8月最後のはりまや橋サロン
2018年8月31日ですが、母(92歳)と一緒にはりまや橋サロンへ来ました。
最初にコロッケ屋さんで夕飯用を調達。先週はお休みだった谷ひろ子さんのお店で焼き菓子とチョコケーキを買いました。
今日の活き活き100歳体操(介護予防体操)には10人の参加者がいました。母も元気で体操していました。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2018年8月31日ですが、母(92歳)と一緒にはりまや橋サロンへ来ました。
最初にコロッケ屋さんで夕飯用を調達。先週はお休みだった谷ひろ子さんのお店で焼き菓子とチョコケーキを買いました。
今日の活き活き100歳体操(介護予防体操)には10人の参加者がいました。母も元気で体操していました。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2018年8月29日に開催されました「下知地区防災計画・二葉町・稲荷町ブロック会」での資料を高知市地域防災推進課中山瑞稀さんが30部作成していただいていました。当方の力不足で10人しか参加者がありませんでした。実に申し訳ない限りです。
南海トラフ地震の高知市における被害の基礎知識、下知地区での二葉町・稲荷町地区の被害想定も詳しく掲載されています。また市役所が行う公助についての説明資料もあります。8月27日は「弥右衛門地区版」が作成されていました。
せっかくの資料ですのでWEB上に掲載し「共有化」させていただきます。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2018年8月29日は午後6時半から下知コミュニティ・センターにて、二葉町・稲荷町ブロックの、下知地区防災計画に関する意見交換会を開催しました。実は開催にあたって町内で広報活動は殆どしていません。訓練はともかくこの種の会合では二葉町は参加者が少ないですから。10人も来れば上等です。それより来週の9月5日の「二葉町防災会・役員・リーダー会」の方は重要ですから。
9月19日にはロープワーク講座(二葉町自主防災会主催)もあり、2つの事業の準備で手一杯状態ですから.「予想どうり」参加者は少なめでした。二葉町が7人、稲荷町が2人。下知地区減災連絡会坂本事務局長と合わせて10人の参加者でした。予想が「見事に」的中。しかし嬉しくはありませせん。
下知地区防災計画の概要を西村下知地区減災連絡会副会長と坂本事務局長が説明しました。続いて地域防災推進課の中山さんが「南海トラフ地震発生時の全体イメージ」の二葉町・稲荷町版で丁寧に説明していただきました。想定される揺れは震度6強。津波想定は3M。地域全体が地盤沈下するので、長期浸水する地域であるとの説明がありました。
とにかく揺れも強く、地盤も沈下し、長期浸水の恐れもあります。生きのびるのが厳しい地域です。
続いて意見交換会をしました。
「おせっかいかもしれないが、防災世帯調査をやるのであれば、要支援者の人に確認し、家具の固定化や廃棄を手伝うことを今後はすべきでしょう。」
「防災事業に参加者を増やすことはとても難しい。でもそれは常に意識しないといけないです。」
「実際に面談して、年齢的なものではなく、自分で歩けるのか。どの程度の介助があれば避難ビルへ逃げ込めれるのかうぇお確かめたい。」
「せめて家の外まで出で来てもらえないと、救助支援は出来ませんから。」
「やはり年配者は何かと不安です。」
「町内の関心が低すぎるのが悩みです・とりあえずは町内の津波避難ビル体験をやりましょう。」
「実のある話」も沢山出ました。しかし二葉町・稲荷町も町民各位の「関心の低さ」「危機意識の低さ」には今更ながらに驚くばかりです。
南海トラフ地震が30年以内に起きる確率は80%です。30年以内に交通事故に遭う確率は24%以下です。何故皆の関心が薄く、なぜ事前対策をしないのか?自分たちの活動の非力さを今日は思い知らされました。
森会長が「人集めは大変やな」と言われました。努力はしますが、限界もあります。なるようになるでしょう。諦めずに減災活動をやり続けることです。へこたれずにやりますので。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2018年8月28日8ですが、下知地区防災計画・ブロック会は、セラビ21・サーパス知寄町Ⅱ、知寄町2丁目・3丁目の自主防災会が参加し開催されました。会場はセラビ21会議室でした。21人が参加されました。
高知の分譲マンションで最初に津波避難ビルになったセラビ21。国と交通省のマンション防災の事業を3年かけてやり通したサーパス知寄町Ⅱ。町内にたくさんの津波避難ビルがある知寄町2丁目・3丁目。それぞれに特色がありました。
最初に下知地区減災連絡会の坂本茂雄事務局長(サーパス知寄町Ⅱ)から、下知地区防災計画の概要版について説明がありました。高知市地域防災推進課の橋村彩香さんは「要支援者支援」のありかたについての説明をされました。
それぞれのマンションや町内会に分かれて、要支援者支援の在り方について意見交換をしました。
「マンションでも同じ階でもどんな人が暮らしているのか知らないです。それではいけないので、声掛けしてこうした防災の行事に参加いただけるような働きかけをします。」
「商業店舗の多い町内です。数えたら賃貸マンションを除いて町内会に入っている人はス数名ですね。」
活発な意見交換が行われていました。自らの意志で参加された高校生が居ました。それだけでも素晴らしいです。
各地域により特色があるもんだと感心しました。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2018年8月29日に二葉町・稲荷町ブロックの地区防災計画意見交換会を開催します。
(地区防災計画とは)
東日本大震災(2011年)直後の2013年に災害対策基本法が改正されました。「上意下達式」の地域防災計画ではなく、「地域コミュ二ティ主体の減災活動」と「基礎自治体(高知市など)との協働で作り上げる「地区防災計画制度」(内閣府)が制定されました。
下知地域は2015年度には内閣府のモデル地域となり、2016年度は皆、2017年度は、高知市のモデル地域となり、3か年の意見交換会を経て「下知地区防災計画」を策定しました。
2018年5月17日に、下知地区減災連絡会(森宏・会長)から、高知市防災会議議長(岡﨑誠也・高知市長)に策定した下知地区防災計画が提案されました。8月2日に高知市防災会議にて、提案は受理され、高知市地域防災計画に位置付けられました。
(ブロック別・意見交換会の意義目的)
下知地区防災計画は、3か年に渡り意見交換されてきました。各地域の単位自主防災会の役員の皆様や、町内会の役員の皆様、民生委員や社会福祉協議会の皆様や、福祉関係施設の皆様や昭和小教員の皆様、地域内連携協議会の皆様も参加されました。
その3年間の意見交換をまとめたものが「下知地区防災計画」になっています。それは1つの方向性にまとめるものではありません。
より多くの地域の人達の意見が述べられ、反映されてこその「下知地区防災計画」です。
今日の意見交換会は、何を発言されても構いませんので、参加者全員が発言されてください。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
今日は銀行と市役所へ行く用事がありました。少し時間がありましたので献血センターへ寄りました。400ML献血をしてきました。今回で103回目でした。
私はA型の血液ですがm日本人にはとても少ないRHマイナス型です。A型のRHマイナス型も常に血液が不足するそうです。体調の良い時に献血をするようにしています。
還暦過ぎた私の年齢になりますと男の場合は、悪性腫瘍や生活習慣病などになり、薬を常用している人も多く献血が出来ない人が多いとか。言われてみれば「なるほど」と思いますね。
献血できるうちは健康と言う事です。看護士さんが「70歳の誕生日前日まで献血できますから元気で頑張ってください。」と励まされました。写真も撮っていただきました。
「血液の出が良いのですぐに終わりました。」と10分足らずで献血は終わってしまいました。
献血しながらワイドショーを見ていました。先日お亡くなりになった漫画「ちびまるこ」の作者のさくらももこさんと特集をしていました。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2018年8月27日(月)は高知市下知弥右衛門地区の意見交換会が、午後7時より弥右衛門ふれあいセンターで行われました。下知地区減災連絡会(森宏・会長)の弥右衛門部会(岡﨑修一・部会長)の呼びかけで開催されました。
34名の参加者があり、住民だけでなく、企業や福祉事業所や津波避難ビルの所有者など、地域の多様なメンバーが参集していました。
まず岡﨑部会長が挨拶されました。
「ようやく今日と言う日を迎えることが出来ました。弥右衛門地区は新しく、町内会や防災会がない地域もあります。今日は地域の中で初めて会う人もおられると思います。自己紹介をされて地域の現状を話し合い、解決策を見つけて行きましょう。」
続いて下知地区減災連絡会坂本茂雄事務局長から、下知地区防災計画の概要説明がありました。3年間意見交換した結果、基本方針とコンセプトは、「伸び伸びと遊ぶ子供たちを中心に、地域の繋がりで、楽しく安心して暮らせる災害に「も」強いまち下知」です。事前復興計画で、下知地区の目指す姿を明示します。そのためには個別計画を実行テーマにして「命を守る」「命をつなぐ」「生活を立ち上げる」ことを、揺れ対策、津波対策、長期浸水対策を検討してきました。
「地域コミュニティがしっかりある地域は、災害にも強い地域です。」まずご近所の繋がりを大事にしていきましょうと言われました。
地域防災推進課中山瑞稀さんからは、想定される南海地震で弥右衛門地区の揺れや、地盤沈下、浸水、津波、長期浸水の状態の説明がありました。高知市の防災対策事業の概要の説明もありました。
弥右衛門地区の現状と課題が参加者各位が理解されたと言うことで、近隣町内ごとに集い、5つのテーブルで意見交換をかわしました。各自の自己紹介や地域の課題を皆が言い合い、地域の課題の解決策について議論をされていました。
「コミュニティが弱っている。町内が顔見知りになるイベントを企画したいと思う。」
「情報を伝える、また受信することがとても難しい。」
「津波避難ビルの位置などが知らないので、まち歩きをしたいと思う。」
「町内のコミュニティをつくるためにもバーベキューなどを企画しています。」
など前向きな意見が数多く出されていました。2年前の弥右衛門地区での意見交換会よりも格段に人数が増え、活発な意見が出ました。弥右衛門地区での意見交換会は大成功であると思います。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
今年は猛暑でした。鉢植えやプランターに植えた樹木も元気がありませんでした。そのなかでも猛暑をものともせず生育したのはネギでした。
日頃言お世話になっている有機農家の井上正雄さんところのネギを、根っこを捨てずにプランターに移植。水やりをしたぐらいで成長に何度も「収穫」出来ました。このところスーパーでも野菜全般が高いので重宝しています。
ゴーヤも「グリーンカーテン」にするために植えていましたが、あまりの暑さで枯れてしまいました。朝晩にはプランターには水やりをしますが、あまりの暑さでプラスチック製のプランターが暑くなり耐えられなかったんでしょう。土植えであれば育ったと思いますが、暑さにはゴーヤさんでも耐えられませんでした。
その点ネギは強い。井上正雄さんは「ネギは暑さ寒さに強い。」とのこと。
そう言えばこの下知地域。昔はネギ畑が多かった(子供時代)記憶しています。荒れ地に良く育つのがネギであると思いました。
また時間的余裕ができれば五台山市民農園にも植えてみたいものです。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
台風20号の高波も治まったようなので、家内の許可を得て、夜須へ海の散帆にやって来ました。昨夜は家内は友人と豪華なディナーを楽しみ、送迎を遅い時間帯にしましたので。今日は私が楽しませていただきます。
気が付けば8月も下旬に。来週で8月もお終いですね。8月4日の「海体験」のサポートで「ぎっくり腰」になりましたが、ようやく完治しました。やはりお腹周りに贅肉がついている部位は、筋力が弱く、痛めたようです。今後はその部位を無理なく鍛え、ぜい肉を取り除く努力をしないといけないですね。
今日は何故がうねりがあり波が意外に高かったです。波と波の間が短く、風も弱かったので出艇に何度も失敗しました。まともに波を被りヨットが浸水する有様。その場合は砂浜に着艇し、水を取り除いてかラ出艇しました。
沖合へ行きましても風が弱くうねりだらけ、まともに帆走せずローリングします。快適さには程遠い状態でした。90分頑張りましたが、ギブアップしました。
着艇がまた大変。大潮の干潮で砂浜が島のように露出しています。それから乗揚げ、トレーラーを持って来て引き上げました。今日は出艇時も、着艇時も重労働でした。普段使わない筋肉を酷使したのでまた年寄りは明日あたりから痛みが出るやもしれないです。
週明け半ばからは秋雨前線が南下して来るので、雨模様でしょうから週末は。贅沢は言えませんが、「重労働」の海の散帆でした。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
下知地域の地域代表の市議である高木妙さん。昨年6月より第113代目の高知市議会議長公務の激務の合間にも、地域活動を精力的に行っておられました。
2018年8月23日(木曜)ですが、高知市が開設した避難所を訪問された後に、立ち寄っていただきました。下知コミュニティ・センターには午後4時現在10人避難者が来られていると高木妙さんに聞きました。(午後6時過ぎには14人になっていると坂本茂雄さんから聞きました。)
その折「高木妙・定期便・2018年夏の特集号」をいただきました。1面には議長の公務報告と平成30年度高知市の重点施策が掲載されています。南海トラフ地震対策と地方創生強化に集中しているとか。
2面・3面は「南海トラフ地震対策「安心」を積み上げてという地域活動が掲載されています。
2面の「丸池町に待望の津波避難施設完成」は画期的なことでした。丸池町は低地の市街地(海抜0メートル)であり木造低層住宅ばかりで、高齢者比率が高く、津波避難ビルが皆無の地区でした。高木妙さんは、市の施設である勤労者交流館に外付け階段と、屋上部に手摺を設置し350人の避難が可能な施設を提案し、実現しました。おかげで津波避難困難地区の1つが解消されました。
3面は下知地区連携協議会と高知市長との意見交換会時に、当時の昭和小PTA会長から市長に対し、「低学年のトイレの不足の解消」「トイレの洋式化の要望」がありました。昭和小は災害時の避難所になっています。避難時でも安心して利用できるようになりました。
下知地区防災計画を高知市防災会議議長(岡﨑誠也高知市長)に、2018年5月17日に提出しました。8月2日の高知市防災会議でも下知地区防災計画が紹介され、「下知地区防災計画で提言された内容を高知市地域防災計画のなかに反映する。」ことpになりました。
高木妙さんは下知地域の弥右衛門地奥での活動に尽力され「弥右衛門防災部会」の発足に繋がりました。
4面の「編集後記」にこう書かれています。
「下知地区防災計画策定の3年間は、災害に対する意識や行動力、議論から合意形成を導く力も磨かれました。
丁々発止の議論を経て、最も大事なのは「コミュニケーションだ!」との集合知は正直意外でした。
災害時に重要な事は「よい人間関係」を築くこと。また被災後も「不便だが不幸ではない、人。暮らし。街を目指すと目から鱗の箴言(しんげん)です。」
「防災」は特別な事でもなんでもありません。日頃の地域コミュニティが保たれている地域は「災害にも強い」のです。下知地区防災計画3年間の結論は、「被災前の日常から地域コミュ二yティの繋がりを大切にして、その活性化を図ることで、災害に「も」強いまち・下知」をこしらえていくことです。
今後も「地域代表」として頑張っていただきたいと思います。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2018年8月24日(金)ですが、午後から母(92歳)と一緒にはりまや橋サロンへ行きました。台風20号で昨日は散々脅かされましたが、高知市は何事もなく終わりました。
雨の合間に行くことにしました。歩行補助車は持って行きませんでした。最初はコロッケ屋さんで夕飯のコロッケを買いました。谷ひろこさんのお店も山岡さんのお店も今日はお休みでした。こころなしか露店市も少なめでした。
活き活き100歳体操(介護予防体操)の会場準備をしました。今日の参加者は11人でした。時折激しく雨も降りましたが、体操はテントの下でやっていましたので大丈夫でした。
片付けして降りやみに帰ることが出来ました。母も元気に体操しました。母も通いだして13年目になりました。継続は力ですね。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2018年8月23日(火曜)ですが、母(92歳)は。介護予防通所リハビリへ午後から行きました。12時10分前後に迎えに来ますので、11時過ぎに早めの昼食を食べ、トイレにも行って送迎車を待ちます。
送迎車が来ますと乗り込んで行きます。火曜と木曜日の介護予防通所リハビリは亡き父と一緒に行っていました。1人でも嫌がらずに行ってくれますので助かっています。
父は週に5回通所していました。超高齢者でありながら、入院(1月19日)の直前まで通所していました。父は懸命にメニューをこなしていたそうですが、母の場合はのらりくらりです。
それでも自立歩行が出来ますから、通所リハビリのお蔭であると思いますね。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
先日高知市役所の職員の人が来られ、チラシを置いて行かれました。
「不動産公売のご案内」
「差し押さえ不動産を入札により売却しますので、ご案内させていただきました。」とありました。
その不動産物件がある場所は、自宅から東へ100M位の所にあります。木造の平屋で地区53年。以前は鮮魚店ではなかったでしょうか?
入札は10月に市役所庁舎で行うそうです。問い合わせ先は高知市役所税務管理課滞納整理係です。
最低入札価格が370万円ぐらいです。
以前親しい不動産屋さんに聞きました。
「下知の土地ですか?売れませんね。ただでもいらんと言われていますから。」の事でした。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
台風20号接近に伴い高知市は「避難準備情報」を2018年8月23日午前10時に発令しました。「避難準備」の意味は「避難準備・高齢者等避難開始。いつでも避難できるよう、非常用持ち出し品を用意し家族や近所の人と連絡を取るなどの準備をしましょう。
避難に時間を要する人(ご高齢の方、障害のある方、乳幼児をお連れの方など)は避難を開始しましょう。」ということです。
先般の西日本豪の折でも広島県のある町では、町内会のリーダーが「避難準備情報」が発令された時点で、町内の高齢者・要支援者に声をかけ、車で安全な隣町へ避難されました。翌日に自治体から「避難指示」が出ましたが、その時点で土石流に集落は押し流され跡形もなくなりました。町内会のリーダーのお陰でその集落は誰も犠牲者が1人も出ませんでした。「早めの避難」の成功実例です。
さて若松町と二葉町の境目にある防災行政無線で、高知市が「避難準備情報」んも発令を伝達。近くの下知コミュニティ・センターが避難所として開設されました。
午前10時半に下知コミュニティ・センターを訪問しましたが、既に避難所は開設され、2人の市役所職員(女性)が事務所に待機していました。まだ避難している人はいませんでした。
2階の下知市民図書館も午後3時に閉館とか。なかなか避難所開設と同時に閉館することは「どんな事情と理由があるのか?」不明ですが、なりませんね。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2018年8月23日午前10時に高知市は、「高齢者・避難準備情報」が発令されました。下知コミュニティ・センターも避難所開設されました。
倉庫もシャッターが飛ばない対策を行い、植木鉢などはすべて倉庫に収納しました。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2018年8月22日(水)ですが、下知コミュニティ・センターにて18時30分から防災部会が開催されました。ご多忙の中13人の部会メンバーが参加いただきました。今回の議題は以下のとうりです。
(報告事項)
市役所 水害時避難所開設担当職員との連携について
災害時の鍵の管理についての市役所との協議について
(議題)◎意見交換をします
防災備品の購入について
防災倉庫の整理と活用について
避難所運営について
その他・意見交換 でした・
「市役所 水害時避難所開設担当職員との連携について」
6月22日(火曜日)に、市職員の下知地区の水害時避難所開設担当職員と坂本茂雄コミュ二ティ・センター運営委員会会長と下坂センター長と顔合わせをしました。新しく担当になった職員もおられ、センターの施設の説明をされてとのことでした。
「災害時の鍵の管理についての市役所との協議について」
下知コミュニティ・センターの施設管理者である高知市地域協働部地域コミュニティ推進課との協議を行いました。市役所側はセンター職員、図書館職員、鍵管理人に鍵を渡している。また市役所の水害時避難所開設担当職員にも鍵を渡している。現状ではそれ以上鍵を渡せる状態ではないとの説明。それでは災害の緊急時に対応できないことを地域防災の立場で地元要望として伝達。継続協議することになりました。
「防災備品の購入について」
国際信号旗の「連絡旗」の購入。下知コミュニティ・センターの非常階段部へのセンサーライトの購入が承認されました。
「防災倉庫の整理と活用について」
4階と5階の防災倉庫が狭い。整理・整頓して必要な備品を在庫するようにすることになりました。シャベルやリヤカーは1階倉庫に置くことになりました。
「避難所運営について」
10月28日(日)に下知コミュニティ・センター全館(図書室を除く)にて、二葉町襦民を中心とした防災避難・避難所開設・運営訓練をすることに防災部会も共催と言う形で協力することが承認されました。
下坂センター長より「台風20号の接近していますので明朝8時半に市役所は協議し、上京により「避難準備情報」を発令する可能性があります。発令された場合は午前10時から下知コミュニティ・センターは避難所開設をします。」と報告がありました。
また市役所との「協議事項」については、下知地区防災計画を高知市に提案したこともありますので、市役所幹部との協議を行うことに賛同が得られました。
明日以降の台風20号の動向も気になります。第1回防災部会は午後8時に終了しました。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
高知市・下知地区減災連絡会(森宏・会長)の年3回発刊の広報紙「広報「下知減災」が、このほど坂本茂雄事務局長のご尽力にて、20号が発行されました。
1面は「下知地区防災計画」を高知市防災会議(会長・岡﨑誠也高知市長)に、2018年5月17日に提案したことが記事になっています。早速8月2日に開催されました「高知市防災会議」にて「下知地区防災計画」が、高知市地域防災計画に位置づけられました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2018/08/post-f304.html(高知市防災会議を傍聴)
これは災害対策基本法が、「地域住民主体の地区防災計画を地域防災計画に反映させることができる。」という事例の1つになりました。下知地区防災計画の「肝」は、「地域コミュ二ティ力を向上させることで、災害に「も」強いまち」であることと、「災害を想定し、すみやかな復興・復旧を行うために「事前復興計画」を概念化し、治勲防災計画の中核に位置づけた。」ことです。
3年間継続した下知地区防災計画を今後は、下知地域の各町内、各単位自主防災会にて「災害リスクから住民各位の命を守るための「揺れ対策」「津波対策」「長期浸水対策」を「すぐやる計画」で実践化していくことです。
2面では3月22日に開催されました下知地区減災連絡会・臨時総会にて「下知地区防災計画」を承認しました。また江ノ口川北側の弥右衛門地区での減災活動を高めるために、弥右衛門部会が結成され、承認されました。
3面では「2018年下知地区ブロック別意見交換会」のスケジュールが表示されています。8月27日の「弥右衛門地区」からスタートし、8月29日は「二葉町・稲荷町」、9月13日は、「弥生町・日ノ出町、丸池町まで、7カ所で開催予定です。
5月20日には、江ノ口川に隣接した低地の市街地でありながら、津波避難施設が皆無であった丸池地区に。ケンぺル(勤労者交流館)に屋上へ避難するための外付け階段が設置されました。
4面には各単位自主防災会の研修や訓練、下知地区減災連絡会の講習会や総合訓練のスケジュールが「下知減災カレンダー」として掲載されています。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2018年8月18日ですが、夜須から「海の散帆」から戻り、やおら「藁工夏祭り」へ行きました。金足農業高校が、逆転サヨナラ勝ちして直後でした。
2018年8月18日ですが、夜須から「海の散帆」から戻り、やおら「藁工夏祭り」へ行きました。金足農業高校が、逆転サヨナラ勝ちして直後でした。
秋田出身の福谷さんにお伝えしましたらお悦びでSNSに秋田の友人たちとのやり取りがすごいでした。町内会の荒木さんも楠瀬さんも、岡村さんも5時から飲んでいるようでした。
下知地区減災連絡会もブースを出していました。坂本さんや横田さん、大崎さんが頑張っていました。中山さん。橋村さん、山本さんが応援に来ていただきました。
なんせ狭い敷地の中は身動きのできない人たちでした。正直炎天下の「海の散帆」の後の立ち仕事は辛かったです。
でも腰痛にならずに乗り切りました。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2018年8月14日(火曜)ですが、午後6時半から下知コミュニティ。センターにて「下知地区・避難行動要支援者対策勉強会が開催されました。開催団体は下知地区減災連絡会・下知地区町内会連合会・下知地区民生委員・児童委員協議会、下知地区社会福祉協議会、下知地域内連携協議会、下知消防分団が呼びかけ、関係者60人が集まりました。
下知地区の呼びかけ団体のリーダーが前列に座り、まず挨拶されました。そして高知市地域防災推進課より「災害時における避難行動要支援者の避難支援について」の説明が資料を基にされました。
各地域代表から、会場から活発な意見がでました。詳細については後日行います。
今日のトピックは、5月から熊本県へ転勤された中岡寛典さん(前下知地域内連携協議会事務局長)が、里帰りをされ顔をみせていただきました。感動したので2ショット写真を撮りました。遠路(800キロ)の帰省ご苦労様です。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
ブログの記録を再読しますと、7月14日以来の「海の散帆」です。その間に2回サポートがありましたが、自分のためだけに海で帆走したのは1カ月ぶりでした。悪天候もあり、体調不良もありましたから。
台風19号が西日本方面に接近しているようで、うねりが心配でしたがそれほどでもありませんでした。早朝は五台山市民農園で草引きができました。ぎ装なども作業もこなせましたし、結構風がありましたから、体幹トレーニングにもなりました。
午前中は風が良く赤岡沖まで帆走しました。ランチの後も海へ出ましたが、うねりが目立ちました。久しぶりの海の散帆を堪能させていただきました。
今日は午前中も午後もシーカヤックの体験をやっていました。このところ肩こりで首が凝り、起床時にめまいがありましたが、海の上で体を動かすことで凝りが取れました。家族のお蔭で充電させていただきました。
今夕は地域のイベントで「藁工夏祭り」があります。まもなく出ます。手伝いとしては役に立ちませんが。「その他大勢」のスタッフです。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
昨夜は夜は涼しい。寒くて目が覚めました。猛暑は終わりました。これから「夏眠」していましたので稼働率を上げて行きます。
途中三石の五台山農協婦人部の野菜良心市にて、ネギとピーマンとブドウを買いました。野菜が高いので助かります。
2018年8月18日ですが、悪天候やら、体調不調で、1月ぶりに行きました。7月14日以来です。ぎっくり腰は95%回復しましたが、座り込んで雑草引きをするとまた痛くなるかもしれrません、様子見しながらやってみます。
大雨が続いたりしていましたので雑草が伸びていました。タイモが大きくなっています。そのまわりの雑草を引き抜きました。久しぶりの作業でしたので大汗掻きました。
家内の許可が出ましたので、久しぶりの「海の散帆」へ行きます。台風のうねりが出てくれば。散帆はできませんので、もう少ししたら出掛けます。様子見しながら慎重に見極めます。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
「意識髙い系」の研究」(古谷経衡・著・文春新書・2017年刊)を讀みました。週刊現代2月10日号にの佐藤優氏のコラム「名著。再び」の書評は、うなずくことが多い文章でした。その書評もありましたので、新刊を書店で購入し読みました。
「「努力する覚悟も能力もない それでも承認はされたい!「現代病」の実態」と今回の佐藤優氏のコラムの題名です」
現代日本社会の病理・自称「意識髙い系」の人々
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2018/02/post-a212.html
筆者は1982年の札幌生まれ。立命館大学を卒業後、現代は千葉に住んでいます。うちの子供世代の同世代です。「謄写版世代」の私なんぞと違い、インターネットやパソコンや情報端末が成長期に最初から存在していた世代とは、発想などは違いますね。
SNSに多く登場する「ノマドワーカー」「愛国女子」や「ハローウィン」などわたしらの年代には理解不能な人達が出て来ます。それは「スクールカーストが生んだ被害者「意識髙い系」であると言います。
「彼ら「意識髙い系」の人々が、あくまで現代日本風にアレンジせしめた、実に卑小で輪郭の伴わない、社会的利益や公共への奉仕、あるいは自分磨きやスキルシップ、社会的弱者や地域・国家・世界への貢献と言う、「一見してだれもが納得しうる美辞麗句」を多用する一方で、その「抽象的な高次の大義」の下で遮断された欲望もまた、領土的な野心や帝国の建設などと言う壮大なものではなく、ひどく不細工で劣等なものばかりだからだ。
その「小ささ」に再び幻滅するのである。(P134「欲望を隠す気持ちの悪さ」)
長々と記述された著者の文章を書き写しながら、その「おぞましさ」を感じますね。なんだか「どうでもいい」存在ですが、SNSではご活躍されているのでしょうか?
この著作を紹介した佐藤優氏もこう書いています。
「大学生や20~30代の青年で、承認要求が肥大化しているが、実力が伴わない人がときどきいる。こういう人に勉強法を指南しても、継続的な努力が出来ないために、成果を全くあげることができない。
自分の力は標準に達していないのにかかわらず、他人を見下す傾向がある。また、こういう人は、ノマド(遊牧民)、シンギョラティ(特異点)などのカタカナ用語をあちこちに千ラバめるが、その意味を正確に理解しているとは思えない。
こんな生き方をしても滑稽で、誰からもまともに相手にされなってしまうことくらいわかる筈なのに、立ち居振る舞いを矯正することができない。本書を読んで、こういう人たちは「意識髙い系」というカテゴリーに括られ、独自の内在的論理をもっていることがわかった。」(週刊現代2月10日号 P116)
「(うざい、痛々しい、不愉快、とだけ形容される「意識髙い系」は漠然とした忌避や嘲笑の対象としてネット空間のみならず、いまやドラマなどのテレビ番組の中でも使われるほど単語として市民権を得た)古谷氏は指摘する。」(週刊現代2月10日号 P117)
佐藤氏はまたこう言います。
「学生時代と社会に出た初期に、自分を評価してくれるまともな大人との出会いがないと「意識髙い系」になりやすいのだと思う。」(週刊現代2月10日号 P117)
わたしの場合は、社会人2年目に森雅弘さんと言う許容量の大きな上司に恵まれました。当時は42歳で営業のスーパースターでありましたが、持論を押し付けることもなく、生意気な若造の主張を根気よく傾聴していただき、「そこまで言うならやってみろ!!」と背中を押していただました。今でも交流を続けている人生の師匠です。
また担当していた得意先のオーナーの荻野正吾さん、正宏さん、賢二さんとの出会いがあり、ご指導いただいたことが、社会人のスタートとしてはとても幸運でした。仕事の意義。営業のやりかた、商売人の心得を叩きこまれました。
せっかくのご指南をほぼ40年近く活用できませんでした。わたしは無能でした。昨年からそのことを思いだし、真摯に努力しますと少し結果が出ました。「遅れてきた青年」は初期高齢者となりましたが、「人生125年」の老師の教えに従い「人生まだまだこれからだ」と奮闘してみようと決意しているこの頃です。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2018年8月17日ですが、28年ぶりの盆休み明けでした。盆休みは「手続き」作業に追われ、役場と法務局と銀行へ行ったり来たりしました。先週は「よさこい」の関係ではりまや橋サロンはお休み。2週間ぶりに母(92歳)と行きました。
商店街近くのコインパーキングに駐車し、まずは夕飯のコロッケを購入しました。谷ひろ子さんのお店で焼き菓子を購入しました。
今日の活き活き100歳体操は参加者は少なめでした。8人の参加。母も元気に体操をしていました。
会場の片付けをした後に、母と冷しぜんざいを食べました。暑いので美味しかったです。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
今日は母(92歳)の月に1度歯の手入れに行きました。自分での歯磨きが難しいので、歯のメンテナンスです。「自分の歯」でご飯が食べられることは高齢者でも必要です。
14日は私の歯の手入れに行きました。なんと2年近く行っていないので、レントゲンや歯の検査をしていただきました。軽い虫歯と歯周炎があるようです。歯の手入れの仕方を教えていただきました。
両親は歯が丈夫で昨年「いい歯」で歯科医師会から表彰を受けました。私にもその良い遺伝子が継承されていると思います。それだけに定期的なメンテナンスは必要であると思いました。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
宮城県名取市で、住民主導の復興まちづくり活動をされている一般社団法人ふらむ名取が発行されています「閖上(ゆりあげ)復興便り もう1度心をひとつに」(編集長:確井直光さん)より第50号が送付されてきました。
1面には「復興庁より表彰」された記事が掲載されていました。「ハード面の復興は役所。ソフト面の復興は私たち被災者がお互いを助け合うこと。」という決意を実行されてきた実績を評価されたことと思いました。
2面には「閖上神社の再建」が嵩上げ地似て本格化する記事です。また閖上地区のランドマークでありました日和山周辺も、メモリアル公園の整備とともに変貌されるとのことでした。
3面は復興が形になり家屋が嵩上げ地に建っている様子を報告されていました。4面は8月の地域のイベントや盆踊りについてのお知らせ記事も掲載されています。
広告も含め地域情報満載の「閖上復興便り」にはいつも感心しています。力強く復興されている閖上地区住民各位の詩型を垣間見ることが出来ました。震災直後から発刊されて通算50号。素晴らしい地域活動です。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
正午に1分間の黙とうをしました。戦没者を追悼し平和を祈願しました。
1945年8月15日、日本は全世界を敵に回した無謀な世界大戦に敗戦し、戦争状態が終わりました。昭和天皇の命がけの玉音放送がなければ、日本本土は凄惨な地上戦が展開され、より多くの日本国民が亡くなり、国土は破壊しつくされたことと思います。
1947年に制定されました日本国憲法。第1条の「象徴天皇制」と第9条の「戦争放棄」の条項は相互リンクしています。戦争放棄の条項を提案したのは幣原喜重郎氏でした。吉田茂内閣に時代ですので、日本国憲法は保守政治家が提唱し、制定したものでした。
戦争放棄の条項と象徴天皇制が相互リンクしているので、昭和天皇は占領軍からの戦犯として東京裁判に出頭することなく済みました。軍を統治することを永遠に放棄し、平和を国民とともに永遠に祈願する存在に天皇は変わったのです。
卑屈極まりないアメリカ従属外交と、復古主義的な思想にとらわれた安倍自民党政権。「国民主権」「基本的人権」「平和主義」の日本国憲法に対して「異常で異様な憎悪」を持っている安倍晋三。国民一般の社会常識から大きく外れた人物が日本国首相になっていることに違和感を常に感じます。国民政党自民党のあるべき姿ではありません。
安部晋三氏が「何故今日本国憲法を改正し、破滅した旧日本帝国モデルに執着するのか、」よくわかりません。大日本帝国は「成功事例」ではありませんから。みじめに破たんした失敗事例です。
2016年に岸田文雄氏は外相時代に、オバマ米国大統領の爆心地広島を訪問を実現させました。それはとてもいい事でした。しかし岸田氏は宏池会という自民党の老舗の政策グループの長でありながら、安倍晋三首相の3選を支持し、自らは自民党総裁選挙に出馬しませんでした。これで岸田氏の政治生命は終わりました。
日本は地政学的に近隣諸国に難しい軍事大国があります。独裁国家ロシアと独裁国家中国です。かつて帝国日本の植民地であった北朝鮮は核兵器を保有する独裁国。民主国家韓国は反日を精神的な支柱にしています。海を隔てて超大国アメリカがあります。敗戦後73年経過するのに巨大な軍事基地を沖縄を中心に置き続けています。「日米地位協定」は実に屈辱的な内容です、
安倍晋三首相は憲法の改正を言う前に、屈辱的な「日米地位協定」を改訂すべきです。米軍基地の70%が、国土の0・6%に集中する異常を改善する義務があります。米軍駐留を縮小させ、その分を国民的な合意を取り付けながら自衛隊を駐屯させるべきでしょう。
自衛隊基地となれば巨大な辺野古基地の建設は不要です。専守防衛のための軍事の在り方の議論はひつようであります。また難しい近隣国との善隣友好外交を展開し、不要な摩擦は起きないようにしないといけません。
「緊急事態要項は不要」
自民党のもう1人の総裁候補者である石波茂氏の「大災害対応時には緊急事態要項が必要」という見解は疑問。事情に精通している基礎自治体に任せ、国は後方支援すべきです。
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/cat4872789/index.html
(大災害対応を名目の憲法改正はおかしい)
日本は「災害大国」です。石破茂氏のもう1つの政策「防災省の設置」構想については賛同します。地震・噴火・津波・大雨。台風・大雪など日本国は「これでもか」と言うぐらい災害が多い国です。
自然災害に加えて「戦争災害」を加えないようにしてもらいたい。安倍首相は「戦争災害」を引き起こそうとしているようにしか思えません。
2度と戦争を引き起こさないような、卑屈にならない毅然とした外交は必要。そのためには災害支援を災害大国日本はすべきです。軍事力ではなく、災害支援で日本は国際貢献すべきであると思います。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
この数年来、個人的な「こだわり」から、大風呂敷を広げ「連合赤軍と新自由主義の総括」と言う題目で自分なりに精一杯考えていました。私自身はその時代「渦中」にいたわけではありません。田舎居住の小市民にすぎない私は、高校生時代から連合赤軍と新自由主義の影響を常に受け続けて来ました。
「多様性を圧殺する組織は、右も左も大嫌いです。」
連合赤軍と新自由主義に共通していますのは、「一元的な価値観ですべてを解釈し、人々を統制下において支配し、多様性を認めない世界観を持っている。」ことです。
偏狭で狭小な「革命史観」ですべてを解釈し説明することなど到底不可能。連合赤軍は、ロシア革命のカリスマ独裁者レーニンの「民主集中制」という組織原理から派生しているだけに、構成員は逆らうことが出来ず、仲間の殺害と絶望的な武装闘争に加担し破滅してしまいました。当時一時的に興隆した新左翼系の社会運動も道連れにして滅亡してしまいました。連合赤軍事件前後の新左翼党派間の「内ゲバ」抗争も重なり、絶望感もあり、国民各位が政治に対して失望感を抱きました。以来「政治のしらけ」「社会運動の停滞」が日本社会に続いています。
いい加減で強権的な自民党安倍政権が長期に継続している大きな要因は、対抗する野党を含めきちんとした社会勢力が現れないし、国民の支持を集められないところにありますね。
一方の新自由主義は、「自由奔放な経済の発展」を表向けにしていますが、実態は多様性を否定する独占資本主義の擁護に過ぎません。ある意味「社会の多様性」を保証する([棲み分け)を促すための規制が諸悪の根源と攻撃し、「規制緩和」を叫んで、独占資本の闊歩と横暴さを社会に蔓延させるだけの粗悪な経済原理でした。規制緩和でイオンが店舗を展開しますと地域社会に根付いていた地方の商店街は壊滅しましたから。
偏った世界観や価値観を社会全体に強要し、人々の多様性を全否定する考え方とは決別しないと世界は発展しません。右であれ、左であれ、価値観の強要と、独裁主義は大嫌いです。
「世界的な排外主義・差別許容の風潮を憂う。」
多様性を否定する自国優位主義、民族優位主義、差別主義の台頭が最近世界各地で目立つ。日本でも「復古主義」で排他的な自民党安倍晋三政権の長期支配が継続している。「偏狭な復古主義的な世界観で、すべてを推し量り支配しようという強引さ」が目立つ。
偏狭で排他的が故に、結果世界中を敵にまわし、多大な犠牲を自国民にも近隣諸国にも強いて無残に破たんした大日本帝国。その「破綻した国」に戻ろうとして憲法改正を叫ぶ理屈は、理解不可能です。排外主義と独善主義、差別主義が混じっている「復古主義」に政権政党の自民党が支配されていることが怖いです。
安部晋三政権の政権運営は、「日本人の本来持っている謙虚で真摯で、生真面目で、多様な価値観を許容する伝統を全否定する。」ことばかりしている。先の大戦の戦没者の供養と敵味方なく行っている今上天皇陛下の平和主義、護憲主義を無視した不敬な発言を安倍政権は行い続けています。
今年は大阪北部地震や、ほどなく起きた西日本豪雨の災害が起きました。従来災害襲来地とされなかった地域での災害。国民は誰も「災害では死にたくない。」と思います。「国民が死なないようにする。」「死なせないことをすることが政治」の本質であると私は思います。しかし現在の日本国の国政は、その理念で行われてはいません。
偏狭な復古主義的価値観に支配されている安倍政権は、国民の想いからは、遠く離れた場所で、「勝手なことばかり」しているように見えますね。「お友達優遇政治」「身内だけのえこひいき政治」が目立ち、公共性のかけらも感じません。そのくせ、実に排他的、独善的な差別主義が露骨。「1日も早くj多様性を認めない安倍晋三自民党政権を終焉させましょう。
多様性を進める国や組織が成功を収める。そう確信したのは、経済学者の野口悠紀夫氏の著作「世界史を創ったビジネスモデル」を読んだからでいた。
ローマ帝国は、多様性を認める寛容さで500年間広大な領土を維持できました。
以前書いた「読書感想文」から引用します。
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/post-c460.html
(世界史をつくったビジネスモデル)を讀んで
戦前の日本帝国と対照的なやりかたで世界帝国を建設し、しかも500年間存続させた古代ローマ帝国を事例として野口悠紀夫氏独自の視点で分析しています。
「ローマ帝国は成功した。それは、分権化した国家機構、小さな官僚機構、自由な経済活動、平和、強力な軍などの条件による。」
「ナチスドイツが寛容政策を取っていれば、第2次大戦の結末は違うものになっただろう。ソ連が市場経済制度を導入していれば、集権下に伴う問題を回避できただろう。
野口悠紀夫氏は日本の現実をこう指摘しています。
「今の日本では、分権的な機能が機能しておらず、官僚機構が肥大化している。国全体も地域も企業も、異質のものを排除し同じ仲間だけで集まろうとする。
古いビジネスモデルに固執して、新しい技術の導入を怠っている。異常な金融緩和政策で財政支出をまかない、企業は国の介入に依存するようになってきている。これらはきわめて深刻な兆候だ。しかも無視ないしは、軽視されている。
日本は歴史に学ぶことができるのだろうか?」(P443)
「ナチスは人種的偏見のためにユダヤ人科学者を失った。これは、ローマ帝国がその末期に、ローマを守るゲルマン人を人種的偏見から排斥したのとそっくりだ。だから失敗すると予測できる。」
「ソ連の全体主義計画経済は、ディオクレティヌス帝以降のローマ帝国と殆ど同じ構造である。したがって、ローマ帝国のような崩壊の道を辿るだろうと予測できる。」
「中世のイタリアでは、都市国家が発展した。近代のヨーロッパも国家が分立していたからこそ進歩した。ところがEUはそうしたヨーロッパの歴史と異質のものである。
EUはローマ帝国と同じだと思っている人が多いが全く異質だ。したがって、いずれ失敗すると予測できる。イギリスのEU離脱は、EUが終わりに向かう過程の始まりだろう。」
「ドナルド・トランプ米大統領は、自由な貿易を否定し、伝統的な製造業をアメリカに復活させることによって、失業した労働者に職を与えようとしている。そして移民や外国人労働者に対して非寛容な政策をとろうとしている。
こうした政策が失敗するのは、火を見るより明らかだ。このような政策がアメリカを強くするなど、決してない。それは確実にアメリカの産業力を弱めるだろう。
トランプ大統領の政策は、控えめにいっても時代錯誤の復古主義だが、国のビジネスモデルの基本から見ても明らかに誤りだ。
建国以来のアメリカは、古代ローマの再建を目指し、そのビジネスモデルを意識的に模倣した。その理念は「異質性の尊重と寛容」だ。バラク・オバマ大統領が退任演説で強調したとうりである。」
「IBMがサービス事業に転換し、アップルが水平分業を実現し、グーグルがインターネット時代のビジネスモデルを構築した後の世界において、モノを作ることに固執するのは無意味である。
シャープが失敗するだろうことは、かなりの確度をもって予測できた。これはビジネスモデル選択の問題であり、よく指摘されているような人事をめぐる内紛の問題ではなかったのだ。」(P447)
「予測の自己実現効果で社会が進歩する。」
引用箇所が多いですが、この本の「エキス」であると思いますので、そのまま引用します。
「歴史の知識は、勝ち馬に乗ろうとする個人を助けるだけではないことだ。それは社会全体に利益を与える。何故なら多くの人々が歴史法則を知れば、成功すると予測されるビジネスモデルに対する支持が強まり、実際に成功するからである。」
「たとえば、ある会社が、歴史法則から見て成功するだろうと考えられるなら、優秀な人が集まる。そして、会社は実際に成功するだろう。予測は自己実現するのだ。これは「オイディプス効果」とか「マタイ効果」とよばれるものだ。歴史法則も自己実現するのである。」
「成功するだろうと歴史法則によって評価されるビジネスモデルは「正しい」モデルだ。
それが、偶然の些細な条件によって挫折してしまうという事態を避けることができ、本来成功すべきビジネスモデルが実際に成功できれば、社会は進歩する。」
「ナチスのドイツから逃げたユダヤ人の科学者たちは、アメリカが成功すると考えてアメリカに来た。そして、彼らの寄与により、アメリカの科学技術が実際に発展した。
IT革命も同じだ。これはアメリカ人が実現したと言うよりは、シリコンバレーに来た外国人、とくにインド人や中国人が実現したのである。これらはアメリカのビジネスモデルが成功するだろうと言う予測が自己実現した例だ。」
「インターネット時代になって歴史のデータを引き出すのが容易になったので、歴史法則の自己実現効果は強まった。それを巧みに利用できる企業や国家の成長が加速化することになる。」
「ところで、歴史と言う集団記憶を維持できるのは、人類だけである。恐竜は遺伝子を通じて身体の機能や形態を進化させた。そして環境に適応して繁栄し続けた。しかし、集団的な記憶を持っていたのは遺伝子であり、歴史ではなかった。人類だけが歴史を用いて進化することができるのだ。
ナチスドイツやソ連のような国家は、これからは現れないと思う。ただし、それは人々が歴史を知っている場合の事だ。北朝鮮のように歪められた歴史が教えられている国では、抑止効果は働かない。
歴史に対する誠実さを欠く社会は、進歩から見放された社会だ。」(P446)
日本人は多様なものを許容し、共存していくことを得意としているように思います。
12月にクリスマスをお祝いし、大晦日に除夜の鐘をきいて、元旦に神社へ初詣する。結婚式は牧師や神官を雇い、葬式は仏教式で大半は行います。宗教的には「いい加減」と言われるが、寛容さというべきでしょう。ローマ帝国も数10万の神がいました。キリスト教がローマ帝国の国教になり多様性が失われ、帝国は滅びました。
卑近な例を言えば「自分の話は聞いてもらいたい。」が「他人の話は聞きたくない」人が以前より多くなったんではないかと思いますね。
SNSも盛んですが、ネット社会という者は、いつのまにか「自分と似たような境遇、似たような考え方、同世代の人達の偏りのある交流に過ぎないところがあります。「易きに流れますと」交流を広げるためのSNSが、「狭い範囲」での付き合いに終わる事例になってしまいます。
「連合赤軍」や「新自由主義」のダメなところは、「一元的な価値観で人々を支配しようとする偏狭なコミュニティ社会」であるとことです。異論を認め、多様性を認めた社会をこしらえていくことは、「言うは易し」であり、実現はとても難しい。
沖縄の辺野古基地反対運動も、原発の反対運動にしても、政権側からどうしても絶対的な少数派に「押し込まれて」しまいます。とても辛い事であると思います。でも「傍観している」多くの人達は、実は支援したい人達が多くいるのかもしれません。
孤立状態が長く、押し込められている時間が長いと気持ちに余裕がなくなり、手助けしない周りの人達を「なぜ一緒に戦わないのか!!」となじったり、攻撃したりします。左翼一般が総じてそうでした。だから多数派になることが出来なかったのです。
些細なことで対立し、時には暴力的な抗争までしました。「小異を捨てて大同に付く」ことも時に必要。いつでも「少数派」で、いつも「負けている」ことばかりでは、精神的に冷静さを保つことは難しい。
難しいけれども、いつか連携することを信じて、異論を聞き、対話をして握手をしましょう。握手するにもとげがある手では出来ませんから。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
簡素な初盆です。家が狭いし、子供も月初めに再就職が決まったばかり。帰省も出来ないようです。
28年前にして「盆休み休暇」にしました。自宅の掃除して終わりです。お墓は暑いし、母(92歳)を連れての墓参は無理ですので諦めました。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2018年8月10日にいの町役場ほけん福祉課を訪問しました。母(92歳)はいの町住民ですが、事情があって現在は高知市の私の自宅に同居しています。母は要介護3なので、昨年「避難行動要支援者名簿の登録の同意」の要請文が来ていました。賛同して返信しました。
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2017/10/post-8400.html
(いの町避難行動要支援者名簿について)
ただ母は現在高知市に私と同居しています。大災害時の安否確認は役場側でも必要であると思いますので、私の自宅の電話番号、メールアドレス、私の携帯電話番号と携帯のメールアドレス、を応対いただきましたいの町保健福祉課副参事の金子剛氏にお伝えしました。
「各地域では個別計画も立案中。地域での要支援者にたいして、誰が避難する場合声掛けをするのか、一緒に避難するのかを検討しています。」との事でした。
情報は保健福祉課だけでなく、仁淀消防、土佐警察署いの庁舎、いの町総務課で情報共有するそうです。
要支援者である母の情報共有するいの町の関係部署
いの町保健福祉課 088-893-3810
いの町総務課 088-893-1113
仁淀消防 088-893-3221
土佐警察いの庁舎 088-893-1234
◎母が事務上の手続きの連携不足で「生き方不明者」にならないように、事前に手を打つことが出来ました。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
翁長雄志沖縄県知事は、8月8日に急逝されました。10日にお通夜をされ、今日13日に告別式が行われます。本当に惜しい人を亡くしました。心よりご冥福をお祈りします。
翁長雄志沖縄県知事が、まさに「命がけ」で、名護市辺野古への米軍基地建設を阻止するために頑張っておられました。各位は翁長さんの意志を継承し、各分野・方面で辺野古基地建設を阻止しなければいけないと思います。
沖縄県の事情を良く知らない人たちがネット上に「沖縄は米軍基地に依存した生活をしているのではないか」「中国が尖閣諸島をはじめ、侵略の意図を明確にしているので、米軍基地は国防上必要である。」「わざわざ基地の近くに住んでいて、文句を言うのは筋違いだ。」「基地反対運動をしている人達は、中国の手先であり、プロの活動家集団だ。」と言う見当はずれの文章が散見されます。それについて意見を述べます。また私は家内が沖縄出身であり、うちの下の子供も沖縄県の大学に通学していました。そうした個人的な環境と深い沖縄との繋がりをもとに沖縄の基地問題や沖縄県知事選挙についてコメントをさせていただきます。。
1)沖縄県の米軍基地負担は異様に高く過重です。
日本国の国土面積の僅か0.6%の沖縄県に、米軍基地の70.6%が集中しています。
一方で沖縄県経済の米軍基地経済の依存度は、1972年の復帰直後は15.5%から、2015年度は、5.3%と大幅に低下しています。
70%の過重な負担が強いられていますのに、基地経済は僅かに5.3%に過ぎません。「米軍基地の存在は沖縄県経済発展の桎梏になり、阻害要因」にすらなっています。
2)基地経済の比率は低下、物販や交易・観光経済で沖縄は発展しています。
義父母も他界し、子供も学校を卒業し、沖縄とは最近縁遠くなり不義理をしています。沖縄を直近で訪問したのは2006年であり、もう12年も前の事です。その時でさえ、那覇市の天久(あめく)地区が米軍住宅が返還され、那覇市新都心として目覚ましく発展している様子を体感しました。基地時代より地域の雇用は10倍になったと聞きました。
大田知事時代に設立された「沖縄県物産公社」は、沖縄物産公社「わした・ショップ」。12年前に設立者の宮城弘岩さんと会いました。派生した物産会社も含め当時から基地経済を圧倒する売り上げを稼いでいました。
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_ba08.html
(自立的発展の方程式)
元々自民党の政治家であった翁長雄志さんが、辺野古基地建設反対になってのは、こうした経済的な要因もおおきかったのでしょう。「オール沖縄」の支持者の中に「かりゆしビーチ・ホテル・グループ」の経営者や、手広く事業を展開されている金秀グループの経営者の人達もおられてことは、基地経済が沖縄経済に殆ど貢献していない証です。
3)日米地位協定を改定せよ!!
日本国憲法を改定しようという主張をなさる一部の人達は「日本国憲法は米軍占領下の押し付け。よって日本人の誇りをもって自主憲法を制定しないといけない。」と常に言われています。自民党総裁選挙の「テーマ」にもなるようです。
それだけ愛国的な熱意があるのであれば、「日米地位協定」をまず改定すべきではありませんか。安倍政権はまったくそれをしようとしません。
今でも米軍基地の70%が集中する沖縄県の人達が主張されているのが、この「不平等条約」であり、「植民地統治そのもの」の「日米地位協定」の改定です。
2004年8月13日に普天間基地の米軍ヘリが隣接する沖縄国際大学へ墜落炎上しました。米軍は基地外にも関わらず、非常線を張り、沖縄県警や消防の現場検証さえさせず、備品一切を持ち帰りました。酷いことでした。実に屈辱的なことです。
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/2_17de.html
14年前の出来事ですが鮮明に今でも記憶しています。米軍兵士が凶悪犯罪や婦女暴行の犯罪行為をしても、日米地位協定があるために、米軍基地へ逃げ込んでしまえば、日本の警察や裁判所は立ち入ることができません。犯人が帰国すればどうすることもできないのです。
「日本国憲法」は、国民主権、基本的人権の確立、平和主義が掲げられています。「日米地位協定」は、「日本国憲法」の上位に位置づけられています。地位協定を改正せずして、「日本国は独立国家」と言えないのではないのでしょうか?
そのあたり日本国憲法を必死に改正しようと主張なさってる皆様に申し上げたいところです。あなたたちは「本当の愛国者ですか?」と。
4)辺野古基地は普天間基地の代替え基地ではありません。
元は沖縄でも水田が広がる地域の普天間。米軍が強制収容して出来たのが普天間基地です。米軍基地の周りが市街地の拡大で密集し、「世界1危ない基地」になりました。2004年8月には、普天間基地の米軍海兵隊ヘリが隣接する沖縄国際大学に墜落炎上しました。
1995年の米軍兵士3名による女子小学生暴行事件が起こり、当時の橋本龍太郎首相は、太田昌秀沖縄県知事の意向を受け、米国と交渉し、普天間基地の即時返還を表明しました。あの当時の自民党は沖縄に対しては「誠意が」感じられました。
「日米安保条約は憲法違反ではないから、沖縄からの米軍基地は撤去出来ない。その代り沖縄の意向に沿って経済振興策は出来る限りの事をする。」という姿勢でした。当時の自民党には梶原静六氏(実兄が石垣島駐屯)や野中広務氏(陸軍2等兵高知で終戦)など戦争体験者がいました。凄惨な沖縄での地上戦も知っていましたから。
米軍海兵隊の軍用機とヘリコプター基地の代替え基地にすれば、建設中の辺野古基地は法外に大きい。2つのの滑走路と艦艇が着岸する岸壁まで海を埋め立て建設する予定です。
5)サンフランシスコ講和条約は、日本本土は独立したが、沖縄は米軍統治下が継続し、より基地負担が大きくなった。
翁長雄志さんが、自民党政治家としてのキャリアを捨て、野党勢力と連携して辺野古基地反対運動を行う大きな動機となった出来事の1つは、安倍内閣主催の2013年4月28日に行われた「主権回復の日」の式典でした。
1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効し、敗戦国日本は国際社会に復帰することができました。しかし同時に沖縄が日本から「切り離され」米軍統治下におかれました。
日本本土の米軍基地は返還。縮小され、その分沖縄県の米軍基地は拡大しました。米軍統治下で強制的に土地建物を収容され、軍用地に転用されました。
「4・28沖縄デー」は「沖縄屈辱の日」を忘れないという想いでつくられました。
安倍内閣と政府閣僚が、「主権回復の日」として天皇皇后両陛下をお招きし、「日本国万歳」をしていました。当時の仲井真沖縄県知事は式典を欠席しました。
時の政府が、日本本土と沖縄を分断し、沖縄の基地負担をより大きくしたサンフランシスコ講和条約締結日を「主権回復の日」としてお祝いする「感覚」に沖縄の人達は、保守・革新を問わず違和感を抱きました。
その延長上にある「辺野古基地建設」に沖縄の人達の大半が反対するのは当然であると思います。
翁長雄志さんは志半ばで亡くなられましたが、多くの日本国民はそれを受け止め、各持ち場で翁長さんの意志を継いでいかないといけないと思います。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
毎月第2金曜日は、高知市二葉町町内会(楠瀬繁三会長)の「不燃物・資源仕分けステーション」です。下知コミュニティ・センター前の歩道に、仕分け表示が立てられ、二葉町町内会副会長(衛生委員)の荒木三芳さんの指導に下に、当番の班長が持ち込まれる資源・不燃物を仕分け支持をしています。
2018年8月10日は、持ち込みが早かったんで、あまり資源・不燃物が集積されていませんでした。後の時間帯に持ちこまれることでしょうから。
町内の地域コミュニティを維持するためには大事な行事です。月に1度ほとんどの町民がステーションで顔合わせをしますから。今後も出来る範囲で維持していきたいものですね。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
先日取引先メーカーが、西日本豪雨の被災地の各得意先から要望があり、「どのうステーション」を考案したとチラシを担当者の人が持ってこられました。いろいろと防災や減災に関して情報交換をしました。
このメーカーとは、量販店で使用するロール式のポリ袋や、鋼鉄パイプをプラスチック樹脂(ABS樹脂)で被覆した「イレクター」という素材で取引があります。今回も「イレクター」で作成したようです。パイプと継手(ジョイント)の組み合わせで、自由設計でどんな形でも作成出来ます。金切り鋸と接着剤だけで作成出来ます。
かつて整理棚やカヌー運搬台車などを作成したことがあります。
肝心の「土のうステーション」ですが、低地の市街地ですが、とりあえず下知地域では必要はないと申し上げました。高知市は48年前と43年前に「水没都市」になりました。それ以来市街地の雨水処理対策、排水ポンプ場対策は40年かけて整備し、防災インフラは内水面洪水に対しては進んではいます。
但し想定されている南海トラフ地震の場合は、最悪下知地域市街地の地盤が沈下すると言われています。海抜0メートルが、海抜マイナス1メートルや2メートルになりますね。そうなりますと現在の排水システムでも無力です。
むしろ防災インフラが(洪水に対する)整っていない高松市や丸亀市、瀬戸内沿岸の地域で有効ではないでしょうか。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
「鳴物入り」で開館したオーテピアなる高知県と高知市の合築図書館。開館後初めて前を通りました。建物の外側に、物理学者で文学者でもあった高知にゆかりのある寺田虎彦氏の銅像がありました。
仰々しく巨大な図書館の建物はなんだか威圧的で館内に入る気持ちが起こりませんでした。何故小学校を廃校にして、その後に県と市の図書館なのか。仰々しい「何かが合体したような」見苦しい建物に何の意味があるのか、小市民には不明です。
以前は商店街には、災害時の避難場所は、追手前小学校と言い表示がありました。商店街に同様に「オーテピア」と言う表示があるのでしょうか?
大型観光船が高知新港に入港するたびに、商店街に誘導して大勢の外国人を散策させています。いわゆる高知市中心商店街には「未だに自主防災会」もありません。大勢の買い物客や、外国人観光客をきちんと南海トラフ地震が起きた場合に、オーテピアに避難誘導ができるのでしょうか?
寺田虎彦さんはオーテピアの前に立って心配されているように思います。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
8月7日(火曜)発売の「週刊現代」のP68の記事。「本当の「ドラ1候補20人詳細データ付き」の記事は面白い。
20人のスカウト注目の選手のうち8人は投手。「山梨の山本昌」と言われている剛腕左腕の山梨学園の投手堀越建伸投手を乱打戦に持ち込み1回戦で高知商業は打ち勝っています。
また明徳樹塾高校の市川悠太投手も県大会決勝で10点を取り、うち破っています。プロのスカウトが注目の有力投手2人に打ち勝った高知商業の実力は本物ですね。
後は北代投手が「1人相撲」をしなければ、勝ち進んでいくのではないかと思います。大本命の大阪桐蔭と対戦していただきたいと思います。面白い試合になるでしょうから。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2018年8月8日、すい臓がんで闘病中であった翁長雄志沖縄県知事が逝去されました。前知事の辺野古埋め立て申請許可を県知事として正式に不認可にし、国側と全面的に争う矢先に病に倒れ亡くなられました。
死去から50日以内に県知事選挙があります。どうか沖縄県民の皆様、「上から目線」の安倍内閣のぶら下げる「見せかけの経済支援策」に囚われることなく、翁長さんの命がけの想い(辺野古基地阻止)を貫いてください。
私の家内は沖縄出身です。家内の実家は商売をしていて、どちらかと言いますと保守的な気風でした。義母がお元気だったころ、家内と子どもと沖縄の家内の実家へ行くといつもこう言われていました。
「沖縄は基地があるからね。いつ攻撃されるかも知れないから、怖い。」と言われていました。義母は軍事基地があるから安全なのではなく、軍事基地があると真っ先に攻撃されて怖いと日頃言われていました。
敗戦後ほどなくは、日米の経済格差があり、沖縄でも米軍基地に関わりのある人たちは、基地経済で潤っていました。有り余る米軍資材の1部を転売すれば莫大な利益をあげた時代もあったとか。
しかし今の時代は基地経済の沖縄県経済に占める割合は8%以下です。土建業者は下請けなどで仕事はあるでしょうが、経済全体の広がりはさほどありません。
むしろ地域経済である物販販売や観光産業が成長し、軍事経済ではなく、平和経済が沖縄では大きくなりました。もともと自民党であった翁長さんが辺野古基地反対で知事選挙で出馬されたのも、支援者に沖縄で手広く事業を展開されておられる金平氏や。リゾート・ホテルのオーナーや、手広く経営をされている金秀グループのオーナーも翁長知事を支持されていました。
リゾート・ホテルとビーチの上空をオスプレーが爆音をとどろかせて毎日日にち何回も離発着する環境になるとホテル経営は成り立たない。という率直な想いがありました。
軍事産業に依拠すると、政府の裁量で左右されるようになり、経営者の才覚で市場を開くことはできなくなります。現実に米軍住宅用地が返還され、那覇市の新都心である天久(あまく)地区では、雇用が返還前の10数倍になったと聞いています。
基地が沖縄経済では比率が小さくなり、むしろ広大な用地を占用し、市民生活すべてを圧迫していることが現実。沖縄経済発展の「桎梏」になっています。
翁長雄志さんは「イデオロギーでなく、アイデンティティである。」と言われていました。基地経済に依存しない自立的な経済発展を志向されていました。それを加速されようとしたところで病に倒れました。
後釜に沖縄県知事になる人は、「オール沖縄」の翁長さんの意志を継ぎ、実現していただきたいですね。
建設中の辺野古基地は、普天間飛行場の「移転先」と言う事ですが、規模も大きく、海を埋め立て護岸をつくり艦艇が停泊する施設までこしらえています。沖縄県には「基地負担の増大」以外何物でもありません。
国費を投入して、沖縄県民の基地負担を増大させています。自衛隊の基地をこしらえるのなら理解できますが、米軍のために巨大な軍事基地を日本政府がこしらえる意味はどこにあるのか不明です。きちとした説明を聞いたことがありません。
近隣諸国との対話を薦め、軍事施設のお互いの縮小を図るべき時期に、大きな米軍基地をこしらえる公共・公益的な意味があるのか私には理解できません。
日本政府が米軍だけのために巨額の国費を投じて、辺野古海域の自然環境を破壊しながら基地建設する愚行はただちに辞めていただきたいと思います。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
下知地域内連携協議会(国見俊介・会長)主催の高知市青柳公園での夏休みラジオ体操。今年は14日間連続で開催しました。途中台風7号の接近で7月29日(日)が中止になっただけでした。お天気にも恵まれました。
世話役の坂本茂雄さんの呼びかけで、午前6時から最終日は地域の企業や公益団体からの頂き物を1袋に詰める作業をしました。交通安全協会の景品や、らくれん牛乳とひまわり乳業の協賛もありました。頑張った子供たちにはこみベーカリーの「クッキーメダル」が授与されました。
参加者にとりましてはスタンプ押し意外に楽しみがありました。たくさんの景品があったからでした。今回の参加者は74人ということでした。ラジオ体操指導員の鍋島さん。14日間ご指導ありがとうございました。お蔭様で子供たちもラジオ体操第2をマスターできました。
参加者は喜々として帰路に向かいました。来年は(3ケタ・100人越え)を目指したいですね。更には「巡回ラジオ体操」が目標ですね。1000人の参加者が必要です。下知地域の地域コミュニティ力が増加して行けば、達成は可能になるでしょう。
「ラジオ体操の準備ありがとうございました」と子供たちから花輪のプレゼントを準備スタッフはいただきました。下知地域では、弥右衛門地区と城見公園でも同時期にラジオ体操が行われました。広がっていくことは良い事ですね。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
なんだか爆音がすると思いきや自衛隊のブルーインパレスが煙を吐いて低空飛行をしていました。
地元紙によれば、よさこ祭りに呼んだらしい。よくわからないですね。
ブルーインパレスはお呼びがあれば各地のイベントに出前飛行をしてくれるようですね。今回もそれでしょうか?今日は練習のようでしたが。
8月9日の高知市よさこい祭りの前夜祭の景気づけ、花火大会の前に編隊飛行をするようですね。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
下知地域内連携協議会(国見俊介・会長)主催の夏休みラジオ体操もいよいよ今日明日の2日間となりました。毎日昼間は猛暑ですが、早朝のラジオ体操には、参加者の皆さんは元気で出て来ています。でも夏休みで旅行などをされるご家族があるようで、今日は50人ぐらいの参加となりました。
わたしもようやく「ぎっくり腰」がほぼ治りました。しかし未だに、ラジオ体操で体を前後に曲げたり、飛ぶ体操ができません。腰が痛いです。日常動作には支障がほぼなくなりましたが、未だ回復途上です。
「股関節が硬い」のも原因と老師から指摘を受けました。体のメンテナンスも今後は欠かせないですね。
明日(8月9日)はラジオ体操最終日。粗品があるとか。明日は粗品の詰め込み作業を早朝6時からするとの連絡が世話役の阪本茂雄さんからありました。明日は早朝6時に青柳公園に「出勤」しないといけないですね。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
「80代夫婦が部屋の中で熱中症で死亡。エアコンが使用されていませんでした。」とかの報道が多い事。「小学校の教室にエアコンがないのは児童虐待だ。」とヒステリックに声高に話す人達がTVにも多い事。本当にそうなのか?
高知市のような田舎の地方都市でも樹木は殆ど植えられていない。コンクルートの道路の反射熱は暑いこと。車は窓を閉め切り排熱をだしています。ビルや家屋もエアコンを使用し排熱は都市の至い所に放出されますます都市は暑くなりますね。
エアコンは所詮対処療法ですね。根本的な解決にはなりません。
ではどうするのか?国際金融都市シンガポール実践した「庭園都市構想」(ガーディン・シティ)を高知市も少しは見習えばいいと思いますね。間違いなく都市部は昔より暑くなっています。それは舗装された道路、樹木のない都市環境だからです。水とも小川も埋め立てて道路にしてしまうから、ヒートアイランドになるんです。
「地球温暖化:なのかどうかはわかりません。人間が都市をより暑くしているのです。今日は老師の整体に自転車で行きました。影の殆どない歩道部を自転車で都市部を走るのは苦痛極まりないですね。
シンガポールのガーディンシティをこしらえた人は、独裁者リー・クランユー氏でした。大阪府立大学に依頼して実現したのです。
https://www.advertimes.com/20160510/article221732/
東京も五輪を開催するというのならシンガポールを見習えばいいのにと思います。国立市の大学通りのように、樹木帯と歩道を思い切りとれば、街中は涼しくなりますね。
環境問題を狂気のように言い立てる人たちも、プラスチックのストローを使用を辞めた程度で免罪にはならないでしょう。暑い街中に樹木帯をシンガポールのようにこしらえようという声は、環境問題のマニアの人達からはあがらないのは不思議です。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
下知地域内連携協議会(国見俊介・会長)主催の夏休みラジオ体操は、今朝で12日目となりました。今朝は62人の参加がありました。あと2日の開催です。大型台風13号は四国への影響はなさそうです。8月9日の最終日までお天気の心配はなさそうです。
ラジオ体操終了後のスタンプ押しには子供たちだけでなく、シニアの皆さんも楽しまれています。最終日(9日)皆勤賞に関わりなく参加者各位に景品があるようです。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2018年6月5日(日曜日)は、午前6時半から、二葉町町内会(楠瀬繁三会長)の3回目の町内消毒・清掃活動日です。6月・7月もお天気に恵まれ、8月も晴天でした。
防虫液を噴霧器に充填し、二葉町を4つのブロックに分け、噴霧器4台で消毒作業をします。荒木三芳副会長の指揮の下噴霧作業が始まりました。補助員は二葉町内の街路のゴミ拾いをします。
ラジオ体操終了後に二葉町の北東部からゴミ拾いをしました。前日の夜須での海体験のサポートで腰を痛めたのか、ぎっくり腰気味です。動作が緩慢です。暑い中での腰痛は辛いです。
なんとか町内の消毒とゴミ拾いが終わりました。蚊は少なくなりましたが、暑いので出てこないだけかもしれないですね。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
高知市青柳公園での夏休みラジオ体操(下知地域内連携協議会主催)は、今朝で10日目となりました。毎年10日間でラジオ体操は終了していました。今年は期間中に2回土日の休日が含まれ連日の開催となりました。
今日は二葉町町内会の今年3回目の消毒日。補助員でゴミ拾いをしますので、荒木副会長にラジオ体操終了後の遅れての参加のおことわりをしました。
今日は子供たちの参加がやや少なめ。旅行や帰省などがあるんでしょうか?シニアの皆さんはお元気に参加されておられます。
世話役の坂本茂雄さんが、土佐町でのサイクリングの大会の挨拶を午前中にされるので、スタンプ押し係りを拝命。押しました。
今日は「ぎっくり腰」気味で腰が重たい。十分に動けず暑い中苦しい1日となっています。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
香南市社会福祉協議会の「海体験」をサポートして、昼食を食べている時に、シニア・ヨットクラブのIさんが久しぶりに来られました。「今年初めてシーホッパーへ乗り気来た」と言います。
当初Kさんと私は自分のヨットをぎ装して一緒に出ようかと思っていました。大崎修二さんは特にぎ装品は試算していません。YASU海の駅クラブの井土さんが、須崎の人からCラークという2人から3人乗れるディンギーを乗ってもいいよと言われるので、Kさんと大崎さんと私と3人で乗ることにしました。
Iさんもぎ装(ヨットの組み立て)がおかしいと言うので、一緒に取り組みました。そしてIさんと2人でシーホッパーで海へ出ました。海の上で乗りかえることにしました。
洋上では高知大学ヨット部が練習をしています。邪魔にならないようにマークを回航したりしました。
Cラークと言うヨット。安定しています。しかし着底して陸揚げが大変。重たいです。今日はお蔭様で1日海にいて充電させていただきました。シニアヨットク4人の合計年齢は259歳でした。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
海体験のサポートをしました。香南市社会福祉協議会の主催の「カヤック・ヨット体験」です。YASU海の駅クラブ職員と会員がサポートをしました。香南市の社会福祉法人の施設の入所者や通所者、家族や職員、医療専門学校の学生など95人が海体験に参加しました。
集合して挨拶の後は、体験者全員がライフジャケットを着用します。着用しないと海体験は出来ません。全員が着用を確認して。ハーバースロープ横のビーチへ向かいました。
そこにはハンザ(障害のある人でも帆走可能なヨット)や2人乗りカヌーがあります。簡単な説明の後は早速海体験へ出ました。カヌーもハンザ(転覆しないディンギー・ヨット)も砂浜からスタ^とです。
去年は悪天候で中止でしたので、2年ぶり。参加者も気合が入っています。今日は上天気。しかも波がありませんから、サポートする側は楽でした。
めいめいライフジャケット着用で海水浴をしていました。片付けした後は、バーベキューを参加者の人達と一緒に食べました。
2018年の海体験は最高の天気。皆さん満足していただきました。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
高知市青柳公園での夏休みラジオ体操(下知地域内連携協議会主催)は、今朝で9日目。2回目の週末です。2回目の週末となりました。仕事休みで参加される方が増えるといいですが。
今日はやや少なめでした。来週末は御盆休みになるので、先取りして旅行や里帰りをされているのかもしれないですね。明日(日曜日)も体操はします。
今日は香南市夜須での海体験のサポートが午前8時現地集合であります。慌ただしく夜須へ向かいます。猛暑が予想されていますので脱水対策を万全にしていきます。100人の体験者がいるのでなかなかハードです。まもなく出発します。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
午前中に母(92歳)は主治医の横田哲夫先生(横田胃腸科内科に診察していただきました。血圧(130-70)でしたし、不整脈もなく健康状態良好でした。昼食後一段落してはりまや橋商店街へ行くことにしました。
午後からは炎天下で暑いです。それ故はりまや橋商店街近郊のコインパーキングが満車なら諦める想定で行きました。運よく空いていました。冷やした経口補水材(OS-1)も保冷箱にいて持参しました。
コロッケ屋さんで夕飯用のコロッケを買いました。谷ひろ子さんのお店でいつもの焼き菓子を買いました。100歳体操まで時間がありましたので、母とポテトケーキとコーヒーを飲みました。
暑いせいか今日のいきいき100歳体操(介護予防体操)の参加者は9名でした。商店街の業務用の扇風機をお借りしました。3台廻りますと凌げるようです。
元気にみんなと体操をして無事に帰りました。OS-1を節目節目で飲みました。スマホのYAHOO防災速報では「熱中症の危険あり。運動は原則禁止。高知」と表示されていましたが、母は無事に戻りました。
事務所が午後3時に33度近くなりましたので、母も下へ降ろして来て事務所でエアコンをかけて過ごしています。WEBで注文があり荷造りを事務所でしました。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
下知地域内連携協議会(国見俊介・会長)主催の「夏休みラジオ体操」も8日目となりました。今年は毎回50人を超える参加者になりました。今日は世話役の坂本茂雄さんのカウントでは63人の参加者でした。
前半は台風や雨に悩まされましたが、中止は7月29日の1日だけ、途中小雨もパラツキましたがなんとかラジオ体操やることができました。
「ラジオ体操第2」は今の子供たちはやったことないようで、青柳公園のラジオ体操で覚えていただいています。第1と違い、もともと工場労働者の労災事故防止のための体操だそうで、動きも第1と比べ激しい所がありますから。
明日の土日は参加者がより増えたらいいなと思います。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2018年8月2日(木)午前10時から、高知市あんしんセンターで開催されました高知市防災会議(会長・高知市長岡﨑誠也氏)を下知地区減災連絡会として傍聴しました。下知地区減災連絡会関係者は皆本副会長、坂本事務局長、国見会長、高木役員が傍聴しました。
会場内は撮影が禁止されていますので審議風景の写真はありません。
防災会議は冒頭、参加者全員で6月の大阪北部地震と7月の西日本豪雨の犠牲者に対して1分間の黙とうを行いました。
防災会議会長の岡﨑誠也高知市長から「西日本豪雨の最中に高知市災害対策本部のメンバーが私的な旅行をしていました。市民の皆様に大きなご迷惑をかけましたと陳謝。今後の再発防止のために市議会からの要望もありました。」と言われました。
防災会議の議長は岡﨑市長が務め、配布資料の説明は事務局である西村防災政策課長が行っていました。下知地区防災計画で提案された事項を、高知市の地域防災計画に反映させる議題もありました。坂本茂雄下知地区減災連絡会事務局長から、「今年は下知地区を8つのブロックに分けた意見交換会を8月からスタートします。また要支援者支援の意見交換会や、各単位自主防災会での実践的な研修や訓練が計画されています。」と報告しました。
特筆すべきは下知地区防災計画が、3年間の活動報告書を添えて高知市防災会議議長である岡﨑市長に5月17日に「高知市地域防災計画の中で位置づけてほしい」と提案したことを、今回市長のほうから高知市防災会議に地域防災計画の修正点として提案されたことでした。
高知市役所の公文書に記載された意義は大きいと思います。アドバーサーの鍵屋一先生や、大槻知史先生や山本美咲さん、地域防災推進課の山中晶一前係長や、下知担当の中山、橋村課員のご支援や助言のおかげでありますね。
これからが「実践編」です。また報告の中で、本年度は「地区防災計画」を市内全域に広めるべく、本年度は啓蒙型のセミナーを行い、次年度から具体的に手を挙げた地域から順次地区防災計画を策定の支援を行っていくとの事でした。
災害時の瓦礫や廃棄物の速やかな処理のために新たに「廃棄物対策部を高知市地域防災系買うなかで設置されることが確認されました。
続いて防災会議委員の意見交換が行われました。
高知市自主防災組織連絡協議会会長久武邦雄氏からは「普段自助・公助で奔走している高知市内799の自主防災会の面々いにとっては、西日本豪雨の最中に災害対策本部の幹部職員が私的な旅行に出かけることに愕然としました。市長には今後このようなことがないように猛省を促したい。」との発言がありました。
また高知地区建設業協会副会長の三谷勝水氏からは「下知地区での活動はb素晴らしいですね、建設業協会加盟会社も今後は各地域・ブロックの自主防災会とも連携して、災害対策を行っていきたいと思います。」と言われました。
西日本電信電話(株)高知支店設備部長玉松潤一郎氏からは、西日本豪時に起きNTT関連の通信回線の不通についての説明がありました。
「宇和島周りの通信回線と、瀬戸大橋経由広島の通信回線の2系統で運営していましたが、西日本豪雨で2回線とも不通になりました。現在第3のルートを計画・実施すべく動いています。」と言われていました。
確か2018年7月14日(土)の事でした。午前8時過ぎから、電話もFAxもインターネットもすべて不通になりました。NTTの光電話回線が遮断されたようでした。丸1日復旧しませんでした。原因がようやくわかりました。
61人の大所帯の高知市防災会議。真摯な議論がされている事には、感心しました。会議終了後高知地方気象台から「平成30年7月豪雨 高知県にはしめての特別警報」という表題の講演会がありました。
母(92歳)の会議予防通所リハビリの送り出しがあるので、講演の途中で中座させていただきました。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2018年8月2日(木)は、下知地域内連携協議会(国見俊介・会長)の夏休みラジオ体操も7日目。丁度半分(14日連続で)の折り返しになりました。今朝は雨の心配もなく、世話役の坂本茂雄さんのカウントでは58人が参加されたようです。
今年は子供たちの参加が多くなりました。親子や3世代の参加も目立ちます。折り返し点と言う事もあり、下知地域内連携協議会より、体操終了後に、子供たちだけに景品を渡していました。
大人たちは景品はありませんでしたが、シニアの皆様もスタンプを押してもらっていました。
今後は台風の脅威もなくなりお天気も安定するだしょう。8月9日(木)まで青柳公園近隣の皆さんの参加が増えれば幸いです。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
今年は梅雨末期は大雨でした。梅雨明けしたとたんに猛暑になり、暑さに体が慣れず、稼働率が低下しました。涼しい時期の50%から60%の稼働率でした。
しかしそのなかでも仕事は結構多忙でした。業務は3月から7月まで繁忙でした。新規事業も6月から本格的に稼働し始め、「棟上げ」が近づいています。
8月下旬から地元町内でもヘビーな地域防災事業が3つあります。会合の段取り、チラシづくり、資料の作成、事業計画の履行と決算報告。すべて仕事の合間にしないといけないです。10年前からこの体制は変わらない。
後継者は現れず諦めました。「やれる限りはやろう」。「やれなくなったら仕方がない。」と割り切りました。今の時期に仕込みをしたいのですが、暑さで「やる気」が起こりません。
無理やり「やる気」を起こしても無理なので自然体でやりますから。なんとか猛暑の中で7月中に「ラフ案」までこしらえてみたいものです。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
高知市下知地域内連携協議会(国見俊介会長)の夏休みラジオ体操は、今年は14日連続になりました。今日は6日目です。変則台風12号の影響でお天気は不安定。念のため傘を持って行きました。
懸念していました雨は降りませんでした。今日はどん曇りのお天気です。参加者を正確に数えてはいませんが、今日も50人を超えていたと思います。今の子供たちはラジオ体操第2を知らないようです。ラジオ体操指導員の鍋島さんの体操動作を見て懸命に体操しています。
ラジオ体操終了後のスタンプは、大人も子供も押していました。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2018年7月30日(月)ですが、ケアマネージャーさんの呼びかけで、介護担当者会議が事務所で開催されました。10年前からアルツハイマー型認知症であり要介護3の母です。
医学的観点からは内臓疾患も父(享年100歳。5月に死去)のようになく、健康そのもの。とは言え超高齢者なので、やはり身体機能は少しずつ弱って来ているようです。
週に2回通所している介護予防通所リハビリの理学療法士からは「運動負荷は以前と変わりません。下肢の筋力の衰えを防止する運動を主体にメニューを組んでいます。とくに支障はありません。」との事でした。
週に3回通所している1日ディ・サービスからは、「温和なお婆さんになりました。職員とも通所者ともトラブルはなく毎日笑いが絶えません。お食事もおやつも以前のように好き嫌いがなく、完食しています。」とのことでした。
認知症の進行で好き嫌いがなくなり、なんでも食べるようになり夏バテしなくなりました。認知症は「個性のある」症状です。母の場合は温和なお婆さんに今のところなってくれていますので、家族も施設側も良いようですね。
1番の悩みは「排泄障害」です。本人は尿意も便意も感じれないようです。便失禁は酷いです。オムツからはみ出して服を汚すこともあります。一度失った尿意や便意は復活しないものでしょうか?
施設側にも協力いただき、食事後や運動後にトイレに誘導していただいています。上手くトイレで排便できるのは、調子が良い時で2回に1回の確率ですね。
人間が生まれてしばらくは自分でトイレに行けず、オムツをしています。親が排泄の事を教え込んでもなかなか1人でトイレに行き用足しが出来るのは3年ぐらいかかりますね。
母の認知症の進行で、排泄の感覚が無くなったのは数年前。それまでは頻繁に自分でトイレに行ってました。最近は尿意も便意も感じなくなっているようにも思えます。
外出時はそれが心配です。なんとかならないものでしょうか?身体的には健康で「朗らかで可愛いお婆さん」になっているのですが、悩ましいです。
週に5日ディサービスへ行くようになり、母は元気に成りました。金曜日の午後は都合をつけて、はりまや橋商店街に買い物と100歳体操に連れて行っています。フリーなのは日曜日だけですね。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント