下知地区減災連絡会役員会の中止のお知らせ
3月3日(火曜日)に下知コミュニュティ・センターで予定していました下知地区減災連絡会役員会は、市役所側担当課長などが「新型コロナウィルス対策」で出できなくなりましので、中止となりました。
延期ということになりますが、具体的な日時は、現在のところ未定です。
2020年2月29日
下知地区減災連絡会 会長 森宏
3月3日(火曜日)に下知コミュニュティ・センターで予定していました下知地区減災連絡会役員会は、市役所側担当課長などが「新型コロナウィルス対策」で出できなくなりましので、中止となりました。
延期ということになりますが、具体的な日時は、現在のところ未定です。
2020年2月29日
下知地区減災連絡会 会長 森宏
2020年2月25日ですが、2年前の西日本豪雨で甚大な被害が出た岡山県倉敷市真備町。小規模多機能機能ホームぶどうの家代表の津田由紀子さん、ご支援をされている磯内千雅子さん(香川大学・四国危機管理教育。研究・地域連携推進機構・地域強靭化研究センター・特命准教授)、竹中奈津子さん(特定NPOピースウィンズ・ジャパン・西日本豪雨被災者支援事業・現地事業責任者)ら5人が下知コミュニュティ・センターへ来訪されました。
ご紹介したのは、山中晶一さん。ボランティア支援をされた関係や地区防災計画学会などの関係で、坂本茂雄さんに話があり、意見交換会となりました。
施設経営者の津田さんの目的は、「豪雨災害の経験から、施設の安全ともしもの時の地域の避難所機能も持たせたい。その場合高知の事例はなにか参考になるのではないか」という事で、南国市の大湊地区の津波避難タワーや高知市種﨑地区の船倉の津波避難施設などを見学されたそうです。
高知市下知地区は地盤沈下による長期浸水想定地。浸水を想定とした避難所運営や備品を備えています。下知コミュニュティ・センターの施設の見学、防災倉庫の見学をしていただきました。その上で意見交換をしました。
時間的な制約がある中での意見交換でした。その中でも津田由紀子さんの考え方に心を動かされました。
「私たちの施設は、災害時にはまわりの地域の皆さんの避難所機能も担いたいと思っています。それには日頃から地域の中に溶け込み交流することが大事です。そのために今後整備する施設の在り方を検討するために、高知へ来ました。」
災害時介護施設は「福祉避難所」になります。でも緊急時ですから近隣の住民も駆け込んできます。その場合多くの施設が閉所したとも聞いています。そうではなく、地域とともに共生していく姿勢に心打たれました。
磯内千雅子さんや竹中奈津子さんも太い絆で連携されている様子がわかりました。孤立しがちの介護事業所ですが、地域と共生を掲げている姿勢には学ぶところがあると思いました。
安倍晋三首相は昨日、小中高の来週からの休校要請を出しました。コロナウィルス問題で、日本政府はことごとく後手に回り、「無能極まりない」と諸外国から批判され、「急にやる気」になったらしい。
しかし休校要請はあくまで「お願い」であるはず。決めるのは各自治体の教育員会。しかし日本国は異様に「同調圧力」が強い国なので贖うことは難しい。
現実問題として休校になれば生徒たちは自宅待機し、外出を禁止しないといけない。1ヶ月以上その状態が続きます。
亡き父が通院していたある医院も、小学生の子供が複数いる看護士さんたちが2人おられました。仕事と家庭生活のやりくりが大変そうです。
学校が休みですと地域の図書館が開館していれば、子供たちが大勢来館する可能性があります。それこそ濃厚接触するので休校する意味がなくなります。第1危険でしょうが。子供たちの来館自粛の張り紙を出してほしい。
下知コミュニュティ・センターを例にとれば、かつて(数年前)は、大雨洪水警報が発令され、避難準備情報、高齢者避難開始情報が発令されたことがありました。
そしたら小学校が休校になったので、「非常識な親たち」が車で子供たちを併設している図書館へ連れてくる事態になり混乱しました。
貸室業務を停止し、避難所をこしらえ、受け入れしている最中に、子供たちが次々とやってくる。大変危険な状態でした。
当時私は市役所の災害対策本部へ電話し「図書館を早く閉館させてください。避難所機能がマヒしますから」と言いました。
しかしなかなか閉館にならず、そうこうしているうちに河川が増水し、図書館職員の人が自宅へ帰れない事態になりました。後手を踏みました。
そのあたりの危機管理はきちんと高知市当局もやっていただきたいです。3月4日から高知県の小中高も休校になるようですね。きちんとした対応を自治体もしないといけないです。
2020年2月24日(祝日)。天気は晴れ。移動性高気圧に覆われ、「温厚な」お天気でした。帆走技術の稚拙な年寄りでも海に出ることができました。高知大学ヨット部の470が2艇と社会人が私を含め3艇海へ出ました。SUPやシーカヤックの人も海へ出てきました。
ハーバーでぎ装(ヨットの組みたて)を慎重にしました。2週間ぶりですので。
赤装束のドライスーツを着用。着脱に少しは慣れましたが、大変です。
ドライスーツを着用して海へ出ました。今日は波もなく、風は程よく含ましたが、途中で弱くなりました。まったりと海に浮かんでいました。日差しがあると暖かいです。
2月は多忙でした。前半は防災研究大会(今治)や中土佐町防災部署訪問などをしました。次週は仕事で巡回しました。15日からは「怒涛の1週間でした。講演会や県庁訪問がありました。NHKの収録が4回ありました。仕事も立て込んでいました。週明けは郡部出張が決まりました。ということで、心身共に疲れていましたね。
母の調子が良く元気にデイ・サービスへ行きました。家内の許しを得て朝から晩まで夜須の海で遊びました。風があろうがなかろうが、海におれば楽しいです。
太陽と潮風と波。海に浮かんでいると充電が出来ました。心身が疲れているときは、肉体が疲れるまで海で遊んでいれば、心身の疲れが取れます。家族に感謝です。
明日から頑張って仕事も地域活動もやります。在宅介護もです。
帰り際に、道の駅やすで、うちの雛人形にも対面しました。他の雛人形もあり癒されました。
2020年2月23日(日)ですが、高知市二葉町にある稲荷神社で、初午祭があり、祖の後、もち投げがありました。同じ町内で、同じ区画に稲荷神社配置していますが、こちらの神社にはお参りに行ったことは1度もありません。
東京で就職して高知市へUターンして今年で40年になりますが、1度もありませんでした。ご近所の建材店の米田さんが古くからの氏子らしく、昨日「わしらは23日は午前5時からもち米を蒸し、朝から餅つきだ。午後3時半から餅を投げるので参加してほしい。」と直々に言われました。
せっかくのお誘いですし、今朝カフェレストすみれさんでお会いした橋本富士夫さんと一緒に午後3時20分ごろ行きました。すでに稲荷神社東側の道路は人で満杯。「濃厚接触」状態に。一方通行路を超えて北側にも人がはみ出していました。
ざっと見て300人ぐらいいたようです。「うちは餅を食べない家なので拾わなくてもいいから」と家内にあらかじめたしなめられていました。ただ餅拾いになると異様にハッスルする人も多数いるので、手を踏まれたりするのが嫌なので軍手をはめました。眼鏡も飛ばされたらいやなので、ヨットの時に使用する眼鏡サックに眼鏡を固定し参加しました。
橋本さんと雑談している最中に持ち投げが始まりました。神主さんと法被を着た氏子の人達が勢いよく持ち投げをします。偶然手を伸ばしたところに餅をキャッチしました。後は前の人にあたって跳ね返った餅をキャッチしました。5個ぐらい拾いました。写真も撮ってましたから全然真剣ではありません。
20分ほどで持ち投げは終了。知寄町のマンションの住民の宗円さんはがまぐち状の袋に30数個撮られていました。前の端に座って落ちてくる餅をなんなくひろっていたとか。
終了後カフェテラスすみれさんに橋本さんと一緒に行き、コーヒーを飲みました。そのときに取ったばかりの餅を食べました。やはりつきたての餅は美味しいです。しかし信者でもなんでもない市民に餅を撒くとは、きっぷのよい神社ですね。ある意味感心しました。
母(94歳)が髪をカットしている間に。美容室に置いてある女性週刊誌を見ました。結構きになる記事がありました。
「首都直下地震危険な地域のMAP]「スーパーのお惣菜・お弁当は食べてはいけない。」「あなたの個人情報丸裸」「新型コロナから家族を守る」「年金は前倒しでもらって得しよう。」などです。
生憎精読する時間はありませんでしたが、感心したのは女性用雑誌は「社会派である」ということでした。たぶん官邸記者クラブ(談合・権力の犬クラブ)などには入っていないと思うので、問題意識があるのでしょう。
2020年2月23日(日)ですが、母(94歳)はご近所のシンボル美容室へ行きました。美容室へ行くのは昨年の12月30日以来。ほぼ2か月ぶりです。
美容師の荒木育子さんによれば「その昔はお母さんは髪の毛も多かったので、月に1度はカットが必要でした。今は髪の毛も少なくなり、髪の毛も細くなりました。2月に一度でよろしいかと思います。」とのことでした。
2か月ぶりなので、シャンプーもお願いしました。髪を洗いますと母は気持ちよさそうにしていました。その後髪を乾燥させカットし整髪しました。
いいお顔になっています。戻るとよそ行きの服を着ていますので、そのままスーパーでお買い物。店内を歩行練習しました。今日はいい天気です。午後から風が強く吹く予報です。用事は午前中に済ませました。
2020年2月22日(土曜)。2が3つ並ぶ日でした。
午後1時に丸池町勤労者交流館へ集合。丸池東弥生受防災会会長の吉本豊道さんが、丸池町唯一の津波避難ビルである外階段を後付けして、屋上へ避難する場所です。
屋上へ上がりました。この勤労者交流館は天上が高いので、2階建てですが、普通のビルの3階建てはありますね。吉本豊道さんの説明では、屋上には380人程度避難できるとのこと。しかしそれは丸池町の半分の数字です。このままでは半分の町民が溺死することでしょう。
降りてきて救命艇南風を説明しました。高知大学ヨット部活動サポート船である南風。階段を昇降できない避難所のために、浮船として丸池町での救命艇として、活躍することでしょう。10人ぐらいは乗れます。丸池東弥生防災会では、もやいロープや、パドル、救命胴衣なども購入されていました。
その後、二葉町自主防災会が、指定した「地区避難ビル」「津波避難ビル」(高知市認定)の外観撮影に同行しました。その中で松村コープに登攀しました。屋上の上から鏡川大橋の歩道部を撮影していました。歩道部は「要援護者津波退避場所」として国土交通省から認定されています。非常用トイレを入れた箱を覆っていた袋が紫外線で劣化していました。
丸池町へ戻ると、丸池公民館で食事をしながら、意見交換会をしました。
驚いたのは94歳の女性。母と同い年です。昭和南海地震の記憶が鮮明にありました。
「昭和南海地震の時は嫁に来たばかりでした。平屋でした。水が来たので、江ノ口川の堤防の上へ避難して、避難生活をしました。」
私は「昭和小が下知地区の避難所であったと思いますが、そちらへ何故行かなかったのでしょうか?」と聞きました。
「行けなかったのです。水が来たのですから。」と浸水の深刻な様子が良くわかりました。
吉本豊道丸池・東弥生自主防災会会長が、取材を受けていました。意見交換会には、森宏下知地区減災連絡会会長や、高木妙市議や中島美宝さん、橋本富士夫さん、大崎修二さん、荒木三芳さんが来られていました。
四国四県の防災への取り組みなどが紹介されるようです。おそらく下知地区も2分程度ではないでしょうか。
今朝は外気温は3度ぐらいでした。しかし午後からは移動性高気圧に覆われ、暖かい日になりました。17度ぐらいになりました。母(94歳)を連れてはりまや橋商店街サロンへ行きました。
まずは魚の棚商店街で夕飯用のコロッケを購入しました。遅れて行きましたので、すでに活き活き100歳体操(介護予防体操)は始まっていました。体操を中座していただきご指導されている大塚理恵子さんの前の「特等席」に座らせていただきました。
今日の体操参加者は、母を入れて12人でした。暖かくなりますと参加者は徐々に増えてきますね。昨日の夕方事務所に坂本ケアマネさんが来られていました。
「ディサービスだけで運動する高齢者の方はほとんど。その点お母さんはよくお出かけして運動されているから、足腰が達者なんですよ。」と言われました。確かに言われてますとそうかなと思います。
母は1日の通常型のディサービスには月曜日、水曜日、土曜日の週に3回。火曜と木曜は午後から介護予防通所リハビリ施設へ週に2回行っています。金曜日は私がおれば、午後からはりまや橋商店街サロンへ連れて来ています。日曜日も家にいてお天気であれば、スーパーの買い出しに母を車で連れて行き、店内をショッピング・カートを歩行補助車代わりにして歩かせています。
寝室は3階で和室。2階が茶の間です。1段が23センチある階段昇降は毎日していますから。少しは足腰が鍛えられているとは思います。
今日の100歳体操でも、椅子からの立ち上がり運動(手を使わず立ち上がる。座る)を20回、ひとまわり若い高齢者の皆さん(概ね80歳前後)と一緒にそん色なく出来ていました。元気になっています。
体操終了後は谷ひろ子さんのお店でコーヒーとパンを母は食べました。体操後のおやつを食べて休息してから戻ります。私もお付き合いしておやつを食べるので、体重が増えました。見苦しい体型になっています。
2020年2月20日(木曜日)でしたが、NHK「四国羅針盤」(3月13日放映予定)の番組の二葉町での「防災まち歩き」収録が行われました。午前10時に二葉町の西森酒店に集合しました。来られた町内メンバーは楠瀬繁三さん(二葉町町内会長)、荒木三芳さん(二葉町町内会副会長)、西森俊一さん(二葉町町内会前会長)、長野貞孝さん(元自動車修理工場経営)、西村健一(二葉町自主防災会事務局長)が参加しました。
NHK高知放送局の放送部制作ディレクター 伊藤亜寿佳さんと放送部記者 西浦明彦さんが午前10時に二葉町の西森酒店店舗に表れ事前打ち合わせをしました。まずは西森さんが何故地区避難ビル(二葉町単独指定の津波一時避難(待機)場所)として協力なさった理由について聞くことになりました。」
テレビカメラマンが松山から到着したのが10時40分頃。それから撮影スタートです。西森酒店を二葉町の住民が訪ねていく場面を撮影。続いて西森俊一さんと西浦記者とのやり取りがありました。そのあと西森さんのビルの階上へ。2階には食料と飲料水の備蓄倉庫があるご紹介をされていました。
屋上にはLPガス発電機もあり、野菜も栽培されています。広い空間があり40人程度は避難できます。西森俊一さんは地域に対する想いと、二葉町の特色について詳しく語られました。
その後は二葉町の町内の南側の長野貞孝さんの自宅を訪問しました。長野さんの防災への想いを取材されていました。すぐ前にある地区避難ビルであるコーポシーロードに皆で登りました。5階に防災備品を置いてある場所があります。
屋上からの景色を撮影し、長野さんに地区避難ビルのありかたについて取材されていました。
長野さんへの取材が終わりますと、楠瀬繁三二葉町町内会長は、仕事のために退出されました。荒木三芳二葉町町内会副会長と町内の「二葉町防災マップ」を貼り付けている掲示板を撮影したり、消火栓取り付けホースや液体消火器を配備している場所を確認しました。
続いて下知コミュニュティ・センターへ行きました。屋上へ上がりました。西村健一下知コミュニュティ・センター運営委員会防災部長が説明しました。5階ではデジタル式の放送設備を確認。国際信号旗掲揚ポールを確認しました。屋上ではLPガス災害時ユニットの説明と、調理用具、防災備品を説明しました。
4階へ降りますと2000Lの飲料水タンクを説明しました。4階防災倉庫には、衛生用品(手洗い用アルコール・マスク)等。近視や遠視の度に合う眼鏡や、助産キッド、粉ミルク、おむつや寄贈されたタオルやひざ掛け、食器、スプーンなどが在庫してあることを説明しました。
また4階の多目的室には、高知市災害対策本部に繋がる防災行政無線装置があります。これは下知コミュニュティ・センター周辺の被害状況や、支援要請などをするための大事な装置です。
3階北側ベランダには、1人乗りシーカヤックが置かれています。これは周囲が長期浸水状態になった場合、在宅避難されている3階建て以上の建物の人達の安否確認や情報収集に水面を移動するための連絡用の目的で使用します。
NHK側の質問もあちらこちらへ飛び、こちら側が伝えたい意向とは、かなりずれるので、正直対応には苦労しました。午前10時から午後15時半頃まで拘束され、正直疲れました。取材対応にはエネルギーを使いますね。
今回の「四国羅針盤」いつもは30分番組らしいですが、今回は47分番組だそうです。3回にわたって二葉町編を取材されましたが、実際の番組の登場する時間は数分あるかないかであると思います。取材対応しながらでしたので、5時間半もNHKスタッフと一緒にいながら写真が撮れたのは僅か数枚ですね。
2020年2月17日(月)ですが、高知市下知地区の3社(鍵本飲料(株)に石川悦子さん、(有)西川写真の西川義章さん、(株)エヌシー商会の西村健一)が高知県庁を訪ねました。繋いでいただきましたのは、地元下知地区の県議会議員である坂本茂雄さんでした。
応対していただきましたのは。高知県商工労働部経営支援課課長山本儀嗣さん、課長補佐の岡村忠純さん、主事の西岡愛莉さんでした。
資料もいただきました。「中小企業庁 被災中小企業支援策ガイドブック 高知県(第8・2版)」「中小企業庁 事業継続力強化計画認定制度のご案内」「グループ補助金の概要」「復興事例集 平成30年7月豪雨災害からの復興に向けて 四国経済産業局 愛媛県」「高知県 事業継続強化計画認定企業一覧表」などをいただきました。
具体的には1昨年の西日本豪雨災害(愛媛県大洲市)の商店主たちの復興の手助けをなさった西岡愛莉さんから具体的な事例の説明がありました。実務で支援活動なさっているだけにとても具体的で理解できました。3社の下知地区のオーナー経営者たちも背筋を伸ばして慎重に傾聴していました。
大規模災害(地震・津波・台風災害・洪水)などで国が該当地域を「激甚災害」に指定した場合に、国から中小零細企業にも支援する制度が発足します。その諸制度については経済産業省と中小企業庁が担当し、実施するようです。
「グループ補助金制度」もその1つであり、中小零細企業は、必要資金の4分の3を国と県が補助する制度です。東日本大震災(2011年)から始まった制度であり、熊本地震(2016年)、西日本豪雨(2018年)、台風19号災害(2019年)に実施しています。制度や融資の形態がその都度変化しています。
大災害後に国が激甚災害を当該地区に指定すれば、企業グループをこしらえていれば、手厚い支援は受けられそうですが、それだけの支援があっても事前対策をきちんとしていなければ、災害後の企業再建はできないと思いました。
それは「得意先の確保」「業務提携先の確保」「災害保険への加盟」「資金の確保」「取引先のご理解」「取引銀行のご理解」が必要であるという事がわかりました。
ここで注目すべきは高知県に既に「事業継続強化計画認定企業」が昨年12月末時点で43社あることです。業種業態は多様ですが、すでに中小零細企業で事業継続の手を打っている会社が多くあることに心付けられました。
なんとか今年私も挑戦します。そして下知地区で「中小零細企業事業再生(BCP)研究会」を創立し、具体的な活動、研究会をしていきたいと真底思いました。南海トラフ地震で死にたくないし、会社も存続させていきたい一心です。
3月13日(金)放送予定のNHK「四国羅針盤」。今回は市街地が地震後浸水する徳島市と高知市が取材対象。
高知市下知地区では丸池町と二葉町にテレビクルーがはいりました。今日は二葉町の取材です。寒い中二葉町の住民各位が記者の質問に的確に答えていました。
クルーズ船を横浜港に係留した状態で、どんどん新型コロナウィルス肺炎の感染者が増加し、結果的に国際的な信用を日本国は失いました。アメリカのチャーター機が飛んできて、自国の乗客数百人をすべて帰国されました。
カナダやオーストラリア、、イタリヤ、台湾などはチャーター機を日本に飛ばし、自国民を「救う」ためにチャーター機が乗り組んでくる映像が連日見ていますと、いよいよ日本国に「お終い」ではないかと思いますね。
対応が常に遅い。常に後手に回っていますね。もはや「災害」と同じであると認識し対応すべきです。
中国で感染者が現れ始めた時期において、安倍内閣は「インバウンド観光」や、「IR](賭博法案)こそが「成長戦略」と的外れの経済振興策に執着し、初期対応が全く不十分でした。
ここへきて日本は「中国に次ぐ第2の感染国」となりました。全世界が認めました。まもなく「日本人の入国禁止措置」が各国が出すでしょう。本当に情けない。
無能な政府のおかげで、日本国の価値は暴落しました。
昨日から1日雨。朝9時からはNPO法人YASU海の駅クラブで、「救命講習会」を受講しました。海の駅クラブの田中さんが講師。救命士(だったかな)の資格を取得されたとか。3時間みっちりの講習会でした。
7年前に防災士の資格を取得した時に、日赤の救命講習会を受講していた時以来でした。ほとんど忘れていましたね。
「胸骨圧迫は大事。人工呼吸より大事です。AEDも躊躇なく使えるようにしましょう。」とのことで、3時間みっちりしました。高知大学ヨット部の学生たちや、ジュニアヨットクラブの2に人も参加。私が最年長受講者でした。
受講して良かったです。3年ぐらいに1回は受講すべきであると思いました。
昼食を訪のおむすびと卵焼きを食べ、午後からはYASU海の駅クラブにお願いしてありましたSUP体験をしました。まるで初体験です。座ることで精いっぱい。時折立ち上がりますが、30秒ぐらいが精一杯でした。情けない。
南海トラフ地震で地盤沈下して下知地区は長期浸水します。私などは在宅雛者になるでしょう。連絡用にウィンドサーフィンのボードに立ち漕ぎして地域を巡回できればと思いました。ところがSUPに立つことがほとんどできない。
ご一緒した大崎修二さんは簡単にSUPに立ち、すいすいと乗られていました。SUP体験の写真はありません。
まして幅の狭いウィンドサーフィンのボードの上に立つことは、今の私では不可能。座るだけで精一杯でした。
雨の中のSUP体験が終わり、かつて高知大学ヨット部のサポート船として活躍していた「南風」を高知市丸池町に移動するのを手伝っていただきました高知大学ヨット部のメンバ-3人とOBでYASU海の駅クラブ事務局長の井土さんも「四国羅針盤」の取材対応をしていただきました。
SUPはヨットとは使う筋肉が違いました。明日は足が筋肉痛になりますね。
2020年2月15日(土曜日)ですが、午後18時より、下知コミュニュティ・センターで「事前復興計画と下水の話」(講師村山和彦さん(技術士)の講演会が、下知地区減災連絡会(森宏会長)で開催されました。
土曜日の開催にもかかわらず60人の参加者がいました。下知地区以外からの受講者もおられました。地元下知地区の参加者と地区外の参加者もおられ、34人が参加していました。
講演内容については、可能であれば後日まとめができるであれば、しますが。今日は司会進行をしながら雑用もすべてしていましたので、きちんと筆記していませんので。どうなるのかわかりません。
下水・排水問題は、正直「きちんと考えたことがない」人が、私も含め多いようでした。
ただ言えることは毎年2000人人口が減少している高知市に置いては、近い将来広域下水道システムや、広域排水システムも維持ができないかもしれないとは思いました。
人数こそコンパクトでしたが、「濃いメンバー」「つわもの」の人達が参集していました。エネルギーを費やしました。
2020年2月14日ですが、母(94歳)と一緒にはりまや橋商店街サロンへ行きました。歩行補助車を積み込み、出ようとすると小雨に。慌てて長靴に履き替え、合羽を用意しました。
おかげでロスタイム。活き活き100歳体操は午後2時からスタート。到着したのは5分前でした。いつものコロッケ屋さんでビーフコロッケを購入しました。
谷ひろ子さんのお店で、チーズケーキとシフォンケーキを購入しました。今日の活き活き100歳体操は、雨にたたられたのか母を入れて8人でした。
体操が終わってから体操をご指導いただいている大塚理恵子さんにお話をしました。
「今日はお母さんはお元気でした。手を使わず椅子からの立ち上がり運動を20回を2セット出来ました。夏頃は10回が限界でした。」
私は「母は2階で1人でいるときに、家内がYouTubeで介護予防体操の動画を母に見せています。動作を真似してします。30分ぐらいはやりますが、それ以上は無理のようです。」と言いました。
大塚さんは「動作が真似できることは良いリハビリですね。それができるうちは認知症の進行が押さえられます。重度になればできなくなります。」と言われました。
帰り際に「活き活き100歳体操応援団長」の細川ふみさんにお会いしました。「寒いのに元気で来ゆうね。偉いね。」と言われました。母は満面の笑顔で応えていました。
帰り際雨が上がり、晴れ間が出ていました。日曜日(16日)は天気であってほしい。初めてのSUP体験を夜須でやりますので。
宝永町歩道橋。南側の階段の位置が変更になっていました。
戻ってきますと机の上にチョコレートがありました。今日はバレンタインデーだそうです。最近は家内も娘もくれないので忘れていました。
道の駅やすでうちのひな人形を飾っていただいた女性スタッフの人が今日がお休みで、わざわざ持ってこいていただきました。恐れ多いことです。私は「甘党」なので素直に嬉しいです。
2020年2月14日(金)は、二葉町町内会(楠瀬繁三会長)の月に一度の資源・不燃物仕分けステーションです。
荒木三芳二葉町町内会副会長(衛生委員)の指揮のもと、町内会16の班の班長さんたちが手際よく仕分けの指示をしています。
月に一度町民同士が出合い会話する町内会の資源・仕分けステーションは地域コミュニュティにとりまして大事な行事であることがわかります。
ようやく高知新聞の読者投稿欄の「声・ひろば」に掲載されました。
「全市課題の下水問題」です。
2月15日(土曜日9午後18時より
高知市下知コミュニュティ・センター4階多目的室で開催。
講師は村山和彦さん(技術士)です。
2020年2月11日(火曜日)。祝日で業務はお休み。家人の許しが出ましたので、朝から夜須へ行きました。ほぼ1か月ぶりです。今日は移動性高気圧に覆われ、「温厚な」お天気なので.下手くそな年寄りでも海の散帆が出来ます。
早速ぎ装(ヨットの組みたて)をして出艇しました。しかしぎ装が甘く、海へ出てタック(風上側へ方向転換)したとたんにブームバンクが外れました。沖から海へ戻り(海の上では治せないので、砂浜へ着艇し直しました。やれやれです。
風はそれほど強くはなかったですが波がなかったので、赤岡沖まで行けました。今日は高知大学ヨット部の2回生3人と、ジュニアヨットクラブの2人が出ていました。全部シングルハンド艇でした。あとから社会人のYさんが出てきました。
お天気も良く最高のセーリングが出来ました。赤装束のドライスーツにも慣れました。海の上では目立つほうがいいですから。
お昼は1度上がりお昼を食べて、午後からも海へ出ました。おかげで首肩の凝りがほぐれました。理想を言えば、週に1回海へ出るこちが出来れば、「ストレス・フリー」になれますね。健康にもなれますし。そういう生活を送りたいものです。
雛人形に対面しました。
1月20日頃に、うちの雛人形を道の駅やすにもっていっていました。2月2日から道の駅やすのホールで展示されています。
セーリングが終わって片付けした後に、雛人形を見に行きました。6年ほど前から道の駅やすの女性スタッフの発案で始まりました。人形だけでなく、着物や、工作品なども展示されています。癒されますね。
なんだかどの雛人形もホールにいるとのびのびとした表情になっています。
うちは狭い納戸に押し込まれていますから。年に2か月は外に出されてのんびりしています。
聞きますと女性スタッフ4人で1日がかりで展示したようです。
2020年2月9日(日)ですが、高知市江ノ口コミュニュティ・センターにて入明立体交差側道の住民説明会が、高知市道路整備課(谷沿新也課長)主催により行われました。北部環状線と高知駅前道路―大津バイパスを南北に結ぶ交通量の多い大事な道路です。
建設されてから50年近く経過し(昭和46年頃建設)、、側道の鉄製の防護柵の塗装が劣化し。錆びや、旧塗膜の剥離も著しいので、このたび高知市は全面的に旧塗膜を剥離剤で剥離し、防錆塗装工事を施工するとのことで説明をされていました。
問題は50年前に塗装された塗料が塩化ゴム系の塗料であることで、低濃度のPCB(ポリ塩化ビフェニール)が含有されているために、通常の鉄構造物の錆落とし作業(ブラスト処理工法やディスクサンダー工法では塗膜が粉々になり、周辺に学校や病院、住宅が多いことからできません。
それで市役所側の説明では、「現在塗装されている塩化ゴム塗料のなかに現有されている低濃度PCBを現場で完全に回収するために、釣り足場と作業現場周りを完全養生し、剥離剤を旧塗膜に刷毛やローラーで塗こんで、柔らかくなった時点で、完全に剥離し、回収します。」
「回収した旧塗膜はドラム缶に入れすみやかに低濃度BCP処理施設に運搬します。」
「旧塗膜を完全に回収後、素地調整を行い、防食下地塗装、下塗り、中塗り、上塗りと仕上げます。」
「予定では3月末に業者を選定、4月から着工します。4工区に分け、
釣足場を仮設し、6月から9月まで旧塗膜剥離作業と回収作業。並行して鋼材部分補強作業をします。
9月から来年2月まで、防錆塗装作業を行います。3月に足場を撤去し工事は終了します。」とのことでした。
参加した住民・関係者は10人でした。意見が出されました。
「既に50年経過した鉄柵だが、今回の改修工事(塗膜剥離・回収・防災塗装工事で本当にあと20年間は持つのか?」
「鉄柵を撤去し、新たに設置する工法でも25年しかもたないとのこと。本当にそうなのか?」
「PCBは低濃度と言え有害物質。現場剥離・回収作業で大丈夫なのか?鉄柵ごと回収し、県外の処理場で回収すべきではないか。」
「説明にはおおむね納得はしましたが、持ち帰りの資料もないのは、町内での説明に困ります。資料があるべき。」
「設置から50年後の全面改修ではなく、20年目ぐらいから改修工事をすべきでした。」
との意見が出ました。午前11時過ぎに散会しました。
傍聴していましたが、市側の説明は丁重であり概ね賛同できます。ただ参加者各位に紙の説明資料(工法や工事の概要など)は必要であるとは思いました。
久礼の街中の多くの人達が、大津波警報が発令されば、海抜30Mの高台にある久礼小学校へ逃げるという人が多かったです。
確かに海岸に津波避難タワーはありますが、人間の心理として「津波に向かって逃げる」とは思わないでしょう。あの津波避難タワーは海岸付近で活動されている人たちが逃げるための施設にすぎないことがよく理解出来ました。
実際に大正市場から商店街へ抜け、久礼小学校まで行きました。避難場所の表示がありました。道路からいきなり比較的勾配のきつい斜路と階段になっています。
急ぎ足で上がろうとしますと運動不足気味の私は息が切れました。身体能力の低い人は、皆でサポートしないといけないですね。
二葉町自主防災会で実践していますのは、自宅から50M以内に1つの津波避難ビルをこしらえることでした。現在二葉町内に15の津波避難ビルがあります。高齢者の住民のために数を増やした。
久礼地区は大津波が短時間で来るのですから、住宅密集地には、50M四方に1つ津波避難ビルをこしらえるべきです。そうしないと多くの住民は久礼小学校へたどり着く前に津波に追いつかれ溺死します。
中土佐町は役場を中心に「コンパクト・シティ」になっています。美術館もあるし、文化会館も役場に隣接。大正市場や商店街もありますね。
この地の出身の漫画家青柳裕介さんの銅像もあります。商店街の建物も「かつては栄えていたんだ」と思われる風情のある建物が多い。
ただし中土佐町久礼地区の津波避難マップ(ハザードマップ)を見ますと商店街区域はすべて津波浸水地区になっています。
多くの人達が、久礼小学校へ逃げます。と言われていましたが、大正市場から450Mもあり、結構遠い。しかも急こう配の斜路になっています。海抜30M高さがあり、鉄筋コンクリート3階建ての建物は安心が出来ますね。
実際に上りましたが、運動不足気味の私では、息切れしますね。高齢者や体にハンティがある人の支援は大事ですね。
高知信用金庫の建物がありました。あそこに津波避難ビルを建てていただくか、外付け階段をつけ、屋上へ避難できるようにする必要はあるでしょう。
街中の人口は案外多いのに、垂直避難できる場所は皆無。要する街中に津波避難ビルがありません。それが問題ではないかと思いました。
中土佐町役場は国道56号線の高台へ移転します。現在の役場庁舎を津波避難ビルに改造すべきでしょう。もしくは耐震性のある自走式駐車場で屋上が30M高さの建造物(駐車場ビル)をつくれば いいと思いました。
その1 久礼津波避難タワー
2020年2月8日ですが、合同研修の候補地の1つである高知県中土佐町久礼地区を防災まち歩きの下見をしました。ご案内いただきましたのは中土佐町の防災士の谷脇裕美さんです。若松町の橋本富士夫さんと一緒に歩きました。
まずは話題の津波避難タワー純平。久礼の海岸にそびえ立つ円形型の津波避難タワー。2014年に避難タワー本体が完成、接続路が2016年に完成。総工費5億円かけて完成したようです。
この津波避難タワーには斜路があります。階段もあり、3階部の高さが14Mですが、海抜6Mの土地に立っていますので20Mの高さでした。
建設されて今年で6年目ですが、亜鉛メッキ部の1部には錆が出始めています。3階部で標高20Mという事でしたが、高さが足りないのではないかと思いました。
岩手の津波語り部の菅野和夫さんが言われるように、逃げ遅れた人を救助するためのロープや、万が1、20Mの高さまで津波が来た場合は、ロープを利用して流されないようにする必要がります。
防災倉庫にロープなどが省機材としてあるかどうかが気になるところです。
また問題は大正市場付近の住民の人たちに複数聞きますと「海の方向へ逃げる気にならない。」「逃げるなら久礼小学校だ。」と言われる人が多い。
高台の避難場所が「遠い」ように思いました。要するに久礼地区の津波避難タワーは、大きな久礼のイベント(カツオ祭りや。久礼八幡様の大祭」などの場合の津波避難タワーではないでしょうか。
2020年2月7日(金曜日)は、母(94歳)に1日寄り添い「母の日」となりました。
まずは朝1番には月に1度の口腔ケアを嶋本歯科医院へ行きました。母は所々歯が欠けたり、折れたりしていますが、歯科医師によれば28本歯が健在。歯周病や虫歯の予防のため、月に1度の歯の検診をしています。現状では抜歯の必要はなく、義歯は1本もなく自分の歯で一般職を食べています。健康の秘訣ではないかと思います。
一度戻りトイレに行き、主治医の横田哲夫さん(横田内科胃腸科)へ行きました。車は駐車場に置けましたが、普段見かけない若い世代の人達がマスクをして待っています。高齢者の人達もいました。1時間近く待って診察に。血圧は120-66.脈拍は60で不整脈なし。足のむくみも少なくなりました。健康状態は良好です。
横田先生に聞きますと、インフルエンザや感染症の患者はおらず、今日は検査や検査の準備(大腸内視鏡検査・胃の透視など)の準備のための診察や説明を受ける人が多数いたようでした。人安心です。
昼食を食べはりまや橋商店サロンへ行きました。着くと活き活き100歳体操が始まっていました。今日は10人の参加者でした。母も元気に体操しました。
なんか今日は1日母と一緒にいました。元気に自分の足で歩いてくれるのでなによりです。うちは階段生活です。母の寝室は3階の和室です。階段の段差は23センチあり、足腰が健康でないと自宅で生活出来ません。
そのために月・水・土は1日デイサービス。火と木は午後から介護予防通所リハビリ施設へ通所しています。金曜日は私が「100歳体操」へ連れてきています。超高齢の健康を維持するためには、家族の努力もまた必要です。
私も家内も在宅介護を義務と思ってはいません。認知症の母ですが、家族の一員として楽しく生活をしています。
毎日日にち「新型コロナ・ウィルス肺炎」に関するニュースがこのところトップに来ます。中国本土の関係者は「日替わり」に増加し、依然として右肩上がりです。
危機管理の問題としては、とても難しい。期間を限定して「東京五輪を開催する」のであれば、3月末に日本で「終息宣言」が出なければ、東京五輪は開催出来ないと思うのがふつうであると思いますね。
中国の次に感染者数が多いのが、日本ですから。「手洗い」「マスク」「アルコール消毒」が有効で、免疫力を落とさない生活が大事であるとか。ワクチンや特効薬もない新型コロナ・ウィルス肺炎」実にやっかいな感染症ですね。
閖上(ゆりあげ)復興だより59号(編集長・格井直光さん)が、一般社団法人ふらむ名取より送付されてきました。
紙面1面は閖上地区の新年を迎えた様子が記事になっています。初日の出、ゆりあげ港朝市、新春の集い、どんと焼きは9年ぶりに復活しました。地域コミュニュティが再生されるつあるようですね。
紙面2面と3面は「閖上復興だより終刊・・・それぞれの思い」を持たれた皆様の文章が掲載されています。
小原武久さんは」、震災後閖上を離れ、仙台市のみなし仮設住宅で生活されていました。
「わたしにとって「閖上復興だより」が唯一の情報源でした。
中略
当時の名取市での復興計画の進捗状況は、震災の影響でホームページにアップされておらず、私だけでなく「閖上復興だより」を見て初めて計画内容を知った被災者も多くいたと思います。」
「大好きだった故郷・閖上を離れ、コミュニュティ(町内活動)で培ってきた人間関係も破壊され、生活も離れ離れにならざるを得ませんでした。
中略
ばらばらになった閖上の人々をつなぐ役割を十分に果たしたと思います。加えて、復興計画の情報だけでなく、震災前にあった懐かしい味(店)が復活したことや、「閖上復興芋煮」など各種イベントを企画し。”もう一度心をひとつに”をモットーに分散したコミュニュティの再生にあたっていただきました。」
まさに閖上復興だよりは、閖上コミュニュティの再生・復活に大きな役わりを担っていたことを理解出来ました。復興計画の概要も、市役所に代行して公表し、多くの閖上関係者が情報を共有できた役割も果たされていました。
編集部員の皆様の思いを、短い文章ですが理解することができました。何より編集長の格井直光さんのご苦労は並大抵ではなかったと思います。
「津波で流失し、大勢の人が犠牲になった閖上。負の印象を払拭できたら、故郷閖上と胸を張って云えると思っています。
東北の宮城、名取川河口の海辺のまちを多くの人に好きになってほしい。そのためには閖上を震災の前よりも盛り上げなくてはならないと思います。
これまでの応援・ご支援に厚く感謝申し上げます・あと1回頑張ります。」と格井さんは書かれてります。
4面は閖上の地域の行事の報告記事です。どこで何がおこなわれているか。取材し記事を書き、編集することは大変な労力です。
わたしは2015年と2016年に閖上を訪問させていただきました。格井さんから日和山で津波のお話を伺いました。当時はまだ嵩上げ工事の最中でした。
紙面からは道が整備され、住宅が建つ様子が伝わってきます。でも地域コミュニュティがしっかりしなければ、地域は再生できません。人と人を繋ぐ大きな役割を「閖上復興だより」は果たされました。
次回で最終号となるようですが、形を変えた広報紙が継承していくように伺っています。「閖上復興だより」の編集長格井直光さん、編集委員の皆様、お役目ご苦労様でした。遠い四国の地からエールを送ります。
二葉町自主防災会は、顧問である西田政雄さん(防災寺小屋・主宰)の提唱で、「防災世帯調査」を実施し、地区指定の津波一時待避所である地区避難ビルを増やしてきました。
「防災世帯調査」で集約した貴重な個人情報を防災会役員で精査し、自宅から50メートル半径で1つ地区避難ビルを配備してきました。それは80歳医以上の高齢者と小学3年生以下の年少者が速やかに浸水時に避難できる位置に地区避難避難ビルを配置していくことになりました。
次の段階として「SOSカード」も、「要支援者情報伝達カード」も顧問の西田政雄さんの発案でした。しかし市役所各部署(防災や福祉関係部署)に作成の支援を何度もお願いしましたが、金銭的な支援は、残念ながらありませんでした。
8年間の願望が遂に実現しました。実現しましたのは、昨年10月の「二葉町総合防災訓練」でアドバイスをいただきました内閣府ご指定の防災コンサルタント会社である(株)総合防災ソシューション主任研究員の須田俊彦さんのご理解とご支援のおかげです。厚く御礼を申し上げます。
須田俊彦のアドバイスは、4P仕様にして、2面・3面に個人情報を記入するようにすることでした。この1枚のカードをカードケースに入れ、首からボラ下げておれば、周囲の人にご自身の「伝えたい情報」が的確に伝達できるはずです。
昨年12月12日の日の出・弥生自主防災会がサンプル品で使用しています。好評でした。高知新聞も記事にしていただきました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2019/12/post-0db323.html
今回の「下知SOSカード」は、カラーユニバーサル・デザインを取得されているグラフックデザイナーの高橋昌美さんと、池田印刷(株)の藤﨑哲也さんの共同開発で作成されました。
①1面の赤色とSOS私を助けてくださいの黄色は、色弱者にも識別できる色で高橋昌美さんがデザインしていただきました。全体のデザイン構成もしていただきました。
②紙質ですが耐水紙である「レインガード」という素材を使用しました。
水や汚れに強い材質です。災害時だけでなく普段も携帯いただくために劣化にも強い材質です。
③ストラップとカードケースですが長時間首へかけても負担のない仕様です。はがき大のサイズです。
みんなの知恵と総意で「下知SOSカード」はできました。二葉町では「避難行動要支援者」対策として「下知SOSカード」を必要な人に配布し、活用いただくようにします。
下知地域の単位自主防災会でも活用していただきたいと思っています。
今日は晴天で久しぶりに西高東低の冬型の気圧配置になりました。こうした気圧配置では、西日本の太平洋側では冷たい北西の風が吹きます。
母(94歳)は昼食後元気にはりまや橋サロンへ行きました。商店街近くのコイン・パーキングへ駐車。新しくなった歩行補助車で繰り出しました。
まずは魚の棚商店街にて夕飯用のコロッケを購入しました。次に谷ひろ子さんのお店で焼き菓子を購入しました。
寒かったですが、今日の活き活き100歳体操(介護予防体操)には10人の参加者がいました。母も含め元気に体操しました。
超高齢者の母が、「若い」高齢者の皆様(80歳代前半・70歳台後半)と一緒に体操が出来ることは喜ばしいことです。
高知市のホームぺージに広報広聴課の「要望・意見・市民の声)」というコーナーがありました。そこへ以下の文章を送信しました。
https://www.city.kochi.kochi.jp/soshiki/80/shiminnokoe.html
「市民の安全」に関わる問題です。きちんとした回答を講師市役所はしていただきたいです。以下その意見を記述します。
高知市長 岡﨑誠也様
12月28日に高知市役所新庁舎を見学しました。その際気がついた点、改造したほうがいい点を述べたいと思います。
①庁舎内部の階段部の照明が暗く、幅も狭くて危険
庁舎3階以下は、市民の出入りが多い部署が配備されるようになっています。気になったのは、階段部の照明が暗く、幅がとても狭い。
見学時に、降りる私たちと上がってくる家族連れや高齢者とのすれ違いに苦労しました。平時にそういう状態なのに、非常時にひな入道が「暗くて狭い階段」で出来るのか不安でした。
階段部の照明は明るく、幅も倍に広げるべきでしょう。
②カラー・ユニバーサルデザインの観点での表示を
カラー・ユニバーサルデザインに詳しい友人が、新庁舎を見学してこういわれました。(中央窓口センター。届け出受付 103の表示)
「看板や表示ですが、見やすい表示と色弱者が見えにくい表示があります。赤と黒をとりまぜると見えにくくなりますね。」と指摘されていました。
2019年12月12日の昭和小での日の出弥生町防災会の避難訓練時に、「SOSカード」(避難情報伝達カード)が高知県で初めて使用されました。下知SOSカードは、色弱の人も判別できるカラー・ユニバーサルデザインで作成されています。
これは赤をベースに「SOS」の表示は黄色です。色弱者でも判別できます。高知新聞2019年12月23日の朝刊記事をご参考ください。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2019/12/post-0db323.html
各部局の表示看板もカラー・ユニバーサルデザインの視点で再調査し、対策をすべきであると思います。
③県庁との間の道路からの階段と斜路は狭いし、不便だし危険。
注目したのは、路面より新市役所庁舎はかさ上げされています。南海トラフ地震での地盤沈下対策でしょう。それはいいんです。
「津波避難ビル」の機能もあるようです。そのため道路面から昇降階段やスロープが設置されています。しかし問題がありますね。
階段の幅が狭い。庁舎正面の階段幅は広い。これはいい。しかし市役所庁舎と高知県庁の間の道路から、市役所庁舎へ上がる階段幅が狭い。
また車いす利用者などを対象とした斜路も2か所あります。それはいいです。しかし道路へ車を寄せて車いすを降ろそうとしますと、車寄せがありません。平日は案外車両通行量も多く、歩道の通行量も多い場所です。
落ち着いて車椅子利用者が、安全に車からの昇降ができるのでしょうか?道路上の設計が気になるところです。
たぶん庁舎地下駐車場に車いす用駐車場が多く設置されていると思います。それはそれでいいですが、歩道の幅も狭いので、拡幅して余裕のある昇降施設としていただきたかったですね。
多分新庁舎地下の駐車場には、ユニバーサル仕様になっているとは思います。平時はそれでいいです。なんかの事情で地下駐車場が使用不能(浸水など)場合は、使用すると思いますので、車寄せ対策などが必要であると思いました。改善すべきです。
それで市役所側からの回答がありました。以下貼り付けます。
市民の声 回答
①庁舎内部の階段部の照明が暗く,幅も狭くて危険 新庁舎内での各フロア間の動線については,地下1階から6階までの階段が西側と東側にそれぞれ1か所の計2か所,また,1階から2階までの階段が屋内中央に1か所,屋外に1か所設置しており,多くの来庁者の方が利用される2階までの階段は全部で4か所ございます。
そのほか,地下1階から6階までのエレベーターを庁舎の西側と東側にそ れぞれ2基,合計4基設置しております。 ご指摘いただきました階段幅につきましては,階段室の幅・奥行・階高などの構造を考慮すると拡幅することは困難ですが,これらの幅につきましては,「高齢者,障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律」や「高知県ひとにやさしいまちづくり条例」に基づ き,適合する寸法(最上階までの階段1.41m,中央階段1.74m,屋外階段2.24m)を確保 して設計しておりますので,ご理解くださいますようお願いいたします。
12月28日に開催しました新庁舎市民見学会の際には,開庁準備作業のため各フロアへの動線を制限させていただき,中央階段と東側の屋内階段1か所とエレベーター2基のみの利用で庁内のご案内をしておりましたため,短時間で多くの方にご来場いただいたことから階段が混雑する場面もありましたが,新庁舎開庁後にはすべての階段とエレベーターが利用可能となり,来庁者の移動は分散して行われることとなりますので,見学会 時ほどの混雑はなくなるものと考えております。
なお,非常時の避難方法としましては,動線として通常使用する階段のほか,庁舎東側にある非常用階段も開放して避難できる構造としております。また,来庁者の避難誘導も含めた消防訓練を定期的に実施し,職員及び来庁者についての安全確保を周知して参り ますので,ご理解くださいますようお願いいたします。
次に,新庁舎の照明設備につきましては,ご指摘の階段部分を含めまして,現在,必要な個所に照明設備を増設し,明るさを改善する検討をすすめております。今後とも利用しやすく親しまれる庁舎となるよう,機能や利便性の向上につなげて参りますので,ご理 解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。
6階までの階段 2階までの階段
エレベーター×2基
エレベーター ×2基
6階までの 階段
②カラーユニバーサルデザインの観点での表示を 新庁舎における看板等のサインにつきましては,分かりやすく見やすいサインとなる ように,カラーユニバーサルデザインの観点も含めて検討を重ねてまいりました。 今回,新庁舎のサインデザインは,日本サイン学会の副会長や公益社団法人日本サインデザイン協会の常任理事などを務められ,日本国内の施設においても多くのサインを手掛けられ,また,カラーバリアフリーにも精通している専門家の方に計画をしていただい ております。
新庁舎のサインデザインでは,色の見え方が一般と異なる方にも情報がしっかりと伝わるように,濃い色の背景に白抜き文字を基本として,コントラストのはっきりとした色の組み合わせを採用し,コントラストの基準となる明度差については,背景エンジカラー に白文字としたサインでは明度差 6 程度,背景ダークグレーに白文字としたサインでは 明度差 8 程度となるようにデザインし,一般的に視認性の良いとされる明度差 5 よりも 更に大きな数値を採用して視認性を向上させたサインとしております。
このほか,各フロアの窓口等に番号を付番して,番号による案内も可能とするシステムを採用するとともに,文字フォントにつきましても公共エリアでの採用基準となっている可読性の良いユニバーサルフォントを採用しており,どなたでもサインの可読性が良 くなるデザインとしております。
③ 県庁との間の道路からの階段と斜路は狭いし,不便だし危険 新庁舎では,市民の皆様からご要望の多かった利用しやすい来庁者用駐車場を実現するため,新庁舎地下部分を来庁者用駐車場として整備しております。また,身体等に障がいのある方や高齢者,妊産婦の方など移動に配慮が必要な方でも利用しやすい駐車場と するため,エレベーター正面に専用の駐車スペースを6 台分確保しております。
ご指摘いただきました,お車で来庁される車いす利用者の方につきましては,こちらの駐車スペースをご利用いただきますと,地下駐車場から新庁舎内の各フロアに直接エレベーターで移動が可能となり,各窓口までのアクセスも容易となります。また,タクシーなどにより来庁されて乗降する場合や,何らかの事情により地下駐車場が利用できない場合につきましては,新庁舎東側にある正面玄関の前広場で安全に乗降できるようにな っております。
新庁舎では,メインの出入口は東側の前広場を想定しておりますが,北側の出入口の階段につきましても,最寄りの自動ドア幅と同等の幅を確保し,日常の通行に支障を来すことのない幅を確保するとともに,北側歩道部分につきましても,旧庁舎ご利用時と比較して,歩道部分の幅員を拡幅し,歩行者等の安全性に配慮した造りとしておりますので,ご 理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。
2020年2月26日(水)ですが、高知青年会議所シニアクラブ主催の「昭和35年生まれ、昭和36年生まれ還暦祝い」が、午後6時半でホテルで開催されました。現役の会員やシニア(卒業生ら)100人を超える大宴会になりました。
時節柄、司会者やスピーチした青年会議所関係者も「コロナウイルス対策で、献杯と直箸禁止」を強調されていました。その2項目の禁止事項」以外宴会ですね。
わたしも1985年から1993年まで高知青年会議所に9年間在籍していました。86年には日本青年会議所に出向しました。87年・88年・90年と91年理事委員長。92年と93年は副理事長をしました。もう27年前に「卒業」しました。遠い昔のことでした。
今回の還暦祝いの対象者。私が青年会議所の現役会員時代に一緒に活動したメンバーが多数いました。懐かしい。私は経済団体へ入会していないので、今日来た人たちの普段お会いすることはありません。とても懐かしいです。
最初のうちこそおとなしかったものの、そのうち立ち上がりそれぞれに話し込みます。献杯と直箸は皆自粛しながらも、いつものように懇談しました。
懇談が終わると青年会議所関係者は参加者全員が手をつなぎ、「若いわれら」という青年会議所の歌を皆で斉唱し、エール斉唱と、1本締めで100人を超える大宴会は無事に終了しました。
たぶん今回の会合からコロナウイルス肺炎の感染者は出ないことを信じています。
下知南地区の防災無線装置が、下知コミュニュティ・センター5階屋上に取り付けられています。従来あったアナログ防災無線は、稲荷神社横と、鏡川大橋北詰にありました。車の騒音などで殆ど聞こえませんでした。
その2か所のアナログ防災無線塔を集約して、下知コミュニュティ・センター屋上に放送装置を鉄柱を立て取り付けています。確かにこれであれば、二葉町町内近辺はよく聞こえますね。
緊急時にはセンター周辺の情報伝達に役立ちそうです。センター独自の拡声器機能も付いているので良くなりました。
もうすぐ完成のようです。使用方法については習わないといけないです。
第一回下知文化展が開幕
2020年2月2日・3日の両日高知市二葉町の下知コミュニュティ・センターで「第1回下知文化展」が開催されました。
下知コミュニュティ・センター運営委員会(坂本茂雄・会長)が主催しました。初めての開催にも関わらず下知内外の地域から70人が出品され、100数10点の作品が4階多目的室に展示されていました。
折り紙、書道、陶芸、押絵、刺繍、パッチワーク、絵画、写真、絵手紙、イラスト、人形、他多くの作品が出展され、4階多目的室の風景が一変しました.
うちも娘がイラスト2品(複葉機)と義母が人形8ピエロ)と琉球紅型を出しました。
カフェ・テラスすみれの中川さんは、石鹸彫刻、澤本恵子さんは陶芸、国見俊介さんと坂本茂雄さんは写真。高橋昌美さんは、絵画や人形、お面や陶芸作品など「高橋昌美・ワールド」を形成されていました。
二葉町在住の画家故浜口喬夫さんの絵画も展示されました。
鑑賞者の多くの人達は「とてもよかった。下知地区にこれほど文化活動をされている人がいるとは驚きました。」と言われていました。
持ち込まれた作品は、すべて展示されていますが、印象深い作品の多さには驚きの連続でした。開催は大成功でした。
下知地区減災連絡会の広報紙「広報下知減災 2020年1月・第23号」が発行されました。事務局長の坂本茂雄威さんの編集によるものです。広報下知減災は、下知地区の加盟している単位自主防災会の活動の動きや、下知地区減災連絡会としての活動内容が記載されています、原則年3回発行されています。
1面は3年間で住民と市職員と学識者とで意見交換し取りまとめた下知地区防災計画。意見交換の中で多く出た地域の課題から抽出された検討課題を、市と協議した途中経過を報告しています。
2面は「事前復興」連続学習会で、新たな気づきも」という大見出しです。
「日常のつながりと事前復興」というテーマで、休暇を取り自費で東日本大震災の被災地である宮城県石巻市、名取市の現状報告をしていただきました。
「地元企業の復興が街の復興に」は、映像プロジューサーの田中敦子さんの講演「被災地の水産加工業 あの日から5年」に学ぶ中小企業BCPのテーマで映像の鑑賞と講演でした。
これは零細企業者として、どんな災害後でも再生するにはどうすればいいのか。東北の企業の皆さんの奮闘ぶりを映像と田中さんの講演で「何とか事前対策をしないといけない」と思いました。
「復興手続きにも、事前の備えが必要」というテーマでは、行政側の立場から国土交通省や県土木部都市計画課の担当官の講演がありました。しかし「机上訓練」に現状はとどまっていて。住民参加型の事前復興計画とは程遠い現実を突きつけられました。
3面は「避難行動要支援者と向き合う様々な取り組みが」との見出しです。
「避難行動要支援者と向き合う心構えと備え」は、温井恵美子さん(福祉防災コミュニュティ協会認定コーチ)の講演会の記事でした。
丸池町のすずめ共同作業所の福祉会家族会のアドバーサーとしてBCPづくりを支援されています。
また紙面ではすすめ共同作業所福祉会家族会独自のSOS避難者カードと、下知SOSカード「避難者情報伝達カード」の紹介がありました。下知SOSカードは現在作成中。3月3日の下知減災連絡会役員会でお披露目され検討される予定です。
4面は昨年の「二葉町総合防災訓練」と「日の出弥昭和小避難訓練」の様子が記事に掲載されています。
2月15日の「事前復興計画と下水の話」(講師村山和彦氏・技術士)の講演会の告知も3面に掲載されています。
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