岡内啓明さんのご逝去を悼む
2021年4月1日に73歳でご逝去されました岡内啓明さん。高知の食文化や観光振興のためにご自身の企業や業界全体で精力的に取り組まれておられました。業績につきましては新聞報道などもありました。私個人の追悼文を記述します。(2021年4月8日に告別式に参列しました。)
1つ目は私は1985年に高知青年会議所に入会しました。岡内啓明さんは当時四国地区協議会会長でした。新居浜での四国地区大会は船上で開催されていました。大会は懇親会になりステージでバンドが演奏しファンキーな曲になりダンサーが踊っていました。
わたしもいい気分になり。壇上に上がり一緒に踊りました。そしたら主催者の新居浜青年会議所の皆さんが私を排除しにかかりました。(当然です。)こずかれたりしました。「なにしようらあ」と私はいい、新居浜の連中と壇上で乱闘になりました。高知の先輩方が総出で止めにはいりました。
岡内啓明さんの晴れの門出の日を高知の1新入会員がぶち壊しました。そのことを岡内さんは覚えておられ、「健一お前には時効はないぜよと」と言っておられました。
2つ目は翌年(1986年)先輩会員の推薦で日本青年会議所の研修委員会へ出向になりました。岡内啓明さんは高知青年会議所の理事長になられました。確か富山での青年会議所全国大会で88年の高知での全国大会の開催が決まりました。岡内啓明さんが日本青年会議所役員に熱弁を振るわれたと聞きました。
その年翌年私は理事委員長になりました。来年の委員会事業案と予算案の審議を理事予定者会議で決めました。わたしの番が来た時に先輩理事各位から私の事業案は総批判されました。理由は「全国大会前年度に法外な委員会予算だ。」「高知市の青年会議所が何故市外の夜須町の事業(県マリンタウン計画)に肩入れするのか?」ということでした。ごもっともな正論でした。
わたしは批判すべてに反論し、論証しました。応酬はその日に終わらず徹夜になりました。直前理事長の岡内啓明さんが仲裁に入っていただきました。そして理事各位の理解を得ることが出来ました。翌年(1987年)「海洋連続セミナー」開催し、アメリカ西海岸研修ツアーも実施し、その成果がヤッシーパークになりました。
http://kenchan-radio.sakura.ne.jp/dokodemo/yasu4/index.html
岡内啓明さんは指導力のある人でした。また議論では独裁的ではなく、異論(私のような異端者)を排除せず、議論を尽くし、落としどころを考え、合意形成を丁寧に行う公平な人でした。(国政のリーダーである安倍晋三や菅のように異論者を排除しまくる指導者より器は遥かに大きな人でした。)。当時の青年会議所の異端者である私が言うのですから間違いありません。
3つ目は岡内啓明さんが、思うところがあって2003年に高知市長選挙に立候補されたことがありました。当時の高知市長が任期途中で辞職し、県知事選挙に出馬されました。1994年の高知市長選挙時にわたしはある候補者の陣営に1年間いて活動していたこともあり、お声がかかりました。(私が関与した市長候補は敗北しました。)
事前にある労働組合の幹部に打診しに行きました。すると「市役所内部から候補者は出ます。推薦はできません。」と断りました。市議会議員の知り合いも市役所から出る候補者を支援するとのことで、陣形が既に固まっていました。
当時私は岡内啓明さんに「市長選挙は青年会議所活動とは異なります。陣形はすでに固まっています。勝算はありません。また高知の観光振興や高知の食文化の振興は超党派で出来ることです。選挙に出馬する必要はありません。」と差出がましいことを申し上げました。嫌われたと思います。
4つ目は岡内啓明さんは、毎日午後2時すぎにうちの事務所前を通過し、五台山の頂上まで歩き、午後4時過ぎに再び通過しウォーキングを毎日継続されていました。雨の日は合羽を着用、炎天下の時は日よけの帽子を被り毎日歩かれていました。
体は青年会議所の現役時代に比べ引き締まりスリムになっていました。ご本人は「血糖値が高かったが今は正常だ。」と言われていました。私が昨年から腰痛改善リハビリ・ウォーキングを始めましたが、散歩の先駆者である岡内啓明さんを真似したのです。
ウォーキングされていた頃の岡内啓明さんは健康そのものでした。今回の訃報には驚いています。まだまだ高知のためにご活躍なさることであると思っていました。
心よりご冥福をお祈りします。
岡内啓明さんとご一緒に写った写真はありません。唯一1988年の日本青年会議所全国大会時の記念事業「ふりーじゃきにTOSAビックロックフェスティバル」の開催後の打ち上げの写真があるだけです。
http://kenchan-radio.sakura.ne.jp/dokodemo/whatnew1/okamura/f-tosa1988.html
防災の観点から言えば、岡内啓明さんは2007年に社長に就任されました。真っ先にされたことは、本社を海抜1Mの卸団地から、南国市の高台に移転させて事です。会社は盤石です。羨ましいです。
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