母ははりまや橋サロンへ行きました。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
4月25日の高知市防災士会総会が、「議題にない会費徴収問題」で紛糾しました。それで臨時総会が2017年6月28日午後6時半から高知市安心センター3階大会場で開催されていました。
仕事が長引き、午後7時半に駆けつけたところ会費徴収の議題は賛成多数で採択された後でした。しかし300人の会員で今日の出席者は僅か55人、前回の半分。委任状が101人いて過半数を超えたので臨時総会はかろうじて成立しました。
しかし欠席者が半数の150人います。今まで会費を取らないということで入会していた人たちがすんなり支払うかどうか?
しかも前回同様に「事業構想」や「事業計画」も極めて曖昧模糊な状態は前回となんら変わらない。一体何がしたいのか一般会員として観察するにわかりません。
地域の防災会で出来ないような大きな課題や問題を議論して行くのが防災士会と思い込んでいましたが、実態は全く異なるようですね。今後も引き続いて参加するかどうか。進退は決めかねています。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
「透徹した人道主義者 岡﨑精郎」(吉田文茂・著・2008年・和田書房刊)を讀みました。高校生時代の知人のKさんに先日44年ぶりに再会した折に、この書籍を渡されました。いわば「課題図書」。父(98歳)の点滴中や、父のゴルフ練習の間の待ち時間を活用してようやく読み終えました。
挿絵も写真もまったくなく、字がびっしりと並んでいました。295Pですが、脚注などもきちんとされていて、著者の吉田文茂氏は教育関係者らしく、時代考証し、関係者への聞き取りや関係者から提供された資料を読み込み、活用し、この著作を記述されたようです。
一読して「岡﨑精郎」は、書籍の題名のとうり「透徹した人道主義者」であったと思いました。1898年に生まれ、1938年に逝去した40年の短い生涯でした。秋山村(現高知市春野町秋山)に生れました。実家は裕福な地主でした。
絵画に才能があり学童美術でいくつか賞をとり、旧制第1中学(現・県立追手前高校)を卒業し、上京。画家岸田劉生と交流をしました。しかし病弱で画業で身を立てることに断念。療養中に白樺派の武者小路実篤やフランスの文学者ロマン・ロランなどの人道主義の文学者に傾倒していきました。
父の逝去後地主の跡を継いで、白樺派流の理想の農園経営をめざし、小作料を提言し、小作農と協同組合を設立していくようになりました。部落問題にも取組差別解消のための運動へも参加するようになりました。
農園経営は実に禁欲的なものでありました。読んでいてだらだらした我儘な私には到底そのなかで生活することは出来ないと思いました。これが第2期の時代。
第3期はより社会と関わり、農民運動の指導者となり、秋山村の村長も歴任し、県会議員にも立候補、落選するが繰り上げ当選しました。理想を実現するため現実の社会運動路政治活動に没頭します。しかし思ったような成果はなかなか得られないようでした。
第4期は地元に経済困窮者にも医療が受けられる医院を設立します。多くの人達に大歓迎されましたが、自身の病気と資金難で医院は閉鎖せざるを得なくなりました。
正直讀んだ感想は、岡﨑精郎さんは「透徹した人道主義者」そのもので、禁欲的でそれは立派な人間であります。ではお付き合いしたいとか、一緒に行動したいかと言えば、今の余裕のない私の立場では遠慮させていただきます。
私も中学生時代から左も右も社会運動や市民活動に邁進した時期もありました。負け戦が大半でした。成果をあげた市民活動もありました。
「透徹した人道主義者」ということになりますと、俗人は到底ついていけません。ついていくのは隷属することになります。岡﨑精郎さんの独善性も気になりますが、「透徹した人道主義者」なので誰も批判ができません。また批判をしても「信念の人」なので自説を曲げることはない人でしょうから、一緒に行動することはたぶんないと思います。
私の信念は、「面白いか面白くないか」であり、「面白いことはやるが、面白くないことはどんなに社会的意義があり、社会的正義であってもやらない」ことです。岡﨑精郎さんは「面白くない人」なので、同時代に今の私がいても多分一緒には行動しなかったと思います。「透徹した人道主義者」からすればそんな私の身勝手な思いは、到底許せないと思います。
岡﨑精郎さんは1898年から1938年の40年生涯でしたが、同時代人としてはクラボウの創業者で企業家の大原孫三郎さん(1880年から1943年)がいます。
大原孫三郎さんは紡績業で莫大な利益を上げた反面、従業員の待遇改善や、地域のために病院をこしらえ経営し、大原美術館をこしらえ、世界の絵画を収集し、社会科学研究所を設立したりしていました。岡﨑精郎さんと同様にキリスト教の洗礼も受けています。
作家城山三郎の作品に「わしの目には十年先が見える」があります。大原孫三郎は学生時代(早稲田大)に放蕩三昧の生活(今のお金で1億円を浪費)を送り、父親に連れ戻され謹慎させられました。その後家業に専念しクラボウを発展させます。企業経営者として才覚がありました。
広島の軍令部の駐屯地を倉敷に誘致する計画が倉敷の商業者の間から持ち上がったときは、「女工にとって風紀が乱れるから反対だ」と強硬に主張し、誘致を諦めさせました。また西洋美術の作品を収集した大原美術館は、満州国調査に来ていたリットン調査団がわざわざ立ち寄り視察したそうです。
結果論ですが大原孫三郎のお蔭で倉敷は空爆を免れ、貴重な美術品も古い街並みも残りました。
これはあくまで「たらねば」の話ですが、岡﨑精郎さんが大原孫三郎に面談し、診療所支援の話をすれば、ひょっとして支援をいただけたかもしれません。
でも岡﨑精郎さんは、あくまで「自己完結的」な人であったので、そういうことはしなかったのかもしれません。
全く知らない人物の伝記を読みました。著者の吉田文茂さんの労力のおかげで、地方で戦前に人道主義者で社会運動に生涯を捧げた人物が居たことを知ることが出来ました。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
週末事務所前のプランターのゴーヤの手入れをしていました。そしたらとてもお元気な下知地域のレジェンドである二宮則昭さん(高知市下知地区暴力追放推進協議会会会長・高知市昭和小学校区青少年協議会会長)から「勉強会」と「パレード」のご案内のチラシをいただきました。
文書は下知コミュニュティ・センター運営委員会会長の坂本茂雄さんの名前で出されています。「下知地区は反社会的集団である暴力団・山口組系豪友会二代目誠龍会(二葉町)、侠道会系池澤組(日ノ出町)の事務所があります。暴力団事務所排除運動を展開しなくてはならない。そのために協力を」を書かれてありました。
そういえば6月4日に二葉町で全町内消毒作業と清掃活動をしたさいに、「やかましいやないか!!」と罵声を浴びせてきた男2人がいましたが、後で町内会役員に聞きますと、暴力団関係者であること。7月2日(日)と8月6日(日)にも午前6時半からの町内一斉消毒作業も予定しています。トラブルがあってはいけないので、先日暴力追放センターに相談し助言をいただきました。
町内会へ入っていない町民もいますので、町内の掲示板などに「町内消毒作業の告知文」を暴力追放センターの助言もありましたので貼りました。
7月8日(土曜)には高知県警本部や暴力追放センターの講演もあり、7月22日(土曜)には、パレードもあるようなので、時間を調整して出掛けるようにしてみます。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
今日は週刊モーニング(講談社)の発売日(毎週木曜)です。近くのコンビニへゴミ拾いしながら早朝行きました。GIANT KILLINGとかグラゼニ、クッキングパパとかジパングとか老舗作家の作品も満載ですが、新人作家の登竜門でもあるようです。知らない作者の作品が多い。
今週号(30号)で「面白い」と思ったのは、「モーニングを作った漫画たち」(コージイ城倉)です。「ドラゴン桜」(三田紀房・作・2003年~2007年迄)でした。10年前に連載は終了していますが、関連本も出版されドラマ化もされました。
丁度娘が高校時代に担任教師が「ドラゴン桜」の愛読者だったらしく、授業中に「古典の源氏物語は「あさきゆめみし」(大和和紀の漫画)を読め」と言ったそうです。
「先生それは今週号の「ドラゴン桜で桜木が言ってました。」とネタバレ発言をしたそうです。現職教員[特に受験指導担当)に隠れた愛読者が多かったようですね。
P259は龍山高校3年生。特進クラスの生徒の水野直美にたいして桜木建二(弁護士で、私立龍山高等学校の運営問題を請け負人)が言い放つ場面が特集されています。
「社会のルールっていうやつは、すべて頭のいい奴が作っている。」
「それは つまりどういうことか。そのルールは頭のいい奴に都合のいいように作られてるんだ。」
「つまりお前らみたいに頭使わずに面倒くさってると、一生だまされて高い金払わされるんだ。」
「・・だまされたくなかったら、損して負けたくなかったら、自分でルール作る側にまわれ。勉強しろ」
「お前らガキは社会について何も知らないからだ」
「知らないと言うより大人は教えないんだ そのかわり 未知の無限の可能性なんて何の根拠もない無責任な妄想を植え付けるんだ」
「そんなもんに踊らされて 個性生かして人と違う人生遅れると思ったら大間違いだ!社会はそういうシステムになってない。 それを知らずに放り出される。」
「そこに待っているのは不満と後悔が渦巻く現実だ。」と。
高校時代にこうした「現実」を思い知らせてくれる教師との出会いは残念なことにありませんでした。「社会革命」が本当に起きるかもしれないと信じていた幼稚な高校生でしたから。
卒業できずただ1人留年して、2度目の3年生をしていました。運動体も壊滅し、高知から出て行きたいと思っていました。幸い父の家業も順調で学力さえ伴えば進学は可能でした。でも英語が全然ダメでした。
9月になって担任教師が執拗に旺文社の実力テストを受けろと言いました。いやいやながら受けました。そしたら英語が15点、社会が95点、国語が90点でした。[英語さえ点数がとれたら私大文化系学部へは進学できる」ことがわかりました。
そしたら母の女学校時代の友人の息子さんがある国立大学の医学部学生(土佐高校卒)で何故かぶらぶらしているとの事。その人に母が英語の家庭教師を10月に依頼しました。
その人曰く「お前ら県立高校はな全然英語が駄目。ましてお前はまだ駄目。時間がない。赤尾の馬鹿たんを丸暗記しろ。英文読解と英作文だけやれ。授業が終わったら英語だけ勉強しろ。」とか言われ、1日8時間ぐらい受験英語の勉強をしました。
「国語と社会は100点取れ。取りこぼしをするな。英語が50点取れればどっかの私大へは入れるから。」と言われました。11月の実力テストで英語が50点取れるようになりました。
しかし基礎のない「付け焼刃」なので、50点から上がることはありませんでした。翌年2月に立命館・文と日大・法は不合格、専修・経済へ合格しました。進学先はどこでも良かったので、留年して「現役」で大学へ進学できました。
結局10月から4か月半の猛勉強に過ぎませんでした。結果論ですが1年前から猛勉強していたら英語が80点は取れるようになれば、もっと偏差値の高い私大へ進学できたのでしょうが、所詮は「たらねば」の世界です。
「そこに待っているのは不満と後悔が渦巻く現実だ。」というには全くそのとうりでした。中学―高校と信じていた社会運動全般が破たんし、理想がすべて幻滅に変りました。「連合赤軍と新自由主義の総括」を試みていますが、未だにきちんと自分の中で出来ていません。現実の社会の変化が早く、アナログ人間の私はついていけないのですから。
「ドラゴン桜」の桜木の言葉は真実です。
「社会のルールっていうやつは、すべて頭のいい奴が作っている。」
「それは つまりどういうことか。そのルールは頭のいい奴に都合のいいように作られてるんだ。」
「つまりお前らみたいに頭使わずに面倒くさってると、一生だまされて高い金払わされるんだ。」
森友学園事件、加計学園事件などまさに「頭のいい奴が都合のよいように社会にしくみを作り替え、やりたい放題をやっている」ことにつきますね。
福島原発の後始末も未だに出来ないのに、地震列島、災害大国日本で原発を再稼働させるのも、「頭の良い人達の自己都合」なんでしょう。
馬鹿で還暦過ぎたおっさんが今更受験勉強して東京大学を目指すことができません。でもやれることは真摯に出来る範囲で地域活動をして、「社会のしくみ」を勉強して、避難困難地区で1人の犠牲者を出さない下知地区防災計画をこしらえることでしょうか。
偏差値の低い市井の市民でも「やるときはやる」ことを人生掛けて証明したいと思います。「負け戦」の連続の人生ではありますが、そこから学ぶことも多いし、へこたれ中ればたまに「勝つ」こともあるでしょうから。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2017年6月9日付けの日本経済新聞1面トップ記事には驚きました。見出しにはこういう文言が出ています。
「原発新増設を明記」「エネ基本計画 経産省が提案」「30年度電源構成は維持」とあります。
ひたすら「地球温暖化対策」のための原発稼働であるとか。経済産業省の皆様は、。札束しか見えないようですね。日本列島は「地震・火山活動の活性期」にはいったことが理解できないのでしょう。
日本が高度成長期にはいった1960年ごろから50年間は日本で巨大地震がありませんでした。しかし記録に残る2000年前から日本は何度となく大地震と大噴火を繰り返してきました。むしろその状態が「当たり前」の姿であり、日本は災害大国なのです。
1000年ほど前に東北地方で起きた貞観地震。大津波が東北地方沿岸を襲った記録があります。東京電力はその事実を無視し、福島第1原子力発電所の津波対策をまるでしませんでした。明らかな「人災」であり「怠慢」です。未だに放射能を全世界に放出しています。
日本経済新聞4面には「原発新増設、曲折も」「厳しい世論、政治も影響」とあります。随分原発新設に関しては悲観的な記事になっていますね。
政府が原発が安全であると言うのであれば、大消費地である東京へ建設すればいいんですよ。それをせず「はした金」で地方を買収するような行為はやめていただきたい。
災害列島日本には原発は不要です。北朝鮮に対抗するなどと安倍首相は勇ましいことを言っていますが、国防上の観点からも原発が1番の国防上の弱点であることぐらいわからないのでしょうか?ただちに廃炉にすべきです。
確かに原発は「発電時に」温室効果ガスは出しませんが、放射能と言う危険極まりない物質を放出します。経済産業省には「危機管理」という概念がそもそもないようですね。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2017年6月25日(日曜)は、父(98歳)のささやかな誕生祝いということで、父と母(91歳)と家内と私で車で出発しました。なんせ2人の超高齢者です。主役の父が出発前にそんな話は聞いていないとか、母が何をするののだろうかと言い出し、なかなか出発になりません。
しかも出発時には生憎の雨。先に父を車に乗せ、後で母を乗せました。超高齢者は車への乗降時は細心の注意が必要。ましていま私の乗っている車は父が元気の頃乗っていた頃からのもので17年目。ドア周りにゴムも張られていなく、鋭角的に尖がっています。丁度背の低い両親の顔のあたりへドア来ます。見守りと介助が必要です。
食事会場のホテルへ着きました。立体パーキングなので、1度皆降車しないといけないです。先に母を介助しながら降ろし、家内に預けます。次に父を降ろします。杖を用意しました。そして2人を家内に見守りをしている間に立体駐車場へ車を入庫させました。エレベーターで会場へ。
正午が集合の時間。隣町から息子も合流して和食の食事会になりました。予め予約していてよかったです。今日は予約で満席でした。
超高齢者の両親は歯が2人とも24本程度残存しています。慢性腎不全の父ですが、主治医の植田一穂先生に金曜日の診察時にご相談し、一般食の摂取の許可を取りました。両親ともたくさん食べられないので、1人1人が別ベルのメニューにし、おかずを交換しながら食べました。
父は誕生日なのでカン酒を飲んでもらいました。美味しそうに飲んでいました。服に食べこぼししたらいけないので、使い捨ての前掛けを父にはしました。魚料理主体にしましたので、両親ともよく食べました。
食後のコーヒーを飲みました。食事が終わると父が「トイレへ行きたい」と言います。トイレの介助に行きました。結構遠い。そしてエレベーターで駐車場へ降り、車へ乗りこみ自宅へ戻りました。
戻ると一息もつかず、スーパーへの買い物に家内と一緒に出掛けました。今日は両親の食事の介助とスーパーへの買い出しで1日が終わってしまいますね。昼寝をして、近所のゴミ拾いでもう夕方です。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2017年6月22日(木)は午後6時半から「下知地区防災計画第9回検討会」が、ちより街テラス3階会議室で開催されました。
下知地区減災連絡会(森宏会長)の役員会を開催しました。森会長の挨拶がありました。防災カレンダーの説明を坂本茂雄事務局長が行いました。続いて下知地区防災計画の開始以来のアドバイサーである鍵屋一先生(跡見女子大学教授)から「振り返り・今後の方向性」の提示がされました。
何故地区防災計画なのか?それは地域住民と基礎自治体(市・町・村)が協働して地区防災計画を立案します。他人事だった防災計画や防災対策が。住民各位にとって身近なものとなります。
昨年の熊本地震で益城町では、11000世帯が全半壊し、。被害のなかった家屋は僅か156世帯しかありませんでした。また東日本大震災の時の各地の地震の映像を見ていただきました。いずれも震度6弱の揺れ。家具が転倒し、飛散してはいますが、家屋は倒壊していません。震度7の揺れの怖さがわかると思います。
高知市下知地区の場合は、想定される南海地震では震度7の揺れがあり、15分から30分後に津波が襲来し、地盤が沈下するので長期浸水も想定されます。東日本大震災での教訓は役に立ちません。
あらかじめ事前に対策を立てていないと、「その時」に生きのびることが難しい。それが高知市下知地区の現実です。
短期的に地域ですぐできる対策もあります。中期的に地域で出来る対策もあります。大規模な事業化を行い長期的に行わなけれ場出来ない対策もあります。目標は下知地区住民が全員助かることです。
今までの2年間に参加者皆で合意したことは「下知の幸せになる物語づくり」でした。
「中心に明るく開けた大きな公園があり、そこでは高齢者から赤ちゃんまでが集える場所(裸足で歩ける芝生、キャッチボールのできる広場)。その公園のそばには川が流れ、泳いだり、魚釣りもでき、また母親たちが買い物に出掛ける店がある。
そして何世代も集えるガラス張りのコミュニティがあり、世代を超えた絆の深い安心・安全な町に住んで「幸せになる物語」
「下知のまちを語れるブランドづくり」の議論されてきました。
物語を実現する計画を議論してきました。
災害前に出来ることは何か?計画化して「事前復興計画」をつくる。
魅力あるまちと被害軽減の両立。
続いて参加者各位は「ワールドカフェ」方式のワークショプを行いました。着席した参加者同士が対話を楽しみます。意見を否定することなく、感じたこと思いついたことをポストイットに自由に書き込みます。
自己紹介し20分ぐらい議論し、テーブルに2人居残り、他の人は別のテーブルに移動し、意見交換を続けます。20分ぐらいして元のテーブルに戻り意見をA3の紙にまとまめていきます。
今回のテーマは「大きな揺れから。子供たちと高齢者・障害者を守るためにはどうすればいいのかを話し合いました。2つのグループ(子どもと高齢者)に分けテーブルで意見交換。
アイデアを共有して、持ち帰って総合します。具体的なアイデアを3から5つに絞り書きます。グループの意見をまとめます。
次がとても大事ですが、他のテーブルを巡回し「いいな!」「ユニーク」「レベルが高い」と思ったら赤いシールを貼っておきます。
狙いは「損失をへらす防災から、魅力増進型の防災へ。日常から人間関係、近所関係を良好にし、排除される人のいない魅力ある地域を作ることが、災害や危機にも強くなる」のです。
ワードカフェは大変な盛り上がりでした。総活を大槻知史(高知大学准教授)さんが行ってくれました。
「揺れ対策」に関連して高知市建築指導課の職員の方から「下知地域には1400戸の昭和56年以前に建てられた木造住宅があります。その中で耐震補強した住宅は42戸で3・2%です。その比率を上げて行かないといけないです。」と言われました。
参加者はオブザーバー見学者も含め60人いました。熱気が会場を包んでいました。いよいよ2017年度の下知地区防災計画はスタートしました。
今年度は総論的な事前復興計画のワードカフェに加え、個別計画である「揺れ対策」と「津波浸水対策」を対策部会として加えます。
7月26日(水)に18時半から「第1回揺れ対策部会」を下知コミュニティ・センター会議室にて開催いたします。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2017年6月24日(土曜)。今日はいつも楽しみにしている「ぶらタモリ」がありません。変って放送されていたのは日本陸上選手権。話題の男女の100M決勝もありました。
100M女子は、8連覇か言われていた福島を市川選手が破りました。男子100M決勝ではリオ五輪にも出場した桐生、ケンブリッジ飛鳥、山形をさにブラウンが破り初優勝しました。2位に追い風参照で先日9秒台を出した多田がはいりました。
記録やレース結果より、わたしが見たのは男女を問わず陸上選手もスリムで皆いい体格しています。やはりトレーニングすると言い体つきになるものですね。
脇腹に見苦しい贅肉がなかなかとれない私です。羨ましい思いで見ていました。
しかし女子選手はいつから露出度の高いビキニの陸上着になったんでしょうか?皆さんスリムで綺麗な人たちばかりが走っていました。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
体調不良なのでインドア・トレーニングしました
今朝は体調が今一つで早朝の五台山農園作業を欠席しました。
体調が良くお天気であれば当然夜須での「海の散帆」へ午後からでも行くところですが、どん曇りで午後から雨の予報でしたので諦めました。父のために昼食をこしらえ、介護予防通所リハビリへ送り出してから、家内の許可が出ましたので、スポーツ・ジムへ行くことにしました。
雨が予想されましたのでリックを背負いそのなかに長靴を入れました。曇天時にはウォーキング・シューズで歩きました。約40分かかりました。
「海の散帆」はぎ装(準備作業)に1時間、海の散帆が約4時間。片付けが1時間半と丸1日かかる遊びです。海に浮かんでいるということは、バランスボールの上に座っているようなもの。結構体幹を使います。足腰が痛くなりますから。
風が強い時は腕の力だけでなく、腹筋・背筋も総動員。筋トレになります。強風で沈でもすれば這い上がるに力を使います。インドアのジムでは腹筋・背筋とマシンを使用した筋トレをやりました。
トレーニングの前に「体成分分析」をしました。1月15日のデータと今日(6月24日)のデータを測定後に出していただきました。
なんと体重は76・5kgから、74.8㎏で、1.7㎏の減量です。私の身長(178・5センチ)では、標準体重が70.1㎏です。まだ4.7㎏減量しないといけません。「とてつもなく道は遠い」です。
ただ嬉しいことに「体脂肪率は19.9%から13.6%と低下。内臓脂肪レベルも11から8の適正になっていました。BMIも24から23.5と改善。体脂肪量が15.2㎏から」10.2㎏と5kg減少し、筋肉量が56・8Kgから60・2Kgと3.4㎏増えていました。
測定したトレーナーの人は「5か月間で筋肉質になってますよ。トレーニングの成果が出てますね」と言います。
「空梅雨で海での帆走がうまく週1で出来たことも大きいですね。しかし脇腹に付着した贅肉は一向に減りません。」
「それは1番最後のはしに落ちるところです。今日はバレーティラミス等レッスンがありますが是非されてください。」と誘われました。
http://www.basipilates.jp/column/pilates-kouka/2424.html
フロアは女性ばかり。皆体が柔らかい。私も30年ぐらい前はヨガをしていたのでそこそこ柔軟性はありました。父が9年前に倒れてからというもの、ジムも昨年まで休会してました。体が硬くなりました。できそうもありません。
インナー・マッスルを鍛えますから。とのことですが、やってみますとなかなかキツイ。大汗掻きました。いい運動を屋内でもやれることを再発見しました。行ける時はジムへも来ようと思いました。
見苦しい贅肉を除去することは「先の長い道」ですが、努力します。今夏には間に会いませんでしたが、来夏はきっとスリムになっていることでしょう。
来年は水泳選手のようなスリムな体になりたいものです。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
今日は父の誕生日です。1919年(大正8年)の今日、旧吾川郡川内村の農家の二男として生まれました。8人兄弟姉妹であり、昨年100歳で父の姉と90歳の妹が逝去したので、生存しているのは86歳の妹と父だけになりました。
と言う訳でもないでしょうが、今朝は7時前に起床し、2階の茶の間へ降りて来ていました。朝食をとり、トイレも済ませて午前8時半前に自宅をスタート。往路のラビータの温度計は23度。どん曇りですが涼しいです。
いつものように自己流の体操を行い、水分補給はOS-1(経口補水液)を飲んでいます。ゴルフクラブを杖替わりにして打席に向かい、1発1発とボールを打っています。
今日は涼しいので体調も良いようで、ボールも大半は真っ直ぐ飛んでいました。良く遭遇する元テレビ局の人も来られていました。肋骨を痛めリハビリ中とか。
「お元気で何よりですよ。飛ばないと怒るのは、まだまだ意欲がある証拠で良いことですよ。」と言われました。足腰が弱ろうが、杖で歩こうが週に1度は、ゴルフ練習をしたい父ですので。
今日は午後からは、介護予防通所リハビリ施設へ行く予定です。週に5回父は通所しています。かろうじて足腰の衰えを抑止しているという感じでしょうか。
明日は隣町の息子も含めて家族5人で父の誕生祝をホテルでします。簡便な昼食会ですね。父は慢性腎不全(ステージ4)。金曜日に主治医の植田一穂先生に、一般食の許可をいただきました。「1回ぐらいならいいですよ」と最近の血液検査も良好なので許可を出していただきました。生憎の雨のようで、車での送迎が大変ですね。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2017年6月22日は、母(91歳)の付添で歯医者へ行きました。「80-20運動」(80歳で20本歯を残す運動)に母も父(97歳)もかかりつけの歯医者さんからエントリーしました。「80-20」どころか、「90-20」ですから。
歯磨きも満足に出来なくなった母。今日も歯医者さんへ行くので歯ブラシを渡しても1分程度しか歯磨きができません。飽きるようですぐに辞めてしまします。
超高齢者でも口腔ケアはとても大事です。元気の源は、「自分の歯で一般職を食べる」ことにありますから。それで歯周病の予防も含め、月に1度は歯磨きをしていただくために来院しています。やはりプロの歯科衛生士さんは手際が良い。
.
「磨き残しが多いです。歯ぐきが腫れている箇所もあります。ご自分で歯磨きが十分できないようでしたら、月に1度医院へ来てください。」と今回も言われました。それで1か月後の7月下旬を予約しました。
超高齢者の両親は歯が丈夫だから(残存しているから)、健康であると思います。この状態を維持するためには口腔ケアはとても大事です。
災害時直後の食糧支援は菓子パンやコンビニ弁当が多いようです。歯が悪くなりますと、その種の食事が出来ません。口腔ケアは事前の減災対策でもあります。
戻りますとプランターにゴーヤの実がなっていました。夏が近づいてきています。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2017年6月23日は72年目の沖縄の慰霊の日。沖縄の終戦記念日です。那覇市出身の家内が言いますのは、休日になり各地で平和集会が開かれていたと聞きました。
日米双方の軍人だけでなく、多数の沖縄県民も巻き込んだ凄惨な地上戦が行われました。糸満市には平和の礎(いしじ)が建立されています。日米双方の犠牲者の名前が刻まれ、韓国や台湾の戦没者の名前も刻まれています。
敗戦後も土地の多くを米軍に接収され、未だに日本にある米軍基地の74%が沖縄県に集中しています。
人口密集地域の普天間の基地を名護市辺野古に移転することを多数の沖縄県民の意志を無視して米軍のために基地建設を日本政府は強引にやり続けています。しかも基地移転を言いながら拡張して、自然を破壊しながら基地建設をしています。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2017年6月20日は、午後6時半から高知プリンスホテルにて、平成29年度下知地域内連携協議会の総会と懇親会が開催されました。下知地域の各団体、個人が参加しました。来賓として高知市役所地域コミュニティ推進課大宮課長補佐以下3人が来られていました。
総会の議長は坂本茂雄さんがしました。第1号議案の平成28年度事業報告・第2号議案の平成28年度の決算報告が中岡寛典事務局長から報告がありました。採択されました。
続いて第3号議案の平成29年度事業計画案、第4号議案の平成29年度の予算案が適され、採択されました。だ①五号議案として役員人事が提起されました。国見俊介会長、中岡寛幸事務局長、。高木妙副会長・西村健一副会長が留任し、2年間担当することになりました。
また新しい役員として下知出身でありUターンされ、地元大学院生をされている人が専任され、学生主体の地域の事業をされることも総会で承認されました。
午後7時半から懇親会が始まりました。国見会長が、地域コミュニュティ推進課でご苦労された嶋崎さんの労をねぎらうスピーチをされ、花束を贈呈されました。
乾杯の音頭は地元選出の市議でこのたび高知市議会議長に就任されました高木妙さんがされました。
懇親会はいろんな地域の人達が入り乱れ本音の交流を各所でされていました。
宴会が始まるころに雨足が強まり高知市には大雨洪水警報が発令され、市役所に水防本部は立ちあがっています。午後9時過ぎに散会いたしました。歩いて戻りましたが長靴で行って大正解でした。靴はホテル内で履き替えましたから。大雨時の「事前対策は」大事ですね。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2017年度の下知地区防災計画のスタートです。2017年6月22日の井午後6時半よりちより街テラス3階会議室で開催します。
「地区防災計画」と言いますのは「平成25年に災害対策基本法が改正され、地域住民と基礎自治体との共同で策定し、地域防災計画に反映させることができる。」という住民参加型の防災計画です。
1年目は内閣府のモデル事業。2年目と今年3年目は高知市のモデル事業として議論をしてきました。南海トラフ地震は来ることがわかっていて甚大な被害が出るのだから、「事前復興計画」策定のための議論を積み重ねて来ました。
下知地区(海抜0メートルの海に隣接した軟弱地盤の低地)の話題が主体ですが、同様の地形の低地に高知市民は12万人が居住しています。他の地域と共通の課題は散見できるのではないかと思います。
ワークショップは下知地区減災連絡会役員を中心にやりますが、傍聴・見学は自由です。関心のある市民各位はご参加ください。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
高知市の大津バイパスと交差する場所(高須の高知市東消防署交差点)付近で、高知ICから分岐した南国道路(高規格道路)の高架工事をやってていました。丁度20年前に当時の建設省の「南国道路検討委員会」とかに1市民で呼ばれていました。
他の民間人委員は当時の県立美術館館長と、五台山竹林寺の僧侶の人だけでした。95年の阪神大震災の直後だけに、高架が地震で倒壊しないように、軟弱地盤を貫き硬い層まで基礎を打ち込むように聞きました。
高架道路が出来る一宮や布師田、高須は海抜が0メートルの軟弱地盤地域。この高架道路が津波浸水時の避難場所の役目もすると思います。
若松町での堀川での耐震護岸工事が本格的に始まっていました。来年3月末には完成するようですが・・。1M堤防の高さをいままでより高くするとか、古い堤防とくっつけてコンクリートを流し込むとかいろいろ言われています。よくわかりません。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
先週の土曜日に続いて、今週も海の散帆に行くことができました。とても幸運であると思います。本来なら梅雨入りで海の散歩など諦めていましたから。昨日は1日家の事をして、家内が外出時に留守番をしていましたから、家人の許しもあり、夜須へ出掛けることが出来ました。
風があろうがなかろうが、海に浮かんでいることが何よりうれしいのです。「運動神経がなく、どんくさい私」ですが、海の散歩だけは32年も続いてしています。私にとってのヨットはスポーツではありません。「癒し」なのですから。
午前8時40分位に夜須へ到着。まずは訪で、おむすびと卵焼きを購入します。ヤッシー・パーク夜須駅前の駐車場のゴミ拾いをしました。まっこと心無い馬鹿どもがいますね。遊びに来てゴミを出す奴は「人間の屑」です。
ハーバーへ行きますと駐車場が混んでいました。既にぎ装しているヨットも多い。聞きますと愛媛国体選考レースだそうです。今日と7月の2回のレースの成績で高知県代表が決まります。
私も早速ぎ装しました。日差しが出て来ましたので、影がなくコンクリート張りのハーバーは暑いです。スポーツドリンクをがぶ飲みしました。
救命胴衣の上から着用するメッシュ状のチョッキをワークウエイで購入していました。首から紐を欠けた防水仕様のデジタルカメラを収納出来る胸ポケットがあります。
今日は幸運でした。波が小さく風は程よく吹いてくれました。赤岡沖まで簡単に行くことが出来ました。遠目で国体選考レースを見ていました。6艇ぐらいがそれほど差がなくデットヒートしているようでした。
午後から大崎修二さんも来られ、一緒に帆走しました。午後からも良い風吹きました。得しました。
片付けして、体を洗ってヤッシーパークへ歩いて行きました。駐車場は満車状態。体がほてっていましたのでアイスバー・マナマナへ一緒に行きました。大崎さんが「アーモンド・レーズンが美味しい」と言われるので弔問しました。とても美味しく幸福な気分になりました。(電池切れで写真はありません)
今日は午前8時40分から午後18時20分まで夜須に居ました。
海からエネルギーをいただいているのです。週明けから地域関係の行事で繁忙になります。精神的なバランスを取るためにも海の散帆で充電が必要です。沢山いただきました。幸福な1日でした。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2017年6月17日は、午前6時に横田政道さん邸へ集合。自転車で行きました。
途中三石にある五台山農協婦人部の早朝良心市にて、今朝はミニトマト2袋、沢庵を購入しました。
そして階段を登坂し、下知愛のふる里農園へ行きました。たいもも2年まで大きくなりました。周辺の雑草取りをし、雨が降らないので雨水貯蔵プリバケツから水をくみ出し水やりしました。
下の自作耕地と果樹園では横田政道さんと大崎修二さんが大きめのペットボトルに砂と木炭と化繊をいれた簡易浄水器を自作。雨水を入れて試験をしました。何回もしますとかなり浄化されてくることがわかりました。
今日の出席者は横田さん、黒岩さん、福谷さん、大崎さん、原池さんと私を入れて6人でした。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2017年6月7日(水)に開催されました下知地区減災連絡会の総会。」総会資料は坂本茂雄事務局長が作成していただきました。改めて2017年での「下知地区防災計画」の事業を眺めています。
6月22日に開催されます「第9回下知地区防災計画第9回検討会」をスタートに7月から最低月1回の検討会が開催され、10月11月は月に2回の予定。
当然地区防災計画と連動させますが、二葉町防災会や下知コミュニティ・センター防災部会も独自の事業計画もあります。正直きつい。
当然仕事もやっていますし、両親の在宅介護ケアもありますから。
けれど大災害に遭えばこんなものではないでしょう。海抜0メートルで軟弱地盤の二葉町。「事前の対策がすべて」と思っていますのでやるべきことはすべてやります。
| 固定リンク
| コメント (1)
| トラックバック (0)
2017年6月13日は、下知地域内連携協議会(会長・国見俊介)の役員会が開催されました。定数が充足していることを中岡寛典事務局長が確認し、役員会が始まりました。
冒頭県立大学の学生グループの2団体のプレゼンテーションがありました。1組目は、子供食堂を一宮地区でやってきたが、下知地区でも子どもと連携する事業をしたいというものもう1組は、下知地域と県立大学の学生との連携を常態化する活動をしたいというものです。
いずれのグループも国見会長の声掛けでした。学生たちの真摯な取り組みに感心しました。1時間程度のやりとりでしたが「爽やかな」気分になりました。
続いて役員会の審議は、来週6月20日の総会の役割分担と審議事項の確認でした。平成28年度の事業と決算、平成29年度の事業計画案と予算案が承認されました。
連携協主催の「昭和秋の感謝祭」は11月3日開催ですが、場所は昭和小になりました。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2017年6月15日は、日本国民は終生忘れてはいけない日です。政府・与党が委員会審議を蹴飛ばして、未明に参議院本会議で「共謀罪」を強行採択した最悪の日です。賛成した与党(自民党・公明党)と維新の議員はこれから全員を「ファシスト議員」と呼ばなければならないでしょう。民主主義の破壊者であり、国会を冒涜しましたので。
何度も言いますが私は政党や労組には全く無縁な市井の市民の1人です。あんまり腹が立ったんで、高知市中央公園北口前での共謀罪反対集会に私個人の意志で参加しました。
集会には政党筋、労組筋を中心に、市民団体等の関係者、宗教関係者など約200人が参加していました。午後6時から集会は始まりました。
「最近ロンドンやパリで起きているテロは、単独犯、一匹オオカミの自爆テロです。組織犯罪と言えるものではありません。」
「政府は特定暴力組織犯罪集団を特定し、一般の市民団体は対象外と最初は言っていましたが、金田法務大臣は、一般の市民団体も対象となると言っています。」
「委員会審議をすっ飛ばしたのは、委員会のやりとりがテレビ中継され、政府答弁がしどろもどろになる姿を国民身見せたくはない事。それと強行採決した場面で与野党議員がもみくちゃになる場面を中継されたくなかったからでしょう。都議選の影響があると公明党の判断がはたらいたのではないでしょうか。」
「わすれない。あきらめない。手を結ぶことが何より大事です。」
「最近の各社の世論調査では明らかに安倍内閣の支持率が下がっています。
毎日新聞では、安倍内閣支持が46%、不支持が44%と拮抗しています。」
日経WEBでは指示が27%です。週刊文春では22%と急降下です。
一方前川前文科省事務次官の支持率は74%、安倍首相の支持率は23%です」
「わかっている人がまわりに伝えていただきたい。そして決して萎縮しないことです。居酒屋でも安倍内閣批判をやりましょう。」
「安倍内閣は3つの武器を手に入れています。
①1つ目は小選挙区制度によって自民党本部が所属議員の生殺権を握っていることです。安倍総理にはむかう議員がいなくなりました。公明党も自民党の協力なしでは小選挙区では当選出来ませんから、逆らえません。
②マスコミを支配したこと。読売新聞や産経新聞は政府・自民党の機関紙に成り下がりました。
③内閣府による600人の官僚への支配権を強化した。」ことです。」
また登壇されましたキリスト教の牧師さんはこう言いました。
「有名な牧師でナチスに対する抵抗した人の詩を朗読します。
マルティン・ニーメラーの詩でした。
「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった私は社会民主主義ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき、私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」
6時半位に44年ぶりに再開する人から電話があり集会の途中で中座させていただきました。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
50年前の1966年に国語の授業をしていただいたM先生。6月9日の私の高知新聞への投書「復古主義では滅びます」を読まれて電話と感想文を送っていただきました。
半世紀経過しても恩師はありがたいものです。励まされますね。小さな商いと超高齢者の両親の在宅介護。合間の自宅まわりの地域防災活動程度しかできない現実。そんな小市民であっても今回の「共謀罪」の国会での与党による強行採決は許し難い。
午後6時から高知市中央公園北口で共謀罪反対集会(主催・憲法アクション高知)があるそうです。見学しに行きます。政党筋でも労組とも関係ない1市民として。6時半からそれこそ40年(?)ぶり、いや44年ぶりにかつて高知でともに社会運動をした人と再会する予定です。
集会の途中から抜けることになりますが、その知人との再会もまた大事ですので。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
珍しく高知新聞「声・ひろば」への投稿文が掲載されました。そしてそれを個人ブログに書きました。
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2017/06/post-26ed.html
「復古主義では滅びます」(個人ブログの記事)
それを讀んだ県外在住の友人から「讀んだぞ」との一言とともに以下の詩を教えていただきました。
ドイツの反ナチ闘争で活躍した牧師、マルティン・ニーメラーの詩を友人は紹介してくれました。
「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」
本日午後6時から憲法アクション主催で「共謀罪反対集会」が、高知市中央公園北口で開催されます。わたしは政党筋でもなく、労組筋でもなく、ただの市井の1市民として集会に参加する予定です。
」黙っておれば日本国は「息苦しい全体主義国家」になります。
声を張り上げて共謀罪に反対しましょう!!
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2017年6月6日は月に1度の老師(90歳)の整体の日。体の歪みを指摘していただています。「へそのうえに手を当てて、手当てをしたら腰痛が改善したよ。首の後ろにも手当てすると頭の血行が良くなり肩こりもなくなりますよ。」とのこと。
老師の自宅の隣も新たに新築木造2階建て住宅が建設中。近くの駐車場もボーリング調査しているので家屋が建つのでしょう。ここいらは海抜2Mです。
はりまや橋小学校の北裏にも新たにマンションが建設中。木屋橋の歩道橋近くの電車通り北側もマンションが建設中。
中之島にも近くマンションが着工予定とか。皆海抜2Mの低地であり、南海トラフ地震では津波浸水予定地区になっています。
また中之島にある分譲マンションが最近高知市指定の津波避難ビルになりました。ありがたいことです。母(91歳)が週に3回通所しているデイ・サービスからほど近いところにありますから。
海抜0メートルの二葉町や下知地区ではマンションなどの新築はありません。海抜2Mですと新築家屋やマンションが建設されます。海抜0メートルに住む住民はひがむばかりです。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2017年6月14日は、父(97歳)の通院の付添で1日が終わってしまいました。まずは朝1番は植田医院へ行き、診察と点滴しました。週3回のペーズです。10時過ぎに戻りました。小休止して11時過ぎに、町田病院へ行きました。1年前に午前11時半で予約しました。
待合室は患者であふれかえり、眼科の測定検査をする中待合も満杯状態です。大勢の職員がてきぱきと各種検査を患者を誘導し測定機器の前に座らせてしていました。
なんだかんだと1時間ぐらいで測定は終わりました。後は診察だけです。
橋田正継先生を、植田一穂先生にご紹介いただき、2年前に父は白内障の手術を執刀していただき3日間入院させていただきました。今日は手術して2年目の検査でした。
それから待つこと1時間半ほど。満杯にいた患者がすべていなくなり、父は午前中最後の患者のようでした。
「大変お待たせしました。視力は左が0.7、右が0.5です。右の視力が1年前に比べ落ちていません。すぐに白内障の手術は必要ありません。」
「目やにが出ています。お湯で布を温め拭き取ってください。薬局でも殺菌効果のある濡れガーゼを販売しています。ご高齢になりますと子供がえりをする。子供ははなたれ小僧なんて言われますが、御高齢者のかたは、目やにが出たりします。」
「弱い抗生物質が入った目薬を1日4回さしてください。1週間分処方します。次は1年後に元気で会いましょう。」
「先生父はあと10日で98歳になります。来年は99歳ですよ。」
「100歳になられてお元気で来てください。」と言われました。敗亡している病院は凄いです。先生が診察されている以上、スタッフの人達も昼食が取れませんから。医療関係者はタフでないといけないですね。
事務所へ戻ると午後2時過ぎ。遅い昼食を父と一緒に食べました。3件ぐらいWEBでの問い合わせに対処しているうちに1日が終わってしましました。父も疲れたと思います。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2017年6月9日(金曜)は梅雨の晴れ間。午前6時前から下知コミュニティ・センター前の二葉町町内会主催の資源・不燃ステーションにサポーターとして参加していました。
今回我が家の資源・不燃物こそ僅かでしたが、今日の二葉町の不燃物・資源は多い。6時半前後に1つのピーク。マイカーなどで次々と持ち込まれます。
荒木三芳二葉町町内会副会長の適切な指示のもとに、「仕分け」され整然と整理されています。引っ越しされる家なのか次々と家具や家電製品が持ち込まれています。
両親の朝食タイムなので、午前7時過ぎにそうたいさせていただきました。(午前6時から8時までが当番)。あめに降られず何よりでした。
月に1度の町民同士のコミュニケーションの場ですね。貴重な集いです。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
W杯アジア最終予選の大一番。日本VSイラク戦です。1200Mの高地。中東特有の暑さ。中盤の香川や今野は負傷欠場。守備ラインが不安定な日本代表。不安だらけです。今日の試合は引き分け以上ならW杯出場に王手です。さてどうなるか。
イラクは伝統的にモダンなサッカーをします。1993年のドーハの悲劇」ではロスタイムにゴールを決められ、日本のW杯初出場が消えましたので。弱くはないですね。きちんと点を取れるのかそれが問題。失点をしないでいられるのか。それが問題です。
と思いながら見ていました。しかも新しい戦力を3人も投入しています。本田も先発しかもキャプテン。がらがらのスタンド。ホメイニ氏の大きな写真。日本の女性サポーターも顔にブルカを巻いています。
前半7分過ぎに原口が頑張りシュート。コーナーキックになりました。8分に本田が蹴り、大迫がヘッドで押し込んで日本貴重な先取点。幸先がいい。
しかし」イラクも諦めない。キック・アンド・ダッシュのようなサッカーです。ゴールをこじ開けようとの迫力はありますね。日本の守備陣も冷静に跳ね返しました。」危ない場面はありましたが、なんとか前半は1-0で終了しました。
日本痛恨の引き分け!!
さて後半はどうなるのか?
34度という気温。乾いた高地の空気。ふかふかのグランド。日本のパスサッカーは出来ません。であるならば臨機応変なプレーをしなければならない。日本はそれが特に後半出来ませんでした。
一方のイラクは悪いグランド。コンディションを考慮し、「ラグビー・サッカー」を仕掛けtれきました。ラグビーで言えば、ハイパントをあげて、FWがなだれ込むと言う戦術。
後半28分日本は守備ラインが致命的なミス。イラクの波状攻撃をサイドラインに蹴りだせばいいものを中途半端なクリアボールを押し込まれました。日本の1番悪い所が出ました。
「つなぐサッカー」は間違いではないですが、今日のグランドや気象条件や選手の疲労度からすれば無理。後半は日本は風上になったのですから、投目からミドルシュートを打ちこぼれ球を押し込む戦術をやるべきでした。
悪いグランドで「仕掛け」にこだわりことごとく失敗していました。情けない試合でした。
次の8月31日のホームでのオーストラリア戦で勝てばいいんですよ。情けない試合でしたが、やはり予想どうり引き訳でしたね。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2017年下知地区減災連絡会(森宏・会長)総会は、2017年6月7日に下知コミュニティ・センターで開催されました。代議員役員数51人ですが31人の出席(委任状3人)があり、過半数の出席ですので総会は成立しました。
森宏会長が挨拶しました。続いて来賓の高知市地域防災推進課井上課長補佐が挨拶しました。山中係長、中山氏、橋村氏4人が出席しました。
総会の議題は「第1号議案 2016年度事業報告」「第2号議案 2016年度決算及び監査報告」が、坂本事務局長、国見会計担当、小谷監査から報告があり、全会一致で採択されました。
引き続き「第3号議案 2017年度事業計画」「第4号議案2017年度予算」が、坂本事務局長、国見会計担当から提案され全会一致で採択されました。
また第5号議案として2017年度役員選任案が出され、採択されました。執行部は会長森宏、副会長西村健一、皆本隆章、事務局長坂本茂雄、会計国見俊介、会計監査小谷健一、黒岩博(新任)となりました。
2017年度は下知地区防災計画3年目の仕上げの年。事前復興計画と整合しながら「命を守る(揺れ対策)」「命をつなぐ(避難所運営・長期浸水対策)」「生活とまちの再建(事前復興計画)」をあわせて立案し、12月17日の下知地区総合防災訓練と、報告書の作成、来年3月の地区防災計画学会での公表となかなかのハードな日程となります。
活発な意見交換も行われ、散会しました。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
雨の1日ですね
予想どうり夜半からの雨がしとしと降っています。今日は1日雨模様とか。それだけ昨日の晴れ間は貴重でした。
昨日朝から夕方まで[海の散帆」をしていました。片付けが終わると携帯に中学時代の恩師の先生から電話がありました。
「6月9日の投稿文は良かったですよ。S先生も喜んでいました。よくぞ言ってくれたと。」。ハーバーでもシニア・ヨットクラブのIさんからも「新聞見たよ」と言われました。やはり年配者は気にしているようです。
しばらく高知新聞から嫌われていたのか3年か4年ぐらい投稿しても掲載してくれませんでした。選者が変わったかもしれません。
でも次はまた3年後になるかもしれないので、2017年6月9日号の私の投稿文「復古主義では滅びます」を個人ブログにも書きました。
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2017/…/post-26ed.html
今朝は午前中は父(97歳)のリハビリゴルフの付き添いに行きます。意欲は大事にしたいです。
久しく会っていない友人のUさんから以下のメールが来ていました。
金曜日の高新 読者の広場への投書は良かった。わかりやすく、訴えています。とんでもない時代がすぐ、そこに来ているね。日本が国際社会の一員として、国連に加盟し、役割を果たそうとするなら、「日本は人殺しの金は出しても、人は出しません」と、立派に誇ればいいのです。左翼は戦争そのものを、理念的,観念的に否定するものだから。「人殺しの金」ということを、言えないのです。
世界の先進国、大国と言われる国で、軍隊を持ち、戦争に参加しないという国が、世界に一つあってもいいのです。革命や独立戦争を経て、民主主義を獲得した欧米諸国では、国家が軍隊を持たないということは、現実的に考えられません。日本は憲法9条を持ち、「人殺しの戦争には、金を出しても人は出せない」ということを、僕たちは、リアリスチックに誇っていいのです。人類の歴史に、こんな国家はなかったことを自信を持って、内外に誇ればいいのです。これはすごい、立派で尊いことです
。
ドイツの反ナチ闘争で活躍した牧師、マルティン・ニーメラーの詩はご存知ですよね。
ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった
「共謀罪」だけは絶対に許せません。声を張り上げて反対しましょう!!
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2017年6月7日は、高知県産業振興センター主催「GooGLe Analytics ビジネス活用セミナー」へ行きました。講師は宮松利博氏(株式会社issun代表取締役)でした。
参加者は50名。20代から40代前半までの若い世代ばかり。わたしの子供世代です。1人白髪のお爺さんが混じって「浮いておりました」。
Googleアナリティクス)は、無料で使えるめちゃくちゃ高性能なWEBアクセス 解析ツールです。でも、高性能・多機能な分、初心者には使いこなすのが大変。以前も別のWEBセミナーで効用は習っていましたが、「半年ごとにシステムが変わるので、書籍本も追いつかない。習うより慣れろの世界です」とのこと。
WEBでの広告をGoogleでした場合、どれぐらい広告効果があるのかの検証から始まったとの事。会社のホームページのどのページが1番見られているのか。それから製品の購買に繋がっているのか?閲覧しただけで別のサイトへ移動するのか?そのあたりがわかるらしい。
「数字化・無人化・効率化を進めますとオンラインストアは黒字になります。アマゾンは今まで10日かかっていた業務を1時間で出来るようにしました。大きな収益をあげました。目標を数字化することが大事です。」
「画面の向こうには人がいます。動線をWEB内でどうつくればいいのか。閲覧している人の動きを分析して、サイトの改良に繋げましょう。」
「医師にあなたはプライドが高いから謙虚になりなさいと言われても、なにをしていいのかわかりませんね。あなたは血糖値と尿酸値と血圧が高いから数値を下げなさいと言われたら具体的な努力目標ができます。それと同じです。」
「自社サイトの最終目標を決めます。それを決めたらどう作りこんだら、そうなるのかを考えないといけません。EショップのドクターはGooGLe Analyticsです。
https://www.google.com/intl/ja/analytics/
理屈は100%正しいですが、こちらの頭がついていけないですね。口座終盤は頭が働かなくなっていました。習ったことの半分でも実践しましょう。
宮松利博さんは最後にこう言われました。
「今日から21日間やり続けましょう。明日のジョーでは駄目ですよ。」。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
四国は6月8日頃梅雨入りしました。「海の散帆」は諦めていましたが、お天気も良くなりました。家内の許しを得て海へ行くことに。超高齢者の両親(父97歳・母91歳)も元気で調子が良さそうでした。
早朝の五台山市民農園の雑草引きの作業後、帰宅し母が入れてくれたコーヒーを飲んで早速夜須へ行きました。上天気であり波はなく程よく風が吹いています。
完全に夏仕様にしました。Tシャツと短パンで海の散歩をしました。今日は岡山県牛窓マリーナでインカレがあるようで高知大学ヨット部の主力メンバーは遠征で不在。ジュニア・ヨットクラブと社会人、私らシニア・ヨットクラブなど16艇が海へ出ました。
爽やかな風でした。赤岡方面へも行けました。模擬レースで練習をしていました。」家族の協力で朝から晩まで海で遊ばせていただきました。来週からせわしくなりますので、充電させていただきました。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
梅雨の晴れ間となった高知市。五台山市民農園(下知愛のふるさと農園)へ行きました。午前6時前に横田さんところへ集合。自転車で行きます。途中三石にある五台山農協婦人部の良心市で買い物、露地物の野菜を買いました。
今朝は人気のミニトマトは売り切れでした。きゅうりとさやえんどうを買いました。横田農場長が飲料水を上げるようにと言われましたので、先日フードバンク高知さんからいただいた飲料水をかついで市民農園へあげました。
作業はひたすら雑草引き。1週間ではえますね。下の畑でネギを収穫しました。手回しラジオと救急セットを横田さんが寄贈されました。農機具も揃いました。だんだんと避難所機能が整いつつありますね。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
一体何年ぶりでしょうか?久しぶりに高知新聞「声・広場」欄に私の投稿文が掲載されました。2017年6月9日号です。3年か4年は掲載されませんでしたから。よほど高知新聞に嫌われていましたね。
https://www.kochinews.co.jp/article/104466/
今日の「声・ひろば」欄は私以外にも、加計学園問題を厳しく批判する島嶼通が掲載されていました。わたしと同年代の人達の「怒り」の投稿文でした。
夕方ある地域のレジェンドの人から電話がありました。
「投書読んだよ。ほんまにわしもそう思う。今国民各位が言うべきこと、主張すべきことをきちんとやらないと、気が付いたら物が自由に言えん社会になるぜよ。
戦前の日本のようにいくら良いことを主張しても「非国民だ!」とレッテルを張られたり「アカだ!」とレッテルを張られて逮捕され、拷問され、収容所へ放り込まれる時代になるぜよ。自民党も骨のある奴はおらんかよ。こんなだらだらした国会審議で国民の生活を息苦しくするようなことになるとは。嘆かわしい。」と長老は言われました。
意外な人からの反響に驚きました。うちなんぞは家族のだれも気がついていませんから。誰もせわしくて新聞讀んでいませんでした。
安倍内閣の政策たるや、日本が敗戦後営々と築いてきた「民主主義」「社会的平等」「基本的人権」「国民主権」「平和主義」を破壊することばかりです。国民の医療・介護の負担は上がるばかり。経済は良くなる気配は(いいのは優遇された大企業のみ)ありません。
お酒ばかり飲んで「幕末維新だ」と言っているうちに、このままでは日本は北朝鮮や中国と同じ「全体主義国家」になっていまします。
わたしは右も左も統制的な全体主義は大嫌いです。とくに共謀罪=治安維持法の制定には断固反対します。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
母とはりまや橋サロンへ行きました
2017年6月9日(金)は、高知市は梅雨の晴れ間になりました。昼食後の午後1時過ぎに母(91歳)の付添ではりまや橋商店街へ行きました。お天気なので歩行補助車を持って行きました。
まずはコロッケ屋さんで夕飯用を買いました。新発売の「トマト・クリームコロッケ」がありましたので人数分を調達しました。
今日はいつも焼き菓子を購入する谷ひろ子さんはお休み。東京でのスティングのコンサートに行かれているそうですので。山岡さんのお店で冷やしぜんざいを母と一緒に食べました。
今日の活き活き100歳体操は17人の参加者がありました。日差しがきついのでテントの下で行いました。母は腰が痛い(脊椎狭窄症・すべり症・圧迫骨折)ですが、元気でやっています。
母がはりまや橋サロンから事務所へ戻りますと、父(97歳)と合流して横田胃腸科内科へ行きました。月に1度両親は診察に行きます。今日の父の血圧は140-64(午前中の植田医院では128-51)、母は134-70でした。
「血圧はいいですね。ご両親とも医学的な所見はありません。良好な健康状態です。」とのことでした。
認知症の母について横田哲夫先生のコメントをお願いしました。
「認知症の悪化はしていないように思います。言葉もはっきりしています。」と言われました。
便意がわからなくなって便をトイレでなくおむつでします。座り込んでつぶしたり、床へ落ちたりします。と先生に言いました。
「便意を感じなくなることはありますよ。それに対する治療法はありません。昔と違い大人用のパンツ式のオムツが性能が良くなり介護が楽になりました。でも便が床へ音たり服や布団に付着したりはあるでしょう。気長に対処するしかないですね。」と言われました。
母も排泄障害があえるとは言え、息子である私の事はわかります。わかる以上は家内にも協力いただいて在宅で介助していこうと思っています。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
週末の金曜日の午前中は父(97歳)の付添にて植田医院での診察と点滴です。原則月曜・水曜・金曜の週3回通院しています。
「腎臓疾患の患者さんで1番怖いのが脱水症状です。高齢者はとくに喉が渇くと言う自覚症状がありませんから深刻な事態になるようです。腎臓疾患のある人は脱水が命取りになるので気をつけて水分補給に努めてください。」
「足が攣るという症状も脱水症状が大きな要因です。OS-1(経口補水液)である程度予防で来ますし、症状の改善もできます。」と植田一穂先生は言われました。
父は週に3回点滴しているのも水分補給も兼ねています。自分でも水分補給に心がけていますので、最近は脱水症状にはならなくなりました。
今日は父の調子がいいのか、車にも介助なしで乗り込むことが出来ました。ふらつきも改善されつつあります。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2017年6月2日(金曜日)に高知県立美術館ホールで3回上映された「人生フルーツ」という90歳と87歳の老夫婦の日常生活を記録した映画でした。自主上映会の映画としては異例の高知市での来場者でした。
フード関係の人達がスタッフとしても多数関わり、来場していた人たちもその関係者・知り合いの人達が多かったように思いました。その点私なんかは当日は「浮いた」存在でした。
25年前の津端修一さんに会いました
1990年から92年まで所属していた高知青年会議所で3年間「都市再開発セミナー」を企画し、連続セミナーを運営していました。1990年に高知市は「高知市総合計画」を公表し、増大する都市住民の各種要望に対応する都市づくりを目指していました。
また当時はバブル経済の真っ盛りでした。全国各地で都市再開発事業が展開されていました。首都圏では横浜のみなとみらい21や、千葉の幕張新都心構想、東京ベイエリア構想や、福岡のシーザイドももちなどでした。
1987年・88年・89年と3年連続でアメリカ旅行の機会があり、当時有名な米国の都市再開発された都市(サンフランシスコ・サンジェイゴ・NY・ボルティモア・セントルイスなどを訪問する機会がありました。
「高知市における都市再開発を考える」というテーマで、自分たちと同世代の高知市役所若手職員たちと議論し、講師の選定や企画を立てていました。
趣味のヨットの関係で、夜須町のマリンタウン計画にも関わり、米国西海岸や東海岸を安岡正博さんの案内で視察することが出来ました。その「成果物」がヤッシー・パークであり、YASU海の駅クラブです。
マイタウン・高知市も快適で面白い都市にしようと無い知恵をしぼって懸命に当時としては勉強しました。1991年にNHK高知放送局がマリンタウン計画を取り上げた生番組@どうなるマリンタウン計画」があり、わたしは出演しました。
その時知り合いになった斉藤プロジューサーが都市再開発セミナーの講師としてご紹介していただいた人が津端修一(当時は三重大学客員教授)さんでした。当時の私には全く知らない人でした。無知でしたね。
25年ぶりに改めて調べてみますといくつかの住宅団地の設計に関わっておられるし、愛知県の大規模宅地開発である高蔵寺ニュータウン計画のマスタープランの立案者でもありました。
映画でもありましたが、当時の日本社会は効率優先で津端さんの計画である「丘陵地を活用し、風の抜ける道や公園や丘陵を団地内に造成する計画はなおざりにされました。
「ドイツの都市計画では、風水の都市づくりをやっているよ。都市の中に風の道や水の道をつくるようになっている。」と以前福井照さん(元建設相官僚・現衆議院議員)から聞いたことがありました。
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/912-4eea.html
「あるべき都市の姿について」(2008年)
福井照さんは若手官僚時代に、環境都市で有名なドイツのフライブルグに1年間留学されていたそうですので、自然体で「風水の都市づくり」が発想できるのですね。
津端修一さんも欧米の都市の再開発や建築のありかたのついての勉強を随分されておられたと思います。またご自身がヨットでの帆走が好きで毎年2週間ぐらい奥さんや家族ととセーリングをされておられました。自然と人間は共存しなければいけないという発想が自然体に出来た人なんでしょう。
今になって「地球温暖化対策だ」「排出ガス規制をしろ」とか机上論がやかましいですが、津端修一さんのマスタープラン通りに高蔵寺ニュータウンが完成しておれば、夏場でもエアコンがさほど必要ない快適な生活を住民は送れたと思います。
効率優先の都市再開発から弾きだされた津端修一さんは、奥さんと2人で高蔵寺ニュータウン内に300坪の土地を購入し、樹木を植樹し、畑をこしらえミニ里山状態を50年かけて作り上げました。野菜や果物はかなり自給していたようですね。レジャーとしてやる農業は面白いに決まってますから。
さて私の住む高知市下知地域。海抜0メートル地帯に約1・6万人が住んでいます。映画では高蔵寺ニュータウンは、伊勢湾台風で壊滅的な被害を受けた名古屋市の低地の市街地の高台移転と言う側面もあったとのことでした。
今年3年目を迎える「下知地区防災計画」。行政の支援は最終年度です。「事前復興まちづくり計画」をそろそろ来年あたり議論し、再来年に検討まちづくり協議会を下知地区でこしらえたいと思っています。
あらためて津端修一さんに相談してみたかったですね。残念なことに2年前に急逝されました。ご葬儀は自宅に国際信号旗が掲揚されていました。自然体の人でした。
やはり無理をしない自然体の仲良し夫婦のありようが人気を呼んだのでしょうか?私も津端修一さんを見習い家内にはもっとやさしくしないといけないでしょうね。
90歳と87歳の老夫婦の健康な生活ぶりには驚くばかりでした。うちも97歳の父と91歳の母と同居しています。在宅介護ケアを私ら夫婦はしています。2人とも元気は元気ですが、津端夫妻のようにあれほどの元気さはありません。
つらつらと映画の感想をとりとめもなく書いてみました。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
今朝は雨が上がり日差しも。土曜日までの3日間は雨が降らない予報。こういう天気は体調維持が難しい。
夏仕様の体をつくりあげる時期であると思います。エアコンを使用せず体を夏仕様にする。冬仕様の殻だから夏仕様にするのは1か月以上かかりますし、我が家の超高齢者(父97歳・母91歳)は2か月はかかります。
まして高知は夏が長い。10月半ばまでは夏ですから。あと5か月近くあります。今からエアコンなんぞ使用していれば家計的にパンクです。
昨日のサッカー日本代表の試合日本VSシリア戦はホームで引き分け。シリアも中国に勝てばW杯に出場するチャンスはあるので必死でした。
来週のイラク戦は勝たないとW杯に出場できませんから。懸命さだけではなく結果を残さないといけないですね。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2017年6月2日(金)は夕方7時までに県立美術館ホールへ家内と一緒に行かないといけないので、早めに両親に夕食を取っていただき、薬も飲んで母(91歳)のオムツも変えて寝室へ誘導しないといけないですから。
さて予想以上に来場者がいましたね。超高齢者夫婦の日常の生活を取材したドキュメント映画が何故人気なのか?
午後6時半過ぎに車で行きましたので、駐車場が隣の下水処理場の近くでした。ホールも満杯。中庭も満杯状態でした。大西みちるさんに入り口で会いました。松田雅子さんも文旦ブースを出しておられました。主催者の田辺高英さんが上映前にステージで挨拶されていました。
以前も書きましたが、わたしは25年前に津端修一さんに1度だけお会いしたことがあります。おそらく多くの来場者や関係者でもお会いしたことのある人は少ないと思いますね。
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2017/05/post-324c.html
「高知県は産業基盤が弱く所得も低い。経済格差があり、暴力団も暗躍している。共産党も根強い。なんかイタリアと似てますよ。」
「イタリヤも経済は駄目だ駄目だと言われているが、実は市民は案外豊かに暮らしているイタリヤは日本のような学歴社会ではない。15歳で職人になり30歳ぐらいで親方になる。量産する製品ではなく、家具や革製品や靴や宝飾品などは高値で売れる。」
「国はつぶれかけていても、国民各位は元気で案外豊かに暮らしているのがイタリアですよ。高知はイタリアに似ているんで、東京を目ざすのではなく、イタリアを目指すべきだ。」といわれました。
ヨットが趣味で、わたしも下手の横好きですので、講演後の懇親会ではセーリングの話ばかりしていたようです。後日ニューカレドニアでの島めぐりセーリングのお誘いを受けたこともありました。当時は子育て真っ最中でしたので、行けませんでした。行けば人生観が変わっていたでしょう。
「人生フルーツ」の感想です。
家内の感想。「本当に仲良しの夫婦ですね。奥さんの料理の上手な事。お菓子もなんでもかんでもつくるんで凄い。」
私の感想。「孤高な建築家であり、都市計画家。チームプレーが苦手な人。。着想が凄い。マスタープランを実現できる土壌が日本に津端さんが現役時代はなかった。それで300坪の土地を自分が手掛けた高蔵寺ニュータウン内に購入。ささやかな里山を50年かけてこしらえましたね。
でも最晩年に、九州伊万里の精神病院の建築に活かされたので良かったと思いました。
ばたばたで駆けつけ、ばたばたで帰りましたので会場風景の写真はありません。関連写真を(以前も投稿しましたが)貼り付けました。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2017年6月4日(日曜)は、二葉町町内会の消毒日です。6月、7月、8月の第一日曜日の午前6時半から7時半までの予定で二葉町町内の消毒作業です。7月は2日、8月は6日の予定です。(雨天時は翌週に)
6月4日は晴天。薬剤と水を噴霧機械に入れます。4台の噴霧器が二葉町の4区画を廻ります。消毒担当以外は町内のゴミ拾い。私はゴミ拾い役です。担当は町内西南部、。堀川沿いと国道56号線まで。
結構ゴミもたくさんあります。
そろそろ消毒も終わりかなと思っていますと、突然男2人が凄い剣幕でやってきました。
「わしら夜が遅い仕事をしている。やかましいやないか。暴走族のような音やないか。」
「すみません。町内会のほうで告知を前からしておりました。」
「そりゃみてないから知らん。」
「7時半位には終わります。あそこの下知コミュニティ・センターで終りです。後、7月と8月の第1週の日曜にも同じ時間帯にしますのでご理解ください。」
「お前は上から目線で偉そうやぞ。」と言われました。
後で二葉町町内会の役員に聞きますと、暴力団関係者らしいとのこと。
「今まではおとなしうしよったが、代替わりしたらしい。」との事でした。
「上から目線」とかいう言葉を使うんだと変の感心しました。言葉尻をつかまえて脅すのが商売の人間らしいと思いました。
午前7時40分に全噴霧器が戻り、解散しました。ゴミも結構集まりました。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2017年6月3日午前9時前にYASU海の駅クラブ駐車場に着きますと既に大勢の人達がいました。よxの関係者、SUPの人達。デューボ関係者の皆さん。50人はいたようです。
今回は手結岬の大手の浜海岸の清掃ということになりました。車で現地へ行きました。そしてビーチのゴミ拾いをしました。食材の容器類。ペットボトル、袋類などがたくさん集まり綺麗になりました。
大手の浜のゴミ拾いの後は、YASU海の駅クラブにて座学。井土さんが講師役になりヨットの安全航行と荒天時の対策、練習方法などをレクチャーしました。こちらも事前対策が必要です。
続いて坪井にある津波避難タワーへの避難訓練をしました。本当は夜須川の対岸にあるので、YASU海の駅クラブ側からは避難しては行けない場所。避難タワーを何たるか知らないるのか知らないヨット関係者も多いので、今日は体験です。
本格的な沖合からの津波避難訓練は、ヤッシーパーク内の津波避難タワーが完成し、海水浴シーズンが終了した9月以降でしょう。
安全講習会と津波避難模擬訓練終了後に、ヨットのぎ装をし昼食を食べました。訪のおむすびと卵焼きです。着替えて出艇しました。
予想以上に風が強く、なかなか海の上の写真が取れませんでしたが、なんとか踏ん張って何枚か撮りました。今日は高知大学ヨット部、ジュニア・ヨットクラブ、私らシニアと社会人ら20艇が海へ出ました。
その時あろうことか、ブームバンクが外れてしまいました。幸い海側からの風。背中で受けていましたので、慎重に艇をコントロールしヤッシー・パークのビーチに臨時着艇しました。ビーチに艇を上げ、ブームバンクを今度はきちんとセットしました。
結構強い風が吹いています。そしたら今度はラダーが降りなくなりました。地ビーチに着艇時に押し込んだようです。
なんとか2つのトラブル対策が、そこそこの強風時でも慌てず落ち着いて出来ました。
今日は梅雨入り前の貴重な「海の散帆」でした。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
同世代の西やん(西田政雄さん・防災寺小屋主宰)が、腹巻上の「リフティングベルト(Amazonで¥1280-)を腰痛予防に巻きだしてダイエットに成功したとか。90cmのウエストが82cmになられてようです。私も真剣に検討しないといけないですね。
さて4月の健康診断にてメタボ判定で「黄色信号」が出ました。それで保健師さんにメタボメジャーをいただきました。6月1日から使用することにしました。
測定しますとやはり4月同様にウエストが86cmあります。もっとも私は身長が約179cmありますから、見かけ上はメタには見えません。メタボメジャーによればBMIは23です。でも脇腹の贅肉はとっても見苦しい。なんとかしたいです。
しかしFBを散見しますと多くの人が、美味しい料理や楽しい宴会の様子を投稿されています。それが毎日に近い人もおられます。お腹周りは皆さん大丈夫でしょうか?醜くなっていませんか?私はこれ以上醜くなりたくありません。
減災活動も俊敏に動けないと避難訓練も出来ません。超高齢者の両親のケアもしないといけないからです。
梅雨入り前の貴重な晴天を週末も含めダイエットに最大に活用します。そうひそかに決意しました
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
高知県と愛媛県で直営25店舗を展開してるサニーマート(年商417億円・中村彰宏社長)は、現在下知地域の北御座にある本部を、旭地区の高台へ移転することを公表しました。
2017年5月24日の高知新聞夕刊によりますと、
「同社は登記上の本社を高知市知寄町2丁目に置いているが、スーパー運営の中核となる本部は北御座の中央流通センター2階にある。
事業継続計画(BCP)を進めている同社は、同センター(中央流通センター)が建設から30年以上経過し老朽化していることや、一帯が県想定で1~3㍍の津波浸水が予測されていることから本部機能の移転を検討していた。
同センター1階にある生鮮加工や物流の拠点は既に南国市久礼田に移すことを決定し、建設に入っている。
新たな本部の建設先は、高知市が本年度中の完成を目指して整備中の都市計画道路旭町福井線沿い。畑や店舗などがあった場所で約1万7300平方メートルの敷地を確保した。」海抜0メートルほどの高台で、現在造成工事を行っている。」とのこと。
更に記事に寄りますと、本部は鉄骨2階建て、1階部にテナントを入れ、隣地にサニーマート山手店(仮称)を建設の予定。今年8月に着工、2018年春に本部と店舗は完成予定であるそうです。
先日も浸水地域の高知市大津にある中沢氏家薬品が、南国市の高台へ移転しました。z流通業でも財力のある企業は高台へ移転しています。財力のない零細企業は、浸水想定地区に取り残され、日々南海地震の恐怖にさいなまれながら仕事をし、生活をしています。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント