NHK高知・こうちいちばんに二葉町総合防災訓練が登場
2020年10月28日に放映されました。
事前打ち合わせの様子や、2016年の訓練では生前の父と一緒にでていました。
昨年の訓練と今年の訓練との対比も丁寧に写していただきました。
住民レベルでのコロナ感染症対策は、映像以上のことはできないです。目一杯でした。
2020年10月28日に放映されました。
事前打ち合わせの様子や、2016年の訓練では生前の父と一緒にでていました。
昨年の訓練と今年の訓練との対比も丁寧に写していただきました。
住民レベルでのコロナ感染症対策は、映像以上のことはできないです。目一杯でした。
2020年10月28日に家内がツアーで梼原町へ行き、戻って来ました。戻るなり写真を解説しながら、雄弁にしゃべります。
「素晴らしい環境と建築物。紅葉一歩手前の景観もいいです。」
「図書館は圧巻。外観もいいですが、内部は凄い。その木造図書館と老人ホームが隣接している。図書館が隣にあるので、リタイヤしたら梼原の老人ホームへはいりたい。」と言います。
写真で見る限り、ウォーキングは楽しそうですね。でも冬は寒いだろうし、雪も降るように聞いています。老人に自然環境がやさしいかどうか。南国土佐人は寒さには弱いですからね。海も遠くなるし。
ガイドさんが言うには「30代で無名の建築家だった隈研吾さんを育てたのは梼原。
町内にある古い木造の劇場を見たときから隈さんが木造建築に目覚めたとか。」
役場とか、図書館、温泉とか、まちの駅ゆすはら、雲の上のレストラン、雲の上のギャラリーなどが梼原町にあります。
このツアーも大人気で、来月もあるとか。私も行きたかったです。
リタイヤ先として選択肢として検討しましょう。
、
11月1日に、大阪維新が提唱する2度目の「大阪都構想」の賛否を問う住民投票が行われます。三星側の大阪維新は「大阪市を廃止し、4つの特別区に分割し、2重行政を解消する。」とか言うています。
一方の大阪市の自民党と共産党は反対。「140年の伝統ある大阪市をなくす暴挙はゆるされない。」と住人サービス低下を懸念する。
賛成派が勝つと、大阪市は廃止され、大阪府4つの特別区になるだけ。「府」が「都」になるわけではない。一体何のメリットがあるのかよくわからない。
そもそも大阪市は「政令市」。大都市故都道府県並みの権限がありますね。なんでわざわざ「政令市」を廃止し、大阪府の直轄区になるだけであるだけではないか。
大阪市民は賢明なあhんだんをしていただきたいですね。私個人とすれば、伝統ある大阪市の廃止には反対です。
そんな些末な問題より、南海トラフ対策を大阪府・大阪市は真剣にまじめにとりくんでいただきたい。過去の宝永と安政の南海地震では大阪は津波で壊滅的な被害が出ていますから。都市機能を低地の市街地ではなく、生駒などの固い地盤の内陸部に都市づくりをすb壁ではないかと思いますね。
2015年10月25日に高知市下知コミュニュティ・センターで実施されました二葉町総合防災訓練。予想をはるかに上回る120人の参加者がありました。
事前に高知県庁記者クラブにチラシを投函し、一応プレスリリースはしました。訓練当日に高知新聞記者の宮内萌子さんが取材に来られ、翌日の高知新聞に記事をかいていただきました。
訓練当日は晴天でした。ピース・ウィズ・ジャパンさんが岡山からいただきました6種類の段ボールベットと高知市からセンターに配備さている段ボールベット、西やんが推奨する「大工さんの現場でのお昼寝簡単組み立て木製ベット」など8種類の組み立てベットを参加者各位が組み立てました。
屋上床に大きな1枚もののブルーシートを敷き、段ボールベットを組み立てました。写真のテント奥左側では、LPガス災害対策用のユニットを使用し、ツバメガスさんのご指導でお米の炊飯をしています。
2020年10月25日(木)ですが、二葉町綜合防災訓練2020は無事に終了しました。朝から晴天で気持ちの良い1日でした。
午前8時に運営スタッフ有志が1階ロビーに集合していました。私がなんと1番遅い到着になり先着していたメンバーからブーイングされてしまいました。
前日の打ち合わせ通り、訓練の参加者を外部非常階段を昇降され屋上で検温し、名前と連絡先を記入、「検温名簿」を作成しました。内階段とエレベーターで昇降される人は、4階の多目的室前のロビーで検温、連絡先を記入、同じく検温名簿をこしらえました。そのあたりは運営スタッフの協力でうまく対処出来たと思います。
参加者名簿をSOSカードや私の情報カードを使用し行いました。シェイクアウト訓練をしました。一段落しますと屋上にて「段ボールベット7種類の組み立て」「簡易ベットの組み立て」をピース・ウィンズ・ジャパンさんのご指導を受け行いました。
竹中奈津子さん(PWJ)は「避難所になった場合、各種の型式が違う段ボールベットが送られてきます。どの種類でも対応できることが必要です。」と言われました。参加者各位懸命に組み立てました。すぐにできるベットもあれば
、時間がかかるものもあります。
西田政雄さん(防災寺小屋・主宰)は、「元は大工さんたちの休息用木製簡易ベット」だった組み立て式木製ベットをお披露目。こちらは僅か2分間で組み立てました。
名簿整理が出来たところで、防災行政無線で災害対策本部へ連絡しました。本日の参加者は運営スタッフを含め男性が50名、女性が67名で合計117人でした。報道関係も3つのテレビ局と2つの新聞社が取材にこられていました。コロナ禍で今回の二葉町のような「住民主体」の避難訓練・避難所運営訓練が中止になっているようで、「珍しい」ようなので、早朝から最期まで取材されておられました。
防災講話が3つ行いました、現場対応力のある西田政雄さんの「100円ショップで揃う防災用品」などを離していただきました。
ピース・ウィズ・ジャパン(PWJ)の竹中奈津子さんは、PWJ全体の活動状況の説明をされました。国際貢献活動と被災地支援活動を広範囲なさっておられます。実にスケールの大きな団体活動です。
県歯科医師会の先生の講話は丁度取材対応を屋上でしていましたので、傾聴できませんでした。配布された資料では「非常時の口腔健康管理」について、「水がある場合」と「水のない場合」の対処法を説明されたようです。唾液がよく出るマッサージのやりかたもご指導いただいたようです。
そして昼食とおやつタイムです。今回の昼食はガス炊飯器で炊いたお米で、おむずびをこしらえました。おやつは地元菓子店の西川屋老舗さんの「アマビエどら焼き」でした。疫病退散を願い美味しく参加者各位いただきました。
今回のコーヒーはPWJさんが東チモールのコーヒー農園からフルートレードでご購入されたコーヒーを提供いただきました。大﨑修二さん(日の出弥生町自主防災会会長)が美味しく入れていただきました。
2020年10月23日(金)ですが、母(94歳)と一緒に午後からはりまや橋商店街サロンへ行きました。昨日から今日の未明・早朝・午前中にかけての雨はすっかり上がり、さわやかな晴天となりました。
歩行補助車で母は歩きます。最初は魚の棚商店街のコロッケ屋「ひろっちゃん」で、今日は「かつおふんだんコロッケ」が特売でしたので購入しました。
谷ひろ子さんのお店で、シフォンケーキを久しぶりに購入しました。
今日の活き活き100歳体操は。、テントを出て外で実施しました。金地よさそうに皆体操していました。9人参加されていました。
体操終了後は珈琲と焼き菓子で母とお茶しました。小休止して帰るようにしています。
2020年10月21日ですが、防災放送機器の操作を習いました。下知コミュニュティ。センターに高知市地域防災推進課の放送機器担当と下知地区担当者(佐野さん、吉田さん)が来訪され、屋上非常階段横にある機器を操作しました。
まずわたしが災害対策本部との通信を行いました。操作方法を教わり、こちら(避難所)の情報を、あんしんセンターの災害対策本部に伝えました。簡単でした。
次に氏原真澄さんと宮あゆみさんが、二葉町総合防災訓練の広報をしました。以下の内容をお2人にしゃべっていただきました。
「テスト放送です
二葉町町内会。防災会からのお知らせです。10月25日は「二葉町総合防災訓練」です。ご参加なさる皆様は、マスクを着用され、SOSカードまたは「私の情報カード」に必要なことを書かれて持って来てください。
避難訓練場所は下知コミュティセンターです。館内では適度に距離を取り、係員の指示に従ってください。段ボールベット7種類の組み立てや、防災講話、口腔ケアなどがあります。」
「 ゆっくりとお話しください。 繰り返してください
二葉町町内会・二葉町防災会からのお知らせです。
本日(10月25日)は「二葉町総合防災訓練」です。
午前8時半に南海トラフ地震が発生したという想定で、午前9時に自宅を出て、避難場所である下知コミュニュティ・センターに来てください。マスクを必ず着用し、SOSカードもしくは「私の情報カード」を忘れず持って来てください。ご近所お誘いあわせの上ご参加下さい。
訓練会場の下知コミュニュティ・センターでは、係員の指示に従い、アルコール指消毒や適度な距離を保ち行動してください。」
お2人の声はよくとうり、きちんと聞こえたと会社で事務作業をしていた家内が言っておりました。
2回、3回同じ内容を言うようにすればいいと思いました。
爽やかな晴天でした。明日の二葉町総合防災訓練(2020年10月25日実施予定)の準備作業を、下知コミュニュティ・センター屋上でしました。
国際信号旗を掲揚しました。
2020年10月24日ですが、下知コミュニュティ・センター5階屋上で、国際信号旗を掲揚しました。大﨑修二さん、楠瀬繁三さんが奮闘していただきました。
今日は西高東低で風が強く苦戦しました。
防災訓練告知放送をしました。
2020年10月24日ですが、あしたの「二葉町総合防災訓練」の告知放送をしました。氏原真澄さんが美声でしていただきました。
明日は8時半過ぎから9時までの間3回放送します。
下知地区減災連絡会の会報紙「広報下知減災」2020年10月・第24号が、坂本茂雄事務局長の尽力でこのたび発行されました。
1面は下知地区減災連絡会の役員人事です。6月13日に森宏会長が急逝されました。2012年の発足以来8年間会を引っ張っていただきました。定例総会にて新会長に副会長の皆本隆章さん(青柳末広町自主防災会会長)が選出されました。また新副会長に大﨑修二さん(日の出・弥生自主防災会会長)が選ばれました。
皆本新会長は「人を思いやる気持ちで、地域の絆を強固に」と言われています。皆本会長は阪神大震災の体験者、大﨑副会長は東日本大震災の体験者です。故森宏前会長は昭和南海地震の体験者でした。森さんの意思を継承し新体制で頑張っていきましょう。
2面3面は「下知地区防災計画」(2017年3月策定)の3年目の事業計画一覧が掲載されています。赤字は本年度の新規取り組み事業です。高知市が主催者し、弥右衛門部会も共催して、11月23日に弥右衛門公園での開園式と防災イベントが行われます。
4面は各単位自主防災会の行事を一覧にした「防災カレンダー」です。直近の二葉町総合防災訓練(10月25日開催)が掲載されていました。
記事では二葉町総合防災訓練の記事と、丸池地区防災訓練(11月15日)と
弥右衛門地区での「防災イベント」(11月23日)の紹介がされています。
広報下知減災を読むと下知地区の活動の様子が一目でわかりますから。坂本茂雄さん本当にお疲れさまでした。
2020年10月20日ですが、下知地区減災連絡会第2回役員会が、下知コミュニュティ・センターで開催されました。下知地区減災連絡会加盟の18単位自主防災会の役員や女性役員21人が参加しました。委任状を含め定数を満たしています。
高知市防災政策課より「南海トラフ地震臨時情報発表に係る防災対応について」「高知市救助救出計画 概要」の説明が行われました。参加者は皆真剣に傾聴していました。
報告事項は役員会では、経過報告、事業計画の具体化、津波避難行動要支援者対策、訓練の開催に着いて。次回防災講演会は11月24日は「中小事業所BCPを学ぶ」(高知高知県経営指導課)が開催されます。
真剣な意見交換や質疑応答も行われました。21時前に散会しました。
コロナ渦の社会に起きましては、得体のしれない連中が「新生活様式なる」ものを提唱しています。
いろいろと言われています。
長期間にわたって感染拡大を防ぐために、飛沫感染や接触感染、さらには近距離での会話への対策を、これまで以上に日常生活に定着させ、持続させなければなりません。それを「新しい生活様式」と呼びます。
「マスクを適切に道うな空間では着用し」「外出後には入念な手洗いの実施」「部屋の換気を適度に常に行う」「基礎体力をつけ、免疫力を高める」「飛沫感染を避けるために適度な距離を保つ」という程度のことはしています。
しかし得体のしれない連中の「新生活様式」なるものはそれにと止まりません。
<買い物>
・通販も利用
・1人または少人数で空いた時間に
・電子決済の利用
・計画を立てて素早く済ます
・サンプルなど展示品への接触は控えめに
・レジに並ぶときは前後にスペース
<公共交通機関の利用>
・会話は控えめに
・混んでいる時間帯は避けて
・徒歩や自転車利用も併用する
<食事>
・持ち帰りや出前、デリバリーも
・屋外空間で気持ちよく
・大皿は避けて、料理は個々に
・対面ではなく横並びで座ろう
・料理に集中、おしゃべりは控えめに
・お酌、グラスやお猪口の回し飲みは避けて
<娯楽、スポーツ等>
・公園は空いた時間、場所を選ぶ
・筋トレやヨガは自宅で動画を活用
・ジョギングは少人数で
・すれ違うときは距離をとるマナー
・予約制を利用してゆったりと
・狭い部屋での長居は無用
・歌や応援は、十分な距離かオンライン
<冠婚葬祭などの親族行事>
・多人数での会食は避けて
・発熱やかぜの症状がある場合は参加しない
(4)働き方の新しいスタイル
・テレワークやローテーション勤務
・時差通勤でゆったりと
・オフィスは広々と
・会議はオンライン
・名刺交換はオンライン
・対面での打ち合わせは換気とマスク
などとありますが、いかがなものか。辟易するところもあります。
私の場合は、2月以来生活習慣がかわりました。それは早朝と夕方の無理のない範囲でのリハビリ・ウォーキングです。毎日継続しています。
午前4時半ごろ起床します。5時前に朝食を食べ、歯磨きし、トイレをすませて5時半から歩きます。約50分程度歩きます。夕方も可能なら30分程度歩きます。
コロナ太りの改善を目指していますが、おなか周りの贅肉はいくら歩いても減らないですね。でも便通がよくなり、体調も良くなりました、なにより精神的な余裕が出来ました。夜も9時間ごろには寝ています。早寝早起きが習慣になりました。
各人各様で 「マスクを適切に道うな空間では着用し」「外出後には入念な手洗いの実施」「部屋の換気を適度に常に行う」「基礎体力をつけ、免疫力を高める」「飛沫感染を避けるために適度な距離を保つ」位のことはして、あとは自分のページで生活すればいいと思いますね。
政府や自治体が声高に「新しい生活様式」など言われますと全体主義国家のようで気持ちが悪いですから。上から目線で「偉そうに」言われることは大嫌いです。私は。
昨年11月に夜須から丸池町の勤労者交流館に運搬してきた救命艇南風。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2019/11/post-049ea1.html
2020年10月18日には、救命艇に吉本豊道さんの自宅に昨年から保管していましたシーカヤックとボードを車に載せ、救命艇が浸水時に流失しないように柱など四ヵ所に大﨑修二さんのロープワークの指導を受けて、もやいをとりました。
ブルーシートを艇全体に被せました。ロープをかけて養生しました。ボードとシーカヤックは車で運びました。
市役所側も木製の船台をこしらえていただきました。船は安定します。船台が浸水時流出しないようにと、岩手県宮古市の菅野和夫さん(津波語り部)からアドバイスをいただきました。
今後の課題は、すずめ共同作業所との連携を行い、救命艇の有効活用を関係者で協議しないといけないですね。
今度の新しい菅内閣のスローガンは「自助・共助・公助と絆」であるとか。それは大変結構な考え方であると思います。この言葉自体は、防災分野で良く使用されています。
1つの根拠として1995年1月17日に発生した阪神大震災。6400人の人達が自宅が倒壊し生き埋めになり亡くなりました。以下の画像は当時の消防関係者の資料です。
「生き埋め等の際,だれが救助したか」ということですが、
自力でが34.9%、家族にが31・9%、友人。隣人にが28・1%です。これだけで94・9%を占めています。つまり(自助)と(共助)で94・9%を占めています。
救助隊(公助)が救助した人たちは、僅かに1.7%です。生存可能な72時間以内の救命活動でなければ、家屋が倒壊して生き埋めになっている人を救うことが出来ないそうです。家屋の倒壊した際に出る瓦礫。地震後の大火災。それにより救助隊の到着が遅くなったと思われます。
救助救命のプロである救助隊が、大災害時にはおいそれとこれなくなります。119番電話して、救急車が到着するまでの全国平均は約9分間ですね。
ですので自分自身や家族、近隣住民で助け合いましょうなんて言われますね。しかしプロの救命活動の訓練など受けていない普通の市民が隣人の家屋が倒壊、がれきの下の隣人を助けようとして、余震が来て瓦礫が崩れ、自分も命を落とすこともあります。でもそうなっても現行では「見舞金は出ません。」
高知市では市民の消防団員は火災出動中や火災現場で、亡くなれば2000万円程度の見舞金が出るやに聞きました。しかし現在自主防災会の役員が隣人を助けようと「自助・共助」の精神で頑張っても一銭の見舞金も行政側からは出ません。
結論は「自助」「共助」というのであれば、地域防災の予算の9割程度は、自主防災会に行政は交付すべきです。そして権限もです。「地区防災計画」を立案し内閣府に認められた高知市下知地区などには、権限も譲渡すべきです。
また自主防災会役員が災害時にけがをしたり、死亡した場合、保険金が支払われる仕組みをこしらえるべきでしょう。
それらをせず「自助・共助。公助」などと「空念仏」を唱えても全く無意味です。
2020年の10月13日から15日まで、「四国巡業」をしました。今回は徳島と高知の山間部地域関係を中心に巡回しました。
3日間とも秋晴れの晴天。暑くもなく、寒くもなく、空気が奇麗で心が現れました。仕事で巡回しましたが、「観光客気分」になりました。
高知自動車道路や徳島自動車道は、山岳高速道路。トンネルがあれば谷に橋があります。難工事でさぞかしコストもかかっていると思います。その昔は一般国道の走行で片道3時間程度かかっていたところが、高速では1時間足らずで行けますから。
巡回した場所の1部の写真です。三好市池田へも行きました。「四国のへそ」の街ですから大事な場所です。
今回は高知県の早明浦(さめうら)ダムへも行きました。四国の水がめと称しているだけあって巨大さには圧倒されました。なんか謙虚な気分になりました。
山岳高速道路を走行しましたが、大地震があっても無事であってほしいと思います。東日本大震災では東北自動車道路も大きな被害を受けましたが、自衛隊の力で1週間で仮復旧しました。山岳高速道路の高知道、徳島道はそうなるかどうかは、わかりませんね。
菅内閣は「政府機関のIT化」の推進の大号令をかけています。
20年前にも「電子政府」「電子自治体」という言葉を聞いたことがありますね。何故実現出来なかったのかの総括がまるでない。
「ハンコが悪者」になっていますが、「仕事のやり方」が問題であり、はんこに責任はありません。今でも金融機関から融資を受ける場合は「印鑑証明」がとても大事ですからね。
2010年10月17日の日本経済新聞一面記事に注目しました。
「買い物弱者ネットでも」
「高齢者のご注文など 相談、九年で15倍」
「認知機能衰え 操作に不慣れ」
確かにネット通販の画面は字が小さく操作に難航しますね。学校の授業でパソコン操作やインターネット接続など正式に習ったことのない世代ですね。日本で普及しだしたのは、20年ぐらい前のことですから。
日進月歩のIT社会ですから、高齢者はついていけない傾向にはあります。社会をIT化するのであれば、このあたりの環境整備もきちんとしないと、意味がありませんから。
2020年10月17日(金)は、母(94歳)と一緒に、高知市はりまや橋所y店街サロンへ行きました。先週は私の体調不良でお休みしたので2週間ぶりでした。
コインパーキングに駐車し、歩行補助車でまず魚の棚のコロッケ屋さんで夕飯用を購入しました。
谷ひろ子さんのお店ではチョコケーキと焼き菓子を購入しました。
今日の活き活き100歳体操は、母を含め6人の参加でした。随分涼しくなりましたので、母も元気で体操していました。暑い時期は「椅子からの立ち上がり」運動はスルーしていて、椅子から立ち上がりませんでした。今日は、10歳ぐらい若い高齢者の皆さんと遜色なく、運動していました。
体操が終わりますと、コーヒーと焼き菓子でおやつにしました。母は食欲も回復してきました。1日の早々にインフルエンザの予防接種をしていますが、基礎体力をつけ、冬の時期を乗り切りたいと思います。
二葉町総合防災訓練は、2020年10月25日(日曜)ですが、その訓練時の「コロナ感染症対策」の1つとして「飛沫感染防止パーテーション」を」導入しました。
段ボールのなかにフィルムを張ったタイプのものと、イレクター・パイプで枠を組み、スタンドで自立する形式のものが写真です。厚手のピニールに鳩目を加工しています。2つ下知コミュニュティ・センター運営委員会で購入しました。
先行して図書館の行事で、早速10月18日に使用するそうです。訓練時はこうした「出来合いの」飛散感染防止ペーテーションでは、足りない可能性もあるので、仮設でフィルムを貼り、こしらえる必要性があるやもしれないですね。
家内が新聞の夕刊記事を読んでいて「あなたのことを書いているコラムがあるよ。」と言いました。
2020年10月12日の高知新聞夕刊のコラム「シニア防災術 若い世代の見本 防災の先駆者になれる」(三平海・記述)には、現実がそうなっているので納得しました。
シニアが他の世代よりも防災対策に力を入れる意味は「若い人たちよりも危険にさらされやすいことから、準備を手厚く進め、避難に関する知識をしっかり蓄えていくことです。」とあります。
私個人の事を申せば、2008年に父が脳血管障害で倒れ、一命は取り留めたものの慢性腎不全となりました。同時期母がアルツハイマー型認知症と判定され、2011年から両親とも在宅介護状態となりました。
以後経済団体での活動や市民活動、市民運動が出来なくなりました。個人的事情もあり自宅周りの地域防災活動しか出来なくなりました。いざまち歩きをしてみますと、わが町高知市二葉町は、低地の軟弱地盤で、海と隣接し、しかも高台も皆無な海抜0メートル地域。生き延びることが難しい場所に住んでいることがわかりました。
何もしなければ住民全員が溺死する地域です。その危機感が地域防災活動を真摯に実行していくことにかきたてたと思いますね。
ブログ「二葉町防災新聞」を参考に。原則毎日更新しています。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/
コラムは渋沢栄一の残した格言を引用していました。
「40,50は鼻たれ小僧、60,70は働き盛り、90になって迎えが来たら、100まで待てと追い返せ」と。とてもよくわかります。仕事が心底面白くなったのは社会人40年目の3年前からです。同級生は既にリタイヤし、孫守りか、病人になっている人たちが多い。
仕事も現役真っ盛りで、自宅周りの地域防災活動もせわしい。ど近眼なのに最近は老眼も進行し、遠くも近くも見えなくなりました。「老化」は進行しています。
とはいえ100歳までは現役でいたいですから。毎日リハビリ・ウォーキングをして健康維持を心掛けています。南海トラフ地震を乗り切り、じぶとく生き抜いていく決意です。
地域防災支援協会のホームページ
10月8日に二葉町まち歩きをしていだき、夕方の二葉町総合防災訓練の意見交換会への出席いただきました。特別非営利活動法人ピースウィンズ・ジャパンの竹中奈津子さんと、富樫良輔さん(総社事務所)からパンフレットをいただきました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2020/10/post-f458e0.html
災害地支援のNPO法人であると思っていました。「緊急支援・空飛ぶ捜査医療団」「復興・開発支援」「国内事業は地域の様々な課題解決支援」「殺処分ゼロ(犬)」を主な活動をされています。国内だけでなく33国の海外支援も行われています。実に多様な活動を手広くされておられます。
海抜0メートル地域の二葉町。多大な努力をしないと大災害時には、生き延びることができません。今回は「段ボールベットの組みたて訓練」へのご支援をしていただきます。6種類の段ボールベットを持参していただきます。
まち歩きや施設見学、避難訓練や避難所開設訓練も見ていただきます。気の付いた点や改善点を指摘していただけることと存じます。各地の被災地支援をされておられますので。行政や学識者、報道関係者などの視察やアドバイスはありました。支援活動をなさっている団体からご助言いただけることはありがたいことであると思います。
2020年10月25日(日)に開催されます「二葉町総合防災訓練」。今年はコロナ禍や総選挙がその日にあるやも地のいことで、準備が遅れ苦戦しています。
二葉町町内会(楠瀬繁三会長)にお願いしまして、町内会回覧板に紙媒体物として「二葉町防災新聞」を急遽作成しました。どれほどの告知効果があるのか不明ですが、やるだけのことはやります。
仕事の合間、母(94歳)の介護の合間に、あれこれの準備作業をするのは、辛いですが、地域のために頑張ることにします。しかし本当に時間が足りませんね。
2020年10月11日(日)ですが、高知市丸池町勤労者交流館2階大会議室にて、岡村眞先生(高知大学防災推進センター客員教授・名誉教授)の講演会「必ず来る南海トラフ巨大地震 発生100% 歴史から学ぶ」に参加していました。主催は丸池・東弥生自主防災会(吉本豊道・会長)です。」下知地区減災連絡会関係者、潮江地区防災士会有志や、高知市内防災会関係者など50人が参加していました。
吉本豊道会長、坂本茂雄下知地区減災連絡会事務局長が挨拶しました。司会進行は北川景子さんがされていました。高知市下知地区では、7年ぶりの講演となりました。
資料として南海トラフ地到達時間震の震度分布図や、市町村別最短津波到達時間、下知地区表構図、下知地区地盤図を提供いただきました。パソコンに内蔵されている写真や動画も使われ、説明されました。岡村眞先生の講演会は今までも何回も聴講していますが、改めてお話を聞きますと、印象に残る言葉がいくつかありました。書き出してみます。
「まず皆さん理解いただきたいのは、ミズは食料では命を守れない。ことです。」
「阪神大震災では地震後13秒の間に、二階がつぶれ4000人が圧死しました。」
「東日本大震災では津波で2万人が亡くなりました。」
「命を守るということは、家を耐震化することや、高台へすぐに移動することが大事なことです。」
「地盤の高い標高30メートルの場所に家を建てて住んでください。特に子供たちが将来家を建てる場合は、地盤のしっかりしたところ、浸水の心配のない場所に家を建ててください。」
「下知地域は軟弱地盤。高知城よりも2・5倍揺れが激しい。」
「いわば高層ビルの屋上に家を建てているようなものです。」
「土佐市宇佐地区で1000軒に役場が調査しました。津波が来たときどう逃げますか?と聞きますと、自分の伴侶を置き去りにして自分だけ逃げることはできない。」との答えが多くありました。介護と防災の問題は大きいです。」
「下知地区の特色は、①揺れがとても大きい。②地盤が沈下する。③津波が来る。④津波火災です。それを自覚して行動しましょう。」
「防災にタブーをこしらえたらだめです。俺が生きている間は南海地震は来ない・等根拠のない思い込みは有害無益です。」
「安全か、安全でないかは、土地で決まります。」
「ストレートに命をおびやかすものは何かを学んでほしい。」
「地震の揺れが弱くても1分以上の揺れが続いたら南海地震です。必ず津波が来ます。
すぐに高台や丈夫で高い建物に逃げ込んでください。」
「1Mの津波の致死率は98・5%です。」
「「津波と一緒に火災が来る。」
「下知地区は地盤沈下し、長期浸水するので、地震後住めない地区になる可能性が高いです。」
「寝室から歩いて外へ怪我せずに出れないと、避難所へいけません。靴を寝室に置いていないといけないです。」
「地理院地図をダウンロードしてください。自分の住んでいる標高もわかります。」
「阪神大震災の揺れは13秒。熊本地震は数秒。南海地震は1分以上です。ですので揺れたら高台へ逃げると覚えておいてください。」
「記録に残る南海地震は5回あります。
1498年 明和地震
1605年 慶長の南海地震
1707年 宝永地震
1854年 安政地震
1946年 昭和南海地震
「下知は海に戻る可能性が高い地域です。そのことを正しく理解して減災活動をしてください。」
2020年10月8日ですが、特別非営利活動法人ピースウインズ・ジャパン総社事務所の竹中奈津子さんと、富樫良輔さんと下知コミュニュティ・センターにある防災用品倉庫と、屋上のLPガス・ユニットなどを視察いただきました。
二葉町町内会長の楠瀬繁三さんも同行いただきました。防災倉庫や屋上の施設の確認をしました。
そのあと雨の中でしたが、二葉町の町内会と防災会が指定した「地区指定避難ビル」(昭和小校区津波避難計画・津波避難行動支援マップ―高知市作成)・二葉町防災マップでの表記は「津波一時退避場所」となっています。
二葉町は「海抜0メートルの市街地」であり、「海に隣接していること」「自然地形の高台がないこと」「近隣に公共の避難施設が下知コミュニュティ・センターしかないこと」「堤防道路の海抜が高く、幹線道路の海抜が低い」ことを説明しました。
町内の「津波一時退避場所」のビルの1つである西森俊一さん宅を訪問しました。竹中さんと、富樫さんは驚かれていました。
「ご自宅の内階段を利用して屋上へ避難できる避難ビルは初めて見せていただきました。ご商売柄、水や食料も備蓄されていることに感銘を受けました。」と言われていました。近隣の互助や支援の理想の形の一つですね。
続いて堀川水門近くへ行きました。市街地に隣接して海になっていることを確認いただきました。津波一時退避場所の1つであるコーポシーロード。階段で屋上へ上がりました。市街地と海が近いことをご理解いただきました。
二葉町―若松町の耐震護岸を一緒に見学しました。そのあと青柳公園地下に埋設されている「耐震貯水槽」を見ていただきました。
ピースウィンズ・ジャパンは国内外の被災地支援活動を行わています。やがて来る南海トラフ地震で壊滅的な被害が出る高知市下知地域。被災前の状態を確認いただきました。
ピースウィンズ・ジャパン https://peace-winds.org/
災害支援団体の多くは、災害後の支援を行われています。下知の場合は現状の状態で南海トラフ地震が起きた場合は、地域の再生・復興は難しいと思います。起きる前に「なにをすべきか・なすべきか」のお知恵をお借りしたいと思っています。
2020年10月8日(木曜)ですが、18時30分より下知コミュニュティ・センターにて、10月25日に行われる「二葉町総合防災訓練」の3回目に意見交換会が、二葉町町内会(楠瀬繁三会長)主催の準備会を開催しました。町内会の役員、班長と防災会の役員など関係者35人が出席しました。
打ち合わせ会は、議論がしばしば噛み合わないことがあります。でも今日は活発な議論が行われ、とても有意義でした。」と取材に来られていましたテレビ局3局(NHK高知・高知さんさんTV・テレビ高知)の方たちに評価いただきました。
25日の避難訓練。避難所開設訓練の流れ、取り上げる事業の説明をしました。真剣な意見交換がおこなわれました。緊張感ある時間帯でした。
SOSカード、わたしの情報カード、二葉町防災マップ・ラミネート版、25日のポスターなどが配布されました。訓練日前日の24日午後6時から準備作業を行うことが確認されました。2時間の会合でしたが、ボリュームがあり疲れました。やれやれです。
菅内閣の河野太郎大臣が「役所の縦割りの改善」「ハンコを押印する仕事を大幅に見直す。と発言やたら張り切っています。さてどうなることか?
金融機関から借用する場合は、「印鑑証明」が必要です。昨日法務局と市役所へ行き会社の印鑑証明と個人の印鑑証明を取得してきました。印鑑は偽造されにくい仕組みなのではないかと思いました。
印鑑カードを法務局にある機械に読み込ませますと、自分の会社情報が出てきます。そこで印鑑証明取得し、登記簿謄本もその場で申し込みしました。印紙代金を支払っている間に、必要書類は出来上がっていました。紙に書いた申請したことがないので、驚きました。法務局もデジタル化していると思いました。
さて2020年10月5日の日本経済新聞1面のコラム「春秋」。テーマは印鑑問題。コラムの筆者はかつて韓国で彫ってもらったハンコが手元にあり、年賀状などの私物に押しているとか。
韓国はIT先進国(日本は後進国)。その韓国にもハンコ文化は残っているといいます。印鑑登録制度は日本統治時代に台湾ともども持ち込んだ制度。韓国でも台湾でも命脈を保っているとか。根強さがありますね。
なんでもかんでもデジタルがいいのかと言えばそうではない。最近のドコモや郵便局の口座からお金が盗まりたりしていますから。アナログのほうが安全の場合もあります。
「ハンコはアートとしての顔も持つ。ソウルの仁寺洞には印泥(朱肉)を収めた壺を売る店もあって好事家が足を運んでくる。
こういう伝統文化はきちんと継承しつつ、実務面での電子化はうんと進めたいものだ。ともすれば議論が単純になりがちだが、あまり判で押したような反応には走らぬことである。」
確か2000年頃「電子政府」だ「電子自治体」とか言っていました。20年経過しても一向に役所の業務はなかなかIT化が進まない原因はどこにあるのかできないならできない理由がちゃんとあるはず。きちんと調べて議論をしてほしいです。
「前進 元気を運べ 閖上だより 2号」(発行元 一般社団法人ふらむ名取)から送付されてきました。
1面は8月11日に打ち上げられた「鎮魂の花火」についての記事でした。東日本大震災の「月命日」の8月11日に7丁目閖上グランドで花火が打ち上げられたとのことでした。
75発約3分間の花火でしたが、多くの人達に感銘を与えたとのことでした。記事によると近隣町内会の協力のほかに、名取市文化スポーツ課、消防署、閖上公民館、仙台空港事務所の協力もありました。見物された多くの人達から歓声と拍手があったとのこと。素晴らしい行事でした。
2面は閖上地区各地の夏祭りや交流活動、応急手当講習会や、エコ学習などが掲載されていました。震災後9年間に閖上に新しくできた施設や住宅、公園などで盛んに地域コミュニュティ活動がされている様子がよく理解できました。
3面は「閖上散歩」「閖上自転車紀行」「”閖上の風”を求めて」という3人の随筆が掲載されています。
名取水門の役割については「閖上散歩」に詳しく記述されていて理解出来ました。変わりゆく閖上地区の様子をロードバイクで走り記述している「閖上自転車紀行」は、街並みの光景が目に浮かびます。
5年前と4年前に閖上地区を訪問した折には、日和山周辺は盛り土工事の真っ最中であり、沿岸部の水産加工施設は完成していましたが、住宅は殆ど居住地域には建っていませんでした。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/44-b965.html
(当時格井直光さんから日和山で震災当時の話を傾聴しました。)
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/post-8809.html
(2016年3月11日も閖上地区を訪問しました。)
紙面4面は広告欄も地元企業ばかりなので、地域情報満載です。「その日に備える防災メモ」と「閖上知って」のコーナーは、地名の由来や歴史についての記述がありました。私は個人的には各地の地理歴史は好きな方なので、興味深く読みました。
伊達家と四国宇和島との縁も深く、伊達正宗の長男が幕府の命令で宇和島10万石藩主になり、名取からも領民が同行したとか。猿猴沼の由来も、四国では河童のことを「猿猴(猿猴)と言っていたので、帰郷した名取の領民が水害後に出来た沼を「猿猴沼」と命名したとか。楽しいお話ですね。
閖上地区には東日本大震災の「震災遺構」はありません。でも地域コミュニュティがしっかりしているので、被災地にもどる人の割合が、高いのではないかと思いました。それは「閖上だより」のような「地域コミュニュイ紙」の存在もとても大きいと思います。
2020年10月11日(日曜)ですが、13時から15時の予定にて、岡村眞先生(高知大学名誉教授・高知大学防災推進センター客員教授)の講演会が、勤労者交流館にて開催されます。
主催は丸池東弥生自主防災会(吉本豊道・会長)です。
今まで「今後30年以内に次の南海トラフ地震は起きます。」
「昭和南海地震(1946年)の地震が小規模でしたので、宝永地震(1707年)以上の規模で起きます。と言われ続けて来ました。
今年は東日本大震災から9年目、阪神大震災から25年目です。「今後30年以内に起きる」と言われつ続けて10年が過ぎています。
最近地震学者の多くは「今後14年以内に南海トラフ地震が起きると考えた方がいい」と言われるようになりました。岡村眞先生はどういわれるのでしょうか?
2013年3月20日に岡村眞先生に雨の中「下知減災まち歩き」をしていただきました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-9923.html
(3月20日は下知減災まち歩きを実施しました。)
2013年4月14日は、下知コミュニュティ・センター開所記念の講演会として岡村眞先生に、前月の「下知減災まち歩き」を踏まえ「南海トラフ巨大地震から下知地区で生きのびるために」お話をしていただきました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-d759.html
丸池東自主防災会の吉本豊道会長も懸命に地域減災活動頑張っておられます。10月11日は勤労者交流館の岡村眞先生の7年ぶりの下知地区での講演会に参加しましょう。
日本経済新聞2020年9月28日号は考えさせられる内容でした。
見出しは衝撃的です。
「老朽インフラ点検形骸化」
「橋やトンネル未修繕5割」
「高まる危険、費用増加も」
記事の中の内容も具体的に日本国の社会インフラが老朽化し、危険な状態になるだろうと警告をしています。高齢化社会は人間社会だけではないのです。
「国交省によると、築50年以上のインフラの割合は今後15年で道路橋で25%から62%に、トンネルで20%から42%に跳ね上がる。手をこまねいていれば老朽化が加速し、危険がたかまりかねない。」
[古いインフラを漫然と抱え続けているとコストも膨らむ。国交省の推計では、維持管理。更新費は18年に5・2兆円。計画的に対応する予防保全に取り組んでいても30年後には最大6・5兆円になる。
場当たりの後手の修繕だけでは最大12・3兆円に買う題する見込みだ。」
日本経済新聞は「そもそも日本のインフラは過剰」というデータもある。それは過去には景気対策で公共投資を行ってきた結果であると。撤去も補助事業の対象にしましたが、地域の生活に橋や道路やトンネルは影響するので容易に撤去は進まないとか。だれも「不便な」生活にはなりたくはないからです。
結論は「必要なインフラに絞って予算を投入する仕組みを整えなければ、地域の安全はおぼつかなくなる。」とのことです。
「防錆屋」の存在価値はそのあたりにあります。適切な錆対策が日本の老朽インフラ(橋や道路)を守ります。
2020年10月3日ですが、夜須へ朝から海の散帆に行きました。
お天気は晴れ。夏仕様の服装でどうかと思いましたが、寒くはありませんでした。
ぎ装(ヨットの組み立て)を慎重にして海へ出ました。今日は夕方祝賀会があるので午前中限定で帆走しました。誰も出艇していない海でしたが、風も強くなく波もないので、怖くはありませんでした。
時間をかけて赤岡沖まで行って帰ってきました。最高の帆走が出来ました。
2020年10月1日ですが、母(94歳)と一緒に主治医の横田胃腸科内科(横田哲男先生)にて、インフルエンザ予防接種をしました。
高齢者に私もなっています(65歳以上)ので、無料で接種していただきました。毎年母は10月に1回目の接種をし、11月に2回目の接種をしていました。
「2回接種と1回接種のインフルエンザ罹患率は変わらないというデータが出ました。ですので1回でかまいません。」とのことでした。
午後からは母は介護予防通所リハビリ施設へ行きました。「筋トレはしないように」との横田先生の注意事項を施設側に電話し伝えました。体操などは良いそうですので。
今年はコロナ感染症の影響で、皆がマスク着用、手洗い励行、アルコール消毒などでインフルエンザの発症は抑えられると予想されています。早めの手当てが大事です。
生きておれば毎年歳は取ります。私も67歳になってしましました。
経済的に裕福でもなく、名声があるわけでも、権力者でもありません。市井の市民として順調に年を重ねてまいりました。
ところで日本人の平均寿命は男性が81・4歳、女性が87・43歳です。また健康寿命(心身ともに自立し、健康的に生活できる期間)は、男性が72.14歳、女性が74.19歳とか。
あと3年で70歳になり、13年で80歳、23年で90歳、33年で100歳です。今年は家内と一緒に東京から高知へ戻ってきて40年になります。あっという間です。高校生時代の安保闘争は50年前。東京五輪は56年前でした。あと33年で100歳とは時間的にとても短いと思う。
元気に活動できるのは、男性の平均寿命でいけばあと11年、健康寿命では5年程度ではありませんか。データだけで考えると「人生黄昏」であり、「年寄だから無理するな」と言われても「年齢」だけであれば、仕方がありません。事実だから反論できません。
しかし月に1度整体でお世話になる老師(93歳・整体歴70年)はこう言います。
「生命の寿命は成長点の5倍。人間の成長点は25歳だから、125歳が寿命である。体も心も手入れすれば125歳までは生きれるはず。手入れをしないから80歳で皆死んでしまう。わしは飲み友達が皆死んだ。
君は67歳か、まだ若い。125歳までにはあと58年ある。人生これからだ。
年齢には、戸籍年齢、肉体年齢、精神年齢がある。戸籍年齢は時間と共に年を取る。肉体年齢と精神年齢は、手入れをしておれば、若さは維持できる。みんなそれをしないから80代で死んでしまうのだ。」と。独特の表現ですが励まされます。
私は3年前にようやく仕事の面白さに目覚めました。社会人になって40年目のことでした。従来市民活動や地域の活動では多少の評価を社会で得ました。今度は仕事で評価を受けたいものです。「遅かりし」ですが、生きている間に気が付いて良かったと前向きに考えます。
父は99歳まで生きました。89歳まで現役でした。脳血管障害で倒れ一命をとりとめましたが、慢性腎不全になりました。それでも10年生きました。父が繋いでくれたから、私は3年前本気で仕事をやる気になれました。私も100歳までは現役で仕事したいです。セーリングもしたいです。健康を維持できれば、それは可能です。
今は献血108回と、45年間運転免許無事故無違反でしか自慢できない小市民ですが、心身の健康を維持してこれからも頑張りますので、皆さま今後ともよろしくお願いします。
2020年9月28日ですが、高知市弘化台付近、沖合の小島である丸山台を浸水地帯の津波避難ビルとみなした救命・救出訓練が4機関(高知県警・自衛隊・海上保安庁・高知市消防局)にて、午後1時半から3時ごろまでの予定で開催されました。
チラシで案内が役所の方からありましたので、時間調整して歩いて行きました。昼間のウォーキングは辛い。暑いです。自転車で行くべきと反省しています。
弘化台の岸壁には、高知県警、自衛隊、高知消防署の制服を着用した人たちが多数待機していました。今日の主催は高知県警。メインは瓦礫の水面でも平気で滑走するエアーボートです。実戦配備しているのでその様子を見学に来たのも目的の1つです。
テントは高知県警が建てていました。報道関係者もテレビクルーが取材と撮影に来ていました。夕方のニュースで配信されることでしょう。
坂本茂雄さん(下知地区減災連絡会事務局長・県議)や楠瀬繁三さん(下知地区町内会連合会会長・二葉町町内会会長)や、高知市防災士会の筒井会長や宮本理事にも会いました。高知市地域防災推進課の下知担当の佐野さんと吉田さんも来られていました。消防局次長の山本聡さんにもお会いしました。
訓練の様子ですが、高知県警と自衛隊と消防、海上保安庁のボートが丸山台へ向かいます。避難者役の職員を丸山台へ上陸させ、あとからボートやヘリで救出に行くという訓練でした。
4団体で打ち合わせが出来ているようで、訓練の解説はなく、なんとなくボートが岸壁から出着艇し、丸山台へ上陸し、避難所を乗せて戻りました。
香川県警のヘリも到着し、丸山台の上空でホバリングし、降りて来られました。
高知県警のエアーボートも稼働しました。サイレンを鳴らして航行していました。迫力がありました。
消防局が避難者のトリアージを緑と黄色のシートの上でされていました。
「公助」のやりかたや能力が「こんなものである」ということが少しだけわかりました。
2020年8月27日(日)ですが、2か月ぶりに母はご近所の美容室へ行きました。歩行補助車を出して、一緒に歩いて行きました。今日のお天気は「ミニ西高東低」。北風が時に強く吹きます。
髪が耳にかかるほど伸びていて、時節柄(感染症防止のために)マスクが着用しにくくなっていました。カットしていただきましたので、大丈夫になりました。
カットしますと母はくつろいだ顔をしていました。超高齢者(94歳)になりましても、身なりはかまわないといけないですね。
「次は年末に来ていただいたら、今年はお終いですね。」と言われました。
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