義母の命日と沖縄返還45年目
5月15日は義母の命日。もう20年になりました。うちの母と対照的で温厚で穏やかな人でした。義母が元気なころは沖縄へ家族で正月とお盆休みは、「帰省」したものでした。
ご近所のグランドオリオン通りにある沖縄そばの店「平松」へ鍋をもっておそばを買ってきていただきました。沖縄そばをつまみにオリオンビールを飲むのが至福の時間でした。
その義母がいつも言われていましたのは「沖縄は基地があるので、いつ攻撃されるのかもしれない。」ということでした。
二次大戦中は上海におられ、大変な想いをされて敗戦後の混乱のなか帰国されたとか。米軍統治の沖縄に暮らしていました。
家内も大学進学時には、パスポートを申請して東京へ来たとのことでした。
沖縄返還から45年。今や基地経済の規模は沖縄経済の5・8%を占めるにすぎません。米軍兵士による婦女暴行や犯罪は相変わらず多く。犯罪を犯しても基地内に逃げ込めば、沖縄の警察はどうしようもありません。
憲法より上位にある「日米地位協定」で米軍犯罪は野放し状態です。日本にある米軍基地の70%が沖縄に集中しています。
沖縄の人達の民意を無視し、米軍基地に奔走している安倍政権。「本土並みの基地返還」が沖縄の人達の願望ですが、ひたすら無視しています。
義母の冥福に手を合わせ、沖縄が基地のない平和な島になるように祈願します。
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