閖上だより12号
先日宮城県名取市にある一般社団法人ふらむ名取さんから「閖上だより12号」が送付されてきました。いつも閖上地区の地域情報満載のコミュニュティ新聞です。
閖上地区は紙面からの様子では、かなり街並みは復興し、新しい住宅や災害復興住宅が立ち並び、お祭りも復活したように思われます。東日本大震災から12年。閖上地区に戻られえた人、戻ってこない人いろいろであると思います。
閖上復興だよりから閖上だよりになられました。紙媒体の地域コミュニュティ紙は取材や編集、配布などに大変な苦労なさったと想像します。でもA3サイズの印刷物は読みやすく、印象に残ります。閖上の地を離れた人たちとも繋いでおられると思いました。
1面は「東日本大震災から12年 天にとどけ閖上の祈り」です。閖上中央第一団地C棟集会室で祈りの場を設けられました。
写真では「追悼 東日本大震災」「追悼ウクライナ戦争」「追悼トルコシリア地震」が掲げられていました。仏式では13回忌です。震災直後から支援されているシンガポールの歌手の方や全国各地のボランティアの人たちとの交流が継続されていることは素晴らしいことです。
2面は「いづぅもどぉも!んぅだっちゃ」です。東北の言葉なので四国のわたしには意味が分かりませんが、推測するに「いつもどうりだよ」とのことではないでしょうか?
記事では「小正月行事「どんと祭」「茶話会コミュニュティ」「名取市震災復興伝承館「大漁旗」展示」とあります。いつもの地域の行事やなりわいが戻ってこられてきたとの記事のようでした。
3面は「閖上散歩」と「閖上自転車紀行」の随筆が掲載されています。私も毎朝散歩をしていますので関心があります。徒歩や自転車で地域を廻りますと、自動車運転では見落とした地域の現実がよくわかります。
「閖上散歩」では津波の碑が傾いているとのご指摘。災害の教訓を後世に伝承する大事な施設です。どこの地域なのか覚えていませんが、昔の津波の教訓で先人が残した碑に「これより下に家を建てるな」との表示があり、その地域の住民の皆様は、その碑より高い場所に家を建てたので、全員津波で被害はなかったとのことでした。大事な事であると思いました。
「その日に備える 東日本大震災から12年災害を身近なところから知り、防災意識を高めましょう」との記事は考えさせられました。12年も経過しますと震災や津波を知らない子供たちも多くなります。どう伝承していくのか。とても難しい問題です。
昭和南海地震で高知市下知地区が地盤沈下し、海水が入り込み3か月間水没した歴史があります。77年前のことであり、地域で知っている人達は90歳代です。私たちは防災紙芝居を作成しました。
「からぶってもいいんでねえの助かれば」(東日本大震災の教訓)
「地震が来たら津波の用心」(昭和三陸地震津波教訓)
高知下知地域が大被害を受けたのは77年前の昭和南海地震と、53年前の台風10号での大雨と高潮での水没体験です。いずれも体験者は高齢者になっています。激甚災害にもかかわらず地域に表示する碑すらありません。
4面は「編集後記」が印象に残りました。
「先日、あるまちづくり団体の方から、閖上復興への住民が取り組んだ話【小中一貫学校、なりわい、商工業施設など)をお話しする機会をいただきました。とありました。
他の被災地が羨望の眼差しをで見ている閖上の復興は、住民主体であり、心の交流や地域の行事の復活や、紙面にある地域の企業の広告にあるように、地域の産業や商業、なりわいの復活があればこその話です。
2015年と2016年に閖上を訪問した頃は、かさ上げ工事の真っ最中でした。それから復興されたことは喜ばしいことです。地域コミュニュティを維持してこられたからこ成し遂げられたと思います。
その要に「閖上復興だより」があり「閖上だより」があるのだと改めて思いました。格井直光編集長さんや編集・スタッフの皆様本当にご苦労様です。
大変励まされ、「見習わなければ」と思っています。
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