支援団体関係者の映画「minamata」の鑑賞評論
私は2021年10月2日に「minamata ](アンドリュー・レビタス監督作品・2020年アメリカ制作)を鑑賞しました。私個人の感想文は書きました。
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1281272482320766&id=100013140795740
映画を支援団体の人たちはどう思われているのか、「水俣支援ニュースの22Pから26P)まで記事がありました。
東京・水俣病を告発する会の花房知弥さんは、。表題「ハリウッド水俣映画をどう観るか 史実と創作を巡って」以下のように書かれています。長文の引用になります。
「主役で企画者のジョニー・デッブは、自主交渉闘争中の1972年チッソ東京本社で見かけたユージンにかなり似ていた。
ロケ地は西欧の田舎で、流れの緩い川か、湖の周辺らしい。この風景については、水俣を知る人々から見てどうなのか。「似てる」「違う」・・・そんな観点からの鑑賞も面白いかもしれない。」
「①ハラハラ探索・②怪しい誘惑・③悔しい炎」という表題で事実との相違点を書かれています。それは以下です。
「けれど、少し気になることがある。それは、この映画がユージンを主役にしつつも、テーマとして彼がカメラを向けた1970年代初頭の水俣病の戦いを描いている故だ。ドラマとしては惹きつけられるが、事実そのままではない部分がある。それを標題3点について「ネタバレ」にならぬ限界まで注釈する。
①ユージン・アイリーンが水俣市月浦の溝口家(当時は空き家)に移住した1971年には、既にチッソ附属病院はない。
しかしその病院に、水俣病の因果関係を裏付けるネコ事件記録があったことは事実。その記録は、幾人もの尽力で世に出て、企業責任を確定する一次訴訟判決につながった。
②ユージンがチッソ水俣工場内に撮影に行ったことは知らないが、少なくとも、そこでチッソ社長がユージンに札束を渡した史実はない。
但し、1972年五井事件でユージンに致命的な損傷を負わせたチッソが、暴力障害を世に問わない条件で医療費を払うと言ったことはある。しかしユージンはそれを拒否した。
そして他方ジャーナリストの立場として暴力被害の告訴もしなかった。
③ハリウッドの名作「風と共に去りぬ」でも家が焼き落ちる場面が印象的だ。しかしユージン夫妻の住居兼現像工房の溝口家が放火されたことはない。
ただし、その2軒隣の川本家は、輝夫さんが東京座り込みの同時代、留守家族でその心配に対峙す続けた。
筆者は脇役の真田広之(川本輝夫さんをほうふつさせる)、敵役の国村薫(チッソ社長役)の演技も褒めている。ユージンと英語で話しています。坂本龍一の音楽も含め、作品制作が誠実・真摯になされたことは確かだ。とも言われています。
運動関係者として大事なコメントを言われています。
「この映画に限らず、ほかの水俣病映画や作品に対しても、「自分のほうが患者に寄り添っている」とか「事実関係に詳しい」など上から目線の言説を耳にすることがままある。
もちろん討議は大事だが、公式確認から65年も経っても苦難と対峙している水俣の現在を、少しでも多くの人々に伝えたい立場としては、半端な自己主張と誤解されるような言説は控えねばと自戒する。」
「私たちが水俣病について伝えたいことに対して、被害・苦難はもちろんだが、同時に患者家族の慈しみ・希望と果敢がある。
この映画はユージンや患者家族の果敢という「肝」を、うまく描いている。それをどう支援運動に繋げるかは、働き甲斐のある宿題だ。」
水俣病は完全に解決・終息した問題ではなく、今もなお多くの人達が苦しんでいる現実に衝撃を受けました。
映画についの反響はいろいろありましたが、尖がった避難をするのではなく、社会運動の基本は、蓮如さんの言われるとうりです。
「難しいことをやさしく」
「やさしいことを深く」
「ふかいことを広く」
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