二葉町ゆかりの世界の巨匠
しかしアカデミー賞の発表(2022年3月28日)には驚きました。
二葉町の私の自宅と事務所の正面に、濱口竜介監督(43歳)の祖父母(濱口喬夫・大正)が住んでおられました。
昨日(3月28日)のアカデミー賞の発表の時間帯に、竜介監督のお父さんの濱口達男さんが喬夫さんのアトリエ跡の家屋の片付けに来られていました。
高知新聞の記事によると前日から高知へ来られていたとか。記事の写真などは達男さんが高知新聞に提供なさったようですね。事前に新聞社からの取材も受けられたようでした。
私は単なる濱口喬夫・大正家の隣人に過ぎません。現在は喬夫さんも大正さんもご逝去され、居住された古家は取り壊され、北隣の音響機器会社の駐車場になり、喬夫さんのアトリエとしていた家屋は、現在は達男さんが管理なさっておられます。
この記事の写真にあるように、達男さんがご一家で実家に帰省された時に、小学生時代の濱口竜介さんの声を聞いたことがありました。
「僕は日本のではなくアメリカのディズニーランドへ行ったことがあるよ。」という言葉が強く記憶に残っています。それだけのこと。
あと達男さんが「うちの息子は大学を卒業してもまともに就職せず困ったものだ。」と言われていることを聞いただけですね。達男さんは土佐高校から東京大学へ進学され、卒業後は建設省のキャリア官僚になられていましたから。ご自身が堅実な道を歩まれたので、ご心配だったんでしょう。
祖父にあたる濱口喬夫さんが画家でしたので、アートな感覚の影響は子供たちにも伝承したようですね。お父さんの作品が保管されている家を達男さんは管理されておられます。香川県で医師をされていた達男さんのお姉さまからの年賀状は版画で風景画が毎年来ます。
私は映画のことはまるで詳しくはありませんが、濱口竜介氏が、かつての黒沢明や小津安二郎のような「巨匠」の1人の映画監督になったことは間違いないようです。
母が絵画が好きでしたので、うちの自宅にも10ぐらい濱口喬夫さんの絵があります。下知コミュニュティ・センターにも数点の絵画を達男さんにお願いして数点譲渡していただきました。
酒文化の振興には熱心でも、絵画や映画の振興などには関心の薄い高知県民の中では、ダントツの異色の存在になりました。喜ばしいことであると思います。
最近のコメント