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2017.06.29

「透徹した人道主義者 岡﨑精郎」を読んで

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「透徹した人道主義者 岡﨑精郎」(吉田文茂・著・2008年・和田書房刊)を讀みました。高校生時代の知人のKさんに先日44年ぶりに再会した折に、この書籍を渡されました。いわば「課題図書」。父(98歳)の点滴中や、父のゴルフ練習の間の待ち時間を活用してようやく読み終えました。

 挿絵も写真もまったくなく、字がびっしりと並んでいました。295Pですが、脚注などもきちんとされていて、著者の吉田文茂氏は教育関係者らしく、時代考証し、関係者への聞き取りや関係者から提供された資料を読み込み、活用し、この著作を記述されたようです。

 一読して「岡﨑精郎」は、書籍の題名のとうり「透徹した人道主義者」であったと思いました。1898年に生まれ、1938年に逝去した40年の短い生涯でした。秋山村(現高知市春野町秋山)に生れました。実家は裕福な地主でした。

 絵画に才能があり学童美術でいくつか賞をとり、旧制第1中学(現・県立追手前高校)を卒業し、上京。画家岸田劉生と交流をしました。しかし病弱で画業で身を立てることに断念。療養中に白樺派の武者小路実篤やフランスの文学者ロマン・ロランなどの人道主義の文学者に傾倒していきました。

 父の逝去後地主の跡を継いで、白樺派流の理想の農園経営をめざし、小作料を提言し、小作農と協同組合を設立していくようになりました。部落問題にも取組差別解消のための運動へも参加するようになりました。

 農園経営は実に禁欲的なものでありました。読んでいてだらだらした我儘な私には到底そのなかで生活することは出来ないと思いました。これが第2期の時代。

 第3期はより社会と関わり、農民運動の指導者となり、秋山村の村長も歴任し、県会議員にも立候補、落選するが繰り上げ当選しました。理想を実現するため現実の社会運動路政治活動に没頭します。しかし思ったような成果はなかなか得られないようでした。

 第4期は地元に経済困窮者にも医療が受けられる医院を設立します。多くの人達に大歓迎されましたが、自身の病気と資金難で医院は閉鎖せざるを得なくなりました。

 正直讀んだ感想は、岡﨑精郎さんは「透徹した人道主義者」そのもので、禁欲的でそれは立派な人間であります。ではお付き合いしたいとか、一緒に行動したいかと言えば、今の余裕のない私の立場では遠慮させていただきます。

 私も中学生時代から左も右も社会運動や市民活動に邁進した時期もありました。負け戦が大半でした。成果をあげた市民活動もありました。

 「透徹した人道主義者」ということになりますと、俗人は到底ついていけません。ついていくのは隷属することになります。岡﨑精郎さんの独善性も気になりますが、「透徹した人道主義者」なので誰も批判ができません。また批判をしても「信念の人」なので自説を曲げることはない人でしょうから、一緒に行動することはたぶんないと思います。

 私の信念は、「面白いか面白くないか」であり、「面白いことはやるが、面白くないことはどんなに社会的意義があり、社会的正義であってもやらない」ことです。岡﨑精郎さんは「面白くない人」なので、同時代に今の私がいても多分一緒には行動しなかったと思います。「透徹した人道主義者」からすればそんな私の身勝手な思いは、到底許せないと思います。

 岡﨑精郎さんは1898年から1938年の40年生涯でしたが、同時代人としてはクラボウの創業者で企業家の大原孫三郎さん(1880年から1943年)がいます。

 大原孫三郎さんは紡績業で莫大な利益を上げた反面、従業員の待遇改善や、地域のために病院をこしらえ経営し、大原美術館をこしらえ、世界の絵画を収集し、社会科学研究所を設立したりしていました。岡﨑精郎さんと同様にキリスト教の洗礼も受けています。

 作家城山三郎の作品に「わしの目には十年先が見える」があります。大原孫三郎は学生時代(早稲田大)に放蕩三昧の生活(今のお金で1億円を浪費)を送り、父親に連れ戻され謹慎させられました。その後家業に専念しクラボウを発展させます。企業経営者として才覚がありました。

 広島の軍令部の駐屯地を倉敷に誘致する計画が倉敷の商業者の間から持ち上がったときは、「女工にとって風紀が乱れるから反対だ」と強硬に主張し、誘致を諦めさせました。また西洋美術の作品を収集した大原美術館は、満州国調査に来ていたリットン調査団がわざわざ立ち寄り視察したそうです。

 結果論ですが大原孫三郎のお蔭で倉敷は空爆を免れ、貴重な美術品も古い街並みも残りました。

 これはあくまで「たらねば」の話ですが、岡﨑精郎さんが大原孫三郎に面談し、診療所支援の話をすれば、ひょっとして支援をいただけたかもしれません。

 でも岡﨑精郎さんは、あくまで「自己完結的」な人であったので、そういうことはしなかったのかもしれません。

 全く知らない人物の伝記を読みました。著者の吉田文茂さんの労力のおかげで、地方で戦前に人道主義者で社会運動に生涯を捧げた人物が居たことを知ることが出来ました。

 

 

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