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2022年4月

2022.04.30

手結港周辺の高台避難

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 江戸時代の初期に家老野中兼山によって建設された手結港。当時としては珍しい掘割港湾でした。埋め立てではなく、陸を掘削してこしらえました。

 港の周りは山に囲まれています。風を防ぎ、波も防ぐ良港でした。ミニ油壷港のようです。但し記録では宝永ト安政の津波では「手結は亡所となり」と言われ、家屋はすべて流失しました。

 すぐに裏山に駆け上がれば助かります。

⑤手結港の高台地区

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 手結港はすぐ近くに山があります。そのため人家からすぐに登坂できる高台があります。福島高台や野中井戸高台があります。また手結港北側地区は、国道55号線のg手結山トンネル近くに避難場所場所があります。

 今回は確認しませんでしたが,前回確認した時は地元自主防災会の防災倉庫もありました。

 1番整備されていますのは真行寺上の薬師堂公園です。海抜も19Mあります。臨港道路から車でも登坂可能です。また防災倉庫も地元の自主防災会が設置しています。
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 この地区のいいところは、更に高い場所への避難が可能であることです。より高い場所にある香南学園やホテル海辺の果樹園などへも避難が可能です。

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2022.04.29

高台へのアクセスが意外に良い大手の浜

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 ⑥大手の浜からの高台避難


 ヤッシーパーク離岸堤の外海で帆走していた場合は、大手の浜へ着艇し、臨港道路へ登坂する道路を懸命に走れば高台へ到着します。

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 海と道路が近いので、素早く駆け上がれば大丈夫です。学生たちの帆走練習中の場合は.ヨットを放置し、救命ボートに乗り移り、大手の浜に着艇し、坂道を駆け上がればいい。大手の浜の真ん中あたりが道路に近い。

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 私のような単独行動での帆走者はなるべく岸辺近くを帆走し、すぐに浜に着艇し、駆け上がることです。
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2022.04.28

4・28沖縄デー


 沖縄県の北部のやんばる地域を舞台にしている「ちむどんどん」を毎日家内と一緒に視聴しています。今週から時代は1971年になりました。

 主人公の比嘉暢子は高校3年生です。家内と同じ学年。聞くと1971年当時家内はパスポートを持って東京の大学へ入学していたとか。

 家内は早生まれだからドラマの中で就職に悩む暢子と同学年ですね。1971年の1月から卒業までの3月までの話です。

 私はと言えば1971年の4月は高校3年生でした。今は話題にもなりませんが「4・28沖縄デー」という沖縄闘争があり、高知大学へ集結してヘルメットを被り、デモ行進に参加しました。コースは朝倉の高知大学から高知市役所前―中央公園dぇした。100人ほどの大学生と高校生が参加しました。

 4月28日という日はサンフランシスコ講和条約の調印で、アメリカを中心とする連合軍から日本本土の施政権が変換され、国際社会に日本国に復帰した日と言われています。

 沖縄は日本から切り離され、日本本土にある米軍基地の多くが返還され、その多数が沖縄へ移転してきたことにもなりました。

 沖縄の地方紙である琉球新報には「沖縄屈辱の日」とされています。

「1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効した。敗戦後、連合国軍の占領下にあった日本は条約発効で独立を果たしたが、沖縄や奄美は日本から切り離された。沖縄が日本復帰するまで米施政権下にあった27年間、本土から沖縄へ基地が移転。日本国憲法が適用されず、人権が蹂躙(じゅうりん)された。過重な基地負担など現在の沖縄差別の源流ともなったこの日は「屈辱の日」と呼ばれる。」

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テトラだらけのヤッシーパーク内津波避難タワーへの避難


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➃ヤッシーパーク津波避難タワー

 かつては津波の時にヤッシーパークの中へ逃げ込み津波避難タワーに登坂すれば安全と思い込んでいました。

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 しかし岡村眞先生は「離岸堤の間に積み上げられているテトラは地震で崩れ、通行不能になる可能性もあります。」と言われました。砂の上に置いてあるだけですから動くのが当たり前ですね。

 あくまで次善の策の場合です。高さ8Mの場所に14Mの高さの津波避難タワー3階です。22Mの高さで、最悪15Mの高さの津波が想定されていますので、大丈夫そうです。
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 ですが、テトラは津波には抵抗できません。10M津波が来ると浮き上がり瓦礫となってヤッシーパークに打ちあがります。

 28トンのテトラが津波で流されて津波避難タワーに激突します。津波避難タワーは耐えられるのでしょうか?わかりません。

 
 8時間津波は襲来します。第1波より2浪、3波と繰り返し津波は来ます。段々と多かsが増し、10Mを超えるとテトラが浮いてヤッシーパークへ打ちあがることでしょう。

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2022.04.27

岸本海岸から月見山への避難について(海からの津波避難)


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③月見山への避難

 ヤッシーパーク西側の海面からの避難は月見山です。岸本海岸の防潮堤には、昇降階段がヤッシーパーク寄りに1つあります。
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 テトラが設置されている近くの岸本海岸には斜路で堤防の上に登坂できます。そして防潮堤を上がり斜路を降りるとすぐに国道55号線。渡ると月見山の登坂道路があります。そこまでいけば大丈夫です。

 岸本海岸のヤッシーパーク寄りであれば、急な護岸の堤防を降りて国道55号線北側の坪井高台か観音山へ行きまIMG01682す。
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 岸本海岸中ほどのテトラ近くへ着艇したら、一目散に月見山に行きます。赤岡沖や吉川沖では堤防へ上がっても近くに高台はありません。津波避難タワーへ駆け上がるしか方法はありまません。
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2022.04.26

坪井高台への避難について 夜須町坪井高台

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夜須町の津波避難場所として坪井地区にある観音山お外の高台も歩いて観察してきました。2022年4月23日に行きました。


 


 


②坪井高台
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 観音山から西へ約300Mのところにあります。観音山山頂広場は面積も狭く、急こう配の階段と斜路なので、岡村先生は坪井高台への避難を勧められています。


 


 わかりやすいのは坪井交差点を北上しますとほどなく坪井公民館があります。その横を左折し、道なりに100Mほど行きますと、坪井高台という表示があります。


 


 坪井高台へ到着しますと、広い広場があるだけで、防災倉庫もないし、照明もありません。香南市はハザードマップなどでは津波避難場所と表示しています。
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 岡村眞先生は「東日本大震災では、津波から逃れた人たちのなかで高齢者が4000人避難先で亡くなりました。低体温症です。避難場所だけあって何もないということは、問題ですね。なんとかしませんと。


 


 避難路は2か所あり、国道55号線から坪井高台の表示をたどりますと、1M幅のあぜ道が舗装されており、坪井から台まで続いています。また坪井高台のいいところは、車での避難も可能です。
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 1番いいのは坪井公民館が坪井高台に移動すればいいんです。
 避難場所を「普段使い」しておれば、水も防災備品も在庫出来ます。


 

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2022.04.25

夜須沖からの高台避難のチェックしました。観音山

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 2022年4月23日ですが、4月2日に岡村眞さん(高知大学名誉教授)が「夜須沖で帆走しているヨットは大津波警報が発令後はただちに陸へ着艇し、安全に高台へ避難しなければならないと言われました。救命艇がいれば,ヨットを放置し、救命艇に乗り込んで津波警報発令後20分以内に陸へ逃げてください。」と言われました。

 岡村先生は「夜須の場合は引き波から始まる。海底が見えるほど潮が引いたら20分後に10Mを超える大津波が押し寄せてきます。」と言いました。夜須沖は水深が浅く遠浅。引き波につかまれば、命はありません。
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 それで歩いて検証しました。岡村先生は海上視察の折、丁寧にアドバイスをいただきました。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2022/04/post-2d2a22.html

(岡村眞先生・手結沖からヨット練習海面を視察とアドバイス)

 その時に岡村眞先生は以下のように言われました。

「運よく緊急地震速報をスマホや香南市の防災放送で聞いたならば、陸上の高台地区まで、着艇し20分以内に駆け上がれるのかが勝負です。」


「避難の場合はヨットを放棄し、救命ボートに乗り込み、近くの陸上へ着艇し駆け上がります。
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 大手の浜であれば、仏岬付近の砂浜に着艇。大急ぎで斜路をあがります。そこには香南学園や海辺の果樹園(ホテル)などがあり、高台避難が出来ます。」


「手結港の場合も同じです。旧手結港近くの高台の真行寺やその上の避難場所や、さらに山の上にある香南学園を目指します。」

「ヨットハーバーの場合は、ハーバーに着艇したら、一目散に手結山のトンネル付近まで駆け上がらないといけない、」
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「ヤッシーパークの場合は、時間がない場合は、ヤッシーの津波避難タワーにいくしかない。但し離岸堤のまわりに積んであるテトラポットが地震で崩れ隙間がふさがっている可能性もありますね。」

「テトラポットは砂の上に置いてあるだけなので、津波で簡単に流され打ち上がります。」

「最悪夜須には15Mの津波が襲来しますのでテトラはヤッシーパークやYASU海の駅クラブの施設や夜須の集落へ流れこみ建物を破壊する可能性もあります。テトラは23トンもあると言いますが、実は軽いので津波には抵抗できません。」


 坪井地区の場合は、観音山へ逃げるか、時間的な余裕があれば、坪井高台へ目指せばいいと思います。坪井高台は、月見山にもつながっています。」と言われました。
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 それで4月23日に歩いて検証してみました。


①観音山の高台避難について

 
 夜須町坪井の集落に小高い山があり、観音山と言われています。山頂には碑が立っていました。1854年11月の安政の南海地震の大津波がこの地を襲いました。周辺の住民は観音山に逃れ100人近くが助かったそうです。まさに「命山」でした。


 坪井の商店街の西側に、観音山津波避難場所と表示した標識があります。健脚であれば階段を登坂すれば山頂に行きます。立った状態なら100人程度は山頂には収容できます。


 山頂は27Mあります。山頂には防災倉庫があり、備品が在庫しているようです。(誰がカギを管理し、何が倉庫にあるのかは不明です。

 反対側の北側からも登坂できます。斜路と階段です。太陽光発電のソーラー街灯が南北避難路には設置はされています。

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2022.04.24

海上帆走中の津波避難場所の検証


2022年4月23日(土曜日)のリハビリウォキングは、25076歩でした。案外歩きました。

香南市夜須で津波避難の高台を徒歩で巡りました。
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観音山、坪井高台、岸本海岸堤防から階段を登り、月見山への避難ルートを確認しました。
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午後からは手結港周辺高台避難場所の確認、大手の浜へ着挺後の高台避難場所の確認しました。具体的な検証は後日記述します。
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ハーバーへも行きました。海の散帆は出来ませんでしたが、安全確認出来ました。良かったです。

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2022.04.23

よさこいタウンカード


よさこいタウンカード
 家内が事務所の机の中を整理整頓していたら「よさこいタウンカード」が出てきたそうです。私の分だけでなく、家内と2人の子供たちも分も作成してありました。

 これは一体何のためのカードであったのか?ご存知の方がおられましたら教えてください。
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 小さな字で説明書もあります。このカードで証明書自動交付機に差し込みますと住民票と印鑑証明書が「自動」で発行できるとか。カードでは健康保険証と商店街のポイントもリンクしているようです。

 自分のカードまで、家族分まであるので、高知市は大々的に広報したのでしょう。でも実際に使用したのかどうなのか。全く記憶にありません。
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 「マイナンバーカード」というとてもめんどくさいカードがありますが、何がどう違うのかも私にはわかりません。
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 かすかな記憶では古い市庁舎本館1階に大きな機械が置いてありました。

 しかし今は跡形もなくなっています。「国のICカードの普及などによるIT装備都市研究事業」とか。

 なんでうまくいかなかったのかの検証はしているのいだろうか?

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2022.04.22

母の退院 転院で多忙な1日

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2022年4月21日のリハビリ・ウォーキングは、10898歩でにととまりました。夕方は歩けませんでした。

1か月入院した高知医療センターを4月21日の午後退院するので入院費用を支払いました。
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午後1時に介護タクシーが迎えに来たので、母は車椅子で乗り込みました。私も一緒に乗り込みました。母に会うのは久しぶりです。
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生憎の雨のなか細木病院に転院しました。各種入院手続きをしました。病室までが入らせてくれました。医療センターから持ってきた母の衛生用品や着替えを整頓しました。


早速医師の診断もありました、足の蜂巣炎はほぼ治っています。もう少し治療が必要ですね。
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最長60日程度しか入院出来ません。次の進路を検討しないといけないです。やることがたくさんありますね。

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2022.04.21

またまた怒涛の渦中に

 一時期は「濁流に呑まれ、滝壺に落下し水中でもがいている状態」の様だと表現していました。今またその状態になりつつあります。

 

 ただ前回(1月から3月頃)の状態と異なるのは、4月9日に家内の許可が出て、丸1日海に浮かんで海の散帆(セーリング)が出来たことでした。おかげでフル充電できました。

 

その成果なのか、渦中にあれど、今回は比較的冷静に対処しています。体が流されつつも「次はどうする」と思案できていますから。

 

 2022年4月21日は母(96歳)は2回目の入院した高知医療センターを退院します。そして細木病院へ転院します。自宅で在宅介護できるようになることが目標です。

 

 

 出来るのかどうかはわかりません。自信もありません。やれるようならやります。仕事も繁忙ですね。それはいいことです。地域防災活動もこれから始まります。

 

 

 せめて月に1回は「海の散帆」ができれば最高です。そうありたいと切に思います。海からエネルギーをいただいたら乗り切れそうですので。

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2022.04.20

「障害のある方の防災」を読んで

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 高知市社会福祉協議会 高知市障害者福祉センターから「こうちノーマライゼーション VOL47 特集 障害のある方の防災」が送付されてきました。
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 書き出しは「障害者は高齢者の先駆者である」とあり、「近い将来、必ず起こるであろう災害に対策として、傷害のある方の課題を知ることで、これからの防災課題を考える。」とあります。

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 確かに言われるとうりです。現在96歳の母は、良い介護3で認知症です。今年に入り2回の緊急入院生活で「誤嚥性肺炎」と「両下肢蜂巣炎」はほぼ完治しましたが、ほとんど歩行が難しくなりました。でも退院を言い渡されています。

 自宅は平屋ではなく階段生活の「バリアアリー住宅」です。災害時避難する場合は、母を背負い避難する必要があります。果たしてそれは可能なのか?

 2015年に下知地区の有志他8人で「東北被災地交流ツアー」そして東日本大震災の被災地を訪ねました。そこでは石巻市の湊中学の非常階段をデイサービスの利用者の高齢者は登ることが出来ず全員が亡くなったと説明を受けました。
湊中学非常階段
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-8315.html


 それで高知大学ヨット部で使用していない廃船を譲渡していただき、避難場所の少ない丸池町に「救命艇」として移設しました。


http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2019/06/post-422e03.html


 今回の高知ノーマライゼーション4_NEW「障害のある方の防災」は、多様な障害があり、とても難しい問題をはらんでいます。

また障害の種類も身体傷害、知的障害、精神障害(発達障害を含む)、難病の日とも含むようです。

 ノーマライゼーションでは、障害者団体のリーダーの方たちが取材に応じて「障害と防災」についてお話しされています。
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 各傷害者団体のリーダーの方たちは「防災はまずは自分たちでできることから」と言われています。

 次に地域とのかかわりを持ちたい、一緒の防災訓練に参加したいとも言われています。そのあたりの繋がりが希薄なように思いました。
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 地域防災の立場から申し上げますと、傷害の人も家族も、地域の防災訓練に参加していただきたいです。
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 今回二葉町町内会と二葉町自主防災会は共同で「二葉町防災世帯調査」を4年ぶりに実施します。そして協力いただいた世帯には、世帯の人全員に「SOSカード」を配布します。

 防災世帯調査は病歴、介護歴などを記入していただきます。防災会が保管します。SOSカードはご自身のお困りごとを自分から名のっていただくカードです。これはご自身で常時携帯していただきます。

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 下知地区の二葉町は「避難困難地区です」。地域のコミュニュティ力が問われます。とりあえず防災世帯調査から始めます
荒木さん防災世帯調査への想いSOSカードと私の情報カード_NEW

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2022.04.19

コロナであろうが、防災活動はしないといけないと思います。

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昔から疫病と地震や噴火や水害が同時期におきることは珍しくありません。

2020年と2021年は、二葉町総合防災訓練は「規模は一部縮小」しましたが、コロナ感染症対策訓練として実施しました。
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参加者全員の検温表の作成、手指消毒、マスク着用、靴底消毒、ペーテーションの活用などでなんとか実施しました。また参加者ではコロナ感染症は出ませんでした。
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防災訓練を「コロナ」を名目に中止することは簡単ですが、南海地震はいつ起きるかわかりません。避難所ないでの感染症対策をよりシビアにしなかればならないこともあり、実施して良かったと思います。
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今年も10月30日に訓練を予定しています。
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2022.04.18

伝わらぬもどかしさ


 テレビを視聴していますと、ロシアでも世代間断裂がおきているらしい。40歳以下の若者・現役世代の多くは、SNSなどでウクライナ戦争の実態や自国ロシア軍の暴虐の有様を正確に知っているようです。

 しかしその親世代である50歳代後半以上のシニア世代やリタイヤ世代は、国営テレビ放送や国策新聞が情報源であり、「ロシアは正しい。」「ウクライナはネオナチに支配されているのでロシア軍が征伐している」という官製報道を信じ切っているらしい。


英国在住の日本人翻訳者の個人ブログ記事

https://ameri-uk.blog.jp/archives/13151354.html
(ウクライナ侵攻、ロシアで進む「世代間の断絶」)

 子供世代は親世代を説得しようとしても、親世代は全く聞く耳をもっていないとか。番組では「感情的にならず。気長に説得しましょう。」と呼びかけていました。

 まるでわたしに言われているようです。地域の中で防災活動の必要性を呼びかけても、参集していただくのは私らより上のシニア世代が主体。若い現役世代の参加が少ない。

 懸命の呼びかけが届かないもどかしさ。こちらも生活と仕事と母の介護で精一杯で余裕はないので、つい感情的になりますね。そうなると余計に出席率が悪くなるという悪循環になり、呼びかけ側の負担が増すばかりです。

 なぜ海抜0メートルの海の近くに住みながら、当事者意識や、防災を「自分事」として考えないのでしょうか?2007年の二葉町異種防災会結成当時から15年の間その思いは変わりません。

 嘆いても、腹を立てても仕方がないので、粛々と防災の必要性をこの地で、懲りずに諦めず発信するしかありません。心が折れないように「手抜き」しながら活動するしかりませんね。

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2022.04.17

96歳の母は前途多難

 2月21日に今年2回目の緊急入院した96歳の母です。
超高齢者になりますと皮膚が「極薄」になるようです。
 入院の直接的な原因は両足が低温火傷(左足)と擦り傷(右足)の患部が化膿し、壊死を一部起こしていたようでした。
 入院時の診断は「両下肢蜂巣炎・横紋筋融解・廃用症候群・誤嚥性肺炎」でした。いずれもほぼ完治したようです。急性期高度医療病院は、そうなると退院をせかされます。
 家族としては原則自宅介護を望んではいますが、1か月も入院生活で身体機能はリハビリを少ししたとはいえ、格段に落ちていると思います。それゆえリハビリと治療をしていただく病院に転院して、自宅へ戻りたいことが希望でした。
 コロナ禍でもあり、病院や療養施設に入居しっぱなしで、家族ですら面談することもかなわず、昨年90歳の叔母が2人亡くなりました。葬式すらできませんでした。
 母を在宅介護して、可能なら看取りまでしてみたい。そう思いました。しかし現実は甘くはなく、とてつもなく家族の負担は重くなるそうです。それはそうだと思います。
 転院先病院が見つからないようです。理由は母が老い先短い超高齢者であること。リハビリは改善の見込みがある人優先のようです。超高齢者で改善の見込みが薄い母は敬遠されました。
 更に病院側が受け入れれを拒むのは「最初は家族の意向で在宅で頑張ります。」と言ってもあとから「やはりそうれは無理だ。」と言ってくる事例がとても多いそうで、そうなると病院側も受け入れざるをいえなくなり、退院してくれとはいえないので困るということですね。
 その理由もわかります。療養型施設も常時キャンセル待ち状態。入居者が亡くならないと入所出来ない状態とか。要するに超高齢者は「行き場がない」というのが現実のようです。
 「最悪はうちの病院(高度医療機関)から自宅へ直行になります。受けいれ体制だけは整えておいてくださいね。」と言われました。
 いよいよ来るべき時が来ましたね。週末は掃除して部屋をかたずけます。

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2022.04.16

コロナは収まらず、あと3年ぐらいは続きそうです。


 また新型コロナ感染症が増加し始めました。沖縄県知事は「第7波が始まった。」と宣言し警戒を呼びかけました。沖縄県は米軍基地というコロナ感染症対策にルーズな施設があるために、感染症には脅威になっています。

 日本本土より1か月早く傾向が現れますので、日本本土の第7波の流行期は、5月半ば過ぎから6月にかけて現れるかもしれないですね。

 また大きな不安要素は、隣国の中国の動向です。中国は国策で「ゼロコロナ対策」を推進してきました。徹底したPCR検査と隔離政策で2月の北京冬季五輪も乗り切りました。

 しかしここへきての大都市上海での感染爆発が始まりました。中国流の「ぜロコロナ対策」でコロナの抑止が可能なのか。中国で新しい変異種が来るのではないかと危惧しています。

 中国は経済大国になっていて、国際交流がとても盛んです。欧米諸国や日本や韓国や東南アジアとの盛んな交易があり人的交流も盛んです。南米やアフリカ、中東などの開発途上国との往来も盛んです。

 どうやら中国製ワクチンが変異種のコロナ感染症に効き目が薄いようなので、感染を抑えきれないのではないかと組具しています。

 また中国経由で感染爆発が万が1起きますと、今度はより大きな波になる可能性がありますので心配しています。そうなれば「コロナ禍経済」が最低あと3年は継続します。


 今年11月に東京で予定していました取引メーカーの全国販売店会は、昨年に続いてオンライン開催が早々に決まりました。2月・3月・4月の総会や懇親会はすべて中止になりました。5月、6月も中止かオンライン。もしくは書面採択になりました。

 2020年から3年間コロナ禍経済が続いています。その体制があと3年以上続くとなると、社会の様相が大変化します。変化しても日本社会は継続します。脱落しないようについていくしかありません。

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2022.04.15

3年目のリハビリ・ウォーキング


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 2020年2月より始めた「腰痛改善・リハビリ・ウォーキング」ですが、私にしては珍しく1年365日・1日も休むことなく歩いています。


 始めた当時は新型コロナウィルス感染症が拡大し始めた時期でした。わたしの楽しみである夜須でのヨット活動もハーバーが閉鎖になりました。会員制のスポーツクラブにも通っていましたが、そちらも無期限閉鎖になりました。
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 突然の事態に運動不足になり、体重も増え、健康診断で「腹部肥満」という判定までいただく始末。私は胴長短足。体重が増えると腰痛になります。

 整形外科医の診断は「3か所の脊椎管狭窄症。椎間板ヘルニア。すべり症」という複合的な腰痛です。医師は「手術も出来ないし、治りません。」との診断でした。


 零細企業の主は、腰痛でへばることは出来ません。母(96歳)の在宅介護もあります。仕事もフルタイム。母の老老介護をこなさないといけない。腰痛になることはできません。
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 全身運動のヨットでの帆走もスポーツジムでのトレーニングも禁止。コロナ太りにもなりました。わき腹周りの贅肉は見苦しい。ではどうするか?


 知人がやっている自転車かマラソンへの挑戦も考えましたが、転倒すれば危険だし、技術も必要なので、コストもかかりますので断念しました。

 毎日日にち歩くことhが出来る。但し日中はフルタイムで働いています。母は午前7時に起床です。トイレ介助・朝食介助・トイレ介助があり、9時過ぎにデイサービスの送迎車が来ます。
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 早朝の時間帯しか歩く時間がありません。それで午前5時過ぎから6時半までリハビリ・ウォーキングをすることにしました。起床は4時前。朝食の準備をして朝食を食べます。あとかたずけしてトイレへ行き着替えます。

 午前5時にPCをチェックします。メールを見ます。問い合わせなどにはその場で返信します。新聞各紙にも目を通します。
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 2022年4月13日は、早朝のウィーキングで、8461歩、日中も少し歩き、夕方はいつもの堀川浮桟橋を1周歩きました。14471歩歩きました。1日15000歩を目指していますが、直近7日間でクリアしたのは2日だけですから。

 3年目になりました。幸い歩き始めてから腰痛にはなりません。体調もいいです。おなか周りも少し瘦せました。いいことだらけです。早起きするので昼間は眠いです。

 いい習慣ですので今後も毎日歩きます。

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2022.04.14

現実のスピードと変化に追いつけません

 今年は私個人の「総括」は、2月の『連合赤軍事件から50年」ということで、「人は思想で仲間殺しが簡単にできるのか」「人を解放するための革命思想が何故仲間殺しに収斂したのか?」をしっくりと考えていくつもりでした。


 


 ところがロシア軍が2月24日に隣国ウクライナに正規軍25万人が軍事侵攻しました。ロシアの軍事攻撃はウクライナ軍の軍用施設にとどまらず、一般市民の住宅や学校や病院、教会や保育園、鉄道駅など無差別攻撃を行い、占領した地域ではウクライナ市民を拘束し、拷問の上多数殺害した戦争犯罪を繰り返しているようです。


 


 情報化の時代ですから、市民がスマホで撮影した動画か世界に流れる時代。毎日日にちロシア軍の悪逆非道ぶりが映像で見ることが出来ます。


 


 さらに生物化学兵器や核兵器まで使用される可能性がある屋に言われています。21世紀の時代に、前時代的な戦争が起きていることに、ついていくことが出来ません。映像で毎日見ているウクライナの惨状は現実であり、現在進行形なのです。


 


 過酷な現実に「何もできず放心」している情けない自分がいます。専門家筋も政治家も皆混乱していると思いますね。


 


 ウクライナ戦争は侵略者のロシアの勝利はありえず、ウクライナ解放軍がロシア軍を東部で撃退して勝利する以外に戦争は終結しませんね。案外近い将来ではないかと思います。

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2022.04.13

自宅を終の住処にする方法

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 「施設に入らず 「自宅」を終の住処にする方法」(田中聡・著・詩想社新書・2021年刊)を久しぶりに図書館で借りて読みました。

 まさに96歳の母の老老介護(現在は母は医療センターに3月21日より入院中)に追われる私にすれば、「教本」になるやもしれないと思い、オーテピアで予約申し込みを3月初めにしていました。3週間後の3月30日に下知図書館から連絡があり、ようやく借りることが出来ました。

 筆者の田中聡氏は建築設計士であり、介護施設の施設長もされておられました。その知識と経験からの表題のような提案をしています。

 ただし一読して見て、自宅での在宅介護は、比較的介護度の低い場合のお話が主体であり、うちの母のように96歳という超高齢者で、要介護3(4が出る可能性があります)の場合は、てきようしないのではないかと思いました。

 記述の中で身につまされた箇所がありました。(長文引用します。)

「介護のために家族が仕事を辞めることは絶対に避ける。あくまでも仕事を続けながら、できる範囲での介護を行う。足りない部分は介護保険サービスなどをうければよいのだ。」(P77)

「介護生活において絶対に100点満点を目指してはいけないということだ。介護するほうもされる側も、ほどよい距離を保ちながら60点ぐらいを目標とし、樹歳は30点ぐらいでもお互いに我慢が出来れば成功とかんがえてもよいくらいでいいのだ。」(P78)

 記述は「一般論」としてさらりと書いてありますが、1番身に染みた言葉でした。

 介護は撤退戦と割り切ろうと筆者は述べています。なるほど。

「仕事が出来る人ほど「介護敗戦」に突き進む。

中略 介護に対して、真面目に前向きに、まさに仕事と同じように取り組んでしまい。仕事が出来る人ほど、これまでの成功体験を介護でも適用しようとしてしまう傾向があるという。

 しかし仕事に向かうように介護に取り組んでしまうと、それは「配線」への直行ルートである。」

「その理由は、仕事に対しては目標を設定し、綿密なスケジュールを立て、自ら汗をかいて実行する。その目標は、ほとんどの場合は成功や成長という結果にリンクしているはずだが、介護は貢献が報われることのない撤退戦だ。」

「前進の期待があるからモチベーションを維持できるが、介護ではむしろ諦めなければならないことが多々起きる。昨日よりは明日の成長を目指す仕事のメソッドとは違う方法論が必要だ。」(P80)

「じりじりと悪化する状況を前提においたとき、最も必要なのは、その戦線を受け持つあなたが最後の瞬間まで戦い抜く精神力を維持することだ。」

「そのために必要なことは、一人で何もかにもやろうとせず、組織や社会の力を借りる。人に相談して悩みをわかってもらい、支援をうけることだ。ただ、肉親が相手だと冷静に判断実行するのは非常に難しいことになる。」

「介護にあたって必要な心構えは「現場の働き者」になるのではなく、プロジェクトマネージャーとしての「マネジメント」を常に意識することだ。

 マネジメントの最大の目的は、いわば顧客であるお父さん、お母さんの幸せの達成だ。そのために必要なのは、介護プロジェクトのマネージャーであるあなたの心と体の健全さと収入をお維持することだ。」

「ケアマネやヘルパーさんらの介護のプロは、あなたのプロジェクトに参加してくれるプロフェッショナルのスタッフだ。

 介護が必要な人に対して、なんでもやってあげるのではなく、その人がまだ持っている力を引き出しながらの関りが重要で自分で出来ることは自分でやってもらう。

 その見極めが出来れば、身体の衰えの進行が遅くなることが期待できるし、介護の作業量の伸びも緩やかになる。」

「そうしたプロの力も借りながら、介護プロジェクトを動かすマネージャーとしてある程度安定した介護体制をつくることを目指すべきである。

 そして安定した介護体制をつくることが、仕事と介護の両立には最も重要なことである・」(P81「老親を施設に入れず、自宅で介護するための心得」)

 年明けからの母の緊急入院2回と、急激な身体機能の衰えは、「ショック」でした。懸命に介護しても報われない現実に何度も打ちのめされました。

 それはどこかで「100%回復しろよ!」を叫んでいた自分がいたのでしょう。ケアマネさんは「60%も回復でよしとしましょう。」と常付根言われていました。

 なるほど介護は「撤退戦」であると。「結果は出ない」「身体機能は落ちる」ことを前提に、気持ちよく母が終末を迎えることができるお手伝いを考えた方がいいということらしい。

 なんだか気が楽になりましたね。立ち直れそうな気がします。

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2022.04.12

雛人形を回収しました。

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香南市夜須の道の駅やすのギャラリーに2月 3月に展示していただいていました。2022年の1月20日に自宅から持って来ていました。道の駅やすの女性スタッフが慈しんで丁寧に雛人形を飾っていただきました。
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 3月5日にようやく対面しました。そして4月2日にも2回目の対面ができました。

 そして2022年4月11日に雛人形を箱バンに積んで回収しました。またうちの狭い納戸に戻りました。
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雛人形の展示は春の訪れ。終わると初夏です.
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1年の4分の1は終わりました。

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2022.04.11

よさこいモーターフェスティバル2022に行きました。

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2022年4月10日ですが、橋本富士夫さんのお誘いもあり一緒に歩いて会場の高知市中央公園に行きました。

堀川浮き桟橋からはりまや橋商店街と京町商店街を抜けますと会場です。
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珍しい車が沢山いました。

「これはムスタング、こちらはランボルギーニ、こちらはフェラーリ、こちらはホンダのまるまる」と橋本富士夫はよどみなく車種を教えてくれました。私は全然わかりません。
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「この車は5000万円はします。」とかいわれます。ドアが跳ねあがる車も沢山いました。
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大勢の人たちが来場して楽しんでいました。主催者の藤田憲一さんありがとうございます。
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2022.04.10

久しぶりの海の散帆 充電できました。

ぎ装完成

 1月8日以来、2か月間も夜須の海に行けませんでした。やはり海に浮かんでいませんとストレスが溜まり精神的に良くありません。1月14日に母(96歳)が高知医療センターに緊急入院しました。「誤嚥性肺炎」で一時は重篤状態に。奇跡的に回復し28日に退院出来ました。
出艇前
 自宅へ戻り在宅介護の毎日でした。身体機能の低下から入院前より介護負担が倍増しました。退院翌週から通所型のデイサービスへもい行きました。

 しかし足の筋力低下もあり両足がむくみ歩くことが難しくなり、ちょっとした傷から化膿し、3月21日に再び高知医療センターへ緊急入院しました。
高知大学スナイプ

 またこの時期は年度末と年度初めで忙しく、地域防災の初会合も3月31日に入れていました。「激流に飲まれ、滝つぼに落ち水中でもがいている状態でした。

 
 早朝の腰痛改善リハビリ・ウォーキングはその間も毎日継続はしていました。おかげで「コロナ太り」は解消する効果はありました。でも「充電」は出来ませんでした。

ヤッシーパーク内
 2022年4月9日(土曜日)は、家内の許可を得て、8時半に出発し夜須へ行きました。ヨットの1年間の艇置き料金とYASU海の駅クラブの会費も支払うことが出来ました。

 ハーバーへ行きぎ装(ヨットの組み立て)を慎重にしました。幸い今日は上天気ですが風が弱めなので恐怖心はありません。ぎ装を思い出しながらヨットを組み立てていきました。


 シートロープとステンレス製の留め金だけで、ヨットは組上がります。船体の厚みは30センチ程度ですが、マストを繋ぎセールを入れますと高さが5メートル近くになりますね。73キロの私の体重をもせて風の力だけで海の上を移動できます。まさに動力は「クリーンエネルギー」です。


 陸の上の事からぎ装しながら海の上の事を考えています。風はあるか、波はあるか。気温は。暑いか寒いか。どんな服装にするか。手袋は必要か、帽子はいるか。とかチェックしながらぎ装しています。
コワイテトラ
 その時間が1番私は楽しい。リズムが陸から海へ変わるからです。ゴルフやテニスに様に、到着したら着替えてすぐにプレーというわけにはいきません。ヨットはぎ装という作業工程が必要です。時間をかけて海の上の環境に慣れる前工程をしています。


 ウエットスーツに着替えて海へ出ました。午前中は風が弱く帆走に苦労はしました。でも沖へ出ると風は吹いていました。本当に久しぶりの海の散帆でした。

 高知大学ヨット部やジュニア・クラブも出艇し海へ出ています。ハーバーから近めで、マーク回航などの練習をしていました。私も沖へは出ず帆走していました。


 今日の夜須の海は波がなく、少しの風でヨットは快適に帆走します。欲を言えば、もう少し強く吹いてほしかったです。でもブランクがあるので満足しました。


 片付けもきちんとしました。母の容態も心配です。週明けから仕事も多忙になりますし。地域防災活動も新年度になりこちらも稼働し始めます。
ジュニア・ヨットクラブ

 今日は海で充電出来ました。しばらくは大丈夫です。海へいかせてくれた家内に感謝です。最高の1日でした。
帆走中

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2022.04.09

限界に近い感じがします。

 感覚としては、濁流にのみ込まれ、激流に流され、滝つぼに落ち、水中でもがいている感じでしょうか?
母(96歳)の2度目の緊急入院。在宅介護の困難さの予感。母とは「今生の別れになるのか」の選択が迫られます。

 

 個人の能力に関しては、3月13日頃に総付された「卒論」と「出版本」「11年目の新聞」の感想文も未だに書くことが出来ません。
わたしは商売が軌道に乗り、リタイヤすることが出来たら、伊能忠敬さんのように勉強して、大学院へ行って社会学を学び学者でもなろうかと夢想していました。しかし日常業務と雑務と母の医療と介護に追われる毎日で疲弊し、寸暇を惜しんで知的努力する才能がまったくないことが判明しました。

 

 ようするに私は「知的能力」が不足していることに今更ながら思い知りました。ようするに「知的な基礎体力がない」ことを思い知らされました。

 

 仕事の方も50年キャリアの同世代の担当者から30代の青年に担当が交代しました。息子よりも若いです。

 

 いりいろな出来事が起きますね。地域防災の方は未だに協力者、助っ人は現れずです。「なるようになる」「なんくるないさ」の精神でやるしかありません。じぶんなりの回復法を処方します。母の非常事態が1月14日以来継続中で、以来お酒は1滴も飲んでいません。コロナ太りは解消されました。母に感謝です。なんとか危機を乗り越えたいと頑張ってみます。

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2022.04.08

知名度を上げることは、価値を上げること

「今の時代は知る人ぞ知るというやり方ではだめですね。広く知られる存在になることを目指しましょう。可能な方法で、コストを有効に使って自社の知名度をあげましょう。」

「競争社会のレッドオーシャンから抜け出すためには、知名度を上げることがとても有効。「知っている会社」ということで、有利に働き、しみ目以外にもなります。」

「知名度が上がるが、供給量は増やせない。その場合は売価が上がります。せっかく知名度が上がり、どんどん売れるようになっても供給量が少ない場合は「機会損失」かと思いきや。さにあらず。むしろ価格決定権を獲得できます。」

「課題解決型のホームページは素晴らしい。でもそれだけでは飛躍できません。広報宣伝の方法を知恵を絞ってやり抜きましょう。」ということでした。心に残りました。

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2022.04.07

明治・津波石とテトラポット

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 岩手県宮古市で「津波語り部」をされている菅野和夫さんから、貴重な写真をいただきました。「明治津波石」とか。その説明文です。


 


「写真は明治三陸地震の際、海岸から600m上流の杉林まで運ばれた「明治津波石」です。私の身長165cmと比較してください。テトラポットが転がり町中に打ち上げられる貴重な伝承石です。」(菅野和夫)


 


 


 高知県の海岸沿岸には無数のテトラポットが無造作に置かれています。岡村眞先生は「テトラポットは比重が2.海水は1・6ぐらい。台風の波には多少効果はありますが、津波には全く無力でしょう。簡単に浮き上がり、10Mから15Mの高さの津波は夜須の施設や家屋を破棄して、西山八幡宮まで到達します。」と言われました。
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 235個のテトラポットをヤッシーパーク西側に無造作に投入した県土木部職員は「テトラポッとは1個23トンありますので簡単には動きません。」と言われていました。


 


 


 高知県土木部職員は東北の津波の痕跡などを訪ね、勉強していただきたい。


 


 2021年1月にテトラポット投入の危険性と景観破壊について書きました。


 


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 ヤッシーパーク西側にある石積み堤防と離岸堤の水路に現在テトラ(消波ブロック)が投入されています。手結港海岸県単改良工事として高知県中央東土木事務所が総工費1憶5千万円で285個のテトラを海へ投入します。


 


 津波対策や崖崩れ対策などと異なり、緊急性のない不要な工事です。疑問点を述べます。


 


1)テトラむき出し状態。大型台風や津波でテトラが漂流しヤッシーパークへ打ち上げられる可能性があります。復旧は可能ですか?


 


2)宝永地震(1707年)と安政地震(1854年)に夜須は大津波が襲来し、背後地の観音山中腹部や西山八幡宮まで津波が押し寄せました。その場合テトラが夜須の集落を破壊する可能性があると思います。


 


3)ヤッシーパークは、シンガポールの庭園都市構想を設計した世界的な環境デザイナーの稲田純一さんの設計です。テトラの大量投入はせっかくのヤッシーパークの景観破壊になります。


 


 グランピング・キャンプの構想もあるようですが、人工構造物の無粋なテトラが目立つ海を見て癒されるのでしょうか?ありえないと思います。
 1億5千万円かけて景観を台無しにし、津波対策も疎かにした残念な公共事業です。

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2022.04.06

母の今後の治療方針と方向性


 2022年4月5日ですが、午後に家内と高知医療センターへ行きました。2人とも看護士が検温し、問診票に書きました。それで特別に母にも会いました。入院した先月3月21日以来の対面でした。少しやつれていましたが、はきはきと笑顔で答えるいつもの母でした。

 担当医師からは病状の説明をされました。「先週は酸素吸入もしていましたが、今は外しています。食欲もありペースト食は完食して、元気になりつつあります。足の方ですが、傷の部位が一部壊死している箇所があり、治療をしています。完治にはもう少し時間がかります。随分と元気になられました。」とのことでした。

 担当看護士は「いつもにこやかにしていますので、気持ちがいいです。今日はことさら元気です。息子さんたちに面会してより元気になると思います。」

 担当の理学療法士は「前回1月の入院時もケアしましたが、その時よりは身体機能は残念ながら落ちています。でも少しずつ回復しています。元には戻らないとは思いますが、ある程度は回復すると思います。」とのことです。

 私からは「足の治療は治るまで可能ならしてください。今の状態では会いたく介護は無理そうですね。転院先の病院で治療しながら在宅介護でいきていけるようなリハビリもしていただきたいですね。」と申し上げました。

 ソーシャルワーカーさんは「希望に沿うように頑張ります。」と言われました。よく医療スタップの皆様は真摯に対応されています。感謝です。母も早く元気になり自宅に戻ってきてほしいと切に思います。

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2022.04.05

岡村眞先生・夜須での津波防災講演会


講演風景
 2022年4月2日(土曜9ですが、午前中は手結沖のヨット(ディンギー)の練習海面を海上からの避難可能場所をレクチャーいただきました。テトラが無造作に置かれているヤッシーパーク内には地震後は海から侵入できない可能性があることも言われました。

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 午後からはヨット艇庫の2階で、「高知県セーリング連盟 南海トラフ地震対応研究会レジュメ」を元に夜須での津波の想定と、対応方法について講話いただきました。

 参加者は高知大学ヨット部部員、そのOB,ジュニアヨットクラブの部員や父兄、YASU海の駅クラブ職員、高知県セーリング連盟役員や、シニアヨットクラブの私と大﨑修二さんたち30人でした。
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 岡村先生の講演内容を書き留めてみました。

「南海トラフ地震の地震の記録としては、

 1498年 明応の南海地震 3連動

 1605年 慶長地震 揺れのない状態で10Mの津波

 1707年 宝永地震 3連動

 1854年 安政地震

 1946年 昭和南海地震 から今年は76年目。」

「昭和南海地震が小さい地震でありました。安政地震の4分の1、宝永地震の8分の1規模でした。
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 前回の昭和南海地震はとても小さな地震でした。次回起きる地震は3連動の宝永クラスの地震の可能性が高い。30年以内に80%の確立で起きるとされていますが、私は8年以内におきる可能性があると思います。想定より早く起きると思います。」」

「1分間地震の揺れがあれば南海地震。すぐに高台に逃げないと津波が来ます。3分揺れますと3連動型の巨大な南海地震です。」

「東北で起きた東日本大震災は海上で起こりました。揺れは小さいので家屋の倒壊は殆どありませんでした。南海トラフ地震は四国の真下で起きます。揺れも強い。震源域が四国の真下で近いのですぐに津波が来ます。」


「揺れで判断してください。よく役所の警報が出てから避難するという人がいます。地震で停電することもあります。とにかく揺れたら高い場所へ避難することです。」

「津波は水の壁です。海全体が上昇し陸に押し寄せてきます。」

「海岸の防潮堤やテトラは台風用。津波に耐えられません。」

「防災活動は最悪の想定でしてください。津波避難訓練で高台や高いビルへ避難出来てそれでご苦労様で終わるのではなくて、その後その場でどう暮らすのかを想定し対策してください。」

「東日本大震災では津波で助かった高齢者が避難所や避難場所が寒く震災当日に4000人の高齢者が低体温症で亡くなりましたから。対策をしないとダメです。」

「とにかく高台には最低8時間はいてください。決して動かないで下さい。」

「とにかく1分を超える長い揺れを感じたら、緊急地震速報や大津波警報が出なくても高台へすぐに逃げることが大事です。」
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「南海トラフ地震(M9・0)の地震が起きたら想定では夜須は13Mから15Mの津波が押し寄せてきます。」


「海でのヨット活動中に津波を感じたら、ヨットを放棄し、付位反戦に乗り移り、そのまま20分以内に陸上に上がる。(津波避難タワーは次善の策)。近くの高台にかけあがることです。」

「20分後には引き波がおこり改定が見えてきます。そのご巨大津波が繰り返し来ます。」


「海上船舶は随伴船での緊急地震速報の受信。もしくは陸上から国際救難信号旗(U旗)の掲揚と視認が基本です。」
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 いずれにしても並大抵無い。どう考えても海抜0メートルの二葉町で生き延びることは至難のわざです。

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2022.04.04

岡村眞先生・手結沖からヨット練習海面を視察とアドバイス

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 2022年4月2日(土曜)ですが、高知県香南市夜須町の手結沖に高知大学名誉教授・高知大学防災推進センター客員教授である岡村眞先生と一緒に仲井誠さんのSRVで海上視察を一緒にしました。
夜須ハーバー沖
 岡村眞先生は、日本有数の地震・津波の研究の第1人者です。高知県セーリング連盟の名倉海子事務局長から「岡村眞先生の連絡先を教えてほしい。」と言われ、名倉さんに教えたことが始まりでした。
練習海面
 名倉さんが丁重に海上視察の意味を岡村先生に説明し、高知dくぁい額ヨット部やジュニア・ヨットクラブの練習海面3か所くらいからの陸上への避難を想定し、岡村先生と意見交換をしました・。

 岡村先生は、海上で陸上のように地震を体感することが難しいこと。スマホなどで緊急地震速報が運よく海上で受信できれば良いが、地震で海底ケーブルや地震津波観測機器が破損したりすると予報が出せない可能性もあるとのことでした。
大手の浜
 名倉さんがヨット活動の練習海面として大手の浜沖、手結港・夜須ヨットハーバー沖、ヤッシーパーク沖、岸本海岸沖の4か所を船で移動し、陸上へのアクセスはどうか?岡村先生に視察いただきました。

 岡村先生は津波対策の海での津波対策を以下のように言われました。

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「運よく緊急地震速報をスマホや香南市の防災放送で聞いたならば、陸上の高台地区まで、着艇し20分以内に駆け上がれるのかが勝負です。」


「避難の場合はヨットを放棄し、救命ボートに乗り込み、近くの陸上へ着艇し駆け上がります。

 大手の浜であれば、仏岬付近の砂浜に着艇。大急ぎで斜路をあがります。そこには香南学園や海辺の果樹園(ホテル)などがあり、高台避難が出来ます。」
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「手結港の場合も同じです。旧手結港近くの高台の真行寺やその上の避難場所や、さらに山の上にある香南学園を目指します。」

「ヨットハーバーの場合は、ハーバーに着艇したら、一目散に手結山の頓ねりう付近まで駆け上がらないといけない、」

「ヤッシーパークの場合は、時間がない場合は、ヤッシーの津波避難タワーにいくしかない。但し離岸堤のまわりに積んであるテトラポットが地震で崩れ隙間がふさがっている可能性もありますね。
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 テトラポットは砂の上に置いてあるだけなので、津波で簡単に流され打ち上がります。」

「最悪夜須には15Mの津波が襲来しますのでテトラはヤッシーパークやYASU海の駅クラブの施設や夜須の集落へ流れこみ建物を破壊する可能性もあります。テトラは23トンもあると言いますが、実は軽いので津波には抵抗できません。」

 
 なかなか厳しいということを岡村先生に説明いただき納得しました。最近の私は母の介護を前提にしています。海が遠いです。もしいける機会があれば、着艇して陸上避難がどれくらいできるのか、年寄りの足腰で確かめてみます。

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2022.04.03

究極の選択を迫られることは辛すぎます。

 明日(4日)に高知医療センターの担当医師との面談があります。そこで医師からの病状説明があり、「究極の選択」を迫られますね。

 母の足の回復は思わしくなく、転院先に医療+リハビリテーションできる病院を複数希望を出していましたが、すべて断られました。理由は母が高齢(96歳)であり、身体機能が低下し回復の見込みがないからというものでした。

医療センター側は「療養型病院」への転院をすすめています。でもそこへ入院すれば母死ぬまで出てこれません。コロナ禍で1度も面会出来ないことになります。昨年逝去した叔母2人はそうした形態でした。

もしくは自宅へ引き取り、訪問診療、訪問介護、訪問リハビリを受けながら「看取り」をするやり方。今までより介護負担が更に増えます。完全在宅勤務で母の介護しながらオンラインで仕事する体制ですね。

私自身のわがままはそれをしたいと思いますが、家内の負担も過重になるので思案しています。

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2022.04.02

二葉町自主防災会意見交換会

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2022年3月31日に下知コミュニティセンターにて、二葉町自主防災会第一回意見交換会が開催されました。その報告です。

 雨のなか15人が参加しました。年度末で月末なので数人から欠席の連絡がありました。

 まずはSOSカードのセットアップ作業をしました。SOSカードを透明なカードケースに入れ、それにストラップをくっつけます。それでこしらえた下知SOSカードを10組1袋に入れる作業です。ただそれだけのことですが、40分ぐらいかかりました。
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 PWJさんのご支援で、町内会加盟の全世帯の町民に配布が可能になりました。作業の後は意見交換しました。多様な意見が出ました。

「会合に出てこれない人もいます。ラインやZOOM会議を防災会でもやったらどうか」

「昨今高齢者でもスマホの利用者が増えています。スマホ教室をやったらどうか。」

「下知コミュニュティセンターにWi-Fi機能と充電器を構えるべきだ。」

「それぞれの得意技で、できることをやりましょう。」
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 靴底消毒、検温名簿もきちんと作成しました。3月24日に浦戸の防災倉庫から拠出された飲料水を参加者に持ち帰っていただきました。

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2022.04.01

二葉町防災世帯調査の必要性について

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 高知新聞コラボ販売所通信というチラシが高知新聞の折り込みに入っていました。これは毎日の新聞宅配という地域密着勝ち動をしている新聞販売所と地域の情報に1番詳しい民生委員とのコラボ企画です。「地域見守り活動 地域の顔 民生委員さんと共に」とあります。

 二葉町の代表者は民生委員の荒木三芳さん(二葉町町内会・自主防災会副会長)です。「次世代へ繋ぐ防災活動 顔と心をつなげる地道な活動」ということで荒木さんのコメントが掲載されています。

 荒木さんは二葉町内は全域が海抜0メートルで軟弱地盤地帯。自然の高台は皆無。高齢化比率も高い。その中で二葉町独自の情報収集活動は効果的であったと言われています。

「二葉町町内会は独居の高齢者を中心に個人情報を集めています。何らかの理由で亡くなられた際に行政側でも連絡が取りようのないケースもあるのですが、そんな時に二葉町の個人情報が役立ちます。」

「もちろん本人にしっかりと説明をし、同意を得たうえで集めたものですが、許可なく行政などに提供することなどありませんし、二葉町独自で取り組んでいるもので、きちんとした管理のもと厳重に保管しております。」

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