ほのぼのした偲ぶ会でした
2018年11月17日(土曜日)ですが、午前11時半にザクラウンパレス新阪急ホテルへ行きました。「町田和華子さんを偲ぶ会」(発起人・植野陽雄氏)へ出席しておりました。背広は銀行の会合以来久しぶりです。154人が参加されていました。
発起人の挨拶がありました。またご親類の方で病院関係者の方が、和華子さんの闘病の様子を話してくれえました。昨年5月に病状が判明され、11月18日に他界されるまでの経緯を聞きました。取り乱さずに毅然と終活をされていたとのことでした。ご自身の信念と信仰の力(キリスト教)であることを理解できました。
ご主人の貢さんのスピーチもありました。土佐高校時代からの同級生で交際されご結婚されたこと。76年の生涯のうち60年はともに生きてきたと述べられていました。
ご主人が長年高知卸商センター協同組合の理事長をなさってる関係で、経済関係の方が多く参加されていました。和華子さん自身が1991年の高知県知事選挙におきまして女性を中心とするグループ「山と海の会」のリーダーとして、橋本大二郎氏を当選させるために獅子奮迅の働きもなさいました。その関係者の女性の方たちもたくさん来られていました。
高知のステータスのある人たちばかりなので、なんで私のような「馬の骨」がお呼ばれしたのか?たぶんそれは私が「海の散帆」に行っている香南市夜須のヨットハーバーのすぐ近くに町田さん夫妻の自宅がありました。自宅前の海で遊ばしていただいていました。
ある冬の寒い日に海の散帆をしていて着艇しますと和華子さんがおられ「片付け済んだら家へ来なさい。あったかいうどんでも食べなさい。」とご招待いただいたことがありました。社会的に大変な影響力のある人ですが、わけへだてなく接していただいたことに感謝しています。
ご自身もSUPを楽しまれ、お孫さんは中学・高校とヨット競技をなさっていました。多趣味な人でしたが、手結で育ったこともあり海が大好きな人でした。
しかし昼のお酒は堪えますね。何人かの知り合いもいましたので、結構飲みました。ご本人を偲ぶ写真も会場にたくさん飾られていました。
町田和華子さんが亡くなられて1年ですが、150人が参集されるとは凄い人であったとつくづく思います。生前少しばかりご指導を受けたことに感謝します。あらためて真摯で公平な人であったと思います。
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