高木妙さん定期便
高知市下知地区の唯一の市議会議員は高木妙さん(5期・公明党)です。今回6期目をめざされています。
1面は「下知ポンプ場の整備について」の報告がありました。かなり長い時間をかけて新葛島橋西の部位で工事が行われています。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2019/07/post-7ac380.html
(下知ポンプ場の新設は喜ばしい 250人収容の公共施設)
「年度内にポンプ場の上屋の建築工事に着手、6年度から7年度なかけてポンプ、自家発電施設などの設備機器の設置工事やポンプ場の流入菅の接続などの土木工事を行い、令和8年度の供用開始を進んでいる。」とあります。
供用開始は3は年後ですが、従来のは追い水能力が1・5倍yとなります。浸水の早期解消期待できる施設の1つです。
2面は下知地区の北部の弥右衛門地区にある弥右衛門公園が完成し、完成後は人気の公園になったことを報告されています。
1971年に都市計画決定がなされ、その後長い時間をかけて弥右衛門区画整理事業が着手されました。私が昭和小の生徒だった頃(1960年から65年位)は弥右衛門地区は田畑であり、ネギ畑や水田がありました。」マラソンコースであり、通称大津バイパス(県道374号高知南国線には新国分川橋はまだ架橋されていなく、卸団地が「終点」でした。マラソンしていますと丸池町に当時あった黒いガスタンクが見えました。
区画整理事業の仮換地に指定されましたが、区画整理事業から掘り出された14000トンの産業は異物(鉱さい)の撤去に長い時間がかかり、公園整備がようやく着手されましたが、当初計画にはなかった県立弓道場の建設や江ノ口川雨水貯留施設の整備などがあり、公園整備の事業認可(2010年)から関税(2020年)まで10年かかりました。
駐車場もあり遊具もあたらしく、芝生広場もあり、家族jずれに大人気の公園になりました。また弥右衛門公園の防災施設としては、6000人×3日分の耐震貯水槽。緊急時のヘリポート。防災トイレ。かまどベンチ。ばったり―内蔵型ソーラー街灯照明52基が設置されています。
また県立弓道場の2階部と屋上が津波避難ビルに指定されています。また高木妙さんは弥右衛門公園完成後にたえもん公園防災清掃愛護会代表世話人として、有志の人達と早朝のごみ拾いや清掃活動を射なさっています。最近では若い世代が清掃活動に加わり、いい流れが出来たいます。
わたしも早朝散歩時に何度が高木妙さんにお会いしました。市議としてのご活躍で毛でなく地域住民としても公園を守る活動をされていることはとてもいいことです。
3面はコロナ対策の取り組みが掲載されています。中でも「GOTO理美容クーポン券」は良いころ路みでした。当時飲食店への手厚い支援はありましたが、理髪店や美容院への支援はありませんでした。
高知市独自のコロナ対策支援で注目され、発売されるや即日完売されたそうです。
また障害者福祉の観点から暗所視支援眼鏡購入費補助(視覚障碍者支援とコロナ対策)として高木市議の提案が市政で実現されました。「コロナ禍で視覚障害者がガイドヘルパーと一緒に外出できない状況もあり、新型コロナ対策としても有効」と市政で実現しました、
4面は「地域の思いを実現」との記事でした。下知地区南部の公共施設としてかねてより下知市民図書館の改築」が下知地区の大きなテーマでした。しかし「財政難」を理由に改築は凍結されていました。
当時の記憶ですが高木妙さんは下知地区の町内会長の署名を集め、「地域活性化公共投資基金」の活用を提案し2013年に下知コミュニュティ・センターが感染しました。今年は開所10年になりますね。
防災面で住民側の要望で実現しましたのは、屋上にあるLPガスの炊き出し施設です。昭和南海地震を須崎で体験なさった森宏二葉町自主防災会会長(下知地区が強く実現を要望し、高木妙さんに長立ちいただいて実現しました。
当時副議長をされておられ、最終的には副市長との意見交換会も行い実現することが出来ました。拠点施設としての機能が充実しました。先進的な取り組みでした。
写真の丑之助学園前の横断歩道と丸池町の歩道路い整備は私の早朝の散歩コースなのでよく理解できます。安全が確保されました。また笹岡和泉さんのタウンモビリティ事業の拠点整備の推進はとても大事な事業です。
下知地区唯一の市議会議員として20年間5期活躍されました。6基目も上位当選していただきたいですね。
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