皆・50年前の大学生になりました。
2023年7月7日(金)は、50年前の大学生たちが集合しました。
(白黒写真は50年前に撮影されたもの。学費値上げ反対闘争での学生部長との「意見交換会」(俗にいう大衆団交)の様子です。
50年前に入学した大学で、入学直後に入会したサークルの同窓会に私は、5年ぶりに参加しました。家内とはそのサークルで知り合い、交際し家庭を持ちました。
43年前に高知へ来ていただき、子育て、両親の介護、会社の経営と家内と2人で奮闘してきました。今回は家内は初参加。43年ぶりに会う人たちもいました。わたしも亡き母(2022年12月19日逝去)前後から1年半お酒を飲んでいませんが、この日だけはお酒が美味しく飲めました。
50年前の1973年2月に受験で東京に来た時、神田キャンパスは高層化ビルの麹をしていました。していました。確か法学部と2部は神田キャンパスです。
しかし今回近くまで見に行きますと、神田キャンパスは建て替えられ一段と高層化しています。50年前は大学は郊外に展開していました。せっかく田舎者が気合を入れて東京に来たのに当時は郊外に移転する大学が多くショックでした。大学は神奈川県川崎市生田というところにあり、郊外ではありましたが、都心にちかく小田急線沿線でした。1年目こそ生田でしたが、2年目から世田谷区の経堂にひっこししました。
私は大学を卒業して半年間兵庫県尼崎市にいましたが、転勤になり、千葉県習志野市に移転。翌年は神奈川県武蔵小杉に居住していました。高校を1年留年して大学へ入学、少年から大人になる時代に東京で過ごしました。ですが1980年に家業を継承するために高知へ戻り、それから43年間は田舎暮らしです。
田舎者が大都市に2018年以来5年も行かないと浦島太郎になるようですので不安でした。でも首都圏のお仲間は暖かく迎えていただきました。
サークル仲間は田舎者の集まりです。出身地は北海道、岩手、群馬、静岡、島根、高知、沖縄ですから。7月8日に集まったメンバ-の半数は東京と埼玉に住んでいます。
やはり大学時代のサークル仲間達は、一生の友人達です。有難いです。また来年も元気で全員集合でお会いしたいものです。利害のない「言いたい放題の」人間関係などなかなかありません。あっという間に50年です。
目一杯生きても後わずか30年の人生。後悔せず、やりたいことをやりといして、生き抜きたいと思います。病気は事故などに遭遇してはいけないです。そんな暇は私にはありません。
家内もとても楽しかったと言っていました。お互い元気であれば、また来年うち揃って参加したいと思います。「50年前が昨日の出来事」のように思います。一生続く友人関係は得難い人間関係ですね。
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