11月の終わりに考えたこと
11月28日の出張先でのゼンリンのパンクはショックでした。たまたま電力ビルの敷地内であり、関係会社の人に親切にしていただき、JAFの車屋さんにも親切にしていただいて助かりました。
いつのころからなのか?車にスペアタイヤがなくなりました。なくなった理由がわかりません。コストいダウンだとすれば安全性軽視です。おかしいと心底思います。
なにも可にも医コストダウンは間違いです。「安全が第1」という考え方で生活します。
11月28日の出張先でのゼンリンのパンクはショックでした。たまたま電力ビルの敷地内であり、関係会社の人に親切にしていただき、JAFの車屋さんにも親切にしていただいて助かりました。
いつのころからなのか?車にスペアタイヤがなくなりました。なくなった理由がわかりません。コストいダウンだとすれば安全性軽視です。おかしいと心底思います。
なにも可にも医コストダウンは間違いです。「安全が第1」という考え方で生活します。
2022年11月29日ですが、地域の小学校である昭和小学校に依頼され、下知地区減災連絡会のメンバー4人と市役所職員2人が手分けして工区の地域御意図に津波避難ビル巡りをしました。
下校時に児童たちが通学路にある津波避難ビルを巡るという行事です。実際にどんなところか児童に体験していただきます。生憎の雨で蒸し暑く、児童は重たいランドセルを背負い、傘さして屋外の階段を登りですから大変でした。
子供たちは熱心い説明を聴講していただきました。行け今回で葉「下知地区が大変なことがわかりました。世界にそれを伝えて支援を受けたいです。」と発言される頼もしい児童がいました。
児童8人に対して説明しました。写真はインドつの先生に撮影を依頼しました。
2022年11月28日は香川と池田を巡回しました。
高速道路を走り、高松市内を数か所回り、まんのう町へ行きました。
その後三好市にいきました。用事が済んでさあ帰ろうかと思いきや左側前輪がパンクしていました。
電力会社ビルの敷地内。最近の車はスペアタイヤがありません。またどこに穴か開いてるのか素人にはわかりません。
JAFに来ていただきました。応急措置していただきました。
プロでもどこに穴が開いているのかなかなか見つけられませんでした。
中性洗剤をタイヤに塗り付けてもわかりません。電動空気入れでタイヤに空気を入れたらようやく「漏れ箇所」を発見しました。タイヤの溝の谷間でした。
原因はは不明です。応急措置はJAFnお会員(1982年以来40年目)なので無料でした。来ていただいたJAFの車屋さんに感謝です。
高速道路は走行しないほうがいいと言われ、1時間のところが2時間半戻るのにかかりました。やれやれです。やはりスペアタイヤは必要です。
日刊スポーツ 2022年11月24日号の首藤正徳氏のコラム「番狂わせは運だけでは起きない」「準備が重要」という記事には同意します。
2022年のサッカーW杯カタール大会では、サウジアラビアが優勝2回の強豪国のアルゼンチンを2-1で逆転勝ちし、日本が優勝4回のドイツを2-1d瀬逆転勝ちしました。
実力(攻撃・守備・体力・経験値)などで決まるラグビーと異なり、サッカーは、「まぐれ」で勝つ場合もあります。
ですが今回のW杯でのサウジアラビアと日本の強豪チームに対する大逆転劇は、関係者の周到な準備の賜物でしょう。ですのでサッカーは面白いですね。
日本経済新聞2022年11月12日号の記事には驚きました。
「セブン、脱「総合小売り」加速」
「そごう・西武を米ファンドに売却」
「コンビニ軸に戦略転換」
「黄昏の流通2強時代」と見出しはあります。驚きました。
流通業の歴史を振り返りますと、都市化が進みますと都市部に百貨店が出現し、市民社会をリードしました。沿線鉄道の終点が百貨店となり反英のれきしがあります。
スーパーは世界大恐慌時に出現し、世界中に流行しました。かつてに日本ではGMSという(総合スーパー)が覇権を争い、ダイエー、ニチイ、ジャスコ、イトウヨーカ堂などが全国展開していました。
都市文化の仙頭争いをしていましたそごう、西武百貨店が表部隊から去りました。ダイエーやマイカルも退場し、1990年だおから2000年にかけてセブンとイオンが流通業のを取り仕切った時代がありました。
そしていま見出しのような状態に激変しました。なんか今までじょうしきとされたビジネスモデルが激変しています。
子供時代に両親に百貨店へ連れて行ったもらい、食堂でお子様ランチを食べ、屋上の遊園地で遊びました。同時期に地域の降雪市場がスーパーになり、天パが増え、商店街が変化していきました。
車社会が郊外型大型量販店が出来上がり、再編されました・さて小売業は同再編されていくのか注目ですね。
11月24日・25日はメーカーと共同して同行訪問しました。24日は母(97歳)も身支度をデイケアへ送り出し、四万十町と須崎市の得意先を巡回し、担当者と意見降下が出来ました。デイケアから母が戻りますと2階へおんぶして上げ、トイレ介助し、着替えさせてっ出かけました。メーカー担当者と食事をし意見交換しました。19時半に戻り、母のオムツ交換し寝かしつけました。
25日はいつもの朝のルーチンをして母をおんぶして下へ下ろし、車いすに載せました。ショートスティへの送り出しは息子に依頼し出かけました。メーカー担当者と得意先を20か所巡回しました。17時前に戻り、近所の堀川浮き桟橋を1周歩きました。1日車の運転をしますと体調が悪くなりますね。浮桟橋のウォーキングは体調維持ができます。
母の在宅介護、在宅勤務と営業活動、地域防災活動も「どうにかこうにか」こなせるようになりました。60%の稼働が80%の稼働になります。
日本VSドイツ戦 前半
2022年11月23日の22時から。W杯カタール大会1次リーグ日本VSドイツ戦が行われます。地上波で中継するNHKは昼間から「特別番組」を放映していました。
。若い選手たちがどこまで力が出せるのか。かつて史上最強の日本代表と言われた2006年のドイツ大会では3戦全敗でした。期待するとこけるもの。
今日は休日。母(97歳)の在宅介護しながら、フランスVSオーストラリア戦、クリアチアVSモロッコ戦をTV観戦しました。3試合目です。前の2試合はレベルの高い試合でした。日本の試合はどうなのか。
先発メンバーが公表されました。守田が出ていないのが気になります。富安もです。守備に不安を感じます。この試合は日本は先取点取れば引き分け.取られたら負けですね。どこまで日本の実力が強豪国に通用するのか注目です。
ドーハの歓喜となるのか、またドーハの悲劇となるのか。
試合は一進一退。ドイツは左サイドから攻めます。そこで日本の逆襲の速攻も出ています.20分までは対等に戦っています。前半30分頃は日本は押し込められています。ドイツは攻守の切り替えが早い。
問題の左サイドを破られ、PKを取られドイツは先取点。0-1になりました。前半は0-1でドイツリードで終了。
日本VSドイツ戦 後半
0-1とリードされて前半が終了。もっと前からプレスをかけて前から攻撃して得点を取らないといけない。押し込まれるだけではサッカーでは勝てません。前半日本はオフサイドになりましたが、あの攻撃を再開しないと勝機はない。
後半少し日本はハイプレスを始めました。選手交代をして日本は攻撃に。しかし得点は出来ない。後半30分日本が同点に。
浅野が決勝点を決めて2-1の逆転勝利。素晴らしい日本の勝利です。
2022年11月22日ですが山間部の得意先を年末の挨拶で車で巡回しました。例年なら寒いのですが、暖かい。本川でも15度ありましたから
ただ大橋ダム湖は随分水位が下がっています。生憎紅葉は1週間ぐらい前に終わった感じですね。
母(97歳)をデイケアに送り出した後にスタート。いの町から本川地区から439(国道)を通り、池川から田村、名野川への得意先を訪問しました。出発が遅めでしたので12時50分ごろに長者の農村レストランだんだんの里へ来ました。ランチを注文しました。
長者のランドマークの大銀杏(樹齢600年とか)の紅葉(というか黄色葉)に期待していましたが、台風14号の強風で
銀杏の葉っぱが飛び散り、地元の人に聞きますと4トントラックで葉を運搬した。とのことです。
だんだんの里のオーナーの大野さんに聞きますと、「5日のキャンドルナイトは3年ぶりなので大勢の人が来てくれました。今年はだんだんの里開店10年目。何とかお祝いをしたいと思います。」と言われました。
今日は屋外テーブル席も寒くなく気持ちが良かったです。
11月1日に高知市と仁淀川町の避難協定が結ばれました。10年越しの下知と長者の住民同士の相互交流が実を結びました。喜ばしいことです。
来年はいろんな意味でも長者との交流はより大事なことになると思います。仁淀川町各地を巡回しました。お昼な長者地区のだんだんの里でランチしました。長者は久しぶりでした。まったりできますね。
帰りは国道33号線を走行し、越知町と佐川町、いの町の得意先を訪問しながら戻りました。」母がデイケアから戻る前に帰着出来ました。
母をおんぶラックで2階へ背負いあげました。1日が終わりました。
カタールでサッカーw杯がはじまりました。オールド サッカーファンにとっては、感激です。
1968年のメキシコ五輪での日本代表の大活躍で触発されました。遅まきながら中学三年生でサッカーボールを蹴りはじめました。
釜本、杉山、宮本、小城などが活躍し、銅メダルを獲得しました。もう54年前になりました。
それから長い低迷時期が続きましました。1996年のアトランタ五輪まで28年間五輪に出られせんでした。
w杯も1993年に本大会出場まであと一歩に迫り、1997年に本大会出場ができました。今や五輪やw杯も常連になりました。
つぎなる目標は本大会で優勝することです。
1998年当時の日本代表Tシャツを着用してテレビ観戦します。
2022年の11月19日・20日の(土日)と23日(水)の祝日は。朝から晩まで母(97歳)の在宅介護です。介護施設や医療機関はお休みなので、24時間在宅介護しなければなりません。
朝は母は午前7時過ぎに起床。その30分前から起こして覚醒させます。ベットから起こして歩行介助してトイレに行きます。トイレは一度座らせて、私が母を抱え上げて、立たせます。家内が座り込んでパットを回収します。再び便器に座らせます。しばらくして便と尿が出たら、もう1度立たせます。家内が座り込んで母のお尻を拭きパットをいれてオムツをし、ズボンを上げます。
支度が出来たらもう1度蓋をした便器に母を座らせて、方向を変え、私が母の両脇を抱え立たせます。歩行介助して茶の間の椅子に座らせます。そしてレンジで温めたペースト食を食べさせます。食事介助です。小さなスプーンでゆっくり母の口に運びます。飲み込みを確認します。終わったら歯磨きとスポンジブラシもつかいます。
最近は30分くらいで食事ができるようになりました。薬も飲みます。食後の運動は「楽々歩き」で座った状態で母の足を動かす器具を1時間程度します。終われば座り直しします。歩行介助の練習を10分程度します。理学療法士のような線民家ではないので長い時間はできません。おすこうするうちに昼食の時間になります。
お粥とペースト食2品をレンジで温めます。水はとろみの粉と水を陶器のカップに入れよくかきませます。水もレンジで温めます。昼食もゆっくり時間をかけて食事介助します。終わったら歯磨きとスポンジブラシもつかいます。その後は昼寝をさせます。
昼寝を終えたら、母を起こして歩行介助して茶の間の椅子に座らせます。おむつをみて便意があるようならトイレへ連れて行き座らせます。なければおやつです。おやつはカロリーメイトです。
おやつと夕食の間は少し運動します。トイレ介助します。そうこうするうちのに夕食の時間になります。母の夕食を食べさせながら、自分尾夕食も食べます。午後8時半をめどに母を就寝させます。
お休みの在宅介護はそんな時間割ですね。案外せわしいものです。
週に3回通所しているデイケア施設で昨日の17日に誕生会をしていただきました。今日写真をいただきました。
施設にある着物を着用しています。送迎のスタッフの人によれば、昨日は元気でよく笑い、よく話していたそうです。今日はお疲れモードで目を開けなかったとか。良かったです。
先日何気なくテレビを射見ていましたら「スマホ認知症」の特集をやtぅていました。
地真帆認知症の原因は「スマホからの過剰な情報収集です。
脳の前頭前野が処理出来ないほどの情報が毎日入ってくることで、脳の容量がパンクしてしまう。」ということらしい。
ネットでも記事が散見されますね。
https://www.mcsg.co.jp/kentatsu/dementia/1332
(スマホ認知症とは?)
確かに電車へ乗ってもスマホ眺めている人が多い。スマホの所有者の多くは「寸暇を惜しんで」スマホを見ています。トイレの中でも、寝る前にも、食事中でさえスマホに常にさわっています。でもその行為が「スマホ認知症」になると識者は警告しています。
「何気なく見ている動画やニュースでも、情報を処理するために脳は活発に働いているのです。本来人間の脳は、情報を取り入れ、処理し、外に吐き出すまでが一連の流れとなっています。
「何気なく」取り入れてしまうと、どこにも吐き出されず蓄積されることが多いです。情報が溜まっていくことで、容量オーバーになってしまうことも頷けます。
脳の疲弊が深刻化すると、新たな情報を取り込む機能や情報を思い出す機能が低下してしまいます。さらに、スマホのブルーライトも人体にとって悪影響を及ぼします。
就寝前にブルーライトを多量に浴びることで睡眠ホルモンの分泌量が減少します。その結果、寝つきが悪くなったり途中で覚醒したりと、睡眠不足の原因に繋がります。
睡眠不足は情報処理能力を低下させ、ますます物忘れに拍車をかけているのです。」と説明されています。
スウェーデンの精神科医のアンデッシュ・ハンセン氏は「スマホ脳」「ストレス脳」の著作の中で、スマホの過剰な愛用による弊害に警鐘していました。
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2021/07/post-0b3176.html
(スマホ脳を読んで)
ハンセン氏はこう言います。「スマホ脳」より
「「自動車や電気やスマホは、あなたや私にとって自然の存在だ。それらがない世界なんて、今では考えられない。しかし今のこの社会は、人間の歴史のほんの一瞬にすぎない。
地球上に現れてから99・9%の時間を、人間は狩猟と採集をして暮らしてきた。私たちの脳は、今でも当時の生活様式に最適化されている。
脳はこの1万年間変化していない。 それが現実なのだ。生物学的に見ると、あなたの脳はまだサバンナで暮らしている。」(P10)
私の場合は「海の散帆」(セーリング)が1番の精神的な癒しです。しか市2022年6月15日から「要介護5になった97歳のイ認知症の母」の在宅介護を家内と2人でするようになったから、海へ行くことが難しくなりました。
それで毎日の午前5時過ぎから6時半ごろまで、だらだらと近所を@「リハビリ・ウォーキング」しています。それで頭を休ませています。調子は確かに良くなりました。
何事も「依存症」になってはいけないということです。」
1925年(大正14年)11月17日今れの母・春子です。97歳になりました。昨年は通所していたデイサービスで誕生会をしてくれました。今年は要介護5で、しかも誤嚥性肺炎の後遺症で摂食障害を起こしているので、ペースト食しか食べれません。
でも元気にデイケアに行きました。元気が1番です。STさんに聞きますと「お菓子ならシュークリームの中身やショートケーキを少量、プリンやゼリーは大丈夫とか。家内に任せてお菓子屋で買って来てもらい、ささやかな誕生会をしてあげたいです。
写真は言語聴覚士(ST)の筒井佳代さんとの2ショット写真。デイケアへ行く前の母の写真です。今朝も快食快便でお元気です。
デイケアで世話になっている松村さんとの2ショット写真もあります。デイケアには元気で行きました。
2022年11月15日ですが高知新聞22面は、1面「高知地震新聞」です。今回は「避難所は住民がつくる」「各地で自治模索」というテーマで、高知市鏡地区と高岡郡中土佐町の事例が主体。
高知市下知地区で10月30日に行われました「二葉町・若松町総合防災訓練」は、簡潔な記述に終わりました。コロナ過でも何故訓練をしたのか?その感染症対策の詳細は?とか「SOSカード」の配布のためには「二葉町防災世帯つ様さをしたうえでしていますが、そのあたりの深堀はないので、読者は何のことか理解できないでしょう。
前半の鏡地区の訓練では、避難者名簿の記述と、避難者カードの記述もしているようですが、その作業を簡素化する(コロナ対策もあり0¥)方法が、あらかじめ必要事項を書きこんで持参する「SOSカード」えす。病歴、介護歴や、飲んでいる薬や必要な連絡先もあらかじめ記入しているものを射九jんr年時に持参する方法です。登録班の作業を軽減し、時間を短縮しました。密を避けることもできました。
また市役所は作成した避難所マニュアルもありますが、あくまで「参考資料」に過ぎません。鏡地区のマニュアルも120Pあるそうですが、あらかじめ読み込んで理解しないと、当日だけ訓練に参加して「にわか」にやれるはずはないと思います。
こちらも二葉町・若松町総合防災訓練では、活動する班を、総務・登録・衛生・情報伝達。食料調達・遊軍班に分け、スタッフを配置し、それぞれリーダー。副リーダーを決め、スタッフは各班で訓練参加者からりくるーちしmなす。
各班の必要備品はクリヤーケースに入れてあり、各班の「指示書」も入れてあります。A41枚の指示書で行動します。だれがリーダーになっても出来るやり方です。「訓練の為の訓練」は無意味であり、下知ではもはやその段階ではありません。
各地の訓練の様子が詳細に理解できて良かったです。自分たちの構築してきたやり方が間違いないと確信しました。それだけでも確認作業が出来て良かったです。
2022年11月13日(日曜)に高知市二葉町の下知コミュニュティセンターにて、牧紀男さん(京都大学防災研究所 社会防災研究部門 都市防災計画研究分野教授)の講演会を聴講しました。テーマは「事前復興のすすめ 南海トラフ地震後も地域が生き残るために」です。
「事前復興」という言葉は,下知地区減災連絡会が2017年に策定した「下知地区防災計画」のなかの概念として提唱し、注目はされましたが、残念ながら議論は熟成することなく、「ほたくられて」いました。
https://www.city.kochi.kochi.jp/soshiki/12/sitasirutikubousaikeikaku.html
(高知市ホームページ「下知地区防災計画」全内容掲載)
牧先生の名刺に表記されている「社会防災」「都市防災」という分野を今後の地域での減災活動を意識し、受際に「下知まちづくり協議会」を近い将来発足させないといけないと強く思いました。
講演内容な被災地の分析や総括、被災地の成功事例、復興ビジョン、事前復興計画の意義目的や策定の手順など広範にわたっていました。到底すべてを理解することはできません。ですので、特に印象に残ったことを忘れないうち書き留めました。言葉の断片ですが、大事な作業です。
◎東日本大震災は阪神・淡路大震災の地震エネルギーは1000倍でした。犠牲者は東日本大震災は阪神大震災の3倍でした。犠牲者が地震エネルギーに正比例するものではない。
◎地域を津波から守る方策として第1堤防は防潮堤、第2堤防(2線堤)は盛り土した道路。祖霊内の浸水を2M以内に抑えること。
◎高速道路は盛り土して作られている。東北でもインター近くを盛り土し宅地造成した課題用地をこしらえました。
◎高知市の場合は浸水想定地域が広大。被災後そっくり移転することは不可能。現状地を盛り土して再生するしかない。かなり時間がかかる。
◎仮設住宅が地域外にある場合、多数の人達は地域が復興した後も戻らない。石巻市雄勝町。
◎被災地域から転出した人たちは、「生活復興感」が高い。
◎大規模災害から復興に関する法律はいくつか新設されている。
◎復興計画のジレンマがある。
◎復興が遅れると被災地から人口がより流失する。
◎良い復興計画を作成するためには時間がかかる。
◎災害前から復興について考えておく 事前復興の取り組みは必要。
課題は多く高知県黒潮町や、徳島県美波町由岐地区のように「事前復興計画」が樹眠各位に「見える化」し地域の防災減災の目標過大になるように、下市地区でもそうありたいと思います。
しかし「言うは易し」であり、なかなか道筋は困難ですが、やるしかないと思います。しかも私個人の状況ですが、母(96歳)が要介護5になり、在宅介護になりました。口で言うほど「要支援者個別支援」は難しいことを感じて追います。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/cat76028480/index.html
きばらずに着実に「下知事前復興計画」を推進していきたいと思います。
今までの地域防災活動は「命を守る」「命をつなぐ」活動として、避難訓練や避難所運営訓練を積み重ねてきました。「住民主体の訓練」ですが、熟度はそれなりに上がってきたと自負はしています。
10月30日に開催した「二葉町・若松町総合防災訓練」は住民レベルとすればかなりのレベルになったと思います。次の段階は「生活を再建する」(事前復興まちづくり計画)が必要です。
2015年から17年まで3か年継続した下知地区防災計画策定作業でしたb。1年目2年目は「事前復興計画」の概念づくり、理念づくりを参加者各位で魏リンしてきました。
3年目は「生活を再建する」理念で活動を組み立てるべきでしたが、そのことに「失敗し」、「揺れ対策」に特化し最後の1年間を空費したことが悔やまれます。それだけ知識がなかったし、遠い昔青年会議所時代に取り組んでいた「都市再開発」の理念を「下知地区防災計画」に盛り込めませんでした。
http://kenchan-radio.sakura.ne.jp/dokodemo/city5/index.html
(快適な都市づくりをめざして 都市再開発セミナー)
やり残した「課題」を思い出し、再構築して「下知事前復興まちづくり計画」を再構築したいと思います。
高知新聞2022年11月12日号の記事「高知で1番歩く75歳」という記事には驚きました。1番歩く人は宿毛市在住の浜田頼之さん(75歳)です。
浜田さんは私同様に「台風以外は毎日}(私の場合は雷雨時は中止します。)ですが、すごいのは1日20キロ前後歩いていることです。
私の場合は11月13日は雨でしたので、1時間で7300歩ぐらいで5・3キロぐらいです。ざっとその4倍ですから1日に4時間は歩いていることになりますね。
今年の1月2日に「浦戸湾1周いぉーキング」を決意し歩きました。26キロありました。6時間かかりました。途中坂本龍馬記念館や食事休憩しましたので約5時間で26キロですね。
浜田さんも長年腰痛(椎間板ヘルニア)に苦しまれてこられたとか。また宿毛市自主防災会連絡協議会会長もされておられています。共通するところもありますね。
違いは「私は競争心はありません」せいぜい1日に歩ける時間は1時間半程度ですから。母の在宅介護の為と腰痛対策のために歩いています。
でも「偉大な先駆者」がおられるので励みになりますね。
2022年11月13日(日曜)ですが、中宝永町自主防災会(岡林会長)の津波・浸水を想定した避難訓練が開催されました。参加者は城見公園に10時に集合、徒歩で近くの津波避難ビルであるセントラル宝永店6階駐車場(4612人収容可能)へ行きました。
私は城見公園と常盤公園を間違え、常盤公園へ行っておりました。セントラル駐車場6階で合流しました。関係者10人が雨の中参加していました。下知交番の柏原所長も参加されました。下知地区の防災アドバーサーの西田政雄さんも参加されました。
そこには高知市が供与した防災倉庫が2つあり、セントラル宝永店の中西店長が防災倉庫の鍵を開錠し、収納している非常用トイレと防寒用アルミシートの説明をされました。
収納されている非常用トイレセットの組み立てなどをしました。袋や凝固剤。脱臭袋、屋外用組み立てトイレ用テントなどを参加者で確認しました。
確認したところ防災倉庫に収納されているのは、津波避難ビル収容者分(1㎡に1人として)の4612セット分の非常用トイレセットとアルミシートであり、飲料水や食材などはありません。
南海トラフ地震の下知地区のような低地の市街地は水没し、長期浸水します。地震発災直後には救助隊は来ません。早くて4日目です。96時間どう命を繋ぐのか、地域で考える必要があります。
2022年11月12日の早朝。新葛島橋を渡らず、高須方面へ100M行ったところに「命山」があります。葛島2丁目で国道32号線北面にあります。
急こう配の階段を登りますと神社の鳥居があります。地元防災会の防災倉庫もありました。草ぼうぼうの頂上には100人程度は滞在できそうです。
何かの記録なのかは定かではありませんが(たぶん地元紙の記事)、過去に高知に何回も起きている南海地震釣津波時に、周辺住民がこの小山に上り助かったとのことでした。
寒暖途中に10M、15Mと海抜表示があり、頂上は海抜18M程度でしょうか。頂上には太陽光発電の照明もなく暗い時間帯に早朝の散歩時にタジ寝たため、ヘッドランプの照明がなければ足元が見えません。
平野の中の小山で階段で登り、神社があるのは、2015年に訪問しました宮城県名取市閖上(ゆりあげ)にある日和山に似ています。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/44-b965.html
閖上の日和山の様に整備されていません。どちらかというと香南市夜須町坪井地区にある観音山に風情に似ていますね。こちらも南海地震時(江戸時代の)周辺住民が避難してきたという碑が建っています。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2022/04/post-d8b389.html
高知平野には珍しい自然地形の高台。照明をつけたり、頂上付近も整備し、溶離多くの市民が津波襲来時に駆け込むように整備すべきでしょう。
ヘッドランプの照明がなければ、途中足元が不確かな個所もあり、大勢が一度に駆け上がれば危険ですね。そう思いました。
2022年11月10日に母(96歳)は三泊四日のショートスティから戻りました。上におんぶして運び、おむつを見ますと下痢便が出ていました。
家内と一緒にトイレ誘導し便器に座らせました。少しずつ下痢便が出て終わりません。1時間座りました。
ようやく出て着替をして、手をアルコール除菌して夕食(全てペースト食)をたべさせましたが、むせこみが酷く食べることができません。
下痢便による脱水症状が心配なのでOS1(経口補水液)をなんとか摂食しました。早寝をしました。
今朝は母は快調でした。起床時に目もぱっちりでした。介護ベッドから起こし、トイレまで歩行介助しましたが、足が前に出ていました。
トイレでは普通便が出ました。下痢便ではありません。
食事もおかゆとペースト食を完食しました。デザートの高カロリーのアイソカルゼリーも食べて薬を飲みました。
その後は歯みがきとスポンジブラシでの口腔ケアと、吸い出しをしました。複を着替ておんぶラックで1階に降ろし、車椅子に座りました。
写真はデイケアの送迎を待っています。9時半に迎えに来てくれました。元気に母は行きました。
夕方は元気に戻りました。一安心です。
ショートステイで疲れて戻ることは本末転倒です。1度は翌日のデイケアを休む羽目になりましたから。
ショートステイをきちんと特養がしないので施設を変えてくれとケアマネさんにはいいました。(要するに母とはそのcと先の特養とは相性が悪い.4回のうち3回は体調不良になりますから。)
家内は母がショートスティへ行く間(今回は7日から10日まで)東京の娘のところへ行き、一緒にお気に入りのロックバンドのコンサートへ行き羽を伸ばしていました。(わたしは留守番していました。)
ですが家内が帰る日と母がショートから帰る日とが同じ日でした。帰ったとたん母の介助です。トイレ介助医に下痢が治まらないので1時間半かかりました。くたくたになりました。
ショートステイへ行って疲れ果てるとはおかしい。相性があわないので変更をケアマネさんにお願いしています。簡単な問題ではないので、すぐには解決はできないでしょうが。
2022年11月9日ですが、下知コミュニュティ・センターで「2022年二葉町・若松町総合防災訓練・反省会」が開催されました。関係者22人が主出席しました。
訓練の全体的な班や個人、個別事業や目的事業について、多様な意見が出されました。出席者全員が発言しました。議論した内容は以下です。詳細報後日します。
①(訓練講評)
二葉町町内会会長・高知市地域防災推進課・下知地区減災連絡会・高知県警察下知交番・
ピースウィンズ・ジャパン・(HSハマート岡林さんからはコメント有。(後述)
②(各班ごとの気づきや 改善点、反省点)
総務班・登録班・衛生班・食料調達班・情報伝達班
③(事業内容についてのきづきや反省点)
国際信号旗掲揚・防災告知放送・地震マン・津波マン・検温のやり方・靴底消毒
防災講話4項目(すずめ家族会会長入交さん・ハマート岡林さん・下知交番柏原さん・PWJ橋本さん
ダンボールベット組み立て訓練・ミキサー粥試食・アルファ米五目試食・コーヒーターム・お菓子(防災炊き出し訓練)
防災紙芝居朗読(澤本恵子さん)
項目別の反省・点検事項について
①感染症対策について
マスク着用・ソーシャルディスタンス・手指消毒・検温体制・靴底消毒
パーテーション・フェイスシールド。使い捨て手袋・ジェル消毒液
②要支援者個別避難計画
SOSカードの着用・すずめ共同作業所ご父兄の参加・おんぶラックでの参加。
③参加者の広がりと広報活動
ポスター・回覧板・口コミSNS・広報下知減災・防災放送(聞いて参加して人もいました。
➃報告事項 高知市と仁淀川町との広域避難の締結
11月1日に高知市役所にて仁淀川町長と高知市長が締結しました。当日高木妙市議も立ち会って頂きました。また直後の「長者キャンドルナイト」には、下市地区から荒木さん、岡林さん、お母様、高木さんご夫妻も出席され、絆をつないでいただきました。
とりあえずの報告です。出された意見は書き留めましたが、「整理中」
私個人の特性(というか弱点)として「風呂敷を広げることは得意ですが、折りたたむことはとても苦手」です。苦手ではありますが、とても大事な意見が複数出されましたので、わすれないうちにまとめてみます。
高知警察署の下知交番の警察官が訪問され「下知・11月号」を置いて行かれたようです。犯罪防止の為のお知らせが3つ表示されています。
「犯罪被害給付制度をご存知ですか?」
「児童虐待を防ごう、いち早く!」
「SNS等の利用に起因する青少年の犯罪被害防止」というテーマです。
犯罪被害給付制度は知りませんでした。参考になりました。
児童虐待の問題は、社会問題です。おかしいなと思えば各自治体窓口や児童相談所に連絡し、緊急性があるバイは警察へも通報するように言われています。報道される事例は、異常な虐待事例ですが、児童は地域のいたからですから、地域としても「見守り」も必要ですね。
SNSと青少年の犯罪防止は、とても大きな社会問題でdす。周りの人に孫段できない事柄をSNSで知り合った人を簡単に信用し、青少年が犯罪に巻き込まれる事例が後を絶ちません。
地域の宝物である子供たちを守る仕組み作りも必要ですね。やはり親や学校がSNSを単に有害扱いするだけでなく、きちんと危険性を教える必要性があります。
母(96歳)の在宅介護の「おかげ」で毎日日にち「時間切れ」が続きます。とくに会社の休日の土日は介護施設もお休みですので「48時間在宅介護」になります。休日が亡くなり、朝から晩まで自宅から出かけることなく母と一緒です。
母が施設へ入所していれば、介護はプロの皆様がおこなtぅていただけますので、身体的には楽ではありますが、身内でも面談は出来ません。未だにコロナ厳戒態勢が継続中だからです。
月曜日の7日から10日まで家内が東京の親戚筋へ行くのでショートスティに母に行っていただきました。よく「お休み出来ていいでしょう」と言われますが、6月15日の在宅介護のスタート以来、毎日日にちが母中心の在宅介護の日にでしたので、いなくなれば「お婆さんロス」状態。んあか調子が鎧しくない。聞けば家内もそうだとか。
未知なる体験をしていますので、わからないことばかりエす。でもいろいろと在宅介護された「人生の先輩」たちから暖かいアドバイスをいただいています。介護には個性があり事例は異なりますが、孤立感はなくなりました。
11月7日の「二葉町・若松町総合防災訓練」は無事に終わりましたが、主催のの業務はそれでお終いではありません。今日の夕方は「反省会」です。事後対策をしないと次に進めないからです。精神的にはきついですが、乗り切るしかありませんね。
いつもは土日を挟み、金曜から月曜の間でショートスティ(お泊り介護)お願いしていますが、家内が上京する用事が今週ありますのでそのために11月7日(月曜日)から10日(木曜日)までお願いしました。
2022年11月7日は母(96歳)は目覚めもよく、起床後直ぐにトイレへ連れて行きました。大きな普通便が出ました。朝食のペースト食も補助食品も全部食べました。薬も飲ませ、着替えておんぶラックで下へ下ろし待機しています。
生憎の雨になりましたが、母は元気に行きました。その合間に溜まっていた業 務を片付けます。土日の休みは48時間在宅介護なので殆どなにもできませんでしたので。
4つのうち2つ片付けました。あとの2つはすぐにやります。ただ母の在宅介護に気持ちと体が慣れているので、急に母がいなくなると、どっと疲れが出てかえって能率が上がらないですね。どうやら気持ちの切り替えが私は下手なようです。
2022年10月30日(日曜)に「二葉町若松町総合防災訓練」が行われました。周辺地域住民100人が参加しました。コロナ過での3年目の避難訓練であり、避難所運営訓練でした。
2019年の訓練から実施していますが、運営スタッフを6つの班に分けました。総務・登録・衛生・情報伝達・食料調達・遊軍です。クリヤーBOXの中に「指示書」と必要備品が入っています。
誰がその班の担当りーだーになっても、避難所を開設する場合の手引きと、必要備品、防災ベスト、衛生用品などが入っています。
各班指示書と当日のタイムスケジュール表を作成するのに8月から3回意見交換会を開催してきました。その都度出される意見をまとめ、ぞに次の会合に出し承認を受けたもので作成しています。
個人的な愚痴をいえば、6月15日から母(96歳9の在宅介護が始まったゆえに「時間の使い方」ががらりと変化し、対応できなくて苦慮したことも事実です。でも運営スタッフの皆様に支えられ、各人が前向きな動きをされたので2022年も「成功裏」に訓練を終えることが出来ました。
当日は7時に母を起床、トイレ介助しました。8時に自宅を出て8時半に運営スタッフの朝礼を行い、各班スタッフは散会し準備作業をしました。その間に自宅に戻り、母をおんぶして2階から下ろし、車いすで避難所会場を目指しました。
到着後母をおんぶラックで背負い4階まで階段昇降しました。きつかったです。つかれてもおんぶラックはそのまま休むことが出来ません。
お湯の沸かし方やアルファ米五目御飯の調理。当陸受付、防災講話、食j時タイム、コーヒーとお菓子、防災紙芝居の朗読も聴講しました。
あれこれありすぎてなかなかせいちがいまだにできyていません。
要支援者個別支援はなかなか難しい
母が本ものの要支援なった関係で、我が家でと入り組みました。しかし言葉より「現実が厳しく」思い知りました。申し少し体力と付け母をおんぶしtレ湯雄で4階までしょうこうできるようにならないと。説得力がないですね・。
私自身の課題も多い。
11月9日に運営スタッフの反省会をしますので、その場で多様な意見が出ることに期待したいです。
土曜日曜は会社は休日ですが、介護施設もお休みなので、私と家内は2人で48時間母を在宅介護しています。
母(96歳)が背もたれ無しで、介護ベッドに座っています。
「お座り」が出来ることに感動しました。体幹が少ししっかりしてきました。
お昼寝の後のおやつは、カロリーメイトのゼリーです。元気に完食しました。超高齢者はネガティブな存在だけではありません。母から励まされることもあります。
加齢と母(96歳)の在宅介護に手間暇に追われるせいで、「知的生産性」が低下して様に思います。「知的体力」というのでしょうか、最近低下を感じています。どういうことかと言いますと、仕事して在宅介護して、地域防災活動して、それに加え取材対応する。より報道関係者によりこちらの情報を提供することを行いたいのですが、その作業への「気力」が萎えてしまいできていません。それが悔しい。
パソコンで文字をうちましても「変換ミス」がやたら多い。それも自分では1度見直しているが、見落とし、ブログなどに投稿し公開されてから気付くことが多くなりました。老眼の進行もあるが、注意力も低下していますね。」「老化」なんでしょうか?
もっともわたしは 文章を書くことは嫌いではありません。毎日仕事で書いています。またブログとして「今日の出来事」を原則今日中に書いています。レポート文書や提案文章、質問に対する回答文も書いています。
土日は会社は休日ではありますが、介護施設はお休みですので、48時間かかの在宅介護です。休みがなくなりました。在宅介護がはじまxちうたのが6月15日。4か月半が過ぎました。15日で5か月目です。17日は母の97歳の誕生日です。
「在宅介護をしたくても出来ない」人たちが大多数です。出来るだけでも幸福です。確かに大変はタイへンではありますが、得難い喜びもあります。高齢の母に寄り添える喜びをかんじています。
11月1日に高知市と仁淀川町と避難協定が締結されました。260人の高知市民が「疎開」生活が出来ます。高知新聞の記事はべた記事ですがとても大きな出来事です。
私は母(96歳)の在宅介護(土日は介護施設はお休み。それで48時間在宅介護します。)。高知市民の1人としていきたいのです家内ません。
11月5日に仁淀川町長者で開催されます。3年ぶりの開催です。それは奇麗だし、食べ物もおいしいですから、可能な方は行かれてください。
2022年長者キャンドルナイトへ行かれませんか
11月1日に高知市と仁淀川町と避難協定が締結されました。260人の高知市民が「疎開」生活が出来ます。高知新聞の記事は部屋記事ですがとても大きな出来事です。
私は母(96歳)の在宅介護(土日は介護施設はお休み。それで48時間在宅介護します。)。高知市民の1にんとしていきたいのです家内ません。
11月5日に仁淀川町長者で開催されます。3年ぶりの開催です。それは奇麗だし、食べ物もおいしいですから、可能な方は行かれてください。
2016年のキャンドルナイトの様子です。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-7877.html
ナビで長者小学校としますとたどり着きます。そこが駐車場です。
10月24日に早朝のいつものリハビリウォーキングは高知駅前朱雄コースでした。普通にゆっくりと(じそく・3キロぐらい)でしたが。敷石につまずいては出に転倒しました。
とっさに右手をつきましたので、擦り傷程度ですみました。でもこの歩道は早朝から結構人に会います。高知駅へ行く人であるとか、犬の散歩であるとかいます。転び方によっては骨折する可能性があります。
道路管理者が多分国だろうと思い込み、国土交通省の土佐国道事務所長宛てにお手紙を書きました。
「土佐国道事務所御中
事務所所長様
いつも国道行政では高知県民としてお世話になっております。
どこの担当部署かわかりませんので、お手紙を書きました。
高知駅前ケーズ電機前の歩道の段差で転倒してしまいました。
2022年10月24日の午前5時半頃ですが、散歩していました私は、ケーズ電機前の歩道の段差に気がつかず、派手に転倒してしまいました。とっさに手をつきました。すり傷が出来ただけで問題はありません。
当時は夜明け前でした。街路灯はあり、わたしも懐中電灯を照らしながら普通に歩いていましたが、突然躓いて転倒したので動揺しました。
明るくなってから「現場」の写真を撮りました。添付します。
道路は万人が利用するものです。段差があってはならないと思います。私と同じように歩いていて、転びようが悪ければ、骨折などの大けがをする可能性があります。
可能であれば歩道の段差の是正を早めにお願いします。(写真を添付します) 2022年10月24日
フェイスブックでの私へのコメントで佐竹 泰美さんが「今日、この大雨の中、業者の方が修繕してましたよー。
と言われていました。
今朝歩いて確かめました。確かに段差は是正されていました。段差を削り、。凹んだ部位はアスファルトを流し込み、動力工具で打設し平らにしていまし
高知県土びく事務所の皆様ありがとうございました。安心して歩けます。
2022年11月2日付の高知新聞の最終面の「べた記事」ですが、「地震時高知市民に避難先」「仁淀川町2施設提供で協定」が掲載されていました。
高知市長と仁淀川町町長の2トップと副市長と副町長がうち揃い締結式をした大きなできごとであるのに写真もなくべた記事とはとても残念ですね。取材担当記者はその場だけで記事にしたんでしょう。深堀も現地調査も、関係者への取材もなしでは「まあこんなもんでしょう」
べた記事ではありますが高知市民にとりましては、とても大きな「朗報」であり、意義があることです。
一般論で言われていることですが、「l2想定で南海トラフ地震が起きれば 低地(海抜0から2M以下)の高知市の市街地は2800ヘクタールが南海トラフ地震で地盤が沈下し水没します。そこには13万人の市民が生活しています。未だに高知市から「どこのドライエリアで避難生活ができるのか」が回答がありません。
また3年ほど前に高知県では、南海トラフ地震で7・4万戸の住宅が必要とされています。しかし仮設住宅用地とみなし仮設で確保している住宅件数は2・3万戸です。11万人の高知県民が県内で避難生活ができないのす。改善されたように聞きません。」
この文章は3年前にブログ「二葉町防災新聞」に書きました。「国の想定鵜どうり減災は可能なのか?」というブログ記事でした。
ようやく仁淀川町のドライエリアで260人の高知市民は疎開できるようになりました。二葉町と仁淀川町長者地区の皆様とは10年余りの地域間交流を続け、「顔の見える交流」をしてまいりました。
苦節10年ですね。高知市周辺の自治体(いの町など)との連携もふかめていただきたいと切に思います。
ブログ二葉町防災新聞・カテゴリー「仁淀川町と二葉町の交流」をご参考ください。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/cat43975382/index.html
今年の二葉町自主防災会の事業報告と決算報告を高知市役所地域防災推進課へ行き承認を受けました。
やれやれです。今年は1月から母(96歳)の緊急入院、難病(誤嚥性肺炎、下肢蜂巣炎)での101日入院で要介護5になりました。
6月15日から在宅介護しながら仕事して、地域防災活動してきました。これからは仕事に専念します。
あっというまに10月は「飛んで」行きました。前後半の大きなヤマを順調に超え満足しています。30日の二葉町・若松町の総合防災訓練も何とか無事に終了しました。昨日は放心状態でなにも考えられませんでした。
11月も負けずに忙しい。仕事も訪問活動もしないといけないです。なにかと慌ててしまい、焦りますが、何とかのりきりたいですね。
頭の中も事務世の一部も「ぐちゃぐちゃ」ですが、少しずつ整理していきます。この地で何とか生存できるように本気で動きます。11月はそのスタートです。
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