
今日は家内は友人と県立美術館での「濱口竜介監督特集」へ行きました。アカデミー賞国際長編映画賞を受賞した「ドライブ・マイカー」の上映と濱口監督トークも聴講したようです。良かったと言うていました。
私の方は、旭にあるソーレまで自宅から歩いていきました。ゆっくり歩きましたので。1時間近くかかりました。

歴史研究家の公文豪さんの講演「民権ばあさん・楠瀬喜多と女性参政権」」を聴講しました。とても素晴らしい講演でした。公文さんは関連資料を丹念に調査され、大変説得力のある充実した内容でした。
講演内容は多岐にわたっています。特に印象に残ったことを記述します。

「坂本龍馬は改革派のイメージがありますが、女性観は保守的でした。最近では小高坂の娘までが天下国家の議論をしている。いかがなものか。女性は家にいて家事に専念しろ」と言うていますね。やはり龍馬といえど時代に制約されていますね。」
「戦前の日本には政治的な権利がなかった。明治維新から敗戦までの77年間は女性は参政権がありませんでした。
楠瀬喜多は明治時代に明治11年に日本女性で最初に女性参政権を主張した人でした。」
「自由民権運動では女性たちも参加し、演説会を聴講しに行っていました。女性たちの専用席までありました。」
「楠瀬喜多は熱心に立志社の演説会にも通っていました。」
「楠瀬喜多は38歳で未亡人になりました。春野のほうに農地を所有していて、税もハラっていたようです。」
「納税の義務を果たしているのに参政権がないのはおかしいと、当局に対して主張しています。」
「楠瀬喜多の家に後の政界の大物の頭山満が下宿していました。衆議院議長の河野広中も楠瀬喜多に若いころ世話になっていたようです。晩年楠瀬喜多は年に1回東京へ行くと頭山や河野の屋敷を訪ねていたとか。河野に言うて衆議院を傍聴に行ったそうです。」
「生前頭山が喜多の墓石代を送金、没後に河野広中が字を書いたと言います。」
「上町や小高佐村ではジィ生産政権が一時期実現しました。植木枝盛らがその地域にいて行政を動かしました。画期的なことでした。」
「しかし集会及び政法の改悪はそうした改革の動きすべてを封殺祖ました。
「植木枝盛の開明的な思想に共感した女性たちが数多く活躍し、楠瀬喜多の後継者が出てきました。しかしその後日本は暗黒時代になり、女性参政権が付与されたには敗戦後の琴でした。」

講演後会場からの意見や質問がありました。
「私は娘二人を育て大学へ通学させ、就職しました。職場結婚し子供が生まれました。そしたら夫を遠隔地に転勤さでました。結局娘は仕事w辞め専業主婦になりました。
大卒の専業主婦が増加しています。おかしいと思います・」
この意見に対して公文豪さんは回答しました。「
「だまっえちては駄目です。声を上げて戦わないと駄目ですよ。そうしないと事態は変わりません。戦わないと権利は守れません。」
2時間があっという間でした。いろんな人にも会えて良かったです。顧問合さんありがとうございました。司会役の岡﨑邦子さん、スタッフの松田高正さん、寺尾礼二さん、松崎順子さん、筒井早智子さんお世話になりました。
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