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2018年3月

2018.03.31

海の散帆へ行けることになりました


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 家内の許可が出ましたので海の散帆へ行きます。移動性の高気圧に覆われ、年寄りでも帆走が楽しめそうです。風が案外出るかもしれないので、ウェットスーツは着用します。
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母をデイサービスに送り出して、ハーバーへ着いたら10時過ぎに。急いでぎ装して、ウエット・スーツを着込んで出艇しようとすると11時になっていました。しかも大潮。干上がっています。苦労しました。
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 海の上は最高でした。程よい風が吹き、時にハイクアウトしながら赤岡沖まで帆走しました。波も予想外になく(うねる予報でしたが)最高でした。

 赤岡沖までいけました。今日はレーザー四国選手権とやらで大学生やジュニア・ヨットクラブは遠征に行って不在。私とYさんとFさんだけ。高校生が1組出ていました。
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 片付けした後は、アイスバー・まなまなで「スイート・ポテト」を食べました。道の駅やすで、雛人形を名残惜しく見ました。
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父・いずみの・331


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 2018年3月31日(土曜日です。家内の許可があり「海の散帆」の後にいずみの病院へ行きました。父(98歳)と面会しました。少しリハビリをしたようです。トイレにも行く練習をしたやに父は言いますが、わかりません。休日体制で医療スタッフが少ないので、また来週聞いてみます。
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五台山市民農園へ行きました

 いいお天気です。随分夜明けが早くなりました。今日も五台山農協婦人部野菜良心市で待ち合わせします。今日はキャベツとブロッコリーを購入しました。
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そして83段の階段を上り市民農園へ。わたしはもっぱら畑周りの雑草引きです。今朝は横田さん、福谷さん、大崎さん、原池さんが来られました。3週間前に植え付けたジャガイモも葉っぱが出ていました。原池さんところのオオナも成長していました。玉ねぎが大きくなっていました。
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 わたしは母(92歳)のディサービスの送り出しがあるので早退しました。他のみなさんはタケノコの観察に行きました。
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 戻ってきて家内の許可が出ました。夜須へ「海の散帆」へ行くことができそうです。
母をデイサービスに送り出しをしたら夜須へ行きます。

 3日前に父が転院出来て一安心です。回復への道のりは遠いですが、父も家族も頑張ります。
 
 4月になればなにかと多忙になります。充電は必要ですから。
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日本は大きな移動性の高気圧に覆われています。温厚なお天気です。下手な私でも海の散帆はできそうです。

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弥右衛門地区の地域防災への取り組み支援


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 2018年3月31日に(土曜日)に、午後6時半から弥右衛門ふれあいセンターにて「弥右衛門地区意見交換会」が開催される予定です。高知市地域防災推進課が呼びかけ人となっています。

 弥右衛門地区の町内会や防災関係者が集合し、下知地区減災連絡会も当事者になっています。高木妙市議の呼びかけで実現した、1月25日の「市長と語ろう会」に続く弥右衛門地区での防災関係者、町内会関係者が参集する会合です。画像は坂本茂雄下知地区減災連絡会事務局長(県議)から送信いただきました。

 市長と語ろう会弥右衛門地区(2018年1月25日)

 http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/post-a49b.html

 高知市弥右衛門地区は、区画整理事業の結果、最近賃貸マンションや分譲マンションが多く建設され、人口が増加しています。既存の町内会や防災会へ参加する人が少なく、防災関連の情報が住民各位に伝達されないと言う深刻な問題があります。

 弥右衛門地区の関係者(住民・企業・団体などの)の多くの参加者が参集することを望みます。

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2018.03.30

父・いずみの・330


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 2018年3月30日(金)は、母(92歳)をともない父(98歳)が入院していますいずみの病院へ面会に行きました。

 丁度いきますと父がベットの上でリハビリをしていました。座る練習を主体にしていました。70日間の日赤での「寝たきり生活」に体が慣れていますので、なかなか苦戦していました。
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 鼻からのチューブで栄養注入は10時間以上かかります。それでいて低栄養状態。点滴を早めると下痢気味になるとか。難しい。

 母も父を「それなりに 励ましてはいました。」
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 「この病院は前の病院と違って積極的に体を動かさんといかん。寝るばかりでは良くならんきに。」と言い聞かせて母と一緒に帰りました。

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母・はりまや橋サロン330


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 2018年3月30日(金曜日)は実質年度末であり、しかも月末。なんだかんだでせわしく、母(92歳)行くのがやや遅くなりました。お天気なので歩行補助車を持って行きました。
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 まずいつものコロッケ屋さんで夕飯のコロッケを購入しました。そして谷ひろ子さんのお店で焼き菓子とチョコケーキを購入しました。今日は時間がないので母とのお茶タイムはありませんでした。
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 今日の活き活き100歳体操は上天気でしたが、9人の出席でした。意外に少なめでした。体操も気持ちの良い季節になりました。
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堀川の桜はピークですね


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 高知市九反田から農人町・宝永町にいたる運河である堀川沿いの桜並木。満開です。今日は1日父の付添で入退院手続でした。報告にかかりつけ医の植田一穂先生所へは自転車で行きました。帰りにカルポート前の桜並木を歩き、堀川沿いを歩きました。
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 桜は満開。今日が見頃ですね。つぼみは全て開いています。明日は北風が強く吹くので今日明日が桜は高知市では見納めですね。

 カルポート前の桜並木の路面にシートを敷かれてお花見をされている一団が何組もいました。「よくTVで見るが元気そうだね。」とか言われました。地震対策の関係でNHKへ出演したのは2年ほど前の事ですから。声掛けしてくれたお花見している人は、誰なのかわかりません。
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 わたしは人の顔を覚えるのは苦手。向こうが私の事を知っていて私が知らないのはまずいです。失礼なので、へいこらして頭を下げ続けました。
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 私のデジカメでは綺麗な写真は撮れないですね。

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2018.03.29

父・日赤退院・いずみの入院・329


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 2018年3月29日ですが、1月19日に植田一穂先生(植田医院)のご紹介で高知赤十字病院に父(98歳)は緊急入院。腎不全と心不全で肺にも水が溜まった状態でした。主治医の辻和也先生等緊急透析など日赤の医療関係者の皆様のお蔭様で父は危険な状態は脱しました。」
 
 腎機能は緊急入院前の小康状態(植田医院への通院状態)にまで回復しました。しかしながらやもえないこととは言え、父は入院以来ベットに寝かされ続けていました。嚥下機能が悪いと言う判定で、口から食べ物が食べられなくなり、鼻から栄養チューブの挿入状態になりました。1日19時間もかかるため、寝たきり状態ですので、歩行も出来なくなりました。身体機能が著しく衰えました。「廃用症候群」になってしましました。

 日赤は緊急医療の高度医療には特化しています。医療スタッフは素晴らしい。しかし結果として父が「廃用症候群」になってしまったのは、なんとも家族としては悲しいことでした。
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 いずみの病院への転院が決まり、今日が最後の日赤でした。朝九時に来院し退院手続を行い、入院費用の支払いをしました。看護師が父を普段着に着替えさせてくれました。70日ぶりの普段着です。懐かしい。医療スタッフの人達にお礼を言いました。お世話になった辻先生もエレベーター前まで送ってくれました。
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 介護タクシーを手配し、車椅子をストレッチャーのように倒し、車後方からリフトで上げて車に乗せてくれました。私も同乗し、日赤からいずみの病院へ行きました。

 父が処置室でベットに寝かされ検査している間に、入院手続きの書類に記入しました。たくさんありました。検査数値を見られて担当医の夕部富三先生とお話しました。
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「腎臓にふくれもあるし、石もあります。ぺらぺら状態です。うちでの1月のリハビリでそこまで身体機能が回復するのかわかりませんが可能な限り処置はします。」と言っていただきました。

 病室は4人部屋。窓からは山が近く、桜も見えます。見晴らしはいいです。食事が食べられる患者は病室を出て、ナース・ステーション近くの談話スペースで一緒に会話しながら食べていました。笑い声も聞こえました。会話があることはいいことです。
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 担当看護師や栄養士の説明も受けました。父の気力や体力がどれほど持つのかわかりませんが、力尽きれば寿命でしょう。でも父は頑張ると思います。

 今日は朝8時半から途中移動し12時半まで病院に居ました。一度帰宅し夕方に息子と2人で面会に行きました。その時も書類に記入・押印しました。

 植田一穂先生に報告に行きました。「転院されるのに1カ月かかりましたね。廃用症候群がどこまで改善されるのか楽しみですね。」と言っていただきました。

 1日病院に居たのは、1月19日に日赤に緊急入院した時以来でした。

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銀行めぐりをしていました


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 お天気がいいので地域を徒歩で移動。
青柳公園西側、坂本茂雄さんの事務所の隣に高知署下知交番が完成していました。2階建ての建物です。パトカーや白バイの待機所にもなるのでしょうか?
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 銀行に用事があって行っていました。あれやこれやと3軒回る羽目に。説明を聞いていました。「カラーボール」がありました。これは銀行強盗などが入った時に賊に投げつけるそうです。
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 銀行のバック・ヤードをしげしげと見ていましたが、皆忙しそうに働いています。普段は窓口で用を足すぐらいですが、落ち着いて様子見したのは久しぶりでした。

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2018.03.28

父・日赤・328


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 2018年3月28日ですが、1月19日以来父(98歳)は腎不全と心不全で高知日赤病院に緊急入院しました。緊急透析を2回して症状は治まり、ICUに10日いて、一般病棟に移りました。今日で69日目。明日で70日になります。
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 正式に明日退院が決まりました。でも別のリハビリ病院へ転院です。身体機能の回復と腎臓の見守りを含めた入院生活が新たに始まります。明日は午前9時に来て入院費用を支払い、着替えて介護タクシーで転院先の病院へ移動します。

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今上天皇は日本人の良識

 今上天皇は皇后とともに沖縄県を3日間の予定で訪問されています。皇太子時代から言えば今回を含め11回目の訪問となります。沖縄は先の大戦で凄惨な地上戦が行われ、当時の沖縄県民の4分の1が亡くなられました。
朝日新聞今上天皇沖縄訪問記事1_NEW_R
 旧日本軍は守備隊の精鋭部隊の多くを台湾に転進させ温存し、沖縄県民を「人間の盾」のように地上戦に満足な武器も持たさず動員しました。女学生も看護要員で動員しました。当時の皇民化教育は沖縄で徹底して行われたために犠牲者も多かったです。米軍の本土進出を1日でも遅らせるための「捨石」に沖縄をしたのです。

 昭和天皇は敗戦後、地方訪問をしました。沖縄県だけは行くことが出来ませんでした。その意向を継いだ今上天皇は皇太子時代の1975年から沖縄訪問をしました。その時に火炎瓶を投げつけられても戦没者の慰霊のための訪問を繰り返しました。10回訪問したのです。
朝日新聞今上天皇沖縄訪問記事2_NEW_R
 安倍内閣や自民党の粗悪な戦前回帰の改憲案や、日本を戦争国家にする画策ばかりしている自民党の政治屋に比べ、今上天皇は真摯な心をもって戦没者の慰霊をされてこられました。自国民だけでなく敵国民や現地で犠牲になった国の人達の慰霊もされています。

 私は天皇制の信仰者ではありません。しかし今上天皇・皇后陛下は、「良質な日本人」のあるべき姿を体現されています。あらためて凄い存在であると感心しました。

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2018.03.27

伊方原発2号機が廃炉に


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 2018年3月27日の朝日新聞記事で「伊方原発2号機廃炉へ」「四電 稼動36年採算合わず」とのことでした。記事によると2000億円の安全対策工事を行っても採算がとれないから。というのが廃炉の理由。

 残る3号機は稼動していますが、プルトニウムと言う危険な核物質を使用した発電形態です。大変毒性が強いとされています。

 希望を言えば、伊方原発は日本大代の活断層である中央構造線の近くなので3号機も廃炉にしていただきたいと思います。

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父・日赤・327


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 2018年3月27日です。今日は金融機関や法務局や来訪者がありせわしい1日でした。仕事の合間に父(98歳)が1月19日から入院している高知日赤病院へ面会に行きました。

 相変わらず父はうとうとしていました。昨日に続き電気カミソリでひげを剃りました。鼻からの栄養チューブは1日19時間も差しているので寝たきりが強いられます。
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 今日ようやく転院が決まりました。リハビリ主体の病院へ行けることになりました。早速29日(木曜)の朝9時に日赤へ行き退院手続や支払等をして、10時に転院先の病院へ行くことになりました。やれやれです。そこから困難を伴うリハビリ治療をします。

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たけなわの堀川耐震護岸工事

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 高知県土木部高知土木事務所発注の堀川耐震護岸工事も年度末を控え追い込みでたけなわのようです。若松町陸上部の耐震護岸工事は、油圧で地中23Mまで押し込んだ直径1・3Mの鋼管の上に鉄筋コンクリートで護岸が建設されていました。
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 古い屏風のようなぺらぺらに薄い防潮堤(昭和47年頃建設)より1Mほど高い。しかも3Mほどせり出して建設されているので、対岸の中之島の石油施設も見えなくなり、圧迫感がありますね。
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 海上部に建設されている二葉町工区のほうもたけなわ。1部護岸が出来y手いる箇所もありました。古い高潮堤防とくっつく形で護岸がつくられるようです。堤防が以前よりは分厚くなるようです。
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 次年度でほぼ堀川の耐震護岸工事は仕上がるようですね。少しは下知地域は安全になるのでしょうか?地盤は依然として海抜0メートルの軟弱地盤です。また護岸には排水溝などの穴がたくさん開いていますが、逆流防止弁などは設置されるのでしょうか?しないとその穴から津波は下知地域に侵入するでしょうから。

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2018.03.26

父・日赤・326


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 2018年3月26日は週初めでなにやら仕事がせわしく、父(98歳)の病院へ行けたのは夕方になっていました。日赤への入院も60日を超えました。
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 ちょうど理学療法士がおられたので様子を聞きました。
「ゼリーや流動食を食べてもむせ込がなくなりました。歩行介助のリハビリは少しですが今日もしました。ゴルフへ行きたいと言われてました。」とのことでした。
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 少しずつ身体機能は回復しつつあります。入院生活は辛いですが父は耐えています。電気カミソリでひげを剃りました。
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香川県三豊市辻地区防災会が来訪されました。


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 2018年3月25日(日曜)ですが、午後から香川県三豊市辻地区自主防災会の皆様26人が遠路はるばる午後1時過ぎに下知コミュニティ・センターへ来訪いただきました。意見交換会と防災倉庫など備品や備えを見ていただきました。
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下知地区減災連絡会側は森宏会長、坂本茂雄副会長、西村健一副会長、荒木三芳二葉町自主防災会副会長が手迎えました。高知市地域防災推進課の山中係長と中山さんが助太刀に来ていただきました。
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 4階多目的室で、森会長が歓迎の挨拶をしました。豊田辻地区防災会会長が挨拶されました。西村副会長から下知地区の特長と課題、下知コミュニティ・センターの防災備品や考え方を説明しました。
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 坂本事務局長は、3年間下知地区が取り組んできた下知地区防災計画の概要を説明されました。その後意見交換をしました。
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「三豊市は 高瀬町、山本町、三野町、豊中町、詫間町、仁尾町、財田町が13年前の平成17年に合併して誕生しました。海と山と平野部があります。下知地域のように浸水や津波に対する備えも危機意識もありません。
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 土砂崩れ対策や火災対策を主体に防災活動をしています。自分たちだけで活動しますとマンネリになるので、遠征して他地域の防災会の活動を学習しにきました。」

「下知地域は標高図や、高い所から見ると、海が近いことに驚きました。眺めますとビルが多いので、浸水が始まる前に住民各位はビルへ駆け上がれば100%助かるのではないでしょうか」と言われました。

 それに対しては「下知地区は市街化されてビルの多い地域と、木造低層住宅が多い地区があります。そこには高い建物がありません。津波避難ビルも偏在しています。」と言いました。

 皆さん下知地域の標高の低さに参加者は驚かれていました。その後施設の案内を屋上からしました。国際信号旗の説明をしました。下知地区は海が近いので、海からの支援を想定していること。

 災害時対応LPガスユニットの説明をしました。LPガス業者がメーターをつけて点検してくれているし、耐震性も装置にあるので、被災後500人分の炊き出しがすぐに出来ます。

 5階の防災倉庫、4階の防災倉庫の説明。4階の貯水タンクの説明をしました。3階の世用具室では、防災畳と「避難所開設・運営指示書」を説明しました。
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 熱心に真摯に傾聴していただきました。最後に下知コミュニティ・センター前で記念撮影して意見交換会は終了いたしました。

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2018.03.25

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 2018年3月25日(日曜)ですが、午後から香川県三豊市辻地区自主防災会の皆様26人が遠路はるばる午後1時過ぎに下知コミュニティ・センターへ来訪いただきました。意見交換会と防災倉庫など備品や備えを見ていただきました。

 午前中に準備をし、意見交換して片付けが済むと午後3時半を過ぎていました。母(92歳)をトイレに誘導してから家内と3人で自宅を出てら4時を過ぎていました。
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 父(98歳)の病室へ3人で見舞いに行きました。うとうとしていましたが父は嬉しそうでした。母も長時間は居れないので短時間の面談でしたが、お互い刺激になったと思います。帰りに近くのスーパーで買い物しました。母のおやつも買いました。
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 1日が終わってしまいました。

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堀川の桜は見頃ですね


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 朝は花冷え。事務所の気温は12度、湿度は49%。暖かくはありません。今朝は6時過ぎに堀川縁を散策しました。
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 堀川は運河です。上流のかるぽーと付近で新堀川という運河とも繋がっています。その昔は船で物資や人を運搬していました。
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 昭和南海地震(1946年12月)でがれきなどで堀川が浅くなり大型船舶が農人町が停泊できなくなりました。このままでは街が寂れると言うことを危惧した農人町と対岸の九反田の町内会が堤防の管理者である県に申し入れ桜を植えたそうです。
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 それから50数年。堀川を挟んで綺麗な桜並木になり、知る人ぞ知る高知市の桜名所の1つになりました。

 ひところは「お花見遊覧船」も運行し、船から両岸辺の桜並木を見ると言う贅沢を満喫したこともありました。今は事情があって運行していません。

 カーリング娘が大活躍した北海道北見市と高知市は姉妹都市。明治の初頭に農人町から350人の高知県民が北見に向けて出港したとの記念碑がひっそりとあります。
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 ところどころにブルーシートを早朝から敷いてありました。今日は絶好のお花見懇親会日和です。
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 わたしは香川県の防災会の皆様が下知コミュニティ・センターを見学され意見交換会を午後からしますので、準備のためにもう少ししたら行きます。

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3月24日の五台山市民農園


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 朝は肌寒い。冬の装備をして自転車で出発しました。途中五台山農協婦人部の良心朝市で野菜を購入しました。購入したのはネギとレタスです。量販店より格安で低農薬です。
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 文旦よりはるかに大きな果物も出品されていました。名前を聞きましたが忘れました。中味は紫色だそうです。横田さんが借りて文旦との大きさを比較しています。
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 市民農園ではもっぱら草引き。暖かくなりましたのであっというまに雑草は生えます。畑の畝周りを手で草引きしました。小面積ですがなかなかはかどりません。今日の参加者は、横田さん、福谷さん、原池さんでした。わたしは母のディ・サービスの送り出し準備がありますんで早退させていただきました。
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2018.03.24

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 2018年3月24日は朝は寒かったですが午後からは、ぽかぽか陽気になりました。午後に家内と一緒に父(98歳)の入院する高知日赤病院へ行きました。
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 父は退屈そうにしていました。「まだ帰れんのか」と言うています。不自由な入院生活も2か月を過ぎました。高度医療機関なので医療面のケアは万全でしょうが、いかんせん身体機能の衰えは反面どうしようもありません。4人部屋でも今回は窓際の位置になったのでベットからも景色を見ることが出来ます。
 
  デジカメをうっかり忘れてしまいガラケー携帯から撮影しました。
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新しいことに挑戦し活路を開きます

 4月から新しいことに挑戦します。会社のホームページも再構築します。パソコンも新しく導入します。遅ればせながらスマホも挑戦します。鈍くさいのでもたつくことでしょう。

 それは多くの同級生たちが、仕事をリタイヤし、年金生活に入る中で、借金をして新しいことに仕事で挑戦しようとするからです。年寄りにあがきであるのかもしれません。しかし人生には(遅い」ことはないと思います。

 老師は「人生125歳説」を提唱しています。であるならばまだ道中ばです。青年期ですから。焦る必要はありません。気長に落ち着いて取り組んでみます。もたついてもなんとかなると思います。

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2018.03.23

父・日赤・323

 母とはりまや橋サロンへ一緒に行って事務所に戻りました。何件もある問い合わせの電話をしてから、父(98歳)が入院している高知日赤病院へ行きました。
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 すると病室が室料が有料の2人部屋から無料の4人部屋に変更になっていました。だんだんと病状は回復しつつあるようです。ただ父には残された時間が長くはありません。リハビリ病院への転院が実現できればいいなと思います。今日はうとうとしていました。
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 ややこしい問い合わせがありました。早々に面会は引き上げました。
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母ははりまや橋サロンへ行きました。


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 2018年3月23日(金)です。朝は放射冷却現象と冬型の気圧配置で冷たい風が吹いて寒かったです。朝は事務所では灯油ストーブを炊きました。
 午後からは気温が上がり春らしい陽気になりました。
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 母(92歳)の付添はりまや橋サロンへ行きました。お天気なのではりまや橋サロンへ行きました。歩行補助車を押していきました。コロッケ・ひろっちゃんで夕飯のコロッケを買いました。
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 谷ひろ子さんのお店では焼き菓子とチョコケーキを買いました。時間がなかったので母とはお茶ができませんでした。今日の活き活き100歳体操はテントの下を出て屋外でやりました。参加者も気持ちよさそうでした。
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2017年度下知地区減災連絡会臨時総会


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 2018年3月22日(木)は、午後18時半から下知コミュニティ・センターにて「2017年度下知地区減災連絡会臨時総会」が開催されました。54人の定数ですが42人(委任状出席を含む)があり臨時総会は成立しました。
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 森宏会長の挨拶がありました。続いて坂本茂雄事務局長から議題の説明がありました。

 議題は「下知地区防災計画2017年度版」と「概要版」の説明を坂本事務長が要約しながらも1時間位説明しました。そして参加者全員一致で賛同を得ることが出来ました。

 そして下知地区防災計画を、高知市防災会議に提案し、高知市地域防災計画に反映されることにするような働きかけを行うことも採択されました。そして計画づくりの3年間は終了しましたが、今後からは「実行」段階であり。定期的な意見交換の場を設け、高知市地域防災推進課とも協議しながら推進していくことも決議されました。
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 アドバイザーの大槻知史さん(高知大学地域協働学部准教授)、山本美咲さん(元地域防災課。現在は高知県庁に出向)、高知市地域防災推進課山中晶一さん(担当係長)、中山瑞稀さん、橋村彩香さんご支援ありがとうございました。3年間多大なご支援をいただきました鍵屋一先生にも感謝しています。
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 ただ残念なことは下知地域のご担当であり、多大なご指導いただきました山中晶一さんが移動・栄転になったことです。例えどの部署に変られようとも高知市は南海トラフ地震から逃れられない街なので、広い意味での下知地域との繋がりが新たに出来ることを期待します。

 「計画づくり」が苦手な日本人。土佐人が3年間真摯に議論した事。下知地域の単位自主防災会リーダーが集うことで、交流が出来、お互いが成長したことが何よりの成果です。
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 下知地区防災計画は3年間でコンセプト(設計思想)と概要はできました。下知地区の地盤が5M隆起したわけでも、耐震高層住宅が各位町内ごとにできたわけではありません。地震がくれば脆弱さは変わりません。

 これからは災害に「も」強い街下知、魅力ある下知地域を本気でこしらえるための実行段階に入りました。関係者の皆様頑張りましょう!!

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2018.03.22

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 2018年3月22日ですが、昨日来の雨も午後には上がり晴天になりました。高気圧が張り出しますので冷たい風が吹いています。高知日赤病院へ午後2時過ぎに行きました。ロビーでは医師が病状の説明を啓発講座でしょうか?ロビーで画面を使って説明していました。
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 父(98歳)の病室へ行きますと、理学療法士が来られていて、手や足の曲げ伸ばしなどのリハビリをしていました。鼻チューブでの栄養補給をしながらベットの上でのリハビリです。こちらの一般病棟へ来てからのリハビリの量は増えました。

 廃用症候群になっている父がどこまで回復するのか。気長な対応が家族も必要ですね。窓から市街地の様子が見えます。
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堀川縁の桜並木も6分咲き
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 高知日赤病院の帰りに堀川縁を走行して見ました。堀川を挟んで九反田と農人町の堤防沿いに桜が多数植えられています。50年ほど前に両地区の町内会が植樹したやに聞いています。
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 桜は6分咲きぐらいでしょうか。つぼみも多くありますから。雨上がりで風も強いですがまだ散らないでしょう。満開になりますとピンク色に染まりますから。それは今週末ではないでしょうか。

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2018.03.21

父・日赤・321


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 2018年3月21日は春分の日でお彼岸の中日ですが夜半からの雨が降り続く生憎の1日でした。午前中に高知日赤病院の看護師からの電話があり、緊張しました。用件は父(98歳)の容体の事ではなく。今までの準ICU対応病棟ではなく、一般病棟へ移行する連絡でした。その際4人部屋が空いていないので、実費(部屋代)がかる2人部屋になりました。
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 午後2時すぎに家内と2人で面会に行きました。看護士に聞きますと車椅子で移動したとか。立って座って車椅子移動なので父は少し疲れ気味でした。転院待ちの病室のようでした。少しずつ父の容体は回復しつつあります。

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森友学園事件の本質論

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 週刊現代2018年3月31日号の岩瀬達哉氏のコラム「ジャーナリストの目」(P133)は、森友学園事件の本質を述べています。テーマは「異例づくめの森友学園 国有地払下げの裏にあった「内閣人事局」の強大化」です。

 森友学園事件の異様さを岩瀬氏のコラムの記述から拾います。

「地中からゴミが出たことを理由に鑑定価格9億5600万円の国有地を、8億2200万円も値引きして1億3400万円で手に入れたこと。」

「そもそも土地の準備も出来ていない段階で、府が認可申請を受け付けたのも異例なら、国有地を借地として利用できることも異例。また、買い取りにあたって、これほど値引きがなされた例は過去にない。まさに異例づくめの便宜によって払い下げがなされていたのである。」

 あらためで読み返してみると森友学園事件の異常さ,異様さががわかります。決して「小さな問題」ではありません。日本国を震撼させる大問題です。現在大阪拘置所に長期拘留中の籠池夫妻は、世間で言われているように「詐欺師」であったとしても、国(近畿財務局)や大阪府が、かれの話術やはったりだけで、これほどの便宜を図るとは到底考えられません。

 岩瀬達哉氏によれば全国紙の本社社屋などは国有地の払い下げがあるようで、公共性のある事業への払い下げ事態は珍しい事ではないとのこと。

「実際に森友学園側は大阪府の中核都市である豊中市に8770平方メートルの国有地を、小学校(仮称安倍晋三小学校)の開校予定にあわせるように容易に、しかも格安で手に入れていたのである。」

「こんな離れ業ができた理由は、ふたつしか考えられない。有力政治家などの口利きがあったか、もしくは森友学園のバックに有力政治家がついていていると考えた財務省側が忖度し、行政の公平性を歪めたのいずれかだろう。」

 その原因について岩瀬達哉氏は、中央省庁のキャリア官僚を統治するシステムを内閣が握ったことにあると指摘しています。

「第二次安倍内閣からスタートした内閣人事局が、霞が関の官僚たちに睨みを利かせはじめた時期と、今回の国有地払下げのタイミングがほぼ一致することだ。」

「森友学園の籠池泰典理事長(当時)は、安倍昭恵首相夫人と一緒に写っている写真を見せることで「神風が吹いた」と語っていた。恐らくは、保身と出世に汲々とする官僚たちが、公正であるべき行政を歪めていたのだろう。」

 淡々としたコメントですが「事件の核心」をついていると感心しました。また「加計学園事件」はさらにスケールの大きな「えこひいき」で国政(文科行政)が歪められた事件です。これも原因は「内閣人事局」の強大化」にあります。

 150年前から大久保利通が命がけで基礎をこしらえた日本の中央省庁の官僚制度。藩閥の縁故によらず、幕末期にたとえ賊軍の出身地であったとしても優秀な青少年は東京位帝国大学へ進学し、成績優秀者は出身地に関係なく中央省庁の官僚に選抜されました。欧米列強に伍するためには「上からの近代化」は必要であり、その役目を中央省庁の官僚制度は担いました。その歴史と伝統がまさに音を立ててて崩壊しました。

 これはまさに「国難」です。

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2018.03.20

父・日赤・320

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 2018年3月20日は1日雨でした。午後に来客がありましたので高知日赤病院へ行ったのは午後3時過ぎでした。相談員(ソーシャル・ワーカー)と懇談しました。」

「受け入れ予定のリハビリ病院ですが病床が空かないので待ち状態です。転院しても1月しか受け入れてくれないことを承知してくださいとの事。症状から次に受け入れてくれる転院先は難しいとの見解だそうです。嚥下機能が回復しない場合は、自宅で胃瘻も検討してください。やり方その他は指導(転院先のリハビリ病院が指導)しますので。」とのお話でした。
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 私は「胃瘻はできれば避けていただきたい。父は歯も健全に残っています。できるだけ病院でも座らせて運動させれば身体機能の回復ともに嚥下機能も回復すると思います。とは言え超高齢者ですので、本人も家族も自宅回帰を望んでもかなわないことも覚悟しています。」とも申し上げました。
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 植田一穂先生にも相談しました。「お父さんを実際に見たら実年齢を想起させないぐらい元気です。きっと転院先の病院も考え方を変えてくれると思いますよ。今日口からゼリーを食べられたことは大きいですね。」と喜んでくれました。

 なかなか回復・帰宅への道は遠いですが、父も家族も頑張るしかありません。医療や介護の専門家の支援も得て頑張り続けていきたいです。

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広報下知減災・19号


広報下知減災19号・その1_NEW_R
 広報下知減災・19号(2018年2月号)が発刊されました。坂本茂雄事務局長が編集・作成されました。県議会直前のご多忙の中広報下知減災の作成は大変であったことと存じます。ありがとうございました。
広報下知減災19号・その2_NEW_R
 今回の広報下知減災は、2015年7月から取り組んできた3年間の「下知地区防災計画」のひとくくりのまとめの概要版を紙面裏面に掲載しています。
下知地区防災計画概要版その1_NEW_R
 見出しにありますように「地区防災計画で、これからも共有・共感・共創の議論と実践を続けて」「計画策定後のこれからがスタート 「笑顔」で挨拶しあう そんな地域のつながりが、災害に「も」強いまちに」であることを下知地区全体で共有しましょう。
下知地区防災計画概要版(その2)_NEW_R
 実践的課題として議論を集約した行動プランである「下知10」も公表されます。「揺れ対策」「津波対策・長期浸水対策・避難所対策 命を守り 命をつなぐ」「事前復興(生活を立ち上げる)・「コミュニティ(すべての段階の共通)」であることです。

 今後も下知地区で意見交換の場を継続し、「事前復興まちづくり協議会(仮称)」などのを各団体。企業・個人で参集しこしらえるようにならなければいけないと思います。
下知地区防災計画概要版(その3)_NEW_R
 下知地区防災計画は、このまとめで終りではありません。まさにこれからがS出発なんですね。そう強く思います。

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2018.03.19

父・日赤・319


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 2018年3月19日は午後から本降りの雨になりました。午後3時過ぎに高知日赤病院へ父(98歳)の面会に行きました。バスタオルや靴下を持って行きました。

 病室では父は車椅子に座り、週刊現代を読んでいました。鼻からの栄養チューブは差し込まれたままです。担当看護師に様子を聞きました。
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「今日は嚥下の検査をしました。ゼリーを食べましたがむせこむことが亡くなりましたので、今後ゼリーを食べる練習から始めます。」と言いました。嬉しい事ですね。少し身体機能の回復が見えて来ました。

 また張り紙が。「食事をするときはベット・アップ45度に」と指示が出ています。べったりと今まではベットに寝たきりでしたから少し身体機能が回復してきました。
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「大津波3・11未来への記憶」3D上映会

 2018年3月17日(土曜)は、午前10時より。高知市県民文化ホール(グリーン)にて「「大津波3・11未来への記憶」3D上映会」がありました。主催は高知県民文化ホール・高知新聞社です。400人ぐらいの参加者が居ました。
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 東日本大震災で大津波で甚大な被害を受けた岩手県陸前高田市。釜石市、宮城県宮古市田老地区、南三陸町の震災当時、1年後。3年後、現在の様子を映像にて、生きのびて懸命に生活されておられる人達が語ります。

 どれも身につまされるお話でした。登場された人達は、酒屋経営、雑貨店経営、ホテル経営など地元地域に密着した商店をされておられます。当然被災した地域の復興が商売とも関連して来るだけに取り組みが皆真摯ですし真剣です。

 さて高知市下知地域にあてはめますと、現状では下知地域には今南海トラフ地震となりますと。下知地域には10年以内に戻れそうもありません。人生のサイクルは3年~4年で廻ります。行政が関与する復興事業は、どうして時間が長くかかってしまいます。
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 高台整備や沿岸部の嵩上げ等を行い、山を切り崩して居住できる場所をこしらえ続けています。市町村主体の復興事業ですが、実際は「及び腰」の自治体が多いように。

 現在は瓦礫も打ち上げられた漁船も片づけられています。このドキュメンタリーを見るにつけ、高知市下知地区は耐震堤防の建設と、防災意識の向上寄り一層しなければと思います。

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2018.03.18

どん曇りの海の散帆


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 来週は香川県の防災会の下知CCの見学。再来週は地元二葉町町内会のお花見・大懇親会。2週連続で海の散帆へ行けません。家内の許可が出ましたので、夜須へ海の散帆に行きました。

 移動性高気圧に覆われ「温厚な晴天」なはずなのに朝から「どん曇り」。贅沢は言えません。高知大学ヨット部は1年生が練習するとか。ジュニア・ヨットクラブも出艇。私1人かと思いきや12艇のヨットで帆走しました。
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 どん曇りで風が弱い。でも波がなかったので帆走は出来ました。南から南西の風でしたので南沖合に帆走しました。どん雲であっても海の散帆は気持がいいものです。
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 お昼過ぎに1度上がり、朝に訪で購入したおむすびと卵焼きを食べました。午後からは風はより弱りそうなので断念し、片づけました。家内に電話し、父(98歳)の日赤への面会に母(98歳)を連れて行き、スーパーへの買い物も一緒にすることができました。
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父・日赤・318

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 2018年3月18日(日曜)です。今日は母(92歳)と、家内と3人で父の面会に行きました。母は2週間ぶりの面会です。4人部屋になっては初めてですね。
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「よく寝れるかえ」とずれた事ばかりは母言います。父(98歳)も嬉しそうでした。今日はリハビリもなく退屈な1日であったと思います。近況報告を父にしました。テレビで相撲を一緒に見ましたが、十両の下っ端ですので父もさほど興味がないようでしたので、すぐに消しました。20分ばかり話をして帰りました。
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 帰り際は近所のスーパーが「8倍の日」なので母の散歩も含め一緒に買い物をしました。おはぎを買い、皆で食べました。家内が「お父さんが帰って来ることを信じて」と言い、枕を1つ買いました。

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東日本大震災7年目の現実


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 先日岩手県宮古市の菅野和夫さん(津波語り部・山田伝津館館長)から、2018年3月11日の岩手県の地方紙であ岩手日報が送付されてきました。紙面を大きく使用した写真では復興していく岩手県各地の様子が掲載されていました。
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 しかし問題点もおおくあると紙面は指摘しています。主な見出しを見て行きますと震災後7年目の現実が良く理解できます。

「震災7年決断の時」「1人1人の復興へ」(岩手日報・3月11日1面)
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「再建へにじむ決意」「迫る仮設期限、資金に限り 亡き両親の店存続模索」(33面・社会面)

「語り部継続71%が不安」(総合2面)

「教訓つなぐ 東日本大震災7年」(岩手日報 特集)
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 特集紙面では、陸前高田、大船渡、釜石、宮古、大槌、山田の様子が写真で伝えられています。記事では震災後7年ですが、7758人が仮設住宅での暮らしをされておられます。厳しい現実を少しだけ見ることが出来ました。
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 記事を読んでいまして、海抜0メートルの低地の高知市下知地区は、東日本大震災クラスの地震が発生すれば、おそらく10年経過しても元の土地には戻れないと確信しました。それを前提に事前にわが家と会社の対策を真剣に検討実行しないといけないと決意しました。
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2018.03.17

父・日赤・317


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 2018年3月17日(土曜日)は家内と一緒に父(98歳)の入院する高知日赤病院へ行きました。今日と明日はリハビリもなくただただベットで寝るだけです。父は退屈そうにしていました。

 ほどなくして息子も見舞いに来ました。父に話しかけていました。病室にチッシュBOXと父用のマスクがなくなったので明日でも補充に来ます。転院の具体的な話は出ませんね。
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花冷えの寒気・五台山市民農園

 今朝は寒い。風もあります。事務所の気温は11度、湿度は45%。やはりPC真上の蛍光灯は点灯しません。2週間ぶりに五台山市民農園へ行きました。真冬並みの服装で行きました。
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 途中三石にある五台山農協婦人部の良心野菜市へ行きました。そこでネギ、大根、ブロッコリー、ホウレンソウを買いました。それから市民農園へ行きました。スイレンが咲いていました。
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 今日は畑周りの雑草を採る作業。暖かくなったのであっという間に生えていますね。袋に入れました。母(92歳)のディ・サービスの準備があるので早退させていただきました。今日の作業は横田さんと原池さんと3人でした。
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閖上復興だより48号を送付いただきました


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 宮城県名取市閖上地区の市民有志で発刊されています「閖上(ゆりあげ)復興だより48号」(格井直光編集長)を送付いただきました。日に日に復興していく閖上地区の様子が紙面に記載されています。

 1月13日に「閖上地区新春のつどい」が開催されたニュースや、湊神社も再建される記事もありました。罹災した閖上小の児童たちは不二小に通学していましたが、4月に新設される閖上小・中学一貫校が開校するためのお別れ会の様子も記事にありました。
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 3面には交流をされている熊本地震の被災地西原村との交流の様子が記述されていました。[最終的には自分で頑張らないと心の復興はできない。」との報告書の記事が突き刺さりました。
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 4面には「震災7年に寄せて」という編集者の想いが書かれていました。

「何よりも閖上の人たちとの新たな交流が生まれ、自立に向けた考えや取り組みに敬服しています。「自分たちのまちは自分たちで」の考えが強く、それぞれに役割があると思っています。

 閖上の匂いがする人達とこれからの復興へ向け歩み、まちは新しくなっても人の心は温かく、コミュニティがいいまちを再現していくでしょう。」
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 目に見える姿で4月から閖上小中学校も開校し、災害公営住宅も完成し、住民が戻り始めておられます。街は新しく再生しつつあります。やはり地域コミュニティの重要性、大事であることを文面からも感じました。

 紙面全体から想うことは、閖上の皆様は復興途上の最中にあったも、地域コミュニティの大事さ、再構築を常に意識なさって活動をされておられます。

 僅かのカンパしかしませんでしたのにサポーターの皆様と表記され恐縮しています。私たち下知地区も閖上の皆様の命がけの体験や地域の復興にかける想いを学び、地域づくりや、事前復興まちづくり計画に活かして行かないといけないと思いました。

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2018.03.16

母ははりまや橋サロンと主治医の医院へ


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 2018年3月16日ですが、昼食後母(92歳)と一緒にはりまや橋サロンへ行きました。2週間ぶりです。まずは魚の棚商店街のコロッケ・ひろっちゃんで夕飯用のコロッケを購入しました。

 谷ひろ子さんのお店で焼き菓子とチョコケーキを購入しました。今日はせわしく母とお茶する時間がありませんでした。今日の活き活き100歳体操は10人の参加者がありました。
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 横田政道さんが来られ母が体操している間、一緒にお茶しました。午後から雨が上がりましたが、日差しはなく冷たい風が吹きました。昨日までが暖かく桜が開花した高知市でしたが一転「花冷え」もようでした。
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 一度事務所に戻り、母のトイレを済ませてから横田胃腸科内科へ行きました。血圧は126-64と上等です。不整脈もありません。むくみもなくなったので利尿剤も必要なくなりました。まずは母は健康です。

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父・日赤・316


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 2018年3月16日は、母の美容室への付添後、銀行に用事」がありました。日赤がほど近いので用事を済ませて父(98歳)の面会に行きました。
 そしたらベットにはいません。ナース・ステーションに居て、車椅子に座っていました。わたしが行ったので窓際へ移動。そこで机を出していただき、週刊現代のクイズをしました。
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 理学療法士が来られ、少しリハビリをしました。車椅子からの立ち上がり。歩行器へしがみついての歩行練習。父の歩幅はとても小さく、自力歩行が出来るには程遠い。それでも理学療法士が言いますのには「立ち上がりが自力で出来るようになりました。座る時間も多くなりました。」とのこと。
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 復帰には程遠い状態ですが、少し前進したことは確認できました。
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母は美容室へ行きました。


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 2018年3月16日(金)ですが、母(92歳)は、3か月ぶりに雨の中ご近所のシンボル美容室に行きました。週末はなにかと予定があり、午前中に時間がありましたので予約して車で連れていきました。
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 昨年12月以来です。直後に母は火傷で毛山病院に22日間入院しました。1月は意外に寒く父(98歳)も日赤に緊急入院しました。、2月になるとインフルエンザになったりして、足が遠くなっていました。
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 山姥のような髪になっていたので、カットしていただきました。すっきりした表情を母はしていました。超高齢者と言えど身なりは構わないといけないですから。

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復興はコンパクトな街から


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 日本経済新聞2018年3月11日号の1面記事には納得しました。
「東日本大震災きょう7年 復興 コンパクトな街に」「便利さにぎわい誘う力」と見出しにあります。

 記事によりますと「人口が減りながら中心市街地の人口密度は震災前より上昇した自治体が複数あることが分かった。病院など生活に密着した「核」を中心部に配置し、住民を集めたのが共通点だ。」とあります。

 中心市街地の人口密度は、平成10年と比較しますと、岩手県久慈市は2684人/平方キロが2702人/平方キロに、釜石市は3076人が3185人に。気仙沼市は3152人が3885人に、宮城県石巻市は3643人が3784人、多賀城市は4801人が4830人になりいずれも増加しています。

 その理由として記事では「中心部をコンパクトに再建できた自治体は、いずれも「街の核」となる施設を決め、郊外から住民を呼び込んだ。気仙沼市や石巻市は大規模な市民病院を「核」に位置づけ、老朽化や震災で建て替える際に郊外ではなく中心部を選択した。」とあります。

 核は公共施設でなくてもいいとのこと。釜石市はイオンのショッピングセンターを「中心部再建の有力な核に据えた」という事例もあります。

 効用について記事ではこう記述しています。

「コンパクト化は行政と住民の双方に利益がある。気仙沼市は戸建て住宅が並んでいた一帯を高層住宅街に変えたことで、商業施設に適した空き地を確保した。現在は地元の農水産品を扱う観光商業施設の建設が進む。完成すれば日常的な買い物や観光集客に役立つ。」

「一部の高層住宅の1階では津波で流された小売店や飲食店が営業を始めた。中心部に住民が集まる中で、再開する店が増え、便利さが郊外から一段と人を呼ぶ好循環が生まれつつある。」

「石巻市の中心街ではマンションや戸建ての住宅の開発が相次ぐ。病院や商店街に近く、高齢者も歩いて暮らしやすい利点に気付いた住宅各社が建設している格好だ。復興住宅と合わせ、市街地の再建加速に役立っている。」

 釜石市などでは震災前は「シャッター通り」に近かった中心部が、現在はイオンを中核に再建しにぎわいを徐々にとりもどしているとか。子育て世代は仮設住宅の暮らしの中で買い物にしやすさなどで中心部の便利さを実感し、沿岸部からの移住を決めた人たともいる。とのことです。

 ただそうなりますと周辺部の集落の人口が減少します。石巻市の雄勝地区は地域の中心部を居住禁止地区にし、高台を整備して住居の移転を促していますが、当初の予定どうりに集落が形成されるのかわかりません。

 日本経済新聞の記事での総括はこう書かれています。

「被災市街地の再建は全国の自治体の将来モデルになる。医療機関など生活密着の施設は中心部で建て替え、核の形成には企業の力も生かす。こんな取り組みを進めば人口が減るなかで中心部に住民を集め、コンパクトシティができる可能性がある。
 東北復興の過程からは、そんなことが読み取れる。」とあります。

 日本国全体で「少子・高齢化」が急速に進行しています。高知県では全体で毎年7000人、高知市でも1000人から2000人の人口が減少しています。未災地のの高知でも人口減が止まりません。

 一方でL2クラスの大地震(東日本大震災規模)の南海トラフ地震が起きれば、。高知県は4万人が死亡し、必要とされる住宅は7.7万戸、現在用意できる住宅は2.4万戸程度と言われ5.3万戸(1世帯2人として)約10・6万人の高知県民が県内で避難生活が出来ません。

 被災した市街地が直ちに復旧・復興できなければ、県外へ避難生活している県民の多くは高知県に戻る理由がなくなり、単純計算で大震災後高知県の人口は15万人一気に減少することになりますね。

 そのあたり高知県や高知市当局の「危機感が薄い」ことに、危機感を感じる今日この頃です。下知地区防災計画は「事前復興まちづくり計画」を提唱していますが、地域の「弱み」を事前に適切に把握し、事前に対策することが減災に繋がるだけでなく、災害に「も」強い下知地区を事前に形成することが、高知市や高知県全体の人口減少に歯止めをかけることになると確信しました。

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2018.03.15

YASU海の駅クラブ理事会


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 2018年3月15日は午後7時からNPO法人YASU海の駅クラブ理事会(丸岡克典・理事長)が、会議室で開催されました。年度末であり委任状出席が多かったです。

 高知県議会の最中ですが梶原大介副理事長もご多忙の中出席いただきました。議題は「29年度計画事業の報告」と「平成30年度事業予算(案)、「その他」の審議をしました。

 「その他」では、平成30年度事業予算(案)に、広報活動を主に活用するドローンの購入予算と運用規約の説明が行われ承認されました。
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 また丸岡理事長から、ヤッシー・パーク西側砂浜と、西側倉庫を活用して、通年型ヨットやカヌーの体験施設の構想が語られ、県港湾振興課と協議するとの報告がありました。

 次回理事会は、5月の総会前に行うことになりました。

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父・日赤・315


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 2018年3月15日ですが、確定申告の最終日。父(98歳)の入院する高知日赤病院近くにある高知税務署前も駐車場に入庫しようとする車の数も減りました。

 父の病室へいきますと、体を拭いたばかりでした。バスタオルが洗濯物で出ました。昨日の血液製剤の輸血の影響(悪い方の)もなく元気そうでした。これからリハビリをするそうです。今日はデジカメを忘れたのでガラケー携帯のカメラで撮りました。ピンボケになっています。父は元気は元気です。
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地区防災計画学会で申し上げたかったこと(その2)

 

 積み残した課題や問題点を今後地域でどのように協議し、合意形成を図るのか

 3年間の下知地区防災計画は、内閣府と高知市の支援を受けての議論のまとめと集約が出来ました。しかし下知地域の問題点がすべて網羅され、解決策が提示されていわわけではないことを、参加者一同自覚する必要があると思う。

海抜0メートルの軟弱地盤の下知地域が、5M地盤が隆起し、耐震地盤になったわけでもなんでもありません。問題は「何も解決」していないのです。

 阪神大震災の被災者の皆様や、東日本大震災の被災者の皆様の「命がけのアドバイス」や「教訓」を今後の下知地域にどのように活用し、地域の人達の命を自分らの家族を含めどう守っていくのか。生活再建をどうするのかが今後の「積み残し」課題としてあります。

1)避難訓練に参加せず、避難対策を行わない住民にどう働きかけるのか

 単位自主防災会、町内会、行政側の啓発や呼びかけが届いていません、届いていても参加しない。参加出来ない人たちがおられます。要支援者、障害のある人たちです。

 ともすれば避難所訓練にしても、自力で避難所に徒歩にてたどり着ける人たちを主体に行われています。参加したくても身体的な事情で参加できない住民にたいしてなにができるのか。どうすれば「安心・安全な」地域づくりが出来るのかの議論をすべきではないか。

 参加していただいた人達の「集・合・知」作業でまとめは出来ます。

 福祉関係者や民生委員、社会福祉協議会とも今後も継続的な議論を行い、解決策を見つけ出す努力は必要です。

2)「共助」の概念を広げ、「受援力」の強い下知地区に

 地域内や町内会単位の「隣三軒両隣」の「共助」は必要です。しかし下知地域は長期浸水地域です。他の地域との地域間交流を意識して行い、「受援力」(支援を受ける力)を意識して行う必要があると思います。

 浸水エリア外の地域との交流も、可能であれば事前に行わないといけないと思います。大災害時になりますと、治安も悪くなり、窃盗や暴力行為を働く不届きものが現れます。(東北のある地域では、高台地区の住民が避難してくる住民を拒絶したこともあるやに聞きました。)

 高知市内の浸水エリア外の地域との連携や交流のみならず、市町村の枠を超えた県内の地域との連携や交流、県境を越えた連携も協力も必要であります。可能であれば事前の連携や交流で「顔の見える交流」を下知地域は積極的に行う必要があります。

3)あるべき下知地域の姿、災害に「も」強い街にするための方策の研究

 高台地区への移住や、疎開等の検討も必要です。              

 また下知地域に居住しながら「災害に「も」強い街」にする方法手段の検討と研究は今後必要になると思います。

 立体換地をして中高層住宅を地域住民の合意形成(土地提供など)を含め、行政側と協議しながら推進することは可能なのかどうかの検証と検討が必要であると思います。

 また確立された技術ではありませんが、浮体式人工地盤(高密度発泡体による)を公園や駐車場などに設置し、浸水被害に備える研究や検討も必要です。

 荒唐無稽な構想であっても、真摯に住民各位、行政との協議で検討課題にすべきです。

4)下知地区事前復興まちづくり協議会(仮称)の設置

 下知地区防災計画での理念を実現するための住民の協議会を設置する必要があります。下知地区減災連絡会が下知地域の各団体、企業や個人に呼びかけて設置する必要性があります。


5)各地域での継続的な議論を行います

 「下知地区防災計画2017年度版」や「概要版」を活用して、各単位防災会や町内会で、意見交換をし、「災害に「も」強い下知地域をこしらえるようにしましょう。

 地区防災計画は「終わり」ではなく、これからが「始まり」です。

6)地域の零細企業の災害時の事業継続について

 業種・業態は異なるからひとくくりには出来ません。大企業のように独自に高台の土地を取得し、事業所や設備の「まるごと」移転は零細企業には無理です。

 第1下知地域の土地価格が東日本大震災以降に急落し、下知地域の土地建物に買い手がつかず、売却できたとしても取得時の半値以下に下落しています。

 と言うことは自社の土地・建物を売却し、津波・浸水の脅威のない高台地区の土地建物を取得することは無理になりました。よほど資産を所有している企業・個人でなければ難しいのです。

 とは言え迫る来る南海トラフ地震への自社としての備えをしておかなければ、「その時」には即廃業のリスクを覚悟していかなければなりません。

 資金の確保、得意先の確保、仕入れ先の確保を行うために、どのようにして「事業継続」を行うのか。それぞれの企業で「事前に」(震災が来る前に)手を打たなければならないと思います。その方法手段には「前例」がありません。手本はないのです。

 2011年の東日本大震災時に1つ手本がありました。津波の被害を受けて印刷所が破壊された新聞社が、近隣県の新聞社の支援を受け、新聞紙面の発刊をしたことです。

 「河北、山形は新潟日報 岩手日報は東奥に 震災時の援助協定」

http://edgefirst.hateblo.jp/entry/20110319/1300518546

 何気ない記事でしたが、とても大事なことであると思いました。
零細企業同士の「災害時相互支援協定」は即必要ではないかと思いました。

 企業の業種業態は違いますので、それぞれの企業が自社の弱点を正確に把握し、信頼できる高台地域の企業と交渉し、事業継続の仕組みを新聞社のように構築することでしょう。

 わたしの零細企業も今年中にめどを立てたいと思っています。すべて事前の対策をしてから「備えあれば憂いなし」状態になれますから。

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2018.03.14

父・日赤・315


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 2018年3月14日ですが、2月分の父(98歳)の入院費用を支払いました。結構な金額になりますね。24時間の看護体制・医療体制ですから。お蔭で腎不全のほうは小康状態―入院前の状態にほぼ戻りました。超高齢者の父は頑張りました。
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 昨日担当主治医から父の現在の身体状態の説明があり、腎機能は小康状態になっているとのことでした。ただ貧血気味になっていて、リハビリをすると息切れするようです。そこで主治医の指示で輸血をすることになりました。
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 赤血球製剤を輸血するということで昨日その効用と副作用の説明を担当主治医から説明を受け、家族として同意の署名をしました。今日父の病室を訪ねますと早速点滴で輸血していました。3時間かけてゆっくりするそうです。
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 リハビリは午前中に少ししたそうです。PTに聞きますと「貧血状態が解消されたらリハビリもはかどりますよ」とのことでした。期待しています。

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堀川耐震護岸工事もたけなわ

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 今年度(3月末)までの高知市堀川の耐震護岸工事。業者による「工事ニュース」では4月22日までの延長になったようです。

 陸上部(若松町工区)では埋設鋼管の上部に鉄筋コンクリートで護岸堤防を建設中。高さが予想より高くなりました。対岸の景色が見えなくなりました。
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 海上部(二葉町工区)も鋼管打設部の上に護岸堤防建設工事もhじまっているようです。説明ではL1想定(昭和南海地震程度であれば、下知地域の浸水被害は防がれるとの事ですが、どうなることでしょうか。
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 従来の屏風堤防よりは安全なようです。

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2018.03.13

父・日赤・313

 2018年3月13日ですが。担当主治医と意見交換しました。
「腎臓の具合は安定してきました。現在は利尿剤投与もしていません。栄養剤投与の鼻チューブだけになりました。現在は機能回復訓練も椅子に座らせたり、歩行訓練をより多めにするようにしています。
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 気がかりなのは貧血です。エポジンなども注射していますがあまり効果が出ていません。リハビリをしますと息切れ現象があります。貧血も一因です。運動をするとより貧血になる可能性があります。リハビリ病院でリハビリするためにも、輸血(赤血球製剤)を」用います。ご家族の同意書をいただきます。」とのことでした。
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 また相談員(ソーシャル・ワーカー)の人にも会いました。

「現在あるリハビリ病院と交渉をしています。ただ1カ月程度の受け入れになるそうです。詳細は折衝中です。決まれば連絡します。1人部屋しか空いていないかもしれません。その場合個室料金が1日6000円かかります。」ということです。
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 「個室しかあいていなくてもかまいません。」と答えました。経済的なことは後から考えます。とりあえず父の回復への意欲が萎えないうちに手を打ちたいのですので。

 お蔭様で1歩前進したようです。

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困難極まりない企業の震災後の再生


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 3月11日で東日本大震災からまる7年になります。2018年3月5日の高知新聞夕刊記事では、あらためて大災害後の企業の再生が極めて困難である状況を思い知らされました。

「被災企業 再生1割届かず」という見出しがあります。再生支援完了は県のうち8・2%に過ぎません。自己破産や廃業で6件あったとか。

「完了62件の中では、インフラ整備事業が続く土木建設の14件、運輸の8件が目立つ。」とあります。全体の35%です。やはり復興事業がそのままビジネスになる土木建設業は被災地でも立ち上がりが早い。

「一方、津波被災地の基幹産業で、支援先全体の2割強を占める水産加工・水産卸は5件に過ぎず、機構の担当者は、全般的に業績が厳しい現状が現れたと分析した。農業や宿泊業は各1件だった。」

 何故再生が困難であるかの分析はしているのでしょうか?自社が被災しスーパーや百貨店に商品が供給できなければ、仕入れ先も困ります.それで震災後の混乱している時期に新規に仕入れ先を確保している筈です。何年かたって融資を受け施設を再生したところで、すでに客先は被災地でないライバル企業に商権を奪われてしまっています。

 一度失った得意先は取り戻すことは困難です。自社が甚大な被害を受けて同情されるのは3日まで。4日後から製品を供給できなければ、結果的に相手先に「機会損失」を与えたことになりますので、得意先の奪回は困難です。

 無理をして借財をして設備を再生しても得意先がなければ返済もできません。とて悩ましい問題です。ひるがえって自社の場合どうするのか。事前対策をしておかないといけないと思いました。大災害後の復活は事前対策なしには不可能ですね。

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2018.03.12

父・日赤・312


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 2018年3月12日に父(98歳)に面会に行きました。話をしました。リハビリをしたそうですが、「たいしたことはしない。」と言っております。
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 退屈そうにうとうとしていました。明日主治医と今後の事を含め意見交換します。

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地区防災計画事務局会


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 3月3日―4日と「地区防災計画学会・高知大会」も盛況のうちに閉幕しました。その感銘が覚めないうちに下知地区防災計画報告書・2017年度版の文書の校正等を事務職メンバーでしておりました。
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 私は2日間郡部の現場の巡回をしておりました。なかなか頭のチャンネルが切り替わらず「苦戦」しておりました。3月は「年度末」でなにかと用事も多く大変です。22日に下知地区減災連絡会臨時総会に「報告書」を出し承認を得ないといけないからです。
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 事務手続きは時間が切られています。こちらの頭がついていけないだけです。

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2018.03.11

ヤッシーで雛人形と対面しました。


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 海の散帆で大満足した後に、道の駅やすのギャラリーで展示しています雛人形と対面しました。3月末までの展示ですが、3月はもう行けない可能性が高いからです。
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 やはり見ていると和みます。来年は事情があって雛人形の展示は出来ないかもと言われました。「見納め」になるかもしれないので、たっぷり見ました。
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 運動した後はアイスバー・マナマナでポンカン・イチゴのアイスバーを食べましたとても美味しかったです。
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夜須での海の散帆

 2018年3月11日は、快晴。天気図を見ましても移動性の高気圧に覆われ「温厚なお天気」です。暖かくなると言う予報も出ていました。下手くそな年寄りでも海の散帆が出来ると確信しました。家内の許可を得て、3月初めての海の散帆に来ました。
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 土佐C・Cで女子プロゴルフの「プロギア・レディス」の観戦にヤッシーパークからシャトルバスが出ます。朝9時前にヤッシーへ着きましたが賑わっていました。訪れでおむすびと卵焼きを購入しました。
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 結構風が吹くかもしれないので慎重にぎ装しました。今日はフリート・レースでもあるのか高知大学ヨット部や、ジュニア・ヨットクラブも早くから来てぎ装していました。そして海へ出ました。
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 ハーバー前の海水の冷たい事。隣の夜須川からの雪解け水でしょう。氷のように冷たいです。ウェット・スーツではこうなると辛いです。なんとかヨットに這い上がり帆走しました。良い風が吹いています。
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 今日の夜須の海は最高でした。波は静かで風は程よくありました。赤岡付近まで帆走しました。沖合から見るとレースをやっていました。何レースもやっていました。
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 来週来れなければ3月は今日で海の散帆は終わりです。帆走後ヨットを丁寧に水洗いしました。おかげで充電できました。家族に感謝です。

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父・日赤・311


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 2018年3月11日に父(98歳)の入院している4人部屋へ海の散帆の帰りに寄りました。プロギア・レディス(女子プロゴルフ)と大相撲があるのでテレビカードを購入、見ないかと言いましたが「えい」と言って寝ていました。
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 来週火曜日の午前中に担当主治医との面談になりました。今後の事も聞いてみます。

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第7期見守り委員会が終了


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 なんとも長い表題。「高知市市民と行政のパートナーシップのまちづくり条例見守り委員会」(山崎水起夫委員長)の第7期の会合が終了しました。平成28年6月からスタートし8回の委員会を開催(起草委員会は5回開催)しました。
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 私は地元町内会長から「公募したら」と言われ、うっかりしてしまい公募委員となりました。「途中参加」のような感覚で最後まで来ました。真摯な議論はされていましたし、「結論ありき」の委員会ではありませんでした。「予定調和のない」(結論ありきではない)委員会でした。
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 山崎水起夫委員長、岡田法正副委員長の仕切りはさじかし大変であったと思います。また田村智彦高知市地域コミュニティ推進課課長もご苦労様でした。

 わたしは「行政と市民とのパートナーシップは、権限と予算の市民への譲渡」がなければありえないというのが持論です。それは曖昧であり、たぶんなされてはいない事でしょう。問題提起はしましたが、今の所実現はしません。
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2018.03.10

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 2018年3月10日ですが、午後に家内と一緒に父(98歳)の面会に行きました。呼吸器を使用する患者が出てきたと言うので、父は4人部屋に変っておりました。

 元気そうでした。家内に父との2ショット写真を撮ってもらいました。担当看護師と話をしました。
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「今日は自分から椅子に座りたいと言われ、座っていました。またトイレにも言って座りたいと言われたのでかい助して歩行器で行かれました。意欲的に取り組まれています。」との事です。来週担当主治医との面談を要望しました。
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 家内がテレビカードを買った来ました。部屋が狭くテレビが見やすいとのことでした。父のファンである横峰さくら選手は今日も2位と健闘しています。テレビを見るようになれば元気になれますから。

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3月4日の高知新聞記事

 2018年3月3日に高知市・高知県立大学永国寺キャンパスで開催されました「地区防災計画学会(会長室崎益輝・兵庫)高知大会が開催されました。

 高知新聞の海路佳孝記者が取材していただきました。手短に簡潔に記述されています。なかなかこうは手短に私は書けないです。

 下知地区の現状も取り上げていただきました。「市街地であっても人と人とのつながり、絆をつくっておかないと町の再建はできない。」と強調。町の将来像を話し合い、住民が集える場をつくることなどを同計画案(下知地区防災計画)に盛り込んでいると話した。と記述されていました。
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2018.03.09

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 2018年3月9日(金)です。今日で父が高知日赤病院へ入院して50日になりましDSCN3514_Rた。ICUに10日間。すぐにリハビリ施設がある病院に転院できるのかと思いきやそうな成らず一般病棟に40日間います。

 腎不全のほうは病院関係者の尽力で小康状態になりました。繋がれている管や測定機器は、今や鼻からの栄養チューブだけになりました。しかしその間は両手にグルーブをはめています。1週間ごとに家族の同意書が必要だそうです。
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 一向にリハビリ施設が充実した病院に転院できるめどがありません。なにが問題であるのか知る由もありません。床ずれがしないように体の向きを変えたり、体の清潔さを保つ看護はきちんとしていただいています。

 しかし口からものは食べられないし、自分で歩けないし、トイレにも行けない。人間としての尊厳が低下した廃用症候群になっています。父は意欲がります。今の状況も良く理解しています。意欲があるうちに身体機能を回復する様な処置を専門家に行っていただきたいと思います。

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坂本茂雄「県政かわら版」

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 高知市下知地域代表である県議会議員坂本茂雄さんが「県政かわら版」(NO55号)を発刊され、いただきました。県議に当選後55号発刊されています。
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 今回は昨年9月と12月の定例県議会での質問での県知事や執行部とのやり取りの様子が紙面には詳細に記載されています。

 紙面の見出しを見ても質問内容が多岐にわたっていることが理解できます。
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「南海トラフ地震対策」「知事の政治姿勢について」「都市計画道路はりまや町―一宮線とまちづくりについて」「自治体などで働く非正規職員の処遇改善を」「保育士の確保と待遇改善を」「原発問題について」「部落差別解消推進法活用で差別をなくそう」「化学物質過敏症の対応も丁寧に」「ルネサス継承先の確保」などです。
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 何度か坂本茂雄さんの県議会での代表質問や一問一答を傍聴に行きましたが、重要で真摯な質問に対しては県執行部も懸命に回答していました。しかし残念なのは少数会派ゆえに、質問時間が短く、すべての質問への回答を執行部から引き出す時間が足りません。

 事前に質問要綱もだされ、また各部局に独自に調査や質問も坂本茂雄さんはなさっておられるので、今回の「県政かわら版」にもやりとりの詳細が掲載されていて良く内容が理解できました。

 なんと言っても下知地区住民にとりましては「南海地震対策」が関心事です。ここでも「災害時の要配慮者支援の拡充を」「住宅耐震化の加速化を」「仮設住宅の確保に向けて」「南海トラフ地震対策へ「地区防災計画」の横展開を」と記載されています。
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 なかでも「要配慮者対策」は、質疑からも「ようやく始まったばかり」と思いました。「仮設住宅の確保」についても、L2想定で7.7万戸の需要に対して、みなし仮設を合わせても2.4万戸の供給しかできない現実を埋める回答にはなっていないことが良くわかりました。

 下知地区防災計画の横展開については、「自助共助の取り組みを進めていくうえでの有効な手段。引き続き計画づくりの周知に取り組んでいきたい」(危機管理部長)の回答を引き出されていました。

 「原発問題」も災害対策では重要課題。原発災害が起きれば復旧・復興が困難であることは福島第1原発の事例でも明らかです。しかし県知事の答弁は曖昧極まりない。
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「伊方原発の3号基の稼働は現状ではやむをえない。(電源の安定供給には必要であるとの説明)

 万が1の事態に対処していくためにも原発は必要であり、稼働はやむをえない。ただ原発の依存度は低下させなければならない。」とに答弁。

 知事の答弁は南海トラフ地震でも伊方原発が無事で電力供給できることを前提としています。中央構造線にほど近い伊方原発が「万一」被害を受ければ、ふんだんに高知県は放射能の供給を受けることは間違いない。それはどう対処するのかが不明です。

 坂本茂雄さんが「地産地消的な発電形態をとることがリスク分散になる」と言いましたが、知事は「発電・送電のシステムが確立されていない」ことで消極的でした。

 また「憲法改正における緊急事態法は不要」との坂本茂雄さんお見解に対して「時の政府の乱用を防ぐためにも憲法上に明確に位置づけが必要であり、国民手k次議論が必要」と議論は平行線でした。

 高知県政の課題が良く理解できました。

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2018.03.08

父・日赤・308

 昨日は郡部への現地訪問をしていました。息子に父(98歳)の見舞いを依頼していました。今日は現地訪問の後に、日赤へ行きました。
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 担当看護師に聞きますと午前中にリハビリをして、看護室に座り週刊現代のクロスワードパズルをしていたようです。身体機能の低下はともかく、生活のリズムは少し回復したように思います。
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 また「身体拘束の承諾書」に家族の署名を求められた。鼻からの栄養チューブの挿入時両手にグローブをすることです。そんなことより嚥下機能の回復をしていただいて、口から食物を食べるようにしていただきたいものです。なかなか転院は進みません。キャンセル待ちが長いです。父もじっと耐えています。
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地区防災計画学会で申し上げたかったこと

 2018年3月3日に高知市県立大学永国寺キャンパスで「知己防災計画学会・高知大会」が開催されました。全国の学識者や研究者の皆さんの個人報告会を聞いていまして、大変参考になりました。

 個人報告で下知地区防災計画については、坂本茂雄さん(下知地区減災連絡会事務局長)と、アドバーサーを3年間務めていただきました鍵屋一さん(跡見女子大教授)が先に個人報告していただきました。

 午前10時から始まりました地区防災計画学会。内容が充実した個人報告が続き、昼休みも挟んで行われました。午後15時10分から16時20分がトークセッション。「黒潮町と高知市下知地区における住民が多く参加する仕組みづくり」でした。

 その「トークセッション」。最初に黒潮町の3人の熱心な発表がありました。内容のある充実した報告に聞きほれているうちに自分の順番が来てしまいました。黒潮町側が時間超過になっていましたから、時間短縮しなければなりませんでした。それで当初考えたことの4分の1も言うことが出来ず私の持ち分は終わってしましました。

 私には学識者のみなさんたちのようにまとめたり、検証したりする時間的な余力がありません。能力もありません。所詮は活動の断片しか伝えることが出来ません。わたしの能力ではあまりに時間がありませんでした。そこで当日わたしが参加者の皆さんにお伝えしたかったことを列挙してみました。

「高知大学特任教授である岡村眞さんの講話は二葉町の¥町内会幹部も聴講し、自主防災会結成の機運が高まっていました。しかし町内や下知地域全体が「海抜0メートル地底」であり、海や川に隣接し、軟弱地盤、自然地形の高台が皆無であり、高齢者と耐震性のない木造低層住宅が多くあります。日本で1番甚大な被害を受ける地域が高知市下知地域です。」

「2007年に二葉町自主防災会を設立しました。当時は公共建築物はなく、市が認定しない昭和56年(1981年以前)の賃貸マンションの所有者と二葉町町内会・二葉町自主防災会dで3者協定で「地区避難ビル」を11カ所こしらえました。」

 二葉町自主防災会では2007年より3回「防災世帯調査」をしています。用紙を配付し、病歴や介護歴、緊急時連絡先を記入していただき、自主防災会役員が預かっています。回収率は60%程度です。

 町内で高齢化がより進行している事を把握しました。それで自宅から50メートル以内に地区指定の津波・浸水時一時退避所を増やし15か所にしました。うち4カ所が高知市指定の津波避難ビルになっています。」

「2011年の東日本大震災後、二葉町町内会役員にも危機感が増大しました。下知地区は地盤が沈下し、長期浸水することが言われ出されました。それで高知市から50キロ離れている山間部の仁淀川町との地域間交流(疎開を前提とした顔の見える交流)を始めました。

「2012年12月に県が「南海トラフ地震津波浸水予想図」を公表。下知地域は全員が浸水地域であることが改めて明らかになりました。この時点で事実上、下知地区の土地家屋を売却して高台地区の土地を買収し、自力移転することは不可能になりました。」

 2012年12月に県が「南海トラフ地震津波浸水予想図」を公表。下知地域は全員が浸水地域であることが改めて明らかになりました。この時点で事実上、下知地区の土地家屋を売却して高台地区の土地を買収し、自力移転することは不可能になりました。」

「2012年10月に11の下知地区の単位自主防災会が加盟して下知地区減災連絡会が結成されました。翌年の2013年4月に下知コミュニティ・センター(RC4階建て)は開所し、下知地区南部の防災拠点になりました。防災部会もできました。」

「2008年に神戸市長田区鷹取東地区を訪問し、住民同士で意見交換しました。年に回500食の炊き出し訓練をしていることを学びました。


 2013年11月に10年前から地域交流している阪神大震災で甚大な被害を受けた神戸市長田区鷹取東地区の住民リーダーの故石井弘利さん。2013年に下知地区での講演会で言われました。
「あんたら南海地震が近い将来起きるなら、先手を打って、行政職員と一緒に罹災後の地域を再建する研究し、勉強しなはれや。」と背中を押されました。」

「神戸市長田区鷹取東地区の故石井弘利会長のアドバイスは「地震災害をあらかじめ想定して再建計画を行政の人達と真摯に協議してつくるべき」でした。長田は6000億円の投資がされ駅前には高層マンションが林立しています。しかしかつての下町風情の長田はなくなり多くの地域住民が転出していきました。

 商業者はテナントビルに頑張って出店したものの高い家賃と顧客流失に苦しみ、返済の5年猶予が切れ、20年の返済期限が来ても返済できずに廃業する商業者が多いと聞きました。」

 石井さんは「神戸市は全国からの義捐金をちびちびと被災者に支給しただけ。あとの半分は震災復興と称して地下鉄工事や神戸空港の建設工事に費やされた。市は勝手なことばかりしている」と言われました。市民と市役所の深刻な対立構造を垣間見ました。」

「長田区鷹取東地区住民が偉大な所は、被災後9年目に起きた新潟中越地震(2004年)に新潟県山古志村支援に有志が行かれたことです。抽選ではなく集落ごと、コミュニティごとまとまって避難所生活すること。全村避難。全村帰郷。全村復興のアドバイスをされたことでした。

2015年1月17日の長田区鷹取東の阪神大震災20年慰霊祭に出席しました。そこでは旧山古志村、東日本大震災の被災地である南相馬市からも参加していました。」

◎下知地区防災計画について

 近い将来(30年以内)に起きるであろう南海トラフ地震で甚大な被害が予想されています。2015年に視察し交流した宮城県の石巻市の湊地区では今年3月にようやく自宅を再建されると聞きました。7年かかっています。

 名取市閖上地区では自宅の再建は来年と聞きました。震災から8年後です。石巻市雄勝地区では高台地区が造成されましたが、戻ってきて家を建てた人は少ないと言われたいます。いくつかの地区では住民の意向と行政側の計画がなかなか合意形成が難しいように聞きました。

 下知の場合は地盤沈下と長期浸水が重なるから、さらに整備に時間がかかり、元の場所で自宅が再建できるのは早くて10年かかるでしょう。そういうことは見えています。

 L2想定で南海トラフ地震が起きた場合、高知県は4.9万人の死者が出て23・9万戸が全壊し、浸水面積は157平方㎡、被害総額は10兆6000億円と言われています。

 必要とされる住宅戸数は7.7万戸と聞いていますが、昨年11月現在で確保されている仮設住宅用地は1・7万戸、みなし仮設(集合住宅など)は0・7万戸に過ぎず、合わせて2・4万戸しか確保されていません。5・3万戸(1世帯2人として)10.6万人の被災者は高知県内で避難生活は出来ません。県外へ移住すれば元はへ戻れません。まして10年以上地域の復興に時間がかかれば、現役世代、働く世代ほど下知地域へ戻れません。

 神戸市長田は元の住民が地元を去り、新しい住民は増えましたが、地域とのなじみがなく、地域コミュニティの形成にはなかなか難しいと聞きました。

 ですので下知地区防災計画は「命を守った後に将来に希望が見えないといけない」ということで「魅力ある街づくりとして事前復興計画を立案しました。

「被災直後に、復興まちづくりを考える余裕は全くありません。合意形成に時間がかります。」

 「復興が遅れますと、若い人が街はへ戻らなくなり、地域は衰退する。」

「あらかじめ被災後のまちづくりと手続きを考えておくこと。事前復興計画が必要。」

「事前にできることは、どんどん進めて減災につなげていくこと」です。

  下知地区防災計画のコンセプト(設計思想)

  「災害に「も」強い街 下知

〇伸び伸びと遊ぶ子供たちを中心に、地域のつながりで、楽しく安心して暮らせる、災害に「も」強いまち下知

  「コンセプトを実現するための5つの柱

①  「子供」
  
② 「高齢者・障害者」

③  「働く世代」

④  「災害に強いまち」

⑤  「コミュニティ」


 「下知地区防災計画」は3年のまとめの成果物はつくりますが、それで終わりではなく、住民間の議論や行政との議論を通じて随時更新していきます。これで終りではありません。

 むしろこれからがスタートです。

 下知の土地が5M隆起し、耐震地盤になったわけでも何でもありません。

 下知事前復興まちづくり協議会(仮称)などをこしらえ、今後も住民と市役所との協議をしていく必要性があります。 

◎トークセッションで言いたかったこと

 時間制約で言うことができなかったことを記述いたします。

〇神戸市長田区鷹取東地区の皆様には、「地域間交流の重要性」を学びました。

〇二葉町自主防災会も2011年の東日本大震災で皆がショックを受けました。そして
学習するうちに「地震災害も酷い」「地盤が沈下し、津波も来るし浸水も酷い」
「長期浸水状態になり地域にすぐには戻れない。」ことがわかりました。

それで2011年6月から知り合いもいたことがあり仁淀川町との交流が始まりました。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/cat43975382/index.html


 いまも交流が続いている仁淀川町長者地区とは交流して6年位になります。

「もしもの時の疎開先に」ということで、事前に「顔の見える」地域間交流をしています。しかし6年も経過しますが、行政側(県も市も)は未だに協力支援を全くしません。

下知と地域間交流をしている徳島県美波町由岐地区は、私たちと仁淀川町との交流事業にヒントを受け、沿岸部の地区と山間部の地区が合同避難訓練をするようになりました。

〇「自助・共助」の意味は「矮小化」されて使われています。

 自宅まわりの「となり近所3軒両隣」の共助(近助と言います)は大事。
 同時に事前に「顔の見える地域交流」は大事ではないでしょうか。

〇地機関交流も「共助」であり、コミュニティなのです。

◎東北の人達からは「受援力」を学びました。

〇受援力とは「支援を受ける力」のことです。

「自分の地域が災害時に何が弱いのか、どの地域で、どの場所で、どの家で被害が出る可能性があるのかを事前に把握し、地域内でカバーできない場合は、すぐに的確に「支援要請」することができること。それを「受援力」と言うように聞きました。」

〇下知地区知防災計画でやれたことやれなかったこと

 成果について

 なにより3年間の地区防災計画のへの取り組みは、参加者各位は真摯に真剣に取り組みが出来たのではないかと思います。特に各単位自主防災会でのリーダーが各地域で育ってきたと思います。下知地域内での「共助」の力がついたと思います。

 下知地区防災計画の位置づけが「事前復興計画」であることの合意形成ができたことが、とても大きい事でした。鍵屋先生がいつも言われるように「課題解決型の地区防災計画」から「魅力増進型の地区防災計画・下知がしあわせになる物語」になったことが成果です。

 内閣府や、2年間支援いただいた高知市役所(副市長や災害対策部長もお見えになっていますが)感謝しています。今後は他の地域への水平展開も必要であると思いますので、私らも協力させていただきます。

◎やれなかったことと今後の課題

〇下知地域内で単位防災会ごとにリーダーが育ち、「共助」の力も大きくなりました。でも実際に下知の低地(海抜0メートル)の軟弱地盤が5メートル隆起し、耐震地盤になった訳でもなんでもありません。脅威は今でもありますから。

〇東日本大震災から7年経過した後でも、未だに下知地区の住民各位は「どのドライエリアの避難所へいくのか」「どの場所で避難所生活をするのか」の場所と施設が、市からも県からも明示されていません。

〇具体的な下知地域の再建策を、都市計画の観点からも必要です。

 立体換地をして事前に中高層の耐震住宅を下知地域に建設すべきでしょう。その住宅に障害者や高齢者などの要支援者が生活しています。

 土地・建物があるものは立体換地して、住宅と中高層の耐震住宅の部屋に住みます。ない者は、市営住宅として入居します。可能なら町内会ごとに住宅を整備していきます。

 住宅が立ち退いた土地は、浮体構造物を埋め込んだ公園や駐車場にします。

〇21世紀の日本です。人権無視の「強制収容所」のような避難所生活や。仮設住宅暮らしを被災者がすることは「おかしい」と思う感覚を持ってください。

〇学校施設を避難所にし、土地を造成して仮設住宅を建設し、また撤去する。自力再建に何年もかかり、自宅再建が出来ない人は災害公営住宅に入居します。

〇最初から事前下知地域に中高層の耐震住宅ができたらいいなと思います。それには地域住民の合意形成とコミュニティがしっかりでき、行政側の支援もないと実現しませんから。

〇下知地区計画のなかで、津波避難・長期浸水避難のことを検討していても「何の具体策」がありません。それは「どこへわれわれ下知住民は避難するのか」ということが未だにわからないからです。

〇二葉町は東日本大震災直後から、仁淀川町の長者地区と「疎開を前提とした地域交流」を模索してきました。地域が長期浸水状態になり暫くは自宅へ住めなくなることがわかったからです。事前に顔の見える交流をして、「もしもの災害時に」空き家なり、集会所を借りることはできないだろうかということで交流をしてきました。

〇あくまでそれは「モデル事業」であり、高知県内で「南海トラフ地震の被害が甚大な地域」と「そうでもない地域」の普段から顔の見える交流をすべきではないかと思います。

 高知市内での地域間交流。県内での交流。県外との地域間交流も「新たな共助」として位置づけ、促進すべきであると思うからです。

〇高知県は毎年5000人から7000人人口が減少しています。当然その分お空き家も増えています。ぞれを南海地震時に住宅としてすぐに使える施策が必要であると思います。事前にそれが行政も絡んで出来ないかと言う事ですね。

〇避難所→仮設住宅→復興ということが常識のように言われていますが、その常識を覆したいです。要支援者や障害者は。地震や津波の脅威のない場所で生活すべきです。

〇地域間交流や立体換地による中高層住宅の建設・浮体構造物など実現したいことはやまほどあります。

  地区防災計画学会の皆様に実現していただきたいこと

〇学識者や行政関係者の皆さんで、地区防災計画に国の予算がもっとつくようにしていただきたい。その仕組みを考えていただきたです。

〇南海トラフ地震では220兆円の経済損失になると言われています。日本国の予算が90兆円。とてつもない規模の大災害です。事前復興計画に予算を投与すべきです。

〇防災に特化した高校が全国に2校あるそうです。防災大学は必要であると思います。日本は世界有数の災害大国です。危機管理省もこしらえ、防災大学は設置すべきです。

〇地区防災計画を推し進めて行けば、必ず減災になります。市民と行政との信頼関係が事前に、形成されるからです。

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2018.03.07

種崎船倉津波避難センター・桂浜


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 2018年3月4日は地区防災学会・高知大会参加者は、。下知コミュニティ・センターから五台山を経て種崎の船倉地区にある津波避難センターを見学されました。行くのは始めてなので興味がありました。
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 緩やかな斜路が3階まであり、屋上部は広い。公民館施設も充実しています。ホールは大中2カ所あり、3階と4階にも防災倉庫があります。調理場もあります。すぐに炊き出しも可能です。

http://www.city.kochi.kochi.jp/soshiki/61/tanesakihunakuratunemihinann.html

 しかしすぐ近くに海があり、南海トラフ地震が起きれば外洋からの津波が種崎地区を最初に襲うのでこうした施設は必要ですね。
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  その後桂浜の坂本龍馬像へ行きました。ガイドの説明を皆聞きました。坂本龍馬像前の集合写真は坂本茂雄さんが撮影されてものを借用しました。
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2018.03.06

父・日赤・306


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 2018年3月6日、父(98歳)が入院する高知日赤病院へ行きました。父に聞きますと、お風呂へ入ったようです。バスタオルが出されていました。週に1回は体を清めてはくれています。
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 ICUに収容されていた時は管だらけでしたが、今は鼻からの栄養チューブだけになりました。リハビリも歩行訓練をしたようです。マスクは耳が切れるということで看護師が、ガーゼをあてたりしてくれています。
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 褥瘡(床ずれ)にならないように、体の向きを定期的に変えてくれています。そのあたりはきっちりはしていただいています。体重測定をしたそうです。父の体重は46.5㎏とか。入院前は51㎏ありましたから、5キロ減りました。それだけ筋力が落ちていますね。

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母は歯医者へ行きました。


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 2018年3月6日ですが、母(92歳)は嶋本歯科へ行きました。月に1度歯磨きと歯垢取り、虫歯治療を行っています。通所している介護予防リハビし施設からも口腔ケアの必要性が指摘されておりました。
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 歯垢を除去し、歯磨きをしました。自分ではなかなか磨けないので、専門家の手でやtぅていただくことは意義があると思います。欠けている歯もあります。応急処置的にセメントを詰めたようです。
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 母のような超高齢者になりますと、抜歯は体への負担が大きいので、原則しないようです。歯磨きをしやすいような歯の手入れをしていただきました。

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下知コミュニティ・センターを視察されました。


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 2018年3月4日は「地区防災計画学会・高知大会2日目」でした。「下知地区防災フィールドワーク&坂本龍馬像見学スペシャルツアー」で、昨日の地区防災計画学会報告会と意見交換会に参加された関係者40人が、午前9時にはりまや橋バスセンターを出発し、丸池町のケンぺルの外階段工事現場を視察され、9時半前に下知コミュニティ・センターに到着されました。
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 説明は坂本茂雄下知地区減災連絡会事務局長がバスに乗り込み下知地区の説明をしていました。丸池町の吉本豊道防災会会長もバスの誘導や地域の説明をされていたようです。

 国際信号旗をセンター5階に掲揚するために横田政道さん(若松町自主防災会会長)が指導されました。若松マンション非常階段部にも掲揚されています。今日はV旗(避難者がいます。)とU・Y旗(訓練中)という3種類の国際信号旗を掲揚しました。
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 若松マンションからANS旗が掲揚され、下知コミュニティ・センターでは横田政道さんが半揚し、若松マンションが解読後に全揚し通信訓練を終えました。
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 西村下知地区減災連絡会副会長(下知コミュニティセンター防災部会長)が、屋上にあるLPガス災害対応ユニットの説明、5階と4階の防災備蓄倉庫の説明をしました。4階の飲料水タンクの説明もしました。

 説明が終わりますと一行は五台山の展望台へ行きました。

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2018.03.05

父・日赤・305


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 2018年3月5日です。強い雨も上がりどん曇りですが暖かいです。午後3時過ぎに父(98歳)の面会に行きますとふてくされていました。

 担当看護師がおられ事情を聞きました。
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「今日は午前中に意欲的にリハビリをされました。歩行訓練をされ、ナースステーションで週刊現代のクイズもされていました。1時間ぐらい頑張りました。」とのこと。腎臓は小康状態で管は唯一鼻からの栄養チューブだけになりました。

 栄養チューブ点滴中はグルーブをつけることの承諾書を出され、サインをしました。はやく口から食物をたべさせていただきたいです。
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地区防災計画学会・懇親会

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 2018年3月3日は、高知県立大学で地区防災計画学会高知大会が開催されました。18時30分に終了し後片付けし、雨の中徒歩で懇親会会場(くらり)へ移動しました。関係者40数人が参加し土佐流の宴会を楽しみました。
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 学識者や行政の皆様も昼間の生真面目な報告や意見交換会と異なりくつろぎ、とてもフレンドリーでした。全国各地の情報を交換していました。
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 宴会が終わると雨が上がっていました。

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2018.03.04

父・日赤・304


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 2018年3月4日は、午前中を中心に地区防災計画学会。高知大会の「下知地区フィールドワーク」ツアーの受け入れに対応していました。お昼前に業務は終わり、一段落してから父(98歳)の入院する高知日赤病院へ行きました。
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 バスタオル3枚と靴下を持って行きました。父は元気そうでした。良く見ますと左上の唇が切れています。早速看護師に様子を聞きました。
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「空気が乾燥している状態で口を開けておられるので唇が切れたんでしょう。」とのこと。ワセリンを塗って対処されているようです。私の方からは、「マスクを着用させてください。」と言いました。マスクの紐で耳が切れるので嫌がるとか。ガーゼを耳に当てていただきました。
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 早くリハビリを本格的に出来るようになればえいと思います

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地区防災計画学会・高知大会が開催

 2018年3月3日地区防災計画学会・高知大会が、県立大学永国寺キャンパスで開催されました。全国各地から学識者や行政関係者、防災関係者の市民など150人が参加しました。
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 下知地区減災連絡会有志10人は、下知コミュニティ・センター防災部会のチョッキを着用し、会場設営、案内業務、受付業務などを行いました。そして午前10時から始まりました。
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 室崎益輝地区防災計画学会会長が挨拶されました。
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「幕末維新時の1854年の安政地震が起きました。坂本龍馬もその中でどう生き抜いたのでしょうか。いよいよ地区防災計画も量から質への時代となりました。今日は高知の黒潮町と高知市下知地区での地区防災計画の状況を報告していただきます。」

 続いて高知県庁危機管理部長の酒井浩一氏は「地区防災計画は住民の防災力の向上に繋がります。」と歓迎の挨拶をされました。
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 午前10時20分から14時55分までは、35人の学識者によル個人報告が行われました。そして15時10分から16時20分までは黒潮町と高知市下知地区の住民参加の現状のトーク・セッションが行われました。
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 16時30分から17時40分までは「地区防災計画の現状と課題」と言うテーマで5人の学識者によるシンポジウムが起こなわれました。後各種報告があり18時15分までみっちりの内容でした。

 内容については後日報告します。なんだか40数年前の大学時代を思い出しました。こんなに勉強したことは久しぶりです。

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2018.03.03

個人消費増大は羽生結弦のおかげ?

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 高知市で今日発売の週刊現代3月10日号の記事「さあ、大変!妻が羽生くんの追っかけになりました」(P150~153)には仰天しました。

 「観戦ツアーは4日で90万円」「プーさんぬいぐるみ5000円、応援行脚で年間3000万円。いくら遣えば気が済むのか」「なかなか注意できない」「今度は娘までハマりだした」という見出しは、奥さんが羽生選手の熱烈なファンになり、TV観戦に飽き足らず「追っかけ」になり行動するさまを嘆いているご主人の声です。

 平昌五輪の男子フィギア・スケートの羽生結弦選手の演技終了後にリンクに投げ込まれた熊のプーさん人間は1つが5000円もするとは驚きでした。記事に寄りますとプーさんのぬいぐるみはディズニーの公式ストアで5000円前後で売られているとか。
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 投げ込まれたぬいぐるみの数は何百とありましたから。其れだけでも凄い。ファンと思われる人のツイーターにはこう書かれています。

「羽生くんは毎回リンクに投げ込まれる大量のプーさん達を全国のスケートクラブの子供達や児童養護施設の子供達にプレゼントしてると知りまたもや泣いております(´???ρ???`)羽生くんは人間ではなく天使なのですね(´???ρ???`)(震)今まで人間だと思っていましたごめんなさい(´???ρ???`)
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 以前韓流スターのぺ・ヨンジュンのファンであると言う女性の自宅に行ったことがありました。家じゅう、部屋中がグッズで溢れかえっていました。国内や韓国でのイベントにも可能な限り参加し、グッズを購入するとか。壁は写真だらけで食器も座布団まで顔顔顔。目が回りそうでした。

 羽生選手はまだ若い(23歳)だし、怪我で引退でもしない限りブームは後4年(2022年北京冬季五輪)までは続きますね。

 記事はこう結ばれています。

「かくして「ゆずリスト妻」たちは日に日に増えていく。家庭も家計も溶かしてしまう羽生結弦は、やはりスゴすぎる。」(P153)

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2018.03.02

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 2018年3月2日ですが、週末でせわしく、母(92歳)のはりまや橋サロンの後に市役所の支所へ行き、それから父(98歳)の面会に行きました。

 父は相変わらず両手にグローブをはめていました。ちょうどPTの人がおられましたので様子を聞きました。
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「リハビリは月曜から金曜日まで(土日は休み)で20分程度やっています。お座り訓練と歩行訓練です。少し歩くとしんどいと言われます。」とのことでした。寝たきり状態ばかりですので身体能力が落ちているんでしょう。仕方がありません。

 父には精一杯リハビリ頑張れ、弱音を吐くなと言いました。
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 帰り際に相談員の人と話をしました。ある病院と父の転院についての具体的な話をしているそうです。リハビリ病棟は今の状態では無理とか。療養型リハビリ病棟は空きがないそうです。依然としてキャンセル待ちは続いていますね。とのことでした。

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母ははりまや橋サロンへ行きました。


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 2018年3月2日ですが、母(92歳)は、はりまや橋サロンへ行きました。お天気でしたので手押しの歩行補助車で行きました。コロッケ屋さんは生憎売り切れ状態でしたので、帰りに寄りました。

 谷ひろ子さんのお店で焼き菓子とチョコケーキを買いました。そしてはりまやシュー(シュークリーム)とコーヒーを谷ひろこさんに依頼し、母とお茶をしました。
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 今日の活き活き100歳体操は、9人の参加者でした。母は先週はインフルエンザでお休みしましたが、今週水曜日・木曜日とディ・サービスでも復帰しましたので。元気でやっていました。
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 横田政道さんが立ち寄られコーヒーをご馳走になりました。

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2月28日の五台山市民農園


 今週の土曜日は「地区防災計画学会・高知大会」の手伝いの準備などがあり早朝から出掛けるため(母のディサービスの準備もあり)行けないので、水曜日の作業日に参加しました。
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 三石の五台山農協婦人部の朝の良心市は今朝は1軒しか出ていません。そちらで大根とニンジンとキャベツを買いました。帰り際にもう1軒でていてミニトマトを買いました。

 今日はジャガイモを植えました。横田政道さんによれば2種類あるそうです。畑の場所を替え植えました。20センチぐらい掘ればいいと言われましたが、土が硬く10センチぐらいしか惚れませんでした。培養土を被せました。
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 「避難小屋」の基礎工事も少しづつ出来上がりつつありますね。
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 随分夜明けが早くなり今朝は暖かかったです。事務所の温度は11度で実度は53%です。PC上の蛍光灯も最初から点灯しましたから。

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2018.03.01

父・日赤・301


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 2018年3月1日ですが、父(98歳)が日赤へ入院して42日目になりました。依然として転院のめどはありません。
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 今日はバスタオルが出ていましたので、父に聞きますと、体を洗ったそうです。一般病棟に移って1カ月になりました。リハビリは短時間なので「寝たきり」生活が続いています。
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46年前の出来事ですが未だに悔しい

 3月1日は高知県では県立高校の卒業式です。46年前の1972年にわたしは高校を卒業できませんでした。成績不良であり出席日数も足りませんでしたので当然です。わたしの責任です。

 当時の担任教師は自宅へやって来ては執拗に自主退学を勧めました。当時5人卒業できませんでした。話し合いをするとうち2人は転校しました。1人は自衛隊へ入隊。もう1人は「俺は松下幸之助になる」といって退学しました。

 私だけが1人留年し、1学年下の連中と1年間3年生をすることになりました。当時の高校は(今はどうだか知りませんが)、僅か1単位足りなくても「原級留置」と言い、全部の教科を再履修しなければなりませんでした。

 担任教師が、出席日数もクリアし、テストでも落第点を取らず卒業するのは無理であると思ったのは職業から当然でしょう。あまり執拗に自主退学を勧めるので、最期は母も激怒し、「息子を留年させ、卒業させ、大学進学させます。」と言いました。

 担任教師は「それは絶対に無理です。私が保障します。」と言い放ちました。そして春休みの間高校側からは留年するとの意思を担任教師に言っているにも関わらず何も連絡はありませんでした。

 4月の登校日。職員室へ行くと「お前は何しに来た!」と教師たちが言うから「留年しに来たんだ。何の連絡もないから。」と言いました。臨時職員会議をするから校長室で待ちよれと言われました。

 ようやくクラスが決まり1学年下の連中と一緒に授業を今度は真面目に受けました。教科書も制服も体操服も変更になっていました。教科書だけはないと困るので購入しましたが、体操服や制服は購入しませんでした。連絡しない学校側が悪いのですから。それで1年間通しました。

 10月頃になって母の友人の息子さんがある国立大学の医大生でしたが、なぜか高知に居ました。その人に英語の勉強の仕方を教わりました。

「お前はとにかく英語はダメだ。時間がない英作文は丸暗記しろ。英文読解は配点が大きいからきちんとした文章を書くように」とつけ刃的なご指導を受けました。にわか勉強をしました。そしたら15点しか模試で取れなかった英語が、50点ぐらいとれるようになりました。

 2月になりいくつか私立大学の文系学部を受験し、大学へ合格しました。高校教師は「奇跡だ」とか言っていました。大学は合格したものの高校の単位を取るのに苦労しました。前年と逆に1単位差で卒業することができました。

 けったくそ悪いので1973年3月1日の卒業式には行かないでおこうと思い中学時代の恩師の先生宅へ行って相談していました。ご主人が「そういわずに卒業式は行けよ」と言われ自転車で高校まで送ってくれました。行くだけ行って式が終わればすぐに帰りました。

 456年経過しても未だに「けったくそ悪い」苦い思い出です。

 よく高校時代の同窓会なんかやっている人達がおられます。わたしにはそれはありませんし、拒否しています。2人の子供たちも県立高校を卒業しました。わたしの高校時代に関わりの合った教師はその高校へ赴任してきませんでした。良かったです。

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