地区防災計画が提唱されてはいますが、防災行政の体質は大枠では変化がない
足掛け4年間下知地域を調査研究いただきました名古屋大学大学院環境学研究科准教授である室井研二さんから「防災都市 成熟した市民社会に向けて シリーズ被災地から未来を考える(田中重好・黒田由彦・横田尚俊・大矢根淳・編著・有斐閣2019年刊)を贈呈いただき読んでいます。
田中重好氏の記述は簡潔でわかりやすい。ノートを取りました。
1959年の伊勢湾台風(5000人が死亡)以降に、1961年に災害対策基本法が制定されました。大きな流れの中で「予知型の地震防災対策」になっていきました。
「戦後日本の防災パラダイムは次の2本の柱から構成されていたことを。
第1の柱は行政中心主義、中央集権制である。
第2の柱は科学主義とそれに基づく「想定」による防錆計画の策定とその実施である。
第1の柱と第2の柱の間には密接な関連性がある。第1の柱の中央集権的な行政中心主義は「防災に関する官の公共性」を生み出した。「科学的に正しい知見に裏付けられて行政が防災対策を講じている」(と信じられて)という形で、政治行政的に作り出された「官の公共性」は第2の柱である科学主義によって正当性を与えられた。」(p22)
「科学的にハザードを予測し、」それに基づいて防災対策を進めるという基本的な発想は変わっていない。」(p23)
「パラダイムという用語は、もともとはトマス・クーンが「科学革命の構造」において、科学の歴史的な展開を説明するために用いた用語である。」(p21)
しかし阪神大震災(1995年)と東日本大震災(2011年)の発災は、戦後日本の防災パラダイムに変革を強いましたが、おおむね何の変化もしていません。
東日本大震災以降に災害対策基本法の一部が変革され、「地区防災計画」制度がつくられました。今や多くの地域や自治体で取り組まれていますが、まだ本流ではありません。
「地区防災計画」は、高知市下知地区と黒潮町で実施されました。黒潮町の担当者は「国の本気度が感じられない。国土交通省や財務省が本気で予算などをつけていまsねんから。」
高知市は一応予算化し、ホームページに下知地区防災計画の全容を掲載しただけでもましなほうかもしれません。
高知市下知地区防災計画の全文(高知市地域防災推進課に掲載されています。9
https://www.city.kochi.kochi.jp/soshiki/12/sitasirutikubousaikeikaku.html
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