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2019.08.25

映画「ロケットマン」を見ました。


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 秋雨前線(?)が出来たのか、今日は「海の散帆」へ行けません。この先1週間も悪天候が続きますね。今日は諦め、映画鑑賞という芸術文化活動をしました。

 2019年8月23日(土曜)ですが、家内の薦めで映画「ロケットマン」(デクスター・フレッチャー 監督作品・英米合作)を大嫌いな禿鷹スーパーのシネコンへ見に行きました。ロックスターであるエルトン・ジョンの幼少期からスーパースターになり、挫折もあり、立ち直る半生の物語の映画でした。
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 わたしの印象では奇妙な服装をしたロックスター。「僕の歌は君の歌」とか「黄昏のレンガ館」などファンでない私でも知っている曲があるのでスーパースターです。

 幼少期は英国空軍パイロットで厳格な父と母が折り合いが悪く、幼少期のエルトン・ジョンは両親の愛に恵まれず、孤独な少年。見ていて気の毒でした。
彼を暖かく見守る祖母が、音楽の才能を見出し、11歳の時王立音楽学院に入学しました。6年間いたそうです。
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 1947年生まれですから、多感な時期を、ロック音楽興隆期を過ごしていて、音楽の素養と天才的な音楽の才能が開花していきました。「作曲家募集」の張り紙を見て音楽事務所に採用され、作詞家のバニー・トービンとの運命的な出会いをします。

 はじめはライブハウスのバックバンドのピア二ストでした。黒人アーティストから「過去を捨てて音楽で勝負しろ。名前も変えろ。」というアドバイスが転機になり、バニー・トービンが作詞した詩に曲をつけたのが「僕の歌は君の歌」(1970年)でした。

 それからバニー。トービンとのコンビでヒット曲を次々と出し。1970年代はアメリカツアーで大成功。アルバムもヒットを出してスーパースターになりました。

 作詞家のバニー・トービンは、親友であり、ビジネス・パートナーでありましたが、エルトン・ジョンの癒しの対象(同性愛者)ではありませんでした。今の時代でこそ同性愛者は市民権を西欧では獲得していますが、当時は蔑みの対象であり、忌嫌われていましたから。

 お金目当てに近づいてくる人間とトラブルを起こし、心労から薬物中毒、アルコール依存症になっていた時期もあったようでした。唯一心情を深く理解した女性が収録スタッフの中にいて、結婚もしましたが、異性を愛することはできず離婚してしまいました。
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 救いを求め母親に電話しますが「同性愛者は一生孤独で幸福になれない。」と突き放されます。いくらなんでも酷い言葉を実の母親が言うもんでしょうか。

 治療施設でカウンセリングを受け、立ち直り、以後現在に至るまで28年間アルコールも薬物も断ち切ったそうです。エイズ治療のために寄付をされているとか。「買い物依存症」だけは今でも治っていないそうです。
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