酒文化について考える
昔から各地域にお酒はあり、大人たちの楽しみとして愛好されてきました。一方でイスラム教ではお酒は禁止になっています。酒文化は普遍性があるようでないようです。
私が正直嫌だなと思う高知のイベントは「土佐のお客」とかいう酒飲み文化奨励のイベント。今はコロナ禍で小規模にさ¥開催されましたが、コロナ以前では、高知市中央公園やアーケード商店街でも「臨時宴席」が設置され、街中宴会場化していました。
私見ですが「おきゃく」というのは、各人の家の中での宴会。それをわざわざ白昼に街の中心街へ「臨時宴席」をこしらえ、開催すべきとは思いません。各人が家の中でそれぞれやればいいことです。
宗教的な理由がなくてもお酒が飲めない人は多数います。
まず生理的にアルコール飲料を受け付けない人。少なからずいます。また車の運転をされる人は乗る前にお酒は飲めません。飲んだら厳罰をくらいます。20歳以下の年少者は飲酒は禁止です。となると街中の「臨時宴席」でお酒の飲める人は少数派という事になりますね。
それも「文化」と言い張るなら、お酒の飲めない人たちとの共存を図るべきではないかと思いますね。
お茶をたてるコーナーや、お菓子を食べるコーナーがあったらいいと思います。それでしたら車の運転する人も、お酒の苦手な人も、子供たちも楽しめます。そうした広がりを持たせるべきであると思いますね。
かくいう私ですが、母(96歳)が入院した1月14日以降は家でも宴席でも飲酒は一切していません。母は超高齢者ですし、「もしも」の事態の時に飲酒していたらすぐには駆け付けることができません。
「べろべろの神様」大きなひろがりのあるなかでの代表者ではありません。もうすこし皆が(お酒を飲める人も、飲めない人も)楽しめるイベントになればいいなと思います。
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