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2017年12月

2017.12.31

わが家の重大ニュース

 2017年本当にいろんなことがありました。全部重要なことです。息子と娘の動向は記述することが「禁止」(本人たちが嫌がる)ので掲載しません。

 どうしても超高齢者の両親の事が多くなりますね。とてもいろんなことがあった1年でした。順不同で思いつくまま記述してみました。

1)父(98歳)が自宅寝室で転倒。頭頂部から大出血(のように思いました)高知医療センターへ救急搬送されました。(9月)
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 結果は外傷。ホッチキス止めをして1週間後に抜きました。
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2)母(92歳)が自宅で火傷。意外にこちらは重症で、毛山病院に入院しました。回復の見込みは未定です。

3)健一が名古屋大学へ出張。大学関係者や行政関係者地元関係者と、地域防災のありかたで意見交換をしました。(10月)
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4)健一が100回目の献血をしました。(10月)

5)父が足がむくみ歩行困難状態になり、高知医療センターで精密検査をしました。むくみは慢性腎不全と心不全であるとか。主治医の植田一穂先生(植田医院)が利尿治療により改善しつつあります。(11月)
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6)家内の宝物であるVHS-DVD併用デッキを健一が誤ってぶち壊しました。嘆いていたところなんと黒岩博さんが贈呈していただきました。感謝です。(12月)

7)健一が、父の植田医院への通院の帰りに宝永町の交差点でバイクと接触事故。幸い大事に至らず。42年間の無事故・無違反記録が途切れました。(12月)
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8)9年目を迎えた会社のサイト「防錆屋」を通して、東京と四国島内から大きな引き合いがあり、実現しました。(10月-12月)

9)下知地区防災計画も3年目。下知地区の単位自主防災会で地域リーダーが育ちつつあり、大きな成果を上げつつあります。

10)下知(二葉町)地区有志と仁淀川町長者地区の皆様との地域間交流も6年間継続しています。高知県庁・高知市の「広域避難」の具体策が全く見えない中で、民間有志で懸命に努力してきました。
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11)健一が接触事故を起こし、免許取得して42年間継続した「無事故・無違反」の記録が途絶えてしまいました。(12月)

12)98歳の父と92歳の母が県歯科医師会から「いい歯」の表彰を受けました。
(10月)

 その他子供たちや家内においていろんな出来事がありましたが、割愛させていただきます。

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母が一時帰宅しました。


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 15日から毛山病院へ火傷治療で入院している母(92歳)ですが、昼食を病院食堂で一緒に食べた後に、自宅へ一時帰宅することにしました。お正月は自宅で過ごします。3日の夕方に病院へ戻ります。

 森会長の店である森食料品店でお寿司を朝買いました。通過しましたが一段落していました。
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 火傷治療には自宅へ一時帰宅しても、明日から3日間は朝9時に処置のため毛山病院へ行く必要があります。1月3日は自宅でご飯を食べた後に病院へ送って行きます。
 
 私も家内(とくに家内は忙しい)ので自宅でもほたくり状態に。散歩などには連れrだして気分転換などに努めます。自宅の23センチの段差の階段も母はすたすた登りました。父(98歳)とは久しぶりの再会です。
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 早く退院できればいいなと思います。
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下知地区総合防災訓練・ふりかえり


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 2017年12月17日(日曜日)の午後1時から開始されました「下知地区防災訓練」。そのふりかえりを地域防災推進課課員である中山瑞稀さんがまとめていただきました。
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 全体の流れや、各班の動きが良くわかります。また反省会の意見などもよくまられています。当日私は(下知コミュニティ・センター防災部長ですが)1避難者として、家内と2人で超高齢者の両親(父98歳・母92歳)の自宅からの徒歩での避難訓練をしていました。母は屋上の集合場所までたどり着けましたが、父は足が重く息切れし、途中でリタイヤしてしまいました。
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 「指示書」や「行動ハンドブック」も作成していましたが、当日全体の検証ができませんでしたので、「下知地区総合防災訓練・ふりかえり」はとても参考になりました。参加されなかった方が見ても様子がよくわかります。中山瑞稀さんありがとうございました.

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2017.12.30

母は夕食を完食しました。


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 2017年12月30日。今日はいつもより早めに母(92歳)が入院している毛山病院病棟を訪ねました。夕食までの間は3階病棟のロビーで暫し母と懇談。同じ話を繰り返ししますが、根気よく聞きました。

 今日の夕食はシーフード・シチューと野菜の煮物。ご飯とプリンです。「あまり好きではない」と言いつつ、今日は少し散歩して運動したのか完食しましたね。夕食後の薬と抗生物質のカプセルも何とか飲みました。
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 それからパジャマに着替え、歯磨きをしました。オムツを見ましたが、今日は便をしていませんでした。「明日昼ご飯を一緒に食べて散歩した後に、うちへ帰るので迎えに来るから。」と言い残し帰りました。母は素直に納得してくれました・。
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母とランチし、すみれでお茶しました。

 母(92歳)とのランチタイムは、父(98歳)がトイレが間に合わず便失禁になりました。トイレも衣服も便まみれに。掃除もしないといけない。体も急遽洗わないといけないので、入浴介助をすることにしました。それで毛山病院の看護師詰所に電話し、昼食に遅れますと言いました。
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 予定の時間より10分遅れで食堂へ行きますと、母が1人で昼食をたべていました。メニューはカレーライスとサラダでした。わたしはこみベーカリーのサンドイッチを食べました。
 
  外出許可の手続きをして、昼食後は1時間程度のお散歩タイムです。病院の隣のちより公園を散策してベンチで休みながらいました。確かこみベーカリーの2階にに喫茶コーナーがあるので行きました。「都合により休業中」との張り紙が。
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 母は「コーヒーが飲みたい」と言いますので、電車通りを渡り、自宅近くのカフェレスト・すみれまで歩こうと言うことになりました。途中国見印章堂にあるベンチでひと休みしました。
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 その後は二葉町で3回津波避難ビルを断ったアルファ穴吹知寄町4のマンションの花壇に腰かけて休みました。森食料品店の方が「帰ってきたかね。」と声掛けしていただきました。地域コミュニティは優しくていいですね。

 ようやくカフェレスト・すみれへ到着しました。ランチ・タイムの時間でカウンター席以外は満席でした。母が「繁盛しているね。」と感心していました。ホットコーヒーを頼んで母とお茶しました。「美味しい」と言って飲みました。
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 自宅から歩行補助車をとって来ました。病院の許可を得ましたので、それで歩行しますと長い距離が歩けます。疲れると椅子になりますから。帰路は2回ほどその「椅子」で座り毛山病院まで戻りました。
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2017年最後の植田医院

 2017年12月30日ですが、2017年最後の植田医院での診察と点滴を父(98歳)は受けました。
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「足のむくみは一進一退ですね。明日から4日間点滴が出来ませんので、服薬で今のラっシックスの代わりにダイアートという利尿剤を朝食後に服薬してください。」と言われました。その後点滴しました。

 帰路は昨日と同じ道路を通過しました。事故現場も通過し左折しました。事故が起こる筈のない交差点でした。

 父がトイレに間に合わず便失禁してしまいました。急遽シャワーして体を洗いました。それで母とのランチタイムに遅れるので病院へ電話しました。母は1人で食堂で昼食を食べていました。

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ダブル介護状態に体も心も慣れていません

  父(98歳)が11月から足がむくみ少しの歩行で息切れするようになり、歩行時には介助と見守りが必要になりました。自宅は2かいと3階の階段生活ですので、階段昇降時は必ず見守りし、介助しなければいけないです。

 植田医院への通院時の車の乗降は細心の注意が必要です。介助が必要です。週に2回の入浴も介助が必要になりました。朝晩の着替えも介助しています。

 それに加え身体的には元気そのものの母(92歳)が、12月9日に自宅で熱湯が足の両太ももにかかり火傷をしてしまいました。最初は大したことがないとのことで通院していましたが、だんだんと酷くなり、12月21日から毛山病院に入院しました。

 火傷の治療は専門ですのできちんとしていただいています。しかし4人部屋に入居していますが、他の3人とはほとんど会話がありません。昼間からカーテンしていて食事もそのなかで1人で食べています。社交的な母は寂しくぼんやりしています。

 それで昼食時は弁当を持参し、食堂で一緒に食べ、食後の運動(散歩)を母と手をつないでしています。それで少しは元気になったと思います。快食快便は結構ですが、母は排泄障害で便意がなくトイレでしてくれません。

 23日と24日の休日は3回も便でおむつを換えました。お尻も吹きました。ケロッとしています。認知症の母ですが、一緒にいると機嫌がいいです。

 正月も病院ですが、処置に来てくれれば短期の外泊の許可が出ました。12月31日の午後から、1月3日の夕方まで自宅でお正月をしようかと思い、家内に相談しています。家内は正月料理の調理などで多忙なので、我儘で「老いても子に従わない」両親の相手は私がしないといけないですが。。・

 2日か3日のうち半日[海の散帆」にいくべく家内と交渉中です。

 体と心が「ダブル介護」に慣れていません。慣れるしかありません。60%の力で乗りきるようにしたいと思います。

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2017.12.29

父の通院と母とランチと散歩


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 2017年12月29日の午前中は、父(98歳)の通院に行きました。相変わらず足はむくんでいます、一進一退です。点滴をして利尿剤をしました。

接触事故を起こしました。

 父(98歳)の植田医院からの帰路、宝永町の高橋米穀店前の信号を左折しようとしたところ、直進のバイクに接触してしましました。お互いスピードがでていなかったので、たいしたことないからと相手のSさんは言われましたが、警察へ連絡し現場検証していただきました。

 下知交番からM巡査が自転車でやってきて現場検証をしていただきました。聞きますと下知管区は事故多発地帯だそうです。

 前向いての事故は初めてでショックでした。保険屋に電話して対応していただきました。相手も真摯な人で、どうやら人身にも物損にもならずに終わりそうです。父を同乗させていたので、会社へ電話し息子に迎えに来てもらいました。やれやれです。

 急いでいたつもりはなかったのですが、死角であったんでしょう。お互い車もバイクも傷みませんでした。事故は嫌です。42年間無事故無違反ですがショックでした。

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 午後からは母(92歳)の病院へ行き一緒のランチしました。食後に外出許可をいただき、散策。すぐに疲れるのでベンチで休み休みで歩きました。
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ちより公園のベンチ。国見さんところのベンチ。知寄町1丁目のバス停のベンチで休みました。高齢者は連続して歩けないですね。
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下知地区防災計画の全体像


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 2017年12月26日の「下知地区防災計画第2回避難所対策部会検討会」が開催されましたが、高知市地域防災推進課係長である山中晶一さんが、「下知地区防災計画の全体像」を示していただきました。

 今回のテーマは「避難所対策」であり下知コミュニティ・センターを会場として12月17日に実施されました。
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 その経験を「計画に反映する」と同時に、蓄積されたノウハウを他の避難所たとえば昭和小・水再生センターなどでの訓練に活用できるのではないか。とのご指摘をされていました。

 山中晶一さんの説明は、的を得ています。思うに「下知地区防災計画」の最大の成果は、「検討会」でのワード・カフェや鍵屋一先生や、アドバイサーの大槻知史先生や山本美咲さんのお蔭で、参加者各位の情報量は相当蓄積されましたし、参加者各位成長したと思います。

 その経験は下知地区にとどまらず他の地域にも波及させるべきであり、「防災とは上位下達」という従来型の発想や組織論を超えるものではなかったかと思います。

 特に「未災地」である下知地域で、各下知地域の単位自主防災会のリーダー層がまんべんなく参加し、成長したことは下知地域の「資産」となりました。

 今後は本気で「下知地区事前復興まちづくり計画」策定のために参加者各位が本気で全力で動くべきであると思います。

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2017.12.28

母の夕食を見守りしました

 2017年12月28日ですが、昼間は外出許可をもらい1時間ほど母と散歩しました。夕方は母(92歳)の夕飯の見守りです。今日のおかずは魚の煮つけと、サラダ。全部食べました。抗生剤の薬も飲みました。
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 その後歯磨きさせます。パジャマに着替えてオムツを替えます。便をしていましたのでお尻も吹きました。母は「快食快便」です。トイレでしていただければ尚いいのですが、認知症の関係か排泄障害になっています。

 帰り際に、「誰も知らないところで1人でいたくない。」と母がごねました。温厚に「火傷が治ったら家に帰れる。深い傷になったいるので頑張って治そう。また明日の昼に来るから。と言いました。

 後ろ髪を引かれる思いでしたが帰りました。

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母とランチし外出しました


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 2017年12月28日(木曜)です。母が火傷治療のため毛山病院へ入院して1週間が経過しました。午前中は火傷の処置や、入浴などがありますが、昼食後から夕食・就寝(消灯午後8時)までは特にするべきことはありません。

 母は4人部屋に居ますが、他の人はベットのカーテンを閉め切り没交渉。食事もベットで食べています。母は退屈しています。刺激のない生活ですから、身体も頭も劣化します。

 森食料品店で弁当を購入し、食堂で母と一緒に食べました。母は「食欲がない」とか言っていましたが、一緒に食べましたので、なんとか今日は9割は食べました。

 処置をされると聞きましたので、処置室に入らせていただき見ていました。。まだまだ火傷は治りません。時間がかかりそうだと理解しました。
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 そして外出許可を1時間いただきましたので、病院内とちより公園を散歩しました。そして知寄町のお菓子屋西川屋を目指しました。途中判子屋の国見俊介さんのお店まえにあるベンチで休ませていただきました。
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 お菓子屋さんでは母がおやつに食べれそうなお菓子を少量購入しました。そしてまた歩いて公園に戻り成した。少し散策して病院へ戻りました。
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 なかなか1時間ぐらいでは十分なことが出来ません。

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足のむくみが半減しました

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 毎日利尿剤を点滴で投与している父(98歳)です。今朝見ると足の腫れが半分ぐらいになっていました。もう1歩です。
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 植田医院で点滴治療後は昼食を食べ、介護予防通所リハビリ施設へ父は行き、自分なりに筋トレをして「復活」にかけております。超高齢者なので慌てる必要はありません。
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母は美容室へ行きました

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 今日は母(92歳)と一緒にランチをし、その後外出許可をとって美容室へ行きました。

 カットとシャンプー・ブローして気持ちよさそうでした。少しだけ散歩しました。運動不足と刺激不足が気になります。

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2017.12.27

第2回津波対策部会

 暮れも押し詰まった2017年12月26日(火曜日)に、下知コミュニティ・センターにて、午後18時30分から「下知地区防災計画第2回避難所対策部会検討会」が開催されました、
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 12月17日(日曜)の下知地区総合防災訓練に参加された下知地区減災連絡会役員や、二葉町住民有志も参加しました。

 坂本茂雄事務局長から、経過報告や今後の日程などが報告されました。

 続いて大槻知史高知大学地域協働学部准教授からは、訓練を踏まえてのワークショップの検討内容樋、グループ分けの説明がありました。
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 高知市地域防災推進課山中晶一係長からは「下知地区防災計画の全体像【役割分担)と本日の検討委員会の位置づけ」が述べられました。経験を計画に反映させること。ノウハウを他の避難所に流用(横展開)することが大事であると言われました。
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 「下知地区総合防災訓練・振り返り」ということで地域防災推進課中山瑞稀課員から、訓練の様子や反省会で出た意見のまとめをしていただきました。

 大槻先生の指示によりグループ分けされました。「自宅避難組」「下知コミニュティ・センター避難組」「マンション・自宅避難組」「各避難ビル避難組」「商業施設立体駐車場避難組」に分かれ、議論をしました。
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 大槻先生かた「訓練で困った点や不安ついて話し合いました」それを「どう解決すればいいのか」「どうやれば解決が出来るのか」をグループ討議し、「すぐできること」を表現して行きました。

 避難行動が少しづつ実現化しそうに思いました。
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2017.12.26

母の夕食26日


 2017年12月26日ですが、母(92歳)の夕食の見守りと歯磨きと、寝間着への着替え終了まで立ち会いました。事前に今夕の「下知地区防災計画第2回避難所対策部会」へは遅延することを申しあげていました。
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 母の夕食ですが食堂室で食べました。今日のおかずが嫌いなのか、珍しくおかずを半分ぐらい残しました。入院生活は退屈で、特に午後からすることがなく運動不足でお腹が空かなかったようですね。
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  夕食後は、歯磨きを促しました。そしてパジャマに着替えました。便は今日は出ていませんでした。

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母とランチし外を散歩しました。

 2017年12月26日は、先週担当の宮本医師との面談をお願いしてありました。午前8時過ぎに毛山病院へ行きました。そしたら自分で普段着に着替えてベットに座ってミカンを食べていました。 
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母の火傷の処置を見ながら医師と話をしました。

「思った以上に火傷が深部まで症状があります。これが治まるまでは入院していただきます。経過を見ないとわかりませんが、1か月程度の入院と思ってください。」と言われました。母は年末年始も入院生活で過ごします。

 やはり高齢者は新陳代謝が悪いので、症状が現れるまで時間がかかるようですね、しかたがありません。

 ただ外出許可と外泊許可はいただきました。その都度看護師事務所に申請を出してが外出することにしました。明日(27日)は美容室を予約しましたので、気分も少し変わることでしょう。

 一旦事務所へ戻り仕事しました。WEBからの注文がありました。午前11時半に森食料品店にて弁当を購入し、母と一緒にランチしました。いつもの病院の食堂で向かい合って食べました。なんだか「介護」の合間に仕事しています。
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 昼食後普段着を着替えました。入院から着続けている普段着と取り換えました。入院後初めて母は外へ出ます。今日は西高東低のお天気。晴れていますが気温が低く、冷たい風が吹きます。

 一方病室は27度に温度設定されていてとても暑い。外と病室の気温差で「ヒートショック」を起こさないようにしないといけないです。

 毛山病院前のちより公園を母と散歩しました。風が周囲の人家で遮られ、日差しは暖かでした。お天気なので気持ちがいい事です。しかし母は歩くと「しんどい」と言います。
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 僅か6日間の入院生活ですが身体機能が落ちています。これが1カ月も続いたらどれだけ身体機能が落ちることでしょうか。刺激の少ない入院生活ですから認知機能も低下することでしょうから。火傷は治っても身体機能と認知機能の低下を恐れています。

 母の入院生活は午前中に火傷の洗浄と処置、抗生剤の点滴が6時間の間に2回あるぐらいで、昼食後から夕食を挟んで就寝タイム(午後8時頃)までは、暇な時間です。

 その時間帯に散歩するなり、体操するなりしないと体力が落ちてしまいますね。ところが身体機能維持を安全に指導していただく理学療法士はいませんし、設備もありません。

 公園を少しだけ散策して隣にあるこみバーカリーでお菓子を購入し、母と自販機の缶コーヒーでお茶をしました。帰り際に母は便をしたのでオムツを取り換えました。
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 また夕方の夕食時に見守りに行くようにします。ご飯をきちんと食べないと火傷も良くなりませんから。

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2017.12.25

12月25日の母の夕食

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今日の夕方は、先に父(98歳)のオムツ替えをし、寝間着への着替えのサポートをして、母(92歳)が火傷治療で入院している毛山病院へ行きました。

 夕飯の見守りです。おかずが鳥のささみと煮物で母はあまり好きではないらしい。「食べたくない」と言います。なだめすかしてなんとか食べました。夕食後の薬も飲みました。
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 歯磨きの見守りをしました。帰ろうとすると臭うので見ると便をしていました。オムツを取り換え、お尻を拭きました。

 明日朝は8時過ぎに担当医師に会います。いつまで入院しないといけないのかなど、直接聞いてみます。

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母と一緒に昼食を食べました

 2017年12月25日は、父(98歳)の通院で朝1番は植田医院へ行きました。戻って事務所で庶務を片付けて、お昼前に母(92歳)が火傷治療で入院している毛山病院へ行きました。
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 お昼前でしたが、母は自分で普段着に着替えることもなく、退屈そうにベットに腰かけていました。普段着に着替えさせ、3階ロビーに連れ出しました。ほどなく昼食になりました。

 私は森食料品店でお弁当を購入していましたので、母と一緒に昼食を食べました・。お魚の煮つけのようでした。なんとか完食しました。
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 昼食後小休止をして、病院内を母と散歩し、階段昇降を2度しました。それでも絶対的な運動量は不足しています。
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今回の総合防災訓練は合格点ではないか

 26日に開催される「下知地区防災計画・避難所対策検討」会は、実質反省会にもなると思います。当日私は超高齢者の両親(父98歳・母92歳)の避難訓練を自宅から行っていて、全体像を全く確認できませんでした。
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 事前に下知減災連絡会や地域防災推進課のご支援とアドバイスを受け、下知コミュニティセンター防災部会長の立場で「下知総合防災訓練。各班行動指示書」と「下知コミュニティ・センター避難所開設・運営ハンドブック」を作成しました。
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 8月30日の防災部会でセンターの4階と5階の防災倉庫を片付けをして、防災備品がどこにあるのかをおおよそ把握していました。今回の避難訓練参加者各位が、「何がどこにあり」「避難所運営で何が必要なのか」を訓練で確認が出来たのではないでしょうか。

 当日避難所運営参加者の多くは地元二葉町から参加していました。事前に坂本さん作成の下知地区減災連絡会のチラシと一緒に「二葉町の皆様へ 12月17日午後1時に集合です。」のチラシも一緒に回覧板で流しました。

 地区防災計画検討会や防災訓練に今まで参加してこなかった町民も多く参加されていたたようです。参加者各位が「指示書」を元に避難訓練しましたが、後で聞きますとおおむねうまく行ったと聞きました。

 うまくいかなかった事例や具体例を知りたいと思います。

 当日は75歳以上の後期高齢者の人達も参加されていました。いわゆる「元気な高齢者」です。ちゃんと「戦力」になっていたようでした。

 元気な避難者とそうでない避難者

 17日に下知総合防災訓練へ参加された人たちの大半は徒歩で自宅から来られ、徒歩で非常階段を屋上まで上ることが出来た人たちです、年齢を問わず元気な避難者各位が、当事者意識を持って運営訓練が出来たことはある程度成功したのではないかと思います。

 下知CC防災部会と書いたオレンジ色の防災チョッキの着用も当事者意識を持っていただく効用がありました。
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 わたしは昨年と段違いに脚力の衰えた父(98歳)を付添していました。昨年は自宅から徒歩で10分で来れたのに、今年は25分以上かかりました。更に階段登りで4階までいくのに20分はかかりました。

 今回の教訓は父のような超高齢者の要支援者は、ほぼ徒歩での避難は無理です。津波避難ビルは垂直避難です。足腰の衰えている高齢者には苛酷です。

 近所でも高齢者に呼びかけましたが、ほとんど参加しませんでした。多くは自宅避難になると思います。ですが今回は「自宅避難者班」をこしらえることができませんでした。

 次回はこしらえ、在宅避難者と連絡を取り、安全を確保していくのかが課題です。

 歩けない人や階段登りが難しい人もおられます。大災害時に犠牲者になるのは、そうした歩行困難者です。その人たちをどう支援していくのか。或いは支援なんかできるのか?その課題に向き合わないと、問題は解決しません。

 わたしは「今すぐやる課題」として「地域間交流」の必要性を感じます。甚大な災害を受ける地域と、そうでない地域が事前に地域間交流をすることは、「震災関連死」をなくすための有力な手段ではないかと思います。

 二葉町が仁淀川町長者地区と事前の地域間交流を行ってきたのは、まさに災害弱者をなくすための解決策になるとの思いからでした。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/cat43975382/index.html

 避難訓練が「元気な健常者のためだけの訓練」だけではいけないのではないかと思います。

 12月21日に母(92歳)が急遽毛山病院(昭和小前)に入院しました。12月9日にやけどをしましたが治りが悪く、患部が化膿したためです。父(98歳)も慢性腎不全と心不全により、足がむくみ、歩行には介助が必要になりました。

 11月半ばあたりから父の歩行困難が顕著になりました。よりシビアになってきたのは12月に入ってからでした。そして今回の母の入院です。病院は火傷治療しかしてくれず、病院任せにしておくと身体機能の低下と認知機能の低下は免れません。
 
 バリヤ・アリーの階段生活の自宅故に、身体機能の低下があると住むのが大変です、すでに父がそうなっています。母までそうなれば私と家内ともども共倒れになります。

 現時点では災害後に避難所へ行く選択肢はありません。自宅で籠城するしかありません。鉄骨3階建てですので傾いていなければそうします。それからどう生活するのか。具体的に検討しなくてはいけなくなりました。

 ただ現時点では1階の会社機能は壊滅します。こちらも生活の糧ですので移転も含め再生策を事前に対策を立てないといけなくなりました。

 個人のシビアな現実と地区防災計画をどう絡めていくのか。自分のなかで整合性がとれるのか。来年はより真摯に検討しなければいけなくなりました。

 超高齢者の体調不良で皆様にはご迷惑をおかけいたしました。今後も状況が好転しなければご迷惑をかけると思います。

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2017.12.24

母の夕食を見守りました

 2017年12月24日(日曜)は、昨日に続いて4回目の面談に母(92歳)が入院している毛山病院へ行きました。

 午後6時前の夕食。食後に薬を飲みます。そして歯を磨きます。トイレに誘導します。そしてパジャマに着替えさせます。そして帰ります。と思いきやオムツに便をしていて取り替えました。帰り際に夜勤の看護士さんに報告しますと、昼間に2回便が出ていたそうです。
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 母は快食快便ですが、排泄障害で便意の感覚がなくなっています。自宅やディでは食事後にトイレに誘導・見守りをしていましたが(3回に1回はトイレでの排便に成功していました。)、医療現場ではそれは出来ないでしょう。

 入院は1週間やそこらで終わりません。FBの投稿としては面白くはないとは思いますが、個人ブログにも投稿しています。母の「生存記録」としてWEBに掲載しています。

 個人の健康状態はそれぞれであり参考にならないとは思います。超高齢者の生活や入院生活は「こうなんだ」と思って頂いたら幸いです。
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 私のやっていることは当たり前の事であり、「親孝行」なんて一切思っていません。母の方も「老いては子に従わない」我儘なキャラクターなので、時に怒鳴りあいしています。

超高齢者の生活ってこういう事例もあるね。と笑って頂ければ幸いです。

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母はバターケーキを食べました

 今日24日はクリスマス・イブ。毛山病院い火傷治療で入院している母(92歳)です。午後3時前に家内と2人でバターケーキのクリスマスケーキを持参しました。昨日はチーズケーキですから2日連続です。
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 自販機で暖かい缶コーヒーを購入し母に食べてもらいました。美味しいと喜んで食べました。食慾があるうちは大丈夫であると思います。

 おやつの後は体操をしました。母は読書もしないし、テレビも見ない人で、病室では寝てばかりです。それでは体もなまるし認知機能も低下する一方です。「やらないよりまし」な効果しかないとは思いますが、体操で体を動かし、病院内を散歩し階段昇降する散歩をしています。
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 今日は昨日同様に夕方6時前に病院へ行きます。母の夕食を見守り薬を飲んでいることを確認し、トイレに誘導、歯磨きしてパジャマに着替えさせます。

 平日にはなかなか行けないので休日ばかりはなるべく寄り添うようにしています。
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母とランチしました

 2017年12月24日(日曜)ですが、徒歩で毛山病院へ行きました。斜め前にあるコミバーカリーは自家製クリスマス・ケーキを全面に出し販売されていました。
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 11時45分に母の病実へ行き、食堂へ付き添いました。今日は家内が弁当をこしらえてくれました。母と一緒にランチしました。母はあまり好きではないおかずのようでしたが、励まし続けました。完食しました。
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 食堂から昭和小の校舎が見えますね。

 ミカンを持って行きましたので半分づつ食べました、適度な水分補給になりますね。食事以外に水を飲まないので脱水が心配です。
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 昼食後母と手を繋いで院内を散歩しました。階段を降りて1階ロビーへ。小休止して3階の病室へ。2回ほど繰り返しました。

 午後2時過ぎに家内と一緒に見舞いに行きます。今日はバターケーキのクリスマスケーキです。母は退屈していて「早く帰りたい」と言いました。私らもそれを望んでいます。

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12月24日の両親の朝


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 世間様はクリスマス・イブであるとか。母が入院している毛山病院前にあるこみベーカリーはクリスマス・ケーキをづらり並べて臨戦態勢様子でした。

 母(92歳)は入院部屋(4人部屋)を訪ねますとボウとして座っていました。パジャマから普段着に着替えさせ、ロビーへ歩き、持っていたミカンを食べてもらいました。
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 父が9時半位に佐竹理容店に予約を入れてありますので戻り父を連れて行きました。爺さんも身なりを少しかまわないと見苦しい年寄りになりますから。
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災害復興基本法の制定を

市民主導の復興事業・日経記事_NEW_R

 日本経済新聞12月18日の記事は「まさにそのとうりだ!」と思う良い記事でした。「復興は被災者主権で」「法整備と省庁の常設必要」と主張するのは津久井進氏(日弁連復興支援委員長・弁護士)です。

「70歳の人は70年間の歩みに重きを置き、若い人は将来に重きを置いて避難する。家庭内でも考えが異なるのに一律に施策を押し付ければ、家庭や地域は崩壊する。」

「一律に高台移転や巨大防潮堤を建設するのは、被災地の歴史、例えば漁師町としての過去を鑑みれば不自然だとわかる。何度も津波に遭いながら暮らしが続いてきているのに、海の様子が見えなくなるような施策は過去の否定で、人々のプライドを傷つけることになる。」

「原因は被災地から遠く離れたところで行政が決めている事。県庁や霞が関での判断は現場のニーズに即していないし、空気感がずれる。」

 辛辣な意見ですが、賛同できます。かつて阪神大震災で丸焼けになった神戸市長田区鷹取東地区の復興事業に取り組まれていた石井弘利さんも言われていました。

「行政は例外がないから出来んと言う。それもしつこく言い続けるとそれは実現する。役所と対抗するには勉強しないといけない。まちづくり協議会などの住民の広範な組織で議論して、勉強して行政側と対峙しないといけない。」

「長田では市役所主導の再開発ビルが建ちました。家賃や管理費が高いので店舗が埋まりません。震災後住民とくに借家人が地域から多く出て行き人口も減りました。住民側の意向と市役所の再開発プランとの隔たりが大きいのです。」

 災害復興基本法は、人間の尊厳の確保と被災地の再生。主役は被災者であり、同復興するのか被災者が自ら決定する権利があることが大原則。憲法で「すべての国民は個人として尊重される」ことと同じであるろ津久井進さんは言われています。

 政府が推し進めようとしている「緊急事態法」なるものは、被災地から遠く離れた中央省庁主導のやりかた。上手く行くはずはありませんね。

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2017.12.23

母の病院での夕飯を見守りました

 2017年12月23日は母(92歳)が入院している毛山病院へ4回行きました。夕方は父(98歳)の入浴介助をした後に、母が夕飯を食べるので見守りに行きました。
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 食堂で一緒に夕飯を完食するまでいました。そして薬を飲むところまで見届けました。歯磨きをするのを見守り、パジャマに着替えて、トイレにも連れて行きましたが、今日は3回もオムツを替えるぐらい便が出ましたので出ませんでした。

 明日もまた来ると言い残して戻りました。

 ようやく同室の方と歯磨きで一緒になりお話が出来ました。その方も焚火の火炎は飛んできて手と顔を大火傷されたそうです。入院して3週間で随分良くなったとか。

 励まされました。

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母はクリスマス・ケーキを食べました

 2017年12月23日(土曜日)ですが、午後3時前に家内と一緒に母(92歳)が火傷治療のため入院している毛山病院へ見舞いに行きました。昨日お菓子屋さんから購入したチーズケーキのクリスマスケーキです。一かけらをタッパーに入れて行きました。
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 談話室ロビーで母は食べました。コーヒーは自販機の暖かい缶コーヒーですが、カップに移して飲みました。「美味しい」と言いました。元気ならディサービスでクリスマス会でした。
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 食べ終わってから体操を3人でしました。座って立ち上がる。足を延ばす。手を伸ばす等、座ってできる体操です。結構きついです。お尻が臭うのでオムツを見るとまた便をしていました。今日は3回目の便によるオムツの取り換えでした。お尻ふきで入念に拭きました。

 すっきりしたところで病院内を散歩しました。家内に母と階段昇降しているところを家内に撮影していただきました。リハビリのメニュ―がない病院では患者と家族が身体機能と認知機能の維持を意識して行わないと、高齢者は「あっというまに」廃用症候群になるそうですから。
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 今日は休日なので夕飯(午後6時)前に行き、母に寄り添い夕飯を食べるのを見守ります。

 そして午後4時過ぎには父(98歳)が介護予防通所リハビリから戻ります。今日は入浴介助をする予定です。

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母とランチしました


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 12月23日(土曜日)は午前中に母の病院に顔を出し、着替えをして散歩し帰りました。帰り際看護士さんがシャワーに連れて行かれると言う事でした。

 それで事務所で用事を済ませ、父の昼食をこしらえました。病院の前にあるコミベーカリーでサンドイッチを2個買いました。母とのランチ用です。
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 11時45分過ぎに食事用のコンテナーが上がって来ました。それを取リ母と食堂へ移動しました。食事は原則病室では食べないようにしています。「食べて寝る」だけの生活に慣れますと、身体機能と認知機能が著しく高齢者は衰えます。

 ランチルームで母と一緒に食べました。今日は病院全体がお休みです。それで事務職や看護師さんたちも来られません。母と私で独占しました。

 食事後ひと休みして椅子へ座って行う体操をしばししました。そして院内の散歩をしました。一段落してオムツを見るとまた母は便をしています。せっかくシャワーで綺麗になっていましたが、仕方がありません。出る方がいいんですから。お尻をお尻ふきで3回ぐらい丹念に拭きました。そしてオムツを取り換えました。

 午後1時過ぎに事務所へ戻りました。次は午後2時半頃に家内と一緒に見舞いに行きます。昨日購入したクリスマスケーキの1かけらを持っていく予定です。ちょうどおやつタイムの時間です。

 デイサービスへ行けたら、今頃はクリスマス会でした。

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母をお見舞いに行きました。


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 2017年12月23日は今上天皇の誕生日。この日に合わせてA級戦犯であった東条英機ら7人が処刑されました。翌日同じA級戦犯の岸信介は保釈され、米国から多額の資金を提供され、のちの自民党の対米従属路線の政治家としてのさばって行きました。「清和会」の伝統は「対米従属」森―小泉―安倍晋三(岸の孫)も対米従属で日本国をウネ入しを運営しています。

 今朝は午前9時過ぎに母(92歳)が火傷治療で入院している毛山病院へ行きました。4人部屋で寝ていました。起こして寝間着から普段着に着替え、病院内を散歩しました。
 そして座ってでDSCN1756_Rきる体操を一緒にしました。

 そしたら便の臭いがしました、見るとオムツにしています。早速オムツを替え、お尻をお尻ふき(ウェット・チッシュ)で拭いてあげました。オムツの始末方法を看護師事務所へ行き教えてもらいました。
 
 その折来週火曜日の8時過ぎに担当医師との面談を設定していただきました。いつまで入院が必要なのか、火傷は回復しているのかを知りたいからです。

 その後母をシャワーをして火傷の手当てをすると看護師さんが言いますので帰ることにしました。お昼前に再訪し、母と一緒にランチします。こみベーカリーでサンドイッチを購入しましたので。お茶は自宅から持参します。

 母は元気なら今日はディでクリスマス会です。私も絶好のお天気なので家内の許しが出れば今年最後の海の散帆へ行っていたことでしょう。それはかなわぬ願望。
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 それは仕方がない。また皆が元気になれば出来ることですから。もうすぐすると母とランチをするので病院へ向かいます。

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母の見舞いに行きました。


 昨日(2017年12月21日)に急遽毛山病院に母(92歳)は入院しました。火傷の治療に関して在宅治療は難しくなったからでした。今朝(12月12日)は植田医院へ父(98歳)の通院の付添後、母の見舞いに毛山病院へ行きました。
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 昼間もパジャマでは生活にメリハリがないので、普段着を持参し着替えさせました。それで父と対面させました。特に話すこともなく黙って座っていました。息子も少しだけ顔出ししました。

 一度戻り仕事をして11時半に再び毛山病院へ。お昼は森会長の店である森食料品店でおむすび弁当とサンドイッチを購入し母と一緒にランチしました。病院職員も一緒に食事をするランチルームでした。
 
 昼食時にケアマネジャーさんの仁井田さんが訪ねて来ていただきました。状況を報告しました。
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 その後ひと休みをして、病院内を母と手を繋いで散歩しました。リハビリ・メニューがないので、家族が行くたびに声掛けし、連れ出して病院内を散歩しないと、高齢者は歩けなくなりますから。今日は病室のある3階を巡回し、階段で1階まで降り、1階ロビーで休息。階段を上って3階まで行きました。2回繰り返しました。

 午後4時前には家内と2人で見舞いに行きました。少し体操をしました。

 歩きながら話し。足腰と頭のリハビリをしています。時間がないので十分なことは出来ません。今度の土日は時間を取り、3回ぐらい病院内を巡回したいと思います。体も頭も使用しないと急激に退化し機能が衰えますので。

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2017.12.22

父の足のむくみはなかなか解消されません


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 2017年12月20日は午前中は植田医院へ行きました。植田一穂先生に父(98歳)の足を見ていただきました。くるぶしから下がむくんでいます。今朝は一時期しぼんでいたふくらはぎもむくんでいました。

 慢性腎不全と心不全でむくみが来ています。足に重りをつけて歩いているような感じでしょうか。息切れの原因もそうでしょう。医学的処置は「利尿治療」しかないようです。気長にするしかありません。
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2017.12.21

母が入院しました


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 2017年12月21日に母は火傷治療のために毛山病院へ入院しました。12月9日にの午後7時にやけどをしてしまい、高知医療センターの救急外来にて応急処置をしていただき、12月11日に毛山病院を紹介いただき通院していました。

 通院しながら自宅とデイサービスで様子見していましたが、どうしてもズボンで太ももの患部がすれるのかより悪化し膿んでしまいました。12月21日に医師と相談して急遽入院をすることにしました。

 デイサービスとケアマネージャーに報告しました。今年もあと10日です。普段は母は元気そのもので病気もしたことがありません。入院慣れしていないので退屈であると思います。
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年内には恐らく退院できないでしょう。お正月も病院ではないかと思います。早く火傷を治してでてきてほしい。今日はなんとか午後3時過ぎに行き、30分ぐらい母と病院内を手を繋いで歩きました。階段昇降も2回しました。時折言って運動して話しかけないといけないと思いました。

 治療メニューにリハビリはありません。身体と精神のリハビリは家族が面会時にするしかありません。
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2017年の下知総合防災訓練について

 仕込みや準備作業は、可能な限りしました。避難訓練時の「指示書」や「避難所開設・運営ハンドブック」も下知コミュニティ・センターの防災部会の会合や、下知地区減災連絡会役員や高知市地域防災推進課の皆様のご協力。ご支援があり作成させていただきました。

 私は下知コミュニティ・センターの防災部長です。8月30日に防災部会の皆さんと協力して4階と5階の防災倉庫片付け整理しました。防災倉庫のどこに何があるのかについて頭に入っていました。それを思い出しながら指示書をこしらえました。

 また8月にビル改装現場から西田政雄さんが、ひざ掛けや、タオル、ホットカイロなどを貰って来ていただいていました。今回の訓練で役に立ったようでした。

 当日は超高齢者であり本物の要支援者である両親(父98歳・母92歳)のケアに追われ、避難訓練全体を俯瞰することは全く出来ませんでした。

 ご参加された皆さんから写真を借用し眺めています。下知コミュニティ・センター防災部会の防災チョッキも参加者が着用していただき、手際よく各班で動かれていたようでした。

 今日参加され「遊軍班」(全体統括)の副リーダーをされた二葉町の西森俊一さん(元町内会長)に感想を聞きました。

「参加者の8割は二葉町から来てました。町内会活動をあまりしない人も来られていました。いつものように防災のリーダーが指揮するのではなく、参加した人がその場で班をつくりリーダーを作ることには最初はびっくりしました。

 けんど皆嫌がらずにやってくれました。遊軍班(全体統括)のMさんも町内の女性ですが、最初は大丈夫かなと思っていましたが、ちゃんと的確に指示を出していました。

 サブリーダーになり、普段交流のない人達とチームを組んで活動しました。」皆他の班も初めてのことでも指示書を見ながらなんとかやり遂げていました。良かったと思います。

 今日も参加された町内の方が3人で店へ来られ、大変言訓練でした。と言っていました。やってよかったと私も思います。

 実際の災害ではぶっつけ本番。それを事前に体験できたことは大変良かったと思いますね。」とのことでした。

 わたしは超高齢者の両親のケアで目一杯でした。今回は父の状態がシビアでしたので観察する機会がありませんでした。提供いただきました写真を見ても参加者各位の皆さんの懸命さが伝わって来ますね。

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2017.12.20

自治体の担当の方が介護認定調査に来られました。


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 2017年12月19日ですが、いの町から介護認定調査に来られました。両親も揃って聞き取り調査に対応しています。両親の近況(最近の出来事・様子)を報告しました。

西村吉正(98歳)と春子(92歳)の近況について

                       
父 吉正

 今年父はトラブルと身体機能の低下がありました。9月5日に自宅寝室で転倒。頭頂部から出血し医療センターへ救急搬送されました。幸い外傷だけでホッチキス止めを処置し、1週間後に除去しました。原因の1つが足の巻き爪でした。主治医の植田一穂先生に紹介状を書いて頂き、高知医療センターで除去いただきました。

 夏の暑さも脱水症状もなく克服し、これから体調も良くなるだろうし、健康維持はジョイリハ(介護予防通所リハビリ)と週に1回のゴルフリハビリ(打ち放し練習)でできりうだろうと思っていました。

 ところが11月上旬あたりから少しの動作で息切れをするようになりました。3M歩くと息切れ状態。階段昇降も苦しそうで、介助しないと出来なくなりました。歩行時の介助や見守りが必要になりました。

 主治医の植田医院での血液検査で「心不全」の疑いもあるということで、植田一穂先生の紹介で高知医療センターの腎膠原科の土山先生を紹介いただき、11月29日に精密検査と循環器科医師の診察も受けました。

 結果は「心不全」と「慢性腎不全」両方の症状でむくみが足に来ています。強心剤投与やペースメーカー手術は必要なく植田医院で利尿剤投与治療を根気強くやってほしいということになり、2週間は毎日、この2週間は週4日の通院となりました。

 12月17日の下知総合防災訓練にも自宅から避難所まで歩きましたが、200Mの距離も休み休みでしか歩けず20数分かかる有様でした。

 バリヤアリーの自宅での生活にも限界が来ている気がします。


母・春子

 母のほうですが、9年前からアルツハイマー認知症です。認知機能は徐々に低下し、排泄障害が顕著になりました。トイレで排泄することは誘導してたまに上手く行くだけです。

 認知能力の低下も一因であるとは思いますが、12月9日(土曜)の夕方7時にに母熱湯がはいった急須をテーブルで転倒させ熱湯が両足太ももにかかり火傷をしました。高知医療センターの緊急外来で土日に応急処置をしていただきました。12月14日から毛山病院で診察と治療をしています。16日の診察では患部の状態が酷く、入院する必要性があるとも言われました。21日に判定していただく予定です。

 母の主治医の横田哲夫先生も「認知機能の低下があるのかもしれない。判定は専門家の医師の診察が必要ですが」との見解もいただいています。来年検査をする必要があると思います。

 両親とも「バリヤアリー」の私の自宅での生活はだんだんと厳しくなりつつあります。なんとか踏ん張りたいとは思っています。

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2017.12.19

今日は介護認定調査の日です。

 今朝の事務所の気温は6・6度。湿度は42%です。体が冬仕様になったのか寒さは感じません。今朝は何故かいつも寒さで点灯しないPC上の蛍光灯が点灯しました。いいことがあるかもしれません。

 2017年12月19日(火曜)ですが、超高齢者の両親(父98歳・母92歳9の介護認定調査の日です。自治体の福祉課の職員の人が自宅を訪問し聞き取り調査をします。

 今年父はトラブルと身体機能の低下がありました。9月5日に自宅寝室で転倒。頭頂部から出血し医療センターへ救急搬送されました。幸い外傷だけでホッチキス止めを処置し、1週間後に除去しました。原因の1つが足の巻き爪でした。主治医の植田一穂先生に紹介状を書いて頂き、高知医療センターで除去いただきました。

 夏の暑さも脱水症状もなく克服し、これから体調も良くなるだろうし、健康維持はジョイリハ(介護予防通所リハビリ)と週に1回のゴルフリハビリ(打ち放し練習)でできるだろうと思っていました。

 ところが11月上旬あたりから少しの動作で息切れをするようになりました。3M歩くと息切れ状態。階段昇降も苦しそうで、介助しないと出来なくなりました。歩行時の介助や見守りが必要になりました。12月17日の下知総合防災訓練にも自宅から避難所まで歩きましたが、200Mの距離も休み休みでしか歩けず20数分かかる有様でした。

 バリヤアリーの自宅での生活にも限界が来ている気がします。
 母のほうですが、9年前からアルツハイマー認知症です。認知機能は徐々に低下し、排泄障害が顕著になりました。トイレで排泄することは誘導してたまに上手く行くだけです。

 認知能力の低下も一因であるとは思いますが、12月9日(土曜)の夕方7時にに母熱湯がはいった急須をテーブルで転倒させ熱湯が両足太ももにかかり火傷をしました。高知医療センターの緊急外来で土日に応急処置をしていただきました。12月14日から毛山病院で診察と治療をしています。16日の診察では患部の状態が酷く、入院する必要性があるとも言われました。21日に判定していただく予定です。

 母の主治医の横田哲夫先生も「認知機能の低下があるのかもしれない。判定は専門家の医師の診察が必要ですが」との見解もいただいています。来年検査をする必要があると思います。

 両親とも「バリヤアリー」の私の自宅での生活はだんだんと厳しくなるつつあります。なんとか踏ん張りたいとは思っています。

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2017.12.18

下知総合避難訓練 高齢者避難の課題

 自宅から超高齢者である両親(父98歳・母92歳)に付添い徒歩で、下知コミュニティ・センターへ向かいました。母は家内と手を繋いで約7分間で到着したとか。父は歩行に苦戦。5M歩くたびに息切れし休まないといけない。到着するのに25分かかりました。
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13時センター前道路集合には間に合いませんでした。

 1階のロビーで父はしばし休息。意を決して階段昇降をしました。吉本豊道さんが付き添っていただきました。森宏会長(83歳)も付き添っていただきました。休み休みして20分ほどかかって4階の多目的室までたどり着きました。
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 県庁生協介護福祉センターのケアマネージャーの仁井田佳代さんも付き添っていただきました。母は一緒に階段昇降し、集合場所の屋上まで行きました。父は踊り場たびに小休止するので、その間に屋上の様子など見に行きました。父が4階まで上がるに20分以上かかりました。
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 現状の父の足取りでは徒歩での避難は難しいことが良くわかりました。
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 4階多目的室に登録用紙(避難者カード)に名前と住所などを記入し、両親の避難訓練は終了しました。車をとって来て積んで自宅へ戻りました。父の入浴介助しました。

 やはり直立歩行でまともに歩けないので自宅からわずか200M先の下知コミュニティセンターですが、父は無理であることが確認できました。ではどうすればいいのか。現状では地域防災ではどうしようもありません。

 個人のレベルで真剣に考えないといけないです。同時に会社の存続もです。せっかく今の仕事が面白く今日もトレーニングをキャンセルして残業してますから。「64歳にして仕事が面白い」状態は大事にしたい。同時に両親の身の安全も真剣に検討したい。来年は安心できる環境で仕事をしたいと真底思います。

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2017.12.17

下知地区総合防災訓練2017

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 下知地区総合避難訓練は2017年12月17日に開催されました。午前10時から下知地区減災連絡会役員によるスタッフ・ミーティングが行われました。今回の「指示書」の確認と意見交換が行われました。

 今回は減災連絡会役員はサポート役になり、避難訓練に参加した住民の中からリーダーを選び、各班による避難所開設・運営訓練を見守るという形です。

 うちの場合は98歳の父と92歳の母を家内と4人で自宅から徒歩で200M離れている下知コミュニティ・センターを向かいました。母は家内と約7分で到着し、階段昇降もケアマネさんのサポートもあり順調に上り、集合場所の屋上まで行きました。
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 父は5M歩くと小休止を繰り返し、なかなか前進出来ない状態でした。約20分はかかりました。ロビーで休息して階段昇降しました。しかし踊り場で椅子に座って休息しないと登れません。4階まで上がるに20分はかかりました。屋上への昇降は断念しました。
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 登録班が避難所名簿作成のスペースを設営したので、机で自分の名前と住所を書きました。これ以上は無理なので、早退しました。エレベーターで1階のロビーへ降り、車をとって来て車で自宅へ戻りました。
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 そして自宅へ戻り、父の入浴介助をしました。終わってからセンターへ駆けつけましたので、反省会の最中でした。父の身体能力が格段に低下していることにショックでした。徒歩での避難は難しいことがよくわかりました。
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2017.12.16

実践的な今治市防災士会


 2017年の高知市での「市民とつくる防災フォーラム」の講演会におきまして今治市防災士会事務局長の伊藤雅章さんと砂田ひとみさんにお会いしました。その折に「今治市防災士会活動への参加ご案内」という資料をいただきました。

 「防災士の活動と役割」という項目では

1)月1回の定例会や研修会へ参加すること。

2)居住・参加する地域。職域での自主防災会の結成と育成・活性化に努めること。

3)災害発災時には地域・職域で、日頃の研修の成果を生かし、避難、救護、復旧支援のリーダーシップを発揮するとあります。

 未だに年に2回ぐらいの講演会と「分科会」活動しか出来ず「生ぬるい」高知市防災士会とは全く違いますね。地域密着と実践を目標にされているところが凄いです。

 2016年4月から2017年2月までの活動実績と予定を合わせますと、なんと24回です。別に「防災レディス&ママカフェWITHおやじカフェ」が毎月第2土曜日、日赤応急手当研修会が毎週木曜日とあります。

 150人会員がおられると言う事ですから、地域防災活動の担い手のリーダー研修会を付きに度以上の頻度で実行されているところが凄いです。

 また2018年(平成30年)2月17日(土曜)18日(日曜)は「第7回自主防災会研究大会が今治市総合福祉センターで開催されます。2年前から下知地区有志も参加するようになりました。今年のテーマは「避難所運営について」です。
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2017.12.15

母ははりまや橋サロンへ行きました。


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 2017年12月15日は、母(92歳)と一緒にはりまや橋商店街サロンへ行きました。天気が良いので歩行補助車を持って行きました。いつものコロッケ屋さんで夕飯用を購入しました。
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 次に露店のパン屋さんでクッキーを購入しました。

 谷ひろ子さんのお店で焼き菓子を買いました。
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 今日は冬型が緩みましたので温度は低いですが風が弱いので、暖かく感じました。今日の活き活き100歳体操(介護予防体操)は14人の参加者がおられ、母も含めて元気で体操をしていました。
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 戻ってきて父(98歳)と合流し横田胃腸科内科へ行きました。病院も混んでいました。
朝は父(98歳)の付添で植田医院へ。午後から母の付添ではりまや橋商店街へ。午後3時半からは両親の付添で横田胃腸科内科へ。1日が付添で終わってしまいました。
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 その間に「問い合わせ」に対して返信しました。

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第6回市民とつくる防災フォーラム

関谷
 「第6回市民とつくる防災フォーラム」(主催・市民とつくる防災フォーラム実行委員会)が2017年12月10日(日曜日)午後13時から、高知市総合安心センターにて開催されます。

 今回は基調講演が「津波避難と情報―東日本大震災から学ぶ」として関谷直也東京大学特任准教授。災害時の情報伝達のありかた、情報入手の在り方.限界などを」広範囲に講演頂きました。

「大災害時や災害直後の情報収集に被災地で1番や役に立ったのがラジオでした。また新聞も役に立ったそうです。」

「コンセントから電源が必要としないメディアが被災地では活躍しました。1日・2日は存在感が大きいです。新聞は河北新聞は新潟県の新聞社で印刷し翌日に配布しました。被災者は多くの情報が得られました。」

「ツイッターやFBなどのSNSやインターネットなどは被災地以外のインフラが破壊されていない地域では、支援するための情報の共有化などには役立ちました。気仙沼市はNTTの中継局が高台にあったので、ソーシャルメディアの活用が唯一可能でありました。」

「情報伝達の方法は多様化して1つに頼らない事ですね。」

「防災ハザードマップを超える津波が襲来し犠牲になった事例が東日本大震災は多かった。より高い高台へ逃げた人は助かった。南三陸町の防災庁舎にしても町幹部が籠城していたが、皆まさか屋上まで津波が来るとは誰も想定していませんでした。」

「熊本地震ではLINEが活用がされました。それは電源が喪失しなかった珍しい災害であったからです。支援側の行政職員がLINEで情報を活用した希有な例でした。」

 「インターネット、GPS/GIS,ドローン、スパコンなどはすべてアメリカの軍事技術の転用です。日本の災害対応技術も優れていますが、どうしてもアメリカの軍事技術の応用のようなパワーはありません。」
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 参加者は60人ぐらいいました。いずれも各地域で防災活動を頑張っているコアな人たちです。講演終了後質疑応答もありました。私の方から2つ質問しました。

「ある自治体では。地震後15分で大津波が来る想定です。市幹部は車での避難はいけないと言う。住民側は高齢者が多く車避難ではないと坂道を登れません。意見が対立しています。

 また避難準備情報があります。施設管理者により解釈がまちまちで混乱しています。高齢者が避難して来るのに、施設の通常利用がされていて釈然としません。」

 関谷氏はこう回答いただきました。

「どこにも車での避難を禁止はしていません。地域でよく話合いして、1番いい方法を選択してくださいということです。

 また避難準備情報も避難に時間がかかる要支援者の早めの避難の呼びかけです。その施設が通常業務が出来るということは安全であると言う事でもあります。こちらも良く協議されてください。」とのことでした。
横田防災用具
 国際信号旗のブースは横田政道さんが出されていました。防災用品の展示コーナーもありました。ドローンの実演もあったそうですが、超高齢者の両親が気になるので早退させていただきました。

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2017.12.14

徳島巡業に行きました


朝高知市
 2017年12月14日(木曜日)。起床時両親の体調を確認しましたが良さそうでしたので、年末のご挨拶も含め徳島巡業に出ました。四国山脈を見ましても雪雲がかかっていません。高速道路情報も雪の情報はないことを確認しました。
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 高知道も徳島道もすべて「ドライエリア」でした。12日に徳島山間部は降雪がありましたが昨日のうちに溶け、今朝の日差しで路面も乾燥していました。安心して徳島道を通過し徳島市内へ行きました。
徳島道
 あらためて徳島市中心部も川の中にあり、海抜も高知市同様に低い(海抜2M表示が国道11号線にありました。)歩道橋も多いので、津波が来た場合はそれも活用しないといけないでしょう。
徳島市歩道橋1
 帰り際に三好市池田町へ寄りました。古い街筋も残っていて、この街路で「うたずマルシェ」が開かれています。脇さんところへも立ち寄りお喋りして帰りました。帰りの徳島道や高知道も12日のように降雪はなく順調に戻りました。ようやく遠征も終わりました。
池田旧市街地脇宝石店
 今朝は起床時から回転性のめまいがあり、まともに歩けませんでした。首肩の凝りなので、自分でほぐしました。運転して途中のPAでトイレに入っても地面が回転する感じでした。徳島で薬屋でサロンパスを購入し、首と肩に貼りまくりました。そしたら表面の血行が良くなりめまいは治まりました。

 戻ってきて散髪へ行きました。洗髪していただき、電気按摩器で首肩をほぐしていただきますと凝りがとれめまいは完全に収まりました。

 やはり最近「海の散帆」へ諸般事情で行けないのでストレスで首肩が凝りましたね。ほぐすことも検討しないと駄目ですね。

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高速道路で冬用タイヤ規制とか


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 高知自動車道路で今年からなのか「冬用タイヤ規制」をするようです。川之江東JGTと大豊ICの間です。確かに昨日でもその区間は雪がちらつき怖かったです。わたしはノーマルタイヤです。チェーンは携行していますが、チェーン装着による走行を西日本高速道路は認めないようです。

 2017年12月14日は日和見しながら徳島方面の巡回に行く予定です。今の所徳島道も礎ノーマルタイヤで走行できそうです。でも日陰の部位は昼間でも凍結しています。また徳島道は殆どが2車線ですから後ろで煽る馬鹿がいますから怖いですね。
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 契約しているガソリンスタンドでスタッドレス・タイヤの値段を聞きました。工賃を含めて1本が14500円とか。4本ですと58000円とか言われました。今年は明日徳島へ行けば、原則車で県境を越えることはありません。

 安全を考慮すればスタッドレス・タイヤを購入すべきでしょうが、以前のように山間部の現場へ行くこともありませんので。高速道のない時代はチェーンを自分で巻いて走行することもありました。やれないことはありません。

 明日は雪の場合は「一般道路をチェーンを巻いて走行する」覚悟です。防寒着と長靴を用意するようにします。
冬用タイヤ規制1_NEW_R
冬用タイヤ規制2_NEW_R

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2017.12.13

かわいい防災の推進者

 2017年12月9日の毎日新聞高知版に、高知大学防災すけっと隊代表の松岡明里さんの特集記事が掲載されていました。

「防災をかわいく 手軽に してみたい」というコンセプトで、防災ポーチや防災お菓子ポーチや防災ダンブラーなどを隊員たちと開発されてきたようです。

 以前にもNHKラジオでも聴講したことがありました。こういう視点も大事であると思いました。
かわいい防災_NEW_R

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2017.12.12

なんとか北四国巡業が出来ました。


 北の空
 今日は強い西高東低のお天気。テレビではこの冬1番の寒気団という触れ込みでした。ただ高速道路情報を見ますと閉鎖の情報はなく、今日訪問予定の愛媛県東予と香川は雪の予報は出ていません。ただ山陰が雪が降れば、高知道の大豊―川之江間は雪が降ります。

 昔手結の漁師さんの言われた言葉を思い出しました。「よく晴れた冬の天気で北の山を見ること。山のへりに白い雲がへばりついていたら、大風が吹くので絶対に海へ出られんぞ」とのことでした。それは西高東低の強い冬型で山陰や四国の山は大雪で強い北もしくは北西の風が強く吹く気象条件です。見ると晴れていますが幸い白い雲はありません。

 行は南国ICを過ぎ大豊ICが近づくと雪がちらつき、前方の高い山は雪が降っている様子でした。「雪注意」の電光掲示まで出て速度制限が50キロになりました。自分が50キロでびくびく走行しているのに普段どうりに飛ばして追い越して行く車が後を絶たない。スリップが怖くないのだろうか?
愛媛県往路
 高知道最後のトンネルを抜け川之江へ出ますと雪が全然降っていませんでした。松山道から瀬戸内海の対岸の岡山方面を見ますと雪が降っています。山陰は降雪であることがわかります。

 午前中に東予での日程を終え香川県へ行きました。高松市内も風は強くて寒いですが雪は降っていまんでした。お昼は屋島の四国村のわら屋へ行きうどんを食べました。そして異人館でコーヒーを飲み休息。高松市内を巡回して、香川西部を廻って帰路に。自衛隊の装甲車らしくものとすれ違いました。
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自衛隊車両
 善通寺ICから高速へ。川之江JCTから高知道へはいるとどん曇り。雪が降っています。幸い外気温がプラスで時折日差しがあるので路面は凍結はしていません。高知県へ入ると雪も止んでまして無事に帰りつきました。
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 家内に聞きますと、両親は元気に午後から介護予防通所リハビリ施設へ行ったそうです。元気に戻りおやつを食べたようです。良かったです。あと1回徳島方面の巡回が残っています。

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ソーラー充電スタンド 新聞記事

 2017年12月8日(金)に、高知市立昭和小学校に、鈴木敏恵さん(一級建築士・次世代教育クリエータ)から、ソーラー充電スタンドが寄贈されました。12月9日の高知新聞と読売新聞高知版に記事が掲載されていました。

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2017.12.11

見えなかったものが見えるようになりました

 今日の午前中は父(98歳)の植田医院への通院の付添。思うように足の腫れが引きません。利尿剤投与を増やすことに。父の足取りは重くふらつくので歩行介助が最近は必要になりました。

 戻ると母(98歳)が待ち構えていて毛山病院へ。医療センターから紹介状を書いて頂いて行きました。そしたらJC(青年会議所)時代の知り合いに会いました。聞けば2年前に脳梗塞になり、最近は血尿が出るとか。車へ乗れないのでタクシーで来られたとか。

 同年輩ですがキャリアの病人でした。ショックでした。若い頃はお元気そのものでよく夜の街で飲んでおられた人でした。母の診察と処置は「やけどは3週間ぐらいで水ぶくれは治りますが、元へ戻るにはもっと時間がかかります。とのことでした。

 戻って仕事をして、父を介護予防通所リハビリへ送り出し、遅い昼食を食べました。問い合わせや注文もありせわしい1日でした。メーカーの在庫切れもありました。うちの在庫から出しました。

 明日の巡業の準備をしていました。この年になって仕事が面白い。同年輩はリタイヤしている人が多いのに。おかしいかもしれない今頃になって仕事が面白く感じていますから。

 在宅介護の比率が高くなりますと、茶わん洗いが何故か楽しい。気が紛れますね。風呂のソージとか。典型的な小市民の生活ですがなんだか楽しい。超高齢者の両親も超高齢者になりたくてなった訳ではないですから。

 懸命に活きているのでサポートするのは当然でしょう。なんだか「見えなかったものが、見えるように」なったようですね。

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12月9日の五台山市民農園

 寒い朝でした。2017年12月9日に午前4時半に起床して作業をするつもりが寝過ごして起きたのが5時40分過ぎ。慌てて朝食を食べて身支度して自転車で五台山へ向かいました。夜が明けていません。
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 6時20分過ぎに五台山農協婦人部の朝市へ。今日は9時からイベントだそうです。野菜の代わりに五台山小学校の児童と保育園の園児が描いた図画が展示されていました。6年生は修学旅行で行った広島の原爆ドームや宮島の風景、園児は野菜や果物の静物画でした。

 美味しくてかじった果物も描かれていました。

 夜が明けて農園へ行きました。寒さで地上部の葉っぱは元気がありません。地中にある玉ねぎやジャガイモ、タイモは育っています。下の果樹園では簡易避難場所づくりが行われていました。
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 7時になりますと両親の介護ケアを家内としないといけないので、戻りました。冬期は滞在時間が短くなりますね。土曜日の午前中は父の通院に付き添います。

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2017.12.10

母が熱湯を足にこぼしてやけどしました

2017年12月9日(土曜日) 午後7時の夕食前に母(92歳)が急須をひっくり返し熱いお湯が足にかかりました。見ると両足太ももが真っ赤になっています。

 ひょっと父の主治医の植田先生に相談してみようと電話しましたら残業されていて診てくれました。「これは意外に範囲が広い。専門の皮膚科の先生に診てもらいましょう。」ということになり日赤と医療センターに電話してくれました。

 医療センターの先生が診てくれました。応急処置をしました。翌日もも医療センターへ来るように言われました。
 父(98歳)のむくみもなかなかひかないです。超高齢者が家に2人いますと何かとトラブルが起きるものですね。自宅へ戻ったら22時を過ぎていました。やれやれです。ようやく遅い夕飯を食べました。

 10日も医療センターの緊急が依頼で処置をしていただき、近所の皮膚科の紹介状を医師に書いていただきました。11日は父(98歳)の植田医院への通院後、母を連れて皮膚科へ行きます。

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母ははりまや橋サロンへ行きました

 2017年12月8日(金)は、母(92歳)に付添いはりまや橋商店街へ行きました。今日は雨が降らないようなので、歩行補助車を持って行きました。

 まずはいつものコロッケ屋さんで夕飯分を買います。次に谷ひろ子さんのお店で焼き菓子などを買いました。時間がありましたのでコーヒーとはりまやシューを谷さんにオーダーし、母とお茶をしました。
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 先週に引き続きはりまや夜学会会長の伴 武澄さんから焼き芋をいただきました。今日は午後から殊更寒かったので、母と一緒に美味しくいただきました。
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 今日の活き活き100歳体操は寒いのでどうかと思いましたが、それでも13人の参加がありました。母もはりまや橋商店街での活き活き100歳体操へ通いだして今年で13年間です。1番の古株になっています。いつまで行けるのかわかりませんが、元気なうちはこちらも時間をこしらえて行くようにしています。
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2017.12.09

寒い季節の資源・不燃物ステーション


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 毎月第2金曜日は二葉町町内会の資源・不燃物ステーション・仕分け当番の日です。2017年12月8日は午前6時からですが夜が明けていません。寒そうなので着込んで行きました。5時50分に到着しました

 会場の下知コミュニティ・センターも暗いです。ただ昨日に比べ今朝は暖かい。しかし天気図を見ますと次第に西高東低の冬型になるので午後から風が吹き寒くなるのではないでしょうか?

 父(98歳)の介護ケアがありますので、午前7時には早退させた頂きました。寒いのと暗いせいで出足が悪いようです。当番は来年3月までですが、1月から3月までは寒くて大変です。
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2017.12.08

高知の山間部を巡回しました

 2017年12月7日朝は1番の冷え込みになり、車のフロントガラスに霜が降り凍結していました。しかし天気図は移動性高気圧だし、霜が降りるのは風がない証拠。外気温が日差しがあれば上がるだろうと予測しました。昨夜に奥さんの実家が仁淀川町の黒岩さんに聞きますと、暖かめで雪は溶けたとの情報も得ていました。

 昨夜(12月6日)は懇親会で帰宅が23時過ぎ。すぐに寝て午前5時に起床。昨日の地区防災計画11回検討会を自分なりにまとめた資料をブログとFBに掲載しました。それから朝食を食べ、両親が起床しますと介護ケアをして午前8時過ぎに事務所を出ました。
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 今日はすべて一般道路。朝のラッシュは反対車線で順調。いの町の仁淀川をさかのぼり、旧吾北村から本川を目指しました。坂道も乾いていました。本川の大橋ダムの貯水池も8割程度の貯水率。今時にすればある方ですね。
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 池川の439市で地元特産の味付けこんにゃくといり餅を買いました。それから仁淀川町を巡回しました。丁度お昼前になったので、ランチは長者のだんだんの里へ行きました。

 農村レストラン・だんだんの里は大盛況でした。なんでも景観修復事業にだんだんクラブと県が一緒に今後展開するらしく、打ち合わせの後の昼食タイムになっていました。下知地区の有志が田植え体験や、稲刈りや脱穀体験で大変お世話になりました西森会長や藤村さんにも会いました。農村レストランの大野さんにも挨拶しました。
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 長者の大銀杏も数日前まで葉っぱがあったそうですが、いまはすべて落葉していました。昼食はランチ(ヒレカツ定食)とコーヒーを頼みました。とても美味しかったです。
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 昼食後越知と佐川町を巡回し、いの町と春野町を廻り、桂浜と種崎経由で戻って来ました。県中央部だけでしたが、一般道路はしんどいですね。

 戻るとほどなく両親が介護予防通所リハビリ施設から帰宅しました。今日は父の入浴日。入浴介助をしました。頭も洗いました。気持ちよさそうにしていました。まだ足の腫れが引いていません。明日植田一穂先生に診察時に聞いてみます。

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2017.12.07

下知地区防災計画第11回検討会


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 2017年12月6日(金)に午後6時半から下知コミュニティ・センターにて下知地区防災計画第11回検討会が開催されました。下知地区減災連絡会の役員ばかりでなく、地域の津波避難ビルの所有者の皆さんや、昭和小学校の教員、札幌市の地域防災担当係長の方もご参加いただきました。
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 最初に森宏下知地区減災連絡会会長の挨拶があり、坂本茂雄下知地区減災連絡会事務局長より経過報告と、今後の下知地区での当面の取り組みについて説明がありました。12月8日の昭和小での防災訓練や、12月17日の下知地区総合防災訓練についての概要説明がありました。

 「これまでの議論の確認」ということで高知大学地域協働学部大槻知史准教授から説明がありました。大槻先生には、下知地区は地盤も悪いし、海抜も低く、自然の高台もない悪条件の中で住民が、想定される大地震が起きても「生きのびる」ための個別計画「揺れ対策」と「津波避難対策」についてアドバイスをいただいていました。
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 従来から下知地区防災計画の議論の中で確認されたテーマは「災害にも強いまちづくり」です。そのためには「揺れ対策」と「津波避難対策」についても「すぐやる計画」(短期1年―3年で地区でたることの実施計画づくりと、「行政と協力して改善をまざすことの」中長期の計画づくりの概要説明がありました。

 議論の結果や検討会参加者の意見は漏らさずまとめられています。それぞれが説明されました。

 続いて「地域外避難生活を考える 命の健康と尊厳を守るために」と言うテーマで、第1回下知地区防災計画のアドバーサーをされている鍵屋一氏(跡見女子大学教授」より説明がありました。

 いつもの体操から入り参加者の緊張をほぐします。」講演がはじまりました。

「災害対策で大きな問題になっているのは、直接死の問題とともに、せっかく災害から生きのびてもその後の避難生活の中で亡くなる災害関連死の問題です。昨年の調査では2011年の東日本大震災の死者は22010人ですが、災害関連死は3474人おられました。
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「災害関連死を抑止することが最重要な応急の災害対策です。命を繋ぐには共助と公助がが必要です。公助はすぐにはきたいできません。自助で事前対策をし、。ご近所での共助を強くする。そのうえに新たな共助としてNPOや企業の支援があり、行政の公助がようやく出て来ます。」

「避難生活を困難にするのは、人、物資、資金、情報、ノウハウなどの「資源不足」です。資源不足の中では、高齢者、障害者、乳幼児、病弱者、女性と優先順位をつけても資源の奪い合いになる。「受援力」(支援を受ける力)が大切です。」

「不幸だが不幸ではない避難生活を目指しましょう。ロバート・ウォールディガー(心理学者の言葉に、人を健康で幸福にするのは、良い人間関係に尽きるのです。
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 避難生活にも強い地域のイメージは、住民の参画意欲の高い地域です。また高齢者でも障害者でも支援ができます・。それは「心」の支援です。

 要配慮者こそ、すぐれた「こころ」の支援者になります。」との講演がありました。

 そしてワードカフェに入りました。今回のテーマは避難生活から命・健康、尊厳を守る希望を書き意見交換をしました。同時に対策も話しあいました。高齢者・障害者、子供を対象に意見交換をしました。
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 ワードカフェでは、「意見を否定しない」ことがルールであり、どんどん皆が発言していき、意見を書きます。
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 「いっそのこと小規模な避難所を自分たちでこしらえるべきおでしょう。お金も出して」

「高齢者は大規模避難所では無理。最初から空き家などで生活すべき。障害者も同じである。

「ディ・サービスでは歌を歌い、体操をし、ゲームをします。避難所でも同じようにすべきです・子供たちの遊び場にも配慮すべきです。」

 高齢者を介護している家族、高齢者施設勤務の人、昭和小の教員や民生委員の人や潮町内会役員や、障害者施設の利用者の会の人も参加し、多様な意見が出ました。

 また東京から鈴木敏恵さん(一級建築士・次世代教育クリエータ)も傍聴にきていただきました。12月8日に昭和小に「ソーラー充電スタンド」(スマホ120台を5分で充電できる装置)を寄贈していただくために来ていただきました。
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 多くの皆さんの善意で「避難困難地区」である下知地区の減災対策は充実しつつあります。

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母は口腔ケアに行きました


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 母(92歳)は先日高知県歯科医師会より「高知県いい歯の表彰・熟年者の部」を受けました。90歳位超えて入れ歯が1本もなく27本ぐらいの歯があります。

 月に1度「口腔ケア」に歯科医院に通院しています。2017年12月5日に嶋本歯科へ行きました。歯磨きと歯ぐきのマッサージも必要です。通院し始めた頃(6月頃)は歯ぐきも腫れ、歯磨きすると出血していました。今はないそうです。

「出血も止まりましたね。自分で歯磨きにくい所も来院して歯垢などを除去しますと歯の健康が維持できます。唾液も良く出るようになりました。」

「神経を抜いた歯は脆くなり前歯も欠けています。抜くことは出来ますが、根っこがしっかりあるので抜きません。歯磨きをきっちりやればいいんです。奥歯で噛みますので奥歯がしっかりしているのでまだまだ大丈夫えすね。」とのことでした。

 父(98歳)も母同様に「いい歯の表彰」を受けましたが、現在腎不全と心不全の治療中。主治医の植田一穂先生の許可は出ません。年明けのなり調子が良くなれば連れて来て口腔ケアをします。

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2017.12.06

両親は「いい歯」の表彰を受けました。


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 本年度高知県歯科医師会(会長 野村和夫氏)が募集していました「平成29年度高知県いい歯の表彰・熟年者」の部の優良賞に選ばれたとの連絡があり、表彰状と記念品(ボディソープと薬用入浴剤が送付されてきました。
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 ケアマネージャーの下村恵子さんからの提案があり、両親のかかりつけ歯科医院の嶋本歯科からエントリーを夏ごろしておりました。
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 父は98歳、母は92歳です。2人とも1本も入れ歯はなく27本程度残っています。自分の歯で一般食事を食べることが人生の楽しみであり、健康の基礎であると思います。超高齢者になると世の中からそう褒められることはないので、良かったと思います。
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2017.12.05

17日の避難訓練への町内への呼びかけ

二葉町の皆様へ

                 二葉町自主防災会 会長 森宏

 12月17日(日曜日)午後1時前に、下知コミュニティ・センターで、2017年度下知地区総合防災訓練があります。

 二葉町町民の皆様の避難所は、下知コミュニティ・センターです。師走でとてもせわしい時期ですが、町民の皆さんは全員が参加してください。71年前の昭和南海地震は12月21日の午前5時前に起きました。災害は時期を選んでくれません。

 とくに参加していただきたい町民の皆様

1)木造家屋で1階建て、2階建てのお住まいの町民の皆様です

 想定どうり南海地震が発生しますと、震度7の強い揺れと同時に、地盤が沈下し、浸水がすぐに始まります。地震発生後30分後には津波が押し寄せて来ます。

 最大5メートルの浸水が二葉町で想定されています。鉄骨・鉄筋の3階建て以上の建物にすぐに避難しませんと溺死してしまします。二葉町民は下知コミュニティ・センターへ避難してください。どんな場所なのか。避難した生活はどうなるのか。是非12月17日は体験しましょう!!

2)高齢者の方。体の障害のある方、小さなお子様がおられるご家族も

 とっさの避難が難しい皆様も、自宅から下知コミュニティ・センターまで徒歩で何分かかるか。屋上まで階段を上って何分かかるのか。実測しましょう。

3)ペット(犬や猫)を飼っておられる町民の皆様

 12月17日の下知地区総合防委細訓練は、「ペット同行避難」も行う予定です。ペットをケージに入れて、下知コミュニティ・センター屋上に同行避難訓練に参加してください。


〇二葉町自主防災会役員・防災リーダーの皆様は「二葉町防災会」の防災ベスト着用、ヘルメットなど着用の上ご参加ください。

〇二葉町町民の皆様は、ご自分の薬手帳や薬、飲料水など携帯できる避難袋を持参し、避難生活ができる服装と装備でご参加ください。

〇今回の下知地区総合防災訓練は、参加した人全員が「避難所運営スタッフ」になります。役割分担も参加者で決めますので、リーダーや班長を名乗りでて体験しましょう。

〇事前に訓練出来た以上の事はできません。町民の皆様各位はご家族で参加され、避難所開設・運営訓練にご参加してください。多くの「気づき」が得られます。

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2017.12.04

インデアン・サマーな夜須の海でした


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 2017年12月3日(日曜日)は父(98歳)の調子も良く、家内の許しも出ましたので朝から夜須へ行っておりました。11月19日の「転覆―海水浴」以来です。今日の夜須の海は暖かく、風はなんと南から吹いていました。波もなく風も穏やかで晴天。年寄りには優しい海でした。
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 「インディアンサマーとは?」デジタル大辞泉より

日本の小春日和(こはるびより)に対応する言葉。欧米で秋から冬にかけて風が弱く暖かい日のことを呼ぶ。その他〈老婦人の夏〉などと呼ぶところもある。まさに今日の夜須の海は「インディアンサマー」そのものでした。こんなお天気今時めったにありません。

 金曜日に1週間ぶりに谷ひろ子さんに発見していただいたサングラスをかけ海の散帆をしました。紫外線がきついので白内障予防には必要な道具です。今日は高知大学ヨット部が12艇程度470とスナイプが出ていました。社会人は私を含めて4人でした。(うちシニア・ヨットクラブはKさんと2人です。)
高知大学ヨット部練習
 午前中は赤岡沖まで行きました。午後は風が弱くなり、南方面へ行き、ヤッシー・パークの海を、まわりました。デジカメが何故か調子悪くあまり写真はありません。

 片付けしてマナマナにてアイスバーのチョコレート・バナナを食べました。やはり1日海の上にいますと体が発汗しているのでアイスが美味しいです。家内に電話しますと父(98歳)が風呂に入りたいと言っているのですぐに戻りました。

 宮里優作が優勝したゴルフが終わってから入浴介助しました。気持ちよさそうにしていました。「お腹が空いた。ご飯が食べたい。」と我儘を言うようになりました。元気になって何よりでした。

 最近いろいろとせわしく追い込まれストレスまみれで体調も崩していました。すっかり充電出来ましたので年末まで乗り切れそうですね。来週・再来週は休日は防災の行事や婚礼などもありますから海へは来れないです。

 家族のお蔭で良い1日を過ごすことが出来ました。家族に感謝です。

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2017.12.03

父は植田医院へ行きました。


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 2017年12月2日(土曜日)の午前中は植田医院へ行きました。父(98歳)が元気であれば、「リハビリ・ゴルフ」(打ち放しゴルフ練習場)へ行くのですが、足がむくんで息切れするので、利尿治療のために通院しました。これで今週は毎日植田医院へ通院しました。29日(木曜)は四国巡業のために息子に代行をお願いしました。

 今日植田先生と確認しますと腫れは半分ぐらいに引きました。

「今週は毎日来ていただきましたが、来週は4日にしましょう。そのかわり服薬で利尿剤を出します。運動療法は続けてください。減タンパク食もです。
 血液検査の数字は心不全もあり前回より悪いですが、回復すると思います。」とのことでした。

 確かにクレアチリン値は2.28と悪化しています。尿酸値も7.3と悪化していました。11月2日は5・9と私より良い数値でしたのに。

 さすがに父もげんなりしていました。早く打ち放しへ行けるようにならないといかんね。と本人も言ってます。年末までにはなんとかしたいものです。

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2017.12.02

高知新聞記事に掲載されていました

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 2017年12月29日に下知コミュニティ・センターで開催されました「平成29年度第1回市長と語ろう会」について、翌日30日の高知新聞6面に記事になっていました。

 海に隣接し海抜0メートル地帯の軟弱地盤の下知(しもじ)地区は自然の高台もなく人口が密集した市街地を形成しています。高知市は市長や2人の副市長や関連部局の幹部職員20人と住民70人が出席しました。

 下知地域各町内からまんべんなく意見や提案、要望が出され、市長が丁寧に回答する意見交換会でした。お互い感情的にならず意見交換をしました。当然即答できないこともありました。

 高知新聞の記事は意外に大きく掲載されていました。長期浸水が予想される市街地でッ第1回目であったことと、冷静なやりとりが評価されたのではなかったかと思います。

 とは言え、わたしが質問した「広域連携」「被害が少ない地域との事前の地域間交流の必要性」については「0回答」の部分もあり、高知市及び県の浸水対策が土木事業に依存し過ぎの部分はありましたね。

 完成に16年かかる周辺堤防工事と、排水ポンプ場が完成しても「浸水は免れない」下知地区であることが明らかになりました。問題は簡単ではありません。エンドレスなテーマであることがより明確になりました。

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2017.12.01

母ははりまや橋サロンへ行きました。

 2017年12月1日(金)。今年も師走になりました。今朝は午前中は植田医院へ父(98歳)の診察と点滴と利尿治療にいきました。むくみは半分に縮小していました。効果ありです。父は元気になりました。

 昼食後母(92歳)の付添ではりまや橋商店街へ行きました。いつものコロッケ屋さんで夕飯のコロッケを購入しました。

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 谷ひろ子さんが「けんちゃんのサングラス見つかった!」との電話をいただいたいました。先週なくしたことに気付き、帰宅後もう1度言って探した時は見つかりませんでした。1週間後見つかりました奇跡です。嬉しかったです。いいことありますね。

 家内が「なくしたと言うても慌てないように。出てくる場合もあるから。」としたり顔で言っていましたが、そのとうりになりました。それで谷ひろこさんのお店でいつもの焼き菓子を購入しました。はりまやシュー(シュークリーム)がありましたので、母とコーヒーを飲みながらお茶しました。

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 そしたら伴 武澄さん(はりまや夜学会代表)から、焼き芋の差し入れがありました。とても美味しかったです。ありがとうございます。今日の活き活き100歳体操は、15人の参加がありました。

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 帰りに植田医院へ寄り、2回目のインフルエンザ接種(1回目は10月にしました)をしてきました。父(98歳)は「午後からいかんぞ!」と大声で我儘を言いうるさいので明日植田医院へ点滴と利尿治療に行きますのでその時にすることにしました。
 
  超高齢者の取り扱いは難しい。お蔭で地域防災の宿題をいただきましたが、とっさに「頭が切り替わらず」苦戦しています。

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