blogの伝道師・blogの鬼

2019.03.09

無益だった日本の社会運動。負の遺産

憲法米ストーリー_NEW
 2019年3月3日の高知新聞11面の特集記事「憲法マイストーリー・生き方から考える価値」は改めて考えさせられる記事でした。

 「個人尊重せず暴力闘争」「学生運動元行動隊員「限界あった」「かみあわず」「面白くない」というキーワードが見出しになっています。
 記事で取り上げられていたのは当時早稲田大学法学部学生で民青(共産党の青年組織)に所属していた宮崎学さん(73歳)。51年前の1968年に宮崎さんは民青の行動隊を率い、東大教育学部にいて、全共闘学生と暴力的な対立を繰り返したそうです。

「60年安保闘争が終わると、民青と反民青の対立が激しくなった。民青は組織的な行動を求め。、個人の多様性を認めなかった。
 反民青の全共闘でも内ゲバ(組織内での暴力闘争)を繰り返し、どこも組織と運動がかみ合わなかった」

「学生運動は社会そのものを動かせなかった。階級闘争に終始し、個人を大事にしなかった。そのあたりに限界があり、もっと考えねばならないことがあった。」

 「階級闘争」ではなく「暴力闘争」「内ゲバ」「仲間殺し」をやっていたにすぎません。その極みが1972年の連合赤軍事件であり、凄惨な党派間の内ゲバ抗争でした。一時的に盛り上がった日本社会の社会運動も一気に衰退し、政治に「しらけ」る世代が蔓延する原因を作り出しました。
 つまりは日共系も反日共系も宮崎学さんが言われるように「個人の多様性を認めず、組織優先の暴力闘争ばかりして内部崩壊した。」ということでしょうね。

 かつて対立した荒岱介さん(早稲田在学中にブント(共産主義者同盟)戦旗派リーダー。2011年死去)をお見舞いに行かれた時に、「どこで間違えたのか」と宮崎さんが聞きますと、「全部間違ったんじゃねえぁ」と荒さんは答えたといいます。

 ドイツやフランスは学生運動から政治のリーダーが生まれ、国の政治にも大きな盈虚力を持ちましたが、日本では全くそうなりませんでした。
 やはりその原因は「個人尊重せず暴力闘争」ばかりして、「組織的な行動を求め。組織優先で個人の多様性を認めなかった。」社会思想の粗雑さ、稚拙さにあったと言えるでしょう。

 50年経過してようやく「身に染みて」理解できるようになりました。
 1968年から1969年と言えば、中学3年生から高校1年生の青年前期の多感な時期。ひたすら社会運動にあこがれていた田舎の学生でしたが、まったく中身のない、こけおどしの粗雑な革命思想であったかと。がっくり来る現実ですね。

 ではその後日本は豊かになり社会問題はなくなったかといますと、さにあらずです。格差社会はより進展し、国民の意識と中央政府の意向がものすごく乖離しています。その現実を埋め、解決できる社会運動の再構築が今こそ望まれていると思います。

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2015.07.18

SNS時代、ブログを運営するために大切な、5つの「意図」

「情報営業」のコンサルタントである藤村正宏氏の今回のメールマガジンのテーマはブログについての心構えを書かれていました。引用自由ということなので、貼り付けさせていただきます。


「SNS時代、ブログを運営するために大切な、5つの「意図」」


でも、ブログをただ単に書いていてはあまり意味がありません。
ブログを運営するためには以下の5つの意図を持ちましょう。

1・共感してくれるファンを増やす意図
2・セルフブランディングを意図
3・ソーシャルメディアで拡散する意図
4・ブログ記事を資産にする意図
5・キーワード(SEO対策)を意図


1・共感してくれるファンを増やす意図

継続的にあなたらしい記事を書き、ファンを作っていく。
そのためにも、一方的な発信ではなく、FacebookやTwitterでコミュニケーションすることが大事。
そして、あなたの「個」をだすこと。

2・セルフブランディングを意図

「個」を出す意図をもちましょう。
あなたがどんなことが好きで、どんな人柄なのかがわかるようにする。
趣味のことやどんな生活をしているのかをFacebookやTwitterで発信する。
ブログでもあなたらしさを出す意図を持ちましょう。


3・ソーシャルメディアで広げる意図

FacebookやTwitter、Instagram、はてなブックマークなどで広げる意図をもちましょう。
なるべくたくさんの人に見てもらえるように、必ずブログを更新したら、あなたのSNSでリンクすることです。
でもね、ブログを更新したら自動的にTwitterで投稿するのは禁止です。
必ず手動で投稿すること。
コメントを入れて。


4・ブログ記事を資産にする意図

ブログはあなたの資産になります。
3年前に書いた記事でも読んでもらえます。
だから毎日コンテンツの貯金をしているという意識で書きましょう。
Twitterは新聞、Facebookは雑誌、ブログは書籍。
そんなイメージです。


5・キーワード(SEO対策)を意図

ブログがあなたのウェブサイトにストックされると、コンテンツSEOとして力を発揮します。
たとえばあなたが、お酒屋さんをやっていて、毎日のようにワインのことを書いているとします。
そうすると、Googleは「このブログはワインの専門ブログ」だなというふうに認識して、ワイン関連キーワードで上位表示されるようになります。
Googleは専門家が大好きなんです。
そのためには、内容はもちろんですが、ブログのタイトルも工夫しましょう。
「バーベーキューに合うワイン―○○ワインが意外とバーベキューとの相性がよかった」などと検索されそうなキーワードを意識したタイトルを考えることも大切です。

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2015.05.11

ある家屋の傾き・沈下修正施工会社の社長ブログです

 東日本大震災の後に千葉県浦安市では、液状化により、家屋が傾き、沈下する現象が多発しました。そのなかで、きちんとした技術で家屋の傾きを誠意をもって直していた家屋の傾き・沈下修正施工会社の社長ブログです。参考になると思います。曳家の岡本直也さんにご紹介いただきました。

浦安市 助成金対象工事の受付を終了しました。

浦安市の皆様

地盤復旧工事の為の助成金が4月10日をもって終了します。

当社も震災以来、浦安市の多くの住宅の傾斜修復工事を行わせていただきました。

お客様の心配を取り除いてもらうために

1  他社、他工法の悪口は言わない。 
2  他社、他工法が私たちの行う工法の悪口を言っても否定はしない。
3  修正の精度を上げるために、協力業者の方に無謀な価格交渉は行わない。
4  市との連携をしっかりと行う。
5  施工精度を求め、クレームが出ない体制で仕事をする。

こんな信念で仕事を行ってきました。

4月10日までに完工できる施工棟数も全て予約が終わり、当社での浦安市助成金対象の工事の受付は終了させていただきました。

この4年間、素晴らしい方々の協力を得ました。と同時に、仕事を取るために発せられた根も葉もない嘘や誹謗中傷の数々も反論することなく受け入れてきました。反論する暇があれば、そのエネルギーを工事のエネルギーに変えたほうがより良い結果につながると思っています。

ウレテックは浦安市と癒着している 
ウレテック工法(ウレタン注入工法)は耐久性が無い
ウレタンはシロアリが好んで食べる

さらには
社長の目がいやらしい
理由もないのに家に上がりこむ

仕事のやり方はその企業の風土で違ってきます。また社長の方針で決まります。

今後も他社の否定、批判はすることなく、お客様に信頼いただける工法提案を行っていきます。

数ある沈下修正業者の中でウレテックジャパン社で工事を行っていただいた方、そして当社からお見積もりを取っていただいた方、ありがとうございました。 当社の努力が足らず、他社を選んで工事をされた方へもありがとうございました。

衰退する沈下修正業界の様々な特殊技術が少しでも役に立てたことを嬉しく思います。

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2014.05.08

ブログの効用について(再確認)

 コンサルタントの藤村正宏さんのメールマガジン。今回は「ブログの効用」について述べられていました。わたしもブログについてはそう思います。仕事関係のこともブログに書いていますから。


「コンテンツマーケティング」

 FacebookやTwitterをやっていて、いつも思うことがあります。
それは「コミュニケーションが消費されている」そういうこと。
そう思いません? 特にスマホの普及と、それが比例しているってこと。
企業や店は、そこに新しい可能性があると思うんです。
今以上のたくさんのチャネルで情報を発信して、あなたの商品や会社のことをたくさんの人に深く伝えることも可能だと思う。


 有益な情報を使って、お客さまとのコミュニケーションを売っているということです。これは「コンテンツマーケティング」です。アメリカでこの「コンテンツマーケティング」という概念が生まれ、日本でもけっこう定着してきました。
企業はメディア化をしたがっています。

 「コンテンツマーケティング」って知らない人のために、カンタンに解説しておきますね。カンタンに言うと、自社のメディア、「オウンドメディア」を活用して、見込み客や既存顧客に有益な情報を発信して、関係性を創り出し購入してもらう。
カンタンに言うとそういうことです。

 役立つ情報をいつも発信して、それに触れたお客さまは「なるほど、この会社は専門家だな」とか「いつもいい情報をくれるな」と認識してもらって、親しくなっていく。
そして、結果的に商品やサービスを売るってことです。

 たとえば、印刷会社が「売れるチラシのチェックポイント」とか「反応のいいダイレクトメールの作り方」、「カンタンにできる売れるメニューの作り方」などを、いつも発信して、「チラシを作るならこの会社に頼もう」と思ってもらう。
あるいは、新築住宅を売っている会社が、いい家を作るためのさまざまな注意点をいつも発信していて、それを読んで自分で勉強したお客さまが、その会社に家を注文するとか。そういうイメージです。


「コンテンツマーケティングではブログが効果的」

 そのコンテンツマーケティングの核になるのが、オウンドメディアといわれているもの。オウンドメディアはたくさんありますけど、その中でも「ブログ」がとっても重要だと思うんです。

 ウェブサイトの中でも、ブログが効果がある。
毎日のように更新されると、毎日見に来る人もいますよね。
こういうお客さまは、もうあなたのファンになっているという状態。
だから、毎日のようにブログでいい情報、役立つ情報、悩みを解決する情報、願望を達成する情報、などを発信することで、見込み客との関係性が深まるのです。
いつも固定されているホームページの情報より、ブログの新鮮な情報を知りたいですよね。だからブログはとっても効果があるんです。

 でも、ブログってなかなか難しいことも事実。
一番多い悩みは、ブログに何を書いたらいいかがわからない。
ブログのネタに困ってしまう。
だから、いつも日記のようなブログになってしまう。
そんな悩みです。

「毎日のように、そんな専門的な記事は書けない」
そう思うのも、無理はありません。
それはプロのライターでも、けっこうたいへんな仕事ですから。
でも、毎日は無理でも、週に1本くらいは専門性のある記事を書けると思う。
そういう記事が溜まっていくことで、あなたのブログは専門性が出てきて、たくさんの人に認識されていくのです。
検索エンジンも、専門性が高いサイト、いい情報を出しているサイトは検索上位に表示するのです。


「ブログのネタに困ったらQ&Aサイトを参考にする」

 それでもネタに困るようでしたら、ヤフーの「知恵袋」とか、「教えてGoo!」などのQ&Aサイトを見ることをおススメします。

 たとえば、あなたが漢方薬の相談薬局をやっていたとします。
そうしたら、たとえばお客さまの悩みってたくさんありますよね。
「ダイエット」「アレルギー」「不妊」「アトピー」・・・
キーワードがたくさん出てきます。

 そうしたら、もし「アトピー」というキーワードで記事を書きたいと思ったら、Q&Aサイトにそのキーワードを入れてみる。
そうしたら、一般の人が「アトピー」に関して知りたいことが質問形式でたくさん出てきます。それに答えている人の回答も見られます。

「アトピーは遺伝しますか?」
「母親のアトピーは子供に感染しますか?」
「アトピーなのですが出産について」
「彼がアトピーの人いますか?」

 などなど、たくさんの質問が出てきます。
それを丁寧に答えていくブログ記事を書くのです。
(ちなみに、アトピーは遺伝しませんし、感染もしません)

 そういう記事がたくさんあなたのブログに蓄積されていったら、これはすごい財産になります。そういういブログを書いていると専門家として、認知されるわけです。

 人々の知りたいことを書く。
これがブログの基本です。
コンテンツマーケティングの基本なんです。

 他にもいいブログネタを探す方法があります。
ここでは書ききれないほどです。
そして、リアルの媒体。たとえば、看板やチラシ、ダイレクメールなどと組み合わせると、さらにお互いの効果が倍増するのです。

 ブログは関係性を構築するために、効果のあるメディアです。

 わたしは個人ブログは2004年からやっています。業務関係のブログも2009年からしています。業務サイトのホームページでは「よくある質問」で、400記事ちかうになりました。日々更新していこうと思っています。

 ブログはたしかに効果があると思います。これからも更新して行きます。

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2014.02.28

「コミュニケーションは、要らない」を読んで

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 「コミュニケーションは、要らない」(押井守・著・幻冬舎新書)を読みました。作者は「うる星やつら」「攻殻機動隊」などの劇場用アニメ作品の監督。なかなか毒をいつも吐いています。

 最近流行しているツイッターやフェイスブックなどにも言及。早速毒を振りまいております。

「ただ気分を吐きだすだけの言葉をネット上に書き散らし、真偽の不確かない情報に右往左往し、目的もなく自分のフォロワーを増やそうとする。

 そんなものはコミュニケーションではない。高度成長以降、日本人は「現状維持」のために協調性ばかりを重んじて、本質的な問題について@議論」することを避け続けてきた。

 そのツケが今、原発問題を筆頭とする社会のひずみとして表面化しているのだ。」(裏表紙)

 確かに言われるとうりですね。わたしも誰かに「共感」してもらいたいがために、ブログやフェイスブックに書き込んでいるわけではありません。自分の想いの吐露であり、記録です。1番の読者は自分なのです。「つながりたい」とか全く私も考えません。

「東日本大震災以降の日本では「絆」という言葉が至るところで使われ、「コミュニケーション」の必要性を説く人い今更ながらに急増した。

 そういう人たちが真っ先に飛びつくのが、「ツイッター」や「フェイスブック」などのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)だ。

 これからの時代のコミュニケーションにはインターネットやスマートフォンは欠かせないツールであり、これらのツールが人々の想いを繋ぎ、エジプトの革命を成功させたような大きな力となって、新しい社会の枠組みを生み出していくのだという。

 僕はこういう言葉を一切信用していない。」」

 「今回の震災において、携帯電話が使用不能な状態の中で「ツイッターで情報交換した」「SNSがインフラとしての役割を果たした」という話がよく聞かれる。確かに安否情報を確認する。といった局面でそれらが有効に機能したことは僕も知っている。

 あるいは、テレビ局では編集されるような政府や東電の記者会見を、インターネット上で「ユーストリーム」などの配信によってノーカットで見られるように、新たな報道の可能性を見出したというような話も耳にする。これはこれで、納得はできる。

 しかし、これは果たして、コミュニケーションと呼べるのだろうか?」(「ツイッターはコミュニケーションの役にたったのか?」P20)

 押井氏は幻想ではないかと言っています。「重大な被害にあった土地以外の日本は、あっという間に復旧していった。インターネットやSNSや携帯電話が、その間にどのように使われようとも、それらが同じ言語空間を共有しているようには僕には思えなかった。」(P21)

 押井守氏は、コミュニケ―ンというのは2つの側面があると定義しています。それは「現状を維持するためのコミュニケーション」であり。もう1つは「異質なものとつきあうためのコミュニケーション」である。

「現状を維持するためのコミュニケーション」とは、

「ご近所づきあい」「会社づきあい」「先輩とのつきあい」や「友達とのつきあい」。更にいうなら「夫婦関係」「家族関係」「恋愛関係」を維持するためのコミュニケーションもふくまれる」と押井氏は言います。

 「ここで重要なのは「いかに問題を起こさないか」ということだ。良い言葉で言えば「協調」や「協力」と言うことになるが、悪い言葉で言えば、ようするに「馴れ合い」である。ここには、なにか新しい価値観を生み出そうと言う意味はない。

 日本人が「コミュニケーション」という言葉を使う場合、ほとんどはこちらの「コミュニケーション」を指しているように思う。」(P23)

 よく言われる「同調圧力」であり、同調しないと「KY(空気が読めない人)となりかねません。

 もう1つのコミュニケーションは「異質な世界や異質な文化といかにつきあい、新たな関係性を生み出すかという重要な目的をもっている。こちらは「議論」という行為に代表される。

 会社や学校での「会議」や国同士の「外交」、企業間での「交渉」がそうであるし、「恋愛」や「結婚」においてもその初期段階は「交渉」に近いコミュニケーションが必要になる。この2つは完全に分離したものではなく。フェーズが異なるものだといえる。

 僕が「コミュニケーション:というものにおいて問題にしたいのは、日本におけるコミュニケーション」が前者に偏りすぎているということである。(中略)

 ある共同体を維持するためには確かにそういうコミュニケーションも必要だろう。けれども、戦後半世紀以上が過ぎ、そろそろそういうコミュニケーションだけでは日本と言う国をささえきれなくなってきている。

 最大の問題は。こうしたコミュニケーションを続けてきた結果、日本にはまともな言語空間と言論空間がなくなってしまったということだ。

 まともな言葉が育まれる世界がなければ、まともな議論は成立しない。今回の東日本大震災とそれに付随する福島県の原発問題は、その末期症状を露呈しているように僕には思えるのだ。」(P25「コミュ二ケーションができない日本人」

 つまり「方法論」ではなく、「本質論」を押井守氏は言っていますね。映画をつくるという作業は「説得」の連続。それも異質な人たちを毎日日にち説得して協力していただかないと、良い作品はつくれない。その現実の中から出てきた言葉であると思います。

「自分が何かを成したいのなら、自分なりのコミュニケーションのシステムを作ればいい。人と会うのがどうしても嫌ならば、そんな自分でも可能なコミュニケーションの方法論を生み出せばよい。

 でも何より大切ななのは、何かを成したいと言う意志だ。それを実現するために誰かの協力が必要ならば、その誰かを説得する必要がある。

 説得と言うのは論理的でなければできないことだ。だから、人を説得しようと思ったら自分のロジックを鍛えるしかない。

 喩を出し、事例をあげ、結論を先に言うようにしたり、あるいは最後までひっぱったりする。相手が中学生なのか、オヤジなのか、奥さんなのか、1対1で話す場合と壇上で話す場合でももちろん違う。それはその場で合わせていくしかない。

 ただ、共通して言えるのは、「相手は自分を信用していない」という前提から始めるということだ。信用していない相手を説得する。だから、様々なテクニックを屈指して言葉を尽くしてロジックを強固にする。

 議論とはそういうことだ。その過程を経ているのであれば、結果としてどういう結論に達するのかということは本当はどうでもいい。

 大切なのは、そこでもれなく語れたかといおうことだ。語らうことの総量が問題なのであり、その語らいの中でより深く思考していく。」(P137「ひとを説得するということ」)

 押井守氏の真骨頂は本質論を徹底して主張することですね。

「まず信じない。ということによって自分で考える。それが今の世の中を生き抜くために必要なことだと僕は思う。

 信じるか信じないかというのは二者択一ではない。すべてを嘘だと疑えと言うことでもない。信じないと言うことはまず判断を保留するということだ。

 与えられたひとつかみの情報に一喜一憂するのではなく、まず信じないという選択によって、そこから自分の頭で考えてみる。「自分がしらないことがあるんじゃないか?」という強迫観念ほど根拠のないものはない。それはまさに現代人特有の病だ。自分が知らないことがこの世の中にはまだまだあるんじゃないか?「あるに決まっている」と。

 どんなにネットが発達しようがテクノロジーが発達しようが人間はさらなる万能感を欲する。そして、その万能感を手に入れる方法はひとつしかない。

 それは知識を増やすことでも、アンテナを張りまくることでもない。通信傍受システム、エシュロンで世界中の情報に聞き耳を立てる賢者になることでもない。

 結論は、まっとうな価値観を持つことだ。人間が生きることに関して、その延長上に社会がどうあるべきなのかを見出すことだ。

 人間が考えることなんて最終的にはひとつしかない。自分の人生とどう向き合うかだ。今生きている人間にとって、1番大切なのは、死生観であり、もっと言えば死とどう向き合うかだけだ。

 死と対峙したとき、そこから自動的に生きるということの意味が明らかになってくる。生についてばかり考えているのとは順番が違う。どんなに知識を積み重ねても死と向き合えない限り、その知識はなんの役にも立たない。

 問われるべきは知識ではなく、覚悟なのだ。


 そういえば、沖縄出身の家内と結婚し、沖縄の実家へ行った時に、義父が私を連れ出し一族の墓へ2人で行きました。御先祖様にわたしのことを報告していたようでした。

 今頃の年齢になって義父の気持ちが少しわかります。その義父も義母とともにこのお墓で眠っています。沖縄へ行くと常に死と向き合うようになりますね。確かに。
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2014.01.01

10年目となった個人ブログ

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 早いものですね、2004年1月1日にスタートした個人ブログ。今日でとうとう10年目になりました。相変わらず1人で「吠えて」おりますね。

 2004年1月1日のブログ記事です。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2004/01/post.html

 その後フェイスブックなども現れましたが、個人ブログで相変わらず1人で「吠え続けて」います。今後も変わらないと思います。

 NIFTYがブログサービスを辞めない限りは、続けて書き続けて行くと思います。

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2013.09.15

アクセス数が100万をようやく超えました。

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 2004年1月1日に開設したこの個人ブログ。ようやく9年と8か月で100万アクセスとなりました。結構時間がかかりました。人気ブログを目指さず、読書に媚を売らず、ひたすらわがままに、いろんな分野の事象に対して「吠えて」来ただけです。文章を書くことは自分を対象化する作業であり、悪いことはなにもありませんでした。

ブログが田舎でも一時期注目された時期には「ブログ中高年の星」とか「ブログの鬼」とか言われていました。それも昔です。

 1日平均376アクセス程度。大した数ではありません。人気ブログではありません。最近は多くの人たちがフェイスブックもしているので、ブログの注目度は低くはなったことでしょう。でもブログがいいのは、記録性ですね。

 フェイスブックは速報性はあります。でも昔の投稿を探し出すのはとても面倒。その点ブログは「カテゴリー別」に投稿文が時系列に整理されて保存されているので、振り返ることが簡単。ブログを辞めるわけにいかない理由です。

 注目されようが、されまいが関係ありません。

これからも原則毎日更新していく予定です。

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2012.05.16

WEB上で社会的な議論は可能なのか?

 よく言われるように日本は学校社会で「ディベート」の習慣がないし、社会的訓練がなされていないからであるとも言われていますね。ですので「しょうもない」自己啓発セミナーが流行していますね。実におかしな現象です。

でもどうしたら米国のようにブロガーが大統領選挙にも関与するだけの力を日本でも持てるのか。そこに言及した議論は残念ながら見つかりませんでした。

 異質の存在や意見を受け入れ、自己主張をできるようなフェイスブックやブログでの交流が広がれば、世論が社会に初めて影響が与えられると思います。日本はまだまだであると思います。

 2008年9月に個人ブログで「社会性を持った議論をしよう。」との記事を書きました。

  社会性を持った議論をしよう(2008年9月投稿)
  
 フェイスブック上にも「政治を語ろう」とかいうグループも散見しますが、主張が偏っていて、「異論を排除する」「一方的に賛同を強要する」ような議論を排除する全体主義的な傾向でした。「改革を標榜する」みんなの党の支持者や、橋下徹大阪市長の支持者にそうした「独善的傾向」の政治グループ(?)が多いようで笑ってしまいました。

 WEB上で実名で正論を言うのが怖いのか、匿名掲示板で憂さを晴らす習慣が日本では長く続いたのかもしれません。必要以上にWEB上で自分を出さない人や、自己主張しない人が多すぎます。

 今日食べたご飯お話や、宴会風景や、景色のばかりの書き込み。または自己啓発的な宗教的な書き込み。自分の会社の宣伝ばかりしている人などざまざまですね。「文は人なり」と昔の人は言いました。自分の書く文章で全人格とは言いませんが、かなりの部分が表現されていますいから。

 「人は見かけが9割」と言いますが、ブログやフェイスブックでの記事の投稿で、自分自身の「すべて」は表出しているぐらいに考えて投稿すべきでしょう。

 私などは隠し事や秘密はありませんので、自己主張もしています。ある意味偏った主張も多いでしょうが、原則「異論」をある「政治グループ」のように排除はしません。主張の異なる者同士の議論はかみ合わないことが多いのですが、我慢して相手の主張を聞き、冷静に意見交換しています。合意は決してないでしょうが、それでいいんではないかと思います。

 それで冒頭の「社会性を持った議論」ですが、道は遠いとは思います。でも議論に参加する個人個人が少しずつ、自分と異なる主張を持つ人の議論を我慢して聞くことができれば、すこしは議論に「社会性」が出てくることでしょう。それまで社会が成熟するのか。そのあたりは日本の市民社会の正念場でありましょう。

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2012.05.08

他人を当てにすることなく、自分でやれることをしよう

  つくづく最近思うのは、私たち日本人は、政治活動や社会運動をタブー視しすぎやしないかということです。憲法で保障された思想と信条と宗教の自由の範囲内でもっとお互いが自己主張すべきです。そうしないとわけのわからないファシストが台頭してきます。

 「政治にはリーダーは要らない」のです。住民自治、市民自治の考え方がすべてです。その考え方を軸に政治手段を解析していけばおのずと答えは見つかりますね。

 他人任せの劇場型政治に期待することはやめましょう。

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2012.03.24

高知県民としての誇りについて

  高知県は保守王国であります。2009年の総選挙で、民主党が全国的に大勝し、政権を担うようになり、長年政権を担ってきた自民党が大敗し、野党になりました。

 しかし高知県では小選挙区ではすべて自民党候補者が当選しました。自民党の組織力の底力を見せ付けた総選挙でした。

 その高知県ですが、県民各位は「政府の言いなり」になり、長年の自民党政権の政策の受け皿になってきたかといえばそうではありません。典型的な事例が、原子力政策を断固として高知県として受け入れませんでした。これは誇るべき県民気質ではないでしょうか。

 先日のNHKのTV放送で、新潟県柏崎市は原発立地交付金を過去に3000億円も受け取ってきたそうです。そのお金でこしらえた施設はなんと125もあります。ではさぞや自治体の財政が豊かといえば、そうではなく財政破綻寸前とか。原発交付金は公共施設の整備費には使途でないそうで、作れば作るほど、後日の維持管理費用に追われ、財政が逼迫することだそうです。

 高知県は県民所得がとうとう日本で最低になりました。ある調査では「幸福度日本1」が福井県で高知はここでも最下位のようです。でもよく考えましょう。原子力発電所が10箇所も立地している福井県。それはたんまり原発立地交付金は入るから、図書館や文化ホールなどの公共施設は立派になるでしょう。

 高知は大きな企業もないから税収も少なく、常に貧しいと揶揄されてきました。しかし美味しい空気と水が豊富にあるのです。2007年の核廃棄物施設の是非をめぐる東洋町長選挙では、「教育費用、医療費、介護費用、水道光熱費用が、核施設を受け入れればすべて無料となります。」という推進派候補者のチラシまで配られていました。

 所得の低い高知県のなかでも東洋町はさらに低く、失業者の多い地域でもあります。でも東洋町の賢明な町民の皆様は「子孫のために思い切り深呼吸できる自然を残したい、」という真摯な気持ちで、核施設反対派候補者を支持し、国に立地を断念させました。本当に高知県は救われたのです。

 過去にも窪川町に原子力発電立地の計画もありましたが、反対運動が広範囲に展開され、断念されました。

 高知の先輩たちは、高知の自然を残してくれました。それがなによりの1番の財産であるとわたしは思います。その自然を損なうことなく活用し、子孫に伝える義務があると思います。それは私たちの役割です。
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