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2018.08.15

連合赤軍と新自由主義の総括(その1)

 この数年来、個人的な「こだわり」から、大風呂敷を広げ「連合赤軍と新自由主義の総括」と言う題目で自分なりに精一杯考えていました。私自身はその時代「渦中」にいたわけではありません。田舎居住の小市民にすぎない私は、高校生時代から連合赤軍と新自由主義の影響を常に受け続けて来ました。

 「多様性を圧殺する組織は、右も左も大嫌いです。」

 連合赤軍と新自由主義に共通していますのは、「一元的な価値観ですべてを解釈し、人々を統制下において支配し、多様性を認めない世界観を持っている。」ことです。

 偏狭で狭小な「革命史観」ですべてを解釈し説明することなど到底不可能。連合赤軍は、ロシア革命のカリスマ独裁者レーニンの「民主集中制」という組織原理から派生しているだけに、構成員は逆らうことが出来ず、仲間の殺害と絶望的な武装闘争に加担し破滅してしまいました。当時一時的に興隆した新左翼系の社会運動も道連れにして滅亡してしまいました。連合赤軍事件前後の新左翼党派間の「内ゲバ」抗争も重なり、絶望感もあり、国民各位が政治に対して失望感を抱きました。以来「政治のしらけ」「社会運動の停滞」が日本社会に続いています。

 いい加減で強権的な自民党安倍政権が長期に継続している大きな要因は、対抗する野党を含めきちんとした社会勢力が現れないし、国民の支持を集められないところにありますね。

 一方の新自由主義は、「自由奔放な経済の発展」を表向けにしていますが、実態は多様性を否定する独占資本主義の擁護に過ぎません。ある意味「社会の多様性」を保証する([棲み分け)を促すための規制が諸悪の根源と攻撃し、「規制緩和」を叫んで、独占資本の闊歩と横暴さを社会に蔓延させるだけの粗悪な経済原理でした。規制緩和でイオンが店舗を展開しますと地域社会に根付いていた地方の商店街は壊滅しましたから。

 
 偏った世界観や価値観を社会全体に強要し、人々の多様性を全否定する考え方とは決別しないと世界は発展しません。右であれ、左であれ、価値観の強要と、独裁主義は大嫌いです。

 「世界的な排外主義・差別許容の風潮を憂う。」

 多様性を否定する自国優位主義、民族優位主義、差別主義の台頭が最近世界各地で目立つ。日本でも「復古主義」で排他的な自民党安倍晋三政権の長期支配が継続している。「偏狭な復古主義的な世界観で、すべてを推し量り支配しようという強引さ」が目立つ。

 偏狭で排他的が故に、結果世界中を敵にまわし、多大な犠牲を自国民にも近隣諸国にも強いて無残に破たんした大日本帝国。その「破綻した国」に戻ろうとして憲法改正を叫ぶ理屈は、理解不可能です。排外主義と独善主義、差別主義が混じっている「復古主義」に政権政党の自民党が支配されていることが怖いです。

 安部晋三政権の政権運営は、「日本人の本来持っている謙虚で真摯で、生真面目で、多様な価値観を許容する伝統を全否定する。」ことばかりしている。先の大戦の戦没者の供養と敵味方なく行っている今上天皇陛下の平和主義、護憲主義を無視した不敬な発言を安倍政権は行い続けています。

 今年は大阪北部地震や、ほどなく起きた西日本豪雨の災害が起きました。従来災害襲来地とされなかった地域での災害。国民は誰も「災害では死にたくない。」と思います。「国民が死なないようにする。」「死なせないことをすることが政治」の本質であると私は思います。しかし現在の日本国の国政は、その理念で行われてはいません。

 偏狭な復古主義的価値観に支配されている安倍政権は、国民の想いからは、遠く離れた場所で、「勝手なことばかり」しているように見えますね。「お友達優遇政治」「身内だけのえこひいき政治」が目立ち、公共性のかけらも感じません。そのくせ、実に排他的、独善的な差別主義が露骨。「1日も早くj多様性を認めない安倍晋三自民党政権を終焉させましょう。

 多様性を進める国や組織が成功を収める。そう確信したのは、経済学者の野口悠紀夫氏の著作「世界史を創ったビジネスモデル」を読んだからでいた。

 ローマ帝国は、多様性を認める寛容さで500年間広大な領土を維持できました。

 以前書いた「読書感想文」から引用します。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/post-c460.html
(世界史をつくったビジネスモデル)を讀んで

 戦前の日本帝国と対照的なやりかたで世界帝国を建設し、しかも500年間存続させた古代ローマ帝国を事例として野口悠紀夫氏独自の視点で分析しています。

「ローマ帝国は成功した。それは、分権化した国家機構、小さな官僚機構、自由な経済活動、平和、強力な軍などの条件による。」

「ナチスドイツが寛容政策を取っていれば、第2次大戦の結末は違うものになっただろう。ソ連が市場経済制度を導入していれば、集権下に伴う問題を回避できただろう。

 野口悠紀夫氏は日本の現実をこう指摘しています。

「今の日本では、分権的な機能が機能しておらず、官僚機構が肥大化している。国全体も地域も企業も、異質のものを排除し同じ仲間だけで集まろうとする。

 古いビジネスモデルに固執して、新しい技術の導入を怠っている。異常な金融緩和政策で財政支出をまかない、企業は国の介入に依存するようになってきている。これらはきわめて深刻な兆候だ。しかも無視ないしは、軽視されている。

 日本は歴史に学ぶことができるのだろうか?」(P443)


「ナチスは人種的偏見のためにユダヤ人科学者を失った。これは、ローマ帝国がその末期に、ローマを守るゲルマン人を人種的偏見から排斥したのとそっくりだ。だから失敗すると予測できる。」

「ソ連の全体主義計画経済は、ディオクレティヌス帝以降のローマ帝国と殆ど同じ構造である。したがって、ローマ帝国のような崩壊の道を辿るだろうと予測できる。」

「中世のイタリアでは、都市国家が発展した。近代のヨーロッパも国家が分立していたからこそ進歩した。ところがEUはそうしたヨーロッパの歴史と異質のものである。

 EUはローマ帝国と同じだと思っている人が多いが全く異質だ。したがって、いずれ失敗すると予測できる。イギリスのEU離脱は、EUが終わりに向かう過程の始まりだろう。」

「ドナルド・トランプ米大統領は、自由な貿易を否定し、伝統的な製造業をアメリカに復活させることによって、失業した労働者に職を与えようとしている。そして移民や外国人労働者に対して非寛容な政策をとろうとしている。

 こうした政策が失敗するのは、火を見るより明らかだ。このような政策がアメリカを強くするなど、決してない。それは確実にアメリカの産業力を弱めるだろう。

 トランプ大統領の政策は、控えめにいっても時代錯誤の復古主義だが、国のビジネスモデルの基本から見ても明らかに誤りだ。

 建国以来のアメリカは、古代ローマの再建を目指し、そのビジネスモデルを意識的に模倣した。その理念は「異質性の尊重と寛容」だ。バラク・オバマ大統領が退任演説で強調したとうりである。」

「IBMがサービス事業に転換し、アップルが水平分業を実現し、グーグルがインターネット時代のビジネスモデルを構築した後の世界において、モノを作ることに固執するのは無意味である。

 シャープが失敗するだろうことは、かなりの確度をもって予測できた。これはビジネスモデル選択の問題であり、よく指摘されているような人事をめぐる内紛の問題ではなかったのだ。」(P447)

「予測の自己実現効果で社会が進歩する。」

 引用箇所が多いですが、この本の「エキス」であると思いますので、そのまま引用します。

「歴史の知識は、勝ち馬に乗ろうとする個人を助けるだけではないことだ。それは社会全体に利益を与える。何故なら多くの人々が歴史法則を知れば、成功すると予測されるビジネスモデルに対する支持が強まり、実際に成功するからである。」

「たとえば、ある会社が、歴史法則から見て成功するだろうと考えられるなら、優秀な人が集まる。そして、会社は実際に成功するだろう。予測は自己実現するのだ。これは「オイディプス効果」とか「マタイ効果」とよばれるものだ。歴史法則も自己実現するのである。」

「成功するだろうと歴史法則によって評価されるビジネスモデルは「正しい」モデルだ。
それが、偶然の些細な条件によって挫折してしまうという事態を避けることができ、本来成功すべきビジネスモデルが実際に成功できれば、社会は進歩する。」

「ナチスのドイツから逃げたユダヤ人の科学者たちは、アメリカが成功すると考えてアメリカに来た。そして、彼らの寄与により、アメリカの科学技術が実際に発展した。

 IT革命も同じだ。これはアメリカ人が実現したと言うよりは、シリコンバレーに来た外国人、とくにインド人や中国人が実現したのである。これらはアメリカのビジネスモデルが成功するだろうと言う予測が自己実現した例だ。」

「インターネット時代になって歴史のデータを引き出すのが容易になったので、歴史法則の自己実現効果は強まった。それを巧みに利用できる企業や国家の成長が加速化することになる。」

「ところで、歴史と言う集団記憶を維持できるのは、人類だけである。恐竜は遺伝子を通じて身体の機能や形態を進化させた。そして環境に適応して繁栄し続けた。しかし、集団的な記憶を持っていたのは遺伝子であり、歴史ではなかった。人類だけが歴史を用いて進化することができるのだ。

 ナチスドイツやソ連のような国家は、これからは現れないと思う。ただし、それは人々が歴史を知っている場合の事だ。北朝鮮のように歪められた歴史が教えられている国では、抑止効果は働かない。

 歴史に対する誠実さを欠く社会は、進歩から見放された社会だ。」(P446)

 日本人は多様なものを許容し、共存していくことを得意としているように思います。

 12月にクリスマスをお祝いし、大晦日に除夜の鐘をきいて、元旦に神社へ初詣する。結婚式は牧師や神官を雇い、葬式は仏教式で大半は行います。宗教的には「いい加減」と言われるが、寛容さというべきでしょう。ローマ帝国も数10万の神がいました。キリスト教がローマ帝国の国教になり多様性が失われ、帝国は滅びました。

 卑近な例を言えば「自分の話は聞いてもらいたい。」が「他人の話は聞きたくない」人が以前より多くなったんではないかと思いますね。

 SNSも盛んですが、ネット社会という者は、いつのまにか「自分と似たような境遇、似たような考え方、同世代の人達の偏りのある交流に過ぎないところがあります。「易きに流れますと」交流を広げるためのSNSが、「狭い範囲」での付き合いに終わる事例になってしまいます。

 「連合赤軍」や「新自由主義」のダメなところは、「一元的な価値観で人々を支配しようとする偏狭なコミュニティ社会」であるとことです。異論を認め、多様性を認めた社会をこしらえていくことは、「言うは易し」であり、実現はとても難しい。

 沖縄の辺野古基地反対運動も、原発の反対運動にしても、政権側からどうしても絶対的な少数派に「押し込まれて」しまいます。とても辛い事であると思います。でも「傍観している」多くの人達は、実は支援したい人達が多くいるのかもしれません。

 孤立状態が長く、押し込められている時間が長いと気持ちに余裕がなくなり、手助けしない周りの人達を「なぜ一緒に戦わないのか!!」となじったり、攻撃したりします。左翼一般が総じてそうでした。だから多数派になることが出来なかったのです。

 些細なことで対立し、時には暴力的な抗争までしました。「小異を捨てて大同に付く」ことも時に必要。いつでも「少数派」で、いつも「負けている」ことばかりでは、精神的に冷静さを保つことは難しい。

 難しいけれども、いつか連携することを信じて、異論を聞き、対話をして握手をしましょう。握手するにもとげがある手では出来ませんから。

 

 

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