親鸞さんと蓮如さん
偶然の産物で父(享年100歳)の葬儀は浄土真宗西本願寺系の僧侶に読経してもらいました。四十九日の法要と納骨も依頼しました。
仏壇も購入しました。右手に浄土真宗の開祖者である親鸞さん。左手には中興の祖であり大きな組織をこしらえた蓮如さん。仏壇はお寺の出張所だそうです。たしかに四十九日の法要をしたお寺は仏壇を拡大した装飾でした。というかお寺を縮小した様式が仏壇になっているようです。
以前親鸞さんと蓮如さんに関しては五木寛之氏の著作で読んだことがありました。個人ブログに読書感想文も書いていました。
「親鸞」を読んで(2012年3月10日投稿)
「親鸞」(五木寛之・著・講談社・2010年刊)を図書館で借りて読みました。 上下2冊の小説でしたが、雨の2月25日に1日で読みました。小説では9歳から32歳までの親鸞や周りの人物が活き活きと描かれ、活劇のような躍動感がありました。五木氏の代表作「青春の門」のような、やんちゃで常に悩ましい親鸞は魅力でした。
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-cdbf.html
「蓮如ー聖俗具有の人間像」を読んで(2012年5月22日)
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-9994.html
「蓮如ー聖俗具有の人間像」(五木寛之・著・岩波新書・1994年刊)を読みました。親鸞が開祖した浄土真宗も、時代が下ると、衰退し、分派がいくつもあり、混乱していました。また蓮如が生まれた時代は、室町末期で、応仁の乱が勃発し、地方も都も秩序が乱れていました。
読んでいて驚いたのは、蓮如は若い時から布教活動を精力的にしていたわけではなく、貧しい寺を継承する43歳までは雌伏の時代であったと言うことでした。
五木寛之氏は親鸞と蓮如を対比させ、こう書いています。
「親鸞は「貴種流裡」の聖人でした。どんなに「とく」を自称し、野のひじりとして貧しく生きても、その身辺にはおのずと精神の貴族性がオーラのように漂います。彼は貴族の子として生まれた、いわば「乞食王子」なのです。
蓮如は、さびれはてた寺に、「いやしき女」の子として生まれました。いわば「卑種栄達」の俗人です。こういう人が成金めいた振る舞いをするのは、ある種の切なさがあって、わたしは嫌いではありません。
蓮如の同胞意識は、彼の思想の結果ではありません。おのずと人と差別なく接する体質だったと思います。彼が親鸞思想の本質を正しく理解しえていたかどうかは、論議のわかれるところです。
しかし、私は蓮如が親鸞の教えの中に自己を救われる何かを発見し、親鸞を「たのんだ」と思います。そしてそれを同じ立場の人に伝えたいと、真剣に心から願ったと感ずるのです。」
親鸞さんは「弟子などはいらん」と言い続けた創業者。理念は素晴らしかったですが、宗教組織とし体裁がないまま衰退していきました。蓮如さんは「時代の申し子」として中高年甥なってから突然輝き出し、強固な宗教組織をつくりだしました。
織田信長は終生一向宗との対立抗争を繰り返し、天下人の豊臣秀吉は懐柔し、徳川家康は、本願寺を東と西に分割しました。
小さな父の仏壇を眺めながら6年ほど前に読書した「親鸞」と「蓮如」について考えてみました。
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