国民各位も日本国憲法を圧倒的に支持しました。焦土化していた日本が敗戦後驚異的な経済発展をし、先進国の仲間入りをすることができたのも私は日本国憲法のお蔭であると思います。
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 安倍内閣は「戦争法」や、「共謀罪」「緊急事態法」などを性急にも成立させて、日本国憲法を破壊しようと画策しています。近隣諸国と共存平和を継続し、経済発展してきた戦後の日本の「全否定」を画策しています。ありえません。
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 明治憲法は

1・「国家元首は天皇であり、権力の源泉であり、人民には西欧諸国のように分権はしない。同時に西洋諸国に強い影響力を行使してきたローマカトリック教会的な機能も明治以降の天皇制度に担わせました。

2・国民は国家への抵抗権も有する西欧的な「市民」ではなく、国の機軸である天皇に無条件に服従する「臣民」として位置付けられました。

3・天皇に政治的な権力も、国民の精神的な支柱も担わせました。西洋諸国は数百年の宗教戦争の教訓から「政教分離」を国家理念にしていますが、伊藤博文らは「利便性」だけで「輸入し」、政教分離には無関心だったように思います。

 急いで近代化し、欧米列強に対抗すべく、「尊王攘夷」で担ぎ上げた天皇を政治利用し、国民統制に使いました。戦前の日本社会の不幸が明治憲法制定当時から仕込まれていました。

 昭和天皇ご自身が「平和国家実現」の強固な意志を持っておられたのです。GHQなどアメリカ占領軍は、協力したと思います。欽定憲法では日本社会の民主化は無理でした。明治憲法を破却し、1から日本国憲法を策定したのです。

、国民主権と象徴天皇制、平和の実現の理念(憲法第9条)はすべて、連結しています。70年経過してなんら不自由さを感じません。80年。100年と歴史を積み重ねて行くべきであると私は思います。
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 4年ぐらい前に地元新聞の読者投稿欄に掲載されていました。

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2017.05.02

戦争も災害の1つです

 高知市地域防災推進課の山中晶一さんからのFBへの投稿。北朝鮮のミサイルから市民各位が身を守る方法についての情報提供です。これもまた「地域防災」の課題の1つです。
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 先日日本語の達者な各国の特派員の雑談会をテレビでやっていました。韓国は「ばらばらに逃げてもよりのビルに駆け込むとか。日本のようにまとまって1か所に避難したら家族が全滅する可能性がある。」とか。


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 防災行政無線で、「ただいま北朝鮮からのミサイルが飛来しました。もよりの頑丈な建物に避難し身を伏せてください。」など放送されることのないことを祈りたい。

Bousaimusen


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2017.05.01

病院通いで1日が終わりました。

 2017年5月1日(月曜日)は、連休の谷間であり、月初め。朝1番は父(97歳)の通院で植田医院へ診察と点滴に行きました。混んでいましたねさすがに。10時半前に帰りました。

 それから薬がなくなったので、おの肛門科への受診。2週間ぶりです。午前10時43分位に受け付けいただき、診察いただいたのは午後14時10分過ぎ。3時間半の待ち時間でした。須崎市や土佐清水市からも来られています。

「まだ1部出血箇所があります。2週後に来てください。」と事。薬を処方され戻ると14時30分は過ぎていました。
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 お腹が空いたので、ご近所のカフェ・レストすみれさんへ行きました。そこには先客で黒岩博さんがおられました。明日は新茶の茶摘みで、下知の横田さんや大崎さんも手伝いに来られるとか。羨ましい。
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 すみれさんのランチを美味しくいただきました。しばし黒岩さんと談話しました。戻ると、高校時代の同級生のMさんが来訪。馬鹿話をしていたら夕方に。今日は早朝始業前にWEBの仕事しだだけでお終いでした。

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夏仕様のからだづくりが高齢者は必要

 2017年4月19日。少し時間が空いたので、午後から父(97歳)に付き合い自宅周りの散歩に付き合いました。
杖を使用して歩きましたが、いつもよりすぐに「しんどい」といってへばりました。
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 理由をあれこれ考えてみましたが、気温が上がり、体がついていけないと思いました。つまり体が[夏仕様」になっていないのです。

 未だに朝方が肌寒いときがあるので、上下のアンダーウエアーを着込んでいます。さすがに分厚いジャンパーは着用はしなくなりましたが、厚着であることは確かです。暑さに対応できないのです。体が。

 水分補給(OS-1)を頻繁にして対応するしかありませんね。

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