« 2018年4月 | トップページ | 2018年6月 »

2018年5月

2018.05.31

下知C・C運営員会総会・懇親会


DSCN0380_R
 2018年5月30日ですが、高知プリンスホテルにて、18時から「下知コミュニティ・センター運営委員会(坂本茂雄・会長)の平成30年度の総会と懇親会が行われました。
DSCN0383_R

 総会は下知地域の各団体の代表者やメンバーが一堂に参集しました。坂本茂雄会長の挨拶の後、総会の審議は国見俊介下知地域内連携協議会会長が議長を務め、平成29年度の事業計画と決算報告が、下坂速人センター長からなされ、審議の上採択されました。
DSCN0384_R
 平成30年度の事業計画案も予算案も採択され、無事に終了しました。

 引き続いて懇親会も行われました。和気あいあいと懇親をしていました。
DSCN0385_RDSCN0387_RDSCN0389_R

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.30

高知市防災士会総会は6月28日招集予定

 先日所用があり高知市災害対策部を訪問していました。防災政策課にも立ち寄りました。職員の皆さんと意見交換しました。高知市防災士会連絡協議会の行く末の事もあり突っ込んだ話をしました。

 現在の時点で判明したことをお伝えします。

1)6月28日(木曜日)に総会を開催します。また流会になれば空中分解するので、文書の発送と返信用はがきも同封し、また防災士会役員が個別にお電話して出席要請をするとか。

2)会費を支払いながら前回総会の案内が未着の者がいました。きちんと名簿管理と発送のチェックは事務局(防災政策課)でシビアにやってほしいとお願いしました。。

3)現会長は、東京へ活動の拠点を移すので、退任の意向があるやに聞いています。新会長を選任しないといけないことになりそうです。あくまで総会が成立すればの話です

4)たとえ本年度事業予算がなくても、自主防災会連絡協議会と連携して講演会の共同開催をすればいい話です。やりようはいくらでもあります。

 ということでした。いずれにしても総会が成立するのかどうかでしょう。成立しなければ分解しますから。

 防災士会に属する有志の何人かに聞いてみました。

「地域に戻り、地域に根付いて防災士会は再構築すべき。現状は何の魅力もないので退会したいと思う。地域で防災士が数10人いるのでそちらで活動したいと思っています。」

「学生たちから会費を徴収するという案は愚作。その案が総会で可決されたら退会したい。」

「会費を支払っているのに総会の案内状が来なかった。杜撰な会なので退会したいと思う。」

 志のある防災士の有志の何人かは退会し、地域で活動するという人が多いようです。どうしようか思案中です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.29

YASU海の駅クラブ総会・懇親会

DSCN0353_R
 2018年5月27日(日曜)は午後4時にNTT東局発の送迎バスに乗り会場の海辺の果樹園へ向かいました。NPO法人YASU海の駅クラブ(丸岡克典理事長)の平成30年度の総会と懇親会へ行きました。
DSCN0355_R
 前日の「海の散帆」に続き2日連続での夜須でした。総会では異論はなく前年度事業報告と決算報告が承認されました。今年度の事業報告と決算報告が承認されました。
DSCN0361_R
 続いて懇親会。総会の時より人数が多くなっています。いろんな人たちとお話ができました。海にまつわる利害のない関係性はとてもいいですね。久しくお会いしていない人たちとの交流もまたいいものです。
DSCN0362_R
DSCN0368_R

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.28

下水処理と街の縮小計画での事前復興計画

DSCN0348_R
 2018年5月26日(土曜日)は、高知市はりまや橋小学校コミュニティ・ホールにて「村山和彦氏講演会」(主催北街・南街防災実行委員会)に参加しました。30人参加者がいました。講演会の様子は既に溝渕栄子さんや高木妙さんのFBにアップされています。
DSCN0350_R
 私は当日「海の散帆」堪能していましたので、会場へ到着した時は既に講演会は始まっていました。村山和彦さんは、一級建築士であり、都市計画に詳しく、千葉では「地域通貨ピーナツ」の運営や、東日本大震災後南三陸町の復興計画にも関与されていました。

 講演で印象に残った言葉を記述してみます。

「高知市の防災地図で色つきの場所は、大半が市街化された地域。13万人の高知市民がそこで暮らしている。想定される南海地震では海抜0メートルの地域はマイナス2メートルになります。

 津波は30分で第1波が到達されると言われていますが、その前に用水路や下水路から汚水が市街地に吹き出し浸水する可能性が高いです。」

「被害想定やその過酷な状況からどうやって命を守るのかは、地元の防災会や行政の防災担当部署の問題です。わたしはその後の街の復旧・復興について。都市計画の専門家の立場から発言したいと思っています。」

「それは下水処理の問題です。高知市は広域排水処理の考えかたで下水処理を行っております。下知や潮江地区の海抜0メートルの地域に下水処理場があります。下知や潮江周辺の下水処理ばかりでなく、周辺市街地の下水全てを処理します。
高知市浸水予想図
 南海地震で地盤が沈下しますと0メートルがマイナス2メートルになるので、より負荷のかかる労力のかかる排水しないといけないです。電力消費がすごくなります。東京都の電力負担が1番大きいのは、銀座付近を走る東京で1番古い地下鉄の構内の排水を汲み上げ排水するための電氣消費雄量が凄いのです。

 南海地震後高知市は電気料負担が出来ない可能性があります。」

「釧路地震の後下水処理場が被害を受け浄化した下水を釧路湿原に流せなくなりました。釧路市は湿原のタンチョウ鶴(特別天然記念物)を守るために、下水道処理場の修理が完成されるまで。市内の上水道の給水を停止しました。

 高知市でもそうしないといけない事態になります。」

「なぎさ線(海抜0メートル)が、南海地震後は上町あたりになります。海抜の高い浸水していないしない地域の下水は今は全て下知潮江の下水処理場へつないでいます。それではもたない。

 私に提案はなぎさ線の地域に下水処理場を3つぐらい事前に建設し、海抜の高い地域の下水は下知と分断して流すということです。それをすれば高知市の復旧・復興は早くなります。」

 村山さんは「事前復興計画」のなかで、ぜひとも実行すべき課題として挙げられました。当日講演では村山さんは言われませんでしたが、「浸水区域を仕切りをして、1升づつ排水すればいち早くドライエリアが出来る筈です。」とも言われていました。

 これは船舶の「隔壁」のような構造を浸水想定地区につくるという発想です。船舶の場合、船体が万が1破損しても隔壁があり、止水扉で遮断すればそれ以上浸水しない構造になっています。その応用編です。ユニークですが有益な発想であると感心しました。

 また後半時間がありませんでしたが、大事な観点を村山さんは言われました。

「2040年の高知市の人口は20万人になります。つまり現在32万人の高知市の人口から浸水地域の市街地の人口13万人を差し引きますと20万人になりますね。

 ですので南海地震後は20万規模の都市づくりをして再興すべきなんです。」

「つまり今より3分の1街を縮小して再興・再生プランを出すべきなんですね。」と言われました。

 この観点はとても重要。高知県は毎年7000人づつ人口減少しています。高知市でも2000人ずつ減少しています。

 かつて東日本大震災後に東北の被災地各所では「創造的復興」という言葉が使用され、人口減少にの時代により人口増の復興計画が立案されました。盛り土や高台整備の計画が実行されましたが、工事に予想以上の時間がかかり、非難している場所で生活の場を作った被災者の多くは元の場所に戻らない傾向が顕著です。

 南海地震が起きていない今こそ、高知市民は「下水道整備」問題と、「市街地3分の1縮小問題」を冷静に議論すべきではないかと考えます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.27

書くことが「自由」な発想を獲得するための手段だ

 父が愛読していた「週刊現代」。父が亡くなった後も、私が購読しています。理由は談合記者クラブに所属していない「野良犬メディア」であること。発行者が講談社であるので、初老の人向けの「少年マガジン」であると思います。

 週刊現代6月2日号の佐藤優氏のコラム「名著。再び」P116の文面には感心しました。表題は「書くことの鍛錬こそが複雑な現代社会で 自由になるための方法だ」です。
書評であり「小論文書き方と考え方」(大堀精一・著・講談社2018年刊)を評論しています。いくつか引用してみます。

「この本が優れているのは、小論文の対象を拡散させずに、大学入試1本に絞り込んだことだ。大学入試の小論文では、高度な専門知識は必要とされないが、高校の教科書レベルの知識を総合し、表現する能力が問われているからだ。

 これはビジネスパーソンで必要とされる能力とかさなるところが大きい。」(P116)

「皆さんはそれぞれに心の中で思っていることがありますよね。でもそれを人の前で抵抗感なく言える人はいますか。尋ねられて目をおよかせたり、うつむき加減になったり、生真面目な表情になったりする生徒たち。でもそれは自然な反応なのだ。

 思っていることを抵抗なく言えると胸を張れる人などほとんどいない。自分が思うことと、それを口に出すことはイコールでもないし、連続もしていないのだ。

  (中略)
 
 もちろん、それを人にうまく伝えられたほうがいいけれど、感動が深い程、表すのは難しいというのはよくあることだ。「筆舌に尽くしがたい」という言葉もある。」(P117)

 書くことの意味合いを明確に以下のように定義しています。

「思ったことをうまく口に出せないという「感じ」が本書の始まりだった。その違和感から出発して「書く」ことは論理的思考を呼び寄せ、その思考こそが「書く」にふさわしい言葉、普遍性のある言葉を探し当てる。

 その先で私たちが出合うのは自分の世界がひとまわり広くて多様なものになっていく感じだ。その「感じ」の事を、私たちは「自由」と言う言葉で呼ぶ。

 違和感から出発して「書く」ことの先で私たちが出あうのは。この「自由」なのである。」(P117)

 私などは、毎日「だらだら」と雑文を書いては、FBやブログに「投稿」しています。社会の出来事や、日々流されている毎日の生活記録や、地域活動の記録を書いているの過ぎません。今日の出来事を今日書いておかないと、明日はまた別の出来事があるので、忘れてしまうので。ひたすら書いています。私には佐藤氏が記述いるような、「書くことで思索する」などの高尚なことはありません。記録の意味合いが強いです。最大の読者は自分であり、あの時こんな出来事があったんだと、振り返りの時役立つ程度です。

 IT時代、情報化社会である現代社会では「書く」ことがとても大事であると言います。

「言語の指示機能とは、生活の上で他人との交通の必要性がうまれたために使われる機能を指している。グローバル化とIT化が進み、生産過程が高度に複雑化していく現代社会において、そこで使われている言葉は「機能化と能率化の度合いを益々深めていく」。

 その一方で語彙は多様化しながら、それぞれに「単一の明晰さを求められる。」私たちの使う言葉は曖昧さが許されず、同調圧力は高まって、「じぶんがこころの奥底にもっている思いは、とうてい言葉であらわせないという感じはつよくなっていく。」のである。」

「現代は、たくさんの言葉が行き交っているように見えながら、じつは「みんなもそう言っている」と思える範囲の事しか語りえないような、息苦しさにとらわれた時代なのだ。」

「同調圧力の強い時代に内心の自由を確保するためには書く作業が不可欠なのである。小論文いこだわる必要はない。大学ノートや手帳、あるいはスマートフォンやタブレットのメモ機能を用いて書く作業を日常的に行うことで、われわれの知力は強化される。」

「同時に必要なのは㎡各作業に素直さが要求されることだ。大堀氏は、書く過程での倫理的思考は、現実への単なる拒絶や立場の異なる者への攻撃、糾弾を意味していない。

 論理と言う言葉の硬く冷たいイメージと裏腹に、論理的思考がやわらかい言葉を研ぎだすことが、むしろ重要なのだ。と強調する。」(P117)

あらかじめ相手を罵倒し、こきおろすだけのための文章などがあります。そんな文章をいくら読んだところで知力は高まらないと筆者はいいます。「ポジショントーク」ということらしいですが、いくら読んでも知力は高まらないそうですので。

 さて私は毎日いくばくかの文章を仕事でも個人でも書いています。さて「知力:」は少し向上したのであろうか?自信はないですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.26

2週間ぶりの海の散帆


DSCN0309_R
 2週前の12日に父(98歳11月)は,海の散帆の最中に逝きました。前日まで元気で回復の兆しが出てきただけに見事な最期でした。今朝は早朝は五台山市民農園へ行き雑草引きの作業。朝食後は母(92歳)をディサービスの送迎に送り出し、家内の許可を得て夜須へ行きました。

 ハーバーへ着きますと高知大学ヨット部やジュニア・ヨットクラブが既にぎ装し、出艇中でした。慎重にぎ装し海へ出ました、どん曇りで風は弱く、うねりがあり帆走コンディションは良くありませんでした。それでも海へ出ると癒されます。
DSCN0318_R
DSCN0316_R
 午前中は「船酔い」気味になりました。ランチは訪のおむすびと卵焼きでした。少し風が出て来ましたので昼食後すぐに海へ出ました。しかしうねりも強くなり、ローリング気味になりました。快適な帆走ではありません。
DSCN0332_R
 1時間ぐらい頑張りましたが諦めて着艇しました。ハーバーでは海の駅クラブ事務局員さんが、試験用のドローン(無人機)のテスト飛行をしていました。なかなかコントロールはッ難しげでした。地上へ落下しても壊れないようです。
DSCN0341_R
 またヨットの修繕も依頼しました。穴が空いていて「水船」になるからです。修繕できれば軽くなれば最高です。片づけた後はアイスバー。マナマナへ行きました。今日は抹茶アイスを食べました。
DSCN0343_R
 お蔭で癒されました。父と家族に感謝です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

どん曇りの朝です


DSCN0294_R
 2018年5月26日(土曜日)ですが、2週間ぶりに五台山市民農園に行くことに。途中三石の五台山農協婦人部でブロッコリーを購入しました。
DSCN0294_RDSCN0293_R
 雑草引きをしました。自分が植えているのはタイモとジャガイモ。その周りの雑草をこまめに引き抜きます。
DSCN0302_R
 大崎修二さんからジャガイモを分けていただきました。原池さんからも紫蘇をいただきました。吉本豊明さんが久しぶりの参加です。福谷さんと横田農園長も参加しています。
DSCN0300_R
 天気図では来週あたりに南に下がっている梅雨前線が上がってくるでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「独自の防災計画」と読売新聞報道


読売新聞・高知版523_NEW_R
 2018年5月23日の讀賣新聞26面地域面・高知版に「下知地区 独自の防災計画」「高知 南海トラフ被害備え」で高知支局の吉田清均記者が記事を書かれていました。

「被災後のまちづくりの優先順位などをあらかじめ決めておく「事前復興計画」の考え方も盛り込み、「生活や雇用などの相談窓口を早期に設立す準備を整える」「災害時一定期間生活ができ、平常時も使える避難所を増やす」などの項目を入れた。」と記述されています。

 現在全国各地で3000地区にて「地区防災計画」が取り組まれていますが、「事前復興計画」の概念が入れられているのは下知地区防災計画が最初となりました。内閣府の防災白書にも掲載されていますから。

 岡﨑市長は「レベルの高いすばらしい計画を作ってくれた」と話されましたが、今後の問題は、どのように実行し、市民の安心・安全を確保することができるかどうかでしょう。これからがとても大事です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.25

初夏のはりまや橋サロン


DSCN0280_R
 2018年5月25日(金)は、母(92歳)と一緒にはりまや橋サロンへ行きました。お天気でしたので、歩行補助車で母は行きました。

 谷ひろ子さんのお店で自分たちの分と、娘に送る分の焼き菓子を母は買いました。すぐに100歳体操(介護予防体操)の準備をしますので、写真を撮ることを忘れました。
DSCN0283_R
 今日は100歳体操は12人の参加がありました。日差しがきついのでテントの下に会場を設営しました。元気で体操しました。
DSCN0287_R

| | コメント (0) | トラックバック (0)

下知市街地は浮体式人工地盤で守れ


11000nenmae-futabacxhoi_R
 南海トラフ地震の被害想定で甚大な被害が出る高知市。県庁所在地で高知県唯一の都市機能が集積している高知市。想定どうりの地震が起きれば、都市機能の回復は出来ないし、人口も激減。再生は不可能です。
sima_R
 理由は高知市下知地域の南部地区は「海抜0メートル」の低地に市街地が集積していることと、東西南北河川と海に囲まれた「海抜0メートルの島」であるからです。そのなかに昭和小学校や二葉町もあります。
shimozidenteil_R
 1946年12月21日の昭和南海地震では下知地域は地盤沈下と、液状化現象で土盛り堤防が決壊し、海水が地域に流れ込みました。二か月間地域全体は浸水状態が解消されませんでした。
 
  低地故に1970年の台風10号の豪雨にて内水面氾濫で下知地域は水没しています。

 自然地形の高台もなく、他人様の4階建て以上の鉄筋ビルに地震発生後30分以内に駆け上がらないと町内の木造低層住宅(耐震性はない)に居住する下知地域の住民(多くは高齢者)は、真っ先に犠牲者になることでしょう。

 それが高知県庁も高知市役所も十分に実態を把握し、理解しているのに、ほとんど手が打たれていません。僅かに沿岸部の堤防が「耐震護岸工事」を実施していますが、その工事がすべて完成(後15年後の事)したとしても、低地の市街地である下知地域の浸水が解消になるわけではありません。

 地盤が5M隆起したわけでも、耐震地盤なったわけではないからです。

 では「災害弱者」である高齢者・障害者・乳幼児が下知地域で誰も命を失わない方法はあるのだろうか?

 それは「人工地盤を下知地域全体にこしらえること」であり、「浮体式人工地盤」であり、「耐震中高層住宅の建築」をきちんと事前復興まちづくり計画の中でやれば可能です。
DSCN4598_R_RDSCN4600_R_R
 実際の人工地盤(浮体構造物)の実物は下知地域にあります。それは堀川浮桟橋です。プレジャー・ボート用の桟橋であり、散策路にもなっています。
futagomm_R
 高知の世界企業である技研製作所のインプラント工法での堤防建設と、浮体式人工地盤を下知地域でこしらえたら、下知地域の住民は皆、浸水から逃れることができ、大きな揺れからも身を守ることができますから。
downfile1381599396_R
 浮体構造物(浮体式人工地盤)が下知を救う(ブログ記事)
 
 http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/post-9ba0.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.24

二葉町自主防災会・役員・リーダー会


DSCN0254_R
 2018年5月22日ですが、下知コミュニティ・センターにて.二葉町自主防災会(森宏・会長)の役員・リーダー会が開催されました。参加者は16人でした。少なめでした。

 森会長が挨拶されました。議題の説明は西村情報班長がしました。二葉町と7年前から地域間交流(もしもの時の疎開も含め)地域間交流をしている仁淀川町長者地区での「田植え体験」です。説明を荒木副会長がされました。
DSCN0252_R
「田植え体験、稲刈り体験、脱穀体験を行い、キャンドルナイトなどのお祭りにも参加しています。また長者のだんだんクラブさんも「昭和秋の感謝祭」へ参加してくれています。」

 また今年度の講演・研修会に昨年好評であったロープワーク講座を実施することになりました。また5年ぶりに「防災世帯調査」をおこなうことにもなりました。目的は町民の世帯の動向、とくに「災害弱者」である高齢者の把握と事前対策です。

 また今年から初めて実施されます「二葉町総合防災訓練」は、実施日時は、第1案が10月28日(日曜)、第2案が11月25日(日曜)と決まりました。毎年下知コミュニティ・センターを利用し実施している「下知地区総合防災訓練」を、二葉町単独で実施する予定です。
二葉町自主防災会・役員・リーダー会522_NEW_R
 意見交換をしましたが、先の話でもあり、昨年の様子も説明しましたが、意見交換は盛り上がりに欠けました。反省しています。次回は内容を詰めた「役員・リーダー会」にします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.23

ゲバ文字も立て看板も一種の文化遺産?


日経新聞。春秋520_NEW_R
 日本経済新聞はユニークな全国紙。経済専門の形態ですが、コラムや特集記事は他の全国紙や地方紙にはない独特の味がありますね。2018年5月20日朝刊の1面のコラム「春秋」は面白い。

「ゲバ字をご存知だろうか。」で文章は始まります。それは「ビラや立て看板に踊っていた独特の書体だ。字形は極端に角張り、闘争を斗争、万歳を万才などと略字で書き、いかにも物々しい雰囲気を伝えていた。中国の文化大革命に登場した「大字報」の影響もあったろう。」とありますね。

当時私はアホな若者であり高校生時代に負け続けていた社会運動に打ち込み卒業できず1年留年して卒業、大学へ入学したのは1973年でした。1968年をピークとする学生運動も衰退局面にありました。学費値上げ反対運動などの集会などがありました。

 サークルの案内や各グループの自己主張は、立て看板に日経新聞の言う「ゲバ文字」で書かれていました。アートな書体なんでしょう。書いていた先輩が「最近の新入りは立て看の字も書けない。デモ指揮も出来ない連中が多い。昭和30年代以降の連中はダメだね。」とか言われていました。「今は昔」のお話です。「伝統」は滅びてしまいました。

 5月には1968年のフランス5月革命がありました。日本でも大学での闘争がありました。アメリカではベトナム反戦運動が展開され、中国では文化大革命。チェコでは「プラハの春」がありました。「かつての若者」であった私も少しだけ現場の雰囲気を味わいましたが、1972年の連合赤軍事件と陰惨な内ゲバが繰り返され、新左翼の社会運動は壊滅しました。
33060358_1621261147951553_1575181480601059328_n_R
 京都大学の立て看板も風物の1つ。市当局が景観条例をたてに取り締まる方がおかしい。日経も「京都らしい場所ではないか」と嘆いています。

 価値観は多様であり、多様性を認めることが社会の活力であると思います。全体主義がはびこりますと社会の活力が衰退します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.22

母は毎朝コーヒーを入れてくれます


DSCN0194_R
 アルツハイマー型認知症と母(92歳)が認定されて今年で10年目です。にこやかに他人様と会話ができても、誰と会話したのか、何を話したのか全くわかりませんから。

 朝食時のコーヒーを入れてくれるのは母のお役目です。いつもの会話です。
DSCN0195_R
私「お婆さんコーヒーを入れてもらわんといかんけんど」

母「そんなことしたことないきに、入れん。」

私「毎日コーヒーを入れてくれているので・・、。」

 と言い、お湯を沸かすポットとコーヒーカップを母に渡しますと、「スイッチ」が入ります。コーヒーカップに2杯の水をいれます。ガスの元栓を開け、ポットを置きます。

私「お婆さんフィルター。」と言います。

母はコーヒーフィルターをドリップに被せます。

私「コーヒーをスプーンで2杯入れて」と言いますと母はスプーンで2杯分のコーヒーをフィルターで覆われたドリップの中に入れます。
DSCN0196_R
私「お婆さん グローブ」を言いますと、鍋つかみを右手に入れます。

 ポットのお湯が沸騰しますと、母は鍋つかみでポットを1度流し台の上に置きます。私が蓋抑えのためのチッシュを渡します。

 母はコーヒーの入ったドリップの上にポットの熱湯を注ぎます。すべて注ぐと役目はお終いです。
DSCN0198_R
 あくまで母の場合ですが、最初は「コーヒーを入れて」と言いますと、私は入れたことがないと拒否します。そこをやんわりと「お湯を沸かさんといかんきに」とポットとコーヒーカップを差し出しますと母にスイッチが入ります。
 
 コーヒーフィルターを出しますと、複雑に折り、ドリップに綺麗に被せます。

 母の場合の認知症はところどころ忘れています。忘れた箇所をケアしてあげれば、の残存している記憶で動き、コーヒーを入れてくれます。
DSCN0200_R
 つまり母の認知症は「断片をつなげば、昔どうりの動作は可能」であります。
 
 でも認知症は人それぞれ、個性があります。

 東京五輪の前後に母は叔母の貸店舗を借りて喫茶店を開業していたことがありましたから。それを思い出しているのかもしれないですね。50年ほど前の話です。

 写真は毎朝の光景です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.21

丸池町に津波避難施設第1号が完成


DSCN0208_R
 2018年5月20日(日曜)は絶好の好天。朝9時過ぎに丸池公民館へ行きました。丸池町自主防災会(吉本豊道・会長)の防災訓練を見学しました。午前9時半に町内放送で避難開始。緊急地震情報が流れ強い揺れの告知。3分後に高知市に大津波警報が発令されました。丸池町には30分以内に津波の第1波が到達します。
DSCN0211_R
 めいめいに自宅から徒歩で避難します。今回の避難コースは丸池町内を一旦幹線道路まで出ます。セブンイレブンとコスモスの間の道路を歩行し勤労者交流館へ避難する訓練をしました。自宅から徒歩で何分で到達するのか。皆それぞれに見極めています。、
DSCN0219_R
 丸池町と東弥生町住民は自宅から出発し、丸池町内にこのほど完成した勤労者交流館屋上への外階段下への避難訓練です。階段下で受付を済ましたら、外付け階段を昇降しました。早い人で自宅から8分。遅い人で20分かかったそうです。
 DSCN0222_R
 さっそく外つけ階段を皆黙々と登ります・階段1段の高さは13センチ以下のように思いました。とても楽でした。(うちの自宅は23センチですから全然昇降は楽です。)
DSCN0224_R
 この施設は天井が高い。RC2階建てですが、屋上の高さが9メートルあります。低地で低層住宅ばかりの丸池町に津波避難ビル第1号が完成しました。階段を丸池町住民の後をついて登りました。

 意外に広い。室外機などの機器類は金網に囲われていますし、3Mぐらいの高さのフェンスがありますので、屋上からの転落予防措置もしています。
DSCN0231_R
 高知市の年度末予算を活用して外階段とフェンスを取り付けました。地元市議の高木妙さんが奔走し、平成29年度の高知市予算から工面し完成しました。
DSCN0233_RDSCN0237_R
 屋上見学後、吉本豊道丸池町自主防災会長の挨拶、坂本茂雄下知地区減災連絡会事務局量の挨拶、高木妙高知市議の挨拶、中山瑞穂高知市地域防災推進課(下知担当)からも挨拶がありました。

 総勢60人で丸池町に完成した津波避難施設を確認した事でした。ただ残念なのは多くの町民が参加されているのに丸池町内会の会長以下の役員の姿がありませんでした。こうした協働事業には次回から参加しないといけないでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.20

市長と一緒に取り組む下知地区防災計画


下知地区防災計画・記事518_NEW_R
 2018年5月18日(金)の高知新聞21面の海路佳孝記者の署名入りの「べた記事」は大変大きな意義があると思いました。

「住民策定の防災計画提案」「高知市下知 市長「一緒に取り組む」と見出しにあるからです。上意下達式の地域防災計画が、住民と基礎自治体職員が真摯に議論し、意見交換してつくりあげた下知地区防災計画を真摯に真剣に検討すると明言されました。

「岡﨑市長は、今後開く市防災会議に諮ったうえで、下知の計画を市地域防災計画に位置付けたいと表明。「計画をいかに住民1人1人に意識してもらうかが大事」と話した。」とあるからです。

「下知の計画は被災後に早期復旧。復興を進めるため。日頃から「共助」の関係作りを進める「事前復興計画」を盛り込んだのが特徴。

 内閣府のモデル地区44カ所のうち、事前防災の観点を取り入れたのは下知地区が初めて」であります。この社会的意義はとても大きい。
 
  今回の市長への提案は、岡﨑誠也高知市長と、高木妙市議会議長も同席しています。市長と市議会は「市政の車の両輪」です。市民の代表者である市長と市議会が真摯に真剣に今こそ真摯に南海地震対策に取り組む指針として「下知地区防災計画」「事前復興まちづくり計画」が最大活用されることを、下知地域住民として強く要望したいです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.19

父・吉正を偲ぶ


DSCN0170_R
 父が亡くなって1週間が経過しました。仏教用語では「初七日」と言うそうです。葬儀の時に僧侶に「初七日の法要」も一緒にお願いしましたが、改めて現在社会ではそうしないと無理であることが、当事者になって初めてわかりました。娘は昨夜帰りました。

 月曜は通夜、火曜は葬儀。水木金は父の「死亡届」をいの町役場町民課へだし、後に年金事務所へ行きました。法務局と税務署の手続きは来週以降です。せわしいし、役場の対応には爆発寸前です。

 従来FBやブログには「父・日赤・ICU]とか「父・いずみの」とかいう入院経過の報告や、在宅介護の様子もその都度記録のために書いていました。「初七日」でもあり、父の略歴や死因なども書いてみたいと思います。

 父の病歴と死因について

 若い時代に結核で長期の療養生活した以外は、よくお酒を飲んでいましたが、病気らしい病気はしませんでした。父は小柄でしたが元気者でした。(結核は戦前の日本では死亡率1位の国民病。亡くなる人が多い中で生きのびました。)

 10年前の2008年9月8日、89歳の時に前日に自分で車を運転して錦山CCにて1ラウンドゴルフをし、翌日昼食時に倒れ近森病院へ緊急搬送されました。脳血管障害が疑われていましたが、血管に損傷はなく原因がしばらくわかりませんでした。

 腎臓に大きな負担を与える造影剤の使用が打診され家族として許可しました。硬膜動静脈ろうという脳の静脈の異常が発見、開頭手術で無事に除去され、身体麻痺もなく無事に退院できました。しかし腎臓に大きな負担がかかり慢性腎不全になりました。

 主治医の横田哲夫先生から、腎臓専門医の植田一穂(いっすい)先生をご紹介され、透析治療することなく在宅療法で頑張っていました。「減タンパク食」、「適度な運動「点滴治療」でした。週に5回介護予防通所リハビリに行き、週に1度はゴルフ練習場へ行き、125発のボールをゆっくり打っていました。(最後に行ったのは昨年の10月28日でした。)
titi930-golf
 今年の1月19日に植田医院へ行きました。利尿剤が利かなくなり植田一穂先生の連絡で高知日赤病院に緊急入院しました。緊急透析を2回行いました。70日間入院して。3月29日にいずみの病院に入院しました。腎臓治療を見守りながらリハビリに力をいれていただきました。

 父が亡くなる前日に昼食前にリハビリをして覚醒した後に、入浴した後にゼリー食を自分でスプーンで食べていました。また明日海の帰りに来ると言って父と別れました。亡くなった当日は上天気でしたので、私は朝から夜須の海でセーリングをしていました。その間に危篤状態になっていたようです。防水仕様の携帯電話は海の上にも持参していましたが、風が案外強く着信音は聞こえませんでした。海から上がって携帯を見るとたくさん着信記録がありました。片付け(1時間程度かかります。)て自宅へ戻り家内と母と駆け付けた時(午後3時には、父は亡くなって冷たくなっていました。死亡時刻は13時25分。死因は老衰でした。

 当日父は私に心配をかけず海で遊ばせてくれたのです。父に感謝しています。今思えば父は10年前に亡くなっていた可能性が大でした。仕事こそできませんでしたが、私たちを毎日見守っていただきました。父には感謝しかありません。

父・西村吉正の略歴

大正8年(1919年)6月24日、現在のいの町大内(おうち)で8人兄弟の2男として生まれる。旧制高知工業土木課を卒業後、朝鮮総督府に鉄道技師として勤務。測量の仕事をしていました。

 程なく徴兵され、朝倉44連隊に入隊。訓練中に結核を発症。除隊し自宅療養しました。結核は当時「不治の病」とされていましたが、父は我慢強く静養し完治しました。
 完治したところで2度目の招集を受けました。運よく幹部候補生試験に合格し、内地で訓練している最中に終戦となりました。(落ちた人たちは沖縄戦に動員され殆どが戦死したと聞いています。)

 終戦後に高知県庁土木部に勤務し、神田川改修工事などを担当していたそうです。ある人の紹介で南国パルプ工業へ入社、製紙会社の営業職として長年勤務しました。その間春子と結婚しました。測量技師と言うキャリアを捨て、製紙会社の営業職として1からキャリアを積んでいきました。

 昭和41年、48歳の時に株式会社エヌシー商会を創業しました。当時は55歳定年の時代ですから思い切った決断でした。それから50年。会社は大きくなりませんでしたが、小さくても維持してきました。

 若い頃は身勝手な私でしたが、2011年9月からの父の在宅介護を7年間したおかげで、他人を思いやる心が自然に芽生え、お困りの高齢者がいたら見知らぬ人でも駆け寄り声がけし、体が自然に動き手助けができるようになりました。介護状態になっても人間の生き方あるべき姿を教えていただいた父に感謝しています。

病人でも介護状態でも、人を導くことができる
yoshimasa93saijoyriha1
 慢性腎不全で身体機能が衰えて来始めたのは2011年頃。介護認定を受けました。そして最初は週に1度、介護予防通所リハビリ施設へ行くようになりました。やがて2回になり、3回、週に5回通所し、週に1度は父の大好きなゴルフ練習場へ連れて行きました。
titikintore3027_r
ステージ4でしたが、透析をすることなく在宅療法「減タンパク食」「適度な運動」「水分補給」「点滴治療」で植田医院で8年間治療を行い頑張って来ました。

 元気な父でしたが、昨年11月頃から少し歩くと息切れ状態になり、心不全と言われるようになり、自宅での階段生活がきつそうでした。

 父の歩行介助や、排泄介助、入浴介助もしました。介護体験は貴重です。やることで人としての思いやりが出来るからです。していなかったら「身勝手な人間」で終わっていたでしょう。政治家や高級官僚は、国民の「道徳教育」などと偉そうな事をのたまっていますが、介護体験をしたころがないからアホーな事を言っているのです。

 2011年9月から6年8カ月の父の介護でした。いろんなことを学びました。父に感謝です。医療関係者や介護関係者の皆さんにも感謝以外ありません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

あっという間の1週間でした

 父(98歳11か月)が死去したのが先週の土曜日。海の散帆の最中でのこと。そのまま病院から葬儀会館へ夫と一緒に移動。土日は同じ部屋で寝ました。子供たちも集合し土日は父を交えての懇談会。これが1番良かったです。

 月曜日はお通夜。火曜日は葬儀。火葬場へ。水曜と木曜は父の死亡届でいの町役場へ行きました。半日がつぶれました。金曜日は予約して年金事務所へ。役所関係は法務局と税務署が残っています。とても面倒です。
DSCN0192_R
 大騒ぎした「マイナーバー」とやらは役所で使用することはなかった。「死亡届」を役場へ出せば、後は全ての手続きが出来るようにすべきだろうに。AI(人工知能)で役場職員(とくに町民課)などはすべて代行できるのではないか。そうすれば今回のようなミスもいないはず。「日本は遅れている」と中国人に馬鹿にされるはずです。

 昨日の金曜日、母(92歳)を連れて、はりまや橋商店街サロンへ行きました。娘は当日夜行バスで帰ると言うので土産を買うので一緒に行きました。いつも駐車bできるコインパーキングが満杯。はりまや橋地下パーキングへ行きましたが満杯状態。高知橋付近しか空きがない状態でした。

 しかも方向を間違え反対方向へ歩きました、ようやく気が付いて歩きましたら、母(92歳)がへばってしまいました。はりまや橋商店街へ到着したら母はへばっていましたので100歳体操はしないことに。
DSCN0189_R
 谷ひろ子さんのお店でコーヒーとチョコケーキを食べました。ひと休みして帰ることにしました。駐車場まで行かず、小谷陶器店前で娘と2人で待ってもらうことにしました。思えば初めからそうすれば母は100歳体操ができました。

 役所関係の届け出の煩雑さといい加減さで、冷静さにかけた私の責任です。母は元気です。娘は昨夜はりまや橋バス停から夜行バスで帰りました。
 
  自宅へもどりいの町役場町民課の応対のいい加減さを思いだし「瞬間湯沸かし器」状態に。いつまでも自爆し続けるので家内が呆れ、さっさと寝てしまい放置されていました。」
 
 一晩寝て落ち着きました。今朝は朝8時過ぎに事務所の気温は25度を超え、湿度は61%。風が強い。寒冷前線が通過し、「西高東低」型の気圧配置なので風が強いでしょう。「海の散帆:へ行きたいところですが、雑務がたくさんあり、仕事もたまっていますので今週末はおとなしくしています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

葬儀関係より死亡後の手続きが大変


死後の手続き_NEW_R
 2018年5月12日に父(98歳11月)の葬儀は無事終了。火葬場での父の骨拾いで葬儀関係はすべて行事は終了しました。葬儀屋というプロが介在していますので、経済的な心配はありますが、心労はありませんでした。

 むしろ大変であったのは「死亡届」を役所へ出し、名義の変更手続きでした。父はいの町の住民。いの町役場へ行き手続きしました。16日と17日の午前中がつぶれました。父の名前と母の名前を何10回も書きました。印鑑も押しました。委任状と言うこと9で私の名前も何10回も書きました。

 役場の手続きだけで8か所ありました。18日(金)は予約したうえで高知東年金事務所へ行きました。手続きの煩雑な事。要は父の年金を母が遺族年金として受給するということだけの事ですが、何度説明を聞いても理解できませんでした。難しい。

 2時間かかって説明を受け何とか書類を指示どうり作成(名前を書くだけでしたが。)しました。

 役場でいただいた所得証明書は死亡した父のものであり、支給者になる母の証明書が必要でした。役場のミズです。冷静に考えたら私も間違いに気付くべきでした。

 もっとも役場で頂いたチェック表には厚生年金の手続きの事は何も書いていないので、役場の職員も理解していなかったと思われます。年金事務所からいの町役場の町民課へ電話しましたが要領を得ません。昨日応対した職員が誰なのか確認しなかった私がアホでした。

 電話に出た職員お名前を聞き出し「今から行くまで帰るな。まちよれよ!!」と言いました。役場の職員と話しているうちに腹が立ってきました。こちらが電話しているのに掛け直すこともしない。平気で何分も待たせて気のない返事。絶対に今後は許さんと思いました。

 見かねた年金事務所の人が電話近くへ来られ、変ってくれました。FAXで申請書を送付してもらい、後日母の所得承継所を年金事務所へ送ってくれることで決着しました。

 年金事務所の応対は100点。いの町役場町民課の応対は20点で赤点です。地方公務員も最近はレベルが向上しているものであると「油断」し信用した私が馬鹿でした。
 
 今後公務員と応対する場合は必ず所属部署と名前を聞き出し名刺交換します。そうしないと「時間ドロボー」を役場にされますから。追いかけてきて「固定資産税を来年に払ってほしい:」と署名させや職員の厚かましさは絶対に許せません。相続もまだきまっていないのに。わたしの人好しに付け込まれました。知識がなければ馬鹿にされた実例でした。
DSCN0192_R
 年金事務所で2時間応対された職員は最後に名刺を頂きました。ご不明な点があればいつでも連絡下さいと言ってくれました。天地の差でした。

 「民主党政権時代に長妻さんが厚生労働大臣をされた時に、年金制度改革のなかで、1人1人の職員が名札だけでなく、来訪者に名刺を出し応待せよとの命令を出されたからです。」と言われました。民主党政権も「いいことも」されたんだと感心しました。
 
 公務員労組の言いなりになってろくでもないと思っていましたが、いいこともやってました。キャリアの官僚のいい加減さは酷いものですが、地方公務員の「いい加減さ」を今回思い知らされ、同時に自分の馬鹿さ加減と人好しさを反省しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.18

下知地区防災計画を高知市長に提出


DSCN0176_R
 2018年5月17日ですが、高知市役所本町庁舎3階特別応接室にて「下知地区防災計画を高知市長に提出」しました。出席者は下知地区減災連絡会森宏会長、西村副会長。皆本副会長、坂本事務局長、国見。会計、高木市議会議長(下知住民)でした。

 高知市側は岡﨑誠也高知市長、吉岡副市長、黒田災害対策部部長、山本副部長が円卓テーブルに座りました。
DSCN0178_R
 最初に森会長が挨拶しました続いて「下知地区防災計画書」の概要を坂本茂雄事務局長が説明しました。そして森宏下知地区減災連絡会会長から、高知市防災会議議長である岡﨑誠也市長に提案書が渡されました。
DSCN0177_R
 
「内閣府で策定された地区防災計画は住民主体の計画。災害対策基本法が改正され、地域防災計画に反映をすべきとも言われていますことは正直予測していませんでした。

 全国に多くの地区防災計画があるでしょうが、下知地区のように多様な意見を集約し、深堀している地区防災計画はないと思いますね。」とのコメントをいただきました。
DSCN0184_R
 確認した限りですがテレビ局はNHK高知放送局とRKC高知放送が来ていました。新聞社は高知新聞と読売新聞は来られていました。他の新聞社も来られていましたが確認は出来ません。
 
  懇談会終了後、一気に森宏会長への囲み取材がありました。記者クラブの当番社が代表質問されていましたが、地区防災計画を何たるかを学習していないことが明らかな質問をしていたことが残念です。
  
  報道関係者も超ご多忙なことでしょう。しかしながら事前取材を今後はきちんとされてください。こちらも聞かれたことには誠意を持って回答しますので。
  
   今後は潮江地区や、高須地区のように下知地区同様に海抜の低い低地の井市街地や朝倉や旭のように浸水しないだろうという被害が軽微な地区や、土佐山、鏡地区のような中山間部でも地区防災計画を議論していき、高知市全域に広まることを期待しています。
   
   (意見交換会の内容についての詳細は、坂本茂雄さんのFBやHPを閲覧下さい。

 2015年に内閣府に「下知地区防災計画」をエントリーしていただきました山中晶一係長。多方面でサポートいただきました。山本美咲課員は、とても熱心に熱くトリオ組んでいただきました。転勤や移動で、今日の場にいないことは返す返すも残念でdす。

 下知地区防災計画はこれで「終」ではありません。今後「1人の下知地区の人間は死なない」ことを大前提に計画を実践していく覚悟です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.17

YASU海の駅クラブ・役員会


DSCN0186_R
 NPO法人YASU海の駅クラブの役員会が、2018年5月17日に、同クラブ多目的室にて行われました。定数10人の役員のうち7人が出席し、3人が委任状出席で全員出席し役員会は成立しました。

 主な議題は5月27日(日)に開催されます平成30年度総会に提出する配布資料の審議が行われ、訂正事項を付加して採択されました。

 その他計画事業の進捗状況の経過報告がされました。指定管理者への報告資料も審議され採択されました。
DSCN0187_R
 役員会の最後に、5月12日(土)に死去した父吉正へのYASU海の駅クラブとしての参列とご香典を頂いたことへの感謝を述べました。当日海の駅クラブのハーバーから出艇し、赤岡沖で帆走していました。着艇後に事務局の方が家内の電話を取り次いでいただき父の死去を知りました。お礼を申し上げました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.15

ほのぼのとしたお通夜でした

今日は義母の命日

 今朝の事務所の気温は21度。湿度は62%です。お天気は快晴。天気図でもダブルの高気圧に覆われ腫れが続きます。[夏日」になりそうです。

 今日は父(98歳11月で死去)の葬儀です。義母(享年70歳)の命日でもありました。沖縄が日本に施政権が返還された日でもありました。

 義母の葬儀は5月17日頃でしたが、前日ろうそくの火を絶やさないとのことで、義母と一緒に同じ部屋で夜を明かしました。

 朝葬儀社が来てそのまま火葬場へ。骨を骨壺に納め告別式をしました。終了後識名にある一族のお墓に納骨しました。

 沖縄は5月はもう夏なのですぐに火葬にしました。22年前のことですが覚えています。当時高校生だった息子と小学生だった娘に聞きましたが、覚えていないとのことでした。

 昨夜の父のお通夜にご多忙の中参列していただきました皆様には御礼申し上げます。父は満年齢は98歳と11月ですが(6月が来れば99歳)、表記は100歳でした。

 ほのぼのとしたお通夜でした。病院で管に繋がれ苦しみぬいた最期ではなく、普段どうり眠りについての安楽な父の最後のようでした。顔も実に安らかでした。

 今日は葬儀ですが、ほのぼのと実施できるいように努力します。人世に区切りをつける意味では最高の終末を父は迎えることができました。それは良かったと思われます。

 父も家族も悔いは全くないと思いました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

二葉町自主防災会・役員・リーダー会のお知らせ

二葉町自主防災会・役員・リーダー会のお知らせ


                    二葉町自主防災会会長 森宏

 2018年度の二葉町自主防災会の役員・リーダー会を下記日時にて開催します。とても大事な会なのでご参加ください。

(日時) 2018年5月22日(火曜日) 午後6時半より

(場所) 下知コミュニティ・センター4階多目的室

(議題) 2018年度二葉町自主防災会活動事業案の説明と意見交換

 
 二葉町自主防災会も結成して11年目になりました。多様な事業や研修、訓練をやってきました。

 今年は二葉町内にある下知コミュニティ・センターの全館を利用して、二葉町町民による二葉町一斉避難訓練・避難所開設訓練・運営訓練を行います。

 炊き出し訓練も行い、参加者で美味しい昼食をこしらえて食べます。お茶やコーヒーも沸かし、お菓子を食べながら参加者同士の懇親を深める目的です。

 二葉町町民皆が当事者意識を持ち、万が1の南海トラフ地震が起きても、町民の誰1人亡くなることも怪我することもないようにしたいのです。

 二葉町町内をあげての取り組みをしたいと思っています。

 二葉町自主防災会の役員・リーダーの皆様や二葉町町内会の役員の皆様、関心のある町民の皆さんは是非ご参加ください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.14

前途多難な高知市防災士会連絡協議会


DSCN4776_R
 2018年5月10日(木曜)に午後6時半から高知市防災士連絡協議会(宮川隆彦会長)総会が高知市総合あんしんセンター3階大会議室で開催されました。平成29年度事業報告、収支決算報告、平成30年度事業計画案、収支予算案が審議される予定でした。

 「予定でした」というのは「あろうことか」総会は定数に足らず龍会になりました。会員の過半数の出席で総会は成立します。現在高知市防災士連絡協議会は会員数は288人。5月10日に出席した会員は委任状出席を含めて135人。144人が定数ですから9人不足し総会は流会すると言う異常事態になりました。
DSCN4777_R
 執行部の説明を聞きますと、案内状を出しても返事がないという会員が多い。また288人の会員のうち昨年の総会で決定した年会費1000円を支払っている会員は167人いるが、121人が未払いです。
 
 審議は出来ないので出席者の中から意見が出ました。
DSCN4778_R
「規約がどうだかわかりませんが、会費を払った会員は167人います。うち135人が出席しています。80%出席しています。会費未納の会員は除籍すれば総会は成立するとみなしていいんではないですか。」

「規約では会費を3年間未納の場合は退会とあります。うっかり忘れているる人もおられるでしょう。」とのことであっても現行の規約では会費未納者でも会員。

物言う人たちがいて活発な意見は出ました。

 結論は次回の総会(6月開催予定)で会員の半数が集まらなければ、実質高知市防災士連絡会は崩壊します。前途多難ですね。
DSCN4779_R
 伊藤雅章さんや砂田ひとみさんがリードされている今治市防災士会とは格段のレベルの差を感じますね。

 今治市防災士会  

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/cat61876293/index.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.13

市民が考案した浸水対策グッズ

DSCN4769_R
 高知市高須地区で(南国スーパー高須店近く]にて、ロープや救命胴衣を販売なさっている臼井さんが、自ら考案した「浸水時に使用する手軽に出来る浮体物」を自作し届けていただきました。

 臼井さんは「マリンショプturibune」として楽天やアマゾンでマリン用品をは通販されています。

 マリンショップturibune  https://www.rakuten.co.jp/auc-turibune/

 先日お店でアイデアをご披露いただきましたが、今回は「実物」を持参いただきました。

1)保冷箱(3センチ×26センチ×14センチ)を赤くペイントしビニールテープで張り付けています。蓋は接着剤でくっつけていて、箱の中に空の500CCのペットボトルを入れれば浮力が増すとの事。100キロの浮力があるだろうとのこと。
DSCN4771_R
2)2Lのペットボトルを接着剤とビニールテープで貼りつけた浮体物。
  80キロの浮力があるとのこと。硬めのペットボトルが望ましい。

 いずれも手軽に(無償で)確保できる日用品を使用し、ローコストでの浮体物です。むろん体に密着するライフジャケット(救命胴衣)がベストですが、次善の策として作成すればとの提案でした。
DSCN4770_R
 南海トラフ地震で地盤が沈下し水没する下知地区。こうしたグッズをこしらえ家や車に備えておくのも浸水対策の1つでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.12

父・いずみの・521


 2018年5月12日ですが、夜須の海で帆走していたので、全く携帯への着信に気が付きませんでした。風が良く赤岡沖まで帆走、ハイクアウトの連続で海での帆走を堪能させていただきました。

 ランチタイムに着艇しますと多くの着信がありました。家内と息子、父の入院している病院からでした。いずれも海の上にいて、しかも風が強かったので気がついても対応できませんでした。

 1月19日に腎不全で高知日赤病院へ緊急入院し父(98歳)ですが、今日の午後12時31分にいずみの病院で亡くなりました。昨日は昼食時に起床し、リハビリをしてもらい、入浴もして、昼食のセリー食を自分で積極的に食べていましたから。

 亡くなった時間帯は海の上にいましたね。息子が駆けつけていて臨終に立ち会ってくれていました。片付けして自宅へ戻ると3時に。葬儀屋に連絡して家内と母と3人で病院へ行きました。

 息子が駆けつけてくれていました。当直医に話を聞きました。「午前10時ごろから調子がおかしく酸素吸入しました。心臓マッサージもしましたが午後12時31分に停止しました。腎臓も腎臓も弱っていました。死因は老衰です。」とのことでした。

 父はいつものようにベットに寝ていましたが、額に触ると冷たくなっていました。
従兄弟に電話で連絡しました。「うちも母(叔母100歳で逝去)が前日に元気でねと別れて翌日亡くなった。誰も会えなかった。」ということでした。

 父には今日海へ行かせていただきました。安らかな表情でした。父には感謝しています。回復を前提に来週病院関係者との意見交換会が予定されていました。人の命には限りがあります。父は精一杯生きてくれました。感謝以外に言うことはありません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

海の散帆を堪能しました。


DSCN0004_R
 2018年5月12日(土曜日)です。早朝は五台山市民農園へ出掛け雑草取りに精出しました。戻ってきて母(92歳)のディサービスへの送り出しをしました。家内の許可が出ましたので、先週に続き夜須へ行き海の散帆へ行きました。

 今日は高知大学ヨット部やジュニア・ヨットクラブや大人のヨット教室の参加者も海へ出ました。社会人も数名来ていました。20艇のヨットが海面に浮かんでいました。
DSCN0007_R
 今日の夜須の海は波は無く、風は程よく強かったです。ハイクアウトしながら赤岡沖まで海の散帆ができました。新入部員でしょうかジャイブに失敗し、沈(転覆)するヨットもありました。
DSCN0010_R
 堪能して昼過ぎにランチするために(今日は訪れはお休み。しかたがないのでセブンイレブンでおむすびを買いました。)おむすびを食べながら携帯を見ますと多くのたyく新記録がありました。
DSCN0014_R
 家内に「何度電話しても出ん!大事な用があるのに!!」と怒られました。結局午後からの帆走を中止し片付けをしました。ぎ装解除には30分以上かかります。後ろ髪を引かれる思いで夜須を後にしました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

五台山市民農園へ行きました


DSCN4802_R
 2018年5月12日(土曜)ですが、午前6時に三石にある五台山農協婦人部良心野菜市へ集合しました。

 そこで今朝は沢庵とイチゴジャム(いずれも農家のご婦人の手作り)を購入しました。農園ではひたすら雑草をひきました。
DSCN4803_R
 タイモも葉が出てきました。ジャガイモは日当たりが悪いと成長が遅いですね。

 天気図を見ましても移動性高気圧の縁ですね。早くも曇って来ました。今週と来週はストレスまみれであり、なりそうです。
DSCN4804_R
 家内の許可が出ました。通販の品物を出荷し、母(92歳)をディサービスに送り出したら海の散帆へ出かけます。今日は風がなさそうですので浮かんでいます。
DSCN4807_R
 今朝の事務所は20度で湿度は57%。20度を超えますと蛍光灯は全部点灯しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

二葉町不燃物・資源仕分けステーション


DSCN4780_R
 2018年5月11日(金)は、二葉町町内会(楠瀬繁三会長)の不燃物・資源物仕分けステーションが。午前6時から下知コミュニティ。センター前で午前8時まで開所されます。
DSCN4781_R
 荒木三芳二葉町町内会副会長(衛生委員)の指揮のもと各班の班長が仕分けをしています。[高知方式」の瓶類は3種類、段ボールも2種類に分別され。整然とコンテナーや並べられます。
DSCN4783_R
 市内の町内会によっては当番が集まらないところもあり、特定の町内会の役員に負担が過重になり高齢化で仕分けステーションが維持できないところもあるやに聞いています。
DSCN4782_R
 6時過ぎの事務所の気温は16度、湿度は49%。暑くもなく1番爽やかな季節です。大事にしたいです。
DSCN4784_R

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.11

父は内臓(食道・胃・十二指腸)は健全でした


吉正内視鏡検査50_NEW_R
 4月28日以降、腸炎の影響で口から食べ物を食べようとしない父(98歳)でした。ひょっと胃に潰瘍などがあるのかもしれないということで内視鏡検査を5月9日にしていただきました。

 結果は「食道・胃・十二指腸には潰瘍やポリープなどはない」とのことでした。ほぼ内臓は健全と言う事です。

 となりますと口からものを食べないのはその日の気分や体調によることが大きいと思いました。医療スタッフの人にお願いしました。

 朝食時前に、父をベットから起こし車椅子に座らせて手足のリハビリを言願いしました。そして頭を覚醒させた状態で、ゼリー食を食べるようにしてもらいました。可能な限り昼食時に見守りに行きました。そしたら少しずつ自分から食べるようになりました。

 今週はいろんなことがありました。時に対応ができないこともありました。

 結論は「なるようになる。それしかない。」ということです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

母・はりまや511


DSCN4789_R
 2018年5月11日は爽やかな晴天でした。母(92歳)ははりまや橋サロンへいきました。お天気なので歩行補助車で行きました。
DSCN4790_R
 コロッケ屋さんで夕飯のコロッケを買いました。谷ひろこさんのお店で焼き菓子を買いました。露店のパン屋さんでクッキーを買いました。
DSCN4791_R
 今日の活き活き100歳体操には12人の参加者がありました。皆さん元気そうに体操をしていました。多分最高齢者の母も頑張っていました。
DSCN4794_R

DSCN4800_R

| | コメント (0) | トラックバック (0)

父・いずみの・511

 2018年5月11日(金)ですが、父(98歳)の面談は
 DSCN4788_R
お昼前の11時過ぎに行きました。ちょうどオムツを替えているところでした。それから共用スペースへリハビリに行きました。車椅子へ座り手足の曲げ伸ばしなどをしました。少し動けるようになりました。

 今日はシャワーの日。担当の介護士が迎えに来ました。
寝たきりでストレッチャーへ乗せられ浴室へ行きました。20分ぐらいして戻って来ました。
DSCN4787_R
 昼食は車椅子で共用スペーズへ行きそちらでゼリー食を食べました。おかゆに、かぼちゃ、イチゴ味のゼリーをスプーンへすくって少しづつ食べました。父の回復は遅々としています。共用スペーズの写真は撮影禁止なのでありません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

どうなる・ヤッシー

 全然知りませんでしたが、(株)ヤッシーの代表者が変更になっていました。どうなるのでしょうか?
,ヤッシー経営者交代_NEW_R

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.10

父・いずみの・510


DSCN4774_R
 2018年5月10日ですが、昨日に引き続き日程調整をして午前11時20分過ぎにいずみの病院へ行きました。丁度理学療法士が来ていました。ベットの上で手足のリハビリをして共用スペーズまで車椅子で移動します。

 共用スペースでは手を伸ばすリハビリを主にしました。起床して運動したので頭はも体も覚醒したようです。ゼリー食が運ばれてきました。
DSCN4773_R
 父(98歳)は自分の手でスプーンでゼリー食をなんとか食べていました。今日は6割ぐらいは食べました。咽ることはありませんでした。口から食事ができれば身体機能も回復して来ることでしょう。

 共用スペースでの撮影は出来ません。食事後の精も根も尽き果てた表情の父の写真しかありません。
DSCN4775_R
 車で往復しましたが、ほとんどの車が窓を閉め切りエアコンをかけています。今は「暑さに体を慣らす時期」であると思います。冬仕様の体を夏仕様にします。エアコンをかけたらそれが出来なくなり、代謝異常で風邪をひいたりします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

石巻市は最高裁上告を取り下げてほしい


大川小訴訟・石巻市上告Ⅰ_NEW_R
 朝日新聞2018年5月9日朝刊の記事によれば、大川小津波訴訟で、一審と2審の判決を不服とし、石巻市と宮城県は最高裁に上告するようです。
大川小訴訟・石巻市上告2_NEW_R
 記事の見出しでは「事前亡妻学校手探り」「児童が個別に逃げる訓練」「現場の教員余裕ない」とあります。どれも現実を的確に表現した見出しです。

 2015年6月に大川小跡を訪れました。北上川の河川堤防の下にあります。学校に隣接して丘があり、何故あの場所を活用しなかったのか素朴な疑問でした。
4831831e
 東日本大震災でも石巻市は大きな被害を受けました。大川小だけでも児童や教員、スクールバスの運転手など84人が津波で犠牲になりました。

 「災害対策は事前対策がすべて」です。危機管理の基本は「起こりうる最大の危険性を意識し感じ取り、被害を最小化する努力を不断に実行する。」ことでしょう。
121d5b0c_R
 同じ日に釜石市では中学生たちが「率先避難し」、市が決めていた避難所より高い高台をめざし、幼児や地域住民にも避難を促して全員が助かりました。やはり日頃の訓練が第1でした。

 現場の教職員だけに責任を押し付けるのではなく、地域や行政も一体となって、児童や教職員、地域住民の命が災害時に守られなければならないと思います。

 それゆえ石巻市や宮城県は上告を取り下げていただきたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.09

父・いずみの・509

 2018年5月9日ですが、今日は父(98歳)が昼食を口から食べるトライをするので早めに見舞いに行きました。到着すると共用スペースで車椅子に理学療法士とリハビリをしていました。輪投げのループを手を伸ばしてとると言う動作を続けたいました。

 午前11時40分過ぎから共用スペーズのテーブル席で朝食タイムです。患者たちが介護師や理学療法士、言語聴覚士に付き添われ集まりました。1人1人が食事内容が異なっています。

 父の場合はゼリー状の食事でした。おかゆとおかずがゼリー状になった入ました。スプーンですくって父は口に入れ食べ始めました。今日は嫌がらずに食べていました。途中で咽こむことはありませんでした。

 言語聴覚士とも話しました。今日の場合は、ベットで食事するのではなく、起き上がり、事前にリハビリをして体が覚醒したこともあり、きちんと食事が取れました。「いつもより倍は食べてくれました。」と言いました。
DSCN4768_R
 主治医は「今朝胃と食道の内視鏡検査をしました。潰瘍やポリープはありません。胆汁が逆流したりして1部胃壁が荒れているとこともあります。身体的な障害は食事に関してはありません。」とのことです。
DSCN4766_R
 明日も午前11時半を目標に病院へ駆けつけ、父の昼食を見守ります。写真は相変わらずベットの上です。寝ている写真ばかりです。共用スペーズは原則撮影禁止なので、文面でお伝えします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高齢者は一律で括れない。多様性があります

 あくまで我が家での個人的な体験から来る見解に過ぎませんが持論を述べたいと思います。世間一般では「65歳以上」が「高齢者」「リタイヤ世代」と言われています。「65歳から74歳までが「前期高齢者」と言われます。75歳以上は「後期高齢者」と言われています。

 それでは「75歳~」で高齢者一般は括れるんでしょうか?わたしは違うと思いますね。

 親戚や周りを観察しますと、癌を発症した人たちは70歳代半ばで逝去されています。叔父たちも、従兄弟たちもそうでした。

 80歳代になりますと脳血管障害や心臓障害で逝去される人達が多い。祖父たちがそうでした。90歳をうちの両親は超えています。また違う症状が出て来ています。

 老衰などがそうでしょうか?90歳代には90歳代なりの問題がありますね。つくづくそれを感じています。

避難訓練などで「要支援者訓練」がありますが、一律に70歳代の比較的元気な高齢者を動員して実施しても、参考にはならないと思いますね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.08

父・いずみの・508


DSCN4762_R
 2018年5月8日(火曜)ですが、月に一度の老師の整体があり、その後父(98歳)の見舞いに行きました。相変わらず寝ているばかり。口から食べていないようで今日も足からの点滴をしていました。話もろくに出来ません。
DSCN4764_R
 主治医と看護師と言語聴覚士と意見交換をすることができました。

「最近は口から食べ物を食べないので老衰のような状態ですね。胃腸炎は完治しているのに口からものを食べようとしません。胃に潰瘍ができていれば食べることができないので内視鏡検査をしてみましょう。」

「4月23日から口からのセリー食を再開しました。28日も魚の白みをほぐし一般食に近い食事にしましたが。呑みこむことができず、吸引する事態になりました。」

「それ以降口からのセリー食も拒否するようになりました。現在は点滴しています。」

「話しかけても会話ができず、はいはいを言うだけになりました。老衰状態になっています。」
DSCN4763_R
 医療関係者の意見を拝聴しますと、父はどんどん衰弱傾向にあるようです。しかし腎機能以外の内臓機能は健全だそうです。なぜ「拒食症」になっているのか不思議です。

 父が自宅で食べていた減タンパク食のパンやごはん、ラーメンなどを言語聴覚士に以前渡していました。それを見せながら食事介助をすれば事態が少し動くのではと思いました。明日の昼食時に立ち会いに行こうと思っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

母は歯医者と胃腸科内科へ行きました。


DSCN4752_R
 昨夜夕食中に食べ物(おでん)を喉に詰まらせた母(92歳)でした。家内が対応し、すべて吐貸せましたので、大事には至りませんでした。その後熟睡し翌朝はいつもの朝食をいつもどうり食べ、後遺症はありません。

 2018年5月8日は、朝1番に嶋本歯科医院で月に1度の口腔ケアしました。吐いた物を除去し歯ブラシしました。歯ぐきの腫れもマッサージし、消毒していただきました。歯は欠けた部位もありますが、セメントを詰めて平らにして歯磨きし易いようにしていただいたいます。
DSCN4755_R
 その後横田内科胃腸科へ。血圧は130-67で正常値。脈拍も正常。不整脈もありません。食べ物が詰まることに関しては「高齢者は飲み込む力が弱くなります。こんにゃくなどは糸こんにゃくにしてください。餅などは危険なので注意してください。」とのことでした。足がむくんでいますが、むくみがあるときだけ朝食時に利尿剤を出していただきました。
DSCN4758_R
 ふくらはぎの筋力が弱いと足にたまる水分を体の上部に流す力がなくなるので足がむくむようです。歩行が1番の対策と横田先生は言われました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大災害対応を名目の憲法改正はおかしい

陸前高田市長の見解^緊急事態法_R
 2018年5月1日の高知新聞尾記事で、岩手県陸前高田市市長の戸羽太さんが「緊急事態条項 自治体迷惑」という発言に注目しました。

 現在陸前高田市は、土地区画整理事業を導入し、復興事業を行っています。土地の相続人を探しに全国各地へ職員が廻ったり、木を切るのにも林野庁から「国の補助金が入っている」と言われ手間取っているとか。復興事業は遅れてしまいました。

 復興の主体は基礎自治体。戸羽太市長はこうも記事で言われています。
「憲法上の財産権の他、さまざまな法律が壁になった。「ここは目をつぶってもらえたら」と何度も思った。

 国や県の許認可権を、一時的にでも被災自治体に任せるような超法規的な措置があったら、復興はもっとスムーズに進んだはずだ。」

 死者・不明者が1700人を超え、復興事業の先頭になって行っている基礎自治体のトップであればこその言葉であると思います、実に本質をついており、復興事業が遅々として進まない日本国の社会的な事情を的確に説明されています。

 超法規的措置と戸羽太氏は言われました。その意味を記事では別の観点から述べています。引用します。

「それは憲法を変えるものでなく、法改正で十分できる。憲法は日本の精神や法律のベースになるもので、災害時の対応を細かく明記するものとはなじまない。
 緊急事態法を憲法に書いて、実態にあわなくなったらどうするのか。再び改憲なんて簡単に出来ない。煩雑に国民投票をすることに国民は納得しない。」

「緊急事態法が必要だとする結論に、自民党が至るまでの過程も不明確だ。広島の土砂災害や熊本地震など含め、被災各地の首長や市民に、災害時に困ったことを聞くのが先だ。国も、東日本大震災時の対応について総括ができていない。総括したうえで改憲が必要なら、そこから議論に移ればいい。」

「現在の議論は、人の命が関わるルールなのに机上の空論のようだ。結論ありきの姿勢では、震災の経験を次の災害に生かせてほしいと願う。陸前高田の市民が傷つく。」

「安倍首相が目指すのは憲法9条改正で、緊急事態条項を改憲の前例にしたいのだろう。」引用終わりです。

 的確な指摘であると思います。1部の国会議員や自治体議員のなかに声高に「大災害時は国民の私権制限を含んだ緊急事態条項が必要だ。」と主張している人達がいます。その多くの議員は地道に地域で減災活動をやったことのいない人たちであると思います。

 本当に被災体験し、復興事業に関わっておれば、憲法改正のなかに「緊急事態条項」を入れようなんて言う「戯言」を主張するはずがないからです。減災活動をしたことも関心もない連中が机上の空論で「憲法改正」を主張するなんぞしていただきたくはありません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.07

父・いずみの・507


DSCN4746_R
 2018年5月7日(月)です。連休明けで混んでいました。
行くと父(98歳)は、リハビリを始める直前でした。
 ベットから車椅子へ乗せようとしますと「嫌じゃ!嫌じゃ!」と大きな声で嫌がります。「それだけ声が出るならリハビリをまじめにせんと帰れんぞ!」と言い、車椅子へ乗せました。

 共用スペーズに移動し、リハビリをしていました。車椅子へ乗ったままで腕の曲げのばし、足の曲げ伸ばしをしました。手足はか細くなっています。到底歩けそうにありません。(共用スペーズは撮影禁止なので写真はありません。)
DSCN4749_R
 今日も口から食べものが食べられないので、手首から点滴をしていました。前途多難ですね。
 
 昨年10月にゴルフ練習場へ行ったときの写真や、2012年3月のプロギア・レディスを観戦した時の写真を病室に飾りました。少しは元気になるでしょうから。
DSCN4750_R

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日本経済新聞は岸田文雄氏の応援団?


DSCN4725_R
 2018年5月6日の日本経済新聞22面・23面には驚きました。安倍内閣前外相、自民党の政調会長である岸田文雄氏の大特集記事が掲載されていました。

 広島県にゆかりがあり大のカープファン。幼少時代は外交官の父の勤務地の関係で米国の小学校へ通学。そこで少数民族の差別体験もあったとか。岸田氏と言えば2016年に外相時代にオバマ前米国大統領を被爆地広島へ招聘し、平和記念公園で被爆者に献花したことで印象に残りました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B8%E7%94%B0%E6%96%87%E9%9B%84

 日本経済新聞は安倍晋三首相の後継者は岸田文雄氏にしたいのでしょうか?なにかの意図を感じる「異様な」2面全面記事でありました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.06

父・いずみの・506


DSCN4735_R
 2018年5月6日(日曜)ですが、母(92歳)と家内と3人で父(98歳)の見舞いに行きました。行くと丁度リハビをしていました。

 ベットから起きて車椅子に座り、共用スペーズに移動して椅子からの立ち上がりや、手足の曲げ伸ばしの軽めのリハビリをしていました。足からの点滴をしながらです。
DSCN4738_R
 以前口からものを食べないので、緊急措置で足から多目(1L)の点滴をしています。
理学療法士は「低栄養状態なので強いリハビリは現状では無理です。今より身体機能を落とさないためのリハビリです。」とのことでした。
DSCN4743_R
 終わると父は疲れ果てて寝てしまいました。自宅への帰宅は現状では「夢のまた夢」です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

母は美容室へ行きました。


DSCN4726_R
 2018年5月6日ですが、母(92歳)を連れて近所の美容室(シンボル)へ行きました。記録のよれば3月16日以来とか。
DSCN4729_R
 母は白髪ですが髪の毛が多い。時折カットして手入れをしませんと「山姥」のようになりますから。超高齢者でも身なりは構わなくてはいけないと思います。
DSCN4731_R
 髪の毛がすっきりしては母上機嫌でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

南海トラフ巨大地震、首都直下地震の被害と対策に係る映像資料


内閣府の防災情報のページの奥まったところにありました。探索するのに結構時間がかかりました。Googleあたりの普通の検索では、内閣府のホームページの相当「深い」箇所にあるんでなかなかたどり着けないです。

 ようやくたどり着けましたのでリンクを表示します。

http://www.bousai.go.jp/jishin/nankai/nankai_syuto.html

 そのなかに良い映像がいくつも「これでもか」とあります。

 まず手始めにオープニング編(南海トラフ巨大地震とは?)3分30秒から視聴してみてください。

http://wwwc.cao.go.jp/lib_012/nankai_01.html


 大変な費用をかけて映像を制作しています。この際全部視聴してください。まさに@息をのむ」映像ばかりです。

南海トラフ巨大地震編
●動画の視聴
 
日本語版
全体版(17分26秒) 視聴別ウインドウで開きます (内閣府HP) 視聴別ウインドウで開きます (YouTube)
オープニング編(南海トラフ巨大地震とは?)(3分09秒) 視聴別ウインドウで開きます (内閣府HP)

シミュレーション編(3分03秒) 視聴別ウインドウで開きます (内閣府HP)
被害の特徴解説編(4分42秒) 視聴別ウインドウで開きます (内閣府HP)
被害想定の全体像編(2分28秒) 視聴別ウインドウで開きます (内閣府HP)
対策編(4分03秒) 視聴別ウインドウで開きます (内閣府HP)

首都直下地震編

●動画の視聴

日本語版
全体版(13分18秒) 視聴別ウインドウで開きます (内閣府HP) 視聴別ウインドウで開きます (YouTube)
オープニング編(首都直下地震とは?)(3分41秒) 視聴別ウインドウで開きます (内閣府HP)
シミュレーション編(2分23秒) 視聴別ウインドウで開きます (内閣府HP)
被害の特徴解説編(2分04秒) 視聴別ウインドウで開きます (内閣府HP)
被害想定の全体像編(2分11秒) 視聴別ウインドウで開きます (内閣府HP)
対策編(2分57秒) 視聴別ウインドウで開きます (内閣府HP)

 参考にしてください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.05

まったりと”海の散帆”しました。


DSCN4689_R
 家内の許可が出ましたので、急遽「海の散帆」へ行けることに。昨日はお手伝いでしたが2日連続で夜須の海を堪能させていただきました。

 今日は高知大学ヨット部とジュニア・ヨットクラブと社会人が4人来ていました。母(92歳)のディサービルへの引き渡しと、家内の言いつけによる家の手伝いを済ませて夜須へ来れば10時を過ぎていました。
DSCN4696_R
 ぎ装をして着替えて海へ出ました。風は思いのほかありました。艇はヒールして、ハイク・アウトしながら帆走しました。風は程よく冷たく乾いた風でした。とても気持ちが良かったです。赤岡付近まで行きました。

 漁船がたくさん出ていました。「どろめ」漁をしているんでしょうか。2隻ならんでゆっくり動いていましたから。パッチ網でしょうか?わかりません。
DSCN4708_R
 昼過ぎに一旦上がり、訪のおむすびと卵焼きを食べました。すぐにぎ装し午後の海へ出ました。ところが風が弱くなりました。上空には晴れた空に飛行機雲が出ていました。お天気が明日以降崩れる兆候ですね。そのせいか風が弱くなりました。

 連休中には4月28日には「ぼろぼろ」になった龍馬杯ヨットレースがあり、4日の「ヨット&カヌー体験乗船会」のお手伝い、今日は「海の散帆」と1週間に3回海へ来ることができました。

 いろいろと「父の問題」など悩ましい事態になりましたが、家族の協力で充電させていただきましたので、なんとか公私の難題を乗り切りそうです。前向きに真摯に生きて行きますので。
 DSCN4713_R
 片付け後アイスバー・マナマナでアイスを食べました。パイン何とかでした。ヤッシーの人出は凄かったです。
DSCN4718_R

| | コメント (0) | トラックバック (0)

父・いずみの・505


DSCN4722_R
 2018年5月5日は、海の散帆で夜須にいましたので、到着したのが午後5時過ぎでした。相変わらず父(98歳)は寝ているばかりです。話しかけても会話がありません。

 電気カミソリで髭を剃りました。明日は「お婆さんと家内が来るから元気で話してね。」と言いました。父はうなづきましたが、実行しませんから。
DSCN4723_R
 担当看護師に聞きました。

「バイタル的には異常はありません。体温も血圧も正常です。ただ口から食べ物を食べたがりません。足からの点滴で栄養と水分補給しています。」とのこと。

 あれほど日赤では口からものを食べたがっていたのに、いずみの病院では喜々として食べていたのに。10日前の感染性胃腸炎から口からものが食べられなくなりました。なんとかならないものでしょうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

5月5日の五台山市民農園


DSCN4671_R
 大型連休中に五台山市民農園へ行きました。2週間ぶりです。先週は龍馬杯ヨットレースの準備などで欠席しました。さぞかし雑草も増えていることでしょう。
ミニトマト
途中の五台山農協婦人部の良心市で野菜を購入しました。ミニトマトと大根を買いました。「五台山農協婦人部の農産物は高知県産です。」と木の看板に書いてあります。露地物が多く美味しい野菜が大半ですね。
婦人部看板
 雑草を抜きました。2週ぶりなのではえています。手で抜きましたが狭い面積ですがきりがありません。他のメンバーはタケノコ調査へ行きました。大崎さんが採れた淡竹(はちく)をおすそ分けしていただきました。美味しいと思います。
DSCN4674_R - コピーは馳駆

 母(92歳)のディ・サービスの準備がありますので早退させていただきました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

堀川耐震護岸工事について


堀川耐震護岸工事_NEW_R
 新年度になり、高知県高知土木事務所発注の「高知港海岸(若松町工区)高潮対策工事が動き出しました。工事現場の責任者の方が担当する場所の工事概要のチラシを届けてくれました。

 二葉町工区の海上部工事については、工事が期間延長になり7月31日までされるようです。また陸上部の若松町工区では、埋め込み鋼管を既に打ち込んでいますので、上部の堤防建設工事が行われるようです。

 完成まではあと2年ぐらいはかかりそうです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.04

父・いずみの・504


DSCN4667_R
 2018年5月4日は夜須での「ヨット&カヌー体験試乗会」が終了してから父(98歳)に面会に行きました。入浴介助をしていただいたらしくバスタオルが洗い物として袋の中にありました。自宅から新しいタオルを持参しました。

 父は寝ているばかりで起きようとしません。本当に元気と言うか気力が萎えたようです。衛藤徹さんがご指摘なさったように「全身の筋力が低下するサルコペニアの状態に陥っているのではないか」と思われます。
DSCN4668_R
 実に深刻な事態であり、正直家族としてどうすれば良いのかわかりません。これほど衰弱するとは想定外でした。落ち込んでいますが、手の打ちようがありませんね。

 デジカメの電池切れで写真を多く撮れませんでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

好天の中・ヨット&カヌー体験試乗会


体験乗船会チラシ
 2018年5月4日。大型連休の後半2日目。絶好の晴天でした。やや風が強く、波があるなと思いました。今回はヨットは体験試乗はアクタス(5人乗り)だけ。カヌー中心で1人乗り。2人乗り。カナディアン(4人程度)、ローボートを出しました。
DSCN4616_R
 お手伝いスタッフが人力でビーチまで運搬。受付スタッフは体験料を頂いて、救命胴衣を着衣していただき、マリンシューズも貸出していました。

 9時半から体験試乗会がスタートしました。わたしはカヌーの出着艇時のサポートです。今日は思いのほか波(風波)があるので神経を使いました。
DSCN4622_R
 県内外から家族ずれの人達が参加されていました。カヌー操船の簡単な手ほどきをしました。すぐに海へ入ります。波打ち際付近は波が高いので、サポートは胸まで海へ浸かって沖へ押し出しました。
DSCN4634_R
 砂浜から見ていましたが、結構皆さん初体験の方も多かろうに楽しげにされていました。着艇時に波を被り、カナディアンなどは艇が水浸しになる有様。皆楽しげに体験されていました。
DSCN4641_R
 3回体験コーナーがありました。3回目は1段と強風になりましたので大事をとって急遽海へ出ず、夜須側でカヌー体験していただきました。
DSCN4632_R
 準備もそうでしたが体験終了後の後片付けは重くて大変でした。いい運動にはなりましたが、寒かったです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

5月4日はヨット&カヌー体験試乗会です

 
体験乗船会チラシ
 大型連休も後半に突入。「春の嵐」の低気圧は去り、5月4日は上天気になると思います。

 2018年5月4日は香南市夜須のヤッシーパーク東側になるYASU海の駅クラブ主催の「ヨット&カヤック体験試乗会」があります。太平洋の海をまじかに感じ、海と戯れてください。世界観が変わると思います。

 私は早朝から体験の準備作業と、体験のサポートに行きます。上天気なので是非体験されてください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.03

憲法施行71周年県民のつどい


31712008_1260387484091455_6375931675930525696_n_R
 2018年5月3日は、憲法記念日です。1947年5月3日に日本国憲法が施行されて71年目です。憲法集会に行こうと思っていましたので、かるぽーと大ホールで開催されました「憲法施行71周年県民のつどい」(主催・高知憲法アクション等)でした。坂本茂雄さんのHPに案内がありましたので、自宅から歩いて参加しました。

 講演会がありました。講師は浅井基文氏(元外交官・政治学者)です。経歴などはウィキペデアを参考に。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E4%BA%95%E5%9F%BA%E6%96%87

 講演のテーマは「アベ改憲の危険性を考える 激動の朝鮮半島情勢を踏まえて」というテーマで約2時間ありました。講演で印象に残った文言を記述します。

「20世紀型のパワー・ポリテックス(権力政治)はゼロ・サム世界論である。
 仮想敵国をつくり力で撃破する。そのような政治は古い。」
DSCN4603_R
「21世紀はWIN・WINの時代。人間の個を尊重し、多様性と個人の価値を
重視する世界になってきた。気候変動や環境対応をしなければならない時代に戦争することは間尺に合わないはず。」

「朝鮮半島の戦争は核戦争。その場合は朝鮮と日本は灰になります。世界経済をけん引する東アジアが壊滅することは世界経済が壊滅することに等しい。」

 浅井基文氏は「憲法9条・絶対主義」を諌めていました。

「ただただ憲法9条だけを死守するという論だけでは、北朝鮮のミサイルが飛んできても無防備で居れと言うのか」という論に対抗できない。」

「従来の護憲論の多くは相手方のこしらえた土俵に上がって議論するだけ。ひ弱だし、議論が弱い・これではいけない。」
9zixyou_2kou
「正確に朝鮮半島情勢を見抜く目を持たないといけない。」

「北朝鮮の核・ミサイルはあくまでアメリカの核ミサイルや攻撃に対する対抗策に過ぎない。自分から先制攻撃はしないし、出来ない。アメリカが攻撃したら韓国と日本の米軍基地を核攻撃すると言うだけの事。

 北朝鮮が核ミサイルを行使しないように事前に手立てするのが最上の策である。」

「キム・ジョウンはクレージーではない。独裁者であるが、体制維持のためには合理的な判断で行動する。北の安全保障の肝である核開発とミサイル開発が完成したので、今年冒頭から外交交渉に乗り出してきた。」

「北は自国の経済発展を願い、経済支援を受けるための交渉をしている。中国やロシアは支援し、国連事務総長も韓国も支援の動きがある。頑なに経済制裁一辺倒は日本だけ。アメリカもわからない。」

「目的は経済再生であり、手段が核・ミサイル開発であった。休戦協定を平和協定にし、米朝国交正常化をめざしている。」

「北朝鮮は言ったことは実行している。言わないことはしていない。」

「朝鮮半島の南北会談を契機に情勢は大きく変化した。なのに安倍内閣は旧来型のパワーポリテックスに凝り固まっている。」

「安倍内閣は南北分断を固定化しようとしている」「アメリカに追随するばかり」「9条改憲だけには熱心」「日本会議に影響をうけた偏狭なアジア外交」が日本国の国益を著しく毀損しているとも浅井基文氏は言われた。

 「戦争放棄」を主張している憲法9条が今こそより価値が出てくる時代となったと言われました。

 講演後に質問の時間がありましたので、私は4項目を質問しました。Qが私でAが浅井氏の回答です。

Q「北朝鮮の脅威は大したことはなく、むしろ平和を今は望んでいることは良く理解できました。今後はむしろ経済大国(GDPが既に日本の3倍強)の中国が日本にとって脅威ではないでしょうか?

 中国は共産党の1党独裁国家であり、先の大会で習金平の独裁が長期間継続することを確定しました。国内では強権政治を行い、最近ではWEBで国民各位を情報管理しています。中国の国民監視システムをアフリカ諸国に輸出もしています。

 浅井さんは中国外交に詳しいということですがいかがでしょうか。」

A「確かに中国は国内的には政治的な自由度の少ない社会です。ですが脅威と決めつけるのはおかしいと思います。グローバル経済や一帯一路政策などは、経済交易の拡大を求めています。

 アメリカは日本やオーストラリア、インドまで巻き込んで中国を包囲しようとしていじます。」中国の行動はそれに対する対抗処置であるとおもいます。」


Q「羽田や成田の管制権も米軍横田基地が持つと言う日米地位協定。沖縄で県民が一方的に米軍の被害を受けるのも日米地位協定です。日本国憲法よりも上位にあります。なぜ政府は改定しようとしなかったんでしょうか?

 保守派は憲法改正より先に日米地域協定の改正が先であると何故言わないのでしょうか?外務省はなにもしないのでしょうか?」

A「そのとうりですが、それを言いだすと日米同盟が崩壊するんで歴代自民党政権は手が付けられませんでした。国民の意志をきちんと尊重する政府が誕生したら、再定義をして日米交渉をして改定が出来るとは思います。今の安倍政権では無理です。」

Q「日本は被爆国ですが核兵器禁止条約を批准しません。アメリカの核の傘に入りながら北朝鮮の核廃棄を言うことは矛盾しています。」

A「矛盾しています。日本も核兵器禁止条約を批准すべきです。でも今の安倍政権では無理です。被爆国でありながら核兵器禁止条約を批准しない政府を選んでいるのは国民です。国民が意識を高め政府を変えるようにならないと駄目です。」

Q「現在の平成天皇は戦地の慰霊の旅を行い、沖縄にも10回訪問されました。象徴天皇であり護憲をされていると思います。安倍政権よりはるかにましな存在であると思います・」

A「個人的には天皇制廃止論者です。象徴としての平成天皇は戦地慰霊を続けておられ立派であると思います。」とのことでした。

 一問一答でしたので、意見交換も徹底して行うことが出来ませんでした。

 「護憲派」の論客の1人としての見解を傾聴させていただきました。単なるヒステリックな「9条は命」論ではなく、ご自身のアジア外交の経験をベースとした見識は一理ありました。

 閉会の辞を高知憲法アクション(https://kochikenpo.exblog.jp/)の高知大学の岡村氏が「憲法改悪反対30000万人署名運動に協力を」と言われていました。

 帰り際に元労組幹部の人から話しかけられました。

「いきなり中国脅威論はいかがなものかと思うんだが」

「強権的に国内で政治的な自由がない国が帝国主義的な膨張をし続けている隣国に脅威を感じているだけです。」と申し上げました。

 なかなか意見は多様でまとまりはありません。浅井基文氏が言われるように護憲運動内部で「多事争論」の議論を熱くしないといけないと思いました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

父・いずみの・503


DSCN4609_R
 2018年5月3日(木曜)は、憲法記念日で休日です。午後から家内と父(98歳)に見舞いに行きました。母(92歳)は午後は介護予防通所リハビリへ行きました。

 父の病室へ行きますと車椅子に座っていました。理学療法士の人が座らせて立てる練習をしていると言われました。可能なら1日に3回してくれているようです。ありがたい事です。少しでも手足が動けるように専門家の力でやっていただいています。
DSCN4610_R
 やがてその意動作が終わり、父はベットに横たわりました。疲れたのかすぐにうとうとし始めました。懸命に家内が「食事はしましたか?」「リハビリで疲れましたか?」と話しかけましても反応がありません。わたしは父の髭を電気カミソリで剃りました。毎日しています。
DSCN4611_R
 だんだんと衰えて行くのでしょうか?単純に疲れただけなんでしょうか?しろうとにはわからないです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

事前防災が不備と裁判所は指摘


oohawa1
 宮城県石巻市の大川小学校では、2011年3月11日に東日本大震災の津波で児童と教職員計84人が死亡・行方不明となりました。まことに痛ましい出来事でした。

 児童23人の遺族が市と県に約23億円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、仙台高裁は26日、1審・仙台地裁判決より一部の原告の慰謝料を見直すなどして損害額を約1000万円増額し、14億3617万円の賠償を市と県に命じました。
ookawa2
 小川浩裁判長は「校長らは震災前に校舎周辺への津波襲来を予見できたのに、危機管理マニュアルに避難場所を明記するなどの対策を怠った」と指摘。遺族側の訴えをほぼ全面的に受け入れ、学校や市の震災前の対応の不備が過失に当たると認定したました。

https://mainichi.jp/articles/20180427/ddm/005/070/168000c
(毎日新聞社説・2018年4月27日)

 2015年6月に現地へ行きました。大川小の敷地は、隣接する北上川の河川堤防道路より低い場所にあります。北上川をさかのぼってきた津波が堤防を乗り越え、校庭に避難していた児童と教職員を呑みこみました。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/33-0bb5.html


 石巻市のハザードマップでは津波浸水地区に大川小はなっていませんでした。でも津波は襲来しました。学校に隣接して小高い丘がありました。何故そちらへ万が1の場合は掛けあがることをしなかったのか?現地を見てそう思いました。

 「災害対策は事前対策である」ということをつくづく思いました。阪神大震災で丸焼けになった神戸市長田区鷹取東地区。故石井弘利さんは「南海地震が来ることがわかっているならば、今から行政と一緒になって復興計画作りなはれ」と言われました。

ookawa2

 どうか石巻市や宮城県は最高裁に上告しないでいただきたい。亡くなった皆様の無念の思いを事前防災対策に活かしてほしい。

 高知市下知地区は「下知地区防災計画」の中に「事前復興まちづくり計画」を盛り込みました。どうか高知市や高知県も私たち住民と一緒になって事前災害対策、事前復興まちづくり計画に取り組んでいきましょう。この判決で強く強く思いました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.02

父・いずみの・502


DSCN4593_R
 2018年5月2日は雨の中父(98歳)の面談に行きました。父は相変わらず寝たきり状態でうとうとしていて話しかけてもまともに対応しません。シャワーをしたようで、タオルが出ていました。

 見ますと足から点滴しているようです。手足が本当にか細くなりました。今日に点滴は1000CCにあります。昨日の倍の量になっていました。
DSCN4594_R
 口からの栄養補給が出来なくなっているようです。今日は連休の谷間で外来患者もたくさん来られていました。寝てばかりいる父を見るのは辛い。
DSCN4595_R
 日赤時代は「強制的に」縛られて寝たきり。こちらでは衰弱して寝たきりですからね。
DSCN4596_R

| | コメント (0) | トラックバック (0)

父は自宅へ戻って来れないかもしれません

 1月19日の高知日赤病院へ腎不全で緊急入院した父(98歳)。70日間日赤にいて、いずみの病院へ転院。合わせて入院生活も100日を超えました。

 面会には原則家族は毎日行っています。このところ面会に行っても寝てばかりで、目を開けようとしないときもありますね。看護士の話では「口から殆ど食べ物を食べません。」「歩くことは出来ません。」とのこと。

 入院前に比べ格段に身体機能が低下しています。この状態で自宅介護でお願いしますと言われましても、私も家内もフルタイムで毎日働きづめなので出来ません。痰の吸出し方法も習いましたが,それほど難しいことではありませんが、寝たきり状態の父を在宅で24時間見守ることは不可能です。

 家内も私も倒れますね。無理です。このまま回復しないとなれば「今生の別れ」を覚悟しないといけないでしょう。転院できる病院や施設を真摯に探すしか手はないでしょう。しかしがありません。だんだんと衰弱していく父を見守るしかないのかなと思うと切なくなりますね。

 あれこれ現実を突き付けられ正直疲れました。気持ちの整理はつきませんが、切り替えるしかないでしょう。新しい事業も始動し始めたばかりですし、借金もありますから。自分として家族として精一杯の事をして、頑張り続けるしかありません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

臼井さんの浸水対策

 YASU海の駅クラブ会員であり、親睦のある臼井さん。昨年は二葉町自主防災会の事業で「ロープワーク講座」をしましたが、研修用のロープを購入しました。研修は横田政道さん(若松町防災会長)大崎修二さん(日の出・弥生防災会)のご協力を得て大好評でした。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2017/09/post-2bd8.html

 臼井さんは、ロープや救命胴衣、などを通販で全国へ販売されています。配送倉庫を高須の南国スーパーの隣に借りていて、配送作業の最中でした。お客さんにいろいろ言われ、浸水対策を着想したそうです。

「普段に使う発泡スチロールの箱の中に、パットボトルやスチロールの破片をいれ、ビニールテープで封をします。浸水時もし流されても捕まって一緒に流れたら溺死はしません。」

「コストをかけず普段ありふれた素材を活用して、防災用品としました。」とのことでした。

 救命胴衣を着け、ロープで皆を縛ってつなぎ、発泡スチロールの箱で浮かんで浸水時に浮揚する。ローコストで良いかもと思いました。

 臼井さんとお話しますと、通販での購入が多いのは愛知県と静岡県だそうです。防災意識が高く、車や家には各人1着づつ救命胴衣を置いていある。在る静岡の町では町民全員に救命胴衣を配布したとの話を聞きました。
 
  それと比べると高知県は防災意識は低いね。」と言われました。「あんたは下知の防災をやっているので参考意見を聞きたいと朝電話がありました。いいアイデアであると思います。
https://www.rakuten.co.jp/auc-turibune/(臼井さんの店のHPです。tribuneで検索してください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.01

父・いずみの・501

 今朝は自治体の介護認定調査の再調査を依頼していました。午前10時に自治体職員が父(98歳)の調査に来ました。病室で聞き取り調査をしていますが、父は常にうとうとしていてろくに回答しません。後で担当看護師に聞き取り調査をして帰られました。
DSCN4587_R
 その後車椅子から立ち上がる練習をしたり、口腔ケアや首周りの凝りのほぐしや身体機能保持のリハビリをしていました。とろみのお茶も飲んでいますが、以前に比べ「呑み込み力」が一段と悪くなっていました。
DSCN4589_R
 看護師から「痰の吸引」のレクチャーを受けました。実際に吸引されているところを見ました。さほど難しい作業ではないと思いました。ただ現在の父の状態で、、自宅へ連れ帰ることは困難です。
痰の吸引方法Ⅰ_R痰の吸引方法2_NEW_R痰の吸引方法2_NEW_R痰の吸引方法3_NEW_R痰の吸引方法4_NEW_R
 バリヤアリーの階段だらけの生活。私も家内も自宅勤務とは言えフルタイムで仕事しています。また92歳の母も在宅しています。口からものが食べられない。歩けない状態の父を在宅介護できることは難しいです。実に悩ましい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「熊本震災と障害者を受け入れた避難所―熊本学園大学・激動の45日。巡回展」

熊本学園大学1_NEW_R
 熊本学園大学水俣学研究センター・センター長の花田昌宣さんより、神戸市の人と防災未来センターで開催されます「[熊本震災と障害者を受け入れた避難所―熊本学園大学・激動の45日。巡回展」のパンフレットを送付いただきました。

 期間は2018年4月10日から5月6日までです。関西地域・近辺の皆さんは是非巡回展をご覧ください。
熊本学園大学2_R
 花田昌宜さんは、2017年10月28日に下知コミュニティ・センターにて「熊本地震と排除や隔離をしない避難所」と言うテーマにて講演をいただきました。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2017/10/post-0429.html

 「熊学モデル」として避難所運営のありかたに一石を投じました。「劣悪だ」と言われている日本の避難所のありかたについて貴重なコメントが聞けることでしょう

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2018年4月 | トップページ | 2018年6月 »